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〇昨日は俳句結社「運河」さんの60周年の記念パーティにお招きいただき、総勢160人の宴で楽しく過ごさせていただきました。 主宰茨木和生先生は、亡父がノートルダム女学院PTAのお母さん達の俳句を教えていた後任になっていただいたご縁のほか、日本のほぼすべての俳句結社が参加する「大阪俳人クラブ」において、私ども「京鹿子」の後を継いで、現在、運営していただいているご縁もあって、個人的もご懇意にさせていただいております。 茨木先生は演出のお上手な方で、今回はチベット出身のオペラ歌手・バイマーヤンジンさんの歌とスピーチを私たちにプレゼントしてくださいました。 富士山よりも高い高原地しかも、9月から6月までが冬季、零下20度ぐらいの極寒の地がふるさと。11人兄弟の貧しい家庭、兄や姉の頑張りの下、教育に熱心だったご両親の御蔭で、大学まで卒業。日本人のご主人との出会いから、大阪に20年在住。チベットの歌を歌う傍ら、チベットに至便な生活と文化を根付かせようと懸命に努力され、学校を10校建てられました。 私の2倍ほどマイクを遠ざけるスタンスで、美しい声の歌と笑いと涙、感動のスピーチで聴衆を虜になさいます。ヤンジンさんについてはネットで検索の上、御覧下さい。運河さんからの献金は新たな学校創設の一助となることでしょう。
2016.01.31
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〇大奥について書かれた赤間倭子さんの作品を一部纏めますと江戸城本丸には公の儀式を行う”表”、将軍の生活の場としての”中奥”、そして所謂”大奥”がありました。 後期の将軍は”もの日”という記念日、例えば歴代将軍の忌日、その他精進潔斎すべき日などが沢山あって、月に10日ほどしか奥泊りが出来なかったようです。同衾の時間は午後10時ころから翌朝の6時前までで、襖に蔦の模様のある広い”蔦の間”だったとか。 将軍の日課は、午前6時、お小姓の「もう(お寝覚め?」という声から始まり、洗顔の後袴姿で大奥へ渡り、御台様と2人で歴代の位牌を拝みます。中奥に戻り、味噌汁・向付けに野菜・お平に煮物・吸い物と鱚の塩焼き(縁起から毎朝キス)そして米飯の朝食。1、15、28日は鯛か平目の焼き魚。再び「もう」の合図で、月代剃りや大銀杏の結い上げ。その間同時に医者のお脈拝見や腹診、外科や眼科・鍼医師による健康診断。 午前8時には若年寄ら要人の挨拶に対応、10時のやぐら太鼓で老中ら登城し政務の開始。再び大奥にてお目見得以上の奥女中との”総ぶれ”の挨拶。再度表へ。 12時には中奥の小座敷でお小姓給仕の昼食。お毒見あとの冷めた御膳。1時~再び政務。名将軍は長く勤務、老中などは2時頃退庁4時間勤務。 夕方6時は入浴。7、8枚の新品の浴衣で水分を吸わせる方法だったとか。夕食は大奥にて3の膳までつく豪華版で、御台様と一緒に酒も召したとか。 就寝までは自由時間。囲碁や将棋、和歌や画絵など嗜む将軍たち。しかし多くの人に監視されている為、その一生は自由ではなかったように思われます。
2016.01.30
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〇先ず最初に昨日の日記での誤りを訂正いたします。吉井勇の<かにかくに>の歌碑があるのは、もと祇園芸妓だった女将・磯田多佳の「大友」の跡地です。訂正してお詫びいたします。 桂米朝師匠の「鹿政談」の枕(導入部分)では三都の名物から話し出されています。三都とは勿論、江戸、京、大坂のことで、江戸の名物と言えば、武士にかつお、大名故事・小路(?)、生いわしにむらさき、茶店、火消しに錦絵。京都の名物は、水菜・壬生菜、をんなに羽二重、みすや針(三條本家)、寺に織屋、人形に焼き物。大坂に参りますと、橋に船、お城に芝居に米相場、そうか、揚屋、植木屋。そうか(とうか?)とは身をひさぐ女性のことのようです。さらに歩を進めて奈良の名物はと言えば、大仏、鹿の鳴き、筆、あられ酒に春日灯篭に町の早起き。大仏観るものにして尊ばずというように、初めてみた時の感動だけで、拝むことを忘れがち。熊野の鯨が大仏さんと背くらべしたらクジラが勝った。その訳は金(尺)とくじら(尺)では2寸ちがう。或る馬鹿な男が傘をさして大仏さんの中身を散策、丁度鼻に来たところでどすんと落ちた。その訳は、嵩が鼻に廻ったら鼻が落ちると言って、梅毒の終期の症状だったようです。つい数年前、そんな面相の爺さんを観ました。しかし乍ら、江戸や明治時代のことを探るにしても、インターネットでは難しいご時世になって来たようです。
2016.01.29
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〇20年前の1月27日に発足した大山崎ふるさとガイドの会の記念式典が昨日、町長やアサヒビール大山崎山荘美術館長その他の来賓を含め、凡そ80名の参加の下厳粛に華やかに催されました。式典での祝辞は町長を初め、町議会長、教育長、山荘美術館長から頂戴し、続いて発足のきっかけとなった生涯学習に立ち会われた方の当時のお話に傾聴しました。 当初の講習会も22回あったそうですが、全員の出席率がほぼ100%、向学心の強い人たちで、折角学んだ知識を生かして、ボランティアガイド設立に邁進。各方面へのPR活動、会則、体制、グループ編成等を着実にされ、制帽も準備され、4月以降のガイドは100件、2,500人の実績を残された由。 昼ごろから祝宴にレイアウトの変更。和太鼓の演技から再び来賓のご挨拶、商工会長、宝積寺、我らを育てて頂いた経済環境課長、OBからも。20周年用新作の七言絶句の吟を同朋が吟じられ、20年の歩みを記録したスライドショーが映し出され、数コマごとに、映っている人が一言、思い出話などを披露、全員でお片付け。こういう呼吸は抜群です。京都府下でのボランティアガイド老舗の記念すべき会合でした。
2016.01.28
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かにかくに祇園はこひし寝るときも 枕のしたを水のながるる とは、吉井勇氏の代表的な和歌で、京都は木屋町御池あたりに、その歌碑があります。吉井勇「不夜庵物語」(星林社)昭和22年11月20日発行、定価75円也。 しかし、驚きましたねぇ~。その流れるような文章のリズム。川端康成氏の文章読本には、泉鏡花氏の絢爛たる文章を美文の一例として採り上げ、徳田秋声氏の作品も僅か数行で登場人物の説明を巧みに表現していると紹介しています。歌人・吉井勇のこの作品も美文名文の例に相応しいと思います。俳人:太祇を主人公とした京都は島原遊郭辺りの江戸期の町人文化を描いています。<この不夜庵は、島原の廓の東南隅上之町の端にあって、俳名呑獅といふ桔梗屋治介の大きな家構への、丁度真後ろに當つてゐた。東は斜めに朱雀野が見渡され、南は七條の通りに近く、ずつと田畑がつづいてゐて、紫雲英や蒲公英の花の咲いてゐる向ふに、樟や椎の森を隔てて、東寺の塔の霞んでゐるのが、ひどくのどかに眺められた。 以前は桔梗屋に抱へられてゐる太夫、天神などの遊女達の、體の悪い時の出養生の場所、所謂寮として建てられた家だつたが、太祇を不夜城連の師匠として迎へるに當り、寮を二八の家の隣りに移し、ここをその住居にすることにしたのだつた。間数は五間程あるのだが、奥の二間は呑獅所蔵の書物や骨董の類が、所狭いほどに置いてあるので、太祇が不夜庵として使つてゐるのは、入口の三畳と茶の間の四畳半と、それに書斎としてゐる六畳の三間、やもめ暮しの主人にはむしろこれだけでも廣過ぎる位、箒や塵拂も取らないで、そのまま過ごしてしまふやうな日も多かつた。> 物語に登場する人物の仕草や台詞(せりふ)が見事に綴られ、江戸期のそれらの人物が自分の側に居るような錯覚すら覚えるのでした。
2016.01.27
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〇これまで数回、記事埋め合わせに利用してきた「マジカル頭脳パワー」から今回も抽出しました。(問1) <ある> <ない> 運命 ベートーベン ピアノ オルガン 曲 詩向かって左側 運命にはあるがベートーベンにはないという具合に考え、運命、ピアノ、曲に共通するものを考えてね。この問題では、何かを足せばわかります。続きのものを列挙すると 俺 僕 本 新聞 点 テストここで解った人の頭脳指数は100 次は 50になりますよ。 山の手 下町 中央 地方 東海道 中山道答は 最終に添えておきます。(問2) 煎茶 番茶 インチキ うそつき 栗 梨ここで閃いた人は、160の頭脳指数です。 みりん おとそ スマイル 笑顔 ビリヤード ボウリングここで解った人の指数は 110です。 起きろ 寝ろ どすん ばたんお前なめーとるんか ごめんなさいここまで来ると、指数は一気に 60に下降。これはよく考えた問題だと感心しました。(回答)問1→ 後ろに”線”をつけたら 全て共通します。問2→ これは長さの単位が含まれているのです。ご自分で、問題をお考えになって、友人・知人、ご家族に試されると、愉快になるかも?
2016.01.26
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〇垂水書房製昭和42年開版とある「文明開化錦絵集」(野々上慶一編)は2千冊の限定本で、わが家のものはNo1160番です。幕末・明治に刊行された錦絵は色彩がどぎつく、粗末なものが多いので美的鑑賞の対象にはなりませんでした。この限定本には、横浜開港の時期に入って来た異人の風俗を描いた幕末の「横浜絵」と明治の文明開化の世相を捉えた「開花絵」との237点を掲載しています。どの錦絵も編者:野々上氏の所蔵品の由。表紙裏は両面にわたってカルタのような表になっていて、上段には英語の数字、アルファベットが並べてあります。ワン、トウ、テレー、ホル、ハイフ、セウキス、セブエン、エート、ナイン、テン。英数の読みとして解るのは僅か。11はレウン、12はテエルブ、13シルテン此処いらも何か変です。また端書にはサンデー、モンデー、チュウスデー、ウエニスデー、ソルスデー、フライデー、セッデルテーとあるのは亜墨利加・英吉利西での曜日名。またこの年(安政6年)を西暦で1863年とも記しています。なお、この書物に挟まれていたものは、新書案内の新聞記事切抜きと、明治百年記念として売り出された20本入りのピース。 平面に伸ばされた箱3つには、”鉄道馬車と人力車”・”銀座煉瓦街”や、”洋式汽船”・”観音崎燈台”、”陸蒸気”・大阪高麗橋”の浮世絵のカラフルな図案入り。ここいらが如何にも亡父らしい纏め方。本もタバコの絵も当時の風俗を如実に描き出しています。父のことを少し懐かしみながら、ゆっくりページを繰りたいものです。
2016.01.25
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〇十数年も前の話ですが、西山地区の病院に義母が入院し、同じころ大阪の病院に入院中の義父を車で運び、一泊して貰って久しぶりの老夫婦、劇的なご対。しかし一か月も経たぬうち、治療の甲斐なく義母が没したその病院に、数年後再び大阪本拠の義父が一時入院。その理由は、今もそうですが、三か月を入院期間の上限とする病院側の自由に拠る盥回しの繰り返し。電動自転車がまだゆきわたっていない時代。夫婦共に電動自転車に頼りながら、介助通院していた道中の景色は、比叡の奥に聳える山々には白い雪が積もっていました。清潔感は抜群ながら温か味に欠ける寒々とした景色。 京都郊外のこの地域では、正月から3月上旬にかけて田や畑には白菜や大根が稔る程度で、休耕期の野良の色合いを呈し、寂しいものです。魔女の節くれだった指のような枯れ枝にはカラスが置物のように動きを止めています。話を日常に戻せば、 真冬に通勤していた時、列車の線路際には草木も見えず、その殺風景さに嫌気がして居たものですが、それでも着々と春への準備が進んでいるのでした。梅花祭の記事や菜の花の写真が新聞紙上に載せられる頃になると私の大好きな緑の季節が靴音高く近づいて来るのです。早朝の太陽の輝きも日増しに逞しく豊かになって行きます。奈良のお水取りの儀式が終わる頃には冬コートから薄物のコートに変り、街中には明るい色、ピンク色が行き交うようになります。畑の黒土には緑鮮やかな草が見る見る溢れ、鳥の囀りも勢いを増して来ます。やがて緑がいっぱいになる季に移り、桜の季節、葉ざくらの季節へと目まぐるしい変化の日々に突入します。もう、そこいらは若葉色、黄緑色で満ち溢れ、光・光・光の五月へと移ろい行くのです。
2016.01.24
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〇昨年12月の新聞折込みチラシから申し込んだ掲題のショー。通常価格の半分以下で、かつ住居地のホールで開催されるので決めた訳でした。年が改まってから東京テレビ(大阪・琵琶湖テレビ)局の演歌の宴に、著名な歌手のどん底時代の忘れえぬ思い出と曲の紹介番組があって、八代亜紀、坂本冬美、石川さゆりと言った方々の中に小林幸子さんも報じられていました。東京オリンピックの年にデビュー。しかし、第二のひばりと標語されたことが悪影響を及ぼし、ひばりさんへの遠慮から幸子さんを積極支援する事が難しく、永年の低迷期に陥ってしまわれた。。たまたまB面の「おもいで酒」が有線放送で30位以内をキープ、やがて1位に。彼女自身信じられず、電話確認された。そしてレコード大賞など賞を総なめ。ひょうきんで明るい振る舞いの小林幸子の身辺に激震が走ったのは、結婚後の至福時に、事務所の分裂騒ぎ。週刊誌が彼女を標的にして報じた影響で、紅白歌合戦の33回連続出場や華やかな大衣装も見られなくなったのは周知の通り。自らレコード販売店で販売に加わったり、藁をも掴む思いで、インターネットの「にこにこ動画」に出演した事が起爆剤となって、新曲のCDに1キロも並ぶ若者たちの列。そして新曲を出せた事と大きな歌謡界に大きな反響を投じた事が相まって、彼女は奇跡の復活を果たしたのでした。 会場で私は生身の彼女の振る舞いと訴える信念を耳にして、新潟地震の悪影響から子供ながらに家族を守り通した「生き様」が歌の1せつ1節に籠められている事に疑いを挟みませんでした。以前ににビデオ撮りの済んでいた番組が、スマップ騒動で危ぶまれたものの、奇しくも昨夜、無事にテレビ放映されました。今後も家庭に、ステージに明るい幸子スマイルが届けられる事でしょう。本日わたしも勤務時代の同僚とのカラオケ大会で思いっきり歌って参ります。
2016.01.23
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〇この頃、記憶力がとみに衰え認知症の走りかな?と危惧する中、父の遺した蔵書か、自分が購入した本か曖昧になりつつあります。2008年7月に発刊されているので、2000年の3月に没した父の本ではなく、先日近くの古書店(新品です)で私が購入したと思しき本の紹介です。光田和伸著「恋の隠し方」副題には<兼好と「徒然草」>と添えてあります。活字のポイントが大きく、詠み易くなっていて、序から一部抜き書きすれば<この「恋の隠し方」は「徒然草」というあまりにも有名な古典の、まったく新しい読み方を提案する本ですが、同時にまた、私の身におこったことの記録でもあります。> 興味の沸く部分は、<「太平記」は、もっともっとふしぎな兼好を登場させます。足利尊氏の権臣、高師直が人妻に横恋慕して、口説きの手紙を兼好に書かせているのです。 hitonomiti(中略)兼好はどんなつもりで、倫ならぬ恋の口説きを引き受けたのでしょう。いや、そもそもどうしてそのような依頼先に、兼好の名前が思い浮かんだのでしょう。>これを解明する資料が無いため、従来このテーマを研究した学者はなく、本書の著者は、「徒然草」そのものに資料が隠されていると目をつけられたようなんです。 兎にも角にも、恋というテーマを掲げながら、本書は徒然草と歴史とを対比させながら解説する面白い本なのです。
2016.01.22
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*** あなたの心の奥に ***1)あなたの心の奥に きっと持ってる 愛の園に 誰も来ぬ間に そっと入っては如何 初恋の花 今も咲いてる2)あなたの心の奥に きっと持ってる 愛の日記 誰も来ぬ間に そっと読んでは如何 初恋の詩(うた) 今も清らか3)あなたの心の奥に きっと持ってる 愛のメロディ 誰も来ぬ間に そっとハミングなさい 初恋の歌 今も流れる 何の技巧も持たない青春時代の作品です。勿論、メロディは出来ていますが、パソコンミュージックにはまとめていません。
2016.01.21
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〇父の生家は京の木綿問屋だったようで、高辻通烏丸西入るの地にありましたが、戦時中軍部の高辻道路拡張政策強行の為、一部召上げられ、屋敷は取り壊し。それで近くに借家住まいする身となってしまったようです。子供の頃、冬休み、春休み、そして祇園祭や夏休みにはこの借家の従妹の家に泊まりにいきましたが、今から七年ほど前、従妹夫婦がこの地を購入し家を新築することになり、父が遺した蔵書類を片づける運びとなりました。その折の話です。 実はその数日前に「京の古本屋」(青幻舎)という綺麗なガイドブックを購入していましたので、夥しい書物をジャンル別に区分し、いろんな古本屋さんに買って貰う算段となりました。京町家造りの三和土の台所に古い大きな水屋があって、そこには野風呂先生の綺麗な葉書、可愛がって戴いた水野白川(貴族)さんらの葉書百通ほどが葉書専用アルバムにきちんと挟まれ保存されていました。王城や路葉子、観崖画伯、素径らの京鹿子の面々に交じって高浜虚子の葉書数枚、虚子の次女:星野立子さんの葉書もありました。それから夏の甲子園野球第十~十二回の特集号や面白少年の付録でありながら立派な「新球団選手画報」が残っていて、それには巨人総監督が三原脩、監督が水原、別所投手、千葉茂、川上哲治、青田昇といった選手(写真付)。 阪神タイガースでは松木謙次郎監督、藤村富美男助監督、田宮謙次郎選手等。毎日オリオンズに別当薫選手。近鉄パールズには関根潤三投手など。本誌共で定価80円の時代でした。
2016.01.20
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〇私たち人間は家庭で育ち、通常、独立した家庭の中で子供を育てつつ、親の代と同様に新しい歴史を繰り返し刻んで行きます。その家系史をつぶさに記録してあるものが、家計簿でもあります。 家計簿に女を綴る秋灯下 星子という句を10年前に詠みましたが、母も克明に記した家計簿を残していました。今回いろんなことを整理をする上で、未使用の別の家計簿に母の綴った10数年もの歴史を転記して残すことにしました。 ’82年度の新年には正月から皆が集まる様子が日付ごとに記されています。またこの年には3歳だった私の長女が風邪をこじらせ脱水症状で入院した1週間の家庭の記録や、妹の長女(姪)のお雛様の準備、亡父との月2、3回の宝塚歌劇の観劇や歯科医への通院。 84年度には三姉妹の内、唯一持つことの出来なかったお雛様を次姉に買ってあげたことやご近所さんからの戴きものまで記録してあります。バレンタイン・デーには必ず家内が、父あてにチョコレートを届けていたこと、その他、私達の家系にまつわる懐かしい記録が淡々と、単なる記録として残してありました。
2016.01.19
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〇実に驚きました。パソコンが壊れ、いい加減な記事を書いていたのに、こんなあばら家に従来と変わらない訪問客がお越し下さっていました。感謝申し上げます。 さて随分前にこの日記で紹介したことのある文久社編の「夜の京阪」。大正9年9月1日3版、定価2円50銭ですが、長田幹彦・高谷伸・近松秋江・宇野浩二・薄田泣菫・吉井勇といった面々の小品や随筆に加えて、挿絵は鴨川のほとり、夏の宇治、道頓堀、舞子、朧夜の清水、月の奈良、住吉の宵などが載せらた掌中の豪華本です。吉井勇の「京阪百首」から幾つか転載しましょう。 (京の巻) ただ二人はぐれてましと思へども 円山月夜あまり明かり 恋あるもはた恋なきも打ち寄りて 京の雨夜の品さだめかな 加茂川の秋の出水ようき恋を みな流しねと思ふ夜半かな 宵闇に蛍はかなく迷ひ来ぬ 亡き舞姫のたましひのごと 昨夜(ヨベ)見たる近江の月を忘れずと 云ひつつ君は京の月見る 清水の夜の舞台の闇のなか すすり泣きする声の聴こゆる いつとなく菜の花みちも夜となりぬ 壬生狂言のかへり路の恋 (浪華の巻) 元禄のむかしながらにやはらかく 浪華の風は柳屋に吹く 春は来ぬ燕も海をわたるころ 船場少女(ヲトメ)ももの思ふころ 寂しげに焼栗売の声聴こゆ 夜半の船場を君と通れば 雁治郎の幟を濡らすにはか雨 あわただしきは恋に似るかな 茶の煙幽かにのぼり秋の気は いよいよ澄みぬ糺の森 やはり雰囲気がありますね。
2016.01.18
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〇待ちに待った全国女子駅伝の号砲が午後12時半に鳴ります。地元紙・京都新聞の共催だから昨年の暮から特集記事に目を通してきました。北海道・東北地区から九州地区までの都道府県毎の動向を解りやすく書いた記事や地元京都の代表選手等の紹介記事に目を輝かせて読んできました。何と言ってもスタート直後の一区の良否が大きく影響してきます。各チームのみんなが一区担当者に熱い思いの祈りを捧げます。如何に実力のある選手が託されるにせよ、こればかりは蓋を開けないと判りません。体調は神のみぞ知るです。すでにご存知のように、日本がマラソン競技を席巻していた時代ではなく、アフリカ勢等のタイムの差は歴然としています。過去にこの駅伝で華々しい活躍をした選手は勿論のことまだ開眼していなかった選手も、この駅伝を境に、起爆剤として、その後に急成長することも。一人の怪我人もなく、伯仲したレースが繰り広げられる事を祈念して、テレビに噛り付きたいと思っています。
2016.01.17
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〇お染風:明治23年ごろ、お染風が大流行。今ならインフルエンザのお染型とでも言うところ(伝染の染から??)。江戸時代にも、お駒風やらお七風が流行したと言います。予防注射もなく、相手がお染だから「久松留守」という張り紙で対処したという嘘のような本当の話です。なおこの頃も「〇〇的」という表現が流行りました。アンポンタンにオタンチン:明治時代に売り出された「千金丹」「万金丹」「宝丹」に続いて「仁丹」が登場。「安本丹」という薬はなく、馬鹿につける薬がないという意味で、アンポンタンやオタンチンが流行りました。その功労者は夏目漱石「我輩は猫である」(それだから貴様はオタンチン・パレオロガスというんだ)。 スミレインキの手紙(ハガキ):画家や文人たちが自作の絵はがきを流行らせたのが明治33年頃。年賀状を出す習慣も同じ頃です。スミレインキとは人工香料でいい香りをつけた紫色のインク。このインクで手紙を書き、押し花を入れて手紙を出しました。書き出しは親愛なる〇〇様だったとか。
2016.01.16
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〇幼い頃は百人一首かるたの絵の札を使って、坊主捲りに興じていました。山札から1枚づつ捲り、男の人はそのままキープ、坊んさんが出たら自分の手持ち札を全て吐き出さなくてはなりません。そしてお姫さまが出たら、場に捨てられていた札をごっそり持ち帰ることが出来ます。場に捨て札の無い時にお姫さまを捲ったら、もう1枚捲れます。そこで坊主が出たりするとギャフン、場に全て吐き出しです。「蝉丸」が出たら、全員の持ち札を貰うことが出来ます。懐かしい遊びでした。この他に「銀行ごっこ」と言って、幾組かの山を作り、子供がどれか好きな山に札を貼ります。一つだけ残った山が親の山で、親の山の札と、子供の山の札とを比較して身分で優劣を競う遊びで、札が坊主・姫・天神さんなどの種類によってお金にもなり優劣で配当が貰える遊びです。 天皇(女性の天皇も):500円。武士:100円。お姫様:50円。坊主:10円。丸烏帽子:5円。烏帽子:1円。小学校から高校生ぐらいまで、一種類の百人一首の札ばかり使用していましたので、その時の絵柄ばかりが思い出として残っています。大人になって自分で買ったものと、歌詠人の姿や色合いが違うので、面食らいますね。
2016.01.15
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○タブレットで長文を書くのは非常に面倒です。でも少し時間を割いて先日地元の古書店で安価に得た本を紹介します。それは五十棲辰男著「勝龍寺城今昔物語(京都新聞社)で、平成四年五月に発刊されたもの。五十棲氏の鵬歴は、昭和三年長岡京市生まれ。長岡町・長岡京市議会議員を経て、昭和五十四年から長岡京市長を三期務められた人。長岡京遷都や廃都の経緯、空海と青(勝)龍寺、釣鐘の話、応仁の乱、細川藤孝(幽斎)、忠興とお玉、光秀と本能寺の変、山崎の合戦、関ヶ原前夜とガラシャ夫人、古今伝授などを多くの資料を基に基本下ろされた力作です。いずくの郷も同じでしょうが、長岡のみならず、三島郡島本町や乙訓郡大山町、向田市にも多くの文士がおられるようです。
2016.01.14
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○いろいろ試してみましたが、やはりパソコンは起動せず、哀しい限りです。近ぢか年頃なパソコンを買うことになりそうです。
2016.01.13
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○年を取ってしまうと、新しい機器類に対応し難くなり、タブレットでの複写機能を巧く使いこなせず、哀しくなります。壊れる前に下書きしていた記事をコピーできず、いらいら無意味な時間を浪費するばかり。家内に預けてあった保証書を購入した店に換えて行き、修復かた頼むつもりです。百一歳になる叔母の施設を訪い、元気を貰って来ます。
2016.01.11
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○パソコンの故障で現在修復に努めています。この日記はタブレットで書いています。直らない場合は、編集作業を進めてゆく上で、別途新しい機器を購入しなければなりません。 さて先月の作句は不調の極みでした。 雪もよひ水無瀬ゆかりの院想ふO枯芦やあるが無きかの水の唄○マンションの外階段の冬の翳 歳晩や峻険きはむ投入堂 寺あげて観音さまの煤拂ひ 敷落葉過去のわたしを辿る径もう少し控えておいても良いのですが、この辺で。
2016.01.10
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o昨日よりノートパソコンが故障。悪質なウィルスに 侵されたものと思われます。音やられたのは、訳の解らない窓が次々に襲って来るパターン。今回の場合は、キーワードを入力する部分が塗りつぶされているので、パソコンを立ち上げることが出来ない次第です。前回は、ウイルス退治のCDで対処、数日後に消えましたが、さて今回はどうしょうかな?
2016.01.09
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〇三高俳句の機関紙として発刊されていた「京鹿子」誌が野風呂翁の個人誌に改組されたのを機に、新たに「京大俳句」が昭和八年一月に発刊されました。爾来昭和十五年の大量検挙事件を境に廃刊。ここ十数年、復活準備委員会が活動しておられるようですが、わが家の段ボール箱の1つを開けた中から、一冊のノートを発掘。それは、昭和六年五月十六日に発足された「青葉会」なる句会の誕生から二年後の十九回までの句会の記録簿でした。飯田、大浦、大橋、斉藤、篠村、向井(爾来彼はずっと父の親友)そして父の七名にて発足しています。会の名前を決めるのに、十一もの案に対し、四回の投票を行い「青葉会」にて決着。開催回数も投票で月三回。第一回の句会での昴(当時は漢字を使っていました) つばくらめ窓よこぎれり青葉濃き 昴この日の優勝は大浦氏と思われます。 常盤樹を押し払ひたつ若葉哉 迫緑(?)また当日の費用は、菓子代75銭、珈琲代25銭。第二回目は吟行で”立木山”午前八時四十五分京都駅集合、石山から徒歩、粟津渡船にて南郷へ。正午に立木観音堂に到着。 老鶯の声さへぎりて蝉のなく 向井 たんぽぽのまぢる芝生の柔らかみ 白崎六人での総句数四十五句の中、新加入の白崎氏の優勝。費用:電車賃一円四十四銭、船賃九十六銭、湯茶十銭、茶店一円、汽船・車賃三円計六円五十銭。 父は第四回目の例会(当時は運座と表現)にて初優勝。またこの記録ノートは持回り制で、いろんな人物が記入しています。この青葉句会はもう一つの京大俳句とも言えましょう。
2016.01.07
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〇誰かに本を貸してあげて、そのまま戻って来ないまま有耶無耶になり、失ってしまったものが数冊あるのではないでしょうか?私の場合、川端康成の「新文章読本」そして山口百恵の「蒼い時」が挙げられます。前者は新本で簡単に購入できますが、後者はなかなか見つかりませんでした。地元には古書店が1軒あり、亡父の書籍も2トン車で持って帰って貰ったり、その後も手提げ袋で持ち出し何度か引き取って貰ったりしていますが、その古書店で「蒼い時」の単行本(100円)を発見、迷わず買い求めました。 私が彼女の自叙伝(文庫本)を読んだのは最初は平成になった頃、人に借りた時だったと思います。芸能界にありながら、しかもトップ歌手、女優という立場の彼女の生い立ちや生活感、人生観というものに魅せられたので、自分でも新たに文庫本を購入して手元に置き、また人にも薦め、その流れで貸し出し、失くしてしまったという経緯があったのでした。芸能界という虚実の不安の中で、彼女を支え続けた三浦友和氏との絆の強さ。芸能界から引退して以来、一度もテレビに顔を出さないシークレット。あの大女優・原節子を彷彿させる伝説の女優として、一世を風靡した大歌手、今なお国民的人気のある山口百恵さんの生き様は、この「蒼い時」の心映えと少しも変わっていないように思うのです。
2016.01.06
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〇父は殊のほか竹久夢二というロマン画家、詩人を好んでいたようで、夢二にまつわる書物は数え切れないほど残しています。今ここに龍星閣の「風のやうに」という書がありますが、昭和37年の第2版もので、大阪桜橋の高尾書林という古本屋で購入しています。その本にハガキが二枚挟んであって、41.3.12付の消印の新刊書案内で、昭和8年創業の同社が2年がかりで出版に漕ぎ付けた背景が切々と記述され、「歌の絵草紙」普通版では予約価3800円、限定百部のものは10000円。後者は朱染総皮表紙。天金。本金箔押装画。特織布函入。前者は本絹多色刷表紙。菊大型アート374頁。多色刷12図。写真版268図。英文解題。となっています。翌年42.3.25付消印のハガキの文面には「歌の絵草紙」がびっくりするほどの注文で、発売日には影も形もなくなり、古本市場で高値になったとの苦情が後を絶たなかったと。<「思い出ぐさ」には夢二全盛時代の作品群、明治大正を目でみる情緒史とあって、夢二が明治末から大正にかけての10年間に「月刊夢二絵はがき」として描いた326図の収録もの。これら一つ一つには遠い日の思い出につながり、しかも風刺あり、諧謔あり、浪漫あり女人の美しさにただよう侘しさ、やるせなさは夢二ならではの「浮世絵」である。夢二の絵は、いつも身ぢかなものの楽しさや愛しさで人をつつむ。人生は、つきることのない哀詩であることを記録する。特に肉筆原画から製版した60図は、夢二の線描の繊細さ、鋭さ、奔放さなど夢二の息づかいまでも伝えて、圧巻である。>この夢二評はこの本の解説を請けた長田幹雄氏の文章なのでしょうか。こちらの特装版は250部の限定。夢二の描くような和製美人は影を潜めてしまったのでしょうか?遠くなってしまった昭和時代と共に消滅したのでしょうか?
2016.01.05
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〇佐々木正孝著・篠崎晃一監修の「アレ何?大事典」(小学館、税抜き1300円)は雑学の書として面白い読物です。 わたし達が普段目にする物体・道具などの名称を探るという本です。例えば鍋料理で取り分け用の容器は”トンスイ”と言うんだそうです。 本書では幾つかのジャンルに分類されて居て、街編、からだ・ファッション編、暮らし編、スポーツ・文化編の4つ。では今回は街で見かけるものから抽出してみました。 1)道路工事の人のV字に光るチョッキの名は? 2)同じく工事現場でチカチカしているロープ状のもの の名は? 3)葬式の会場までを案内する指のマークは? 4)タクシーの背中・てっぺんにある目印は? 5)線路に落ちたものを拾うマジックハンドの名は? 6)自動改札機のハの字の扉の名は? 7)コンビニのレジでバーコードを読む機械名は? 8)つり銭を入れてくれる皿状のものは? 9)コンサートで観客が振る蛍光色の棒は? 10)抽選場でガラガラ廻す八角形のアレは? <回答編>1)夜光チョッキ 2)チューブライト 3)指差し 4)社名表示灯 5)安全取得器 6)バーコードリーダー 8)カルトン 9)ケミカルライト 10)ガラポン 答の欄には、それぞれ凡そ300字程度の解説が附してあります。ここでそれまでを転載すると著作権侵害にもなりそうですから、皆さん適宜この本を探してお読み下さい。
2016.01.04
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〇正月3日目にして初笑いとは行きませんが、ビックリハウス「大言海」の”教訓編”から適宜抜粋してお届け致します。 〇明けましておめでとう 本音もよろしく。 〇案ずる位なら産むな。 〇あたってくだまけ。 〇姉は天下の変り者。 〇あなた、老いてゆかないで。 〇あなたって、頼り害のある人ね。 〇あなた、代わりは居ないのですか? 〇あなたのおかけになった番号は現在疲れており ます元気な時におかけ直しください。 〇暑さ寒さもお棺まで。では、本日も笑ってお過ごしください。
2016.01.03
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〇日常、合点が行く、合点できないとか言いますが、角川の国語中辞典(時折誠記・吉田精一共編)で調べると、1)承知・了解・承認することとあり、2)和歌などの良いものに印として点をつけることとなっています。広辞苑の電子辞書では、上の2)が1番目に挙げられ、1)和歌などを批評して佳いものに点・丸・鉤などの 印を付すこと2)回状などで承知の意を表すために、自分の名の肩 に印を付すこと3)承知。承諾。うなずくこと。がてん。4)納得。得心。がてんとあります。「おもしろ雑学日本語」(興津要著)によれば、 寝とぼけ 「たれじゃたれじゃ」と、とがむれば、 「おれじゃ。あけてたも」と言う。 「はて、合点のゆかぬ。おれは、ここにいるが」(出典、天明3年正月序「夜明烏」)表にいる人物が、自分のことを<おれ>と言うのは当然だが、室内の寝ぼけた<おれ>には一瞬<合点のゆかぬおれ>だった。 おまけですが、和歌や俳諧から出たことばに<けりをつける>があります。<逢ひ見ての後の心に比ぶれば昔は物を思はざりけり>(権中納言敦忠)や<磯千鳥足をぬらして遊びけり>(蕪村)というように、助動詞<けり>で終わる和歌や俳句が多いことから、終わりにする、決着をつける意味で、<けりをつける。>と言うようになったんだって。
2016.01.02
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・・・明けまして御芽出たう御座います。 太古の昔から人には進歩しようという意欲が具わっているため、毎年、正月を迎える都度今年こそと誓いを起てるのが人情。 が、それが一週間もすれば他の事に気を奪われたり、日常の生活パターンに戻ってしまいますが、それも安寧の世界、居心地の良い世界でもあります。 平成も二十八年目のめでたい御世となりますが、私が少年であった昭和の頃を想い起こせば、正月の雰囲気がまるっきり異なっています。正月は下着から靴下、洋服、ズボンなどの新調を初めて着用する起点となる日でした。また近所の子供が集まってわいわいがやがや、正月にしか出来ない遊び、福笑い、凧揚げ、羽つき、独楽回し、トランプ、歌留多取りに興じる時でした。中学の兄さんや姉さんから数え年五つ六つの子らが一堂に会して楽しんだ時代でした。 現在も引き継がれている慣習は、雑煮、初詣、お年玉・・・そんな処でしょうか。子供たちは家に引篭もらないで、ご近所同士で遊んで欲しいものですね。それが後日、良き思い出、”ふるさと”なのかも?
2016.01.01
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