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あっ、私のことではありませんよ(誰もそう思わない?^^;)中原中也のことです。ぁああ~今日も濃~い一日だったわ~~~(水かけて薄めておくれ~~!)今日の午後は東急電鉄で横浜へ~(JRは高いから?^^)でもって、そこで魅力的な瞳の美女、カラーコーディネーターの芽生さんと待ち合わせて彼女お奨めの、【ベトナムコーヒー】(メッチャ、甘い!)を飲みながら、辛口?な会話(^^;っていうのか、、、はちゃめちゃな会話の中でやっと10月14日のイベントの打ち合わせが出来ました。芽生さんのカラーのお話しは素敵ですよ~☆今夜、早速、彼女のブログに詳細をアップして下さいましたので、是非!どうぞ♪ココロのカラーコーデイネィター芽生さんブログ http://plaza.rakuten.co.jp/maplemelonpan/ で、その後は同じ横浜ルミネの中での「カントの哲学講座」を受講して、帰宅は11時頃になったのですが、まだ寝ないでブログを書いている私(明日は仕事なのに!^^;)というのも、今夜あのN教授から、お約束の「人間嫌いのルール」をいただいたのですがその他に一冊の分厚い本もいただいたのです。「はい、これ、約束の本です。」「あっ、それと、この本も・・・」(???何の本?)「あなた、中原中也の詩が好きだと言っていたでしょ?」「この中に、僕も彼の詩について書いているから、さし上げます。」 講義の始まる前、教室の外で、ささ~っと鞄から、急いで本を取り出して渡して下さると、足早に教室に入って行かれました。(ヤッホ~~!いただき~♪^^) でもって、先ほどその本をパラ~っと飛ばし読み?して中原中也の詩に触れているところだけを読んでみたところ・・・・・泣いてしまった。。。 愛するものが死んだ時には、自殺しなけぁなりません。 愛するものが死んだ時には、それより他に、方法がない。 けれどもそれでも業(?)が深くて、なほもながらふことともなったら、 奉仕の気持ちに、なることなんです。奉仕の気持ちに、なることなんです。 愛するものは、死んだのですから、たしかにそれは、死んだのですから、 もはやどうにも、ならぬのですから、そのもののために、そのもののために、奉仕の気持ちに、ならなけぁならない。奉仕の気持ちに、ならなけぁならない。 (「春日狂想」)より(これは2歳の可愛いさかりの長男を亡くし、狂わんばかりの悲しみ、苦しみの末に書かれた、血の滲むような慟哭の果てにたどりついた心境の詩です)byアップル そして、N教授は、次の詩も中原中也の詩で好きなものとして、書いています。「詩の好き好きは人によってそれぞれ異なっておりましょうが、本当にあなたが苦しいときこうした詩を眺めてごらんなさい。」「どんなにあなたの心にしみわたるか、おわかりになりましょう。30歳で亡くなったことを知ってみれば、次の一節は胸を突かれます。」 ・・・・・・・・・・・・・私の上に降る雪にいとねんごろに感謝して、神様に長生したいと祈りました・・・・・・・・・・・・・ (「生ひ立ちの歌」)より この本は1995年、今から10年前に出版された「哲学の教科書」なのですが、本の帯に書かれている文字に、、、目が釘付け!さっすが~!N教授!これって、、、私への言葉ですか~~?(笑; 「哲学センスゼロ、予備知識ゼロからの、自由な心のトレーニング。」(><;)
2007.08.31
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昨夜、北海道から殻つきの生牡蠣が届きました!(ものすご~い大きさ!^^)本来は、お盆前に届いていたのですが、配達の人の手違いで、あの真夏の暑い中を数日間も郵便局留めになっていたので・・・(配達の人が、不在伝票を違う家に入れた為><;)生ものなので、お盆明け以降(漁場も夏休みなんですって)に再配達してもらうことになっていました。(半月もたっていたので、すっかり忘れていました~^^;)あら~!今頃?あっそうか、、、お盆休み明けに獲れたてを送っていただく約束だった(^^実はこの生牡蠣は、北海道に出かけた長女が、旅先からお土産に送ってくれたもので・・・「美味しい殻つきの生牡蠣、送ったからね~!」と連絡があり、楽しみにしていたのです! ぁああ~それなのに、、、数日たっても届かない!どうしたのかしら?娘が、実家の住所を間違えて書いた?(そんなはずはない、と思いつつ・・・)旅行から帰宅したばかりの娘に電話して確かめたところ・・・「間違えるわけないじゃない!」(イラっとした口調でーー;)「じゃ、どうして届かないの?」「そんなこと、私にわからないよ!」「いつ届くのかと、楽しみに待っていたんだからね・・・」「こっちだって、ちゃんと届くように送ったんだからね!」あの、暑さもあったのか、、、お互いにイラっ!として親子ケンカモードに突入!(--;)その後、娘からメールが届き、帰宅しての疲れと、体調不良で寝ていたらしいのです。「別に急ぎの用事でなかったら、メールにしてほしい」とのことでしたが・・・たまには声を聞きたい、母の心がアンタにゃ~わからないのねぇ~~(トホホ・・・)まっ、私も自分の親には冷たい娘だったから?(似てしまったのねぇ~~^^;) そんなスッタモンダのあげく、、、届いた生牡蠣でしたので、、、感慨深く味わいました!「牡蠣は海のミルク」と、聞いたことがありましたが・・・まさに!その通りで、濃厚なクルーミィな味でした。で、、、食べた後になって、気づいたのだけど・・・確か、生牡蠣はRのつく月以外は食べてはいけない!(欧米の習慣だったかしら?)1月 JANUARY 2月 FEBRUAY 3月 MARCH 4月 APRIL9月 SEPTEMBER 10月 OCTOBER 11月 NOVEMBER12月 DECEMBER ぜ~んぶ【R】がつくでしょ?いわゆる夏の月はRがつかない。5月 MAY 6月JUN 7月 JULY 8月 AUGUST ・・・でしょ?(^^)これは食の本場、仏語でも同じで、夏の月はRがつかないんです。 ・・・・・て~って、ことは、、、何かい??(落語口調でお読み下さい^^)やっぱり、、、そのぉ~生ガキってもんは・・・あっしみたいな、、、大人の食うもんで、ガキに食わせるモンじゃぁない!!!っていうことですかい?それを聞いた長屋の、ご隠居さんは微笑ながら言いました。 「そうじゃよ、、、生牡蠣はR指定じゃからのぉ~~」 ハイっ!今日はこの辺で・・・・午後から、10月14日の「大人の指定席」のイベントの打ち合わせのため、横浜まで出かけてきま~す。(カラーセミナー&ピアノコンサートをします)瞳の美しい、カラーコディネーターの美女講師と待ち合わせしています。そして、夜は、あのN教授に久しぶりに再会の予定です!本をいただくことになっているので、、、楽しみだわ~~~(^0^)//
2007.08.31
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こんなに 寂しいのだろう今よりも 若い頃、10代の頃のほうが夏の終わりは もっと寂しく感じられた 夏の終わりは 青春の終わり短かった出逢いの終わりを意味していたから 激しい太陽の陽射しで思い出が褪せないないように心の奥に封印するのそぉ~っと、そぉ~っと、ね。 空の色は 秋なのに心の色は 夏のまま 夕暮れの風は ひんやりとしてくるのにカラダの芯は 熱いまま やがて、始まる新しい季節美しい実りの秋 実らないままの 想いを抱え秋を迎える わたし。。。
2007.08.29
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そりゃ~、この歳まで(100歳?^^;)生きてくれば、嬉しい言葉、悲しい言葉、嫌な言葉…た~~くさん!いただいたけれど・・・(愛の言葉も、、、ネっ♪^^)今日、知らない女性からいただいた言葉は・・・今までで、最高の褒め言葉かも!!!好きな男性からの愛の告白は、もちろん!女性としては嬉しいけど(^^)今日は、それを上回る?人間として超!嬉しい言葉をいただき感激して、思い出しても嬉しくて・・・まだその余韻にひたっている私です(^0^)この喜びをどうしましょ!そうだ、ブログに書こう!だって・・・嬉しくて報告せずにいられない!なので、、、報告しま~す♪(どうぞ、ご勝手に?^^;) 今日の東京は曇り空で、暑くはならないと思ったのに、、超!蒸し暑い!(汗;)ましてや昼下がりは人通りもなく、暇こいて、(ヘンタイの哲学!)読んでました~(笑;そこへ、ひとりのご年配のお客様がいらしたので、即!本を隠し(^^;「いらっしゃいませ!」とにこやかに、何事もなかったように?接客していました。彼女は少々肉付きが良い?ので「これ、きついかしら?」「これはどう?」と・・・鏡の前で思案中、私も彼女に服を肩から合わせて一緒に思案していたら、後ろから声がしました。「奥さん、このお姉さん素晴らしい人だから、買ったほうがいいですよ!」と・・・ふり返ると、通りがかりの見知らぬ女性が立っていました。「???」(どなただったかしら~~)以前に買って下さったお客様ではなさそうだし、私は話したこともない女性でした。 私がちょっと驚いたような顔をしていたのか・・・彼女は笑いながら言いました。「あら、お姉さん、驚かしちゃってごめんネ~^^」「私は、この店で買ったことはないけど、いつもこの先のスーパーで買い物しているから」「お姉さんの店の前を通るんで、よ~く見ていたのよ~」「私も色々な店で買い物して、店員さんにも会うけど、お姉さんみたいな人はいないよ~」「買わないと思うと、フンっ!なんて態度が変わる人が多いでしょ?」「お客を値踏み?しているっていうのか、相手によって態度が変わるっていうのかねぇ~」「お姉さんは、誰にも誠心誠意、応対しているのがよ~くわかるのよ~」「あっ、私は店の中まで入ってはないけどね、、、」「お姉さんの、後ろ姿を見ているだけで、ちゃ~んとわかるんだよ!」『え~っ!後ろ姿だけでわかるんですか~?』と思わず聞いてしまったら・・・「私が幾つだと思ってるの?」(さぁ~~お幾つかしら?)「80歳過ぎているんだよ~」(お若い!)「だてに、長生きしていないよ!」(あっそうですねぇ~)「私の目はふし穴なんかじゃないからネ!」(あっ、すいません^^;)ありゃ?何だか説教されている???(笑;「とにかく、人の目はごまかせないんだよ。」「お姉さん、あんたはね、実に気持ちのいい人だってわかるよ。」「私はここを通るたびに、いつも感心して見ていたんだからね・・・」そして、思案中のお客様にも、、、「奥さん、同じ買うなら、こんなお姉さんのいる店で買ったほうがいいですよ!」と、、、しっかりフォローまでしていただき、「じゃ、帰るけど、よけいなこと言ってしまってごめんなさいね。」足早に立ち去って行かれました~~~~。 そして、フォローが効いたのか・・・そのお客様は、思案中の品物を3枚とも!購入して下さったのです!(^0^)今日は暇で、売り上げも最低かな?と思っていただけに、ありがたいです!ひよっとして・・・ 名前も知らない、あの女性は天使だったのかも~~!だって、、、本当に突然現われ、さ~~っといなくなったんですから・・・ご年配の女性の姿に変身して、空から舞い降りて来たのかしら~~???そして、神様からのラブメッセージを、私に届けてくださったのかもぉ~~~! ぁあああ!また、話しが飛躍して、皆既月食中のお月様まで飛んでゆきそうだわ~~(^^;でも、今日のあの女性の言葉は、まるで天使の言葉でした♪こんなに嬉しい言葉をいただき、幸せ♪ルンルン♪気分の1日でした~~(^0^)//
2007.08.28
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どちらかというと、、、若い頃は、おじ様キラー?だったような気がする私。特にファザコンではなかったのですが、私自身も一回り以上年上くらいの人が大人っていう気がして、年下君には全く関心がなかったのに・・・気がついたら、、、年下君と結婚していたなんて~~(わからないもンですナ~^^;)あっ、今は年上の人は・・・ちょっとネ~~(自分の年齢からして?)あっ、二回り下でも、全然OK!(私の娘と同い年?汗;;) そう、今日、かなり年上(70代後半?)のおじ様からデートのお誘い?があったのです。でも、、、あれを、お誘いというのかどうか?(からかわれただけ?^^;)それにしても、あのおじ様の口説き方にはビックリ!だって、その姿からは(失礼だけど・・・)想像出来なかったので・・・・・その、おじ様は毎日午前中、お散歩コースなのか、店の前を通って、目の前のコーヒーショップで休憩し、食料品を買って帰るみたい。(多分、独り暮し?)きっと、あの歩き方からすると、パーキンソン氏病かしら?手足が硬直して、小刻みに震えながら、今にも転びそうになりながら歩いて行くので、、、いつも、「大丈夫かしら?」と、気になっていたのです。あの、モハメドアリ、俳優の○○フォスター?と同じ病気かな?でも、その不自由な身体で、そのおじ様は毎日、外出しているのだから、きっと、お若い頃は、かなり活動的だったのでしょう。先日、そのおじ様が自動ドアの前に立ち尽くしていたので、見ると、軽く手を触れないと開かない自動ドアなので、近くにいた私が手を触れてドアを開けたところ・・・「やっ!これはご親切に、ありがとう!!」若々しい張りのある大きな声でお礼を言われて、驚きました!(^^)細くて小柄な身体からは想像出来ない声でした。もしかすると、ご病気で痩せて老けて見えたのかしら?70代後半位?と思うけど、実年齢はもう少しお若いのかも知れないと思いました。 そして、、、今日の午前中、思いがけないお誘いがあったのです・・・ 私が人体の服を、秋物に変えるために、着替えさせていた時、そばを、おじ様が通り、、、 「おっ、いいねぇ~もう、秋物だね~」「お姉さんが着たら似合うだろうな~」(この色は私には似合わない色なんですがーー;)「お姉さん、いい女だから、何着ても似合うよ~」(まぁ~!嬉しい♪^^)「ここの服で、お姉さんが好きなのみ~んな買ってあげるよ!」(マジっすか~!)「本当だよ!こう見えて、お金はあるんだから心配しなさんな」(心配はしてないけど^^;)「だけど、お願いがあるんだよ。デートしてくれないかな?」(え~~~っ!私と~?)「それも、ただのデートじゃないよ~」(うん???どんなデートじゃ~?)「最高にラブラブ!なデートだよ~!」(・・・・・!)「本当だよ!アハハ~~~!」 おじ様はにこやかに笑うと、いつもの転びそうな歩き方で、帰られました。唖然!として、その後ろ姿を見送った私。。。一体、あのおじ様は何者なのぉ?メッチャ、プレイボーイかも~~!何だか、からかわれたような気がしますぅ~~~(笑;)それにしても・・・最近しみじみ、思います。幾つになっても、、、恋する心は変わらないんですねぇ~~ 【恋心に変心なし!】 (^0^)//
2007.08.27
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さすがに今日は「カバーはおかけしますか?」と聞かれて・・・どうしよう???ほんの数秒でしたが、思案して「あっ、そのままでいいです。」と、答えたものの・・・その後、すぐに表紙を裏返してカバーの代わりにしてしまう位の題名の本を買いました(笑本の題名は【ヘンタイの哲学】 著者キム・ミョンガンこの本は、心理学、哲学コーナーにあった本なのであります。あっ、別に私が変態が好きなわけではありませんから~(^^;以前、この著者の方のお話しを聞く機会があり、懇親会でお酒をご一緒し、とても斬新な考えと視点から、過激な事(当たり前なことかも!)をはっきりおっしゃるので、ものすごく印象に残っていたのです。10年以上前のことですが、区民の為のイブニングセミナーが区の主催で開かれていて「違いを認める社会を目指して・・・」というテーマで毎週1回づつ半年のセミナーでした。区が主催なので、無料!(だから参加した?^^;)なのに、毎回お話しされる方は、かなりの人!(肩書きではなく、内容的が!)多分、市民教育担当の職員さんは、なかなかの人ではないか?と今でも思います。何たって~講師の人選がすご~~い!時代の半歩先を行くような人ばかりで・・・ユニークなお話しを聞けました。 キムさんは名前からもわかりますが、在日韓国人で、葛藤を抱えて生きていて、その中でマイノリティなあまり語られない分野に関心を持たれたのではないか?と思います。当時から文化人類学を大学で教えていたようですが、その後人類学の中で性について、もっと踏み込まれ、性人類学者として、実際の性に関するカウンセリングをするための、相談所も作られているそうです。私がお話を伺ったときは、性についても少し触れていたけれど、日本社会の差別意識、異なる文化との融合などが中心でした。 それから数年後、何気に雑誌を読んでいたら、女性漫画家(けっこう売れてる人?)の対談記事の中で、彼女が結婚したいきさつを話していて、あれ?彼女の旦那様は?あの、キム・ミョンガンさんだ~!とわかり、何だか妙に嬉しくなったんです。お話しを伺った頃のキムさんは、どこか苛立っているように感じたのです。日本社会に対する反発もありましたが、それよりもっと個人的なもので・・・その対談の中で、奥さんが語られるキムさんは、とても穏やかで優しい旦那様のようなので・・・何故だか、ほっとした記憶があります。(^^) そして、今日、たまたま、ふらりと入った書店で、ふら~っと、哲学書コーナー(最近どうもこちら関係に行ってしまう私^^;)でながめていたら、この本に出逢ってしまい、、、あらっ!あのキムさんだわ~(馴れ馴れしい?^^;)ということで、即!購入してしまいましたが~~~ まだ、さら~~っと目を通しただけですが・・・目次を読むだけで・・・ドキドキ!では、その目次を紹介しますが、、、いい子のみなさんには、チィ~っとばかり刺激が強いかしら~~~(笑; 第1章 ヒトの性欲をハダカにする (ヘンタイこそ、ヒトのヒトたるゆえんである)第2章 「極上の快感」はヘンタイにあり (異常と正常を分ける基準って何だ?)第3章 ヒトの性ほど奥深いものはない (エクスタシーを得るにもルールとマナーが)第4章 ホントはこんなプレイを愉しみたい(ヒトの身体はどこでも「快感の源」である)第5章 めくるめくアブノーマルの世界 (タブーなき性の多様性がヒトの証)第6章 がんばれ!性の求道者たち (ヘンタイこそ生きるエネルギーだ!) ぁああ~~書いていて、フ~~~っ(ため息が~~~^^;)内容はかなり真面目に踏み込んでかいてありますので・・・これからボチボチ読んでまいりましょう。(イッキにはとても~~) あっ、そうでした!先月の東大駒場での「カントとサド」の公開セミナーでも少しだけ、触れていたんです。倒錯する性・・・サド侯爵について 性も哲学も、、、人間にとって奥深い永遠のテーマなんでしょうね。。。
2007.08.26
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たかがコーヒー、されど、、、コーヒーコーヒー一杯でこんなに心が波立つ?とは!先日の日記にコーヒーをご馳走になって、妄想街道まっしぐら!と書きましたが・・・その後も妄想の旅は続いていて・・・(な、何て暇人な私!^^;)その後、劇的な?展開は特にないのですが、微妙な変化はありました。コーヒー1杯だけのことなのにねぇ~~(笑) まず、以前はそれほど言葉を交わさなかったのに、ご馳走になった翌日にすれ違った際「あっ、おはようございます!昨日はご馳走さまでした。」と、いつもよりやや、にこやかに挨拶してしまった私です(^^)彼の方も、必ず通る際には「今日も暑いですね~」と一言、声をかけてゆくようになり・・・かなり確かな変化だわ~~♪(だから、どうした?!^^;) で、今日のことなんですが・・・ありゃ?似ている人が通るけど・・・何だか印象が違う?あっ、そうか!いつもの制服でなく、私服姿だったんです。男性も服装で、かなり変わるもんですねぇ~~制服はグレーの地味な色なので60代?と思っていたけど、チェックの柄のYシャツ姿は若々しく見えて、50代なのかな?(センスもいいみたい!^^)今日は早番なのかしら?でも、私服でここを通るのは初めてではないかしら?私に気がつくと、ニコっとして、斜め前のコーヒーショップに入って行きました。あら?また、コーヒーご馳走して下さったらどうしよう!困るわ~~~~!って悶絶?していたら・・・・「○○さん!何見てんの~?」と声がするので振り向くと、会社の営業の男性でした。商品の入れ替えに来たらしく、台車に荷物がた~くさん!妄想の旅は途中下車して・・・仕事に励んだのであります。 で、今日の私の想像(妄想?)では、多分、彼はお気に入りの私服姿を見せたかったのではないかしら~?(だって、初めてのことですから・・・)もし、そうだとしたら?キャワイイ~~~!(^0^)/ こうして・・・私の妄想列車は、今日も暴走中!誰か、、、緊急停止ボタンを押して下さ~~~~い!(><;)
2007.08.25
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今日は休みで、何気にyahooを検索して、ふと思いつき、遊び半分で何人かの名前を入れてみたところ・・・ありゃ~~!すごい!以前ご近所付き合いしていた方の娘さん、大活躍しているのね~DVDも出しているし、レポーターもされていて、本も出している。プロフイルによると、彼女は日本ではその道の第一人者!最近は第二ブームみたいで、色々な人がDVDを出しているけど、彼女はそういう人達の師匠格!だったのです。その世界では大御所クラスなのでしょう。綺麗な人だったけど、その美貌は衰えていない!やはり、、、継続は力なのねぇ~~(^0^)/私も、、、バレエを続けよう~っと♪ で、その後もちらちらと検索していて、ある劇作家?(劇団主催している)のブログに飛び何気なく読んでいたら~~日記の中に出てくる○○さんって、、、ひょっとすると???娘の友人のお父さん? 確かそういう名前だったよネ~?家も近所なので、よく行き来しているあの子のお父さん?娘がいたので、聞いてみると、「そうだよ~!」まっ、仕事の内容は聞いていたし、その世界では本人の名前は知らなくても、商品名は私でさえ?知っているのだから・・・当然といえば当然なくらい、色々なジャンルの人とお知り合いなんだろうな~~でも、何だかミーハーな私としては嬉しいです♪^^ あっ!そうでした!こちらはyahooとは関係ないのですが・・・今をときめく、J系の超!イケメン君のお母さんとひょンなことから話しをするようになり、頻繁にお会いしていた時があったのです。彼女とは同世代だとわかり、「○○ちゃん!って呼んでいいのよ~!」とのことで、気安く「○○ちゃ~ん!」なんて呼んでいましたが・・・メキメキ有名になった今は彼女も忙しいらしく(マネージャーしている?)最近はと~んとお会いする機会はないのですが、、、テレビで見るたびに、こんなに美しいイケメン君が息子だったらいいな~!彼女の面影も少しある?ような顔を、しみじみと見てしまう私です~~♪^^
2007.08.24
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危険をはらんだ、小さな集団だと思うの家族の基本になるのは、まず夫婦でしょ?夫婦という名の男と女 生物としての♂と♀長年一緒に暮しているうちに、相手を呼ぶときも「お父さん」「お母さん」って、まるで親子?みたいな夫婦も多いけれどでも、夫婦はどこまでいっても 男と女第三者の異性が現われたら、忘れていた嫉妬心が顔を出す 愛の裏側はジェラシイ~♪(歌詞にもあるように・・・)愛すればこそ、期待する夫は妻に妻は夫に親は子供に子供は親に 助け合い、思いやりと言う名の、、、共依存の関係を築いている長い時間をかけて、しっかりと・・・ 夫婦という他人の男と女が、ひょンなことから愛し合い、二人の血を分け合って誕生したのが、子供という新しい人間そして、まわりをとりまくのは少しづつの血を分け合った、祖父や祖母たくさんの親類縁者・・・ 人は一人では生れないたくさんのご先祖様達の愛だから敬い、感謝するのだと子供の頃から言われていたそれは確かにそうだけど 愛の歴史は 憎しみの歴史愛しているから 憎むんだ期待が大きいから 失望するこんなはずじゃなかったと ね、、、冷静に歴史を振り返ってみようよ戦国時代の親子関係がどうだったか?現代もあの頃と大して変わりはない、、、そんな気がする親は子供に期待するその子供が優れていればいるほど・・・ 「家族ゲーム」だったかな?そんな映画があったけ「阿修羅のごとく」向田邦子の小説とドラマ そう家族は愛しくて、危うい関係共依存の微妙なバランスが崩れたとき家族という 小さな世界が崩壊するのかも知れないね。。。
2007.08.23
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ちっちゃな頃から~浮気なお前で~♪いつもハラハラする、おいらはピエロさ~♪ これは淺川マキの歌にしては珍しい、アップテンポのノリの良い曲。ふっとこの曲の出だしが頭に浮かんだので替え歌バージョンで書いてみます(^^) ちっちゃな頃から ひとりが好きちっちゃな頃から ませガキで大人の歌謡曲ばかり歌っていた ちっちゃな頃から 大人にならないうちに死んでしまうのでは?と、感じていたちっちゃな頃から 何故だか漠然と、、、そう感じていた だから・・・ちっちゃな頃から 生き急いでいた生きる意味の全てを 知りたかった図書館に行くと 目まいがした ぁああ、こんなに沢山の本があるというのに私は全部読むことは出来ないのだ!生きる意味もわからないまま死んでゆくなんて! 図書館は・・・大好きだけれど、、、嫌いな場所だった あれから何年生きたことだろうちっちゃな頃の私が今の私を見たらどう思うだろう長生きしたね、と、小さく笑うかな頑張ったね、と、優しい眼差しで見つめてくれるかな ちっちゃな私は いつの間にか大きくなったちっちゃな私は あとどれくらい生きるのだろうちっちゃな頃の あの不安はどこに行ったのだろう 不安は消えたわけじゃない忘れているだけなんだね、、、多分。。。
2007.08.22
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今夜はバレエのレッスン日。夜の10時過ぎに終るので、一緒に習っている女性とお喋りしながら帰ってきたら・・・11時近くになっていて、それから入浴、夜のうちに洗濯機をまわし、PCを開いて、メールを読んで(ミクシイにコミュを立ち上げてから、個人的なミクシイのメールが多いんです)返事を送信していたら、もうこ~んな時間(><;なので、すぐに寝るつもりでしたが、、、読んでいる本の中に「あっ!私も~!」と思う箇所があったのを思い出し、また書いている私です(^^; どこにも所属せず、出来ることなら、国籍もいらない?(無国籍?^^;)私なので・・・若い頃から「○○の彼女」「○○の奥さん」という立場には関心がなく、したがって、特に「恋人が欲しい!」と思うこともなかったような気がする。まっ、ぶっちゃけ、、、自己中でわがままなだけかもしれないけど(笑; で、本の中にあの実存主義の哲学者、サルトルの言葉があって、、、「いやだ~この人(サルトル^^;)同じこと言っているわ~!」と驚きました~ 【すべてになるためには何にもなってはならない】
2007.08.21
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一昨日のことなのですが・・・何だか胸に刺さった小さな棘のような感じが残っています。あの日は朝から、いただいたアイスコーヒーで妄想に走っていた私ですが・・・もちろん仕事をしながらですよん!(笑)で、あの日は少し涼しくなったせいもあり、けっこう忙しく、夕方近くになって少し暇になり、会社への報告書を書いていた時です。外で夫婦喧嘩?みたいな感じで女性が何やら叫んでいる?何語かはわからないけど、日本語でないことは確か・・・(中国語orベトナム語?)思わず、声のするほうを見ると、東洋人風?の中年女性が大きな声で旦那さんに呼びかけているところでした。(旦那さんの姿は見えず、はるか彼方に?) ちょっと気になったので、「どうしたのですか?」と訊ねた私に、彼女はやや興奮した口調で答えました。「主人が、私が止めるのに、あっちへ行ってしまって、帰って来ないんです!」やや、たどたどしい言い方なので聞いてみました。「どちらのお国の方ですか?」『ビルマです。』(現在のミャンマー)あっ、それで長いスカートの民族衣装を着ているのね『私達は長く日本に住んでいるので、日本語は大体わかります』『さっき、あちらの花屋さんで、花を買っていたら、おじいさんが言ったんです』『突然「お前達は日本人なのか?日本語は話せるのか?」って!』『私達は日本語はわかりますが、日本人ではありませんって答えると、そのおじいさんは「だったら、パスポートを見せろ!持っているだろ!」って命令するように言うんです。』『主人が「何であなたに見せなければならないんですか!」って言うと、とてもヒドイ言葉を言って向こうの方へ歩いて行ってしまいました』『主人がおじいさんを追いかけようとするので、私が止めて、ここまで歩いて来たら、主人はやっぱりどうしても我慢が出来ないらしく、またおじいさんを探しに向こうへ行ってしまいまだ、戻らないので、喧嘩をしているのでは?と心配で、心配で・・・・』 彼女は不安そうな顔で、向こうを見ているのだけど、旦那さんの姿は見えない。少しでも彼女の不安が和らぐように、私も一緒に向こうを見ながらしばし、お喋りを・・・「イミグレーションのお役人でもないのに、パスポートを見せろ!だなんて失礼な人だわ」「時々、偉そうに言うおじいさんっているんですよねぇ~」「でもね、おじいさんと喧嘩して、もし何かあれば悪いのはこちらになってしまうから・・・」「本当は出来るだけ、かかわらない方がいいけど、ご主人の気持ちもわかりますよ~」「それに、おじいさんって頑固でしょ?頑固わかります?石頭!ストーンヘッド!^^」『石頭?あっ、頭固い!わかります!^^』「でしょ?それに血圧も高いから・・・ああ~困っちゃいますね^^」彼女に少し笑みが浮かんだ頃、旦那さんが汗だくになって戻って来ました。奥様より小柄な男性で、50代後半位の温厚そうな人。奥様が母国語で、旦那さんを叱っている?(^^;『私の主人、いつもはこんなに怒らない人なんですが・・・』『あなたからも、主人に言って下さいますか?おじいさんと喧嘩しちゃいけないって~』 旦那さん、汗を拭きながら、やや恥ずかしそうに笑っている。「そのおじいさんは、見つかったのですか?」『すぐに、探したのですが、見つからなくて・・・」「見つからなくて良かったですね^^」「おじいさんと喧嘩はやめた方がいいですよ。そのおじいさんの言い方は失礼だけど・・・」『その人は、私達に外人なら日本にいないで早く帰れ!って怒鳴ったので、私もつい・・・』「そうだったんですか~!同じ日本人として申し訳ないです。ごめんなさい!」 まあ、そんな会話があって、お二人はすっかり気分もほぐれたのか・・・にこやかな表情で帰られました。旦那さんの追いかけていく気持ちもわかるな~~私がNYにいた頃は、終戦からかなりたっていたから、「ジャップ!」(日本を侮蔑した呼び方)も実際に聞くことはなかったけれど・・・1回だけあったのです。あるとき、退役軍人で、太平洋戦線に従軍した男性が「ジャップ!ゴーホーム!」と叫んだことがあって、驚き、そして哀しい気持ちになりました(--;普段は感じることのない、日本人への差別意識を感じて何とも言えない気分でした。今回のご夫婦も同じように感じたのでしょうね・・・そのおじいさんが何歳なのかはわからないけど、あの世代には、どこかに同じ東洋人なのに、日本以外の東洋人に対する差別意識が強いような気がするのです。そのくせ、欧米には卑屈な態度(欧米か!^^;)タカ&トシ? 人は心の隅に、何かしらの優越意識を持っていると思います。その反面の劣等意識も合わせ持っているけれど・・・私達日本人はたくさんの美徳も兼ね備えている、素晴らしい民族だと思います。誇りを持つことは、とても大切なことです。そして、またビルマ(ミャンマー)も歴史ある、仏教国で、慈悲深い国民性と聞いています。暑い毎日で、体調も悪くて、そのおじいさんは苛立っていたかも知れないけれど、、、普段は温厚な紳士らしい人を、そこまで怒らせたのは「外人」という、ある意味での差別の言葉だったのだと思います。ミャンマーは現在、軍事政権で政情もまだ安定せず、(あのスーチンさんの件も;;)帰国出来ない人達も日本にいると聞いています。当たり前のことだけど、世界は日本だけではないのだから・・・日本人以外の人達を一派一からげにして、、、「外人」という呼び方はそろそろ卒業したほうがいいと思います。まっ、、、そのおじいさんは「外人」を卒業する前に、人生を卒業すると思うので・・・ほうっておきましょう(^^;
2007.08.20
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虫が鳴いている一昨日までの暑さが嘘のように吹き渡る風が、酔った頬に心地良い 調子にのって飲みすぎたかな?ちょっと千鳥足みたい若い女の子が携帯で話しながら自転車で通り過ぎるお~っと、と、、、ひかれるとこだったじゃない!そうか、彼女も前方不注意私は、、、酔っ払い歩行者?まっ、どっちもどっちだけどね~(^^; ちょっと、よろけながら歩いているのにどうして、心はこんなに冴えわたりまっすぐに向かっているんだろうどこにたどりつくのかは わからないけれどただ、ただ、まっすぐに・・・ 酔えば酔うほど、見えてくるものもあるんだね頭の芯が醒めてくる今、私が歩いているこの道ははるか昔は 田んぼのあぜ道だったかも?この道を たくさんの人が通り過ぎたことだろういつの間にか 家が立ち並び道幅も広くなって、アスファルトで舗装されたけどこの道が 道であることに変わりはしないこれからも 色々な人達が歩いてゆくのだろう ふと、そんなことを考えてしまった帰り道空を見上げたら、ほんの少しだけ、、、秋の気配がした。。。
2007.08.19
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今日は6日ぶりの仕事。熱は下がったけれど、この暑さで、すっかり衰弱?なのに体重は増え、水太り?(><;まだ完全復活していないので、今日の涼しさは助かりました(^^)で、いつものように、開店し、持参のポットからアイスコーヒーを入れて飲んで、ほっと一息ついていると、すぐ斜め前のコーヒーショップから、このビルの守衛さん(60代?)が、こちらへやって来るので、、、「何かご用かしら?」と見ていました。いつも、顔を見かけ挨拶する程度なのですが、何かを手にしているみたい・・・「おはようございます!久しぶりですね。」「○○さん、よかったら、これ飲んで下さい」(えっ!私に~?名前も何で知ってるの?)少し、照れたような、恥ずかしそうな感じで、急いで紙袋から、テイクアウト用のカップ入りのアイスコーヒーを渡してくれたのです。「じゃ、頑張って下さいね」と言って、足早に立ち去りました(他の人に見られないように?)それほど親しいわけでもないのに?自分でテイクアウトに買って、飲まないから?でも、袋にはもう一つ入っていたみたいだし・・・うん?最初から、私に下さるつもりだったのかしら?たかが、アイスコーヒー1杯で、そんなに考えることもないだろうにねぇ~(^^;でも、何だか気になってしまいますぅ~~ちょうど、アイスコーヒーを飲んだばかりなのですが、せっかくいただいたので、氷が融けないうちに飲みました。 で、、、いつもの妄想街道に突入!(仕事しろーーっ!^^;)彼は、私が6日も休んでいるとは知らず、もうこの場所では働かないのでは?と、、、二度と会えないのでは?と悲嘆にくれていた?(^^;せめて、名前だけでも聞いていればよかったのに、、、後悔の眠れない日々を過ごして今日、思いがけず、私が働いているのを見かけ、、、そうだ!今しかない!今すぐにアイスコーヒーをご馳走して、自分の存在を知らせよう!たった1杯のアイスコーヒーに、自分の想いを託したのよ・・・きっと!きっとそうだわ~!でもどうしよう?もう遅いわ!だって、、、アイスコーヒーを飲んでしまったから・・・もう、断れないわ・・・困ったわ~~~(><;あっ、そうだわ!この次は、お願いしようっと!「アイスより、、、ホットコーヒーにして下さい」って~~だって、アイスコーヒーの氷はすぐに融けて、水っぽくなってしまうから・・・(^^; 仕事中に、こ~んな妄想をして楽しんでいるなんてねぇ~~!素敵な守衛さん!お許しを~~~☆^^
2007.08.18
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ものすご~く辛いときは夜、眠りにつく前より朝、起きるときが大変だってこと・・・ 悲しくて、泣き疲れて寝入った夜新しい朝がやって来て、目覚めた後「ぁああ~今日も、あなたのいない1日が始まるんだ・・・」そう感じた瞬間苦いものが口に広がり起き上がれなくなるの 窓からは明るい陽の光が射し込んで新しい1日が始まろうとしているテレビの天気予報が聞こえてくる今日は快晴の一日でしょう!って・・・ だけど、起きられない布団にくるまり このままじっとしていたい体温のぬくもりに包まれて母の体の中の胎児のようにこの場所にうずくまっていたい 昨日までの事は、全て夢だった!って思いたい夢だったら、、、どんなにいいだろうそれとも、、、なかったこと?そうよ、あなたも、私も存在していなかった出逢ってもいなかったそう思えたら、そうだとしたら、、、こんなに苦しまないですむものを・・・・ 全ては自分が決めたこと誰のせいでもないましてや、あの人のせいでもないだから、だから、、、苦しいの身の置き場がないほど 苦しいの 「苦しめ!もっと苦しめ!」心の奥でもう一人の私が、叫んでいるきっとあなたは、私の数十倍の辛い思いでいるのだから私は、もっと苦しまなければならない苦しんで、苦しみ抜かなければいけないのだと・・・ やがて、その苦しみがすっかり躰になじむ頃気がつくと、朝が来ても辛くなくなったそして、、、すぅ~~っと潮が引くように涙もこぼれなくなっていた こうして、少しづつ、全ては、、、思い出になってゆくんだね。。。
2007.08.17
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遠くで、花火の音がするひゅるひゅる~~と花火が空を昇ってゆく次の瞬間、夜空一杯に広がる大輪の花わき上がる歓声そして、暗い空に細く残る白い煙の尾・・・ ず~っと前の夏だったねあれは海上の花火だった短い北国の夏つかの間の夏小さな町の 小さな花火大会町中の人達が 港に集いまるで大漁の船を待つような賑わいの夜だった 二階の窓から、身を乗り出して花火を眺めていた私くいいるように、飽かずにながめていると強い力でひきよせれて窓は閉められてしまった 「花火は毎年、観られるよ」「これからも、ここでずっと・・・」「せっかく、逢えたのに、花火ばかり観ているなんて・・・」 そう、そうなの、、、私はあなたに逢いに来たというのに背を向けて、花火に夢中だった大人のあなたは苦笑いしていたね「しかたないな~~」「花火のほうが面白いんだろ?」って・・・ 「そんなことない!」って言えばよかったのに何も言わず、微笑んでいただけの私 遠い、遠い、思い出の夏二人の最初で最後の夏。。。
2007.08.17
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不惑の年を越えてなお、揺れ動く心をもてあましている見かけは落ち着いている(図々しい?^^;)かも知れないけど・・・昨夜の日記に紹介した、茨木のり子さんの詩を読んでいたら、また、心にズキンッと響く詩に出逢いましたので・・・ここに書きます。 汲む -Y・Yにー 大人になるというのはすれっからしになることだと思い込んでいた少女の頃立ち振る舞いの美しい発音の端正な 素敵な女のひとと会いましたそのひとは私の背のびを見すかしたようになにげない話に言いました 初々しさが大切なの人に対しても世の中に対しても人を人と思わなくなったとき堕落が始まるのね堕ちてゆくのを隠そうとしても隠せなかった人を何人も見ました 私はどきんとしそして深く悟りました 大人になってもどぎまぎしたっていいんだなぎこちない挨拶 醜く赤くなる失語症 なめらかでないしぐさ子供の醜態にさえ傷ついてしまう頼りない生牡蠣のような感受性それらを鍛える必要は少しもなかったのだな年老いても咲きたての薔薇 やわらかく外にむかってひらかれるのこそ難しいあらゆる仕事すべてのいい仕事の核には震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・・・ 私もかつてのあの人と同じくらいの年になりましたたちかえり今もときどきその意味をひっそり汲むことがあるのです 「Y・Yに」は女優の【山本安英】さんのことだそうで、あの「夕鶴」で有名な女優さんです。茨城のり子さんは昭和22年に初めて山本安英さんにお会いし、芝居はもちろんのこと生き方にも強い影響を受けたと書いています。私も高校時代、現国の授業で「夕鶴」の朗読をする機会があり、その時に山本安英さんの舞台のテープを何度も聴いて練習しました。「ぁああ!よひよう!私にはあなたの言葉がわからない!」お金に目がくらみ、つうが渾身の想いで編んだ反物を売ることに夢中になる、よひょう。夕鶴になりきった、山本安英のせつない声!今でも憶えています。
2007.08.16
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以前にも、日記で紹介したことのある詩人、茨木のり子さんの詩です。二十歳で終戦をむかえた、若いひとりの女性のほとばしるような想いが溢れる詩・・・読むたびに、胸が熱くなります。(彼女は一昨年の冬に他界されました) わたしが一番きれいだったとき わたしが一番きれいだったとき街々はがらがら崩れていってとんでもないところから青空なんかが見えたりした わたしが一番きれいだったときまわりの人達がたくさん死んだ工場で 海で 名もない島でわたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった わたしが一番きれいだったときだれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった男たちは挙手の礼しか知らなくてきれいな眼差だけを残し皆発っていった わたしが一番きれいだったときわたしの頭はからっぽでわたしの心はかたくなで手足ばかりが栗色に光った 茨木のり子 いつの時代も変わらぬ女性の気持ち、おしゃれをして、素敵な恋人と過ごしたい!それが叶わなかった時代に生きた乙女達・・・乙女を愛することもないまま、逝かなければならなかった青年達・・・ かりそめの繁栄の現在の日本からは考えられないことだけど・・・同じ時代の今、イラクや中近東、アフリカの紛争地域に住む、多くの少女達が、かつての茨木のり子さんと変わらぬ想いで暮しているのではないかしら?かつての愛国少年たちが、神風特攻隊の名のもとに、若い命を散らしたように、イスラムの国の一部では、ジハード(聖戦)の名のもとに、自爆テロで命を散らしている・・・時代も、国も、思想も、宗教も違うのに、何故か同じにおいがするのだけれど。。。
2007.08.15
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小学校の高学年頃から登校せず、自宅待機?していた私の従姉妹の息子の朗報がついさきほど、ひょんなことで届き、私まで嬉しい気持ちになりました♪今日も休みで、病み上がり?なのでのんびりテレビを観ていたら、NHKBSチャンネルであの「小野田寛郎」さんのドキュメンタリー番組を放映していて、思わず引き込まれるように彼のお話しに聴き入ってしまいました。今日は終戦記念日。終戦を知らずルバング島のジャングル地帯で戦い続け、終戦から20年以上を経て、様変わりした日本に帰国した小野田さん!ちなみに、彼に帰国の決意をさせるきっかけを作った、当時の若者、鈴木青年は偶然にも、私のNYの頃の知人の友人だったので、当時はまわりでも話題でもちきりでした。その小野田さんは、帰国後、わずか1年あまりで、ブラジルの奥地に開拓民として移住を決め、それから30年、83歳の現在に至るまで元気に暮らし、今はブラジルの農場も軌道に乗り、日本とブラジルを行き来して、日本の子供達のための「自然熟」を主催し、講演もしている日々を過ごされている。このことを書くつもりでいたのが(あらっ、もう書いている?^^;)つい先ほど、大阪に嫁いでいる同い年の従姉妹が、東京の実家に帰ってきていて電話があり、久しぶりに互いの近況報告をし合っていて、嬉しいニュースを聞いたのです。 そういうわけで、急遽変更!ブログもライブなので、、、刻々と状況が変わるんですねぇ~(^0^)我が家の長女の話しが出て「大学卒業して、広告代理店の花のOLよ^^」と言うと・・・従姉妹が「うちは、やっと長男が24歳で、大学生になったのよ!」と言う。確か、子供も同い年で、生れた年に皆で集まり、一緒に記念撮影した男の子なんです。従姉妹は私よりずっと若いうちに結婚したのだけれど、子宝に恵まれず不妊外来に通院でも兆候がなくて、諦めかけた頃に恵まれた子供なので喜びも大きかったと思う。続いて、女の子も誕生し、一男一女の母として幸せに暮していると思っていたのだが・・・従兄の父(伯父)の葬儀で再会した従姉妹の髪が真っ白なのに驚いた私。伯母からちらっとは聞いていたのだけど、久しぶりに会う彼女の姿はやつれていて、私は胸が痛くなった。当時は中学生になっていたと思うのだけど、小学5年頃から始まり、現在は全く登校していないと言う。原因ははっきりしないらしい。だからこそ、彼女は悩み、一時は彼女自身も拒食症になり、気がつくと髪は真っ白になっていて、染める気にもならないそう・・・旦那様の職業柄か、毎年素敵なデザインの家族写真入りの年賀状が届くのだけど、、、毎年、添えてある短いコメントには「今年も○○はひきこもりですが、私も仕方ないと、今は開き直ってます^^;」と書いてあった。そうこうして、大学入学の年になり、従姉妹の息子は親元を離れイギリスへ短期留学。その後、帰国してからも特に仕事に就いた話しもなく、フリーターのような暮らしをしていたらしいのだが、2年前に一念発起!大学受験のための勉強を始めて、、、な、何と!この春に、早稲田大学に入学!聞けば、早稲田以外にも、慶應の文学部、立命館の文学部にも合格していたそうで・・・「す、すご~~いじゃない!!」と、思わず電話口で叫んでいました(笑)他人事には思えないくらい、私も嬉しいです!「長い間、引きこもってた分、エネルギーも蓄積してあるから、楽しみネ!」と、あのN教授を思い出しながら言うと・・・(N教授は30歳過ぎまで?^^;)従姉妹も「そ、そうなのよ~!○○ちゃんの言う通りなの!」「やっと、この歳になって、自分のやりたいことがわかったんだって!」「遠回りしてきたけど、よかったって言っているのよ~」と嬉しそうに答える。現在授業のほとんどが、英語で行われていて、英語の特訓の日々で遊ぶ時間もない!でも、考えてみたら、、、ず~~っと自分の世界で遊んでいたのだからねぇ・・・(^^)従姉妹も「これから授業料もかかるし、親も老け込んでいられないわって思うのよ」と、話す声も弾んでいて、、、本当に嬉しい、報告でした(^0^)私のまわりでも、子供さんのひきこもりや、進学のことで、夫婦関係までこじれている人もいるけれど、今日の従姉妹の電話に、私も勇気づけられました。あめでとう!大学1年生!やったネ~~!○○君☆☆
2007.08.15
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2~3日発熱とこの暑さで、眠りが浅いのか、何だかた~くさん夢を見ていたみたい。今朝起きるまで見ていた夢は、かなりはっきり憶えている。北海道、函館の町らしいのだが、温泉宿に泊っていて、そこに偶然、旧知の年上の女性が現われて、何と!一緒にいるのは彼女の旦那様ではなく、別の男性!かといって、私は彼女の旦那様にお会いしたことはないのだけれど・・・(不思議?)確か、お孫さんも何人かいるはずで、とても貞淑な奥様!のイメージが強かっただけに、夢の中で、なぜか、うろたえている私(^^;彼女は、そんな私にニッコリ微笑んで、立ち去ってしまった。。。で、この私は~?何と!メッチャ!年下のイケメン君!(二ノ宮くん?^^;)と一緒ではないか!バッカな女だネ~~~~~~~他人のことでうろたえている場合じゃないでしょ?(^^;確か朝の芸能ニュースか何かで、ニノ宮くんの熱愛報道か何かを聞いていたから?それにしても、何の脈絡もなく見る夢は、バカらしいくらい面白いですねぇ~~でも、この夢をフロイト博士が分析したら、どうなるんでしょ?(恥?^^;) あら?ん?何の話だったかしら?あっそう、先日ふっと思い出した、ちょいウフフ~っな会話から、今日も一つだけ・・・殺し文句って、ず~っと準備していなくても、ふとした会話のすき間から出ることがあるってことを、数少ない恋の経験から、実感しています(^0^) 「あなたって、案外、ヤキモチ焼きなのねぇ~」 『そんなこと、ないよ!』 「そうかな~?ヤキモチ焼いているって思われるのが嫌なのかな~」 『そんなこと、どうでもいいよ!』 「ごめんね~!怒ってる?」 『別に、、、怒ってなんかいないけど・・・』 『あのネ、、、嫌いな女にヤキモチは焼かないよ!』 「あっ!じゃ、ヤキモチ焼いてくれたの~!」 『そうだよ!』 どうでもいい、昔の恋のお話しでした♪
2007.08.14
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あの「中原中也」の、【夏】という詩です。夏風邪のけだるさの中で、思い出したので、書いてみます。 夏 血を吐くやうな 倦うさ(ものうさ)、 たゆけさ 今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り 睡る(ねむる)がような悲しさに、み空をとほく 血を吐くやうな倦うさ、たゆけさ 空は燃え、畑はつづき 雲浮かび、眩しく光り 今日の日も陽は炎ゆる、地は睡る 血を吐くやうなせつなさに。 (後略) ぁああ~~今日も暑い一日でした。。。明日は熱が下がるといいのですけど・・・・・(夜、美女ピアニストとデートなので♪^^)
2007.08.13
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すっかり、夏風邪にやられちまいました~~体温計を見るとショックを受けるので・・・(というか、娘が使ってどこかへしまったみたい?)測っていないので正確にはわからないけど、多分36,8度位かな?(微妙な体温?^^;)平熱が案外、低い私。(実は・・・冷たい女?)なので、ちょっと発熱するだけで、生きる気力がなくなってしまう、軟弱な?人間なんです。せっかくの6日間の盆休み!大掃除をするべく、はりきっていたのですが、、、2~3日は無理みたい(--:まっ、休みは長いので、後半でやることにします。 それにしても、この太陽の眩しさはどうだろう!!ちょっとベランダへ出ただけで、目まいがしそう!これじゃ、、、病人が夏を越せないわけねぇ~~(--;暑さは、確実に体力を奪うから・・・ ず~~っと前に、欧州から、モロッコまでの鉄道の旅をした時のこと。あの映画でも有名な「カサブランカ」の町でモロッコ料理の「シシカバブゥ」を食べてから、強烈な食中毒になったのです。羊の肉を串にさして焼く、日本の焼き鳥みたいな食べ物で、けっこう美味しいのですが、食べた時、ほんの少し半生みたいな箇所があったのに・・・空腹だったのか?全部食べてしまい、その数時間後から激しい腹痛と、発熱が始まり・・・その夜は大変でした。翌日は、次の町「マラケシュ」(サハラ砂漠の入り口)に鉄道で移動する予定なので、、、予定通り、衰弱した身体で乗りました。(確か2~3時間位?)その間、隣の席で絶え間なく、カセットデッキから、アラブ民謡?モロッコの歌謡曲?が流れ続け、まさにエンドレス!まわりの人達も一緒に歌い騒いでいたけど・・・「音を小さくして下さい」と言う、気力もなく、ひたすら目を閉じて耐えていました。あのN教授だったら、すかさず注意することでしょう(^^;苦情を言うのにも、気力、体力が必要ですねぇ~(N教授はお元気だわ~^^) そして、ようやく、あのサハラ砂漠のはじまりの町「マラケシュ」に到着!観光する体力もないので、ホテルへ直行することに・・・いつもは普通のバスに乗るところですが、そのバスを見て、、、止めました。バスの屋根の上が荷物置きになっていて、、、そこに荷物と一緒に何と~~!「ゥメ~~ィ~」と鳴いてる羊が何頭も、乗っているではないですか~!そして、、、その上には、ギラギラと輝く、黄色い太陽が!(私には2つあるように見えた) ぁあああ~~!無理だわ~これ以上歩けない!というわけで、即!タクシイに倒れこむように乗り、ホテルに向かいました。 今日の太陽を見ていたら、、、あのモロッコの黄色い太陽を思い出してしまいました(^^:
2007.08.13
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やっぱり、、、「ありがとう!」かな・・・今日12日で、あの日航ジャンボ機墜落事故から22年がたつなんて!つい、昨日のことのように憶えているのに・・・関西地方の実家にお盆で帰省する人。夏休みの旅行先から、帰宅途中の一家。甲子園の高校野球を観戦するために、初めてのひとり旅をする男の子。休暇を東京の家族と過ごし、単身赴任先の大阪に帰る人。知人の結婚式に出席するために、マネージャーと大阪に向かう坂本九さん。たくさんの人々の時間が、あの日、あの時、あの場所で終った。。。 その翌日から繰り返される、事故の報道は事故に遭われた人々の、様々な人生ドラマを伝え、奇跡的に生還された人のいた驚きと感動! 亡くなられた人が家族に遺した最期の走り書きの手紙の発見!涙なくしては見られないものばかりだった・・・ 不安と恐怖の極限状態の中で書かれた、何人かの最期の手紙!手帳に書かれた、家族への手紙!そこに書かれていた「今までは幸せな人生だったと思う」「ありがとう!」最期の言葉・・・【ありがとう】あの走り書きの文字が、目に焼きついて消えることはなかった私だけど・・・ もし、私が書くとしたら・・・やっぱり、、、「ありがとう」だと思う。家族はもちろんだけれど、出逢った人々みんなに、「ありがとう」を言いたいです。 人生、どこで何があるかは誰にもわからない。というわけで・・・みなさん、手帳と筆記用具は持ち歩きましょう!あっ、でも、携帯がある?携帯メールは急いでいると打ちづらいので、やっぱり書きましょう!(^0^)//
2007.08.12
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今夜は身内でカラオケBOXへ行き、何と4時間プラス延長1時間!(^^)/何たって、カラオケ大好きの義兄(夫の姉の旦那様)が、歌いまくり~~!あっという間に終了タイム!(まだ、歌い足らない?^^;)途中からは、義姉が「演奏中止ボタン」をビシバシ!(1番目で終了し次の歌へ!^^)私は、風邪気味で、喉の調子は今ひとつなので~~軽~~~く、抑えて、あの「雨に濡れた慕情」(ちあきなおみ)を歌い始めたところ・・・ 義兄が、大興奮?(部屋の照明を暗くして、雰囲気を盛り上げてくれちゃいました!^^)「いや~~!いいネ!色っぽい!」「顔を見ないで、歌を聴いていたほうが、いいネ~~!」「○○ちゃん!大人のいい女って感じだよ!」 次の歌は、誰が入れたのか「愛のメモリー」(松崎しげる)これはけっこう難しいですねぇ~結局、誰もちゃんと歌えず、あらためて、松崎しげるの歌唱力に敬服!(^^)/ 妄想力?が豊かなのか、、、「愛のメモリー」の歌詞を目で追っていたら、愛のメモリーが甦り、素敵な言葉、思わず、、ウフッ!とするような会話が思い出されたので・・・忘れないうちに、ここに書いておこうっと~♪^^ あれは3年前~~♪(ではなく、かなり前のこと )ある方と用事で、待ち合わせをしていたんです。その方は、ある集まりでお話しをして、それから、私との約束の時間に来ることになっていて、早めに着いてしまった私は、まだ時間は早いけど、喫茶店で待つことにしました。まだ、1時間以上あるので、コーヒーを飲みながらゆっくりしていたところ・・・その方が、こちらに歩いて来るので、びっくりしました。「あら?ずい分お早いですね。 もう終ったのですか?」と訊ねると、、、「うん、終ったのは早かったんだけど、その後の懇親会に誘われて、断ってきたんだ」「君といたほうが、楽しいから、ネ。。。」(あら~、いけない人ネ~^^;) かなり年配のオジサマだったけど、、、ちょっと、悪戯ぽい目!言った後の、照れたような表情が、、、素敵な人だったナ~~(*^^*)
2007.08.11
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今夜 玄関の横の階段のそばに 大きなセミが 仰向けになっていた見ると 足をバタバタさせているそおっと セミをうつぶせにして 本来の姿に戻したのだけど・・・すぐに 仰向けになってしまう何回やっても 同じことなので あきらめた 一体 このセミはどうしちゃったんだろう?もう 元の体勢には戻れないのだろうか?多分 もうすぐ寿命が尽きるのだろうかなり 大きいセミだからセミの寿命を充分、生きたのだろうまだまだ 夏は続くのだけど・・・・・ 人間の夏は 忙しい7月4日 アメリカ合衆国の独立記念日7月14日 フランス革命記念日(パリ祭)8月6日 広島原爆忌8月9日 長崎原爆忌8月12日 日航ジャンボ機墜落8月15日 終戦記念日そして、7月の新盆 8月の旧盆外国では サマーフェステバル!日本では それぞれ各地での盆踊りが 繰広げられるねぶた祭り 阿波踊り よさこい踊り夏祭り 夜空を彩る花火大会! 夏は再会の季節故郷での出逢い恋におちる 元同級生の二人つかのまの恋に身を焦がし若者は 夏を満喫するだろう 夏は亡き人を 思い出す季節去年の夏は、その前の夏は・・・・・・一緒に過ごした思い出を たぐりよせ過ぎた日々をなつかしみ 涙する人もいるだろう 二度と帰らない いくたびかの夏太陽の光は激しく 地上にふりそそぎ一瞬の生命を 燃え上がらすのだ そう!夏は、、、生と死が交叉する季節 、生命の交叉点。。。
2007.08.10
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カツ、カツ、カツ・・・・・静かな廊下のむこうから 足音が聞こえてくるあなたが 私を探してやって来る気配を感じ私は身を硬くして 扉の陰にうずくまる 「○○ちゃ~ん!どこにいるのかな?」名前を呼ばれて、思わず返事をしそうになる、、、私いけない、いけない、返事をしてはいけない息を殺して あなたが通り過ぎるのを待たなければでも・・・・ この緊張感に耐えられない私隠れている私を 早く見つけてほしいだけど、見つからないでいたい、、、矛盾する思い カタっ! いけない!音をたててしまった 「あっ、!○○ちゃん!やっぱり、ここに居たんだ~!」 私は 覚悟を決めて 外に出た満面の笑みをたたえて 駆け寄ってくる あなた! 長身のあなたは 身をかがめて 私を抱き上げると「もう、逃がさないぞ~!」って言いながら 頬ずりをした ヒゲの剃り跡が 痛くてたまらず 頬をそらすのだけどあなたは そんなことに気付きもせず・・・私を高く抱き上げて 頬ずりを繰り返す 嬉しい!だけど、、、嫌!!早く 私をおろしてほしい!恥ずかしいから・・・・ 父親のとも違う ポマードの香りやや痩せぎすの 広い肩 静かな 昼下がり目くるめくような 時間一瞬の煌めき・・・・ そう!あれが 初めてのエクスタシーだったのかも知れない私は 小1の女の子あなたは 大好きな私の先生。。。
2007.08.09
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愛の重さをはかることが出来るなら生まれたばかりの赤ん坊と 母親は 0対10赤ん坊はただ生存しているだけ母親は その赤ん坊がいとおしくて いとおしくてただ、ただ、頬ずりをして抱きしめる母親は 赤ん坊に何も求めない無条件に あふれる愛を注ぐだけ 恋におちたばかりの二人は どうだろう?愛の分量は 5対5?全く同じ分量で愛し合っているかしら? ここまで生きてきて、、、思うのだけど男女の愛は いつもすれ違いの連続で二人の愛の分量が同じで 愛し合う時は、ほんのわずかで、それが誰にでもあるとは言えないくらい奇跡的な瞬間なのかも知れないって・・・ 母親の愛は無条件 何も期待していない男女の愛には 意識していないにせよ心の奥の 気付かないところで 条件がつく無意識に かけひきしている まったく ふりむく可能性のない相手をいつまでも 追い続けるだろうか?待ちつづけられるだろうか? けれど、母は待っているどんなに冷たい仕打ちをされたとしても我が子を 待ち続けるだろう だからといって、、、私は 母の愛の方がまさっているとも 思わないそれは 自己愛なのだから子供は自分自身なのだからそもそも、愛の質が違うのだから・・・ 私の恋は いつも偏った分量ばかり相手が先に愛してくれるから それに応えるだけで仮に 心変わりをされたとしたら、追うことはしないだろう そもそも、本当にその人を愛していたのかさえ 曖昧だ愛されている安心感が 好きなだけなのかも知れない 雲一つない 綺麗な青い夏の空を見上げていたら・・・ふと、そんな事を思ってしまいました(^^;
2007.08.08
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君は ずるい女だね・・・ えーっ!どこが?そういうとこが だよ。気づいているのに 気づかないふりをしてえ~~っ!知らなかった~!なんて言っているじゃないそして 肝心なところで 話しをそらすんだ。 ねっ?どうしたの?急にそんな話をして・・・ ほら、そういうところがだよ。 えーっ!よくわからないわ~ほら、また言ったじゃないかわかるはずなんかないさ君は わかろうとしていないんだからね。 。。。。。。 こんどいつか 君に歌ってあげるよ あの歌つんくの「ずるい女」を・・・ わ~~っ!嬉しい!私の好きな歌なの! ほらっネ・・・やっぱり そうやってふざけて ごまかす 。。。。。 でも、、、私、そんなにずるくないわよ ちょっとだけ 内気なだけよ・・・ 。。。。。。。。。絶句!!!
2007.08.07
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年々、当時を知る人々も高齢化して、その年に生まれた人でさえ、還暦を過ぎているのだから、、、記憶が風化するのは仕方のないこと?だからこそ、いつも記憶をリセットし続ける必要があるのだと思う。 中1の夏休みの宿題の中に、体験感想文の提出があった。あの年は先日、この日記に書いたように、祖母の入院という事件?があった夏で、最初はそのことを書くつもりでいたのだけど・・・8月6日の朝、たまたまNHKを観ていたら、カ~ン、カ~ン♪という鐘の音が響いてきてそれが「平和の鐘」の音で、ちょうど「原爆記念日」の式典が始まるところだと知り、まるで引き寄せられるように、見入ってしまった。。。 私が中1の頃のことだから(いつ頃?^^;)原爆の記憶も、もっと生々しく、はっきりしていたのではないかと思う。女学校に通う14~5歳の娘さんを亡くした母親がインタビューに答えていて、何気なく聞いているうちに、、、思わず、居ずまいを正したくなるような心境になり、当時の私の年と変わらない少女の死、その娘との最後の朝の会話を聞いて、涙が止まらなくなった。 戦時中の貧しい食糧事情の中で、かわされた最後の母と娘の会話!その衝撃が、あまりに大きくて、書かずにいられなくなり、それを提出したところ、、、、担任の推薦でクラス代表として、「全校、夏休み体験作文発表会」でその作文を広い講堂の壇上で、読むことになってしまったのだった!それから数日は、朗読の特訓!当日まで、不安の日々が続いた。 作文の内容は、今でもはっきり憶えている。 ☆カ~ン、カ~ン♪ 平和の鐘が鳴り響く。今日、8月6日はあの原子爆弾が、広島に投下された日だ。白いハンカチで、汗を拭いながら、娘さんを亡くされた母親が話している。 (中略)「あの時、ちょうど庭に植えたトマトが大きくなって、もう少しで食べ頃だったのです。」「食料事情が悪くなっていたので、どのお宅でも、庭でトマトや、茄子、きゅうりを作っていたんです」「あの頃は学校でも、授業はなく、勤労奉仕に娘達もかり出されていました」「あの日は夏休み返上で、学校に集合し、近くの工場へ手伝いに行くことになっていて、娘は出かけるところでした」「庭のトマトが大きくなっていて、あの子が食べたそうな顔をしたので、、、」「『食べたいんだっら、もいでこようか?』って聞いたんです」「すると、娘は『まだ少し青いから、もっと赤くなってから、みんなで食べよう!』って」「ニコっと笑いながら言ったんです。」「あの子が出かけてから、しばらくすると、空が急光って!あれがピカドンだったんですね」「ちょうど、それは娘の学校の方でした」 (中略)「夜になっても、あの子は帰って来ませんでした」「私は、今でも、後悔しているんです」「どうして、あの子に、青くてもいいから、あのトマトを食べさせなかったんだろうか!って」「今はこんなに、真っ赤なトマトがあるのに!」「トマトを見るたびに、今でもあの日の娘を思い出して涙がこぼれます。」 (中略)泣きながら、話す母親の後ろに、あの原爆ドームの無残な姿が見える。 人類はこれからも、進歩し続け、ごく普通に宇宙旅行が出来る日も、やがて来るだろう。けれど、どんなに時代が変わろうとも、この日本の国に、広島の街に原子爆弾が落とされたくさんの人々が阿鼻叫喚の中で、亡くなった!この事実だけは、変わることなないのだ。。。お願いです!もう二度と、こんな悲劇は繰り返さないで下さい!もう、、、二度と。。。 1年A組 ○○○○子
2007.08.06
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夏の君は 忙しそうで電話をかけても、ほとんど家にいなかったバイトに明け暮れて、帰りも遅いから電話してもいないよって君から聞いていたのに・・・ひょっとして、、、もう帰って来ているのかな?思いきって 電話をかけたけど、3回ベルが鳴るのを聞いて止めた 夏休みで、実家に帰る前に 一度逢いたいんだって、僕が言うと、「バイトは休めないけど、昼までなら大丈夫かも知れない。」「ほんと!ほんとに大丈夫?じゃ、今度の土曜でどうかな?」 暑い日だったねあんまり暑いから、すぐに冷房の効いた喫茶店に入って僕は紅茶 君は氷イチゴを頼んだっけ・・・君は 喫茶店のコーヒーは苦すぎて飲めないって、言ってたねインスタントコーヒーなら飲めるのに、、、不思議だって、笑っていた「喫茶店で、カキ氷は似合わないよね」そう言いながら 嬉しそうに食べていた君・・・楽しい時間はすぐに過ぎ、「あっ!時間だから・・・」と、君は時計を見て 立ち上がった 「バイト先まで 送ってゆくよ」「いいよ、店の人に見られたら恥ずかしいから」「じゃ、途中まで」「うん!」 公園から駅に向かって歩いて行くとレコード店から、曲が大音量で流れていたアップテンポの賑やかな声!山本リンダの歌だった・・・ ボヤボヤしてたら~アタシは誰かの いいコになっちゃうよ~♪ 「じゃ、ここでね~バイバイ!」気がつくと 君は急いで信号を渡って行ってしまった僕はボヤボヤなんかしていなかったのに・・・
2007.08.05
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どういうわけか、誰かが入院して、看病していたり、自分が入院していたりと、、、病院がらみの思い出の印象が強いのです。 小学3年の夏休みに、扁桃腺の摘出手術を受け、その後1週間、生死を彷徨いました。決して大袈裟でなく・・・術後が大変で、脱水症状を起こしてしまい、子供心にも、「あれ?もしかすると、死んじゃうのかな?」って思ったほど、苦しく辛い夏でした~。 中学1年の夏休み、父方の祖母と田舎の親戚の家に泊まっていて、明日は東京へ帰るという前の晩、祖母が食あたりを起こしたのか?激しい嘔吐で七転八倒!翌日、地元の病院で診てもらい、即!入院!かなり厳しい容態で、年齢的なこともあり、心配して、大阪に住む、伯父や伯母までがかけつけて来ました。(容態が安定したため、皆、すぐに帰りましたが・・・)父は仕事で帰京し、母が付き添いで残り、私と妹も残ることになったのです。昼間は病院、夜は近くの親戚の家に泊まる日が半月続いて、さすがに東京が恋しくなり、ある日、脱走?を企て、畑のあぜ道を汗をふきながら歩き、やっと、駅へ向かうバス停に着き、時刻表を見ると、、、何と!朝、昼、夕の一日に3本しかない!(><;あの頃は今より、東京と地方の差は大きくて、、、東京育ちの私は愕然!!仕方なく、今来た道をトボトボと・・・うなだれて歩いて帰りました。その後、祖母も回復し、父が私達を迎えに来てくれた時の喜びは、忘れられません♪^^ その後の夏の思い出は、高ニの北海道一周の旅!友人と二人、ユースホステルに泊る貧乏旅行でしたが、あの2週間の旅は、私の放浪の旅?の始まりだったのかも!(笑; それから、数年後の夏、父と私は、私の結婚の話をするため、彼の住む、北海道の最果て?の港町に向かっていました。短い北国の夏!初めての親子二人の旅でした。 それから過ごした異国での夏。パリの「フランス革命記念日」(パリ祭)の夜のデート!NYの「アメリカ独立記念日」の賑やかなパレード、夜の花火!夏は生命を燃焼する、激しいエネルギーに満ち、その後の疲労と虚脱感・・・やはり、祭りの季節なのでしょう。。。 その後、義父が末期癌で闘病したのも、父が脳梗塞でリハビリに汗したのも、、、み~んな、暑い夏の日々でした。百日紅が綺麗に咲く庭、蝉時雨の中を汗をふきながら、車椅子を押した毎日を懐かしく思い出しています。 夏になると、思い出す詩があります。(若い頃の、自分の詩ですが^^;)昨年の夏にも、この日記に書いたような気がするのですが、また書きます♪ また 夏がめぐってきました つかの間の 幸福と苦しみを かかえた 赤褐色の 夏がめぐってきました あなたの胸から したたりおちた 汗の匂い 潮のかおり 夏がめぐってきました 蒸気にもやる 水平線の向こうから 夏がめぐってきました
2007.08.05
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イケメン好き!を公表している私ですが・・・(これは表の顔で?)マジっで、好きなのは、才能溢れる人!(顔は二の次?^^)異才、天才、鬼才、奇才・・・いいですねぇ~~(^0^)○○バカ!みたいな人が好き!(釣りバカ?^^;)他のことはまるでダメなのに、そのことをやらせたら、語らせたら、凄い!って感じかな?でも、、、現実は厳しいから・・・結婚した場合は、大変だと思うけど・・・(笑; そうでした。一昨日、日記に書いたばかりの、天才作詞家、「阿久悠」と彼の友人であり、一世を風靡した漫画【同棲時代】の作者、「上村一夫」がなぜか、、、気になるのです。「愛すべき名歌たち」の中に、上村一夫との交流が書かれているのだけど、広告代理店の社員時代から25年来の友人だったそうで、互いの才能を認め合い、劇画も何冊か、共同で作っている。私の中ではあの「同棲時代」のイメージが大き過ぎて、他の作品はあまり知らないのだけど、阿久悠より3歳年下の、上村一夫が45歳の若さで急逝したことをこの本で知った。その時の阿久悠のショックと悲嘆ぶり!親しい友人を失った悲しみだけでなく、大きな才能を失った、喪失感が伝わってくる。 イラストレーター&劇画作家&ギターの名手で音楽的才能にも恵まれていたらしいけど、連載中の「同棲時代」の中に、時おり短い詩が書き込まれていて、詩の才能もある人だと感じていた。そのみずみずしい感覚は素晴らしい!と思う。 多分、40歳半ば過ぎの方は憶えていると思うけど、あの竹久夢二の美人画のような、、、憂いとはかなさを秘めた女性の顔は、何ともいえない、アンニュイな雰囲気がして素敵♪ ちょっと、うろ覚えなのだけど、その中の詩を思い出しながら書いてみます。 僕たちは 父と母が嫌いだ けれど やがて僕たちは 父と母に似るだろう 父のように酒を飲み 酔って 妻を抱くだろう そして君は 母のように背中を丸めて 泣くだろう 少し、違う箇所もあるかも知れないけれど、、、こんな感じの詩?みたいな主人公の言葉に・・・心がズキ~~んとした、大人の恋も知らない10代の私です☆
2007.08.04
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8月というのに、まだ、桜?もう、桜?季節はずれのタイトルですが・・・(^^;今夜、たまたまNHKの教育番組をチラッと見たら、あの着物姿の「南春夫」がにこやかに歌っている姿が目にとまり、思わず見入ってしまいました。そう、「日本人物伝」という番組の、南春夫特集を放映し、彼の晩年のマネージャーだった長女が生前のご両親のことを話していたのです。私は特にファンというわけではないけれど、美空ひばりと並ぶ、国民的歌手ではないかと思います。古いところでは「東京オリンピック音頭」その後の「世界の国から、こんにちは」大阪万博のテーマソング♪など、日本の右肩上がりの高度成長時代を応援するように、彼の歌は時代に常に寄り添っていたような気がします。伸びと艶のある、浪曲で鍛えた歌声!あまりに綺麗過ぎて、私の趣味ではないけれど^^;エンターティナーとして素晴らしい人だったと思います。今回、初めて知ったのですが、彼の奥様は、美空ひばりの母親以上の、プロデューサーだったということで、南春夫をあそこまでの歌手にしたのは奥様の陰の力が大のようで…長女の話しからも、プロ意識の強い方で、芸に関しても、子供の頃から三味線伴奏をしながら、名人達の芸を観てきたせいか、求めるレベルが非常に高かったそうです。 で、冒頭の句ですが・・・これは、南春夫の辞世の句。。。平成14年の4月に亡くなる前に詠んだ句です。人が病で逝くのは、夏の季節が多いような気がします。体力の弱った人に、夏の暑さは過酷なのでしょう。または、寒い冬の季節。どちらも厳しい季節ですから・・・ 1日に亡くなられた、阿久悠さん、彼は、辞世の句を詠んだのかしら?かなり容態も悪かったみたいなので、詠むゆとりもなかったのかも知れないけど・・・ 彼の作詞した歌は、私の大好きな歌ばかりですが、中でも、ピンクレディのヒットナンバーは個人的見解?(偉そう^^;)では秀逸した作品が多いと思います。カラオケで何気に、歌うのを聴きながら、「そう!ほぉ~~んと!そうだわ~~!^^」と膝をたたいて、アザが出来た?(大袈裟!^^)ことがあります。それは・・・あの【UHO】 地球の男に あきたところよ~~♪ 阿久悠さんも、地球の暮らしにあきて、遠くへ旅立たれたのでしょうか? 私は、、、最近、ちょい、面白い?男達に出逢っているので・・・もう少し、地球に滞在していようかと、、、思っています。。。。(笑)
2007.08.02
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あ~~!また、昭和の天才が逝ってしまったのネ~~~。とても残念&寂しい気分です(--;今夜は、昨日のN教授とのメールのやりとりを公開?するつもりでしたが・・・急遽、「アップル姉さん、阿久悠を語る!」1日に亡くなった、阿久悠氏の追悼ブログに変更いたします。(テレビ番組みたい?^^;) 私の独断&趣味で言うならば、あの、寺山修司と阿久悠は・・・天才!です。表現者として、溢れるばかりの才能をお持ちの二人だと思います。同じ作詞者として、内容は違うけれど、、、寺山修司は、彼独自の「寺山ワールド」を作り上げたのに対し、阿久悠の世界はワールドワイド!演歌、ポップス、バラード系。。。何でもあり~~~!とどまるところを知らない! 「歌は3分のドラマ!」でしたっけ?(こんな言葉をどこかで聞いたけど…)たかが、歌謡曲、されど、歌謡曲!たった数分の、歌詞にこめれれた人生ドラマ!だからこそ、作詞家のそれまでの生き方、想いが言葉として詩に投影されるのですから…歌詞は、、、人生そのものではないのかと・・・思うのです。もちろん、現実の体験をそのまま作詞しているのはなく、大きく膨らませ、想像し(妄想^^;まさに、イマジネーションの世界♪言葉に想いをのせて、、、旅をさせ、帰って来ると、一つの歌が生れる。。。想像=創造 この想像力が、このお二人は並外れて大きい人達なのではないかしら? カラオケでは、他の人が歌うのを聴きながら、つい、画面を目で追ってしまう私。。。「ほ~~っ!いい歌詞だわ~~」なんて、独り、うなづいています(笑) なかにし礼、山口洋子、も作詞家から作家になったけれど、阿久悠も小説を書いている。「瀬戸内少年野球団」は映画化され、あの夏目雅子も出演していたのを憶えている。その後も何冊か本を出されて、私の手元には「愛すべき名歌たち」がある。時代ごとに流行した歌と、その背景を語ったエッセイなのだけど、、、歌の記憶ってすごいな~~!って読んで、あらためて思いました。その時代の歌を聴いただけで、すぐその頃の自分に戻れるのだから・・・ 彼は、これからも、何冊か本を書きたかったのではないかしら?まだまだ、書きたいことがあったのではないか?と残念な気がする反面で、、、あの膨大な往年の、彼のヒット曲の数々!その、たくさんの詩の中に、彼は自分の夢、あこがれ、哀しみ、よろこび、せつなさを込めて描いたのだと思います。それは、小説以上の深い内容を持つような、、、そんな気がします。歌は3分のドラマ!短いけれど、濃~い物語なのかも知れません。。。 最後に、彼が以前、NHKの教育番組だったかしら?出演された時のこと。「たくさんあるご自分の作品の中で、一番好きな歌は?」との質問に【時の過ぎゆくっまに】 ジュリーこと沢田研二の歌をあげたのです。いわゆる戦中派の世代、多感な時期を激動の中で過ごし、戦後の急激な日本の変化を肌で感じた人達が持つ「醒めた瞳」というのかナ~~それを、あの歌に感じるのです。多分、彼の心の底を流れる想い、それが投影された歌のではないか?だから、一番好きな歌だと、答えたのではないかと思うのです。 時の過ぎゆくままに (作詞) 阿久悠 あなたはすっかり つかれてしまい 生きてることさえ いやだと泣いた・・・・・ 時の過ぎゆくままに この身をまかせ 男と女が ただよいながら・・・・・ 堕ちてゆくのも しあわせだよと 二人つめたい からだ合わせる・・・・・♪
2007.08.01
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