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悲しい時~ 子供(よそのお子様)に出っ歯を指摘された時~これは昔話。母は私の歯並びの悪さを昔から気にしていた。永久歯が生えたら矯正させるつもりだった、といつも文句を言っていた。というのも、その機会は永遠に来なかったから。「あなたは自分でめちゃくちゃにしたのよ!」幼馴染(男)とケンカして…向こうが投げた棒切れが自転車の車輪に挟まり、私は自転車ごと転倒して道路の縁石に顔面をぶつけた。生えたばかりの永久歯を折った小学校3年生の春。あの時の痛み、鏡を見たときのショックは、今でもありありと思い起こす事ができる。母はそれまでも男の子と遊ぶ娘が理解できなかったらしい。顔に薬を塗ってもらい、近所の歯医者で診察と受けて家に戻った後、コンコンと長いお説教をする母が待っていた…お転婆が過ぎる、男の子とケンカするとは何事だ、もっと大人しくしろ…云々。今は薬をつめて神経をとるけれど、あのころは遠く、東京の新宿に近い(名前も忘れたが)大きな専門病院の手術室で前歯の神経をとった。今でもあの手術台にあがった時の光景はよく覚えてて、トラウマのひとつとなっている。それから前歯にかぶせるカバーみたいな差し歯をつけて暮らすようになった。りんごを皮ごとかじるのも、鬼おかきを齧るのも、するめを歯で食いちぎるのも禁止になる。大きくなるにつれて歯のサイズも変わるらしく、高学年になるとちょっとのショックで私の差し歯はよく外れて悲しかった。一番思い出深いのは中学生の時の事故(?)。友達と水泳を習いに行ったけど、そのプール深さが4メートルもあった。そこで、人とぶつかって差し歯が外れた。底に落ちてるに違いないから取りに行く、というと、インストラクターの先生(これがまた口を見せたくないくらいカッコイイお兄さんだった…)が、底までもぐったら浮き上がってこれないかもしれない、危ないから諦めろ、と言う。しかし、すぐに差し歯を作ってくれるところがあるとは思えなかった。休憩中、意を決して勝手に行動。底をまさぐって差し歯を見つけたときの泣きたいくらいの嬉しさといったら!!!お兄さんに見せたら奇跡だミラクルだ、と言われた。叱らないでいてくれたのが嬉しかった。母はそれを聞いて卒倒しそうになったらしく、歯が外れないようにしてもらおうと、意を決して現地の歯医者へ私を連れて行った。日系2世の先生で少しは日本語が通じるから、と。そこで新しい差し歯を作ってもらったが、出来上がったのはかなりサイズが大きい。でも母も私も文句言えない。作り直してもらうのも帰国が迫っていたため面倒で、そのまま片方大きな歯で過ごすこととなった…この片方でっかい歯があまりにみっともない、といって治したのは…大学4年のとき。実は他の歯を治療するついでだった。南米でくっつけた差し歯をとるのに掛かった30分が、一番痛い治療だった。これは酷い治療法ですね、といわれたけど、アンタのほうがずっと酷いよ~と心の中で悪態をついた。頭骸骨が折れるかと思うほどペンチでガンガン叩かれながら引っ張られた。どうにかこうにか、新しく…7年ぶりにちょうどいい大きさの歯になる。そしてこれが私が一番長く付き合う差し歯となるだろうと思った…のに、10年持たなかった。結婚して、子供が次々生まれ、姫が3歳の時。我が家は子供たちの耳鼻科通いの真っ最中だった。治療のため、姫を後ろから羽交い絞めして押さえていた私。姫がいきなり前に倒れ、今度は思い切り後ろにのけぞって後頭部が私の顔面を直撃した。ぎゃあ!歯が取れた~~次の日すぐに歯医者に行くと、「これは完全に根っこまで折れている。残念だが抜かなくてはなりません」「それじゃ前歯一本だけ入れ歯ですか??」「いやそれは難しい、両脇の歯を差し歯にして3本一緒に作ります」「どっちの歯も元気な歯なんです、それしか方法はないんですか??」「一応保険がきく治療法ではこれがベストです」…!! 痛いところを突かれた。その場で健康な両脇の歯を削って神経を抜いた。泣けて泣けて仕方なかった。姫をしっかり押さえなかった自分を呪った。そんなわけで私の前歯は差し歯です、という話。ちゃんちゃん!さあ、こども達、歯磨きキチンとしなされ!さあ、今までのことは忘れるのよ、ひろみ!今から新しい人生が始まると思って!
2005年11月27日
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最近、ドビー姫の話題が少ないとご不満のみなさま、、、ウチの姫は相変わらず我が家の隊長として健在です♪まだまだブームはおさまっていないうえ、日々の成長のおかげもあって、「犯行」を巧妙に隠すようになってきた。昔は玄関の上の吹き抜けから玄関一面にモノをばらまいていたが、これではすぐに母にバレて叱られる。このごろはもっぱら二階のベランダから、さらにひどいときは靴を履いてウチの裏を回って、滅多に草取りにもいかない西の通路から、脇の道路や溝にむかってばらまくことさえある(涙)被害“者”はいろいろだが、まあ大体想像がつくところだ。最近の思いがけないヒットはキクラゲ。ちょうど夜に雨が降って、朝見つけたときは花のように開いたキクラゲが地面から沢山わいて出たように…(涙)集めてキンモクセイの根元に埋めたけど、キンモクセイにキクラゲがつくなんてことはないかしら(欲深)そもそも彼女の欲求はばらまいたあとのビニール袋への執着のほうが強い。いまやビニールに入っていない食品といえば、簡単に数えあげられるほどしかない。だからといって、すべてが瓶詰めでもやはりバラマキ隊長はひるまない。すでに瓶詰めパセリも被害にあっているし…(涙)さて。最新の被害は先週金曜日。米びつの隣においてあったビニール袋それは(高かった発芽)玄米…おかげでいまや我が家は学園天国ならぬスズメ天国~!姫の撒いた玄米はもうとっくの昔になくなっている。カーテンの陰からこっそりのぞいているが、ウチのエノコロ草原や青紫蘇5本のしその実などもレストランに利用しているらしい…。遊び場になる笹竹も沢山生えてるし、キンモクセイや棗の木も一休みによく利用している。朝夕、玄関を開けるたびにザザザッとスズメが飛び立つのはなんともくすぐったい。いつか可愛い写真が撮れるかも知れないが、横着もんだしデジカメはチョ~古くて使えないし、やっぱりムリか。とりあえず、いつもノスタルジックな写真でうっとりと癒してくださる櫻井さんに教えてもらったこちらで、デヘデヘと茶色い帽子を愛でることにしよう…
2005年11月25日
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いよいよ今晩!本日深夜0:55~関西地区では関西テレビで『ザ・ドキュメント』~「カイカクの国~自立支援という名の法律」が放映される。調べたけど、残念ながら私の住んでいる東海地区ではしばらく放送の予定はないらしい。(でもいいもん、見られるところ知ってるもん!あぶん、あさってくらいには載るもん!↓フリーダムさんで見るもん♪)そうそう、先日関東方面で放送されていた自立支援法を特集した日テレの「報道特捜プロジェクト」、いつも動画でお世話になっているフリーダム21さんでは載っていなくて残念。だけど、ケーブルやCSが見られる人にはまだ観る機会が残っていた。月一回の放送なので、CSのニュース専門チャンネル、「NNN24」で地上波の放送翌週日曜日午前6:30~8:00に再放送とのこと。( 「NNN24」は、CS110度プラット1及び一部のケーブルテレビでご覧いただけます)んで、肝心の11月放送分の再放送は・・・11月27日(日)6:30~8:00 (NNN24)ウチはケーブルなのでラッキーなことに見られる…のだけど、いつも休みの日はたるんで7時半くらいまでウダウダしてる。今度の日曜は早起きしなくっちゃ… __________________追記…フリーダム21さんに早くも「カイカクの国~自立支援という名の法律」のストリーム動画がアップされました。
2005年11月24日
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今日はドビーの作品展と参観。作品展。だけど、今年の姫の絵はなんだかロールシャッハテストのようで不気味…(笑)立体作品は今年は学年みんなでペットボトルをつかって大きな馬を作ったとか。大元は先生が成形して飾り付けが子供たちのようだ。顔がわかりにくいけど一応『馬』毎年、中等部、高等部の作品をみるたびに、本当に姫もこういうのを作れるようになるのかなぁ??と期待と不安を胸に抱きつつ…飾り付けをした先生のセンスに感動しながら、今年の作品展を堪能した。どれも欲しくなる~参観したのは朝の会だった。ドビーはよくお話ができるお友達について、彼女が言ったとおりに今日の予定を復唱する係。「らんにんぐ」「きゅうしょく」ははっきり聞き取れる。毎日毎日の積み重ね…先生ありがとうございます。そうそう、先生といえば、担任の先生、10月からお一人交代されて若い女性の先生がベテランの女性のS先生になった。代わったばかりの初めは、おばあちゃんと同じくらいで(実際はずっとお若い58歳)1組の子達はなんて運が悪いんだろう、と思った。けど、いざよく見てみると学年主任のむっつりした男性の先生よりずっと頼りになるし、なにより朗らかなので、その主任先生も乗せられる格好となって、クラスの雰囲気も明るくなり万々歳だった。残り4ヶ月、たくさんのことを、姫も母もこのS先生から教えてもらいたい、と思う。
2005年11月16日
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ペン次の作品展。一度帰宅してから体育館=会場へ再登校のため、上履きを持ち帰ってきた。姫はデイケアに預けたので、三者面談週間のペン太と一緒に三人で見に行った。いざ中に入ってみると、6年の作品ばかりじっくり眺めて時間が過ぎてしまった。個々が好き好きに選んだ名画を元に、立体作品にしあげたもの。北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」、ムンクの「叫び」、ゴッホの「夜のカフェテラス」はそれぞれ3,4人がとりあげた。あたりまえだが、みな、全然違う作品になったのが面白かった。絵画は伝えたいメッセージを標語にして、ポスターに仕上げたもので、温暖化防止や自然を大切に、みたいなものが多い中、一人だけ戦争をなくそう、というメッセージのポスターがあった。民族衣装を着た子供たちがまるでディズニーランドの『It's a small world』のようで目を引いた。他の学年の展示よりひときわ抜きん出ていたように感じられたが、それも親の欲目というものか。最高学年のせいもあるが、どの作品も味があって、どれも見応えがあった。もちろん子供たちが切磋琢磨したこともあろうが、それを率いた担任の力量の証しのようにも思えた。ついでに愛・地球博のために昨年度にしあげた『虫の世界』という共同大型作品と、修学旅行のとき西陣で各自が織ったランチョンマットも飾ってあった。ペン太は5,6年のときの担任の先生と会えて満足したようで先に帰宅。その先生、今年は最後の一年ということで(同じ学校にいられるのは最長10年という不文律があるらしい)、3~6年の国語ではチームティーチング、算数では少人数授業でクラスの半分を受け持つという、大変な役目をしていらっしゃる。ペン次は会場で友達3、4人とじゃれあっていたが、普段友達と遊ぶ姿を全然見なくなっていたので、母にはとても新鮮な眺めだった。体育館を出てすぐに東の低い空に見えたのは雲がうっすらかかった大きな大きなお月様、ほぼ満月だった。低い空にあるとなんて大きく見えるんだろうね、なんて埒もないことを話しつつ、月を愛でながらゆるゆると家に戻った。
2005年11月15日
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3週間ぶりのテニス。コーチとのマンツーマンのあと、あまりの「息たえだえ状態」に心臓がもつのか、ちと心配になってきた。忘年会の日程が決まる。バザーのように各自一品持ち寄りで、それを賞品として変則試合を行うのだ。そのあとランチ会となる。みんなとランチしたいといつも思うのだが、今年はムリなようだ。姫のお迎えがあるので、お店の場所によって忘年会@ランチ会に行けるとき行けないときが半々という感じ。ま、いいか。試合の組み分けも楽しみだ。昨年の組み分けとはまた違う組み合わせを考えなければいけないコーチ。だけど、毎年楽しそうに悩んでいる。発表は当日。人数の偏り具合で、星占いか、血液型で分かれるらしいという噂だ。
2005年11月14日
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アサヒコム補助金削減、厚労省5040億円目標 官邸が省庁別数値2005年11月08日15時10分「いじめだ」、数値目標設定に各省反発 三位一体改革2005年11月09日10時28分大病院初診、保険外に 紹介ない場合 厚労省方針2005年11月09日19時05分これは…役所や大臣を追及するより政府、だな。となるとやっぱり外圧かな。いくら障害者がいっても大臣を始めとする与党が動じないわけだ、と思った。
2005年11月10日
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行ってきた。聴いてきた。食べてきた~!!(←9月18日の個人的リベンジ)「ひろしま本店」の「大津通2号店」。ペン次の同級生のお母さんと一緒に行ったのは、そのあとで子供たちが合唱で出場する市の連合音楽会が、お向かいの公会堂で行われていたからだ。お~~い~~し~~かった~~~!二人で同じメニュー、豚玉そばのランチセット800円也。ああ、一人一枚の幸せ…♪読書部仲間のOさん、初めてでとても気に入り、家族にも食べさせたいと言ってくれた。ムリヤリ付き合ってもらったけど、よかったぁ。お好み焼きを知ったのは高校生のとき。いとこに連れて行ってもらったお好み村で、初めてお好み焼き(広島風)を食す。お好み村も今では立派なビルになっているとか。次に味を覚えたのはもんじゃ焼きと関西風お好み焼き。部活の友達が、鉄板のある下町のお好み焼きやさんへ連れて行ってくれて、初めて知った味だった。家にホットプレートなるものが登場したのは高校も終わりのころだったけど、母がお好み焼きを家で作った覚えはない…。OLになってから、給料日にかならず会社の女の子4人で予約をいれてまで、食べに行ったのもお好み焼き(広島風)。店は会社から歩いて10分ほど、飯田橋のれもん屋。一人ずつ『豚しそ巻きのもやし炒め』と『豚・玉そば』を頼むのが常だった。いつも女の子でそんなに食べるんか~と驚かれたっけ。だって、あの部署、とて~も重労働だったんだもの。筋肉はつくわ、脂肪は落ちるわ、あの2年が私の一生では一番スマートだったなぁ…。 ★ ★ ★ペン次たちの合唱、この二週間で驚くほどソプラノが上手になっていた。どの音も綺麗に聞こえる。そんなに熱心に練習していた話は聞いていないけど、ペン次が私に話さなかっただけで、子供たちはあれからも気を抜かずに頑張っていたんだなぁ。今回はちょいとフリがつく、という話であったが、ちょいとどころではなかった。まるでアイドル歌手のように腕をひらひらさせて…それまで、感動の涙が出そうになったのに…。最後のあの振りを見て、笑いをこらえて涙が溢れ出し、体を前後に折り曲げてガクガク客席でゆれていたのは私です。後ろで見ていた方々、ヒンシュク者でしたでしょう、スミマセンでした~~!…はあ…、あの振りは恥ずかしかった。周りからも失笑を買っていた。 ★ ★ ★そうそう次に家族で「ひろしま」へ行くときは、ゼッタイ、絶対!今までより一枚増やしてもらうのだ!
2005年11月09日
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ジャス○三好ショッピングセンターへ、まつやの『とり野菜みそ』を買いに行ったかもしれない皆様へ…昼下がりに棚にあるだけのみそを買い占めたのはわたくしではありません。しかし、私の夫の仕業(爆)です。ガッカリさせて申し訳ございませんでしたm(__)mだって…白菜が美味しいんだもん♪♪(と、お野菜のせいにする)
2005年11月06日
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早めにランチ仲間のYさんと会場近くのお店を探してお昼を食べて、ちょうど入れ替わりに帰るお母さん方とさよならの挨拶をしながら中に入った。木をふんだんに使った気持ちのいいホール。あれ?あれ?夜のうちになにか息子たちが仕掛けたに違いない。一曲一曲聴くたびに涙が出るってどうよっ!?コーラスの素晴らしさ。ペン次、ごめんよ、君には悪いけど、兄ちゃんたちの歌、最高だよ。ビデオをもっていないことをコレほど悔やんだことはない…。とはいえ、生の声の感動はビデオじゃわからないだろうなぁ。スイッチが壊れたみたいに美しいメロディーを聴いて涙を流す…自分でも馬鹿だと思いながら、壊れたスイッチが直せなかった。集計が終わるまで、合唱部の歌(3年生はこれが最後のお披露目)と、プロの声楽家カルテットがありがたい美声を披露してくれているあいだで、真っ赤になった鼻のあたまと目はなんとか落ち着いた。ペン太のクラスは2位。1位を信じている子がたくさんで、発表のとき先に2位でクラスを呼ばれてええ~~!?という声がものすごい大きさだった。うんうん、周りのお母さん達も驚いていたよ。だけど、これも専門家のシビアな意見の結果だから仕方ない。自由曲「聞こえる」だけだったら文句なく1位だったよ、それは保証する!優勝させてあげたいくらい完璧なハーモニーだった…課題曲「翔る川よ」も同じくらい歌いこんでいたら…残念だけどね。そして最後に学校全体で大地讃頌。この歌声の大きさに圧倒される…どさくさにまぎれついでに、母は一緒に歌ってしまったよ。ひと月ちょいしか行かなかった中学。転入してすぐに願書提出、すぐ試験。あとは校歌とこの「大地讃頌」と「山のいぶき」の練習をした覚えしかない。メゾ希望だったけど、ソプラノが足りないから、高い音も出るしそっちへいってちょうだいって言われたっけ。友達・センセイの顔も名前も覚えていない…合唱だけがそこの中学校生活のすべてだった。その歌を与えてくれたことに感謝しながら…私も歌いたい…そして、もう二度とあんなふうに歌えないんだなぁ、と思ったり。どこか大人の合唱サークルでも探す?だけど、中学の合唱はこのとき限り。ペン太もいつかそれをわかる日がくるかしら。今は毎日の厳しい練習から解放された思いで一杯であろうに…。家に帰って、ペン太に自由曲の楽譜みせてよ、というと驚いたことに合唱用教本の中に入っていた。てっきりどこかからコピーしたものと思っていたから。こんな難曲が中学の副教材で?だけど、嬉しい。この教科書、あと半年大切にして、もしよかったらお母さんにちょうだいね、とねだっておいた。私が伴奏練習したら、いつか家族で合唱ができるかも…ね♪ ◆ ◆ ◆メロディーが知りたい方のために…こちらで思い出の歌にであえるかもしれません。
2005年11月04日
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昨日は…時間があれば行きたかったところがあった。その期待もうたかたのように消えてしまったが、、、ともかく無事でよかった。いつも大丈夫?とたずねると、過剰なほどの自信をしめすペン次。しかし、目が泳ぐ時は要注意、ということを、今回ペン次自身の身を持って知らされた。いや、母の目は怪しいとチラリと思ったのだが、結果的には、先日から引き込んだ咳カゼが今ひとつよくならず、この咳を人前でしたくない…という私の気持ちが、判断を鈍らせたことになる。昨日は区内3ヶ所でウォーキング大会が開かれ、近くの緑地公園(6月にたくさん桑の実を採ったところ)の、ウチからみると奥にある駐車場の脇に集合することになっていた。毎年家族でもウォーキングしていたが、今年の春は行っていない。毎年気候のいいときは4週連続で遊んだこともあったし、子供たちだけでザリガニつりなど遊びに来ていたことも多かった。まさかそこで迷うとは…!今日はドッジメンバー全員参加だったので、とりまとめはドッジの役員さんだった。彼女からペン次が集合場所にまだ来ていない、という電話をもらったのが、家を出て50分も経ってから。自転車で10分、いや遅くても15分で着くだろうと送り出したのだった。携帯を持たせた?と訊かれたけど、持ってるわけないでしょう!?合流したらまた電話をくれるというので、それから悶々と連絡を待つこと35分。電話だ~!と思ったらプロバイダ変えませんかの勧誘電話。今、それどころではないし、変える気持ちもないので、と早々に断った。電話を切ったちょいとあと、玄関が開く音がする。べしょべしょに泣いてるペン次が立っていた。私の横からペン太曰く「俺がついていけばよかった」と。もちろん安堵から出た言葉なのだが、普段から俺様が兄に負けるワケ無い、兄からだけは見下されたくない、と思っているペン次なので、天狗の鼻もバッサリ、となってしまったらしい。よくよく考えると、もしかしたら、ペン次にとって迷子になったのはこれが初めてかもしれない。たしかに事務局から渡された地図は分かりにくい。だからこそ、ここはあの滑り台で、ここは遠くの駐車場だよ、と何度も説明したのに…結局家族で行った時は道順など全然覚える気もなかった、ということだろう。それにしても、前から何度も遊びにいっていたのに、と悲しい脱力感。地図を読む訓練をしなくては!とりあえず、無事でよかった~と頭を一撫でクシャクシャしてすぐに役員さんに電話。ドッジのみんなにも心配をかけてしまった…。ウォーキングはとっくに始まっていて半分過ぎたあたりだというので、欠席とさせてもらう。当のペン次は、2階で毛布の中にもぐりこんで泣いているうちに眠ってしまった。妹1から電話があったのは騒動のすぐあと。最近、電話を変えたので新しいのには子機がついている。固定電話の時は頬杖しながら話していたが、子機で電話すると、常に左手を上げておかないといけないから自然と脇もしまる。それに合わせて首が少し左に傾げたままとなる。脇がしまっているせいで、頭の重みがしぜんと受話器にかかり、今までより耳との密着度が高い。その状態で長電話したら、外耳が痛くなってしまった。なんと一時間半!受話器をおいたら、もうお昼どき…。咳は相変わらずだし、ランチ時は忙しいだろうし…ペン次はふて寝したまま寝入ってしまい、結局我が家のランチは午後1時半までずれこんだ。役員さんが参加賞だけ届けにきてくれたけど、恥ずかしくて顔が出せないという。次回、絶対にみんなに謝りなさいよ、といっておいた。ああ、残念。某所に顔を出せなかった。だけど連絡が取れないとわかった35分の空白を思うと、やっぱり家を空けずにいてよかった、無事でよかった…と胸をなでおろしたのだった。
2005年11月04日
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ついに可決された障害者自立阻止支援法。おととい、報道ステーションで古館さんが一言”だけ”言及してくれた。先日閉会したあの国会で、山のように決まっていた法律の中の、ほんの1つに過ぎない、ということに愕然とした。私たちにとってはどんなに大きなものであるか…。ひとつひとつの法案にその重みがあるかもしれないと思うと、この国会で可決された法律全部怪しくみえて、目を通さなくては、という気持ちになってくる。フジのニュースJAPANではこの自立支援法問題を一貫して取り上げてきたが、夕べの特集では前厚労省大臣に単独インタビューをしていた。どんなに言い繕っても、この法案を通した大臣として、少なくとも何十万人かには名前も顔も記憶に刻まれることだろう。(じつはもう顔も見たくなかった)新しい閣僚名簿にはタカ派ばかり。まったくきな臭いこと、この上ない。さ、まずは手紙を書こう~。従兄弟たちは英語やドイツ語がぺらぺらのはずだし、別の従姉の息子はスペイン語。よく考えてみれば父方の大伯母さんはアメリカに移住したのだから、父のいとこもその子供もすっかりアメリカ人だ。ぺらぺら族は一応確保…今からやろうとしてること。それは外圧(=大樹)の利用。先日のメール、議員やメディアに直接にいっても聞いて貰えない。どこに働きかければいいか、ということをずっと考えていた。世論を動かすにはやはりメディア、それもやはりネットはまだ全体からみると限られているからテレビラジオ新聞。となると、そこを動かすにはさらにそのスポンサーを探さなくてはいけない。広告会社は結局はお上とツーツーっぽいし。考えるほど外圧しかないかも、と思えた。そしたら、たろこままさんが同じコロ同じコト考えてて、それをキチンと日記にしていらっしゃる。感動を通り越して嫉妬してしまうほど!!(笑)それもこれも、初めにリンク友達のすのうさんがつっついてくれたお蔭でたどり着くことが出来た。「すのうさん、ありがとう!!」 そして、私も頑張ろう!外圧への第一歩…(爆)出来ることはなんでもする。姫のため。わたしのため。でもそれが大勢の人のためにもなると信じて…そういえば、民主党のやまのいさんはスウェーデンで福祉を勉強された方だから、パイプもたくさんあることだろう。そっちを押す手もありかな~。もうひとつ。先日から怒りに任せてフリーページを新しく作った。こういうのは日記で知らせたほうがいい、と@弥々さんアドバイスもらったので、ここでちょいとお知らせ…これは10月31日の衆議院本会議で障害者自立法の採決の折の、野党討論だけをビデオから文字に起こしたもの。聞き間違いがあるかもしれないけど、読んだほうが素直に頭に入る気がしたので…。お暇なときに読んでほしい。個人的に社民党の阿部さんの討論には泣きました。
2005年11月03日
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先週の火曜日はペン次の音楽会で、今週はもうすぐ金曜日がペン太の合唱祭だ。ペン次の方はM東区全部の小中学校が、愛知厚生年金会館という大きなホールで、合唱だったり合奏だったりブラスバンドだったり和太鼓だったりを一曲ずつ発表するものだ。残念だったのは同じ学区の小中学校はなるべく同じ部(午前、午後)にまとめてほしかったこと。両方に子供がいるというお母さんが何人か知り合いにいたが、悲しい事に、午前の部の一番初めにウチの中学(合唱部)、午後の部の最後から二つ目にウチの小学校、だったので、あいだの時間をつぶすのに困ったということだった。ペン太のほうは、どこの中学でもやっていそうな、学年ごとにクラス対抗で競い合う学内の合唱コンクールみたいなもの。しかし、毎年キチンと隣町(万博で有名になったかも)の文化センターというべきところのホールを借り切って行われる。昨年の合唱祭は台風で延期のため、ホールが使えない、いや結局延期した日も空いていたので使わせてもらえることになった、と大騒ぎした。個人的に、何度でもコンサートへ行きたくなるようなステキなホール(名前もすてき、「森のホール」)である。小学校は音楽部が3学期だけの期限付きなので、5,6年が合同で合唱隊となり、音楽や総合学習の時間をつかって合唱の練習をした。対して、中学は練習は学活の時間だけ…では足りないのでクラスで放課後練習、朝練習をする。ほとんどがクラブを引退している3年生は最後の最後、と燃えに燃える。体育大会の後からずっと、まるで今頃部活に入ったかのような(笑)、朝早く登校して夕方遅い帰宅が続く毎日だ。それだけ練習してても、1年はかなり下手クソで全っ然泣けない(笑) 2年は泣けるか笑えるかどっちに転ぶか分からない。3年生の歌には毎年涙するほどの感動を覚える。今年はやはりその中にペン太がいると思うと、涙の味もひとしおだろう…。そして学校全体合唱『大地讃頌』を今年こそ一緒に(多分これも涙しながら)歌おう♪来週はペン次の小学校が市全体の音楽会の出場校と決まっているので、もう一度合唱を聴きに行く。今度は市民会館。そういえば、ちょうどそのお向かいにはあの広島焼きのお店があるなぁ~~(邪笑)そしてそれが終わると、再来週から3人の学校で、作品展が始まる。ああ、芸術の秋。
2005年11月01日
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