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小泉和子さんが著した「昭和 台所なつかし図鑑」の表紙には、私の幼年期とおなじ坊ちゃん刈りの末子、その横に両親、お婆さん、そしておかっぱ頭の長女と丸刈りの6人家族が小ぶり長方形の卓袱台2脚を囲んでいる写真が載っています。また写真の下部には、菜入り擂り鉢と擂粉木、綿入り保温布と木製のお櫃、真ん中に焦げ茶いろの頑丈そうな冷蔵庫(上の段に氷と牛乳瓶、下段には西瓜やビール瓶など)、かつお節削り箱や藁製のたまご容れ、行平、十能などが写っています。 桂米朝師匠が「つぼ算」を演じる枕(本題に入る前に少し笑わせる部分)に、昔の台所と現代の比較を挙げ、<甕が病気したンで台所じゅうのものが見舞いに行きます。大丈夫かえ? ええ大したことはありません、ちょっとシャク(柄杓)が突っ張って・・・>という小噺まで。明治生まれは明治・大正・昭和を見、大正生まれは大正・昭和・平成を見て亡くなっていかれました。戦後から一大躍進した昭和という時代もどんどんセピア色に変遷していくようです。
2014.07.31
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この時節は結社の大会向けの双滴集への応募用や現代俳句協会なども重なりますので実際には駄句は沢山詠んでいます。五月の吟旅から新しい句帖を下ろしたのですが、すでに二百句を越えています。多けりゃ良いというものではありませんが、即興句を詠む力だけは育つようです。 牢獄の官兵衛いかに落し文 透け見ゆる池泉の庭や夏座敷〇三帝の離宮跡なる蓮の花◎花仙人掌(サボテン)ハレー彗星今夜にも 半夏生修正液を欲りもして〇蓮咲くや西院(さい)の河原の高山寺 田水沸く東大寺てふ飛び荘園 生協の朝餉ひやくゑん日輪草 指させるをさなの爪は桜貝 麻のれんに丸十を染めし老舗ぶり〇喜雨なれば茶だんご通り人あまた 青葉闇ゆゑに悲恋の宇治十帖脳みそが溶けそうな酷暑となりますが、お互い元気に暮らしましょう。
2014.07.30
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「大鏡」には村上天皇の中宮芳子が輿入れの日、その垂れ髪が床上を五メートルも引き摺っていたと記されていますが、日本女性にとって黒髪は命の次に大切なもの、これを売って生計の足しにした話も。奈良時代には鳥毛立美女屏風に見られるように、唐髷に束ねていまいたが、平安時代には垂れ髪の長い人が美の対象になっていたようです。女児が生まれると翌日産毛と言われる胎毛を剃り、”四歳まで毎日、産毛を剃って毛根を刺激”していたとか。ヨードを含む海藻を食事に摂り、髪油の代わりにサネカヅラを煮出し液汁を髪に擦りこみ、また養毛作用のあるツゲの櫛を使うなど、科学的な方法を採り入れていたようです。男子の元服に匹敵する儀式、六月十六日、十四~六歳の成女式の折、両頬で一握りの髪を顎の下で切り落とします。所謂鬢除(ビンソギ)を済ませてからは残りの髪はずっと背中に伸ばし、二カ所で結わえます。これはね、”顔の両側が髪に包まれ額縁の役目を果たし、顔の白さを惹き立て>外界との隔離的効果を生む手法だったのだそうです。つまり、”王朝時代の黒髪は後ろ姿のたおやかさと、顔を浮き立たせる大きな役割”があったと言えましょう。 訳あって仏門に入る折には、先ず肩の部分で切り揃え、それを後ろに結わえる「茶筅髷」から始め、一定の修行を経て漸く剃刀をあて「剃り尼」になったようです。女性の髪の毛に寄せる気持ちを世の男は理解しておかないとねぇ~。(参考図書、図書名不詳、NTT出版、樋口清之著)
2014.07.29
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就寝時間が来て消灯になっても、枕投げやらいろんな悪戯の応酬が繰り広げられます。「俺の枕は何処や~」「そりゃ~、真っ暗やから」なンて洒落も飛び出て興奮は治まりません。まるで高校生の修学旅行並みのはしゃぎようです。恋愛論や艶話など尤もなことですが、クラブ生活での悩みや音楽理論などへと、其処かしこで真面目にトークされ、やがて高いびき。幾つかの曲の仕上がりも荒削りながら一応音楽的にハーモニーする頃、合宿の最後の夜を迎えます。この日は学生生活最後の夏合宿となる4年生への愛情表現、お礼奉公?として、予め決められた範囲内で、4年生を開放してあげます。20分後に下級生たちは各々、こん棒?や茹で卵、馬糞などの小道具を携え、4年生を追いかけます。命を失わせるような危険行為だけを除外して、何をしても許されるのです。気の弱い4年生などは夕食も喉を通らない程の怯え様。私の1年生の折の4年生たちは巧みに包囲網をかわして制限時間の果てた時分に、焚き火を組んで宴会準備の整った場所に、それは流石!と思わせる綺麗な曲をハモラせながら戻って来られました。女体よりも美しい背中やお尻を見せるヌード、卑猥な歌など飛び出る楽しい男だけの宴が、信州の闇の高原で繰り広げられるのでした。
2014.07.28
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私が1年生の時は下諏訪湖、2年生:小豆島、3年生:信州の霧ヶ峰高原、4年生:蒜山高原でした。では、最初の合宿はと言えば、ゆったりとしたスケジュールの練習、楽譜読み、パート練習、そしてトップテナー、セカンドテナー、バリトン、ベースが一堂に会しての音合わせ。指揮者の考えや各フレーズへの注文など。男性合唱には女性の声が無いと思って居られるでしょうけれど、それは大きな間違いです。皆さんもお経を聴けば理解できると思いますが、女性よりも1オクターブ低い音で歌うので、その倍音であるオクターブの音が幾重にも聞こえているのです。こんど、厭だったお経を聴いてご覧なさい。お坊さんの声より、もっと高い音程の女声のお経が聞こえるようになります。脱線しましたが、昼飯や夕食も、そこは戦場さながらの光景。例えばカレーライスのメニューなら、1杯目は呑み込むようにして平らげ、すぐお代わりの列が出来てしまいます。2杯目をキープして、やっと味わいながら食べる・・・。浅ましい光景ですが、何となく微笑ましい男どもじゃ~ありませんか?(つづきは次回へ)
2014.07.27
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日本語は決して万能ではないと文豪・谷崎潤一郎氏は嘆いておられましたが、清水義範氏の著書にもそれを穿った問題が出されていますので、ご披露しましょ。「ひらがなばかりだと読みにくい」次の文章に句読点を打ち、漢字を使って2通りに読んで下さい。1)あするすばんにきてくれ。2)しんだいしゃすぐてはいされたし。3)あすあめがふるてんきではない。<答>1)明日、留守番に来てくれ。 明日留守。晩に来てくれ。2)寝台車、すぐ手配されたし。 死んだ。医者すぐ手配されたし。3)明日、雨が降る。天気ではない。 明日、雨が降る天気ではない。
2014.07.26
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随分前に歌舞伎に於けるエロティシズムについて、歌舞伎十八番「鳴神」を書きました。日照り続きで農作物に被害が生じるということで上人の神通力を無くそうと派遣されたのが雲の絶間姫。観劇していても決して眠たくならないシーン。こに「鳴神」は謡曲の「一角仙人」からヒントを得て書かれていると田辺聖子さん。 今は昔、額に角の生えた一角仙人が天竺にいました。長年修行を積んだので雲に乗り空を飛び、山や禽獣を統べる能力を身に備えていましたが、山中で大雨に遭い、険阻な道から踏み外して転倒するという状態に。怒った仙人は通力を起して多くの竜王を瓶に閉じ込めてしまったので、天下は旱魃し作物が実らず地割れもできてしまったので国王らは一計を思いつき、綺麗な衣装、栴檀香や沈水香に包まれた五百人の美女を傍に派遣。その中で一番美人の旋陀夫人の策略に乗ってしまい、法力のない凡人になる様を描いた滑稽な話。
2014.07.25
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PARCO出版製の、全国から投函された滑稽なフレーズ集「大言海」から拾ってみました。 国会欺員 → 国会の為に国民が騙されて選んでしま った人。欺のほかに疑・戯・偽などの 字が当てはめられる場合もあり。 合性写真 → ホモまたはレズの写真のこと。 光頭無毛 → 完全な禿あたま。 五十三次 → 五十四のこと。 ゴキブル → 台所で食料を漁る。 三三九度 → 三回体温を計っても三十九度あること。 病確。 妻帯公約数 → 公的に約束された妻を持てる数。日 本は一人。 授業讃感 → みんなの前で自分の子供が褒められて 喜ぶ親の心理。 生涯保賢 → 年をとってもボケないこと。 自画自参 → 見物客の少ない個展。いかがですか?ちょっと笑えましたか?
2014.07.24
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本日の拙作は、「 占 い 」1) 占いを信じますか? 見料少々 高いけど やっぱり気になる 近頃の運勢 彼は真面目ですか 彼をゲットできますか 彼を旦那にできますか 自分じゃ分らない 手相の溝、溝2) 占いを信じますか? 今までお金に 縁がない やっぱり気になる 将来の金運 彼は金のなる木ですか 彼は出世できますか 部長夫人に なれますか あれこれ欲張っても 根も葉も無い、無い3) 占いを信じますか? チャンスに何度も 負けたけど やっぱり気になる この次の勝運 石田君を狙います 勝てる見込みありますか 後に退けない 本気です 心底祈ってる プライド捨て、捨て
2014.07.23
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過去何度か専売公社時代の小冊子から一寸した情報をこの日記に掲載して参りましたが、そもそも小冊子は6、7冊残っていますので話がダブってしまうことは無いと思います。 本日の話題は昭和49年11月発刊の「たばこ製造専売70周年」という冊子から。<ちょんまで時代> 日本にたばこが伝来したのは、元亀・天正の戦国時代に南蛮人によるとか。それ以来江戸時代までの喫煙風景は、芝居・映画・テレビの時代劇でお馴染み。きざみ煙草、多種多様な煙管(キセル)、たばこ入れ、たばこ盆、火打石など。キセルなどは次第に贅沢品がつくられ、幕府はたびたび喫煙禁止令を発するものの守られたのは一時しのぎで、きっと幕僚にも喫煙者がいたものとみえ、また幕府の主要な財源ともなっていたので弾圧の幕が閉ざされ明治維新を迎えることに。
2014.07.22
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町の電気屋の店頭のテレビに噛り付いていた頃からの大相撲ファンですが、外国人力士ばかりが横綱や上位で活躍する昨今の角界に消化不良を来しておられるご仁も多いことと思います。外国人力士が増えたことによって、儒学的な価値観、本来のスポーツマンシップが損なわれはしまいかと案じるような振る舞いが多々ありました。立会いの呼吸合せや張り手の横行、数人の先輩力士が怪我をしそうな腕によるかち揚げ。強靭な足腰の大砂嵐関のかち揚げは破壊的でスポーツの域を超えていると思っていたのは私だけでなく、本日の朝刊には師匠の大嶽親方から「一発でどうにかしようというひきょうな手。相撲道に反する」と厳しく指摘されていた大砂嵐関が、その忠告を守り、正々堂々と白鳳関と渡り合ったのは、岩陰の湧水を口にしたような気分を与えて貰いました。大相撲人気の神髄もこの一点にあるのでしょうね。
2014.07.21
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大山崎歴史資料館が例年催す「夏休み子ども歴史教室」のお手伝いには今年は参画できませんが、六年ほど前の日記が出てきました。<昨日の午前中は大山崎歴史資料館で子供たち二十名、ガイドの会から十六名が肩寄せ合って、版画の粋と言われる加賀正太郎が残した「蘭花譜」の中から4つの絵の1つを選び、版画を彫りました。モデルの絵は洋蘭・カトレアや琅カン洞門前の車の絵、私とペアを組んだN・Yちゃんは小学三年年生。目のくるんとした愛くるしい女の子です。早生れは遅生れの級友と比べたら今はしんどいけれど、年頃になったら逆に得するから頑張ろうねと励ましたり、削りカスを度々掃除するする時も「師匠、お手をお休め下さい」と笑わせたり、終始リラックスムードのベストコンビーでした。>今年はエゴマを絞り出す道具「長木」をつくるようで、中世の大山崎が潤った最大の要因。子供たちはこの作品を夏休みの工作として学校に出品しています。
2014.07.20
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向日市在住の頃は家内と度々伏見へ遊びに行きましたが、その道すがら鳥羽離宮跡にも立ち寄ったことがあります。黒板勝美編の更訂「国史研究年表」(岩波書店・昭和18年3月第8刷)を繰りますと、応徳3(1086)年8月18日、鳥羽殿上棟、9月藤原通俊ら後拾遺和歌集を撰進すとあります。また10月には東寺塔供養、11月26日天皇譲位(大治4年まで)院政を始められた。堀川天皇に替った翌寛治元年に白河院は初めて鳥羽殿に行幸されたとあります。上皇お気に入りの地で、南殿・北殿・泉殿・東殿などが次々造営されました。その鎮守社が「城南宮」です。 年表は途切れることのないわが国の歴史の帯、実にいろんなことが載っています。少し遡りますと、971年(天禄2)初めて石清水臨時祭を行い永式となす。985年僧源信「往生要集」を撰す。989年京都大風洪水。995年道長右大臣に。一条天皇の御世、1000年中宮定子を皇后に、女御彰子を中宮に。とあり、いよいよ源氏物語の時代へ。1022年道長、法成寺金堂落慶法要、仏師定朝法橋に叙せられる。翌年、道長高野山へ。この10数年あと、延暦寺と園城寺(三井寺)の抗争が繰り返されることになります。1053年宇治平等院阿弥陀堂落慶。2年後、東寺の塔が落雷にて焼亡。これはほんの一部だけの紹介ですが、年表を繰るといろんな出来事が如実に解り、興味は尽きません。
2014.07.19
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今昔物語は逸話、民話、法話の宝庫ですが、阿倍晴明に関わる話も興味あります。 いつの世も政治に携わると権力争いの渦につい巻き込まれてしまうとか。陰陽師・安倍晴明が活躍した件では宇治捨遺物語から採り出せば、藤原道長と道魔法師の話や晴明の力量を試す老師との張合いでは葉っぱで蛙を押し潰す話、青年貴公子を狙う烏の呪いを夜っぴき祈祷して助けた話などがあります。 晴明とは別の逸話ですが、<月が大将星を殺す>という勘文が出されるような天文上の異変があった時、右大将だった藤原実頼は方々の社寺に祈祷させているのに、左大将の仲平は東大寺の法蔵僧都に祈祷を頼もうとしなかったので、僧都が不審に思い尋ねたところ、かの仲平曰く、<私は老い先短い六十前、右大将は三十半ばの若さの甥っ子、私が祈祷を頼み、万が一彼に禍が及んではまずいので祈祷を頼むのは避けるべき>と答えたので僧都は思わず落涙、<その清いお心は何より、百万の祈りに勝りましょう>と申し上げたそうな。事実、仲平は難なく暮らし、大臣まで昇格し、七十余年まで生きることが出来たと言います。
2014.07.18
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昨日あたりから耳にする蝉の声。蝉の季はニイニイ蝉が火蓋を切り、続いて油蝉、そして熊蝉とバトンされていた記憶がありますが、昨今、熊蝉の繁殖ぶりには目を見張るものがあります。 二年間居た佐賀市では貝殻の中に入れられたトリモチを使うことが多かったのですが、それだと捕まえたとき、蝉やトンボの羽がベタついて気味悪かった。大阪では自分で蝉専用の網を拵えて捕まえていました。普通の捕虫網とは違って、ハギレの袋に針金を通し、入り口は極めて小ぶりなもの。蝉にとって出口が狭いからこの網から逃げることが難しい・・・そんな構造でした。時々、昼寝でもしているのか、何の抵抗もなく捕らえられる暢気な蝉もいました。熊蝉級になるとそう簡単には捕まってくれません。近づくだけで枝葉や幹から飛び立ってしまいます。一番すばしこいのは法師蝉で、捕獲した数も知れていました。ニイニイ蝉よりは油蝉の方が、格が上、そのまた上位にいるのが透明な羽を持ち、身体も二周り大きい熊蝉でしたが、京都に住んでみると、ニイニイ蝉や油蝉の方が返って珍しく思えます。梅雨が明けたら気温がぐんと上昇するのに、加えて耳をつんざくような蝉時雨には、暑苦しさが一入、心身ともに疲れてしまいますね。
2014.07.17
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岩上力著の「京のあたりまえ」をめくりますと、納得の行くような行かないような都人の気遣いに京生まれながらも今となっては私自身が守っていないしきたり・エチケットがあるようです。 掲題の先方のお家でご馳走して戴いた折には、美味しいから全部平らげてしまうのが本筋のように思いがちですが実は、残さないで席を立ったら、饗応した側が「お客は足りなかった?」と思わないでもないので、ほんの少しだけ残すのが礼儀で、嫌いなものが出て来たときは助かりますね。但し、京では必ず仕出し屋さんのものをお客さんに出すからで、手づくりの家庭料理の場合は別です。そう言えば、祇園祭の折、父の実家へ行ったら仕出し屋さんの鱧の叩きが定番でした。お料理全部、残さなかったけれど子供だったから大丈夫だったのかな?
2014.07.16
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今昔物語は逸話、民話、法話の宝庫ですが、阿倍晴明に関わる話も興味あります。 いつの世も政治に携わると権力争いの渦につい巻き込まれてしまうとか。陰陽師・安倍晴明が活躍した件では宇治捨遺物語から採り出せば、藤原道長と道魔法師の話や晴明の力量を試す老師との張合いでは葉っぱで蛙を押し潰す話、青年貴公子を狙う烏の呪いを夜っぴき祈祷して助けた話などがあります。 晴明とは別の逸話ですが、<月が大将星を殺す>という勘文が出されるような天文上の異変があった時、右大将だった藤原実頼は方々の社寺に祈祷させているのに、左大将の仲平は東大寺の法蔵僧都に祈祷を頼もうとしなかったので、僧都が不審に思い尋ねたところ、かの仲平曰く、<私は老い先短い六十前、右大将は三十半ばの若さの甥っ子、私が祈祷を頼み、万が一彼に禍が及んではまずいので祈祷を頼むのは避けるべき>と答えたので僧都は思わず落涙、<その清いお心は何より、百万の祈りに勝りましょう>と申し上げたそうな。事実、仲平は難なく暮らし、大臣まで昇格し、七十余年まで生きることが出来たと言います。
2014.07.15
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〇〇父すばるが亡くなって、14年半。すばるから直接の指導は受けていませんが、遺作の中の写生俳句を取り上げますと 露草や露をこぼして青残る すばる <露草の咲く墓なれば死んで良い 星子>と詠むほど私も露草が大好きなのですが、何と言っても、あの清楚な青い色に心洗われる清涼感が堪りません。掲句は、露草の花に大粒の露が溜まり、ほろりと落ちた。露の玉がレンズとなって、その青い色まで落としたかに見えたけれど、すぐさま、無色透明の水滴となって地面に吸い取られ、露草には元通りの青色が残っている。露玉がレンズの役割をして、花の青い色を拡大した刹那の妙が詠われています。 如露の水金登りくる金盞花 すばる 人は総じて花が好き。喩え猫の額ほどの庭であっても、花の種を蒔いて小花を咲かせます。金盞花という花は、太目の茎の先端に濃い橙色の花を着けます。水遣りの如露の先から数条の水糸が流れ落ちる時、細いチューブを逆さまに花の金色が上って来ます。濃い金盞花の金色が伝い登って来るのです。単なる水撒きの中にも鋭い観察力以って臨むのが句詠みの宿命なのでしょう。
2014.07.14
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清水義則さんの著書に、太陽、月、星の三つの性別、それぞれを男性・女性・中性のいずれかを尋ねる問題があって、フランスでは太陽=男性、月・星=女性ですが、ドイツでは逆転、太陽は女、月は男、星は中性、またロシアでは太陽=中性、月・星=女性という具合に各国ばらばら。これは昼と夜など、対になっているものを弁別するため、フランスでは同音異義語の区別の方法として、或いは、神話での扱いに準じたことから。例えば太陽と月の場合、北欧神話では太陽=女性、月=男性とされていてドイツなどゲルマン系がこれに倣い、他方、ギリシャ神話では逆になっているため、フランスなどラテン系では太陽が男、月が女ということになったようです。
2014.07.14
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京都は伝統工芸と着物の町。幾人もの手を煩わせて織り上げた”べべ”を着飾り、祇園の芸妓・舞妓はお座敷に華を添えています。花街も大正・昭和初期のような大所帯ではなくなってきましたので、芸妓・舞妓さんを座敷に呼び出すには数日前から予約しておかないと叶いません。特に金曜の夜は彼女たちはあっちこっちから引っ張り凧状態になっています。お披露目に要した”べべ”などの費用をお母はんに戻さないといけないから、みんな必死で頑張ったはります。 或る舞妓はんは、藤間流を十年ほど習ってきた経験者ですが、家元さんからその経験を生かすようにしなはれと特に厳しく躾けられているそうな。この娘は近々十七歳になるのですが、昔の舞妓はんのような、はんなりした、おぼこい顔したはります。
2014.07.13
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父が遺してくれたグッズのかずかず。紳士服の紙箱には千代紙、紙台紙に挟まれた浮世絵や伯父にあたる元人間国宝:稲垣稔次郎の作品もありました。稲垣稔次郎と言えば、昔は、祇園祭宵山に配られていた団扇の画や暑中見舞い葉書にもその図柄が使われていました。 ところで、玉手箱のようにいろんな画が現れる中に、往年の宝塚スターの電車内吊り下げポスターが数枚ありました。「風と共に去りぬ」星組公演では平みち、神奈美帆、一路真輝、杜けあき。S席三千二百円。「炎のボレロ」「TooHot!」星組公演では、日向薫、南風まい、紫苑ゆう、毬藻えり、麻路さき、大輝ゆう。「パリ、それは悲しみのソナタ」「ラ、ノスタルジー」月組では、剣幸、こだま愛、郷真由加、涼風真世。S席二千八百円。あの涼風真世さんが2、3番手の男役時代のポスターです。あと2枚は大地真央のサイン入りポスターで黒ハットに紺のワイシャツ、白ネクタイに紺の縦縞スーツ。もう1つはきっとフィナーレの華やかな衣裳で、おでこに巻きつけた装飾鉢巻も煌びやかで凛々しいです。大きなポスターやパネル写真は殆ど古本屋に引き取って貰いましたが、まだまだこうしたヅカグッズが散見されそうです。
2014.07.12
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永石彊勇さんの「文字のパズル」から久しぶりに拾ってみました。 例)時、翌、往、精、松、性以上の6個の文字をふたつに切り離し、イ)寺、立、主、青、公、生ロ)日、羽、彳、米、木、忄それぞれ一つずつ選び、うまく組合せ新たな文字を六つ作って下さい。答)星、翁、待、粒、柱、情では、第一問です。 想、英、詞、簿、昭、仕イ)相、央、司、溥、召、士ロ)心、サ、言、竹、日、イ続いて第二問です。 静、尼、遠、固、者、泊イ)争、ヒ、袁、古、日、白ロ)青、尸、辶、口、考の上部分、氵どうでしょうか?
2014.07.11
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今から5年前の5月22日”心の四季”から掲載した自作の曲を順次並べますと、JAZZ No5、OLです、ネオン華、懊悩、トルコ軍凱旋行進、GUITER 1、軽井沢、反省、spring これで当時の5月分が終了(10曲)。みれん雪、日没の海、荒野、悪夢、女の虚栄、秋夜、男の背中、十字軍の遠征、マリーのことば、Some Dreamy Hourここで当時の6月10日。せせらぎ、勝負、ごめんなさい、Why Leave Me?、ガラシャお玉への挽歌、京暦、追悲録、郷愁、良き時代、Pre For HIROMIここで6月20日。つまり累計30曲。仮想の刻、kyrie、きらきら、フルートの為の試作、恋月夜、ピアノ練習曲、たんぽぽ、セレナーデ、伝言、野沢菜節、これで6月末。7月に入って、古代遺跡、男って?女って?、GUITER 2、酔いどれ女、恋狙い、別れの曲、そして昨日の お立ち台ギャル。48曲目の某日は「田舎育ち」残念ながらVOONという音楽サイトが終了しましたので、曲はお届けできません。 「田舎育ち」1)公園の花壇の中で 咲き誇る花よりも 空高くヒバリ囀る 野辺でひっそりと 咲く花で いい 美味しい空気と 綺麗な水があれば それで しあわせ2)浮ついた言葉の中で 抱きしめる人よりも 嘘のない澄んだ瞳が いつもしっとりと あるだけで いい この世に生まれた 生き甲斐を見つければ それで しあわせ3)若いという魅力を武器に 愛される道よりも とこしえの愛の絆を ふたりゆっくりと 育めば いい 平和な時間と 想い出だけがあれば それで しあわせ
2014.07.10
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私は二日に一度は出かける生活をしていますが、街で見かける人々の、何と不細工な歩き様に、直ぐわが身の歩行姿勢を意識して歩くように心がけています。 ネットで検索したら基本は立つ姿勢から。踵をぴったりくっつけて立った場合、両肩と骨盤とが長方形になっているのが判ります。その場で足踏みをするとき、右足側を軸にして直線を描くなら、左の腰が上方に上がります。そして左の踵は宙に浮き、爪先が床に触れている状態にすると、肩と腰の長方形は保たれたまま、移動することになるので、美しく見えるという寸法です。これを意識し過ぎると「固い感じの」歩き方になるので、上半身をリラックスさせながら、左足を前に出し、左右交互に歩けば綺麗な歩行になるようです。 漫才の徳井義実さんが体を鍛え抜き、スリムな身体に変えてファッシィンショーに出られました。実に綺麗な歩行姿勢で、筋肉質の胸腹部を披露された時には歓声が上がりましたね。 ところで我が持病のギックリ腰に成ったら、百年の恋も・・・。
2014.07.09
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昨日7日は私の所属する俳句結社「京鹿子」の豊田都峰主宰が財)京都市芸術文化協会賞を受賞された集いに編集長として出席致しました。私のテーブルには、伝統芸能(詩吟)2名、邦楽の尺八2名、琴・三味線2名、バレエの大先生、そして彫刻家1名の8人。いずれも新聞を賑わすような方々。宴の最初には門川京都市長もご挨拶されました。今や芸術文化都市として京都は世界に認められる都市で、それは海外からの観光客数でも証明されています。京の文化を支える人々の集う場所でしたのでいろんな情報交換、語らいを得ることができました。
2014.07.08
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わが家には父が遺した書物が未だ一杯あるのですが、現在に近い出版物となればやはり図書館で借出すのが好都合です。1)「男が女を盗む話」立石和弘著(中公新書) 第一章「伊勢物語」の嫁盗みでは更に六項に分け、第 二章「大和物語」第三章「源氏物語」などと面白く展 開しています。2)「おひとり京都の愉しみ」柏井壽著(光文社新書) 観光客で溢れかえる場所ではなく、生粋の京都人とし て、京都を独り楽しんで貰う場所や食べ物など。3)「風刺文学集 明治編」(岩波書店) 当世商人気質の巻、かくれんぼ、あま蛙などこれまで 目にしたことのない風刺もの。4)「京都魅惑の町名」高野澄著(PHP研究所) 既に何度も借出しています。大阪俳人クラブでの連続 ものの参考書。5)「今昔まんだら」田辺聖子(角川書店) 王朝の不倫、小男の草子、美しき女盗賊など十八話。 岡田嘉夫さんの個性的な絵と織りなす大人の本。
2014.07.07
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七月に入って、京の町は祇園祭一色。そんな中、物置小屋で見つけたのは「祇園祭絵巻」。 桐の箱を開けると一枚の葉書。父と水魚の交わりをして戴いた新関一杜さんの文面で、以下の通り。 <拝復「吉田すばる論」を書くのはかねてからの私の願いでありましたが、ようやく京鹿子掲載も無事終りましたので、記念のため何か貴兄に差し上げたいものとあれこれ考えて居りましたが、昨日これをと自分が思うものを買って帰宅した次第です。帰宅したら机上に御手紙があり早速拝見、何よりの山鉾巡行絵巻をかえって私に下さる由、同じ日に期せずして記念品と、これこそお互いの心が通いあったのですね。・・・(中略)・・・本当にお互いが記念品をそれも同じ日に期せずしてと言うのことは、電気のような心の交流を感じました。このことを書きたくて筆をとりました。'75.7.27> つまり同じ「祇園祭巡行絵巻」を同じ日に親友同士が選び贈ろうとしていた奇跡的な偶然性です。 朝倉悠三さんの竹ペンと墨による白黒の絵巻。前後の祭が一緒の十七日に巡行した頃の作品で見事な出来栄えです。
2014.07.06
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これまでの人生を通じて一度も演劇部に入って、演技というものを実際に経験した訳ではありませんが、父が演劇に詳しく、実際に劇団を運営したり演技も披露して来ていたようですので、少しはDNAが存在するのやも知れません。歌舞伎や宝塚歌劇、映画やテレビドラマ等に接する場合、単に観客として楽しむ側面もありますが、無意識の内に、演者さんの演技を批評家の目で観て居ることが多いのです。 主役に足る俳優(女優)さん中心のドラマ等は、味わい深く、批評家という立場は小指程も無く、その演技に感心しながら観ています。一方未熟な俳優(女優)さんが主役を演じているドラマでは、そこはそんな演技じゃなくもっと無表情に・・・とか心の中で叫んでいます。舞台など観客と距離がある場合は、やや、オーバーに演じなくては心が観客に伝わらないでしょうけれど、通常のクローズアップのあるドラマのシーンの場合、未熟な人は、一つのシーンを何か表現しなくてはと<目玉を左右に動かしたり>余計な演技に走りがちです。演技は脚本の人物そのものに全霊を移しこんで、その人物に成りきってしまうことが肝要だと思うのです。ということは、日頃、歴史書を読んだり、目にした他の人の動作から学んだものを自分なりに咀嚼・吸収しておき、自身の容積を増やしておく必要があるように思います。 相手が一方的に語って切った電話のシーンで、殆どの俳優達が、切れた後の受話器を眺める動作が一般的ですが、本当に受話器を見つめるのでしょうか?クローズアップで映される場合、少なくとも黒目を左右に動かかすことで、心の動揺を表現しようと言うよな<浅い演技>は慎むべきかと愚考しています。演技とは俳優(女優)、そのものの<力量>次第であると言えましょう。
2014.07.05
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某月某日、鏡に自分の顔を写して見ると、耳下の首筋あたりの髪の毛が不揃いに延びています。家内に簡単な整髪を頼んでみました。銀行員時代の羽振りの良い頃は、こまめに理髪店に行っていましたが、子会社に入社した頃から、収入に応じた大衆の散髪屋を利用するようになりました。で、向田邦子さんは若い女性からの「理想と憧れる女性像」として憧れの対象になっている方ですが、その妹さんの言。 お姉さまは服装のセンスが良くって、気に入った服は色違いでお揃えになっていたようですね?というアナウンサーの問いに、「ええ、洋服などのスタイル・柄を選ぶのは、殆ど直感だったと思います。随分昔から、そのような直感を蓄える努力をして居たようです。」 私はいつも思うことですが、<謙虚なる受動の姿勢が、将来の能動の糧となる>と。生きている限り、新しい空気を吸い、古いものを吐き出し、また新鮮な空気を取り入れることを繰り返していますが、精神面においても、この「仕入れ」を意識した生活を続けたいと思うのです。散髪という行為も、怠惰に陥らないための予防とも思えたのでした。さぁ~、俳句会の準備を始めなきゃ~。
2014.07.04
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切れ長の目元に、やや冷たそうな鼻梁 そんな彦星に想いを寄せてしまったのは織姫 源氏の君や業平のように先方から信号を送ってくれない そのもどかしさに機を織る姫の手元も狂いがち 夜の黙(シジマ)が深くなった頃 ようやく腰をあげた彦星 地球上の人間界の一年は永い時間なれど 星と化した者には 七日ほどの空間 織姫は震えながら・・・彦星の通うのを待っている
2014.07.03
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例により先月の拙句を記録しておきます。これは俳句を通した自分史の一端なのかも知れません。 郭公や限界集落また一村 更衣こころの在り処(ド)今一度◎かわほりの編み初む闇や而して◎草茂る昔は暴れ川と聞く〇不器用といふ器用さや源五郎〇夏至の夜や仕舞ひ忘れし計算尺 〇金剛像その胸板の夏旺ん 〇梅雨さなか百円シヨツプ巡回す 〇あづまやの茅の糸水五月雨るる 〇捩花の心機一転翔つ気配
2014.07.02
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夏は何と言ってもビールが一番。1946年から丸17年間、あの「天声人語」を書き綴られた荒垣秀雄さんが、 朝日麦酒の小冊子「ほろにが」3号(昭和42年11月15日発行)には、こう語っておられます。 <僕がビールの美味さを知ったのは、・・・スキーの後、・・・1日滑って温泉にどっぷり浸かってから、コタツに入ってビールの栓を抜くとね、 浦島太郎の玉手箱みたいに白い煙がプワーッと立つんだな。それをグーッと飲むと、咽喉をカンナで引掻くような快さでね> ・・・<アメリカはムヤミに冷やしすぎる。・・・ビールというものは泡がある程度立って、 ビールを空気と遮断するわけで、泡が立つ程度に冷やさないといけないんだな。> 酒には弱い癖に、若い頃から夜の巷で飲んでいた私ですが、怖がることもなく新しいスナック店を幾つか開拓していました。 最初に注文するのはビール。価格的に一番安全でしたから・・・。昔の拙句ですが、 生ビール彼は世渡り上手なり 星子
2014.07.01
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