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柳田国男が記したことで遠野は民話の里として知られている。岩手県に生まれた私のような者でも、遠野と言えば、北上平野沿いでもなく、三陸でもなく、ちょっと隔絶された内陸の聖地という感じを持っていた。あとはサッカーの町の印象も。初めて通ったのは花巻から汽車で釜石に抜けるときに通過しただけ。やっと訪れたのは1998年の夏で、歩き始めた娘と遠野の町をあちこち立ち寄った。施設や民家もいいけれど、里そのものがいい。また行きたい。秋でも冬でも、いつでも行きたい。遠野盆地は非常に寒い。冬は氷点下10度を下回る。今頃(6月)にようやくコタツを片づけるのだろう。昔は凶作が多く、例えば元禄の大凶作(1701年)は2800人、宝暦には(1755年)3000人の餓死者を出したという。飢えに泣きさわぐ幼子を見るに忍びがたく川に投げ入れる、などの悲劇も伝えられる。間引きもあったろう。本当に切ないことだ。姥捨ての地も伝えられる。遠野の河童(カッパ)伝説は、これと関係があるという説がある。つまり、幼子が川でカッパに連れ去られたのだ、として口減らしを説明したというのだ。民衆史を検証する難しい話ではなく、ただただ、そういう昔があって今があることを受け止める。遠野の里に昔の人はどうやって暮らして、山並みの向こうに何を感じたのか。訪れたからすべてわかる訳ではないが、ただ単純に、行きたい。有名な温泉も遊び場もない。へたに自然を売り物にした人工施設もない。ただ、土地に行きたい。遠野にはそう思わせるものがある。
2006.06.30
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昔サッポロビールのテレビCMで、「ミュンヘン・札幌・ミルウォーキー」と言いながら、映像では世界地図で横線(同緯度)で結んで見せる、というのがあった。子供ながらに、世界とのつながりを感じさせる面白い企画だと思った。世界は国と国の集合ではなくて、都市と都市の連結という視点もあるのだな、と。何と言っても、札幌は1972年の冬季五輪を立派にやった都市だ。笠谷、金野、青地の表彰台独占は日本人の自信回復になった。高度成長のただ中で、サッポロビールのCMやトワエモアの歌と一緒になって、あのころの札幌というと、清らかで伸びやかで誇らしい印象が残る。屯田兵以来の百年ちょっとの歴史ながら、勤勉に北海道開拓をすすめる歴史とともに、中心都市を立派に造った。五輪を契機に地下鉄整備とまちづくりを進展させ、いまや世界に堂々と誇れる都市だ。そういえば、前後は忘れたが、あの頃サッポロビールにはクラーク博士をモチーフにしたCMもあったと思う。開拓、雪、冬季五輪、都会、ジンギスカン。オイラ東北より奥なのにナマリがないというから、何とも不思議な地。子供の頃の札幌のイメージはそんな感じだった。なぜかそれを思い出したので、今日の企画は、同緯度の比較。例えば、仙台市と山形市。 ○仙台市役所 北緯38度15分53秒(ちなみに宮城県庁は38°15’57”だそうだ) ○山形市役所 北緯38度15分(市のHPより)何ともピッタリ。山形市役所の「秒」がわからないが、1分は2キロ弱だから、とにかく十分歩ける距離の「近さ」だ。秋田市と盛岡市もほぼ同緯度だ。これも歩ける「近さ」だろう。 ○秋田市役所 北緯39度43分02秒 ○盛岡市(気象台) 北緯39度41分07秒福島市は県の中では相当北に位置する。地図で推測すると、北緯37度45分くらい。ところで、新潟市は37度49分くらいで、むしろ福島市より北に位置する。米沢市のちょっと南という感じ。世界を見ると、仙台と同緯度は、サンフランシスコ、ワシントン、ソウル、アテネ、リスボン(宮城県の広報資料による)。寒いイメージのソウルと、地中海気候のアテネが同緯度とは今更ながら驚く。こう見ると、同緯度だとして、それ以上の意味はない。そのことがわかったので、この辺で終わります。
2006.06.29
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よく聞かれる。なぜ仙台には城がないのか。天守閣は置かれなかったが、二の丸は焼失し、大手門も戦災で失い、最近は石垣も危ないという。戦後に天守閣を復元した都市もあるにはある。復元がいいとは思わないが、例えば大手門が大橋の先にあれば、青葉城の威容と薫り高い仙台藩の伝統が市民の目から心に染み入るのではないか、という気も、一応はする。仙台城の歴史、そして、システムとしての仙台城の機能に関心を持っている。絶好の地形を利用しながらも、万一の際は龍ノ口から逃げるルートが確保されたとも言う。今朝は時間がないので、予告です。
2006.06.28
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日曜日の午前中、市内のガソリンスタンドに洗車に行った。土曜日に1台を洗い、もう1台を洗いに行ったのだ。洗車機に入るとワカメのお化けのようなのがグルグル回ってきて車を包み込むのが、子供たちには面白いらしく、必ずついてくる。今回も2日にわたってワカメのアトラクションを体験に来たわけだ。ところで、帰りがてらに、同じスタンドでガソリンを入れている車を見て、大いにびっくり。ナンバーが、我が家で5年くらい前に手放した車のものと同じ。当然車も同じ。8年ほど前に新車で購入したが、子供も2人になり手狭になったので、3列シートの車を中古で買う際に、ディーラーに下取りに出したのだった。まだ最初の車検期の前だった。上の娘はナンバーには覚えがあったようだが、車体については「ラインはこの色だったっけ?」という感じ。「挨拶した方がいいんじゃないの」と娘に言われたが、もちろん挨拶はしなかった。さて、別れた女に出会ったような(?)この体験だが、出会う確率はどの程度だろうか。運輸局データによると、乗用車(軽を除く)保有台数(H17年3月末)は仙台市で383,413台、宮城県全県で870,038台。すれ違う可能性のある母数(エリア)をとりあえず仙台市分の程度に想定し、一日に出会う乗用車数が100台だとすると...例によって確率の考え方のの基本。「つぼ」の中に玉が383,413個あって1個だけ黒玉、あとは白玉。つぼに手を突っこんで任意の千個をつかみ出す。これを365回(とりあえず一年スパンでみる)繰り返すと考える。1回(一日)分で黒玉をつかみ取らない確率Pが、1/383,834×1,000として、365回連続で出会わない確率が、(1-P)の365乗。これで求めると0.386で、一年間「出会わない」確率がこれだ。結構低い。フェルナンデスの打率よりは高いが。とすると、これを1から引いた 0.614 が「一年間で1回以上出会う確率」デス。相当高い気がする。すれ違っているけど、気付かない、ということか。そもそもこの計算で正しいの?いや、しかし数字では全然モデル化できないだろう。生活行動によって全然違う。例えば、どこに住んでいるか分からないが毎日のようにすれ違う人もいれば、3軒隣の家でも通勤時間が違えばめったにすれ違わない。また、平日と休日でも全然事情が違う。今回の件の場合、新所有者氏は、このGSからそう遠くないところに住んでいると思われるが、確証はない。年の頃は30代の男性、幼い子がいるらしく後部にはキャラクターの薄いカーテンが張られていたようだった。生活圏や行動様式は違うが、偶然の事情で、互いの時空が1点で重なることがある。不思議と言えば不思議だが、単に確率のサイコロの結果に過ぎないとも言える。宿命論的に人生をみれば必然の出会いとも(赤い糸というヤツ。宗教改革のカルヴァンの教えや、結局お釈迦様の手のひらで飛んでいた孫悟空も。)思えるし、法則論的に人生を考えれば単なる偶然。犯罪と刑罰を考えるときの人間観を思い出す。人間とは素質と環境によって宿命づけられた決定的存在なのか。自由意思のもとで主体的に選択的な行動をとるのか。とにかく私、世の中で生きています。
2006.06.27
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仙台市のHPに、「若林区魅力発見」のページを更新したとの情報が出ていた。早速見てみたが、若林城や藩政時代の街道などの紹介もあり、読んでいて楽しいものです。区役所の職員や市民センターの先生がまとめているのでしょう。良い企画だと思います。実は昨日(25日)の午後は、若林区文化ホールで、全東北ピアノコンクールの審査員をして(ウソ。単に聴いただけ)、その後、農業園芸センターに行き、地下鉄東西線六丁の目駅予定地を視察(単に産業道路を通っただけ)、などなど若林区に滞在していました。もし、仙台で今から住んでみたいところを挙げろと言われれば、片平や土樋のあたり、それと、若林区の荒町や旧街道沿い、それに三百人町、また区役所やウルスラ学院のあたりも新道ができて、古さと新しさが一体となって良いですね。現在の5区の区分で言うと、若林区だけは住んだことがありません。
2006.06.26
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朝7時からやっと子供たちがTV(かいけつゾロリ)見ているので、自分の時間。それまでは、アルゼンチンとメキシコの激闘見ながら、地方自治法と議会招集のあり方など書いていて(今朝の日記です)、さらに上の子が起き出して絡んでくるし、大変でした。まあ、好きなこと同時にやっているだけなのだけど。それにしても昨夜のゲームは超ナイス。例によって、6歳の娘を寝かせながらラジオのイヤホンで聴いていた。徳元サンの登場のあたりから。福盛の三振にシビレながら寝てしまった。暗い中でラジオの細い音に心身を集中していると、スタジアムの雰囲気を勝手に想像して、かえってオツなものです。変な楽しみ方ですが。さて、今日は一場。相手は神内。一場の巨人戦の好投ではエースの自覚を感じた。今日も頼むよ。捕手はカツノリか。昨日は藤井が良いところを見せたし、捕手の起用には賛否両論あるだろうが、私は、競わせるという監督の方針だと思う。先輩カツノリのリードが冴えて、藤井も更に一伸びしてくれればいい。チーム力のアップだから。カツノリには意地を見せて欲しい。食らいつくような意地を。さて、かいけつゾロリが終わったので、下に降りて朝メシ、です。
2006.06.25
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6月7日に公布された(平18法53号)。第28次地方制度調査会の答申のうち、地方の自主性自立性の拡大、議会制度の見直しに関する事項のいくつかを立法化したものだ。柱となる主な改正事項は 1 出納長・収入役の廃止、副知事・副市町村長に一元化。なお会計管理者を置く 2 吏員制度の廃止 3 議長の臨時会招集請求権というところだろうか。 1と2は自治体の実務レベルでは大きな改正になろう。長年親しんだ制度がなくなるのだから。ただ、基本的には行政の内部の話だから対住民では大きな話ではないとも言える。 出納長・収入役の存在に象徴される会計事務を担当する出納機関(審査・出納)と執行機関(命令)とを峻別する会計制度は、国の出納官吏制度(会計法)とも似るが、独立の職を置く点など地方自治固有のものとして導入され(自治体は不正不当にカネを使うという思想が背景か?)、現行地方自治法の基本原則の1つでもある。現実には峻別による公正の確保などはほとんど形骸化している上に、非効率にも思われるのだが(私見です)、抜本的改革はとられていない。ただ、特別職として任用される出納長・収入役を実態に即して副知事・副市町村長に一元化する点だけが答申に盛られた。従来の出納長の職責である現金の出納などの会計事務は、一般職から選任される会計管理者が担任するようだ。 以下では、3の点に関連して、議会の招集権限について考えたい。 現行法上、地方議会の招集権限は首長にある(地方自治法第101条)。すなわち、議会は首長が招集する。議員定数の4分の1以上の者から会議に付議すべき事件を示して臨時会の招集の請求があるときは、首長は臨時会招集しなければならない。 つまり招集は首長の権限であり、義務ではない(もっとも定例会は行われなければならないから全く招集しない自由はないが)。首長から見て他律的に強制されるのは、議員の4分の1による招集請求の場合だけだ。 そもそも議会が首長とは独立別個の機関であり、しかも構成員は直接選挙で選ばれ、首長の執行をチェックする立場であることを重視すれば、なぜに首長が招集するのか、という素朴な疑問も沸く。議会の自律は、審議の内容の自由のみならず組織運営の面も含めて広く自由を保障して初めて十全に発揮されるはずだ、との意見も十分成り立つ。例えば、議員提案条例の審議、議長の選挙などをするにも、その会議を開く権限は首長にある、というのだから、確かに不自然な気もする。 昨今の議会活性化論者には、日本の地方自治は「二元代表制」だから(首長も議員も直接公選であることを指すらしい)、議会側にも招集権があるべき、と単純に論じるものもある。 今次の地方制度調査会の審議過程でも、参考人や委員から、「議会の招集権はなぜ首長か」、「議会について地方自治法で規定するのは地方分権に反する」などの意見が強くあったようだ。 多少さかのぼるが、地方分権推進計画(平成10年5月閣議決定)でも、地方公共団体の長と議会が相互に機能を十分発揮しつつ地方議会の一層の活性化を図るため、(1)臨時議会の招集請求に関する要件の実質的な緩和、(2)議員の議案提出要件、議員の修正動議発議要件についての法定(8分の1以上)を緩和することを検討。 地方分権改革推進会議が平成16年5月に出した「地方公共団体の行財政改革の推進等行政体制の整備についての意見」では、臨時会の招集請求要件の緩和、「一定の期間内に首長が招集しない場合における議長の招集権の容認」が盛り込まれている。 特徴的なのは、政府が提案募集した構造改革特区(第6次提案募集)に、三重県議会が「議長にも招集権付与する特区」を提案した。これに対する総務省回答(平成17年2月)は、次のとおり。 代議制民主主義における議会と執行機関の関係は地方自治制度の根幹をなす重要な事項であり、そのあり方は首長・議会など関係者によって意見も様々であり、制度設計の再構築にあたっては、制度のあるべき改革の方向について地方公共団体の代表者や各分野の有識者の意見を聴きながら幅広く議論して頂くことが適当であり、慎重な検討が求められる。 と慎重な表現をした上で、特区対応不可、とした。そして、第28次地方制度調査会で取り上げられたわけである。 他方で、全国都道府県議長会は、「二元代表制の趣旨から、自ら会議を開く権能がないのは疑問。一般的に議長が招集権を有し、臨時会の招集請求権を議員のほか首長に付与する制度に改めるべき」と抜本改革を迫った。三重県議会のみならず、宮城県議会などでも議会改革の文脈の中で矛盾を指摘し改善を迫っている。 改正の方向はいくつか考えられる。もっとも端的なのは「一般的に議長が招集権を有する」とする全国議長会案だ。まさにコペルニクス的転回。やや穏健なものとしては、臨時会に限って、議長に招集権を与える案(宮城県議会案)。さらに穏健なものは、招集権を与えるまでは踏み込まないが、現行の招集請求権の要件を緩和する(4分の1をもっと少数にするなど)案。 さらに、バリエーションとして、一定期間内や要請を受けても首長が招集しないことを条件に議長に招集権を与える案、などもありえよう。 結果として採用された案は、議会運営委員会の議決を経て議長が臨時会の招集を請求できる、というものだ。 地方制度調査会答申では(p.19)、こう言う。議会側が必要と認めるときに臨時会を開けることを担保すべき。この場合、長と議会の関係、長が事実上議案の大半を提案する実態を踏まえれば、議長に招集請求権を付与し(つまり招集権限までは与えないということ)、他方で招集請求を受けた長は一定期間内に招集すべきもの。 ポイントは、 (A)議会招集権限を端的に議会側に付与することはしない (B)しかし事実上議会の意思で開会できるよう担保として首長に義務を課する (C)議会の意思形成は議運委にかけることで議会の全体勢力を反映した合理的なものとする、という3点だろう。それぞれに配慮を示していると思われる。すなわち、(C)の点は、議長の独断を防ぐことになる。また仮にどうしても開会したい少数派議員は、従来の制度により4分の1で直接請求できる(これを規定する現行第101条第2文は削除されたが、て新法101条の第3項とされ存続。議長が招集請求する新制度と同様に、第4項で首長が20日以内に招集する義務を負うから、強化されたとも言える)。 また、(B)の点は、首長が20日以内に招集する義務を負うから(新法101条4項)、実質的に議会側に招集権を与えたと同様の効果があると言える。地方議会側では、「二元代表制」の理念から不満も残るかも知れないが、実質的には大きな成果だし(首長の招集義務のみならず期限までも法定した)、そう思っているだろう。 ところで、そこまで工夫するくらいするなら、なぜ端的に議会側に招集権を与えないのか、やっぱり気になる。 実は私も以前から多少疑問に感じていた。なぜ自律的開会はできないのか。なぜ招集権は首長なのか。 この点、憲法論(国政)としては、国会が常時的活動期間でないことから、会期の制度が採用されていることを前提に、その開会は(もちろん召集は天皇だが実質的決定は)内閣が行う(憲法7条)。また、各議院の総議員の4分の1以上の要求で内閣は召集を決定する義務を負う(53条)、とされている。 立法例としては、議会が活動を開始する方法としては、自律的集会型(憲法や法律の定めによる、前回議会の議決による、議長の招集、など)、他律的集会型(議会以外の機関が招集)、折衷型があるが、我が憲法は他律的集会型で、53条に自律的側面もある、ということだ。 国会と地方議会を比較すると、従来の制度はほぼ同様だから、一応パラレルに考えて良いのだろう。ただ、国政の場合は、天皇の国事行為に助言と承認を与える内閣の地位と責務、また、憲法の大原則である権力分立への配慮があるから、議論が違うとも言える。いずれの点も、他律的招集を導くだろう。 他方で、地方の場合は、首長も直接選挙だから、その点から首長の権限を広げる方向に行く議論が成り立つ。地方制度調査会はこの点を重視するのか(事実上、と表現するが)。 おそらく根底には、地方自治に対するある種のデザイン自由度というか立法政策の許容度という感覚があると思われる。かっこよくいえば団体自治の尊重、とも言えるのだが。 この感覚は、他にも例えば、公務員の国籍条項、地方選挙の選挙権などの議論にも現れている。 住民に直接影響は少ないことだが、理論的には面白い問題だ。
2006.06.25
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日本がブラジル戦で痛恨の敗戦。そんな後に不謹慎ですが、決勝Tの激烈な世界最高峰の戦いをこれから楽しみたいと思っています。予選リーグ最後の今日(24日)早朝のグループG。フランスと韓国がそれぞれ予選最終戦に決勝T進出をかける本気の格闘が見られそう。と思ったが起きられず、子供たちが家を出た今、確認しました。韓国は不運の判定もあったようですが、残念でした。アジア全チーム敗退。スイスが健闘。フランスは見事に進出で、前回の屈辱を晴らして国民は快哉でしょう。日本については、いろいろ意見があるでしょう。私はサッカーを詳しく知りません。ジーコが是か非かわかりません。選手個人の能力やプレーを論評する自信もなし。しかし、一言で言えば、これが世界の一級の舞台なのだ、と言えるように思います。無念の思い、良くやったという思い、すべて含めて。主観的な応援感情は終わりましたから、客観的なサッカーの楽しみに100%切り替えて、観戦します。これから負けたら終わりの決勝トーナメント、まずは今夜のドイツ×スウェーデン、いいカードですね。
2006.06.24
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日中のNHKラジオ第一「気になることば」というコーナーがあり、運転しながら何気なく聞いていた。古屋和雄アナが出ていて、懐かしいなと思いながら。月曜日か火曜日のことだ。「何々する前に何々する」という日本語がある。例えば、「雨が降る前に洗濯しよう」。これが普通の表現だが、たまに「雨が降らない前に洗濯しよう」と表現する人もいる。たしかに見たり聞いたりしたことがある。どちらが正しいか。もちろん前者だ。「現時点」では「降っていない」のだから、「降らない前」では現時点よりも更に前のことを指すことになり論理的に混乱しているし、また、「降らない」に続けるのなら「雨が降らないうちに」というべきだろう。しかし、「雨が降らない前に」式の表現は、夏目漱石も芥川龍之介も文章に書いているのだそうだ。これは、おそらく、「雨が降らないで欲しい」という願望が込められて、「今は降らないでいる」「降り出す前に」やってしまおう、という思いがついつい出てしまったのだろう。などというような解説だった。同様のパターンとして、「負けず嫌い」という言葉。現に昔は「負け嫌い」と言ったのだという。(最後の引用例は、「負けず嫌い」で良かったかどうか、記憶に自信がない)私は、「~しない前に」という言い方はしない。「冬が来る前に」という歌もあったし。それにしても、漱石も使っていたとは、意外。最後にこの漱石流で用例を。「北朝鮮がミサイルを発射しない前に、日本の立場と制裁の姿勢を明確に示すべきである。」「試合が終わらない前にあと4点を。」そう、日本対ブラジル戦は、現在後半で1-3。前半はTV見たが、今はラジオで聞いています。いつの間にか形勢は不利に。今から4点取らないと決勝Tに行けない。とにかくシュート。もう1点をめざして王者を苦しめる勇姿を示してほしい。
2006.06.23
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福島民報の記事で目に留まったのが、これ。内定率99.9%/11年度以来最高/業績回復など背景/県内高校今春卒就職希望者(06年6月21日)要旨は以下の通り。福島労働局が20日発表によると、今春の高卒の就職希望者(5,498人)のうち、5月末現在の未内定者は4人のみ。前年同期に比べ58人(93.5%)減少。就職内定(決定)者は5,494人、内定率は前年同期比1.0ポイント増の99.9%となり、平成11年度から8年間で最高。未内定者(5月末時点)の過去最多は平成15年の220人だが、平成16年118人、昨年62人と改善傾向が顕著だという。背景には、企業業績の回復による採用増や、将来を見据えた若い人材の確保、また、県内各公共職安が各高校と連携して取り組んだ就職支援活動などの効果も。福島県の就職内定率の高さについては前にも日記に書いた。 ■過去の日記 福島県の高卒内定率が全国一(06年5月17日)ちなみに東北では宮城と青森が突出して内定率が低いのだった。ではわが宮城はどうか。宮城労働局サイトを訪ねたが、わからなかった。福島労働局のような学卒者の職業紹介状況の統計情報も出ていない。福島HPでは4月末が出ているが、この最新(5月末)をプレスリリースしたのだろう。まだHPにはないが。この辺も意識の違いが現れたのじゃ無かろうが、もしかしたら宮城では年度末以降のフォローアップもしていないのかも。残念。勢いがついたので、他の各県単位の労働局サイトを順次訪ねた。なお、県によっては教育委員会サイドで調査・報告しているかも知れないが、調べていない。その結果は、 ○青森労働局 年度末しか出ていない(宮城パターン)。 ○岩手労働局 フォローアップしている。4月末のデータ出ている。 求職者3,890人 決定者3,788 未決定者102 決定率97.4% ○秋田労働局 同上。5月末のデータ出ている。 求職者2,909 決定者2,891 未決定者18 内定率99.4% ○山形労働局 4月末が「最終」として掲載されている。 求職者3,258 決定者3,169 未決定者89 内定率97.3%秋田は5月末のデータが既にHPに載っている(6月20日付け)。福島や岩手も近日中に載せるのだろう。山形は4月末までフォローアップしたのだろう。とすると、宮城と青森、ちょうど内定状況の芳しくない2県に所在する労働局が、4月末や5月末のデータを出していない(フォローもしていない?)。これでいいのか。
2006.06.22
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夕張市が財政再建団体の指定を申請するという。週末から報道され、昨日(20日)の日経新聞にも出ていた。最近は自治体破綻法制の議論も起こってきた。竹中総務相の懇談会が具体策の検討をしており、今回の夕張市の件は、破綻法制整備の動きを加速するだろう、と日経の記事は書いている。破綻法制の視点については前にも書いた。 ■関連する過去の日記 自治体破たん法制論議の基本視点(06年1月19日)放漫な自治体経営の一因である、暗黙の政府保証による借金増の連鎖を断ち切るために、責任ある財政運営に仕向ける規律づけをする、という視点は重要だし必要だと思う。ただし、民選の首長や地方議会による団体自治の観点をひっくり返してはならない。政治家の首長では放漫だ、とか、議会は無力だなどの現象はあるとしても、第三者や裁判所の関与で放漫な自治体を是正せよ、というのでは自治の否定になってしまう。この点では、国の放漫の方が罪は重い。ひたすら赤字国債という方便に逃れ、巨額の借金を抱えて、事業も公務員も本気で削減する気がない。財務省も各省と本音はケンカしたくないから、例えば地方交付税をバッシングする。もちろん、国家財政がより深刻だから地方はそのままで良いというロジックを言うつもりではない。地方の論議はどんどん「進めて」良い。むしろ国家財政改革に先導(煽動?)するくらいに考えるべきかも知れない。現に、地方では従来にない動きが出始めた。最近では、政治的得点を挙げようとする首長は、従来の利益誘導一辺倒ではなく、中身のある改革を指向する。改革を競い合う風潮もある。一部住民の利益に反してでも、財政効率化などの改革課題達成を優先しようとする。注目すべき動きだ。住民も馬鹿ではないから、目先の選挙のニンジンより、意外と将来世代に自治体をどう残していくかを考えている。特定の利益団体と結びついた選挙(勝敗に燃える選挙戦)から、平素の情報公開をベースに、物言わぬ平均的な合理的有権者像を考えた選挙(自治体のあり方にvoteする)に変質しつつある、と言えるのかも知れない(きれい過ぎる見方だが)。国政でも、皆「改革」を口にするけど、国民の身近でない分だけ、実態のない皮相的な感覚的な「改革」論議に終始し、政治家や各省は実はガッポリ既得権益を残しているのだ。社会保険庁の問題などはいかにも醜態だが、当事者は瑣末な不祥事としか感じていないだろう。そんなことでもっと大事な国家利益の議論ができないのはムダだ、とすら言うだろう。しかし、国政全般に未だに根っこを共有する、非民主的決定構造とムダの体質の正当なる表出であり、決して突然変異ではないはずだ。真剣に体質改革に取り組んで欲しい。(だからこそ、野党たる民主党の「改革」の中身と実行力が極めて重要なのだ。)さて、ついつい国会財政への恨み節が長くなる。自治体の再建という本題に戻るが、私は、破綻法制について基本視点は上記のとおり。デフォルト可能性や第三者の知見を活かして、責任ある財政運営を他律的に可能ならしめる視点はあって良いが、あくまで団体自治の枠の中で。むしろ、自治をより活性化させる方向も考えるべきである。すなわち、具体的には、議会の活性化。宮城県でも浅野前知事に対するアンチテーゼないし共鳴効果によって、議会の活性化がされた(と言われている)。中には、議員提案条例の数や、議場の演壇を知事と対面にしたことなどをもって議会の活性化とする馬鹿げた議論もあった。政治家がどう取り上げるかは別として、中身に実のあるものとしては、県政の具体的な是非を真剣に議会で論議する風が一応できたこと、だろう。だから、議員も勉強するし、住民や識者の意見にも耳を傾け、県側の方針との違いがあれば、「主体的」な調整を試みようとする。もちろん議員皆がそうではないが、何人かでもこのような議員がいることが重要だ。政治力学の一コマではなく、また、地元代表のバリバリ利益誘導選手でもなく、首長と同レベルで責任を持って議論できるスピーカーがいることは、実は首長にとってもありがたいのだ。では、かような地方議員をどう育成するか。特に市町村レベルでは極めて難しい。難しいが、合併により一定の規模も形成されたから、少しずつ変わっていく望みもある。また、有効だと思われるのは、信頼できる第三者の評価だ。破綻法制論議でも取り上げられているが、なるべく政治要素が入らない、純粋な「第三者」によるのが正しいだろう。あえて制度化しない自由な立場の有識者による評価を、継続して定期的に発表するのが良いように思う。議会報告、などというように制度化しないで、新聞に発表するのだ。そのような評価機関が、会計士、学者、住民代表などによって、各県単位ぐらいで自主的に組織されると望ましい。議論の中身は公開しないが、評価結果とその理由、データなどは徹底的に公開し、各自治体の議会で大いに議論させることを狙う。この機関には、住民に対する財政状況のわかりやすく正しい説明の機能も求められる。端的に理解を喚起するために、ランキング公表も有効かも知れない。ここで言いたいのは、法制論議でおそらく念頭に置いているような、放漫首長や無能議会を直接指導すべし、の図式ではなく(それも否定しないが)、情報提供や地方議員の活動を通しながら、住民の合理的意思形成として自治体のあり方を決する(究極的にはvoteで決する)ようでありたい。底上げ的自治による意思形成。書いてみると、やっぱり理想論に過ぎるか。それから、地方財政改革、特に補助金改革は必須の前提だろう。また、交付税の中でも、旧自治省の政策誘導機能の道具とされた部分は、改めねばならない。日経の別のページに書いていたが例えばJETプログラム。もう見直して良い。少なくとも、自主性に委ねる(補正加算をやめる)べきだ。補助金などで地方財政の自由を実質的になくしておいて、というより、むしろカネを使わせて、放漫で破綻するからタガはめよ、という議論はないだろう。だから、地方財政改革もちゃんと進めなければならない。
2006.06.21
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行ってきました。私のフルスタ通算勝率も何と.625までアップ。G相手に交流戦の有終の美を飾りましたね。一場は2回にちょっと心配しましたが、後は何とか要所をしのぐ。そして打線が3回と7回の集中打は見事。本当に素晴らしい。最後の締めに藤崎を出すのもイキですね。ここをピシッと抑えればシビアな場面でも使うぞというサインを受けて出たのでしょう、そしてピシッと。気持ちいい。ほぼ満員のフルスタで快勝。応えられませんね。写真は6回表の巨人攻撃中にバレントが本塁で刺した場面。タイミングは問題なくアウトに見えましたが、カツノリのタッチが微妙だったのでしょうか。両軍選手が出てきたところです。初めて内野自由席(1塁側)に座りましたが、イーグルスファンの方が多かったようです。前の見た目巨人ファンのオジサンもイーグルスを応援していたし、その隣のお姉さん3人組も。7回のジェット風船、勝利の白い風船、とても壮麗でした。写真を撮る間もなく見とれていました。一場と礒部のインタビューも聞けて、本当に良かった。
2006.06.20
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「東北の仙台と九州の福岡 地域の中核都市としての役割比較」という日銀仙台支店の公表資料がある(6月2日資料)。要旨を引用すると、(1)地域の中核都市として性格は似るが、仙台の経済力は福岡に劣る。 これを分析すると、 (1-1)企業集積の低さや、都市集積・インフラ充実の低さ →交流人口の劣位 →第3次産業生産性の低さ (1-2)公的依存から脱却の遅れ(構造的原因)(2)従って、経済力を高めるためには、商都の機能を拡大すべし。すなわち 企業集積の引上げ、都市の魅力、インフラ整備により → 雇用吸収や観光客の増大 → これにより需要拡大という論理のようだ。上記(1-1)について、仙台の事業所数(人口あたり)は福岡に2割方劣る。また、都市の魅力やインフラ整備の遅れとして、以下のような点が指摘されている。 ○百貨店、ホテル旅館数 ○駐車場収納可能台数、都市間長距離バス、地下鉄・私鉄 ○上場企業集積率、証券取引所、民放TV局数さらに、都市の魅力やインフラ整備に向けた今後のヒントとして、 ○楽天イーグルスを強くする ○東京都の近接性 ○豊富な自然資源などを挙げる。上記(1-2)の公的依存については、仙台は公共工事依存が高く、構造問題の取り組みの遅れが商都発展を阻害している、とする。両都市の比較を、さまざまなデータで示されているのは面白い。主要な祭りの動員では、仙台七夕が76万人/日(05年)に対して、博多どんたく港祭り110万人/日(06年)。やっぱり差がありますね。仙台の経済の実力の弱さは従来から言われており、数十年スパンで見れば東北エリアの中で相対的に地位は上昇したとも見えるが、近年は伸び悩んでいるとも見える。日銀のレポートは、わかりやすいデータで、それなりに仙台経済の構造的停滞と未発展ぶりを示している。政策論としては、構造に踏み込んで、あるいは投入できる政策の制限や政治条件を考えながら、具体的に何をどうするのが最適かを提示するべきなのだろうが。それが難しい。いろいろ言われてきた。バブルに乗った議論もあった。経済界の内部からも、インフラだ、観光シンボルだ、バスプールだ、劇場だ、いろいろ意見も出るが、カネと実行力を伴う経済界からのプロジェクト提案が出てこないのも仙台の特徴か。このレポートでは、公共依存が阻害要因だという。確かにそういう面もある。しかし、公共投資を止めたらいいとはならない。それでも持つような体質(構造)を作ることが先決だ。企業誘致だ、いや観光客だ、国内だ、海外だ、なんて議論を何十年もやってきた。たしかに産業構造は即座には変わらない。戊辰の敗戦や野蒜築港の挫折など、明治初年で東北の位置づけは決定されたという運命論をいう人もいる。そこまで言わなくても、食料生産と人材供給の地として列島の経済に組み込まれてきた歴史は事実だし、大規模プロジェクトの失敗をみても、東北を主体的な自立経済の極として考えていくのは数十年単位では無理である。ダメだとは言わないし、無策でよいとも言わないが、短期的に構造変革ができる、などと無理な政策論で虚勢を張るよりは、現状を前提にする方がむしろ合理的なのかも知れない。ただ、東北を背後圏として、仙台の商業・サービス都市としての機能アップによる波及効果を域内循環させることは短期間でも可能だろう。とすれば、構造論と都市論は射程時間(そんなコトバあるか)を別にして考えるべきなのだろうか。構造論は10年スパン、都市論はすぐ。宮城県の最近の着眼だと、前者は自動車産業、後者は観光キャンペーンか。前者はある程度冷徹な目を持ちながら。
2006.06.20
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まさかそんなことする人はいないと思うけど、念のためですね。この看板、八木山動物園のヤギさんの脇にあります。わかりやすい看板ですね。土曜日に行きました。子供たちも「あ~、これ、あるんだよね」と。■仙台百景画像散歩 以前の記事です。 ○仙台百景画像散歩(その8 キック治療?)(06年6月18日) ○仙台百景画像散歩(その7 ホテルモントレ)(06年6月4日) ○仙台百景画像散歩(その6 佐々重ビル)(06年5月24日) ○仙台百景画像散歩(その5 車止めポール)(06年4月29日) ○仙台百景画像散歩(その4 オロナミンC)(06年4月4日) ○仙台百景画像散歩(その3 東仙台案内踏切)(06年3月22日) ○仙台百景画像散歩(その2 はんだや)(06年3月18日) ○仙台ミステリー?風景(06年3月4日)
2006.06.19
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4カード連続勝ち越し! すごい。子供を寝かしながら、イヤホンでちゃっかりラジオを聴いていた(最近よくあるパターン)。川井も徳元サンも良かった。福盛が抑えて安心して、子供と一緒に寝てしまったら、つけたままのラジオから大きな歓声が耳に飛び込み目を覚ます。そうだ、日本対クロアチア戦だった。TBCラジオでもやっていたのですね。城選手が出ていたな。早速1階に降りて、TV見た。前回よりは自分たちのサッカーだと思う。私は、なぜか気持ちも高ぶらず。イーグルスの余韻が強すぎたか。あ、もう1時です。今からブラジル戦を見ます。
2006.06.19
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宮城野区内、バスの通る県道沿いで気になる店頭の貼り紙。最近出たのだと思うけど、キック、キックとこんなにも強調。本当に気になる。キック治療ってどんなんだろ?■仙台百景画像散歩 以前の記事です。 ○仙台百景画像散歩(その7 ホテルモントレ)(06年6月4日) ○仙台百景画像散歩(その6 佐々重ビル)(06年5月24日) ○仙台百景画像散歩(その5 車止めポール)(06年4月29日) ○仙台百景画像散歩(その4 オロナミンC)(06年4月4日) ○仙台百景画像散歩(その3 東仙台案内踏切)(06年3月22日) ○仙台百景画像散歩(その2 はんだや)(06年3月18日) ○仙台ミステリー?風景(06年3月4日)
2006.06.18
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1つ負けただけ。日本は強い。あと2つ勝つだけ。14日のボンでの練習後に、外国人記者に対してヒデが答えたという。新聞各紙に出ている。ヒデの発言と対応ぶりについて、例えば朝日の記事では要点は以下の通り。 ○背水の陣となるクロアチア戦に向けては(勝利の)自信を示した。 ○初戦の黒星に全く動じていない様子がうかがえる。 ○1次リーグ突破のため「勝ち点4で十分と思うか」と問われると、語気を強め、「なぜ勝ち点4なのか。あと2試合あるということは、勝ち点6を取れるということ。あなたたちはいつも悲観的だ。常に目の前の試合は勝ちにいかないといけない」。 ○クロアチアに勝ち、優勝候補筆頭のブラジルとは引き分ける。そんなシナリオを前提とした質問には反発を示した。 ○中田英にとって、試合で勝利を目指すのは当然のこと。たとえブラジルが相手でも不可能とは考えていない。発言の引用と対応ぶりについての客観的報道なのだけど、何となく、残り2戦連勝は無理なのにヒデが虚勢張っているよ、と書いているようにも思われ、どうも気持ちが悪い。或いは、ヒデは強硬な意思と自信を持っている、と賞賛し日本代表を激励しているのか。私はサッカーに詳しくないから、ブラジル戦を勝ちに行くより引き分け狙いの方が戦術上有利だ、という議論については、よくわからない。また、ヒデ個人のことも詳しくない。しかし、目標だった舞台に立った以上、常に自信をもって勝利を目指す姿勢は、頼もしいとも言えるし当然とも思える。評論家はともかく、当の戦士がシナリオや予断をもって臨むようでは困る。常に戦いには全力を尽くすだけ。自分は強い。勝敗について問われれば、勝つ自信があると答えるだけのこと。結果は自分が決めるのではない。この記事を、冷徹と読み取るか激励と読み取るか、私の考え過ぎの面もあるが、もっとストレートに、ヒデの言葉をありのまま受け止めるべきだろう。日本の記者の記事だから気持ちが悪いのか。朝日の記事には共同のクレジットがある。わが河北新報の記事(16日朝刊)にはクレジットがないが、内容は同様。それなら英字紙を見よう。ヒデは英語で答えたというし。The Japan Timesの記事を見た。ボンAPとのクレジット。日本はせいぜい勝ち点4との見方(suggestion)は無視した(brushed aside)とか、オーストラリア戦の敗戦は話したがらなかった(reluctant)などの記者の表現もあるが、ヒデの発言として直接話法で引用されている部分だけを以下に抜き書きしてみる。Croatia is a good team, but I believe we have a better team.(勝ち点4との見方に対して)Maybe that's what you think, but you're (the media) always negative. We have two matches left, so we're hoping to get six points.(オーストラリア戦に関して)We had a chance to win. If we took advantage of our chances and scored another goal in the second half, we could have won. Both teams were tired near the end of the match so that's no excuse.残り2試合なら勝ち点6めざす。明快だ。これ以上何の説明が必要か。いいぞヒデ。がんばれ日本。
2006.06.17
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今日は早く帰れるからと思い、朝家を出るとき携帯ラジオを持たなかった。けど予想外に残業して、帰ったらもう9時近い。あわててTVつけたら、巨人戦はイーグルス4点リードで放送終了。ラジオで勝利まで応援。さきほどイーグルスHPで戦績を確認したけど、徳元サンが頑張ったようだね。13日の阪神戦は、山村の好投の後の継投で出てきて、ビビッて四球と安打で逆転されてしまった。試合は延長で勝ったけど。そして、14日の試合は奮闘の一場の後はやっぱり継投、そして緊張感高まる9回表に、徳元サンの出番。実況の佐藤修アナは、なぜここで徳元か、監督がリベンジの機会を与えているとしか思えない、と言っていた。案の定、四球を出したけど、フライで何とかアウト。ハラハラしましたね。佐藤アナは、「徳元、男になった~!」と絶叫。試合は、前日徳元サンの直前に好投した有銘が今度は打たれて負けたけど。そして、いよいよ今日は、その有銘が先発で好投。青山の後を受けた徳元サン、ついに今季初勝利。楽天で初勝利ですね。良かった良かった。今週の徳元サン、実にドラマでしたね。徳元サン、これからも頼むぜ。イーグルスは本当にチーム力が出てきた。これから、対G4連勝と行こう! 4連勝目の20日フルスタは一場でしょうか。行きますよ、絶対。(と思って良く日程見たら、アレ、月曜日に振替で神宮のヤクルトが入っていた。とにかく行きますよ。)
2006.06.16
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明治29年(1896年)の今日(6月15日)は、明治三陸大津波のあった日だ。今朝(15日)のNHKラジオ第一(7:20ニュースアップ)で伊藤和明さんが語っていた。綾里村(現在の大船渡市綾里)では、実に38.2mの津波が襲来したという。地震の直接の被害者はいないが、津波による死者2万2千人、流失家屋8千9百戸。人口の7割8割が失われる壊滅的打撃を受けた村もある。典型的な津波地震だ。今朝のラジオでは、当日は日清戦争から凱旋した兵士を迎えて花火を上げていたとか、結婚式が行われていたとか、翌日は地引き網で死体を集めた、など、さまざまな実話を紹介していた。当日は朝から有感地震はあり、夕刻7時32分頃に震度2か3程度の地震があるが人々はさして気にとめない。地震動が小さく警告の役割を果たさなかったために被害が拡大したとも言われる。しかし実際は三陸沖150kmを震源とするM8.5の大地震だった。津波襲来は午後8時過ぎ。引くべき時間でもないのに引き潮があって、その後、大砲のような海鳴りが聞こえる。まもなく、耳をつんざくばかりの怒号とともに黒山のような波が襲来し、一瞬にして全てを流し去った。生死を分けた事例として、靴を履かずに逃げた者が助かり、靴を履こうとした者は巻き込まれたのだそうだ。教訓として、津波には個性があるから過去の経験に基づく行動や思いこみが裏目に出ること、生き延びる唯一の方法はカネやモノに執着せず一目散に高所に逃げること、など。また、37年後の昭和8年(1933年)の昭和三陸大津波では、高地移転の成否が明暗を分けた事例もある。吉浜村は明治津波の教訓から高地移転を実行し、昭和津波では大きな被害を出さなかった。これに対し、唐丹村でも明治津波で人口の8割以上が失われる地区もあり、山腹に移転した人もいたが、日常作業の利便性を求めて、また山火事もあって、再び海浜部に住むようになり、昭和津波ではまた世帯の8割が被害にあった。ところで、明治三陸大津波を調べていたら、科学技術振興機構(JST)の「失敗知識データベース」というサイトを知った。これは興味深い。失敗学の畑村先生が関わっているそうだ。このデータベース収録のもっとも古いものが、この大津波のようだ。(■関連する過去の日記 「正しい」の使い方(06年5月25日))
2006.06.16
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山岸俊男さん(北海道大、社会心理学)の面白い話がある。人間の眼には「白目」があるが、これは類人猿の中でも特異。白目があるということは、自分がどこを見ているか相手に知らせることになり、スキを与えることになるから、進化の観点からはちょっと変な気もする。しかし、むしろ他者に白目を見せることが社会性の上で必要だった。つまり、自分には悪意はないことを相手に伝える必要がある。これこそ進化なのだ、ということだ。とすると、そもそも人間社会は、自分はこういう人間だよ、と常に相手に示して生きているはずのものだ。それが社会秩序であり安心感であった。白目を見せないとすれば、サングラスをしてしまうのと同じ。皆サングラスをすれば(匿名社会)、皆不安になってしまうという、ジレンマに陥る。これは個人情報についての議論にとても参考になると思う。プライバシーの保護と混同してもいけない。個人情報の定義にもよるが、所得や経歴はともかく(プライバシーとして保護されるべきもの)、特定の個人を識別できる程度の情報(基本的なもの)は示し合って社会を生きるのが原則だと、私も思う。個人情報の保護の名の下に何でもかんでも隠せ隠せの風潮は、どんなものか。小学生の名札を見直す動きもあるというが。
2006.06.15
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5回に追いつかれながら再び突き放して、先発山村をすぱっと替える。有銘も良いぞ。これで何とか逃げ切れるか、と期待したら、徳元サンが得点献上。あ~やっぱり、か? この時点で私は帰宅途上。思わず携帯ラジオを切ってしまった。風呂に入って10時前に家でラジオつけたら、その瞬間にリックの同点打。あとはPC見て応援。(きょうはフルスタに行きたかったな)う~ん、強い。粘り。礒部も沖原もさすがだが、私は功労者に小倉を挙げたい。9回ウラの逸機の後、嫌なムードの10回表よくしのぎました。ちなみに、ドイツW杯、韓国の逆転勝ちもさすが。ブラジルはクロアチアにやっぱり勝ちましたね。
2006.06.14
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日本中がW杯ドイツ大会の日本初戦直後で騒然としているこんな真夜中に、なぜか私は仙台藩の気風のことを考えていた。幕末東北諸藩を歴訪した薩摩藩士の肝付兼武が、仙台藩の怠惰な風を見事に評している。いわく、家臣は小城を構え主君に使える気風なく、士民とも狡賢く労苦は人に押しつける、だから貧国を脱することもできない...と。私は、この肝付兼武の東北譚のことを日記に書いたが、そのことは一般にあまり知られていないのだと思いこんでいた。自分もはじめて接したと思っていた。 ■過去の日記 見透かされた「大藩仙台」の空虚なる風土(06年4月2日)しかし本棚の小冊子の中にちゃんと書いていた。20年前に買った本だ。佐々久『近代宮城の歩み』、宝文堂出版、1979年。鉛筆で「1986.2.16.一番町金港堂」と自分のメモがある。ちなみに590円だ。佐々先生が近代の本県のあゆみを読みやすく綴ったもので、巻末の年表とあわせて、最近の百年の郷土のあゆみを知る手頃な教科書として活用できる。そのつもりで若い頃は手にしていたものだ。その4頁に、肝付兼武の仙台藩評がズバリと書いてあった。忘れているものだ。というより、20年前にどれほどちゃんと読んでいたのか、とも言える。思えば、20年も前の私なら、郷土史の本を読むとすれば、偉大な先輩が書いた事実や評論それ自体を客観的に受け取るという作業として読んでいただろう。しかし最近は、著者の職業や立場からみて、こう見えるのだろうか、などと考えながら読むようになった。すると、以前は無理して読み取ろうと力みながら読んでいたのが、なんとなく自然と楽に読める。決して、そのレベルに自分が進化したわけでも知識が長じたのでもないが、何か高い次元から降りてきた非人称の作品を眺め取ろうとするのではなく、著者の立場や時点にたって、過去を思い同時代を感じ未来を構想してみると、不思議と歴史の流れを感じながら、動的に生き生きと、あるいは立体的に日本や世界のつながりを感じて読み取れるような気がする。気がするだけかも知れないが。大家の先生の立場には同化しきれるハズもないが、でも確かに同じ郷土に生きた先人だから、成ったツモリには成れるだろう。また、著者によって感じ方や論評も異なる、当たり前のことだが、そのことを素直に受け取れるようになった気もする。書物を、作者の手を離れた客観的作品物として見れば、書き手によって違っては困ると感じてしまうのだが、著者が異なれば見方考え方が違うのだから、それが当然。かえって、異なる人の立場に立つことで、郷土が立体的に感じられるというものだ。懐かしい本を手にした感想でした。
2006.06.13
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夜中の12時に日本中は騒然となっていることだろう。オーストラリア戦に3-1で敗戦。私も、残念だけど、でもこれがワールドカップの現実だというしかないと思う。中村のラッキーなゴールはあったが、決定機に決められず、またパスもつながらずで、あとは川口のセーブでしのいでいた程度。もちろん選手はそれぞれ機能していたとは思うが。それなのに、対戦前からこの国に負けるはずはない、やっぱり川口が防いでくれる、これで何とか逃げ切れる、と多くの人は期待をしていただろう。なのに、まさか終盤に3点も入れられるとは。実力で負けていたとは思えない。個人にミスがあったとも思えない。ちょっとパフォーマンスは低いが、かといってチームが機能しなかったわけでもない。あえて理由をつければ、決定機に決められないとは言えるが。これがワールドカップなのだろう。もっとも、そんな人任せな運命論を乗り越えて、ゆるぎない自力を堂々と発揮する強国があるのも、これまた事実だが。だから私は、日本の勝敗も大事だけど、人事を尽くしてあとは天命に裁きを受けるというような、ワールドカップの本質を味わいたいというのが、今回の意識だ。例えば、スウェーデンを零封したトリニダードトバゴ、アルゼンチンを苦しめたコートジボワール、開幕戦にポーランドを撃破したエクアドル、などは大変面白いと思う。評判を覆して勝ったという勝敗結果もだが、ひたすらボールに向かう人の姿、そして運命がどちらを勝たせるのか、がとても面白い。(ハイライトで見ているから余計にそう感じるのだろうけど。)これから米国とチェコ戦を見ようか、それとも寝てからイタリア-ガーナにしようか、などと半分本気で考えている。日本の勝敗だけじゃないんだな、と、我ながら何か大人になったような気がする。(はい、もう成人式2回分やってますけどね。)もちろん日本にはあと2戦、180分間を、渾身の力で最善の動きを示してほしい。勝てる勝てないは知らない。多分決勝進出はまず難しい。けれどどうなるかわからない。もともと自分の力だけで確実に決勝に進出できる実力でもない。だから初戦負けたのも織り込み済みだ。そう、天命は知らず、人事を尽くすことだ。頑張れ日本。
2006.06.13
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長野県知事選挙が面白そうだ。まだ表面的な二、三件の報道にしか接していないが、候補者選びが進展しているという。田中康夫に対抗する意識と、自民、民主それぞれの思惑と、入り交じって昨年の宮城県知事選挙と似て無くもない、と思わせる。田中県政への県民の評価はどうなのだろうか。長野といえば、昔々には(学部学生時代)、社会党の興隆を調べたことがあった。その後は保守王国、近年は羽田元首相などの力もあり民主にも勢い、だろうか。もう少し調べてから、記したい。
2006.06.12
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仙台の映像的な意味でシンボルは、やはり仙台城址の政宗公騎馬像だろう。勇壮で美しく気品に満ち、伊達の心意気を伝える。テレビで仙台を紹介する場面で一番多く使われると思うし、国道上の仙台市の看板に図案としても用いられている。イーグルスの応援歌の一節で馬上姿を連想する人も多かろう。ところでこの騎馬像について、今の像は昔とは違うとか、柴田町の人からは、あの像はナ船岡から持ってんたんダド、とか聞かされたり、実は私はよくわかっていなかった。そこで、恥ずかしながら、ここで整理いたしました。生粋の仙台人の方は先刻ご承知でしょうが。調べると、建立や再建にかけた郷土の先人の熱い思いが、伝わってきます。(逸見英夫『明治・大正・昭和 仙台じけん帳』河北新報社、2002年、他によりました)------------1 騎馬像は昭和10年に建立 昭和5年、宮城県連合青年団顧問で社会教育主事の長門頼三が、藩祖の銅像を建立し若人の魂に新しい愛郷の血潮を燃え立たせる教材にしようと計画。青年団が資金調達に奔走。この時期は、満州事件(昭和6年)、三陸大津波(8年)、東北大冷害(9年)などがあったが、予算42,500円に対して46,053円が集まった。原型は宮城県出身の彫刻家小室達に、鋳造は日暮里の伊藤和助に依頼し、東北帝大金属材料研究所の田丸完爾博士に合金割合などの指導を受けた。 完成した像は日暮里から奥州街道を、小室氏も同乗したトラクターで5日かけて仙台まで運び、市内を行進。老朽化した大橋をおそるおそる渡り、大手門は予め地面を掘り下げておいてそれでもギリギリでようやく通過。 昭和10年(1935年)5月23日に、政宗公300年祭の行事として、盛大に除幕式が行われた。式典では、一世一代の大作に2年間心血を注いだ小室氏が挨拶の機会を与えられず、その夜に精養軒で友人に挨拶を披露した、とのエピソードがある。2 騎馬像も供出さる 戦局の悪化に伴い、家庭の鍋釜の供出と同様に、多くの銅像も「出陣」することとなった。昭和19年1月22日、政宗公銅像の出陣式が行われ、万歳三唱のもと騎馬像は礎石から話されて出征した。小室達、長門頼三、伊藤和助なども臨席したが、さぞかし無念の思いだったろう。 さて、終戦後の昭和20年11月、。宮城県勤労課の石川謙吾(元南小泉小学校校長)が、軍需から転換した工場が使用する鉄材を求めていたところ、塩釜の東北ドッグ敷地内の集積所から、騎馬像を発見した。バラバラながら各部とも揃っていたという。 石川は銅像の復帰のため懇願して回ったが、戦後の混乱のため、かつては寄付金を募りお祭り騒ぎをした建立関係者も、相手にしてくれない。21年6月になって、集積所から処分するとの連絡を受けた石川が行ってみると、政宗公の上半身しか残っていない。上半身だけは丁寧に保管していたようだ。 石川は仲介人を立てて上半身だけの銅像を屑鉄として1,700円で購入、青年団団長の横山吉平(柏木の横山醤油店)など有志が、これを青葉神社に担ぎ上げた。その後昭和36年10月に、開館した仙台博物館に青葉神社から寄贈されている。3 平服姿のコンクリート像 昭和28年10月9日、かつての馬上姿の銅像とは異なり、平服姿の白色セメント製の立像(4.5m)の除幕式が行われた。製作は、第一回高村光太郎賞受賞の彫刻家柳原義達。請け負った清水建設は繊細な作業の末に完成。仙台の新名所となった。4 再び騎馬像が天守台に 昭和33年就任の島野市長は観光に力を入れようと、仙台市観光協会の社団法人化を提唱した。なにせ、岡崎市長が駅前に観光案内所を設置した際に「下手に宣伝して多くの客が来ては困る」と言ったという仙台の旅館業界だから、業界の意識を高めようと提唱したのだ。 昭和37年10月に島野を会長に社団法人仙台市観光協会が創立されたが、その際、騎馬像復元の話が沸き上がる。既に小室氏は他界(昭和28年)したが、原型が柴田町に寄附され保存されている。そこで、法人化記念事業、そして仙台市制75周年(昭和39年)記念の事業としようと機運が盛り上がった。 原型は柴田町が無償で貸与、戦前にも関わった伊藤和助と三浦七郎が鋳造を担当。台座は現行のセメント立像のものを用い、立像は岩出山町に無償譲渡。建設地は仙台市が護国神社から公園用地として借用しているので、完成後は市が寄附を受ける(昭和40年5月寄附受諾)、などと方針が決定された。 協会に1,750万円の特別会計を設け、国会議員や創建当時の関係者を顧問に組織し、全県を挙げての復元事業がスタートした。財源は県補助(3百万円)、仙台市(6百万円)ほか県内市町村や一般の補助で賄い、総計で16,197,885円を調達した(16,025,019円で一切の事業を完了した)。 仙台からセメント像を原作者に了解を求めずに移転するのはけしからん、と柳原が難色を示したが、岩出山町の手厚い移転受入れ策で何とか了解を得る。そして、その後の台座を補修の上、復元された騎馬像を据え付け。10月4日に東京を出発、6日に仙台に到着、7日に据え付けたのだという。今回はトラクターではなく車だ。 昭和39年10月9日、騎馬像の周囲の紅白の幕が切って落とされ、ブロンズ像が見事によみがえった。我々が現在みる政宗公の悠然たる姿である。
2006.06.11
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いつもの朝の記事書き込みはできなかった。時間はあったがボーっとしていた。頭が回らない症状が続いているのか。川崎町の国営みちのく公園に行き、るぽぽ川崎で温泉に浸かって、帰ってきた。祖父母を含め6人の行動。朝8時出発、小雨がふったり止んだりだが、日中はなんとか持ってくれた。ポピー畑、こどもの遊び、そしてふるさと村(古民家のあるエリア)では、上の子が竹馬に熱中して足はキズだらけ。下の子と私は、巣箱づくり。とは言っても、板はちゃんと切ってあって、あとはクギを打つだけという、大変ありがたい企画。その後、もう午後1時頃になって、上の子の出血の消毒をしてもらうために「ふるふる」に入る。そこでボランティアの方の科学体験の企画に子供は熱中。水を使ったおもしろ実験。画像は、その巣箱です。外は雨なので家の中で撮影しました。背景は家の庭、右上にみえるのが、昨年に塩釜エスプで上の子の夏休み作品に作った第1号巣箱君。明日にでも、今日の妹の第2号巣箱も、庭の木に取り付けます。第2号は、だいぶ小さめです。なお、サイズ比較のために、たまたま近くにいたクラッチ君に登場してもらいました。これ、先週の土曜日にフルスタでもらったカードです。
2006.06.11
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W杯もスタート、楽天イーグルスも勝って(一場おめでとう!)、春季東北地区高校野球も開幕した。注目したいのは、「東北大学野球」が新設されたことだ。第1回東北地区選手権大会が23日から25日まで福祉大球場で開催される。北東北、仙台六大学、南東北の各リーグの春季上位2校が参加。こういうのが盛り上がるとうれしい。■関係する過去の日記 ○こちらも盛り上がれ 南東北大学野球リーグ(06年5月25日) ○ 東北学院大学が35季ぶり優勝か(06年5月18日)
2006.06.10
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いよいよ始まった。夜1時に見始めたけどすっかり寝てしまった。今確認したら、ドイツとエクアドルが勝ち点3ですね。試合内容はどうだったのかな。今からじっくり見ます。TVのハイライト番組も昼間や夜にあるようですね。エクアドルはポーランドを破って、波に乗るかも。決勝T進出すれば、大会の台風の目かも。なんて、甲子園的な表現ですが。思い出すのは前回大会、宮城・利府での予選エクアドル-メキシコ戦。私は、両国の応援団を見に、グランディ21・宮城スタジアムに弁当持って行ったのです。中には入らなかったが、ウヨウヨ集まってくる世界の人たち。異様で楽しい雰囲気だった。5歳だった上の子は、メキシコから来たと思われる古代アステカ?の黄金の鎧みたいな格好のオジサンに抱き上げられて泣いていた。この人、仙台駅前でもニュース映像に出ていた。なつかしい思い出です。
2006.06.10
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引き続き、横浜地裁判決に対する当ジャーナルの意見。前回(その4)で一応整理しているが、別な点で気になったことを整理する。条例を違法としたことの問題である。見解というより疑問点の整理かも(行政法の知識はないので法律論としてはピンぼけ。)------------1 条例制定行為の処分性 今回の横浜地裁判決において、取消しの対象たる「処分」は改正条例の制定だ。 一般に行政事件訴訟法3条2項にいう抗告訴訟の対象たる「処分」は、いわゆる行政行為のみならず、住民の権利利益救済の観点から広く解釈され、条例制定行為も、その施行により当然に直接特定者の具体的権利義務に法律上の効果を生じるような場合は、「処分」に該当する、とされる。 判決では、住民の保育所で保育を受ける利益を法的利益を認定した上で、改正条例(特定の市立保育所を廃止する内容)は、別途に市長の処分行為を要しないから、「処分」に該当するとした。 法的利益か反射的利益かは議論があるが、ここは訴訟要件の問題だから、まずは救済の間口を開けるという意味で、地裁の論理は妥当だと一応思う。2 条例制定行為を違法とすることから生じる問題 しかし条例制定行為を違法とすることは、典型的な行政庁の処分を違法とする場合と比較して、固有の問題を生じる。 すなわち、条例は地方レベルの立法行為であって、住民一般に対して権利を制限し義務を課したりすることがあるし、権利義務に直接は関わらない行政組織、公の施設、財務、公務員関係などを関する事項を定める場合であっても、あるいは法律の委任事項を定める場合であっても、いずれにしても条例制定の影響は(法的効果というか事実上の効果というかに関わらないとの意図なので、影響の語を用いた)、特定の具体的住民ではなく、不特定の住民一般に及ぶのが通常である。 本件のような公の施設の設置等に関する事項を定める条例も、当該自治体の住民に広く影響の及ぶ事項である。 とすると、典型的な行政庁の処分の場合は、基本的には行政庁と処分の相手方たる具体的住民(抗告訴訟の原告)の関係であって、他の住民には法的な意味では判決の効果は及ばない(行訴法32条の第三者効はともかくとして)。しかし、条例制定行為の場合は、当該条例を違法とすることは、その条例の影響をうけるべき住民全体に判決の影響が及ぶことになる。条例に反対の人にも、賛成の人にも、一律に。3 補足 上記2では、典型的な行政庁の処分の場合と比較して、条例制定行為の場合の固有の問題と書いたが、むしろ程度の差というべきかも知れない。例えば、その中間的場合といえるような一般的処分、具体的には道路の公用廃止決定などの場合にも、同様の一般的影響がある。 また、典型的な行政庁の処分の場合であっても、処分の相手方(原告)以外の第三者に軽視できない影響がある場合もあろう。 例えば、原発差し止め訴訟や空港騒音訴訟などでは、訴えが認められれば、原告以外の付近住民も(原発賛成の住民も)事実上の効果を受けることになる。もっとも、この意味の効果は純粋な民事訴訟でも十分ありうることだから(隣のオヤジのカラオケ騒音を止めさせれば2軒隣の家も助かる)、行政事件の特性とは言えないかも知れない。 そこで別の例。Aさんに対する課税処分が税法の解釈を誤った違法な処分として取り消されたならば、同様の条件の下で課税処分を受けた住民みんなに影響があろう。法的効果というかどうか別として。ただ、行政訴訟も具体的事件を前提とし、Aさんの訴訟はAさんにだけ効果が及び、他の住民の訴えもないのに他の住民に違法判断は下らないから、黙っている人には取消しの効果がでないだけ。もっとも現実には行政庁側が自主的に是正するだろう。 これは、根源的には行政活動が住民に対して公平たるべきことに由来すると思われ、この点で(判決の既判力や対世効などの法的議論は別にしても)、行政訴訟の及ぼす実質的影響には特質があると思われる。この根源的特質が、典型的な行政庁の処分の場合と、条例制定行為の場合とで、現れ方の強さが異なる、ということだろうか。 不勉強で的はずれかも知れないが、ある行政法の教科書では、取消判決の第三者効(32条)が利益を共通にする第三者にも及ぶか、との項目立てで、否定に解した裁判例の紹介と否定説の理由、また立法論として利益を共通にする第三者にも及ぼすべしとの説明がされており、上記の点に関係するのだろう(本棚に眠っている塩野・行政法II第二版1998年ではp.139か)。 もっとも、これは典型的な行政庁の処分の取消しの場合を想定しており、条例を処分とみた場合には、事情が違う(より積極的に解されるべし)とも言えそうだ。( なお、国政レベル(法律を違憲とする判決の場合)なら、一般的効力か個別的効力かの論点があって、具体的審査制をとる我が国の法制では、法令を違憲とする判決の効力はあくまで当事者にのみ個別的に生じるが、行政府は違憲とされた法令を誠実に執行する義務は解除され(むしろ執行を自制する義務が課される)、立法府は自主的に是正する法的(政治的?)責務を負う、などの憲法の議論があったと思う。 条例制定行為の取消し判決の場合もこれと類似するとも言えるが、憲法81条の固有の議論として問題となる法令違憲判決の場合とは異なり、あくまで行訴法上の処分の一環としてみているから、やっぱり、上記のように処分の取消判決の第三者効の議論の一環なのだろう。 )4 「客観訴訟」的性格 行政法をマジメに勉強したことがないのだが、憲法解釈の伝統的な考え方からすれば、取消訴訟も主観訴訟であり個人の権利利益の実現救済のための制度であるのが基本。 もっとも現行法上はこれとは別に、法秩序の維持や公共的利益の保全実現のための争訟手続である客観訴訟(塩野p.204では「客観的訴訟」)がある。これは憲法が保障する司法の概念(法律上の争訟)の外にあるというのが伝統的考えで(だから違憲審査や公開原則も当然には及ばないのか、などの論点につながる)、行政法上も典型的には原告適格(無限定となるはず)などの点で、主観訴訟たる抗告訴訟とは本質的に異なるのが建前のようだ。 しかし、上述のように取消訴訟も実質的に客観的一般的な秩序の維持に奉仕する性格がある。典型的な行政庁の処分の取消訴訟であれば、原告たる個人にとどまらず住民一般に対して適法性の確保の影響が及ぶし、度々触れたように条例制定を処分と見た場合はなおさらだ。 これを取消訴訟(広く抗告訴訟)の客観訴訟的性格とでも呼んで良いような気もする。 5 事情判決としたこととの関係 ところで、地裁判決は改正条例の違法を宣言した上で、処分(条例)取消しの点は事情判決とした。 少々意地悪く言えば、違法とするなら事情判決でなく堂々と条例を取り消すべき、という気もする。逆に言えば、事情判決とできるからこそ、違法判断に踏み込むことができたのではないか。意地悪い見方だが。 なぜなら、地裁判決の論理は、「改正条例は違法だが、改正条例施行後すでに相当期間新しい保育環境で保育を受けた事情を重んじる」というものだから、とすれば、「改正条例施行前」や「改正条例施行後間もない時点」であれば、裁判所は条例(処分)を取り消したはずだ、ということになる。しかし、個々具体の処分が違法だというのではなく、現実に条例が違法だというなら、条例が住民に一般的に適用される以上、将来の潜在的原告のためにも事情判決を行うべきではないと思われる。 このような私の考えからすれば、事情判決は、典型的な行政庁の処分の場合に想定され、条例制定行為を処分と見る場合は控えるべき、ということになろうか。 塩野p.151によれば、立法者が典型的に想定したのはダムの設置許可を取り消した場合だそうだが、現実の裁判例では適用の大部分は換地処分に関するもので、他には地方鉄道の料金認可取消の事例のみ、という。6 中間総括 ここまで書いてわかったが、つまるところ、今回の地裁判断に関して私が割り切れないでいる事項(この日記で整理したいこと)とは、(典型的な行政庁の処分ではなく)条例制定行為を「処分」とみた場合の特殊性、ということである。 そして、具体的には、判決の効力や事情裁決などの局面でどのように考えるのか、ということを整理したいのだ。 しかし、塩野テキストなどを見る限りでは、この「処分」が条例の場合という特殊性に着眼して、(つまり、典型的な処分の場合と条例の場合との違いを明確に意識しながら、)これらを論じている記述はないようだ。7 団体自治との関係 本当は裁判所も条例を違法とすることは、できればしたくないはずだ。地方レベルとはいえ民選の議会による立法行為であって(実質的意味の立法かどうかは別として議会の意思形成の成果であることは間違いない)、なるべく尊重すべきとなろう。 ところが判決ではこの点についての配慮は言及されていない。私は、ヤバイからあえて触れないようにしたのではないか、と感じたほどだ。条例可決の意思形成主体が市長ではなく議会であることを、あえて無視しているように感じるからだ。「処分」の主体についても、敢えてボカしているように私には感じられる。 ちなみに国政ならばそうは行かない。立法の違憲性(法律の上には憲法しかないから、法律が「違法」とはすなわち「違憲」ということ)を肯定した判断はこれまで8件くらいはあるはずだが、処分の違憲性・違法性の審査とは異なる配慮が、当然にある。 上記にグダグダ書いた整理のつかない整理(行訴法の解釈の観点)に加えて、団体自治をどう考えるべきなのか。 この点が、今回の地裁判決で、私が一番感じていることのようだ。だからこそ、この日記の柱になっているように、条例を処分とみる場合の特殊性をどう考えるのか、にこだわるのだ。------------結局、内容を論じるのではなく整理に終わりました。■この件で以前の日記 ○保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その1 判決の論理)(06年6月6日) ○保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その2 判決の論理・続)(06年6月6日) ○保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その3 判決の論理・続々)(06年6月6日) ○保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その4 見解)(06年6月6日)
2006.06.09
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3時30分頃から起きているが、この時期だと空が少しだけ白んでいる。今4時5分だが、もう遠くの山まで見えるほど明るい。日本は南北にも広いけど(緯度差約25度)、東西にも広がっており(緯度差約21度)、当然東北は朝が早い。大学生(仙台)の頃に、九州から来た友達が言っていた。ちょっと夜更かしするとすぐ朝になってしまうから、リズムが狂う、と。彼は昼間学校にはほとんど来なかった。夜行性になる言い訳なのだが、この時期は、ほんとにそんな時期だ。ただいま日本列島に到来した夜明け。この一日は、地球にとって大きな祭典の始まり。この夜明けがドイツに及んで、そして当地で昼間が薄らむ頃(午後6時)に、いよいよワールドカップ初戦のドイツ-コスタリカ戦だ。
2006.06.09
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昨日の試合も強いチームの勝ち方。藤井のラッキーな盗塁もあったけど(ちょうど帰宅途中、中央通りの店頭でTV画面見ましたが、アウトですよね。本当は。)、鉄平がヒットで返す。そして、牧田だ。6回ウラ、番長から勝ち越し点をもぎ取った。私は牧田になぜか注目していて、最近も写真をブログに載せていました。鉄平と牧田、これからのイーグルスを引っ張ってくれそうで、タノモシイ。6回の打席も、絶対やってくれると思っていた。敬遠の後で、燃えろ燃えろ牧田! 私は、帰り足ラジオをイヤホンで聞きながら、大声を出して歩いていたから、傍目には異様なオジサンだっただろう。地域の方、すみません。そして勝ち越したら、山村をスッパリ替えて鉄壁のリリーフ陣だ。山村は見事3勝目。ウ~ン、強いチーム、って感じ。よ~し、3連勝だ!!
2006.06.08
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数学の難問が提起から100年で中国の2氏により完全証明された、との記事があった。共同の記事で、5日付人民日報(海外版)によるという。ちなみに、人民網をみると、数学界百年未破的广加莱猜想問題、とあった。(「广」の文字で表記したが、人民網では「まだれ」の中に「左」に似た字が入る。わがパソコン辞書にない。)数学のことは知らないが、現代数学の7大難問の1つ、という解説が印象に残る。ちなみに、検索したら、2000年5月に米国クレイ数学研究所が700万ドルの賞金を懸けて話題になった21世紀の未解決問題のことのようだ。 リーマン仮説バーチ、スウィンナートン=ダイアー予想P対NP問題ポアンカレ予想ホッジ予想ヤン‐ミルズ(理論)の存在と質量ギャップナヴィエ‐ストークス(方程式の解)の存在と滑らかさだそうだ。名前だけで既に難しい。大数学者といえばガロア、ガウス、カントールとか、全くウロ覚えだがみんなエピソードも多彩だったように思う。大数学者は、風景の美しい地域でしか生まれない、という話も聞く。ある先生が、数学は美しさだ、と言っていた。そういう世界なのだろう。
2006.06.07
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今3時22分。仙台はもう1時間くらいでしょうか、ず~っとピカピカゴロゴロ、たまにドッスーンと来ます。子供たちが、1人は飛び起きてやって来るし、もう1人は、オ○ショ。こっちは雷と関係あるかどうかわかりませんが。サスペンス映画のように、雷光ひらめく中で、着替えや毛布を替えてやりました。ついでに、右足の小指をどこかに引っかけてしまって、痛い。今椅子に座って見てみたら、爪がちょっとはがれて血がにじんでいます。ジワンジワンと痛い。イナズマと血のオ○ショ処理。やっぱりサスペンス。また寝ます。
2006.06.07
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良い試合でした。私のフルスタ勝率も .571 まで上がりましたよ。見事なのは3回の7点。写真は2アウトからの連打の環にしっかりと加わった牧田の打席です。レフトスタンドは歓喜の渦。5回裏のグリンが大崩れするかと一瞬心配させたが、三振で切り抜け。今日は三振が多かった。いいぞグリン。そして6回のホセの一発。初めて直接この目で見せてもらいや~した。このスコアの割には試合が早かった。9時半には帰宅。グリンの投球にムダがなかった。ラジオで聞いたら、火曜日は初勝利ですって!?
2006.06.06
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(■保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その1 判決の論理)(06年6月6日)に続く記事です。)(■保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その2 判決の論理・続)(06年6月6日)に続く記事です。)(■保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その3 判決の論理・続々)(06年6月6日)に続く記事です。)------------さて、今回の判決内容と控訴審の行方は、民営化政策一般に対して大きなインパクトを与えよう。各種の論評を是非読みたいが、とりあえず当ジャーナルとしての見解を整理。1 はじめに - 地裁の判断を導いたもの この判決は、結論として横浜市の民営化の違法性を認める結論に振った。 この種の訴訟では丁寧すぎるほど丹念に検討したと思う。私は訴訟に詳しい訳ないが、そんな気がする。それも、違法性を肯認する踏み込んだ判断を理由づけるための地裁の苦心か。ちょっと右顧左眄している論述も気になるが、それだけ微妙な裁量(利益調整)ということだ。地裁が結論として違法の側に振った根底は、判決理由中には明確にされていないが、平成9年児童福祉法改正における「措置から契約へ」の論理だろうか。原告主張として引用されている(p.8)。 判決の論理を導いた地裁の判断の構造は次のポイントに集約される。(1) (ア)「保育所選択権」及び(イ)「保育所において保育を受ける権利」を法的利益として認定し、加えて、(ウ)手続上の権利(不利益処分)を認定した上で、利益衡量において、条例制定の処分性(争点1)を肯定。取消訴訟において違法を認定する以上(結論を事情判決とするとしても)、訴訟要件として「処分」を認定しなければならない。どこに「処分」性を見いだすか。民営化の公表時点では権利侵害が曖昧すぎ(紛争として未成熟)、条例制定後は市長の格別の処分行為を要しないから、結局、条例制定をもって処分と言わなければならない(原告主張も同様)。(2) その上で、裁量論の枠組みで逸脱濫用を認定し、処分の違法性(争点2)を肯定。具体的には、民営化の目的自体は違法とすべきまでもないが、民営化の実施時期の設定の点で問題。すなわち、特別に急ぐ理由もなく、また保護者の納得を得られていない状況から、「平成15年12月の条例制定の時点で平成16年4月に民営化を実施」しなければならない特段の事情なく、他方で児童・保護者の不利益をみれば、裁量の逸脱・濫用と評すべき、とする。(3) 上記(1)(2)の結論はいずれも児童・保護者側の利益に重点を置いた判断だが、これを導いたのは、(判決理由中に明記ないが)「措置から契約へ」の論理を重視したのか。2 判決の判断への批評 上記(1)は法解釈論としては適切だろう。条例は通常は規範定立作用だが、かといって一般的に処分性を否定してはいけないだろう。実質的にみて、救済の門戸を広げるかどうかの判断だから。より実質的に言えば、改正条例により保育実施解除がなされたと同じ効果が発することを直視したものだ。 (2)は、要するに価値判断だ。児童福祉法の解釈論が展開されているが、平たく言えば、市町村は必要なだけ保育所を用意する義務があり裁量の余地は少ない(p.16原告主張)とみるかどうか、だ。そして、この言葉でいえば、「必要なだけ」の点に、具体的な個々の保護者の要望どおりの保育環境でサービスを提供することまで含むかどうか、だ。そこに上記の「措置から契約へ」の論理(上記(3))を重視し、保護者の立場に立って判断したのだと思う。一方的な保育所の廃止なのだ、という判断だ。 私は、結論としてこの事例で自治体の民営化判断を司法が違法としたのは行き過ぎと考える。整理して述べる。第1点 民営化の目的の議論 地裁も、民営化を選択した目的自体は違法としないが、それは当然だ。立法が民営化を禁じているのでない以上、行政の合目的的判断として尊重すべきだ。そして、そこに財政問題が入り込むことも当然だ。自治体経営の判断は、福祉立法の解釈の見地からだけ判断できるはずがない。 ただ、地裁判決は、民営化の目的について、審議会や厚生省提言にあるような「保育所運営の効率化目的」ならまだしも、横浜市のいう「多様な保育ニーズ対応目的」は若干趣旨が異なる、という。また、「市の財政難解決目的」や「市長の人気取りと独自の価値観達成目的」が主目的ならば、民営化と関連性(必要性)がないこと(原告の主張)を示唆するように読める(後出の民営化の時期の議論も合わせ読むとなおさら)。 具体的事件の結論に影響しないことだが、この判断構造は、つまり自治体の総合的な民営化判断を制限するものだ。「財政難解決目的」は、むしろ積極的に斟酌して民営化しても、1つの判断として尊重されるべきだ。 そして地裁が軽視していると思うのは、団体自治の論理だ。「市長の人気取り」は確かに困るが、それだって自治の論理と言えなくもない。改正条例が民選の市議会の審議を経ていることも重視されるべき。「多様な保育ニーズ目的」や「財政難解決目的」によって、例え保育サービスの量や質を低下させるとしても、自治体の総合判断であれば、尊重すべきだ。 ちょっと挑発的にいえば、「カネが無ければサービスもできない」のだ。「裁判所が歳入を約束できるのか」とも言える。 生活保護の具体的権利性(憲法25条)の議論と似ている。究極的には民主制の論理(市長や議員の当落)で決着させるべき事項だ。 もっともこの点は地裁も積極的に論じていないから、私も少し言い過ぎ。第2点 民営化の時期の議論 地裁は、民営化の内容、具体的には「時期」の点で違法を認定。そのポイントは... ○ 市は一貫して民営化実施の姿勢を崩さず、条例もこれを追認。 ○ 市の民営化目的である「多様な保育ニーズ対応目的」からは急ぐべき理由がない。 ○ 市の本意は財政事情だろう。 ○ 引継ぎ・共同保育の期間(3ヶ月)で十分かは理由がない。保護者の納得を得るのも困難。混乱のあった先行事例も参考にすべきだった。 つまり、保護者の納得がポイントなのだ。しかし、住民が納得できれば違法でなく、納得できなければ違法だ、というのでは行政施策は遂行できない。もちろん、そういう分野もある。例えば土地収用は市民法の論理で任意に解決しなければ、収用の手続を経なければならない。しかし、施設民営化という判断を、一面的尺度で判断しているように思われる。 まさに、ここは判断だ。地裁は、徹底的に児童・保護者の法的利益を重視している。上述の通り「措置から契約へ」の論理が根底にあると思う。 硬直的な行政対応への非難があるように思う。それであれば、事実行為としての対応の非を指摘して、損害賠償を認めればいい。取消までさせるのは、踏み込み過ぎではないか。 この点の地裁の判断を実質的に見れば、児童・保護者の法的利益回復を重視し、行政の硬直的対応の非難度を重視し、取消にまで至ったのだ。バランス感覚の問題だ。第3点 民営化の児童に与える影響 これを大きく見るかどうかによっても、結論の価値判断は異なる。判決は、民営化後相当の期間にわたって相乗的な混乱は容易に想像できる、という。そうだろうか。ここは大いに異論がある。 それなら保育士の人事異動もダメなのか。その点は判決も言及していて、転勤は一定の保育環境確立を前提にしているから、廃止とは違って許される、という。また、市の「保育士配置換要綱」には異動は当該職場の3割までとしていることも指摘しているが、それは市側の保育サービス継続性確保の自主的な規律であって、取り上げるべきでない。 要するに、実質は保護者の不安感のケアの問題なのだ。不安感をどこまで救済する必要があるのか。私自身も最近まで民間と公立と通算8年間通わせた。一時期は無認可保育所にも出さざるを得なかった。保育内容は園によって違う。当たり前だ。民営から自宅に近い公立に移す際には従来の慣れ親しんだ環境を離れることにためらいはあった。横浜の事情を知らないで言うなと言われても敢えていうが、親の不安感はそんな程度でないのか。判決を読む限りでは、横浜市は相当の配慮をしていると思う。 例えば裁判を受ける権利は憲法で保障される重要な人権であり、真実解明は公益でもあるが、地裁の論理ならば、裁判官の異動は到底許されないとなるのか。 そこまで言わなくても、例えば、義務教育を受ける権利は重要だから、公立義務教育学校の廃止も困難になろう。小学校廃止を決定しても、その時の1年生が卒業するまで6年間はその学校を残さなければならない。でも、6年目は生徒も先生も少数で教育活動の充実は望めない。 また、保護者の了解の有無で結論が変わるのはおかしい。お叱りを受けるだろうが、住民の了解を重視しすぎると、大衆政治になってしまう。大衆側には権利はあるが、行政に対する責任がない。第4点 団体自治の観点の欠落 上記の第1点でも触れたが、地裁の判断には、団体自治の観点がスッポリ抜けている。たしかに民選市長だから全てOKであっては困る。また、条例でも処分性を認めて良いし、議会を通過したからすべてOKとはいえない。司法による救済が必要な場合が有ろう。 しかし、それなりに手続と代替措置を経て施策を決定している。また市議会審議に重大な手続的瑕疵があったわけではない。 判決は引継ぎ・共同保育に3か月しかない点を非難するが、それは地裁が処分性を認めた時点である条例可決時点と民営化(保育所廃止)実施時期までの期間が3ヶ月というだけで、審議会や説明会など事前のプロセスを無視しており、妥当でない。 少々挑発的にいえば、地裁は保護者の声を重視しすぎなのだ。保護者も納税者であり、財政問題に無関心でいいはずもない。保護者はみんなそう思うはず、の論法だ。第5点 政治的姿勢への配慮 もちろん判決の理由とされていないが、この問題をめぐっては、保護者側に中田市長の政治姿勢への反発が根強く存在していたようだ。そして、中田市長は、一部保護者の意見で左右されない、とかえって意を強くしているようだ(横浜市HPでの市長記者会見)。 このような政治的姿勢は、その過程で名誉毀損など権利侵害があれば格別、その姿勢の是非自体を裁判所が判断することは極力慎重であるべきだ。 地裁は政治的姿勢ではなく、行政の硬直的な姿勢を非難しているのだが、民営化施策は無色透明な個別行政の対応問題ではなく、市長の(議会も?)施策に連なる問題である。とすれば、むしろ慎重な配慮があるべきだ。 裁判所が政治に巻き込まれてはならないという点もある。しかし、より重要なのは、団体自治の論理だ。事例精査を怠ったとか、3ヶ月が短い、とかいうだけで政策判断を審査できるだろうか。3 最後に 判決翌日の新聞の解説などは、拙速な民営化に慎重な議論を要する、とか、保護者の声を聞くべし、などの論調で、判決を非難するものはなかったように思う。新聞が、住民側の立場で解説するのは、ある種の社会的バランスだから、それで健全だと思う。 ただ、個別的権利救済の観点だけでなく、財政事情やサービス効率化の観点などを積極的にすくい上げて、民営化政策と法的限界を議論することは重要だ。控訴審の判断も注目だが、個別の事件の判断いかんだけでなく、より一般的に議論を深めるべき。 自治体政策担当者としても、実践的に非常に関心があるはずだ。 もし一部の政治勢力が地裁判決をタテに、大衆迎合的な受け狙いで取り上げていくとすれば、民営化の真の議論を忘れ、また民主的政策形成を尊重しない、狭い了見に堕するように思う。------------以上が現段階での整理です。特に福祉行政における「措置から契約へ」の点は不勉強であり、後日見解が変わるかも知れません。
2006.06.06
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(■保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その1 判決の論理)(06年6月6日)に続く記事です。)(■保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その2 判決の論理・続)(06年6月6日)に続く記事です。)(■保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その4 見解)(06年6月6日)に続きます。)------------(5-2-8)条例制定後の事情について。〔略〕(改正条例を違法と評価すべき事情にならず。)(5-2-9)まとめ。本件民営化は、財政状況を前提に待機児童の解消と多様な保育ニーズ対応を目的にしたもの。多様な保育ニーズ対応と民営化とは必然的関係にないが、民営化も1つの選択肢とは言えるから、民営化を違法とまではいえない。 しかし、入所児童がいる保育所の民営化については、特定の保育所で保育の実施を受ける利益を尊重する必要があり、同意が得られない場合には、かかる利益侵害を正当化し得るだけの合理的な理由と代替措置が必要と解される。この代替措置として移管先の法人及びその選定手続に特段の問題はなく、他の措置も検討されたから、被告としては現実的に対応できる範囲の措置を用意したと評価できる。 他方で保護者との関係をみると、改正条例制定時点で大方の保護者の承諾は得られているとは言い難い状況であったのみならず、保護者と市の関係は民営化に向けて建設的な話し合いが期待できる状況になく、信頼関係の回復が見込める状況にもなかった。保護者の態度硬化の根本的理由は、市が1年後の民営化は行政的には決定事項だと対応したためこの点の協議の余地がなかった点にある。民営化に保護者全員の同意が必要とまでは解されないが、突然の公表や被告の対応等に照らすと、本件民営化に際しての保護者の対応は一概に理不尽とは言えず、また極く一部の保護者の意向とも認められない。 かかる事態は、本件4園の民営化について保護者の同意が得られていないことのほか、円滑に民営化が実施されることを危惧させる事情とも言える。三者協議会が設置に至らず、被告主張の3ヶ月の引継ぎ・共同保育には十分な根拠がなく、保護者の納得がない状況下では、なおさら。 このような状況下にあった平成15年12月の時点で、平成16年4月に本件民営化を実施しなければならない特段の事情はない。多様な保育ニーズ、子供の成長が早い、などの市の説明した理由は、他方で種々の不利益を被る可能性のある児童・保護者を思えば、早急な民営化の正当化根拠としては不十分で、特定の保育所で保育の実施を受ける利益を尊重したものとは到底言えない。 とすれば、本件4園の民営化の判断自体は、なお裁量の範囲内と解する余地もあるが、市が民営化を平成16年4月に実施するとしたことは、裁量の範囲を逸脱・濫用したもので、争点3を検討するまでもなく違法である。(5-2-10)事情判決の理由。以上から、条例制定行為(処分)を取り消すのが原則だが、既に本件4園廃止から2年余りが経過し、建物や敷地も売却等され、保育士も勤務しているから、取り消しによって法的には市設置保育所としての地位が回復されても、現実問題として保育環境が復活するわけではない。新保育所の新たな保育環境で保育を受けた児童もあり、条例制定の取消しは、これら秩序を破壊し無益な混乱を引き起こしかねない。そこで、取消しが公共の福祉に適合しないと認められるから、事情判決により(行政事件訴訟法31条1項)請求は棄却。(5-3)争点4(国家賠償請求の成否)について 原告は、市の公務員が、(1)民営化を拙速に行ってはならない注意義務に違反し、また、(2)実施する場合には十分な引継期間を設けるなど職員の継続性を保つ措置を講じ保育水準を低下させない注意義務に違反した、と主張する。被告主張を大別すれば、(1)本件4園の廃止の違法、(2)担当者の対応の違法、(3)民営化実施に伴う措置の違法、の3点をいうと解される。 (1)が直ちに不法行為となるとまでは解されないが、仮に本件4園を廃止・民営化する場合は児童への悪影響を最小限にとどめるに必要な措置をとり、そのような視点で民営化実施時期を定めるべき注意義務を負っていたと言える。そして、廃止・民営化時期を平成16年4月とした裁量権の逸脱・濫用の点は、上記注意義務に照らすならば、国家賠償法上も違法行為となると解される。 なお、(2)の点は個別の公務員の言動を問題にしない以上は認められない。(3)の点は、措置に不十分な点があったとしても根本原因は平成16年4月に民営化を実施すると定めた点にあり、また担当公務員の対応に格別の問題もないから、これと別個の不法行為を構成するとは解されない。以上の通り、平成15年12月18日の本件改正条例の制定を違法行為ととらえれば足りる。 損害は、保護者被告の憤りや心痛。1世帯10万円。児童被告については、受ける影響が明らかでなく、その年齢からしても、定型的に把握は困難で、損害賠償請求は理由がない。------------(つづく)
2006.06.06
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(■保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その1 判決の論理)(06年6月6日)に続く記事です。)(■保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その3 判決の論理・続々)(06年6月6日)に続きます。)(■保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その4 見解)(06年6月6日)に続きます。)------------(5-2)争点2(改正条例制定の違法性)について(5-2-1)本件4園の廃止と原告の利益の侵害の関係について。地方自治法(公の施設)及び児童福祉法は、入所者がいる保育所の廃止を予定しているとも言える。他方で、法は特定の保育所で保育実施を受ける法的利益を尊重すべきことを規定している(上述)。しかし、公の施設として住民全体の利益に沿う利用がなされるべきだし、最長6年の保育期間内に諸事情が変化することも不可避だから、この利益の保障をもって、保育所廃止についての絶対的制約事由とまで解する(保護者の同意ない限りは入所者のいる保育所を廃止できない)ことは相当でない。保育所の廃止については、諸事情を考慮した上での設置者の政策的な裁量判断に委ねられており、同意なければ違法とまでは解し得ない。(5-2-2)横浜市の裁量権について。保育所廃止の判断が裁量に委ねられるとしても、無制約に許容されるわけではなく、保育所たる施設の性質や上述利益が尊重されるべき事を踏まえて、廃止の目的・必要性、利用者の受ける不利益の内容・性質・程度等の諸事情を総合的に考慮した合理的な判断でなければならないことは当然。被告は、目的や内容において一見して著しく不合理なことが明白で裁量権の逸脱・乱用となる場合を除き違法の評価を受けることはない、と主張するが、公の施設というだけで一律にそう論じることは相当でない。(5-2-3)本件改正条例制定を検討する。なお検討の基準は市議会可決の時点。(5-2-4)民営化公表までの経緯。横浜市の保育所入所申込者は平成2年以降増加傾向にあり、待機児童が多数発生し、また就労形態や意識の変化もあり、延長保育など多様な保育サービスが求められてきた。市は、限られた予算の中で待機児童を解消すべく施策を進めたが、その基本は市有地を無償貸与する等して民間保育所の設置を誘導するもので、その結果民間保育所数は顕著に増加した。 かかる状況下で平成14年6月以降、保育所のあり方と行政の役割を審議していた横浜市児童福祉審議会は平成15年2月に市長に本件の意見具申。保育サービスを公立と民間で比較すると、(1)延長保育(2)一時保育は民間が充実、他方(3)障害児保育は公立が充実、また入所率や運営経費の点でも民間が効率が良いなどの点から、今後待機時解消と多様な保育ニーズに応えるためには、民間施設で十分対応が可能な場合には漸次民営化すべきであり、公立保育所も民営化を進めることが必要、と述べている。 市長は平成15年4月に、「市立保育所の民営化」を含む「重点保育施策」を作成し公表。その中で、移管先法人は学識経験者や市民代表者等からなる選考委員会で決定すること、移管条件として市立保育園で実施している保育内容や新たな保育サービス実施を義務づけること、などが説明され、平成16年4月から民営化を実施し、初年度の実施保育所として本件4園が示されていた。(5-2-5)改正条例可決までの状況。横浜市は福祉局長名義で本件4園の保護者に文書を送付。また、2月から合計11回の説明会を実施。その場では、民営化決定前に保護者の意見を聴かなかったこと、民営化決定が唐突であることについて、不安や危惧が表明された。市と保護者との関係を見るに、市は本件4園の民営化方針は変更がないことを前提にしていたため、保護者がこの点を了解しない限り建設的な話合いは困難な状況にあり、市は民営化の理由として多様な保育ニーズに柔軟に応える点を説明したが保護者の納得は得られていない。また、民営化の時期の点でも保護者の納得は得られていない。 また、移管先法人の選定と改正条例制定の経緯をみると、市は平成16年4月の民営化に向けて着々と進めていたが、条例制定時点でもなお民営化には大方の保護者の納得は得られておらず、保護者の疑問・不安を解消させるだけの具体的のある説明がなされたともいい難い。(5-2-6)民営化の目的について。公立保育所の民営化は、保育所の柔軟な対応を推進し運営を効率化する上で考慮すべき1つの施策ではある。ただ、審議会や厚生省研究会提言などでは、保育所運営の効率化の観点を踏まえて民営化が提言されていることからすると、被告が主張するように、多様な保育ニーズに応えることを主目的として民営化を推進することは、若干趣旨が異なるように思われるが、かかる目的があったことは否定できない。 原告は、本件民営化は多様な保育ニーズに応えるためのものではなく、市の財政難解決、あるいは市長の人気取りと独自の価値観のために行われた、全く必要性のないものだったと主張し、その根拠として、(1)新たなサービスは結果的にほとんど利用されないこと、(2)市立でも多様な保育ニーズに応え得ること、(3)民営化が待機児童の解消につながらないこと、などを挙げる。 (1)は、かかる横浜市の目的の推測には論理の飛躍があるように思われる。(2)は、市側の説明は必ずしも釈然としないが、多様な保育ニーズに応えるために民営化を推進することも1つの選択肢だから、(原告主張のように多様な保育ニーズ対応のために必ずしも民営化が必要ではなかったとしても、)直ちに本件民営化の目的が多様な保育ニーズに応えるためではなかったとまでは言えない。(3)の点は、被告も民営化が待機児童解消を直接の目的とは説明しておらず、当を得ない。以上、原告の諸指摘は、「本件民営化の目的が多様な保育ニーズに応えることにあったのではない」ことの根拠とは言えない。 被告は本件民営化の目的は財政難解消ではないと主張するが、意見具申が財政事情を前提としたことは明らか。また、保護者説明会でも市側は具体的に民営化による財政負担軽減額を説明もしており、福祉局長名通知にも福祉局予算の状況が述べられており、民営化決定の背景事情として財政問題があったことは明らか。しかし、財政問題改善を目的に本件民営化が推進された、とまでは言えず、「被告において予算の増額が望めない中でも多様な保育ニーズに応える必要があるから本件民営化を推進した」ものと見るべきである。 以上から、本件民営化の目的は、市の財政状況の中でも多様な保育ニーズに対応することにあったと認めて差し支えない。(5-2-7)民営化の内容について。(5-1-7-1)児童福祉施設最低基準(厚生省令)や選考委員会の移管条件と選考過程にかんがみれば、新法人による保育の質の確保の点は格別懸念される状況にはない。(5-2-7-2)しかし、民営化の時期については問題がある。市は重点保育施策の公表時点から一貫して本件民営化を実施する姿勢を崩さず、改正条例もこれを追認したもの。被告が実施時期を平成16年4月に定めた理由は、子供の成長の早さを考慮すると迅速に対応する必要がある点にある。この説明は要するに、必要な施策は早期に行うべきという以上のことを述べているものではない。むしろ財政事情が背景にあったと思われる。 平成16年4月は、移管先法人は決定したものの保護者の理解が得られておらず、市が予定し呼びかけた三者協議会の設置のメドが立たない状況であった。被告としては、種々の手続を積み重ね、移管先法人の都合もあり、予定を軽々に変更できない事情はあったことを除けば、本件民営化の目的(多様な保育ニーズへの対応)からすれば、特別に急ぐべき理由があったとは認められない。 被告は、先行自治体の事情調査結果から、引継ぎ・共同保育に3ヶ月あれば支障ない旨を再三説明しているが、かかる説明やスケジュール設定は、市の担当者や先行自治体調査者がそう判断したに過ぎず、その前提となる調査結果や調査先選定が明らかにされてもいない。例えば尼崎市でも保護者に民営化に異論があったようだが、これらの意見がどう評価されて判断に至ったのか説明がないと保護者の納得を得るのは困難なように思われる。 引継ぎ・共同保育の内容を見ると、肝心の何時から何名の保育士がどの程度の頻度で児童と接触するのかが必ずしも明確ではなく、市の課長は引継ぎ・共同保育が予定通り実施されたと認識しているのに対して、保護者原告はそう認識していない。 他の市町村では、例えば、県社会福祉事業団が運営していた笹山保育園(横浜市)は、保育士は6年間をかけて漸次入れ替えるとされ、また、相模原市の民営化計画では移管先法人決定から3年後に移管を実施している。被告は、3ヶ月でもスムースに移管できた例として八千代市、堺市、尼崎市の例を挙げるが、その判断は検証し得ないこと上記のとおり。また、3ヶ月の引継ぎ期間で民営化された別の例として、高石市や大東市の事例があるが、これらでは少なからぬ混乱があり、かかる事例も参考にすべきだったと思われる。 こう見ると、引継ぎ・共同保育に3ヶ月あれば民営化に支障ないとの判断は、それほど明確な根拠のあることとは認められず、むしろ、保護者の納得が得られていない状況を前提にすれば、その判断は疑問というべき。 本件民営化は意見具申に基づいて行われたとされるが、意見具申は、民営化を掲げるものの、実施については既に入所している児童に配慮し、保育環境の急激な変更は行わないこと、民営化に関する情報公開を積極的に行い、保護者の意見・要望を聞きながら、保育向上という共通目的に立った信頼関係の下に進めること、とする留意事項も同時に示している。また、移管先法人(あすみ福祉会)理事長は、市と保護者の信頼関係が構築されなければ実施を延期すべきと考えていると話すなど、信頼関係が構築されていないことを危惧していたとうかがわれる。(5-2-7-3)市は民営化に向け、その他の措置も予定していた。(1)嘱託職員の継続雇用、(2)臨床心理士の巡回指導、(3)他の市立保育園への転園の配慮、など。しかし、条例制定の適否の観点からすれば、条例がこれら施策を前提に可決されたものかどうかが問題となるところ、これらの施策は本件条例の制定後に被告が決定した可能性が否定できない。比較的早い段階に被告が設置を提案した三者協議会は実現していないが、何らかの施策が行われることは想定していたといって差し支えないようにも思われる。結果的には、(1)及び(2)は実施され、(3)は保護者に説明されたか疑問あり。(5-2-7-4)民営化が入所児童に与える影響等について。民営化という制度上の変化によって保育の質低下が懸念される状況は認められない(上記)が、制度的な問題とは別に、現実に保育士が入れ替わることによる悪影響が、一時的混乱なのか将来に何らかの悪影響を残すのか、の点は証拠上も明確でなく、現時点で的確に把握できない。 ただ、本件民営化で保育士の大部分は入れ替わり、保育環境が十分に確立していないところに児童を受け入れるのだから(保育士の転勤等は一定の保育環境確立を前提にしているから事情が違う)、新保育所の側でも個々の児童の把握に困難があり、少なくとも民営化後相当の期間にわたって相乗的な混乱が起こるであろうことは容易に想像できる。 保育環境を急激に変更させることは児童の成長に悪影響を与えるとの専門家の指摘もあり、ベテラン保育士も保育の連続性の断絶の問題点を指摘している。市の保育指針を示す冊子でも、長期的視点に立った計画的な保育の重要性が説かれ、また市の保育士配置換要綱では保育士の配置換は当該職場の30%までとする旨が定められていることから、保育所の民営化は慎重な対応が要求されると思われる。------------(つづく)
2006.06.06
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民営化(市立施設としての廃止)を定める改正条例が違法とは随分踏み込んだ判決だ、と思った。せいぜい説明不足の点で損害賠償ぐらいじゃないのか、と。ただし、拙速に批判すると、感覚的に決めつけた自分の結論に理由をあれこれ整序させるパターンになってしまうため、また新聞の報道や解説に流される危険もあるため、冷静に判決文を読もうと思っていた。なお横浜市は2日東京高裁に控訴(毎日新聞6月2日記事)。裁量権の逸脱や濫用はないと主張している、とこの記事では述べているが、条例制定の処分性が地裁で肯定された点を争うのかどうか、まではわからない。市長の政治姿勢や交渉のありかたも具体的紛争の観点からは問題点ではあろうが、私としては民営化政策に対する司法判断を決着させるべきと思うので(ひとり横浜市の問題ではないとも言える)、控訴は当然の姿勢。先日、裁判所HPから入手して何日か時間をかけて読んだ。その上で、整理して記す。容量の関係で、判決の論理の整理(その1、その2、その3)と、それを踏まえた当ジャーナル編集局の考え(その4)とは、別の記事に。 ■保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その2 判決の論理・続)(06年6月6日) ■保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その3 判決の論理・続々)(06年6月6日) ■保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その4 見解)(06年6月6日)判決(平成18年5月22日判決・横浜地裁行ウ第4号・横浜市立保育園廃止処分取消請求事件)は以下のとおり(ODAZUMA Journal要約。なお理解の便宜のため訴訟特有の構造を組み直した)。判決翌日の各紙新聞報道では、民営化は違法だが事情から取消せず、としたのか、それとも民営化は違法ではないが説明不足自体が違法(損害賠償)という論理なのか、各紙に説明の違いがあり不明だったが、前者であることが明らかになった。さらに、民営化の選択自体が違法ではなく、性急な民営化が違法、との論理だ。相当苦心している。------------(1)事実関係 児童福祉法に基づく横浜市児童福祉審議会は平成14年度から審議を重ね、平成14年2月に、今後の行政の役割は保育サービスの直接供給主体から基盤整備に重点を置くべき、との意見具申。これを受けて横浜市長は、同年4月に、「今後の重点保育施策」を策定し、市立保育所の民営化を掲げ、平成16年度からの移管計画を示した。具体的には、平成16年度には本件4園を移管すると定めた。 平成15年4月23日には市福祉局長名義で、本件4園の児童の保護者には民営化の方針を通知。さらに、5月までに各園で第1回の説明会を実施し、以後何度か開催。 他方で市は同年9月から移管を受ける社会福祉法人を募集し、同年11月に移管先を選定し発表。同年12月、市長は市議会に条例改正案(条例別表から4園を削除する内容。平成16年4月1日施行)を提出し可決される。 平成16年4月1日、条例施行により市立保育所としては廃止され、各社会福祉法人に移管(民営化)された。各社会福祉法人は保育所設置認可を受けた上で、従来の施設で保育を開始。 なお、同年3月16日に市と各法人は「保育所運営に関する覚書」を締結。また、建物は有償譲渡、土地は無償貸与、備品は無償譲渡。嘱託職員やアルバイト職員は各法人に雇用された。(2)請求 (2-1)条例制定をもってした4保育園の廃止処分を取り消す。 (2-2)被告は原告らに各20万円(+利息)を支払え。(3)請求の論理と争点 上記条例制定は抗告訴訟の対象たる処分に該当し、原告らの保育所選択権等を侵害するもので違法。よって廃止処分の取消しと、違法な処分による精神的損害を賠償(国家賠償法1条1項)を求めるもの。 (3-1)争点1 改正条例制定の処分性 (3-2)争点2 改正条例制定の違法性 (3-3)争点3 改正条例制定の手続の違法性 (3-4)争点4 国会賠償請求の成否(4)判決主文 (4-1) 条例制定による4保育園の廃止(H16.3.31)処分の取消し請求について (A)原告のうち卒園した児童・保護者の部分 訴え却下 (B)原告のうち卒園していない児童・保護者の部分 請求棄却。ただし処分は違法。 (4-2) 損害賠償請求について。被告(横浜市)は、原告(保護者)に1世帯あたり10万円(+法定利息)を支払え。(5)判決の理由(争点についての判断)(5-1)争点1(改正条例制定の処分性)について(5-1-1) 条例の制定は通常は一般的抽象的な法規範の定立たる立法作用の性質を有し、原則として個人の権利義務に直接の効果を及ぼすものでないから、それ自体抗告訴訟の対象たる処分(行政事件訴訟法3条2項)には該当しない。もっとも条例という形式によるものであっても、他に行政庁による具体的な処分を待つまでもなく、それ自体によって特定の個人の権利義務や法的地位に直接の影響を及ぼす場合には例外的に、条例制定行為をもって処分と解する場合もある。(5-1-2) そこで本件が特定の個人の権利義務や法的地位に直接の影響を及ぼすか否かを、原告の主張について順次に検討。 (ア)保育所選択権の侵害の点について。法令の規定(児童福祉法24条1項)からは、保護者がその監護する乳幼児に対してどの保育所で保育の実施を受けさせるかを選択する機会を与え、市町村はその選択を可能な限り尊重すべきものと認められ、この保育所を選択しうる地位を保護者(児童ではない)に対して法的利益として保障したと解される。(反射的利益に過ぎないとの被告の主張を排す。)そして、保育所の選択は、一定期間の継続的な保育実施を当然の前提とするものだから、法が入所時の保育所選択を認めるということは、必然的に入所後の保育の実施を要請するものである。 従って、この保育期間中に当該選択にかかる保育所を廃止することは、保護者の有する保育所を選択しうる法的利益を侵害するもの。 (イ)保育所において保育を受ける権利(児童)の侵害の点について。原告は、憲法(第13条、25条、26条)、子供の権利条約(第3条)及び児童福祉法(総則規定)に基づき、全ての児童は「健全に発展することを保障されている権利」を有し、その中には「保育所において保育される権利」が包摂されているところ、本件条例改正はこの権利を侵害する、と主張する。しかし、これら法令は国の責務等抽象的な理念を掲げるもので、これらの各規定から直ちに具体的な権利ないし法的利益が保障されると認めるのは困難。 もっとも、児童福祉法(24条1項)が市町村の保育所における保育義務を定める反面として、「保育所において保育を受ける権利」が保障されている。本件改正条例は、児童らが当然に保育所において保育を受ける権利を奪うものではないし、新たな保育所で行われる保育が必然的に保育内容において劣る根拠もない。しかし、どの保育所であっても児童が受ける利益は共通等質とは言えず、その違いに一定の意味があることが前提とされ、児童が現に保護者の選択した保育所で将来保育期間中にわたり保育を受ける利益は、法的に保護された利益である。 本件改正条例は、上記の法的利益を侵害するもの。 (ウ)手続上の権利(保護者)について。原告は、保護者に対する説明及び意見聴取という手続上の権利を侵害すると主張する。しかし本件改正条例は手続や効果について何ら規定しないから、原告の主張を処分性の根拠として採用はできない。 しかし、(上記の手続上の権利とは別に)児童福祉法(33条の4、33条の5)は保育実施の解除にあたっては、解除理由の説明と保護者の意見聴取を定め、行政手続法適用を定めていることからすれば、不利益処分と位置づけられているのだから、この点から本件改正条例の処分性が肯定できる。 (エ)以上から、児童及び保護者の特定の保育所で保育の実施を受ける利益は、法律上保護された利益であり、本件改正条例は他に行政庁の具体的な処分によることなく必然的に侵害するもの。また改正条例による保育実施解除は法により不利益処分と位置づけられたもの。よって、本件改正条例制定は、「処分」(行政事件訴訟法3条2項)に該当。(5-1-3)その他の訴訟要件について。既に保育期間が満了した児童原告は、訴えの利益を喪失しているから、これら原告の条例制定取消しの訴えは不適法。また、保護者原告のうち、既にその監護する児童の保育期間が経過した者は訴えの利益がなく、改正条例取消しの訴えは不適法。------------(つづく)
2006.06.06
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秋田さきがけ新報社のWEB版を見ている。近所の無職女性の実家を家宅捜査、そして4日夜には逮捕状。何と、4月に死亡した子供の母親だ。死体遺棄については大筋で認めているというが。この人を犯人と決めつけるのは早計で、今日からの報道ぶりに、また日本の社会とマスコミの成熟度が表れるだろうが、それはともかくとして事件の解明に大きな進展だろう。秋田県警は相当慎重に進めて来たとは思うが、着実に解明し、また捜査経緯を明らかにして欲しい。住宅地の2件隣の母親が逮捕されたことで(真実解明とは断定するな、とは言っても)衝撃は大きい。
2006.06.05
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この画像は仙台駅前ペデストリアンデッキからの撮影。モンテレ、とかモントルー、とか勘違いしていませんか。モントレです。中世ヨーロッパのプラハの文化の息づかい、アールデコ調の何とか、らしいですが、私にはよくわかりません。中には入ったことがないので、外観だけの話ですが、建物単体で見ればたしかに今までにない気品というか、謳い文句のように、淑(しと)やかに輝く文化の波、なんでしょう。だけど、仙台駅前から見れば、遠くにSS30の異様な(威容、とも言える)てっぺんが見え、右には赤々とボーダフォンのネオン(まもなく黄色いソフトバンクになるの!?)、左手前にはターミナルビルが視界を見事に遮る。ハッキリ言って、街としての文化性はないのです。昨年には南町通りのビルの保存運動もあったけど、50年したら、モントレの保存運動でも起きるか? 単体のビルに寄せる仙台市民の思いは勿論大事だろう。だけど、街としてどうしていくか、という根強い共通意識はないから、せいぜい誰かが立てたモノに「事後的に」ノスタルジーを寄せるだけだ。もう20年近くになるか、泉ヶ岳の稜線を見事にさえぎる立派な観音様の登場で、私は仙台の街作りに対する、ある種の理想論を捨てた。理想論といっても、まち作り内容の具体論というのではない。行政を軸に市民や経済界が共通意識でまちづくりを進めることが「できるはず」というという組織論や運動論の側面だ。だから、単体のビル保存や大手門復元などのような話には、私はかなり冷淡な立場だ。個別の文化性の顕彰はすばらしいことし、復元運動に努力する方には敬意を感じるが、それを仙台の文化だとか伝統だとか言い出すと大変困る。市民の共通の財産としての町並みや景観、なんて意識はそもそもないだろう。金儲けしたヤツが観音様立てる、市民はありがたいと思ったかどうか知らないが、まもなく開発ブームが再来して、プラハや中国や、いろんな素晴らしい単体の建物ができて、町並みとしては結局雑然としてものになるのだろう。日本の都市がほとんどそうであるように。良いか悪いかと言えば、何らかの共通意識を感じる町並み景観の方が、良い。だけどそのための合意やコストを考えると、まず無理だ。なにせ、公共に口は出してもカネは出さない経済風土だ。たまに志の篤い人といえば、金もうけて観音様にして自分は倒産する。そんな仙台経済界だ。せいぜい、歩行者の視線でスポットやストリートとしての良さや個性を出すくらいだ。私は、それでいい。■仙台百景画像散歩 以前の記事です。 ○仙台百景画像散歩(その6 佐々重ビル)(06年5月24日) ○仙台百景画像散歩(その5 車止めポール)(06年4月29日) ○仙台百景画像散歩(その4 オロナミンC)(06年4月4日) ○仙台百景画像散歩(その3 東仙台案内踏切)(06年3月22日) ○仙台百景画像散歩(その2 はんだや)(06年3月18日) ○仙台ミステリー?風景(06年3月4日)
2006.06.04
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今季初めて子供2人と観戦。あおば通駅から乗る前に中央通りのマックに寄ったら、レジのお姉さんも昨日フルスタに言ったという。良い試合だったよね、なんてこれぞホームタウン。1時間ちょっと前に着いたら、いろんなキャラクターを探してカードをもらう企画があって、娘たちも大喜び。アラマチマン、ケヤッキー(懐かしい)、スズリンなど、お世辞にも小学生が進んで飛びつくキャラではないが、子には握手をさせて、ついついご苦労様です、と言ってしまう私。新設のLoppiシートは、鳥瞰できて気持ちいい。さて、試合は守備力でボロを示された感じ。エラーにはならなくても、もうちょっと突っ込んで捕球しろ、併殺送球しろ、と思わせる場面がある。松崎は良かったと思うが、交替のタイミングが遅すぎると思う。それでも、悪いイーグルスに戻っちゃったかな、という程では決してない。攻撃でチャンスは作ったし、谷中も抑えたし(見事!)。一番良いと思ったのは、牧田。初打席で、外野の応援の方たちがハッピバースデイを歌っているから、娘が選手名簿(紙一枚のやつ)を確認したら、そう今日ですね。先取点の犠打、それから9回のヒットも見事。写真は9回、1塁に立つ牧田の姿です。だから明日につながる、と思います。信じます。娘たちは明日も行きたい、と。どうしようか。
2006.06.03
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さすがに大企業は懐が深い。「白い国の詩」は昔から愛読(拾い読みですが)している。地域の文化や伝統を紹介してくれる。東北電力サイトでは、「東北の文化情報誌」と位置づけられている。制作は創堂舎となっている。ソノベの関連会社だと思うが、編集長(私)がよく参考に見ている有益なサイト「東北文庫」の運営者でもある。最近の号(2006年春号)では、「東北の元気づくり物語◎山形県上山市」。記事によると、上山は、城下町と宿場町、温泉町が一体になった全国でも珍しいまち。その昔、武家と町人が隣り合うように、ごく近くに住んでいたからだろうか。今やしっくりと草の根の心で通じ合い、手をとりあって協力しあう精神が人々に息づいている、と。いいですね。GWに上山の公衆浴場の温泉に入りました。肩肘張らず、城下町の雰囲気と地域のつながりが息づいている町という感じを受けた。そのため、「白い国の詩」の上山の説明も、なるほどと理解できる。 ■過去の日記 上山の温泉に80円で入る(06年5月4日)私もこんな町で育っていれば、もっと社会性と常識を備えた人間に成長していだだろうか。最近は、Yui(結い)というPR誌も見る。東北電力サイトでは、「小中学生を育てるおかあさんのための子育てコミュニティ誌」と説明されている。
2006.06.03
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良い試合でしたね。一場も一発浴びるも連打が無く、特に後半は打たれる気がしないほど素晴らしかった。打っては鉄平が大活躍。カツノリに久々のヒットと本塁憤死、礒部の気迫のヒット、などなど山場ができて、絶対今日は勝てると確信できた。9回、憲史を代打に送ってサヨナラ、と思ったけど牧田の本塁アウト。これで流れが逆流しないか心配だったけど、小倉も抑えて、10回ウラは、山崎やった~!!私、今シーズンはまだ2度目のフルスタなのですが、2度とも延長戦。前回の広島12回戦は悔しい負け、でも今日は余裕?の勝ち。うれしい。昨シーズンからフルスタ通算で、勝率6割ちょうどとなりました。でも実は、今日は9回裏の惜しいサヨナラ逸機の直後(9時5分)、帰途についたのです。自転車で家まで帰らなければならず、延長12回10時40分まで応援した前回(月曜日)を思い出して、ツイツイ帰ってしまいました。スミマセン。フルスタを離れるのはツラかったが。自転車漕ぎながらラジオで山崎のヒットは聞きましたけど。帰宅はちょうど10時でした。明日は今シーズン初めて家族で行きます。新設のLoppiシートです。先発が読めないのですが、何人かの方のブログでは松崎とのこと。最近の安定したチーム力で、いい試合にしよう!!
2006.06.02
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統計によると女子の平均初婚年齢は福島県が全国で一番若い。出典は厚生労働省大臣官房統計情報部「人口動態調査」(平成16年)だが、福島県HP(一目でわかる福島県の指標2006)で見た。東北各県を中心に拾うと...1位(年齢が高い順)は東京都の28.9歳、次いで神奈川、京都、千葉、山梨と続く。全国平均27.8歳。新潟県27.6歳(13位)、青森県・宮城県27.3歳(27位)、秋田県27.2歳(34位)、岩手県・山形県27.1歳(43位)、福島県26.8歳(47位)。ちなみに男性は、全国平均29.6歳、東京(30.9歳)、神奈川、千葉、山梨が上位で、10位に新潟県(29.6歳)、17位に山形県(29.4歳)、24位に岩手県・宮城県(29.2歳)、28位に青森県(29.1歳)、30位に秋田県(29.0歳)、35位に福島県(28.9歳)。最下位(最若年)は宮崎県の28.4歳。
2006.06.02
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第1回表彰式が5月31日に仙台国際ホテルであったそうだ。受賞者は6名で、荒川さん(荒川静香さんの父)、岩隈投手、佐藤豊さん、大山社長、藤崎社長、そして斎藤山形県知事だ。 面白いと思うのは、各部門があって、「一般部門」が荒川さん、佐藤さん、岩隈選手。「経済部門」が両社長、そして「政治部門」が斎藤知事、なのだそうだ。 わざわざ「政治部門」を設けているのが、面白い。深い意図はないだろう。各界から広く表彰します、ということであって、人を決めてから「部門」を説明的に付する、という感じだろうけど。 斎藤知事のウェブサイト(さいとう弘 子育て日記)をみると、受賞は浅野前知事の推薦によるのだそうだ。その浅野さんは03年度に(全国の賞を)受賞しているが、やっぱり政治部門となっている。
2006.06.02
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最近、宮城県・仙台市の公立学校教員採用(選考)の出願が原則コンピュータで行うことについて、パソコンを持たない人などに不便だ、と教員組合が申し入れした、という河北新報の記事があった。県教委側は、インターネットにアクセスできる能力、メディア・リテラシーも教員の資質として必要だ、と対応した、という記事内容だった。それは、出願方法を納得させる1つの話題としてはあるかも知れないが、行政の1つの厳格な行為としての選考手続に堂々と言う理屈ではないだろう、やりとりの中で飛び出した話だろう、と思っていた。念のため、宮城県教委のサイトを見たら、意外にも、堂々と出ていた。受験生の便宜の観点に加え、今後教員の資質として必要だから、と。パソコン持たない人には県内4カ所でアクセスもできるという。手続合理化には賛成だ。だが、それはコスト減や事務処理の便宜、というのが多分本当ではないか(コストや人員減を検証したい気もするが)。これを堂々と言えばいい。受験生の便宜、とか、メディア・リテラシーの点は、ちょっと別物で正当化しているような感じがする。受験生の便宜なら、従来の方法も残すのが便宜のはずだし、リテラシー資質必要論を入口で持ち出すのはどうも落ち着かない。教員という特殊性から、1つの論法ではあるが、受験生が納得する理由として自ら言い聞かせるならともかく、行政側が入り口で制限する論理として持ち出すのは、ちょっと違うような気がする。教員の特殊性からこうも言えるんだから、言ってしまえ、という感じか。教員という特殊性を考えずに、行政上のコストの点から説明すればいいのだと思うが。ところで、出願資格には年齢要件はないようだ。ちょっと前までは確か45歳の制限があったと思ったが。とにかく、だいぶ様変わりしています。
2006.06.01
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9回の久保田の自滅が要因だけれど、鉄平のタイムリーも見事。そして青山に勝利という成果も。結果として前半のグリンの投球も試合を作った形になりました。子供を寝かせながら、板ちゃん解説のラジオを音を絞って耳に当てていました。ヒット数の割にはタイムリー欠乏で、やっぱり今日も...と思わせながらも、見事にタイガース鉄壁のリリーフ陣を粉砕!今朝はさわやかな6月の朝。気分がいいですね。
2006.06.01
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