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メルボルンは、紅葉の秋。色づく木々を楽しもうと週末旅行に出かけてきました。湖と木々が美しい癒し系の町、Daylesfordに。ここは、とりわけこの季節、ポプラやモミジなんてヨーロッパ系の木々が、黄金色や真っ赤に色づいて、とても綺麗なの。去年は両親と姪っ子も一緒に行ったけど(去年8月のブログです^^)今回は犬連れで。ポーポーとチャールスにとっては、2度目のホリデー旅行です。犬連れなので、ドッグフレンドリーなホリデーハウスに滞在。小さいながら、犬もOKにしては、なかなかな素敵なエドワード調の家でした。裏庭には大きなイチョウの樹が、真っ赤に色づき―だけど残念、半分は既に葉を落としてしまっていました。どうやら今年Daylesfordの紅葉は、例年よりも早かったらしくて。それでもお天気に恵まれて、日曜日にはゆっくりと湖畔のお散歩を楽しんできました。かなり葉を落としてしまった木々もあったけど、ポプラの木々など金色に色づいて、うっとりするほど美しい。色づく木々を眺めつつ、かさかさと落ち葉を踏みしめ、の~んびりと歩く―ぽかぽか秋の木漏れ日の中、子どもたちは、ライトセーバーを手に、スターウォーズごっこ。ダディンはチャールス、私はポーポーの手綱を引いて、さくさくっと落ち葉を踏みしめ歩く感触は、う~ん、秋。途中、芝生の向こうにあひるの群れを発見。14、5羽くらいいただろうか。アヒルたちがちょこまかと草をついばんだり、日向ぼっこしたり。「ママ~、アヒルさんだよ~! たくさんいるよ~ かわい~ 写真撮って~!」と、息子。「ほんとだ、かわいいねぇ」私もカメラを取り出し、アヒルに向けてレンズを構える。と、今まで、そこらを自由きままにふらついていたアヒルたちが、なぜかいっせいにこちらを見た!ではないか。でもって、長い首とお尻をふりふり、ぺたぺた、ひょこひょこ、アヒル歩きでこちらに向かってやって来る。写真は、こちらへ向かい始めたアヒルたち、その瞬間。この直後アヒルの群れは集団で、なぜかすごい勢いで迫り来たのでした。「なんか、アヒルが私目がけて迫って来る気がするんですけど、 気のせい?」その迫力にビビりつつ、恐くなって既に遠く向こうを歩いているダディンと子どもたちに叫んでみる。「気のせいじゃないよ~、ママ狙ってるよ~! 何やってんの、呑気に写真なんかとってないで早く逃げて!」と、娘。「餌くれると、勘違いされてるんじゃないかな~」と、悠然とダディン。「ママ~、やられちゃうよ~ 早く逃げてよ~、走ってよ~!!!」と、息子。周囲にも何人か人がいたのに、なぜかアヒルたちは、確かに私を目がけて、迫り来るのだ。なぜっ!?バクバクッ心臓を高鳴らせつつ、瞬時に様々な危機管理的思考が過る。でも、ここでうかつに走ってしまっては、追って来られてしまうのではっ!?犬は逃げると追ってくるっていうし…。いっそ固まったまま死んだふりは?あ、それはクマか…「ママのバカ~、何やってんの~ 早く逃げて~、走ってよ~!」ムゥの切羽詰まった声に、子供を恐がらせてはいけないと微かな理性を取り戻し、「大丈夫だよ~、今行く~」などと応えてはみるものの、視界では、アヒルのくちばしが大写しになってゆく。 このくちばしに、突っつかれる! しかもくちばし、たくさん…そう思ったとき、いざとなったらバッグとカメラを振り回して逃げよう!と決意した。って、そんなことして当たったら、アヒルさんの長い首、折れちゃいますよね。。。ごめんよ、アヒルたち。菩提心からはほど遠く…だけど心の中では、くちばしに突つかれるときの恐怖が蘇っていた。子供のころに飼っていた、ニワトリのことを思い出していた。そのひよこは、私が小学校3年生のころ、母が動物好きな私たちのために買ってきてくれたのだった。ぴよぴよ、ふかふか、愛らしいことこのうえない、そのひよこを、妹と私は「ピヨちゃん」と名付け、世話を始めた。「でも露店のひよこだから、長くは生きられないかもね」、と母。だけどピヨちゃんは、母の予想に反して、めきめきと大きく育ち、もはや「ピヨちゃん」なんて名前はまったく似合わない、立派な茶色い雌鶏に育ったのだった。そうして毎朝、元気にコケコッコーと鳴いて、ちゃあんと卵も産んでくれた。ピヨちゃんは、もはや容姿も、その名とは相容れなくなっていたけれど、性格も、全然「ピヨちゃん」なんて可愛らしいものではなくなっていた。とにかく、ものすご~~~く気性が激しかった。ずっと鳥小屋じゃかわいそうだからと、裏庭に出すたび、ピヨちゃんは、何が気に入らないんだか、コッコッコッとこちらに突進してきては、足を突っついた。しかも背後から、アキレス腱の辺りを狙ってくるので、突かれると、痛い、痛い。痣はもちろん、血がしたたってくる。私は、いつもピヨちゃんに足を突つかれないかとドキドキしつつ、自転車を物置にしまっていたものだ。裏庭を横切らなければならないときは、カバンなんかを盾にして、突かれないよう身を守りながら急いだ。たまたま裏庭の門が空いていたりして、そこを近所の人が通り過ぎようものなら、カッと飛び出して、わざわざ追っ駆けて行って、足を突いたりした。だから近所では、番犬さながらの脅威となっていた。一方、うちにはスピッツがいた。私は物心ついたときから犬を家の中で飼えと駄々をこね、チロくんは、ようやっと飼ってもらったスピッツの二代目だった。だけど家の中で飼うことまでは許してもらえなかった。チロくんは、世間的には番犬と言われていたけれど、おっとりした犬だったので、ほとんど番犬の役目は果たしていなかった。誰がやって来ようが、ウチの前を通ろうが、すやすやとお昼寝をしていた。ピヨちゃんは、人間を見ると攻撃するような獰猛(?)なニワトリだったけど、チロくんが大好きだった。よく鶏小屋から脱走しては、チロくんと一緒に寝ていた。卵を産まなくなってからも、ピヨちゃんは相変わらず元気で、私たちを追い駆け回し、長生きした。晩年のピヨちゃんは、いつもチロくんと一緒に犬小屋で寝ていた。そのころには、近所の人を追っかけて突っつくようなこともなくなっていたので、両親もピヨちゃんを鶏屋に入れることは止めて、チロくんと一緒に犬小屋で寝かせていた。犬小屋で、スピッツとニワトリが一緒に寝ている風景――、今も切なく心に残っている。私たち家族が暮らす家の外に、犬小屋と鶏小屋を与えられ、生活していたふたり。その1羽と1匹が、家族のように寄り添い、同じ屋根の下で生きていた姿が、たまらなく切なかったのだと思う。ピヨちゃんとチロくんは、自らの意思で、互いを家族に選んだのだった。冬のある朝、ぴよちゃんは、犬小屋で冷たくなっていた。最後の夜も犬小屋で、チロの身体に寄り添っていたのだった。そんなことを思い出しながら、木漏れ日の下、がさごそと足の下で鳴る落ち葉の音を聴き、湖畔を散歩した。既にあひるの群れは後方に小さくなっている。相変わらず元気な子どもたちは、ライトセーバーを振り回し、飛び跳ねるように前方を走ってゆく。小さなポーポーとチャールスも、短い脚をちょこまかちょこまか動かし、私たちと一緒に歩く。カブードルとシーツ―マルチーズで(ロストドッグホームから引き取ったので、詳しい犬種まではわからないのだけど、たぶん)、小さいから、時々落ち葉の中に、身体が半分うずまってしまったりして。それでも落ち葉を蹴散らし歩くのは、楽しいらしい。さっき町をぶらついたときに、子供たちが見つけたドギーコート。チャールスは、ちょっとレトロな黒いマント風、ポーポーはピンクのタータンチェックのコートが、2匹とも、とても良く似合っている。湖の周りを2時間かけて、のんびりと散歩した。夜の、ホリデーの楽しみは、暖炉。我が家の暖炉はお飾りと化し、使ったことはないのだけれど、寒い夜のホリデーハウスでは欠かせない、あたたかな風情。夜は暖炉に火をおこして、パチパチ揺れる炎を楽しんだ。暖炉の前、私たちと一緒にカウチでくつろぐ、ポーポーとチャールスの、だらけた姿が微笑ましかった。犬を家の中で飼いたいと泣いた子供時代は遠く、自分の家に犬の姿がないなんて、あり得ない生活になって数十年。思えば実家の方でも、何十年もワンたちの姿が家の中から消えたことはない。ペットと一緒の生活、なんてありがたいんだろう。暖炉の炎を眺め、しみじみ思った。のんびりした時間は、忘れていた遠い昔のことや、感謝の気持ちを思い出させてくれますね。それにしても、迫りくるアヒルの群れは、やはり圧巻、迫力でした。(^^;
2012.04.15
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4月―、日本は桜、春ですね。ここメルボルンは秋、イースターの季節です。春ウサギならぬ、秋ウサギのチョコレイトが、チョコ卵と並んで店先を彩ります。子どもたちは3月末から秋休み中ですが、4月6日のGood Fridayから、9日のEaster Mondayまで、オーストラリアはイースター・ホリデーに入りました。日本で暮らしていたころの私には、あまり馴染みのなかったイースター。復活祭は、キリストが死後3日目に復活したことを祝う宗教的お祭りで、毎年春分の後、最初の満月のすぐ後の日曜日と決まっているんだそう。カソリック教徒の方だと熱心にお祝いするようで。昔、私が英語学校に通っていたとき、クラスメイトのカソリック教徒たちは、クリスマスの準備さながら、その準備に大わらわで、大いに盛り上がっていたことを思い出します。やれ、イースターのご馳走メニューをどうしよう?だとか、卵のペイントは!?とか、イースターショッピングが未だ終わっていない~~~!などなど。一方、うちのダディンの実家はプロテスタント。それも私同様、本人その宗派も俄かには思い出せないほど「とりあえず」のプロテスタントなので、イースターも明記するほどの家族行事は、ない。その昔、こちらに移住したばかりのころ、ダディンにイースターには何をするの?と尋ねたところ、「特に何も。 強いていえば、グッド・フライデーにフィッシュ&チップスとか魚料理食べて、 日曜にはホット・クロス・パンってパン食って、 子どもたちがチョコ卵探しするくらいかな~」後に、それをアイルランド系カソリック教徒のママ友に話したところ、彼女はこめかみをヒクヒクさせつつ、鼻息荒く、「もちろんイースターは、ホットクロスパンやチョコ卵以上のもの! 一度あなたの夫とイースターについて、じっくり話し合わなくちゃね!」ちなみにマメな彼女は、クリスマスやハロウィーン同様、イースターのお祝いにも、大いに時間とお金とエネルギーを費やします。家をカラフルな卵やウサギや花で飾り上げ、盛大にイースター・パーティーを開いてくれるの。子どもたちは、エッグ・ハントはもちろん、イースター・クラフトやゲームで盛り上がるのでした。そう、子どもたちはクリスマスやハロウィーンに並んで、イースターのお祭りが大好き!もちろんウチの子たちも例外ではなく。とりわけ下の息子ムゥの方は、日本からこちらに戻ってきた1月、スーパーに艶やかに並んだイースターチョコの山を目にして以来、この日を指折り数えて待ちかねていたのでした。「ママ、もういくつ寝たら、イースター? 今年はチョコ卵いつ、買えるの? もうムゥ、楽しみで堪らないよ~~~」などなど。子どもたち一番のお目当ては、なんといっても日曜のチョコ卵探し。今年も目覚めるやベッドから跳び起きて、「もうチョコ隠した? 探しに行っていい?」と、お目々キラキラ。急かされつつ、ダディンと私は年に一度のイベントだからと、朝っぱらからチョコ卵隠しに精を出すのでした。この際、隠す前に卵の数を数えて、書き留めておかないと後が大変。来年、腐ったチョコ卵や、溶けて家具や床にこびりついたチョコなんかを発見するハメになってしまうわけで。くわえて、ウチには犬が2匹。獣医によれば、チョコは犬には毒なんだそうで、毎年この時期は、チョコ卵を盗み食いして具合が悪くなってしまったワンちゃんたちが運び込まれてくるそうな。さてさて、今年も子どもたちは、数年前に私がスーパーでゲットしたイースターのひよこ帽子を被って、エッグ・ハンティングを。大きい卵から小さいのまで、お鍋の中に、写真立ての後に、おもちゃにまぎれて、クッションの下や棚の奥と、卵探しに大はしゃぎ。そうして見つけたチョコ卵は、いったん一つに集められて、数の確認。今年も数日前に地元オージーのママ友たちとイースターピクニックをしたときのチョコ卵も加えたために、その量たるやかなりのもので、162個。。。この162個のチョコ卵が全て回収されるまで、エッグ・ハントは続くのでした。集められた卵は、今度はお姉ちゃんのメェの舵取りで、家族4人に分配されます。4人で分けても162個、かなりの量になってしまうんだ、これが。くわえて子どもたちなど、毎年一つ買ってもらうことになっているチョコうさぎにくわえ、グランマァからチョコワラビーを、友人から特大チョコ卵とか大物もいただいている。その合計カロリーを計算しただけで、糖尿値も一気に上昇しそう。その昔、新聞で、オーストラリアは、チョコレイトの一人頭の年間消費量が、世界第一位なのだ!と読んで驚いたことがあったけど、今となってはその統計にも、妙に納得できてしまうな。私たち一家も、その数値に大いに貢献しているハズ。とはいえ例年、子どもたちはその日、盛り上がってチョコレイトを食べまくった後はすっかりチョコのことなど忘れてしまう。そうしてそのおびただしい数のチョコ卵は、パントリーの中で眠り続け、結局は私の胃の中に収まることになるわけで。どうりで妊娠出産太りから何年経っても立ち直れないわけである。やはり年のせいだけじゃなかったのね。ふつー、イースターサンデーには、ほとんどのオーストラリアの家庭ではホットクロスパン(十字架のマークが入ったパン)を食べるのですが、うちではパンケーキ・ブレッキーを。エッグハントの後、子どもたちはダディンと一緒に張り切ってパンケーキを焼き始めます。なぜにパンケーキなのか?は定かではないのだけれども、いつの間にか、我が家に定着していた習慣。たぶん事の始まりは、娘が幼いころパンケーキが大好きだったからかナ。その彼女も早10歳。パンケーキ作りも、ダディンと一緒にめきめきと腕を上げて、今年はカフェのパンケーキに負けないくらい美味しそうな、3段重ねのミニパンケーキを作ってくれました。溶けたバターとメープルシロップのとろ~り感が堪らなく美味なのよ。こうして糖尿まっしぐらの朝食を楽しむうちに、もうお昼近く。ムゥが数カ月も前から楽しみに、指折り数え上げていたイースター・サンデーも明けてしまうのでした。実は去年一昨年と、イースター・ホリデーは、私は一人、チベット仏教センターのイースター・リトリートに参加しておりました。それで慌ただしくエッグハントを終えた後は、パンケーキもそこそこに、家を出なければならなかったのだけど、今年は家でゆっくりと子どもたちと一緒に楽しい時間を過ごすことができました。ゴンパでの瞑想が恋しくもあるけれど、去年からそのセンターで本格的に仏教哲学を学び始めたので、いいよね、今年のイースターホリデーは。それに子どもたちも成長し、下の子も先月6歳の誕生日を迎え、上の子などティーンネイジャーもすぐそこまで。子どもたちがチョコ卵探しやパンケーキ作りにこぉんなに瞳を輝かせて、楽しみにしてくれるのも、たぶんあと数年ってところでしょう。そう思うと、今の一瞬一瞬が、とてつもなく貴重で、愛しい時間に思えてくる。う~ん、これこそまさにEmptiness―空性、ですね。やはりイースターは、あたたかく、スピリチュアルな時間なのでした。
2012.04.08
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