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はいっ!大好きです(^0^)/ミルク入り、ノンシュガーが好き。そぼ降る雨の日曜日、出来れば家でゆっくりしたいのですが…仕事でした。 いつものように、開店後、ほっと一息ついて、珈琲でも~?と思い、近くの店でテイクアウトして来ようかしらと思っていたら・・・な、な~んと! あの誠実そうなおじ様が、紙袋を持ってこちらへ歩いて来るではありませんか~!(まさか、中身はコーヒー?^^;)何だか、待ち構えているみたいなのも、ちょっと、、、ねぇ~~(笑;なので、何気に気がつかないようなふりをして?商品のディスプレイを直したりしていたところ・・・「お忙しそうだから、そちらに置いておきますから」と声がするので、振り向くと、レジの横にテイクアウトのコーヒーが!(やっぱり~~!^^)人目を気にしてさ~っと、立ち去ろうとしていたので、後ろ姿にお礼を言いました。「ありがとうございます!今、ちょうどコーヒー飲みたいと思っていたところなんです!」 外は、雨足が強くなり、肌寒いけど、熱いコーヒーに心も温まりました♪そうして、昼も過ぎ、、、おやつの時間!(食べることばかり考えている?^^;)こういう日はあったか~い鯛焼きを食べたいな~~と、ふっと思っていたところ・・・また、また、あの、おじ様が、、、白い紙袋を持って~~!今度は、しっかり気づいてしまったので、ちゃんと受け取りました(^^)な、なんと~!鯛焼きでした~!「ちょっと冷めてしまったけど・・・」と言いながら、渡して下さいました。(腐っても鯛?ではないけれど、、、冷めても鯛焼きは鯛焼き!^^)なので、ポットに持参した熱い日本茶で、いただきました♪ そうでした。鯛焼きを渡して下さった後、すぐに戻って来られて・・・小さな声で言ったのです。「このことは、他の人には言わないで下さいね。」「噂になるので・・・」 (噂???)そして、風のように立ち去って行きました~~ もしかすると?仲間うちで、既に噂になっているのかしら?誰かに見られたのかしら?私は特に言う相手も仕事場にはいないけど・・・だから、心配しなくて大丈夫ですよン♪ あっ!!!ごめんなさ~~い!こうしてブログに書いているなんて~~(><;みなさ~~ん!読んでも黙っていてね~~~~~!(お願いしま~~す;;;)
2007.09.30
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今年は、あの暑さのせいか、初秋を彩る花・・・秋桜(コスモス)が花屋の店先に並ぶのが例年より遅かったような気がする。コスモスは菊科の花で・・・花言葉は【少女の純真】コスモスは私の好きな花夏の終わり、秋の始まりを告げる花秋桜というように、一輪より、群生して外に咲くのが似合う花季節のうつろいと、はかなさを感じさせてくれる花静かな意思を、秘めた花 あれから、何年たつのだろう雨の日の多い9月だったまだ新しい木の匂いのする、ホスピスの部屋ベランダからは、雨に濡れたコスモスの花が見えて「きれいだな・・・」 と、義父が小さくつぶやいた 医師からは、後10日くらい・・・と言われていただから、意識のあるうちに、本人の望むことをして下さいと・・・愛煙家の義父は車椅子でベランダに出て、、、煙草を吸いながら、小雨の降る庭を眺めていたホスピスで充分な痛みの緩和治療をしてもらい、痛みから解放された義父あの痛みに苦しんだ日々が地獄なら、、、ここは天国のようだ、と義父は穏やかな表情で話してくれた 多分、魂は半分くらい黄泉の国に向かっていたのだろう痩せて薄くなってはいたけれど、すっきりとした透明感のある、義父の背中だった「ここは、いいところだ~」「よく探してきてくれたね・・・」静かな初秋の午後の、穏やかな時間 数日後、ガンが肝臓全体に転移していた義父は、肝臓が機能しないため「肝性昏睡」状態に陥り、そのまま意識は回復せず、数日後亡くなったけれど・・・延命処置もしない方針と説明された通り、自然な死を迎えられて穏やかな最期だった。 毎年、花屋の店先で、コスモスの花を見かけると雨に濡れて、ホスピスの庭に咲いていた、あのコスモスの花を思い出す。
2007.09.29
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私の生れた東京は、故郷と呼ぶにはあまりに広すぎて、その東京郊外の小さな地域を、限定するならば、故郷という実感が湧くのだけれど・・・暑い、暑いと言いながら、夜になると虫の声が賑やかで、ここのところお月様も綺麗で・・・まさに、中秋の名月!秋は私にとって、旅立ちの季節でもあるし、帰郷の季節とも重なる。日本を出たのも、帰国したのも、秋の季節だったから・・・ 「帰郷」 柱も庭も乾いてゐる 今日は好い天気だ (中略) これが私の故里だ さやかに風も吹いている (中略) あゝ おまへはなにをして来たのだと・・・・・・ 吹き来る風が私に云ふ ぁあ~本当に、なにをして来たのだろう・・・帰国してしばらくは、連日のように歓迎会のような日々で、一種の興奮状態?が続いて、その後の虚脱感のなかで、あの「中原中也」の【帰郷】の詩がふと、心をよぎるのだった。 帰国して、少ししてから関西方面に住むNY時代の友人達に会いに行った。二人ともNYの懐かしい友人で私より何年か前に帰国して、大阪に暮していた。独身男性だけど、恋人ではありませんので(^^;何年かぶりの再会!すぐにNYの頃に戻ったような楽しい時間が過ぎ、宿の予約も忘れていた私・・・(><;一人は遠いので、もう一人の彼のお宅に泊めていただくことになった。彼は一軒屋にお母様と暮していて、二階の部屋は使っていないので、そこ泊ればいいということで、すぐにお母様に連絡をとってくれた。遅い時間なのに、着くと、お風呂から、布団の用意もして下さっていて、お母様は朝早くから仕事で出かけるので、すでに就寝されていた。翌朝は寝坊して、お礼の挨拶を!と思ったけれど、お母様はもう出かけられた後だった。小さな食卓に、朝食まで用意されていて、感激&恐縮しながら、美味しくいただいた私。その日は彼も休みをとっていたので、せっかく来たのだからと、奈良方面に出かけることになり、室生寺?だったと思うけど、バスを乗り継いでかなり静かな場所だったように憶えている。その帰り道の光景に、思わず胸が熱くなったことを思い出す。バスを待つ間、制服姿の女学生達がはしゃぎながら通り過ぎてゆき、山間の空が真っ赤な夕焼けに染まってゆく。遠くでお寺の鐘が聞こえる。「電車、間に合う?」と心配そうに聞かれて、「大丈夫!間に合うよ。」と答えながら、涙が出そうになった。ぁああ、ここが日本! 私の故郷。穏やかな時間に身を置いて、初めてあの数年の異国で暮した日々の緊張感を認識出来たような気がした私だった。 山では枯れ木も息を吐く あゝ 今日はいい天気だ 路傍(みちばた)の草影が あどけない愁(かなしみ)をする これが私の故里だ さやかに風も吹いている 心置きなく泣かれよと 年増婦(としま)の低い声もする 晩秋の、奈良の山間の風景と中原中也の故里が重なったあの夕暮れ・・・時は過ぎ、人も変わってゆくけれど、、、いつの時代も、人の心の奥にはそれぞれの故里があることに変わりはないのだろう。
2007.09.28
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今日は休みだったけれど、珍しく?どこにも出かけず家でウダウダとしていた。でも、洗濯はバッチシ!シーツもカバーも大洗濯!お天気も良いので、布団も干して、いい気分♪平日の午後、テレビをのんびり観ることはないのだけれど、今日は久しぶりに観ていたら昨日のミャンマーで亡くなられた、長井健司さんの最後の様子が報道されて、心が痛くなって、何とも言えない気持ちになった。(外は綺麗な青空が広がっているのに・・・)どうやら、流れ弾ではなく、彼を報道カメラマンと認識した上で至近距離から銃撃したそうで、外国人報道関係者に対する牽制の意味もあるのでは?ないかとも言われている。 世界のどこかで、いつも戦争、紛争、事件、災害が起きている。私達は、その全部を知ることは出来ないけれど、ニュース報道で、その一部を知る。一枚の写真が、流れを変えることもある。一枚の写真に、真実を垣間見ることもある。写真・・・真を写すという意味もあるのだから・・・ ピカソの有名な作品【ゲルニカ】は、あのスペイン内戦時、ドイツ軍がスペインのゲルニカを空爆した時の、逃げ惑う人々、家畜を描いた作品で、不条理な空爆に対する、ピカソの激しい怒り、憤り、哀しみが込められていて、観るたびに圧倒させられた。広島の原爆の絵画もそうだけど、現実以上の存在感、臨場感が伝わってくる。 写真と絵画の違いは何だろう?その作品に込められる、作者の気持ちは同じだけれど、、写真はあくまでも、空想、想像の入る余地のない、そこにある、そこで起きた現実の姿。何も足さない、引かない、ありのままの姿をそのままに写す。一瞬の切り絵のようなものなのではないかいしら?だからこそ、言葉以上のメッセージが伝わってくるのだろう。 報道の自由と、報道を阻止する権力の挟間で、長井健司さんは命を落とした。 長井健司さんのご冥福を祈ります。
2007.09.28
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今夜のニュースで、ミャンマーの軍事政権と民衆の衝突を取材中の、日本人報道カメラマン「長井建可」さんの死が伝えられた。軍が威嚇のため?に発砲した流れ弾に被弾したらしい。倒れながらもビデオカメラを回している、長井さんと思われる男性がはっきりテレビ映像に映っている。白髪でかなり年配に見えたのだけど・・・50歳とのこと。イラク戦争や中東の危険地帯での取材活動など、報道カメラマンとしては大ベテランの人だったのに、戦争状態ほどではない、ミャンマーの軍事政権と民衆の衝突の取材で、命を落とすとは!きっと彼自身も想像していなかったことだろう。。。 考えてみたら、今までも日本人のジャーナリスト(報道カメラマンも含め)の多くが取材中亡くなっていると思う。特に報道カメラマンは、最前線の一番危険だけれど、一番ホットな現場の映像を撮ることが使命なわけで、そのためには多少の危険も承知の上だろうとは思うけど・・・ 私の記憶では、あの、若手の報道カメラマン、一ノ瀬泰造さん。まだ26歳だった。内戦のカンボジァのアンコールワットで取材中に、消息を絶ち、その後10年近く経過して彼のご両親の願いが通じてやっと彼のものと思われる遺骨が見つかった。取材中に、クメール・ルージュ軍(カンボジァの軍事独裁政権)に捕まり、数日後に処刑され、そのまま放置されていたらしい。もう一人はあの、沢田教一さん。彼の名前は知らなくても、「ピュりッァー賞」を受賞した彼の有名な写真、ベトナム戦争時、危険な川を泳いで避難する北ベトナムの母と子供の姿、【安全への逃避】を知っている人は多いはず。(あの不安そうな親子の表情が忘れられない!--)その後も戦地での取材活動を続け、1970年にカンボジァのプノンペンで狙撃され亡くなっている。36歳だった。(彼は青森出身で、高校時代の級友に、あの寺山修司がいた) そして、日本人ではないけれど、その死の直前まで、日本で過ごし、戦後の貧しいけれどささやかな、幸福に満ちた日本の母と子の写真を撮りつづけた、あの、リチャード・キャパ彼の名は知っている人が多いと思う。彼を有名にした、一枚の写真、【崩れ落ちる兵士】スペイン内乱当時、敵からの銃弾を受け、まさに崩れ落ちる瞬間の生々しい映像・・・多分、彼自身も命の危険ギリギリの状態で、撮ったのだと思う。戦争の報道カメラマンとしてはあまりにも有名な彼だけれど、平和になった日本に滞在中「もう、これからは戦争報道ではなく、普通の暮らしの人々を撮っていきたい」と親しい人に洩らしていたらしい。戦争報道の最後の仕事だと思ったのか・・・あまり乗り気でないまま、インドシナ紛争の、カンボジァに取材に行き、そこで地雷を踏み、死亡する。41歳だった。26歳、36歳、41歳、、、、今回の長井さんは50歳、最前線の報道カメラマンとしては、、長生きしたほうなのかも知れないけれど・・・そして、偶然とはいえ、3人が、カンボジア国内で亡くなっている。長井さんが亡くなった、ミャンマーも(旧、ビルマ)歴史のある、仏教国。同じ国の人々が、国内で対立し、長年紛争状態が続いている。 ロバート・キャパは生前、言っていたそう。「私達、報道カメラマンは戦争が無いと、失業するだろう」 戦争の報道カメラマンが失業することは・・・当分ないだろう。。。「だけど、私は失業を望んでいる。。。」
2007.09.27
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少ないのでは?と、いきなり、、、なんなんですが~(^^;先日の夜、ある男性と、都内某所?で食事しながら、お酒を飲みながら・・・芸術&哲学&身の上話?&男女の話e.t.c.....まさにR30以上の話を真面目に語り合い、危うく終電に乗り遅れるところでした~あっ、二人は怪しい関係ではございませんので・・・(親子ほどの年齢差!^^;)なのに、どうしてこんなに盛り上る?(やっぱり怪しい?笑;) 彼曰く「ほとんどの男は錯覚しているんじゃないの?」「性欲と恋愛がごっちゃになっているんじゃないかな?」「特に若いうちはネ~」「だから、バカ女にひっかかって、ウダウダ言っているんだよ」(そうねぇ~、若気の至りって言うものねぇ~~^^:)「本当に女を好きな男って、少ないんじゃないかな?」(個人的見解では、男性は根本的には男が好きなのでは?と思います)彼の口からはここに書けないような具体的な話しがポロポロ~~と、まあ・・・話しは三島由紀夫、太宰治、、、ヒトラー、ショパン、ニーチェ、、、、尽きることなく、あちゃこちゃにぶっ飛んで~~着地点が見つからない!(><;私の観察した限りにおいてでは、恋多き男性は、女性を好きというより、女性に好かれている自分が好きな、ナルシストさん!のような気がするのだけど・・・いわゆるモテ男さんは、女心がわかるという点においては、かなり女性的?というか、中性的?な男性が多いのではないかしら?女性のみなさ~~ん、優しい男性が好き!っていうけれど、って~ことは、、、他の女性にも、優しくてマメだとも言えるので~~(ーー; と、まあ・・・話も弾む、お酒もすすみ、時間も過ぎて・・・それにしても、彼はお酒が強い!(焼酎ロックでガンガンいきます~!)私はいつも、相手次第なので、強い人と飲むとかなり、いっちゃいます(笑;焼酎をロックで飲むことはほとんどなかったのですが・・・美味しいです♪おまけに、全然酔わない!頭はスッキリ!ですから、翌日も仕事だったのに、二日酔いもなく、いい目覚めでした。 ♪お酒は、焼酎のロックがいい~~~♪♪女は無口な人がいい~~~(ゴメンなさい!^^;)♪
2007.09.26
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時々観ている、BSの「音楽のある風景」今夜何気なく観ていたら、あのヒットラーと、ユダヤ人収容所の映像が目に飛び込んできた。広い原野に無数に建てられた、収容施設・・・そこに送り込まれてくる人々。不安そうな瞳、何もわからず大人達の後について歩く子供達。燃えさかる、ベルリン市街。流れる、クラシックの名曲・・・「大量の殺戮、戦い、反撃、憎しみの繰り返しの歴史。愚かな人間である私達」「その一方で、魂をゆさぶるような美しい音楽を作り上げてきた私達人間・・・」ヒトラーは地下室で、愛人とささやかな結婚式を挙げた後、指輪の代わりに、青酸カリを新婦に渡し、自分はピストル自殺を遂げたという。死の直前まで聴いていたのは、ワーグナーの愛の曲(曲名を忘れてしまいましたが^^;)ナレーターの抑制の効いた語り、、、聞いているうちに、涙がこぼれてきた・・・ もしかすると、、、賢さは とんでもない愚かさにつながるのかもしれないね賢さは 残酷だけれど愚かさは もっと残酷賢さの裏にある愚かさ愚かさを認識出来ない、賢さ 自分の中に潜む 残酷さ差別意識・・・見つめるのはつらいけれど見つめ続けよう そして、、、疲れたら、、、クラシック音楽を聴いてみよう♪ 秋の夜は、長いから。。。
2007.09.25
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真実ってどういうことだろう事実の中にある、普遍的なもの真実は、時と場合を選ばない ヒトは、真実を求めながら真実から、目をそらす 真実を、知りたい!と、願う心の裏側で知ることを恐れている ちょっと、気をつけて、まわりを見てネ♪真実で溢れているよ~
2007.09.24
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読んだことってありますぅ~?私も読み出すとのめり込むタイプで、しばらくはいつも持ち歩きながら読んで、コーヒーのシミをつけてしまったり、少し汚れてしまう時はあるけれど・・・ボロボロになるまで?ってことはないかな~~。 NY時代のルームメイトだった年上の友人は、日本から大事な本を、一冊だけ持ってきていた。(彼女の母はキリスト教徒で、かなり熱心な人だったそう・・・)「内村鑑三」の書いた本で、題名は忘れたけれど、かなり分厚い本だった。母親に連れられて、子供の頃から教会に通っていたものの、彼女は洗礼も受けていなくてむしろ、反発していたらしい。(思春期には、ちょいグレ?の傾向にあったみたい)ジャズダンスの勉強の為に20代後半からNYに行くと決めた時、母親や周囲から大反対されたそうで(まっ、反対されるのは当然?^^;)何を、この歳で今さら~?と言われたそうだけど、彼女の意思は固かった。そんな彼女に、母親は「行くのは止められないから、仕方がないけど・・・」「もし、行くのならこの本を持って行きなさい」と手渡してくれたのが、「内村鑑三」の本だった。宗教学者である彼の本は、びっしりと書いてあるかなり読みづらそうな本だったけど、渡米して以来、彼女は肌身離さず持ち歩き、事あるごとに読んでいた。ある日、その本を見せてもらい驚いた!余白には彼女の書き込みが、ビッシリ~~!白い部分がない!(圧倒された私・・・)いかに彼女が読み込んでいるか!食べ物のように、一冊の本が全て、彼女の血や肉になっている!そう感じた私・・・彼女は本の中で、あの内村鑑三氏と対話していたのだろうナ~~。 先月(8月)のN教授の哲学講座、第2回目のシリーズの初日のこと。前回からの受講生(私もそうだけど)に、今回からの受講生もいるので、教授が初参加の人達に「今回のカントの哲学講座を受講しようと思ったきっかけを、話してくれますか?」と聞いたので、一人づつ簡単に話してくれたのです。今回はご年配の方が多く、カント哲学を?っていう感じの方ばかり~(アンタもネ!^^;)私も、メッチャ興味津々でした!(笑;そこで話された、ご年配の女性の言葉が印象的で、あのNYの友人を思い出したのです。 「私は今まで、哲学にも関心はなかったし、カントの本も読んだことはありませんでした」「今年、ある方(それほどすごく親しい方ではないのですが)の葬儀に参列した時のこと」「親族の方達が棺に、故人の大切にしていた品物を入れていたのです」「その時、一冊の本が故人の愛読書として入れられたのを見て、私、驚いたんです」「ボロボロになった本で、故人がいつも読んでいたと言うのです」「ぁあ、一冊の本をこんなになるまで読むなんて!私は考えたこともありませんでした」「その本が、カントの哲学書だったのです」 私は今日、珍しく、布でブックカバーを作りました。仕事場の近くの手芸店で、和風柄の端布が安かったので~(笑)そして、先月の講義の前にいただいた、N教授の本「哲学の教科書」のカバーにしました。多分、私の【座右の本】になるだろうと思うので・・・持ち歩いても汚れないように、しっかりと布でカバーしたんです♪こんなにしっかりしたカバーは初めてかも~!こんなことされたら、、、本冥利!に尽きますねぇ~~~(N教授の目にも涙?^^;)
2007.09.23
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少し前、「自分探し」という言葉をよく聞いたけど、自分を探すって?どういう意味なのかナ~?って何だか、ピンと来なかったけど・・・だってさ~、あなたはそこにいるじゃない!(^^; あなたは、あなたの中にいるあなたは、誰でもないあなたなのだからあなたを、置いてけぼりにしてあなたは、誰を探しに行くの? 探したいのは、理想のあなたの姿なのかな?自分はこんなところにいる人間じゃない本来の自分の姿は こんなじゃない・・・って、思っていない? でも、今、ここにいるあなたそれこそが、あなたなのあなた自身が、ここにいる 悩んでいる泣いている悔やんでいる笑っているその全てが あなた!現在の あなた! 過去は、記憶の忘れ形見・・・未来は、見果てぬ夢物語のようなもの現在こそが、本物の時間今、ここにあるこの時間をしっかり、抱きしめて、今のあなたを愛してネ~~。
2007.09.22
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に、、、なりそうな予感!(^^;来年からの話ですが・・・今夜はあのN教授の講義の日で、横浜まで行ってまいりました。授業に入る前に、教授から、今後の予定のお知らせがあり、「年内でここでの講座は終了し、その後はやりません。」とのことで、皆、一瞬「???」という感じでした。私を含めて?(特に!^^) あまりに哲学向きでない受講者が多いので、嫌気がさした?マジっで、私はそう思って、教授の顔を見てしまいました~(^^;教授は無表情で、眉一つ動かさず?に話しを続けます。「ここまでは遠いし、カルチャースクール内の講義は時間も、内容も限られてくるので・・・」「来年からは、私のいる大学の教室で、定期的に講義を続けていきたいので・・・」「受講したい人は、こちらの大学へ来て下さい。」「多分、金曜の夕方からになると思いますが、時間は無制限、受講費は無料です。」え~~っ!無料ですか~?おまけに時間は無制限!(朝まで~?^^;)教授のことですから・・・マジっで徹夜の講義も有り得ますぅ~~(笑;なので、講義を受ける日を含めて2日は仕事を休まないと~~(><; まっ、私としては嬉しいです!だって、あの大学は我が家から近いし、教授のお住まいは隣町!なぁ~んだか、、、長いおつき合いになりそうな予感!教授にとっては、、、不吉な予感?!何たって、初心者の強み?とんでもないことを平気で質問してしまうのですから(^^;もうすっかり、常連の風格? 講義の間でも、何かにつけ引き合いに出されるのですから思わず、苦笑いしています。「たとえば、この○○さんような人でも!」とか「○○さんの質問のように・・・」とか、、、その度に、皆が私を見るので・・・・(トホホ~~~><;) 多分、場違いな受講生だと思われているでしょうけど・・・実は、、、今、ふり返って考えてみると、子供の頃から哲学していたかも~?あれは3歳の冬の夜、歯の治療をしている兄を、歯科医院の玄関の外で待っていた時、突然、中からドアがバタンっと閉められたのです。ドアを押せば開くはずなのに、どうしてもそのドアを押せなかった私。そのドアが私の前に立ちはだかる大きな壁のように思われて・・・・・その瞬間から、私は全世界から拒否されたと感じたのです(大袈裟でなく・・・)兄を待たず、一人、夕暮れの道を歩いて帰り、「あら?お兄ちゃんは?」と母に聞かれて「つまんないから、一人で帰ってきちゃった!」とだけ答えたことをはっきり憶えています。3歳の幼児の頃のことなのに、今でもあの不思議な感覚は忘れられません。いわば、疎外感?とも違うかな~この世界に生きているのに、自分はこの世界の人間ではない気がするのです。理由も根拠も何もなく、ただ、そう感じるのです。その感覚はいつも心の底にあって、楽しく遊んで忘れている時もあるけれど、不意にその感覚が湧き上がると、何もかもが虚しくなってしまう、変な子供でした。無邪気な子供になりたい!と願いながら、その無邪気さを憎んでいた?そんな屈折した子供だったのに、、、大人からは「お転婆で明るい子ねぇ~」と言われていました。でももしかすると、その姿ももう一人の私だったのかも知れません。 ですから、大人になってからの方が、子供の頃より悩みも少なくて、年を重ねるごとに、どんどん楽しくなってきています。(^0^)そして、、、不思議なめぐり合いから、N教授の哲学講座の受講生になり、こうして通っているのですから・・・わからないもんですねぇ~~~長い間、感じてきたものが何だったのか?答えは、多分出ないでしょう。答えはN教授にもわからないでしょう。(あっ!失礼^^;)ソクラテスにも、カントにも、ニーチェにも・・・だから、、、哲学するのでしょう。。。
2007.09.21
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はいっ!大好きです!特にカスタードクリーム入りが~(笑)昨日の事なんですが・・・また、あの誠実そうなおじさま(あの、元プレイボーイ?のおじ様ではありません^^;)から食べ物をいただいてしまったのです。(なぁ~んだか食べ物の話で色っぽくない?^^;) 残暑の昼下がり、暑いので持参のペットボトルの水ばかり飲んで、蛙のお腹状態?人通りもまばらな時でした。ちょっとかがんで、仕事をしていたら、人の気配が・・・思わず「いらっしゃいませ!」と条件反射のように言ってしまった私。ふと、顔を上げるとあの、おじ様が何やら、白い紙袋を手渡そうとしています!前回は仕事場の茶封筒でしたが、今回は小さな白い袋から温もりが感じられたので・・・それが何であるかは、触感?でピーンと来ました!「あのぉ~これ何ですか?」と遠慮しつつも手を出してしまう私!(恥^^;)暗黙のうちに、袋の中の物体を認識した私・・・(^^)/ とまどいつつ、袋を手にしてお礼を言わなくちゃ~!と思う間もなく、、、おじ様は、風のように立ち去ってゆきました。考えてみたら、勤務中ですし、ましてそこの責任者であれば尚の事、若い?おネー様に個人的に食料?を与えたと噂が立ったら大変です。(国会も休止中なのに???^^)多分、遅い昼食をとりに外出した帰り道、商店街の中ほどのある、鯛焼きの店で買って来てくれたのでしょう。(私も一度、通り過ぎたことがある店で、美味しそうでした!)袋を開けると、まだ出来立てのホカホカ~~!餡子もびっ~しり、尾っぽまで入っていそうな重量感!でも、一人では食べきれな~~い(--; 思案していると、、、そこに時々いらしてくださるお客様が~!「それなら、半分だけいただくわ!」と、いうことで、二人で食べさせていただきました。普通の鯛焼きの倍のボリュームでしたので、分けてちょうどいい量でした。めでたい鯛のおすそ分けが出来ました~☆^^ アイスコーヒー・ 地方の銘菓・ 鯛焼き・・・・この次は一体何が?(図々しい女だわ~~^^;)あっ、この次同じ鯛焼きでもいいのですが、、、出来れば、カスタードクリームの方が~~餡子はちょっとヘビー?甘くて軽いカスタードが好きなんですぅ~~(^0^) 今夜は、、、あのN教授の講義の日。甘~い鯛焼きの後の、辛~~~い講義もまた、味わい深いですねぇ~~ではでは、、、これから行って来ま~~~す♪
2007.09.21
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今日も残暑厳しい一日だった。9月とは思えないくらいの陽射しを受けた白い舗道その真ん中に キラリと光るものがあるので近づいて見ると、、、かすかに透明な羽を動かしている とんぼだった。そぉ~っと持ち上げてみたけれど、、、もう飛ぶ力は残っていないみたい。このままここにいれば、夕方の人通りの多い時間に踏まれてしまうだろう。それじゃなんだか 可哀そう・・・ふと、見ると、舗道のわきに大きな観葉樹のの植木鉢がある。そこには土があるので、その上にそぉ~っと、のせて来た。 暑い夏だったね君の薄い羽も焼けてしまいそうな、、、夏だった君は精一杯生きたんだね誰が何と言おうが、、この夏を生きて、生きて、生き抜いた確かに この夏、君は生きていたんだ この大きな観葉樹の植木鉢それが、君のお墓永遠の眠りについた場所やがて、、、君は土の一部になるんだ君の身体が肥料になって、植物と同化して 植物を成長させる暑い、暑い夏だったけど君がいたこと、、、忘れないよ、、、絶対・・・
2007.09.20
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母の誕生日&古市佳央さん(ミクシィ名しゃちょうさん)の誕生日。そして義父の命日でもある、忘れられない日です。夕方、母のいるホームにプレゼントの服を届けに行き、夜は義母のところへ命日の花を届け、仏壇にお参りし、お茶を飲みながら、義父の最期の日の話しをしてきました。 母は数年前から、アルツハイマーの為、特別養老ホームでお世話になっています。何か?と感じたのは、今から7~8年前になるでしょうか。父が脳梗塞で入院した時、毎日付きそっていた母でしたが、その頃から物忘れがひどくなり、私は母のために伝言ノートを書き、その日の父の容態、見舞いに来て下さった方のお名前などを報告していたのですが・・・読んでいるはずなのに、「あら、あの方、お見舞いに来てくれたかしら?」とか、ちぐはぐなことを言うのです。(ちゃんと読んでるの?と親子喧嘩みたいなこともありました・・・)少し気にはなったものの、父の看病疲れから忘れっぽくなっているのだろうと思って、、、あまり拘らずにいたのです。退院してからも、リハビリの通院、左半身がマヒした父の介護で忙しい日々を過ごしていて、私も当時は自分で店をやっていたこともあり、昼間、実家に行く時間もないまま過ぎて行きました。ある日、父からの電話で、母が毎朝、泣いていると言うのです。父は脳梗塞の後遺症で少しロレツが回らないこともあり、聞き取りづらいので・・・「お父さん、お母さんが泣いているの?」と確認すると、「そうだ!」と答えるので、、、「お父さんが泣かしているんじゃないのぉ~?^^」と冗談を言うと、どうもそれどころじゃないような暗い声で、最近は死にたいとかおかしな言動が多いと言う。こりゃ~~大変!と感じた私は、即、精神科の病院へ予約を入れ、母を診てもらうことにしました。(痴呆症?または老人性の鬱病?かも知れないと思ったので)幸い、我が家の近くには精神科専門の大きな病院があり、痴呆症の専門外来もあるのでそこで診てもらうことにしました。ちょうどその日は、女性の医師(副院長)でベテランの頼りがいのある先生でした。結果、アルツハイマーの初期では?ということでした。初期は判断がつきにくいので、かなりひどくならないと病気であることがわからず、家族も単に物忘れがひどくなったと思い、「どうしたの!」と怒る場合が多いそうです。あら?もうこんな時間!明日は早いので今夜は途中ですが、この辺で・・・ これから、ますます高齢化が進み、アルツハイマー、老人性痴呆の方も多くなるでしょう。母の病名がわかった時、ショックと同時に納得出来たのです。病名がわからない時は不安でしたし、母の物忘れに苛立つこともありましたが・・・医師から「この病気は進行をゆるやかにすることは出来ても治すことは、今は出来ない」とはっきり言われ、「大事なのは、まわりが病気を受け入れることですよ」と言われたことで、私の心がスト~ンと落ち着いたのです。あれから、数年たち、父の死もわからず、母の記憶は確実に薄れていきつつあります。最近は私の名前さえ忘れているようですが、たとえ過去の記憶が薄れても母は母です。私の母であることに変わりはないのだと、、、実感しています。今日は、母の誕生日。綺麗な花柄のカットソーを胸にあてて「あら!派手かしら?」と嬉しそうにしている母・・・その笑顔は昔の母のままでした。
2007.09.19
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はいっ!好きです!秋の夜に ウイスキーは似合いますねぇ~~出来れば、、、オンザロックで、氷の音を楽しみながら静かな BARカウンターで 素敵な時間を過ごしたい… 見つめ合うのは イヤかすかに 肩が触れ合うくらいがいいナ二人で 並んで腰かけてカウンターの中に並んでいる 色とりどり洋酒の瓶を眺めるの琥珀色のウイスキー透明なロシアンヴォッカ暗赤色の カンパリー 「君は何にする?」『私はやっぱり、カンパリソーダ!」「ずい分、甘苦い酒だよ~」『この苦さが 好きなの・・・』『甘い恋より、、、苦い酒!ってネ~^^』 そう、二人は恋人同士ではなかったけれど一緒にいるのが楽しくて毎晩のように 逢っていた話すのは 互いの子供の頃のこと同じ時代 近くの町に住みながら行き会うことのなかった二人 「もっと前に 会っていたらナ~」『多分 お互いにタイプじゃないからネ』「気にも留めず通り過ぎたのかい?」『きっと、多分、そうだと思うナ』「・・・・」
2007.09.18
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って、、、可愛らしい5~6歳の男の子が、お父さんに手をひかれながら軽~~い口調で言うのが聞こえ、思わずハッとして振り向いてしまいました! それは昨日の午後のことでした。仕事場近くの商店街は、秋祭りで御みこしが出て大変な賑わい!ハッピ姿の男性達が、忙しそうに走り抜けて行きます。(秋祭りとは言え、夏祭りのような暑さの中!^^;)その男の子の父親も、御みこしを担ぐのでしょう。粋なハッピに足袋姿で、男の子の手をひいて、小走りで急いでいたようです。どういう流れで、そういう会話になったのか?前後がわからないのですが・・・「・・・だからそんなに慌てないで~」と言いたいのか?その辺はわからないのだけど、、、とにかく、そんな究極の?哲学的な言葉を言いながら、口調は非常にアッケラカ~~ン!としているので驚きました(^^;ほんの一瞬、聞こえてきた言葉。急いでいるお父さんには聞こえなかったようで、どんどん前を歩いて行きました。男の子の表情も何の悲愴感もなく、明るい感じで・・・時間があれば、呼び止めてお父さんの代わりに聞きたいくらいでした。「ねぇ~ぼく?どうしてそう思うの?」って~~(^^) まるで、あの哲学のN教授の子供時代のような男の子だわ~~~~(笑)「人は誰でも、いつか死んでしまうのだから、何をしても虚しい」と感じていたそうで・・・その虚しさを追求しているうちに、哲学者になってしまっていた?らしいです。ただ不思議なのは、その男の口調があまりに明るくて、カラ~っ!としていることで、彼は意味をわかって言っているのかどうかが、今ひとつはっきりしないのですが~~(笑; で、、、思ったのです。哲学者や、宗教家でなくても、人は皆、知っているのだと。誰もがいつかは、死ぬことを・・・意識していなくても、本能的にわかっているのだと・・・だからこそ、御みこしをかついで、お祭りをするのでしょう。その1日の為に、生命の灯を燃やすのでしょう。そして、、、飲めや、歌え~の大騒ぎを繰り返すのでしょう。はかないからこそ、輝く生命・・・ 今日の午後、「昼下がりのトーク&ピアノコンサート」にお集まりいただいた皆様!真夏のように暑い中をありがとうございました♪第1部の古市さんのお話しはいつもの事故の話ではなく、彼のご両親への感謝状を筆で書いて渡したという内容でした。人はいつまでも生きてはいない。もしかすると、明日何かの事故で死ぬかも知れない(彼自身の体験からも!)だからこそ、思い立った時、先送りにせず、自分の大事な身近な人に素直な思いを伝えようよ!(直接じゃなくて、文章でもいいから)人生は順番通りではないから、親が先に逝くとは限らないし、だからこそ、思った時に、伝えよう!「ありがとう!」「あなた達に出逢えてよかった!」と・・・ そして、第2部のピアノコンサート!もう、もう、(牛ではないけど^^;)最高!!!エクセラント! マーボラス! ブラボ~~~~~~~~~~~~~♪♪♪ここで再現できないのが残念!(><;なので、この感動を聴きたい人は、、、次回、10月14日(日)の「カラーセミナー&ピアノコンサート」に是非!どうぞ♪^^ 人生、愛し合うには 短か過ぎ苦しむには 長過ぎる人生 それは祭りのようなもの浮かれて 笑ってはしゃいで 転んで ベソかいてくたびれ果てて 寝転んでそして、時には、、、ネ!ピアノの調べに酔いしれて・・・素敵なひとときを過ごしましょう♪そして、、、薔薇色の人生を送りましょう☆
2007.09.17
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一枚の葉書が夏の終わりを知らせアドバルーンは 降ろされてしまったゆっくりと、ゆっくりと うら若き母達は 幼子の手をひいて 歩き始めるやわらかな 秋の陽射しの中を 夕暮れ街角へ出て風に吹かれながらじっと 待つ 家々の窓にともる灯りを数えながらじっと 待つ 秋への 渡し舟をじっと 待つ。。。 (18歳の秋に書いた詩から・・・)
2007.09.16
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多分、、、一日中弾いているだろうな~~♪(^0^)子供の頃、習いたかったのは、ピアノとクラシックバレエ!当時、私の通う幼稚園の講堂(ホール)で週1回、どこかのバレエ団の先生が、子供達の為のバレエ教室を開いていた。同じ幼稚園の子供達もたくさん習っていた。私も母に「習いたいよ~」とお願いしたのだけど・・・母曰く「同じ習うなら、お習字とか、そろばんみたいな役に立つのにしなさい」ぁああ~何て現実的な母!(役に立たない良さを理解していなかった?^^;)なので、習うことが出来ず、いつも窓の外から、中を覗きながら自主練習?していたら習ている子達より覚えがいいではないか!私って、、、踊りの筋がいいんでないのぉ~!と自画自賛!(^^)/もしも、あの時から習っていたら、今頃は?(もう現役引退?^^;) そして、小学生になると、あの「ヤマハ音楽教室」が出来初めた頃で、まわりでも多くの子達がピアノを習い始めていた。で、早速、母にお願いした私。「ピアノ習いたいよ~~」と・・・またしても、母は「ピアノを習うには家にピアノがないとネ~」「うちには、オルガンしかないでしょ?」「オルガンで我慢しなさい。」ぁああ~~ピアノとオルガンじゃ音色が全然違うじゃない!私はピアノが弾きたいのよ~~~(><;で、またしても諦めたのだけど、諦めきれない私・・・その頃、転校してきた子と親しくなり、彼女の家に遊びに行くと、何と!ピカピカのピアノがあるではないか!(彼女は親に言われて嫌々ながら習っているらしい?)彼女に「ピアノ弾かせてくれる?」と聞くと「うん!いいよ~勝手に弾いてかまわないよ~」と、大らかな返事をいただき、またしても自主練習♪彼女の家に行くたびに弾かせてもらい、何とか「エリーゼのために」のハイライト部分だけ(有名な部分?)をマスターしましたが、基礎練習をしていないので、自己流です(--;ピアノ練習が嫌いなのに習っている友人。習いたいのに習えない私。。。(世の中、上手く行かないものねぇ~~) で、その後、中学生になると、あのフォークブームが♪幸い、兄のギターが錆びついて?放置してあったので、またもや、自主練習!何とか「禁じられた遊び」のハイライト部分まで弾けるようにはなりましたが、それ以外は知らないんです~~(^^; で、後年、異国に暮らしていた時、しみじみ感じました。音楽は万国共通の言語であると・・・ちょっとした、ホームパーティでもどれか一つでも得意な楽器があれば、そこで演奏して盛り上れるし、日本の曲ならばメッチャ喜ばれます(^^) 今夜、帰宅したら今度の17日に演奏して下さるピアニストさんから、演奏曲が少し変更になり、新しい曲目が送られてきていました。あのベートーヴェンの【月光】が新しく追加されていました。正式名は ソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品27-1 『月光』 です。 秋です・・・鈴虫の声が聞こえます。あの静かな、始まり・・・やがて、満ちる波のように、、、よせては返す、、、旋律・・・ぁああ~~夜空を照らす、月の光の明るさよ! 17日の午後は、あの名曲 『月光』の調べに酔いしれましょう♪♪
2007.09.15
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相変わらず、喉は痛いし、咳も出て・・・ちょい辛い中を仕事してます。結膜炎は感染性のない「アレルギー性結膜炎」とわかり、まずは、ほっとしました。感染性のある「ウィルス性結膜炎」の場合は2~3日では充血はとれないらしいので、今回は「アレルギー性」だと診断されたのです。でも、喉の痛みは続いているので、今日は二人で働いているので、お願いして少し早めに帰らせていただき、あの例の?耳鼻科で診てもらいました。あの例のエロイ?先生は相変わらず、セクハラまがいの発言をされておりましたが・・・馬耳東風?無視して大人しく治療を受けて(喉の治療は苦手です~~><;)無事?帰宅してまいりました(^^; そんな辛い体調の中、心にほんのり灯りがともるようなことがありました(^^)あの暑い日に、アイスコーヒーをご馳走して下さった彼が(名前も知らないので)また、何かを下さったのですが、最初は意味がわからずビックリ~!昨日はお休みのようで、お顔を見かけなかったのですが、今日の午前中に、通りがかり茶封筒を私に渡すので「???」という表情をしてしまいました。その茶封筒はこのビルの業務用のものなので、何かテナント用の書類でも?と、思い「これは会社に渡すものですか?」と尋ねると・・・「いや、これは○○さんにです。」ちらっと、袋の中から見えたのは、懐かしい地方の銘菓のパッケージでした。「あらっ!これ○○ですよね?」「○○さん、ご存知なんですか?」「はい!子供の頃から食べてましたよ~」「私の両親の実家は○○県なので・・・」「お出かけになられたのですか?」と聞くと、、、「いや、旅行じゃなくて、そこから毎日通勤しているんですよ。」 (かなり時間が~!)私の叔父も、そこから東京へ通勤しているので、それほど珍しくもないのだけれど・・・でも、ちょっとした小旅行のような距離だし、ここまで来るのには相当かかるだろうな~ここは鉄道会社が管理しているので、最初、制服から見てどこかの管理会社の派遣の方と思っていました。みなさん、この鉄道の職員さんで、現役の鉄道業務を離れ、嘱託で関連サービス業務に就かれていることが最近になって、やっとわかりました。今朝、出勤途中にこの銘菓を買ってきて下さったみたい!私の父方の祖母が住んでいて、現在は叔父一家が住む町にその人も住んでいることがわかり、、、偶然とは言え、ちょっと驚き!何だか、彼も嬉しそうでした(^^) と、まあ、、、文字にすると長いけど、ほんの短い立ち話しみたいなものでしたが・・・帰宅して、夕食後、早速、濃い目のお茶でいただいきました。懐かしい、両親のふるさとの香りが広がりました♪名前も知らない○○さ~ん!ありがとうございました~(^0^)/
2007.09.14
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優柔不断な男って、まわりにいない?人あたりも良くて優しい性格だけど大事な決断の遅い人まわりの状況を考えすぎて 答えが出ない答えを出すきっかけを 待っている待っている間に どんどん状況が悪くなって最後はなんだか、、、しりつぼみ・・・ 今回の安倍首相の退陣劇を観ながら、しみじみ、そう感じた。安部さんは きっと優しいんだろうな~子供の頃から いい子だったんだろうな~やりかけた事は最後までやり通す 辛抱強い子だったんだろうな~人間的には いい人なんだろうって思うけど・・・その優しさが 傷を拡げた・・・そんな気がする あの小泉前首相も、石原都知事も、個人的には好きでない私だけど・・・(デリカシィのなさ、傲慢さ、自己陶酔、、、、^^;)なのに、これだけ長く椅子に座り続けられたのは、単純、明確な言いまわしと、決断の速さ!にあったのではないかと思う。あのイラクに一人で入り、誘拐されて殺された日本人青年(香田君?)がいたけど、誘拐された直後の会見で、当時の小泉首相は、はっきり明言したことを思い出す。「イラクの派遣自衛隊の撤退は有り得ない!」と・・・それも、誘拐されてからあまり時間が経過していないうちに、、、その時点で、日本人青年の運命は決まった!と、誘拐したゲリラの一人が語っていたとその後のインタビュウか何かで聞いた記憶がある。もう少し、何か駆け引きは出来なかったのか?時間を稼ぐことは出来なかったのか?あの頃、同時期にイタリアの報道関係者も誘拐されていて、国民も政府に働きかけ、粘り腰の政府の交渉で、無事解放されたと聞いた。確かに、危険な戦闘地域に観光で入るなんて!という批判もあるだろう。あの頃、やたら「自己責任」という言葉が飛び交っていたけど・・・彼は単なる好奇心旺盛の若者で、アメリカ軍関係者でも、スパイでもないことを強調し、何とか救出する方法を考えて欲しかったと思う私は、甘いのだろうか?何の躊躇もなげに言い切った小泉首相に、冷酷さを感じた私。。。 リーダーに要求されるのは決断力。時には、非情、冷酷さも要求されるだろう。優しさゆえの優柔不断も困るけれど・・・ 先日の、ヒトラーの話しを聞いてきたばかりの私は、少し複雑な思いがする。ヒトラーはあの頃の不景気と失業、先行きの見えない不安を抱えた、ドイツの民衆が望み作り上げたものなのだから・・・彼一人ではとてもヒトラーにはなれなかったのではないかと思う。英雄を求める思いが、ヒトラーに反映された結果ではないのかしら? 心優しくて、決断力のある政治家さ~ん、どこにいるのぉ~~~~!
2007.09.13
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あった一日でした~(--;先週末から喉が痛く、風邪気味だったのに、、、あのN教授の5時間以上の濃~い講義を受けて(頭がクラクラ~~~!^^;)10、11日と仕事場も秋物入れ替えで忙しく、ついに疲労のピークが~!(><;昨日は朝から、両目は充血!(血走った目?;;)なので、昨日はたまたまシフトの関係で二人で働いていたこともあり、途中で時間をいただき、眼科へ行き診てもらったところ「急性結膜炎」ということで、伝染性の可能性も有りとのことで、問診表に書き込んで待っていたら、奥の特別室?(感染病棟?)に案内されそこで待つようにと言われ、ちょっとビックリ!2~3日経過をみないと、アレルギー性なのか、ウイルス性なのかは判断出来ないそうですが、とりあえずウイルス性(伝染性)を考えて、隔離?されたらしいのです。さっすが!抗生剤の威力はすご~い!(副作用も強いけど^^;)処方された2種類の点眼薬で、見事に、元のつぶらな?瞳になりました~(^0^)/ 眼科から戻り、仕事をしている間にも喉の痛みはひどく、咳も止まらない、、、なので、「明日は休ませて下さい」と会社に連絡し、今日は一日寝ていました。なのに、昨夜のバレエレッスンは休まず行ったのだから・・・(すごい根性でしょ?^^;)熱っぽい時はむしろ、身体を動かし、汗をかいたほうが熱が下がる?勝手な持論!(笑)先生に事情を話すと「無理はしないで下さいネ」とのことで、無理せず、バーレッスンだけを受けて、簡単なストレッチだけで途中で帰り、入浴し、ブログ更新し(熱心だわ~!^^)倒れこむように、、、爆睡!(朝起きて家族を送り、、、また爆睡!^^)気がつくと、もう午後かなり過ぎていました(--;何気にテレビにスイッチを入れて見ていたら、安部首相辞任!のニュースが~~!!な、なんで~!この時期に~?安部さ~~ん!どんな心境の変化かわからないけど、タイミング悪過ぎではないかしら?私が風邪で寝ている間に、安部さんの心の中で大地震が起きていたのねぇ~~と、驚く間もなく、、、今度はスマトラの大地震が~~~!(><;)おまけに、超!巨大な津波襲来の可能性があるというではないですか~~! ぁああ~~色々な事件、災害が多すぎて・・・・これじゃぁ、過去の大きな事件も忘れ去られるわけねぇ~~辛い恋を忘れるように・・・・(すぐに恋に結びつけるなっ!ですよねぇ~^^;)
2007.09.12
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今日9月11日は、NY貿易センタービル(ツインタワービル)のテロ事件の起きた日。あれから6年たつなんて!(遠い昔のことのような、つい昨日のことのような・・・) さようなら、ツインタワービルあなたは、私の青春あなたは 私の思い出摩天楼の街 NYのビルの中でも群を抜いて高かった あなたエンパイアースティトビルが古いNYの象徴ならばあなたは 新しいNYの象徴のビル 日本から知人がやって来ると 必ず案内したよあの、一番高いフロアにあるカクテルラウンジへようこそ!NYへ~!って乾杯したのマンハッタンカクテルで・・・大きな窓の外を見下ろすと、夜の海が広がってあの 自由の女神が小さく見えて・・・皆、必ず言うの「ぁああ!ニューヨークに来たんですねぇ~~」 そう!ここがニューヨーク!NYで一番高いビル!ジャズの低いリズムが流れてきてムードも最高なNYの夜を過ごしたね 誰かが、NYを離れる時も チャイナタウンで食事して送別会の最後は いつもここだった「元気でね~!」「NYのことは忘れないよ!」(私のことも、、、ネ!^^)「きっと、また来る、必ず来るよ~」たくさんの人達を見送ったけどまさか、、、あなたを見送ることになるなんて・・・ あなたの下には いつもビル風が吹き荒れていてスカート姿の女性を困らせた二つのビルの間を 時おり、つむじ風が吹きぬけてそのたびに「キャ~っ!」という黄色い声があがるの!まるで、映画の中の マリリン・モンローみたいにあなたは、悪戯好きなやんちゃ坊主だった・・・ あの事件の後何十年ぶりかで NYに行ったけどあなたの場所 「グランドゼロ」には行かなかったというより、、、行けなかったの!あなたと一緒に あの日 突然ここから消えた、3000人近くの人達冥福を祈りに行こうと思っていたのだけれど行けなかった・・・3年の月日がたっていたのに私の記憶には 昔のあなたの姿が焼きついていてあなたの不在を 受け止める準備が出来ていなかったのね 何人かの NY在住の知人も同じことを言っていた地元なのに、どうしても行けないとあの場所を見たくない 事件を思い出したくないと最近、やっとあの事件のことを泣かずに話せるようになったと あの日の朝は、雲一つない晴天で初秋の青空が広がりいつもと同じ朝を迎えたはずなのに さようなら ツインタワービルあなた達は やっぱり本物の双子だったなくなる時も 一緒だったね・・・・・
2007.09.11
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少し前にマイミクの、キューティ&スィートな美女から、メッセージが届き、それによると、今夜のブログを読んで、ミクシィに反映されるかどうかを待ってみたらしい(ありがとう^^)でも、反映されていないよ~との事なので、まだ設定出来ないのかな~?なので、、、そうだ!古市さん、我が家に来て設定して下さいませ~!(夕食付きで^^) というわjけで、私も気になりつつ、起きてますが・・・(早く寝ないとねぇ~^^;) そうでした!ご報告があります。あの例の、おじ様がついに、行動に出ました~?(^^)先日7日の台風明けの朝のこと・・・案の定、店内の床は水がどこからか沁み込んで、水浸し!(><;開店前の慌ただしい時間に、モップで拭いていると、いつの間にやら、あのおじ様が~後ろにやって来て・・・よくとおる声でささやいた?のです。「ご馳走するから、僕と一緒にコーヒー飲もうよ!」「ね、それは後にして、コーヒー飲もう!」 (かなり熱心に?!)で、私は振り返り、、、「せっかくなんですけど、こういう状況なので、ごめんなさい^^;」とお断りしたところ・・・「うん、仕方ないね~また、誘うよ!」と、軽く手を上げると、いつもの危うい?足取りで、コーヒーショップに入ってゆきました。 私の勘では、、、あのおじ様はかなり行動的な感じで、若い頃は洒落者?だったような・・・かつ、話しも面白そうで、頭も冴えていそうな気がする。だから、、、お茶くらいなら~いいかも~!(昔のモテ話しを聞きたいな♪)あっ、でもおじ様が来るのは、私の仕事中の時間帯だから・・・ぁああ~やっぱり~無理だわ~~(^^;
2007.09.10
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来週17日の「昼下がりのトークライブ&ピアノコンサート」でお話しをしていただく、古市さんから、メッセージが届いていたので、返信するのも時間がかかるので、直接、携帯にかけて確かめてみたところ、、、「すぐに何か楽天ブログに書いてくれないかな?」ということなので、とり急ぎ書いてます。 現在、色々なイベントで知り合ったほとんどの方はミクシイ在籍なので、私の楽天ブログへもミクシィから飛べるように設定しているのですが、、、ブログ更新がミクシィの方には反映されないので、更新がわからないらしいのです。私も、何回かミクシィのヘルプページを読みながら試してみたのですが、上手く出来ず、そのままに放置?していたのだけど・・・最近、自分でもミクシィに「大人の指定席」のコミュを立ち上げたこともあり、ミクシィからも更新がわかるようにした方がいいからと、古市さんが設定をしてくれたのです。自分でやればいいものを、古市さん、見かねたのかしらねぇ~~(笑;ズボラな私ですみません(><; でも、私の場合、ほぼ毎日ブログに書いているので、日々更新!なので、ミクシィに反映されなくても、遊びにいらしてネ~~(^0^)// ・・・・てな、わけで~こんなんでよろしいでしょうか?では、では、反映されているかどうか?お試しを~~☆★☆
2007.09.10
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それも、努力家で、賢くて、ちょいイジケ虫の女嫌いのニート君!受験に何回も失敗し、挫折して不遇の時代を放浪し、それでも「自分はこのままで終る、人間ではない!」と人生への夢と希望は捨てなかった。やがて、、、やっと自分の居場所を見つけた。それが、やがてあの「国家社会主義ドイツ労働党(ナチス)」につながる、当時のドイツ軍だった。そこで、彼は自分の祖国ではないドイツの為に戦い、頭角を現したらしい。ヒットラーに関する予備知識を全く持たない私は、彼がドイツ人でないことが意外だった。彼はオーストリア人で、ウィーンで青春時代を過ごし大人になったことも知らなかった。その後、兵役を逃れる為、身を隠し、数年を浮浪者の施設で過ごし、そこで彼は自分なりに勉強し、様々な生きる智慧を身につけていったらしい。 そしてドイツ軍に従軍し、彼なりの智慧とやり方でドイツ国籍を取得した。それまでの数年間は、何と!無国籍!そして、すっかりドイツ人になりきった彼は「我が祖国!ドイツの為に!!」と、、、多くの民衆を感動させる演説を繰り返し、ついには党首にまで昇りつめ、結果、あの歴史上に残る、大量虐殺の首謀者になった。。。後半の彼の人生は多くの人が知っていると思う。この戦いの敗北を知ったヒットラーは、どうせならあの世界の都「パリ」を焼き尽くしてから自分も死のうと思ったらしく、最後の砦の指令室から、苛立って無線で訊ねたことは有名で、その台詞は今でもフランス人は何かの折りに引用するほど! 【パリは燃えているか?!!!】・・・・で、どういう風に駐留兵士が答えたか、忘れました~(ーー;確か、「燃えています!」と送信したような記憶が・・・(^^;そして、その後、彼は地下室で、恋人と自殺する。。。。 と、、、まぁこういうヒットラーの生い立ちと、彼が多感な青春時代を過ごしたウィーンの街そして、当時のオーストリア、欧州の柱でもあった貴族達(ハプスブルク家)をとりまいた、様々な国際的事件(サラエボでの皇太子暗殺など・・・)途中、あのN教授の個人的見解&注釈があり、、、正味5時間!の講義でした~~。最後に貴重な、あの「ベルリンオリンピック」のビデオ上映まであり、、、8時半を延長、終了は9時を過ぎていました。途中30分の休憩時間に、急いで近くの喫茶店ですぐ食べられる、ホットドッグとコーヒーを頼み、食べていたら、あっという間に30分経過!でも食べていて良かった~~!(腹が減っては、講義は聴けぬ?^^;)他の人達は私みたいに優雅に?お茶などせず、休憩コーナーでおにぎりを食べていた?ようですが・・・N教授はどうされていたのかしら?(まさか、、、カスミでも~?笑;) で、何を私は感じたのか、、、それを書きたかったのに、ちょい長くなり疲れたので・・・皆様のご想像にお任せいたします。(ごめんなさい><;)
2007.09.09
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そうです!不毛の恋の深みにはまらずに!?(^^;ひと夏の恋に疲れたあなた・・・夏バテが回復しないあなたも・・・クラシックピアノの生演奏を聴きながら、、、新しい季節を迎えましょう♪ 以前にもお知らせした、9月17日の「昼下がりのトーク&ピアノコンサート」inらくだの第二部のピアノコンサート、演奏曲目が決まりましたのでお知らせします♯♭ミクシイのコミュには先日ご案内させていただきました。(おかげさまでほぼ満席です^^)楽天ブログからの参加者はいないのですが、どういう感じの昼下がりなのか~?演奏曲目からイメーシして下さいませ~~(^-^)♪ 【昼下がりのピアノコンサート、演奏曲目】 ショパン 即興曲 第4番 嬰ハ短調 作品66 『幻想即興曲』ショパン 練習曲 ホ長調 作品10~3 『別れの曲』ショパン ノクターン ハ短調 作品48~1ショパン 舟歌 嬰ヘ長調 作品60リスト パガニーニ大練習曲 第3番 『ラ・カンパネラ』リスト 愛の夢 第3番リスト スペイン狂詩曲 ※この中の『別れの曲』は第1部のトークライブでお話しされる、古市佳央さんからのリクエストです(きっと、何かの?思い出のある曲なんでしょうネ~^^)『ラ・カンパネラ』は、あのフジコ・ヘミングさんのピアノ演奏を聴いて、(CDですが・・・)心をわしづかみにされたような・・・衝撃的感動を憶え、それ以来私の耳から離れないピアノの名曲です!魂があの教会の鐘のように、揺れ動きます。私から、是非!とリクエストさせていただきました♪ と、まあ、、、こんなことを書いていながら、クラシック音楽のことは、あまりわからない私ですが・・・この演目は聴いてみれば、多分、みなさんも一度は耳にしたことのある名曲ばかりですから、きっと素敵な午後になることでしょう☆^^ ※10月14日(日)にもイベント開催します。【カラーセミナー&ピアノコンサート】inらくだ 午後2時~4時半次回もお楽しみに~~♪ 今日はこれから、新宿へ出かけ、あのN教授の特別セミナーを受講してまいります(^^)15時半~20時半!(5時間!^^;)もちろん、途中30分位の休憩はあるそうですが・・・飲み物、軽食持参???(笑;テーマは・・・【ヒトラーのウィーン】 -もうひとつの世紀末ウィーンー 何だか、、、またしても、濃い~~~~い午後になりそうな予感!!!では、、、行ってまいりま~~~す(^0^)//
2007.09.08
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好きな人に確かめないでねこんなも、あんなもないんだよあの人は、あなたが好き目の前にいる、あなたが好きなのだから どのくらい好き?って聞かれたらさらりと、笑いながら答えてね「どうしようもないくらい!」って そして、駆け出すの!ふり返らず、子供のように、、、ネ! 不安は期待の裏返し謙虚は卑屈の裏返し あなたは、あなたのようにしか愛せないあの人も あの人のようにしか愛せないんだから あなたは あなたのままそのままのあなたが素敵なの! 何だか、、、宮崎県知事の元の芸名みたいだけど・・・(^0^)/
2007.09.07
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いたるさんが「楽天ブログは、メッチャ簡単ですぐ出来るよ~!」と、笑いながら言ったから・・・9月7日は【ブログ記念日!】 なんだか、、、どこかで聞いたことのあるような?あっそうでした、、、あれは「サラダ記念日」でした~(笑) 忘れもしない?2年前の今日、生れて初めて、楽天ブログにデビューしたのです!9月7日!たくさんの、苦難?(クナン)を乗り越えて・・・(どんな苦難じゃ~?^^;)早や2年の月日がたち、気がつくと、、、こんなになって(どんなにィ?)しまいました(^0^) 東京は台風で、まだ激しい雨、風が吹き荒れています。その中をこれから、仕事に出かけます~~(^^; そうか!今日9月7日は、楽天ブログへの【上陸記念日!】なのね~~(^0^)//
2007.09.07
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普段はあまり自分の話しはしない人なのに少し酔ったのか・・・「彼女には別の男性がいるんです」「わかっているのだけど・・・」「昨夜も逢いました」「きっと、僕は都合のいい男なんでしょうねぇ」 (ドキっ!何だか、、、私も言われた記憶が?^^;)寂しそうな目をして、あなたは、ポツリと言った。「ダメ、ダメ!そんなこと思うんなら、もう逢わないほうがいいよ!」彼が誠実な人だから、力が入って思わず言ってしまった私。「もっと他にもいい人いるわよ!必ず!」「そうなんですよねぇ~・・・・・」多分、あなたはわかっているのよ、、、ネ。彼女はもうひとりの男性にないものを求めて、あなたと逢っているのね。でも、あなたが全てではないの・・・だから、その人とも別れない。別れてくれ!とも言わないあなた。あなたにあるのは、、、未練の感情だから、きっといい出逢いがあれば、キッパリと、断ち切れるのだろうけど・・・いつもは、穏やかで優しい瞳の奥が、何故だか今夜は、、、キラリッ!と光って見えた。。。
2007.09.06
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そう、昔から「嫌い、嫌いも、好きのうち。」っていうくらいだし・・・好きなタレントも嫌いなタレントも、ベスト10に入るということは、、、それだけ人々の関心を集め、注目度が高い!とういうわけだから・・・タレント(芸能人)としては、嫌われている方に選ばれたとしても喜ばしいことでは?(^0^)好きにせよ、嫌いにせよ、そういう感情が湧き、気になるっていうことは、それだけ存在感がある人なのだから、芸能人の必要条件かも~!・・・・・ ってなことを、あのランキングが載っている、女性雑誌の広告を電車に揺られて、眺めながら、つらつらと考えてしまいました。(アンタも暇だねぇ~^^;)って~ことは、、、私も芸能人に向いている?(単純だねぇ~!) 向いているかどうかは、、、まっ、どうでもいいのだけど・・・ふり返ってみると、若い頃の私の第一印象は、あまり良くないと言われたことがある。後日談として、聞いたのだけど、、、「最初、君を見たとき、うるさくて、イヤなヤツだと思ったよ~」「よく喋る、変な女だと思ったんだ・・・」(頷いてますネ!^^:)と、まぁ~、失礼な~~!(思い当たることばかりなので、よけいムカつく!><;)なので、、、一目惚れされたことは・・・数回しかない!(あるんですか!^^;)ぁああ、それが、不思議なことに~~~~~~~~~???二度が三度、逢瀬?を繰り返すうちに・・・慣れるらしい!?(笑; そう!昔の人は言いました。 習うより・・・慣れろ!(あらっ?意味が違う?^^;)
2007.09.05
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何だかねぇ~~~~他に素敵な人いないのかな~~!(14年連覇!なんて異常事態だわ~~><;)ま、確かに人気はあるのかも知れないけれど、同じ人がこんなに長い間、1位の座にいるなんて、いかに他に素敵な日本男性がいないのかを表している?または、女性の好みのバリエイションのなさなのかしら???(><;まっ、いずれにせよ、、、キムタクは私のタイプではないからどうでもいいんだけど(笑;(あちらも、そう言ってるよ~^^;) 反対に、嫌いな男性の栄えある第1位は・・・あの「江頭???」でしたよね?彼の場合「危ないタレント」の第1位になるかも!(^^)こう見えて(どう見えて?^^) 私は江頭さん、嫌いではないのだ~(^^;彼って、可愛いと思うんです!(上手く説明できないんだけど・・・)あれだけ、捨て身で動いた後の彼を想像すると・・・抱きしめてあげたくなる?私って~~やっぱり・・・あの、キムミョンガン氏の著書を思わず購入してしまうだけのことはある?^^; 血統書付きの、立派な犬より、、、ちょい、ショボイ目をした雑種犬毛並みの綺麗な洋猫より、、、雨宿りしている野良猫が好きビシっと決めたスーツ姿より、、、色褪せたGパン姿自信に満ちた笑顔より、、、暗い目をした人に何故だか惹かれてしまう私・・・やっぱり、、、【玉の輿】には乗れなかったわけだわ~~~(><;)
2007.09.04
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さすが、、、芸術の秋ですねぇ~~ホームで電車を待ちながら、何気に看板の広告を眺めていたら、美術展が目白押し!オランダの画家【フェルメール】ノルウェーの画家【ムンク】そして、日本の【平山郁夫】どの画家も、その作品を一度は目にした人が多いのではないかしら?9月下旬からはそんな有名画家の展覧会が、ず~っと開かれているのだから・・・それも地元の東京で!(こういう時は東京に住む、ありがたみを感じますねぇ~^^)主な美術館もほとんど、東京に集中しているし、展覧会もまず東京からですもの♪この秋は、、、とても楽しみです(^0^) ふり返ってみると・・・私は、かなり贅沢な?美術鑑賞をしていたかも知れないと、あらためて思います。パリの【ルーブル美術館】は毎週日曜日は何と!無料なんです!おまけに、そのルーブルから徒歩10分!位のところに住んでいたので・・・毎日曜ごとに、ルーブルに行き、美術館のベンチで昼寝?しながら鑑賞してました(^^)もちろん、観光客も多いけれど、団体客はほとんど午前中で、私が行くのは遅い午後で信じられないくらいの静けさ!(広いので、森閑としている)なので、、、あのダビンチの【モナリザ】を独り占め!の時も何回かあったくらい!(^0^)ルーブル美術館はメッチャ広いので、丁寧に鑑賞するのには、最低1ヶ月!はかかるんですって~~!だから、知らない間にけっこう歩いているんです(万歩計で調べたわけではないけど^^;)途中で休憩出来るように、素敵な長椅子がちょうど、いい場所に配置されていて、疲れたらそこに座り、小休止して、ついでに?居眠りこいている人もチラホラ~~私も時々、寝てました~~(駅のホームよりゴージャスでしょ?^^)高い天井、時おり吹き渡る風、巨匠達の名画に囲まれての・・・昼寝!ぁあああ~~何と!贅沢な時間!過ぎ去りし、思い出の時間です~~♪ これが、東京だったら・・・係りの人に、起こされるでしょうねぇ~きっと(^^;「お客さん、ここで寝ないで下さい!」って・・・言われるまえに、人が多くて寝られない?(><; それより、そもそも、美術館は昼寝をするより、絵画を鑑賞する場所でしたっけ?(笑;
2007.09.03
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どこの宴会でも、さて?何飲む?「とりあえず、ビールでいこうか!」いつもそういうパターンが多いけど・・・ 「とりあえず」って、とても便利でいい言葉 そう、、、とりあえず・・・生きてゆこう
2007.09.02
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「いや~~、やっぱり、アンタは~」「素敵なおばさんだなぁ~」「素敵ですよ~」あらっ?どなたに話しているのかしら?振り向くと、あのおじ様でした(先日、デートに誘われた?)斜め前のコーヒーショップでお茶しながら、窓ごしにこちらを見ていたようで・・・帰りしな、私に話しかけてきたのです。ポーカーフェイスな感じで小さく微笑みながら(^^) 考えてみたら・・・このおじ様は70代!(あなたからオバサンと呼ばれるなんてーー;)もっといい呼び方はないのかしら~(笑) まっ、、、充分にオバサンだんだけどねぇ~(^^;せっかく、素敵!と、おほめいただいたばかりなのに・・・嬉しいけど、ちょっとねぇ~~ 「オバサン」以外で、もっといい、呼び方ないのかしら?(^^; らしく、
2007.09.01
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