全4件 (4件中 1-4件目)
1
■Live In Buenos Aires 1979 Vol.2/Bill Evansこんヴぁんわ。日曜日のネットの散歩道、『Sunday Jazzjukebox』が無くなって少し残念なピケです。自分の知る音ではなく、それ以外のものを聴く楽しみが一つ減ってしまった。また、新しい遊び場所を見つけるか。このろくにコンテンツの無いHPを散歩道のひとつとしてくださっている方にも、感謝感謝。”カウンター回ってなんぼ”と言うのではないが、やはり毎日のように来てもらえるとうれしいものだ。携帯で見に来てくださる方もいるし。でも、マイペースなのは変える気はありませんので、悪しからず。山崎豊子という盗作を常とする作家は嫌いだけど、ついつい『白い巨塔』は最終回まで見てしまった・・・他にはろくにドラマなんか見ないのだが。作家の好き嫌いは激しい。時代物でも池波正太郎は好きだが、司馬遼太郎の視線は大嫌いだ。今、流行の新撰組でも芹沢鴨に対する捉え方等、体制よりであり、上から見下ろす視線だ。彼は最後までその視線を変えようとしなかった。司馬作品を好きだと言う人とは、深い部分ではわかりあう事はないだろうと思う。先日に続き、79年のブエノスアイレス。その前のトリオの美的感覚を残した上で、そこに生への情熱のようなものを感じる。ラファロの死から始まる、"緩慢とした自殺"から、立ち直りかけていたのか。エヴァンスの音楽を語ろうとする時、他のJAZZのアーティストを語ろうとするときに出てくる、人柄と言うものはなかなか語られることはない。彼は音楽によって、その自身を表現した、というのはひいきの引き倒しだろうか。セカンドセット2曲目『I Love You Porgy』から。どうしてもこの直後のパリコンサートとの比較論になってしまうのだが、録音の悪さを差し引いてもこちらのほうがいい。感動的に、そしてすばらしく展開してゆく、彼のひらめき。その流れを持続させたまま『Up With The Lark』での、ジョンソンとの対話へ。ハードな演奏をいともも簡単に繰り広げる2人。変拍子で響きあったかと思えば、また本来の拍子に戻る、すばらしい2人のコンビネーション。お互いの意思の疎通なくしては出来ない演奏だ。『Minha』もこの時期よく演奏したナンバーだ。まだ2人の対話は続く。『Someday My Prince Will Come』でラバーバラが戻る。この演奏はラバーバラが推進力となっている。この時期のラバーバラはようやくこのグループでの自分の役割を理解したようだ。それも、深い部分で。抑えすぎるでもなく、奔放すぎるでもなく。ヒートした3人のクールダウン『If You Could See Me Now』そして締めは『Nardis』で。どんどん長くなるこの曲、ここでは17分も。(笑)トリオのチューニングの意味も持った曲だ。1.I Love You Porgy2.Up With The Lark3.Minha4.Someday My Prince Will Come5.If You Could See Me Now6.Nardis風邪は治ったが、どうやら花粉症もあったみたいだ・・・たまらんなあ・・・
2004/03/21
コメント(0)
■Live In Buenos Aires 1979 Vol.1/Bill Evans花粉症で苦しんでるのだと思い込んでいたら、実は風邪だったピケです。こんヴぁんわ。病名は自分で決めないようにしましょうね♪とりあえず、今日の一言 ぴけは『悪徳商法?マニアックス』を応援しています。この問題はネットのあり方というものを問われるものかもしれないと思うわけで。。。グーグル八分とは、国内最大の検索サイトとかいうものも当てにはならないと、いうことだな。http://www6.big.or.jp/~beyond/akutoku/topic/index.html#0106北海道や東北の人に比べると、やはり暖かい地に住んでいるからか、"春を待つ”という感覚が、自分には薄いように思う。暖かいよりも寒いほうがいいかな、と思えるのは過ぎ去った冬を惜しむ気持ちになれる、今だからだろうか。4月よりの消費税総額表示に伴うバタバタも落ち着いてきて、小売各社の姿勢が鮮明になってきたが、実質値下げといううたい文句にはどうも少し温度差を感じる。価格破壊ももういいのではないだろうか。安いということがいいこととは必ずしも限らない。安いということは、それだけ捨てやすいということではないだろうか。その安易に捨てたごみの処分にどれだけの税金を使っているのか。だからというわけでもないが、靴を修理に出した(笑)かならずそのお店で買い、そのお店で修理に出すと決めている。以前に、『ああ、この人たちは本当に靴が好きなんだな』と感じる、いい体験をそこでさせてもらったからだ。そういうお店をいろいろ持てることが、自分にとっては小さな贅沢だな・・・79年のブエノスアイレス、ラストトリオとしては最初の記録だ。このトリオが急速に完成へと向かって、上り詰めていっていた時期のライブ。最晩年のように急ぎすぎるでもなく、壮絶な最後の兆候は微塵も感じることは出来ない。エヴァンスが『このトリオで演奏するのが楽しくて仕方がないんだ』と言ったのは丁度このあたりではなかっただろうか。しっとりとソロから『Stella By Starlight』をはじめる。そしてそこにジョンソンのベースがゆっくりと。『Laurie』は当時の恋人のことを思い、書いた曲だ。メロディとハーモニーの美しい合体、いとしく思う心があってこそかけた曲、演奏できた曲なのではないだろうか。高音域を使い繊細な音を紡いでゆく。しぼり出すのではなく、"紡ぐ"と言う言葉が似合う音だ。一転して、『Theme From Mash』を激しく。ラバーバラはコントロールしすぎるでもなく、トリオをうまくドライブしてゆく。この演奏はラバーバラのドラミングが肝だ。コントロールされた情熱のまま『Turn Out The Stars』へ。時折キーを変えてみるエヴァンス。三位一体のいいバランスが取れている。今度はテンポダウンして『I Do It For Your Love』この直後のパリコンサートでの演奏よりもこちらのほうが完成度は高い。いや、”完成度"と言う言葉を使ったが、これはそう表現すべきなのだろうか・・・彼の生涯の愛演曲、『My Romance』。これが本来のファーストセット、ラストの曲だ。彼は常に新しい手法にチャレンジしている。ジョンソンのソロもいい。最後は愛息を思い演奏する『Letter To Evan』(本当はセカンドセットの最初の曲だ)この曲はこれが初演だ。この演奏の前、9月13日に4歳の誕生日を迎えた彼のために書かれた曲だ。エヴァン・エヴァンスに父親のような才能がなかったのは何も恥じることではない(笑)1.Stella By Starlight2.Laurie3.Theme From Mash4.Turn Out The Stars5.I Do It For Your Love6.My Romance7.Letter To Evanさて、週も半ば風邪で遅れた分を取り戻すか・・・
2004/03/17
コメント(0)
■Intermodulation/Bill Evans(1965)もうじきここを開設して1年になるピケです。こんヴぁんわとりあえず、今日も気の向くまま、筆の走るままに。ずっと不安定だったメインPCの原因がようやくわかった。わかってみれば単純なこと。サウンドボードののドライバーがSSE2に対応してなかっただけだった。サウンドカードはチャットで音楽を流すときに使用しているだけなので、外してしまえばよかったのだが。流せないなら流せないで別に困ることはないし。チャットでは自己主張するよりも人の音楽を聞かせてもらうほうがいい。だから自分ではチャットルームは開かない。普段はONKYOのPCアンプMA-700UをUSB接続して、そこにこれまたONKYO製のスピーカーとウーファー、MS-700とSW-10Aをつないでいる。ソフトはONKYOのCARRY ON MUSICと全部ONKYOで統一。PCアンプは値段もそれなりにするが、音は断然いい。LPのCD化作業も止まったままなんだけど・・・オークションで落札したものが、たまっているなあ(全部エヴァンスがらみ)ジム・ホールがもうすぐやってくる。ジムのリーダー作っていうとアランフェス以外はへたれたものばかりだが、ちょと気になる(笑)リーダー作はイマイチでも、サイドメンに入るといいギターを聴かせてくれる。私の大好きなロリンズの『Bridge』しかり、そしてこのエヴァンスとの共演作も。ピアノレスコンボで成功してきたジムがピアノとでも、相手によってはやることができるということを証明した前作、『Undercurrent』(1962)に続く、極上の部類に入るデュオ作品だ。コードがぶつかることなく、お互いの音を補完しあう。適度に力の抜けた、いい演奏だ。前作の『My Funny Valentine』のインタープレイには及ばないというのがこの作品の一般的な評価だが、”適度に力の抜けた=緊張感のない”ではなく、お互いの音を聴くことは忘れていない。それは1曲目「I've Got You Under My Skin」の音の交錯にも現れている。構成するだけでなく、作り上げてゆく。その作業を同時にこなせるのはお互いの信頼感のなせる業か。ゆったりとした「My Man's Gone Now」もいい。お互いに十分ソロでも成立しうる曲だ。「Turn Out The Stars」の転調もすばらしいラインで描いてゆく。「Jazz Samba」でのジムの音は"一人でリズムセクションのようだ”とエヴァンスも賛辞を送っている。ああ、二人は自分たちのために楽しんで演奏してるな、と感じる。ジムが『ああ、まだまだ出来るよ』と笑いながら演奏してるかのようだ。最後はジムの曲、『All Across The City』で。この世のものと思えないような極上のギターとピアノが昇華してゆく。1.I've Got You Under My Skin2.My Man's Gone Now3.Turn Out The Stars4.Angle Face5.Jazz Samba6.All Across The City音楽は心地いいのだが、花粉症の鼻づまりがひどい・・・明日も仕事が厳しいなあ・・・
2004/03/15
コメント(0)
■Round Midnight(1986) 主演:デクスター・ゴードン 音楽監督:ハービー・ハンコック出張の疲れ等いろいろ重なってしばらく日記はお休みしておりましたピケです。こんヴぁんわ(ぺこり)出張後いろいろなトラブルがあり、その中で運用はやはり"攻めの姿勢"だと再認識。”システムの運用”というと守備的な仕事で面白くないイメージがあるかもしれないが、そうではない。攻めてこそ障害件数は減り、その分の力を他にまわせる。あとは、”自分がいないと業務を回せない”という問題を解消してゆかなくては・・・ストイシズムでいこう。禁則事項の数だけ、前に進んで行く。今までどおりに。出張中、ホテルのテレビでデックス主演映画「ラウンドミッドナイト」をやっていた。DVDで持っているのだがついつい最後まで見てしまった。パーカーの伝記映画もあったのだが、そちらは全て役者が演じていた。下手な役者ではないのだが、スクリーンからJAZZが伝わってこない。演技については素人のデックス、その存在自体がJAZZであり、スクリーンでの彼のたたずまいがJAZZというものを表現している。今日は久しぶりにこのDVDを見た。トニーのドラミング、ショーターのサックス、ハバードのしっとりとしたペット、マクラフリンのギター。それらを超越したところにいる、デックスの泰然自若としたブロウ。全てが上質だと感じる。『ニューヨークの秋』を途中で「歌詞を忘れた」と吹くのをやめるシーン、そこにある重みは演技だけではない。デックスの深みのあるブロウが好きだ。ふところの深い、スケールの大きなブロウだ。多分、この映画が作られた1986年に見ても、この映画のよさは、私には伝わらなかったと思う。おそらく、間違いなく伝わらなかっただろう。まだ、数が足りないとはいえ自分なりにいろいろ経験してきた。それらの積み重ねで、見えてくるものもあるし、失うものもある。新しく見つけることは、失ったものを再発見するよりも難しい。デックス演じるデイルはこの映画の中で、何を見つけたのだろう…忘れたのは歌詞だけではないのだろうか…彼は晩年になっても大切なものを失わなかった。儚く消えてしまいそうな大切なものを大事にする、そういう人に共感する自分がいて、それを茶化してこみ上げてくるものを抑えようとする自分もいる。そのバランスがうまく取れている限り、自分はここにいるだろう。そう、思う。人の顔を見ると、何かを教えようとする人がいる。そういう人からは大抵何も学ぶことがない。人の顔を見ると何か学ぼうとする人がいる。そういう人には得てして何も教えることはない。私は後者になりたい。
2004/03/14
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1