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若狭湾へ子供とキャンプに出かけた。太平洋と日本海では「これが同じ海か!」というほど透明度も色も違うので、名古屋から4時間も車を飛ばすかいがあるっていうものだ。名古屋近郊の海は、胸まで海水に浸かると足元はとてもじゃないが見えない。慣れてしまえばいいが、一種の「闇なべ」感覚というのか・・・なんというか。見えないだけに足にワカメが巻きつこうものなら、ゾクッとする。ダイヤモンドビーチの海は足がつかなくなっても水底が見える!ありがたい!!小魚が足元で泳いでいるのまで見える。感動。息子も娘も一泊二日、都会の子から海の子になった。
2004年07月31日
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4ヶ月がたつ。一時は放浪の旅に出たいとか自殺まで選択肢に入っていたけれど、自分には二人の子供がいて、その子供には離れていても父親が必要だろうという思いが、ぼくを踏みとどまらせた。子供のために生きている感が強かった。早く時間が過ぎて、半年、一年後の自分に会いたいと切に願った。今、立ち直ったとはいえないけれど、日々、働き、とくべつ喜びはないけれど、とくべつ悲しみもない。イチロー選手が今日もヒットを打ったとか、子供の頃から贔屓にしているドラゴンズの調子がいいとかで、小さく喜びを感じたり、夕焼けが綺麗だなと、わずかに胸の中での動きがあったり。人はそうやって何でもないことに、小さく心を動かして毎日を生きていくのかもしれないと思う。
2004年07月29日
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三年ぶりの東京ディズニーランドで久しぶりに夜の光のパレードを見ました。それはとても綺麗だけど、それよりも3年成長した息子と娘が一心に見つめるその瞳に、ぼくは満足するのです。3年前にも確かに家族で「ドリームライツ」を見たのですが、彼らの記憶にはほとんど残っていないようでした。「あっ、チップとデールだ!」五歳の娘は嬉々として、小さな手を振ります。次々と目の前を通過していく光の洪水の中で、ぼくは、「次は何年後に連れてきてやれるだろう」という思いや「それよりも父親として他に残してやれるものがないか・・・」などと切れ切れの思考がやはり光のように通過して行ったのでした。
2004年07月28日
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昨夜、久しぶりに地震がありました。あっ!とっさに自分の身を守ることを考えるんですね。どう逃げようか、逃げなくても大丈夫か・・・。それから阪神大震災のことが頭をよぎり、離れて暮らす息子と娘の所までの約30kmをどんな手段を使えばたどり着くか・・・を考えました。一緒に暮らしていたこの春までは、地震が起こるとまず子供を守らなきゃ、と反射的に思いました。それが・・・離れてしまえば、まず自分の身の安全を考えるんですね。当たり前といえば、当たり前ですが、ちょっと自分に対してショックを受けました。
2004年07月27日
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東京ディズニーランドの帰りの新幹線の中で、前方の電光掲示板に流れていくニュースを見るともなし見ていると・・・「自殺者過去最悪3万4千・・・人」と出ました。自殺を選ばねばならなかった人が、毎年3万人を超えている。小さな町が毎年消えてなくなるくらいの人数だ。日本という国は、毎年それだけの人を置き去りにして猛スピードで進んでいくんだなと、最新鋭の新幹線の中で思いました。この日記は、始めたばかりですが、二年前からメルマガを発行しています。よかったら、そちらも購読してください。http://www.melonpan.net/melonpa/mag-detail.php?mag_id=002900
2004年07月26日
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息子と娘を連れて三人で東京ディズニーランドへ一泊旅行をしました。すでに三人だけであちこちでかけていたので、旅行は今回が初めてだったけれど、子供は母親がついて来ないことを不自然には思っていないようです。子供二人を連れての旅行は想像していたよりも楽で、けっこう楽しめました。新幹線の二時間も弁当をつかえば、そこそこ過ごせるものです。先月、USJへ日帰りで行ったばかりなので、どうしても比較してしまうけれど、やはりTDRやTDSは一枚も二枚も上ですね。ゲストの期待を越えるような裏切り方をしてくれます。つまり想像以上の楽しさがあるという意味で。ディズニーシーは初めてで、大人向けというイメージだったけれど、子供らも十分楽しんでくれて、行ってよかったです。その水上カーニバルを見ているとき、息子がぼくにこう訊いたのです。「ミッキーたち、みんなこっちに来ちゃって、ディズニーランドの方はなんにもいないね」「ああ。あっちにもちゃんとミッキーはいるよ」「え!?・・・ミッキーって、一人じゃないの?」「・・・」ぼくは胸の中で「しまった」と舌打ちしました。パークの演出上ではミッキーたちはそれぞれ一体しかいないことになっているを、暑さですっかり忘れていました。しかたなく、「うん、まぁ、ミッキーたちはそれぞれに一人ずついるんだよ」とぼくは言いました。現実にはミッキーなんかけっこう沢山いるんでしょうけれどもね。また、いろいろ思い出しつつ書きます。
2004年07月25日
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マラソンの高橋尚子選手がシドニーで金メダルをとった年、ぼくは独立開業をしたのでした。小さな店を夫婦二人で開いたのです。自営業の良さは、いつも子供と一緒にいられること。当時、娘は保育園入園前で、その可愛い時期を存分に楽しませてもらいました。一時、順風が吹いたかと思った店の経営は、壁に突き当たり、売り上げは下がる一方。ぼく自身、落ち込んでいく気持ちをどうすることもできませんでした。はじめこそ、そんなぼくを励まし、家庭を明るく保とうとしていた元妻も、次第に子供だけに目を向けるようになりました。ぼくが「自分ひとりで苦しんでいる」と勘違いして、彼女に冷たくしたためです。二人の関係は、みるみるうちに冷えていき、元妻はかわりに男をつくったようでした。ぼくは今もその点は知らぬふりをしています。なぜなら、親権が向こうにある子どもたちに会うためです。離婚のとき、よほど親権を争うか迷ったのですが、不貞は親権争いには関係なく、現在では子供が幼い場合、9割は母親に親権がいくのが通例となっていることを知ったからです。当時、「離婚届に判は押せない」と言い張ったぼくに、「それならこっちにも考えがある」と元妻は言い捨てました。子供を連れて出ていかれた上に、その子供にも会わせてもらえないとなれば、大袈裟でなくぼくは生きていかれないと思ったのです。そのときから、ぼくは「子供に会うこと」を全ての中心にすえて物を考えるようになりました。元妻や相手の男に対する憎しみは計り知れませんでしたが、それを押さえ込んだのです。すべては息子と娘のために。彼らにとって両親が争うことは、悲しみ以外のなにものでもないはず。だから今、元妻との関係は表面上、落ち着いています。養育費を毎月渡し、そのかわりというわけではないですが、二週間に一度以上、子供に会わせてもらっています。今夜はその子供らに会えます。
2004年07月22日
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ミスターチルドレンの曲に「くるみ」という題名のシングルがあります。別れた女性に向けて歌っているという設定のその歌詞に、「ねぇ、くるみ。時間が何もかも洗い連れ去ってくれれば、生きることはじつにたやすい。ねぇ、くるみ。あれからは一度も涙は流してないよ。でも、本気で笑うことも少ない」というフレーズがあり、ぼくの心境にピッタリとはまってしまい、数日その部分が頭の中をグルグルと旋回しておりました。本気で笑う、腹の底から笑う・・・ということから、ずいぶん遠ざかっているなぁという気がします。
2004年07月21日
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本日も晴天。風がカーテンを膨らませて、びゅうびゅうと部屋を通過していくおかげで、エアコン要らず。たすかる。夏バテが気になるぼくは、できるだけエアコンに頼らない生活にしたいと心がけてますからね。今度の金土は、子供を連れて東京ディズニーランドへ行く予定。小学生の息子と保育園へ通う娘がどんな顔をして喜んでくれるのかが今から楽しみ。前回は3年前でしたから、とくに娘の記憶にはほとんど残っていないようなので、今回はしっかり楽しい思い出をつくってやりたいです。
2004年07月20日
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本日開店です。今年三月に離婚したばかりで傷口はパックリあいておりますが、4ヶ月ほどたって立ち直りつつあります。離婚の原因。元妻は「性格の不一致」と定型語句を言い置いて、子供を連れて出て行ってしまいました。いまや離婚に「暴力・浮気・借金」など、華々しい理由なんて要らないんですね。でも原因の一端は自分にあることも事実。世に一方だけが悪いなどということはありません。・・・と、ちょっと重いスタートになってしまいました。離婚の経緯などは、追々つまびらかにしていきましょう。息子は7歳、娘は5歳、まだまだ可愛い盛りです。幸い、二週間に一度以上会わせてもらっていますので、それが心の支えになっていたりします。彼らにはまだ「離婚」の事実を伝えていません。双方とも家族で住んでいた借家から引越したので、とりあえず「お父さんの仕事のつごうで」ということにしてあります。いつかは伝えねばなりませんが、気がつかないなら、ずっとこのままでいいか、なんて思ってます。この日記は、子供との交流を中心に、できるだけ明るい内容にしたいと考えていますが、如何せん、落ち込むこともしばしばで、その点どうなるかわかりませんが、もし読んでいただける方がいましたら、よろしくお願いしますね。ではまた。
2004年07月19日
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