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ボーカルの”かおりん(うさこ)”は「ほぼ日刊イトイ新聞」のファンで、その中に「声に出して読めない日本語」というものがあって面白いと言っていた。これは斉藤孝氏の「声に出して読みたい日本語」のパロディーのようだ。確かに本を読んでいると読めない日本語によくぶちあたる。つい最近ラジオを聞いていたら、パーソナリティーが植物などをほとんどそのままで薬用にする、「生薬」(しょうやく)のことを「なまやく」と言っていた。「きぐすり」とは言うこともあるが「なまやく」とは言わないだろう。だいぶ前の話で、「月極駐車場」(つきぎめちゅうしゃじょう)のことを、「”げっきょく”という駐車場は大きい会社だね、どこにでもあるものね。」と言っていた人がいた。しかし、何で「げっきょく」と書いて「つきぎめ」と言うのだろう?と思ったことがあった。中には「月決め駐車場」と書いてあるところも多数ある。だんだんこちらの書き方になっていくのではないかな。一昨日ぐらいのニュースで「美人局」の被害にあったというものがあった。私は知っていたが、始めて見たら「びじんきょく」って何?ということになるだろう。どう考えてもこれは「つつもたせ」とは読めないでしょうね。ところで、週刊誌の記事で「美人局アナ○○」と書いてあるのを見て、「何?”つつもたせ”アナウンサー?」と読んでしまうのは私だけ?
April 30, 2005
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日本では、1人の女性が一生に生む子供の数を表す「合計特殊出生率」がどんどん下がり、去年は「1.29」となってしまい少子化が問題となっている。そのなかで、静岡県長泉町では出生率が上がり、国のモデルケースになっているという。ここでは、1990年に「1.62」だったのが、2000年のは「1.72」になり、その後も高水準を保っているという。それは、子育て支援サービスが充実しているというのが大きな理由で、そのことを知って長泉町に引っ越してくる人が増えているという。今は、子供を生んで育てるのが大変な世の中になっているが、経済的な理由が締める割合が大きいと思う。フランスで、やはり少子化が問題になったとき、経済的に援助をするようにして、子供が多いほどリッチな暮らしができるようにしたところ、出生率が回復したという。保育園を増やすとか育児休暇を取れるようにするとかというものだけでなく、もっと直接的な経済支援をするべきだと思う。ところが、選挙でこのことをアピールしてはいけないとか、「生めよ増やせ」は禁句だとか、世の中おかしなことが多い。もっと、みんなが真剣に考えなければいけないと思う。本当は、一番大切な問題なのではないだろうか?子供がいなくては将来はないのだから。
April 29, 2005
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テレビを見ていると、レポーターのとんちんかんな受け答えがどうも目立つ。スタジオから、現地にいるレポーターに質問をするのに、全く答えになっていないことが多い。例えばJR福知山線の事故で、スタジオから「救助隊員の皆さんに疲労の色とか悲壮感とかがただよっていますか?」と聞いているのに対して、「はい、レスキュー隊の皆さんは一刻も早くということで夜を徹して一生懸命やっています。」というようなことを言っているだけだ。わからないなら、わからないと言え!質問の答えになっていない別のことをごちゃごちゃ言っているだけだ。「おまえらはバカか、しっかりしろ」と言いたくなるようなレポーターが多い。
April 28, 2005
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JR福知山線の列車脱線事故は本当にひどい。いまだに全ての被害者の収容が終わらない。考えると心が痛い。*****その他の、考えられない事件●大阪府東大阪市の公園で男児(4つ)が頭を鉄製ハンマーで殴られ重傷を負った事件で、殺人未遂容疑で逮捕された無職少年(17)が、「自首して世間を騒がせたかった」と供述していることが24日、分かった。調べには素直に応じているが、反省や被害者への謝罪の言葉はみられないという。「大量殺人を計画していた。男児をハンマーで殴ったが、簡単に殺せなかったので面白くなくなった。それなら自首して世間を騒がせたほうが面白いと思った」と供述しているという。 男児を簡単に殺せたら、次は学校へ行って大量殺人をする予定だったらしい。大量殺人願望の少年の供述1.人の死は面白い。2.簡単に殺せないことが分かり面白くなかった。3.騒がれた方が面白いと思い自首した。*****●26日、 神奈川県鎌倉市長谷、会社員石井俊宏容疑者(34)は、不倫交際していた妊娠8カ月の女性の遺体を自宅敷地内に埋めたとして、 死体遺棄容疑で逮捕された。石井容疑者は昨年12月29日午前7時ごろ、交際していた当時(33)の女性の遺体を、この女性の住むアパートから自宅敷地内まで運び、同8時ごろシートで包んで埋めた疑い。同容疑者は容疑を認め、「結婚を迫られたため、殺した」と供述しており、殺人容疑でも調べる。 同容疑者は「死体を埋めた約10日前に、被害者のアパートで首を絞めて殺した」と供述している。妊娠した交際相手がじゃまになったので、殺して自宅の庭に埋めた。人間は、こういうことができるのか?
April 27, 2005
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●25日午前9時18分ごろ、兵庫県尼崎市久々知のJR福知山線 尼崎~塚口駅間で、宝塚発同志社前行き上り快速電車(7両編成、乗客約580人)が脱線し、線路脇のマンション1階にめり込むように激突した。*****この映像を見て驚いた。どうしたらこうなるのだ!こういう大惨事を見てしまうとショックで、今日は一日何か気が抜けてしまった。原因は、今のところまだわかっていない。スピードの出し過ぎとの見方もあるが、そんな単純なことでこんな大惨事になるのだとしたら、それこそおかしな話だ。それに、運転士だけに責任があるということではないといえる。考え方としては、たとえ運転士が気を失ったとしても事故にならないようにしなくてはいけないのではないか?脱線が起こりうることが考えられるのであれば、少なくとも脱線防止ガードのようなものがあってしかるべきだし。レールにある粉砕痕も気になるところだ。事故とは、いくつもの要因が重なって起こってしまうのであろう。
April 25, 2005
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肥満には大きく分けて2つのタイプがある。それは、皮下に脂肪がつく「皮下脂肪型肥満」と、肝臓や小腸などの臓器の周りに脂肪がついてしまう「内蔵脂肪型肥満」というもの。「皮下脂肪型肥満」は女性に多く見られ、上半身よりもお尻から下半身にかけて脂肪がつき、下半身がぽっちゃりして見えることから、「洋梨型肥満」といわれている。また、「内蔵脂肪型肥満」は、内臓のほか、上半身に脂肪がつくこともあるため、「りんご型肥満」ともいわれている。特に注意しなくてはいけないのは「内蔵脂肪型肥満」の場合。内臓に脂肪がたまると、糖や脂質の代謝異常が起こったり、高脂血症を招きやすくなる。そうなると、動脈硬化の原因となり、さまざまな病気と結びつきやすくなる。「内臓脂肪型肥満」は、はじめのうちは見た目ではわかりにくく、自覚症状もないために、一見細い人が検査により「内臓脂肪型肥満」であると診断されて驚く、というケースもよくあるので注意が必要。
April 24, 2005
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『大阪府東大阪市の公園で21日、同市の幼稚園児 西津翔太ちゃん(4つ)が無職少年(17)に金属製ハンマーで殴られ重傷を負った事件で、少年は「通り魔のように大量殺りくをしたかった」などと供述していることが22日、わかった。 少年は中学3年の高校受験前からインターネットに熱中し、爆発物の作製方法を調べていたとの証言もある。』この少年は、動物を殺していたといっている人もいる。また、「2年前から人を殺したいと思うようになった」とか、「他殺体の写真や残虐な殺人事件などを取り上げたサイトを見ていて触発された」と供述したとも報道された。奈良の小1女児殺害事件も記憶に新しいが、殺人や殺人未遂事件は毎日のように起きている。そのたびに、「何で?」と思ってしまう。*****●何で人は人を殺すのか?「なぜ人を殺してはいけないのでしょうか?」若者にこういう質問をされた時、あるノーベル賞作家はこう答えた。「そういう質問をすること事態に問題がある。まともな子供はそういう問いかけを口にすることを恥じるものだ。なぜなら、子供は幼いなりに固有の誇りを持っているから。」これは、立派すぎる答えだ。だが、これでは答えとしては「君はまともではない」と言っていることになる。そして、こういうことを言うこと自体を非難して、とりあっていない。「人を殺してはいけない」ということは、普通は暗黙のうちにだれもが思っていることだ。しかし、いろいろ考えていると、こういうことにも理由のようなものが欲しいと思うときがある。そういう疑問を口にすることは、逆に大変なことともいえるのではないだろうか。それに対して、「人を殺してはいけないということはあたりまえなことだ」でかたずけてしまっては問題の解決にならない。それでは、「自分が殺されるとしたらいやでしょう?」と言う人がいる。だが、それでは、「自分は死んでも良い」という人はどうすればいいのだ。現実にそう言っている若者が存在しているという。「自分は殺されても良いのなら、人を殺しても良いのか」ということになってくる。そして、「人を殺しても自分が死ねば相殺(あいこ)となる」と考えている若者もいる。こういう場合はどうでしょうか。例えば、ドフトエフスキーの小説「罪と罰」のように、前途有望な苦学生が、老い先短い阿漕(あこぎ)な金貸しの老婆を殺して金を奪っても、たいした罪にならないであろうか?不労者(こじき)は生きている価値のない人だから殺しても良いのか?自分が殺されそうになったり、身内が殺された場合は、仕返しに相手を殺しても良いのか?正義のためという名目があれば人を殺しても良いのか?要するに、もっともらしい理由があれば人を殺しても正当化されるのか?それとも人を殺すことは無条件でいけないことだといえるのか?そもそも、なぜ人を殺すことはいけないのか?それはこの世の中において、絶対的な法則なのか?すなわち、人間が存在したときからすでに存在している原理だというのか?それとも、単なる約束事にすぎないのか?それは、「単なる約束事」でしかない。人を殺したら、それで地球やこの世界がなくなってしまうという絶対的なものではない。しかし、人間がお互い安心して生きていくためには必要な約束事だということだ。安全な社会生活を維持するためには、みんなで「人を殺してはいけない」という約束を守らなければいけない。ほとんどの人は、殺されることはもちろん、死ぬことはいやなのだ。「人を殺してはいけない」ということは、人として守らなければならない「約束」である。大原則として「人を殺すことは、いかなる場合でもいけないことである」ということだ。だから、「死をもって償えば人を殺しても良い」ということにはならない。人が人を殺す「死刑」や「尊厳死」や「正当防衛」については別に考えるべき問題があるので、ここではペンディング(保留)にしておく。*****それでは、人を殺してはいけないと知っているはずの人が、なぜ殺人を起こすのか?●人が人を殺すのは、どういう場合か?1.金銭のトラブル、強盗、恨み、嫉妬など相手が気にくわない、民族の違いや、宗教の違いによるもの、恋愛感情のもつれ、そういったことから人は人を殺す場合がある。この場合はそれなりに、自分勝手ではあるが理由がある。だが、どんな理由があるにせよ人を殺すということはしてはいけない。戦争という殺人行為もこの部類に入るでしょう。2.逆上した場合、いわゆる「キレた時」というもの。これは、興奮状態におちいったときに、脳内物質などの影響により感情の抑制が出来なくなるという。そういうときに、衝動的についやってしまうものであろう。3.病気などで起こる精神異常、脳の異常の場合。薬物などによる錯乱状態によるもの。要するに「きちがい」というもの。4.それから「快楽殺人」というものがあるという。●「快楽殺人」について動物には本能というものがある。ある犯罪心理研究の学者は、人は、だれでも「人を殺したい」という本能を持っているという。それは生きていくために持っている「狩猟(しゅりょう)本能(捕獲欲)」からきているというのだ。確かに人間にも闘争本能とか母性本能とか、食欲、性欲、睡眠欲、いろいろな本能がある。赤ちゃんの時はだれでも本能のみで生きているのであろう。それが、成長と共に理性によって抑えられてきている。だから「人を殺したい」なんていう本能を出していたのでは、人は安心して生きていけないということで、生活の秩序を保つため、「殺したい」という本能を封じ込めることをしてきたのであるという。狩りをしていた生活も農耕することで「殺して食べる」から「育てて食べる」という形に変化した。そうして、「殺すこと」「傷つけること」「暴力を振るうこと」「強姦すること」「盗むこと」などなど、こうした力で本能を満たす行為を「悪」として、「やってはいけないこと」としている。しかしそれがわかっていても殺人が起きるのはなぜか?それは、そういう本能から「人が嫌なことをわざとする」⇒「嫌がるのがおもしろい」⇒「人をいたぶることは楽しい」⇒「殺すことを楽しむ」ということになる場合がある。「殺したいから殺す」ということだ。ゲームなどでは「殺人」を楽しんでいることがいっぱいある。「殺人ゲーム」、「殺人映画」などのスリルがたまらないというのだ。だから、それを実践してみたくなる気持ちが出ても不思議ではない。もっとも、それを実際に行うということは精神異常の域に近いと思うが。わけのわからない、普通ではとうてい理解できない殺人には、こういう心理がから起きてしまうものがあるということらしい。決して相手の肉を食べようとして殺すのではないのだが、獲物を捕獲して喜ぶ、「狩り」をする快感からきているという。それが、「性欲」や「自己顕示欲」「独占欲」「闘争本能」といったさまざまな本能にも結びついてきたりするのではないかと思う。こういう人には、「殺すことはいけないことですよ」という言葉は通じない。普通の人に話すように話しをしてもわからないということだ。もはや、「人を殺しても良いか悪いか」ということを言う次元の問題ではないようだ。だから、刑罰を重くしても意味がない。こういう殺人をしてしまうのは、育ってきた環境が大きく影響しているといえるらしい。今、こういうケースが最も問題になっているという。「人を殺したい」ということは、われわれだれもが持っている本能だというのだ。その「オフ」となっているスイッチがどこかで入ってしまうのだろう。想像することが大切なことだというが、逆に想像が引き金になってくるのだろうか?理性が本能に負けた時、人は人を殺してしまうのだろうか?本能の面だけで考えていたのでは、まだよくわからない・・・。人を殺そうと思い、実行に至るまでの精神構造を、もっと深く考えてみないとわからない。
April 23, 2005
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ウエストが85センチ以上の人は、「上半身肥満」の疑いがあり、心筋梗塞(こうそく)などになる危険性が高い。「上半身肥満」に確当する人は、30~60代男性の30%前後を占めることが21日、厚生労働省の2003年国民健康・栄養調査でわかった。20代女性は逆に4人に1人が「やせ」体形で、両極化が進んでいた。この調査でウエストサイズまで測ったのは初めてとのこと。「BMI」という体格指標が25以上の「肥満」の人は、平均で男性の27%、女性の21%。日本肥満学会の基準はこうした人のうち、男性はウエスト85センチ以上、女性は90センチ以上を「上半身肥満の疑い」としており、当てはまる男性は全体の25%、女性は14%だった。「上半身肥満」の人は内臓脂肪がたまっている可能性が高く、心筋梗塞や脳梗塞になる可能性が高いとされる。男性の 30代=29%、 40代=32%、 50代=29%、 60代=28%が基準に当てはまり、働き盛りの男性のリスクが目立った。●BMI体格の国際的な指標で、ボディー・マス・インデックスの略。体重(キログラム)を身長(メートル)の2乗で割った数字で示す。理想値は「22」18.5以上25未満が標準体格で、18.5未満はやせ、25以上は肥満とされる。BMIが標準なのに体脂肪率が高い「隠れ肥満」もあり、体脂肪率と併せて判断するのが望ましいとされる。
April 22, 2005
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愛と恋について、三輪明宏(みわあきひろ)さんがいっていた。恋の場合は裏切られたとしたら許せない。そして、怒りが生まれる。それは、自分の方が大事だから。愛というものは、その人の全てを許せることだという。本当に人を愛するということは、自分が一番大切ではなくなるということ。たとえどんな裏切りにあったとしても、その人の幸せを願い、その人のために身をささげることを「愛」というのだ。確かに、親が子を思う気持ちには愛がある。それは、男女間においても、人と人との間でも同じことだと思う。
April 21, 2005
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人は知ることによって常に変わる。知ることとは、自分が生まれ変わるということ。元東京大学教授の養老孟司(ようろうたけし)氏は「知ることとは根本的にはガンの告知だ」といっている。ガンになってあと半年の命だといわれたら、あそこに咲いている桜が違って見えるだろうという。昨日、ライブドアの件が決着したあと、日本放送の社員がマスコミの質問に対して、「今日の景色はこれまでと違ってきれいに見えました。」といっていた。それは、桜が、景色が変わったのではなく、自分が変わったということに過ぎない。知るということは自分がガラッと変わるということ。そうなると、昨日までとはほとんど同じ世界であっても、全く変わってしまう。要するに、見え方が変わってしまう。同じものでも、自分が変われば見え方が変わる。本当に知るということは、「頭」で知るのではなく「心」で知るということだ。
April 20, 2005
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●感情人には感情というものがある。感情とは、喜んだり悲しんだりする心の動きであり、それは、自分に対して、他人に対して、物に対して感じる気持ちである。こうした感情は心がはたらきを受け、それにより心の状態は受動的に変容する。目に映ったものは、目を閉じれば見えなくなる。物にさわった感覚は、その物から離れれば感じなくなる。しかし感情は心の中に生まれて、目を閉じても消えることはない。感情は、感覚とは違い心が感じることをいう。そういうことで、感情は「精神の受動」=「情念」といわれる。一般的解釈としては、強い感情のことを情念といっている。デカルトは「感情(情念)は単純で基本的なものは次の6つしかない」といっている。●おどろき●喜び●悲しみ●愛●憎しみ●欲求そして、「他のすべての感情(情念)はこれら6つの感情(情念)のいくつかから複合されていること、あるいは、むしろ6つの感情(情念)の種(しゅ)である」といっている。上記の6つの感情を「基本感情」といい、その組み合わせ、または変形によってさまざまな「派生感情」というものが発生する。例えば、他人の良いところが自分にはないと感じた時、その人を「憎む」そして自分を「悲しむ」という2つの感情が組み合わさり、「うらやましい」と思ったり「ねたむ」という感情が生まれることになる。喜び+欲求=希望愛+悲しみ=あわれみ・・・など変形としては、尊敬、軽視、愛好、嫌悪、好奇心といったものがある。デカルトは感情のもとになる心のはたらきを明らかにし、心理学や生理学の基本をつくった。(デカルトの情念論)【デカルト】(1596~1650)フランスの哲学者、数学者、自然学者。
April 17, 2005
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「なぜ、どうして?」予想もしなかった出来事、考えもしなかったことに直面して人は「おどろき」を感じる。特に、子供の頃はおどろきの連続だ。「なぜ、どうして?」答えられない質問を受け止めて、自分の考えをまとめようとすることが哲学のはじめであり、それは叡智(えいち)を求める心である。哲学とは、むずかしい質問にむずかしい言葉で答えることではない。なんでもないことを不思議に感じて、それにおどろき、その理由を考える、ただ、それだけのこと。哲学だけではなく自然科学、物理学などの科学、数学、幾何学などの始まりも「おどろき」から生まれている。すべては「おどろき」からはじまる。しかし、おどろきから、「どうして?」と考えるだけなのは科学である。「どうして?」とおどろくのは「なぜ?」か。何で「どうして?」と思うのか。「なぜ、どうしてなのか?」と考えることが哲学のはじまりである。「おどろきの情こそ知恵を愛し求めるものの情なのだ。つまり、哲学のはじまりはこれよりほかにない。」(プラトンの言葉)ギリシヤ語で哲学【philosophia】「フィロソフィア」は 、知恵への愛、希求(願いもとめること)の意味。
April 16, 2005
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●「ボランティア」という言葉は、よく聞く言葉だ。 自発的に無報酬で、ある事業に参加すること。 特に、社会事業活動に無報酬で参加すること。といった意味だと認識していた。本当は、そのことが世界平和に関するものであるということであって、大なり小なり『平和』に結びつく活動のことをいうということだ。だから、老人ホームを慰問したり、子供たちの野球指導をしたり、自治会でのごみ拾いといったことは、単なる「社会奉仕」であって「ボランティア」とは区別される。「社会奉仕」は「ボランティア」と同じことではないという。無報酬で社会活動をやるということだけでは、本当はボランティアとはいわないということだ。何でもかんでも無報酬でやればボランティアだという言葉を使ってしまっていたが、それは間違いでした。英語の「volunteer」の元々の意味は「義勇兵・志願兵」という意味。
April 15, 2005
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●「化学物質過敏症」こういう病気があるというのを、何年か前に聞いたことがある。その人は会社に行くけなってしまったそうで、長い間、精神的なものだとされてきていたらしいが、実は、「化学物質過敏症」であったことがわかったというのだった。身の回りにある化学物質により体が過剰反応して、平衡感覚を失い、それこそ立つことすら出来なくなってしまうらしい。身の回りの化学物質・・・建材、防虫剤、農薬、除草剤から、石鹸、シャンプー、化粧品、他人の香水や香料、本のインク、油性ペン、絵の具、コンピューターなどの電気製品、自動車の排気ガス、工場からの排出物・・・、などなど、数限りない化学物質に反応してしまうという。現在その患者数は全国に70万人いるといわれている。最近、化学物質過敏症で、学校に行きたくても行けない子供が増えているという。これは、何らかの化学物質がきっかけで発症し、一度発症すると少量の化学物質でも反応してしまうということだ。どうしてこうなってしまうのだろうか。本当にかわいそうだ。でも、人ごとだとは思えない。花粉症と同じで、いつ発症するかわからないのです。
April 14, 2005
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●中国外務省の秦剛・報道局副局長は12日の定例会見で、北京の日本大使館の窓ガラスなどが中国人学生らの投石によって壊された事件について、中国政府の公式発表があった。そのなかで、「今回の抗議活動は一部の群衆が、歴史問題などに対する日本の誤った見方への不満から自発的に行ったものだ」との認識を示した。その上で、「このような局面に至ったことは日本側に原因があることは明らかで、(日本は)真剣に反省する必要がある」と述べた。秦副局長は会見の中で投石事件に対して謝罪や遺憾の言葉は表明せず、逆に日本の歴史問題への対応に反省を求めており、中国側の強硬姿勢をあらためて示したといえる。また、同事件への捜査に関する質問に対しては、「過激な行為は賛成できないが、警察はすでに大きな努力を払って秩序を維持した」と語り、学生らの違法な破壊行為について捜査しない方針を明らかにした。中国の温家宝・首相の直接の発言では、「アジアの人々の強い反応を見て、日本政府は深く反省するはずだ」といっている。「反日デモ」の団体会長がいうには、「反日デモの目的は単純だ。日本政府が中国の感情を傷つけた一連のことに対する抗議だ」ということだ。そしてデモでの暴行、投石、店や車などの破壊行為については、「これらの行為は理性的なものであって、決して暴力的ではない」といっている。小泉首相は「中国に自覚してもらわないといけないね。」なんて言っていたが、それが本心だとしたら何もわかっていないということだ。
April 13, 2005
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●数年間において、24時間大音量で音楽を流し続け、隣家の女性に頭痛や目まいなどを起こさせたとして、11日、傷害の疑いで奈良県平群町若葉台、無職、河原美代子容疑者(58)を逮捕。本人は供述を拒否しているというが、「あいさつがない」とか「駐車場所が悪い」とか「電灯がまぶしい」とか、いろいろいいがかりをつけて「早く引っ越せ」と言っていたという。この女性が、「常識よ!常識!!小さい子でもわかるんや!」と叫んでいるビデオが テレビで公開されていた。この人にとって「常識」とは何なんだろうか。「常識」とは「物を知っている」ということ、いわゆる「知識がある」ということとは違う。だれもがそう思う、そう考えるという「当たり前のこと」である。要するに「普通」というもの。ところがその「当たり前」、「普通」には人それぞれ、違いがある。ある人にはとんでもない非常識なことであっても、その人にとっては常識だと思うことがあるとういことだ。ところが、どういうわけか、みんな自分は常識があると思っているのであって、ましてや、自分は非常識だなんて思っている人間は、まずいないはずだ。だから、私も非常識とされることをやっていても自分ではいっこうに気付いていない、ということがよくあるらしい。「頭をかち割っの中を見てみたい」とよく言われたものだ。その人は、自分の言うことが常識なのだと言い切っていたが、本当にその人の言っていることが常識的なのかは、わからないところだが。もっと広く考えると、「こっちの世界なら当たり前でも、向こうの世界では全く違う」ということがあるということです。言葉が違う、生活習慣が違う、要するに思考が違うということも、そういったことになる。結局、お互いに言っていることが相手にはわからない。だからこの世の中、「話せばわかる」は通用しない。
April 12, 2005
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京都の宗教法人「聖神中央教会」で、代表の牧師、金保容疑者(61)が、複数の信者の少女に性的な暴行を繰り返していたとして逮捕された事件。金は、聖書の内容を、自分の都合良い解釈に置き換えて、「悪魔の誘惑におちいりたくなければ、俺の言うことを聞け」という内容の「悪魔論」というものを、1人1回につき約3万円を徴収してレクチャー(講義)していたという。それに、信者からは「神の前に手ぶらで出るな」と言い献金をさせていたという。神の名を借りてやりたい放題だ。信者は金が逮捕されてもなお、無実を信じているという。頭の中では考えられないことだが、実際には、うそも100回言えば真実になるということだ。こういう人間は、それこそ大勢いるのだろう。
April 11, 2005
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「無我の境地」という言葉があるが、これについてはよく考えることがある。「無我の境地」とは、言葉で言ってしまえば「修養や経験を積んで得られる無心の状態」ということだが、それは簡単に出来るものではない。あらゆる余計な考えや思いを断ち切り、精神が完璧に集中した状態のことなのだから。集中するということは、思考停止ということである。思考が止まると勘が鋭くなる。要するに感性の世界へと入ることが出来る。この現代社会は感性よりも知性を重要視してしまう傾向があるが、それは間違いだ。感性あっての知性である。思索は直感を破壊するという。データーや理論だけでは、ものごとを決定することはできない。人間の脳には右脳、左脳というのがある。理論、計算(知性)の左脳、感覚、イメージ(感性)の右脳といわれているが、人間は、ものごとを決定することは右脳でやるというのだ。要するに、論理的に突き詰めて行ったのでは答えは出せない、最終的な決断をするのは直感だということである。それは音楽、絵画などの芸術の世界や、スポーツにとっても大きな力となる。自分を取り巻く全てものをなくし、完全に自意識や思考のない状態に入り込むことにより、一片のムダや迷いがなくなり、ものすごい力と神秘的なイメージを生み出すことが出来るというのだ。人は昔から、無我の境地に入ることをしてきた。「座禅」や「瞑想」などがそうでしょう。感性とは、集中・統合の機能であるという。集中すると感性は鋭くなる。集中するとは思考停止である。思考を停止して「無我の境地」に入る。ものごとの基本であり、極致である。
April 10, 2005
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愛車の方が、しばらくの間、走り出しの時に息をつく感じで調子が悪かったが、昨日修理してもらったら調子が良くなったので嬉しい。もう今年で11年目になるので、あちこち部品を変えたりして修理しているが、今回はスパークプラグのコードとエアクリーナーのホースが傷んでいたらしく、それらを交換したら、調子が良くなった。エンジン自体はまだまだごきげんだ。新車を買うにはお金がかかるし、中古ならどうせ長いこと乗れないし、それに、地震がそろそろ来るのではないだろうか?地震が過ぎ去ってくれるまで、修理しながら今の車に乗り続けることにしよう。
April 9, 2005
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ここのところ、各地で大地震が起きている。私の住んでいる静岡は、いつ地震が起きてもおかしくないとされている、大変危険な地域だ。地震を予知出来る方法は何かあるのか?新潟の中越地震の被災者の証言によると、地震の前に、 ●山にいる動物がいなくなった。 ●カラスがいなくなった。 ●空に青い光があった。(空が発光) ●夜空が赤かった。といった異常現象があったという。その中で特に多かった現象は「雲の異常」だという。 ●白い雲が縦にあった。 ●スジ状の雲が一本縦に出てきた。 ●縦に伸びる竜巻雲が出た。これらの雲は気象的にできるものではなく、外的な要因でできるもので、竜巻状の雲というのは「地震雲」というものだという。それができる原因は電磁波だということだ。地震の前の地中の断層圧縮により岩石が壊れる際、電磁波がでるので、その影響で「地震雲」が発生するらしい。人間は普通、電磁波は感じないが、中には頭が痛くなる人もいるらしい。その電磁波の影響は、身の回りの電化製品には表れるという。 ●テレビにノイズが入る。(画面が乱れる) ●ファックスが異常になる。 ●電気が通っていない蛍光灯がぼんやり青く光る。といった現象が起きるらしい。それでは、テレビを常につけておこう。また、部屋に蛍光灯を一本置いておくと良いかもしれない。それから、金魚は特に反応しないようだ。やはり飼うならナマズかカラスか?(謎) 空にも注意するようにしよう。
April 8, 2005
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女性器の俗称は放送禁止用語だが、男性器の俗称である「ちんちん」、「ちんぽ」、「ちんこ」等は放送禁止用語ではないようだ。この放送禁止用語というものは、局によって多少違いがあるらしい。またまた、かおりんから聞いたおもしろ話し。子供の頃テレビで見ていた「うつみみどり」の子供向け番組「ロンパールーム」での出来事。一般の子供たちがテレビに出ていて、みんな一緒に遊ぶところで言葉遊びをしているときに、「うつみみどり」が「”き”の付くものを言ってくださ~い」と言ったら、ある子供が「きんたま~!」と言った。そこで「うつみ」は「もっときれいなものを言ってくださいね。」といったら、またその子が、今度は「きれいなきんたま~!」と言った。そうしたら、すぐにCMになり、CMが終わったらその子供はいなくなっていて、そこには、代わりに「くま」のぬいぐるみが置いてあったという。かおりんは、そのころ小さかったので、なんでその子がいなくなったのかわからなかったというが、今思えば「きんたま」がよくなかったんだね、と言って笑った。一般の視聴者は何を言うかわからない。「タモリ」の「笑っていいとも」で起こったことらしいが、一般人参加の「○○のモノマネをしま~す」と言ってモノマネをするコーナー で、一人の男性が「キチガイのモノマネをしま~す」と言い出して、「あう、あう、あう」と悶えだした。すぐにスタッフに連れていかれ、直後にお詫びが入ったということがあったらしい。昨日の身分差別の話しのことで思い出したが、われわれバンドマンは、「士・農・工・商・えた非人、その下に”バンドマン”」と、よく言っていたものだ。そういえば、芸人のことを指すものに「かわらこじき」という言葉があるね。
April 7, 2005
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またまた、かおりんとの話し。いっしょにやっているボーカルのかおりんは、このたび「エフエムしみず」のパーソナリティーを務めることになった。そこで当然ながら、まず始めに「放送禁止用語」なるものを覚えなくてはならない。「放送禁止用語」とは何でしょう。常識の範囲では、人種、身分、職業、障害者、性といった、「差別用語」、「わいせつな言葉」、「汚い言葉」といったように、「差別」「卑猥(ひわい)」といった公序良俗に反するものであるということは知っている。では、具体的にどのような言葉があるのでしょうか。私の家の近くに「くろんぼ」という喫茶店がある。看板には、黒人の子供の絵が書いてあり、店のトレードマークになっている。いつも、かおりんと「これってもろに差別用語だよね、とても放送出来ないね」とはなしていた。それから、もちろん女性器の俗称「まんこ」、「おまんこ」の類はだめに決まっている。「キチガイ」、「こじき」、「百姓」、「女中」、「おし」、「めくら」、「つんぼ」、「かたわ」・・・。この程度ならなんとか常識内で理解できる。かおりんが私にいった。「”四つ”は放送禁止用語なんだって」私は「え~!、ほんとに~」と驚いてしまった。全く意識していなかった言葉が放送禁止用語ということだ。「なんでだ~、だだの数じゃないか~」またまた調べました。そうしたら、あるはあるは「放送禁止用語」これは、そのものズバリの言葉以外にも、その言葉を連想させるようなものまでいかんのだ。これはかなりやばい。これをネタにしたら、一ヶ月くらいでは語れないぐらいにたくさんある。『五体不満足』の著者、乙武洋匡が「アッコにおまかせ!」というテレビ番組にゲストで出演したとき、自分が阪神ファンという話題で「本当、”キチガイ”みたいに」 といってしまって、すぐ和田アキ子が、「それ放送禁止用語よ。そういう事も勉強しなさいよ」と和田アキ子にたしなめられたとか、中村勘九郎も紅白の裏話か何かで、誰かが騒いでる様子を「本当気が狂ったみたいにね…」と表現して、例によって和田アキ子がすぐ謝罪したとか。ちょっとテレビを見ていても、ほんとによく謝罪している。ところで「四つ(よつ)」は、なんでだめなのか?これは、実は身分差別の言葉だった。昔、「士・農・工・商・えた非人」という身分制度があったが、「えた非人」はその最下層の身分にあたる「賤民(せんみん)」とされ、厳しく差別されていた。そして、その人々の集落は「被差別部落」として、今なおさまざまな形で差別をこおむっている。被差別部落の人たちは犬狩りや屠殺など 四本足の動物を殺す商売をしていた。そのため、「四つ」とは、暗に被差別部落の人たちを揶揄(やゆ)する言葉になっていたそうだ。4本指を示して侮辱(ぶじょく)することも行われていたところから、テレビでは数を数えたりする時に指を4本にすることも禁止だそうだ。漫画や絵なども、手の指を4本に省略して書かないように、「指はちゃんと5本書くこと」とマニュアルに記しているところもあるらしい。知らないことは本当にたくさんあるものだ。このことを調べていたら、おもしろくて一日費やしてしまった。「ちあきなおみ」の「四つのお願い」という曲は放送禁止。こんな話を聞いたあと、テレビを見ていたら「みのもんた」が、「四つです、四つあるんです。ちあきなおみの四つのお願い~。”四つのお願い聞いて~♪”」と「四つ」を連呼して「四つのお願い」の歌まで歌っていた。
April 6, 2005
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きのうのリハで、ボーカルのかおりんとの会話で盛り上がった話しがあった。それは、1曲やったところでかおりんが「それじゃ、ほかの曲を”かませいぬ”にして、この曲はまたそのあとでやろう」といったとき、私が「は~?”かませいぬ”ってなんだ?犬なのか?」といったところから始まった。確かに”かませいぬ”という言葉があるのは知っているが、いったいどういう意味なんだ?語源は、「噛ませる犬」ということからきているのか?・・・それならどういう犬なんだ?かおりんのイメージでは「よわっちー犬」のことらしい。確かに噛ませる為の犬なのだったら弱いのだろうが、何のために使うんだ?「そいつに噛ませておいて何かをやる」ということなのかと思っていたが、はっきりした意味がわからない。かおりんも、はっきりわからないけれど、なんとなく出たらしい。確かに良いイメージではない。私なら「おれはかませいぬかぁーっ!」といって怒るところに使うからね。「かます」、「かませる」、「かましてやる」、「かまされる」ということばがある。われわれバンドマンが良く使う、エフェクターを「かます」とか、板を「かませる」とか、一発「かましてやる」とか、頭突きを「かまされる」とかいうよね。それは、みんな語源は同じ「噛む」なのか?という話しにまでいった。きょう調べたら、やはり全て「噛む」というところからきていて、「かます」=「噛ます」、「かませる」=「噛ませる」とは「間にはさむ」といった意味で良いようだ。それから、「かます」もそうだが、「かましてやる」とか「かまされる」というように、「食わす」、「やる」、「やられる」、「大変な目に遭わせる(遭わされる)」といった意味もある。そして「かませいぬ」というのは、やはり「噛ませ犬」で本当に「噛ませる犬」がいるらしい。「噛ませ犬」とは闘犬用語で、闘犬において、犬に自信を付けさせるために、わざと噛まれる役の犬のことだというのだ。それが転じて、一般的には「引き立て役」といった意味で使われているようだ。まあ、要するに「捨てキャラ」ということですね。「よわっちー噛ませ犬」というのには笑えたよねえ、かおりん!
April 5, 2005
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●4月2日(土)午前9時すぎ、仙台市青葉区中央のアーケード街「クリスロード」に4トントラックが突っ込み暴走、歩行者6人を次々とはねた。うち3人が死亡、3人がけが。仙台中央署は、運転手の男の身柄を確保した。 男は「自分も死ぬつもりで人をはねた」と供述。 男は住所不定の無職(30)。アーケード内を含め約400メートル走行し、他の車と衝突して止まり、自分で近くの交番に出頭したらしい。運転席付近から一時、火が上がった。自分で灯油をかぶり火を付けたとみられ、頭部をやけどし病院で手当てを受けた。2、3日前に千葉県から来たと話しているという。トラックは前日に借りられたレンタカーだった。なんとも驚くべきことだ。車が通るはずのないところで、はねられてしまうとは。しかも、過失ではなく故意なのだから。こんなことがあるなんて、あいた口がふさがらないとはこのことだ。死にたいのなら、頼むから1人で死んでくれ。
April 4, 2005
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絶対とは「今」この瞬間のみである。私の勝手な哲学に、『生きるとは瞬間だ』というものがある。不安や迷いは時がつくる。「昨日」、「今日」、「明日」をつないで見るから不安や迷いが生まれる。「今」この瞬間しかないと思えば何もない。「昨日」、「今日」、「明日」を連鎖するから、不安で憂鬱になるのであろう。つながりを絶ち斬れば、不安は生まれない。「武士道とは死ぬこととみつけたり」という言葉がある。この意味は何だろう。一般的な解釈としては、「武士たるものは死を恐れるべからず」というものだと思うが、このことから、私としては、「いつ死がやってきてもいいように、常に後悔のない生き方をしろ」というような教えだと解釈していた。しかし、もっと深いところでの意味を知った時に全てを納得した。それは、武士とは毎朝、死ぬことをイメージするというのだ。「自分はもう死んでいる」と思えば恐れるものは何もない。要するに、「昨日」、「今日」、「明日」を断ち切って生きていくということである。日本人には、昔からそういう哲学があるということだ。「死んだつもりで頑張る」とは、まさに武士道である。絶対とは「今」この瞬間しかない。絶対に「昨日」も「明日」もない。昨日のことを考えてもしかたがない。明日のこともそうだ。明日はどうなるかわからない。明日生きているという保証はない。明日なんて、もともとありはしない。死んだつもりで「今」この瞬間を生きる。『前後裁断』、「前後斬り!!」当然なことながらも、究極の生き方といえる。都合よく解釈して、今、この瞬間を楽しみましょう。
April 3, 2005
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きょうは、静岡浅間神社のお祭りで、午後4:00から演奏でした。「エンタの神様」でおなじみの「いつもここから」と、大道芸の人と交代で、夜7:00まで2ステージやりました。われわれのお題目は『シックにジャズを聴こう』ということだったそうです。一般的な人には、ジャズはどうも「シック」といったイメージらしい。関係者の方の話しでは、われわれのステージは好評だったようです。テレビでいつも見ていた「いつもここから」が間近に見られて、ちょっとうれしかったです。降水確率は50パーセントでしたが、何とか持ってよかったです。このイベントのあと、両替町の「スコッチバンク」で演奏で、ただいま帰ってきました。朝から、譜面の用意をしたりで、さすがに疲れましたね。ねむいです。
April 2, 2005
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●静岡市は、きょうから政令市。住居表示に区名を追加。静岡市が1日の政令指定都市移行に伴って葵区、駿河区、清水区の3行政区を設けることから、市内の住居表示は市と町の間に区名が追加される。ただ、市によると、身近な業務のほとんどで住所変更の手続きは不要という。例えば「静岡市追手町」は「静岡市葵区追手町」、「静岡市南八幡町」は「静岡市駿河区南八幡町」と表示することになる。清水区では静清合併後、旧清水市の元の町名の上につけた「清水」が外れて区名に代わる。「静岡市清水旭町」なら「静岡市清水区旭町」となる。ただ「清水村松地先新田」と、「清水町」の2つは例外で、ぞれぞれ「静岡市清水区清水村松地先新田」、「静岡市清水区清水町」となる。区名の追加により、戸籍・住民票、登記など市が扱っているすべての業務や、運転免許証、車検証、課税扱いの郵便貯金、預金通帳などで住所変更の手続きは要らない。届け出が必要なのは、金融関連では、非課税扱いの郵便貯金や特別非課税扱いの国債、当座預金、融資取引など。警察では安全運転管理者の届け出、緊急自動車等指定書などがある。われわれ一般市民に、いいことあるのかねえ~。
April 1, 2005
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