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Australian Society of Authors―オーストラリア著者協会の主宰するライターズ・セミナーに参加してきた。「A Decent Proposal―Getting your manuscript published―」出版に関するセミナーである。そろそろ去年からかかっていた小説『Tamago』の英語原稿がようやっと完成する。去年アメリカの文学エージェントが興味をもってくれたのだが、なにぶんあのときは3章しかできていなかった。。。完成まで待つと言ってくれたものの、年が明けて、早10月―もう音沙汰もないし、、、たぶん時効の域であろう。ともかく、ここらへんで、出版に関するセミナーに参加して勉強してこようと思い立って。講師は、ローンダRhonda Whittonさん。オーストラリアの出版社探しにおいては必須アイテムと言われている、出版社やエージェントのガイドラインを編んだ『The Australian Writer's Marketplace』の著者である。ロングランで、出版業界のノウハウを提供されている方だ。これはASAの会員を対象にしたセミナーだったので、去年の、600人くらいは参加していたHay House社のそれとは対照的に小規模で、参加者は10人ほど。児童文学作家、ノンフィクション作家、新聞連載の漫画家、ESL教材のライター、後の方々は小説家だった。ローンダさんは自らの経歴を語った後、自著本でもしばしば語られておられるフレーズからセミナーを始めた。「著者にとって、小説原稿の完成は、仕事の半分を終えたに過ぎません。 残りの半分は出版社探し。 出版して初めて後半の仕事が成し遂げられたと言えるのです」、と。それから、それぞれにまず自分の作品を25単語以内で表現するように、と促した。う~む、25ワードですか…9万words(一般にこちらの小説は8~9万が妥当だと言われている。ちなみに私の作品は87,000wordsよ)を、たったの25単語に…これはシンプルな作業のようで、作者にとってはなかなか厳しいワークである。それでも作品の売り込みには必要なキャッチであるわけで、私も四苦八苦しつつ25ワードを探した。ちなみに、タイトルは「Precious Eggs ―Naomi's Journey to Get a Baby with IVF Adoption and Meditation―」ジャンル的には、Women's Fiction。そうして完成したキャッチは、 A woman in Melbourne reaching her 40's is diagnosed with infertility and struggles to get a baby with IVF international adoption and some paranormal experiences.かっきり25wordsになんとかまとめてみたのだけれど。(^^;この後それぞれが自分のキャッチを発表し合ったのだが、いやぁ、どの方も面白そうでした。いじめをテーマにした冒険小説、健康をテーマにしたデイリーカード本、中国のミステリートンネルを舞台に繰り広げられるサスペンス小説、オーストラリアで初めて最高裁の女性裁判官になられた方の自伝、などなど―手にとって読んでみたいナと思わされる作品だった。こういう場では互いの作品を誉め合って親交を深めたいところではあるが(笑)、なにぶんここは出版に関するセミナー。作家クラブの社交場ではないので、講師のローンダさんから早速鋭い質問が飛んでくる。もちろん、出版のプロポーザルを受ける側の方に立った質問である。「どうして出版社が、あなたの原稿に*万ドルも投資する気になるのか、 その理由を具体的に説明してください。 書籍市場に並ぶ他の作品と比べて、 あなたの原稿の何がそんなに勝っているんですか?」とか、「あなたの本に数十ドルを払うのは、どんなタイプの人間なのか? 統計的数字を挙げて、 具体的に購買層を説明し、こちらを説得してください」、とか。―と、それまで雄弁に自らの作品を語っていらした方々の口調が途端に頼りなく、その歯切れも悪くなる。子どものいじめを扱っているので教育機関に働きかければ…、もぞもぞ、とか。キャラバン旅行から始まるファミリー小説だから、夏のホリデー市場を狙って、旅行代理店やレンタカー会社、観光産業にPRできると…、もごもご、とか。ちなみに私も、不妊症をテーマにした作品なので、IVFの病院関係とか団体にアプローチできるかも…、ぼそぼそ、みたいな。ほぼ、しどろもどろ。どうやら皆さん、創作や執筆に関しては多弁でも、営業は苦手なようで。とはいえ実際、自らの作品に関して、この角度からの質問は有益である。私もそうだが、執筆の際、構想を練り、キャラクターを煮詰め、プロットを詰め、文章を推敲し、と作品の質を高めることには励んでも、市場における販促展開とかに関してじっくりと考え創作することは少ないのではないかと思う。私など最初にテーマの選択や構想の段階でちらりと考えて以来、すっかり忘れていたものね。(^^;そんななかで唯一、作品の購買層を声高に明言されたのは、元最高裁の女性裁判官だった。彼女はご高齢で(確か80代だとおっしゃっていた)、弱々しい外見にもかかわらず、きっぱりと、「私の本は、弁護士が買うわね。 伝統的に、弁護士は弁護士の本を買うものなのよ。 自伝であれば、尚更。私も何冊も買ったわ。 引退した方も含めて、弁護士協会の会員は2万人はいるの。 そこに弁護士志望の法学生も加えれば、かなりの数にのぼる。 とりわけ女性弁護士や、弁護士を目指している女子学生は参考のため 私の本を買うはずですよ」そう威厳に満ち満ちて断言された。さすが元弁護士にして、最高裁の裁判官。そこらの作家とは、その説得能力において格段長けているのであった。それまでひたすら鋭く、辛辣に突っ込みを入れていたローンダさんでさえ、「あ、それならイケルかしれないわね」などと説得されていた。(^^)実際、売れそうな本ではあるけれど。ちなみに彼女は、ノンフィクションの本を数冊出版されているとおっしゃっていたので、てっきり法律関係の本かと思っていたら、すべて鳥に関する本だった。「え、鳥…ですか。なぜ(あなたが鳥を…)?」と思わず絶句した私に「それは私が誰よりも鳥のことを知っているからよ。 子どものころから私は鳥が大好きなの」と堂々と答えてらした。う~ん、この断定的情熱、さすがである。ぜひ今度、探して拝読いたします。それからローンダさんは、出版社が原稿を本にするときの判断基準について説明された。「Money、MONEY、MONEY! 勘違いしないで。 出版社があなたの原稿を採用するかどうかは、 ひとえに それが売れるか、どうか、ですよ」マニー3連発―、実にパンチの効いたスローガンで出版事情を語ってくれた後、「オーストラリアのスポーツ別人気トップ10」の記事が掲載された新聞を前に、今度はネットボールの話を始めた。「現在オーストラリアのネットボール人口は 20万人(記憶違いかも…)いると言われています。 この数字が何を意味するか? あなたがもし連続殺人事件のミステリー小説を書こうとしているなら、 たとえば高校のネットボール部を殺人舞台として選ぶことによって、 出版社を探すとき、 原稿のセールスポイントが俄然高くなるわけですよ。 この国のネットボール人口を挙げて、 ここに市場を設定すれば販売部数をこれだけ獲得できる、と 出版社を説得することができるのだから」、と。な…るほど、そうだったのか。となると、私の小説―主人公の職業を高校のネットボールクラブのコーチに替えるとか、少なくとも、趣味はネットボールで、ネットボールクラブに属し、不妊治療に失敗するたびにネットボールでストレスを発散させる、とかの設定に手直しすれば、あの作品の未来も明るくなるかもしれないな(苦笑)。まあ、それはさておき、昔広告業界で働いていたときのことを思い返せば、そういう創作の仕方もあったよな~と改めて考えさせられた。さて、オーストラリアの出版事情に関する説明は続く。オーストラリアの出版業界は、市場が小さいこともあって、なかなか狭き門である。大手出版社で持ち込み原稿(ちなみに英語では、Unsolicited Manuscriptと言われる)を受け付けているところは少ないので、そのテの原稿は門戸を開いている中小やインディペンデント系出版社に殺到する。ローンダさんの話では、毎年オーストラリアで5,000本くらいの原稿が出版社に送られてくるそうだが、その中から本になるのは、3~5本くらいなのだそうで…。ちなみに文学エージェントの方も状況はシビアで、アメリカと違って、オーストラリアでエージェントを探すのは難しい。エージェントが対象とするのは、もっぱらフィクション作家、それも既に名を知られた著名な作家の方々である。この日のセミナーの参加者でエージェントがついておられたのは、アクション作家の方、お一人だけだった。そんな状況で、ローンダさんの要点はこう。「だから出版社が、あなたの原稿を見てくれるなんて保証はどこにもないんです。 あなたが頼んでもいない原稿を勝手に送りつけているのだから。 だけどそういう状況で、 出版社のデスクに積み上げられた膨大な応募原稿の山から あなたの封筒を手に取ってもらえるという幸運に恵まれたときに、 チャンスを逃すことなく、興味を惹かれるようなプロポーザルを提供する。 そのために最善の努力をすべきなんです。 作品の質を高めるのはもちろんのこと、 パンチの効いたキャッチをつけ、 マーケティングや販促用の企画書にもベストを尽くしてください」、と。そして出版社へのアプローチ方と流れを、実際のサンプル例を挙げながら具体的に説明してくれた。いやぁ、シビアながら、ごもっとも。ためになるセミナーだった。そのうえこのセミナーはユニークにも、食事つき!モーニングティーからランチ、アフタヌーンティーまでケータリングサービスで食事や飲み物が振舞われたのだ。お陰で受講者はセミナー室から出ることもなく、じっくりとセミナーに打ち込める、というわけで。今日一日を同じ教室で過ごした参加者の方々とは「Good Luck!」と互いを祝福し合って別れた。来年か再来年、どなたかの作品を本屋で手に取ることがあるかもしれない。ちなみに私的には、なかなか厳し~現実を改めて実感させられた。う~む…次は電子出版に関するセミナーにでも出てみようかナ。(^^;
2012.10.06
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オーストラリアは9月も後半に入ると、春休み。子どもたちの学校も22日から休みに入った。私など、ついこの間冬休みが終わったばかりのような気がしてしまうが、子どもたちの方はこのホリデー開始を、年末のカウントダウンのごとく、指折り数えて待ちかねていたのだった。とりわけ、ひたすらテンションを上げまくっていた息子など、待ちかねたホリデーが始まるや、今度は別のカウントダウンに入ってしまった。夜、寝る前にぽつりと淋しげ~に呟く。「また一日、終わっちゃったね。。。 これで残りは、後×日になっちゃったね。。。」、と。どうやらあまりに楽しみにしていたがために、今度は一日が終わるたび、残されたホリデーの日数を惜しみ始めたらしい。だが、そ…の考え方はマズイぞ、息子。これは不幸な人生を送る、絶対確実な思考法則ではなかろーか。「そうだね、ムゥ、 毎日、確実に一日は過ぎて、過ぎた日は絶対に戻らないよね。 だけどそんな考え方しちゃったら、 どんな楽しいことしても、ホリデー楽しくなくなっちゃうよ。 楽しい一日を過ごしたら、 その終わっちゃった日を数え上げるんじゃあなくて、 できた思い出を大切にしようね~」と諭したところ、翌日から日々思い出を数え上げるようになった。(^^)いやぁ、やはり子どもはシンプルですねぇ。夜寝る前なんかに、このホリデーでした楽しい思い出を語ってくれるようになったのだ。繰り返しそうすることで、今度は楽しかった記憶が増幅され、喚起されるらしく、些細な楽しかったことまで思い出されて、いい思い出は、雪だるま式に膨れ上がってゆく。ポジティヴな螺旋の輪―いい調子じゃあないか、ムゥ。お陰で後に、学期明けの「Show & Tell」で、ホリデー中の楽しかったことをプレゼン(?)したときも話すことに困らなかったらしい。今学期の「Show & Tell」、暫くはホリデーネタでゆくのだと張り切っていた。(^^;そう言われ振り返ると、つい先日のことではあるが、過ぎ去った今となっては、もう懐かしい思い出が多々心に浮かぶ―ビクトリア州立劇場で見たバレー、「白鳥の湖」とか。Mothers&Daughtersと連れだって観た映画、「Kath&Kimderella」とか。ファームアニマルとショーパックが子ども泣かせの、メルボルンショーとか。ダンディノン山のチューリップ祭とか。フィリップ島のチョコレートファクトリーとか。歴史的金鉱の町、ソーボリンヒルとか。そうそう、娘と二人で電車とトラムを乗り継ぎビクトリア・マーケットに出かけたとき、道端に転がっていた鳥を発見したことも、今では懐かしい思い出である。なんで道端にこんなもんが落ちているのかっ!?と驚愕したことさえ。その日、マーケットの帰りにクリスマスショップを見つけたのだった。所狭しとクリスマスグッズが並べられた、メルヘンチックながら妙にパワフルな店だった。息子を連れていたら、壊されてはタイヘンと即Uターンする類の店ではあったけど、娘と二人だったのでゆっくりと見て回った。うっとりするほど圧倒的なクリスマスパワーに、心をメルヘンで半ば麻痺させ、外に出たら、道端に鳥が転がっていた!?のだ。人通りの激しい道の、ショーウィンドーの傍に、オームくらいの案外大きな鳥が転がっていた。道端にゴミのように落ちているのが異様に映ったほど、緑色のカラフルな、それはそれは綺麗な鳥だった。ほとんどメルヘン的に美しかったので、剝製か、良くできた飾りなのだろうと思った。ちょうど閉店間際で、お店の人が店先のツリーを中にしまっていたので、飾りが零れ落ちてしまったのかと思ったのだ。ヘンな形に転がっているのは、落としたとき歪んでしまったのかナ、と。お店の人に鳥の飾りを落とさなかったか、と聞いてみた。「え、鳥?」と訝りながら出て来たその人は腰を屈め、じっと鳥を見るや、「これ、本物よ」本物、と聞いたとたん、全身が縮みあがってしまった。 じゃあ、死体!? ほにゃららら…(意味不明)パニクる私の傍らで、娘の冷静な声がした。「ママ、この子、まだ生きてる。 今、瞼がちょっと動いたもの。大丈夫だよ」と、そっと手を伸ばした。娘の手より早くお店の人が鳥を抱き上げ、道の端に移してくれた。「たぶんショーウインドーにでもぶつかって、気を失っているだけだから、 踏まれないようにここに置いておきましょう」、と。「ママ、この子が元気になるまで、そばに付いていてあげようね。 踏まれちゃうと大変だから」と、娘。私もそうするつもりだったのだが、日も暮れかけている。ここにずっと坐っているわけにはいかない。暫く待って意識が戻らなかったら、家に連れて帰ってから獣医に連れていこうか。そのさい抱いてトラムや電車に乗るのは難しいから、もしものときのために、さっきのお店の人に頼んで箱を譲ってもらおうか、などと考えていたら、鳥が突然、飛び立った!飛び立ったものの、まだ意識と身体がしゃんとしてなかったらしく、よろめいて落ちてしまった。 え、また落ちてる! もっと怪我しちゃったかも!と役立たずにもパニクる私をよそに、その子は再び羽を広げ、今度は、よたよた低空飛行ではあったけれど、見事、飛び立てたのだった!往来が激しい道で車にぶつかることもなく、無事、空へ飛んでいった。安堵しつつも、なんだか狐にでもつままれたような気分で、鳥の飛んでいった方向の空を娘と二人、呆然と見つめていた。空には夕暮れが下りていた。帰りの電車の中で、珍しく黙りこくっていた娘がぽつりと呟いた。「ほんとはね、あの鳥、私が助けたかった。 でもあの人が先に抱き上げちゃったんだよね。 私が抱き上げて助けてあげたかったなぁ」負けん気も競争心もひたすら薄い、娘にしては珍しく悔しげなその様子にちょっと驚いた。 この子ってば、そんなことにこだわっていたんだ。 私はあのとき彼女が抱き上げてくれて、ホッとしたんだけどな…。ふと、当たり前だけど、親子でもやはり違うんだなぁと思った。動物好きなのは同じでも、私は死体や血を見ると本能的に縮みあがってしまうタイプなのだが、娘の方は死体を前にしても怯まず、冷静なのだった。思い返せば幼いころからそうだった。犬の散歩のときなど、道端にポッサムの死体なんかを見つけた日にはひぃ~~~、私は飛び上がって迂回してしまうのだが、娘の方はわざわざ戻って行って、その死体をじっくりと観察したりする。そうして、ダディンにどうしてその子が死んでしまったのか死因を尋ねたものだった。そうすると医学を学んだ彼が死因の説明に入る、というふうだった。動物好きな娘は、将来は獣医になりたいと言っているが、なれるかどうかは別にしても、死体解剖に怯むことはなさそうである。まあ、まだ10歳。これからどう変わっていくのかはわからんが。とりとめのない話になってしまったが、このホリデーもまた慌ただしく終わってしまった。そうして今更ながら、娘10歳、息子6歳の春休みは一度きり。年が明ければ、娘は小学6年生、息子も1年生になる。いやぁ、月日が経つのは早っ!息子にした話じゃないけれど、過ぎた日は戻らない。こういう思い出も一つ一つ大切にしなくては、ですね。写真は、クリスマスショップの奥のシルバーの部屋です。店内は赤、緑、銀色の空間に分かれていて、綺麗だったので思わずシャッター切りました。(^^)そういえば、先日スーパーの店先にクリスマス商品が並んでいて、もうクリスマス!と驚きましたが、うかうかしているとまた、あっという間にクリスマス!が来てしまうんでしょうね。
2012.10.05
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