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一年半ぶりの友人と共に子連れで会って、夕方、戻ってきたら、玄関先に見知らぬ女性が坐っていた!見たこともないおばあさんが、玄関先の椅子になぜか坐っているのだ。白髪のヨーロッパ系女性で、カーディガンを羽織り、どっしりとうちの椅子に腰をおろしている。足元には、買い物の帰りなのか白いビニル袋。誰、この人!?つーか、何、この人???私の背後から息子がおばあさんに駆け寄ってゆくのと同時に、後から娘が日本語で怒鳴った。「近寄っちゃダメ! 知らない人はダメだって、言われてるでしょ!」途端にビクッと後ずさりした息子。いやぁ、娘は臆病なだけあって、危機管理能力に長けている。指示も日本語で出してるし…。娘の怯えももっともだと、とりあえず子どもたちをガレージから家の中に入らせてから、おばあさんに「ハロー」と笑いかけてみた。おばあさんの方も、「ハロー」と返してくれたけど、それきり。こちらを見ようともせず、うちの椅子に坐り込んだままなにやらブツブツと独り言を言っている。とりあえず害はなさそうだったけど、何、このシチュエーションって……。はたして彼女はどうしてここに坐っているんだろうか???「何か家にご用ですか?」と問うてみるが、返事はなかった。相変わらず、ブツブツ…。どうしよう???正直、どうしていいか、わからない……ともかく愛想笑いを浮かべたまま、自分もいったんガレージに避難した。だけど自分ちの玄関先に人がいるのにシャッターを下ろしてしまうのも失礼かもしれない…などとあたふたしてるうち、子どもから話を聞いたダディンが出てきた。「とにかく自分が話してくるから、 君は子どもたちと中にいるように」と、ダディン。夫が頼もしく思えた、近年稀な瞬間であった。あのおばあさんは認知症なのかもしれないな、と思う。足元のビニル袋や、寒いのにカーディガン姿という軽装、道に迷って徘徊してしまったのではなかろうか?ここら辺は老人ホームが多いし。もしかすると、おばあさんはホームから外出し、方向感覚を失くしてしまったのかもしれない。認知症の老人が、頭の中の地図を頼りに歩くうち迷って、徘徊してしまうという話は珍しくないから。そんなことを思ったら、ふと7年前、年の初めに見た夢を思い出した。(年数まで覚えているのがすごいけど、息子の生まれる前の年だったもので)。夢の中で、私は日本の実家の辺りを歩いていたのだが、そのうち道に迷ってしまった。どこをどう歩いても、なぜか家に戻れないのだ。さ迷いながら、ふと思った。はたして自分は実家の辺りを歩いていたのだろうか?もしや、ここはメルボルンなのではなかったか?いや、自分は東京にいたのかもしれない…、と。頭の中では、実家とメルボルンと東京の、以前自分が住んでいた辺りの地図が重なって、ぐるぐる廻っていた。ここはどこ? いったい自分は?わけがわからず、自分の記憶の信憑性と認識力の混乱にパニックをおこし、目が覚めた。恐ろしいうえに、哀しい夢だった。目覚めて、年明けから、なんて淋しい、ものの憐れを感じさせる初夢を見てしまったのだろうと思った。あのとき感じた不安や混乱、苛立ち、恐怖は今も心に残っている。認知症を患ってらっしゃる方の気持ちが、少しだけわかったような気がした。祖母も晩年、認知症だった。最後の8年間はベッドに寝たきりになってしまったので、徘徊こそできなかったけれど、自分の名前すら忘れてしまうほどだった。祖母は穏やかなひとで、怒った顔など一度も見せたことなどなかったのに、あのころはよく怒っていた。けれど認知症を患っていたのだ。どんなにか不安だったろう。ときに幻覚さえ見ているようだったし。「本人の現実」と「周囲の現実」が全然一致しない、という状態。それは絶えず自分を周囲から否定されてしまうような状態なんだろう。苛立ち、怯え、案じ、怒り出しても無理はない。せめてお茶でもと、マグカップを手に外に出かけたとき、ダディンが戻ってきた。なんでも、おばあさんは、ミッキーという人から、ここにくるように、と言われて来たのだそうで。ダディンが、でもここは自分たちの家で、ミッキーという人は知らないが、と説明しかけたところ、突然おばあさんは怒り出しだしたのだそうだ。そうして、あらぬ方向を見つめ「ミッキー、ミッキー、助けて!」と叫び出した。あたかもそこに人が居るかのように助けを求めていたから、たぶん幻覚を見ているのじゃないか、と言っていた。そこへ私が茶など持って、のこのこ話しかけに行ったら、ますます興奮させ、本人を混乱させてしまうだけだから、ここはそっとしておいた方がいい、と。そう言われ、耳を澄ませば、玄関のドアを通して、なにやらブツブツとつぶやく声が聞こえてくる。何を言っているのかはわからなかったが、時々怒ったように声音が上がるから、やはり興奮しているのだろう。辺りはもうすっかり暗くなっていた。せめても外灯をつけたものの、このまま放っておくわけにはいかない。結局ダディンが近所の警察署に電話して、警察の方に来てもらった。いかにもコップ然としたマッチョな警官が来たら嫌だなと思っていたが、半時間ほどで現れたのは、優しそうな婦人警官お二人だった。おばあさんに、どうしてそこにいるのかを尋ね、やんわりと身分証を提示するようにと促していた。けれどおばあさんは興奮して、ここは彼女の家で、私たちの方が犯罪者なんだ、と訴えている。あの人たちが自分の家に不法に上がり込んでいるのだ、と。結局おばあさんは身分証を持っていなかったので、身元がわからず、婦人警官の方がお家を探してくださることになった。この先に認知症の老人方もスティするホームがあるから、まずはそこを当たってみるという。お二人の話では、この辺は老人ホームの数が多いからか、日々こういう通報が絶えないのだそうだ。家まで送って行くと言われ、おばあさんは相変わらずブツブツ言いながらも、すんなりと車に乗りこんでいた。それにしても、どうしておばあさんは、ここを自分の家だと思ったんだろうか?この辺に昔、住んでいらしたのかな?このままスムーズに、今住んでらっしゃる家に帰れるといいな、と願う。家―でも老人ホームや認知症の施設を、「自分の家」だと思える方がいったいどれくらいいるんだろうか。そう考えると、やはり、とてつもなく物悲しかった。それにしても、あのおばあさんは徘徊しつつも、ちゃんと英語で受け答えをしていたナ。自分の場合、英語もすっかり忘れてしまいそうで、より恐いゾ。。。いやぁ、だけど玄関先に見知らぬ人が坐っていたのには、ビックリしました。ダディンは翌日、件の椅子を裏庭に引きあげていたけれど、今後のことを考えると、賢い処置だったと思う。さて、写真は、先月末、スクール・キャンプ中に具合が悪くなってしまった娘を迎えに行ったときの写真です。娘たちはビクトリア州の乗馬もできるという、ちょっとレトロな農場にスティしていたのですが、夕日があまりに美しかったので、思わずシャッター切りました。6月末、冬のビクトリア州、田舎の夕焼け。
2012.07.13
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ビクトリア州の学校では、7月上旬は冬休み。6月末から2週間(学校によって3週間)のターム・ブレイクに入った。毎日、雨か曇り空と天気は冴えないながらも、子どもたちはホリデーを謳歌している。お友だちとプレイデイしたり、姉弟二人で、傍目にはなんだか良くわからん屋内遊びに興じたり、移民博物館や水族館に出かけたり、バレーの「オネーギン」や「ナポレオン展」を観に行ったり―。そのうえ、冬の華は、雪。ということで、今日は雪遊びに行ってきました。メルボルンに雪は降らずとも、州内には(ささやかながら)雪山も、ある。聞けば、今年は例年より雨が多いぶん雪も多いのだそうで。メルボルンから車で2時間ほどのレイク・マウンテンに行ってきた。スキーをするような大量の雪はないけれど、橇遊びなら楽しめる。この雪イベントを子どもたちは毎年、心待ちにしているのだった。ちなみに、もっと気合と時間と資金を注ぎ込んで6、8時間ほども運転すれば、スキーのできる山もあるのだけれど、日帰りはとても無理なもので。当日、7月にしてはなかなかの青空。レイク・マウンテンの麓の町、メアリーズ・ビルMarys Villeには、予定通り昼前に到着した。ここは2009年のブッシュファイヤー、Black Saturdayで壊滅的被害を受けた町である。当時はメインストリートから建物がほとんど消えてしまったほどだったけど、だいぶ復興が進んで、この日も人で賑わっていた。例年通り、ここで早目のランチを取ってから、スノーギアのレンタルショップへ。子どもたちのスキーウェアを借りに行ったところ、店のお兄さんから衝撃のニュースが!今日は朝から大勢の人出で、山頂の駐車場も埋まってしまったため、レイク・マウンテンのハイウェイは既に閉鎖されてしまった!?とのことで。嘘でしょ…寝耳に水っ!のニュースに驚愕する私たちを前に、店のお兄さんは明るく提案してくれたのだった。「いつ開くか、メドも立ってないから、 たぶん今日はもう無理だと思うよ。 雪は諦めて、 ゆっくり町でランチでも食べてから、 またドライブを楽しめばいいさ」いいさ、と言われても、もうランチ食べちゃったし…しかも、一刻も早く雪山に行きたい子どもらに急かされ、手軽なチーズのサンドイッチを……(涙)「え~~~~っ、雪、行けないの~~~~!? もう帰るの~~~~~!???」と当然ながら、ショックに打ちひしがれる子どもたち。焦ってダディンがハイウェイ会社に電話してみるも、道路が閉鎖されているという以外の情報はまったくない、とのことで。どうする、引き返すか???と諦めかけたとき、娘が「せっかく来たのに、 今年もまた、ただ引き返すの~~~!?」そう言われ、前回来たときの記憶が蘇った。去年は出遅れて、8月末か9月に訪れたのだが、既に雪は、溶け切ってしまっていたのだった。ごめんよ、読みの甘い親で…だが今回は少なくとも雪は未だそこに、ある。それに私としても、チーズサンドのランチに往復4時間ドライブってのは…、ちょっと左脳が許さない。ともかくせっかく来たのだから、一か八かダメ元で、敢行しようということで家族の意見が一致した。レンタルショップのお兄さんの「ほんとにいいんですか~?」(暗に「後で着るチャンスがなかったから返金して、はなしだよ~」を含んだ)念押しに太鼓判を押し、ウェアを借りて、雪山に向かった。山方向に折れる分かれ道で、交通整理のおじさんに停められ、2時までハイウェイは開かないから、1時間ほど町で時間をつぶしてから行った方が良いよ、と言われたけれど、ともかくハイウェイの入り口まで山道を上ってみることにする。案の定、ハイウェイ入口には長い列ができていた。のだが、既に山頂から降りてくる車もちらほらと。暇つぶしに、しりとりを始めるうち、前方でゲートの遮断機が開くのが見えた。と、一台ぶんくらい、列が前進したではないか!どうやら2時を待たずとも、ぼちぼち入れてくれているらしい?結局2時を待たずして、ハイウェイに入ることができた!のだった。あのとき、あきらめないで良かった!と思った瞬間である。そうして着いた、スキーならぬタボーガン場は混んでいた(オーストラリアのここにしては、だけれども)。肝心の雪は、話に期待していたほどはなかったものの、橇遊びに足る (滑っても、なんとか土が見えない) くらいには積もっている。大人も子どもも歓声を上げ、タボーガンに興じていた。うちの子たちも張り切って滑り出す。むろんリフトなどないので、元気に滑った後はタボーガンを引きずり上がってくる人の列にくわわって、黙々と引き上げなければならない。けっこう疲れるだろうな~と思うのに、決して飽くことのない子どもたち。滑っては、上り―滑っては、上り―滑っては―延々―一方、私たちの方は、子どもたちが少ない雪でも勢いよく滑り出せるよう、背中を押してあげた後は、もうすることもない。声援を送って見守るしかないのだった。寒い…吹雪いてはいないし、どちらかというとお天気とはいえ、凍える。ふと、あのとき、あきらめた方が良かったかも…って思いが、ちらりと脳裏に湧いたりして。レンタル代をケチって、自分たちの分もタボーガンを借りてこなかったことが悔やまれた。子どもたちと一緒に乗せてもらおうと思っていたのだが、いやぁ、いつのまにか子どもたちは大きく、重た~くなっていた。十歳の娘と乗ったときなど、二人分のお尻の重さに、タボーガンは泥雪に沈んで静止してしまった。。。6歳の息子のタボーガンは子供用なので、一緒に二人乗りするには小さ過ぎて。それでも昔はそのタボーガンで一緒に滑った記憶があるのだけれど…じっとしていても寒いので、子どもたちがタボーガンを上まで引き上げるのを手伝うことにした。子どもたちの背中を押すや、下へと走り、その姿をカメラに収めたら、タボーガンを引きずり、てくてく上る。子どもたちの背中を押すや、下へ走り、タボーガン手に、てくてく―。延々―結局、休むことなく、3時間半…ほとんど歩く瞑想行のような、シンプルな反復運動であった。とはいえ、地味ながら、かなりの運動量にはなったと思う(私にしては)。それにしても、ここにナイターなんて洒落たものがなくて、ほんとうに良かった。今年もちょっとしたハプニングの、スノー・ディではあったけど、ハプニングがあればこそ、思い出はより鮮やかに残るんだろうな。で、子どもの成長は、早い。今回の娘とのタボーガン二人乗りでも実感させられたけど、ほんと、あっという間に大きくなってしまうナ。一緒にできるときに、できるだけ共に楽しんでゆきたいものデス。
2012.07.08
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七夕前日の7月6日は、ダライラマ法王の誕生日である。法王は今年で77歳になられた。地元のチベット仏教センターでも、お祝いのPUJAが行われ、私たちも家族で参加してきた。(^^)そうして、法王の誕生日を前に嬉しいニュースも。来年2013年のオーストラリア・ツアーが報告されたのだった。確か日本にも去年は2回いらしてましたよね。2013年オーストラリア・ツアーは、6月13日から23日まで、法王はシドニー、メルボルン、アデレード、ダーウィンと廻られ、シドニーでは講義を予定されている。もしかするとメルボルンでも1日講義があるかも…との噂も聞いたが。講義のチケット予約も始まったので、興味のおありになる方はどうぞこちらをご覧ください。http://www.dalailamainaustralia.org/ダライ・ラマ法王のお誕生日なので、今回は『ダライ・ラマ こころの自伝』のご紹介を。原文はフランス語で、『Dalai-Lama: MON AUTOBIOGRAPHIE SPIRITUELLE』。ダラムサラに滞在し、15年にわたって、法王の「カーラチャクラ・タントラ」(タントラで最高峰に位置づけられるという世界平和に捧げられた密教経典)を学んだというフランス女性、ソフィアさんの、法王へのインタビューに基づいて綴られている。実はこの英語版、『MY SPIRITUAL JOURNEY The Dalai Lama with SOFIA STRIL-REVER』を私は一昨年買っていたのだが、読みたいと思いつつも本棚に眠らせていた。そして前回日本に帰った際に『ダライ・ラマ こころの自伝』を買って持ち帰った数カ月後に、初めて両書が同じ本であったことに気がついたのだった。。。とほほほ……当然、読みやすい邦訳の方を開き、英語版の方はダディンにあげたが、かように私の書棚には、買ったり頂いたりはしたものの、仮眠に入ってしまっている本が多い。このまま永眠したりしないよう、心して全読しなければ…。さて、『ダライ・ラマ こころの自伝』は、法王3作目の自伝になるそうである。1作目は亡命直後に書かれたという『My Land My People』―『チベット、わが祖国』(中公文庫)。そして、ノーベル平和賞受賞後に書かれた『FREEDOM IN EXILE』―『ダライ・ラマ自伝』(文春文庫)。私は十年ほど前に『My Land My People』を友人から借りて読み、5、6年前に『ダライ・ラマ自伝』を読んだ。前2作は時系列的に書かれていた(と記憶しているのだが)ので、法王の辿った人生を知る、いわゆる自伝として読んだ。『こころの自伝』は、より哲学的で、法王ご自身の立ち位置によって構成されている。 「第1部 ひとりの人間として」 「第2部 僧侶として」 「第3部 ダライ・ラマとして」それを法王は前書きで、「私の人生には、三つのつとめがあります。」と語られている。一つは人間としてのつとめ、二つめは僧侶としてのつとめ、三つめはダライ・ラマとしてのつとめであり、「三つのうちの最後のつとめは、 チベットと中国の双方に満足のいく解決が得られたときに終わりを告げます。 はじめの二つのつとめは、息絶える瞬間まで、たゆまず力を尽くします。」と。去年、政治的立場からは引退された法王であるが、チベット問題は、未だ解決には遠く、時代の流れに、法王やチベットを取り巻く状況も変化してきた。それでも法王が過去50年間にとられた言動は一貫している。「序文」でソフィアさんも明言されているように、「人間として、宗教家として、政治家として、 ダライ・ラマ法王の発言の整合性については申し分なく」、「時間の流れにそって検証しても、法王の姿勢にはぶれがないのです。」と。これは、状況次第で刻々と態度や対応を変えることの多い、とりわけ政治の世界に身を置く方としては、驚くべき姿勢であると思う。だからこそ法王ご自身の心の立ち位置によって編まれた自伝が、ビビッドに活き活きと、読む者の心に訴えてくるのだろう。実は私は未だこの本を読み終えていない。法王の本やダルマ本は一気に読むのではなく、瞑想をするように、毎朝少しずつ心で読んでゆくよう心がけているもので。日々数ページ読んでは、目を閉じて、考える。時には、読後に分析的瞑想をしながらの読書である。心に沁みる哲学的思想や見解は言うまでもないが、ご自身の日常をさらりと語られたようなお話も興味深かった。たとえば、「私の普段の一日」「私の一日は、朝の三時か三時半ごろに始まります。 目覚めるやいなや、何よりも先に仏さまを思い浮かべ、 インドの偉大な聖者、龍樹(ナーガールジュナ)が書かれたお経を唱えます。 そうです、私はベッドに横になったままで祈るのです。 合掌し、心からの尊敬をこめて、しかし半分まどろみながら……。 仏教を実践する僧侶として、朝いちばんに仏さまを礼拝してから、 他の方々の幸せを願うことのみに向かうように、 また思いやりで満ちるように、心の準備をします。 そして、これから始まる一日をできるかぎり有意義に使うことを誓います。 それから少し運動をします。 私もルームランナーで走るのです。」なんて素晴らしい目覚め、一日のスタートであることか。よく、眠るとき同様、目覚めたときに何を思うかは重要だと言われる。眠りに落ちるときの思いがそれから数時間の睡眠や夢見の質を作用するように、目覚めて思うことが一日のスタートを左右してしまうから。せっかく6時間も8時間もかけて、心と体を休養させても、起き抜けに心配ごとや問題、今日やらねばならない仕事なんかをストレスフルに思い出したのでは、リフレッシュしたエネルギーも途端にダウンしてしまうというものである。とわかってはいても、私など起き抜けに「ネバナラナイ」リストや問題に意識をフォーカスしてしまうことが、ほとんど習慣的に多い。そうしてこれらは自分のことであるから、睡眠でせっかくある種「我」を忘れ、眠りの世界に解放されてはきても、目覚めと同時に自我、しかもセコイ自らの日課を考える、小我な自己に意識を集中させてまっているわけだ。反して、法王は、目覚めるやいなや、聖なる存在に意識の焦点を当て、ベッドに横になったままで、半分まどろみながら、お経を唱え、祈るという。なんて潜在意識にもポジティヴで、やさしい寝起きであることか。そうして、(私のように自分や家族とか極めて自己的な事柄ではなく)他者の幸福を願い、思いやりで心を満たし、有意義な今日を誓う、というのだ。これを毎朝、続けるうち、1週間、1月、1年、10年後―、生きる姿勢がどれほど違ってくることだろう。法王の著書で、講義で、スピーチで、その言葉に触れるとき、いつも思うことであるが、いかなる言葉にも、いわゆるささいな事柄を話すのでさえも、その言葉には慈愛と英知の力が溢れている。だからこそ、法王の言葉に触れるとき、心が洗われたような、心にとてつもないサプリメントをもらったような気持ちにさせられるのだろう。ちなみに、ルームランナーで走る、とおっしゃっているが、以前見た『Sunrise/SunSet』という、「ダライラマ@HOME」を謳ったDVDの幕開けでも、法王は早朝からルームランナーで走ってらした。(^^)ちなみに私はここを読んだとき、目覚めのテクを見習うこともさることながら、法王にならって、私も明日から瞑想後は自転車漕ぎをすることにしよう、と決意したのだった。実は去年、あまりに何年もエクササイズからは無縁の身を案じ、せめて家エクササイズでもと自転車マシーンを購入したものの、結局、家具のように置いただけで、子どもたちの椅子兼遊具化していたもので。(^^;「私の普段の一日」では、瞑想修行についても語られている。「私は毎日の修行のなかでも 「菩提心」と「空」の二つの瞑想をもっとも重視しています。 この二つの瞑想は、 日々の生活のどんな場面でも役立ってくれるからです。 苦境に立たされても、 どんなに悲しいことがあっても、 また悪い知らせに接しても、 これらの瞑想のおかげで心の底まで乱されることはなく、 何があろうと落ち着いていることができます。 瞑想は私の心の支えなのです。」―と、どこを読んでも温かい英知にあふれる『こころの自伝』興味を持たれた方は、ぜひ。『ダライ・ラマ こころの自伝』 ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ ソフィア・ストリル=ルヴェ編 ルトランジェ治美訳 春秋社さて、7月6日は、私にとっては母の誕生日でもある。母は法王と同じ70'sではあるが、弱冠若い。先日、今年の誕生日は父と温泉旅行に行くのだと電話をもらって、慌てて、子どもたちにカードを書かせてプレゼントと一緒に送ったのだが、なにぶん4日前のことだったので、誕生日に届かなかったであろうことは確実だった。それでも事故に遭うこともなく、温泉旅行を楽しめたそうで、良かった。母にも、心を込めて、Birthday Wishesを。
2012.07.06
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