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合気道をはじめて一ヶ月になる。まだまだひよっこだ。先輩の中に70歳をとうに超えている方がいて、ひそかに憧れている。道場の中で独特の存在感があり、凛々しくてカッコいいのだ。たとえばぼくのような人間が2、3人で打ちかかっていっても絶対太刀打ちできないだろう・・・という風格がある。いつか自分もそうなりたい。まずは黒帯。何年かかるのか分からないけれど、一歩一歩近づいていきたい。40歳を前にして、こんな明確な目標がもてたことを幸せに思う。
2004年11月29日
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車に乗って外出したとき、しばらく運転してから助手席の娘の顔に目やにが残っているのに気がつく。ぼくは当然のようにティッシュを一枚とって、それを唾でぬらして彼女の目を拭いてやる。すると、避けはしないけど「うわっ!」と言って娘はちょっと嫌な顔をする。「なんで、いいじゃん」「自分の唾のほうがまし」こういうやりとり、自分が子供のときにもあったような気がするなぁ、と思った。(そうか、親の唾がきたないと思う歳になったか・・・)などと、感慨にふけったりするのだ。
2004年11月28日
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今夜、子供の寝顔がそばにある。5歳の娘と8歳になったばかりの息子の寝顔を観賞する幸せ。普段、見られないからこそ、それは宝物のように思えるのだ。失ったからこそ、得られる喜び。命に代えても守りたいものが、安らかな寝息を立ててそこにいる・・・普通の家庭なら当たり前の日常だけれど、ぼくはそれを奪われて、そして与えられた。いま、与えられていることに感謝できる自分が好きだ。
2004年11月26日
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明日は子供に会えるなぁ。駆け出したいくらい嬉しい。このワクワクする気持ちだけで体中の細胞が活性化している感じがする。やっぱり得してるのかな・・・子供に会えるだけでこんな幸せな気持ちになれるなんて・・・。最近の新聞に「与えられなかったもの」に執着するな、与えられているものに目をやって感謝することが大切だ・・・というような内容の記事があった。ほんとうにそうだなぁ、と思う。
2004年11月25日
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昨夜、テレビでいい情報を得た。あのイチロー選手がバッターボックスに入る前にウェーティングサークルでする柔軟体操が腰を鍛える・・・というものだ。大きく両足を開いて両手を膝につけて腰を落とす。膝の角度が90度になるように。そして片側ずつ肩を前方に出して身体をひねるのだ。やってみると、これが腰痛に驚くほどよく効いた。普段、起床から軽い腰痛を感じていて悩まされていたが、今日は朝からまったく痛みがない。嬉しい!四股と言われるもので、相撲でも「シコをふむ」というけれど、あれと同じだ。簡単だし、時間はかからないし、これから毎日続けようと思うのだ。
2004年11月22日
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息子の八歳の誕生日をお祝いしてやれる場にいない、そのことが自分にとって淋しく、彼には申し訳なく思う。父親のいない寂しさを何かに変えて欲しい。負の作用に負けない力に変えて欲しい。ぼくはただ祈ろうと思う。息子が幸せでありますように。
2004年11月21日
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合気道を習い始めて三度目の稽古に出た。まだまだ初心者然としており、稽古着も自分だけが白く眩しい。しかし、先輩方がどうやらぼくを受け入れ始めてくれて、居心地は悪くない。稽古の前後の雑談がすこし楽しくなってきた。技を習うときは、真剣になっているこちらをやはり気遣って手加減してくれたりする。当然なのかな・・・いい方ばかりだ。稽古中は当然、気を抜けないので、約一時間半の間、気持ちの集中は解けない。少なくとも・・・その時間は、子供のことを考えないでいられるのが助かっている。その苦しさから逃れられている。稽古の後の筋肉痛はなくなり、心地よい疲れが残っているのみだ。なんだか人の「気合」がぼくの体内に注がれているような気さえする。自分を強くしたい。強くなりたい。
2004年11月19日
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「子は親をえらべない」それは一つの真実だと思う。しかし、昨夜のテレビ番組の中で、霊能者の江原啓之氏が「子供は親を選んで生まれてくる」と発言していた。彼の能力の真偽は別として、その言葉を信じたい気持ちがぼくにはある。事実はどうであっても、我が子が自分を選んで生まれてきてくれた・・・そう信じることは何か大きな力になり得る。他の誰でもない、自分を選んでくれた。だから息子と娘はあんなにもぼくを好いてくれるのかと思えたり・・・。そう思えば力になり、元気になる。
2004年11月16日
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昨夜から泊まりに来た息子が、熱を出した。預かるときに「風邪をひいてるけど・・・」と元妻から注意は受けていた。薬も預かった。だが本人はいたって元気そうだったので、ほとんど治りかけだろうとたかをくくっていたのがいけなかった。できるだけ外出は少なくしようと思っていたが、息子と娘が口を揃えて「カラオケに行きたい!」というので、出かけたのが甘かった。腹痛をともなう熱だ。心中穏やかではないが、とにかく優しく誰もがそうするように布団に寝かせて水分を取らせた。それで数時間眠っただけで、どうにか調子を取り戻したようだ。元気になってホッと胸を撫で下ろした。一緒に暮らしていれば、こんなことはしょっちゅうだが、久しぶりにそこらへんの対応を復習したような気持ちだった。元妻のところへ送っていこうかと少し迷ったけれど、「お父さんのとこにいたい」という息子の言葉が、ぼくをとどまらせた。それで今夜も「川」の字。息子は熱も下がり、静かな寝息を立てている。
2004年11月13日
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今夜、息子と娘を預かったので親子「川」の字だ。この安心感は例えようがない。もっとも大切なものがすぐ手の届くところにある・・・その安心感。胸の中は凪の海のように静かで平らなのだ。明日は娘の自転車の練習をしよう。
2004年11月12日
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ぼくの父が車を買い換えるのに悩んでいる。「マークXかクラウンか・・・」予算としては100万も違うらしい。クラウンに比べればマークXは値ごろ感があるだろう。しかし、クラウンの馬力が捨てがたいらしい。当人の話によると、信号待ちからスタートの時、「2速に入れてアクセルを踏むと速いんだ」とのこと。過日、親戚のお葬式へ父とぼくの車に分乗して移動した折、父のクラウンはぶっちぎりで目的地へと突っ走っていった。考えてみれば、父の運転を傍から見たのはそれが初めてだったかもしれない。ぼくの車は1500ccとはいえ、普通に運転していて決して遅くはないのだ。それを七十の坂をとうに超えた父のクラウンがぶっちぎっていく・・・みるみる遠ざかっていく車に不安さえ感じた。助手席の姉に、「なんかスピード狂だな・・・」と呟くともなく言うと、「昔からそうなんだわ!」という。「!・・・それで、子供の頃、よく車に酔ったのかな?」「そう、そう。お父さんの運転はすごいもん」ぼくらは唖然としたまま小さくなっていく父の車を見送ったのだ。幸いにも、その血を引いていないようで、ぼくは安全第一、燃費重視の運転である。車だって使い勝手のいいもので安ければそれにこしたことはない。分相応のものでいい・・・というのがぼくの車選びの基準だ。「最後の車になるかもしれないしな」呟く父にはクラウン250馬力しか頭にないだろう。
2004年11月11日
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沈みがちな気持ちを払拭するために、自転車に乗って庄内川河口の公園へ行った。11月にしては暖かな陽気で、川風が気持ちよかった。深呼吸しながら、できるだけ遠くに視線をやると、青空をバックにした鈴鹿山脈の峰峰が見渡せる。・・・しばし放心していると、どうも視線を感じる。岸壁に羽を休めているカモメの群れが、横顔でぼくを見ているのだった。鳥だから怪訝な顔こそしないが、こちらに注意を払っているのがわかる。(あやしいやつだ・・・)数十羽のカモメが無言ながら、そう思っている様子だ。ハイハイ・・・ぼくは数十の鳥の目に見送られながらその場をあとにした。
2004年11月09日
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逆境は、それを乗り越えたときに得られる人間的成長のために、天から与えられる・・・とよくいわれる。理解はできる。でもいま目の前の苦痛をどう紛らわせていいのかが知りたいときがある。会いたくてしかたない子供に会えないときには、どうしたらいいか?今日はダメだ。空を眺めて外の空気を吸おう。
2004年11月07日
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合気道は自分から仕掛けていく技がないらしい。相手が襲ってきたときに、それをかわしながら攻撃に転ずる、あるいは組み伏せる技がある。護身術が基本というだけに相手が素手で襲ってきた時だけではなく、棒で攻撃してきた場合や刃物で襲ってきた場合の対応術があって、その早業は見ていて興味深い。ぼくがそれらの練習をするのはずっと先のことだ。で・・・初日の稽古。準備体操から受身と基本技を繰り返し繰り返し練習する。想像していたよりきつくはないが、普段使っていない筋肉を総動員して全身運動をしている感じだ。約1時間半の稽古を終えると、腰が痛くなっていた。念のため整備体操をして帰宅したが、腰痛に加えて全身筋肉痛の様相を呈しており、昼食もとらずに布団の上に倒れこんだ。そのまま一時間。頭の中で習ったばかりの技や身体さばきがグルグルしている。すぐさま全身が筋肉痛になるなんてなかなかない経験で、不安が頭を掠める。来週までに回復するだろうか・・・。とはいえ、子供と一緒にいるときに暴漢に襲われたら自分が守りたい、自分も負傷せずに相手を組み伏せて我が子を守りたい・・・というのも動機の一つなので、これから頑張ろうと思うのだ。
2004年11月06日
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離婚してから何故だか毎日空を見上げるようになった。秋の空はきれいだ。一年中で一番きれいだと思う。今日の午後に見上げた真っ青な空に、小さな飛行機がスローモーションのように一方へ移動していた。それを目で追っているだけでなんだか気持ちよく、笑顔になっていた。
2004年11月04日
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あるテレビ番組を観ていたら、アフリカの子供のためにどうしても募金をしたくなり、思い切って5000円を送金した。大した金額ではないが、ぼくとしては、これまでの人生の中で一回の募金最高額になる。必要経費を差し引かずに、そのままの金額で現地に届けられる旨を信じてのこと。無理しない範囲の最高額の募金だが、それはきっとアフリカの貧困層に対して焼け石に水に違いない。・・・なのにぼくはちょっとした満足感があった。自己満足だ。でもきっと自分が使うよりも有意義なお金になるだろう。自分の子供らのために使うこともできたけど、それはこの先いくらでもできることだし。
2004年11月03日
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初めて訪れた合気道場にとても惹かれる人物がいたのだ。それは70年配のまさに笠智衆さんそっくりの方である。朴訥で人当たりのいい話し方で、緊張しているぼくに色々語りかけてくれたのだ。袴姿のその方は、背筋もしゃんと伸びて凛としていた。世に教えを請いたいと思える方は沢山いるけれど、その方もその部類に入る人だった。人は人によって変わる。よき影響を受けたいと思った。
2004年11月01日
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