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いつの日でしたか、寒の季節に因み、以下の詩を詠んだことがあります。++++ 寒の入り ++++ きのふより寒の入りにて 一筆したため参らせ候 日ごと夜毎に増す寒さ 拠る術もなき廓女の まなこに映る鉛空 明日はみぞれか雪の日か 毎日気づかふ空もやう 薄情ケさへ厭やせぬ 一度その顔拝ませて そつと手を添へ下さらば 凍てる中庭下萌の 春の兆しも見えやうと 両の掌合はせ拝みます 廓に咲ける一輪の 椿は白きまま落首 どうぞ哀れと思し召し 便りのひとつ下しゃんせ3行目からずっと終いまで七五調に詠んでいます。 詩歌が重なりますが、哀しい女性をモデルに浮かべ、次なる曲を作りました。それは平成8年の子供の日のこと、何でこんな日に・・・? ”酔いどれ女” 1)私は女 悲しい女 夜毎むかしの いいこと振り返る 昨日は がぶ飲み 荒れ狂ってしまった どうせ昔に 戻れない そこらに転がってる 酔いどれ女 2)私は女 陰気な女 悔いが身体に 仲良く居ついてる 今日はドライブ ヤケ運転しちゃった どうせ真面目に 暮らせない そこらに転がってる やくたい女 3)私は女 ひねくれ女 いつも自分の 立場で甘えてる 明日はパチンコ 終了まで 打つだろう どうせコツコツ 努めない そこらに転がってる 不幸な女 「酔いどれ女」 http://voon.jp/a/cast/?id=a21sh1wfzl093dgo#player
2013.01.31
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父が私達に遺して呉れたものは世間様より数倍多いと思われますが、とりわけ景色の良いこの長岡京のこの地が一番だなぁと思う事しきりです。と言いますのも、この寝室の出窓から眺める天王山の稜線に、ひときわ抜きん出る大樹が見えます。時には恰も天文観測所の建物にすら見えてしまうほどの出っ張り具合です。 ボランティアガイドの一員として大山崎地区をガイドする折、天王山山頂近くの酒解神社本殿前にあるこの樅(モミ)の樹は30メートルほどありますと説明していますが、大山崎近辺よりも、少し離れた長岡京地区から眺めた遠景の方がより抜きん出て、鮮明に見えるのです。 まるでクリスマス・ツリーのような形をしたこの樅の樹と天王山との取り合わせを一つの絵画の構図として、四季の移ろいを愉しんでいるのです。天王山に限らず、京都へと向かう西山山系の頂きにも大きな樹木が時折抜きん出ているのを目にします。 本日の拙作は"芽ぶき”本当はもっと長い曲ですがさわり部分のみ、MDからパソコンへと再録音したものです。 http://voon.jp/a/cast/?id=vs4ua2h8f2wgs519#player
2013.01.30
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年があらたまり、受験シーズンになって参りました。久しぶりに清水範義さんの「日本語がもっと面白くなるパズルの本」からお借りしました。1)「ゴルゴ13」の性格が最も表れている台詞を1つ挙げ、 その性格について15字以上20字以内で答えよ。2)「巨人の星」の星一徹は、なぜ中日の監督になったのか、 15字以上20字以内で答えよ。3)「サザエさん」と「ちびまる子ちゃん」の家庭の会話の 様子からわかる人間関係の共通点を15字以上20字以 内で答えよ。 奇妙な問題ですが、実はこの3つの中で、実際に某私立高校の入試問題として出題されたものが1つあります。それは1~3のどれで、答えも考えて下さい。 こういう問題では、正しい解答というものを予め決めておくことには問題がありそうですね。子供たちは必死に悩んだことでしょう。おそらく出題者は、模範解答のように感じられる能力、それを整理して説明できる能力を問うておられたのでしょう。<解答 3 「両方の家庭とも、親子関係が健全である」> 本日の拙作は”良き時代”。これは「青春時代」という名曲のイメージを真似てみました。 実際に歌っている3番の歌詞、19で居たいは 15で居たいに訂正します。にきび面(ヅラ)に悩んだのが、19歳では遅すぎますね。http://voon.jp/a/cast/?id=eeyrfzej58u3bu5w#player1)もう一度 目に触れたい 幼い頃の おもちゃ達 積木のあの色 あの匂い 今とは違う 僕等の時代は 良き時代だったかも 2)もう一度 君に逢いたい お下げ髪した なおみちゃん くすの木木犀 あの香り 今でも残る 僕等の時代は 良き時代だったかも 3)もう一度 十五で居たい にきび気にした 旬の頃 互いに無いもの 求めてた 切ない思い 僕等の時代は 良き時代だったかも 実際の曲は「だったかも」を繰り返しています。前奏・間奏の打楽器をテンポよくボリュームを上げています
2013.01.29
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閻魔大王の下で裁判の補佐をしたと言われている人物が小野篁で、 誰もが知っている遣唐使:小野妹子の子孫、彼の孫には三蹟の一人小野道風がいます。 父の参議岑守に従って陸奥へ行きましたが、赴任を終えて父が都に帰ったにも拘らず、乗馬の虜になって戻らない彼を嵯峨天皇がお嘆きになったので、猛省し学業に励みました。 閉シテ閣ヲ唯聞ク朝暮ノ鼓 登リテ楼ニ遥ニ望ム往来ノ船 嵯峨天皇が河陽宮(現在は大山崎離宮八幡)での行幸の折、この詩での意見をお尋ねになった時、 真に結構な聖作とは存じますが、「遥かに望む」を「空しく望む」の方がより感動的かと愚考しますと答えました。 実はこの詩は白楽天の作品で、彼が申し上げた「空望」が正しく、天皇しか読むことの出来ない書物を彼が知る術もなく、 白楽天と同じ詩情を有する才能の持ち主と天皇は大絶賛されたという逸話があります。 しかし上司となった遣唐正使:藤原常嗣のワンマンぶりに憤慨して副使の彼は乗船を拒否した事や朝廷への批判文を書いた咎により隠岐に流されました。 それも程なく解け、蔵人頭・佐中弁を経て参議つまり公卿の仲間入りを果たしました。 小野篁は6尺2寸つまり180センチを越える巨漢でしたが、歌その他の才能があり、また友人に自分の禄を分け与えるという金銭に淡白な人物でした。 京都の北区にある彼の墓の隣には紫式部の墓もあって、愛欲を描いた咎で地獄に落ちた式部を思い、彼が閻魔大王にとりなしをしたという伝説に拠ると聞きます。 「子を12個並べたものを読みなさい」というなぞなぞに対して、「猫の子の猫、獅子の子の子獅子」と訳した話は有名。 百人一首にある彼の歌は わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟 さて本日の拙作は、”古代遺跡”という一風変わった曲です。当地や向日市、大山崎町では住宅建設の為、或いは施設建設などに先がけて穴を掘れば、古代遺跡や平安期などの遺跡が発見されることが少なくありません。http://voon.jp/a/cast/?id=yu8jb80vvh7f5qzg#player
2013.01.28
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美術にそれほど興味のない人でも、ロダンの彫刻「考える人」と聞けば、必ずやあの独特のポーズを思い起されることでしょう。 では、このポーズの基になったのは、下のどれでしょうか?a)警視庁書記だったロダンの父は、仕事の事や家計やりくりに頭を痛めていました。 そんな父の姿が焼き付いていたから。b)ローマのシスチナ礼拝堂には、彼の崇拝するミケランジェロの有名な大作「最後の 審判」があり、何度も観て居ました。その自分の姿が題材。c)永遠の恋人・ベアトリーチェを心の中で一生愛し続けたイタリア詩人・ダンテ。 その代表作の「神曲」の感動から、このポーズを考えた。d)詩人として名を馳せたリルケは、一時ロダンの秘書をしていました。彼が自分の 詩集の表紙に何気なく落書きした「考える人」という言葉の鮮烈な印象が根源。<正解> 1880年、パリの装飾美術館から入口の装飾を頼まれ、ダンテの「神曲」地獄編 から一連の発想が生まれたようです。入口に彫った作品は、上部の「考える人」を 中心に、大勢の登場人物がさまざまな姿で苦悩する様を表しています。 後年、サロンに出品する為、別途「考える人」や「接吻」を独立させました。参考文献・日本放送協会編「ホントにホント?」11巻 さて本日の拙作は、「踊るリズムたち」です。http://voon.jp/a/cast/?id=s2pwt801fr2siz9t#player
2013.01.27
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子供の頃に絵本で見たアラビアンナイト。アリババと40人の盗賊、空飛ぶ絨毯、そして魅惑的だったのが魔法のランプ。以来わたしの胸にはランプへの憧憬が育まれていたのかも知れません。高校生時代だったと思いますが、30センチ大のアルコールランプを購入、向日町の家にはあったような記憶があるものの、ここ長岡の家では見ていません。 ”開運 なんでも鑑定団”でお馴染みの中島誠之助さんの「目利の利目」(平凡社)に「吊りランプ」と題された一文を紹介します。 <山歩きの好きだった私は、谷をたどり尾根を越えては、ランプのともる山小屋へ泊るのが常であったが、小屋のオヤジさんが夕食のあとで、部屋ごとに天井から吊りさげてくれる石油ランプの、ほのかな光のもとで、山仲間とウイスキーを一杯やるのが、大きな楽しみであった。 かすかにゆれるだいだい色のランプの火影に、夜の更けゆくのも忘れて談笑すれば、暗い部屋の片隅には、山に住む神々や樹に宿る精霊たちが、いつともなしに集まってきて、共に山の夜話に加わってくれるのである。 蒲団にもぐりこむ時には、ランプの灯心を細く細くして、それでなくても薄暗いあかりを更に暗くして眠りにつけば、物音ひとつせずに黒々と深まりゆく夜の山ひだの中へ、自分の存在そのものが、溶け込んでしまうのである。> 実に素敵な文章で、高山に止まった経験の少ない私にさえ、その情景がありありと見えてきます。思い出を残しながら生きている事って素敵ですね。 本日の拙作は”ワルツその2”です。http://voon.jp/a/cast/?id=gcjwl13i9le75yne#player
2013.01.26
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河出文庫本に京都新聞社の編になる「京都・町並散歩」(200数頁)があります。 京都に生まれ、育った人の数倍もの想いを寄せる府外の人々を癒すのは寺院ばかりか、京の町家風情にあるのではないでしょうか。 桟瓦屋根に始まり、琺瑯製の白板に「上京區 夷川通堺町東入 絹屋町」と書かれ、下には軍服の仁丹の広告のある町名表示板。先日、大阪俳人クラブの「変わった町名」シリーズに加えようと思い、「二畳半敷町」を採り上げ、いざ、その看板を撮ろうとしたら、工事中の為、町名表示板も何もなく、添付写真の掲載は断念しました。 また屋根から睨む銀色素焼きの鍾馗さん、切子格子、犬矢来、 福田平八郎画伯の「雨」にも描かれた”むくり屋根”の丸いカーブ、出入り口がニ重構造の”猿戸”、 虫籠窓、数少なくなったけれど”ばったり床几”、酔っ払いの小便除けの朱色の”鳥居”、 祇園・宮川町に多い長簾、屋号入りの麻のれん、江戸・明治の名残”軒吊り看板”、 祇園祭の土産”ちまき”、”牛つなぎ”、平瓦と漆喰で構成された”なまこ壁”などなど。 京の観光としては名所よりも町並みを歩くことをお薦めする所以の一つがここにあるのです。 本日の拙作は浅瀬の清流をイメージした曲で、砂地の奥から湧き出る、透明で澄んだ水の流れときらめき。 そこを楽天と住まう小魚たち。ときおりそよ風が通りすぎる。”せせらぎ”をお聴き下さい。ややギター弦がうるさいかな?
2013.01.25
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ノロウイルスや流行性感冒などウイルスの悪い部分だけ、私達は植え付けられてきました。一方こんなウイルスの功罪があったらしいなんてエ~。 ダーウインの進化論によって、例えばキリンの首が次第に伸びて来たと思い込んでいますが、それなら、何故、首が中ぐらいの長さのキリンの化石が発見されないのか説明がつかない面もあります。猿から進化した人間だって、その過程のものの発見が少なく、急に人類になっているような気がしますね。 中原英臣・佐川俊共著「進化論が変わる」(講談社)によれば、「キリンの首は、ある時期にいっせいに長くなり、その後変化していないのです。そう考えれば、(キリンの首の)短いのと長いのと2種類しか化石が出てこない理由に説明がつきます」「原因はウイルスです。キリン集団は突然、首が長くなる病気にかかったのです」 これらと同じ理屈で、ネアンデールタール人が、集団でウイルスに感染した結果、体毛も骨格も異なる現代人が誕生したという学説ですが、これを耳にすると、私たちは進化論かウイルス論か悩んじゃいますね。<参考資料・上前淳一郎「読むクスリ 20巻」(文芸春秋社)> さて本日の拙作は、”兄弟喧嘩” 「兄弟喧嘩」 一日鼻紙二十枚も かむのは誰だろ 〇〇〇 〇〇〇 一日みかんを十五個も 食うのは誰だろ 〇〇子 〇〇子 毎日機を見て陣えらぶ 要領良い子は 〇〇子 〇〇子 この曲と歌詞は佐賀から大阪に戻った頃のものです。 http://voon.jp/a/cast/?id=7i5fz9lhbkyzx9jj#player
2013.01.24
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敗戦後の日本の頽廃振りは”カストリ”という飲み物に依存する者が後を絶たなかったようで、カストリは本来の酒粕取りではない密造の焼酎を指し、さらに恐ろしいのは、ガソリン入りの燃料用アルコールを水で薄め、火をつけてガソリン分を取り除いた”ガソリン”やメチル入りのもあったのだそうです。 カストリ雑誌=三合(号)でつぶれるという洒落。要は長持ちしない怪しい雑誌が筍のように出回ったようです。 ニュー・フェイス=昭和21年東宝が新人を募集。吉行淳之介「原色の街」には<妹がニュー・フェイスにパスしたので自分が犠牲になって働いているとか・・・>の一文があります。 名画アルバム=日本最初のストリップ・ショー。名画風のバックの前に立って上半身裸の甲斐美春嬢は、全然動かなかったのだそうで、幕が開いて閉じるまでの5秒ぐらいの額縁ショーがあっという間に人気を博したそうな。 ベビー・ブーム=波の背に揺られて揺れて「帰り船」で男たちがわんさと帰って来たのが21年。そして翌年22年は262万人のベビー誕生。23年も24年も260万人台が続きました。いわゆる団塊の世代。 5せる=官吏への5セルという業界の隠語があって、飲ませる、食わせる、泊まらせる、握らせる、威張らせる・・・ああ、いつの世も同じですね。 連日の掲載でちょうど100曲目となる本日の拙作は「道標」です。ちょっと個性に乏しい感じがしますね。 http://voon.jp/a/cast/?id=rqrlfzpao7hux01n#player
2013.01.23
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大阪は信太地区に古くから伝わる保名と葛の葉の恋物語。 恋しくば尋ね来て見よ和泉なる 信太の森のうらみ葛の葉余りにも有名な和歌ですが、大阪の郷土史家・牧村史陽氏は某新聞に掲載した「大阪史蹟地図」なるシリーズにこの和歌は古歌を寄せ集めて造ったものと断言しておられます。 南北朝時代の「増鏡」の一節に、頼朝が天王寺へ参詣に行った折、和泉の国の一老尼の訴状によってその旧地を安堵したときの歌があって、 和泉なる信太の森のあま鷺は もとの古巣に立ちかへるべし或いは、「新古今集」にも赤染衛門が、<和泉式部、道貞に忘れられてほどなく敦道親王かよひ給ふとききて読みつかはしける。 うつろはでしばししのだの森をみよ かへりもぞする葛のうら風おなじく返し 秋風はすこし吹くとも葛の葉の うらみがほには見えじとぞ思ふ > これは二首とも恋の歌で、心の乱れさわぐのを葛の葉が風に乱れるのに比べ詠んだもの。これらの歌をつきまぜて信太の森の葛の葉が風にそよいで裏葉をみせるのを「恨み」にいいかけ、和泉式部が道貞に別れたのを信太のきつねが夫に別れたことに思い合わせて、こうした歌を作りあげたものと推測できるし、葛の葉とは女の名ではなくて、信太辺にたくさんあった葛の葉をさしています。更に同じ「新古今集」に わがいほはみねのやまもと恋しくば とぶらひ来ませ杉たてる門などとあるものも参考となっていると思われます。結局これらの歌を集めればそのまま「恋しくば・・・」の歌が出来上がると牧村氏は説いておられます。 本日の拙作は「別れの曲」です。同じ楽譜でも楽器のみの演奏と、コンピューターの合成による人の声でハーモニィさせたものとでは随分趣が異なりますね。一度目の演奏に使った楽器ですが、単なるヴァイオリンではなく、ストリングスというソフトを選択しておれば、もう少し優しい響きになったことでしょう。「別れの曲」 http://voon.jp/a/cast/?id=0wr90vnxrobqy2wa#player
2013.01.22
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平成6年8月2日付の京都新聞夕刊から連載された同社編集委員・杉浦博明氏の文章、絵・池田良則氏の名コンビで、要は京ことば集で少なくとも80回のシリーズもの(亡父の切抜き)。 この日記に時折掲載させて頂きます。まず1回目が掲題の「きずつない」。荒く塗った青空色を背景に、竹棹に吊るされた氷屋の旗、赤地が井の字に囲み、白抜きの四角に鷹の翼のように撥ねた太字の氷、右裾は風でややめくれ返っています。 <「いつまでも暑おすなァ」「てんから干し(炎天干し)の日イばっかりで、そろそろ、ひと雨ほしおす」 京都の夏は、やっぱり暑い。太平洋高気圧の配置に影響があるのだろうけれど、原因は、なによりその地形である。三方を山に囲まれた盆地の地形は、さしずめほうろく(ほうろく)のていだ。 世を斜に生きた兼好法師もよほど閉口したのか。「徒然草」に{家のつくりやうは夏をむねとすべし。・・・・暑き頃悪しき住まひは堪え難きことなり}と書いたのは、けだし実感だったにちがいない。 ただでさえ暑いのに、車の排気ガスや、冷房機のおいど(尻)からブウブウ通りに噴き出した熱気で、町なかの温度は、ますます上がる。 暑い夏を涼しく過ごすのに人々は、知恵を発揮した。 網代に簾障子で夏座敷をしつらえ、河原にはかつては冷やしあめ、かき氷の茶店が出た。「いまはうかつに歩かれしまへん。ずらーっとお若いお二人が並んでおいやす。きずつのぉ~て」「なんや、目のやりばがおへんな」「きずつない(気術ない)」は、気詰まりな、とでもいったほどの意。「きずつなく」思っているのは案外、夕涼みのオジサンオバサン族。>(以下数行は略) 以前、現代俳句協会でしたか、方言入りの俳句募集がありました。はんなりとした京ことばも今では方言には違いおへんなア~。 さて本日の拙作は無題(No115)
2013.01.21
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洛中から隔てること三里、比叡山の西麓にある八瀬の竈風呂は、いつごろからあったのかは不詳ですが、壬申元(672)年天武天皇が近江勢と戦われた折、背中に矢創を負われたので、この竈風呂に逗留され治療されたという話や、建武3(1336)年正月に足利尊氏の難をこの地に避けられた後醍醐天皇が、傷兵たちをこの竈風呂で治療なされた史実があります。 人間を塩煎にする八瀬の里(失名氏) 混浴の天然風呂も高くつく(眉 生) 襟足をみな見せ合って女風呂(敏樹)この項、参考図書は日置昌一著「ものしり事典」、黒板勝美編「更訂、国史研究年表」。 本日の拙作は「蝶の嘆き」 1. 好きで選んだ 道ではないわ 酒とタバコに 明け暮れる 明日も見えない 浮草なのね 夜の女の幸せは 何処にあるのよ 教えて お願い 2. 好きで選んだ 道ではないわ 嘘と飾りの その後は 暗い楽屋の ピエロのようね 夜の女の幸せは 何処にあるのよ 教えて お願い 3. 好きで選んだ 道ではないわ 恋も希望も お金にも 縁もゆかりも 無いのよわたし 夜の女の幸せは 何処にあるのよ 教えて お願い http://voon.jp/a/cast/?id=1o00kfer6sqomnde#player
2013.01.20
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俳句がらみの用で屡祇園辺りを通りますが、その象徴の一つに「南座」があります。 随分前の桂米朝さんの枕では改装前の「南座」に触れておられ、そのとき、世にも不思議なエレベーターの秘話について語っておられます。定員になるとブザーが鳴って、動こうとしませんが、一旦ひとりが降りて、今度はそぉ~っと乗りますとドアが締り、動いたんだとか・・・。 わが家の物置を整理していると捨て難い書物が出てきます。堂本寒星著「南座」(文献書院)は昭和4年11月20日発行で、定価4円です。表紙の装丁は金泥を付した布地の色刷りでそこそこ豪華です。また、本書は京都は南座の歴史と歌舞伎の近世を記録した書物です。 本書にはまるで銭湯”松の湯”と呼んでもおかしくない明治時代の南座の写真、それよりもずうっと立派になり尖がったイメージの大正時代のもの、唐門のような風情の昭和初期の写真が掲載されています。 また、カラー色版の「四條河原図」(画家:堂本印象所蔵)や「かふき草紙絵巻」(徳川侯爵家所蔵)、「歌舞伎艸紙」(土屋楠熊所蔵)、「国女歌舞伎絵詞」(東京大学所蔵)、「かふきのさうし」(笹木伊之助所蔵)、「東山歌舞伎屏風」(堂本寒星所蔵)、「歌舞伎屏風」(山本吉次所蔵)、「四條河原図」(吉川観方所蔵)などの図絵が添えられています。 この大き目の立派な本は京の古書店で時々見つけることができます。凡そ5千円程度。余談ながら、南座の真向かいには、北座と表した建物が建っています。江戸中期から南座と同様に、京の七座として栄えましたが、明治中期、閉鎖されました。現在は銘菓・八ツ橋でお馴染みの「井筒屋」が北座を模してこのビルを建てました。 本日の拙作は「管弦楽のための試作」で、平成11年頃の作です。http://voon.jp/a/cast/?id=1155ats5mry7g2ce#player本日は、銀行時代の仲間(殆どは先輩)と久しぶりにカラオケ大会で愉しんで参ります。
2013.01.19
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大山崎の観音寺には聖天さんが祀られています。抜群のご利益、その反対に、信心を怠った違反者への厳罰事例の他に、聖天(ガネーシャ)さんが元は乱暴者で困っていたところ、十一面観音さまが女性に姿を変え、一目惚れした彼が乱暴狼藉をしないと約束し、晴れて夫婦になったという話をざっくり添えています。 ところが、本場のインドでは、ガネーシャの誕生には幾つもの話が残されているようです。(1)シヴァ神の妻パールヴァティが自分専用の召使が欲しくなり、自らの垢に香油を混ぜて作った人形にガンジス河の水を注いで命を吹き込んで生まれたのがガネーシャ。 入浴中に夫シヴァ神が覗きに来るのを嫌った彼女がガネーシャを門番にして見張らせました。父シヴァ神の侵入を拒んだ息子に腹を立て一刀のもとに首を刎ねてしまいました。それを悲しんだ妻の訴えに応えて一番先に見た動物の首を据えつけるという約束のもと、象の首が据付られたという話や、 (2)見られた者はすべて灰になるという悪魔に生まれたてのガネーシャが祝福された瞬間、首から上が灰に帰した。そこでヴィシュヌ神が空を飛び河畔で寝ている象の首を運んできて据えたという話。 (3)シヴァ神が妻パールヴァティを見つめていると、その美しさに感動したシヴァ神の頭からまばゆく輝いたガネーシャが生まれ出た。自分よりも美しい者を認めない妻は、その子に呪いをかけ、象の首そして醜い出っ腹にしてしまったという話も。 この他にもいろんな説があるガネーシャはインドでは人気抜群の神様ですが、日本では歓喜天という男女合体の秘仏も多く、なかなかその実態、お姿を見ることができず、残念に思っています。 本日の拙作は「ピアノ練習曲」です。
2013.01.18
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暇な時間のつぶし方と言えば、いろいろあるのでしょうけれど、これら回文を貴方ご自身が、あれこれ考え、創作されることも、そのひとつですね。 医者暮しはよくなる。泣くよ、わしらくやしい。 色、白い。<こんな長い会話風の作品もあります> 「言って!知りたいなア」「よそうよ・・・」 「そう!私も、つい関係した度、男の子とおびただしい喧嘩、いつもしたわ・・・嘘よ、 嘘よ!ア!泣いたりして?」 「・・・つい・・・」<以上、驚きですね。短い作品もありますよ。> 意外や意外。 いたちの痴態。 今、ここは日本だ。田圃には古古米。 伊勢の母親離婚、こりゃオババの所為? いい!若い先生可愛い。 遺体が眠る、胸が痛い。<こんなんもありますえ> 愛しい娘(コ)、汝(ナ)は清き花、恋い慕い。 馬ジンクスにすくんじまう。 魚座を追うカナダ天体観測にニクソンが居たんで、田中、右往左往。 嘘つき松野氏、国会でイーカッコ。氏の妻、きつそう。 うどん噛む。無感動。 EKI E IKE (駅え行け) 「え、恋仲?」と問うも、もう届かない。 起きて!ひろみ。見ろ!秀樹を。 遅いな”こだま”は。まだ来ないぞ。 踊って歓喜!夜の駅に消え、乗るよ銀河鉄道。随分ありますね。本日はここまで。 拙作は”たんぽぽ”。
2013.01.17
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まだ学校へ上る前だったろう、頭の片隅にあるのは鋳掛屋さん。 鍋・薬缶の漏れを直すのが本業ですが、それだけに留まらず、傘の修繕、鋏・包丁の研ぎ、 鋸の目立てまで、何でもござれ。鍋の穴は白目という特殊な金属で上手に塞いで下さいます。 白目は白鑞とも書き、銅と亜鉛の合金で、シルクハットのような型をしていたような記憶があります。 鋳掛屋のおじさんは風采はあがりませんが、表情に独特の味わいがあって、修繕の手際の良さは天下一品。 いつまで見ていても、その段取りの良さ、手捌きの良さに感心していました。 大正・昭和初期の日本人はものを大切に使っていたように思います。 景気の悪い、こういう時期、ふと鋳掛屋さんのことを思い出しました。 さて本日の拙作は「恋をするなら」、歌詞は以下の通り。 「恋をするなら」 1)恋をするなら ちょっと悪が好き なめてかかってるうち 不意を突くような男(やつ) ちょっと香りの おしゃれして ちょっとハイな スーツ着て 攻めてはさっと退く そんなゲームを 楽しむ 大人の恋を 知った男(やつ) 2)恋をするなら ちょっとデブが好き ブルドーザーのように ストレートに来る男(やつ) ちょっと横顔 可愛いくて ちょっとえくぼ 見え隠れ 帰りは 後をひく そんな個性を 持ってる 女の心 溶かす男(やつ) 3)恋をするなら ちょっと実(じつ)のある 傷を隠していても すぐに暴き出す男(やつ) ちょっと男(オトコ) 臭さもあって ちょっと過去に 曰(イワ)くある 二人で 秘密共有(も)つ そんな魅惑を 備えた 胸にジーンと 来さす男(やつ) この曲は純情路線から180度転回し大人っぽい魅力を焼き付けた山口百恵さんの「プレイバック」のように、 大人の世界を題材にしたシャンソン+ジャズ風味の平成8年6月10日の作品です。
2013.01.16
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桂米朝師匠の「鹿政談」の枕(導入部分)では三都の名物から話し出されています。 三都とは勿論、江戸、京、大坂のことで、江戸の名物と言えば、 武士にかつお、大名故事・小路(?)、生いわしにむらさき、茶店、火消しに錦絵。 京都の名物は、水菜・壬生菜、をんなに羽二重、みすや針(三條本家)、寺に織屋、人形に焼き物。 大坂に参りますと、橋に船、お城に芝居に米相場、そうか(?)、揚屋、植木屋。 そうか(とうか?)とは身をひさぐ女性のことのようです。 さらに歩を進めて奈良の名物はと言えば、大仏、鹿の鳴き、筆、あられ酒に春日灯篭に町の早起き。 大仏観るものにして尊ばずというように、初めてみた時の感動だけで、拝むことを忘れがち。 熊野の鯨が大仏さんと背くらべしたらクジラが勝った。その訳は金(尺)とくじら(尺)では2寸ちがう。 或る馬鹿な男が傘をさして大仏さんの中身を散策、丁度、鼻に来たところでどすんと落ちた。 その訳は、嵩が鼻に廻ったら鼻が落ちると言って、梅毒の終期の症状だったようです。 江戸や明治時代のことを探るにしても、インターネットでは難しいご時世になって来たようです。 さて、本日の拙作は平成5年に作詞、翌6年5月5日にMACで作った曲です。”OLです” 歌詞:「OLです」 世の中クルクル 廻ってる 昨日のニュースは もう遅い 刹那 刹那 刹那的に 生きて行くしか ないのなら 行きずりの恋も 仕方ない ポイ捨て ポイすて 恋の屑 跡も見ないで・・・ 昼は真面目な OLです 世の中結構 狂ってる 歪んだモラルは 戻らない 勇気 勇気 勇気出して 正してくれる 人もない 投げやりな人が 右左 毎晩 毎晩 ハメ外す 将来(さき)が怖くて・・・ 昼はか弱い OLです ・・・本当の恋がしたいのに 本当の愛を 確かめたいのに・・・・ 池に小石を 投げ込んで・・・ 淋しさだけが 残ります・・・ 「OLです」 http://voon.jp/a/cast/?id=axnidjt3xz7gw3n3#player
2013.01.15
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松の内である12日は、今年最初のガイドでした。午前10時頃からJR山崎駅にて関西地区に於ける”行基さん会”の皆様をお出迎えし、一行が離宮八幡にてお祓いを済まされて早々に、3つの班に分かれてガイド。早速、離宮八幡の謂れと男山・石清水八幡宮との当社との葛藤の歴史、油祖のことなど大まかに説明しながら、開かず踏切前では明治末期のいろんな風景写真などを披露。 ご一行さん期待の「山崎院跡碑」へご案内、大山崎山荘前の漱石の<宝寺の隣に住んで桜かな>の句碑を横目に、京都国民文化祭の「大茶会」の模様や山荘を塀の隙間から覗いたりしながら、宝積寺・閻魔堂にて六道の話、満中陰の話など適宜笑って頂きながら午前の部を終え、一行さんは「三笑亭」にてご昼食。我らガイド4人は阪急そばにて熱い昼食を済ませ、歴史資料館の1階ロビーで寛いでいたところ、京丹後の方からお声がかかり、要は3月中旬の日曜、ガイドをして欲しいとのご要望がありましたので、コースなどの概略を説明、ビール工場の予約を済ませてからガイド依頼書をファックスして頂くようお願いしました。 午後からのガイドは簡単で、関戸明神、妙喜庵(待庵)などを経て資料館にて常設展を町の職員さんから説明して戴きました。 翌日の日曜も午前中が資料館での登板で、数名の来館者にガイド。副資料館である学術委員F氏に、来年あたりに「行基」さんの企画展を検討して頂くよう具申しました。 本日の拙作は、波乱万丈の運命を送った闘将父光秀と共に数奇な生涯を閉じた女性: ”ガラシャお玉への挽歌”をお聴き下さい。長岡京市では勝竜寺城の細川忠興に嫁いで来たお玉さんの潔い死に様に敬意を払って、毎年11月、ガラシャ祭が繰り広げられています。 お玉さんのことを思っている時に浮かんだメロディラインにハーモニィをつけたものです。わたしはどうしても哀しい人に目を向けてしまいます。 ガラシャお玉への挽歌 http://voon.jp/a/cast/?id=ohw2ofy7wna9oqye#player
2013.01.14
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<廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝(ドブ)に灯火うつる三階の騒ぎも手に取る如く、 明けくれなしの車の行来にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前と名は仏くさけれど、さりとは陽気の町と住みたる人の申しき> これは樋口一葉の有名な「たけくらべ」の冒頭の一節。 生き生きとしたリズム、あざやかに転換する描写。 朗読で著名な幸田幸子さんがその著「朗読の愉しみ」(光文社)の中で、「お釜で炊いた、それも焚きたてのご飯のように文章の一粒一粒が凛然として立っていると指摘。 ご自分で口に出してみて下さい。黙読とは全く違う世界が広がっているはずです。」と書いておられます。余談ながら樋口一葉は、あの可憐なイメージとは少し違って、ヘビースモーカーだったようです。 本日は平成8年3月20日作の「女の業(ゴウ)」ですが、不倫風な為、歌詞が浮かんできません。
2013.01.13
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松の内もわずかになりましたが、本日、洛西にあるホテルにて「たかんな句会」。ホテルの送迎バスに送って貰ったあと、図書館にて今年最初の本の借出しを致しました。1)「日本文化の原型・別館」青木美智男著(小学館)<水損んpレッテルあり> 浮世絵で見る江戸時代の庶民の生活の序文のあと、無事と士農工商の世、定住社会。 暮しを潤す絵画、学校、文具、出版業や貸本屋・・・。2)酔眼流「国語笑辞典」郡司外史著(桐原書店) 五十音順に川柳などを紹介かたがた、面白おかしく語彙を解説。3)「目利きの利目」中島誠之助著(平凡社) なんでも鑑定団でお馴染みの中島さんのエッセイ本。昭和13年生まれだから 御年75才になられますが、少年期から現代に至るまで自由に綴っておられます。4・5)「読むクスリ 16・23」上前淳一郎著(文芸春秋) 日記の材料に困った時や、マンネリズムに陥った時に、つい助けを求める教科書。 発刊から既に20年ほど経過しているのが難点でしょうか。 本日の拙作は「きらきら」で平成10年10月作。この曲のように、次から次へと何かが生まれ出て欲しいものですね。http://voon.jp/a/cast/?id=j8sv4e3hk0v7iiiv&c=4&t=1#player
2013.01.12
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来年のことを言うと鬼が笑うと言いますが、今頃、昨年12月の拙句を記せば、やはり鬼に笑われそうに思います。 明け雪や瞬の誤作動クリアーキー 初雪やひらがな土器のつづり文字 その母もその亦母も牡蠣割女 落武者の嗄れ声さへ枯芒 をさな日の日光写真の淡き青 沈沈と雑木もみぢの最終章 日記買ふ晩年なぞと言ふ勿れ 陰影を積む油絵や牡蠣曇り 舞の手を止めぬ阿国や柳散る 旧道のここより細り雪ばんば 冬座敷皇女ゆかりの御所人形 釘隠す菊の御紋の冬座敷 動かざる城主と近侍冬座敷 神楽岡処々の氏子の年用意 干支灯籠その奥に垂る実南天 冬天や男神の千木の尖りをり 例によって不調でした。 さて10月の16日からずっと掲載し続けております自作の曲の紹介、本日で87曲目ですが、我ながら余り好きになれない出来でして、間奏が半音ずつ上がって行くのも極めて不本意なんですが・・・・。 「美しい時」 1. 美しい時それは 仕事する時 ただ一心に 懸命に 頑張る姿は 人を打つ 2. 美しい時それは 初恋の時 ただ憧れて 一日中 焦がれる姿は やるせない 3. 美しい時それは 愛し合う時 ただ見つめ合い 信じ合い 肩組む姿は ロダン像 4. 美しい時それは 母になる時 ただ愛しげに 優しげに 児を抱く姿は マリアさま http://voon.jp/a/cast/?id=vg60hl2en6cimvk3#player
2013.01.11
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正月の床の間には立派なお鏡さん。私たち「大山崎ふるさとガイドの会」では、宝積寺本堂のガイドでは4月18日の「鬼くすべ」の行事を説明する時、護摩を焚きながら檜葉を上からかぶせ、もうもうと煙る中でお経を唱えると、鬼は、柱に吊るした餅(牛頭天王の護符入り)に映る己の醜い顔に嫌気してほうほうのていで本堂から逃げ出す様を語り、柱に吊るした餅こそほかならぬ鏡餅の由来なんですよとご紹介しますと、おお、という反響が。 さて掲題の楪(譲り葉)の由来に話を移せば、ゆずり葉の古い葉は、新葉が十分成長したのを見届けてからポトリと落ちる様を範として、親が子に代を譲るという好ましく種族保存維持の縁起としているのです。 本日の拙作は、片想ひです。http://voon.jp/a/cast/?id=0e1jjvgxh781047m#player
2013.01.10
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祇園の舞妓はんが一人前になって襟替えする時に舞うのが「黒髪」で、私も折よくその舞を目の前で観せて貰ったことがありますが、一方、正月の初ざらい、踊り初めに使われる長唄の定番は、「松の緑」。今年より 千たび迎うる 春毎になおも深めに 松のみどりか 禿の名ある二葉の色に 太夫の風 吹き通う松の位の 外八文字華美を見せたる 蹴出し褄よう似た 松の根上がりもひとつ囲いの まがきにもるる廓は 根引の別世界世々の誠と裏表くらべごしなる 筒井筒振分髪も いつしかに老となるまで 末広を開き始めた 名こそ祝せめ この「松の緑」は青々とした松の葉を指しているわけではなく、「松の新芽」を意味して居ます。みどり児は蒙古斑の色を示すのだはなく、生まれたて。また「みどりの黒髪」は若い女性の艶々した髪をさしています。 本日の拙作は平成10年4月28日の作、”いざない”という曲です。 こどもって鼻歌まじりにオリジナルの曲を作る名人ですね。 小学校5年生ごろの私もそうだったみたいで、この曲や姉たちの曲も作っていました。 マッキントッシュを使って45年後に、こういう曲に仕上げました。短調と長調を交互に流しています。 いざない 1小粋な 娘さん こんにちは 今日は 一緒に 歌おう あの歌を エ~エ あの歌を 2澄ましたお嬢さん こんにちは 今日は 一緒に 登ろう あの山へ エ~エ あの山へ 3素敵な お姉さん こんにちは 今日は 一緒に 踊ろう 公園で エ~エ 公園で メロディはお手数ですが、別途インターネットを開けていただき、↓のURLを貼り付けてご試聴下さい。 http://voon.jp/a/cast/?id=m18hqwotemzxcq6a#player
2013.01.09
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「明治・大正・昭和の新語・流行語辞典」米川明彦編集<三省堂>を読んでいますと、ちょっとした逸話を発見しました。 <1980年(明治23年)の2月にはアメリカからインフルエンザが入って猛威をふるいました。16日の朝日新聞には流行性感冒という語訳が載っていたようです。 しかし俗には「お染風」と呼ばれたのですが、伝染病の「染」から連想されたものらしく、やがて「久松留守」と書いた赤い張り紙が流行したようです。> まだまだ迷信というものが浸透していた、時代色豊かな話じゃありませんか。 本日の拙作はデュエット曲の「Perhaps We'll Be Happy」です。 「Perhaps We'll Be Happy」 (男)一体あいつは どうなってンの いつもいつも この俺を こき下ろし さも気のないよな 台詞を言いやがる そのくせ そのくせ あの目は 何か言っている (女)一体あいつは どうなってンの いつもいつも この私 ブスと呼ぶ さも持ててるよな 自慢を言ってるわ そのくせ そのくせ あの目は 何処か淋しそう (二人) フン ふん フン ふん 二人は無理して 見栄を張る フン ふん フン ふん ふたりはいつか 疲れてる Perhaps Perhaps 俺達ゃ いつか結ばれる Perhaps Perhaps 幸せに やって行けそうだ 2) (男)一体○○は どういう奴だ いつもいつも この俺を 無視してる timing外れの 相槌打つばかり そのくせ そのくせ あの目は 何か意味ありげ (女)一体○ちゃん どういう積り いつもいつも この私 馬鹿にする galには不自由しないと言ってるわ そのくせ そのくせ あの目は 私誘ってる (二人) フン ふん フン ふん 二人は無理して 見栄を張る フン ふん フン ふん ふたりはいつか 疲れてる Perhaps Perhaps 俺達ゃ いつか結ばれる Perhaps Perhaps 幸せに やって行けそうだ 歌詞を見ながら曲を聴いて下さる場合は、ご面倒ですが、別途インターネットをダブルクリックしていただき、 ↓のURLをコピー貼り付けの上、お聴き下さい。ありがとう御座います。 http://voon.jp/a/cast/?id=iy3o5gd4jt880rtq#player
2013.01.08
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源氏物語は世界に誇る長編小説ですが、紫式部という平安期の女流作家により綴られた偉業は、掲題の「土左日記(この表記が正しい)」の作者である紀貫之の手柄に因る事とは余り知られていないようです。それは<男もすなる日記を女もしてみんとて・・・> という具合に、従来漢文形式で綴られていた男性主流の日記文学に対して「ひらがな」を用いて綴った彼の功績によって、女流の日記文学や源氏物語が開花する布石になったのでした。 さて「土左日記」の以下の件りは舟に依る長旅の不安な道中にようやく石清水八幡(男山)に差し掛かった時の感動の様が如実に綴られています。大山崎歴史資料館にも日記のこの部分を展示しています。旧暦二月十一日の部分から載せてみます。 十一日、雨いさゝか降りてやみぬ。かくてさしのぼるに東のかたに山のよこをれるを見て人に問へば「八幡の宮」といふ。これを聞きてよろこびて人々をがみ奉る。山崎の橋見ゆ。嬉しきこと限りなし。こゝに相應寺のほとりに、しばし船をとゞめてとかく定むる事あり。(以下当日分略)十二日、山崎にとまれり。十三日、なほ山崎に。十四日、雨ふる。けふ車京へとりにやる。十五日、今日車ゐてきたれり。船のむつかしさに船より人の家にうつる。この人の家よろこべるやうにてあるじしたり。このあるじの又あるじのよきを見るに、うたておもほゆ。いろいろにかへりごとす。家の人のいで入りにくげならずゐやゝかなり。十六日、けふのようさりつかた京へのぼるついでに見れば、山崎の小櫃の繪もまがりのおほちの形もかはらざりけり。(以下略) この綴りから少なくとも大山崎に四泊している勘定になります。向日町の石塔寺のある島坂で饗応を受けていることが分ります。 本日の拙作は回想です。http://voon.jp/a/cast/?id=2tyu64ftqp20241v#player
2013.01.07
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万葉集巻頭を飾る雄略天皇の求婚の御歌から若菜を摘む慣習が始まったとされますが、 宮中でも内膳司がその年の七種(ナナクサ)の新菜を羹(アツモノ)として献上しました。 この行事は中国から伝えられ、万病を除くといわれ、不老長寿を祈念するものでした。 七草粥の源となる慣いで、芹、なづな、すずな、すずしろ、仏の座、御行、はこべら。 我が家では専ら庭に生えているハコベや元日の雑煮に使った細大根、 人参や葱、白菜など七種類の菜で対処するようになっています。 今夜、俎板に火箸、包丁を寝かせ、そのそばに湯掻いた七草を並べ、 とんとの鳥が、 日本の土地へ 渡らぬさきに 七草なずな 七草薺 七草なずな と囃しながら、擂粉木で俎板を叩きます。家族みんなでこのお祓いを済ませ、 翌朝家内が七草粥にしてくれたものを戴きます。 本日の拙作は、春愁。http://voon.jp/a/cast/?id=dlyy991rx59ftiy3#player
2013.01.06
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お正月が近づいて来ると子供たちの円らな瞳が一段と輝きを増してきます。お正月には奇麗なおべべ着て草履を履いて・・・。女の子たちは口紅をつけて貰えるのが、あんなにも嬉しいだなんてぇ。男児は女々しくしたくないから表(外)で凧を揚げたり、独楽回しに興じます。 幼少期の私にとって、凧と言えば奴凧を指していました。歌舞伎十八番の「暫」の衣装のような”回”という字そっくりの袖を着けた奴さん。額は剃られて青々と・・・。駄菓子屋さんで買い求めた凧にも、運、不運があって、頭の中では颯爽と大空を飛翔する様を描くのですが 現実は厳しくて・・・駆けても走っても凧はキリキリ舞い、地面に額を擦りつけるばかり。糸の結び位置を変えてみたり、新聞紙の足を長くつけてみたり・・・・。そうこうしている内に、やがて凧は素直になって大空高く舞い上がります。 新春の風の勢い、魚釣りのような”曳き”の感触が堪りません。寒さに唇を紫色に染めながらも凧の勇姿に見とれて居ました。佐賀市に移ってから小学3年の頃には四角い凧は自分で作れるようになったっけ。 小さい頃には廻せなかった独楽も、年々上手になって片手乗せが出来るようになると、独楽を使った鬼ごっこにも参加できるようになります。独楽の綱渡り、空中に投げた独楽を紐で受け止める芸当もできるようになります。 姉たちは色とりどりの羽根を使って、ひと目ふた目・・・と歌いながら羽根突きに興じます。その内必ず始まる羽根突き合戦。負けた子の顔面には墨の×印など・・・。桐の羽子板には無数の凹みが残りました。 六畳の間では双六や福笑い、そしてカルタとりなど。短日とは言え、昔は時間がたっぷりありました。素朴な遊びに飽きもせず、日がな一日遊び呆けたものでした。 本日の拙作は私の従妹をモデルに学生時代に書いた詩です。”三人娘” 曲は平成10年4月28日の作。歌詞は以下の通りです。 「三人娘」 1 わたしは三人娘の中で 一番先に 生まれた娘(コ) ランラ ランラン 容姿端麗 美人の誉れ 心も素直な 優しい娘ォ 2 わたしは三人娘の中で それから次に 生まれた娘 ランラ ランラン 運動神経 並みではなくて バレエのマドンナ 務めた娘ォ 3 わたしは三人娘の中で 一番あとに 生まれた娘 ランラ ランラン 頭脳は明晰 パソコン位ぃ 文学少女と 言われた娘ォ三人娘 http://voon.jp/a/cast/?id=k1mi5mz2dg075gcl#player
2013.01.05
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わたしの机辺には20冊ほどの句帖があります。昭和39年頃から43年の俳句を齧った時代のもの。そして平成12年の後半から再度句作を始め、以降の記録が今日に至るもの。 一家がこの家に移った翌年ぐらいだから昭和38年の5月頃、父が当時の野風呂主宰を新築のこの家に御招きして小句会を開きました。膳所にお住まいの十七星ご夫婦とお嬢さん、妹とその友人を加えた8人がメンバーだったと思います。 湯気満ちる筍工場暗き中という句を先師に選んで戴きました。また先師からこの日の記念に たけのこを工場を見て発句のいと詠んで戴き、それが後年、俳句を嗜む誘因となったのでした。 当時、月刊俳誌に投句をすると”神麓集”に1句だけ掲載されました。また毎月7日に行われた例会にも参加、大先輩の円座の中に加わり出句しましたが、なかなか先師の選に入れて貰えませんでした。選に入れて戴いたたら、先師から雅号を頂戴するという約束になっていましたので、それなりに励み、翌年の例会 遊び居る子らの柔髪に東風伝うが先師の選に入り、星子という雅号を頂戴しました。社会人になって翌年、風邪をこじらせ、大病に罹り、9カ月入院。爾来永らく俳句から遠ざかっていました。父の没後に何故かしら復活。 大した秀句は有りませんが、今後も句友との絆を大切に自然を詠み続けて参りたいと思っています。本年は結社の新しい句帖づくりに着手することになりそうです。結社のうち、70数名から句を募り、2千冊発行予定です。俳誌の印刷が石田大成社になってからでしょうか、その年ごとのシンボルカラーが採用され、同人名簿や双滴関係の色、そして句帖もブルーや萌黄、薄紫や橙色など変って行きます。そして私たち結社の最高の贅沢は月刊俳誌の表紙が毎月異なり、帯地の柄を掲載し続けていることです。 本日の拙作は「ファンファーレその2」。http://voon.jp/a/cast/?id=zknv097b6jwukc52#player
2013.01.04
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平成元年1月19日から同3年3月30日まで朝日新聞木曜版に付録として掲載された「京の日本一」越智田吉生記者の文で”お寺の建物””京都駅ホーム””火災の発生数””国宝””初等教育””大学教育””中央卸売市場””乳幼児健康診断””博覧会”を紹介。 それらを簡単に要約すると、お東さんで知られる東本願寺の御影堂は畳927枚。また東寺の五重塔は文化財としての五重塔では最大の風格。一方、正面約27mの山門や70トンの梵鐘のある知恩院。京都駅の0番(=1番)ホームは564m。16両編成・新幹線のホームより長いらしい。昭和62年度火事の発生件数は全国最少の2.3件/人口1万人。明治2年誕生の上京第二十七校(現・柳池中学校)、同じように現・洛北高校も中学一番手。学生はんの町にふさわしい大学校件数・収容能力指数。中央卸売市場の第一号も京都。 博覧会について触れるなら、東京遷都による地盤沈下を憂慮した三井八郎右衛門・小野善助・熊谷直孝らが明治4年10月10日から1カ月間、西本願寺で開催。国内から160点、中国から131点、欧州から39点の古きお宝が展示され、凡そ1万1千二百人が入場したようです。 拙作の「迷っちゃう」は平成7年10月22日と後日に記録しています。 1.浩は消しちゃえ ボツにしよう 私と相性 良くないわ ちょっと気障っぽいのが 気にかかる 浮気な性格 許せない でもマスクもセンスも 悪くない 浩はよそうか 迷っちゃう 2.真二は消しちゃえ ボツにしよう お金に不自由 してる奴 ちょっと不粋っぽいのが 気にかかる センスのないとこ 許せない でも素直なハートも 悪くない 真二はよそうか 迷っちゃう 3.敦は消しちゃえ ボツにしよう ずんぐりブ男 夢がない ちょっと餓鬼っぽいのが 気にかかる 我儘育ちが 許せない でも家柄、車も 悪くない 敦はよそうか 迷っちゃう ”迷っちゃう”http://voon.jp/a/cast/?id=n1p91awlz14w4hqs#player
2013.01.03
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正月の話題として華やかな色彩ものを選ぶとして第一に脳裏に浮かぶものとして、源氏物語絵巻こそ、絢爛豪華な美術品として挙げられそうです。12世紀から江戸時代に至るまで、いろんな画家が描いて来ています。 確か「太陽」の源氏物語特集号に、”顔の表現”という特集があって、国宝絵巻、土佐派 扇面、土佐光吉 屏風、土佐光吉 画帖、土佐光則 画帖、土佐光起 屏風・画帖、住吉如慶・貝慶 画帖・絵巻、狩野派 屏風、宗達派 屏風、又兵衛派 屏風など分類、拡大して載せてあり、その表情などに興味をそそられます。 実はわが次姉の義母の居宅から小型ながら屏風絵が見つかり一度見せて貰いました。私の見立てですが、それは江戸後期か明治初期の素人さんの手になるものと思われます。しかし、今後お付き合いする人々との関わりのなか、どんな素敵な宝物に巡り合わないとも限りませんので、目を肥やしておかねばと思う次第です。 本日の拙作は市岡支店にて外交をしていた折、尻無川沿いに凡そ30軒ある瓦屋問屋さんの多くを担当しました。日本の屋根瓦は三洲ものか、西淡路の淡路瓦が有名です。石川瓦を入れて日本三大瓦とも。 「淡路瓦節」 1. 淡路海はよ~ 日本晴れだよ~ 俺がこねた瓦はよ~ 愛しいもんだよ~ 2. 淡路西はよ~ 今日も晴れだよ~ 俺が釣った魚はよ~ そりゃ旨いもんだよ~ 3. 淡路女はよ~ 日本一だよ~ 嫁は器量良しでよ~ 働きもんだよ~ 歌詞と照合しながらご試聴される場合には、お手数ですが、別途インターネットを開けていただき、↓のURLを貼り付けてご試聴下さい。 http://voon.jp/a/cast/?id=ofkg6n0w4f3aa4uv
2013.01.02
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明けましておめでとう御座います。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。山口某さんの句に 言葉えらび褒め合って居る初鏡 新年会の集まりでトイレに行くと、仲間が数人居ます。「〇〇さん、貴女ちっとも老けないわねエ、羨ましいわ」「あらツ、△△さんこそ肌が綺麗で、昔と変わってへんやないの」とか言い合っておられる様な光景が目に浮かびます。 男どもには理解し難い、女性同士のお付き合いの常識、御苦労様ですと申し上げるほかありません。女の世界で村八分になってしまったら、もうそれでおしまい。取り返しがつかないのではと推察する次第です。 新年最初の拙作お届はおっとり、のんびりとした”昼休み” どうか平穏な年でありますよう。「昼休み」 http://voon.jp/a/cast/?id=ldkhms0cuu4hlml0#player
2013.01.01
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