ルナ・ワールド

ルナ・ワールド

PR

プロフィール

月野 かぐや

月野 かぐや

コメント新着

コメントに書き込みはありません。

カレンダー

2007年09月25日
XML
カテゴリ: 考えちゃうこと
自分はいろんな点でマイノリティ性を持ち過ぎちゃってて
似非ベジタリアンであることもそうなのだけど
それゆえ、いつもいつも自分を説明・弁護しなきゃいけないので
アピールしたいことについて以外は
一応沈黙を守り通すのを常としている。

ところが、ここ何ヶ月かで
いろんな人のブログやら日記やらミクシィコミュニティ内で
さまざまな食生活形態に関していろいろと書いた人たちがいて
それについたコメントなども見て


というわけで、
それについて
ちょっと思ったことをまとめてみた。

まずは、
もし肉食をしなければ生きていけないところにいる人間も菜食であるべきだと思うのか
って点。

全然思わないわ、そんなこと。
人間、雑食ですわ。
本来なら肉は少量摂ったほうが体にもいいとは思う。
ただし、現代の先進国の大多数の人が食べているように
ほぼ毎日は食べすぎだと思う。

または月に1~2回くらいたっぷりと。
ところが、現代の先進国では、中流層以上の人なら
肉を食べなくても十分に健康的に生きていける環境がある。
それは、肉や酒・タバコなどの嗜好品を過剰摂取しても
一応は健康的に生きていけて、

そういう中で、肉を全く食べずに生きると言う選択も
(私自身は卵・乳製品に加え、魚も食べる似非ですが)
一見限定的であるようで、
実はそれでも十分バラティーのある食生活ができるし
栄養も十分に摂れるので
今、ここに生きているからこそできる贅沢な選択だと思う。


次に、肉食動物のいわゆるアンチ・ベジタリアン性について。
肉食動物が、狩りをして動物を捕らえるのは残酷ではないの?
人間もそれと同じことをしていると捉えられない?
って言う発言をよく耳にしますが、
全然違うと思います。

自分で食べる肉を
自ら狩って
自ら捌いて
自ら料理し食卓に乗せること
をしてる人は
あるいは肉食動物とより近い関係にあるかもしれない。
特に、その狩りの目的が娯楽を主な目的としていない場合。

ところが、現代の先進国で売られている肉は
狩られていないだけでなく
多くの場合は、ひどい状況下で育てられ
(例えば狂牛病があんなに広まった背景には
本来は草食動物である牛のえさに
同じ牛の脳が入っていたというのもあった。)
殺され、出荷されている。

そして、それを食べる多くの人は
「自分でその牛・豚・鶏を殺してみな」
と言われても
「そんなの、気持ち悪くてできない」と
言うのではないかと思ってる。

実際、食肉処理場見学に行って
何年も肉が食べられなくなった人も知っている。

私は、もし肉を食べるとしても
殺されるその瞬間までは
のんびりと放牧され
慈しみ育てられた動物しか食べたくないと思う。
(実際、肉も食べる人であればいろいろとしたくない妥協もしなければならなくなると思うけれど。)

人間は、
肉食で、本能的に狩りをするしかできない動物でないからこそ
最初から殺す目的で
動物を育てることができる。

そして、そういう力を持っているからこそ、
それを行使するときには
それなりの責任を負わなければならないと思う。

だから、本能的に狩りをすることでしか生きていけない動物の狩猟・肉食行為を人間の肉食行為になぞらえるのはおかしいと思う。


さて、では「なんでもおいしくいただきます」
という姿勢がいいのかと言うと
これはこれで
「なんでもって言っても犬を食べるのはちょっとやりすぎでしょ・・・」とか
「ウサギを食べるのはさすがにちょっと残酷なんでは・・・」とか
言う声が聞こえてきたりする。

そういうのを聞くと
ああ、結局この人は
「自分の限度」を超えるものには
嫌悪感を持つものなのかな、と思う。

「なんでもおいしくいただくのがよろしい」
  ↓
「肉を食べなかったり、その他の食事制限があるのは単なるわがまま」
  ↓
「でも「なんでも」にも実は[発言者の]「許容範囲」が隠されている」
ということを見せ付けられると
要は、自分と違う食生活をする人が許せないだけなんじゃないか
と思えてしまう。

そうすると、まじめに相手をするのがくだらなく思えてきてしまう。


最後に蛇足だが
「宗教的理由があるなら納得できるけれど
自分で勝手に菜食になるのは単なるわがまま(=好き嫌い)なのではないか」
という意見に出会うと、
私はなんだかわけがわからなくなる。

私の菜食気味である理由のひとつには
宗教的理由もあるのだけど
それでも、個人的には
宗教的・文化的理由での菜食主義よりは
環境保護などの観点からのベジタリアンの人の理屈のほうが
私にはわかりやすいし
自分が菜食主義者でなくても
納得しやすいと思う。

なのに、イデオロギーに基づいたベジタリアンは
「好き嫌いをしてるだけでわがままな人間」というレッテルを貼られて
「宗教的・文化的理由のベジタリアン」は尊重されるべきもの?

んんん???

と思う。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007年09月25日 22時30分16秒
コメント(7) | コメントを書く
[考えちゃうこと] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


Re:ベジタリアンの主張(09/25)  
こずえ さん
私も今日のかぐやさんの日記を読んで思うところたくさんありますが、まだこんなに端的にまとめられないですね。
長々となりそうなので書きませんが、ベジタリアンをいろいろ言う人の中の一部に、「自分の罪悪感に蓋をしている」という人もいるな、と思います。
思い返してみると、昔の私、ベジタリアンにいろいろ質問したり、肉を食べる弁解をツベコベと言っていた私も、これだったのかな、と。
自分では絶対できない、と思っていたベジタリアンに実際になってみて一番感じていることは「不要な罪悪感を感じなくて良い気持ちの良さ」でした。
もちろん、40年以上にわたって肉を食べ続けてきたのだから、すっかり純潔な顔はしませんが(^_^;)。
娘が乗馬を習っている場所の隣にオーガニック牧場があって、牛は割合広いところに放たれているんですが、そこで生まれた仔牛は、長くて2週間、短くて1週間で、姿を消します。
娘にはまだ話していませんが、おそらく肉にされるために連れて行かれるのだろうと想像しています。
生まれたての仔牛って、牛のあの魯鈍さは微塵もない、アーモンドみたいな目がスゴく大きくて、バンビみたいに可愛いんですよ。
でもママのおっぱいもロクに飲まないうちに殺されちゃう仔もいるんだな‥‥と思うと、やめて本当に良かった、と、それは本当に強く思います。
(2007年09月26日 01時55分55秒)

こずえさん  
>私も今日のかぐやさんの日記を読んで思うところたくさんありますが、まだこんなに端的にまとめられないですね。

そうですねぇ。私もまだまだ言いたいことや、すでに言い直したいことがあるのですが、これ以上沈黙を守るのはどうかと思って、とりあえずのものをまとめてみました。でも、これでもいろいろと考えて、話し合ってやっと書けたものです。
こういうことを書くのってちょっと勇気がいるしね。

>自分では絶対できない、と思っていたベジタリアンに実際になってみて一番感じていることは「不要な罪悪感を感じなくて良い気持ちの良さ」

なるほど~。
私は、理想としては、水と空気だけで生きて行きたい人間です。(過激ですみません。^^;)でも、それができないので、魚・野菜・穀物類等々は食べます。魚はまた別の理由も含んでますが。でも、食肉用の動物や乳牛・ブロイラー鶏へのひどい扱いのことを聞くと、やっぱりやめて良かった・・・とは思います。やっぱり食べるとしたら、肉が硬くてあまりおいしくないとは言われてるけれど放し飼いにしてたり、ちゃんと環境のサイクルを考慮した育てられ方をしてる肉を食べると思います。卵もすごく高いんだけど放し飼いのものしか買わないし。有精卵も本当は避けたいんだけど、放し飼い・有精卵ってセットみたいになってて非常に難しいので、たまに有精卵を買ってます。

>ママのおっぱいもロクに飲まないうちに殺されちゃう仔もいるんだな‥‥と思うと、やめて本当に良かった、と、それは本当に強く思います。

牛肉は食べても、あまりに非人道的だからって子牛やフォアグラは食べない人はいますよね。私は肉食自体に嫌悪感は感じないけれど、足をしばられて動けないようにされて無理やり牛乳を飲まされた挙句に殺される子牛や、同じようにしてぶくぶくに太らされたガチョウの肝臓を食べることを至上の幸福とするような人には疑問を感じます。
(2007年09月26日 02時16分12秒)

Re:こずえさん(09/25)  
KSD_farfalla  さん
月野 かぐやさん

横レス失礼します。

>私は、理想としては、水と空気だけで生きて行きたい人間です。(過激ですみません。^^;)

"私が神だったら食物連鎖なんて残酷なシステムは創らない" という故祖母のぼやきを思い出しました。


究極のベジタリアンは野菜も根から引き抜いたりしないそうですね。一部が残っていればちゃんと戻ってくるからだそうです。

そういえば、ドラえもんのスペシャル版コミック"アニマルプラネット"ではアニマルプラネットに住む人たちの食事は水と空気を加工して作られてましたね。ドラえもんもビックリのハイテクノロジーですが、私も当時は子供なりに本当にできないものかと想像してましたねw (2007年09月26日 08時57分26秒)

Re:ベジタリアンの主張(09/25)  
SAKUZO2004  さん
わたしはベジタリアンではないし、この先も多分ならないと思います。私の中では魚も肉も野菜も同じ命なのですが、それでも肉の摂取はできるだけ控えめにと思っているのは、やはり温かい血が流れているものを殺すことに抵抗を感じるのと、単純に身体への負担を感じるから。
ただ私は妊娠糖尿病にかかった時の経験から、ある種の身体の状態に寄っては動物性タンパク質が必要不可欠な場合もあるとは考えますし、私もその傾向があるため、時には感謝していただきます。
人はそれぞれ自分や自分の宗教の信じるところを進めばいいだけだと思っています。だから弁解も弁明も必要なければ、自分の信条を他人に力説する必要もない。
できるだけお互いが相手の選択を尊重すればいいだけのことだと思います。

ただ、動物のおかれてる劣悪な環境には心を痛めますが、
それではバッグや靴、ベルトなどの皮革製品を身につけないかと言うと、そこまでも考えていないかもしれません。
実は、肉を食べるのは駄目だけど、皮革製品を身につけるのはよし、という考え方だけはちょっと抵抗があるので、そういう意味では個人的にベーガンの考え方は納得できるかも。

こういう問題は難しいです。
動物にやさしく、と言いながら肉を食べたり、皮革製品を身につけたりする矛盾。環境問題を憂いながら自動車に乗らなければいけない矛盾。河川の汚れを気にしながら自分の汚物を流す矛盾。森林伐採を揶揄しつつ、クリスマスツリーを飾り、紙を大量に消費する矛盾。
生きていくという事自体がすでに罪を作り出しているような気がします。
自分も罪な人間のひとりだと自覚しつつ、できる範囲で無理なく生きていけたらな、と思います。 (2007年09月26日 13時41分47秒)

KSD_farfallaさん  

>横レス失礼します。

いつでもどうぞ~~♪

>>私は、理想としては、水と空気だけで生きて行きたい人間です。(過激ですみません。^^;)

>"私が神だったら食物連鎖なんて残酷なシステムは創らない" という故祖母のぼやきを思い出しました。

う~~ん、やはり似たようなことを考える方はいらっしゃるのですねぇ。

>究極のベジタリアンは野菜も根から引き抜いたりしないそうですね。一部が残っていればちゃんと戻ってくるからだそうです。

究極のというか、ジャイナ教の戒律を厳しく守ってる人は、でなかったっけ?
そう。そういう論理だったのですね。初めて知りました。

>ドラえもんのスペシャル版コミック"アニマルプラネット"で
>アニマルプラネットに住む人たちの食事は水と空気を加工して作られてましたね。
>私も当時は子供なりに本当にできないものかと想像してましたねw

するする~~。
大人になってそんなことは今の時点じゃ夢のまた夢だと知ってしまうのも悲しい・・・。
まあ、自然にある食べ物はおいしくて大好きなので、正直、そういう技術がなくて嬉しいような悲しいようなってのが本当のところだけど。(苦笑)
(2007年10月01日 20時41分52秒)

SAKUZO2004さん 一  
>ある種の身体の状態に寄っては動物性タンパク質が必要不可欠な場合もあるとは考えますし、私もその傾向があるため、時には感謝していただきます。

それは私もそう思います。だからこそ程度に差はあっても「ベジタリアン」、または「似非ベジタリアン」を名乗れるのは贅沢な選択だと思うのです。

>人はそれぞれ自分や自分の宗教の信じるところを進めばいいだけだと思っています。だから弁解も弁明も必要なければ、自分の信条を他人に力説する必要もない。
>できるだけお互いが相手の選択を尊重すればいいだけのことだと思います。

う~~ん、それは私には理想論に聞こえます。
確かにほとんどそう思っていてそれを実行する人たちに囲まれていれば、そう言えると思います。でも、大多数の人がそう思っていない、またはそれを実行していない環境に放り込まれると(現在の自分の状況ですが)たまにこういう風に愚痴りたくなりますねぇ。溜め込むのがしんどくなりますから。そういうのを聞いたり読むのが嫌なのだったらすみません。
(2007年10月01日 20時56分54秒)

SAKUZO2004さん 二  

>ただ、動物のおかれてる劣悪な環境には心を痛めますが、
>それではバッグや靴、ベルトなどの皮革製品を身につけないかと言うと、そこまでも考えていないかもしれません。
>実は、肉を食べるのは駄目だけど、皮革製品を身につけるのはよし、という考え方だけはちょっと抵抗があるので、そういう意味では個人的にベーガンの考え方は納得できるかも。

ベーガンでなくても、革製品等を極力身に着けようとしない人はいると思いますよ。と言うか、私がそうだし・・・。昔買ってしまった物は捨てたほうが良くないと思うので、最後まで使うようにしていますが、ここ10年以上、皮革製品を買ったことはないと思います。靴なんかも合成皮革しか買わないようにしてます。その代わり、合成皮革の靴が履ける足をしていると言うことで、これもまた健康であるがゆえにできる「贅沢」な選択だと思っています。


>こういう問題は難しいです。

本当にそうなんですよね。
環境保護もそうだけど、知れば知るほど難しいです。

>生きていくという事自体がすでに罪を作り出しているような気がします。
>自分も罪な人間のひとりだと自覚しつつ、できる範囲で無理なく生きていけたらな、と思います。

この中では、「無理なく」と「自覚」する、と言うのが私にとってのキーワードです。そもそもそこまで考えて自分なりの考えを持つことが大切だと思うし、でも無理のない範囲でやらないと、結局は長続きしないのでそれも大切だと思う・・・。

久しぶりのまじめ系のお話、付き合ってくれてどうもありがとうございました。

(2007年10月01日 20時57分08秒)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: