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「読めない漢字の読本」(小学館)も一週間足らずで図書館に返却しなければなりません。色の名は俳句を詠む上でも、役立ちそうだから、少々抽出しておきます。藍海松茶(アイミルチャ)・・・茶色の濃く黒ずんで藍色がかった色。青鈍(アオニビ)・・・浅葱色に青みが混じった色。尼さんや昔の葬儀用の色。灰汁色(アクイロ)・・・灰汁のような色、黒みの多い淡橙色。浅葱色(アサギイロ)・・・緑がかった薄い藍色。一斤染(イッコンゾメ)・・・紅染めの淡い色。鬱金(ウコン)・・・ウコンの根茎で染めた鮮やかな濃黄色。潤朱(ウルミシュ)・・・黒みを帯びた朱色の漆で塗った色。葡萄色(エビイロ)・・・赤みを帯びた紫色。楝色(オウチイロ)・・・センダンの古い名。オウチの花に似た薄紫色。褐色(カチイロ)・・・黒く見えるほど濃い藍色。勝に通じ、縁起として武具などに。韓紅(カラクレナイ)・・・濃い紅色。深紅色。刈安(カリヤス)・・・植物カリヤスの葉や茎を用いて染めた鮮やかな黄色。萱草色(カンゾウイロ)・・・忘れ草。黄に赤みを帯びた色。黄檗色(キハダイロ)・・・キハダの樹皮で染めた色、黄緑色。防虫効果も。黄櫨色(ハジイロ)・・・ハジの樹皮の煎汁で染めた、赤みのさした黄色。萌黄色(モエギイロ)・・・芽が出たばかりの草木の色。付録に文様。矢鱈縞、鎌輪奴(カマヤヌ)鎌+輪+ぬ、三重襷、蜀江紋、繧繝(ウンゲン)?文(カモン)などいろいろ表現の道具立てが・・・。
2012.01.31
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前回の続きです。実はもう少しで後編の力作?を書き終えるという所で、郵便物に気を取られた刹那、不要な場所にカーソルを合わせたため、一瞬にして原稿は失せてしまいました。相当な時間を無駄にしたことになります。余所のサイトもこうなのでしょうか?対蹠的(タイセキテキ)=正反対であるさま。日本の真下のブラジル人の足裏も正反対?大団円=物語の終わり。或る一面では、ハッピーエンドと同義。三和土(タタキ)=意外とご存知ない読み方。それは灰・川砂・黄土に米汁などを和えて固めたもの がさんわど。叩いて平面にしたから? コンクリートで固めた土間のこと。短兵急(タンペイキュウ)=だしぬけに行動を起こすこと。美人局(ツツモタセ)=色仕掛けで金品を脅し取る犯罪。鉄面皮(テツメンピ)=非常に厚かましいこと。天眼通(タンガンツウ)=何事も見通す能力。等閑視(トウカンシ)=なおざりに見ること。独擅場(ドクセンジョウ)=どくだんばではありません。一人舞台。土饅頭(ドマンジュウ)=土で盛り上げた墓。白皚々(ハクガイガイ)=真っ白なありさま。白面郎=若くて経験のない男。木強漢(ボッキョウカン)=融通のきかない愚直な男。没義道(モギドウ)=義理、人情を解さないこと。翻筋斗(モンドリ)=宙返り。香具師(ヤシ)=縁日などで店を出し、口上を述べながら物を売る人。遊冶郎(ユウヤロウ)=遊び人。里程標(リテイヒョウ)=みちのりを示す標識。梁山泊(リョウザンパク)=野心家の集まる所。<先ほどはこの3倍の言葉を簡単に注記。ここで消失してしまいました。悔しい>錬金術(レンキンジュツ)=卑金属を黄金に変える技術。<あぁあ~ 疲れました。出来栄えは先ほどのより半分以下です。グスン>
2012.01.30
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前回、あれほど喜んで貰えるとは思ってもみませんでした。〇あしたの滋養。〇あたし 伝記になあれ!〇足の向くまま、昨日むくんだまま〇あ痛っ、口がふさがらない。〇(歌)愛、あなたでふたり♪〇愛とは公開しにくいもの。〇悪銭でもいいから身につけたい。〇愛って絶えるものなのね。 〇浅き夢見し飽きもせず---宝くじ〇穴があったら歯 痛い。〇足に向って撃て!---威嚇射撃。〇(歌)明かりをつけましょ ボンヤリと♪ーーー省エネ時代。〇あかぬける娘 毛抜ける親父。〇あがきのヤマも今宵限りーーー試験前夜。〇あっしには何の×÷(カケワリ)もござんせんぜーーー+-(タシヒキ算)〇あいつ同化してるぜーーーカメレオン。本日はこの辺で~~~♪
2012.01.29
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わが家には宝物と言えるちょっと手前の、ささやかな宝物が幾つかありますが、著名人の葉書で大切に残しているのが、父すばるが高浜虚子から頂いたものなど。 <只今号外にて御地稀なる出水の報に心痛いたして居ります。御尊家お障りはありませんでしたか。取急ぎ御見舞い申上げます。6月29日 高浜虚子>これは年号がスタンプでは解読できませんが、きっと昭和10年ごろ。続いて 昭和11年の年賀状 丸の内ビルのホトトギス本部から(宅、鎌倉原の台) 虚子の娘 星野 立子からも年賀状が届いています。6月には 田中王城からも。<朝のうち大島見えて春霞 梅折るや肩のあたりへこぼれ梅 巣箱出て蜜蜂春の風に垂り 岩二つ寄りつはなれつ春の潮丙子 六月 王城 >と筆にしたためてあります。昭和13年5月26日の虚子のハガキ、<拝啓 御苦労様に存じます。振って行ってゐらっしゃい。一句をはなむけ致します。 向ふところ必ず風の薫るらん 虚子>昭和14年3月1日では<拝復 御婚儀目出度 〇〇〇。俳句益々御勉強希望候 敬具 ホトトギス 高浜虚子>とあります。〇部分は読めません。結婚の折には、虚子からじきじきに鎌倉彫の短冊入れに金文字で、句も頂戴しています。ほかに、父を励ましている葉書も14年10月24日付で残っています。6つほどある短冊については既に、数年前に書きました。
2012.01.28
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予備知識を持たないまま、伊勢丹の”えき”画廊で開催中の北斎展「北斎の富士」を見に行きました。北斎と言えば半円を成す高波の中に白富士の見える図が一番印象に残るのですが、「冨嶽三十六景」の図は記憶にあっても、「富嶽百景」の富士の捉え方の多様性には驚いてしまいます。”霧中の不二”に於ける急坂の構図、洞穴から見た構図の”洞中の不二”、”田づらの不二”は水面に写る逆さ富士、”村雨の不二”は透かし絵になっています。”見切の不二”は障子張替作業中のもの、”不斗見不二”、”梭穴の不二”、”風呂の不二”などの意外性に驚かされます。”井戸浚の不二”、”七橋一覧の不二”は江戸期の風景を余す所なく描いています。感想を述べるなら、1つ所では満足しない、あれもこれもと次々チャレンジする頭脳の持ち主ですが、日本の画としては余白の少ない構図が殆どで、通常の感覚とは異なる人物という印象を持ちました。 先ほどWikipediaで調べましたら、相当な奇人で、名前を30回も変えていたり、転居に至っては93回。食事の用意は自分では一切せず店屋物ばかり。客の接待も他人任せ。版元からの給金は中身を確かめることなく、支払いには貰った時の袋のまま渡していて、余った分は請求者の余禄、不足はきっちり追加請求されていたようです。人に接することが苦手で、会っても礼をせず、こんにちはと嫌と二つの使い分けだけ。主に縞柄の木綿の服を着たっきり雀だったようです。彼の生き様の是非は兎も角、東欧の画家にも影響を与えた偉業は賞賛に値するし、彼から多くを学ぶべきでしょうね。
2012.01.27
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先日図書館から借りた加納喜光さんの「三字熟語 語源小辞典」のことに触れないで返却するのは勿体ない。そこで見慣れない幾つかを書き残しておきたいと思います。阿堵物(アトブツ)=銭。 暗々裡=ひそかに。 一弾指(イチダンシ)=ごく短い時間。一丁字(イッテイジ)=なしを伴って無学の意。 似而非(エセ)=似非つまりにせもの。過不及=ほどほど、中庸。 儀仗兵(ギジョウヘイ)=儀式時に高官などにつける武装兵。綺羅星=綺羅(キラ)、星の如しから生まれた語で、立派な身なりの人が居並ぶ有様。形而下(ケイジカ)=形があって感覚でとらえ得るもの。 形而上=抽象的なもの。月旦評(ゲッタンヒョウ)=人物の批評。 黄口児(コウコウジ)=年が若くて無知なもの。五斗米(ゴトマイ)=わずかな給料。 破落戸(ゴロツキ)=ならず者。金輪際=仏教観では大地は金輪で支えられ、その下は水輪、そのまた下は風、空と 層を成し、金輪と水輪の接触する境目が金輪際で、地の底、とことんまでの意。三幅対=三つで一組をなすもの。 三昧境=忘我の境地。 試金石=価値判定の材料となるもの。師子吼(シシク)=大いに熱弁を振るうこと。 新機軸=新しい工夫。千秋楽=楊貴妃を愛した唐六代の玄宗帝の誕生日を千秋節といい、この日に演奏された音楽が 千秋楽で、長寿をことほぐものだった。そして、興業の最終日を意味するように変化。草創期=物事を初めて起こした時期。 素封家=金持ち。金満家よりも上品なイメージ。 本来は詳しい説明を付けたいのですが、それだと丸写しになっても困ります。詳しくは自ら辞書をひいて下さいね。
2012.01.26
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都心に雪が舞い散り積もる寒い天候がありましたが、あの寒がりの猫は、恋に関しては寒さも厭わないようで、そろそろ鳴き立てる時節がやってきます。もう10数年前父が遺した句にわたしのコメントを付した拙文がありましたので、紹介しますと 猫の恋アルト可愛やバス憎や・・・・正月も遠ざかって、厳寒の2月、またぞろ猫の恋が始まる。毎年毎年この時節になると、雨戸のすぐ側で、延々と猫の鳴き声が続く。 我々はどうしても、可愛げな高い声の猫を贔屓にし、太く低くドスの利いた猫を疎ましく思ってしまう。所謂、判官びいきになってしまう。 高い声音をアルトと称し、低い方をバスと端的に表現し、可愛いと憎いに対比させて、猫の恋をユーモラスに詠んだ。この句に接してみると、あの冬の厳しい寒さの部分が消えて、熱く燃える猫の戦いにのみ、神経が行ってしまう。声一点に集約させた句の妙味。 仔猫はや野良の性根のまなざしを・・・テレビの動物番組で、犬と猫の祖先は昔同種であったが、平原を選択したものと、山や森の奥を選択したものとに分かれ、その結果、猜疑心豊かな神経質な猫の性格が形造られたと説明していた。犬はすぐ飼い主に馴れるが、猫は疑り深い。愛らしい仕草があるものの、既に野性の本性が垣間見られると詠んでいる。 仔猫ながら一応疑り深い、警戒の目つきを備えていると詠んでいる。 むかしは恐いもの知らずで、句評など綴っていましたが、現在はどうしても遠慮があって書けなくなっています。
2012.01.25
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8年半、ほぼ毎日ブログを更新し続けていると、困るのは話題です。できるだけ変化球を投げようと思えば、そこらじゅうから話題を探して来なくてはなりません。これまで、そしてこれからも極力自分の文章でつづる意志を貫きたいのですが、本日は今朝の京都新聞、新里健さんの記事を参考に書かせて貰います。 ”仕事や恋愛 みのるお守りに”(大山崎・離宮八幡) 荏ゴマ、油の神様として全国にその名を馳せる京都府乙訓郡・大山崎町にある離宮八幡宮。またの名前を河陽(カヤ)離宮といい、嵯峨天皇が奈良からはるばる狩りに来られた折の、離宮として建てられたことに因んでいます。江戸中期以前には、離宮さんの神人たちは荏ゴマを大量生産する絞り機を発明し、西の日光と呼ばれるほどの繁栄をみました。ここには油祖像があって、今も大手油脂会社の信奉を集めています。 さて新里さんの記事によれば、<大山崎町の離宮八幡宮は、町の地形と同じハート形をしたお守りを作った。創建1150年を記念し、町の土産品にもしたいと企画。赤色と紫色の2種類があり、努力や縁が結ぶようにとの願いを込め、「みのりお守り」と名付けた。・・・(略)・・・「みのりお守り」は幅3センチと小ぶりで、表面に金糸で「離宮八幡」と縫い込まれているほか、鈴も付いている。・・・(略)・・・800円で授与している。問い合わせは、075-956-0218離宮まで> 来月11日の土曜日は、近くの宝積寺では人気のある「写経」と観光ガイドが催され、東京・名古屋や広島・明石あたりからの常連さんも。私はこの日、別のお客様を天王山山頂までガイドすることになっています。翌日は結社の総会。今年も相変わらず忙しい日が続きそうです。
2012.01.24
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古い言葉と現在の言葉が丸っきり正反対の意味をもつものとして、私が最初に気にした言葉は、小学校高学年の狂言の鑑賞会の時で、”なかなか”という言葉。私たちは今では、なかなかどうして・・・・という訳には行きません、という具合に否定の言葉を伴う語として捉えていますが、狂言の世界では、はい、その通りですという肯定の意味を表すのだから、言語は難しい。 最近、逆の使い方をするものに、”全然”そして”やばい”の2つ。元来、全然はあとに否定の言葉を連れてくる用法だったのが、全然格好いいなどと肯定しながら文意を強める働きに変っています。また、”やばい”は危ないという意味合いであったものが、危険に陥るほど素晴らしいという最高の褒め言葉に出世しちゃいました。 金武伸弥さんの「”広辞苑”は信用できるか」という本では、広辞苑や大辞林、日本語大辞典などの大型辞書、或いは、新潮社や集英社の中型の国語辞典、小型辞書から新選国語辞典、旺文社・新潮社・講談社・角川・三省堂・岩波などの辞書など20種類もの辞書を引き合いに出して、その解説なり、索引に載せる方法、解説の曖昧さなどを注記しておられます。 ”一姫二太郎”、”気が置けない”、”(流れに)さおさす”などの解説は興味深いものがあります。一姫二太郎=(正)上が女の子、第2子が男の子という順が育てやすい。(誤)女ひとりに息子ふたり。気が置けない=(正)遠慮したり気をつかったりする必要がなく、心が打ち解けることができる。(誤)気が許せない。流れにさおさす=(正)流れに従う。(誤)流れにさからう。これらについて、各社の説明の行き届き具合などを比較しながら詳しく述べておられます。 言葉は生き物で、時代と共に変化して行きます。上方落語の”けんげしゃ茶屋”は米朝師匠の語りがカセットテープにあって時々、これを子守唄にしていますが、この”けんげしゃ”とは御幣かつぎ、験担ぎ、つまり縁起を気にする人をさしていう言葉で、とっくの昔に死語となっているようです。私は半世紀以上は生きてきていますが、50年もの間に、言葉はどんどん変化している訳ですね。日本人は実にゆたかな語彙を持って居ます。お互いにことばを大切に扱いたいものです。
2012.01.23
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昨日は台所事情を話題にし、それは赤字に近い家計の話ではないと言いましたが、本日は、そんなら家計簿を話題にしても面白かろうと考えました。もう5年より遥か昔の秋に、 家計簿に女を綴る秋灯下 星子 という句を詠みましたが、正に私の母は克明に記した家計簿を残していました。嫁した先の家計を任された主婦の歴史書が家計簿であると言っても過言ではありません。 ’82年度の新年には正月から皆が集まる様子が日付ごとに記されています。またこの年には3歳だった長女が風邪をこじらせ脱水症状で入院した1週間の記録や、 妹の長女(姪)のお雛様の準備、亡父との月2、3回の宝塚歌劇の観劇や歯科医への通院。84年度には長姉だけが貰っていたお雛様一式を、永年不満の煙を燻らせていた次姉にも買ってあげたことやご近所さんからの戴きものまで家計簿の余白に記録してあります。 バレンタイン・デーには必ず家内が、父あてにチョコレートを届けていたこと、その他、私達の家系にまつわる懐かしい記録が感情を入れず、単なる記録として残してありました。今、家内は姑(ハハ)と同じように家計簿をきちんと続けています。 本日の付録は、母の死に際して詠んだ詩です。 母さんに旅発たれて 悲しくない訳はありません でも 二つだけ これで良かったと思っていることがあります 苦しむことなく 老醜を晒すことなく逝かれたこと そして 死後のお顔がね 昔の母さんの尊顔に戻られたこと 棺(ヒツギ)の窓から 穏やかなお顔を見て 誇らしく思いました 父さんがサンタ・クロスで 皆さんに夢を贈ることが出来たのも 貴女の弛(タユ)まざる 辛抱心があったからだもんね 我慢という言葉は 実に貴女にぴったりのことばでした 九州から大阪へ戻って来たとき 幼い妹を含め四人の子供と 大きな革鞄と大風呂敷 肩から手が千切れるほど重い革かばんの中身が 父さんが大切にしていた古手紙だったとは 驚きでしたよね そんな扱いにも愚痴を零さず 貴女はずうっと 父さんを支えて来ましたね ほんとうに ご苦労さんでした 生活が楽になり始めたのは この長岡に移ってからかな 子供に食べさせることだけに専念し ご自分は着のみ着のまま 父さんが癇癪を起こしたときも じっと堪えて居ましたね 私達こどもが独立した頃から やっと 父さんと連れ立って 宝塚や京料理を楽しむようになれましたね 父さんが逝ってから こどもがいろいろ貴女に尽くしましたが 父さんの居ない独居生活には 生き甲斐など半減してしまったようですね 亡くなる前日は あんなに元気だったのに 骸と化したあの日 私らが駆けつけるまで ずっと独りだったんだね ごめんね ごめんね もう一晩泊まれば良かったのに トイレの便器に座ったまま 貴女は眠るように固まっていらした 死の恐怖を 死の苦しみを ほとんど知らずに 鬼籍へ旅立って逝かれたのが せめての救いです 形ある貴女には もう逢えないけれど 父さん同様 私達の心の中に居て下さるから 大丈夫 いっぱいお話しようね 一緒に美味しいもの 食べましょうね だから さようならは言いません
2012.01.22
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「わが家の台所事情」と題しても、いわゆる家計のやりくりを記述する訳ではありません。いつものように9時前に近くの農協の駐車場に家内が出かけ、いろんな野菜を数点買ってくるのですが、今回話題にするのは、見事という評価を超えるほど、青々とした葉をつけたセロリ。畑で栽培されるパイナップルの光景をご存知でしょうか?まるでその位に、椰子の木ほどに葉っぱも茎も立派なセロリ。”理論どおりに”、此処は洒落(セオリ・セロリ)ですから<ここで笑わないと、もう笑う個所はありませんよ>って、落語家みたいな表現ですが、兎にも角にも、その大きさったら無い。玄関の洒落た靴箱の上には、正月の飾り物、例えば桐のガラスケース入りの大羽子板2つやめでたい小物の置物と一緒に、このセロリの葉が花瓶からにゅ~っと突き出し、鎮座ましましているのです。このセロリのひと茎を葉ごと煮炊きすると、家中、その強い香がたちこめ匂うのです。 ところで、”発砲スチロール容器”の効能については、この日記で度々書いてきましたが、読者の皆さん、本当に採用して頂いてますでしょうか?冬場の厨房道具に欠かせない、大活躍のグッズがスーパー等から無料で頂いた”発砲スチロール”の深めの箱なのです。やや大きめの鍋で炊き込んだ煮物は、まだグズグズ煮えたぎる音のする鍋ごと、この容器にいれます。鍋と容器の壁の隙間には、古新聞紙をぐしゃっと丸めて埋め込みます。このまま、数時間放置して蓋を開けても、まだまだちゅんちゅんに熱いんです。 冬の味覚と言えば、先ずは大根。今回は蕪に似た丸大根、油揚げ、鶏肉などと一緒に煮込んだものを夕飯時に再び温め直し、食卓の中央に、でんと据えます。その他のおかずと一緒に、この煮物を戴くのです。暗くて寒い真冬は大嫌いですが、鍋物がほぼ毎日食卓を賑わせますので、耐え忍んで行けると言えないでもないですね。
2012.01.21
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下に並べた人たちって、一体誰???1歴 山 2維 廉 3以利沙伯 4加利列窩5坎 徳 6格侖児 7瓜 得 8哥白尼9雑未耶 10施福多 11沙 翁 12瑣 子正解と思われる人名を下の欄からお選びください。aソクラテス bシェクスピア cシーボルト dザビエルeコペルニクス fゲーテ gクロムウェル hカントiガリレオ jエリザベス kウィリアム lアレキサンダーこれは中国において、発音の似たものを充てたものと思われます。
2012.01.20
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他人(ヒト)に自分の本を貸してあげて、そのまま戻って来ないまま有耶無耶になり、結果的に失ってしまったものが数冊あるのではないでしょうか?私の場合、川端康成の「新文章読本」そして山口百恵の「蒼い時」が挙げられます。前者は新本で簡単に購入できますが、後者はなかなか見つかりませんでした。 長岡京市には古書店が1軒あり、亡くなって半月後、父の書籍も2トン車で持って帰って貰ったり、去年の暮も手提げ紙袋で3つほど引き取って貰ったりしていますが、その古書店で百恵さんの「蒼い時」の単行本(100円)を発見、迷わず買い求めました。 私が彼女の自叙伝(文庫本)を読んだのは最初は平成になった頃、人に借りた時だったと思います。芸能界にありながら、しかもトップ歌手、女優という立場の彼女の生い立ちや生活感、人生観というものに魅入られたので、自分でも新たに文庫本を購入して手元に置き、また人にも薦め、その流れで貸し出し、無くしてしまったという経緯があったのでした。 芸能界という虚実の不安の中で、彼女を支え続けた三浦友和氏との絆の強さに、また、芸能界からすっかり足を洗い、伝説の歌手・女優として、今なお国民的人気のある山口百恵さんの生き様は、この「蒼い時」の心映えと少しも変わっていないように思うのです。
2012.01.19
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何だかんだと忙しくしている間に第3水曜日になりました。結社の3校も終え、また大阪俳人クラブの最終校も終え、心は既に3月号へ向かいつつあります。そんな中、昨日、本年初めての図書館入り。借出した5冊は以下の通りです。1)「和紙つれづれ草」町田誠之著(平凡社) 私たちの生活に紙は欠かせませんが、中でも和紙については俳句をたしなむ身には、今後とも少し知識を持っておかないと・・・。2)日本の風景を歩く「京都」水上勉著(河出書房新社) 京菓子、柚子の里、伏見人形、表具師、椿寺、遊郭、八条坊城界隈、黒染、醍醐の桜などについて、流れるような文章でつづられています。3)「三字熟語 語源小辞典」加納善光著(講談社) 通常は四字熟語が問題になりますが、三字熟語から句作のヒントが?4)「”広辞苑”は信頼できるか」金武伸弥著(講談社) 句作や校正作業に電子辞書は欠かせませんが、父やらの時代に較べれば、(国語審議会などの段階的改良がある為かも知れないけれど)メーカーや新旧によって内容が統一されていないことなど、全面的に信頼を寄せられない事情があります。5)「読めない漢字の読本」尚学図書編(小学館) 俳句に携わっていると通常の人よりも難解な熟語、漢字は読める筈ですが、常に脳みそに新風を送っておかないと、陳腐化してしまいそうです。
2012.01.18
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表題の珍本の”事典編”では、随分笑っていただけたようですが、今回から時折、その ”教訓編”から適宜抜粋してお届け致します。〇明けましておめでとう 本音もよろしく。〇案ずる位なら産むな。〇あたってくだまけ。〇姉は天下の変り者。〇あなた、老いてゆかないで。〇あなたって、頼り害のある人ね。〇あなた、代わりは居ないのですか?〇あなたのおかけになった番号は現在疲れております 元気な時におかけ直しください。〇暑さ寒さもお棺まで。初笑いではないでしょうが、笑い素、少し利きましたか?
2012.01.17
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この初春、一体どんな神社・仏閣等に詣でたのか、思い起こしてみると、1番目は二日、伊勢丹でのくじ引きや初買を済ませたあと、ご先祖様の墓詣、その足で新玉島神社、道真公ゆかりの菅大臣神社、そこの本殿に仮住まいの俊成社。この俊成社は現在の冷泉家の祖先、あの小倉百人一首を編んだ藤原定家の父君・藤原俊成を祀っている小さな社殿。それから八日には、本部例会に参加する折いつも願掛け・お礼参りしている”御辰稲荷神社”に昨年の感謝と本年の挨拶、続いて、日野草城と一緒に結社を興された野風呂先生の墓前で手を合わせ、その小高い場所から洛西方面を望みました。その日、例会の帰り道はバスが大幅に遅れ、もう夕方になっていたからついでに宵宵戎を拝みました。宵宵とは言うものの参列はそこそこ長く、本殿前で拝むまでには約30分以上かかりました。一方、地元の長岡天満宮は、家内との散歩も兼ね既に何度となく拝しています。 そうそう今月の吟行は上賀茂会館を借りて行いますので、上賀茂神社にもお参りできます。なお、俊成社については、大阪俳人クラブ1月号「かんさいの変った町名」欄で取り上げています。
2012.01.16
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鉾町生まれの父が祇園祭に1年の照準を合わせていた事と同様に、私も都大路を駆け抜ける女子駅伝、中でも中高生から大学・社会人を含めた皇后杯の駅伝が大好きです。それを証するのは、昨年の6月18日からシリーズで掲載された皇后杯の「30年の軌跡と未来図」(京都新聞)の切抜きや年末から正月にかけてその続きが掲載された記事の切り抜きなど。また北海道・東北地区から九州地区に至る都道府県別の「戦力分析」の記事。地元京都の代表選手に関する記事などを揃え、実際にはどのような展開になるのやらとスタートまでわくわくしながら当日のノミネート選手名などを眺めながら楽しんでいます。 特に今年は30回目の記念すべき年。過去を振り返ると初回の千葉から京都、千葉、鹿児島、神奈川が5回目まで順にトップの座を奪い、6回目から5回連続で京都が栄冠に輝き、その後は大阪、宮城、熊本、埼玉、福岡、長崎、兵庫へと展開。 地元の有利性で京都の実績が群を抜いて居り、現に京都が優勝するのは嬉しいのですが、できればいろんな県(道・都も)に初優勝の感激・醍醐味を味わって欲しいと願っています。私は今から47チームのオーダー表に蛍光ペンで注目選手に記しを入れる作業に入ります。一昨年は岡山、昨年は京都、さて今年はどこが栄冠に輝くのでしょう、みんなで盛大に応援致しましょう♪
2012.01.15
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今から5年前の祖父母が住んでいた家の片づけの模様をそっくり写し出すと、 <京都の家の書物の整理は今月中と期限付ですので、余暇が有り次第、足が烏丸高辻へと向いてしまいます。従姉妹と一緒に叔母も来て居て、時折昔話を織り交ぜながら作業を進め、古書分別の後、リュックに積んできたPCに蔵書一覧を入力し始めました。 夕方雨模様の中、家内と二人で河原町三条付近まで歩き、数件の古本屋さんを覗き、某古書店のご主人と会話。最初の内は脈の無さそう雰囲気でしたが、父が高桑義生氏と知己であったことを仄めかすと事態は一変しました。 この古書店主は高桑氏と懇意であったらしく、急遽こちらの話に耳を傾けられたという流れのように感じられました。「夜の京阪」は長田幹彦、吉井勇、薄田泣菫、宇野浩二という京ゆかりの作家が執筆している名著で、それを呈示しただけでも、店主の鼻がピクついたように感じました。 祖母が高女の頃に学んだ日本画の教本:藤井玉泉(明治24年)や藤井玉州(明治39年)なども古本屋さんの食指が動く本です。郷土玩具の愛好者なら知っている「竹とんぼ」という小冊子(1-10号)は駒やこけし、雛が色鮮やかに摺られた版画付の情報誌です。>とまぁ、こういう具合でした。しかし、大事にし過ぎて、何処へ仕舞ったのか判然としないのは、根っからの片づけ下手の所為?それとも老い始めた加齢の所為?その両方なのでしょうね。
2012.01.14
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物置の棚に堂本寒星著「南座」(文献書院)という分厚い書物があります。古本屋さんでは知らない人は居ないというほど、著名な書物。昭和4年11月20日発行で、定価4円です。表紙の装丁は金泥を付した布地の色刷りで豪華なものです。また、本書は京都は南座の歴史と歌舞伎の近世を記録しています。 現在の南座は20数年年ほど前に改装されたものですが、桂米朝師匠が博打・狸をサイコロに化けさせる内容の落語の枕に、改築前の南座のエレベーターの秘話を披露。何でもあすこのエレベーター、人数オーバーの際は重量チェックの働きでブザーが鳴り、一人分を拒みますが、そぅっと再度乗れば、そのまま動いたのだとか。本書にはまるで銭湯”松の湯”と呼んでもおかしくない風情の明治時代の南座の写真、続いて、それよりもずうっと立派になり尖がったイメージの大正時代のもの、そして3つ目には、唐門のような風情の昭和初期の写真が掲載されています。南座の真向かいには、北座があって、1、2階は八ツ橋本舗、その上には歌舞伎関係の写真や資料が展示されています。
2012.01.13
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本日と明日は句会。真剣に佳句を作らなければなりませんので、手抜きとなりますが、パソコンを使って作った2番目の曲です。当時まだパソコンは持って居なく、野洲にお住まいのM氏のお宅の、パソコンをお借りして作りました。第1曲目は私のメロディ、ハーモニィにM氏が編曲して下さったものですが、この曲はすべて私の意思通りに入力した曲で、厳密に言えば自作の1番目ですが、この譜面そのものはM氏のパソコン本体にある訳です。 「男って?女って?」 女は小悪魔 ご用心! 素敵な男を 待っている 妖しいドレス 妖しいメイク 男の能力 男の値打ちを チェックチェックチェックする 計算づくめの生き物さ 意外に理性の ある奴さ 男は蝶だよ ご用心! 美味しい花粉を 求めてる ソフトな言葉 ソフトなタッチ 女の魅力を 女のボディを チェックチェックチェックする 衝動的な生き物さ 意外に幻滅 する奴さ 女も男も 化かし合う! 狐と狸の 腕較べ 優雅な狐 頼れる狸 自分の都合で 自分の都合で チェックチェックチェックする 世の中巧く できている おんなじ絡みの 繰り返し 声が入っていませんので、別途PCを起動させ、↓のURLをコピーして貼り付けの上、お聴き下さい。 http://voon.jp/a/cast/?id=cnh1azlofvg9mxyt#player便宜的にはここです。”男って? 女って?”
2012.01.12
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漢字の成り立ちを考えると興味が尽きませんね。わが家に漢字に関する本は数冊あります。日本語に興味を持つ者が自由に集い、日本語の研究、発表をおこなっているグループがあって、その名も日本語倶楽部。文字に熱中している者から、若者用語や流行語を追いかけている者まで幅広いメンバーで構成されている様です。 さてその日本語倶楽部編集による雄鶏社発刊の「”字源”の謎にこだわる本」を参考に書いてみます。”日”という字の真ん中にある横棒は当初は黒点で、私たちガイドが大山崎の離宮八幡の境内に掲げてある「日本植物油協会」(http://www.oil.or.jp/trivia/shinbutsu.htmlのシンボルマークそっくり、天気記号の”霧・氷霧”の形だったようです。太陽の形をそのまま象形文字化したもので、月のように欠けたりしない、完全なものと表現したかったのでしょう。従って発音の”ジツ”は充実の”実”からきています。”日”を基礎とした作字の数は、月(肉月偏とは別)の比でなく多々あります。元旦の”旦”は、日の下に横棒を入れ、地平線から出てきた太陽を表し、朝、夜明けの意味を成します。日を上下に重ねた”昌”は、太陽が燦々と輝く盛んな様を、太陽と月を合わせた”明”は、双方の光をあつめた明るさの極致を意味しています。”月”は当初、アルファベットのDに似た形の中央に黒点を入れたもので、それは満月ではない姿、黒点は”兎”の意だったのかも。月はひと月で形が変わるので、後年、三日月に似た字と変化し、音も間歇の”歇”からきているとか。月偏の漢字は意外に少なく、有、服、朔などに限られ、身体を表す肉ヅキの場合は肌、肘、肝、脚、股など多くあります。肉ヅキの月は、動物の肉を捌いてバラバラにした筋目のある象形文字と言われています。しかし注意すべきは、今となっては同じ”月”ですが、肉ヅキは右側の二本線がくっついていない状態が、元の漢字だったようです。 今、思いつきの句ながら 日の暮れて窓に肘出の月見かなお後が宜しいようで・・・。
2012.01.11
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子供の頃、愛読していた雑誌の中の「暮らしの手帖」。何故子供の癖に成人用の生活誌が好きだったのでしょう?それはね、一つの電化製品に就いて、様ざまな実験を繰り返しその結果を報告する、その真摯な考え方に惹かれたのかな。 さて「暮らしの手帖」の或る号の記事で目に止まったのが平塚らいちょうの生涯を綴った映画の紹介欄でした。らいちょうは1886~1971年、85歳まで前向きに生きた日本女性の先駆者でした。 「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。」・・・時は流れ、女性の台頭には目覚しいものがあります。 憶測ながら何と、数千万人もの女性が仕事を持って働いている時代になりました。男女いずれが優れているかなどは無用の論議。それぞれの特性を活かし合えば宜しい、男にも女にも優れた人も居りゃあ、そうでない人も居ます。 心の持ち方一つ、誠意の在る無しだと思うのです。私は男として月のような女性も好きであるし、太陽のような女性も好きなのです。らいちょうが尊敬した櫛田ふきさんの言葉「生きていることは呼吸することではない。行動することだ。」行動しながら反省し、反省しながら行動せよという教えなんでしょうね?
2012.01.09
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このネットの世界の中には、病気と闘っている人、ご主人がぐうたらでその役目を果たせず生活苦に困っている人、旦那様が不倫真っ最中で氷の心溶けざる人、不倫は好ましくないと解りつつ癒してくれる人に恋焦れる人、見かけだけで選外となり未だ素敵な恋人の居ない人、現状で一応満足半分の人、いろいろ居られることでしょう。されど、どんな環境に置かれていても、自分を律することができるのは自分をおいて他には有りません。 昔、こんな言葉を聞いたことが有ります。やること為すことすべてが好転していて人生の絶頂期に在る時には、有頂天になってはいけない。自惚(うぬぼ)れないで他人の意見を受け入れるようにしよう。反対に、やること為すこと空回りしてどん底に在る時は、へこたれないで自分を信じて前進しよう。 また人類は海から生まれた生き者ゆえ、汐の満ち退きに大いに影響され、所謂バイオリズムに支配されぬでも無い訳です。自分の体調の波に巧く合わせることが大切でしょうね。女性は複雑な身体を持っているから尚更でしょうね。 私たちの身体は病原菌など、招かざる客に埋(うず)もれて生活しています。身体を構成する細胞や血液の中にある抗体の働きで、外敵から我が身を護っているのです。そしてそれはホルモンの働きにも大きく影響を受けます。このホルモンを活発にさせるものはと言えば、自分自身の心の持ち方だと思います。 同居の人、職場の人、親戚の人、外で擦れ違う人々、そういったあらゆる人との接触でストレスが溜まります。ついつい弱音を吐く自分自身の悪玉が、悪い方へ悪い方へと誘惑します。しかし、此処が勝負どころです。自分の善玉を総動員して、一笑に伏すことで悪玉をボイコットしましょう。 風邪の黴菌、癌などの強敵が日々私たちの身体を襲います。健気に闘う善玉も、時には新手の敵に負かされます。それが病気をしている状態です。 近代医術に精通した医者は抗生物質という文明の利器で黴菌と闘う細胞や血液に「援軍」を送ります。この援軍と自分の体力との勝負で戦っている10日ほどの間に抗体が形成されて、ついに頑固な悪魔を退けているのです。 精神的なものが身体に作用することはいろんな実験で証明されています。良きにつけ悪しきにつけ、心の持ち方が自分の身体を左右させます。 さあ、今日から新しい自分を発見しましょう。新しい自分を形づくりましょう。マイナスに作用する羨望や、憎悪や悲観とはきっぱり別れを告げましょう。 自分に得な笑い、喜び、プラス指向と言う協力な武器を備えて逞しく生きて行きましょう。善玉は貴方自身が育てましょう。70、80歳のお年寄に目を向ければ、プラス指向で歩いて来られた方のお姿からいろいろ学ばせて貰えますね。
2012.01.08
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生きている限り年の数が増え続け、老齢などと呼ばれるのは少し癪ですが、寒の入りともなると寒さ対策が肝要となります。夜中に手水に行くことなど、若い頃には考えられなかったけれど、この齢ともなれば、午前3時やまだ暗闇の5時頃にトイレに行くことも。母がトイレで亡くなっていたことを思うから分厚い上着を羽織り、毛糸のシャッポを被ります。ほんの数分と謂えどベッドに戻って来た時にゃ、身の冷えと毛布との温度差に驚いてしまいます。 3日の朝、湯を沸かし、コーヒーメイカーの準備をしていた折、ふと身近に熱さを感じたので、ちゃんちゃんこの左袖を見たら、何と炎が立っているので、右手で叩きましたが埒が明かず、すぐ脱ぎながら庭まで一直線に突進。テラスの上で踏んづけ、どうやら消しました。しかし、綿入れは火種が残っていることが多いと母から聞いたことを思い出し、庭の地面に捨て置きました。コーヒーとサラダの準備が済んだところで家内を起こし、もうちょっとで”かちかち山”になる寸前だったと告げましたら、水道に当てたら良かったのになどを言われましたが、あの土壇場では、叩き、脱ぎ、踏んづけるの3つの命令しか吾が脳が発しなかったのでした。ちゃんちゃんこの左袖の無残な姿、セーターの左袖も縮み上がり、穴が空いていました。 プラス思考の私は、不慮の危険を救って下さった神様・ご先祖様に感謝しながらも、これで今年の厄落としが出来たとも・・・。
2012.01.07
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例によって昭和11年1月6日、つまり76年前の父の日記を繰れば、<昼は雑用や昨日の思ひ出(宝塚観劇)に浸って過す。 夜、かつて「若草の歌」として自分が作詞作曲して置いたものを、明日の若草会(俳句の会)で発表すべく、眞ちゃんにその伴奏を願ふため、眞ちゃんの家へゆく。眞ちゃんは直ちに、その略譜をつくり、その場でメロデーをハーモニカで奏されるの聞いて大いに驚嘆する。来信:素経氏往信:白川氏、素経氏、八桂氏、和太郎さん> とあります。 へぇ~ 親父も作詞・作曲をして居たんだと驚きました。でも、よくよく考えると、永年勤めていた某生保の社歌の歌詞は惜しくも第2位だったことは、古アルバムから知ってはいました。しかし、作曲までしていたとは知りませんでした。これって、無形の一子相伝なのかも知れません。 では、本日も拙作をばお聴きください。 「だから信じたの」 1)泊まって行けばと 自然に言えた あの時そんな 気持ちがしたの 家を離れて 独りの暮らし いいことばかりじゃ 済ませない 人の温もり 欲しくなる 話し相手も 欲しくなる 女の本音は 女に言えない だからあなたを 信じたの 2)一緒の布団に 入ってもいいと あの時そんな ことさえ言った いつもおんなじ 仕事が続く 変化のない日が 待っている 涙流して みたくなる たまに抱かれて みたくなる 本当の悩みは 誰にも言えない だけどあなたは 信じたの 3)心が燃えたわ 身体も燃えた あの夜のことは 秘密にしてね 愛の宝は 大切だから 想い出小箱に 鍵かける 恋の名残は 消さないわ 夢の名残も 消さないわ 素敵な出来事 誰にも言わない そしてあなたを 信じたの この曲は独り住まいのOLさんをモデルに仕立てて、歌詞を考えて見ました。 男もそうだけど、独り暮らしは気楽な反面、孤独感に苛(さいな)まれがちです。 女性なら、尚更そうなのかな~~と想像して綴りました。「だから信じたの」
2012.01.06
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正月気分もそろそろ抜けて、平常通りの生活に戻りつつあります。このまま大きな事件など生まれず、平凡でゆったりとした時間の流れる年であって欲しいと願うばかりです。 さて70数句詠んだ12月の拙句から、ほんの一部をメモ帳代わりに記しておきます。 丹波路は四神の一つ冬夕焼都の理想の場所は、東西南北四つに神が存在する地形が求められ、京都はそれに叶うので千二百年も栄えました。北(玄武)に山=船岡山、東(青龍)に流れ=鴨川、南(朱雀)に巨椋池、そして西(白虎)に街道=丹波路という訳です。 虎ふぐや豚姫めでし西郷どんあの西郷さんはぽちゃり型の女性を好んでいたようです。〇雲海や竹田城址の見え隠れ12月の第1水曜日は”大山崎ふるさとガイドの会”恒例の研修旅行。天空の大地に連なる城郭跡は素晴らしい景色でした。◎装幀の厚き大書や霜夜なる立派な装丁のある書、紙面の縁に金箔を施し、ユニークなデザインの表紙など、明治・大正・昭和初期のものは立派です。◎文旦やふうふ細身でありし頃新婚時代はほっそりとした美男・美女似合いの夫婦も、共白髪となる頃にはぽっちゃり化。それも二人三脚の味。〇うす苦のボンタン飴の遠さかな〇片ごろも敷くと詠まれし霜夜かなこれは百人一首<きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む>を参考に詠みました。〇もみづるはぎをん弥栄の一樹なる紅葉の動詞としての”もみづ”。八坂神社前は三叉路。南西の場所には八坂の古い呼称・弥栄という名の中学校が残っています。昔はおちょぼ・舞妓たちが勉学した学校でした。其処に生えている桜の古木も紅葉していました。◎納骨の旅や冬涛間近くす義弟のお骨を納めに”みさき公園”まで。南海電車は汀ちかくを走っています。〇冬ざれのホームの端に佇つ漢(ヲトコ)〇畏きを極む御衣櫃(ミゾビツ)冬灯〇元左近てふ老樹にも冬芽かなこれは御所内にある宗像神社の左近の桜を詠んだものです。 落ち積みの六寸がほど枯紅葉まぁ、こんなところでしょうか。今年はまだ余り句作が進んでいません。8日の例会から始まり、西院での”まほら句会”、地元長岡京での”たかんな句会”、所属の”四温句会”、吟行、そして無派の”向陽俳句会”という流れです。
2012.01.05
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いつだったか、世界一のビール大国は旧チェコスロバキアと、この日記でも話題にしましたが、父が遺した「洋酒天国 22号」(昭和33年2月25日発行 当時頒価30円)には”酒飲みの文化史 No10”としてギリシア編が載せてあります。<大食と大酒>ギリシアではオリンピア祭などの運動競技に出る選手みは、大食が1つの資格だったので、競技の練習と並行して腹一杯に食べる練習が行われていた。そして付け足しとして大酒飲みも。ヘラクレスは2頭分の雄牛の胴体を真っ赤な石炭の上に積み、片っ端から肉を引き裂き、骨をへし折って全部平らげたとも。このほか、心が泣き悲しんでいる時も胃袋は飲食を要求すると述べたオデュッセウスという大酒大食漢、西暦6世紀頃のレスリング6回優勝した怪力のミロンに至っては、1回の食事に20ポンドの肉、同量のパンそして甕3杯の葡萄酒を飲んだとか。或いはヘロドラスは小男ながらミロンほどの大食漢で、彼が同時に吹く2個のラッパの轟音に軍隊は勢い勇んだ話。女性のラッパ吹きのアガライスも大食にして大酒飲み、リティエルサスという王も大食・大飲の獰猛にして残酷な人物だった由。 これらの逸話はギリシアの各時代を代表する著名な詩人たちの作品の中に詠い込まれているようです。現在のオリンピック選手らがこれらの事実を知ったら、さぞかし羨むことでしょう。でも、砲丸投げやその他の力競技は・・・・・?
2012.01.04
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子供の頃、正月を迎えると何でもかんでも”初”を付けて喜んでいました。初あくび、初手水、初笑い、初詣、初叱られ、初泣き・・・・・。昨日二日は、出かける寸前、”御降り”。本来は元日に降る雨を指すのでしょうが、結構な勢いで降り始めたのでタクシーを呼び、JR長岡京駅へ。去年より幾分遅めに着いたので、伊勢丹の初売りへの列は短めで、すぐに入店できました。エスカレーターを順繰りに乗り換え、十階の催し会場へ。十五万円の二人一組の東北四日間の旅を二人別々に申込みました。抽選開始までの時間は、昨年いろいろ頂いた方へのお礼の品の発送やお寺さんへの年賀の菓子などを準備。今年は特に国内旅の抽選順番が後ろに回り、私たちの選んだ旅への参加者が当日の大半数を占めていました。俳句の知人も偶々お越しでライバル?結局ダメでしたが、これが今年の初抽選。また来年挑戦します。五条通の寺に行く道すがら、菅原道真公に因む”文子天満宮”などを拝し、墓詣でも無事終え、大阪俳人クラブに載せる俊成神社などをカメラに納め、四条通に出る途上、ここでも京都支店時代の同僚に数年ぶりに遭遇、出会いの多い日になりました。初タクシー、初抽選、初外食、初買い物、初撮影、初墓参、初稲荷詣、一万五千歩の初散歩など多々。
2012.01.03
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楽天サイトでのブログは2003年7月末ごろから始め、去年の10月20日で丁度3000件の日記となりました。1カ月分毎に目次だけを印刷したところ、用紙の厚さが3センチ程にもなりました。1月2日の日記を遡ってみると、2011=プロとアマとの違い2010=てくてく家族の初詣2009=昭和16年父の日記2008=京都市郷土地理歴史2007=餅と火鉢2006=むすめふさほせ2005=こころの籠った年賀状2004=世の中捨てたもんじゃないこういう具合に、毎年内容が異なっています。カテゴリを編集記事用、妻のこと、亡母のこと、京の街の風物詩、幼年時代のこと、合唱のこと、亡父のこと、ガイド奮戦記、雑感・雑学、俳句およびそのエッセイ、作詞・作曲、小説・童話、未分類 と幾つもに分けています。読者をして飽きさせないよう、そして頂戴するコメントが多くなり過ぎないように工夫しています。
2012.01.02
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新年あけまして おめでとう御座います 本年もよろしくお願い申し上げます 新年の祝膳は四人家族総出で準備しました。雑煮の具の芋類は農協で手に入れたもの。小皿に盛りつける膾は、”紅化粧”という皮が真っ赤な大根を使いました。今年の恵方の北北西を向き小梅入りの茶を服しました。金粉入りのお屠蘇をいただき、蓬莱山と書いた箸入れの箸で雑煮に乗せ、花かつおを躍らせます。 ところで、父は常温の湯呑酒1杯の晩酌でしたが、日本酒の場合私は夏は冷酒、冬は熱燗派です。子供の頃、家に数名の客が来ると母は料理の準備や酒の燗の為、孤軍奮闘していました。わが家の熱燗は専ら薬缶の蓋をとって銚子を温める方法を採っていました。薬缶から取り出した銚子の胴は熱くて落としそうになります。つい耳たぶに指を挟んでしまいます。一方、母の弟、叔父の家では大ぶりのコップ大容器の酒たんぽが活躍していたことが思い出されます。 落語には”しびん酒”が登場します。近江の乗合船で豪商の隠居がお付きの男に熱燗を所望しますが、ついうっかりと熱燗の道具、銅製の酒燗器を忘れて来て居ました。折よく乗客の中に真っ新の”尿瓶(シビン)”を持つ人が居たので、それを借り、携帯用の炭火で温めます。近江の煮鮒を肴に隠居は上機嫌。尿瓶を貸して貰った男や近くの乗合にお裾分け。乗船代に熱燗酒もついていると勘違いする変人がおこぼれを強要しますが、船には戸板に寝る病人が居て、彼の尿瓶と、この熱燗酒入りの尿瓶がごっちゃになった為、折あしく尿や尿入りの酒を飲みかける話があります。本来は風流な落語なのですが、この尿瓶部分だけはちょっと下世話なネタ。名刀を見つけては鑑賞する二人の武士。同じ乗合に居た浪人の刀が余りにも立派なので是非見せて欲しいと頼むのですが浪人は断わり続けます。ふたりがかりで強引にその刀を抜いたら、浪人が拒んだも当然、竹光だったという落ちでした。
2012.01.01
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