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いつの間にか8月17日になっています。もう2時ですね。涼しい夜中に、狭いパソコン部屋兼書斎にて仕事をしています。今週と来週はかなり忙しくなりそうです。日中は副業(一応、おだずまジャーナル編集長を本業とした場合の呼び方ですが)がビッシリ、家に帰って夜中に原稿書き。期限が刻々と迫ります。本業の当ジャーナルでじっくり東北を考える時間は、どれだけあるか、かなり苦しいでしょう。お盆明けで、明日、いや今日の電車も混むかと思うと、忙しさの予感もあって、やや陰鬱な気持ちにもなりますが。クヨクヨしても時間が増えるわけではないので、まずは寝ますか。ちなみに、同様に?宿題と夏休みの終期を気にしだした子ども達は、もう寝ています。結局、期限に追われることになるのは明白ですが、これも遺伝です。
2015.08.17
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朝刊の河北新報県内版に、「自動車学校の花壇で不審火」という小さな記事。見出しを一瞬みた印象で、広瀬河畔の花壇自動車学校が頭に思い浮かんだのは自分だけではあるまい。15日の午前3時。場所は、大野田の仙台自動車学校だという。名取川の近く。仙台南部道路脇の場所だ。■関連する過去の記事 自動車整備大学校?(2007年6月17日)(花壇自動車整備大学校の呼称について) 仙台藩の牢屋(2007年8月19日) 仙台藩の刑場(2007年9月3日)(花壇にあった) 愛宕下の発電所(2013年11月25日)(花壇対岸の追廻地区から取水)ところで、上記の07年の花壇の「大学校」の記事だが、現在は「花壇自動車大学校」と称している。私の記事では「花壇自動車整備大学校」と記した。平成21年4月に、「整備」の2字をはずした(同校サイトによります)。また、当時は財団法人と記したのだが、現在は設置者が学校法人角川学園となっている。ちなみに、仙台赤門の方は自動車整備大学校と称している。「自動車大学校」という表現は、整備だけではなく広く自動車に関して学ぶとの趣旨かも知れないが、専門学校をめざす学生さんは良いとして、普通に運転免許をめざす一般人の観点からすると、自動車学校の延長かワンランク上のもの(先生と大先生の関係?)、あるいは、総合的な自動車学校で当然免許も取れるのネ(単科の医院と総合病院の関係?)などと誤解されてしまうのではないか。呼称について、国土交通省の規制緩和があったのか。警察庁とは調整したのだろうか。少々、気になった。ついでに一言。今朝の記事の見出し「自動車学校の花壇」は、どうあるべきか。間違いではないが、花壇という自動車学校の固有名詞が市民県民に馴染んでいることからすれば、例えば○自動車学校の植栽で不審火○自動車学校内の花壇で不審火などとする配慮があっても良かったのではないか。河北新報の記事と言葉の使い方に関しては、「双子のハーフ」を取り上げたことがある。(a half of twins = a twin ?(2009年8月29日))。これは配信した共同の記者のセンスだったようだが、今回の花壇の件については、地元記者ならではの研ぎ澄まされた感性を発揮しても、良かったかなと。花壇地区の住民がびっくりしていないか。目くじら立てる話ではないだろうが。
2015.08.16
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今年の夏の高校野球は、めずらしく東高西低、東日本勢が快進撃を見せているという。16強に、東北勢も4校。今日の第2試合では、鶴岡東が惜敗したが、見事な接戦を演じたようだ。明日は花巻東と仙台育英が対戦する。東北人としては、複雑な気持ちだ。春の王者、敦賀気比を破った花巻東と、猛打で相手を寄せ付けない仙台育英。ベスト8にどちらかが進めないなんて、こんな酷なことがあるものか。決勝で見るカードだった、と悔やむ人も多いのではないか。どっちを応援したらいいのか、と娘が聞いてきた。もちろん、両方だね。良い試合になるだろう。選手達には、すべてを出し切ってほしい。そして、準々決勝に進むチームには、思う存分のびのびと、その機会を悔いなく楽しんで欲しいと思う。
2015.08.15
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ずいぶんと涼しくなった夜中。PCに向かって仕事中なのだが、ある問題の複雑な実情をどう整理するかで、プチ行き詰まり。いかに筋立てて見せられるか。主観や恣意ではなく、データにどう正しく語ってもらえるか。そんな訳で、気分転換?に、PC画面で我がブログ眺めてみていたら、記事たちの一番下に「よく読まれている記事」というコーナーがあって、閲覧総数が表示されている。管理画面での説明だと、順位は前日の閲覧数で、表示されている閲覧総数は昨年9月からの累積数だそうだ。楽天さん、ありがとう。こんな配慮していただいたのですね。私の記事など人の役に立たない代物ですが、何かの弾みや間違いだとしても、訪問いただくのはありがたいこと。拙ブログの閲覧総数トップは、センバツの東北高校の逆転負けの話。ちょうど高校野球の季節で、アクセスしてくれたのでしょう。感謝いたします。ところで、ブログ今月末で10年経過です。もともと自分の勉強や考えを綴って記録するのが主で、その上誰かにコメントでももらえれば幸運で、という考えでスタートしました。いつの間にか、私も子ども達も世の中もみんな等しく10年経ったようです。成長したかどうかはそれぞれで。一息ついて、ウィンドウを仕事の方に戻します。
2015.08.14
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降雨ノーゲームでコボスタから帰ってきた我が家の子が、球場でもらったヤツだよ、と雨で濡れた選手の応援歌集を取り出した。何気なく見たら、投手の応援歌ができている。どんな時に歌うのだろう。メロディーはどうか。今シーズンはまだ球場応援をしていないので、わからないのだが。たしかに、投手にもあって良いと思う。低迷の主因はタイムリーの欠乏。ピッチャー陣は結構と踏ん張っている。早い回での得点がほしい。仙台育英の打線爆発を参考にしてほしい。ところで、昨夜NHKの番組を観ていたら、元近鉄の金村氏が甲子園の名試合にコメントしていた。大逆転の名勝負を振り返りながら、金村氏は、劣勢でも絶対に勝つという気持ち、一度のチャンスで練習のすべてを出す意志があるのが高校野球だ、というようなことを語っていた。適当に飄々として、適当に熱っぽく、理屈すぎず情緒すぎず、いい存在感だった。今日は辛島だ。仕事の都合がつけば、今季初の観戦にのぞむか。
2015.08.12
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JRの観光ポスター見ていて改めて気づいた。下北半島むつ市の中心駅は、大湊線の下北駅。なぜ、むつ駅とか田名部駅としなかったのだろうか。これには、大湊線の後に開通した大畑線が関係している。国鉄大湊線(野辺地-大湊)は、大正10年3月に野辺地と陸奥横浜間で開業、同年9月に全通した際に、終点の大湊駅の前に田名部駅を設けた。この田名部駅からは田名部町の中心部である柳町まで馬車軌道「田名部軌道」が設けられ、大湊線開通による需要減で廃止される昭和16年まで走っていた。昭和14年に、大湊線から分岐する大畑線が開通。このとき、分岐点に新たに設置されたのが下北駅である。大畑線は、下北駅から順に「本田名部」、樺山、陸奥関根、川代、正津川、大畑の駅を設けた。このうち「本田名部駅」は、下北駅から約3kmで、田名部のまさに中心街。先行した大湊線駅に対して「本」を冠したゆえんだろう。戦後、昭和23年には、大湊線の田名部駅が赤川駅と改称されるに合わせて、大畑線「本田名部駅」を田名部駅と改称している。なお、昭和41年には下北駅と田名部駅の間に海老川駅を設けている。同じ田名部駅の名が、初代(現大湊線赤川駅)と2代目(旧大畑線本田名部駅)と別々の地点に対して2度使われた訳だ。鉄道建設の順番が呼称名を移動させたということなのだが、私見ながら(市史などを未確認なので)、大湊と田名部の関係が背景にあるような気がする。大湊田名部市(後にむつ市)の誕生が昭和34年だが、それまで、かつて軍港を擁した大湊町と、下北郡の中心で町制施行でも先んじている田名部町が拮抗していただろう。田名部側としては、鉄道建設が大湊を終点に行われ、田名部町の中心地ははずされて町域の陸奥湾側を(中野沢、奥内地区も既に合併して田名部町の一部)通るだけ。赤川地区に設けられた駅からは、馬車軌道を設けて町中心部の交通利便を何とか確保したが、大畑線開通で念願の鉄道駅が堂々と柳町にできると、海辺の寒村区域を田名部の中心と思われては困る、田名部の名は中心地にこそふさわしい、などという地域の論調が高まったのではないだろうか。駅の呼称の移動という点では、八戸駅(旧尻内駅)と本八戸駅(旧八戸駅)の関係にも、通じるような気がする。関係は似ているが、ある意味で逆だ。八戸の場合は中心部から離れた東北本線駅(八戸線分岐点)の尻内駅(明治24年開設当時は、上長苗代村。昭和30年に八戸市に編入。)に敢えて「八戸」の名を与え(1971年。八戸線八戸駅は本八戸駅と改称)、八戸の玄関駅として広く知らしめたこと。やがて東北新幹線駅としても全国に知られる。大畑線は1985年に下北交通に移管され、2001年に廃止。田名部駅の駅舎は、むつ市の連絡所として使用された後、労働福祉会館として利用されているという。私の地図帳(10年ほど前のもの)では、この地点にバス停の名称として「田名部駅」がある。ところで、下北駅の名称だが、現在、下北町や下北橋などの名が周囲にあるものの、おそらく開設当時に周囲にあった局所的地名ではなく、何らかの理由であえて広域呼称を駅名としたのではないだろうか。下北半島の交通の結節点ということは勿論いえるが、両町の拮抗関係も背景にあったかも知れない。なぜ「むつ駅」でないのか、という素朴な疑問もある。たとえば福島県の「いわき駅」があるのに。むつ市の誕生は昭和35年(前年に大湊田名部市として合併していた)なので、昭和10年代の大畑線開通時期には、駅名候補にはなり得なかった。(いわき駅が平駅から改称した(1994年)のは、いわき市誕生(1966年)のずっと後である。)しかし、今となって考えてみると、下北半島のすばらしい自然と豊かな風物に触れる観光の中心地、むつ市の中心駅として、この名があるのは良いことではないか。私が仙台で駅のポスター見て「下北」の名を再認識するように、全国で下北駅を覚えてほしい。「田名部駅」でも「むつ駅」でもなく、下北が一体となって交流人口増加と鉄道利用促進に力を注ぐための名称として、ふさわしいのではないだろうか。(大湊と田名部の拮抗関係が背景にあるとした点は、私見です。市史などを丹念に調べるべきだが、安易にネット情報などを元に記した次第です。)■関連する過去の記事 下北交通大畑線の廃線跡に立つ(2013年7月1日) そのほか下北半島について、旅行記を含め多数の記事を書きました。記事リスト青森をご覧ください。
2015.08.09
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仙台では猛暑日が4日連続。統計開始以来初めてのことだと。七夕祭り真っ盛りの仙台は、今日もとても暑かった。蒸し暑い。だいたい、七夕というと雨が降ったり曇ったりパッとしない天気が相場だが、パッとし過ぎてこれだけ酷暑の七夕はあっただろうか。ところで、お隣では、福島市と伊達市でなんと猛暑日が8日連続だという。ちなみに東京都心も8日連続で、最長記録更新。明日はいくぶん暑さは和らぐそうだ。国内の「連続猛暑日数」の記録は、大分県の日田市で、22日間だという(92年と94年)。これは凄い。年間の猛暑日数も45で(94年)、国内最高記録。盆地のため、年間で寒暖の気温差が大きいところ。わが東北でも、山形市と福島市は盆地で夏の気温が上がりやすい。ただ、比較すると猛暑日や真夏日の年間日数は、福島市の方が多いようだ。■関連する過去の記事 猛暑の東北(7月28日)それにしても今年の夏はたいへん。今週のニュースは連日コレだったが、釜石が全国でもトップクラスの気温として報道されたり、とにかく東北も、暑かった。この週末は多少ホッとできるだろうか。実は仕事がたまっている。土日の日中は図書館に浸り、深夜や早朝にでも筆を進めたいところだ。
2015.08.07
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東京大空襲の日に、宮城県の不忘山に3機のB29が墜落して米兵34人が命を落とした。一昨日(2日)に山麓の七ケ宿町で地元の方々が作った公園の中で、記念碑の除幕式があった。米国大使館の関係者や村井県知事も参列。各メディアで大きく報道された。式典自体もそうだが、NHKなどでは70年前の事故や当時の県内の情勢、また、活動を続ける方々の思いも紹介していた。拙ブログでもかつて、東洋一の船岡の火薬工場を書いたとき、B29墜落について触れた。今回の報道で思い出した。■ 船岡と海軍火薬廠の歴史(その1)(2011年10月13日)地元の有志グループは、戦後慰霊のための登山を続けるなどして、戦争の記憶と平和の尊さを次代に継承していこうと活動されてきたということだ。戦後70年。原爆投下の日付を知らない人が多いと報道されたが、もとより日米の戦争を知らない人たちも多くなったとか。歴史は今につながる本当の事実だ。過去の経済社会、政治外交、また郷土の先達の営みが積み重なって今を形成している。歴史を謙虚にまなぶ意義はつねに大きい。■関連する過去の記事 宮城県内の戦災はどうだったのか(06年8月2日) ほか記事リスト(戦間期・終戦後)をご参照ください
2015.08.04
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今日が仙台市議選の投票日。ところで今朝の河北新報をみると、昨日午後に青葉区の候補の選挙カーが北山の仙山線高架橋に衝突、運休を含むダイヤの混乱を来したという。候補者の名前は報道されていない。今回の市議選では、早々に県警のミスで太白区の候補者の選挙カーが適格だったにもかかわらず許可されないというハプニングもあった。告示後の2日間使えなかったというもので、この件は候補者の名前もしっかり報道されている。今回は名前を出さないのは、選挙当日であり有権者の判断に影響を与えないというメディア側の配慮か。あるいは、警察が要望したのか。警察としては、認めた選挙カーがなぜ高架橋で引っかかるのかという点を突っつかれると困る、とでも考えたか。当然、どの候補者のものかを報道すべきだと思う。選挙行動への影響はあるかも知れないが、それは当日だけに限った話ではない。事実をありのままに即時に伝えるという報道の原点を通すべきというだけの話だ。ある人間、しかも公職の候補者やその関係者が、過失であったとしてもモノを壊して、その上交通混乱で市民に大きな迷惑を掛けている。誰が迷惑を引き起こしたのか、当然伝えるべきだ。問題の高架橋の許容高をよく確認しなかったとか、ドライバーも地域事情を熟知していないとか、警察に認可されたのだから公道はすべてOKと思っていた、とか、いろいろと言い訳はあるのだろうが、当該地区を知る一般の方々はみんな気をつけて走っているのだろう。地区の代表ともなろう人が、迷惑懸けましたと陳謝するのが当然。そもそも公職に関しては名誉やプライバシーへの配慮は後退するのが、民主主義と報道の基本だ。報道は投票日の後に調整もできようが、何千人の足に与えた交通の影響は先送りできないのだ。さて、この候補者は事故のあとどうしたのだろうか。選挙カーと事故処理は警察にまかせて、さっさと通常車で次の場所に移動したのだろうか。選挙カーが使えなくなったとすれば、走行しながら市民にマイクで伝えることができなくなったが、それでもどこかでご迷惑をお詫びしているだろうか。選挙活動と交通事故はいがいとよくある話で、県内でも国政選挙で選挙カーが歩行者に接触したりした。当然、候補者名も報道され、候補者陣営はお詫びしたはずだ。このような場合、河北新報は候補者名を表示しないのなら、その理由を明記すべきだ。それが報道のあるべき姿勢だろう。
2015.08.02
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