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神奈川県立音楽堂 15:00~ ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲「四季」 2つのヴァイオリンと通奏低音の為のソナタ「ラ・フォリア」 リーコーダー協奏曲「ごしきひわ」 チェロ協奏曲ニ長調 RV403 ピッコロ協奏曲ハ長調 RV444 <アンコール> ヴィヴァルディ:「ごしきひわ」第3楽章 J.S.バッハ:管弦楽組曲第3番 第4曲 ブレー ラ・プティット・バンド 音楽監督・ヴィオロンチェロ・ダ・スパラ:シギスヴァルト・クイケン ヴァイオリン:サラ・クイケン、赤津真言、アンネリース・デコック ヴィオラ:マルレーン・ティールス リコーダー、ピッコロ:ペーター・ファン・ヘイヒェン チェンバロ:ベンジャミン・アラード 先週のABQ同様、第15回神奈川国際芸術フェスティヴァルの一環の公演です。 遅れそうになり、慌ててバタバタと着席。雨で涼しいとはいえ、駆け込むと湿気があるのでなかなか汗が引いてくれません。音楽堂は客席狭いし.... ラ・プティット・バンドの公演、という認識で出掛けて来たので、席について少々驚いたのが、チェンバロと譜面台の配置からして、どう見ても室内楽アンサンブルの人数であること。だって、確かラ・プティット・バンドって、2~30人くらいの団体じゃなかった?少なくとも、バッハの宗教曲くらいやってる筈だけど、これは一体? で、プログラムによると、本日の公演は、「ヴィヴァルディらのバロック期の室内楽では、多くの演奏家が一緒に演奏することが想定されていなかった」という最新の研究の成果に拠っているのだとか。はぁ、さよけ。 そういう小理屈はあまり好きじゃないんすけどね.......と、2秒ほど思う。ええ、勿論、私は研究発表会に来た訳では御座いませんのでして、音楽を聴きに来たのだから、そっちが良ければ文句はありません。 で、お馴染みの「四季」が、独奏ヴァイオリンと、弦4部+チェンバロの計6人によって演奏されました。 どうだったか?ええ、確かに悪くないんですが..... 私が座っていたのは、センターではないものの、かなり前の方。6人いる内、合奏の方のヴァイオリンは舞台上手側に居たのですが、このヴァイオリン奏者達の楽器の向きからは外れている。 そうするとですね。あまり聞こえないんです、合奏のヴァイオリンが。皆古楽器で、勿論ガット弦なので、当然音は大きくはならないのですが、さすがに古いし客席が狭いとは言え、一応「現代の音楽ホール」です。響きがいいのかも知れないけど、果たして、後ろの方、聞こえていたのかな?バランス的には後ろの方が上手く混ざって聞こえたと思いますが、ちょっと厳しかったのではないでしょうか。自分が居た位置で言うと、奏者の位置が変わるとはっきり音の大小が変わってしまう、そんな感じでした。これは音楽がどうこう、ということではないけれど、この種の音楽の難しさを改めて感じさせる、というところでしょうか。 音楽的には、装飾音を多用したり、テンポは最近の演奏では標準的といったところで、まぁ全般には「イマドキのヴィヴァルディ」という感じでしたですね。1パート1奏者という小編成のメリット・デメリットとしては、先述の音量の問題に加えて、デュナミークが十分に付けられないという問題があったと思います。「いや、そもそもそういうものだったんだ」という言い方は勿論可能ですが、ここまでいろいろ削ぎ落としてしまうと、音楽としてのダイナミズムがかなり限られてしまうのも事実。一方で、確かにこれだけの限界編成にしたことで、言わば個々の音が単純化かつ純化されて、その面での気持ちよさが感じられたのも事実。また、ここまで絞ることで、装飾音の付け方など、いろんな面で演奏者にとって自由度がより上がっているのも確かだと思います。 四季の第4曲「冬」の第二楽章、一般的にはゆったりと演奏されるところで、シギスヴァルト・クイケンは、ヴィオロンチェロ・ダ・スパラで、小刻みに装飾音たっぷりの速いテンポで伴奏を付けていました。通常の演奏が「暖かい暖炉の温もり」を感じさせるなら、この演奏は「頼もしげに爆ぜる暖炉の炎」を感じさせる、というところでしょうか。なるほど、それもありだな。 シギスヴァルト・クイケンの弾いていた ヴィオロンチェロ・ダ・スパラは、これまた最新の研究の成果に拠る、「肩掛け式のチェロ」。バロック期の絵画や文献などからみて、肩掛け式のチェロはあった筈で、現物も一応残存しているものもあるし、ということだそうです。 で、音は.....やはり、ヴィオラ・ダ・ガンバやバロック・チェロと比べても、低温が響くということではないし、音量も小さめ。要は、そのようなところに存在意義がある楽器ではないのでしょう。ある種、繊細な楽器とも言えるのでしょうか。 確かに、こうした編成による演奏の場合、音量面で結果的にバランスが取れるので、その点はいいのだと思います。ただ、音域面でヴィオラ・ダ・ガンバを代替出来るとも思えないし、微妙なところではないかなぁ。今後、「最新の研究の成果」によって、「この曲はダ・ガンバ」「この曲はダ・スパラ」という風に、切り分けが始まるんでしょうか。 大体言いたいことは書いてしまいました。 後半は、各種楽器による協奏曲など。これもそれぞれで面白かった。最初の「ラ・フォリア」はヴァイオリン二本とダ・スパラ、それにチェンバロと、ソナタと言っても先の編成と大差無し。本当に、「1パート一人」というのが妥当なのかどうか、この演奏が面白かったかどうかということとは別に、やはり考えどころなのでしょうか。 最後のピッコロ協奏曲は、多分初めて聞いたのですが、なかなか面白かったです。ピッコロというか、ソプラニーノ・リコーダーらしいのですが、これまたかわいらしい音で(笑) アンコールを2曲。これはちょっと意外でした。2曲もやるとは思わなかったな。最初に、後半にやったリコーダー協奏曲の一部を再演したので、「特に準備はないんだな」と思ったのですが、バッハもやってくれました。十分堪能。
2008年05月31日
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ええまぁ、そういうことでいいんですけどね、と断っておいて..... こないだ貰った、ウィーン・フィルのちらし。ムーティ指揮で、9月に来る。それはいいんだけど、会場がサントリーホールで、チケットS席が36,000円って一体(笑) さすがにこの値段はなぁ............理屈は幾らでも付けられるし、ポンと出すほどの金がない方が悪いし、それを言えば日頃のコンサートのあれとこれとそれをやめて、ついでにCDン枚分セーブすれば楽勝、って話ではあるんですが(苦笑) でも、繰り返すけど、この値段で聞きたいコンサートって一体どんなんだろう。少なくとも、ムーティだったらこの値段なら行かないなぁ。この値段だったら、演奏会形式でいいから歌手入れてオペラおやんなさいよ、と。まぁ、それだと、ウィーン国立歌劇場の「ロベルト・デヴリュー」の公演と同じなんですが。 それにしても、ウィーン然り、最近の来日オーケストラのチケットってちと異常だと思うぞ。 オペラの引っ越し公演も高すぎると思うけど、相対的には、コストを考えればオケの方がより異常ではないかしらん。
2008年05月28日
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狛江エコルマホール 14:00~ シューベルト:即興曲集 op.90 D.899 さすらい人幻想曲 op.15 D.760 12のウィーン舞曲 ピアノソナタ第21番 D.960 <アンコール> シューベルト:即興曲 op142-3 D.935-3 楽興の時 op.94-3/1(?) D.780-3/1(?) 今日は、フォルクス・オーパーのこうもりという手もあったのだけど、既にS席・A席しか残ってないのでは、流石に行く気がしません。 さてどうしようか.....と考えて、結局、ここに行ったのは、比較的家に近いので。それと、イェルク・デームスをもう一度聞いてみるのもいいかなと思って。何より、今回はオール・シューベルト・プログラム、しかもピアノ・ソナタの21番も入っているので、行ってもいいなと。 かつてのウィーン三羽烏の一人(しかしなんで三羽烏なんだろう?)、イェルク・デームス。後の二人は、パウル・バドゥラ=スコダと、アルフレート・ブレンデル。御歳80のご老体ですが、未だ矍鑠としておられます。ブレンデルは今年で引退だし、もうこの辺が限界かなと。 前回は一昨年に聞きました。その後も来日していたようですが、タイミング等々合わず、行っていません。一昨年の時は、確かに良かったけれど、技術的にはちょっと難しい感じでした。今回も、あまり期待しないでおこう、というところ。 技術面では両方向に予想以上、でした。全体的には、かなりしっかりした演奏で、技術的な不満は基本的にはあまりありませんでした。ミスタッチや記憶違いでは、と思われる所もあったけれど、どのような音楽をやりたいか、このフレーズをこう処理するのか、といったところがはっきりしていて、音楽的に分かりやすかったし、面白かった。 けれど、演奏としてはかなり自由に弾いている面もあって、テンポやアコーギグなどをかなり意識的に変えて弾いていたりする。これは諸刃の剣で、多用するのは頂けません。例えば、ABAの三部形式の曲で、AとBとでテンポを大きく変えたりするのだって、場合によっては統一感が崩れて問題になるのに、フレーズの変わり目でテンポが変わったりしてしまうのは、結構危なっかしい。 特に、前半2曲目の「さすらい人幻想曲」は技術的にもかなり厳しかった。テンポはかなり揺れるし、単なるミスタッチ以上に、崩して弾き飛ばしてしまう、まぁ端的に言えば「ごまかしている」ようにしか聞こえない部分もあって、ちょっと苦しいなぁ、と。これでコンクール持ってったら、まず一次予選で落選でしょう。 でも、音楽としては不思議なことに「ちゃんとしてる」のですよね。そんなんでちゃんとしてるってどういうことだ、と自分でも思うのだけど、どう歌っている/歌いたいのか、フレーズがちゃんと分かるし、それはそれで一応納得が行く内容なのです。 とはいえ、さすがに前半終わった時点ではどうなっちゃうんだろう、という感じでしたがね。 後半の舞曲集から、なかなか安定した演奏を聞かせてくれました。そして、大曲、D.960。第1楽章から繰り返しありで、かつかなりのテンポで弾いて行きます。Molto Moderato の速度記号からすれば、「これが中庸なんだ」と言えば、それまでですが。でも、飛ばしているという感じではない。要所で、例のデームス一流のギアチェンジが入るので、不自然にはなりません。 結局、月並な話ですが、技術に限界があっても、元々内在している音楽に確としたものがあって、それを揺るぎなく持っているから、音楽として危なっかしく見えても最終的にはまとまりがつくのでしょう。勿論、その内在する音楽も、基本的な所で王道を歩んでいるということもあるからなのでしょうが。 でも、まぁ、流石に絶賛する気にはならないか(苦笑)たまたま聞く機会があれば聞いて損は無いけど、万難排するほどのことは、ってとこかな?
2008年05月25日
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神奈川県立音楽堂 15:00~ ハイドン:弦楽四重奏曲 op.77-1 Hob.III:81 ベルク:弦楽四重奏曲 op.3 ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第15番 op.132 <アンコール> ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 op.130 より 第5楽章 今日の教訓。やっぱ、休みの日は、睡眠はたっぷり取ろう..... アルバン・ベルク四重奏団。通称ABQ。現在ある弦楽四重奏団の中で名実共にトップクラスの団体の一つ、と言っていいのでしょう。そのABQがついに解散するとのことで、ただいま解散ツアー中。その一環でのコンサートです。本当は来週末のサントリーホールでのコンサートもあるのですが、それは別に行きたいのがあるので。しかしまぁ、誰が呼んだかABQ。アルバン・ベルクだからよかったようなものの、ベンジャミン・ブリテンだったらBBQですよ。肉、焼いちゃいますよ。ソーセージも。 ABQを最初に聞いたのは、もう20年ほど前になります。確かオーチャードホールで、モーツァルトとベルクと、確かそんなようなプログラムじゃなかったかと。演目そのものはあまり憶えてなくて、ただ、その前年に聞いていた、スメタナSQのコンサートでの印象と比較して、なるほどカミソリのような演奏なんだな、と思った覚えがあります。 その後、あまりコンサートでの記憶はなくて、数年前の相模大野でのコンサートを思い出します。遅れて行ったらもう最後の曲が途中迄進んでいて、やれやれと思いつつアンコールに期待したら、アンコールの最初に結構大きな地震が。で、「危ないから」と言って終わってしまったのです。全然音楽の記憶が無いじゃん...... この時、既にヴィオラのトマス・カクシュカは病気で来られず、代わりにカクシュカの弟子であったイザベル・カリシウスが入っていたのですが、その後カクシュカは亡くなり、カリシウスが正式にメンバーとなって、今に至ります。カクシュカが亡くなった当時、「これで終わるのだろうな」と思ったので、正直存続という報には少々驚いたのですが、結局3年の継続を経て、解散となるわけです。カリシウスがどうこう、ということではないのでしょう、恐らくは。そういう要素が皆無とは言わないけれど、20年ほどは先のメンバーで固定されていて、そこから急にメンバーが変わって、モチベーションを維持して行くとか、そういうことが難しかったのではないかと思うのです。ちなみに、カリシウス加入後、正式の録音は発売されていません。 で、今日の演奏ですが.......... うう、寝ちまっただよ、前半。 やはり睡眠が足りてないとねぇ。なので、前半のハイドンとベルクは、あまり大きなことは言えません。ただ、感じたのは、「カミソリ」のABQではないな、ということ。それと、ベルクの演奏のロマンチックなこと!確かに、最近、ベルクについては、室内楽だけでなくいろんな作品で、後期ロマン派の流れを汲むかのような演奏が聞かれるようになったし、この曲自体、12音技法に突っ走る前の作品なので、決して的外れではないのだけど。 後半はばっちり。<目が覚めた で、ベートーヴェンですが............どう言ったらいいんでしょう。この間、ラ・フォル・ジュルネでプラジャークSQなどの演奏を聞いて来た身には、随分傾向の違う演奏に感じられます。王道を歩む、と言えばそうなのだけど、敢えて言えば新鮮さが感じられない、と思ってしまう。 多分、ABQの演奏というのは、「カミソリ」のような、というのとは違うのでしょう。大体が私の印象は昔のものだし。ただ、録音でもそのように感じさせるものはあったとは思うけど。 ではどんなものだと言うのか?一言で言えば、良くも悪くも「スタンダード」がきっちり内在している演奏なのではないでしょうか。 違うかも知れませんよ。でも、この人達は、予めどのような演奏にするか、デザインがしっかり出来ていて、それを展開している、そんな感じがするのです。そのデザインが「スタンダード」と呼べるような内容なのではないか。演奏について言えば、何処でどのように演奏するか、考え抜かれている。その時、現場でリアルタイムに個々の表現に頼る部分があまり無いのではないだろうか。そんな風に思うのです。 それは、これがベートーヴェンだからなのかも知れません。そうでなくて、例えばシューベルトであれば、また違う演奏の仕方になるのかも知れない。 この演奏では、時に幾つかの四重奏団などが聞かせてくれる、楽器の響きを堪能させるような瞬間、というのはあまり無かった。それは、響きが悪いということではなく、響きが前面に出てくる前に、音楽全体の構成の下に統御されている、そんな感じがあるのです。 そう思って聞けば、確かに、ABQはそうだったな、そういう演奏をしてきたのかな、と思うのです。 アンコールには、ベートーヴェンのop.130の第5楽章。これもよく歌ってはいたけれど、決してその場の表現の成り行きに任せる、という風ではなかった。 最後は結構なスタンディング・オベーション。遺憾ながらそのような狂熱は共有し損ねていたので、自分は最後迄冷静に終わったのですが、演奏としては良かったな、と思います。ちゃんと寝ておけば良かった...... 来週、サントリーがあるんですよね............むむむむむ。
2008年05月24日
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東京国際フォーラム ホールD7 22:15~ シューベルト:弦楽五重奏 ハ長調 D956 チェロ:タチアナ・ヴァシリエヴァ プラジャーク四重奏団 ラ・フォル・ジュルネではお馴染みとなったプラジャーク弦楽四重奏団。昨年は、ドヴォルザークの「アメリカ」で稀に見る見事な力演を聞かせてくれました。 そのプラジャークSQが、シューベルト晩年の大作、弦楽五重奏を演奏するとなれば、否が応でも期待が高まるというものです。チェロにはロシアの新星、タチアナ・ヴァシリエヴァを迎えての公演です。 結果はしかし、予想とは少々異なる演奏でした。決して悪いわけではないんですが。 一言で言えば、もうちょっと泣けるかと思っていたのに、そこまで泣きの入る演奏ではなかった。ドヴォルザークの時は、第二楽章で大変情感のこもった演奏だったのに、今回はというと決して情感に乏しいわけではないんですけども、一体どういうことか。 思うに、プラジャークSQの演奏の面白さは、個々の奏者の演奏力の高さにあるのではないかと思います。勿論、多くの室内楽アンサンブルの奏者は、それぞれに優れた演奏家であるので、特別な話ではないというなら、その通りでしょう。誤解かも知れませんが、どうもプラジャークSQの場合、合わせること、もっと言えば合わせ込むことにあまり執着せずに、それよりも個々の奏者の表現を重視しているのではないかと思うのです。言ってみれば、75%くらいは合うのだから、それでよしとして、それ以上は合わせることよりも各奏者の表現を、ある一定の音楽的な方向性の合意の上に、それぞれに突き詰めて行くことに力を注いでいるのではないかな、と思うのです。 で、今年のシューベルトですが、多分、この弦楽五重奏の場合は、その方向性が「泣かせる」みたいな方にはいかなかったのだろうと思います。知情意揃った三拍子、の先で言えば、「意」の方向に重点があったような気がします。思うままに情に走って、流されてしまうのを踏み止まろうとするような演奏。 多分、そういう言い方だけではいけないのでしょう。思えば、昨年のドヴォルザークも、情感に溢れる演奏ではあったけれど、流されるがままに、というのとは違っていたように思います。いや、この演奏からは「流されるまま」なんていうのはちょっと想像が付かないですね。意志的な演奏、という言い方はちょっと妙かも知れませんが、そんな感じ。録音だと、少し違った感じ方をするかも知れないですが、この辺は通底していると思います。 今回の弦楽五重奏の演奏で印象的だったのは、後半の2楽章。普通、シューベルトの弦楽五重奏と言えば、長大な第1楽章と、シューベルト一流の緩徐楽章が目玉だろうな、と思うのですが、今回は第3・4楽章の躍動感のある演奏が印象的。 いや、第3楽章のスケルツォとトリオなど、下品なほどに激しいスケルツォと、がらりと雰囲気を変えたトリオとの激しい落差が実に鮮やか。とても活き活きとしたいい演奏なのだけど、なんともいえない俗っぽさがあるのです。シューベルトの俗で下品な面 - それがまたシューベルトのなんともいえない魅力であるのも確かなのです - を見事に浮かび上がらせた演奏といっていいと思います。第4楽章のアレグレットも見事。 これを聞きながら、なんとなく「あ、これがウィーン風なのかな」と根拠もなく思ったのでした。決して趣味が悪い訳ではないけれど、何処となく下品な面を感じさせる、けれどそれが魅力の一部になっている。そんな感じ、でしょうか。
2008年05月23日
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東京国際フォーラム ホールD7 16:45~ シューベルト歌曲リサイタル 「シラーの一節」D677、「孤独な人」D800、「冬の夕べ」D938、「さすらい人の月に寄せる歌」D870、「弔いの鐘」D871、「野外で」D880、「さすらい人」D493、「星」D939、「流れ」D693、「ばら」D745、「蝶々」D633、「マリア」D658、「彼女がここにいたことは」D775、「シルヴィアに」D891 歌曲集「冬の旅」D911 ピアノ伴奏の演奏(一部省略)+一部メゾソプラノによる歌唱 メゾソプラノ:白井光子 ピアノ:ハルトムート・ヘル 白井光子の二度目のリサイタル。前回はオリジナルのプログラムをなんとか歌ったものの、本人も言う通りの絶不調。「2日後の冬の旅に向けて頑張って回復します」と言ってはいたものの、非常に難しい状況だったのは明らか。しかも曲目は冬の旅。一筋縄ではいきません。 当日は、開場しても一切キャンセル・出演者/曲目変更等の案内は無く(本部のインフォメーションに案内が出ていたという話がありますが、コンサート前だったのかどうか?)、そのまま開演。 白井光子・ハルトムート・ヘル夫妻が登場しましたが、やはり演奏前に白井さんが話し始めました。声がおかしい。やはり....... 「やはり声の調子が戻らない。冬の旅は非常に厳しい歌曲集なので、全曲歌うのはとても無理。なので、一昨日と同じプログラムを歌わせて貰い、冬の旅はヘルのピアノだけを演奏させて欲しい。歌える所があれば、歌いたいと思う。」これが白井さんの説明。 正直、内心は「やれやれ」という思いでありました。前回のリサイタルの際にも書いたのだけど、プロとしては「歌わない」というのが常識的な選択だと思います。声が万全でないなら、止めておくべき。それは、声楽家という、音楽家の中でも一際デリケートな者に、許されると言えば許される特権です。別の言い方をするなら、代役を立てる、或いは中止する権利と義務があるとも言えるでしょう。 しかし、3曲目位から、はたと気付いてしまいました。 前回は長袖のドレスだったので気が付かなかったのですが、この日は半袖のドレスに薄地のベールをまとっていたので、肘の内側に綿と思しきものが付いたままなのが見えてしまった。 「あ、この人、注射どころか点滴打って舞台に立っているのでは?」 前半はほぼ前回と同様。やはり声は戻らず、前回と同じ程度 - もう少し聞こえていた? - でしかありませんでした。それでも、音楽の骨格としてはきちんとしていたのも同様だけれど。 そして、一度舞台袖に下がってから、再度登場。と、ヘルが椅子を持って来て、ピアノの前に白井さんを座らせます。正直、この時点で、「ああ、やっぱり、本当は歌うどころではない体調なんだな」と感得したのですが....... 「おやすみ」に始まり、ヘルのピアノだけによる演奏が続く、筈なのに、聞こえるのです。囁くような声が。「菩提樹」のあたりで、はっきりしました。白井光子が、椅子に座ったまま、囁くように、けれどピアノに合わせて歌っているのです。いや、歌、とは最早言えません。本当に囁き声。 正直言って、この辺ですっかり動揺してしまったのでした、私は。取り乱しました。いや、涙が止まりませんでした。 声楽家というのは、歌ってなんぼです。けれど、この楽器はとてもシビアです。人の声というものに人間は敏感ですから、音程などに狂いがあれば、我々はすぐに気付きます。ピアノでミスタッチが多少あっても、我々はそんなものかと思って流しますが、歌の場合は、結構分かってしまったりします。そして、器楽と違って、全て人間の身体でもって音を出す声楽家にとって、万全な体制で、きちんとした音楽を行うことは、非常な労力を伴います。言い換えれば、上手く行かないリスクも高い。 だから、概ね、声楽家のキャンセルに対して、比較的慣れたコンサートゴアーは寛大です。むしろ、万全でなければ歌わなければいい、くらいのことは思っている。 白井光子の選択は、だから、一般常識からして否定されるべき選択です。この状態であれば堂々とキャンセルすべきです。しかも、この日は2回目。状態も分かっているだろうから、回避する方法は幾らでもあったし、無理する必要も、常識的には無い筈。仮に払い戻しても、このコンサートのチケットは1枚2千円。キャパは230人程度ですから、50万円にもならない。協賛スポンサーの手前もある?折角来てくれたお客に対し失礼?でも、あの白井光子の状態なら、歌う必然性は全くなかった。知っていれば誰もが代役かキャンセルを支持したでしょう。はっきり言って歌うべき状態ではなかった。お客にとって以上に、白井光子自身にとって。 もし、あれが主催者やマネージメントの強い意向によるものであれば、ぶん殴ってやるところです。音楽と声楽家というものを知っているなら、本人が歌いたいと言っても歌わせるべき状態ではなかった。 いや、百歩譲って、諸々の理由によりあの状況になったとしても、白井光子がピアノの前に座る必要は無かった。少なくとも歌う必要はなかった。でも、囁くようにしてしまった。 声楽家として、そのようなことをする必要はなかったし、このような「歌」を誰一人望んではいなかったと思います。少なくとも、あのままヘルのピアノだけで終わっても、殆ど問題無かったと思います。だから、あれは、白井光子が歌いたかったのだと思うのです。 声楽家が歌えずに座り込み、それでもなお歌えるものならばとばかりに、誰も望まないのに歌おうとしてしまう。 私は俗に言う「感動」した訳ではありません。その歌をいいとも思わなかった。哀れんだ、というのも違う。声楽家というものの、敢えて妄執と言ってもいいほどの、歌いたいという執念を目の当たりにして、動揺したのです。正直に言って、その辺りから、やめてくれ、頼むからもうやめてくれ、そう思っていました。いつ席を立とうか、という思いと戦うので必死でした。これはもう音楽を演奏する、音楽を聴くという行為ですらなくなっているではないか、と。もう、これはコンサートではない、と。 本当に、音楽のことにせよ音楽外のことにせよ、こんなにコンサートが辛かったことはありませんし、これからも多分無いと思います。 けれども、結局席を立たなかったのには、いろいろの理由もあるにせよ、そこにはそれでも尚音楽が厳然として存在していたから、ということも間違いなくありました。 その白井光子の囁き声は、歌の態を成さぬ状態から、歌へと少しずつ変わっていったのです。そして、第21曲「宿屋」。後半、かなりの部分を歌い始めた白井光子は、ついにここで「歌」を取り戻すに至ります。それは勿論、本来白井光子なり、相応の実力を持つ歌手に期待されるものではないのだけれど、声量は乏しく、声域も本来よりずっと低くありながら、それでもきちんと歌になっているのです。 正直、その時の白井光子の迫力を思えば、鬼気迫る歌唱であったのは、音楽表現と言えるのか、自信はありません。しかし、あの「宿屋」は、疑うべくも無く歌唱として、音楽表現として、成立していました。私も、録音だけでなく、実演でも、冬の旅は何度も聞いて来ましたけれど、あの「宿屋」は、恐らく永く忘れることの出来ない歌唱だと思います。あの一曲だけで、十分音楽として受け取るものは受け取った、と思います。 そして、最後の「辻音楽師」。この最終曲で、ついに白井光子はピアノの前に立ち、歌いました。「宿屋」を聞いてしまった身には、この終曲はもうどうでもよかったとも言えるけれど、それはそれで白井光子の落とし前の付け方なのでしょう。 アンコールは勿論、再度喝采に応えることも無く、コンサートは終わりました。 私は逃げるように会場を後にしました。それでおしまい。 この白井光子の選択には、様々な意見、批判もあると思います。中には心無い意見もあるようだけれど。白井光子が何故あのようなコンサートを敢えて行ったのか、いろんな事情はあると思います。この春の褒章で紫綬褒章を受けたことが関係するのかも知れないし、今回のラ・フォル・ジュルネの目玉の一つのようになっていたこともあるかも知れないし、この200人あまりのお客相手ならこれで成立すると高を括ったのかも知れないし、この日の公演が公式に記録されるのが理由だったかも知れないし、大病を患い過去2年以上日本でリサイタルが出来ず、どうしても歌いたかったのかも知れない。それを歌手としての甘えだと裁いてしまうのは、それはそれで正論だし、俗な解釈で分かりやすい。人生はそれでとりあえず片がつくというものです。 でも、あの場にいた誰もが分かるように、そうする必然性は全く無かったし、もっと「楽な」解決策はあった筈。それでも、白井光子は、ああすることを選んだ。私は、これが決して最善の選択ではなかった、歌うべきではなかった、と思うのですが、それでもやはりその選択をした白井光子を認めざるを得ないのです。
2008年05月19日
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サントリーホール 18:00~ ピット席舞台上手側 シューベルト:交響曲第1番 プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 シューベルト:交響曲第4番「悲劇的」 ピアノ:リーリャ・ジルベルシュタイン 指揮:ユベール・スダーン なんでこのチケットを買ったんだったか、暫く思い出せなかったのですが、当日プログラムを再確認して改めて気付く。プロコフィエフの協奏曲の独奏が、ジルベルシュタインだったのね。でなければ、シューベルトの交響曲にプロコフィエフ、てなプログラムで、ピット席買って聞こうとは思わないか。 ジルベルシュタインは、録音では前から聞いているのですが、生演奏は聴けずに終わっているのです。一度は聞いてみたいと思ったので。でも、表側で聞くほどじゃないし。 サントリーホールのピット席は久しぶりです。大体がチケット高めになるからあまり積極的に行かないし、行くとすれば前側の席を目指すので。何年振りかのピットです。 ピット席、やはり音の面では何ともですね。オケものでも、どうしても音は前向きに出ますから、編成が比較的小さければいいけれど、バランスはよくない。そのかわり、舞台に近いので、指揮者やピアニストの様子は手に取るように分かります。しかも舞台の上手側なので、ピアニストの手許がばっちり見られる。 シューベルト2曲の間にプロコフィエフを挟むというプログラム。なんだか妙な感じです。シューベルトとはいえ初期の作品の間にプロコフィエフというのは.... 最初の交響曲第1番は、実はこの間ラ・フォル・ジュルネでシンフォニア・ヴァルソヴィアの演奏で聴いた曲です。で、感想はというと.....正直、ピットで聞いてると、やはり限界がありますので。分からないことがどうしても多いんですよね。 ただ、この間のラ・フォル・ジュルネで、この曲、或いは他の幾つかのコンサートを通じて感じたのですが、シューベルトというのは、なんとなく我々が思うよりもかなり通俗的な音楽を基本にしているんじゃないか、という気がするのです。 例えば、第3楽章。シューベルトのソナタ形式の器楽曲の多くは4楽章で書かれ、その第3楽章はほぼ型通り、速いテンポのメヌエット等の舞曲を基本に書かれています。大抵はABAの形式。ところが、これをよく聞いていると、かなり俗っぽいのですね。メヌエットと言っても、モーツァルトあたりが書いたような、ロココ調の優雅な舞曲ではない。そういえば、一昨年ノリントンがN響を振ってモーツァルトの39番をやった時、第3楽章のメヌエットを快速でダンサブルにやってますが、あれでも尚、メヌエットはメヌエット。シューベルトのは、宮廷の舞踊ではなくて、居酒屋の踊り。レントラーなんかがよく似合う。実際、元々シューベルトにはレントラーなどの舞曲の作品は多いですが。 この間のシンフォニア・ヴァルソヴィアや、プラジャーク四重奏団の演奏では、シューベルトの第3楽章について、そんなことを考えさせられたのですが、東響の演奏はそういう点では残念ながら「普通の第3楽章」。後半の第4番の方では、ABAのAとBの対比がより鮮明に出るという点で、もっと劇的表現も採りやすい筈なのに..... 最終楽章で、スダーンが一生懸命歌わせようと手振りで弦を、特に第1ヴァイオリンを煽るのに、殆ど付いて行ってないのがなんとも(苦笑)スダーンの指揮は指揮棒を使わずに無手で振る流儀のようですが、デュナミークは追随するようなのだけど、もう一つ先の表現が出ていなかった様子。 シューベルトって、きっと、結構下品な音楽なんですよ。最終楽章も、曲によっては急テンポのロンド形式なのだけど、もっと下世話な音楽でいいんじゃないのか、という気がするのです。第8番「未完成」や第9番「グレート」なんかはちょっと違いますが、交響曲でもこの辺の作品は、街角で弾かれているような感じの方がいいんじゃないか、という気がするのです。ヴァイオリニストではなくてガイガー、フィドラーよろしく演じる方が。 続いて、本日のお目当て、リーリャ・ジルベルシュタインの登場。いやー、よく指の回ること回ること!そりゃぁ弾けるんだからこのくらい回るんでしょうけど、それにしてもパワフルだ。なんとなく風貌がロシアの先輩・タチアナ・ニコラーエワに似て来たような気がするのは私だけ? この曲はよく知らないし、ひとまずはパス。まぁ、オケもよくやってたと思いますよ。この曲が、音的には一番厳しかったかな、ピット席としては。 休憩を挟んで、シューベルトの第4番。 曲想など、第1番とは随分違いますが、基本的な感想は同じ。 正直、ピット側なので偉そうなことは言えないけれど、位置の問題もあるにせよ、弦が弱いですね、東響は。きちんと弾いてはいて、合ってはいるのだけど、歌わないんですよね。予め決められたようには行くけれど、それ以上が無い。この点では、むしろ木管あたりの方がよく出来てると思います。 4番の最終楽章、スダーンが一所懸命声を上げて煽るのだけど、どの程度付いて行ったのかしら。聞いている限りでは、予定通りに強弱が付いている以上の雰囲気ではなかったけれど。
2008年05月18日
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NHKホール 15:00~ 3階最後方 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番 エルガー:交響曲第1番 ピアノ:ブルーノ・レオナルド・ゲルバー 指揮:尾高忠明 先週に続いてまたもダブルヘッダー。またもN響。だけど、もう一個の方は、いつ買ったんだっけ....... 今日のお目当てはまたしてもピアニスト。ブルーノ・レオナルド・ゲルバー。もう70に近いのですね、この方も。ここ最近あまり調子が良くないと聞いていたので、行ってみました。リサイタルは休日公演を買いそびれたし..... 子供の頃の小児麻痺の影響なのでしょうか、足を引きずるようにしてゆっくり登場。 元々、録音での印象は、大柄な音楽で、詰めは甘い人、という印象がありましたが、うん、そんな感じでした(笑)先週聞いたフライシャーとは随分違うタイプですね。 ミスタッチがある訳ではないし、テクニックとしては問題無い。ただ、フレージングとか、時々「ん?」と思わせるところがあって。あまりいい意味ではないですが。音も、繊細さという点では、荒っぽい訳ではないけど、よく言えば大柄、悪く言うと大味、なのかなぁ。でも、いい加減にやっているわけではないし、全体としてはまとまってはいるので、音楽としては楽しめました。ピアノを操るという意味では、ゲルバーの方がいいかなぁ。 オーケストラとしてはどうだったんだろう。ちょっと今日は何か精彩を欠いていたような気がしないでもないような。何処がどう、というと、難しいんですが。なんか今日は曖昧な話ばっかりだな..... 後半はエルガーの交響曲。 この曲、初演当時は非常な好評を持って迎えられたそうですが、うーん。確かに良く出来てはいるし、だから、プログラムに紹介されている「ベートーヴェンのようだ」(ハンス・リヒター)とか「ブラームスの5番」(ニキシュ)というような賛辞も分からなくはないのだけど。でも、今の我々の耳には、なんとなく中途半端に聞こえるような気もします。ブルックナーほどにはファナティックではなく、さりとてマーラーほどにはエキセントリックでもない。ブラームスの後継、と言えなくはないけれど、それにしてはやや変調だし。 おさまりが悪い感じ。これは、演奏の問題ではないんだと思うのですが。面白くない訳ではなかったけれど、ちょっと眠かった。我ながら、よく分からなかったかな。
2008年05月17日
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最近よく耳にしたり目にしたりする機会が多い言い回しに、「プロフェッショナルなんだろ」というのがあります。私自身もそのような問い掛け方をすることがあるのですが、実は、あの「プロなんだろ」という言い方が、私は大嫌いです。何故かというと、とても卑しい言い方だから。 通常、この種の言い回しは、何かで文句を言う場合に使われます。一般に、クレームと呼ばれる状況で。特に、店などで、そのサービスに対し文句を言う場合に。私も結構短気な方なので、よくクレームをしたりします。でも、「プロフェッショナルなんだろ」という言い方はしません。 入国カードなどを書かされる時、多くの国で occupation や profession を問われることがあります。職業というのは、ある人のアイデンティティの一部を成す要素でもあるのです。 ある人に向かって「お前プロなんだろ」と言うのは、つまり、その人のアイデンティティの一部を否定しようとしている、ということです。まぁ言葉本来の意味からすれば、レストランのウェイターや店屋の店員に向かって使う言葉ではない、ということですが、現実にはこの言葉結構使われます。それも、「お前これで金貰ってるんだろ」という意味で。 卑しい、と思うのはここです。「お前はプロフェッショナルなんだろ」という言い方は、一見すると相手のアイデンティティに訴えているように見えます。でも、実体としてこの言葉の使われ方は、「お前これで金貰ってんだろ」ということ。それで求めるのは何か?実のところ、自分がサービスに満足出来なかった場合に使われる。つまり、「俺は金払ってんだ」「俺は客だぞ」と言っている訳です。 profession というのは、ある「人」のアイデンティティの一部です。つまり、クレームを言う先にいるのは、例えば店員という「人」です。これはコンサートなどでも同じこと。舞台にいるのは音楽家という職業の「人」なのです。 そのサービスを受ける側は、「客」です。これは職業ですらない。どのような人でも立ち得る、単なる立場でしかありません。 そこには、サービスを提供する「プロ」と、その提供を受ける「客」がいる訳です。結局の所、そのような抽象的な「立場」がある、と考えるか、そのような立場をそれぞれ持った「人」がいる、と考えるか、ということです。 実のところ、「お前はプロだろう」という人は、自分を「客」というように定義付けて、自分にとって最大限有利な立場に追い込もうとしているだけなのです。そこには、「人」はいません。 コンビニなどでバイトの学生が仕事をしている、その仕事ぶりを批判する。気持ちは分かります。でも、そこで「プロなんだから」というのは、もう卑しいを通り越して滑稽でしかありません。アルバイトの学生君が、何かで「職業」の欄に記載するとすれば、「学生」と書くでしょう。彼は「プロ」ではないのです、店員として。そもそも時給千円か数百円かで「プロ意識」を問えるなんて本気で思っている人がいるとするなら、それはとんでもない勘違いと言うものでしょう。そのような人が思っている「プロ」とは、要するに「金貰ってんだろ」とうことでしかなく、それは言葉本来の意味での professional とは全く異なるものです。 別に、コンビニの店員がプロ意識を持ってはいけない、と言っている訳ではありません。それを「客」が要求することのおかしさ、哀れさの問題です。 ちなみに、professional を英英辞書で引くと、中にはこんな表現もあります。 "who has a job that is generally respected and requires special training" その「プロフェッショナル」という言葉に、respect する精神はありますか?それ以前に、「人」がいるのだ、という心がありますか?勿論、「プロフェッショナル」を名乗る側にも。
2008年05月16日
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新国立劇場 14:00~ 3F右手 マリー:ヴィクトリア・ルキアネッツ シャルロッテ:山下牧子 ヴェーゼナー:鹿野由之 シュトルツィウス:クラウディオ・オテッリ デポルト男爵:ピーター・ホーレ シュトルツィウスの母:村松桂子 ピルツェル大尉:小山陽二郎 アイゼンハルト従軍牧師:泉良平 マリ大尉:黒田博 ラ・ロッシュ伯爵夫人:森山京子 若い伯爵:高橋淳 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:若杉弘 演出:ウィリー・デッカー オペラである必然性ないんじゃないの、と思ってしまいました。或いはオペラを名乗る必然性ないんじゃ、でも可。 20世紀後半、第二次世界大戦以降、オペラというものは、存在自体を問われるメディアになってしまいました。要するに、それまでのオペラが、社会にとっての表現であったり娯楽であったりしたとすれば、もはやそれは表現や娯楽の担い手ではなくなってしまった。少なくとも、かつてのような地位からは滑り落ちてしまった。 オペラは聴衆から離れてしまい、芸術家のものになってしまった。内容にせよ訴えかける力にせよ、社会全体の要請に応える表現形式というよりは、芸術家個人の表現としての側面の方が強くなってしまった。かつての名作はともかく、新作としてはやはりそうであると言わざるを得ないし、芸術家の側もそういうものであると開き直ってしまった感があります。 それでも、欧州、特にドイツなどに於いて、オペラというメディア、フォーマットは、まだ社会と繋がりのある文化の一部として某か意味を持っているという共通認識があるのだと思います。とは言うものの、18世紀の社会批判的戯曲を、20世紀になって「オペラ」というフォーマットに載せることに、どれだけの意味があるのか?この点はやはり問われざるを得ないポイントなのです。それが「オペラ」である必然性は何ぞや?と。 まず、舞台としては、それなりに面白いものであったと言っていいと思います。 レンツ作の戯曲は、恐らくは階級社会の持つ非人間性を糾弾する、といった内容なのだと思います。(すみません、不勉強で読んだことありません)一方、ツィンマーマンの手によるこの作品では、兵士たち(「軍人たち」という訳は、少なくとも今回の公演を観ずる限りに於いては、むしろ「兵士たち」とする方がいいように思います)の「非人間性」の描写にも重点が置かれています。ただ、それ故に、この作品を「軍隊の持つ非人間性」「階級社会に於ける特権を持つ者達の残酷さ」といったものに重点を置いている、としてしまうと、今回の公演に限定しても、不十分と言うべきなのでしょう。 鍵の一つは、最初と最後に置かれた場面にあります。幕が開くと、白塗りの「市民」と思しき人々が、箱形の舞台を埋め尽くして並んでいる。その内、皆が引いて、その中の一人が孤立して取り残される。最初の場面では、それこそがこの劇の主人公であるマリーであり、最後の場面では、それが繰り返される。 こっから先は勝手な解題ですが、まず、この演出では、「兵士たち」は赤い服で統一され、「貴族たち」は黄色い服で統一されます。それに対し、「市民たち」は平服で、決して明るい色は無く地味だけれど、皆それぞれの服を着ています。マリーの堕落は、この色をまとって行くことで表現されます。冒頭で灰青色の平服を身に付けた(それまでは下着?姿)のマリーは、デポルト男爵(属性:赤)に誘われ、赤い帽子に惹かれ、やがては赤い靴、帽子、襟巻きをまとっていく。やがてラ・ロッシュ伯爵の息子と付き合い、貴族の服(属性:黄)をまとうマリーの前にラ・ロッシュ伯爵夫人が現れ、名誉恢復の申し出を受けます。が、その際、貴族として振る舞おうとするマリーは、姉のシャルロッテによって平民として振る舞うことを強いられ、更には伯爵夫人によって貴族の黄色い服を無惨にもはぎ取られます。その後、市民にも、貴族にも拒絶された下着姿のマリーは、赤い服を着せられ、赤属性の卑しい女=娼婦としての存在を強制されます。 しかし、赤属性=兵士たちが、諸悪の根源なのでしょうか?黄属性=貴族の傲慢さが悲劇を招いたのでしょうか?そうではない、と思います。 マリーの最初の恋人、若き市民シュトルツィウスは、マリーが堕落させられたことを復讐するべく、赤属性=兵士たちの一員となります。幕切れの前の場で、彼はマリーを堕落させた元凶のデポルト男爵を毒殺し、自らも死にますが、それによるカタルシスはありません。彼は赤属性のまま死んで行きます。彼の行為は、決して赤属性の非人間性の糾弾にはなっていないのです。 赤属性も、黄属性も、白属性も、いずれもが非人間性を抱えているのです。一度掟を破ったマリーを回収するところはなかった。市民社会はマリーを拒絶した。だから、マリーは、"軍人用娼婦" になるしかなかった。そういうことではないのか、と思うのです。(シャルロットの行為は、だから、残酷ではあるけれど自分の側にマリーを回収しようとした行為かも知れません。) 幕切れ後の、軍隊の行進を背景に、戦争にまつわる音響が鳴らされる最後を、単純に軍隊や戦争に対する糾弾と受け取って、それで済ませてしまってはいけないのではないかと思います。最終幕で、マリーの父ヴェーゼナーは、物乞いする相手が実は娘であることに気付かずにいます。彼にとって、別属性の卑しい存在を娘と認識することは出来ないのです。「兵士たち」は決して特別な場所にだけいるのではない。赤属性や黄属性のような社会共同体は我々の横にあるかも知れないし、それを眉を顰めて眺める我々も、単に白属性というだけで、その実誰かを疎外して生きているのかも知れない。そう考えると、この劇のエッセンスは決して特殊な環境下のものでは無いのでしょう。 ウィリー・デッカーの演出が、実際にそのようなものを目指したのかどうかははっきりしませんが、そのような解題をしてみてもいいのではないかと思いました。違うかも知れないけどね。 その意味で、劇としてはまとまっていた。まとめ過ぎ、とも言えるかも知れませんが、落とし所を付けたという意味ではいい仕事と言えるのではないでしょうか。 けれど、果たして、これ、「オペラ」としてはどうなんでしょう。思うに、殆どシュプレッヒェシュティンメで歌われるこの作品、PA入れて俳優がやっても同様の効果はあるかも知れません。一応「歌う」のが前提であること、及びフル・オーケストラを必要とすることなどから、オペラとして作曲され、オペラとして上演するのでしょうが........ この劇の現代性の有無を言えば、確かにあると思います。でも、それをオペラとして制作したツィンマーマンの意図、立ち位置が、果たして奈辺にあるものか、ちょっと考えてしまいます。勿論、この作品が書かれた1960年代末には、まだ今ほどにはPA技術などが進化していなかったのも事実でしょう。でも、既に大衆文化の時代でもあります。正直言えば、作曲時点で既にこの作品、微妙な位置付けであったのではないでしょうか。ある意味「古い」のです。ファインアートとしての「オペラ」というクラシック音楽の現代作品としては評価のしようはあるとしても。 それを措いても、今回の上演、劇としては面白く観ましたが、オペラとして見るならば、率直に言って、残念ながら力量不足が散見されました。マリー役のヴィクトリア・ルキアネッツはよく頑張っていたと言っていいと思いますが、他は皆それぞれであるにせよ、不十分。 この劇の内容で言えば、普通に歌えました、というのでは駄目で、要所要所で力強く刺すように突っ込んでくるくらいの歌唱がなければ、「オペラ」として上演する意味が無いと思うのですが(それはそもそも無理と言うなら、ツィンマーマンのオペラとして作曲したという選択自体が間違いでしょう)、主要な役はいずれも「歌えてはいる」レベルで、それ以上の突っ込みがもう一つ足りない。「その先のもう一声」が欲しい所で、出せていないのです。デポルト男爵のピーター・ホーレがまぁ「もう半分」くらい出ていたかなと。この点では、日本人キャストは全滅に近い。かろうじて支えるレベルにはあったのがシャルロッテ役の山下牧子。それ以上、唯一「もう一声」の存在感を出せていたのがラ・ロッシュ伯爵夫人役の森山京子。この二人とマリーによる3重唱は、この作品がオペラである必然性を唯一垣間見せてくれた瞬間かも知れません。 これに、シュトルツィウス役のクラウディオ・オテッリ(でも「あと一声」は不十分、「あと半分」くらい?)とマリーの祖母役である寺谷千枝子くらいが、今日、割合に存在感があったと思います。後は遺憾ながら役者不足。でも、Musiktheaterなどと称しつつPAを入れるようなことをせずに、基本PA抜きで臨むあたりが若杉の意地というところでしょうか。 東フィルはよかったです。なんでまぁ東フィルにせよこういう音楽の時は張り切ってガンガンやるのか(苦笑) 若杉弘がこれを上演したかったというのはまぁ結構だし、決して悪い演奏だったとは言いませんが、お客さんの雰囲気といい、ネットでの雰囲気といい、果たしてどの程度この劇がきちんと受け止められたのか、少々疑問ではあります。現代物の場合、作品の存在自体に理解は示される割に、存外きちんと受け止めていない場合がありますし。19世紀の作品と同じように受け止められることが、現代物を理解出来ているということだと思われているケースも無きにしも非ずですから。その意味で、果たして若杉弘(とウィリー・デッカー)の目論見は何処迄成功したのでしょうか。ちょっと考えてしまいます。
2008年05月11日
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NHKホール 18:00~ 3階最後方 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 パヌフニク:カティンの墓碑銘 ルトスワフスキ:オーケストラのための協奏曲 ピアノ:レオン・フライシャー 指揮:尾高忠明 ラ・フォル・ジュルネも終わって、そろそろ週末はいつものパターンに戻ります。といいつつ、まだLFJネタは続くのですが...... 今日はつい勢いでダブルヘッダーになってしまいました。先に観た「軍人たち」が結構終わるのが早かったので、つい。順番から行けばそちらが先ですが、N響は明日も公演があるので、こちらを先に。今月のAプロはラジオ放送も無いようなので、ご紹介しておこうかと。「軍人たち」は後回しですが、短評としては「オペラとしての評価は難しいが演劇として面白いと言えば面白い」というところでしょうか。 今日の引きは、レオン・フライシャー。セル指揮・クリーヴランド管との協奏曲の録音で聞き知っていますが、それはもう40年前の録音。その後病を得て右手が利かず、長らく第一線から退いてしました。近年ようよう恢復して演奏活動を本格的に再開したピアニストです。 既に一昨年来日していますが、その時は聞きそびれたので、今回聞いてみたいと思い立ってのことです。こちらの興味は「あの"セルのピアニスト"がどんな演奏をするのか?」というところ。 結果は?うん、まぁまぁでした。 「皇帝」については、この間、第1楽章だけだけども、随分な演奏を聞かされてしまったところなので、あれから比べるとかなりいい演奏。 正直、ミスタッチは多い。ああいう曲なので、皆無というのも大変だけど、ちょっと多かったですね。特に後半。それと、微妙にオケと合わない部分もあったように思います。要するに、上手にやろうと思えば、もう少し上手く出来るのではないかな、と。それに、一部、フレージングに不自然な点があったかな。 じゃぁ、何が良かったか?一言で言うと、とてもリリカルな演奏だった。ああいうホールにも関わらず、恐れずに控え目な演奏。それでいて、ちゃんと3階の後ろまで届いてくる。ガンガンと叩くのではないけれど、きちんと聞こえる演奏。弱音は弱音として聞こえてくるし、旋律が旋律として聞こえる。そういうところはちゃんと聞かせるのです。ミスタッチは、例えばアルペッジョの処理で起きたりするのであって、音楽的に致命傷ではない。それを補って余りある、叙情的な演奏。 そういう「皇帝」をいいと思うかどうか、という向きもあると思いますが、個人的にはこういう演奏、評価としては微妙だけど、微妙なりに好きです。 そう、セルとの協奏曲の録音のイメージで聞くと、随分違うでしょうね。あの録音は、割合に端正で、力強さもあった。リリカル、というイメージではないですよね。でも、40年前の演奏と同じ、という方が本来妙なんだし、その間に病気もしているのだし。 後半はポーランドの作曲家2曲。尾高忠明こだわりの選曲なんだそうですが、こだわるだけあって面白かった。 パヌフニクという人、私は名前も音楽も初めて聞いたのですが、よく知られているのでしょうか。カティンとは、第二次大戦中にソ連軍によりポーランド人が虐殺された事件の地。冷戦下で曖昧化されそうだったこの事件の記憶を喚起せんが為にこの曲を書いたのだそうです。10分足らずの小曲で、美しく、かつ力強い曲。不謹慎な言い方をすれば、バーバーの「弦楽の為のアダージョ」の少し頭を使わされる版、でしょうか。「墓碑銘」と題されるだけあって、事件そのもののイメージを喚起するものではないのでしょう。ただ、大きく迫ってくる何かがあるのはよく分かる。そんな曲です。 ルトスワフスキのは、まぁ、ルトスワフスキですね(笑) 正直、このコンサートの前に、ツィンマーマンのガチンコ現代音楽(まぁ割合に聞きやすい方だけど)を聞いて来た耳には、なんと心地よく響くことか(笑)でも、実際、調性感の残るルトスワフスキの音楽は、ベルクあたりと比べても、聞きやすいと感じてしまうくらい。でも、それが悪い訳ではなく、むしろ現代オーケストラのパフォーマンスを最大限に引き出し、楽しませてくれる、という意味で、よございました。 という訳で、なかなか面白いですこのコンサート。フライシャーも調子が更に良くなってるかも知れないし、後半の二曲は現代曲としてはかなり親しみやすいと思うし、明日15時からの公演、気が向けば是非行かれてみては如何かと。今日は、雨のせいもあってか、自由席は決して大入りではありませんでしたし。何せN響定期の自由席は、映画より安い1500円。行ってみて損は無いと思います。 ちなみに、NHKホール周辺の広場では、今日明日は「タイフードフェスティバル」を開催中。大混雑で尚かつ雨模様ですが、早めに行ってスパイシーなタイフードに舌鼓を打ちつつ、N響のぴりっとした演奏を聞く、というのも悪くないのでは。 ところで、コンサートマスターの篠崎氏、なんかパーマをかけてて、気のせいか茶髪気味に見えたのだけど..............グレた?(笑)
2008年05月10日
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というわけで、折角引っ張ったんですから書かなきゃね(笑) くどいようですが、取り敢えず白井光子のリサイタルは別格扱いとして。 1:シュテファン・ゲンツ(Br) & ミシェル・ダルベルト(p) ベートーヴェン「遥かなる恋人に寄す」他 5/4 ホールB5 16:45~ 335 今年の白眉はやはりこれ。って、シューベルトじゃないじゃん!? いえいえ、ちゃんとシューベルトも歌ってるのです。「ガニュメート」、 「プロメテウス」、そして「魔王」。でも、正直、一番良かったのは ベートーヴェン。古典的な歌曲にダルベルトの端正なピアノと相俟って、 前日の「白鳥の歌」よりいい出来映えでした。 2:小曽根真(p) シューベルトの歌曲と即興曲による即興演奏 5/3 ホールC 20:15~ 247 今年は、小曽根さんは惜しくも次点。まぁ、妥当な線でしょう。 今年はついに本領発揮、「野ばら」「ます」「アヴェ・マリア」「菩提樹」 即興曲 D935-4 「子守唄」を題材にジャズを演奏。ゴスペル風の「菩提樹」と 舞曲=即興曲による皮肉の利いた演奏が良かったです。 3:コレギウム・ヴォカーレによる男声合唱、フランク・ブラレイ(p) シューベルト合唱曲集と即興曲他 5/4 ホールB5 18:30~ 336 今年もいい合唱団が沢山来ましたが、個人的には一番楽しかったのはこれ。 昨年のアクセントゥスのようなとんでもないようなのが無かった分、どれも それぞれにいい、という状況だった中、合唱の「楽しさ」を聞かせてくれた 合唱団でした。「歌ってみたい」と思わせたのは、ここでした。 その他・次点 ・ヘンドリックスのリサイタル (5/4 ホールB5 20:15~ 337) 流石に名歌手。衰えたりとは言え貫禄十分。 ・プラジャーク四重奏団他 弦楽五重奏 (5/4 ホールD7 22:15~ 358) ・プラジャーク四重奏団 「死と乙女」 (5/5 ホールB5 11:30~ 432) この二つはいずれまとめて....... ・マンメルの「白鳥の歌」 (5/4 ホールB5 13:15~ 333) 若い声のテノール歌手。表現が先に立つところもまたよし。 コルボの名前がありません。実は3回も聞いているのですけどね。 意図的に外したのではなくて、演奏としては良かったけれど、やはり今年はドイツリートの当たり年。Best、って言ったら、こうなってしまいました。それだけ、今年はレベルが高かったということだと思います。 いや、実際、書くことは一杯あるんですが、本当に書き出すときりがないくらい。
2008年05月09日
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ちょっと落ち着いてきましたし、今年の感想など。 一般には今年は地味、と言われていたようですが、ドイツリート好きとしては、個人的には超豪華メンバー揃い踏みという年になりました。予定ではホルツマイアーも来ることになっていたのがゲンツとマンメルに振り替えられたり、白井光子の思わぬ不調に遭遇したりということもありましたが、250人そこそこのホールで、このクラスのマイスター達を聞くというのは、本当に何度もない機会だったと思います。シューベルティアーデだって、小さくていいホールと言いつつも、500人クラスのホールとかですから、タイト感では抜群です。それに、あちらも1日3回くらい聞けるかも知れないけど、ここまでとっかえひっかえとは行きませんからね。 今年は、そういう意味では、声楽系が非常に充実した年だったと思います。まぁ、正直言うと、そのへんが、一般には「地味」と見られた所以かも知れませんが、個人的にはシューベルトって言ったら歌曲・ピアノ・室内楽で決まり!と思っているので、非常に満足の行く5日間でした。 言い換えると、「未完成」も「グレイト」も聞かなかった。でも、この辺の曲は幾らでも普段のコンサートで聞けますからね。有名曲という意味では、ピアノ五重奏「ます」とか弦楽五重奏を聞きましたが、実はこの辺の曲、有名な割に実演に接する機会は多くないので、その点でも満足度は高いです。 自分が聞いた中でのベスト・コンサートとかは、また次回ということにしてネタを引っ張ろうと思います(笑)ただ、一つ言えるのは、今年は本当に打率が高かった。大体、ラ・フォル・ジュルネに関しては、いつも「あまりよくなかったコンサート」は礼儀正しく言及を避けて(苦笑)いるのですが、それにしても毎年お世辞抜きで打率はいつものコンサートより高いのです。「これは外れだなぁ....」とか、「これはつまらなかったなぁ......」という公演は多くないのですが、今年は更に厳選した結果もあってか、本当に外れがなかった。不本意な公演、というのはあったけれど、それは別格として、本当に高打率だったと思います。 5日の内4日までもが雨模様とあって、人出は今一つだったようでもありますが、段々皆さん楽しみ方が慣れて来たのではないかな、という気がします。それと、以前と違って、各ホールの終了時刻の調整が上手く行っていたのか、比較的駆けずり回るというケースが少なかったのでは、と思います。なんて、偉そうに言えた義理ではないですが........(^^; 偉そうに言えた義理ではないと言えば、お客さんのマナー。以前から「初心者」のマナーより「玄人」のマナーの方がなってない!なんて話をしていましたが、今年は随分気持ちよく聞けたように思います。 そりゃ子供は泣く時は泣くけれど、親御さんの方もよく心得ているし、携帯なんかも普段のコンサートよりよほどきちんと管理されてたような。いや、あまりにも絶妙なタイミングで、小曽根さんのソロで、しかも休止のタイミングを見計らったかのように鳴ってた、てのがありましたが(笑) 一方、「玄人」さんの方も、以前に比べると変な客は減りました。うるさく文句を言う姿もあまり見られなかった。自由席で席取りする姿も、まぁまぁ常識の範囲内(一部"なんだ?"というのもありましたが)だったし。まぁ、「お前何様?」という感じの尊大なお客も、例によっていましたが、ああいうのは何処にでもいるし、もう仕方ないからなぁ......... 恨むべくは、やはりお天気でしょうか。生ビール!そりゃ飲むには飲みましたよ。でも、ラ・フォル・ジュルネの楽しみの一つは、天気のいい昼下がり、広場で飲む生ビールなのに! ええ、そりゃ、打ち上げもあったし、飲むには飲みましたよ。でも、やっぱり、休みの日の昼間の生ビールが......(・・、
2008年05月08日
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最後は、ボランティアの打ち上げで終わりました。先ほど、マルタンさんの写真を速報でアップしましたが、盛会のうちに終了しました。写真は最後の集合写真です。うーん、さっきのマルタンさんといい、いまいちピンぼけですね。やはり携帯のカメラじゃこんなもんか......まぁ、公開用なのでこのくらいでいいかな、と(^^; ラ・フォル・ジュルネのボランティアは今回が初めての試みだったわけですが、慣れないなりに皆さんそれぞれに頑張られて、なんとか好評?の内に終了できました。ハンドベル野ばらも好評だったようですし。お客様からも、クレームも、まぁ多少あったらしいですが、不行き届きもあったこととは思いますが、それ以上に皆様から心暖まるご声援を頂いて、無事終了出来ました。皆様が気持ちよくコンサートをお楽しみ頂けたならば良かったのですが、まぁ、大丈夫ですよね........と勝手に思うことに致しました(笑) 本当に、慣れないこととて、皆さんも色々大変だった話もあったと思います。ちなみに、私はというと....... ・初日、いきなり「ハンドベルお出迎え」を聞かされ、いざ本番!でものの見事に 途中で仕切り直し。あれは慌てたけど楽しかった(笑) ・某コンサートで、演奏者希望により「途中入場は第2楽章が終わったところに して」となり、必死で楽章チェック。いや、今迄、あの曲(シューベルトの 若書きの四重奏)をあんなに真剣に聞いたことは無かった......しかも楽章の 終わりをキャッチするためだけに(笑) お客様の皆様、ホールD7のスタッフのTさん、MAさん、Aさん、MUさん、そして関係オフィシャルや警備の皆さん。皆様の御助力があればこそ、我々ボランティアも無事運営が出来たものと思います。本当に有り難う御座いました。 皆さん、お疲れ様でしたー! 来年もまたやりましょう!(仕事が入らなければ.....(--;) ちなみに、こちらは、強者共が夢の後の、シューベルトワインであります。
2008年05月06日
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というわけで、楽しかったラ・フォル・ジュルネもおしまいです。ただいまボランティアの打ち上げ中、特別ゲストもおいでいただきました!
2008年05月06日
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うわぁ見たまんま(笑) 味は期待通り、美味しかったです。 今日はようやく天気も良くなって、生ビール日和になったのですが、さすがに今日は飲むわけにはいきません。残念… 先程、コルボ指揮のミサ曲第6番を聞いたところです。これも良かったです。 さぁ、もう一公演!
2008年05月06日
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物事、始めがあれば終わりがあるのは世の理であります。 いよいよ今日がラ・フォル・ジュルネ最終日です。 今日は朝から追加公演の販売があるようですが、もう時間的には始まってるんですよね。どんな案配なのでしょう? 個人的には、今日は、ボランティアの2回目。最終セットに入ります。なので、午前中にちょっと聞いて、コンサートとしてはおしまいです。その後が本番な訳ですが....(笑) 今回、地上広場の屋台についてまるでレポートしていなかったような....... 結構使わせて貰いました。やっぱりお手軽ですからね! 色々試しました。写真はローストチキンのハーブライス添え。結構スパイシーで、美味しかったです。他にも、ハヤシライスだのあんかけチャーハンだの、幾つもトライしました。今日の狙い目はフォーなのですが、昨日は出ていませんでした。今日はどうかな? 皆さんも、最後まで、それぞれのラ・フォル・ジュルネを楽しまれますように!
2008年05月06日
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今日は書けないことがあって......... 白井光子の「冬の旅」(ホールD7・455)、一体皆様はどのように思われたのでしょうか。私は不覚にも醜態を晒してしまったので、なんとも...... 一つだけ確かなのは、今迄これほど辛いコンサートはなかったし、これからも、これほど辛いコンサートに出会うことは無いだろうと思う、ということ。このことは、いずれ、このサイトで書こうと思います。でも、実質、音楽がどうとかいうことでは、もう、ないんですよね。 私は決して白井さんの熱心なファンではないけれど、その内容の是非を問う気にはもはやなれません。その意味で、私は白井さんがこの2回のリサイタルで取った選択を支持することにします。 仲道郁代の即興曲とソナタ13番の演奏(ホールD7・451)。良かったです。端正で叙情的。言ってしまえばそういうことなのですが、とてもいい音楽になっていました。この演奏を聞いて、しかし、思ったのは、彼女が録音を続けて来たベートーヴェン。あれを聞いてみたい、ということ。きっと、いいんだと思うんです。まだ全然聞いてないんですよ。 コルボ指揮の、ロッシーニの小荘厳ミサ曲も、既に書きましたが、良かったです(ホールC・443)。特に後半、合唱が暖まって来たのか、非常によく合うようになってからは、これぞローザンヌ!という歌唱になっていました。でも、今日の合唱で良かったのは、ミサ曲の5番で歌ったカペラ・アムステルダム(ホールC・448)。ハーモニーも見事だったけれど、表現力が素晴らしい。 夜には、小曽根真さんのワークショップもあって、こちらも大盛況でした。でも、時間が合わなくて、途中30分くらいしか見てないんですが、興味深い話がいろいろありました。クラシックの協奏曲で、オーケストラとインタープレイを展開出来るか?みたいな話とか。小曽根さん自身、それなりにクラシックに惹かれておられるようですね。ただ、個人的には、小曽根さんは、ピアノ・トリオ等のモダン・ジャズの流れを汲むスタイル、ビッグバンド、クラシックの3フォーマットがあってこその今の状態だと思うので、これから何処へ向かわれるのか、ちょっとドキドキしながら見ています。
2008年05月05日
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コルボ指揮の小荘厳ミサ。良かったです。特に後半の合唱は見事でした。ローザンヌ声楽アンサンブル、本領発揮というところですね。 白井光子も聞きましたが、こちらの話はまた後程。といっても、ちょっと書く自信がないんですが… 外はまた雨ですね。やれやれ。今日はもうちょっと聞きます。
2008年05月05日
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今日はこれからコルボ指揮のロッシーニ・小荘厳ミサを聞くのですが、NHK FMで生放送、という看板が。この公演を中継するのかは書いてませんでしたが、夜までやるみたいです。
2008年05月05日
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ちょっと元気が無くなって来ました.....いやいやそんなことは(^^; というわけで、いよいよ後半戦です。 今日も天気はちょっとはっきりしませんねぇ。 今日は、個人的には、白井光子の「冬の旅」が最大の関心事。白井さん、歌えるのでしょうか。とっても気になります。でもまぁ、気にしても仕方ありません。キャンセル・代役は声楽の宿命。普段だってあることだから、今更慌てますまい。白井さんにとって最善の選択が為されることを祈っております。 それと、ロッシーニの小荘厳ミサ曲。コルボ指揮、ローザンヌ声楽アンサンブルが登場です。これも楽しみ。 今日もいろいろスケジュールが詰まっていますが、時間があればビール飲もう..... そうそう、今夜は小曽根さんのワークショップも20:30から「トラウトナイト」で行われるので、出来ればそっちにも行きたいなと思います。時間無いけど....(苦笑) では、行ってきます!
2008年05月05日
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結局今日はリート三昧の一日でした。 ハンス・イェルク・マンメルによる「白鳥の歌」のリサイタル(ホールB5・333)。マンメルという人、ムラのある人のようで、必ずしも安定してはいなかったけれど、表現が前に出るタイプなのか、当初の予想を超えて結構聞かせてくれました。 シュテファン・ゲンツのベートーヴェン「遥かなる恋人に寄す」、ウェーバー、シューベルトというプログラム(ホールB5・335)。これも良かった。やや古典寄りの曲目でしたが、これがゲンツに結構合っていたのでは。ヘンドリックスのリサイタル(ホールB5・337)も申し分なし。 それと、コレギウム・ヴォカーレによる男声合唱(ホールB5・336)。シューベルトの合唱曲を歌ってくれたのですが、これが良かった。私、昔少しだけ合唱やったことがあるのですが、「ああ、歌ってみたいな。またやろうかな」と思わせるような合唱でした。いや、勿論、コレギウム・ヴォカーレと比べるなんて不遜なこと甚だしいのではありますよ、勿論。それはよーく分かってるのですが、それにしても、ついそんな風に思ってしまう。そのくらい、楽しい演奏だったのです。何かが面白いとかいうことではなくて、ああ、いいなぁ、歌いたくなってくるな、と、自然に思わせるような合唱でした。これは密かに今年の一押しかも知れません。後からじわじわ効いてくるタイプでしょうか?(笑) リート三昧は、明日予定の白井光子で一応終わるのですが、明日どうなるんだろう...... と思いつつ、明日の資料を、と、本棚を漁っていたら、ヘルマン・プライが1997年にサントリーホールで行った「シューベルティアーデ・ツィクルス」のプログラムが出て来ました。あれから10年以上経ったのですね。 プライがもし生きていても、もう70歳代後半、とても現役ではいないとは思うのですが、彼なら、きっと「ラ・フォル・ジュルネ」のような試みに賛同してくれたんじゃないかな、と、今更ながら思うのであります。今の「シューベルティアーデ」は、ちょっとしたいわゆる「音楽祭」ではあるけれど、彼ならきっと今回の出演者に名を連ねてくれるんでは......などと思ったりするのではあります。埒もない話ですが。 閑話休題。 最後に聞いたプラジャークSQらによる弦楽五重奏の公演は、これまた改めて書こうと思います。
2008年05月04日
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ラ・フォル・ジュルネ2008の小ホール公演はもう完売.....とお嘆きのあなた、ニュースが飛び込んで参りました! 最終日の5月6日(火)夕方、追加公演が決定です! ラ・フォル・ジュルネ公式サイトの発表はこちら 詳しいことはサイトにもあまり出ていません。概要以下の通りです。(はい、コピペしました...) 日時:5月6日(火) 18時45分~19時30分 会場:ホールB5(テレーゼ・グロープ) 公演番号:536 料金:自由席2,000円 タイトル:「プティ・シューベルティアーデ」 出演:アンヌ・ケフェレック(ピアノ) シャニ・ディリュカ(ピアノ) 児玉桃(ピアノ) イド・バル=シャイ(ピアノ) トリオ・ヴァンダラー 曲目:未定 チケット発売: 5月6日(火) 8時15分より、東京国際フォーラム内チケット オフィス(ガラス棟B1Fロビーギャラリー)にて発売開始。 曲目はともかく、出演者はかなり奢ってますね。ケフェレックやトリオ・ヴァンダラーが出演ということですから、期待出来るのでは? ホールB5は250人ほどしか入りませんので、これは当日朝から行列、ってところでしょうか? こういう突然のプレゼントって、いいですよね。 それから、公式サイトに、4日18:00現在の残券情報がアップされていたので、こちらもURLを表示しておきます。 http://www.lfj.jp/lfj_2008/news/2008/05/511000.php チケットは生ものなので、既に状況が変わっていることもあると思います。チケットぴあでも発券出来る筈なので。必要であればお早めに! ※一応言っときますが、アフィリエイトでもLFJの回し者でもありませんのでして.........いいとこ勝手連ですので(^^;
2008年05月04日
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という訳で本日二回目のレポートです。 写真は、ホールB入り口前に待機中のウ゛ェロタクシー、輪タクです。無料で丸の内地区を回ってくれるとか。明日明後日は天気が良ければ気持ちいいでしょうね。 シュテファン・ゲンツは、よございました。「もっと聞きたい!終わらないで~」とつい思ってしまいました。 それから、バーバラ・ヘンドリックス。こちらも良かったです。もうかなり年配になられましたが、まだまだいけますね。 今日はもう一公演聞いて終わりです。
2008年05月04日
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今日は、雨は降りそうにないですが、なんとなくはっきりしないお天気。 まぁ、屋内でコンサートを聞く分には、差し支えないんですが… 今日はドイツ・リート三昧。ハンス・イェルク・マンメルの「白鳥の歌」を聞いて、次はシュテファン・ゲンツの歌う、ベートーウ゛ェンの「遥かなる恋人によす」その他、です。 やはりお目当てのドイツ・リート、予想に違わぬ好演奏が聞けそうです。 隙を見て、地下の展示ホールでの無料公演も見てみましたが、こちらも大盛況の様子です。
2008年05月04日
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いよいよラ・フォル・ジュルネも中日を迎えました。 今日は自由席公演がメインなので、並びっぱなしになるかも知れません(^^; とはいえ、歌曲等の声楽系の公演が目白押しなので、張り切らねば。 天気も回復して来て、今日あたりは、地上広場でビールなんか頂くと、最高なんでしょうけどね.....ということは、今日は人出も凄いのかな? 地上広場、今年は気のせいか洋食系が目立ちます。オムハヤシとか。生ビールに合いますね。でも、今日あたりからは、天気もいいし、さっぱり系がいいかな?まぁ、暇があれば、なんですけど... では、行ってきます!
2008年05月04日
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東京国際フォーラム ホールD7 17:00~ シューベルト歌曲リサイタル 「シラーの一節」D677、「孤独な人」D800、「冬の夕べ」D938、「さすらい人の月に寄せる歌」D870、「弔いの鐘」D871、「野外で」D880、「さすらい人」D493、「星」D939、「流れ」D693、「ばら」D745、「蝶々」D633、「マリア」D658、「彼女がここにいたことは」D775、「シルヴィアに」D891 メゾソプラノ:白井光子 ピアノ:ハルトムート・ヘル 白井光子の日本でのリサイタルは、過去2年連続でキャンセルになっています。その間白井光子は大病を患い、漸く復したのが昨年のこと。昨秋の来日公演は夫君でもある伴奏のピアニスト、ハルトムート・ヘルの怪我ということで中止になったのでした。 今回、ラ・フォル・ジュルネでの公演が実現ということで、正直、今年の最注目公演はこれ、というのがリート愛好家の本音やも。 冒頭、登壇した白井より、「風邪を患ってしまい、漸く復調したが、まだ声が出ない。今日も注射を打って貰って、出て来ている状態。オクターブ下げて歌うなどするが、場合によっては声が出なくなるかも知れない。その時はピアノ(伴奏)はちゃんと弾くから、御勘弁願いたい」とのコメント。この時点で既にやや異様な雰囲気です。 そして歌い始めたのですが、正直、声が出ていない。私は2列目というかなり前の方に陣取っていたのですが、それでもかろうじて聞き取れる程度。後ろの方は殆ど聞こえなかったのではないかな。いや、御本人も言われていましたが、本来ならキャンセルすべき状態です。 プロたるものは常にベストの状態で演奏会に臨むべきだし、ベストでないのならキャンセルすべきである。「ベスト」の内容に幅はあるかも知れないけれど。これが基本だと思います。「今日は調子が悪いから.....」というのは、まぁ、言い訳ですね、基本的には。それならキャンセルすべきなのです。あまりキャンセルされても困るけれど。 これは、聞く側として、お金の問題ではありません。下手によくない演奏を聞かされるくらいなら、代役を立てて貰ったりする方がいい。払い戻しでもいいと言えばいいけれど、いずれにせよ、歌えないレベルの「良くない状態」であれば、当人の為にも止めるべきです。 コンサートの最後に、2年ぶりの日本公演で、どうしても今日は歌いたくて、このような形で歌わせて頂いた、と話しておられました。その気持ちはよく分かります。だからこそ、無理しないで欲しかった。ここで無理をする必要はないのだから、と、思います。 でも、白井光子は歌った。その歌唱はやはり、率直に言って「聞くに堪えない」に近いのですが、しかし、それほどの酷い状態でありながら、そのやっとのことで歌われている歌が、ちゃんと音楽として機能している。 歌唱としては、どうしようもなく聞こえないんですが、聞こえてくる歌が、きちんと歌になっている。後半、喉が暖まって来てか、多少声量が上がったにせよ、終始声量を上げなかったのは、歌えない中で、歌としてはきちんとしたものを歌いたかった白井の選択なのだと思います。だから、オクターブ下がっていようが、十分に声が出なかろうが、「やりたかったのは多分こういうこと」というのが伝わってくるのです。 「万全」の状態であって尚、歌が崩れてしまう人、声に頼って力技でまとめてしまう人は少なくありません。でも、それは、歌としては、音楽としては、厳しく言えば失格です。白井光子の今日の歌唱は、出発点でそもそも問題なのだけど、歌としては、聞こえないし原音から遠く離れているけれど、ちゃんと歌になっている。 白井光子ほどの人であればこそ、というべきでしょう。音楽家としての矜持を垣間見た思いです。 5日の冬の旅に向けて、復調出来るよう頑張ります、と言っておられましたが、どうか無理をしないで欲しいと思います。あなたの思いは伝わりましたから、本当に復調出来ればそれでよし、どうか、どうか無理をなさらずに。ご自愛なさって頂きたいと切に願うのです。元気であれば、また、歌うことは出来るのだから。
2008年05月04日
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今日も、あらかた書いてしまったのですが、白井光子のリサイタル(ホールD7・255)については、項を改めて書いておこうと思います。 やはり、小曽根真ソロ(ホールC・247)は素晴らしかった。既に書いた通りですが、全体的にも今回はジャズでした。ただ、素材にシューベルトを使ったせいもあってか、ライブで小曽根さんが時折見せるようなディープなジャズの色は、ちょっと薄かったかな。「野ばら」と「ます」でのチャールストンかと思わせるようなご機嫌な音楽から、「アヴェ・マリア」や「菩提樹」をモチーフにした内省的な、小曽根さん一流のジャズ、そして即興曲。この辺は全開でしたでしょうか。アンコールの子守唄は、途中誰かの携帯が鳴ったのもご愛嬌にしてしまう懐の深さも見せてくれました。(でも消そうね、電源) それと、コルボ指揮のスターバト・マーテル(ホールC・243)。谷村由美子の美声、かつ力強い(声量があるだけとは違う!)声。良かったなぁ。勿論、ローザンヌ声楽アンサンブルの合唱も◎。 さぁ、明日も頑張ろう~
2008年05月03日
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丁度今終わったところです。 いやー、予想に違わず面白かったです。 シューベルトの歌曲と即興曲を題材に即興演奏、ということでしたが、最後の即興曲を題材にしたのが一番印象的でした。 舞曲風の曲なのに、なんだかリズム感の悪い演奏だな、と思う内にあれよあれよという間にジャズの間合いに。途端に音楽が生き生きとし始める。予め決められた音楽で踊るのはぎこちないけれど、自分の中から湧いてくる音楽でなら自由に雄弁に踊れるんだ、というように。 小曽根さん、この演奏に入る前に、「譜面に書いてあるのに即興曲ってなんで?」という話をしていたのですが、それはこの演奏の伏線だったのかな?と思ってしまうくらい。 その前の、菩提樹をモチーフにしたゴスペル風(と小曽根さんは申しておりました)の演奏もとても良かったです。菩提樹の曲想によくあってました。 いや、面白かったです。
2008年05月03日
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2日目も雨模様でしたが、ようやく上がってきたようです。 生憎の天気にも関わらず、今日も大変な人出です。これで晴れたらどうなるんでしょうね? 先程、コルボ指揮、ローザンヌ声楽アンサンブルとシンフォニア・ウ゛ァルソウ゛ィアによる、シューベルトのスタバト・マーテルを聞いてきました。 ソプラノの谷村由美子、良かったですよ~ 美声だとは思ってましたが、あんなに力強い声だとは思いませんでした。声量があるというのとはちょっと違うんですね。 さぁ、今日もまだまだあります。次に行かねば~
2008年05月03日
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今年の会場の様子ですが、そろそろ定着して来たこの音楽祭、概ね「例年通り」という感じであります。 地上広場には屋台カーが沢山並んでいます。が、昨日は今日同様生憎の雨模様。張り出し屋根があるのと、傘付きのテーブルも出ていたりして、皆さんなんとかやりくりしておられましたが、ちょっと残念ですね。 昨年初登場のミュージックキオスクも健在(写真)。昨日から、ミニコンサートが開かれておりました。私が聞いたのは、シャニ・ディリュカの演奏によるシューベルトの即興曲集。今年もキオスク前は大混雑みたいですね~ 今年は G409 という、ホールではない、ガラス棟(JR線路側の建物)の4Fにある会議室もコンサート会場として使われます。場所が随分違うので、そちらに行かれる方はご注意を。 ホールB5ですが、昨年は2部屋ぶち抜きで会場を広く使っていたのが、今年は元の通り半分になってしまいました。自由席公演の席が取りにくい一因はこれですね。 エスカレーターで上がって、奥側がコンサートに使われる方。で、手前側は、読売新聞がブースを出してます。正直、個人的には「余計なことでホールを半分にしやがって!」という気分なのですが、こちらのブースでは、公演の半券を持っている方に、一枚一回限りで、ワインを無料でサービスしております。折角なので頂きましょう。 それと、このブースでは、中央公論社の書籍販売も行っています。中公新書、中公文庫の中から、ヨーロッパや音楽関係の作品を選んで置いているのですが、最近書店であまり見掛けない、ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」とか「中世の秋」の文庫版、モンタネッリの書いた「ローマの歴史」や「ルネッサンスの歴史」が置かれています (^0^)/ いや、話逸れますけど、モンタネッリの「ローマの歴史」なんて、結構面白いんですよ。ハチャメチャと言われればそんな気もするけれど、モンタネッリは訳文も含めて面白いので、そちら方面に興味があって、塩野七生は読んだけど、ちょっと別のも読みたい、なんて方はどうぞ。.......結構ふざけた本ですが(苦笑) ガラス棟地下には展示ホールが二つ。今年は展示ホールの一方が、昼はキッズプログラム、夜はコンサートイベントの会場となっています。昨日は茂木健一郎の講演をやっていたようですが、盛況でしたよ。入場制限がされてるくらい。 そうそう、ボランティアのことですが、ホールD7の接客スタッフがボランティアなのです。開場前のご案内、モギリ、場内のご案内をやらせて頂いてます。開場直前にはハンドベルでご案内。あのですね、あれ、当日「やってくれます?」っていきなり言われてますので、皆「聞いてないよ~」状態ですからね。練習なんて、当日何度か合わせただけですからね。外したりとかあっても、どうか大目にみてやって、拍手してやって下さい(^^; D7はエレベーターしかアクセス手段が無いので、終演後の移動も大変なのですが、どうぞ皆様ご協力を宜しくお願いします! さぁ、今日も雨模様ですが、この後出掛けます。
2008年05月03日
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まずは、今日よかったのは、既に書きましたが、プラジャーク四重奏団による弦楽四重奏「死と乙女」(ホールB5・133)。もうすっかり定評のある団体が、今年もやって来ました。豊かな響きのアンサンブルは相変わらず。安心して聞けるし、表現力もある。いい演奏でした。 続いて、シューベルトの編曲ものを集めたコンサート(ホールC・145)。 現代作曲家のベリオが、シューベルトが残した交響曲のスケッチの断片を編曲し、自分の作風でもって補筆して仕上げた交響作品「レンダリング」と、レーガー、ウェーベルン、リスト、ブリテンの手による歌曲の管弦楽編曲版8曲。 歌手としては、バリトンのトーマス・バウアーが、それなりに表現力のある声でした。ソプラノのナタリー・ゴードフロワは、ちょっと曲に恵まれなかった感もあるかな。その中では、ブリテンの手による「ます」の編曲版がなかなかいい出来でした。レーガーの、ワーグナーかR・シュトラウスばりのアリアのような仕上がりに比べると、余程繊細なのですね。 そして、最後に聞いた、レ・シエクルによる、マーラーの「大地の歌」の室内オーケストラ編曲版(ホールB7・126)。 この編曲版を聞くのは今回が初めてなのですが、マーラーらしさの中の、タイトな室内楽のような音楽作りが伺えて、面白かったです。まるで歌曲集を聞くよう。この演奏はかなり面白かった。正直、「大地の歌」ってそれほど好きではなかったのですが、改めて再発見、ですねぇ。 さて、今日は疲れてもいるので、ここまで。また明日お会いしましょう~
2008年05月02日
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というわけで、本日最初のコンサートを聞いて参りました。 プラジャーク四重奏団による、弦楽四重奏「死と乙女」。いやー、のっけから真打ち登場というところ。いい演奏でした。「ああ、ラ・フォル・ジュルネが始まったなぁ」と実感出来る演奏でした。 実は、その前に、ボランティアで入ってたんですけどね。そちらの話はまた追々。 一つだけ。ホールD7の公演にお越しの方、開場時間前にロビーに上がっていると、ちょっとしたオマケが見られますよ~ まぁ、たいしたものではございませんが… では、とりあえず中間レポートはこれにて!
2008年05月02日
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というわけで、今年もいよいよ始まります。ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2008! 今日の午後のコンサートから本番です。 例によって、今年も折々のコンサートのレポートなどをアップしていきますので、よろしくお願いします。 年々確保しづらくなっているチケットの状況ですが、まだホールAの公演と、ホールCの一部の公演については、チケットが残っているようです。さすがに小ホールの公演は殆ど完売のようですが、無料公演や映画上映、マスタークラスなどのイベントもありますので、チェックしてみて下さい! http://www.lfj.jp/lfj_2008/
2008年05月02日
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うっわ長いタイトル(笑) 東京文化会館 19:00~ 5階右翼 モーツァルト:「フィガロの結婚」序曲 フルートとハープの為の協奏曲 K.299 第1楽章 (フルート:高木綾子、ハープ:吉野直子) ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」第1楽章 (ピアノ:清水和音) ラロ:ヴァイオリン協奏曲第二番「スペイン交響曲」第5楽章 (ヴァイオリン:堀米ゆず子) ヴェルディ:椿姫より「ああ、そはかの人か~花から花へ」 (ソプラノ:高橋薫子) サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番 第3楽章 (ヴァイオリン:大谷康子) ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 第1楽章 (チェロ:堤剛) チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 第1楽章 (ピアノ:中村紘子) フェスティバル・オーケストラ 指揮:飯森範親 ええと、分かる人にはお分かりの通り、目当てはただ一つ、薫子ちゃんのヴィオレッタであります。でもまあ、他のソリストもそれなりですからね、一応期待しつつ行ったのですが...... いやぁもうなんでこんなに荒っぽいの、という演奏が多かった。というより、おいおい、みんなギャラの件かなにかで揉めてるんかい?という感じ。それとも、当人達、盛り上がってたんでしょうか? そ言っちゃなんですが、皇帝なんて、ええええ、って思うくらいの演奏。良く言えば力強いけど、あれはぶっ叩いてるという感じ。そりゃまぁこんなコンサートやってられっか、ってことなのかも知れないけど、聞く方はそれで評価しちゃうしね。中村紘子先生まで、確かに力強く、もうちょっと音楽的で、抒情性も出てはいたけれど、やはりあれは乱暴すぎやしませんか、という感じ。らしくないと思います。 ドヴォルザークに至っては、堤「先生」が興に乗ってるのか、全然オケと合ってない。てか、合わせる気ないだろ、という感じで。その割に、堤「先生」の演奏は、潤いが少なくて、ちょっと不満。演奏後、斎藤秀雄「大先生」の話に及んで感極まっておられましたが、すみません、私醒めてました.......ごめん。 高橋薫子は、確か椿姫を舞台でやったことはなかったんじゃないかなー、と思うのですが、なかなかよございました。正直、こちらもやや荒っぽかったんですが、なので、細部では綻びもあり、音程も安定感がなかったけど、不快にさせずに響かせる声があって、歌としてはよくまとめて来ていて、ファンとしては満足。 後は、モーツァルトのフルートとハープの為の協奏曲がよかったかな、強いて言えば。 ヴァイオリン協奏曲はどちらももう一つだったような。音に色気が無いっちゅーか....... まぁ、ガラ・コンサートってことだし、あまり難しく考えてはいけないのでしょう。でも、薫子ちゃん聞いたら帰ってもよかったな、これだと...... 中村紘子だって、もっと丁寧にやると思うしね、本来は。
2008年05月01日
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というわけで5月です。 いよいよ明日から本公演開始です! で、今夜は前夜祭。 18時から国際フォーラムの地上広場に屋台車(ケータリングカーと言うそうですが、やっぱ屋台は屋台だよなぁ(笑))が出動、飲み・喰い・聞くことが出来るそうです。 生演奏にはレネゲイズ・スティール・バンド・オーケストラ(本公演で「未完成」を演奏予定のスティールバンド)が20時頃から出演予定、他にもエーデルワイス・カペレ(これはよく知らない...)が出演。小雨決行、だそうですが、今日は関東地方はいいお天気。心配ないでしょう。 といいつつ、自分は別件があるので行かないのですが....(苦笑)
2008年05月01日
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