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ホワイトターラ菩薩のイニシエーションをチベット仏教センターで受けた。菩薩のイニシエーションとかいうと、なにやら大仰でスゴそうな印象を与えてしまいそうだけど、これで摩訶不思議な力を授かった!とかそういう話では、もちろん、全然ないの。自らの中にターラ菩薩を観想し、タントラ行をする、いわば、パーミッションを得たって話ね。思えば、私がターラ菩薩のイニシエーションを初めて授かったのは、十五年ほど前のことだった。以来ダライラマ法王やチベット仏教の高僧たちから潅頂の機会に恵まれ、今年もまたエンパワーメントすることができたのは、ありがたいことである。それにしては大した進歩がみられないじゃあないか、と周囲の方々、とりわけダディン辺りからは激しいブーイングを浴びせられそうな気がするが、傍目には微妙過ぎて今一つ(もしくは全く)変わったようには見えずとも、内面ではそれなりに変化してきているのよ。とか、説明してしまうあたりが自分で自分の書いた小説を解説(もしくは自己弁護)してしまう類の情けなさがあるが。まぁ、菩薩的大我な心には程遠くとも、心の中に、仏陀でも菩薩でも、神でも天使でも、尊敬する偉人でも、何か聖なる、徳あるイメージを具体的に持っているということは、重要なのではなかろうか?日々私たちが考え、発言し、行動する機動力となっているのは、心だから。その心を、ダダっ子が大きくなってしまったようなエゴ的思考に牛耳らせてしまうか、可能な限り、英知と慈愛にあふれた高次の心に舵取りをさせようとするか―。普段から自分が心の中のどの部分と対峙しているかを意識し、認識していることは、大切だと思う。そこで、今回、ホワイトターラ菩薩のイニシエーションは、10歳の娘にも参加してみないかと尋ねてみた。彼女もあと2、3年で、ティーンネイジャーである。今は私の話に素直に(もしくは悪態をつきつつ)耳を傾けてくれてはいるが、成長するほど、それは希少になるだろう。聞き流しとか、うっぜーんだよっ!とか、言われてしまう日も、そう遠くはないかもしれない。。。彼女の日常が、お友だちやボーイフレンドやパーティーやスマートフォンで賑やかに忙しくなるとき―、親の声にはもう耳を傾けてくれずとも、自分のなかの高次の心に耳を傾けて欲しいな~と、願って。まぁ、小我な動機ではあるけれど、千里の行も足下に始まる―長~い旅も初めの一歩から、ね。難色を示すようなら、また次の機会に誘ってみようと思っていたのだが、「やりたい!」と娘。あ、そうなの、受けてみたい? じゃあ、誘って良かったわ。ところがこのとき予想外にも、傍らで聞いていた息子まで、「やりたい!!」と言い出した。ほんとに? けど、それ、ちょっとムリだろ、早いだろ…。「でもムゥ、2時間も坐ってられるの? 瞑想や観想もあるんだよ」それでも「ど~しても、やりたい!」と言い張る息子。結局、イニシエーションは難しいだろうけど、とにかく黙って静かに座っていられるなら、と言うことで、息子もお絵描き帳とクレヨン持参で参加することになった。イニシエーションには、かなり複雑な観想もあるのだが、娘は最後までちゃんと潅頂を受けきった。息子の方も、お絵描きをしながらも、時折思い出したように、ちょこんと正座をしては、見よう見まねで印を組み、ゲシェのマントラを一緒に唱えたりしていた。その様子に、傍らで、心が思わず吹き出してしまったのは私の方である。いかんゾ、自分、子どもよりも煩悩多いじゃあないか…。その夜―快眠のため、寝る前にいつも子どもたちと一緒に短い瞑想をするのだが、ターラ菩薩の瞑想を練習したいと言い出した。そこでマントラを唱えながら超短い観想をした。娘以上に息子の方が熱心で、ムゥは正座をして、背筋を伸ばし、目を閉じて、小さな両手を合わせて、ぶつぶつと私の後に続いてマントラを唱えていた。そうしてベッドに入ってからも「あったかいねぇ、 ターラの光はきもちいいねぇ」などと呟いていた。それが、ほんと~~~に心地よさそうで、心底、安心しきっている感じで。いやぁ、子どもの想像力はスゴイというけれど、確かにスゴイ。さすが、6歳児のマインドパワーは柔軟である。あれから3週間が経つけれど、今でも息子は毎晩、ターラ菩薩の観想を終えてからベッドに入る。もちろん超短いものだが、相変わらず、「あったかいねぇ。 ターラの光は、きもちいいねぇ。 ブッダの光も、うつくしいねぇ」うっとりと呟きながら眠りに入る。寝る前に何を考えたか―、睡眠前の思考は、続く数時間、睡眠の質を左右するから重要だという。息子も、大好きな冒険小説に出てくる魔物より、仏陀の光をイメージして眠る方が、はるかに安らかに眠れることだろう。そういえば最近、夜中にムゥが悪夢にうなされて目覚めることがなくなったナ。今回、思いもよらず、ターラ菩薩のイメージは、息子の心に最もパワフルに届いたようで。このまま、願わくば、少しずつ、少しず~つ、幼い心が光のイメージを培っていければ、幸いだと思う。写真は私の書斎の「ホワイトターラ菩薩」です。
2012.08.26
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母が電話で、日本は暑いとヘタっていたけれど、メルボルンは、まだまだ寒い。そうしてこの冬、我が家は病気の当たり年だった。先月27日に息子の調子が悪いようなので迎えに来て欲しいと学校から連絡を受けて以来、一日も欠くことなく毎日誰かしらが寝込んでいる(泣)。急遽学校に迎えに走った日、息子は車の中で吐き、午後は嘔吐に発熱。ゲロゲロしながら、「吐いたら、3日間はガッコウ、休まなくちゃならないんだよね。 キソクで行っちゃいけないんだよね。ね、ね」と確認していた。実際、子どもらの通う学校には、他の子たちへの感染を防ぐため、そういう規則があるのだった。ムゥは吐いたことで、自らが手にした幸運を喜んでいたのだが、そのうち今日が金曜であったことに気がついて、貴重な三連休が週末に当たってしまった不運を嘆き始めたのだった(笑)。ああ、人間の心理って、サムサラだ…翌日、今度は娘が腹痛を訴え、発熱。週明けには姉弟そろって欠席した。なかなか強烈なウィルスであったらしく、その週は、息子の方は週半ばまで、娘の方はほぼ一週間ぶっ通しで学校を休むハメに。もちろんその間、私もダディンも次々とうつったが、大人は寝込むわけにもいかず、ゾンビ化しながら蠢いていた(泣)。やっと治ったと安堵したのも束の間、週明けには、今度は娘の方が別のインフルエンザをもらってきてくれた(泣)。数日後には息子も寝込み、また同時に、もしくは交替で学校を休む日々が続く。結局、子どもたちが二人揃って登校してくれたのは、昨16日である。振り返れば3週間。オン/オフで、学校を休み続けたわけだ。これって、タームブレイクよりも長いじゃあないか(泣)。そのうえ今日17日は、「カリキュラム・デー」だとかで、学校の方がお休み。週明けの月曜日も「ミッド・ターム・ブレイク」とやらで、またもや休校。公的祝日でもないのに、ウチの子たちの学校は4連休である(号泣)。もはや子どもたちはすっかり休みグセがついてしまった。元々張り切って学校へ行くタイプではなかったのに、こんなんで学校復帰できるのであろうか???と、書いていて、娘が学校(つーか、幼稚園)に行き始めたころのことを思い出した。幼稚園ではどうだったのか、お友だちはできたのか、と話を聞き出そうとする私を、娘は心底、腑に落ちないといった目で見つめ言ったものだ。「ママ、どうしてメェのガッコウの話なんか聞きたいの? 別におもしろくないよ。 それよりハムタローのボウケンの話の方が、 (当時彼女は「とっとこハムタロー」にハマっていた)ず~っとおもしろいのに。 それでね、ハムタローはね」それでもやっとお昼休みにお砂場で遊んだことを知り、もっと詳しく聞きだそうと、シマジローのお姉さんふうに粘った。「そっかぁ、それで誰と遊んだのかなぁ?」「センセイやおトモダチと」「みんなと遊べて良かったね。で、どんなことして遊んだのかなぁ?」、「お砂をほったの。 お砂をどんどん、どんどん、ほったんだよ」「ふんふん、それで?」「それでね、もうっと、どんどん、どんどん、ほったの。 どんどん、どんどん、ほってるうちにね、 メェ、アリさんになっちゃったんだよぅ」そっかあ、蟻さんになったのか―、って、どこからがフィクションなんだよ~~~!?とかく子どもから真実を聞き出すのは難しい。ウチの子たちから、学校の話を聞き出すのは、至難の業なのだった。それは、娘が10歳、息子が6歳になった今も、少しはましになったとはいえ、大してかわらない。ポケモンとか、ドラエもんの話なら、聞きもしないのに延々と話し続けてくれるんだがな。そういえば、それで一時、我が家ではスピーチ制を採用したことがあったっけ。夕食の後、マイクならぬトーキングスティックを手に、1人持ち時間3分で、その日の「学校での」出来事を話すのだ。ルールとしては、マイクを手にした人が話している間は、口を挟んではいけない。質問がある場合は手を挙げて、指されてから質問する。話のイニシアティヴはスピーカーにある。って具合に。子どもたちはこのゲームが気に入ったようで、持ち時間3分のところを、30分くらい熱弁をふるっていた。お友だちのこととか、教室での笑っちゃう出来事とか、果ては勉強内容まで。今まで聞けなかったような話が続々と出てきたのだった。娘から初めて「One Direction」の名を聞いたのもこのときだった。交通ルールか方向性の話でも始まったのかと思ったら、クラスの女の子たちに人気のアイドルだそうで。。。完全におばさん化してるゾ、自分(^^;去年はジャスティン・ビーバー(でしたっけ?)熱にうかされていた子たちが、今年はこぞって彼らに夢中になっているんだそうで、休み時間になると、彼らの話で盛り上がり、みんなで歌ったりするらしい。TVといえば、もっぱら「ドラエもん」や「ポケモン」のDVD見て、弟と一緒に盛り上がっている娘が、そんな話題についていけているのだろうか?と、ふっと不安がよぎった。思えば彼女も小学5年生である。なのに、現地のテレビをろくに見る習慣がないっていうのは、今後の学校生活におけるソーシャル面を思うに、問題なのではなかろうか…。これって、親の責任…???それでその夜は娘と二人、PCの前に坐って、グーグルサーチを。Wikipediaなんかで「One Direction」を調べ、「ほら、メェ、この子がハリーだよ。 顔と名前は覚えたかっ?」メンバーの名前入り写真なんかをプリントアウトしたりして。でもってYouTubeで歌チェック。「ママ、この歌、みんなが歌ってたヤツだ!」と言われ、「What Makes You Beautiful」をクリック。歌詞のサブタイトルまで入っているので、カラオケの練習用にもなりそうな優れモノである。「メェ、せっかくここまで(?)リサーチかけたんだ。 歌ってごらん」「えーっ、パソコンの前で歌うのーっ」とかゴネていたけれど、案外楽しそうに歌っていたな。そうだった、トーキングスティックだ。ここ3週間は子どもたちが寝込んで学校自体に行けなかったので、使う機会もなかったが、久しぶりにまた再開してみようではないかっ!8月も半ばに入ると、マグノリアや梅の花が通りを彩り始める。このままもう寝込むことなく、この冬を乗り切りたいものだと思う。写真は、冬休みの最終日、馬車に乗ってメルボルン・シティを走った(?)ときのもの。馬車の上からだと、見なれたシティの風景も違って見えます。
2012.08.17
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「グランダァ」の命日にちなんで、義父母の家に集まった。7年前の8月7日の夜、義父が突然、心臓発作で逝ってしまってから恒例となったファミリーイベントである。義母はこの日をクリスマス以上に大切なファミリーイベントと位置付けて、毎年、グランダァを偲び、残された家族の絆を強めるために、かなり前から計画を立てては、その準備に奔走するのだった。ところが今年は、肝心の彼女が参加できなくなってしまった。8月3日に膝の手術が決まったから。半年以上も待った手術の日が決まった日、義母は、2日後のグランダァのアニバーサリー・パーティーに出られなくなってしまうからと躊躇したのだが、子どもたちから、これを逃したらいつ次が回ってくるかわからないと説得されて、ようやく手術を了承したのだった。代りに子どもたちには、自分がいなくても例年通り家に集まって、アニバーサリー・パーティーをするようにと約束させ、パーティー用にテーブルを整えて、ワインやスナックの準備まで終えてから入院したのだった。当日、彼女の希望通り、子どもたち4家族全員が一人も欠けることなく主のいない実家に集まった。わいわいランチとお喋りを楽しみ、日曜の午後を寛いだ。そうして、いつものように皆でグランダァを偲んだ。義父母の寝室に集って、今では習慣となった、ささやかなセレモニーを。オーストラリアでは一般に仏壇の習慣はないのだが、義母は、寝室に置いた洋服箪笥の棚をメモリアルボードに変えていた。そこに夫の写真を飾り、花や蝋燭、お水をお供えしていた。皆で輪になって、ベッドを囲んだ。キャンドルが灯されて、孫の一人がお水を捧げる。この「水当番」は年の順ということになっていて、今年は孫たちの中で下から二番目の甥っ子がやった。ちなみに息子は、来年は自分の番だと今から楽しみにしている。それから義母がこの日のために用意したという詩をダディンの妹が朗読した。グランダァと、家族の絆を讃える詩だった。誰からともなく手が繋がれて、家族が輪になる。グランダァの好きだった曲がかけられ、皆で合唱した。ダディンや、父を想う子どもたちの瞳はじんわりと潤んでいる。そのときウチの愛犬、ポーポーがちょこまかとやってきた。ポーポーは義父を偲ぶ輪の中に入り、なにやら怪しげな動きを始めたかと思いきや、おしっこポーズに!? 嘘でしょ、何も今こんなところで…瞬時に、ポーポーを抱き上げ部屋の外に出した。とろい私にしては驚きの瞬発力だったと思う。皆は依然、手をつないで輪になって、感涙の勢いで歌っている。私もみんなの輪に戻って合唱した。幸いドアの近くに立っていたので、また中に入って来ようとするポーポーを足で阻止することができた。 するなら、せめて廊下でしてもらいたかった。。。皆と手をつなぎ、合唱を続けながらも、足の方は犬たち(いつのまにかチャールスまで…)と格闘していてた。2匹を裏庭に置いてこなかったことを後悔したけど、後の祭り。心の中で、義父に年に一度、家族で輪になって義父を偲ぶという大切な時間に、犬の粗相を阻止しようと、あたふたしている自分のふがいなさを詫びた。―と、そのとき娘が隣で「ママ、羽…」と囁いた。見れば、何か小さな、ふわふわしたものが、義父のベッドの辺りを舞っていた。「ママ、取って!」と息子に急かされ、それを掌でそっと受け止めた。小さな、ほんとに小さな、ふわふわした白いフェザーだった。「きっとグランダァが自分もここにいるよ~って、 挨拶してくれているんだよね」と、娘が日本語で囁いたとき、私には、義父の吹き出す笑い声が聞こえたような気がした。義父は生前、物静かで、感情をあまり出さない人だった。家族の集まりでも、陽気な義母とは対照的に口数も少なくて、いつもどっしりと椅子に腰をおろし、BGMの大好きなクラシック音楽に耳を傾けているというふうだった。そんな義父が突然、プッと吹き出すことがあった。それまで皆の会話など上の空だったようなのに、実は聞いていて。話の流れが、彼の笑いのツボにはまるや吹き出すのだ。それから、いかにもおかしそうに腹を抱えてゲラゲラと笑った。すると周りはその豪快な笑いがおかしくて笑ってしまう、というふうに。私はそのとき、義父が私のとんまな状況に吹き出し、そんなことはいいよ、と笑ってくれたような気がしたのだった。目を閉じて、義父を思った。いつのまにかポーポーとチャールスは、もはや私が足で阻止する必要もなく、怪しげな動きを止めて私たちの足元に寝ころんでいた。あたかも義父が宥めてくれたかのようだった。曲が終わると、今度は皆で裏庭に出た。義母が「グランダァのキャンドル」と名付けた、天使のキャンドルスタンドの周りに集まった。キャンドルに火が灯され、義母の詩が再び朗読された。それから、皆でグランダァを偲んで、黙想した。後日、オーストラリア人と結婚してこちらで暮らすママ友にこの話をしたところ、彼女の夫の実家ではそんな習慣はないと驚かれた。実際こちらにはお墓参りの習慣も、お盆のような行事もない。命日に家族が集うことを習慣にしている家も少ないのかもしれないな。ダディンの実家の、グランダァの命日に家族総出で故人偲ぶというこの習慣は、ひとえに義母の努力の賜である。彼女は夫が亡くなってからというもの、その不在を埋め、残された家族の絆を強めるために、ほとんど涙ぐましいほどの努力(?)を重ねてきたから。正直、生前はそれほど仲の良い夫婦には見えなかった。ファミリーの中心は子どもたち、ひいては孫たちで、義母は夫より、子どもたちの方を遥かに敬愛しているようだったし。けど思えば、子どものいる夫婦の多くはそうなのかもしれないな。私だって結婚して十数年が経った今、子どもに注ぐ、たぶん100倍くらいは冷たい視線で夫を観ている。それが、義父が突然亡くなってからの義母の変わりようは、傍で見ていても痛ましいほどで、夫婦の絆について考えずにはいられなくなってしまう。伴侶が隣にいるということが、どれほどありがたいことかを実感し、表現できるうちに表現するよう、励まされているような気にさせられるのだ。思えば当たり前のことも、慌ただしい日常ではついつい忘れてしまう。義母は今年、義父の命日を偲ぶという彼女にとって何よりも大切なファミリーイベントには出られなかったが、手術は成功した。命日は故人にとって、あの世とこの世のエネルギー的絆が強くなるというというから、義父もこの時期は動きやすいのかな。今回、義父が向こう側の世界から活躍しまくっているようで、いろんなことがスムースに回り、病室もリハビリ施設も、次々と義母の希望がすんなりと叶ってゆく。今回は回復も早くなりそうだった。きっと来年グランダァの命日には、義母がまた大張り切りでパーティーを仕切ってくれることだろう。写真は、「グランダァのキャンドル」。義父が亡くなってから、ずっとその庭を見守っている。
2012.08.05
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