全12件 (12件中 1-12件目)
1
最近、国勢調査の速報値が発表されている。まずは人口と世帯数だけのようだ。青森県(25日発表)1,309千人 前回比 65千人減(4.7%減)秋田県(28日発表)1,023千人 前回比 63千人減(5.8%減)山形県(21日発表)1,123千人 前回比 46千人減(3.9%減)福島県(25日発表)1,914千人 前回比115千人減(5.7%減)市町村別に眺めると、5年前との比較で増加した市町村がきわめて少ないことがまず目を引く。増加した市町村は数えるほどで、下記のとおりだ。青森県六戸町 10,423人 前回比182人増(1.8%増)同 おいらせ町 24,220 9増(0.0%増)山形県天童市 62,236 22(0.0%)同 東根市 47,865 1,451(3.1)福島県福島市 294,378 1,788(0.6)同 いわき市 349,344 7,095(2.1)同 相馬市 38,575 758(2.0)同 大玉村 8,684 110(1.3)同 西郷村 20,328 561(2..8)同 三春町 18,305 114(0.6)青森県は、青森市(-4.0%)、弘前市(-3.2)、八戸市(-2.6)の三大都市が減。津軽、下北の両半島部では、風間浦町(-19.7%)、大間町(-17.7)今別町(-14.6)など、1割以上の減少となった町村が多く、厳しさを示している。秋田県では、県都秋田市が315,374人で、8,226人の減(-2.5%)。ただし、これでも全市町村中最も増減率が良い(つまり、全市町村でマイナス)。男鹿市、小坂町、藤里町、八峰町など県北部で1割以上の減があるなど、地方部で減少が一層激しい。山形県では、4地域別でみた場合に、村山が2.3%の減にとどまったが他の3地域で5%以上の減少。特に、最上は山間部の町村で1割以上の減、新庄市も5.0%減少となり地域全体で7.6%の減少。地域人口は8万人を割った。福島県は、原発事故の影響で人口ゼロまたは殆ど皆減となった町村がある一方で、いわき市や相馬市などの増加は避難している方々の影響だろう。原発要因を除くと、会津地方で減少が大きいようだ。ところで、山形市の人口ビジョンが話題になっている。12月20日朝日新聞(宮城県内版)では、「山形市の人口増 仙台頼り?/ベッドタウン役割見込む」との見出しだ。山形市は現在25万人の人口を2050年に30万4千人とする「人口の将来展望」をまとめた。佐藤孝弘市長が9月の市長選で公約した「人口30万都市」に沿うものだが、現実味に乏しいとの指摘があるとしている。次のような内容だ(当ジャーナルで要約)。------------将来展望の内容は、現在の出生率や転出入の傾向のままでは30年に22万7千人、50年に18万7千人にまで人口が減るが、子育て支援、雇用環境改善、さらには二口峠トンネル建設や仙山線高速化で仙台への通勤通学者を取り込み、30年以降は20代30代の転入増となり50年に30万4千人と計算した。しかし、県が10月に発表した人口ビジョンでは現在の112万人が2060年に79万人になる。これは、現状の推計61万人を出生率向上などで上向かせた数字だが、それでも全県で3割減る。その中で山形市が2割増を示すことに、市議からは批判が出ている。------------なお、12月19日の同紙(山形県内版)には同一記者署名で、「山形市、人口増へ目標値/現実味乏しい?」との見出しで同趣旨の記事があった。9日の市議会全員協議会で示されたのだという。さて、仙山連携を唱えている河北新報は、今日(28日)、「ワイド東北」面で「大風呂敷?30万都市構想」という見出しで記事にしている。次のとおり(当ジャーナル要約)。------------・9日に市議会全員協議会に示した佐藤市長の目標(2050年メドに30万4千人)と施策骨子では、雇用創出や移住促進とともに、仙山線高速化、県道二口トンネルの整備を前提にしている。協議会では、市議会で多数を占める野党市議が、次々と疑問をぶつけた。市長は、山形市の発展は仙山圏の交通インフラにかかっている、両市が一緒に東北の人口集約地として機能を発揮していく、国、県、JRを説得できるよう努力すると強調し、引かない構えだ。21日の記者会見でも強調。・国勢調査速報値では山形市は前回から1,791人減少の252,453人。・佐藤市長は自民党の推薦を受けて、1966年以来の革新・非自民市政を転換した。選挙公約の柱が30万人都市実現だった。------------山形市の政策の大胆さそれ自体は、特筆されよう。仙山の県際連携という都市圏や地域経済の観念も、けっして的はずれではないと思うが、目標の掲げ方の姿勢と政策の地道さ、つまり実現可能性あるいは現実的な手段や手法を示せるかどうか。
2015.12.28
コメント(0)
真田信治氏によると(『都道府県別 気持ちが伝わる名方言141』講談社、2005年)、ヨーロッパの諸言語は系統上は方言である。すなわち、フランス語とイタリア語は類縁関係が証明されているが、それぞれに正書法をもつ標準語が損するから、別言語とされる。これに比べれば、琉球語と本土語の違いは、英語とドイツ語の違い以上だし、ポルトガル語とスペイン語の違いは、名古屋弁と東京弁くらいしかない。ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、アイスランドは、それぞれ青森、岩手、秋田、北海道あたりか。日本語の言語変種は「方言」とされるが、それぞれの地域が自立して標準語と正書法を持てば、東北語、九州語のように独立した「言語」といえる、というように説明されている。同書で各県別の方言の風景として、東北は次のように紹介されている(要点のみ記します)。青森県・津軽弁と南部弁の違い(津軽ことばの指標は、マエネ・ハンデ。また言葉が短い)・オバンデガス(岩手はオバンデアンス、山形オバンダナッス、新潟オバンデヤス、秋田バンゲナッタナ)・なお、関西のコンバンワに対して、待遇の段階に応じてさまざまに造形できる生産性がある。例えば、仙台では、オバンデゴザリス・オバンデガス・オバン、と。秋田県・恐縮した表現行動が礼儀・過去の時制の表現として、東北では、シテアッタ・シタッタが一般だが、青森ではシテアッタが継続相過去(標準語のシテイタ)、岩手県以南ではシタッタが完成相過去(標準語のシタ)を表す。この中間の秋田では、県北と県南で用法が分かれる。岩手県・柔らかい音形は人情の温かさ・押念の文末詞ナハンは、本来盛岡あたりの女性用語だったようだ。・盛岡方言の間投助詞「ハー」が、感情を込めると、末尾の母音が鼻音化して「ナ、ハー」が「ナハン」になったと考えられる宮城県・ダッチャ、ベッチャが有名・終助詞「ッチャ」「ッチャー」は相手に発話を期待させ待機させる機能があるという。・「帰らなきゃない」などと言う山形県・内陸と庄内ではまるで違う。庄内は語尾に「ノー」がついて西日本風・温海町周辺では、標準語のクがしばしばフになる。フシ(櫛)、フレー(暗い)、フー(食う)。この現象は珠洲市周辺にも存在。日本海交通と言語伝播であろう。・丁寧語の「ス」は末尾につく。「良かったなッスー」。東京弁の「良かったッスね」と違うもの。福島県・開放的(浜通り)、柔軟性と進取性(中通り)、情に厚く律儀(会津)の気質が方言差に対応・同意要求を担う文末表現は、「ユッタベシタ(言ったじゃないですか)」(福島市、会津若松市)、「ユッタバイ」(郡山市)、「ユッタッパイ」(白河市)、「ユッタッペヨ」(いわき市)。・檜枝岐は他地域とは隔絶する異質な方言。アクセントが東京系。「イ」と「エ」の区別を持ち、ガ行鼻濁音がなく、カ行タ行の語中における有声化なども存在しない。総じて西関東的。江戸幕府が直轄地として支配した影響と考えられる。
2015.12.24
コメント(0)
(以前の記事) 高専の立地と誘致の歴史(その3 宮城の場合)(2015年12月15日) 高専の立地と誘致の歴史(その2 創設概史)(2015年12月13日) 高専の立地と誘致の歴史(その1 立地状況)(2015年12月9日)筑波大の大谷奨先生の論文「国立高等専門学校設立過程に関する覚え書き」がインターネットで読めて、大変参考になった。国会における論議を中心に経緯が整理され、当時の法制化に際して社会党の態度、あるいは、いわば慣習ともいうべき地元に用地提供させることに関する地方財政法をめぐる論議など、極めて興味深い。ここでは、論文から知られる全国各地の誘致運動と地元負担問題に関して、書き留めたい。1 改正法成立当時の誘致事情1961年3月に学校教育法改正案が閣議決定され、国会では社会党が、教育機会均等の見地から複線化に反対、また、独占資本の要求に基づくものだなどとの論陣を展開した。他方で、翌62年4月から設置するものとされたにも拘わらず具体的な設置場所は未定のままで、この点も社会党は批判している。国立工業短大を転換させるもののほか、どのように全国に配置しようとしているか政府側の説明は、具体的な年次計画は言えないなどの不明確な内容であったが、法案成立の目処がつき始めると、第一段階ではブロックに1校程度、などと説明している。衆院を通過すると参院ではいよいよ具体の設置計画が論点になる。先に述べたブロック配置を第一期計画として、二期、三期と全国の府県に少なくとも1校は配置し、その半分以上を国立で設置、と政府委員の説明がなされているが、具体的な設置場所は明らかにされないままだった。6月7日に参院可決、改正法が成立すると、さっそく文部省が具体案の検討に着手と報じられたが、62年度開校はとりあえず全国で5校程度とされたという。しかし既に、函館、八戸、秋田、前橋、金沢、高松、新居浜、阿南、佐世保、長野、佐賀の11市が誘致運動を盛んに展開と伝えられていた。さらに、秋の臨時国会では、広島、熊本、岩手、大分、埼玉、滋賀の各県、都城市、鹿屋市から陳情書請願書が提出。結果として、当初の計画を上回る12校(おだずま注:国立高専の設置数)が翌年開校した。2 地元負担問題各地の誘致に際しては、「土地建物は用意済み」「土地はタダで提供」が行われ(新聞報道もその点じたいを特に問題視しない)、文部省も土地は地元が負担を前提にした概算要求(校地取得費は計上しない)を行っていた。61年秋の臨時国会で社会党の質問に対し、自治省局長(奥野誠亮)は、地方財政法、地方財政再建推進特別措置法の観点から、形式はもちろん実質的にも自治体の負担とならない措置をとるよう文部省大蔵省に求めた、として自治省としては地元負担を容認できないことを答弁。荒木文相は、国立学校設置の際に地元が用地を提供するのは明治以来の慣行で地元一般もそう思っている、しかし、法的な問題は慎重に検討するなどと説明。結局、翌年の通常国会には、土地取得費を計上しない予算案と国立学校設置法改正案が提出されたため、野党は激しく反発することとなる。まず、設置場所について、全国の陳情ある50箇所弱のうちで、なぜこの12校なのか。政府資料では、(1)工業立地条件、(2)全国の配置バランス、(3)教員確保見込み、(4)地元協力態勢、を選定方針としたが、(4)のうち敷地確保の確実性を考慮とされた点が追及され、文部政務次官(長谷川峻)は、土地を国が出すのは大変なこと、地元負担により大蔵省も認めた、などと説明。高専制度決定後は野党も誘致に奔走していたこともあり、野党も法案阻止までの態度はとらず、衆院では、地方公共団体及び住民に過重な負担を課すことのないよう措置すべきとの自民提出の附帯意見が全会一致で決議された。このことは、それまで自明とされた地元負担を顕在化させ、根本的に問い直す機会となった。3月の参院の審議では、荒木文相、水田蔵相は、自治体の寄附ではなく、工専設置協力会や規制同盟会などの「民間の浄財」(自治体の寄附もこの組織に対して行われる)であるとの点を強調している。これとは別に、政府は自治省の提案にもとづき、合法的な方策として、自治体の土地と国有地を交換する方法を検討。「文部省としては、交換を主な方法として、どうしてもできないところは地元負担とした」ことが、北海道議会で説明されている。国会では、第2期、第3期の設置に際して地元負担問題が繰り返されたが、実際に、例えば八戸や鶴岡では土地の交換が行われている。地元負担問題は10年もたたず国立医学部増設に際して、再燃した。
2015.12.23
コメント(0)
■前回の記事 高専の立地と誘致の歴史(その2 創設概史)(2015年12月13日) 高専の立地と誘致の歴史(その1 立地状況)(2015年12月9日)いよいよ、各県ごとの誘致事情を調べてみたい。今回は、宮城県。「宮城県史」では、編纂時期の関係だろうか高等専門学校の記載はないようなので、まずは宮城県議会の議事録で(高等専門学校、高専、工専などのワードで)検索した。(なお、下に引用する議会での発言内容は、おだずまジャーナルで要約及び補記(カッコ)しています。)昭和36年7月に、下記のように工業高専の県内誘致を求める質問がなされている(門間議員)。学校教育法改正で高専が実現するが、文部省ではさしあたり昭和37年に1200人、6校程度を計画しており、他県では既に誘致運動を起こしているところもある。中堅技術者の養成として期待が大きいことから、早期に本県に誘致すべし。方法として、さきに設立を決定した3つの工業高校の一校を指定してもらう、或いは農業短大を思い切って切り替える方法もあろう。(三浦知事の答弁は、今後考えていく旨。)すなわち、(1)他県では早速誘致運動が起きていること、(2)宮城県では県が新設を計画する3工業高校の1校を指定する方法などの議論があったことがうかがえる。そして、同年10月には、宮城県に国立高等専門学校を昭和37年に設置されるよう格別の御配慮方を国に求める意見書が可決されている。その「理由」の中では、国が法制措置を終えて明年度設置するに際して、東北の中心であり仙台湾臨海工業地帯の整備に伴い第二次産業の急速な振興をみること、仙台市周辺はかつて国立仙台工業専門学校が置かれ東北の中で理想の地であること、教員充足でも東北大学の協力を得られること、名取市に最適の敷地2万5千坪を確保していること、などが記されている。ここでは、(1)他県との比較を念頭に宮城県の立地の優位を説いていること、(2)県が用地を確保したこと、がわかる。昭和37年2月議会では、次のようなやりとりがある。県立高校の計画についての論議なのだが、国立高専についての県の方針や経緯がわかる。(高橋議員)県の高校急増対策として工業3校、商業2校、うち1校は普通校に切りかえて4200人の生徒を収容する計画だが、白石工業高は37年開校、石巻工業高と普通高は今回予算化されて提案。名取工業高は、昨年夏に国立工業高等専門学校に乗りかえることとして、知事はじめ関係議員も盛んに誘致運動を行なった。長谷川文部次官を有する宮城県だから絶対確実と思ったが、遺憾ながら失敗。明年度は国立工専校誘致は成功すると思うが、国立工専は県工と違い志願者は東北大学同様全国、特に東北近県から集まると思われる。(先行して)本年4月発足の国立工専12校では、募集人員が1480人に対し志願者が25791人で平均17.4倍の競争率。福島県の平工専でも120に対し1979の16.5倍。従って、名取市に建つとしても、県が長期計画で意図した県立工業とは性格がすっかり変わるので、じっくり考えて見る必要がある。 生徒数では、県立は白石で200だが、国立は120名と80少なく、しかも他県から集まる。さらに、名取市に県立工業を建てれば仙台学区中心だったのだが、国立工専になると少なくとも県内なら全県から集まり、近県からも来る。また、38年から45年のピーク時代には臨時対策として(県立高校の)7千名の生徒を収容するため特別教室を利用する、つぶす、すし詰め学級などを、恒久対策以外に考えねばならない。 こう考えると、国立工業高専が名取市にできても、最初の既定通り5つの新設高校は必要だと考える...(以下略)(三浦知事)国立工専の名取市誘致に大いに努力したが、文部省のいろいろ条件があり遂に37年度においては実現できなかったことは非常に残念。38年度に誘致できるよう最善の努力を尽して参る。そこで、国立工専の収容力や全国的に受験者が集まることから、かつて私どもが立てた高校急増対策が齟齬を来たすのではないかとの御質問だった。実は現在37年度は(募集)数も非常に少なく倍率もひどい(高い)が明年以降は相当数(募集数が)増えて来ることも一つは考えられ、また、県の高校の急増対策も進んで参るので、それと関連をさせると、現在の高校急増対策を、国立工専にかわったことによって非常な響き(影響)は考えらないので、現在のところ高校急増対策を変える考えはもっていない。37年9月の県議会では、高校の生徒急増対策に関して、再び高橋議員から、次のように。(高橋)新設5高校の計画だが、白石工業は37年度から、石巻工業と仙台の普通高は来春開校になっている。名取工業高校は国立名取工専の誘致運動に切りかえられたが、大丈夫だという情報は聞いているものの既に十月、その後この問題はどうなっているのか。また、名取が国立になると最初の計画5つのうち4つができ、残りの商業高校の問題があるが...(後略)同年12月の議会。日野議員の質疑。(日野)長期経済計画の教育計画中で県下に3つの工業高校を設置するが、白石、石巻はメドがついているが、名取地区における工業高校の設置が問題。国立工専校誘致と関連して見合わせている状況だが、国立工専校誘致の状況からしてどう措置する考えか。(重村副知事答弁)名取工業高校は工専誘致をすることで、工業高校の1校はそれに替えることとしているところ。本年は非常に有望と思っているので、誘致の条件等について文部省とも打合せしている状況で、希望どおりできるものと思う。昭和38年2月の県議会では、国立高等専門学校設置期成同盟会補助金(3千万円)について質疑(猪股議員)があり、開校準備経費として総額1億円程度が必要で、県と市で負担していくこと、地方財政法の規定のために期成同盟会を通していること、などが答弁されている。翌39年2月議会では、再び猪股議員から、国立工専設備協力費6170万円について質問がなされ、答弁として、2年間分併せて県の負担すべき約1億円程度となると説明されている。なお、昭和40年には国立電波高校の高専昇格の意見書が議決されている。以上からわかることとしては、次のような点だ。○ 高等専門学校の法制化を受けて宮城県でも誘致に動いた。しかし第1期校(昭和37スタート)には乗り遅れた。○ 名取市に用地を用意し、整備資金も負担した。○ 県立高校の生徒急増対策として新設を予定した3つの工業高校のうち、名取市に設置の計画を、高専誘致に切り替えた。おそらく現在の仙台高専名取キャンパスの用地は、当初は県立の名取工業高校として計画された場所だったのだろう。しかし、なぜ、白石や石巻にならなかったのか、両市での誘致運動は無かったのか、は不明だ。また、県立高校計画を切り替えるという「消極策」に出たようにも思われるのだが、生徒急増に対応する県立高校新設とは別枠で堂々と国立高専を誘致しなかった事情は何か(用地の提供などで差し迫っていたことなどが考えられるだろうか)、など気になる点は多い。平(福島県)に先を越された結果となったが、地元の熱意や結束の事情が異なっている可能性もある。別の史料でさらに調べてみたい。
2015.12.15
コメント(0)
(高専の立地と誘致の歴史(その1 立地状況)(2015年12月9日)から続く)高等専門学校の制度は、高度成長期に工業系の専門技術者を育成するため、学校教育法を改正(昭和36年)して導入されたものだ。昭和30年代後半に一斉に設立され、以来日本の産業発展に大きな貢献をしている。『高等専門学校50年のあゆみ』(独立行政法人国立高等専門学校機構・全国公立高等専門学校協会・全国私立高等専門学校協会、2012年)から創成期の概要を、立地調整の観点を中心に、まとめてみる。1 学校制度としての論議戦後の6-3-3-4制のなかで、職業教育充実の観点から、当時暫定的制度とされていた短期大学と併せて、6-3-5(6)の新線となる専科大学制度の法案が提出されたが、成立はならなかった。短期大学側との調整がつかないため、経済界の強い要望を背景に、工業分野に絞った高等専門学校の制度が立法された。2 校地の選定国立高専の校地については、当初の12校決定のあと、新設校の誘致をはかる地方公共団体向けに文部省が誘致ガイドラインといえるものを定めた。校地3万坪と教職員宿舎用地3千坪、500坪程度の仮校舎、学生仮寄宿舎などが記され、これらが昭和38年度創設校以降に踏襲されていった(後日、地方財政法との関連で、国による購入又は国有地との交換とされる)。中学校卒業人口が増加し、高校増設の財政課題を抱える地方公共団体からは、高専の法案上程後、さっそく誘致のため用地を用意して文部省に働きかけるところもあったという。3 開校の状況昭和37年4月の開校は全国19校(国立12都立2私立5)。北海道・東北では、函館、旭川、平、長岡で、いずれも国立。うち長岡は前年発足の国立長岡工業短大を改組。翌38年には、新設が16校(国立12大阪府立1神戸市立1私立2。なお国立新設のうち高知は前年私立で設立を移行)。北海道・東北では、八戸、宮城、鶴岡。続いて39年には、国立12校が開設。北海道・東北では、苫小牧、一関、秋田。40年には8校(国立7私立1)。以上の4か年で54校が設立された。その後、昭和42年には、法律で工業に限定されていた専門分野に商船が加えられ、富山など国立5校が開校(工業では木更津に国立1校)。さらに昭和46年には、既存の3電波高校(仙台、詫間、熊本)を、国立電波工業高専として開校した。4 配置状況と誘致活動4年間で54校、10年で63校と、短期の間に数多くが設立されたことは教育史上の大改革といえるが、この間の誘致活動の影響もあり、国立高専の立地は、国立大の工業系学部が置かれた都市と重ならず、県内で工業生産の比較的盛んな地域に新設となった事例が多く、その8割は県庁所在都市以外である。結果的に、当時まだ低かった高等教育進学人口を増やし、県内あまねく高等教育機会を提供するためにも有効に機能し、また、寮を含めた施設整備が、比較的経済的に恵まれない家庭環境にある学生の進学機会の拡大にも役割を果たしてきたと考えられる。地域の教育と産業教育の向上のため、当初から地域と結びつく実践を続けて高専の一つの大きな特色である。(おだずまジャーナル注。ここは原文の表現をなるべく尊重しました。高専の果たす役割と当時の地域や教育の事情を、私たちはよく理解しなければなりません。)電波工業高専3校開校のあと、八代と徳山に誘致活動がおこり昭和49年に国立2校が開校。なお、平成21年には4県で、工業高専と、電波ないし商船を1校に統合(高度化再編)し、新たに、仙台高専、富山高専、香川高専、熊本高専が発足。(おだずま注。仙台は「宮城」高専とは称さなかったのですね。)5 地域の要望と学科増設初年度開設校が完成学年を迎える昭和41年からは、学科の増設に政策が移行した。(おだずま注。当初は2ないし3学科で3学級が通常だったようだ。1学年定員120人で全学年が完成すると600人規模になる。)第1期の国立12校に、昭和41年それぞれ1学科を増設。その後、第2期(昭和38年度)以降開設の地元県から、地域産業との関係を考慮して学科を選定して各高専に増設するよう申入れがなされる状況であった。文部省は2期校12校のうち、2学科3学級の6校のみ昭和42年に学科増設、残6校には翌43年に増設した。その後は順調に、44年度(3期校11校)、45年度(4期校7校)に学科増設。これで国立高専の学科増設は一巡して、ほぼ全校が1学年定員160人となった。電波高専は昭和51から55年に学科改組や増設を行い、全校で3学科構成となる。大学設置審議会における学科の拡充整備や改組の方向性の論議を受けて、国立高専では昭和50年代後半から、2巡目の学科増設が行われた。電子制御工学科10校、情報工学科9校、電子情報工学科7校など。6 その他高専卒業生の大学編入学問題と技術科学大学の新設、高校から高専への編入、高専の専攻科設置、独立法人化、名称問題(専科大学)など、興味深い事項がいくつもあるが、割愛します。以上、設立や拡充期の概略をみてみた。次回は、いよいよ、東北の各国立高専について、自治体や地元産業界、立地地域の誘致活動などについて、個別に調べてみたい。
2015.12.13
コメント(0)
年末になると全国高専ロボットコンテストが楽しみになる。私は若い頃から見ているが、豊かな発想が面白いと思っていた。昨年末は受験生の子もなぜか一緒に見て、結構興味を持ったようだった。ところで、高専は基本的に国立で各県に1校くらいある感覚だが、校名からわかるように所在地は県庁所在都市ではない場合が多いようだ。東北だと、八戸、一関、鶴岡とか。昨年のロボコンでも健闘した福島高専も、所在地はいわき市だ。TVに出ていた学校名からしても、小山、呉、鈴鹿、舞鶴など、県庁所在都市ではないが各県でも第二の集積都市や有数の産業集積地に立地しているように感じる。ここで、所在地が県庁所在都市にあるものだけを抜き出してみる。その方が圧倒的に少数なのだ。○ 秋田県- 秋田工業高専○ 宮城県- 仙台高専(仙台キャンパス。旧仙台電波工業高専。他に名取キャンパス=旧宮城工業高専)○ 群馬県- 群馬工業高専(前橋市だが高崎市との境)○ 東京都- 都立産業技術高専(荒川区、品川区)○ 富山県- 富山高専(富山キャンパス。旧富山工業高専。他に射水キャンパス=旧射水商船高専)○ 長野県- 長野工業高専(長野市)○ 兵庫県- 神戸市立工業高専(なお国立明石工業高専があり。)○ 島根県- 松江工業高専○ 大分県- 大分工業高専○ 香川県- 香川高専(高松キャンパス。旧高松工業高専。他に三豊キャンパス=旧詫間電波工業高専)宮城県の場合は名称が仙台高専で名取(旧宮城高専)と仙台市青葉区(旧仙台電波高専)。県庁所在都市ではないとは言えるが、かといって石巻や古川に開設するのではなく、実質的には仙台に設置した形だろう。岩手、青森、山形、福島の各県の場合は、国立大学のある県庁所在都市(青森県は弘前市)を避けて立地しているのは、国の教育上あるいは産業人材政策上の意図的政策なのか、あるいは各都市の強い誘致活動の成果なのか。また、宮城や秋田は、なぜ県庁所在都市で既存国立大所在地域に置いたのか。分散の議論や誘致の熱気はなかったのだろうか。このような疑問が、当ジャーナルの新たな研究テーマとして沸き上がった。次回以降に、連載します。(北海道と東北の校名と所在地)県名校名備考北海道函館工業苫小牧工業釧路工業旭川工業青森八戸工業岩手一関工業宮城仙台仙台市(旧仙台電波工業)名取市(旧宮城工業)秋田秋田工業山形鶴岡工業福島福島工業いわき市新潟長岡工業全国的には校名に県名を冠しながら、所在都市は県庁所在市以外というのも少なくない。(例)茨城工業(ひたちなか市)東京工業(八王子市)岐阜工業(本巣市)福井工業(鯖江市)大阪府立大学工業(寝屋川市)奈良工業(大和郡山市)和歌山工業(御坊市)高知工業(南国市)鹿児島工業(霧島市)沖縄工業(名護市)
2015.12.09
コメント(0)

本日開業の地下鉄東西線。午前10時頃、乗ってみました。JR仙台駅地下のエスパル側(地下改札口のある方)から地下通路に出ると、突然新たに地下鉄駅へ降りるエスカレータが登場しています。これを降りていくと、地下1階(?)部分になるような感じになるが、従来の愛宕上杉通の地下自由通路(南北線上部)と同じ平面になるようだ。交通局の案内では、1階(改札階)とされるようです。つまり、従来の南北方向の自由通路にちょうどクロスする形で、東西方向の自由通路(改札階)ができたと理解すればいいのでしょう。LOFTのビルとバスプールの間、つまり「南町通・駅前通」の下の東西方向の空間になるようです。記念切符でしょうか、ずいぶん人が並んでいる。空いていると駅員が案内している西改札口まで、この新しい地下通路を歩いていくと、途中で見慣れた従来の地下通路とクロスしますが、一見しては位置関係がつかめない。とにかく、西改札口脇の自動切符売り場で、イクスカを購入。おそらく、南町通のマツモトキヨシとTSUTAYAの間あたりの地点の下にいるのでしょう。さっそく、改札を通って、地下4階の東西線ホームへ。すごい混雑。日曜なので家族連れや若者が多いかと思いきや、大半はシルバー世代。これも時代でしょうか。■関連する過去の記事 地下鉄南北線開業と私(2015年12月4日)八木山動物公園行きに乗ります。広瀬川でいったん外の光を浴びて、川内駅からは山登り。青葉山駅では東北大関係者でしょうか外国人の若い人たちがカメラ片手に乗り込んだり。八木山動物公園駅の手前では、渓谷をわたる橋で再び日の光を浴びます。終点の八木山動物公園駅。併設の駐車場はずいぶんと大規模。この画像ではあまり人がいないようにも見えますが、駅構内はかなりの混雑でした。ちなみに、駅の向かいには「八木山スカイパンション」(次の画像です)。むかし学生時代の友人がここに住んでいて、太平洋が見えると言っていた。真ん前に駅、それも地下鉄駅ができたと知れば、絶対驚くだろうな。八木山の風にしばらく吹かれてから、仙台駅まで戻り、南北線に乗り換えて帰った。ところで、やっぱり Namboku Line でした。ナンポ(po)クではないのですね。(写真は地下鉄仙台駅内)仙台駅の混雑の中で、おそらく40前後だろうか家族連れの人が、「ナンボク線」と言っていた。以前も記したが、私は宮城県人にはナンポ(po)クという人が一定程度いると思うのだが。(家に帰って試してみました。今日開業したのはトウザイ線、では今までの路線は? 平成生まれ15歳娘「ナンボク線」、なるほど。70年代地元生まれ妻「ナンボク線」、あれ意外。)■関連する過去の記事 福島も「けんぽ(po)く」です(2015年6月7日) 仙北・県北・南北の読み方 再論(2015年5月16日) 宮城県民は「県北」をやはりケンポクと読む(2013年2月6日) 南北線は Namboku Line(2012年11月22日) 宮城はやはり「せんぽく」(2011年2月8日) 仙北は「せんぼく」か「せんぽく」か(2010年7月26日)最後に記します。東西線に乗って、感じた小さいことや素人の疑問。(1) 広瀬川と龍ノ口渓谷で、いったん外に出て橋を渡る。トンネル部から開口部に近づくと、トンネル内の蛍光灯(LEDのようには見えなかった)の間隔が急に短くなる。これは、急に外が明るくなるショックを少しでも和らげる配慮だろうか。(2) リニアというが意外と揺れたし、直後に乗った南北線の方が比較すると乗り心地(走行時のショックの程度の意味で)はスムーズかも。(3) でも、車内表示や車いす対応などでは、かなり進化しています。(4) 川内駅から青葉山駅に向かっては、相当の斜度で登っているはず。市街地部と異なりトンネルは対向車線と同一空間になっているが、動物公園行きに乗っているときにすれ違った荒井行き電車はずいぶん下に見えた。段違いになっているのだろうか。とすると、トンネル断面が余分に必要になってコスト高になるだろうけど。(5) 八木山動物公園駅の巨大駐車場。4階建てだろうか。定期貸しは300台で、平日だけの定期は1月5千円、6月2万7千円。八木山一円の団地の方々などだろう。どれだけニーズが出るか興味がある。(6) 私はsuicaを持っていて、てっきり使えるものだと思っていた。イクスカを買ってsuicaと一緒にケースに入れていたら、出口で止められた。磁気カードが二重に反応したとかいうことだ。計算の間違いを防ぐため、機械の性能がいいということだが、それなら早く共通で使えるようにして欲しい。たぶん来年3月からお互いに使えるようになるのだろうから、そうなれば、どちらか一枚でOKということで良いんでしょうね。(だいたい、東京の地下鉄はもちろん、「西日本」の市営地下鉄やバスでさえ、SUICAが使えているのに、なぜに今でも...)
2015.12.06
コメント(0)

今朝から作業をして、11時頃に完了。まずは画像をご覧下さい。(1枚目)ストレーナと接続した銅管(上部はタンク本体です)(2枚目)同(下からのアングルです)(3枚目)古い銅管。細目のノコギリで切ったもの。(ごく短い管は、2度目の切断によるものです)我が家のエネルギーは電気中心で暖房も電気だが、補助的に温水ルームヒーターも建築後2年目くらいに設置して使っている。これまで2度ほど修理や部品交換をしたが、今シーズンも室内機を押入から取り出して設定。試運転したら、エラー表示が出る。室外機の点火ミスということで、点火プラグなどの部品交換が必要なのだろうか。コールセンターにお願いして、修理に来てもらったら、問題はホームタンクの方だという。水が相当たまっているし、サビもあって老朽化しているからタンクを交換しておきなさい。その後また点検修理に来ますから、ということだそうだ(家人による)。そこで、まずは先週から今週にかけて現在のタンクの水と灯油の処理。やったこともなかったが、水抜き栓からたしかに大量の水が、まずは出てくる。20リットル以上はあっただろうか。結露などではなく、どこかから雨水が漏れ入ったに違いない。その後、出てくる液体が灯油に代わって、ポリタンク2個分ぐらい出た。出し切ってから、いつもお世話になっているガソリンスタンドに持ち込み、廃棄してもらう。実は、水抜き栓から液体が出るペースが遅いので、ここまでは大変時間がかかったのだが、今週の晴れ間を見て、作業しておいた。木曜日に最寄りのDIY店で取り寄せてもらった95リットルの新品ホームタンク(1万円強)を、自宅に搬入し、代わりにカラになった古いタンクは引き取っていただいた。そして、いよいよ今日(土曜日)の設置作業だ。(DIY店で、200リットル以下なら資格不要で自分で設置可能、と聞いていた。)開梱して組み立てまでは、ストレーナの取り付け(ねじ込み)がかなりきつかったが、屋内の畳部屋で何とか完了。日差しが出てきて小春日和の屋外に移って、ヒーターの室外機まで灯油を導く銅線でつなぐ作業に入る。銅線は既存のものを残しておいたので、これを活用するのだが、よく見ると所々に折れ曲がりかけたような部分がある。そもそも全体が長すぎるようなので、丁寧に銅線のカーブをなおしながら、思い切って折れ曲がり箇所を含む部分を切り捨てることにした。細い目のノコギリで切る。しかし、切り口が斜めになったような気がしたので、2回目。切った後を、ヤスリで丁寧に補正して、そのあと、管の内側に残った銅の切りくずや粉を、綿棒で何度かきれいにしてやった。その後、ヤスリできれいにした銅管に押さえナットを通そうとするが、銅管が微妙に曲線を成しているのか、するっと入らない。石けんを持ってきて塗りつけてみると、何とかナットが通った。そのあと、樹脂スリーブ(ねじ込むと潰れてパッキンの役割をするらしい)をはめて、タンク本体のストレーナに繋げておいたI型継ぎ手に、接続。継ぎ手を押さえて、回らなくなるまでねじ込んだ。ここまで終えて、ホッと一息。家人が業者に連絡して灯油が真新しいタンクを満たすことになり、来週早々にルームヒータの修理の業者にふたたび来てもらうことになっている。あとは、ちゃんと油が室外機まで漏れることなく供給されて(私の作業に問題がないこと)、室外機が正常に作動してくれれば(部品交換はするのかな)、安心です。(なお、毎シーズンの水抜き作業はやった方が良いのでしょう。タンクの取扱説明書には、半年に一回以上、とある。それと、季末の灯油は残さずに使い切った方がいいでしょう。雨の夜や寒い早朝に、時間のかかる水抜き油抜きの作業は嫌でしたから。)
2015.12.05
コメント(0)
いよいよ6日は地下鉄東西線の開業です。まちづくりの論議や収支問題など、重要なことは多々ありますが、いずれにしても仙台のエポックであることは確かでしょう。30年近く前の、大きなエポックが、仙台発の地下鉄開業。1987年のたしか6月。あの日は水曜日だったでしょうか、とにかく平日でした。晴れた朝、私は4時台だと思いますが、早起きして歩いて八乙女駅に向かいました。思ったより時間がかかって、駅に着いたときには始発の電車の出発時間が迫っていました。そして、駅は始発電車に乗ろうとばかり、文字通り黒山の人だかり。切符を買う時間もなくて、駅員さんに整理券か入場券のような磁気の券をもらって、何とか最後尾のドアから滑り込む...出発。進行方向からみて最後尾なので、無人の運転席と曇りガラス越しのあたりで、すし詰めの状態。車速を示すメーターを見ながら乗っていました。どこかのオジさんが、「ワンマン運転というけどサ、運転士が倒れたらどうすんだ」などと、つぶやいていました。なんでそんなことこの場で言うのか、と20代前半の私は嫌悪感を抱いたのですが、そんなオヤジもわざわざ早起きして乗ってきたのですから、うれしさはあったのでしょう。喜びを素直に出せずにあえて毒づいたのでしょう。と、今の私は思い直しています。仙台駅で降りて吉野家で朝ご飯を食し、再び地下鉄で自宅へ戻りました。その後、ゆっくりとまた地下鉄で仕事に出かけました。定期券はたしか数日前に買っていたと思います。1987年は、未来の東北博覧会。大河ドラマで「独眼流政宗」。
2015.12.04
コメント(0)
なにやら英文の暗唱をしたらしく、その後で高校生の子が問うに、アメリカ人はなぜ皆、英文法理解しているのか。答えて曰く、文法を勉強したのではなく、子どものことから英語をしゃべったり聞いたりしていて背後にある共通ルールを知らず知らずに会得するのだ。日本人だって、五段活用とか下一段活用とかの文法を学ばなくても自然と覚える。例えば、若者が何か新しい言葉を考え出しても、自然と形容詞や動詞として活用させるだろう。子が言う。キモい、キショい とかね。でも、遺伝とかで英語を話せるようになっているのではないのか。続けて説明。それはちがう。言語は後天的に獲得するものだ。では、アメリカ人も日本に生まれれば日本語になる、と。そうだね。ただし、世界のどんな言語でも、同じ人類で有る以上は一定の共通ルールみたいなものがあるという議論はあるけどね。チョムスキーという学者が言った。生まれながらに生物学的に持っているというのだ。言語学は奥が深いよ。日本では米の炊き方、欧米では馬の走り方など、語彙の豊かさが違うだろう。述語が最後に来るのは日本と韓国だけ。アフリカでは数詞が1から4とそれ以上は「たくさん」という語しかないところもあるらしいぞ。社会生活を反映しているのだ。。編集長(私)の最後の説明はやや適当なのですが、子が多少でも関心を持ってもらえばと言う思い。(何気なく言った親の言葉を意外と憶えているものです。このことは上の子でも実証ずみ。)さて、私はそのあと、自分で思い出していました。中学の頃、国語の教科書に書いていたことで、ことばの機能として「思考の乗り物」の働きがある、と。なるほど、ということは、人間は言語を習得していなければ、思考はできないのだろうか。原始人や赤ん坊は、本能的な行動や条件反射行動はするだろうが、頭の中だけで抽象的あるいは論理的な「思考」をするには、コトバがないとできないのだろうか。ヴィトゲンシュタインの議論ほどではないのですが、こんなことをルル自問自答していたのでした。みんな悩んで大きくなりましょう。
2015.12.03
コメント(0)
前回、女性ドライバーの地域性に関して運転免許統計を扱った。■前回の記事 女性ドライバーの少ない宮城(2015年12月1日)ここで記した内容とは別に、この統計の中に興味深い数値があった。都道府県別の指定自動車教習所の卒業者数(平成26年中)である。全国で約160万人いるのだが、都道府県別にみると、第1位が東京都の115千人。5万人以上の都道府県は、北海道、埼玉、千葉、神奈川、静岡、愛知、大阪、兵庫、福岡。まずは人口の多いところが順当だ。その次は、京都の46,618人で、ビックリするのはその次に山形県の45,590人が来ていること。新潟(43,417)、広島(37,433)、茨城、岐阜、熊本などを抑えて、堂々の第12位。宮城県は29,303人で、山形の方がずっと多い。福島県も34,718人と「健闘」している。思い浮かぶのは、合宿制の教習がさかんだということ。これが寄与しているのではないか。■関連する過去の記事 東北の合宿制自動車学校(2007年2月20日) 自動車教習所の大手 長井市のマツキ(08年10月8日)
2015.12.02
コメント(0)
県民性に関する古典的名著ともいうべき、祖父江孝男『県民性』(中央公論社、1971年)に、およそ次のような説明がある。------------香川県は女性ドライバーが最も多い。次いで徳島。女性ドライバーの比率が少ないのは、一般の予想に反して、東京、大阪、仙台を持つ宮城などである。比率の高いことの意味づけは難しく、単にレジャー目的が多い大都市の女性ドライバーに対して、中小都市や農村では、仕事のために女性も免許を持つのであって、女性の社会進出と言えるのだろうか。また、土地に山地が多いことも関係しているだろうか。ところで、香川と徳島は、岡山と並んで女子の高校進学率が男子を大きく上回る特徴がある。旧制高等女学校(戦後の女子高校)が早くから発達し、母親の学歴が高いのが特色。文部省の学力テストでは、昭和30年代後半には東京などを完全に抑えて、小中学校とも連続全国一だった。女性ドライバーの多いことも、こうした事情と関連性があるように思われる。------------同書に掲げられた表によると、女性ドライバー比率(昭和45年12月末)は次のようである。1位 香川県 (男子/女子の比率=)2.82位 徳島県 2.944位 東京都 5.845位 宮城県 6.346位 大阪府 8.6(当時は46位が最下位)宮城が6.3ということは、男女全ドライバー中の女性比率は、1/(6.3+1) で、およそ15%程度ということになる。香川は、26%前後となり、たしかに相当の格差だ。宮城県が東京や大阪と同様に女性ドライバー比率が低いことに、いかなる要因があるのか興味を抱くのだが、さて現在はどうなのだろうか。警察庁の運転免許統計(平成26年版)をもとに、女性ドライバー比率をはじき出してみた。(年末における運転免許保有者数のうち、女性の割合である。)1位 宮崎県 .4842位 佐賀県 .4813位 鹿児島県 .479以下、和歌山、熊本、徳島、愛媛、香川、高知などが続く。全国値は .446であり、九州など西日本は特に高い。中部や近畿は46%前後、関東、東北だと45%前後と、西高東低が相当はっきりしている。もっとも、東西の差のほかに、大都市部をもつ都道府県は低い傾向にあるようだ。比率の低い方からカウントすると以下のとおり。1位 東京都 .4162位 神奈川県 .4223位 大阪府 .4244位 埼玉県 .4305位 千葉県 .432以下、京都府、北海道が続き、宮城県は低い方から第8位で、44.69%である。昭和45年のデータにみられたような「お国柄」的ファクターは、おそらく免許保有者総数の増加(免許の普及)とともに消えつつあるのではないかと想像する。それでも、宮城が第8位というのは、単なる都市化(公共交通機関の発達)の序列以外に、何らかのファクターが効いているようにも思われる。大型、第二種、原付、あるいは年齢別の保有者数を調べてみるなどしていくと、結構特色が浮かび上がるかも知れない。例えばだが、高校生にバイク通学を許すかどうかなどの事情も寄与しているのかも知れない。原付の免許保有者147万人のうち、女性は982万人で男性の2倍以上なのだが(複数の免許を持つ者は上位の免許に計上されてる)、県別に拾ってみると、宮城県 原付(のみ)免許保有者 女性9996人 男性8367人鹿児島県 同上 女性20271人 男性11863人香川県 同上 女性10042人 男性3233人などと、西日本には女性が男性の2倍や数倍の県もあり、すごいことになっている。ほかにも、大型二輪や普通二輪の女性保有者は、西日本が多いが、大型(自動車)や小型特殊になると、東北など東日本の女性保有者が多い。例えば女性の小型特殊(だけ)保有者数は、新潟県がトップ(3087人)で、福島県、岩手県の順となっており、西日本や東京、大阪などを圧倒している。■関連する過去の記事 祖父江孝男の指摘する東北の県民性(2010年12月9日)
2015.12.01
コメント(0)
全12件 (12件中 1-12件目)
1


