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先日、びわ湖ホールの問題について書きましたが、その後、フォロー記事でasahi.comにこんな続き物が掲載されました。 〈公立音楽ホールどこへ:上〉「びわ湖の衝撃」オペラ襲う 〈公立音楽ホールどこへ:中〉共同制作・提携…苦境下の模索 〈公立音楽ホールどこへ:下〉巡演前提に企画し、効率化を それと相前後して顕在化したのが、大阪センチュリー交響楽団を巡る補助金カット問題。事実上、補助金が無くなれば、オーケストラの存続は立ち行かなくなると見られているとのこと。 産経ニュース:交響楽団存続へ、有栖川有栖さんら署名提出 大阪センチュリー交響楽団を応援する会 これに関連して、アリスさんが「アリスの音楽館」でこのような記事を書かれております。その他にも、多くのblogで取り上げられているようです。 http://moon.ap.teacup.com/alice2006/364.html 失礼ながら、結論で仰られている、センチュリー響に対する情報公開と寄付金集めの二つの要望、というのは、全く正論ですが、「オケを潰す理由など、いくらでも見つかる。そういうものを自分から見つけたがる、冷ややかな音楽愛好家を私は信用しない。」と言われてもねぇ..... そうした考え方こそが、潰れる背景にあると思うのですけどね。失礼だけれど、要望事項はともかく、一般の「音楽愛好家」なるものが上記のような発想で臨む限り、オーケストラの存続問題は同じように繰り返されると思いますし、結局どんな問題も解決する方には向かないと思います。 例によって、私の結論は変わりません。 そりゃ支持する人たちは、それが立派なものだ、大事なものだ、と思っているから反対するのであって、それは道理なのです。 その「常識」をとっ外して、オーケストラ、要りますか?と考えることが、重要だろうと思います。 一つ指摘しておくべきなのは、これが新しく就任した新府知事の「政策」の一環として打ち出されていること。つまり、政権としての「やることをやっていますよ」というアピールとして利用されているということです。その面ではスタンドプレーでしょう。が、しかし、その一方で考えなければならないのは、それが「利用価値がある」と看做されるということ。つまり、それが必ずしも社会一般に不当な訴えにはならない、ということです。 似たような事例が、数年前から都響を巡って繰り広げられています。こちらも補助金はカットされてますが、なんとか存続はしている(なんて失礼なもんではなく、デ・プリースト指揮下でそこそこのレベルまでは改善されたし、今週はインバルを迎えて「千人の交響曲」やってます。......買えなかったけど)わけです。ただ、あの時も、署名運動をして、チャリティーコンサートはやったりしたけど、大々的に個人からの寄付金が増えたわけではない。 確かに、センチュリー響は、それなりに社会貢献活動をやってはいるようです。しかし、厳しい言い方をすれば、その種の活動、新日や東フィルといった都内のオーケストラなら大なり小なりやっています。問題は、それに対しどの程度必要性を感じて貰えるか、ああ、それなら補助金を出して存続させよう、と納得して貰えるか、だと思います。金額の多寡ではなく、必要性とそれに対する対価として見合うか、ということです。 この問題は、実は、今まさに問題になっているガソリン税を巡る道路特定財源と同根なのです。あれは勿論、利権を確保したい道路行政と道路関連産業の問題ではあるのですが、それをすり替える時、「この道路は必要だからだ」という論法が使われる。問題なのは、「この道路が必要かどうか、誰が決めるのか」「どうしてこの道路は必要なのか」「どのくらいこの道路が必要で、それに見合う投下可能なコストはどのくらいか」ということの筈なのに、そこが議論未成熟なまま決まってしまっている。だから、極めて不透明に見える。 だから、何故必要なのか分からない道路が造られ、分不相応と思える規格で造られ、かつコストは管理されているかどうかも怪しい、となる。 知らない人から見れば、同じ構図に見えるのではないでしょうか。 なんでオーケストラが必要なのか(「何をやっているの?」「それってやらなきゃいけないことなの?」「他にオーケストラがあるんでしょ?」)、何故これだけのコストが必要なのか(「補助金が何故そんなに必要なの?」「経費かかり過ぎじゃないの?」)。 びわ湖ホールを巡る問題は、それが端的に表れた例です。こちらの方がより切実かも知れません。県外からのお客が、自分たちの税金を使ってオペラを観る。自分達にはなんのメリットも感じられない。「音楽愛好家」はそうした思いを抱く人達からすれば、文字通りの税金泥棒と感じられるかもしれない。文化だぁ?ふざけるな!税金払ってる自分達に何の関係もないものをやっておいて、勝手に県外から押し寄せて、何が文化だ!自分達の金でやれ!皮肉でもなんでもなく、至極真っ当な正論だと思いますし、そうした考え方が非文化的とも言えないと思います。 以前も書きましたが、文化とは社会と繋がっていることでしか本来は意味が無いものです。社会の裏付けを持たない根無し草の文化はサブカルチャーに過ぎない。否、むしろ、「文化ごっこ」と呼ぶべきかも知れません。 例えば、びわ湖ホールの例で言えば、出演者皆無償で、かつ、通常公演のお客から強制的に何千円か取り立てて、地元の、例えば年金生活者などに、無償で観る機会を定期的に提供する。そのくらいのことをしてもいいのではないでしょうか? センチュリー響で言えば、4億払って府民は何を得られるのか、何故その4億が必要か、根気よく説明するしかないでしょう。純粋な感情論では何も解決出来ない。音楽がエモーショナルなものであるということと、音楽を維持していくために必要なことを考えることとは、地続きではあるけれど、あくまで別の話です。 これを「音楽愛好家」側でどのような方向に持っていくべきか、正直結論は出ないのですが、署名した9万人以上の方々(今はそこまでいっているそうです)は、自分達が署名したことの「責任」(いわば道義的責任)を持って貰いたいと思います。この数の人達が一人年間5千円出せば、この問題は解決するのですから。その5千円が出ない、ということを考えて貰いたい。 ま、難しいと思いますけどね。音楽愛好家って、所詮は消費者だから。提供されるものを如何にコストパフォーマンス高く選んで消費するか、ということにしか興味が無いから。それに、その9万人が皆定期演奏会の会員だったら、状況は随分違うんじゃないでしょうか?でも、実態はそうではないですよね。 こないだ、ある人が「自分は音楽の社会問題的な面に興味無いから....」てなことを言われていたのですが、そうした態度で臨む人が大半なんでしょうね。 余談ですが、今回ラ・フォル・ジュルネのボランティアに応募したのは、どうやら数百人程度のようです。連休中の2日間、半日を2回やる。たったそれだけのことをやろうかと思う人がそれしかいない。勿論、極めて順調に進んで来ているように思われる音楽祭で、動員数100万人を超えるというのに、それしかボランティアなんて集まらない。 自分でも、これで某かの答えに到達するとは思っていないけど、こういう風にでも試しに何かやってみないと、結局何も分からないだろうな、というのが、こんな面倒なことをやってみた理由です。 音楽そのものも含めて、もう少し、社会と音楽と自分の関わりを考えて貰いたいと思うんですけどね。
2008年04月30日
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で、行ってきましたですよ。 このところ喉をやられていて、不調なんですけどね。なので、今日も終わったらさっさと帰ってきてしまいました。ま、是非行きたいコンサートとか、そういうのなかったから別にいいんだけど。 今回のボランティア(しかし、綴りは volunteer の筈なのに、どうしてボ始まりなんだろ)、総数では80人足らずだそうです。結構少なかったな。 んでもって、女性が圧倒的に多い。まぁ、男性は2~3割くらい?接客業務が主、というのも、なんとなくわかるような気がします。てか、よく採用されたな、自分(苦笑) 正直言うと、「なかなか大変そうだな」という感想です。 業務としては、ある会場の接客スタッフを任される訳ですが、やっぱり、事前にすべて決めておく訳にはいかないんですよね。だから、その場での判断に委ねられる部分も少なくないようだし。まぁ、お客の立場からすれば、甘いって部分もあるのかも知れませんが、良くも悪くもそれが「ラ・フォル・ジュルネ」ということなのかも知れません。もうちょっと、肩の力を抜いて、ってことでいいのかも。 さぁ、明後日には有料公演も開始です。
2008年04月30日
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長期休暇に入ったのですが、コンサートに行く予定がありません(笑) いえね、行きたいコンサートが無くはないのだけど、売り切れだったりするんですねこれが。 今日のデジレ・ランカトーレとか、休めるのがはっきりした時にはもう完売状態......当日券が残ってるかどうかも判らないし。都響のインバル指揮の一連のコンサートも売り切れだったり、他の予定と重なっていたり。 他は、めぼしい公演は正直無いんですよね。わざわざ「行こうか」とまでは思わないし...... GW中は、やはり低調なのかな? 他のイベントもイマイチだし......... こんなことなら短期で旅行にでも行っておけば良かった.....とは、仕事の関係上いかないし。 てなわけで、5月の声を聞くまでは、コンサートはお預けになりそうです。ラ・フォル・ジュルネに備えて、鋭気を養っておくとしようかな(苦笑)
2008年04月26日
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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2008の、無料公演のスケジュールがある程度発表されました。(全体スケジュールへのリンクはこちら) 地下の展示ホールの予定ですが、毎年それほど聞いてはいないんですよね。でも、今年は、トラウトナイトと称する大人向けのプログラムがあり。5日には、小曽根真がワークショップを行うそうです。といっても、一体どんなことやるのか、とかは不明........ これは行こうかな。行きたいな。
2008年04月23日
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東京文化会館 15:00~ 4階左翼 タチヤーナ:イリーナ・マタエワ オリガ:エレーナ・カッシアン レンスキー:マリウス・ブレンチウ オネーギン:ダリボール・イェニス グレーミン公:シュテファン・コツァン トリケ:ヘルムート・ヴィルトハーバー 東京のオペラの森管弦楽団/合唱団 指揮:小澤征爾 演出:ファルク・リヒター その3幕はないだろう小澤さんよ、という...........やっぱり、詰めが甘いんだよなぁ。 小澤征爾と東京のオペラの森管の弱みが出てしまった、といったところでしょうか。 音色としては、決して悪くはなかったと思います。よく「寄せ集め」と言われますが、寄せ集めなりに音色はそれなりに結果を出すのがこのイベントでのオケの特徴。よく揃っていたとは言えないけれど、オーケストラの音としてはそれほど悪くはなかった。ただ、全体に、音が大振りで、繊細さが今一つ。どうも誤解されているのでは、と思うのだけど、このオペラ、正確には「歌劇」ではなく、「抒情的情景」とされていた筈。チャイコフスキーだし、ついつい豪華にやりたくなってしまうのだろうけど、本来このオペラはより繊細に演奏される方がいいのでは、と思います。 それをオーケストラに求める点に落とし込むと、よりタイトな響きを求める、というところに行くと思います。「合わせる」というのとは違う。ただ、どのように響かせるか、きちんと計算してやって欲しいのです。無闇に音を出してはいけないと思うのだけど、今日は、「よく鳴っていた」という演奏。ヴァイオリンは未確認だけれど、ヴィオラ9、チェロ6、コントラバス4という割には大きい音が出ていて、その分の余力を違う方に.....と思わなくもなかった。 なので、表現力にはやはり限界があって、例えば2幕冒頭の「ワルツ」は、よく練れたオケがやると、もっと田舎臭さを漂わせて演奏するのだけど、そこまでは出来ていなかった。 それが更に悪い方に出たのが、3幕。まず、冒頭のポロネーズ。これは、2幕のワルツと呼応していて、田舎での誕生祝いという、なんとも野暮ったいパーティーで展開されるのが、西欧趣味であるワルツであり、トリケのフランス語の歌なのに対し、都会である首都ザンクト・ペテルスブルクでの舞踏会で奏されるのが、「ロシア」の音楽であるポロネーズ(ポーランドはロシアのもの!)。そのワルツの野暮ったさに対し、金属的とも言える洗練を見せるポロネーズ、という対比が、この演奏では生きて来なかった。何より、ポロネーズの後半が崩れてしまった。 そのオケの乱れが3幕前半に見られてしまって、やはり詰めが甘いと言わざるを得なかったですね。 元々小澤征爾は敏腕・辣腕という指揮者ではないと思います。オーケストラを使って音楽を積み上げることは長けていると思うけれど、細かい点で詰めが甘い部分がある。ウィーンなんかでは、詰めが甘い分はオケが適当に補ってくれるのだと思います。ボストン響は、長期でやっているからそれなりに鍛えて来ただろうけれど、今回のような形では、詰めの甘さが出てしまい、オケの地力でカバー出来ない点が出てしまった、ということがどうしてもあるのではないかと思います。 結果、3幕は、聞こえるべきところが聞こえて来なかったり、テンポが崩れてしまったり、大詰めも綺麗に決め切れなかった。こういうところをきちんと詰め切らなきゃダメですよね。 ただ、例えば昨日のアイーダでの都響に比べれば、音色の良さなどではレベルが違うという所でして。演奏するのが精一杯で、ぼろを出さないように死にものぐるいで合わせてる、というのと比べちゃいけないかな、と。 歌唱陣は、そうねぇ、まぁ、こんなもんかな、と。皆それなりに力はあります。ただ、もう一押しが感じられない。皆概ね安定してはいたけれど、レンスキー、タチヤーナ、オネーギン、いいんだけど、もう一押しが欲しいなぁ、と。ロシア語の発音も、なんとなく「あれ?」と感じる部分があって、勿論こちらもわかる由もないのだけど、ただ、それが微妙に響きに関連していて。 グレーミン公役のコツァンが、まぁ頭半分抜き出ていた、というくらいかな(それは抜き出てるとは言わないか.......)。レンスキーのアリアは、良かったけれど、その良さが「ああ、いいねぇ」の先に行くほどのものではなかったかな。それが残念。 ただまぁ、オネーギンは好きなオペラだし、聞けば楽しいし、という意味で、金返せとまでは思わなかったな。ちと高い(C席 23K円)とは思うけど。冷静に考えれば、このレベルに対してはちと高過ぎ、かな。 演出。 舞台をほぼ現代に置き換えた演出。ただ、ストーリーそのものには非常に忠実で、つまらない深読みはしていない、いわゆる「現代演出」。それをどう捉えるかはそれぞれでしょうが、正直私はこういうタイプの演出には評価は甘いのだと思うので、なんとも。 第1幕で、10組ほどのカップルを後ろで抱き合わさせておいて、幕切れ、オネーギンがタチヤーナを暖かく=残酷に切る場面で離れさせるという演出、或いは、第2幕の決闘の場でのレンスキーとオネーギンの動きなど、結構踏み込んだ心理描写をさせていて、これは評価の分かれる所でしょう。わかりやすいと言えばわかりやすいけれど、見ようによってはくどいだけだし。 第3幕の舞踏会での描写も、わかりやすいと言えばわかりやすいけれど、ちょっとどうかなぁ。 ほぼ全幕を通じて雪を舞台奥で降らせているのだけれど、これは第1幕に関しては逸脱ですね。その程度はまぁいいとしても、この雪の演出、評価が難しい。つまり、くどくどしいとも言えるのです。特に、この種の雪、うっかりすると日本では歌謡ショーで演歌歌手が歌う舞台作りに見えて来て、というどうしようもない効果もあるし。 練りが甘いのか、練って磨いて磨き過ぎちゃった、という感じかなぁ。 酷評も可能な舞台だったと思います。個人的には全体として悪い気はしないけれど、酷な言い方をすれば、別に観なくても後悔はしなかったかな、という感じでしょうか。去年のタンホイザーの方が、いろんな意味で良かったんではないかなぁ。問題も多かったけれど、少なくとも、観た者として、覚えているし、という意味で、去年の方が上になるのかも。 小澤はウィーンを退くし、その内、このイベント自体の存在意義が問われる局面になると思います。その時、どうするのかなぁ。ちょっと考えてしまいました。
2008年04月20日
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オーチャードホール 15:00~ 2階中央 ラダメス:ヤン・ヴァチック アイーダ:キャサリン・ネーグルスタッド アムネリス:イルディコ・セーニ アモナスロ:ヤチェック・シュトラウホ 東京オペラシンガーズ、栗友会合唱団 東京都交響楽団 指揮:ウォルフガング・ボージッチ 演出:ペーター・コンヴィチュニー まぁそうじゃねーかなーと思ってはいたけれど、やっぱり金返せ、だったなぁ..... 所用で遅れたので、結局、1・2幕は見られませんでしたが、話には聞いているし、後半見れば大体分かってしまう。 以前、シュトゥットガルト歌劇場が魔笛を持って来た時、某所で「コンヴィチュニーの演出は、オペラそのものを批判しながら、そのオペラを皆良く知っていることを前提にして行われる、批判対象に依存している内容だ」として、「演出の内容自体もそうだが、それ以上に存在意義として、コンヴィチュニー演出はドイツという環境下でしか有効でないもので、それを日本でやること自体が奇妙だ」というようなことを書いた覚えがあります。 基本的には、このスタンスはやっぱり変わりません。 今回のアイーダにしてもそうなのだけれど、コンヴィチュニーの演出は何処まで行っても「そのようにする必然性」が感じられないのです。読み込まれる内容が陳腐と言うのもあるのだけれど、それをアイーダでやる必然性が無いのです。反戦演出を言うならば、行儀良く都合の悪いものに蓋ということで既に殆ど無かったことにされかかっている、宮本亜門演出の「ドン・ジョヴァンニ」(二期会にとっては今や忘れたいことでしょうが)の方が遥かに内容・質・メッセージ性、どれをとっても段違い。 ラダメスが厭世的になった理由を求めるのもいいし、4幕2場のラダメス・アイーダ・アムネリスの絡みを半ば抽象的に見せるのも、アイディアとしては悪くないけれど、説得力がいまいち。何より、新しくないのです。 つまり、やっぱりこれは「アイーダを知っている人」が見て初めて理解可能な演出なのです。 宮本亜門やピーター・セラーズあたりの演出も、そういう所はあるにはあるけれど、それ以上に中身が強烈なのでね、あの二人は。宮本亜門なんて、「あんなアメリカ礼賛演出なんて」という信じ難い誤読をやってのけた人達が続出(今度のプログラムにも寄稿してる某ジャーナリストを筆頭に)して、日本のオペラファンのリテラシーが、土曜サスペンス劇場の愛好者以下であることを暴露させるというおまけ付きの演出だったけど、それだけのインパクトのある舞台ではあったわけで。 で、コンヴィチュニーに限らず、いわゆるMusiktheatreと呼ばれる演出が受け入れられるのは、実のところ、ドイツだからなのでして。つまり、元々オペラというものが、その社会に存していて、しかもそれが自分達の社会の構成部品の一つとして認知されている以上、某か維持して行かなければならない、というコンセンサスがある中で、オペラを「現代に生きるもの」として成立させる為に、あの種の演出の試行錯誤があるのだと考えるべきなのでして。 ありゃ、一種の病理現象だと思っていいのです。いいも悪いも無く、それがドイツのオペラの置かれる環境なのだと。 それを日本でやることが、そもそも場違いなのだということ。沖縄で防寒具着込んで歩くようなもんです。そのくらい、生理的に変だと気付いていいと思うのです。それも、来日引っ越し公演並みのお金取って。私はコンヴィチュニー嫌いだから、批判したいから、観に行っちゃうけど、今度は二期会がオネーギンで起用するでしょう?もーえーっちゅうの。日本人は予習が大好きだから、今日観ていた人達もまず9割は「アイーダは知ってます」ということだろうけど、実際の舞台で何度もアイーダを観て、食傷気味の人にとってこの演出は意味があるけれど、そうでない人には如何なものか。 今回の演出は、その意味では、観客の知識への依存度は低かったとは思うけれど、この程度のメッセージなら、わざわざ5桁の金払って、ヘボイ歌手が歌うのを聞くまでもないだろうと思いますけどね。このくらいの感動話なら、TVドラマやレンタルDVDでなんぼでも観られるぞ。 それにしても、歌手はへぼかった。アリアが歌え切れないアイーダとはまた如何なものか。ただ、ラダメスにせよ、アムネリスにせよ、アモナスロにせよ、いいとはちっとも思えないのだけど、歌い切ることに関しては訓練が行き届いているようで、そういう意味で、大破綻は無かった。でも、くどいようだけど5桁払って聞く声じゃありません。ドイツの2流の劇場の座付き歌手レベル、でしょうね。それこそシュトゥットガルトとかね。ちなみに、シュトゥットガルトはOPERNWELTとかで年間最優秀みたいに評されてるけれど、あくまで「ドイツの」雑誌ですからね。それに、基本的に評価されてるのは、舞台としての総合評価だし。オペラ観るなら、やっぱりバイエルンとかの方が面白いですよ。保守的であっても。ドイツ人が、ドイツ人自身の文化のあり方を問題にしている時に、感覚的に理解出来ないのに、共感した振りしてもしょうがないですから。 都響は、まぁ、昔の都響と比べたら随分ましになりました。でも、デプリースト退いちゃうし、これからどうなるんだろ?
2008年04月19日
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ラ・フォル・ジュルネ、いよいよ開催まで残す所あと2週間となりました。 色々とイベント関係も含めて聞こえて来てますね............. ぴあからは、Weeklyぴあ別冊として、「ラ・フォル・ジュルネ "熱狂の日" 音楽祭 2008 シューベルトとウィーン 公式ガイドブック」が発売されました。既に書店等でご覧の方も少なくないのでは。 5月1日には、国際フォーラムの地上広場で、18時から前夜祭としてプレ・ナイトのイベントが予定。本公演でも出場予定のレネゲイズ・スティール・バンド・オーケストラが出演予定だそうです。 また、5月5日には、NHK-FMで、「今日は一日『ラ・フォル・ジュルネ』三昧~熱狂の日音楽祭~」と題して、13:00から22:45まで、途中合間を挟みながら、ラ・フォル・ジュルネのホールCの公演を生中継するそうです。この日のホールCは、コルボ指揮ローザンヌ声楽アンサンブルによるロッシーニの「小荘厳ミサ」、ツァハリス指揮ローザンヌ室内管のコンサート、バーバラ・ヘンドリックスのリサイタル、「ロザムンデ」全曲、シューベルトのミサ第5番など、なかなかの演目が目白押し。自分が買った公演もあるな...... というわけで、会場まで行けなくても楽しめるようですね。 ところで、以前書いていたボランティアですが、明日説明会があるので行ってきます。一体どれだけ集まってるのやら。会場はそこそこのサイズなので、3桁は居そうですが.....
2008年04月18日
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すみだトリフォニーホール 15:00~ 3階中央 ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第1組曲、第2組曲 デュティユー:一つの和音の上で ドビュッシー:海 ~3つの交響的素描 ヴァイオリン:米元響子 指揮:ファブリス・ボロン 朝から予定があって、あちこち歩き回った挙げ句のダブルヘッダーの1回目。これはきついよ.................と言っても勿論そんな予定を組んでしまう方が悪いので、つまりは自業自得ではあるのですが。 というわけで、疲れて眠い状態でありまして、もう一つ集中力が無かったのであります。困ったもんです。 ルーセルは、19世紀末から20世紀初頭のフランスの作曲家の一人ですが、ドビュッシーら印象派とも、サティら6人組とも違う、むしろダンディ、更にはフランクに繋がる、シンフォニックな作風の人。 この「バッカスとアリアーヌ」も、メリハリのあるダイナミックな曲。同じバレエ音楽でも、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」なんかとは随分違う、派手な曲。こうなると、やはり爆演大好きのオーケストラは得意ですね。正直眠かったので、あまり細かいところはあれですが、まぁ元気のいいこと(笑) 後半はデュティユーから。正直眠かったので、これもあまり印象に残っていないのですが、不思議な作風の曲。ヴァイオリン独奏による、現代曲らしからぬメロディが柱の筈なのに、むしろ耳に残るのは打楽器群の方だったり、という..... そして最後はドビュッシーの「海」。これはまぁ、あれですね、泰西の名曲って奴ですから........ なかなかダイナミックな演奏を繰り広げて来たオーケストラは、ここでも全開。音の勢いでヴィジュアルなイメージを感じさせるといった風の演奏。まぁあれですね。こっちもいい加減な聞き方してたのもあるにせよ、この日は曲目のせいもあってか、のびのびとやりたい放題やってたという感じでした。まぁ、それもどうかとは思わないでもないけど、こういう曲目でもあるし、放埒な音の奔流に身を任せ、といった聞き方するのが正解だったのでしょうね。 3階席からなんで、あまりはっきりとは見えてませんが、やっぱり、それなりに指揮者見てると思うんだけどなぁ..... あ、あと、指揮者が「ハイ立って!」なんてこれ見よがしに指示する、という風ではなかったなぁ。それが普通だと思うんですけどね....
2008年04月14日
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新国立劇場 14:00~ 4階左手 マックス:アルフォンス・エーベルツ カスパール:ビャーニ・トール・クリスティンソン アガーテ:エディット・ハッラー エンヒェン:ユリア・バウアー 隠者:妻屋秀和 オットカール侯爵:大島幾雄 クーノー:平野忠彦 キリアン:山下浩司 ザムエル:池田直樹 新国立劇場合唱団 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:ダン・エッティンガー 演出:マティアス・フォン・シュテークマン 個人的には、魔弾の射手は近くて遠い演目です。 昔、15年くらい前、日生劇場の公演(日本語上演!)で見てから、見てないような気がします。その後見る機会が無かったわけでは無いと思うのだけど、多分見てないんですよね。このクラスの知名度の作品にしては、我ながら珍しい。 ちょっと評価に迷うような公演。 演出は、基本オーソドックスながら、随所に工夫があって、それが比較的いい効果を上げている。例えば、冒頭。オリジナルにはない場面を加えて、予め隠者を登場させているのだけど、このお陰で、元々単純な割にわかりにくいこのオペラのストーリーが見通し良くなっている。個人的にはあまり改変というのは好ましく思っていないのだけど、こういう理に適ったのはいいと思います。 ザムエルを適宜登場させて、狂言回しのように使うのも、最後に隠者と対立させて見せるのも含めて悪くない。一部、いやそれは幾ら何でも間抜け、という使い方もあったけど。 ただ、全体的に上手くコンパクトに説明しすぎてつまらない、という見方もあるかも知れないですね。 でも、この演出、問題もあると思います。例えば狼谷の場。 この場面、異形感を出す為でしょう、PAを使って客席天井からも音声を出してます。それも多分音声を特殊加工して。まぁ、そういう使い方もありだとは思いますが、何もそこまでしなくても、十分異形感を出す手はあると思います。ここで出て来る異形のものどもが、これまたどこかで見たような連中なのも、これは苦しんだんだろうなぁ、と思わせて、そのへんも併せて評価が微妙なんですけどね。 ただ、全体的には前述の通り、よくまとまってるとも、まとまり方が小さすぎとも言えるので、後は考え方の問題と言ってもいいのかな。プログラムに演出家の意図が例によって書かれていましたが、なるほどその意図にはそこそこ適っていたと思います。 歌手。 4階は久しぶりなのですが、あれ、こんなに聞こえ方違ったか?まるでCD聞いてるみたい。と思ったのですが、後から思い返すに、ありゃ最初PA入れてたんでは?少し後ではもう違和感ありませんでしたし。ま、恐らくそれで恩恵を受けたのは端役なんですが。 主役級に関して平たく言うと、男声陣は今一つ、女声陣はまずまず、という所でしょうか。 マックス役のエーベルツは、声はあるようなのだけれど、どうも安定しないというかなんというか.......声の割になんか安心出来ないんですね。それと、声質がかなり重たそう。正直、一瞬「あれ?マックスってバリトン役だっけ?」と思ってしまったくらい。歌えていたとは思いますが、なんとなくしっくり来なかった。 不安定という意味では、カスパール役のクリスティンソンも同様。声質としては、こちらはまだ合っている方だろうけれど、やはり何処か合っていない。この二人に関しては、終始、「声は出てるし悪くない筈なんだけどなんだかなぁ」という感じでした。難しく考えなければOKなのかも知れないけれど。 一方安定感があったのは、アガーテ役のハッラー。声の綺麗なタイプですね。役に合っているかどうかまでは分かりませんが、歌唱自体は良かったと思います。3幕のアリアは結構良かった。エンヒェン役のバウアーは、歌唱も悪くないけどよく動く演技で、いい相方役になってました。なかなか大変だったと思いますが、良かったのではないかな。 日本人では、隠者の妻屋秀和が端役ながら存在感を示していて、よ御座いました。後は、まぁ......... 合唱は、まぁ、悪くなかったと思います。 オーケストラは東フィルですが、こちらもなかなかというところかと。序曲、あの協和してるのかしてないのか、微妙なズレのある出だしの弦の全奏、ここから引き込んでくれました。今日は弦が結構良く鳴っていて、よかったんではないかと。 まぁ、全体としてはよかったと思います。相応に楽しめました。
2008年04月13日
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オペラシティコンサートホール 18:00~ 3階左バルコニー ソプラノ:パトリシア・プティボン ピアノ:マチェイ・ピクルスキ アーン:クロリスに / 懐疑の人 / 葡萄摘みの3日間 / 彼女の館のとりこになった時 コープランド:「アメリカの古い歌」第2集より シオンの壁 / 小さな馬たち / チンガリン・チョウ / 河にて ロザンタール:フィド・フィド / 動物園の年寄りラクダ バーバー:この輝ける夜に、きっと アメリカ民謡:私の愛しい人は黒髪 プーランク:ヴィオロン / 愛の小径 コレ:ラバ引き達の人生 オブラドルス:花嫁はおちびさん トゥーリナ:あなたの青い眼 ファリャ:「7つのスペイン民謡」より ムーア人の布地 / 子守唄 モーツァルト:「フィガロの結婚」より 「なくしてしまったの」 / 「早くおいで、美しい歓びよ」 サティ:ブロンズの彫像 / ダフェネオ アブルケル:愛してる <アンコール> さくら、さくら オランピアの歌謡ショー(オッフェンバッハ「ホフマン物語」) カントルーブ:オーヴェルニュの歌 より「羊飼いの娘よ、僕を愛してるなら」 ファリャ:アストゥリアーナ アブルケル:愛してる(一部) いや、明らかにマーケティングミスだと思いますよ。 1階席は、前方側が両端に至るまで全部埋まっていて、ところが後方3分の1くらいは中央も含めガラガラ。2階席、3階席は5分の入りくらい。全体は6割ってところでしょうか。1階席の埋まり方から想像するに、某か「動員」が掛かったんではないかなぁ。会員限定安売り券販売、とか。 パトリシア・プティボン。今回の来日公演のチラシを見て、これはイロモノだろ、と思ってしまってました。 だって、写真は、篠原ともえかと思うような妙な髪型のアップだし、曲目は見ての通りだし。しかも当初の予定ではモーツァルトは無かったし。おまけにチラシ裏には「オペラ研究家」なる人物がいきなり「永遠の不思議少女」なんて台詞を持ち出す始末。はっきり言ってノーマークでした。いくらクリスティやアーノンクールが認めたって言っても、バロックものは一曲も無いし。 たまたま、暫く前に聞いたら、安いとこが空いてたので、出来心で買ったまででして。実は今日はダブルヘッダーだったのですが、結構忙しかったり疲れてたりで、行くのは止めようかと思ったのですが............結果、行ってよかった。 プティボン、公平に言えば、凄い歌手、ではなかった、というのが正直なところです。でも、いい声の持ち主です。コロラトューラの持ち主、というのが売りだったらしいですが、聞く限りでは「コロラトューラもある」くらいかな、と。勿論それも含めていいけれど、誰がどう、ということではなくて、歌手としての持ち味が違うのだと思います。 この日良かったのは、例えば、コープランドの「アメリカの古い歌」より「河にて」。賛美歌をベースにした、宗教的な曲ですが、これが素晴らしかった。言えば、決して発音は良くはないのです。分からないなりにせよ、フランス語の歌の方が、自然な歌い方と感じられるのですが、それにしてもこの歌は良かった。曲の良さもあるけれど、かなり直接的な祈りに近いこの歌を良く理解しているのだと思います。 加えて、プティボンの声の深さ。声量があって伸びやかで、その上声に深みがある。ソプラノでコロラトューラで、となると、どうしても高高度での技巧的な歌を期待してしまうものですが、プティボンの声は、中声域が充実していて、しかもその部分で深みがある。だから、こういう歌を歌った時、綺麗というだけでない、強い説得力が出るのだと思います。私は「感動」という言葉が嫌いだし、人間そんなに簡単に感動なんてするもんじゃないだろう、と思っているけれど、この歌はかなり「感動した」という状態に近かった。曲の良さもあるし、内容もあるし、こちらが弱っていたところに、というのもあるけれど、それにしてもやはりいい歌唱だったと思います。 その数曲後で歌われた、バーバーも良かった。これも同じような系統の歌でしたが、やはり声の深みが効いていました。 こういう声の持ち主だから、こういうプログラムなんだろう、と思います。 プログラムのインタビューでも、このコンサートの中でも言っていたけれど、「音楽を楽しみましょう」というスタンスがあって、だから、「楽しめる音楽」をこの人はやってくれる。まぁ、音楽だけじゃなく、サービス精神旺盛だけれど。 アーンの4曲も良かったけれど、結構お行儀よく聞いていた聴衆をリラックスさせる為か、コープランドの2・3曲目はピアニスト共々おふざけ全開。日本語で電話してああでもないこうでもないと笑わせて、すっかり聴衆をほぐしておいて、4曲目の「河にて」。参りました。 ロザンタールのコミカルな二曲では百面相さながらに笑わせたり、後半でも日本語で歌詞を説明したり、チャイムなど簡単な楽器を持ち出して弾き語りしたり。サティではトンボ眼鏡まで持ち出して、挙げ句は最後のアブルケルの「愛してる」。これ、コロラトューラを当てこすった曲。内容的には恋人に捨てられて「あなたを愛してる!」とコロラトューラで狂乱してみせるのだけど、長いでっかい紙筒を小道具に持って来たのだけど、これ、曲の最後にばさっと開くと、それは何故か徳永英明のポスター。何故徳永英明(笑)多分、美男でそこそこ見栄えがしてクールそうで割と知られてて、ってーか、たまたまその辺にあったのを持って来たのじゃないかと思うけど。 ちなみにピアニストの方は、あれは、薬師丸ひろ子?遠くて見えませんでした。 他にも、モーツァルトでは、バルバリーナのアリアで客席も含めて真っ暗な中、ピアニストの手元にだけ明かりを当てて、プティボン自身も真っ暗な中、色の変わるライトを持って動き回りながら歌ったり、そうかと思えば、そのまま曲間も無く歌ったスザンナのアリアでは、件のライトを傘に付けて、これも真っ暗な中を歩き回りながら歌う。なるほど、確かにそういう曲ではあります。なかなかの演出。 でも、決してサービス精神だけではない。 アンコールの最初は「さくら、さくら」。正直、来日した外国人歌手が日本語の歌を歌うのは、無理してる感があって好きではないのですが、プティボンのは良かった。時節柄ということもあったのでしょうが、このゆったりした曲を更にゆったり歌うのですが、母音をきちんと長く伸ばすことで、きちんと自分の歌として、しかも日本語の歌としても違和感無く歌えていました。その長く伸ばされた母音が伸びやかで綺麗なのは言うまでもないでしょう。 モーツァルトも、演出もさりながら、とてもいい歌唱でした。そりゃ、舞台で歌うのだから、このくらいきちんと歌えるでしょうけども。 アンコールのオランピアは、元の曲はどうだっけ?と言いたくなるくらいのコミカルな芸達者。マラカスを持ちながら、それをいつしかマイクに見立てて歌う機械人形・オランピアの歌謡ショー、という感じ。繰り返しを歌わないショートバージョンなのだけど、その分まぁいじることいじること(笑) アンコール3曲目の後に、日本語で挨拶して、これで終わりかな~、と思いつつ、一部のお客と一緒に拍手していたら、戻って来て、もう一曲歌ってくれました。更に止めでもう一曲、これはコロラトューラの最後のとこだけ。その声、歌唱、とても魅力的です。でも、確かに、この人が例えばグルベローヴァやナタリー・デッセイのようなコロラトューラを売りにする歌手として活躍するかと言われると、それはなさそうですね。技倆がとか言う以前に、タイプが違うと思います。 言えば中堅どころとか言うのだろうけど........ 後で思い返してみて、この人から連想したのは、何故か、テレサ・ベルガンサ。引退する直前に、一度だけ来日公演で聞いたことがあるのです。何処でだったか、習志野とか市川とかだったかな?ベルガンサは、決してコミカルではなかったけれど、いろんな歌を歌っていて、それがどれも映える歌だった。フランス人だから(フランス系とイタリア系の血筋だそうですが)フランス語の歌を歌う、バロック物で台頭したからバロック物を歌う、まぁそういうことはあるかも知れないけれど、プティボンは自分が歌っていい音楽がやれる物、楽しませられる物を周到に選んで歌っているのだと思います。 近来稀に見るコストパフォーマンスの高いコンサートでした。 やっぱあのチラシは失敗だろう......(苦笑)
2008年04月12日
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NHKホール 19:00~ 3階最後部 メシアン:トゥーランガリラ交響曲 ピアノ:ピエール・ロラン・エマール オンド・マルトノ:原田節 指揮:準・メルクル 今日は久々に暇が出来て、ではコンサートでもと思ったのですが.........結局またN響でやんの。 トゥーランガリラ交響曲。生で聞くのは多分初めてですが、このところの疲れが出て、結構睡魔との戦いになってしまいました。 演奏自体はまぁまぁ面白かったですけどね。大音量系の作品は、N響でNHKホールで聞くと、ちょっと冷静に引いて聞けるので、こういう曲の時は結構有り難かったりします。曲自体も、なかなか一筋縄では行かず、「現代音楽」のようで、存外そうでもなかったり。 ピエール・ロラン・エマールのピアノが、こういう曲のわりに結構ロマンティックなところがあって、勿論技倆はあるし、メシアンらしいと言えば「らしい」音楽になってました。一方、オンド・マルトノの第一人者、原田節の演奏も良かった.こちらも、そういう意味ではメシアン「らしい」演奏だったかな。 オケもよくまとまっていたと思います。正直、眠かったので、それ以上は.....(^^; しかし、N響はメシアン好きですね。この間もチョン・ミュンフンが小曲を指揮していたし、トゥーランガリラにしても、数年前に一回やっているそうだし。 やっぱり、現代音楽としては、やや取っ付き易そうな面があるんでしょうか。確かに、他に比べれば現代の我々に対する親和性はほどほどあるとは思うのだけど。
2008年04月11日
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Bunkamura ザ・ミュージアム 2月からゴールデンウィークまでやっている、文化村の「ルノワール+ルノワール展」。やっとこ行ってきました。 とはいえ、本当は私、ルノワールの絵はそれほど好きではないし、息子の映画も観てないし....なんですけどね。 画家のピエール=オーギュスト・ルノワールの絵画作品と、その息子、映画監督のジャン・ルノワールの撮った映画作品を中心に展示した展覧会です。映画作品と言っても、抜粋した場面を1作品2分足らず繰り返し流しているのですが。 正直、ザ・ミュージアムって、コストパフォーマンス悪いんですよね。入館料は他の展覧会並なのに、展示会場は今となっては狭めで、展示数も決して多くないし、作品もややもすると中途半端だったり。今回は近場のチケットショプにも安売り券が出てないし、仕方なく普通にチケット買って入りました。 で、小1時間ほどで出てきてしまいましたが...... 感想は、「まぁいいんじゃない?」というところ。 私がルノワールを好かない理由は、主に、はっきりしなくて曖昧模糊とし過ぎなのと、中途半端で何となく不健康な裸婦像が鼻につくからなんですが、今回発見だったのは、普段あまり印象に残っていなかった初期のルノワールの作品を幾つか見られたこと。 その中でインパクトがあったのが、後に妻にする女性を描いた「アリーヌ・シャリゴの肖像」。ルノワールらしからぬ、輪郭も表情もはっきりした、質感のある女性像。しかも、そういっちゃなんですが、ぽっちゃり型の、可愛らしいけれど美人とは言わないであろう雰囲気の女性を写実的に描いている。どこぞのサロンか、それこそ同名の喫茶店に掛かっていそうな複製画には絶対されないであろう絵。 へぇ、こういう絵も描いたんだ、と思ったあたりから、俄然面白く。よく引き合いに出されるピアノを弾く少女たち、みたいな絵ばかりではないんですね。そうやって見ていくと、今まで曖昧模糊としか感じなかった絵に生気が感じられ、あの不健康にしか思えない風の裸婦像も見え方が変わってくるという。なんとなく、あの輪郭がぼやけて曖昧なのがルノワール、と思っていたのですが、必ずしもそうではないのですね。それはむしろ晩年の話。その晩年の作品も、元々のルノワールを知ってしまうと、その曖昧な中に書かれた人物の息遣いを探すようになってしまうのだから、不思議なものです。 まぁ、個人的にお得だった訳です。食わず嫌いではないんだけど、やはりたまには目線を新たにして見てみるのもいいものなのですね。それでもやっぱり、必ずしも好きではないんだけど(苦笑) 息子のジャン・ルノワールの映画も面白い。勿論筋を追えるような内容ではなく、あくまで映像として見せるだけなんだけど、流石に絵的にも印象深い場面を捉えていて、面白かったですね。
2008年04月06日
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NHKホール 18:00~ 3階後方 グリンカ:「ルスランとリュドミラ」序曲 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 シェーンベルク:交響詩「ペレアスとメリザンド」 ピアノ:中村紘子 指揮:準・メルクル 先週に続いてN響。但し、今回はホームポジションの3階自由席。 今回は、先週に続いてなので、実際の所N響ってホントに見てないのかどうか、双眼鏡でもって一所懸命見てました。<アホ うーん.......やっぱりあまり指揮者見ないですね。でも、先週ほどじゃないな。ただ、曲目が曲目ですしね。何とも言えないけど、やっぱり他のオケに比べると、アイコンタクトが極端に少ないような?これはN響の自信の現れなのかなんなのか.......まぁ、今頃何言ってんだお前は、って話かも知れないですが、折角なのでもうちょっとこまめに見てみようかと。 コンマスがオケに指示出すのも変わらずですねぇ。ただ、こちらの思い込みかも知らんけど、指揮者とのコミュニケーションというか、もうちょっと雰囲気は違うような気が.....思い込み? さて、演奏。 今日は久々の売り切れ満員。N響なのにダフ屋が出るというほど。これは準・メルクルもあるんだろうけど、やっぱり中村紘子とラフマニノフの2番、ってのが引きですかねぇ。ルスランとリュドミラは前座として、やはり注目はラフマニノフの2番。 ですが、正直、今日は中村紘子がよろしくなかった。下手とか手抜きとかいうことではなくて、調子が悪いとしか思えない。明らかにわかるミスタッチが多いし、全体にも精彩を欠いていて、デュナミークもはっきりせず、この曲「らしさ」が出て来ない。それでいて、とても手抜きしているとは見えない風だし、実際演奏を聞いても「なんだこれ」というよりは「どうしたの?」と言いたくなる感じ。音楽的には一応まとまってはいたけれど、正直、中村紘子はこんなもんじゃないだろう、本当は、と思わずに居られない。演奏後、聴衆に応える表情も冴えず(折角双眼鏡持って来たんだし....)、アンコールも勿論無し。 体調でも悪いのか、なんなんだろう、という感じの演奏でした。中村紘子は、なんだかんだ言って何度か聞いてきたし、好き嫌いはともかくこういう「よくない」演奏をする人ではなかったから、ちょっと心配ですね。 そんなこともあって、音楽的な充実感では、後半のシェーンベルクの方が高かったかと。 シェーンベルクと言っても、20世紀初頭の作品です。まだシェーンベルクが無調、12音技法に行く前の、調性感はかなり怪しいけれど、音楽としてまだなんとかロマン派の尻尾に引っ掛かっているくらいの作品です。そういう点では、ロマン派後期の交響詩。ピカソが若い頃描いていたかなり写実的だけれど、どこか危なっかしい人物画、道化師(アルレッキーノ)を描いた絵とか、あんな感じに通じるものがあります。まぁ、それって、「後のこと」を知っているから、というのはあるとは思いますが。 そんな音楽ですが、演奏は危なげなく豊かな音色で色彩感も十分。まとまりの良さは、聞き様によってはスケールの限界とも見えるかも知れませんが、自分としては物足りなさは感じませんでした。ただまぁ、器なりの演奏、と言えば言えなくもないので、難しい所ではあるでしょうが。 準・メルクルの評価はやはり高いんでしょうか。私も嫌いじゃないけど、やっぱりこの人はオペラの人のような気がするなぁ。ある種アバウトな部分も残しつつ、大体でまとめる、というのは、オペラ指揮者には向いてる資質ですし。だからオケはダメ、ってことではないんですけど、どうせならオペラで聞きたいなぁ、やっぱり。
2008年04月05日
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東京文化会館 16:00~ 1階前方 チャイコフスキー:スラヴ行進曲 / 交響幻想曲「テンペスト」 「白鳥の湖」~序奏、ワルツ、情景、四羽の白鳥、オデットと王子のパ・ダクシオン、ハンガリーの踊り、スペインの踊り、終曲 <アンコール> 「くるみわり人形」~花のワルツ 指揮:下野竜也 実は、日曜日は、N響とNo Name Horsesのダブルヘッダーでした。 東京のオペラの森の一環で開催された演奏会。N響で東京文化会館で三千円ポッキリだったらお買い得、と深く考えずに買ってしまいました。買ってからプログラム詳細と指揮者を見て後悔。下野竜也じゃん… 下野竜也。人気があるのも、実力ありと評されているのも、よく知ってます。でも、私、嫌いなんです。なんでかと言うと、この人の演奏会、近現代とイケイケの爆演系の演目ばっかりだから。 この人、殆ど古典をやらないんですよね。たまにやっても超有名曲ばかり。自分の得意分野を振る、近現代の知られざる曲に光を当てる、と言えば聞こえはいいですけど、じゃハイドンの知られざる交響曲を、とはならない。 別にハイドンをやれば偉いってもんじゃありませんが、古典派の作品は、現代オーケストラの音楽の基本中の基本です。これをきちんとやらない、しかもその代わりに演奏効果の上がる曲ばっかりやる人というのは、演奏家としてどうにも信用出来ません。 で、今回はというと、プログラムが例によって演奏効果の上がる曲目ばかり。スラブ行進曲、テンペスト、白鳥の湖..........せめて交響曲くらいやったらどうなの、と思わないでもありません。 で、気が進まないと言えば進まなかったのですが、まぁ、そうは言っても折角東京文化会館のいいとこだし.......と思って聞きに行きました。 これがまた何と言ったらいいのか............ オーケストラが、殆ど指揮者見てないんですよ。 そりゃぁ、オーケストラがずーっと指揮者に熱い視線を送っているかというと、決してそんなことはありません。概ね楽譜を見ているし、むしろトップ奏者の動きを見て合わせて行くだろうし。それでも、指揮者を見なければ、アインザッツは合わないし、所々の表現をどうするか、なんて話はある訳で。 それが、殆ど見てないんですよ。前の方だったから、弦奏者3列分くらいしか見えてないですが、殆ど視線が指揮者に行かない。2、3人ちらちら見てるのがいるかな、というくらいで。コンマスなんて丸っきり無視の態。下野竜也は演奏も爆演だけど指揮ぶりも爆発的です。それが、まぁ、見てる分には気の毒なくらい空回り。演奏がそうなってない訳ではないんだけど、やってることが全然演奏者の側には直接は関係ありませーん、てな感じで。スラヴ行進曲なんて、本当に見てなかった。後半の白鳥の湖あたりは、もう少し、時々視線が行く奏者も居たけど、という感じ。 指揮も良くなかったんだと思います。身振りは大きく、やたらと力強く振り回してしまう。それでノルこともあるだろうけど、ある程度弾ける音楽で、まぁ大して難しくないや、なんて奏者が思ってたりすると(そしてこの辺の曲ならN響あたりはそう思うわな)、白けるんでしょう。その割に、ワルツなんか、これじゃ踊るようには弾けないだろう、という感じの振り方だし。 で、演奏が終わると指揮者がオーケストラを立たせますね。この日は指揮者が「はい、立って!」とやると、全てコンマスがオケに指示してオケが立つ。いや、そりゃ、そういうことはあるんだけどさ。コンマスの指示に合わせるのが普通だけど、ちょっとあからさま過ぎないかい? まぁ、N響の可愛げの無いことと言ったら! 音楽は、まぁ、例によって爆演系ではあったんですけどね。うん、まぁ、指揮者の仕込みがきっちり出来てたから、指揮を見てなくても十分伝わっていたんだ、ということにしておきましょう........ 下野竜也はやっぱり好きになれないし、その音楽もいまいち評価出来ないんだけど、この日は素で「かわいそー.....」と思ってしまったのでした。 あ、音楽的に面白かったかどうか、ということで言えば、まぁ、こういう曲目ですからね。それなりに面白かったよ、ということで。集中力の3分の1は舞台上に行ってたし(^^;
2008年04月02日
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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン開催を1ヶ月後に控えた東京国債フォーラムで、事前に盛り上げてみようかという企画で特別プレイベントが行われるとか行われないとか。 今年のテーマは「シューベルトとウィーン」ということで、「シューベルトつったらやっぱマスだよな」という理屈で、何処をどう間違ったのか某国の指導によるマスゲームを中庭で行うに始まり、「ウィーンつったら少年合唱団だろ」というのは間違ってないんだけど何処をどう取り違えたか往年のジャ○ーズアイドル・少年○再結成ミニライブ、更には「いや、シューベルトつったらグレートっすよグレート」ということでかなり苦しいんだけど世界のYAZ○WAミニライブ、の予定が、これまたどこでどう間違ったかグレート・ザ・カ○キ呼んじゃったもんだから......だ、そうです。 ちなみに会場では「そりゃあんたシューベルトはやっぱ魔王だよ」だそうで、麻婆豆腐定食が無料で振る舞われる予定、だそうです。 あのー、一応申し添えますけど、まだ4月1日だからね.........
2008年04月01日
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