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久しぶりに子供に会う。今夜、彼らを迎えに行くのが楽しみだ。父親らしいことができるのが嬉しい。3日間の食事のメニューを考えたり、絵本は図書館で借りてきた。部屋のそうじもすんでいる。埋め合わせてやることだけしかできないが、とにかく楽しく過ごそう。父親になろう。
2005年04月28日
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はじめて突きを習う。横面打ちのときもそうだったが、かわした後に後ろ足がビョーンと逃げてしまう。相手に対する角度が変わり過ぎてしまって、技がかけにくい態勢になる。注意されて、今度はかすらせるくらいの気持ちでかわすと、たしかに当て身は入れやすいし手首も取りやすい。有段者は短刀を使っている。「血を見せてやる」なんて明るく笑いながら稽古しているけれど、きっと慣れると同じ事なんだろうなと思う。襟と袖取りの復習では、身体に入っているものとそうでないものがハッキリあらわれる。自由にと言われて自然に出る技はいいが、あれやってみよう、と思ってると掴まれてからわずかに間ができてしまう。まだまだ未熟だ。
2005年04月27日
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昨日は列車事故があり、とても日記を書く気にはなれなかった。一瞬にして多くの命が失われる事故・災害には、ただただ胸を痛めているしかない。乗客には過失はない。幸せな毎日だったかもしれないし、前途に希望を持った若者もたくさんいただろう。わが子を失った親は・・・。想像を広げていくと胸が苦しくなる。しかし、他人事ではない。わが身もいつどこで人生の終わりを迎えるか知れない。不慮の事故、あるいは震災はいつやってくるかわからないのだ。ニューヨークの9・11や、阪神大震災のときもそう感じた。そのたびに「いつ終わっても悔いのない」生き方をしたい、と思った。今日も同じ思いだ。
2005年04月26日
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このところ合気道のことばかり考えている。気がつくと、歯を磨いてるときも洗面台の前で半身になってたり・・・。美しい女性のことばかり考えているなら、また違った意味で気持ちの張りもあるのだろうけれど、これはこれでいいか・・・。仕事中はもちろん習った技のことが頭の中を旋回している。身体が慣れてきて、3月から週二回に稽古を増やしたのだけれど、最近は足りない感じだ。仕事を休んで行こうかと、ちょっと頭をかすめたりしてるが、そこまでのめり込んではマズイかも。
2005年04月24日
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隣に住んでる母親が花壇に植えたチューリップが見事に咲きそろっている。中には花びらを全開にしちゃってるものもあって、普通のチューリップの形じゃなかったりする。でも花は綺麗だ。その傍でひっそりとネギが伸びている。それは去年、ぼくがスーパーで買ってきたネギを使い終わって、残った根っこを試しに花壇の端に植えたものだ。(おおっ、おまえも育ってるのか・・・)知らない間に背を伸ばしており、いつ食べてもOKという具合になっている。(そのうち食べてやるからな)咲き並ぶチューリップのはしっこで一緒になって真っ直ぐ伸びているネギに胸の中で語りかけたのだ。
2005年04月23日
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襟をつかまれたところから始める技を何ていうのか、忘れてしまったけれど、今日はその小手返しをやった。初めて習う技は何でも面白い。この技もブンブン相手を振り回して投げるのだが、受けをしていても面白い。でもちょっと手首が痛い。(イテテテテ・・・)口には出さないが、痛めた手をかばって、次はもう一方の手でつかみかかっていく。でもこの頃回復が早い。稽古しているうちに、あれほど痛かった手首がその痛みを忘れてしまったかのようにすぐ治るのだ。ちょっとは強くなってきたのか?ただの慣れか?「この技は1級くらいの人が練習するものだから、覚えなくてもいいですよ」と先生は言うが、せっかくなので何とかマスターする。技がきまりだすと面白い。乱取りは「袖取り」がテーマだった。次々につかみかかってくるので、咄嗟に出るのは4つくらいの技だけ。でも呼吸投げがズバリときまると気持ちいいのだ。
2005年04月22日
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最近、大塚愛の「大好きだよ。」という曲が頭の中を巡っている。ちょっとだけ古いけど。年甲斐もなく・・・。久々にメロディーだけじゃなく、歌詞まで耳に入ってくるシンガーにあたった。彼女の曲はどれもなかなかいい。人を好きになるっていいなぁ・・・と懐かしい気持ちになったりして。自分にはもうそういう場面は巡ってこないかもしれないけど、やっぱりそういう胸が締めつけられる感じはいいなぁ、とおもう。
2005年04月21日
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今日の稽古は、袖取りからの一教~三教まで。片手取りからのそれとは別の技に感じて面白い。とくに二教は「拝み取り」とか「腕折り?」などのバリエーションがあるのが楽しいが、袖取りからの「腕折り?」がスッと身体に入った感じがする。「手加減しないと本当に折っちゃいますから気をつけましょう」と先生が言うように、自分が加えている力以上に相手に効いているようなので、注意が必要だと思った。それにしてもこのところ準段審査の女性に合わせて稽古しているので、毎回知らない技を次々教えられてパニック気味なのだ。でも何とかついていくぞ!
2005年04月20日
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含み損をかかえていた株を今日、損切りした。脱力感。でもホッとする。粘って粘って、いつ上昇に転じてくれるかと期待して待っていたが、これだけ日経平均諸共落っこちていけば、踏ん張っているわけにはいかない。ジャンボ宝くじ120枚分。宝くじ買っときゃ良かった・・・とは後の祭り。日経平均が回復基調になるまで大人しくしていよう。それにしても含み損株は身体に悪い。やはり次からは無理せず、傷の浅いうちにスッパリ売り払おう。これも勉強。
2005年04月18日
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最近、合気道の本を図書館で見つけて借りてきた。合気道の真髄は「禅」につながっていくようだが、それを読んでいると、これまでずっと自分の中でモヤモヤしていたものが、スルスルと解けていく感じがある。「禅」とは無心になること。計算しない。損得勘定しない。自分を中心に考えない。悪い出来事は、自分の中の「邪」が招いた結果。それを身体の中に飲み込むようにして受けとめていくと、その「自分にとって悪い出来事」は歪を直すための修正だったことに気付く。神がいるなら神による強制的な力が働いたわけだし、神がいないなら自然の摂理による力が働いたわけだ。歪みを直されたときは衝撃を受けるが、そののち、「あのときあの出来事があったから今があるんだ」と過去の悪い出来事を好意的に受けとめることができるようになる。ということは後になって良かった事に変わっているわけだが、そこには自己の成長が伴っている。言い換えるなら、自己の成長がなければ悪い出来事は悪い出来事のままなのだ。・・・と自分が経てきた道、今歩いている道を照らされたような思いがある。
2005年04月17日
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桜の花びらの落下がはげしい。薄桃色に染まった歩道を自転車でビュンビュン走る。贅沢な気分だ。葉桜も綺麗だ。青々とした若葉が日光に輝いている。つくづく贅沢だとおもう。
2005年04月16日
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このところ立て続けに新しい技を教えていただいたので、いよいよ整理がつかなくなってきた。「他の道場では、こんな風に次から次に教えないと思いますが・・・」という副道場長の言葉だが、本当に五級でこんなに色々教えてもらっちゃっていいんだろうか?・・・なんて思う。今日は袖取りから入り身投げ2種類と、腕を絡めて上から相手の後方へ落とすもの・・・なんていう名前だろう?それから四方投げ・・・うーっ、あと二つが思い出せない~。何だか頭の中で稽古の映像がグルグル回ってるぅー。でも合気道は面白い、面白すぎーっ!興奮冷めやらぬままなのだ。
2005年04月15日
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今日の稽古は、袖取りからの内外転換、回転投げとすみ落とし、呼吸投げ・・・と名前が出てこないけど、クルリと自分が回って背中合わせになりながら最後にひじが十字に交差する投げ技(どなたかこの技の名前を教えてください)。初めての技を沢山教えてもらって興奮しているのだ。先生に呼吸投げをされたときは思わず、「おおっ!」と回転しながら声が出た。おもしろい!!すごい!!遊園地のアトラクションみたいに面白い。投げられていて「面白い!」と感じた技は初めてのような気がする。反対に自分が取りになっても「面白い!!」。呼吸が合う・・・ということはこういうことか!!・・・と子供のように喜んでいるのだ。今日は先生に投げ技をかけたときに「気が入ってますね」と言われて、思わず「あっ、今の入ってました?」と訊きかえしてしまった。うれしい。ようやくそれらしくなってきたのかも。
2005年04月13日
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最近、風水の方位学に関する本を読んだ。それによれば今年の自分の吉方は、東北と西らしい。それ以外はみな凶方位となる。転居はもちろん、三泊以上の旅行も控えた方がいいらしい。凶方位は気にしだしたらキリがないので、とくに吉方位を意識したい。偶然にも先々月は自宅から東北方面へ旅行した。プラスのエネルギーを得たかもしれない。ちなみに東南、東、西北が今年の凶方位である。自宅から上記の方位へは、できるだけ長距離の移動は避けた方がいいらしい。かつ生年月日によって、さらに二つの凶方位が導き出されるのだ。この方位学は自然界の動きによって計算されるもので、九星による占いなのだ。ぼくがこの本にひかれたのにはわけがある。もう何年も前から何故か神社・仏閣に心引かれていて、その歴史的背景にはあまり興味がないが、その敷地・空間に足を踏み入れたい思いが強かった。そして行けばかならずご神木に触ってはホッと息をついていたのだ。ちょっと訊けば変人扱いかもしれないけど。それが件の風水の本を読んで、スルスルと疑問が解けたのだ。それはつまり、神社・仏閣は建立の際、その地域で最も自然界のエネルギーが集まりやすい場所を選ばれており、そこに立つご神木は長い年月、地中や陽光からエネルギーを集めて生育しているということだ。それに手で触れる行為は、ご神木から自然界のエネルギーを分けてもらう意味合いを持つらしい。その著書の中で勧められている行いを、自分は「なんとなく」していたことになる。(ああ、そうか!)と、ちょっと納得したような思いがあった。だから、方位学に少しはまりそうな予感・・・?
2005年04月12日
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この時期、桜の存在感が街を圧倒する。普段、全くといっていいほど意識しない桜並木が、いっせいに薄桃色の花びらを開くと、もう目を逸らすこともできないくらい華やぐ。自転車で傍を通るとき、匂うはずもないのに見上げて深呼吸をしてしまう。もう一つの春の花、菜の花畑にいつか子供と行きたい。
2005年04月11日
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本日は春の日差しに誘われて洗濯をする。洗濯は農業に似たり。溜まった洗濯物を洗濯機に放り込み、スタートボタンを押し、洗剤を投入。小一時間して終了の合図が鳴れば、おもむろに洗濯物を取り出して、ひとつひとつしわを伸ばしながら干していく。そして夕方、天日を浴びてしっかり乾いた洗濯物を「収穫」する。お日様に感謝。今夜は子供たちが泊まりに来る。しかし明日の予報は雨だ。雨だろうが、子供に会えるのは、やはりありがたい。
2005年04月09日
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春風に吹かれて自転車をこぐ。道場までゆっくり走っても十分とかからない。今日の稽古は横面打ちからの一教から三教まで。しかし、われながらなっとらん!取りはともかく、受けができない・・・つまり横面打ちが上手くできない。打ちかかっていくときに、野球のピッチャーのようになってしまっているのだ。足が早い。しかも手と同じく足まで半円を描いて前へ出ている。これでは相手が迷惑だ。もう一度、相手の首めがけて、気合で手刀を振り下ろす。ズンッ!!と、跳ね返される。「そう!今のいいよ」よし。相手の首を切り落とすのだ・・・という気持ちで踏み込んでいく。今日はいつもとは違った収穫があったのだ。
2005年04月06日
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今日は洗濯がしたくなるくらいいい天気だ。・・・って発想が生活じみているけど。桜の芽が今にもはじけんばかりに膨らんでおり、並木が薄ボンヤリとピンクがかっている。(ああ、春だなぁ・・・)いいことなくても気分がいい。
2005年04月05日
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選抜高校野球大会は地元愛知の名電高校が優勝した。この試合、贔屓のチームが有利に試合を進めたので、いい気持ちで観ていたが、一方で対戦チームの劣勢にも思いが及ぶ。高校野球はプロと違って、一方的な試合になるケースが多い。どちらも一生懸命戦っている。だが力の強弱がハッキリしてしまうと、観ている方も辛い。打たれているピッチャーは、どこにどんな球を投げても打ち返されてしまう。ナインや監督がいくら励ましても、9人でマウンドに立つわけではない。敗色濃厚のチームの監督の心中は想像するだけでも辛い。どうすることもできまい。ときに人生も同様のときがある。そんな時、どうするか?とにかくがむしゃらに立ち向かう。あるいはヤケになる。途方に暮れる。逃げ出す。そういう「もう、どうしようもない」ときを、どんなに醜く過ごしても、その先の人生まで投げ出さなければ、意味深いものになるだろう。敗戦チームをひきいた監督、ピッチャーをはじめとするナインはまだ高校生だし、その悔しさをエネルギーにかえて欲しい。・・・と、一人で熱くなってしまうのもたまにはいい。
2005年04月04日
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子供を預かって、送り届けるとき、いつまでこの関係が続くのだろうと考える。息子や娘が自分の世界を持って、父親より友人を優先するようになるのは、もう数年先だろう。父親の役割を終えるわけではないが、自分以外の何ものかにたいする役割を今のうちから見つけたいと思う。今の仕事の中では見つからない。見つけようとしないからだ。自分を活かす場所。どこを探しても見つからないのかもしれない。また自分が望むなら、どこにでも役割はあるのかもしれない。子供を元妻にかえして、夜の道を川づたいに車を走らせていると、パチンコ店のネオンがぼうっと闇夜に浮かんでいた。それは不夜城のように明るく、川面にも同じ姿を映していた。その川面に映る不夜城を眺めながら、「自分を活かす場所」について考えが及んだのだった。
2005年04月02日
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