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この日記を書いている場所は寝室兼書斎に当ります。やや大き目のデスクに3枠のブック立てが2つ。菓子缶にも雑多な書類。そして数冊の本を積んだ上に孟宗竹製の筆入れ。出窓近くには過去の俳句帖がずらりと並び、ちょうちょく手にする文庫本なども手の届く位置にあります。机上にはノート型のVAIO、椅子の横にはSPレコードキャビネットに乗せたプリンター(元は長女のもの)。あと、独身時代からの書棚、背後には先代からの桐箪笥。家内の和箪笥そして洋服ダンスなど。で、手元に取り出したのは、新版「おうむ石」というセリフ集。古本屋で200円で手に入れたもので、番町皿屋敷から助六由縁江戸桜まで34項目。浄瑠璃38種。他に清元や常盤津、長唄、おまけに小唄集まで致せり尽くせり。 子供の頃に観た、与三郎や弁天小僧、助六などの名セリフは、雀百の諺のようにほぼ暗記していますので、たまに宴会などで披露します。 本日の拙作は、「Some Dreamy Hours」です。 貴男は世界で 一番素敵な 優しい心を 持っている人 貴男の瞳は 夜空に輝く 幾多の星より 美しいのね 貴男のベースが 一言ささやく 夢見る乙女を 誘っている 現実 時越え バラ色のように めくるめくよな 渦の中 貴男が両手で 包んでくれたら 素直な気持ちに なれるのです 貴男と居る時 時計は止まるの 不思議の国の アリスのように 貴男がソフトに この髪解いたら 茨の日々も 癒されるの 現実 時越え 真珠みたいな 涙ほろほろ 零れそう http://voon.jp/a/cast/?id=ar95bmxsjbsg1rbp#player
2014.01.31
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随分昔の事ですが、永六輔さんがNHKに出てられた時にお聴きした事を思い出します。あんなに早口で話されるのですが、家では、むしろ寡黙に近いということや、人の言うことを聞くことに専念して自分からは余りしゃべらないと仰っていました。 先ず相手からの情報を得る、相手が何を欲しているか、どんな感情でいるのかと言うような判断材料を集める事に終始するとか、相手から多くのことを学ぼうと言う姿勢で臨むと言われて居られたので成る程なぁと思ったのでした。 <今時のインターネットや多機能の携帯電話のように目で画像が見えるものは、結果が出てしまっている訳で、誰が見ても同じ画像、それ以上に物事が広がり難いから逆に>テレビよりはラジオ放送の方が魅力的だと言われてもいました。(注:< >内は私の意見)また職人さんの仕事の一端として、木目を削るとき、カンナ自体の重さで木の表面を0.7ミリ程度の薄さに削る技法などを紹介されていました。 私がこの日記に写真などを貼り付けないのは、面倒臭いというのが90%の理由、残り10%の理由が、読者の想像に任せた方が余韻があるかも知れないなと愚考するからでもあります。 若い頃、病気で入院していた折、消灯後のベッドで、「毛利和子のお部屋」だったか、朝日放送のラジオ番組があって、曲と曲の合間に毛利さんがいろんな話をなさっている内容を頭の中で空想することが楽しみでした。本日の抜粋拙作は、”道標”です。。 http://voon.jp/a/cast/?id=rqrlfzpao7hux01n#player
2014.01.30
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真っ白な大きな画布に 先ず最初に僕が一本の樹木を描いた それは大好きなイチョウの古木 黄緑色に陽が射し込んで 金粉を散りばめているような 若葉が天使を呼び寄せているような そんな樹木を描いたんだ それが二本になり三本になり 何時の間にか ハイネの詩に出てくるような 写実的な西洋絵画のような 森を形づくっていた 或る日突然 一匹の白兎の絵が描き加えられていた きっと君が描いたんだね 僕は嬉しくなって 画布の左に白樺の樹を植えた すると君が青く澄み渡った 楕円形の湖を描き入れた 僕の手で右上方に太陽を輝かせると 湖畔には優しい小花をいっぱい 赤、黄、紫、黄色、ピンクの彩りを 君が描き入れた 僕はすかさず湖面に つの字の首をした白鳥を浮かばせた すると画布の左方から右へと 七色の虹の架け橋を君が描き足した こうして僕たちの風景画が 誕生した
2014.01.29
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「想い出にかわるまで」「ひらり」「都合のいい女」「毛利元就」などで著名な脚本家・内館牧子さんの絶妙なコメントの附された恋愛指南書が掲題の作品。未婚の女性には是非一読して戴きたい読み物です。 あの人のどこがいいかと尋ねる人に どこが悪いと問い返す 枕出せとはつれない言葉 そばにある膝知りながら 思い切られぬ心が不思議 こんな不実にされながら 惚れられようとは過ぎたる願い 嫌われまいとの この苦労 私しゃロウソク芯から燃える ぬしはランプで口ばかり 惚れた証拠にゃお前の癖が みんな私の癖になる 唄もうたわずお酌もせずに 花をあびてる石地蔵 あなた恋しと鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす 思いなおして来る気はないか 鳥も枯れ木に二度止まる おろすわさびと恋路の意見 きけばきくほど涙出る と、まぁ全部で48もある中から適宜選んでみました。これらの作者の粋な表現の妙には感服するばかり。内館氏は、これらの一つ一つに女性ならではの解説や余談をエッセイ風に仕上げて居られます。 婚期をやや逸っしかけた女性は、それとなく占いに興じるのでは?ということで、本日の拙作は「 占 い 」です。 1) 占いを信じますか? 見料少々 高いけど やっぱり気になる 近頃の運勢 彼は真面目ですか 彼をゲットできますか 彼を旦那にできますか 自分じゃ分らない 手相の溝、溝 2) 占いを信じますか? 今までお金に 縁がない やっぱり気になる 将来の金運 彼は金のなる木ですか 彼は出世できますか 部長夫人に なれますか あれこれ欲張っても 根も葉も無い、無い 3) 占いを信じますか? チャンスに何度も 負けたけど やっぱり気になる この次の勝運 石田君を狙います 勝てる見込みありますか 後に退けない 本気です 心底祈ってる プライド捨て、捨て 「占い」 http://voon.jp/a/cast/?id=53q5s5n7js60jd3e#player
2014.01.28
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戦国期までは天子も将軍職も世襲制に慣って来ていましたが、自分の息子たちよりも後世を託すには能力者が良いという考えを記したものが、斉藤道三の遺言状で、京の妙覚寺に残されています。<わざと申し送り候意趣は美濃国の地、織田上総介の存分に任すべきの条、譲状、信長に対し贈り遣わし候事> この時は長男の義龍によって道三は滅ぼされたので、遺言通りになりませんでしたが、後年、孫の義興が信長に奪回されています。歴史的には秀吉が五大老に秀頼の事を託した部分が協調されていますが、宣教師フランシスコ・パシオ宛の手紙では、一旦家康に政権を譲り、秀頼が成人した暁には豊臣家に政権を戻して欲しい意向が記述されているそうな。秀吉の時代ではまだ、世襲制には戻らぬ戦国の名残があった事は秀吉にとって不幸と言えましょう。しかし家康とても二代目将軍を誰にするか重臣に相談したところ、意見が分かれていたようで、本多正信は二男の秀康を、大久保忠隣は三男秀忠、井伊直政は四男忠吉を推したという事は、家康の子に秀逸な子の無かった裏付けとも。 小和田哲男さんの「国盗りの組織学」副題・乱世を生き抜いた知恵を参考に拙文を書きましたが、秀忠の次の将軍選定は、ドラマ大奥にも・・・またの機会に。 本日の抜粋拙作は「東洋の秘境」です。 http://voon.jp/a/cast/?id=tkwm7qw0nuuulp42#player
2014.01.27
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先日図書館から借出した毎日新聞社編「タカラヅカ」の初めの方に、劇画のルーツはタカラヅカと明記してありました。 実はこうなんです。大正末期生まれの漫画家・手塚治虫は宝塚育ち。しかも隣人はと言えば、宝塚の象徴とも言える天津乙女その人で、「オサムちゃん」と呼ばれ可愛がられていたそうな。昭和一桁の「パリゼット」「花詩集」のレビュー全盛時代にオサム少年は宝塚風の美意識を育まれたのでしょう。日本敗戦時、彼の纏めた原稿は十五編、三千枚にも及んでいたようです。治虫は歌劇編集部にも籍を置いた時期もあり、「リボンの騎士」の主人公、男装の麗人・サファイア王女のモデルは淡島千景と言われています。後年、池田理代子作の「ベルサイユの薔薇」の舞台化によって、宝塚が再び脚光を浴びる契機になったことは不思議な縁と言えましょう。本日の抜粋拙作は「戴冠式」です。平成9年9月20日の作。
2014.01.26
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大山崎の観音寺には聖天さんが祀られています。ご利益の即効性と違反者への天罰の話の他に、聖天(ガネーシャ)の乱暴ぶりに辟易した両親達の苦肉の策として、美しい女性に変身した十一面観音さまに一目惚れさせ、その女性と夫婦になるには、二度と乱暴狼藉をしないと誓わせた話も、ガイドの際、話題にしています。 ところが、本場のインドでは、ガネーシャの誕生には幾つもの話が残されているようです。(一)シヴァ神の妻パールヴァティが自分専用の召使が欲しくなり、自らの垢に香油を混ぜて作った人形にガンジス河の水を注いで命を吹き込んで生ませたのが聖天。 入浴中に夫シヴァ神が覗きに来るのを嫌った彼女がガネーシャを門番にして見張らせました。父シヴァ神の侵入を拒んだ息子に腹を立て一刀のもとに首を刎ねてしまいました。それを悲しんだ妻の訴えに応えて一番先に見た動物の首を据えつけるという約束のもと、象の首が据付られたという説。 (二)見られた者はすべて灰になるという悪魔として生を受けたガネーシャが祝福された瞬間、首から上が灰に帰した。そこでヴィシュヌ神が空を飛び河畔で寝ている象の首を運んできて据えたという説。 (三)シヴァ神が妻パールヴァティを見つめていると、その美しさに感動しているシヴァ神の頭から、まばゆく輝くガネーシャが生まれ出ました。自分よりも美しい者を認めない妻は、その子に呪いをかけ、象の首そして醜い出っ腹にしてしまったという説。 この他にもいろんな説があるガネーシャはインドでは人気抜群の神様ですが、日本では歓喜天という男女合体の秘仏も多く、なかなかその実態、お姿を見ることができず、残念に思っています。 本日の抜粋拙作は、「ごめんなさい」。 http://voon.jp/a/cast/?id=jqiz7qjw77yew7a5#player 歌詞はみなさんが適宜入れながらお聴き下されば幸甚に存じます。
2014.01.25
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梅雨の走りになって、買い溜めする買物客も多いのか、向いの八百屋からは威勢のいい商い声が聞こえて来るが、骨董を並べる清六の店には、客らしい客も無かった。 京造りは間口が狭い上に奥行が長いので、奥の土間は暗かった。おしめ等を洗っていた咲代は、ふと、その手を止めた。店先でことりと音がしたからである。 「あんた?---お客はんらしいえ。」 「うん」 生返事だけで、出て行きそうにもない。夫の居るだろう見当に顔を向けて、 「あんた!お客はんと違うかて言うてますのに・・・?」 「うん、今行く」 言葉数は増えても調子は同じであった。ほんに仕様のない人という素振りで、前掛けで手を拭き拭き、咲代は店に出て行った。が、直ぐに戻って来た。 「確か、ことっと音がしたのに、誰も居やはらへんわ。もう、今日で三辺目え。けど、あんなもん盗みに来る人もあれへんやろな。」 と言われて、 「何言うねん!店に出したアるもんには、一つ拾万円からするもんかてあるのんや。商売もんに何ということ言うのや、ほんまに、えらい女房もろたもんや。」 「へえ、えらい女房で悪おしたね。あたしが居いひんかったら、この子の世話、あんた、して呉れはりますのんか?」 どうですと言わんばかりの目を夫に向けてから、咲代は背中の末子の寝顔を見ようと、体ごと首を捩じった。首に力が入るから、口がへの字になる。それが清六の癪に障った。 「お前が居いひんかったら、この子も出来へんかった筈や。ほんまによう産む女や。」 「あたしに産ました人は、あんたどすやろ?・・・ほれほれ、ひどいお父さんやなア、かわいそうに、かわいそうに。」 そんな言葉を残して、咲代はまた洗濯にかかった。この末子で七人目であった。もうこれ以上はーーーという意味で、末子と名付けたのである。清六は、元来、のんき症で、父から土地等の不動産を譲り受けていることは、一層、彼を暢気にした。 それに清六は古いものが好きで、惚れ込んで貰った咲代が、年々古女房になっていくのに、内心安らぎを感じているのであった。また、古道具屋という商売も、いわば彼の趣味に近かった。毎朝古めかしい品物に、一つ一つ叩きをかけることが、彼の生き甲斐であった。 ここ二、三日は知人から借りた戦記ものの古本を、奥の部屋で読み耽っていて、店番もルーズになっていた。しかし、今はとっさの直感から、彼は店先に飛び出た。 棚の一番手前にあるべき布袋の置物が無くなっていた。今朝、いつになく荒っぽく叩きをかけて、その出っ腹から音がしたので、よく覚えている。清六は、やられたと思った。盗んだ者も憎かったが、気の緩んでいた自分に腹が立った。 仏像だの、甲冑だの、鏡台だの、櫛だの、等身大の人形だの、骨董ものでゴタゴタした店先であるだけに、ぽっかり空いてしまった棚の隅の空間が、淋しかった。 ・・・・清六の肩が落ちた。咲代が後ろに来て、じっと見守っているのも知らなかった。盗まれた布袋の銅像は、値打ちものではなかった。たゞ、その腹の丸みが、他の布袋のものより秀でていた。黒艶のある豊かな腹の丸みに、清六は一家の安泰を託していたことに、この時、初めて気付いたのであった。 それから、そばに妻の居ることに気付いた。淋しげで虚ろな彼の目と、それを慰める咲代の目がしばし無言の語らいをした。 そこへ、老紳士が入って来た。咲代は奥へひっ込んだ。老紳士客は、やヽ大きな武者人形に目を付けたようであった。色褪せているにも拘わらず、その人形を見つけてくれた老紳士を、清六は有り難く感じて、揉み手をしながら、したり顔で上客に接した。盗まれた布袋のあった場所は、やはりぽかんと空いた侭で淋しかった。・・・<昭和44年6月20日作>
2014.01.24
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インターネットはバーチャルな世界だから怖いとか信用できないと仰る人に度々会いますので、再び私見を述べたいと思います。 インターネットの世界では、何処の誰とも明らかにしないで言葉のアクションを起すことが多いので、虚構の世界、仮想の世界と言ってしまえば、正にその通りで危険と背中合わせにあるとも言えましょう。 しかしながら、いろんな方のブログを拝見していますと、たった一行ほどの言葉の中に、その人の人格が見えて来るものです。短期間に判断してしまうから、予想だにしなかった被害を被ったりするのでしょう。 日本は世界に誇れるほどの語彙の豊かな国ですから、一つのものを指すにもいろんな表現法がありますし、それを形容する言葉を織り交ぜると”幾種類もの言葉の帯が連なる”ことになります。 この”言葉の帯地”を鑑賞の目で見ることによって、その帯地の製作者の生き様なり、信条なり、性格なり人柄なりが浮き彫りにされて来ます。従って、鑑賞の目を肥やすことによって、自分の判断力の精度を高めて行くことが出来るのではないでしょうか。 単語というものは画布における絵の具のようなもの。語彙の連なりは線や模様・形のようなもの。そして言葉は多くを語れば良いというものでなく、できるだけ簡明なものが相手に伝わり易いものなのでしょうね。 寒さが日増しに厳しくなっています。で、春の調べ、本日の抜粋拙作は、八幡市にある、早春の松花堂の庭か ら沸き起こった鳥の囀りを曲に仕立てたものです。 「Spring」 http://voon.jp/a/cast/?id=ri22ijg4g65ab5hc#playe
2014.01.23
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編集に携わった頃は月刊俳誌の原稿は発刊前月の7日辺りに出版社宛持参していましたが、最近は前々月の最終週中ごろとなり、3月号分は昨日持参しました。ついでに御所や護王神社近辺にて句材を探しました。最後に図書館に寄り、5冊借出しました。1)「国盗りの組織学」小和田哲男著(日本経済社) 奈良・平安期の身分世襲制から下剋上、実力本位の時 代、戦国武士道、職掌分担制、道州制など。折々脱線 する豆知識も魅力的な本です。2)月刊「京都」743号 白川書院 錦市場は若冲が救った!という見出しに惹かれました。3)「戦国城塞傳」津本 陽著(PHP社) 昨年、大山崎歴史資料館の企画展では山城としての秀 吉の山崎城その他の模型も展示していました。4)「歌舞伎の智恵」山川静夫著(演劇出版社) 少年時代に観た今は亡き先代たちの役者の写真が多々。5)「タカラヅカ」毎日新聞社編 これもまた、私が観劇した頃の写真や、宝塚の殆どが 理解できる良書。 本日の抜粋拙作は「気になる女」(平成13年頃作)1)都会のビル街 まだ早い 小さな喫茶に 座る女 齢は三十 半ばか 背中に感じる 孤独な生活 悩んでいるなら 話してごらん 一度でいいから 笑ってごらん 何故か気になる 女だった 2)日暮れの場末の ターミナル 居酒屋暖簾を くぐる女 酒に二品か 三品 薄目なくちびる 孤独な面影 寂しい想いを 話してごらん 閉ざした心を 開いてごらん 何故か気になる 女だった ”気になる女”http://voon.jp/a/cast/?id=oohgvkok9mxbeqsa#player
2014.01.22
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文化方面での日本の劣化傾向を案じる旨、いつぞや、書き記した記憶がありますが、まだまだ捨てたものでもありません。父らの時代に書かれた著作物とこんにち溢れる如き新刊との比較に於いて哀感迫るものを禁じ得ませんでしたが、例えばNHKからフリーになられた葛西聖司さんの「ことばの切っ先」などは、内容として引けを取らない良書だと思います。「朝顔日記」の<知らなんだワイナァ>の件では、盲目の深雪の、追い求めた恋人に遇えながらも己の不明の為離れてしまった人への慟哭のセリフ。これと生い立ち後の複雑な運命を辿った世界的監督・河瀬直美さんの、赤子以来二十三年ぶりの実父との対面を映したドキュメント作品の事や、カンヌ出品作「沙羅双樹」はコンペ会場の四千人総立ちの拍手が五分間続いた実際の話等とが併記してあって見事な読物だなと感心しました。 こういった良書は、十年、百年、千年のちでも人々の胸を打つ感動の書になる事でしょう。漱石を初め、いろんな文豪と生に接する機会を与えてくれるのが図書の役割なのでしょうね。本日の拙作は「マリーの言葉」です。 この画面を残したまま、別途サイトを起ち上げ、ここに来て戴き、 音楽ボタンを押し、歌詞を参考にお聴き下されば幸甚に存じます。 ・・・・マリーのことば・・・・ 1)好きになる前に 分かっておいてね 私の性格 好みを 自慢できるのは ウジウジしないこと 好き嫌いが はっきりしてるから 付き合いやすいと 思うよ 愛してくれただけ 愛してあげるわ 2)あらゆる出来事に いろんな男に 興味が尽きない 浮気症 自慢できるのは 尻込みしないこと 振り振られて 全然平気なの 兎に角退屈 させない 愛してくれただけ 愛してあげるわ 3)もしも傷ついて 落ち込んでいても 知らない顔して おいてね 自慢できるのは 七転八起人 嘘じゃないよ しっかりしてるから いつでも相手に なるわよ 愛してくれただけ 愛してあげるわ 「マリーのことば」 http://voon.jp/a/cast/?id=bwk47vkbx3pqz53z&c=4&t=1
2014.01.21
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世阿弥の「風姿花伝」は舞を志し、舞道をある程度弁えたレベルの人物でないと真意が理解できない崇高な奥書と言えましょう。第二章その八「神」に次いで、その九では「鬼」について言及してあります。 <これことさら大和の物なり。一大事なり。およそ怨霊、憑物などの鬼はおもしろき便りあれば、易し。>鬼の物真似は日本古来の猿楽の得意芸で、強烈な個性なので、その分、派手に舞えば見栄えのする安易な舞であと言っています。そして結論として<ただ鬼のおもしろからむ嗜み、巌に花の咲かんが如し>本来岩場に花など咲かないけれど、たまに小さな可憐な花が一、二輪咲いているような華やかさも存念せよと。 ところで私が中学生の頃だったか、二代目猿之助つまり初代猿翁の「黒塚」を見ました。インターネットでは猿之助一座の襲名披露興行目前に彼が病に倒れたので、三代目が代役で舞ったと説明していますが・・・。この黒塚の舞の凄いところは、直立したまま、朽ち木がのように前に倒れる「仏倒れ」の瞬間。舞踊の折は、一段専用の床を張り、足踏みの音がよく響く工夫がされているので、バタンと倒れた時の音の凄まじさ。半世紀経ってもこの耳に残っているのです。本当に気を失った人のようにばったりと倒れるのです。鬼の登場する舞は、茨木、紅葉狩、土蜘蛛などありますが、黒塚の鬼が一番強烈な印象を受けたのでした。 本日の抜粋拙作は平成5年9月17日作の「トルコ軍凱旋行進曲」をお聴きください。 http://voon.jp/a/cast/?id=l5xzelz1ss8v65fm#player
2014.01.20
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ここ数年間で文章力が落ちて来たなと感じているのですが、それは、そろそろ始まった呆けの前兆だと思い込んでいましたが、それだけではなく、他にも原因があったことに気づきました。 それは美文、名文に接していないから、流麗な文章を読んでいないからに相違ありません。例えば京を愛した長田幹彦の一文なら <・・・なかでも円山の夜桜は昔から天下の人口に膾炙してゐる。「春は花、いざ見にごんせ東山、色香争ふ夜桜や・・・」と、やさしい節調で艶曲、「京の四季」にも唄はれるとほり、名代の枝垂桜で賑はふ祇園の夜桜ほど艶かしいものは又とあるまい。 今の時世でこそ祇園町にも電車の軋りが喧しく、紅提灯もあたら不風流な電燈にかはってしまったが、つひ七、八年前まではかがり火の美しく燃えたつ花見小路から円山までの道さへ既に一幅の画中の趣を呈してゐたのである。> 情景が瞼に浮かんで来、いつまでも引用したくなるほどの名文です。吉井勇の小説をいつぞや紹介したことがありますが、彼のは五七調で綴っていますので、猶更のことしみじみ文章に惚れ込んでしまいます。 本日の抜粋拙作はコンピューターミュージック第2作目の「男って?女って?」、平成5年1月10日に 三重堀氏のお宅で楽譜を入力したものです。 「男って?女って?」 女は小悪魔 ご用心! 素敵な男を 待っている 妖しいドレス 妖しいメイク 男の能力 男の値打ちを チェックチェックチェックする 計算づくめの生き物さ 意外に理性の ある奴さ 男は蝶だよ ご用心! 美味しい花粉を 求めてる ソフトな言葉 ソフトなタッチ 女の魅力を 女のボディを チェックチェックチェックする 衝動的な生き物さ 意外に幻滅 する奴さ 女も男も 化かし合う! 狐と狸の 腕較べ 優雅な狐 頼れる狸 自分の都合で 自分の都合で チェックチェックチェックする 世の中巧く できている おんなじ絡みの 繰り返し ”男って?女って?” http://voon.jp/a/cast/?id=cnh1azlofvg9mxyt#player
2014.01.19
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前にもこの日記に書いたような気がしますが、戦後から昭和三十年までの物資不足期を経て、飽食の時代となった今、行政では医療費節約を鑑み、メタボ予備軍らしき人々にダイレクトメールを送り付けます。一方では少しぽっちゃり系の方が病原菌への抵抗力があるという説も。その易きに流れるかと思えば、決してそうではなくて、体重を気にします。 さて、長岡京市では名産タケノコから名づけたものか、「のこちゃん体重日記」という体重測定記録グラフをインターネット上でも提示。私たち夫婦は、もう五年来のこちゃん体重日記のグラフその他の情報を書き記しています。つけ始めた当初は、一挙に二キロほど減少したので弾みが付きましたが、最近は惰性に流れ、年末から新年にかけて一キロ上昇してしまいました。無理のない減量方法としては小一時間ほどの散歩が有効ですが、三時から夕食前の「魔の時間」に「おやつ」を食べないように、外出しているとか、パソコン上で何か夢中になって作業して時をやり過ごすのが一番賢明なのかも知れません。 本日の抜粋拙作は「京暦」。1)恋という字に 心を染めて 焦がれる女と 知りながら 哀れ散る散る 櫻花 京は円山 花かがり 2)いつも泣き言 言っては拗ねる それでも貴方を 許してる 哀れ降る降る 五月雨に 京は賀茂川 杜若 3)どうせこの世で 添えないのなら 死んでも貴方の 影法師 哀れ鳴る鳴る 鐘の音に 京は嵐山 紅葉山 4)夢か現か 幻なのか 貴方に抱かれた あの宿の 哀れはらはら 舞い落ちる 京は鞍馬の 雪景色 「京暦」http://voon.jp/a/cast/?id=d0e5lqg20ex16vuw#player
2014.01.18
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イエス・キリストが生まれた頃の世界人口は、2.5億人程度だったと 推定されていますが、それが2倍の5億になるのに1650年を要しました。 そして1930年頃は20億、1昨年では70億人に達したようです。 アメリカの生態学者E・Pオダムの計算では、12歳の少年が 1年間生きる為に必要なエネルギー換算では牛4頭半が必要だとか。 この4頭半の牛を育てる為のムラサキウマゴヤシという牧草2千万株が 育つ広大な土地が必要という勘定になります。 鳩ぐらいのハイタカという猛禽1羽が生活するのには、どれほどの緑が 必要かを考察すると、この鳥が仮に四十雀程度の小鳥を餌とするなら、 779羽を食します。それなら四十雀1羽は、年間12万5千匹の 松尺取虫を要し、779羽の四十雀には1億近い尺取虫が要件となり、 その虫の為にはキハダの森に換算して約2キロ平方メートルの緑が。 つまり皇居や明治神宮の森ほどの緑があってこそ、ハイタカは一羽 やっとこさ生活できる訳で、緑を底辺に、ハイタカを頂点とする 食物連鎖のピラミッドは、「エルトンのピラミッド」と言われるほど 底辺がうんと長い、ぺったんこのピラミッドになります。 それほど環境問題は厳しいもので、森を育てるのには即効性が 無いので、大きな時間的な視野も併せて必要だという話です。 (参考書・上前淳一郎「読むクスリ 16巻」) 本日の抜粋拙作は「郷愁」です。 http://voon.jp/a/cast/?id=z578onyzk4un46ul#player
2014.01.17
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歌舞伎だったか寄席番組だったか、松の絵模様扇を幾つも広げる舞踊を見たことがあります。伊予万歳の「松づくし」もあれば、端唄の「松づくし」。果ては祇園甲部歌舞会のTUBUもインターネットでは簡単にみることができます。カシオの電子辞書で「すえひろがり」を引けば、次第に末の方のひろがってゆくこととか次第に栄えてゆくことや扇を祝っていう語、すえひろ。同じく作品名の「すえひろがり」として引けば、「末広・末広がり」として、一つは、狂言・脇狂言として、果報者が末広を求めに太郎冠者を都に遣るが、悪者に古傘を末広だと売りつけられて帰り、主人に叱られるという説明と、「末広狩」と書いて、歌舞伎・長唄の舞踊、ほかに一中節の「末広」にも言及しています。 所で、国学者の金田一春彦さんの「ことばの歳時記」ではタカ狩りの項で、兎などを殺すので鷹狩りは残酷だという米国紙に触れられ、熊狩や猪狩はそれそのものを殺す狩で趣が違うし、キノコ狩は茸を取ること、紅葉狩、桜狩では、紅葉や桜の枝を折るところを見つけられたら、軽犯罪で捕まってしまう旨書かれています。 本日の拙作は、「こころの四季」。 1)春になったら 小川の水で こころを奇麗に 洗ってみよう 2)夏になったら 海辺の太陽 こころにいっぱい 集めてみよう 3)秋になったら 銀杏のもとで こころを誰かに 捧げてみよう 4)冬になったら 暖炉のそばで こころのアルバム 広げてみよう この歌は、芹洋子さんの”四季の歌”を模して作った詩です。 一人の多感な、そして慎ましやかな乙女をイメージして、するすると浮かんだものです。 曲全体をストリングスで包み、メロディラインはハープシコード(チェンバリン)ほかを使用しています。 間奏部分に工夫を凝らし、2番目へのつなぎから長調へ転調、2番のメロディも明るい夏の陽射しの長調、そしてロマンチックな3番には再び短調の奇麗な伴奏で盛り上げ、終局へと移行してゆきます。 「こころの四季」 http://voon.jp/a/cast/?id=u7b7ieibrmyncicn#player
2014.01.16
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京都から佐賀市への転勤、再び大阪住吉区の社宅に越した小学四年生の頃から、父に連れられ旧歌舞伎座の舞台を観劇しました。当時の女形としては歌右衛門と尾上梅幸が双方個性的な舞を披露していました。京鹿子娘道成寺の白拍子花子では妖艶な歌右衛門、愛らしさのある梅幸の特徴が顕著でした。山川静夫さんの「歌舞伎のかくし味」の芸談にみる情味の項に「ダメ出し」の小題で、歌右衛門の後輩への指導に触れておられます。平成六年九月興業の「加賀見山旧錦絵」での雀右衛門の尾上、芝翫のお初、吉右衛門の岩藤の配役で”草履”と「長局」を稽古していた折、尾上が岩藤に草履で打たれ、無念の涙をのんで花道に入る場面で、袱紗に包んだ草履をあらためて見る尾上に、 「ちゃんと袱紗をお出しになって。そう、泣いて、泣ききっちゃって。涙をすっとはらって、居ずまいを直して、中老になって引っ込むのよ、中老でね」と、歌右衛門が助言し、さらに、柝の刻み方に対しても 「もっとゆっくり、幕もゆっくり閉めて」と狂言方に指示しておられたとか。 芸というものは道の一つで、江戸期から何代も受け継がれ、また受け継いでゆく奥深いものです。成人式を終えられた若者にも、味わって戴きたいと思う次第です。
2014.01.15
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父祖より京都新聞を愛読していますが、新年から一面とその続きとして地域面での掲載が始まった京都国立博物館所蔵公開シリーズ「名品手帳」に明月記の事が。嫡流ではないものの、冷泉家の祖・藤原定家の明月記は歴史的な事や当時の風俗・風習等を記してありますので時代考証には欠かせない日記と言えます。 旧暦での正月十三日は頼朝の命日に当り、その事を建久十(一一九九)年の定家の日記に一週間ほど遅れの十八、二十日の記事としていると新聞は報じています。私の蔵書には「京都冷泉家の八百年」(為人著)がありますが、時々、長岡京市の図書館から「明月記」も借出し、往時に心を寄せる等しています。また大山崎のガイドに関して借出せる図書としては、宗祇から古今伝授を受けた三条西実隆(関戸明神や宗鑑碑のガイドに絡みます)の日記を初め、嵯峨天皇の河陽宮跡の離宮八幡宮の古文書三百余点(殆どが重要文化財指定)は時折、京の大学教授陣が鑑賞されています。 また江戸末期から明治維新にかけて、当時を偲ぶ日記として、通称「山崎聖天」で知られる観音寺の日記も一度は拝読したい文書の一つです。 本日の抜粋拙作は、「古代遺跡」。 http://voon.jp/a/cast/?id=yu8jb80vvh7f5qzg#player
2014.01.14
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昨年来から楽しみにしていた女子駅伝。25年度のガイド会の幹事となっていたので、生憎、昨日午後の当番を余儀なくされていました。そこで、やむなく録画予約をして歴史資料館にて当番を致しました。新年だというのに、松の内だというのに、館内を訪れるお客様が多く、仙台から出張中の男性、東京からのご夫婦、八幡市のご夫婦、京都市、高槻市からも多くの方がお越しになり、まだお話しても宜しいかと逐一お客さんの了解を得た上で面白可笑しく館内の展示品などを説明しました。私の当番の時はいつも偶然ながら、当番時間切れになるギリギリでの来館者も多々ありまして、結局、5時前まで務めました。 さて帰宅して夕飯までのいっときを待ち焦がれた録画に集中。新聞の8区間の全国出場メンバー一覧表に到着順位を書き込んで楽しみました。1区の大阪・大森さんと京都・菅野さんの競い合い。2区では愛知・鷲見、岡山・翁田、群馬・小林の各人の力走、3区大阪・高松智さんの跳ぶような走り、群馬・樺沢さん、京都・西川さんの頑張り。4区では期待通りの木崎さん、踏んばった群馬・森さん。5区で関さんが1位をゲット、愛知・堀さん、群馬・高田さん、6区は愛知・関根さんが好走、岡山・足立、神奈川・森田香さんが同タイム。7区はトップ京都の筒井さんがリードを広げ、兵庫の林田さんも区間賞、4秒遅れは神奈川の森田詩さん。中学生区間8区は、兵庫・田中さんが力走、8秒差で群馬・篠崎さん。更に6秒差で京都の青山さん。最終区は大物揃いの興味ある区間、6位から3つ上げた岡山・重友さん、区間2位は名物ランナー青森の福士さんが10人抜き、群馬の西原さんも流石の3位で2位へ貢献。ほかに福岡の加藤、宮城・浅羽さんにも拍手。 女子駅伝からマラソンの逸材が過去、発見され国際舞台で活躍されるランナーに成長して行きます。マラソンは4キロ、10キロとは戦法、鍛え方が違いますが、東京オリンピックでの大選手が、この中からきっと生まれることでしょうね。 本日の抜粋拙作は、”オーロラ幻想編”。 http://voon.jp/a/cast/?id=alw5yf6y5p3cjb0u#player
2014.01.13
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まだ鎌田氏が元気でいらっしゃった頃、鱗華句会後の寄り道でいつもの三猿がつるんで居酒屋の暖簾をくぐり、俳句談義三昧。呑み直しにゆく先輩猿二人と袂を分かち、ふらふら木屋町界隈を南へ向うと、阪急地下乗降口近くの高瀬川小公園に三番叟みたいな格好した若者の群れを発見しました。 問えば立命館大学の”和太鼓どん”というクラブのライブを挙行するとのアンサーでした。私は彼等の瞳の輝きに、「これは行ける」と直感しまし。 岩手県は”七つの頭(ズ)の舞い”に魅せられた若者が真摯に、その世界を探索するという奇縁から端を発したサークルだとの説明を聞きました。 先ずは二年生ペアー舞い。脇の振り、手振りのしなやかさ、身のこなしのメリハリに、つい惹き込まれてしまいました。続いて三番叟みたいな取り合わせの四人の舞い。それから随時繰り広げられる絵巻物。何故、年歯も行かない学生達に、かくも見事に舞い納めることが出来たのでしょう? やれ、もっと背筋を伸ばしなさいとか、あの場面は鋭角に剣を振りなさいとか、四人が等間隔を保ちなさい等、酔いの勢いで私なりにアドヴァイスをしました。彼らに数千円のカンパも致しました。偶然とは言え、その宵の絵巻物の、夢とも現とも知れぬ成り行きに、京のふところの深さを再認識したのでした。
2014.01.12
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テレビ番組の中の好きなものの一つに「なんでも鑑定団」があります。我が家のお宝?としては高浜虚子から戴いた直筆入りの短冊入れ(金文字で虚子の句も)、日野草城の手紙、京鹿子創始者:鈴鹿野風呂先々師の諸々のものなどがありますが、 SPレコード盤の中に、高浜虚子が自らの句や芭蕉・蕪村・子規の代表句を披講しているものが見つかりました。 何処かで聞いたような声だと思ったら、畏れ多くも先帝昭和天皇の御声に似ているように感じました。私も時々披講させて戴く機会がありますが、浪々たる声と節回しは流石だなと思いました。コロンビア・レコードが添えている23ページの冊子には こゝに又こゝだ掃かさる落椿 虚子 の直筆句があって、単に印刷されたものなのか、或いはこのレコード盤を買った後に、ホトトギスに50句ほど選んで戴いている誼で、虚子にサインして貰ったものか判別は尽きませんが・・・。 俳句の巨匠・虚子の声入りのレコードは「お宝」と言えるのかも知れません。 抜粋の拙作は、一般のギャルをモデルに歌詞を考え、 曲をつけたものです。平成10年5月5日作。 「反省」 1)ひとりになって 初めて分かった 人の温もり 見た目だけで選んだ 過去の男 不誠実と屈辱と そして悲しさだけを 残して行った 会いたくなんかない 道ですれ違っても 知らん顔しよう だけど淋しさだけは どうしよう 2)家庭を捨てて 初めて感じた 親の気遣い 喧嘩腰で通した 過去の対話 愚かさと幼さと そして気まずさだけを 残して去った 謝りたくはない 心すれ違っても 歩み寄りは無理 だけど親子の絆 どうしよう 3)社会に触れて 初めて気づいた 世間の常識 自分だけの自由は ほんの少し 身勝手さと気侭さと そして優越感を 手にしただけ 独立したけれど 思ったほど良くない 将来性ゼロ こころ傷める不安 どうしよう 「反省」 http://voon.jp/a/cast/?id=pzhre1ouo9csqpg5#player
2014.01.11
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NHKの人気番組だった「歴史への招待」その17巻の山本七平、安達以乍牟の”写楽の謎を解く人物”の項では、 「まじめなる口上まつもつてわたしの見世の儀おのおの様御ひゐきあつく日ましはんしやう仕上りありがたき仕合せぞんじ奉り候。」の書き出しで始まる「箱入娘面屋人魚」が発刊されたのが、松平定信の禁制下、寛政3(1971)の頃。発行人は蔦重で通った蔦屋重三郎で、ちょっと砕けた読物・黄表紙で、世に東洲斎写楽なる人物を送り出した人物。 同時期の歌麿が蔦屋から15年かけて149点の浮世絵を出した事に比べると、寛政6年5月から翌年の2月までに145点も発行されている不思議。忽然と消えてしまった写楽は一体何者かという論議があとを絶ちません。1)生涯31回も名前を変えた葛飾北斎説2)司馬好漢と蔦屋に寄宿の栄松斎長喜との合作説3)白川家文書にある片山写楽説4)当時の流行作家・山東京伝説5)版元の蔦屋重三郎説 重三郎は1750年正月7日生まれの吉原の人で23才の時、引手茶屋蔦屋治郎兵衛という人の軒を借りて本屋を開業。「新吉原細見」というタウン誌がベストセラーになりました。その本には吉原の町並み、店の名が見取り図入りで仔細に書き込まれていたようです。現代は「るるぶ」などいろんな旅、遊びを紹介する雑誌が山ほどあります。今も昔もそれほど変わりまんね。
2014.01.09
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世阿弥の遺した能楽書は私達が学校で学んだ時代では「花伝書」と称していましたが、現在では「風姿花伝」が正しいとされるようです。”稽古の条”での、自我に目覚める「十二、三より」項では、いずれにせよ、十二、三才の頃は見た目にはいかにも美しく、多少とも上手であれば、観客が見惚れるのも道理であるとしつつ、 <さりながら、この花は真の花にあらず、ただ時分の花なり。>と諭しています。人生の好機としての美であって、やがて老いて行けば、その美も失せてしまうとの意味で、真の花とは、その者が生来もっている才能に加えて努力によって生み出される絶対的な能力を指しています。こういう花なら、時が経っても萎れることもなく、より長く花を咲かせ続け、絢爛と咲き誇る花となる。 私の言う「名子役、名俳優に非ず」も然りで、親御さんの心の有り様がキーポイントになるのでしょうね。
2014.01.08
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正月が近づいて来ると子供たちの円らな瞳が一段と輝きを増してきます。奇麗なべべ着て草履を履いて・・・。女の子たちは口紅をつけて貰えるのが、あんなにも嬉しいのだね。男児は女々しくしたくないから表(外)で凧を揚げたり、独楽回しに興じます。 私が子供であった時代は、凧と言えば奴凧を指していました。歌舞伎十八番の「暫」の衣装のような”回”という字そっくりの袖を着けた奴さん。額は剃られて青々と・・・。駄菓子屋さんで買い求めた凧にも、運、不運があって、頭の中では颯爽と大空を飛翔する様を描くのですが現実 は厳しくて、駆けても走っても凧はキリキリ舞うばかり。糸の結び位置を変えてみたり、新聞紙の足を長くつけてみたり・・・・。そうこうしている内に、やがて凧は素直になって大空高く舞い上がります。 新春の風の勢いに、思わず糸をしっかり握り締め、魚釣りのような”曳き”の感触が堪りません。寒さに唇を紫色に染めながらも凧の勇姿に見とれて居ました。 小さい頃には廻せなかった独楽も、年々上手になって片手乗せが出来るようになると、独楽を使った鬼ごっこにも参加できるようになります。独楽の綱渡り、空中に投げた独楽を紐で受け止める芸当もできるようになります。 姉たちは色とりどりの羽根を使って、ひと目ふた目・・・と歌いながら羽根突きに興じます。その内必ず始まる羽根突き合戦。負けた子の顔面には墨の×印など・・・。桐の羽子板には無数の凹みがありました。 六畳の間では双六や福笑い、そしてカルタとりなど。昔は素朴な遊びゆえ、飽きることも知らずに遊び呆けたものでした。
2014.01.07
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「小粋な失恋」は、”想い出にかわるまで”、”ひらり”、”都合のいい女”、”毛利元就”などで著名な脚本家:内館牧子さんの絶妙なコメントの附された恋愛指南書です。未婚の女性には是非一読して戴きたい読み物だと思っています。 <あの人のどこがいいかと尋ねる人に どこが悪いと問い返す> <枕出せとはつれない言葉 そばにある膝知りながら> <思い切られぬ心が不思議 こんな不実にされながら> <惚れられようとは過ぎたる願い 嫌われまいとの この苦労> <私しゃロウソク芯から燃える ぬしはランプで口ばかり> <惚れた証拠にゃお前の癖が みんな私の癖になる> <唄もうたわずお酌もせずに 花をあびてる石地蔵> <あなた恋しと鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす> <思いなおして来る気はないか 鳥も枯れ木に二度止まる> <おろすわさびと恋路の意見 きけばきくほど涙出る> と、まぁ全部で48もある中から適宜選んでみました。これらの作者の粋な表現の妙には感服するばかりです。内館さんは、これらの一つ一つに女性ならではの解説や余談をエッセイ風に仕上げて居られます。松の内ながら平日に近い本日辺り、湯気香る風呂にでも浸かりながら味わっていただきたいな。
2014.01.06
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稲荷山の中腹に××寺という古刹がある。此処には五百もの羅漢が仏道の悟りを求め、今日も空を睨んで居られる。しかし、これは表向きの話で いわゆる丑三つの頃になると、ぼそぼそ、そこいらで談話が始まる。中には、向うの草むらから歩いて来られ、その座に加わる羅漢も居られる。 折から山颪が来て、一斉に乾いた草木が泣き出す。俳句では虎落笛(もがりぶえ)と言う季語で使っている。寒さが厳しいから、星がよく光る。すばる星など鮮明に見える位である。 「ほほう、御坊が仏門に入られたのは、十九で御座ったか。」 「はい、忘れることができませぬ。」 先に相槌を打ったのは、福禄寿のように頭の長い羅漢であった。垂れんばかりの鷲鼻である。これから正に告白しようとするのは、凡人っぽい、それでいて若さの匂う羅漢であった。 羅漢は総じて眼玉が大きいが、この方のは、眼に顔があるといった見事な眼玉であった。 「すると、女人から逃れて参られたかの?」 鷲鼻の羅漢が覗くようにして尋ねられた。額の皺は六十の齢を見せつけるようであった。 「はい、高貴な御方に恋慕した訳で・・・・・」 恋慕と言う言葉が耳に入ったのか、八方の草陰から、ぞろぞろと来られるわ来られるわ。仏話を拝聴する信心者のように、忽ち円座が出来てしまった。 さすがに冷やかすような野暮なことはなさりはしない。只、にやけそうになる顔に神経を通わせ、静聴して居られる。若い羅漢は苦行を乗り越えただけあって、此処に至ってぐっと落ち着かれ、舌もよく回転し始めた。 「いかに高貴な御方とは言え、女人は女人と高を括って居った其の上、己を褒めるのもおこがましいが、容姿にも自信が御座りました。・・・若かったのですな。平井保昌宜しく、紅梅一枝を肩に挿して、寝所に忍んだので御座ります。」 「ふむ。」 鷲鼻の羅漢は味わうように、頭を上下させて聴き入ってられる。山颪も止んだらしい。 「偉い御方で御座りました。愚僧の参るのを知っておいでで、諭すように、こう申されたので御座ります。」 夥しい視線が若い羅漢の口許に凝集して、辺りの空気は、一瞬、止まった。 「あなた様のお志、有り難う御座りまするが、物盗りになるような子供は、産みとうは御座りませぬ。」 「それだけじゃったか?」 「はい、たったこの一言で御座りました。その方からこれ以上の言葉の出る隙の無いことは、血気盛んな愚僧にも感じ得たほど。・・・・考えあぐんだ末、仏門に入った訳で御座ります。」 福禄寿の羅漢が、静かに問われた。 「それで、答は出たかのう?」 「はい、今なおこうして考えて居りまする。」 円座の羅漢はそれぞれ尤もだと頷いて、それから首を傾げながら、八方草蕪に戻られた。鷲鼻の羅漢も腕組みして考え込まれた。當の羅漢は、また、きいっと星を睨み返して居られる。 辺りは、やはり凍てるような寒さが根を下ろし、草木はますます干乾びて泣き止まない。 この短編は、私が社会人2年目、24歳の折に書いたそれはそれは古い作品です。
2014.01.05
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浪花の庶民的な盛り場と言えば、法善寺横丁。晴れ着の若い娘が行き過ぎ、ひと筋北の道頓堀では中座が初芝居の幕を二日から開けていたようです。 読売新聞社編の書を参考にすれば、昭和九(’34)年の法善寺界隈は、落語の席と夫婦ぜんざい等の甘味処料理屋が秩序良く並んだ寄席芸人の町で、浪花座、中座、角座、朝日座、弁天座も賑わい、その煽りで法善寺裏と呼ばれていた横丁では寄席小屋等に人が雪崩込んでいたようです。 落語席の代表が「南地花月」で笑福亭枝鶴、三遊亭円馬、横山エンタツ・花菱アチャコ、桂春団治等が人気を攫っていました。当時、ラヂオ放送での寄席中継が試みられ、電波に乗ってお笑いは全国の家庭に配給されたのでした。
2014.01.04
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山川静夫さんの「歌舞伎のかくし味」という本の装丁は、掛け軸箱、脇息、飛脚の挟み箱、渋団扇、番傘、煙草盆、三味線、笛、鼓を適当にあしらった粋なデザイン。内容は先日紹介したように役者の風味や家の芸の滋味、芸談にみる情話、舞踊の妙味などが述べられており、正月の読み物として相応しいように思っています。 キャミュパムパムさんには悪いのですが、その他流行りの踊りと言おうか体操と言おうか、深みの無いものは日本本来の芸や情緒の深みを損ねる”外国被れ”の弊害の産物のように感じてしまいます。オリンピックの選手の偉業を評価し、称える人間性を具備するのなら、先述のような浅いものには蓋を被せて然りと思わないでもありません。同書の「余話百味」の”旅支度”の件りでは、「沼津」の呉服屋・十兵衛の旅の拵えの道具を列挙しています。 饅頭笠、煙草入れ、矢立、火縄、手拭、甲掛け、手甲、脚絆、納戸色の合羽、提灯、道中日記、ろうそく入れ、草鞋、パッチリと呼ぶ上締めなど、江戸時代の旅の小道具の集大成と記述してあります。
2014.01.03
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かしら芋や小芋、細大根その他の下ごしらえは家内が済ませて呉れていましたので、京風雑煮は簡単に拵えることができました。昨年と違って”高価なお重箱”は買っていませんでしたが、家内と娘とでお煮しめ、栗きんとん、かまぼこなど盛り合わせると豪華なものになりました。10時過ぎから走田神社へ初詣に行きたいと家内が言いましたので、4人打ち揃って出かけました。普段は人っ子一人とて居ない閑静な小社ですが、式内宮の1つですから趣があります。心づけの千円納めて巫女からお祓いをして貰い500円の福笹にはくじ引きがあって、焼きそば5袋入りが当たりました。綺麗に梳かれた竹林を抜け、遠回りをして長岡天満宮に辿りつきました。ここ数年は長蛇の列になる天満宮さんでは池畔から続く参拝列の端から拝み、漸く我が家に戻り着きました。
2014.01.02
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明けましておめでとう御座います 昨年の途中から、楽天のフォームが変更され、紹介欄をきちんとやり直し登録していないブログは門戸が狭くなってしまい、アクセス数が極端に減りました。以前の4分の1にも達しない状態ですが、アクセス数等気にしないで、従来通り更新して参ります。 昨年十二月は早々に新年号の準備が完了、出版社との26日届に余裕綽々で終え、2月号の記事も半分できています。それでも、表も裏も手書きによる年賀状167枚は年齢的には、大きな負荷となっています。それだけ苦労して送った相手先の殆どから賀状が届くことは、そんな気持ちを粉砕してくれます。ストレス皆無の生活は老化に拍車を掛けそうなので、ブログの更新も手書きの年賀状も、そのまま維持して参りたいと思っています。 初春ですから、拙作も「spring」。 http://voon.jp/a/cast/?id=ri22ijg4g65ab5hc#playe
2014.01.01
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