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土日で一年ぶりのスキー旅行へ。二日間とも晴天に恵まれて、本当に気持ちのいいスキーだった。山並みって美しい。長野県・2㏌1スキー場にて。姉が一泊で両親の面倒を見に来てくれたので安心して出かけられた。ありがたい。宿泊はエコーバレースキー場の麓にあるペンションに。友人と三人で美味しい食事を堪能して、充実した時間を過ごせた。今週末は息子と娘と三人で日帰りスキーの予定。これもまた楽しみ♪
2017年02月27日
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先週、走ってる電車に飛び乗った格好の第一稀元素化学工業を売却。4200円 → 4780円 × 100株そしてもう一つ、かけ込み乗車した共同ピーアールを昨日手放した。まさにストップ高へ向かう直前に指値約定した。無念。983円 → 1115円 × 200株これが売った直後に1312円へ。_| ̄|○出来高の少ない銘柄だったので、二枚しか買ってなかったが、それにしても悔しい。持合い相場が長く続くと、こうして資金の行き場を失った大人クジラが小型プール(銘柄)に飛び込んできて驚かされることがままある。自分の主力銘柄の大半はその小型株なので本当に助かる。その主力銘柄が毎日のように新値更新してくれているのがせめてもの救い。含み益が増大して利確したい衝動に駆られるがここは我慢。一方、とくに先週あたりから「冷やし玉」が目立つようになってきたので、指値でガッチリそれを受け取る作戦。今日も新たな銘柄が加わって持ち高が増大した。さて過日、木曾三川公園までウォーキングに出かけた。養老山脈が間近に見える気持ちのいい場所だ。すっかり春の陽気で、ヒートテックのアンダーシャツに長袖Tシャツを重ねたらたちまち汗をかいた。暖かいので、600メートルくらい走ってみたら、息も絶え絶えになった。マラソン大会に出られるのはいつのことやら。。。
2017年02月22日
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NYの連騰に対して日経平均はビミョーだ。しかし、個別株でみれば決算発表によって噴き上げる銘柄が続出している。今週は、「高所恐怖症」が発動。我がポートフォリオでは今年の初ストップ高銘柄だった田辺工業を昨日手放した。980円 → 1350円 × 900株さらに、棒上げ戸上電機を利確。498円 → 560円 × 1000株今日は逆行高で元気いっぱいのレーサムに別れを告げた。773円 → 910円 × 1700株先週木曜日の後場からやや強気シフトで持ち高を増やしたところだったので、少しでも軽くなるのは助かる。サヨナラした銘柄がその後もぐんぐん飛躍するパターンは多いが、手持ちの銘柄群にも期待の星が多いからヨシとする。大黒柱のムロはもう一段高を待ちたい。
2017年02月14日
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共通の友人を介して、ふいに同窓会の誘いが届いた。学生時代のサークルの後輩の女の子からだ。「女の子」と書いたが、あくまでも三十年前の記憶の中のことである。人の記憶は素晴らしいもので、そんな「古いファイル」をあっという間に脳裏に映像化できるのだ。思い出すだけで懐かしかった。やり取りしたメールには、参加予定のメンバーがざっと記載してあり、その中には当時少し付き合っていた子も含まれていた。ぁ、となる。かさぶたどころか、傷跡さえもう残っていない記憶だった。その彼女も含めて、あれから沢山の春秋を航海してきた末のみなの姿に興味が沸いて、二つ返事で参加を決めた。自分の老いた姿をさらす覚悟も決めた。みなそうだろうし、多少なりとも身なりをよくして出かけようと。昨夜、少し遅れて会場のバーへ到着すると、まさに中年の集団がそこに。一瞬、誰一人顔がわからず、内心焦る。わぁ、○○と当時のあだ名で迎え入れられ、着席して一人ひとりの顔をしげしげと見ていくと、だんだんわかってきたが、「あれ、誰?」と隣の席の主催者に名前を聞いていくと次々ハッと学生時代の姿と重なり始める。向こうが自分のことを分かってくれているのに、こちらが脳内で相手を必死に検索してる状態が本当に困った。やがて、時間とともにみな打ち解けて、不思議なほど盛り上がって、久しぶりに楽しい時間を過ごした。学生時代のようにスキーに行こうという話が盛り上がり、事によるとそれも実現しそうなムードだった。何十年ぶりなのに、たちまち気持ちを許せる時間を過ごせて、まるでタイムスリップしたようで、本当に人生は面白いなと思った。
2017年02月12日
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両親が暮らす家と自分が暮らす家は隣同士にあり、それが幸いした出来事が最近多い。たとえばパソコンに向かってる時、外でゴツ!と音がして胸騒ぎがして出てみると、母が倒れて天を仰いでいたのは昨年の事。数日前は、普段なら両親とも床に就いている午後10時頃に隣のダイニングに明かりがついており、これまた嫌な予感がして見に行くと母が床に倒れてぶつけた鼻から出血していたのを発見。またあるときは、奇跡じゃないかと思うくらいだが、隣家の一番奥の部屋でガタンと仕切り戸が外れて倒れた音が聞こえて、行ってみるとその外れた扉の下で母が倒れていたことがある。いずれも父が出かけていたり、眠っていたりして気付かない時で、自分が気づかなければどうなっていたのだろうと怖くなった。パーキンソン病の母がそのようによく転ぶようになったのはここ2年ほど。いずれ母の側で自分も寝起きしなければならない時がくるのだろう。睡眠不足になり、精神的にギリギリの生活が待っているのか。あるいは、本人の意思次第だが老人ホームに入ってもらうかの選択に迫られるだろう。いまは、両親の洗濯、掃除、食事と後片付けが日課で、母の着替えは父が主にやってくれているが任せきりというわけにもいかない。冬は足の指付近にアカギレができやすいので、ときどきスキンクリームを塗ってやり、本人の手に力が入らなくなったので爪切りも定期的に。食事はなんとか自分でできているが、よく食べこぼすようになった。これもいずれ自分が口に運んでやらなければならないか。ずっと独身で親の介護で人生の後半を過ごしてきた人をTV番組で観たが、自分のこれからと重ねて気持ちが重くなった。まだ「四六時中目が離せない」という状態ではないので、母の体調の良さそうなときは、自分も気晴らしに一日出かけられる。今日は公園をウォーキングしながら、幼子を連れた家族を見ては、(自分にもあんな幸せな時期があったな)と思いを馳せた。我が子の成長を見守るそのときが人生のピークなのかもしれない。子どもが大人になってくれば、次は親の介護が待っているのだ。息子や娘と滑り台で遊んでいた時期は、将来の親の介護なんて頭の片隅にも思い浮かばなかった。現実にそこに立ってみると、まず自分自身の気持ちの立たせ方から向き合わねばならない。希望の持ち方と言ったらいいのか。これまでの恩を返すのだ、と思っている。母の残りの人生を少しでも快適にしてやろうと。
2017年02月04日
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