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午後からの眩しい日差しに、ぼくは慌ててたまっていた洗濯物を洗濯機に放り込んだ。期待していた「秋」はちっともやってこないが、苛烈な太陽光線でしっかり洗濯物が乾いていくのはありがたい。柔軟材を投入し忘れたため、タオルはゴワゴワに乾ききっているが、まぁ、よしとしよう。息子と娘は元気だろうか。
2004年08月31日
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被害にあわれている方には申し訳ないけれども、台風も一つの非日常であり、変化のない日々にちょっとメリハリがついたりする・・・ような気がする。ビョウッっと一陣の風が通過するごとに、夏をひっぺがしていくような期待感がある。台風通過後の空は、やはりそれまでとは違った青みを湛えているようで、好きだ。
2004年08月30日
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この頃、感情を押さえ込むのが上手くなったと思う。日々、能面のような顔で生きている。これが子供と会うと、自然と相好を崩し、心がもう躍り上がってしまう。たくさん心と言葉を使う。生き返る。そして別れるときは、感情のスイッチを切る。そうやって生きている。
2004年08月29日
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今年の夏はとうとう夜空を染める大花火を一度も観ることなく終わる。去年は家族で美濃市の河川敷で行われる花火大会へ行った。そのころから元妻との間にはハッキリとした隙間風が吹いていたが、まさかそれが最後の花火見物になるとは思ってもいなかった。その時のぼくは、次々と夜空に広がる大輪の花火を見つめ、嫌なこといっさいを一瞬でも忘れようとつとめていたのだった。元妻はその時すでに離婚を決めていたようで、今から思えばその時の自分はひどく滑稽なものだった。花火のようにスッと消滅していく家庭に気付きもしないで、ぼくは息子に「きれいだねぇ」なんて話しかけていたのだ。来年は子供を誘って、どこかで花火を見よう。
2004年08月28日
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そう思わせてくれるような朝の空気。剥き出しの暑気で空を圧していた太陽が、ちょっと優しくなったようでホッとする。今夜は息子と娘に会える。起き抜けからそういう幸せが胸のあたりにあるのだ。
2004年08月26日
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離婚ていうのは、身体からベリベリッと一切合財を剥がしてしまうような気がする。それだけに痛みは大きい。ありきたりな言い方だけど、これは経験したものにしか分からない。とくに子供と引き離されてしまうのが辛い。子供と会っていて、別れるときがくると、身体の中心あたりでパチッとスイッチがオフになる。心のスイッチだ。心が止まる。心停止。無感情になるよう努める事が、痛みや淋しさや空しさから逃れる術だ。おかしな話だが、39歳にして余生を送っている気がする。
2004年08月25日
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オリンピックが人々の目を惹きつけるのは、まさに一級品の才能が真剣勝負でぶつかり合うためだ。努力の結晶という人もいるが、才能なくして努力は実を結ばない。その人が最大の努力を積み重ねても、メダルに届かない…なんていう場面はいくらでもある。でも祖国へ帰れば押しも押されぬ第一人者だったりする。金メダルどころか、オリンピック出場すらかなわず生涯を終える人も星の数ほどいるだろう。その裾野があってこその金メダルだ。一人じゃ取れない。負ける人がいるから勝者になれる。負ける人がたくさんいてこその金メダルだ。だから価値がある。
2004年08月24日
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先日、子供と「富士サファリパーク」へ初めて行った。動物バスに乗り、サファリ入り口の高さ3mはあろうかというゲートがゆっくり開くと、(おおっ、ジュラシック・パークみたいだ…)内心、ぼくは興奮していた。クマ・ゾーン、ライオン・ゾーンと進むごとに、「自然な状態」の猛獣らの姿に新鮮な感動があった。ところが、あの興奮をもう一度…と、マイカーで二度目にゲートをくぐると、一度見た光景にそれほどの感動はなく、むしろ冷静に動物を見てしまうのだ。ライオン・ゾーンでは、餌がもらえるジャングルバスに群がる彼らの動きがやけに緩慢で、餌の出てくる小さな窓口に一頭ずつ行儀よく鼻先を並べている様子は、飼い慣らされた猫のようだ。それは「自然な状態」とは程遠かった。狩をしないライオン。それはもう、老後の年金生活そのもの…という姿だった。考え始めると、とめどなくなり、楽しさが半減してしまうので、ぼくは急いで車を進めた。赤ちゃんライオンと記念撮影ができる…と息子も娘も大喜びだったが、されるがまま抱かれるがまま疲れきった、その猫を一回り大きくしたような子ライオンが不憫にさえ思えてしまった。動物の側に立って見てしまうと、純粋に楽しめないが、ともかく動物とたくさん触れ合えるという意味では、楽しい思い出ができる場所であった。
2004年08月23日
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夏休み中の息子と娘が、ウチに泊まりにきた。昼間あちこち出歩いて一緒になって遊び、夜十時ごろ寝かしつける。親子「川」の字で、ぼくが真ん中だ。娘はぼくの耳を触りながら眠り、息子はぼくの腕を取って眠る。うっかりそのまま眠ってしまいそうになるが、流し台に洗い物が残っていたり、片付けなければならないことがいくつもあるので、彼らが寝付いたら起き上がる。右側に息子の寝顔があり、左側に娘の寝顔がある。もう、幼児のようなあどけなさは卒業したが、この寝顔の可愛さはかわらない。ぼくは一人ずつ寝顔を覗き込み、頭をそっと撫でる。おかしな話だが、タダで見るのが申し訳ないような気がするのだ。そして最後は一緒に暮らせないことをその寝顔に謝ることになる。
2004年08月22日
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ジャスコ・ショッピングセンター内の大型書店で、手相占いイベントがあった。手相に関する本を買うと無料で手相をみてもらえるというものだ。千円程度の本を一冊買うだけで手相を見てもらえるなら・・・と、ぼくはまんまと罠にかかった。五人ほどいる占い師の一人のところへ係りの人に案内される。占い師としては悪くはない顔付きだと思った。何となくそれらしい。軽い挨拶のあと、彼はぼくの両手を取り、やおら目を閉じて念じるような素振りを見せた。ムムッ。そういうものか・・・と、ちょっと期待が高まる。(後から考えると、それがそもそも胡散臭いのだけど)全体運というものを見てもらったのだけど、まず彼が言うには、「まず手が大きい人は、面倒見がいいんです」と断言するようにぼくを見た。「はぁ・・・」「ちょっと神経質なところがありますね・・・」とさらにぼくの顔色をうかがうように続けた。「うーん、そうといえばそうだけど・・・」ぼくははやく本題に入って欲しかったのに、彼はぼくの性格についてあたり障りのないことを・・・つまり誰にでも当てはまりそうなことを言い並べていく。(自分の性格のことを言い当てて欲しいわけじゃなく、将来の何事かを教えて欲しいのだよ!)ぼくは少し苛立ってきたので、「仕事運はどうですか?」と訊いてみた。「そうですね、とくに大きな変化はないと思います。これでみると、趣味を何かしてらっしゃる?」「はぁ、まあ、してるといえばしてますが・・・」「まず小さな目標を立ててですね、それをクリアしていくことが大切だと思います」「・・・」(何言ってんだこいつは)と、モロに顔に出していたかもしれない。(誰でも言いそうなこと、言ってんじゃないよ!)ぼくは手相よりもこちらの顔色ばかり見ている占い師に失望して席をたった。そういうものか・・・当たり前だよな・・・自分でさえ将来のことは分からないのに、他人が言い当てられるわけないよな。ぼくはブツブツ呟きならジャスコをあとにした。
2004年08月16日
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白い雲がのっぺりと空を覆っている。灰色の雲ではない。一面真っ白の空だ。大型スーパーの屋上から、遥か鈴鹿山脈が羽を広げたように横たわっているのが望見できる。白い空の下、山脈の緑がよく映えている。いつもより空気が涼しいせいか、白い空が気持ちいい。
2004年08月15日
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元妻のところへ車で送り届けた別れ際、娘が、「大好きして!」とぼくを見上げた。ぼくはいつもそうするように、「大好き…」そういって、五歳の娘を抱きしめるのだ。千の言葉にも等しい抱擁。今だけなのも分かってる。あと何年こんなことができる・・・などとは数えない。父親の愛情をちゃんと伝えたいだけなのだ。
2004年08月14日
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空の色が濃くなってきた。九月の足音が聞こえてくるようで、炎暑の中にあっても少しホッとする。もうすぐ大好きな秋がやってくる。春夏秋冬。その中で秋が一番好きな人ってどれくらいいるのだろう。山が色づいてきたり、コスモスが風に揺れていたり、梨が美味しかったり・・・ぼくにとって「秋」は完璧だ。って、今から秋の話をしていても仕方ない。世間はお盆で民族大移動中だ。たいへんだな。道路の渋滞や、どこへ行っても人いきれがするだろうし、それが分かっていても何もせず家でジッとしている訳には行かない人々の哀感のようなものを、ニュース番組の画面から勝手に感じてしまう。
2004年08月11日
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一人暮らしも、もうすぐ5ヶ月。困るのは食事だ。つくるのは、まぁ、ヨシとして・・・。食材がうまく使い切れない。キャベツなんてひどいときは二週間も冷蔵庫に入っている。日々、表面の一部が色変わりしていくのを見ては焦っているが、食べきれない。無理して食べきろうとすると、青虫になったような気分になる。牛乳もいけない。スーパーでは1ℓパックと500mlパックが、ほとんど同じ値段で売られているのだ。だから一人じゃ多いけど1ℓの牛乳を買う。すると賞味期限がどんどん迫ってくる。しまいには、一日二日期限を過ぎた残りをコップに注いでグビグビ飲んだりする。伸び盛りの中学生じゃあるまいし・・・。たまごもあやうい。一パック買うと、やはり最後は期限が過ぎる。ちょっと危ないかな・・・と思いつつ、火を通せば大丈夫だろうとチャーハンなんかにして、どうにか消費している。もったいなくて、食べ物が捨てられない。するとそうやって苦労する。一人暮らしの他の方は、そんなときどうしているんだろう?
2004年08月10日
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毛染め液を購入したまま、一ヶ月ほど放置してある。気になりだした白髪を染めるために買ったのだが、染めてしまうのが惜しくなっている。理由は単純なこと。会うたびに子供が白髪を抜いてくれるのが、心地いいからだ。息子はピンセットを使って上手に抜いてくれるし、娘に至ってはピンセットでは抜きにくいからと、歯で白髪を噛んで抜いてくれる。「十本抜いたら、10円ね」と息子は張り切っている。そうやって二人に頭をまかせている時間がじつに心地いい。お猿さんのグルーミングに等しいかも。そういうわけで、思い切って購入したはずの毛染め液は、使われないまま洗面台の上に鎮座しているのだ。
2004年08月09日
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子供とキャンプをした帰り、元妻のところへ彼らを送り届けて家路につくと、行く手にそれは見事な稲光が夜空を明るくしていた。閃光が雲間を走ると、一瞬、夜空が昼間のそれのように明るくなる様子が、フロントガラスを通して見える。気味が悪いほど静かで、雷鳴は一切ない。だからだろうか。その稲光に向かって車を走らせている恐怖もあるが、同時にその閃光の中にスッポリ身体を包み込まれてみたい・・・という不思議な感覚も湧いている。睡眠不足かそれとも雨に打たれた体が冷えてしまったからか、体調は最悪で、運転しながら意識は朦朧としていた。ただ、別れ際に娘がいった、「事故して死んじゃったらダメだから、ウチに上がって休んでいって」という言葉が思い出されて、ハンドルを支える力になっていた。いくらなんでも別れた妻の家に上がりこむわけにはいかない。ぼくは、「大丈夫。また来週会おうね」そういって、息子と娘に手を振ったのだ。
2004年08月08日
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雨雲の大きな塊がぐんぐん西へ移動していた。巨大なバッファローの大群が空を横切っているような景観だ。青空が切れ切れに見える。息子と娘を迎えに行く車の窓から、そんな大きな空の動きを見ていると、小さなことでくよくよ悩むことはない、とわけもなく思った。明日は子供とキャンプだ。先週は海だったが、今度は山。夏休みの定番をとりあえずクリアしよう。
2004年08月05日
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離れて暮らす娘からファックスが届きました。5歳の描く絵ですからね、はたから見れば汚いわけです。でも父親ですから、一生懸命描いたと思われるドレスを着た自分とぼくの間にハートマークが4つ・・・そんな絵がとても嬉しいのです。彼女は元妻のところへ車で送っていくと、別れ際、必ず泣いてしまうのです。「お父さんとわかれたくない」そういって目を真っ赤にする娘に、ぼくは胸を痛めるのですが、どうすることもできません。非常に無力です。でもこの夏休みは毎週会えることになっているので、たくさん思い出がつくれると思います。
2004年08月03日
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誰かに必要とされたい・・・という思いは誰もが心の底に持っていますよね。そして、誰かに必要とされている喜びはかけがえのないもの。ぼくは離れて暮らす二人の子供から必要とされていることが生きる力の源になっています。他の誰でもない。交換不可能な関係です。彼らにとってはお父さんはぼくしかダメなわけです。ぼくにとっても他の子供じゃダメなんです。そういう交換不可能な関係は、やはりかけがえがない。現実社会にあっては交換可能な関係ばかりです。リストラの嵐はおさまってきたのかどうか分かりませんが、ある人がいなくなっても、そのかわりになる人がちゃんと見つかるわけです。ある会社がなくなっても、同じ業務を請け負う会社はいくらでもあるわけです。「どうしてもあの人と仕事がしたい」そういういい仕事をしている人もいるでしょうが、極論をいえば、その人がいなくなれば、「仕方ない」と、他の誰かに依頼することになるわけです。論点がちょっとズレているかもしれませんが、交換可能な関係で成り立っている世の中にあって、交換不可能な関係はそれ自体が幸せだと思います。
2004年08月02日
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実家に泊まりにきた姉が、今夜は「ゆうりんちゅうっていう中国のから揚げをつくる」から食べなさい、という。なんだか、ありがたい話だ。悠久なる中国四千年の歴史を感じさせる名前だ。毎日、食事のメニューに頭を悩ませている自分としては、中国でもチベットでも、この際、カンボジアでも何でも構わない・・・という心境だ。中国のから揚げ・・・いったいどんな味なんだろう。今晩が楽しみだ。
2004年08月01日
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全20件 (20件中 1-20件目)
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