2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全31件 (31件中 1-31件目)
1
←まじめ顔でも、べつだん悩んでいる訳ではない。 解釈するのは見てる人間の方。人って、期間限定もん。体って、借り物。なるべくいつも、心していることだ。ケータイが、こわれた。というか、勝手に身投げしたように見えても持ち主である私がこわした、というのが正確なんだろう。 消えました。メールが画像がカレンダーがメモが。幸い、電話帳は無事。あんなメール、こんなコトバ、思い出の画像。ショックだ。しかし。消えて無くなると思ってなかった、という訳ではない、と思う。どこかで「仮のもの」という気持ちがあったのかもしれない。これも、 なんじ、ここらでまた再生せよ、生まれ変われ、という啓示なんでしょう。はい、分かりました。 では、リ・クリアリングしましょう鹿野山で。 連休は、千葉の鹿野山で4日間のセミナー。今からワクワク、どきどきする。それは軽々しい表層的な気持ちではなく、深く深く地面から湧き上がるような・・・たくさんの人と出会い、たくさんの人生にかかわる。全ての人にとって、それぞれターニングポイントとなる日々。これから会うみんなにとって、重要な時となる4日間。私にとっても、大事な期間。みんなが、最上の笑顔になって、身軽になって、それぞれが最高のおみやげを持って帰る姿が、今から目に浮かぶ。新緑と、澄んだ空気、青い空とともに。。。 ***************後悔は、後でするもの。あなたの選択は間違っていたわけではない。あるいは、わたしがうまく説明できなかっただけ。
2006年04月30日
コメント(0)
←忘れた頃、サプライズのお祝いってのも とっても嬉しいものだ。何度でも幸せ!サービスについて、考える機会があった。社会が大きくなり、会社が大きくなり、そんな中で提供されるサービスというのは一見、便利そうだが、小回りが利かない気がする。万人に受けそうなものというのは、実は、誰にも合わない、あるいは少数に合うだけだったりするように思う。大きな組織の作った枠の中に、個人が、自分でサイズや形を合わせて入っていかないといけない・・・そんな気がした。これは、いいとか悪いとかではなくて。今の、たとえば大きな組織の「流れ」がそういう風なんだろうな。または、私がはみ出し者なのか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・出会いについて、考える機会があった。「出会い」といっても、いろいろあるものの・・・よく、「出会いが無い」という悩みや嘆きを聞く。 (かつては自分でも、時々うっかり発言してたりしたが)でも、出会うときは出会うのだ。ちゃんと。おそらく、「出会いが無い」と言ってる人は「出会ってるのに気づかない or 気づこうとしてない」か「本当に、本気で出会いたいと思ってない or 思おうとしてない」 または、「あまりにもそこだけに焦点を当てすぎて、エネルギーが自分に向いて、内でとどこおっている」のではないかと思う…。このところの私は、こんな人に出会いたいな、と思ったとたん、出会えてる。私にとって、すごく魅力的で、素敵で、輝いてる人たちだ。本当にありがたいことだと思う。さらに、そういう人たちとどういう風な時間を共有したいか?も、ほとんど的中だ。たのしく過ごしたいな~、とか、思いっきり笑いたいな~、バカ話したいな~とか、でもそうだし、真剣に語り合いたい!、元気になりたい!とかでも。ちゃんと望むと、そうなってる。すごいことだと思うと同時に、「それ以外は考えられない」とも感じる。当然のこと、というか。ということで、本当におもしろく楽しい事が身の回りで起こる日々。*******************あなたを通して、私は世界というものを知る。
2006年04月29日
コメント(2)
→サイズが違うとフェイクとは言わない。 しかし撮り方によって区別つかなくなると?スライドショーのような記憶の断片。 陽の光 白いまぶしいライト 煙のにおい ざわめき と どよめき 遠くでうがいをする音 紙のように乾いた生ハム 磨かれた銀食器もどき 作られた笑顔 眠気とだるさ張りつめた。光と闇。体験したことは、すべて私のresouceである。リソース。資源。現在の私と直接の接点は無くとも、私の一部であることに変わりはない。 何に活かすのか? 何の元になるのか? どうやって活かすのか? それを土台に、何を築くか? あるいは、思い出に浸るためにとっておくエピソード? どうやって、有効活用するか? **************あなたの行き先がどこであってもわたしにはかまわない。あなたが、行くところであれば。
2006年04月28日
コメント(0)
→出猩猩(でしょうじょう)は、春になって真っ赤。 つい、もみじは秋だと思ってしまうが、奴はいつもこのペース。 肉まん関西では、豚まん。 思い浮かべてみてください。白くて丸くて、見るからにふわふわして、上へと白い空気がたちのぼる様子を。手に持って二つに分けると、ほわ~と、いいにおい。中から、おいしそうな具が。 さて、このときもし。「白い空気」がホカホカの湯気じゃなくて、実は「冷気」で「いいにおい」が、実は「バニラの香り」「おいしそうな具」が、チョコか何かの甘~いものだったら? に、肉まんじゃなくて、白いスポンジに包まれたチョコアイス・・・?結構、びっくりするのでは。 見た目は肉まんなのに、中身は違っている。一見、それらしき湯気をだしているのに、実は冷気。熱々かと思ったら、キュンキュンに冷たい。肉かと思ったら、アイス。塩や醤油の味かと思いきや、甘~い砂糖とバニラ。 これは、食べ物なのでただの笑い話で終わる。でも、これがヒトで起こるとそうはいかない。。。 人間は日々、色んなことを考えたり、感じたり、言ったり、色んな活動を、している。 そして、何であれもこれもうまくいかないんだろう?という場合、たいてい、これらがずれていたり、バラバラだったり、別々だったり。時によってあれこれ違っていたり。こういうことはよくある。なのに、なかなか自分では気づけなかったりする。 (もし気づけていたら、うまくいく方向に進んでると思う)誰しも、「自分は肉まんだと信じて疑ってない」のに、実はアイスケーキだったりする。本当は、頬っぺたが落ちるくらいとってもおいしくて極上の高級品なのに、賞味期限切れで安売りの品だと思いこんでたりする。人って、結構、そんなもんだ。でも、それでいいんだろうか・・・? 考えてること、言ってること、やってること、感じていること。これらが一致していてこそ初めて、望みは実現する。逆に、叶った夢というのは、これらがピッタリ合っているからこそだろう。 このセミナーでは、この「ずれ」にも焦点を当てる。なかなか自分1人では気づけない、このずれ。本当に、自分が求める夢、こうなればいいと思う未来を、もっと近くに引き寄せ、時期を早めるには、こんなところから始めることもできるのだ。昨日、別名「人生を変えるセミナー」の準備をしていて思ったことが、以上。セミナーについて、詳しくはこちら ******************** あなたの言葉をそのままあなたにお返ししたい。あなたが表現しているのは、わたしのことではなくあなた自身のこと。
2006年04月27日
コメント(0)
→目玉のようだが実は、くちの役割。 スピーカーは耳ではなく、口なのだ。 何かに迷うとしたら。それを選択したら、何を後悔するのか? 何が得られ、あるいは、何を失うのか? あるいは、何が心配なのか?それを選択しなかったら、どうなるのか? 何が起こり、何が起こらないのか? 残念なのは何か?あえて、得られるとしたら何か? ・・・・・・・飛び込むもよし。飛び込まないもよし。自分をごまかさずに出した結論であれば、それを信じ、突き進めばよいだけだ。 ************世界をとらえる。 あなたは解剖して、分類して、識別の後、認識する。 わたしは、まるごとのみこむ。ばかみたいに。
2006年04月26日
コメント(0)
→こういう時は幸運の豚に助けてもらお! そういえば、なんとなく寝覚めが悪かった・・・。 家で、マリモより緑濃い、元・みかんと遭遇。よくぞここまで・・・おみごと! いい具合に脂の乗った牛肉 ~牛丼とか肉うどんに最適~があったので、甘辛煮に。おおお!うまそう、出来上がり、と思った矢先に。鍋ごと床にぶちまけて。おみごと! どうも気が晴れないので、わが家の中心(おそらく)で「あ゛ーーーー」と叫ぶ。(↑家族不在時)ストレスをぶちまけ! えせ狂人っぷり、おみごと! 頭が締め付けられる感じ(低気圧きてる?)が止まないので、気分を変えるためにチェロの練習。我を忘れて思いのたけをぶちまける。騒音、おみごと! 夜、相当に発酵した濁り酒を開けた父が、シャンパン?!ってくらい、卓上および壁に、ぶちまけた。お…おみごと! 夜の茶飲み友だち(なぞ?)に、ずーっと思っていたけど言葉にできなかったものをぶちまける。このタイミング、この状態になるまで待つことできて、お互い、おみごと! ≪今日の収穫≫キレイな床。←掃除せざるを得ず・・・。あまり掃除好きではない私、おみごと! しかし、濡れた床で見事すっころんだ私。お、おみごと。。。 今日って、ナンかあるんですかね?山手線、埼京線なども線路がおかしいらしいし・・・。 ************** 私が誰であるかは、あなたによって決まる。敵でも味方でも。仕事仲間でも、友だちでも。
2006年04月25日
コメント(2)
一つ手放すと、 それ以上のものが手に入る。それも最大級の。 ビッグな。感動的な。 空間としてのスペースを、 ちょっと空けると今までなかった新しい「場」が 出来上がる。それは、宇宙へとつながる。 心のスペースを、ちょっと空けると新鮮な空気といっしょに、新しいものが飛び込んでくる。そして、ワクワクする未知なる世界へと続く。 不思議なこと、ステキなこと、びっくりすること・・・予想もしていないことが起こり、信じられないような、スゴい結果が得られる。 (自然からの、宇宙からの、神様からの、世界からの)贈り物は、実はどこにでもいっぱいあって、見えていないだけ。気づいていないだけ。 ****************** あなたと私は、べつの人間。あなたにあるものが私に無く私にあるものがあなたには無い。 でも、あなたにもわたしにも同じくあるものは数え切れないほどたくさん。 ある、 と、 ない。どちらに目を向ける?あなたは。
2006年04月24日
コメント(0)
時々、「これって試されてるなー」、と思うことが起こる。たとえば、誕生日だった昨日。 仲間から贈られた「素敵なもの」を身に付けて、お出かけ。目的地に着いて、ふと見ると。なんと!それが無いーーーーっ!! うっひゃぁ~!!ヤバイ。こんなにあせったのは、ホントに久しぶりだ。 まっさきに浮かんだ言葉は、「顔向けできない」だった。ピッタリ合うものを考えてくれた想いは??相談したり、探したりしてくれた時間は?? それより何より、 私を大事に思ってくれるみんなの気持ちは・・・??きゃ~~!!ごめんなさいっっ!! でも実は、神様はちょっと私にいたずらしただけだったのだ。「それ」は、思わぬところに引っかかってて。ちょっとやそっとでは、気づかないようなところに・・・お守りであり、みんなの気持ちの象徴であり、私の誇り。「それ」が、ほんとうに大事なものだということにまた、気づかされた一件でした。 すべては、必要があるから起こる。 起こることはすべて必要なこと・・・。 *************** あなたの中の、わたし。 わたしの中の、あなた。 どれも、ニセモノ。 では、ホンモノって?
2006年04月23日
コメント(4)
私という人間は、「自分のもの」じゃない・・・今日は、強くそう思った。 自分の誕生日が「おめでたいこと」なのは、色々あっても or 無くても、何とかここまで生きてこれたのが実は、たくさんの愛情に恵まれ、今日までたくさんの人から力を借り、助けられ、偶然にも恵まれ、健康にも恵まれ、うまい具合に「生かされてきた」、ということだから。文字通り、「有り難い」ことなのだ。だから、勝手に、(色んな意味で)自分を傷つけたり無茶したり自暴自棄になったりヤケになったり、むやみに心配をかけたり、その元になるようなことをしたり。そんなことしてはいけないと強く思った。どんな状況でも、いかなる場合でも。不幸であっても、どん底にいても・・・。私は、自分だけのものではなく、もう、たくさんの仲間の心の中に生きてもいる。 期待にこたえるという意味ではなく。与えられた「生」を、ちゃんと、全うする義務があるのだと思った。テキトーでいい加減、に生きちゃダメだ。 私を大事に思ってくれる仲間たち。もし何かあったら予定を投げ打って話を聞いてくれ、場合によっては、そっと温かく見守ってくれ、元気ないときには本気で心配して手を貸してくれる人たち。 もちろんノリノリのときは応援してくれる。 まるで自分のことみたいに。いや、それ以上に。語る夢に耳を貸し、どんどん広げてくれる。勇気をくれる。現実に手を貸してくれる。たとえ、(望む・望まないにかかわらず)私がシワシワの婆さんになっても (そして必ずそうなる)体が不自由になっても (多かれ少なかれそうなる)、貧乏になろうとどんな暮らしをしていようと。 変わらず支え、その時いちばん必要なことを一緒に考え、サポートし、どんな私でもあっても一人の人間としてちゃんと扱ってくる。そういう仲間。 そんな人たちに囲まれて、ほんとうに幸せだと思う。そして、誕生日から誕生日まで生きてこれたのは「超・激混みの渋谷駅前スクランブル交差点」あるいは「大雨の後で怒涛のような激流の濁流」をダッシュで駆け抜けながら、無事に向こう岸にたどり着けた、というくらい、ほんとはスゴイこと。 たくさんの人から大事に想われている自分を、ていねいに大切に生きようと思いました。ほんとうにありがとう・・・ ****************今このとき、この同じ空の下にあなたがいて私がいて。生きてるだけで もうけもの。
2006年04月22日
コメント(14)
技術を教える/伝えるときに、いかに相手に合った方法で伝えるか?は、「教える側」にとって永遠の課題だ。実際にやってみせるだけでなく、分かりやすく言葉で説明する。その時、例えや置き換え、表現力がものを言う。イメージがわきやすくなるよう伝えたり。 すべては相手に合わせて柔軟に・・・。 私のチェロの先生は、いつも私が「分かる」ように説明してくださる。常にうまいこと表現してくれて、後から感心する。(その時は、必死なので) 今日のヒットはこれ。「ここは、しゃべるとき『そうなのね。だーけーどー 』じゃなく 『そうなのね、だけど』みたいに・・・」 なーるーほーどー! そして他には、「坂を球が転がってきて、そのままの勢いで平らなところを転げるように」なーるーほーどー! 別の箇所では、「ほら、バケツを持って回すときに自分が中心になって動かないでしょ?そういうふうに・・・」そーきたかぁー!! などなど。1回のレッスンだけでも、書いたらキリがないほど。 残念ながら、すぐその場でそのワザができるようになる訳ではないが、いったん納得できていると、後で思い出して練習できる。 そういえば、『NLPコーチングセミナー』は、相手の世界を瞬時に共有する、そして「ベストな状態を発揮」する(&手伝いをする)というものだが、ちょっと思い出してしまった。「その瞬間に合った、ベストな音の出し方」も引き出してもらっているし。う~ん。先生は、知らずにやってるのかな~ ****************** あなたにいつもある「中心」ぶれることなく、しっかり据わった軸。冷静な振る舞い。ゆっくりした物腰。しかしそこから感じるのは、いつも やさしい温かさ。
2006年04月21日
コメント(2)
毎年、元気にたっくさん咲くムスカリ。古代からあったらしい。さすが丈夫でしぶとい!こんなふうに生きたい!と思ってなにげなく載せてみた⇒ で、ちょっと花について検索してたら、まあ!なんと!私の誕生花(のうちの一つ)と判明。あーびっくりしたー。 そして、この下に続いて書いたのは毎月恒例ホームパーティのこと。(=毎月誕生会! で今月、私は主役の一人) 大勢からの「はっぴばーすで~」 嬉しかったです!気持ちが伝わってきました。ほんとうにありがとう・・・;;・・・・・・・・・・・・ 描けばそうなる。思いは通じる。願えば叶う。 にこにこして、楽しく過ごしたい。それを望んだので、そうなった。 気楽にのびのび楽しみたい。そうしたかったので、そうなった。 新しい発見と知的な刺激を求めたい。それがほしかったから、手に入った。 あの人&この人ともっとたくさん話したい。そう願っていたら、いっぱい話してた。 あの人・この人に、考えてることや自分の思いを伝えたい。そう思ってたら、伝わってた。 そして、またみんなで一緒の、時間と同じ空間で過ごしたい。今、それを願っている。そして、その時はちゃんと来るのを信じている。 だから、必ずそうなっているのだ。未来の、ある時、ある場所で。 ************ あなたは私の、ものの見方をバッサリ変えてくれる。たくさんの表現。新しい視点。思いもよらない方法。次から次へと。マジシャンのよう。
2006年04月20日
コメント(6)
この1ヶ月。何を感じ、何を考え、何を思い、何を得ただろう?1ヶ月もあれば、人は大きく変わる。1ヶ月。見たもの、聞いたもの、触ったもの、食べたもの。少しずつの積み重ねで、出来上がる1ヶ月。1ヶ月前に会った人たちと、1ヶ月ぶりに集う。1ヶ月という期間を切り取って考えるには、ちょうどいい。私はちゃんと、きちんと生きていただろうか?この1ヶ月。素晴らしい皆と、場を共有するに値する毎日を過ごして来ただろうか?前向きで向上心に満ち溢れた皆と、一緒にいるに値する人間でいられただろうか?たとえ飲み会だろうが宴会だろうがパーティだろうが。一つの動作、一語の言葉、かもし出す雰囲気。自分が発するすべてが、1ヶ月を語る。意図していなくても。勝手に出る。自分の信念に従い、自分の価値観を大事にし、自分自身を見つめる。自分を大事にすると同時に、相手も大事にする。自分ができうる限りを尽くして、相手と接する。全身全霊で、対面する。これが、できただろうか?この1ヶ月。たとえ飲み会だろうが宴会だろうが。すべて、にじみでるものだ。隠そうとしてもダメだ。無駄な抵抗。こう書くと、飲み会で小難しい話しかしない人?と思われるに違いない。が、そうじゃない。(よねえ?) 力むのではなく、眉間にしわを寄せてるのでもなく。自然体で、いい具合に脱力して。 バカな話も、ジョークも、やわらかい話も、大好きだ。ひっくるめて色んな話が好きだが、つまりはすべて自分から出ていて、自分を表現しているということだ。言葉の一つ一つ、発しているものすべて、の「責任のありか」は、自分。 そう思ったとたんに、人はすべて、すべての人は。クリエイターでありアーティストであり表現者であり、詩人、であることに気づく。 すごい!世界65億総クリエイター! **************** あなた と 私。あいだには、何が、ある?あるのは、なに?
2006年04月19日
コメント(0)
そう。ソースとケチャップ。うちでは、お好み焼きのタレは、これらを「適宜」混ぜる。母がそうしていたので、私もそんなもんだと思ってきた。 どうやって配合を決めるかというと、「ベロメーター」登場。つまりは、適当なのだ。作り手が「これだ!」と思う味、納得する様子になればよろしい。ケチャップが多いと甘めに。ソースが多いとシャバシャバ。(←粘りがないという意味) 人生、何事もバランスが大事。 (そう。お好み焼きのタレにおいても) それを決めるのは、自分。調整するのも、自分。最後は自分がものをいう、のだ~! そして、何事においても、「周り」も重要。お好み焼きにおいては。青のり、紅しょうが(細切り)、カツオ節。楽しい友達がいなくては!美しい知り合いがいなくては!深いつながりのセンパイがいなくては!このほかお好みで、面白いヤツ(マヨネーズ)とか・・・?そう。 周りで支えてくれるものあっての、自分なのです。たとえそれがお好み焼きであっても人生であっても・・・ ****************** 会いたいのは、あなた。あなたに、会いたい。あなたが会いたいのは私でないと分かっていても。
2006年04月18日
コメント(4)
ジローラモさん。雑誌やテレビで拝見するたびドキドキします。 で、読んでみたのは『ジローラモのイタリア式伊達男のなり方』。いいコトいっぱい書いてありました。すべての世の男性、に読んで欲しい!ヒント、として、ね。 (でもそのままを真似しちゃダメ! ジローさんも書いてるように)ほら、お金をかけなくたって⇒食材の菜の花が、咲いていたらテーブルに飾ってもいいし。 そして、女性のみなさん!注意書きとして読んで欲しい! 世の中には素敵な男性がいっぱいいるのでうっかり、ふらふらとついて行っちゃいけません!(または、ちゃんとうまく騙されてあげてください)この本は、つまるところ「勇気を持って、失敗を恐れず、すべてを楽しむ!」そして「自分らしくあれ」が鉄則で 、 「自分の生き方をどう表現するか?」ってこと。 ジローさんとデートしてるみたいで楽しい本でした。ちなみに、女性をくどくのって私にはとってもカンタンに思えますが?世の男性より、ツボは心得てると思うな。。。女性はみんなそうかな?・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 駅まで急ぐ道のりでとても美しい光景に出会った。それは、いちめんの桜の壁。 桜が散り、雨が降り、風が吹き、桜が舞い散る。そして、雨で色濃くなったコンクリートの壁に、花びらが平面で咲く。 自然の仕業。天然のマジック。 こんな素晴らしいことが、あるなんて!こんな素敵なことに気づくことができるなんて!ワンダフル! *************** あなたは一瞬も視線を逸らさない。疑いも、迷いも、恐れもなし。急に、どうしていいか分からなくなるわたし。あなたというサーチライトに照らされ行き場を失うわたし。
2006年04月17日
コメント(2)
ちょうど用事のある人と、バッタリ会った。めったに行かない(そしてマイナーな)とある場所で。なんとなく、ふらっと行った時間に。驚くというよりは、ああそうなのね、と。(あああ。もうこれは紛れもなく‘流れ’の中にいるね。)その人も、偶然を楽しむ人だから、会えたのだと思う。 そして、おもしろすぎる。逆立ちしようが念じようが、両者が信じていないとこういうことは起こらない。頑張ってもダメだ。力がいい具合に抜けてないとね。 ・・・・・・・・・・・・・・・・さて田島貴男。私にとっての田島貴男は、一言で表すとびっくりな人。そしてなんとなく、気になる人。 ちょっと前に、R25のインタヴィーで取り上げられてて記憶がよみがえった。(にしては、書くのが遅いですが・・・) その昔。初めて歌を聴いた時に、あれ?こんな歌い方ってOKなんだ…、と何だかびっくりした。なんとなく与太もん、というイメージ。絡んでくるというか、いい具合に投げやりというか。でも、嫌じゃない。ただ、気になる歌い方だ。 声も、びっくりだった。声音の中に、ずうっと一筋続いているものがあると思った。粘り、とも違って。ブルガリアン・ヴォイスに近い(というとまたちょっと違うのだが)ような微妙な響きが奥底にあるような。気になる声だ。 そして、初めて顔を拝見した時。濃すぎる・・・(キライじゃない。むしろ好き)ミュージシャンとして得をしているのか損してるのか、まったく分からないくらいに、もうこてこて。気になる顔だ。 最後に、ピチカートファイブにいたという事実。う~ん。そういう人なのか。 つまりは、何だか「微妙な人」なのだ。私にとって。とっても。そして、今度は「60年代ポップス、ロック」を全曲日本語詞で歌ったアルバムだそうだ。うう。そう来たか。 「いつも進化し続ける」というのが、とても尊敬するし羨ましくもあるのだろうな。きっと。私にとって。 それにしても、「私にとっての田島貴男」がどうであれ、皆さんには、かまやしませんね・・・。 **************** あなたは、宝物のようにていねいに会話を扱う。会話のこちら側にいる私も、大切なものになった気分。
2006年04月16日
コメント(2)
いつも魚を買うところで、カジキマグロの切り身は「めかじき」と「まかじき」があり。値段は1.5倍くらい開きがある。めか>まか。まかでも、脂が乗っていて「当たり」のこともあればめかで、はずれのこともある。素材は色々。特徴もそれぞれ。材料が限定されている場合、「いかにおいしく食べられるように料理するか?」が課題。たとえ上等ないい材料でも、料理で間違うと残念な結果に終わる。なので、そうならないためにちょっと工夫して、「まかじき」を最大限おいしくしたい。少し脂気の足りない「まか」には、 合わせ調味料で下味。 あるいは、お粉でお化粧して、旨みを閉じ込める。 野菜やスパイスの助けを借りる。とかね。味だけでなく、見た目にも工夫。 こんがり、きつね色に焼きあげる。 色とりどりの野菜で飾る。 ハーブ類を添える。 お皿に、模様を描く。 形も、スティック状に切ってみたり・・・。とか。「手持ちのものをいかに最大限うまく活用するか」というのは、料理でも人生でも同じ!ちなみに、今日のうちの「まか」さんといえば、 お粉でお化粧の上、 こんがりカリカリに焼き上げられ、 「4種のきのこと細切りピーマンの甘辛ソース」 を身にまとったのでした。 仕上げに、粒コショウをガリガリ挽いてかけ。ふっくら、べっぴん、じゅわっと、うまうま・・・*******************あなたがたふたりを見ていると私もハッピー。いつまでもそうしていてほしいと願う、私のためではなく、 この世のすべてのために。
2006年04月15日
コメント(2)
なんにつけ感謝、感謝、とか言ってたり書いてたりする人を‘なんじゃこいつ?’と思っていた。おかしいんじゃないの?と。その昔は。いや、ほんの少し前までも・・・。でもここ最近の私は、その、‘おかしい奴’だ。小さいことから大きなことまで、ありがたみを感じまくり、チャンスがあると「ありがとう」と言いまくり、「かんしゃ」と書きまくる。いいのだ。ひとつのことに、しがみついたりとらわれたりせずその時が来たら、ちょうどその時が来たのならば、あっさり、変ってもいい。真逆でも何でも、変えていい。自分に嘘をついてはいけない。自分を裏切ってはいけない。自分の中に矛盾をため込んではいけない。自分を生かすも殺すも、自分なのだ。あれ?ちょっと違うんじゃないの?という心の声を聞いたら。なんとなく、どっかに違和感があると感じたら。どこかを、何かを、調整する必要があるのかもしれない。一回ですぐに調整できないかもしれない。しばらく直らないかもしれない。でも、調整し続けないと、修繕に、莫大な時間・労力がかかるほどにまでいってしまう。しまいには、ほんとうに使いものにならない自分になってしまう。むしろほったらかしにするほうが、勇気ある行動と言えると思う。気づいたら、そのとき変える。これが決め手!*****************異性でない私も、惚れる。あなたに。卒倒するくらいチャーミングにほほえむから。瞬時に、誰にも渡したくないと思う利己的な私。
2006年04月14日
コメント(0)
ある本を読んだのだが、うっかり具合が悪くなりそうだった。(途中から用心して読んだので、心身ともにダメージはないのが不幸中の幸い)私にとっては、最悪の読後感。怪物とかオバケが出てくるのでもなく、スプラッターな描写でもなく、殺人事件とかでもない。怪奇現象でも超常現象でもない。暴力シーン炸裂、でもない。(愛読書?は「ファイト・クラブ」な私ですし)読む人の気分を逆なでするというか。。。底意地が悪くなるというか。。。足を引っ張るというか。。。腹たつっていうか。。。でも、興味があったので最後まで読んだ。では、何に興味があったか? ・・・それは、作者の意図、に。何でこんな本を書いたのだろう?何が伝えたかったのだろう?自分のため?(とりあえず体外へ出してしまいたかったとか?)何かへの警告?今の私には、真意は解かりかねるが。まあ、しかし。人っていろいろだなあ、としみじみ思う。違ってこそ、面白いのだ。*****************あなたに声は届かない。なぜなら、あなたは閉じているだけでなく悪いことには開いているように見せかけているから。そんなことしなくていいのに。閉じているなら、ただ、閉じているだけでいいのに。ひっそりと、今は、そこにとどまっていればいいのに。時が来るまで、そっと。ただ。私は決してこじ開けはしない。しかしひるまない。待つ。ただ、待つ。必ずその時は来るから。
2006年04月13日
コメント(0)
朝、起きて思いついたテーマで1日を過ごしてみる。 今日のテーマはカエルちゃん。 ・・・緑色のスカーフ+きみどり色のワンピース。 おまけに、ハンカチも緑!とかね。今日のテーマは「マトリックス」。 ・・・風を切って歩く。視野を195度くらいまで広げて。 思いきり胸を張って。 心意気は「何が来ても大丈夫!!」とかね。そんなことを考えていると、朝一番に口にするもの、洋服選び、顔の洗い方・・・普段ルーチンになっていることに、ほんのちょっとかもしれないけれど、違いがでたりする。同僚とのふとした会話とか、ランチの選び方とかにわずかな変化があったりする。そのビミョウな辺りをいかに楽しむか。・・・こういうのが好きなのは果たして私だけだろうか?ちなみに、上は私の例なのだけれど、カエルちゃんデーには「抹茶ラテ」を注文。「わ~い!飲み物までカエル色じゃ~ん!」とウキウキし、明るい気持ちになり、マトリックスデーには、たまたまちょっと驚くような出来事があったけど、おろおろせずに落ち着いて、まるごと包み込む気持ちで関わることができ。自分の中の新しい面、ちょっとご無沙汰な面が見られたりして。1日の仕事や色んな活動の本質は変わらないかもしれないけど素敵な「おまけ」が付いてきた!みたいな。楽しく、お得で、ラブリーな。密かなあそび心。で、明日のテーマは何だろう・・・・? *****************気持ちひとつで、そんなに変われると証明したあなた。スペシャル高嶺の花。誰にも手が届かない?いや、王子様はすぐそこに!
2006年04月12日
コメント(4)
それは、一瞬でその場から私の意識をさらった。 寒くも暑くもない、空気。 少しゆるく時間がゆがむ午後の時間。 外の世界と切り離された、静けさ。 脈々と受け継がれる、その細い糸の途中。 異空間にいた私。遠い記憶。掘り起こした犯人は、かそけき香り。細い細い煙を上げ、丈を短くしていくお香。*****************あなたの目に映る私は誰?私の目に映るあなたは、明日去る人。
2006年04月11日
コメント(0)
衝動的に、散歩と称して夜道へ出る。夜中、突然、甘夏みかんピールを作る。これらはある晩に、私の中の何かが、 細胞レベルの何かが?私に生きよ!、とメッセージを送ってくれた結果だ。どんなことがあっても、何が起きても、 根っこのところから?私に生きる力を与えてくれようとしている。私に、力強い何かを与えてくれる。難しい問題や悩みや心配事や煩わしいことやその他もろもろで、表面的にダメになってても、もっと奥深いところで、体は、生きようとしている。周りにいる人たちも、細かいことは何も知らなくても支えてくれる。この、存在を。人として。人間として。同じ生き物として。たった一瞬の、同時代を生きる同じ生命体として。*************どんどん素敵できれいになってゆくあなた。その笑みは、魅力の限界はないのだと知らせてくれる。ほんのちょっとでも、その素になれてたら嬉しい。
2006年04月10日
コメント(0)
(鉄腕)アトムの誕生日は4月7日。お釈迦様の前日。アトム、を思い起こすとちょっとさびしい気持ちになる。悲しい運命を背負った彼。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・遅まきながら『あなたの中の‘黄金の地図’が見つかる 生き方のコーチング』を読む。著者、ローラ・フォートガング。なるほど。今の私は、コーチングを紹介したり勧める本にはもうあまり興味がないが、これは面白かった。(今の私には)原題:Living your best life という通り、人生の指南書みたいな。 (個人的には、原題の方がずっと素敵だと思うが。 翻訳の出版は去年だから仕方ないか。。。)次から次へと納得することばかり。最近、他の本でも同じようなトピックスや項目に出会い、行き着くところやっぱりそうだよな。。。と。それにしても新刊書がいつも「今の自分」に合うとは限らないと実感。受け入れ態勢が整っていないと、何を読んでもダメだ。ふと出会った古典が、ギョーゲキとなることも多い。そもそも、新発見や新しいことというのは実は少なくて、言い換えや模倣だったりすることも多いと思う。何が書いてあるかも大事だが、何を読み取り、どれを選び取り、何を吸収し、何を学ぶか・・・?それにしても、もう1日が終わろうとしているなんて!!恐ろしすぎる。時間の経つのが早すぎる。数分でもう月曜ぢゃないさぁ~! ******************あなたは行き詰ったのではなく、新しい道、もっと多くの可能性が開けたということでは?
2006年04月09日
コメント(0)
その空間は、ちょっと気圧が違うのだろうか?少し耳がツーン、とする。無機質に並べられた管楽器。林立する弦楽器。数あつまると、圧巻だ。ぴかぴかに磨き上げられほこり一つ付いていない。そこには、作者が、歴史が、人の過去が、音が、思い出が、感動が、詰まっている。同じものはひとつもなく。似ているが、違うものたち。縁があって、そこにある楽器たち。楽器群。音を出してナンボ、なのにそこに音は無く。その場所の空気と湿度で、ひっそりとした息遣いしているのだろう。何を思い、何を感じ、何をとらえ?***************身動き取れない私。解凍のカギを握るのはあなた。
2006年04月08日
コメント(0)
もう数週間になろうか。何事も、まずは「知る」が大事と思い、頭の中にある言葉、思ったこと、五感を通して認識したこと。それらをなるべく意識にのぼらせるようにしてきた。いかにたくさんの言葉が巡っていることか!なんと多くの感覚を取り入れていることか!実に多くの思いが沸きおこっていることか!過去に思いを寄せては、現実をとらえ未来に馳せては、また目の前の世界に戻る。新しい考えが浮かび、それに沿って思考が移ろい何かによって中断されては、また戻る。あるいは、中断されたまま玉突き。なんと、忙しいことよ。頭の中は。これを一体、生産的というのか非生産というのか。誠に面白い。自分が考え、感じ、発言し、行動していること。(些細なものから意図的なものまで含め)意識にのぼらせてみると、それらのズレがいかに多く、いかに自分のエネルギーを無駄にしているかよく分かった。つまりは、必要なのは交通整理。脳力アップとか能力開発とか言う以前に、いろいろとすべきことはあるのだ。そして、それは自分がやらねば誰もやってくれない。しかも、気づいたところから変えればいいだけのこと。実に、簡単。私にだって、できる。********************私にはいっときの猶予も無い。今という時間は、本当にこの「今」しかないから。あなたは、どんな「今」にいるのだろう。
2006年04月07日
コメント(0)
今年もやってきました。発表会の曲選び.....。今回思うのは、少し技術が上がってくると、曲の選択範囲がかなり広がって、逆に決めるのに悩んでしまう…またこれも、新しい発見だった。さて曲を選ぶ最大のポイントについて考えてみた、ら、・その期間でどれくらい上達してそうか?(見込み)・その期間に、どれくらい練習時間がとれるか?(予測)このあたり、自分の見定めが物を言う。それから、できれば・舞台ばえする曲(地味すぎてもいけない)・聴いた印象>難易度がよい。(簡単そうに聴こえて、実は難しい曲は多い)反対に、避けたいのは・有名な曲、よく知られている曲(ピアノやヴァイオリンの練習曲など)ということで、「ブレヴァールのソナタ・ハ長調・アレグロ」に決定!といっても、だ~れも知らないでしょ?ふふふ。それがよいのです。美しい曲です。うっとりするような。ピアノとのかけあいも、浮き沈みというかお互いのからまりあいもあって。そろそろ、「正確さ」だけじゃなくて「聴かせる」ことも要求されてくるのでまたまた新境地。道は続くのだ!***************あなたは最高に研がれたナイフ。そのままでは、美しいだけの置物。指をただ押し当てても何も切れない。 だが、ひとたび ほんの少しでも 動くと 周りのものすべて 鮮やかに斬られ。
2006年04月06日
コメント(0)
穴を埋めようとすればするほど悲しくなり(だって、世界で唯一その人でしか埋められないから)代わりを探そうとすればするほど、落ち込む(だって、代わりになる人なんて誰一人いないから)意識が、そこに向かい気持ちが、そこへ注がれ続けている限りそれは、ずっと繰り返される。海へ深く潜って、暗い暗い奥へたどり着き、ゴトン!と海底へ着き、「その時」が来たら、(もう、この海底にいるのは、よそう。と思ったら)いつでも上がって来れるよ!太陽が赤々と照り、光はきらきらと輝き、さわやかな風がそよそよと吹く、海上へ。海の中も素敵!海底も、神秘的!水から顔を出すのも、気持ちいい!泳いだって、楽しい!ちょっとくたびれたら、砂浜でお昼寝。飽きたら、散歩。ビーチで好きな本を読むのもいい。 ハードボイルド? エッセイ? ロマンス? 読みたかったら、ケイザイガクだって、いい。さて、どうしたい?海の中に潜る長さは、自分が決めていい。陸に上がる時も、自分で決められる。性格も、過去も、関係ない。自分の中の、どうしたいか?が決める。で、どうしたい?****************私はチューナー。あなたの波長に合わせて。さて今日は、どんな周波数?
2006年04月05日
コメント(0)
風が吹き荒れる春。春の嵐。花の舞。目から涙。ごみが入ったからじゃない。悲しいわけでもない。なんで?もう、わたしは箸が転げておかしい年頃でも、すぐ、おセンチになるティーンでもない。なのに、なぜ?自分じゃ分からない涙の訳を、だれか教えてほしい。***************あなたの、矢のような質問が私を射抜く。的を得た、問い。的は、私の本質。あなたは涼しい顔。中心を失い、もろく崩れ落ちる私。
2006年04月04日
コメント(0)
前にここで書いた、穂村弘の『現実入門』ではないが、、、私もどっこいくらい、経験値がごくごく少ない。この時期になって、ふと思い出した。そういえば、入社とか入社式というものとこれまで無縁の人生だった。(もちろん入行?入団?とかも。)今も、「入った」というよりは、イメージとしては、「内側から作った」ので会社に入ったという訳でもない。自分に付随する、「会社に入ったこと」が無いという事実。いや、付随するのでなく 付随しない、なのか・・・?いずれにしても、入社式には、出ることはないだろう。おそらく、今後、一生。ずっと。**************好きな人できたの?とあなたは問う。言ってるでしょう?私は世界に、恋してるって。恋の相手は、 目の前のすべて。すべてが恋の対象。すべての恋は現在進行形。だから「あなた」は、あなたでもあり、「あなた」は、あなたではない。
2006年04月04日
コメント(0)
同じ日に、「学生時代」に関係する事柄がたてつづけに発生。・・・・・用事があって行った近くには、卒業して以来もしや初めてでは?と思うくらい久しぶりの中学校。校舎を見ても、懐かしくなかった。ぜんぜん。不思議なくらい。何でだろう?そして、同じ日に小沢健二の「LIFE」を聴く機会が。ざわざわする。胸が。楽しくて軽くて明るくてポップな90年代が詰まってる。このCDや曲をリアルタイムでそんなに聴いてたわけじゃない。ただ、TVやらCMやら街?、で耳にしていたのでほとんど全曲、知ってる曲。でも。なぜ、ざわつく?思い入れも、結びつく思い出も、無いのに。少しも懐かしいとも思わないし。どうしてだろう?過ぎ去った時間へのノスタルジーっていうのでもない。甘酸っぱい青春への回顧とかでもないし。「時代」に対して今さら意見もない。特に狂った時代とも思わない。90年代をリアルで知ってることに、何かを思ったりもしない。(そもそも知ってると言えるほどの体験もないが)個人的に、当時への後悔もない。未練もない。さすがに、当時からの(恋愛の)片想いを引きずってることもないし(笑)オザケンに対する熱いファンの気持ち、というのもないし(ごめんなさい)余談だが、同じ高校に通うも、彼を一目も見なかったのは残念だが・・・そんなことで、こうも胸がざわつくものでもあるまい。CDとは関係ないし。なぜなぜなぜ???ざわざわざわ。。。なんだろう。。。~「愛し愛されて生きるのさ」~ いつだって可笑しいほど 誰もが誰か愛し愛されて生きるのさ それだけがただ僕らを悩める時にも 未来の世界へ連れてく <小沢健二>********************別れぎわ、 じゃあ・・・の後、何も言えない私にあなたは言う。 じゃあ、また。いとも簡単に言ってのけた。私には言えなかった「また」の二文字を。あなたにとって意味はない「また」?私にはコワくて言えなかった「また」
2006年04月03日
コメント(0)
甘夏みかん約3キロをジャム(マーマレード?)にするべく、くつくつ煮ながら思う。現代の風潮からいうと、「甘」夏みかんというのは、サギにあたるのでは・・・?現代人は甘夏の甘さくらいでは、もはや甘いとは言わないだろう。今、一般に、「甘い」というのは、砂糖でギンギンに甘いのが、=甘い、になってしまったと思う。以前にくらべて、野菜も果物もめちゃくちゃ甘くなった。農産物の、糖度の平均はものすごく上がっているのではないだろうか?個人的に、非常に残念な流れだ。うっかり野菜料理で、例えば煮物などで砂糖やみりんを少し多めに入れてしまうと、おかずにしては甘すぎてしまって、困る。(品種を改良し、ニーズにあったものが選択されていくという意味で、農作物は人によって作られていると実感する)人は、選び、(そして実は、選ばれ、)あるものは残り、またあるものは消え去る。淘汰。自然の摂理なのでしょう。************あなたは驚いていたみたいだけど。あなたは、「女」ではない。(もちろん男でもないけど。いかなる意味においても)あなたは、「会社員」ではない。性別は?との問いに対する答えが「女」であり、職業は?との問いに対する答えが「会社員」なだけ。属性というのは、あとからついてくるにすぎない。あなたは、あなた。あなたは、あなた以外の、何者でもない。
2006年04月02日
コメント(0)
桜。さくら。サクラ。今の時期、ブログはこの話題でいっぱいだろう。好きな季節は?と問われると、春。好きな花は?と問われると、たくさんあるがあえて挙げるとサクラ。と、答えてきた私。そして、今でもそう答える。毎年、この季節になるとああ、生きててよかった・・・としみじみ思ってきた。何度も。サクラを見るたびに。いつも。ところが、今年は例年より感動が薄い。なぜだろう?と、自分に対して不信感がよぎった。 もはや、感性が衰えたか?! もはや、鈍感になったか?!いや、違う。サクラは、年に一度しか咲かないが来年になれば、ちゃんと咲く。ほぼ、間違いない。ところが、来年になって、私を取り巻く一連の、 こと、もの、人、環境、関係・・・、「それら」は、咲くかどうか?どころか存在するかどうかも、分からない。私は、「それら」を失うことを恐れているのではない。ものすごく紙一重のところで、奇跡的に私の周りに存在してくれていることに気づいているだけだ。「それら」はすべて、はかなく、もろく、繊細。たいていは、無形で、とらえどころがない。去年のサクラを愛でていた頃から今に至るまでに私は「それら」が、ほんとうに、既にたくさん周りにあることに気づいた。そして、「それら」を得るに値する(何も卑下する必要などない)存在、である自分が、ここにいる。決して傲慢な意味で、ではなく。生きているというよりは、すべてによって生かされている自分。私は「それら」が、この1年の間に、更に増えたことも知っている。自分にとって、ほんとうに大事なのは何なのか。本当に大切にしたいのは、何か。前には気づかなかった部類の小さいことまで、仲間入りした。 喜びに満ち、すばらしい「それら」。 今年しか、いや、一瞬しか存在しないかもしれない「それら」。今だけで、もう二度と咲かないかもしれない。希少で、はかなく、大事な。謙虚に、そっと手のひらに包み込み。どれもこれも、握り潰したり、壊したり、窒息させてはいけない。どれもこれも自分が所有している、との強欲、傲慢、身勝手は極力排除して。大切に、しかし失うことを恐れることなく一瞬を大事にして。すべてを愛する。後ろだけを見ているのではなくしっかりと前へ進む。自分には、それができると確信していて、深いところで強く、そうあるべきだと感じ、そうしたいと願い、それらを、遠い視点から知っている私。****************あなたの、ひた向きで揺るがない信念。まっすぐ未来を見据える瞳。まぶしくて、どうしていいか分からない。まるでX線。
2006年04月01日
コメント(2)
全31件 (31件中 1-31件目)
1


