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そうだった、ビクトリア州にも温泉は、あったのだった。メルボルンから車で1時間半ほどのペニンシュラ半島の温泉、Peninsula Hot Springsに行ってきた。昔から話には聞いていたのだが、水着で入る露天風呂ということで、温水プール的イメージに惹かれず、すっかり忘れていたのだが、今回ペニンシュラ方面のミニ・ホリデー旅行に当たって、ダディンが思い出してくれたのだった。メルボルンからフリーウェイを降り、ブッシュやワイナリー、農場とオーストラリアらしい牧歌的な風景のつづく道を走っていると、日本で見慣れた、だけどかなり大き目の温泉マークが現れた。いかにもオーストラリアの温泉といった感じの、広大な敷地である。ウィークディだというのに、思った以上に混んでいた。マッサージや個室スパのある「Private Bath」と「Public Bath」エリアに分かれていて、私たちはこちらの方に。ちなみにレセプションでバスロープやタオルも借りられる。水着に着替えたら、寒いし、一刻も早く湯けむりの立つ、お風呂へ浸かりたいところだが、まずは息子に付き合って、更衣室脇の足湯から。ムゥは、元々熱いお湯が苦手のうえ、この3月に入院にまで追い込まれたアトピー性皮膚炎から、29度以下入浴を勧められているため、熱いお風呂には入れないのだった。ま、最近では、これで風邪ひいて、今度は喘息の発作に見舞われても困るので、30度台前半入浴でよしとしているのだけれど…。とはいえ、元々お湯につかるというより、泳ぎたくてたまらない6歳児。なにしろ水着を着ているわけだし、言い聞かせても、すぐに足がバシャバシャと動いてしまう。「ここ、ちっちゃいよ~ 早くおっきいとこ行こうよ~」だから水飛沫を飛ばすな!泳いじゃいかんのだ、と言い聞かせ、奥にあった、温泉然としたお風呂の方へ。竹筒から流れ湯が下りる、なかなか風情のある岩湯である。周囲のプチ日本庭園ふう風景も雰囲気ながら、その背後で、風に揺れているユーカリの木々も、オーストラリアの温泉らしくて、いい感じ。そうして何よりも、ここは、温かかった!温泉なのだから、当たり前のことではあるけれど、ヘビーなコートから水着に着替えた身には実際、このうえなく嬉しい。冬のお湯は、心と体のオアシス。全身の筋肉が緩んで、細胞の一つ一つが花開いてゆく感じである。ぽわ~ん。ここに限らず、大半のお風呂の温度は「37~39℃」となっていた。実は私は、オージーは、概して日本人に比べて熱いお湯を苦手とする方が多いから、お湯がとてつもなくぬるいんではないかと、内心案じていたのだが、思った以上に温かく感じられた。もうちょっと熱くても嬉しいけど、ゆったり浸かるには程よい温度であろう。パブリック・バスでは20以上のお風呂が楽しめる、とパンフレットに謳われていたけど、実際、かなり雄大である。ピクニック・エリアまであるそうで(寒くて、とても見に行く気にはなれんかったが…)、ちょっとしたブッシュウォークでもできそうな遊歩道もある。大きな池の向こう岸では工事をしており、何やら更に施設を拡張するらしい。ファミリー・フレンドリー・エリアには、ジャグジー風呂にくわえて、大きなお風呂がいくつかあった。ムゥが、真っ先に入りたがったのは、浅くて、広々としたお風呂。お湯の温度もぬるめに設定されていて、小さな子どもたちの姿も多かった。水着姿だし、温泉というより、温水プールって感じ。油断すると、どこからか水飛沫が飛んできそうで、こわい。湯船がひどく浅く作られているのは、水泳防止効果も狙っているんだろうな。池を眺めながら小道を上がってゆくと、reflexology、足ツボの湯がある。湯船に敷かれた小石が、足の平のツボを刺激してくれるそうで、浅い湯の中を石を踏みつつ、痛いので、そろりそろりと歩いてゆく。奥には、洞窟の湯。とはいっても天然ではなく明らかに人口だったけど。それでも息子にはその雰囲気と湯の深さが嬉しいらしく、ともすれば泳ぎだそうとしてしまう。調子っぱずれな声で、童謡まで歌い出したりして…。ドーム型に反響する水飛沫と歓声が楽しくて堪らないようで、迅速に退散した。そこから丘の上に上がる小道が続いていた。上っていこうとしたら、「16歳(だった気が)以下、ここから先は立ち入り禁止」の看板が。ダディンたちは、だったら先の温水プールふう湯に戻るというので、一人で行ってみることにした。小道を上がっていくと、ぽつりぽつりと小さな湯。一休み的に浸かりながら、ひたひたと歩く。いくつ目かの、渓谷を思わせる湯で、ゆったりと一息ついた。山の中の湯を彷彿とさせる、美しさに、温かさ。すぐ下には、ささやかながら渓流があって、小さく響く谷川の流れを聴きながら、木々を眺め、お湯に浸かった。ああ、なんて贅沢なんだろう。思わずシャッターを切ったのは、この湯からの風景デス。それにしても去年、この時期に、両親と姪っ子がこちらに遊びに来てくれたとき、ここを思い出せなかったことが悔やまれた。温泉好きな両親、ビクトリア州にもこんなお湯があるのだよ、と次回は案内してあげたいものだ。さて、この先には、パンフレットに載っていた、展望の湯があるらしい。とぼとぼと登りつづけるも、かなりの距離なので、露天風呂ウォークというよりも、ブッシュウォークの感になってくる。スニーカーか、せめてふつーの靴が欲しいところだ。素足なので、リフレクソロジーでもないのに、足の裏が痛い。冬の小道に、あっという間に濡れた足は凍えてしまう。と、擦れ違う方々がビーチサンダルやサンダルを履いていることに気がついた。もしかしてレセプションでサンダルも借りられたかも、、、とふと思うも、後の祭り。そのうえガウンは、一つ湯からあがるたび、しっかと羽織ってきたので、水気を吸って、ますます重く、冷た~くなっている。白いガウンの襟元を隙間なきよう重ね、凍える足で黙々と歩くうち、いつしか脳裏には山伏なんかのイメージが湧いている。もはや心は、行者。寒いので、ついついブツブツ真言なんぞも唱えてしまう(傍目には恐いか…)。温泉リゾートというよりも、プチ修行気分になってくる。ようやっと辿り着いた、展望の湯。確かに360度パノラマの風景ではあるけれど、湯船がひどく混んでいた。ゆったり寛ぐには、寿司詰め過ぎて…。かと言って、すぐ出てしまうには外気は冷た過ぎ、ガウンは凍える。ウィークディでこれなら、週末はさぞ混み合うに違いない。この季節、丘の上で冷たい風にさらされ並んで待つのは、辛いだろうな。お隣ではラブラブ・カップルの、女性の方がぽつりと呟く。「And now, we have to drive all the way to Melbourne.―で、これからメルボルンまで延々ドライブしなきゃならないわけよね…」彼女は「we」と表現したので、彼の方が「いいよ、ボクが運転してやるから」とか言うのかな~と思いきや、ただ曖昧に微笑んだ後に、話題を変えていた。傍目にも、二人のアツアツ度が確実に下がってゆくのを感じたが、でも、わかるわ、その気持ち。湯あがりに運転は、辛いよね~。ちなみにパンフレットには、宿泊もできるとあったけど、お二人はご存じだったのだろうか?さてさて、帰りのドライブとか、そこまで先のことは心配せずとも、丘の頂上にある湯から上がった後は確実に、今度は下まで降りねばならない。行きはよいよい、帰りは、なんとやら。フックに吊り下げておいたたガウンは、丘の上を吹く風にさらされ、ますます冷たく―心は重く―ああ、ドラエもんのどこでもポケットが、欲しい。露天風呂を満喫した後は、湯あがりに、カフェで一息つこうと思ったら、お子ちゃま禁止だそうで入れてもらえなかった。やむなく売店で、ラッテを。まあ、思えば、歓声と水飛沫を上げたい子どもたちを抱えたファミリー層と、ゆったりと癒されたい、もしくはロマンチックしたいアダルト層を分けたい気持ちはわかるんだけど、残念ではある。とはいえ今回、初めて行った、Peninsula Hot Springsは、思った以上に広大で楽しい温泉でした。温泉好きな私としては、ぜひまた足を伸ばしたいところである。今度はもう少し温かくなってから浸かりに行こうかな~。Peninsula Hot SpringsのHPアドレスはこちら。http://www.peninsulahotsprings.com
2012.06.28
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メルボルンの朝、寒さはますます厳しく、裏庭のジャグジーのカバーにも氷が張るようになって、久しい。ひどく朝型&寒がりの身には堪える季節ではある。そんななか、雀野日名子さんの小説『太陽おばば』を読んだ。ね、何やら温かそうなタイトルでしょ。そうして、読後――切なく心に残る話だったので、皆さんにもご紹介したくなりました。はっ、そうだった、思えばこのブログのカテゴリーは、今年頭から「子育て」ではなく、「読書・コミック」ブログにしたのだっけ(苦笑)。まずは『太陽おばば』の帯からご紹介を。「フリーライターの舞は不妊が原因で離婚し、アパートに引っ越してきた。 傷心を抱えながらも、向かいのアパートに住む耶知子さんという パワフルなおばあさんとの交流が始まる。 耶知子さんは不思議な力で、 身近な人々の最後にまつわる心のすれ違いを解決させてゆく。 そんな耶知子さんと過ごすうちに、 舞はライターとして書かなければならない本当に大切なことを見つけていた。 この世に残すことができない新たな命の代わりに、 自分にしか残せないものを―。」この小説は、不妊症が原因で離婚し、人生の再出発を図る30代半ばの女性と、伴侶と死別した後に家を引き払い、高齢者用賃貸アパートで、人生の終焉を迎えようとする60代後半の女性、ふたりの物語である。主人公の舞は、不妊症と離婚によって傷つき、自分の殻にこもりそうになりながらも、淡々と人生に対処してゆく。「命」を残せない身体だと言われ苦しんだ末に、ならば残すべき「命」のある、他の人の「命」を残そうと自叙伝ライターを目指す。物語は舞の視点を通して、一人称で描かれているのだが、一方、日の光が大好きな「太陽おはば」、こと耶知子さんは、北向きの侘びしいアパートを終の棲家としながらも惨めさなど微塵も感じさせず、大らかで、陽気。舞をドン底から引き揚げてくれた、魅力的な女性として描かれる。何よりもおばばは、人生の「最後」を迎える人たちを前にするとき、その心の扉を開いて、「奇蹟」を起してしまうのだった。何やら不思議な力もあるようで、ミステリアスなキャラクターなのである。死にゆく人とご家族や縁者とのこじれた心の糸を解くため尽力するおばばだが、実は自分の娘とはうまくいっていない。おばばが舞に語ったところでは、3歳の孫娘がいるが、疎遠になった娘とは何十年も会っていない、と言う。太陽おばばにはミステリアスな影、悲しい過去もあるのだった。物語が進むにつれ、この影の部分が明らかになってゆく。もちろん、ラストのどんでん返しで、物語はますます深く、濃くなる。太陽おばば、耶知子さんが舞に語った現実に、周囲から舞に伝えられた事実、そこに心霊世界の現実が重なって、耶知子さんの真実が明かされてゆく。とても、とても切ない。切なく、胸に迫りくる物語だった。良い作品というものは、どれもそうだと思うけど、読後、私たちを「心で」考えさせてくれるのだ。『太陽おばば』を閉じた後、私には心に残る強烈なイメージが2つあった。1つは、冬空の下、シャッターを下ろした商店街のアーケードで、等身大のひかるちゃん人形を膝にのせ一人ベンチに座っている、おばば。それと、舞がおばばを娘さん一家の元に送り届けるシーンである。夜闇にぽつんと建った一軒家。暖色系の灯りが漏れる出窓のカーテンから、ひかるちゃんと思しき、小さな子供が顔をのぞかせ手を振っている、という幻想的なシーンは、切なく心に残った。映画『シックス・センス』を思わせるドラマチックなどんでん返しゆえに、エピソードの一つ一つが読後、ますます輝いてくるのだ。おおっと、これ以上書いてしまったら、読む楽しみを汚してしまいそうだから、ここらで、お暇を。著者の雀野日名子さんは過去に短編作品で、『幽』怪談文学賞や日本ホラー小説大賞短編賞を受賞されたというだけあって、現実世界の中に、神秘世界を描くのがとてもお上手だ。あの世と、この世、見えない霊的な世界とのバランス感覚が絶妙なの。そうしてこれこそが、私がこの作品に感銘を受けた理由であろう。メルボルンからではなかなか日本の書籍を手に入れるのは難しいのだけど、また彼女の作品を探して読んでみたいと思う。
2012.06.23
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今週末オーストラリアは、月曜がQueen's Birthdayで、3連休。毎年この週末メルボルンでは、Mind Body Spirit Festivalが開催される。何度かブログに書いたけど、メルボルンとシドニーで年に2回、ブリズベンやアデレードでも開催される、スピ系、癒し系のお祭りである。会場には、200近くのブースが並ぶ。健康食品やグッズ、CD、本、アロマなリラックス用品や蝋燭、水晶、アクセサリーなどなどスピ系・癒し系グッズにくわえて、マッサージや指圧、オイルやクリスタル・ヒーリングなど様々なセラピー・ヒーリング系のお試しブースも出る。サイキック・リーディング・ルームには60人もの霊能者が集まって、瞑想室では無料の瞑想セッションをしている。一日中、ステージでは音楽や踊り、ミディアムショーやヨガなどのパフォーマンスが披露され、ソウル・キッチンでは、ベジタリアンやオーガニック食品のクッキング・デモンストレーションが行われる。セミナー会場では、セルフヘルプや霊能系の無料セミナーが開かれている。ここで心の平安や悟りを得るのは難しいとしても、スピ系のお祭りなので、とにかく楽しい(私には)。毎年ワクワクと足を延ばしてしまうのだった。今回も、セミナーや霊視、お試しヒーリングなぞを受けてるうちに、あっという間に一日、終わってしまった。今回、私にとっての一番のハイライトは、デビー・マローンさんのサイコメトリーのセミナーであろうか。彼女は、TV番組「The One」(オーストラリアの霊能者が一堂に会し、その霊能力を競うという番組)で一躍有名になった霊能者である。肩書きは確か「Psychic Detective霊能探偵」となっていたと思うのだが、州警察と事件解決に当たって働く、アメリカのTVシリーズ『ミディアム』のアリソン・デュボアのような霊能者なのだった。彼女のことはTVで有名になる前から、オージー女性の霊体験を扱った本、『The Spirited Sisters』で読んで知っていた。連続殺人事件の犠牲となった霊たちからコンタクトを受け続け、それを警察に通報し、事件を解決してから、『ミディアム』の霊媒アリソンのように警察署と事件捜査に関わるようになったという彼女の自伝、『The Memoir of Debbie Malone』は、ぜひ読んでみたいなとチェックしていたものだった。その彼女がサイコメトリーに関してセミナーを開くという。サイコメトリーとは、物に触れて、持ち主を霊視するという霊能力の一種である。そうして当日。てっきり私は、彼女がサイコメトリーのやり方なんかに関してレクチャーしてくれるのだろうと思っていたのだが、ご本人自らが参加者をサイコメトリーによって霊視してくれるのだという。「指輪でも腕時計でも身につけているものを何か用意してください。 電波を発してり―ディングを妨げてしまう、 携帯電話以外のものならなんでもOKです」と、デビーさん。そこで私も昔むか~し、仕事用のお守り(?)に買った指輪を外して用意する。それにしても、会場は立ち見が出るほど埋まっていたから、まあ、自分が当たるなんてことはないだろうな~と思っていたら、ここ一年で頻繁に起こるようになった、不思議なサインが。あ、と思ったとたん、中央の通路側に坐っていた私の傍らを通り過ぎたデビーさんがくるりと振り向き、「あなたのリーディングをしましょう」、と。彼女は私の指輪を暫く握ってから、リーディングを始めた。私が、海外から来たことに始まって、仕事のことや、日本にいる家族のことなんかに触れ、日本に心を残しながらも、どうしてここにいるのか、私が海外で暮らす霊的な意味について語った。途中、母方の祖母が来ていると告げ、祖母の容姿や、亡くなり方、私との関係なんかを描写し、祖母からのメッセージと、そして未来に関するメッセージも伝えてくれたのだった。ずっと長かった髪を数年前に切ったのが今また伸びたのだと、そんなことまで言い当てられて驚いた。ちょうどそろそろ切ろうかな~と思いながらも、忙しくて美容院に行く時間がとれなかったのだけど、デビーさんによれば、祖母が長い方がいいから切るなと言っているのだそうで。(^^;彼女は実際にイメージを見ているようで、その見ているイメージを描写して、それは私にとって、どういう意味があるのか?とも尋ねてくれた。これは霊視をする際、とても大切なことだと思う。見えたものを霊能者が勝手に解釈して、勝手な物語を作り上げて伝えてしまったら、伝えるべきメッセージが歪み、不正確なものになってしまうから。短い、ほんと5分くらいのセッションだったけど、デビーさんが挙げてくれたことは、かなり的を得ていた。シッティング(相手に誰と繋がったかをわからせ、信憑性を与えるために挙げる情報)をいくつか伝えてから、私にとって大切なアドバイスを伝えてくれたのだった。一方、受けた私の方はといえば、まさか自分が当たるなどとは思ってもいなかったので、ぼーっとしてしまって、デビーさんの見えたビジョンへの補足が足りず、なんだか申し訳なかった気が…。でもありがとう、デビーさん、自叙伝、読みたいと思いつつ何年もそのままになっていましたが、必ず読みます、本屋でオーダーしてきます~デビーさんが伝えてくれたビジョンに関しては、サイキック・リーディング・ルームで受けたKさんの霊視とともに、後になって突然、心に迫ってきたことが多々あった。帰ってから、リラクゼーションとお清め(?)を兼ねてソルトバスに浸かったり、翌日、瞑想をしているときなんかに、その意味が、豆電球がピンピン灯るように繋がっていったのだった。それまで自分の中で混沌としていた直感的ビジョン。そのブループリントが3D仕様のクリアさになった感じっていうのかナ。とはいえ、Kさんのサイキック・リーディングの方には後日談がある。ICレコーダーに録音したので、後で時間があるときにでも聞こうと思っていたのだが、昨日(これ書いている今は23日です~)、再生して驚いた。サイキック・リーディング・ルームはざわざわしていたのに、人の声がなぜか全く入っていなかったのだ。コンコン、コンコンとラップ音(?)みたいな音が不規則に鳴ったり、ドラムのような音が鳴り響いたりするばかりで。なぜっ?と思っていたら突然、男性の声が何やら数字を延々羅列し始めた。はい~?と首をかしげていると、今度は赤ちゃんの泣き声が。何これ? なんで赤ちゃん??10分後くらいにようやっとヘンな音が止み、霊能者と私の声が微かに聞こえたと思ったら、そこになぜか子供の声が。何を言っているのかはわからなかったけど、甲高い声で話している。なぜ? 子供なんて周りにいなかったけど…。それに、どうして彼女や私の声より、こっちの方が大きくメインで入っているんだ~~~?と思ったら、突然プツン、録音は止まってしまったのだった。あるべき時間の半分くらいで。???思わず再度、今度はヘッドフォンをつけて聞いてみたのだが、なんだか薄気味悪くなって消しちゃいました。後で聞こうと思ってたのに、ぜ~んぜん録れてなかったこともショックながら、なんだったんだろーか、あれは?ICレコーダーが古いからかもしれんが、今までこんなことはなかったのに…。―と、Mind Body Spirit Festival、今回も楽しかったものの、後味がちょっと不気味で、残念。次回には新しいICレコーダーかナ??
2012.06.11
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今日はサカダワの満月。釈迦が悟りを開き、涅槃に入られた日とされ、チベット仏教では重要な日である。メルボルンのチベ仏教センターでも、サカダワを前に、先週は薬師如来プージャや、日曜の昨日は、サカダワ・プージャが行われた。そうしてサカダワは、功徳が1億倍にもなる!とも言われる、パワフルな日なのだった。私も、ふだんはあまり徳を積んでいるとは言い難い身、せめて今日くらいは善行を積もうと決意する。とは言っても、何か大きなことをするというのではなく、要は、心掛けね。チベ仏道では、どんな言動であっても、動機が重要視される。善行を目指すなら、まず利他的な動機を明確にしたうえで、行動し、最後に、それによって生じた功徳を利他的な目的のために捧げるのだ。なので、たとえば子どもの朝ごはん一つ作るにしても、まずは利他的な動機を明確にするの。私は、子どもたちが健康で元気に生きられるように朝食を作る。世界中の子どもたちが飢えることなく、美味しい朝食に恵まれますように、とその際、願いの輪を広げてしまう。そうして卵焼きを作って、食卓に出したら、Dedication、功徳の回向でシメる。この行によって得た徳を一切衆生の幸福のために捧げます、とか。これを、できるだけ、できるだ~け、心を込めて行う。簡単だけど、実際いちいちやるのは大変だし、めんどうでもある。だけどこれを日々やり続ければ、ふつーの生活を営みつつ、かなりの心の鍛錬はできるだろうナ。もちろん、世界中の子どもたちの豊かな食生活を願っていくら朝食をつくったところで、どこかの国の子どもたちのお腹が膨れるわけでは、ない。その点、布施行なんかは現実的で、わかりやすく、自分でも満足感の得やすい行為だと思う。まずはボランティア団体から送られてくるパンフレットなんかをていねいに読むところから始めたい。そこには読み捨てになどとてもできないような、胸の痛むエピソードがたくさん載っている。そのうえ、瞑想で慈悲心に自己の責任感を伴わせなくても、向こうから、「たとえ僅かでも、あなた方一人一人の助けが要るのです」と訴えてくれるので自然、自分も行動しなくては、とモチベーションも高くなる。そしたら、できる範囲の寄付をして、最後に、この功徳を一切衆生の悟りを願って回向する。功徳億倍のサカダワもさることながら、もっと現実的に嬉しいのは、毎年この季節、World Visionなどで、今月中に寄附すれば、募金額が10倍になる!というキャンペーンを張っていることである。世界的に人道支援を繰り広げる他のボランティア団体も同様だと思うけど、この期間(確か6月いっぱいだった気が…)に寄付されたお金は、国連の援助で10倍に増えるという。そうなの、1ドル寄付すれば10ドル分に、1万円寄附したら、10万円にも!パォ~ン私はこういうイベント(?)には、できるだけ子どもたちも巻き込むことにしている。実際に現場で自分たちの手足を動かすのは素晴らしいことだけど、家からでも心は養えるし、少しはお役にも立てるのだから。自分のとき同様、ボランティア団体のパンフに載っている体験談や現状を読み聞かせ、子どもたちの想像力をかきたてる。涙もろい娘の方など、そのうち涙目になってくる。それから一緒に考える。と、自然、子どもたちは、自分も何かしたいと言ってくれるのだ。ここで、今日は、徳行倍増のサカダワにくわえて、国連のお陰で寄付金が10倍にもなるんだよ~~~!と伝えた。「え~、じゃあ、1ドルでも10ドルになっちゃうの~! すごいね!! 2ドルだと、20ドルにもなるんだね!!! 3ドルだと…」ひとしきり掛け算にハマった後、二人とも自分たちのお小遣いを持ってきてくれた。彼らの僅かな小遣いからでも、贈ったお金が10倍にも増えると知って、二人ともすご~く満足そうだった。夜の帳が降りるころ、パジャマに着替えながら息子が言った。「ムゥはね、おこづかいためて、カイジューとか買っても、 そのときはウレシイけど、すぐ忘れちゃうんだよ。 だからキフとかするほうが、ずっといいと思うの。 ママが読んでくれた、お話の子の役に立つのかな~と思うと すっごく嬉しい。今でも嬉しいくらいだよ。 全部あげてもいいよ うん、ムゥ、全部あげるよ!」えー、この子がそんなふうに言ってくれるなんて…。うるうる…とはいえ、もちろん息子にそんな大盤振る舞い(つったって、6歳の子の貯金だけど)をさせてしまったら、後で何か欲しいもの(カイジューとかチョコとか)が出てきたとき、恐ろしい事態になりそうなことは目に見えている。ムゥのその気持ちが嬉しいと喜びを伝えてから、中道の話をした。仏道は、ミドルウェイ。琴の弦は緩すぎてもダメ、張り過ぎてもダメ、何事も適度に。極端に走って、後で後悔したのでは仕方ない。喜びながら、できる範囲で実践していくことが大切なんだよ、またやろうね、と。サカダワの満月の夜―メルボルンは曇空で、その満月もちらちらとしか見えなかったけれど、心はいつもより温かく。私も毎日これくらい、いやこの数分の1でもていねいに、意識的に生きるよう心がけていけたらなぁと思うのでした。写真は、チベ仏教センターTARAで行われた、サカダワ・プージャから。 OM MANI PADME HUNG
2012.06.04
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