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エリダヌスは次の日もやってきた。 この日、エリダヌスは、正門ではなく北辰館から訓練場に出てきた。 そのわけはすぐに気がついた。 エリダヌスの手には、数珠でも祈祷書でもなく、錫杖という武器 ――― おそらく神兵の誰かから借りてきたと思われる ――― があったのだ。 おやおや、あいつめ、何を考えているんだ。 その、どうにもさまにならない姿に、レグルスは、驚くより先に、つい吹きだしながら、エリダヌスが来るのを待ち構えて声をかけた。 「おお、誰かと思ったら、エリダヌスではないか! あまり勇ましい格好をしているので、わからなかったぞ! 布教師は辞めて、神兵に転向することにしたか?」 また、あのおどおどした様子で、いいえ、と首を振るのかと思ったら、さにあらず、エリダヌスは、固い決意を秘めたように一歩前に進み出て、こう言った。 「レグルスさま、私に、武芸をお教えくださいませんか?!」 突拍子もない申し出にレグルスはまるまる一分もの間、開いた口がふさがらず、エリダヌスを見下ろしていたが、やがて驚きがおさまると、苦々しい怒りがこみ上げてきた。 「な、何を言い出すのかと思ったら! エリダヌス、おまえは布教師であろう? 神兵にでもなるつもりならともかく、布教という任務をおったおまえが、我々に交じって訓練に参加しようとは、思い違いもはなはだしい! 」 エリダヌスは、レグルスの剣幕に震え上がりながらもなお、頑として食い下がってきた。 「お願いでございます、レグルスさま! 昨日皆さまの訓練を拝見させていただき、よく考えた末の結論でございます。 私のお勤めは、こちらの皆さまに神さまの教えを説くことでございますが、そのためには、もっと皆さまのおそばに寄り添い、そのお気持ちを理解しなければならないと思い至りました。 フォーマルハウト神官にも、怖がらず戦士の皆さまと同じことをやって、皆さまの中に溶け込まなければ布教はかないませんよ、と、もっともな御助言をいただきました。 訓練に参加させていただくことにつきましては、プルートスさまにもよく御相談した上、正式な訓練時間外の、昼休みの自由訓練だけなら、ということで御許可いただきまして、こうして、神兵さまから錫杖を・・・」 「ならんっ! プルートス大佐殿がなんとおっしゃろうと、我々の昼休みの自主訓練は、正式な訓練同様に重要なものである。 おまえの遊び相手をしている余裕はない。 私の 訓練の邪魔をしてはならぬとあれほど言ったのに、まだわからぬのか! それとも、おまえの望みは、自ら怪我をしてわたしの任務の遂行を妨げることか!」 「めっそうもありません! たとえ私が怪我をしても、それは私自身が望んだこと。 誓って、レグルスさまに御迷惑をおかけするようなことは口にいたしません。 どうか、私に、武芸訓練のお許しを・・・」 「ならぬといったらならぬ! たわごとはもうやめよ! 錫杖なんか返してこい!」 エリダヌスの手から錫杖を取り上げようと伸ばしたレグルスの腕を、横合いからひょいとつかまえたのは、チェリーだった。 「軍曹殿、そんなにむきにならなくてもいいじゃないすか。 今は自由時間なんだし、10分や20分相手してやったって、どうってことないでしょ? エリダヌスさんだって、荒っぽい訓練場に布教に来るからには、護身用の錫杖くらい、ちゃんと扱えたほうが心強いんですよ」 そう言ったチェリーの、いつになく真剣な顔を見ると、レグルスも、これ以上意地を張ることはできなくなって、しぶしぶ手を引っ込めた。 「ならばチェリー、おまえが相手をしてやるがいい。 だが、エリダヌスに怪我はさせるな。 エリダヌスが怪我をすれば私の落ち度となる」 チェリーが、ぱっと顔を輝かせた。 「わかってます、って! なにも喧嘩しようってわけじゃねえんですから! ・・・ねえ、エリダヌスさん?」 ありがとうございます! いやあ、なんの、となごやかに微笑み合うふたりに、レグルスは憮然として背を向け、訓練場に整列した戦士たちのほうに向かって駆け出した。
2011.04.30
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こうして、神経をすり減らすような一日がようやく過ぎ去り、部屋に帰ると、レグルスを待ち構えていたようにベテルギウスが言った。 「おかえり、レグルス、今日はどうだった? 疲れたろ?」 汚れた戦闘衣のまま、レグルスは椅子にどっと体を投げ出して言った。 「ああ、もう、くたくただよ! あと9日もこんなことが続くのかと思うと、うんざりだ!」 ちょっと笑って、ベテルギウスがまたたずねた。 「まあ、今日は初日だからね。 そのうち慣れるさ。 で、レグルス、その布教師の様子はどんなふうだった? 戦士たちと、いざこざは起こさなかったか?」 レグルスはくすくす笑いながら、椅子から身を乗り出した。 「それが、おかしいったらないんだ。 あんなヘンテコな布教師は、初めてお目にかかったよ。 気が弱くて、布教活動どころじゃないんだもの。 うちの戦士たちがせっかくそいつのために、よその隊の戦士たちにちゃんと説法を聞くように話をつけておいたのに、その戦士たちからまで、逃げ回ってばかりいるんだぜ。 あの様子なら、あいつはぜったい戦士たちといざこざなんて起こさないね。 ほっとしたといえばほっとしたけど、なんだかちょっと物足りない気もするなあ。 もしもあいつが、戦士たちとすぐに取っ組み合いを始めるような気の荒いやつだったら楽しいのに、なんて思ったり、ね」 ベテルギウスが、不審げな顔をレグルスに向けた。 「危害を加える気のない戦士たちからまで逃げ回ってる? 布教が目的で来てるのに?」 レグルスはくすくす笑いながら椅子から立ち上がり、汚れた戦闘衣を脱ぎ始めた。 「そうなんだよ。 あきれた布教師だろ? ところが、うちの戦士たちはみんな、あいつをえらく気に入っちゃったみたいなんだ。 『明日はあの人がもっと説教しやすいように、知り合いの下級戦士全員に声をかけておいてやろう』って、大はりきりだよ。 あれは、僕のために任務を完遂させようという使命感で動いてるんじゃなさそうだ。 あの神官への純粋な好意の気持ちからだろうな。 ベテルギウス、君たちも明日の昼休み、あの布教師を見に来ないか? おかしくて、笑っちゃうぞ」 しかしベテルギウスは、ますます不審な表情になってつぶやいた。 「おかしいな・・・リュキア神殿はなぜ、そんな説教の下手な神官をよこしたんだろう」 「さあね。 リュキア神殿だって、人選を間違えることもあるんだろ。 ちょうど、リザード中将閣下が、大のジャムルビー嫌いの僕を、ジャムルビーの護衛官に命じたように。 ・・・説教のできない布教師に、護衛したくない護衛官。 どっちもどっちのお笑い種だよね!」 ベテルギウスが顔を上げ、奇妙な目つきでレグルスを見た。 「そうだろうか。 しかし、レグルス、妙だな。 今日の君はちっともジャムルビー嫌いには見えないぞ。 その布教師のことを、とても楽しそうにしゃべっているように見える」 レグルスはびっくりして、ベテルギウスの顔を見上げた。 「『楽しそう』だって?! 冗談じゃない、ほんとに僕がそんなふうに見えるんだとしたら、ベテルギウス、君の目はふしあなだぞ! 僕があいつのためにどんなに神経をすり減らして、いらいらしてるか、わからないなんて! こんなふうに無理にも笑って空元気を出さなきゃ、とてもやってられないんだ!」 ベテルギウスはあわててレグルスに非礼を詫びたが、その言葉はまるでおざなり。 何かにとりつかれたようにただ、ぶつぶつ独り言を続けていた。 「・・・どう考えたって変じゃないか。 そんなおかしな布教師が、なぜ今突然ここに現れたんだろう。 どうしてその護衛官はレグルスでなければいけないんだろう。 そいつはどうしてレグルスをこんなに笑わせることができるんだろう。 僕は、どうしてこんなにリュキア神殿のことが気になるんだろう?」
2011.04.29
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そんな必要はない! と、叱りつけるまでもなく、エリダヌスが、真っ直ぐにレグルスのほうに歩いてきた。 ここでもエリダヌスは、今までにレグルスがよく見知っていた鉄面皮の神官たちとはまるで様子が違っていた。 居並ぶレグルスの戦士たちに、近づき過ぎないように、おどおどと足を止め、それに気づいた戦士たちのほうがあわてて道をあけてもなお、臆病な小鳥のようにその場にとどまって、うっとりするほど優雅で丁寧なお辞儀をしたのだ。 「レグルスさま、おはようございます。 昨日はたいへんお世話になりました。 戦士の皆さま、私は、今日からこちらの訓練場に布教のお勤めに上がることになりました、エリダヌス、と申します。 未熟者ゆえ何かと御迷惑をおかけすることになるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」 今日こそは、もう少し自然に振舞おう、と固く心に決めていたレグルスだったが、今までさんざん気を揉まされた気がしていたところにもってきて、戦士たちの、思いもよらぬこの浮かれよう。 つい、仏頂面をエリダヌスに向けた。 「別に、おまえの世話をした覚えもないが・・・。 ところで、エリダヌスとやら、布教活動は確か昼休みの間と聞いていたように思うのだが、昼休みの鐘は、もう30分も前に鳴ったぞ。 布教とは、気楽でよいものだな」 ――― ほとんど言いがかりだ。 自覚して、素直じゃない自分自身に向かって渋い顔つきをしたレグルスに、エリダヌスが、はっとしたように身をすくめた。 「あ・・・やはりそうでしたか。 申し訳ありません。 私も、時間きっかりに参上しようかとも思ったのですが、戦士の皆さまはたぶんお食事中だろうと思いましたものですから、それではかえってお邪魔になるかとも思い、迷いましたが少し時間をずらして参上いたしました。 それでは、明日からは、時間通りにうかがうことにいたします」 おさまりがつかず、レグルスはそっぽを向いて答えた。 「いや、別に、早く来いと言ったわけではない。 そういうことは前もって知らせてくれなければ警護の勤めがしにくいといいたかっただけだ。 おまえの言うとおり、昼休みの鐘が鳴った直後は、食堂の中は下級戦士でごった返している。 そんなところで布教活動なんかされては迷惑だ」 ――― やっぱり、言いがかりだ。 なぜこんないやみしか言えないのか。 ほとんどその場から逃げ出したくなったレグルスに、それでもエリダヌスは、辛抱強く頭を下げ、あくまでも礼儀正しく、せつなくなるほどやわらかな口調で答えた。 「よくわかりました。 以後は何事も、あなたさまに御相談申し上げ、そのご指示に従うとお約束いたします。 では、明日からも、昼休みの鐘の30分後に参上するということでよろしいでしょうか?」 「ふん、そうしたければそうするがいいだろう。 では、我々は我々の訓練を始めるから、おまえは、邪魔にならぬよう、布教活動はよそでやってくれ」 そそくさと逃げ出そうとしたレグルスを、エリダヌスが、困惑したように見上げた。 「ほか、とおっしゃいますと、どのあたりで行えば・・・?」 「そんなことは昨日も言っただろう! 私の目の届く範囲内で、私の戦士たちに近づきすぎぬところだ! あとは自分の頭で考えろ!」 言い捨てて、レグルスはさっさとエリダヌスに背を向け、戦士たちに整列の号令をかけた。 訓練場に駆け出したレグルスの後ろで、チェリーがこっそり、エリダヌスに声をかけるのが聞こえた。 「気にすんなよ、布教師さん、ここで待ってると、そのうち俺らの訓練の見物に人が集まってくるから、ありがたいお話は、そいつらに聞かせてやるといいよ。 怖がらなくて大丈夫。 昨日のうちにちゃんとみんなに、布教師さんの話をおとなしく聞くように言っておいたからね。 ・・・もちろん、軍曹殿の御命令で!」
2011.04.28
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顔が、かっと熱くなった。 自分でも、自分の顔が真っ赤になったのがはっきりとわかって、レグルスはそれを隠そうと大あわてでタムタムに飛びかかった。 「こらっ! タムタム、おまえは、いつもいつも、そんなつまらぬ冗談口ばかり叩いていないで、さっさと仕事にもどれっ!」 飛びかかったレグルスの腕の下を、タムタムがすばしこくくぐりぬけ、つるりと植え込みの中に逃げ込んだ。 「あははは! レグルス、なに赤くなってんだ? さては、おまえもエリダヌスが好きなんだな? よし、エリダヌスに教えてやろうっと!」 あたりかまわぬタムタムの大声に、レグルスは、ますます赤くなって、タムタムをとっ捕まえて黙らせようと植え込みの中に飛び込んだ。 「黙れというのに! つまらないことを言いふらして、あのひとをからかうと、プルートス大佐に大目玉を食らうことになるぞ。 おまえは、私の任務の遂行を妨げるつもりか?」 レグルスの腕をかいくぐってねずみのようにちょろちょろ逃げ回っていたタムタムが、植え込みから飛び出し、今度は、目を丸くしてこの様子を見ていたレグルスの戦士たちの後ろに逃げ込んだ。 「あっはっは! レグルス、ここまでおいで、だ!」 このときレグルスは初めて、戦士たちが全員、あっけに取られたように、植え込みから顔を出した自分を見ていることに気づき、あわてて、体についた木の葉や小枝を払い落としながら立ち上がった。 「こ、こらっ! 何をぼんやり突っ立っているんだ! 既に自主訓練開始命令を出したぞ! 聞こえなかったのか!」 戦士たちが、笑いをこらえたような顔つきでパラパラと訓練場に向かって駆け出し、レグルスも仏頂面でその後を追った。 そのとき、レグルスの後ろでタムタムが叫んだ。 「あっ、レグルス! エリダヌスが来たぜっ! 早く迎えに行けよ!」 どきん、と心臓が大きく波打って、振りかえると、正門のところで、昨日のあの布教師、エリダヌスが、門を開けてくれた門番に、丁寧に頭を下げ、挨拶をしているところだった。 ――― 突然、チェリーが、チェリーが、ヒューッと口笛を吹き、素っ頓狂な声で叫んだ。 「えっ?! タムタム、あの人が、俺たちの護衛する布教師さん? エリダヌス、っての? こりゃあ、ぶったまげた! 道理で、軍曹殿が昨日からそわそわ、落ち着かないわけだわ!」 プードルも、すっかり上ずった声で叫んだ。 「いやはや、まったくこいつは驚きだ! おいフロックス、見ろよ、あの、ほっそりと可憐な姿! まるで野に咲く一輪のゆりの花のようだねえ! でもなきゃ、訓練場に舞い降りた愛らしい鳩かしら?」 フロックスがぷっと吹き出した。 「プードル、おまえはただのばくち打ちだと思ってたら、ほんとは詩人だったのか? 『まるで野に咲く一輪のゆりの花』? 『訓練場に舞い降りた愛らしい鳩』? わははは、まさにそのとおりだなあ!」 他の戦士たちも、ざわざわと騒ぎ始めた。 「俺も、布教師だっていうから、また、よれよれの年寄りだとばかり思って・・・!」 「見ろよ、あの、お辞儀の優雅なこと! 昔話に出てくるお姫様みたい。 門番のやつ、でれでれ!」 「それにあの、光る数珠を持った指の、白くて細いこと! うう、近くに行って、触ってみてえ!」 「不敬な! ・・・しかし、俺たちも護衛の一人として、誇らしいよな!」 「なんだ、坊主のおもりかよ、って昨日俺らを笑ったチェシャ隊のやつら、あの人を見たら、うらやましがるだろうなあ!」 「軍曹殿! ねえねえ、早く、みんなであのひとを出迎えに行きましょうよ!」
2011.04.27
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「別に、気を揉んでなんかいない。 ただ、こういう気の張る任務は私の性に合わないので、勝手がわからず緊張しているだけだ」 アーモンドが、ちょっと考えてから言った。 「では、私が正門でその布教師の到着を待っていましょう。 私が責任を持ってその方を出迎え、ここまでお連れしますので、軍曹殿はどうぞ、ご心配なさらずゆっくりお食事をなさってください」 それを聞くとレグルスはますます機嫌が悪くなって、この、誰よりも忠実な部下に、つっけんどんに答えた。 「そんな必要はない。 私はあいつが来ないのを気に病んでいるわけじゃないんだ。 もう、あいつの話はするな。 不愉快だ。 そんなに大げさに騒がなくたって、そのうちけろっとした顔で来る。 ほっとけ」 プードルとフロックスがきょとんとして顔を見合わせるなか、レグルスはやけっぱちみたいに黙々と食事を続けた。 しかし、その食事が終わってもまだ、正門は固く閉まったままだ。 当の布教師は一向に姿を見せない。 次第に不安そうな表情になっていくプードルとフロックスを前に、レグルスはいらいらと貧乏ゆすりをはじめ、歯ぎしりをし、頭をかきむしり、ついに、我慢できなくなって両手で、ばん、とテーブルを叩き、椅子を蹴飛ばして立ち上がった。 「ええい! もう我慢ならん! 私は、こんなふうにただぼやっと無駄な時間を過ごすのは嫌いだ! レグルス小隊! 全員外に出て整列せよ! 自主訓練を開始する!」 プードルとフロックスが目を丸くして立ち上がり、それぞれ自分の戦士たちを引き連れて食堂から飛び出して行ったが、アーモンドは心配そうにレグルスを見上げたまま、その場を動こうとしなかった。 「しかし、軍曹殿、その布教師は、せめて初日くらいはちゃんと正門で出迎えたほうがいいのでは・・・」 レグルスはむきになってアーモンドを叱りつけた。 「かまわん! よけいな心配はせずに、おまえもさっさと行け!」 「しかし、軍曹殿、そのような落ち着きのないご様子で自主訓練を始めても、訓練に身が入りませんよ。 現に午前中の訓練だって、軍曹殿はちっとも気合がこもっておられなくて・・・」 「なんだと?! 私の訓練に気合が入ってないだと? よし、そこまで言うなら、私の、その気合の入らない訓練がどれほどのものか、身をもって味わってみるがいい! 相手をしてやるから、どこからでもかかって来い!」 アーモンドを従えて食堂を飛び出し、玄関口から表に出たとたん、横合いからひょこっとタムタムが駆け出してきて、レグルスの顔を指差し、大声で笑い始めた。 「おい、レグルス! いいことを教えてやろうか! エリダヌスは、おまえのことが、死ぬほど好きだって!」
2011.04.26
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フロックスが言うとおり、プードルがひとりで4人分もの席を占領して待っていてくれた窓際のテーブルに腰を下ろすと、レグルスは、アーモンドが運んできてくれた昼食には目もくれず、一心に訓練場正門に視線を注ぎ始めた。 が、門は、いつまでたっても開く気配がない。 見張り小屋の中にいる門番も、まったく動く様子はなく、のんびり煙草をふかしているだけだ。 まさか、あの神官、昨日の私のこころない態度のせいで深く傷ついて、布教活動がいやになって辞めてしまったのでは・・・?! ほとんどありえないことまで思いをめぐらせて、いらいらと貧乏ゆすりをしていたレグルスに、プードルが不審げに声をかけた。 「軍曹殿、どうかなさったんですかい? 早く食わねえとさめちまいますぜ」 ふと気がつくと、プードルも、フロックスも、アーモンドも、もうおおかた食器をからにしていた。 レグルスはあわててスプーンを取り上げ、言った。 「いや、なんでもない。 ちょっと考え事をしていただけだ。 では、早く食事をすませて自主訓練を始めるとしようか」 プードルが、フロックスの肘をつついてくすくす笑った。 フロックスもにやにや笑いながら、レグルスに言う。 「心配なさることありませんよ、軍曹殿。 ジャムルビーはみんな時間にルーズなんだって言ったでやしょ? そんなに門のほうばっか睨んでなくたって、そのうち来ますよ」 内心のいらいらをずばり読み取られた気がして、顔がかっと熱くなった。 レグルスはあわてて、大きな肉をがぶりとほおばり、ふたりを怒鳴りつけた。 「心配なんかしてないっ! ふたりとも、何を笑ってる! 私の顔はそんなにおもしろいか!」 プードルとフロックスがぎょっとしたようにフォークを放り出し、ぱっと背筋を伸ばして直立不動の体制をとった。 「ち、ちがいます! 我々は決して軍曹殿のお顔を笑ったのではありません!」 「我々はただ、軍曹殿のご昇進ばかりが嬉しく、それを思うとひとりでに顔が崩れてしまうんでありますっ!」 回りのテーブルで食事をしていた戦士たちが、びっくりしたようにこちらを振り向いたので、レグルスはばつが悪くなり、今度は少し穏やかに、ふたりに言った。 「・・・なるほど。 だがそれは私がこの任務を完遂したら、の話だ。 今からそのように浮かれていては困る。 わかったら食事を続けよ」 ふたりはほっとしたように顔を見合わせ、また食事にもどったが、今度はアーモンドがフォークを置き、不思議そうに言った。 「でも、軍曹殿は、今朝から確かにご様子がいつもと違いますよ。 たかが布教師ひとり護衛するだけではありませんか。 何をそんなに気を揉んでおいでなのです?」
2011.04.25
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次の日レグルスは、朝からなんだかそわそわ、落ち着かなかった。 不安なようでもあり、それでいて妙に気持ちがふわふわと浮き立つようでもあり、訓練にもさっぱり身が入らない。 とりわけ、昨日しょんぼりと肩を落として帰って行った、あの悲しげな後ろ姿が、どうしても頭から離れなかった。 私の冷淡な態度があの神官を傷つけてしまったのか? だとしたら、きょう、あの神官が来たら、なんと声をかけたらいいものだろう? 『昨日は多忙で十分な案内ができず申し訳なかった』 これではなんだか言い訳めいて、威厳というものに欠ける。 いっそ何も気づかなかったようにふるまって、ただ、おはよう、と笑って声をかけようか。 だめだめ。 それではあまりなれなれしすぎる。 それではきわめて事務的に、 『布教活動は私の目の届く範囲内で行うように』 いや、そんなことは昨日も言った。 迷うばかりで、ちっとも考えはまとまらず、あっという間に昼休みになった。 いつものように、食堂目指していっせいに突撃を始めた戦士たちの後を追おうとして、レグルスははたと足を止め、また考え込んだ。 待てよ、私は護衛を命じられたのだから、その対象の到着を正門で待つべきかもしれない。 回れ右をして、正門に向かって歩き出す。 2,3歩歩いてまた足を止めた。 いや、護衛兵の役目は、対象に危険が迫った時敏速に動くことである。 あたかも重要人物のように、敬礼でお出迎えというのは仰々しすぎるかも。 小さく舌打ちして、また、回れ右。 だが、あの頼りない神官が、訓練場に、そして荒くれ戦士たちばかりがごった返す食堂に、たった一人で足を踏み入れるような勇気があるだろうか。 やはり、初日ぐらいは、多少の気遣いをしてやるのも任務のうちではないだろうか。 行ったり来たり、迷っていると、北辰館の玄関口のところでフロックスが、手を振りながら大声でレグルスを呼んだ。 「おーい! 軍曹殿! そんなところで、何をくるくる回っておられるんですかい?! 早くメシを食っちまって、自主訓練、始めましょうや! 俺ぁ、あれが一番の楽しみなんだ!」 「・・・いや、しかし・・・」 言いかけたが、すぐにレグルスはフロックスのほうに駆け出した。 かまうものか。 私は時間が惜しいのだ。 私の昼休みの忙しい状況は昨日もちゃんとあいつに言い渡しておいた。 あいつもはっきり、その条件を呑んだと言った。 だいたい、昼休みに布教をしようと思うのなら、初日くらい少し早めに来て、食堂で私を待ってるくらいの心がけがあって当然じゃないか。 絡んでほぐれぬ糸のような、レグルスの気持ちにはお構いなく、フロックスは、レグルスをぐいぐい引っ張って食堂に向かう。 「さあ、早く早く! 布教師さんのことだったら心配ないっすよ。 ジャムルビーてのはみんな時間にはルーズなもんだ。 窓際でメシを食っててそいつが門から入って来るのが見えたら、それからアーモンドでも迎えに出しゃ十分でさ。 そのためにプードルのやつが、窓際の特等席を占領してるはずですから、さあ、早く行って、メシ、メシ!」
2011.04.24
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その夜レグルスはさっそくベテルギウスに、この風変わりな布教師のことを話して聞かせた。 ジャムルビー族の話なんて、今まで口にするのもおぞましいと思っていたレグルスなのに、不思議なことに、あのエリダヌスという布教師の話題なら、ちっとも不快じゃない。 どころか、なんだか楽しくて、心浮き立つようで、同じことを何度も何度も繰り返し思い出しては、いつまでもしゃべっていたいのだ。 それはもう自分でもあきれるくらい。 そんな自分の変化に驚きながら、レグルスは、時を忘れてエリダヌスのことを話し続けた。 「・・・とにかく、変わった布教師なんだ。 なんていうか、ずっと、ぼうっとしてて、心ここにあらずって感じ。 話しかけても反応は鈍いし、あんなふうで、あいつ、ほんとうに布教なんかできるのかね? きっと、ああやってぼんやりしてるだけで昼休みなんか終わっちゃうんじゃないのかな。 あんなやつの説教で信仰の道に入るような間抜けな戦士がいるはずないよな。 あんなのを布教によこすなんて、神殿の人事はどうなってるんだ? でも、あの調子なら、布教もできないかわり、戦士たちを怒らせていざこざを起こす心配もないか。 おかげで僕は楽できるね! あははは!」 ベテルギウスはにこりともせずに、レグルスの愚痴を聞きながらじっと何か考え込んでいるふうだったが、やがて、恐ろしくむずかしい顔で、レグルスのおしゃべりに口をさしはさんだ。 「・・・その、布教師の話なんだが、どうも妙なんだ、レグルス。 今日、うちのキール軍曹とその話をしていて、僕もやっと思い出したんだけど、毎年、軍に派遣されてくる布教師の数は3名と決まっていて、ところが、今年の分の3人はもう、年初めの入隊式の直後に来て、もう活動を終えてるんだよ。 つまり、今年はもうここに布教師が来る予定はないんだ。 それを、今ごろ、こんな中途半端に時期に、しかも1名だけ、なぜリザード中将閣下は受け入れたんだろうな。 しかもキールの話だと、派遣されてくる布教師は年寄りと決まっていたようだぞ。 年配の神官のほうが、説教がうまくて、性質が穏やかに練れているので、戦士たちといざこざを起こしにくいから。 そして、十分に修行を積んでいて、もし怪我をするようなことがあっても、たいていの傷は自分で治してしまうから、って。 ・・・うん、それはもっともな話だよね。 だったら、今回派遣されてきた布教師が、君の言うような未熟な神官だったら、ますます妙じゃないか。 さらにもうひとつ、キールの記憶では、これまで布教師に護衛をつけるようなことは一度もなかったそうだよ。 なぜなら、そういう、布教師の身の安全に気を配るような仕事はいつも、ドーラ大佐という方がすべてを取り仕切って、ジャムルビー神兵に指示してやらせていたからなんだそうだ。 リザード中将が自ら布教師のことに口出しするなんて、異例中の異例だ、って。 そのうえ、その布教師は、リュキア神殿の者じゃなくて、つい最近、よその国から来たばかりの客神官・・・なんだかさっぱりわけがわからないよなあ」 また少し考え込んでから、ベテルギウスが、少しためらいながら、ひとりごとのように付け加えた。 「それに、こんなことをいうと変に聞こえるかもしれないけど、僕はこのごろ、神殿という言葉を聞くと、それだけで、なんだか妙に落ち着かない気持ちになるんだよ。 なんだか、悲しいような、もどかしいような、何か大切なことを忘れているような、何かしなくちゃ、って、じっとしていられないような、変な気分。 ・・・僕、変なのかな?」
2011.04.23
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それでも、布教師の姿が玄関口の外に消えてしまうと、レグルスは、どうしてもその後を追わずにはいられなくなった。 明るい日の光の中に溶け込んで消えた、その後ろ姿が、あまりにも頼りなくはかなげに見えたからだ。 我知らず、玄関口から駆け出して、布教師の姿を探した。 訓練場の通路を、正門に向かってとぼとぼ歩いていく、その姿はすぐに見つかった。 ――― ぐさりと胸を突かれたような、激しい衝撃を受けた。 その後ろ姿はあまりにも悲しげで、ひょっとしたら、泣いている、ように見えたのだ。 まさか、厚顔無恥のジャムルビー族が、そんなデリケートな神経を持ち合わせているはずがない! 無理やりそう考えようとしてもなお、思わず追いすがって、どうかそんなに気にしないでくれ、とすがりたくなるような切実なものが、その細い背中にはあった。 やはり、後を追って行って、今の非礼を詫びるべきだ、そう思って足を踏み出そうとしたとき、その神官の後から、小さなパピト族が一人、ひょこひょこと小走りについていくのに気がついて、レグルスは再び、踏み出しかけた足を引っ込めた。 それは、北辰館の雑用係、あの、仕事もしないで悪ふざけばかりしているタムタムだった。 オセロット少尉とふたりで食堂にいたとき、『オセロットが射止めたかわいこちゃん』と、侮辱的な冗談を吐いてレグルスを激怒させた、あの小面憎いやつだ。 タムタムめ、さては、あの調子で今度は、新顔の神官をからかおうとしているんだな。 そう思って見ていたが、タムタムは別に布教師に話しかけるわけでもなく、かといって何か用事を言いつけられたというふうでもなく、ただ、少し距離を置いてひょこひょこ布教師の後を追っていくだけだ。 そうしてタムタムは、訓練場正門まで布教師の後をつかず離れず追って行ったが、布教師が門の外に出て行ってしまうと、そこでようやく足を止め、門柱の影から、いつまでも、名残惜しそうに、その後ろ姿を目で追い始めた。 その、タムタムの、なんだか気が抜けたようなしまりのない後ろ姿に、レグルスは、自分も今タムタムと同じことをしていたことにはっと思い至り、ひとり赤面してあたりを見回してから、おおいそぎで食堂に向かって駆け出した。 こんな間抜けな姿、誰にも見られなくてよかった!
2011.04.22
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もちろん、これですむとは思っていなかった。 ジャムルビーの神官どもは、この程度のはっきりした物言いをしたって、カエルが水をかけられたほどにも思わない。 何を言われようと、ひるむどころかますますいきおいづいて、相手を論破しようとするのが常なのだ。 ましてや布教師なら、このままおとなしく引き下がるわけがない。 必ずや、うんざりするほど執拗に後を追いかけてきて、もう少し活動の場を広げていただけませんか、だの、あなたの戦士たちともほんの少しお話をさせていただけませんか、だのと、べたべたまとわりついてくるに違いない。 今の剣突は、それに対する予防線だ。 そう思って身構えていたレグルスだったが、予想に反してこの布教師、いつまでたってもレグルスの後を追ってくる気配がない。 はて、面妖な、と、こっそり後ろを振り返って見た。 布教師は、さきほどとまったく同じ場所に、まだ立っていた。 追いかけてきてまとわりつく、どころか、まるで、身の置き場もないといった風情。 ――― 拍子抜けした。 レグルスの視線に気づいた布教師が、はっと我に帰ったように、深々と頭を下げ、それから、ほとんど悲しげとも思える声で言った。 「お手数をおかけして、申し訳ありませんでした。 ただいまの2点は、エリダヌス、確かに承りましたので、どうぞ、お心安らかに。 それでは、今日はこれで失礼いたします。 レグルスさま、どうぞお怪我のないよう、お気をつけて。 貴方さまに、神さまの御加護がありますように」 かすかに震える声でそう言うと布教師は、もう一度レグルスに頭を下げ、早足で玄関口に向かって歩き出した。 予想もしなかった潔い引き下がりよう。 いたたまれずに逃げ出すような足取り。 ――― ちょっとあわてた。 もしかして、きつく言い過ぎたのか? そう思ったら、急に不安になった。 布教師の後を追って廊下を2,3歩駆け出した。 が、すぐに思いなおして足を止めた。 だって、後を追いかけて行ったところで、いまさらあの布教師に何と言うのだ? 今の案内では物足りなくなかったか、とか? なんだったらあと5分くらいは時間を割いてやってもいいぞ、とか? ちぇっ、そんな馬鹿なことが言えるもんか! そんな親切な申し出をするくらいなら、初めからもっときちんとした案内をすりゃいいじゃないか、と、侮られてしまう! 一度口に出してしまったものは、どんなに悔やんでも、もう取り消すことはできない。 ましてや、その言葉が相手を深く傷つけてしまったとしたらなおのことだ。
2011.04.21
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ほとんどうっとりとしてこの考えに酔い痴れるレグルスに、神官も声を弾ませて答えた。 「そうです! 思い出していただけましたか、レグルスさま! 貴方さまに命を救われた、旅の修行者、エリダヌスでございます! あなたさまのおかげで私たちは無事リュキアの神殿に受け入れていただくことができ、こうして、布教のお勤めに上がれるほど元気になりました!」 布教、という言葉を耳にしたとたん、たちまちレグルスは現在の自分の立場、つまり布教師の警護といういまいましい任務に無理やりつかされているという腹の立つ現実に引き戻され、なおもくどくど礼を述べようとする神官の言葉をさえぎって、再び、この苛立ちを顔に表さないよう、つとめて事務的な口調で、北辰館内の説明を始めた。 「礼はもう良い。 では北辰館西側を案内する。 この廊下の手前から、今出てきたのが応接室。 その隣が北辰館教官室、同じく、教官長室、会議室、医務室、と並んでいる。 それから、その向かいに並んだ部屋は、教官たちの個室、および一般戦士の仮眠所となっているので、みだりに足を踏み入れてはならぬ。 それと、廊下一番奥の突き当たりの大扉は武器倉庫だから、あそこにも勝手に入ってはならぬ。 そして・・・」 レグルスは、廊下に並んだ部屋の扉と自分の顔とを、おろおろと見比べている神官を、ことさらのように無視し、さっと回れ右すると、廊下の反対側を指差した。 「つぎ、正面玄関をはさんで北辰館東側。 玄関前のロビーの先は一般戦士が使用する面会室。 その向こうが大食堂。そして大浴場。 それらの向かいの部屋はみな、ここで働くパピトの使用人たちの、いろいろな作業部屋に当てられているので、ここも、むやみに入室して彼らの邪魔をしてはならぬ。 戦士たちは、昼休み、大食堂で食事をしているか、あるいはロビーで一服しているか、または外で腹ごなしに遊んでいるか、なので、布教活動は必ず、その3箇所のどこかでやるようにしてくれ。 勝手にそのあたりをうろつかれるのは非常に困る。 特に、2階には決して上るな。 階上には、本部室のほかにも、リザード中将閣下の執務室やヘルメス将軍閣下の居室もあるので、立ち入り禁止を固く言い渡しておく」 一方的にそれだけ言うとレグルスは、今度は、困惑した様子の神官のほうに真っ直ぐ向き直り、挑むように言った。 「ジャムルビー、おまえは、偶然私に命を助けられたことで、何か私と特別な関わりでもあるように思っているのかもしれないが、それははなはだしい思い違いであることをここではっきり言っておく。 正直なところ、私は、おまえの護衛などという任務を押し付けられたことを、あまり快くは思っていない。 昼休みは、私の部隊の、大切な自主訓練の時間でもあるからだ。 おまえもそのことを念頭において、ここの戦士たちとよけいないざこざを起こさぬよう、極力努力してもらいたい。 活動は私の目の届く範囲内でやるように。 勝手な言い分と思うかもしれないが、それは、おまえ自身にとっても、最も危険の少ない方法であるはずだ。 それともうひとつ、布教の対象として私の戦士たちを選ぶのはやめてくれ。 昼休みといえど、彼らは激しい訓練の真っ最中で気が立っている。 ・・・活動は私の目の届く範囲で行うこと、私の戦士たちに神の教えとやらを吹き込まないこと、この2つだけ守ってくれれば、あとは何でも好きにやっていい。 私は関知しない。 もしこの条件が不服なら、いつでもプルートス大佐に申し出てくれ。 私は即刻この任務から解いてもらうことにする。 以上だ。 では失礼する」 またしても一方的にそれだけ言うと、レグルスは、昼食をとるため、早足でさっさと大食堂へと向かった。
2011.04.20
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「そうでした! では、これよりレグルス軍曹、布教師に向けて訓練場内案内の任務につきます。 失礼します!」 プルートス大佐に敬礼だけして、レグルスはさっさと応接室を後にした。 当然、後から布教師がついてくるものとばかり思っていたからだが、この布教師、予期に反して、まるで頭の悪いロバのように、おろおろとプルートス大佐を見上げ、レグルスを見上げ、さんざん迷ったあげくようやく理解できたといった風情。 プルートス大佐に要領の悪いお辞儀をし、もたもたした足取りでやっと応接室から出てきた。 その間ずっと廊下でこの様子を見ていたレグルスは、布教師がやっと自分のところにたどり着いた時にはもう、我慢の限界点。 『もう少し敏速に行動せよ!』と怒鳴りつけたくなるのを無理やり飲み込んで、苛立ちを外に表さないようしっかり口を閉じたまま、どすどすと廊下を踏み鳴らし、奥に向かって歩き始めた。 レグルスの後を、小走りに追ってきた布教師が、息を弾ませながら言った。 「・・・レグルスさま、あの節はほんとうに、ありがとうございました。 貴方さまのおかげで、私もこうして生き永らえることができました。 歩けるようになりましたらすぐにも、お礼に上がりたいと思いながら、慣れぬ修行につい取り紛れて、心を痛めておりました。 どうぞ、このエリダヌスを、恩知らずと誤解してくださいますな。 私は一日たりとも、貴方さまのご恩を忘れたことはございません。 朝に夕に、祈りを捧げるたび必ず、貴方を想い・・・あっ、いえ、感謝の思いを・・・」 はて、この神官は何を言っているんだろう、と、レグルスは思わず足を止め、後を追ってきた布教師の、フードに隠れた頭を見下ろした。 フードの下の顔は見えなかったが、その姿かたちに、レグルスははっと思い当たって、布教師のほうに向き直った。 「・・・ああ! どこかで聞いたことのある気がする名前だと思っていたら、おまえは、あのときの、旅の修行者か! ハザディルとやらいう遠い国から、はるばるリュキア目指して、長い旅の果てに、この訓練場のすぐ外にまでたどり着きながら、凶悪な盗賊に襲われ、命尽きたかと思われた、あの・・・」 気の毒な、と言いかけて、レグルスは急いでその言葉を引っ込め、あらためて、目の前の神官の姿をしみじみと眺め下ろした。 あの晩、恐ろしいほど深い傷を受けて、砂の上に倒れていた、旅の修行者。 周囲に飛び散ったおびただしい血と、絹糸のように輝く美しい白銀の髪。 救いを求めるように、レグルスに伸ばした手の頼りなさ。 そして、とりわけ強い印象に残っている、青ざめた、清楚な顔に浮かんでいた、苦痛とも至福とも見える、不思議な表情。 あの時、もう2度とこの瞳を開くことはあるまいと思われた、あの修行者が、今ここに、レグルスの前に立っている。 ――― 奇跡を見た思いがした。 同時に、怒涛のような喜びが胸のうちに沸き起こり、それはレグルスの中で突然、輝かしい誇りへと変貌した。 私が、この手で、この者の命を救ったのだ! 人の命を守り、戦う戦士として、これ以上の誇らしいことがあるだろうか。 ベテルギウスの言ったとおり、盗賊の一匹や二匹捕えることより、重傷を負った客人を一刻も早く神殿に送り届けることこそ、戦士としてとるべき、正しい道だったのだ。 あの晩こそまさしく、レグルスが戦士としてふさわしい働きをした、輝かしい初陣だった!
2011.04.19
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しかし、昼休みがやってきて、布教師にあいさつをするために、北辰館応接間に向かうレグルスの足取りはやはり重たかった。 誇り高きリュキア・バルドーラ戦士が、厚顔醜悪なジャムルビー族に尻尾を振り、嬉々としてその後をついて歩くなんて、どう考えたって屈辱的任務だ。 自分の戦士たちの前に、どういう顔をして出て行ったらいいんだ? 恥ずかしくて顔も上げられない。 「レグルス軍曹、参りました」 応接室の扉をノックすると、すぐに中から扉が開き、プルートス大佐自ら、笑顔でレグルスを迎え入れた。 気の重い仕事をうまくレグルスに押しつたせいか、すこぶる上機嫌だ。 「おお、レグルス軍曹、待っていたぞ。 さあ、入りたまえ。 さっそく、エリダヌス師を紹介しよう」 しかめ面にならないよう精いっぱい努力しながら、応接室に入ると、真正面に、心細げな様子でぽつんと立っているひとりの神官の姿が目に入った。 その、ほっそりとした、風にも倒れそうな体つきを見るなり、レグルスはますます気が滅入って、こっそり額に手を当てた。 やれやれ! 気の荒い戦士ばかり揃っているこの訓練場に、よりによってこんなひ弱なのをたった一匹で放り出すとは、なんと不可解な神殿坊主どもだろう! こんなひょろひょろ坊主が、布教に熱を入れるあまりうっかり戦士たちを怒らせたら、たちまち手足の1、2本へし折られてしまうぞ。 こいつを、私が、10日間もの間、かすり傷ひとつ負わせないように護衛するのか? おいおい、猫の護衛のほうがはるかに楽じゃないか! 思いつつ、レグルスはしかたなく、その神官に近づき、つとめて礼儀正しく一礼した。 「護衛役を命じられた、レグルス軍曹だ。 よろしく」 すると神官は、驚いたことに、これまでレグルスのよく見知っていた、巧言令色慇懃無礼弁舌さわやか立て板に水、舌鋒鋭くああ言えばこう言う、ふつうのジャムルビーとは全然違って、もじもじ、おどおど、どもったりつっかえたりしながらやっと、こう挨拶を返した。 「あ・・・、レグルスさま・・・! あの、私はこのたび布教のため遣わされました、エリダヌスと申します。 若輩者ゆえ、こちらのしきたりもよくわからず、いろいろ御迷惑をおかけすることになるかと思いますが、どうぞ、よろしくお願いいたします。 それから・・・」 こんなふうで、こいつほんとうに布教なんかできるのかしら、と思った。 でも、それはレグルスには関係のないことだ。 なおもくどくど挨拶を述べようとする布教師を無視して、レグルスは、これで挨拶の任務は果たしたとばかり、さっさとプルートス大佐のほうに向き直って敬礼をした。 「レグルス軍曹、明日から誠心誠意、粉骨砕身、努力して、この任務を完遂することを誓います。 では本日はこれにて・・・」 おおいそぎで逃げ出そうとしたレグルスを、プルートス大佐がにこにこと押しとどめて言った。 「では、レグルス軍曹、さっそく、エリダヌス師に、北辰館の中を案内してやってくれたまえ。 そういう約束だったね?」 そうだった。 自由に布教をしてかまわない場所、関係者以外立ち入り禁止の場所など、慣れない布教師によく説明しておくよう、プルートス大佐に、昨日のうちに言われていたのだった。 かっかと頭に血が上りっぱなしで、すっかり忘れていた!
2011.04.18
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プードルが、目の色を変えて騒ぎ始めた。 「何だって?! そいつは大変なことじゃねえですかい! 軍曹、こうしちゃいられません、俺たちにも何かやらせてください。 たとえば、その坊さんを門まで迎えに出る。 たとえば、安全に説法をできるような場所を設ける。 たとえば、前もって下級戦士の雑魚どもに、行儀よく説法を聞くように話をつけとく。 そのための金も少し用意しておいたほうがいいし・・・。 ね? そういう仕事、ぜひ俺っちにやらせてくださいよ! そうして坊さんを喜ばせ、軍曹殿が少尉に昇格なさったら、俺らこんな嬉しいことはねえ!」 チェリーも張り切って身を乗り出した。 「プードル伍長の言うとおりだ! 金を用意する役目は、俺に任せてくれ。 今夜にでもさっそく、賭場に繰り出して、がぼっと・・・! おい、アーモンド、軍資金、出せ」 アーモンドがきっぱり首を横に振った。 「軍資金は、みんなで平等に出し合いましょうよ、俺たちの軍曹殿が少尉におなりのためのお金なんですから。 ・・・それより軍曹殿、そういうことならぜひ私を、その布教師の付き人にお命じください! 私、その神官の言うことに決して逆らわず何でも言われたとおりに走り回りますし、誰にも指一本触れさせやしません。 そうすれば他のみんなは自主訓練のほうに専念できますでしょ」 フロックスも、負けじと声を張り上げた。 「こら、アーモンド、おまえは、軍曹殿に可愛がられてると思ってこのごろ少しでしゃばりすぎだぞ。 その役目こそ、みんな平等に、一日交替でやるんだ。 それからチェリーよ、おまえは、こんな大事なところに博打で稼いだ金なんかあてるなよ。 下級戦士の10人や20人、黙って説法に耳を傾けさせるのに、小遣いなんかいらねえ。 俺が、この、軍曹殿にいただいた大太刀を、ぶん、と一振りすりゃ、みんな震え上がって、1時間でも2時間でも、その坊主の前にかしこまって座っているさ」 「なにを! そのくらいなら俺だって! ・・・軍曹殿! 俺なら30人に話をつけますぜ!」 「なまいきな! 俺なら50人はかたい!」 「へん! 俺だったら軽く100人!」 「150人!」 「170人!」 蜂の巣をつついたような騒ぎに、レグルスはびっくりしながら言った。 「待ってくれ! みんな、そんな大げさなことはしなくていい。 さっきも言ったように、私はこんな任務を命じられたことを恥だと思っているんだ。 あまり仰々しいことをせず、10日間の布教期間を普段どおり淡々とやり過ごしたい。 昇進も辞退するつもりだ」 「そんなぁ!」 プードルが怒ったように叫んだ。 「情けないことおっしゃらねえでくださいよ! せっかくの昇進を辞退するなんて! 軍曹殿のご昇進は、俺たちみんなの昇進に等しいんですぜ! 神官の護衛だろうが猫の護衛だろうが、軍曹殿は、司令官に見込まれて、選ばれたんでさ。 それが名誉でなくてなんだってんですか! そんな、子どもみたいな片意地張って、昇進を辞退したりなさったら、俺たちみんな、あんたにそっぽ向いちまいますからねっ!」 はっとした。 そうだ、自分は、ひとりではないのだ。 私の昇進は部下全員の昇進につながる。 気に染まない仕事だとか、恥になるとか、自分の感情を言ってる場合じゃない。 この任務の意味は、布教神官を守ることではなく、私の戦士たちを守り、さらに一段高みに押し上げる、そのことにこそあるのだ。 胸を熱くして、レグルスはプードルの手を握り締め、うなずいた。
2011.04.17
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次の日の朝、レグルスは、重たい気持ちで、朝礼に整列した戦士たちの顔を見渡した。 「えへん、えーと、今日は、折り入って戦士諸君に頼みたいことがある」 すかさずチェリーが野次を飛ばした。 「待ってましたっ、小隊長! 何でも言ってください! 何だってやりますよ! それとも、まさか、昼休みの自主訓練はキツイから、どうか手を緩めてくださいなんて言うんじゃねえでしょうね?! そんな頼みだったらお断りですぜっ!」 戦士たちがどっと笑ったが、レグルスは、この不名誉な任務を戦士たちにどう説明しようかと、まだ思い悩んでいたので、作り笑いさえ返す余裕がなかった。 「いや、そうではなくて、えーと、今度私は新しい任務を命じられたのだが、その任務というのが、不本意というか、心外というか、えー・・・」 アーモンドが、はっとしたように顔を上げた。 「軍曹殿! まさか、あなたがこの隊からお離れになるのでは・・・!」 戦士たちが一様にはっと息を飲むのを感じて、レグルスは、冷汗をかきながらあわてて言った。 「いや! そんな重大なことではない! ともかく最後まで話を聞いてくれ。 その任務というのは、・・・あ、そうだ、その前に、私は今回その任務を無事完遂したら昇進するかもしれないのだが、それも、決して私自ら昇進したいがためにこの任務を希望したわけではないということを理解した上で聞いて欲しい。 私はむしろ、こんな馬鹿げた任務で昇進することを恥と考えて、昇進の話は辞退しようかと考えている」 水を打ったように静まり返った戦士たちの顔を見回して、ふと不安になった。 私の気持ちは、うまく彼らに伝わっているだろうか? 戦士たちは皆、身動きもせずじっとレグルスを凝視している。 あの、5秒に1度は野次をとばさずにいられないチェリーまでが、凍りついたように押し黙ったままだ。 もちろんそれは、最後まで話を聞けと自分が命じたからなのだが、それすら忘れるほど、レグルスはこの、彼ららしからぬ沈黙に戸惑い、うろたえ、おおいそぎで要点だけを告げた。 「えー、実は、明日から軍に布教の神官がひとり来ることになっており、私は、その警護を命じられた。 布教活動の行われる昼休みは、わが小隊の自主訓練の時間帯でもあり、私ひとりでは気配りも目配りも行き届かぬと思うので、諸君にもぜひ、協力をお願いしたいと思っている。 以上だ。 それでは隊別訓練を開始する。 解散!」 不思議そうに目をしばたたいていたチェリーが、やっと口を開いた。 「・・・あれ? 軍曹殿、話はもう終わり? それじゃあさっぱりわからねえ。 俺は何をしたらいいんだろう?」 たちまち戦士たちが口々に、俺は? 俺は? と騒ぎ始め、収拾がつかなくなった。 レグルスは大あわてで、その騒ぎを静めようとして言った。 「いや、別に、誰になにをせよということではないのだ。 ただ、もしその神官が、戦士たちといさかいを起こしたり、言いがかりをつけられたりしているのを見かけたら、可能な限りそれを止めてもらいたい、というだけのことだ。 諸君が楽しみにしている昼休みの自主訓練の時間に、よけいな手を煩わせて心苦しいが、役目上、もしその神官が怪我でもさせられたら私が責任を負わなければならないので、皆に協力してもらえると助かる」
2011.04.16
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「いやだ、いやだ! まっぴらだ! だれか替わってくれ!」 部屋に戻ってくるなりそう叫んで、どっとベッドに倒れこんだレグルスを、ロッカーの前で着替えをしていたベテルギウスが、きょとんと見下ろした。 「なんだい? レグルス、なに駄々こねてるんだ?」 その声に、レグルスはぴょんと飛び起き、今度は、今訓練から戻ったばかりらしいベテルギウスに向かってやつあたりを始めた。 「そうだ、ベテルギウス、そもそも、こんなことになった原因の一端は、君にもあるんだぞ! あの事件の夜、君が、怪我人を神殿まで送り届けろなんて僕に命じなければ、今日僕が布教神官の護衛なんて不名誉な任務を押しつけられることもなかったんだ! おまえのせいだ、ベテルギウス!」 戦闘衣を脱ぎ捨て、ロッカーの中の部屋着に手を伸ばしかけていたベテルギウスが、目を丸くして、その手を止めた。 「おいおい、何の話だよ? 僕が何を命じたって? 布教坊主が、なんだって?」 ぷりぷりしながら、たった今プルートス大佐に命じられた不名誉な任務の話をすると、ベテルギウスは、からからと大笑いして部屋着を取り、その、筋骨隆々とした太い腕に袖を通した。 「なあんだ、そんな愚にもつかないことで、なにカッカしてるんだよ。 布教師の護衛なんて、別にどうってことないじゃないか。 神官が、下級戦士たちと揉め事を起こさなきゃそれでいいんだろ? 神官たちは見かけによらず神経が図太いんだ。 少しぐらいイヤミを言われたりからかわれたりしたってへっちゃらだし、まして布教が目的なら、わざわざ自分のほうから相手を怒らせるようなことを言ったりはしないよ。 毎年ここに来る布教師たちが下級戦士を怒らせてしまう原因の1番目は、あんまり熱心に説法するあまり、しつこくつきまとって、結果、訓練の邪魔をしてしまうこと、2番目は、官舎内で迷って、武器倉庫とか軍書庫とか会議中の部屋とか、軍の機密に関わる場所にうっかり近づいた時だ。 彼ら方向音痴が多いからね。 しかし今回は、昼休みだけということなら、訓練の邪魔にもならないし、活動場所も戦士たちがほぼ全員集まる食堂内に限られる。 プルートス大佐のおっしゃるとおり、かんたんな仕事だと思うね。 それで昇進できるなら、こんなうまい話、ないじゃない? もっと素直に喜べば?」 癇癪を起こして、レグルスは、ベテルギウスに枕を投げつけた。 「それがいやなんだ! 戦いで功を上げるとか、街の人たちのために尽力したとでもいうならともかく、坊主のお守りで昇進するなんて、最低だよ! この際だから言うけど、僕は、ジャムルビーの修行者を神殿に送り届けたという、たったそれだけの功績によって戦士として認められたことを、いまだに後ろめたく思っているんだぞ。 もしあの時君が、盗賊団を追おうとした僕を止めずに行かせてくれていたら、僕は一味の首領だって捕まえられたかもしれない。 その功績をもって戦士として認められたんだったら、どんなに自分を誇らしく思うだろう! それを、ええい! また、布教の神官のお守りで出世するなんて、僕はジャムルビーの番犬か? 下級戦士たちのいい笑い者だよ!」 おかしくてたまらない、というようにベテルギウスがくすくす笑う。 「なるほど、わかったぞ、レグルス、君がそんなにジャムルビー族を毛嫌いするから、かえってそういう任務を押し付けられてしまうんだよ。 軍には、少ないけどジャムルビー族の兵士もいるんだ。 いつか君の部隊にジャムルビー兵が配属されてくることだってきっとある。 そのとき、そんなふうに差別視していたら、君は彼らの能力を十分に使いこなすことができないだろう。 将来有望な君を少しでもジャムルビー族に慣れさせようという、リザード中将閣下の、深い御配慮なのかも」 ますます頭に血をのぼらせて何か言い返そうとしたレグルスに、枕を投げ返して、ベテルギウスは、少し真面目な顔になり、こう助言をくれた。 「大丈夫。 君には、レグルス小隊のみんながいるじゃないか。 きっとみんな、君の昇進を心から望んで、一生懸命協力してくれると思うぞ。 昼休みの2時間、あちこちで説法して回る布教師を、ひとりで監視するとしたらなかなかたいへんだけど、場所を食堂の中だけに限定して、小隊の全員にそれとなく目配りしてもらうなら、誰にとってもそれほど負担じゃないし、ずっと確実だ。 きっと、布教師もそのほうがありがたいと言うだろうな。 だって、布教の間ずっと、君にそんな恐ろしい顔で睨みつけられていたら、僕だって怖いもん!」
2011.04.15
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「・・・はぁ?!」 びっくり仰天して、レグルスは思わず大きな声で叫んだ。 「プルートス大佐、今、何とおっしゃいました?!」 南天舎、士官養成学校教官長室の、大きな執務机の向こうで、教官長のプルートス大佐は、いつものように、おでこをてかてか光らせ、大きな腹を揺すって笑いながら、今言ったことをもう一度レグルスに、まるで子どもに言い聞かせるようにゆっくりと繰り返した。 「突然の申し入れで、戸惑っているのは我々も同じだよ、レグルス軍曹。 業腹なのも同感。 しかし、軍として、神殿の要請をむげに突っぱねることはできんのだ」 言いながら、プルートス大佐の顔はあくまでもにこにこ、楽しげだ。 「やむなく今回も、リザード中将閣下は、神殿からの、訓練場内で布教活動をすることを認めて欲しいという要請に応じて、布教活動者1名だけ、期間も10日間だけ、という条件で布教活動を受け入れることを決定なさった」 顎をさすって、プルートス大佐が、窓の外に目をやる。 西日の差す運動場では、訓練を終えた戦士たちが、砂の上に長い影を落として、後片付けの最中だ。 「・・・が、君もよく知っての通り、ここの戦士たちは常日頃から、ジャムルビー族に対しては尋常ならざる悪感情を抱いておる。 毎年、ここに布教神官が派遣されてくるたびに、それを疎んじる下級戦士たちが神官に暴行を加えるというトラブルが多発する。 そこで、今回、リザード中将閣下は、そういったトラブルを避けるために、布教の神官に護衛官をつけることをお決めになった」 プルートス大佐がレグルスに視線を戻し、にっこりと笑う。 「そして、白羽の矢が立ったのが、レグルス軍曹、君だ。 なぜなら君には、リュキア神殿の客神官を暴漢から助けたという、際立って重い実績があり、神殿の絶大な信頼を得ているからだ。 神官どもがこぞって賞賛しているという、その君が護衛の役を務めてくれるとなれば、神殿側も大喜び。 これまで何かと衝突することの多かった軍と神殿の関係も、一気に好転するだろう、という、リザード中将閣下のお考えだ」 「しかし・・・!」 反論しかけたレグルスを、プルートス大佐がやんわりと片手で制して言う。 「もちろん、君のジャムルビー嫌いは私もよく承知している。 が、神殿への回答書にはすでに、護衛官として君の名を明記して提出してしまったのだ。 君の意向も聞かず、不愉快かもしれないが、これもリザード中将閣下のご指令。 重要な任務のひとつと心得て、手を抜くことなく真摯に、役目にあたってもらいたい」 言葉につまったレグルスに、プルートス大佐が上機嫌でとどめを刺した。 「そのかわり、レグルス軍曹、この任務を無事終了したら、君には、少尉に昇格という栄誉が約束されているのだぞ。 君の部隊の規模も大きくなる。 名誉なことではないか。 どんなに面白くない任務だろうと、たった10日間の辛抱だ。 しかも布教活動時間は、訓練時間外と限定してある。 つまり昼休みの2時間だけだ。 下級戦士たちばかりか先輩や上司の戦士たちまでが、熱い共感と崇拝のまなざしを注ぐ、レグルス軍曹、君が、護衛を勤めるのだから、今回に限っては誰も、君の立場を危うくするような揉め事を引き起こしたりはせんよ。 君には簡単な任務のはずだ」
2011.04.14
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ダイダロスは、アンタレスのたった一人の理解者だった。 だから、そのダイダロスが死んだ時、アンタレスは、どうしていいのかわからなくなった。 自分の死が間近に迫っていることを悟ったダイダロスは、病床にアンタレスを呼んで言った。 「アンタレス、私がおまえに教えてやれることは、もう、すべて教えた。 おまえのために工夫してきた武器も、これ以上はもう私には考えつかない。 あとはおまえが、自分で自分を鍛え、剣の道を究めるのだ」 痩せ衰えたダイダロスの手を、ぎゅっと握り締め、うなずいた。 かすかに笑って握り返したダイダロスの手の、その弱々しさに、思わず涙が零れ落ちた。 「アンタレス、おまえは強くなった。 もう、どんな大きなバルドーラも、おまえの敵ではないだろう。 しかし、いくら剣技を磨いても、おまえの心はまだ弱く、未熟だ。 たやすく折れて壊れてしまう、脆い心は、独りでは支えきれない。 私がいつまでも支えてやれればいいが、そういうわけにもいかない。 そろそろ別れが近づいているらしい」 「・・・いやだ!」 こらえきれなくなって、アンタレスはその場に泣き伏した。 アンタレスが泣き止むのを待って、ダイダロスが言った。 「アンタレス、心がくじけそうになったときは、私の鍛えた剣を見て、私を思い出せ。 私の魂は、いつもその剣とともにあって、おまえを支え、見守っている。 そのことを決して忘れるな」 涙をぬぐってうなずいたアンタレスの頭をひと撫でして、ダイダロスが静かに言った。 「では、もう行け。 もうここに戻ってきてはならない。 今日からおまえは、一人で、おまえの旅をはじめるのだ」 顔を上げて、アンタレスはじっとダイダロスの顔を見つめた。 生涯忘れないように、しっかり記憶に刻み付けた。 ダイダロスも、じっとアンタレスを見つめた。 それから、アンタレスは立ち上がり、ダイダロスに深く頭を下げた。 「ダイダロス、ありがとうございました。 あなたの教えは、深くこの胸に刻み込んで、生涯忘れません」 ダイダロスが微笑み、うなずいた。 「私も、君に剣を鍛え、教えてやることができて、幸せだった。 君は、私の人生の最後を照らしてくれた、一条のあたたかな光だった」 アンタレスにとってもまた、ダイダロスは光だった。 アンタレスの人生の、最初の道を指し示してくれた、まばゆい太陽の光だった。 その光を失ったアンタレスは、生きる希望を見失った。 いつまでも立ち直ることができなかった。 心がくじけそうになったら剣を見て私を思い出せ、とダイダロスは言ったが、剣を見るとダイダロスを思い出してよけい悲しくなった。 アンタレスは、ダイダロスの剣を荷物の奥深くにしまいこみ、酒におぼれるようになった。 悲しみから逃げるために、夜も昼も、泥酔していたかった。 大切な剣さえ持たずに、アンタレスは、ゾーハルの酒場に入りびたりとなった。 暗闇の向こうで、誰かがアンタレスを呼んでいた。 ――― アンタレス、起きて。 目を覚まして。 声のほうに目を凝らしても、真っ暗で何も見えない。 また、声が呼んだ。 ――― アンタレス、こっちに帰ってきて。 いやだ、そっちへは行きたくない、と思った。 前方に、光が見えてきた。 清らかな光の向こうに、やさしい、なつかしい、ダイダロスの姿が見えた。 ダイダロス! あなたのそばへ行く! アンタレスは、両手をいっぱいに伸ばし、ダイダロスに向かって跳躍した。 が、あと少しというところで、届かなかった。 ダイダロスの姿が、ふっ、と消え、アンタレスは再び暗闇の中に落ちていった。
2011.04.12
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――― 『腰抜けアンタレス、俺の靴をなめてきれいにしろ』 ねじ伏せられたアンタレスの顔の前に薄汚い靴を突きつけた、じめじめとからみつくような、粘着質の、野卑な顔つき。 へっぴり腰で突っ込んできたそいつの剣を軽々かわして、胸のむかつくその顔を思い切り蹴りつけた。 靴底に何本も鋲を打ち付けた、見た目よりはるかに破壊力のあるこの靴は、ダイダロスがアンタレスのために考案した強力な武器のひとつだ。 『重たいこの靴をいつも履いて、足腰を鍛えろ。 子どもには危なすぎるおもちゃだから気をつけろよ。 うっかり自分の足を踏んづけたら足の骨が砕けちまうかもしれないぞ』 ざくっ、といやな音がして、その靴が、相手の顔のど真ん中にめり込んだ。 悲鳴をあげて後ろにひっくり返ったそいつの、後からもうひとり、動きの鈍い太っちょがアンタレスに打ちかかってきた。 こいつにも、山ほど恨みが積もっている。 剣の先で小突き回されながら全員の靴をなめさせられた後、逃げ出そうとしたアンタレスの髪の毛を引っつかんで地面に引きずり倒し、蹴りつけ、踏みつけ、動けなくなるまでいたぶり苛んだあげく、顔に砂をかけたのは、この太っちょだ。 その間中ずっと、こいつの顔には、どす黒くねじくれ曲がった喜悦のにやにや笑いが浮かんでいた。 思い出すだけでも反吐が出る。 お返しに今日はこいつの背中を切り裂いて、砂を詰めてやろうか! 剣を振り上げ、恨みのたけをぶつけようとした時、その太っちょの前に突然ミュルメクスが割り込んできて、がばっとアンタレスの前に跪いた。 「待ってくれ、アンタレス、降参だ。 いつもみんなでおまえをいじめて悪かった。 謝るから、その剣をおさめてくれ。 おまえは腰抜けじゃない、本当は強いんだということがよくわかった。 だから、これ以上、俺の仲間たちを傷つけないでくれ」 あっさり負けを認めた、ミュルメクスのこの言葉が、さらにアンタレスを激怒させた。 降参だと? 傷つけないでくれ、だと? これまで俺は、顔をあわせるたび何の理由もなくお前たちに痛めつけられ、何の悪いこともしていないのにひざまずいて許しを乞い、頭を地面にこすりつけてもう止めてくれと懇願させられた。 だからといっておまえたちが素直に俺を解放してくれたことが一度でもあったか? ますます図にのって、俺をいたぶり、侮辱するのに拍車をかけるだけだったじゃないか! ますます激しく燃え上がる怒りに我を忘れて、土下座したミュルメクスの頭めがけて剣を振り下ろそうとしたそのとき、思いがけない声が後ろからかかった。 「止めよ! 勝負は決まった。 アンタレス、おまえの勝ちだ。 それ以上攻撃してはならぬ」 ――― 厳しく、それでいてあたたかい包容力にあふれた声。 はっとして振り返る。 ダイダロスが、剣を手に立っていた。 悪い夢から覚めたような気がした。 戦って死ねと言いながら、ダイダロスはアンタレスの身を案じ、もう何年も手にしたことのない剣を手に、不自由な足を引きずって、必死にアンタレスの後を追ってきてくれたのだ。 ダイダロスの心遣いが、嬉しかった。 ミュルメクスを憎む気持ちは変わらないが、この場はダイダロスに免じて、命だけは許してやろうと思った。 ダイダロスが、怪我を負った少年たちを、手当てのために家に連れて帰って行った。 ミュルメクスがちょっと振り返ってアンタレスを見た。 が、すぐに目をそらし、しょんぼりと肩を落として仲間たちの後を追って行った。 アンタレスは、勝利した!
2011.04.11
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迷わず、前に一歩踏み出した。 腕から血を流してうずくまったやつの、背中を踏み越えて、その後ろで、青くなって立ちすくんでいるやつに向かってまっすぐ斬り込んで行った。 前のやつの腕に斬りつけた剣を、今度は下からすくいあげる形になった。 ダイダロスの剣の切っ先が、相手の膝のあたりから、ななめに、キーッと鋭い音を立ててそいつの胸当てを引っかき、まともに顔を斬りつけた。 そいつが悲鳴をあげて顔を覆い、地面にしゃがみこんだ。 と、その時、不思議なことが起こった。 丸くなって震えるそいつの背中に重なって、真後ろにいるミュルメクスの大ぶりの剣が、アンタレスの背中に向かってまっすぐ突き出されてくるのが、はっきり見えたのだ。 いや、映像として剣が見えたわけではないが、その剣が巻き起こすわずかな空気の流れが、あるいはミュルメクスが全身から発する凄まじい怒りの熱波が、肉眼で見えるはずのないそういったものが、背中に触れたかと思うほどはっきりと『見える』のだ。 まるで、背中に突然大きな目玉ができて、それがぱちりと開いた、みたいに。 さらに、そうして見えるのはミュルメクスの剣だけではない。 ミュルメクスの後ろに、残った手下がふたり、同じように剣を振り上げて、アンタレスの背中に突進してくる様子まで、手に取るようにはっきり見える。 もっと言えば、それぞれの剣の動きの、スピード、方向、さらに、それの持つ破壊力の大きさまで、まるで、すでに攻撃を受けた後みたいに、感覚としてとらえることができるのだ。 肉眼で見るよりはるかに確かな存在感。 しかも、その動きの緩慢さは、まるで、ナメクジの歩み。 3本の剣の先がもたもたと弧を描いてアンタレスの背中に到達するまでには、10人もの相手を斬り伏せて一服してまだ時間が余りそうだ。 自分の中で起きたこの変化に、アンタレスは一瞬戸惑い、驚き、が、すぐに、天佑とも思えるこの変化を幸いと受け入れ、余裕を持って、ミュルメクスの間抜けな大剣をかわした。 こんな簡単なことが、今までどうしてできなかったのか、不思議なくらいだ。 つんのめったミュルメクスは放っておいて、そのまま、ミュルメクスの後から突っ込んでくるふたりの子分のほうに攻撃の的を絞った。 まだだ、ミュルメクス。 大将のおまえを叩きのめすのは、一番最後の楽しみに取っておいてやる。 ミュルメクスの後から、憤怒の形相でアンタレスに斬りかかってくるふたりは、無敵のミュルメクスの尻馬に乗って、いつも、やりたい放題蛮行の限りを尽くす、おなじみの顔ぶれ ――― アンタレスは、この、野蛮で、卑怯で、サディスティックなふたりには、特に深い恨みがあるのだ。 積もり積もったその恨み、今日は思う存分晴らしてやる! 自分でも考えられないほど、残忍な喜びが、体の奥からむらむらと突き上げてきた。
2011.04.10
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それから丸一日、その場にじっと座っていたアンタレスは、次の日の朝を迎えて、ようやく覚悟を決めた。 もう逃げ隠れはしない。 戦おう。 ダイダロスの剣を取り上げて、立ち上がった。 真っ直ぐ、いつもの悪たれどもがたむろしているバルドーラの広場へ行った。 今日も、けらけら笑ってふざけあい、走り回っている、彼らに向かってまっすぐ歩いて行った。 死んでもいい。 必ず、一矢報いてやる、そう思った。 悪たれどもの一人が、アンタレスに気づいて甲高い声で開戦を叫んだ。 「あっ! 腰抜けアンタレスがきたぜ!」 獲物を見つけた、そう言いたげな、興奮した声だ。 遊んでいた子どもたち全員が顔を上げ、アンタレスに意地の悪い視線を向ける。 「腰抜けが、バルドーラの広場に、何しに来たんだ?」 「ここは腰抜けの来るところじゃないぜ。 俺たちバルドーラ族の遊び場だ」 「おまえはリシャーナの森でひとりで花でも摘んでな」 げらげらと笑い崩れた、悪たれは、全部で5人いた。 唇をかんで、真っ直ぐ彼らに近づいた。 今日はいつものように黙って虐められてはいない。 ダイダロスが、精魂込めて鍛え上げてくれたこの剣に、恥ずかしくない死に方をしてやる。 剣の柄に手をかけた。 悪たれのひとりが、ちょっとたじろいだように後ずさり、仲間のうちの、一番体の大きなやつの袖を引いた。 「おい、ミュルメクス、あいつ、やる気だぜ」 ミュルメクスは、こいつらのガキ大将。 アンタレスにとっては宿敵だ。 こいつさえいなければ、アンタレスはリシャーナの森になんか逃げ込まなかった。 『このまま一生逃げ隠れる人生を送るか、いっそ今戦って死ぬか』 剣を抜いて、真っ直ぐ、ミュルメクスに向かって駆け出した。 ミュルメクスも、にやにや笑いながら、剣を抜いた。 アンタレスの剣の、3倍も重量がありそうな、岩をも砕きそうな大きな剣だ。 「アンタレス、そんな、おもちゃみたいな剣を持ち出してきたって同じことさ。 この前と同じように、また今日も俺たちの靴を磨かせてやるから、ブラシに持ち替えてきな」 どっと笑い声がはじける。 余裕の表情で待ち受けるミュルメクスに向かって、全力疾走に加速がつく。他の連中も、少し緊張した表情になって、それぞれ腰の剣を抜いた。 『大勢の敵を相手にするときは、取り囲まれないように、とにかく動け』 真っ直ぐ突っ込んでいったアンタレスの目の前に、ミュルメクスの長い腕が、大きな剣をにゅっと突き出した。 丸太みたいなその剣をかわす。 ついでに、ミュルメクスの脇で剣を振りかざそうとしていたやつの上腕を、剣の先で軽く撫でた。 軽く撫でただけなのに、服の袖がばっさりと裂けて、そいつはぎょっとしたように剣を取り落した。 みるみるうちに赤く染まっていく血の色に、そいつの後ろにいたやつも顔色を変えて、数歩後に下がった。 勝機! だが、今たじろいだその敵に斬りかかって行けば、ミュルメクスに背後を許すことになる。 昨日までのアンタレスなら、背後を取られたくない一心で、がむしゃらにミュルメクスに突っ込んで行っただろう。 が、今日は違う。 この勝機、死んでも逃すもんか!
2011.04.09
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アンタレスは、背後から攻撃を受けることが、病的なまでに怖かった。 無防備な背中を剣で一突きにされる恐怖は、考えただけで身震いがして、全身が硬直してしまう。 右手あるいは左手に位置していた相手の剣が、ぎらぎら光りながら後方に回り込んでくると、それだけで、いつもアンタレスは恐怖に取りつかれて我を失い、しゃにむにそいつに向かって突進してしまうのだ。 ほかのものはまるで見えなくなってしまう。 結果、もし正面にもうひとり敵がいたら、今度はそいつがアンタレスの背後に回りこんでくることになる。 そうなったらもうパニックだ。 恐怖に体が凍りついたように動かなくなって、どんな反撃もできなくなってしまう。 その場に剣を投げ出し、冷や汗をかきながら、まいった、と跪き、許しを請い、敗者の辱めを受けなければならない。 アンタレスは、それが耐えられなくて、生まれ育ったバルドーラの街を出た。 人がめったに来ない、魔法使いの森に逃げ込み、泉のそばに隠れ暮らすようになった。 バルドーラのくせにリシャーナの森に逃げ込んでおびえ暮らす自分を、情けないと思いつつも、体が小さいことで仲間たちに虐げられ、嘲られながら暮らすよりはましだと思った。 いつかきっと、誰よりも強くなって、あいつらを見返してやる。 俺の足もとに跪かせてやる。 そう思った。 それはアンタレスの宿願となり、生きる目的のすべてとなった。 だから、リシャーナの泉のそばで偶然出会った刀工のダイダロスは、アンタレスにとってまさに救世主だった。 ダイダロスは、体の小さなアンタレスにも楽に扱えるような、それでいて巨躯のバルドーラ戦士が持つような重い剣にも引けを取らない、鋭い刃のついた剣を鍛えてくれた。 当たり前の剣よりはるかに扱いの難しい、その剣で、戦う術も伝授してくれた。 だが、鎧のことだけは、ダイダロスの意見に従うことはできなかった。 鎧がなくても敵の攻撃から確実に身を守る、そんなことができるわけがないからだ。 黙り込んでしまったアンタレスに、ダイダロスが困ったように言った。 「アンタレス、おまえは、間違っているぞ。 おまえに今必要なことは、鎧で身を守ることではないんだ。 より早く、より強く、攻撃をすることだ。 今のおまえの敵は、意地の悪い仲間たちじゃない。 おまえ自身の心の中の、恐怖心だ。 おまえは、自分が、仲間たちを比べて特別小さくて弱々しい体をしていると思っている。 だから、頼りになる防具が欲しい。 他の仲間たちのような、重い鎧や鎖帷子で身を守っていたい。 そうすれば彼らと互角の戦いができると考えている。 だが、それは違うぞ。 お前の体は確かに、他のバルドーラたちとは少し違う。 体力的にも劣っている。 重たい防具は、おまえの邪魔にこそなれ、おまえを守ってはくれないのだ。 おまえを守ってくれるものは、もって生まれた敏捷でしなやかな動きだ。 なのに、おまえは今、その天性の攻撃力さえ満足に発揮できずにいる。 恐怖心が、力を封じてしまっているんだ。 その恐怖心がある限り、おまえは強くなれない」 ますます深くうなだれたアンタレスに、ダイダロスが匙を投げたように立ち上がった。 「私はおまえのために剣を鍛えてやり、その扱いを教えてやったが、これ以上のことは私にもできない。 おまえが自分の力でその袋小路から抜け出さない限り、おまえを強く鍛えてやることは、私にもできないのだ。 己を鍛えることができるのは己だけ。 今度意地の悪い仲間一味に捕まった時は、もう、死ぬ覚悟を決めることだな。 私のところに逃げ帰ってきても、もう何もしてやれない。 このまま一生逃げ隠れる人生を送るか、いっそ今戦って死ぬか、自分で決めろ」
2011.04.08
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アンタレスは夢を見ていた。 目もくらむような光の中で、おそるおそる目を開けると、まぶしい太陽を背景に人影がひとつ、ぼんやりと見えてきた。 誰だろう? 目を細めて、一生懸命その顔を見極めようとする。 真昼の光にしだいに目が慣れると、懐かしい髭面が見えてきた。 「・・・ダイダロス!」 びっくりして飛び起きた小さなアンタレスに、ダイダロスが、茶色い顎鬚を撫でさすり、優しい目で笑いかけた。 「・・・だから言ったろう? おまえには、重たい鎧を身につけて戦うのは無理だよ。 私のような、片足の不自由な年寄りにまで、一撃で打ち倒されてしまったじゃないか。 身にしみてわかっただろう。 鎧は諦めろ。 どうしてもつけたいなら、軽い胸当てだけにしておけ」 ダイダロスの言うことにはいつもきちんと筋が通っている。 そのことは、自分でもいやになるほどよくわかっていた。 アンタレスは同年代の子どもたちと比べて、極端に小柄で痩せている。 みんなが身につけているような鎧を着たら、重たくて身動きが取れない。 よくわかっている。 それでも、アンタレスはどうしても鎧を着たかった。 ダイダロスが、アンタレスのために精魂込めて鍛えてくれた、羽根のように軽いこの剣が、どれほど切れ味鋭く、頼りになるかもわかっている。 それでも、鎧を着たかった。 鎧なしで敵の剣の前に身をさらすのは無防備に過ぎる、その思いからどうしても抜け出すことができないのだ。 ダイダロスが、アンタレスの体から、重々しい大きな鎧を脱がせながら笑った。 「アンタレス、おまえが鎧にこだわりたい気持ちはよくわかる。 だが、鎧ではおまえの身を守ることはできないのだ。 おまえにとって鎧は、邪魔になるだけだ。 鎧に頼るな。 身を守ることばかり考えるな。 おまえほど身が軽ければ、鎧など着なくても、当たり前のバルドーラの攻撃なんか楽々かわすことができるはずだ」 アンタレスは、うつむいたまま、こぶしを握り締めた。 「だって、敵は、ひとりとは限らない。 いくら早く動けるといっても、後ろに目があるわけじゃないんだ。 後ろから突いてくる攻撃までかわすのは無理だよ」 「そんなに近くまで敵を寄せつけなければいいじゃないか。 絶えず動いて、相手の剣が届く範囲には入らなければいい」 「それではこちらからも攻撃できない!」 ダイダロスが、からからと笑った。 「敵が何人いようと、どうせ、いっぺんに相手にできるのはひとりだけだ。 大勢の敵を相手にするときは、取り囲まれないように、とにかく動け。 敵はその動きに惑わされて、いっせいにおまえに襲い掛かってくることができなくなる。 隙もできる。 集団からひとりだけ離れてしまった動きの鈍いやつからひとりずつ順番に、おまえの剣の餌食だ。 鎧はいらない」 足もとに投げ出された、古い鎧を見下ろして、アンタレスはぎゅっと唇をかんだ。 ダイダロスは無理なことを言う。 バルドーラ族なら誰でも普通に身につけているのが当たり前の鎧。 それがなくては裸も同然だ。 鎧なしでどうやって身を守れというのか。 防具なしで逃げ回ってばかりいたら、攻撃する暇もなくなってしまう。
2011.04.07
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これといった進展もないままにむなしく日は過ぎ、このごろでは胸踊るようなこともなく、かといってもはや絶望に打ちひしがれるようなこともなく、ただ機械的に道場へ通うだけの日常を送っていたエリダヌスに、ある日プラターマ導師が言った。 「エリダヌス、明日からあなたは隣の『燕の間』に移ることになりました。 進級です。 通常なら、第1段階『雀』の呪法をひとつでも習得できないうちは第2段階『燕』に進級することはできないのですが、導師長ダルシャナさまの特別なお計らいがあって、あなたのご進級が認められました。 燕の間にて、何かひとつでも呪法を習得できたら、また、雀の間に戻り、ここでの修行と平行して行うように、ということです。 雀の間での成績は思わしくなかったけれど、燕の間でめざましい進歩を見せるという修行者もいますから、あなたもきっと大丈夫。 神さまを信じて、『燕』の修行にお励みなさい」 とうとう、プラターマ導師にも見放された、と思った。 雀の間の3つの呪法。 できなかったら、なぜ、できるまで何度でも教えてくださらないのか。 そう言いたかったが、エリダヌスは黙って運命を受け入れ、うなずいた。 これ以上練習を重ねても、雀の呪法の習得はできない、と、プラターマ導師は、早くもエリダヌスに見切りをつけたのだ。 『進級』という明るい言葉が、恨めしかった。 がっくりと肩を落として部屋に帰った。 もう涙も出なかった。 ただ、無力な自分が、悔しかった。 そして、次の日から通い始めた『燕の間』は、信者たちに仇なす者、背徳者、不信心者、などを懲らしめるための、荒々しい呪法を習得するための道場だった。 倉庫に閉じ込められたドードーを助けにいったとき、フォーマルハウトが大きなねずみを追い払った、ああいった攻撃呪法だ。 雀の間と同様、ここでも、習得すべき呪法は3つあったが、エリダヌスはもちろん、どれひとつとして成功することはなかった。 ある程度予想していたこととはいえ、ひどく傷ついたエリダヌスに、運命はさらに、追い討ちをかける。 3つの呪法すべてに失敗したその日、まるでそうなるのを見越していたかのように、導師長室に呼び出されたエリダヌスは、導師長ダルシャナに、こう告げられたのだった。 「エリダヌス、明日からあなたには、しばらく道場での修業を休んで、神殿の外に布教に行っていただくことになりました。 行き先は、リュキア軍戦士訓練場。 バルドーラ戦士たちは気が荒く、信仰心もありませんが、軍には私たちの同族ジャムルビーの神兵も大勢います。 困ったことがあったらどんなことでも遠慮なく彼らに相談しなさい。 きっと助けてくれます。 リュキア軍との取り決めによって、布教にはわずか10日ばかりの短い期間しか許されていませんが、エリダヌス、あなたならきっとできます。 恐れずに、神さまを信じて、不信心者たちを正しい道に導きなさい。 カノープスとスピカのふたりも、すでに『燕の間』での修行を終了し、基本的な呪法は一通り身につけたとして、リシャーナ族の村、および、パピト族の貧民街へ、それぞれ布教に派遣されています」 ――― 青天の霹靂だった。 ついに、神殿からも追い出された、との思いが強かった。 部屋に戻るなり、エリダヌスはベッドにどっと体を投げ出し、深いため息をついた。 何もかも、厭わしかった。 リュキア軍・戦士訓練場 ――― そこにはレグルスがいる。 強靭な精神力をうかがわせる、自信に満ちた太陽のような、あのかたにお会いしたい、ただ、そう思った。
2011.04.05
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ドードーが、興味津々、祭壇のほうを覗き込みながら、エリダヌスの耳にささやいた。 「あのバルドーラ戦士たち、きっと、軍に内緒で、こっそり迷宮に行ったんだな。 でなきゃこんな真夜中に、瀕死の怪我人を連れて神殿になんか来るはずがないもの。 軍にはちゃんとした医者がいるんだから。 ・・・気の毒だけどあの怪我人は、もう助からないだろうな。 生き返りの祈祷料ってすごく高いんだよ。 とても普通の人に払えるような金額じゃない」 ――― ああ、それではレグルスさまはやはり、マルシリオの話をお聞きになって、自ら迷宮へ乗りこんでいかれたのだ。 語気鋭くマルシリオを叱りつけた、あの、たぎるような正義感から、ついに暴走に至ったのだろう。 その真っ直ぐな心情を思うと胸が締め付けられ、それでもこうして無事帰還した姿を見れば深い安堵を覚え、こみ上げてくる熱いものに、ぺたりと床に座り込んだエリダヌスを、ドードーが、急いでベンチの影に引っ張り込んだ。 「エリダヌスさま、あいつら、諦めて、怪我人はここに置いて帰るようだよ! こっちに来る! 早く隠れて!」 はっと我にかえってドードーの隣に身を沈めたエリダヌスの、顔のすぐ前を、レグルスの足が通り過ぎていく。 胸が高鳴る。 が、こっそり見上げたその表情は、あの、輝かしい自信に満ちたレグルスとはとうてい思えないほど、青ざめ、打ちひしがれ、憔悴して見えた。 きっと、お仲間のひとりが倒されたことに強い衝撃を受けておいでなのだ、と思った。 レグルスさまのために、あのお仲間を助けて差し上げたい、と強く願った。 が、エリダヌスにできることはなにもなかった。 プラターマ導師の切り傷ひとつ治療できない自分がふがいなく、腹立たしく、エリダヌスは胸も蓋がる思いで、悄然と礼拝堂から出て行くレグルスの後ろ姿を見送った。 その姿が廊下に消えると、急いでベンチの影から這い出し、出入り口の扉の影に飛び込んで、玄関口に出て行くレグルスの姿を見送った。 我知らず、切ない吐息をついたとき、レグルスと、もう一人のバルドーラ戦士が、ひどく奇妙なしぐさをした。 2人とも、玄関口のところでひざまずき、神官に向かって頭を差し出したのだ。 エリダヌスはびっくりして、思わず、ドードーを振り返ってたずねた。 「ドードー、あれは、この国のあいさつか何かですか?」 エリダヌスと同じように、身を乗り出して玄関口の様子をうかがっていたドードーも、目を丸くして首を横に振った。 「ちがうよ! あんなへんなこと、俺も初めて見たもん。 きっと、エリダヌスさまもまだ知らない、おまじないとかお祓いなんじゃないの? ほら、迷宮で取り憑かれたかもしれない悪霊とか怨念のかたまりとか、そういうのを追い払うためのお祓い。 でなけりゃ、プライドの高いバルドーラ戦士が、人に頭なんか触らせるはずがないもの」
2011.04.04
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ドードーは、何か言おうと口を開きかけ、ちょっと考え込み、それから、苦笑して頭を掻いた。 「あ、そうか、別に隠れることはなかったんだよね。 俺、ときどきこうして一人でお祈りに来ることがあるんだけど、そういうとき、神官さまに見つかるといつも、使用人がこんなところで何をしてる、って叱られちゃうんだ。 だから、いつもの癖で、つい隠れちゃった。 今日はエリダヌスさまと一緒だから叱られないのにね!」 「おやおや! 使用人はお祈りしちゃいけないの?!」 「お祈りは別にかまわないんだ。 でも、礼拝堂の中は俺たち入っちゃいけないんだよ。 急病人とか怪我人が運び込まれてきたとき邪魔になるから」 答えながらも、ドードーは隠れたベンチの後ろから出ようとしない。 礼拝堂の扉を開けて入ってきた人影のほうを食い入るようにのぞき見ながら、早口でエリダヌスにささやいた。 「ほら、今玄関から入ってきたやつもきっと、病人か、怪我人だよ! ・・・あ! バルドーラ戦士だ! かっこいいなあ! ほらほら! ぐったりした仲間を運び込んで来た。 あいつ、死んでるのかな! 生き返りのご祈祷を頼みに来たのかしら」 ドードーの興奮した声に、エリダヌスも思わず、ベンチの背もたれの影に隠れたまま、そうっと顔だけ出して、礼拝堂に入ってきた人影のほうを覗き見た。 確かに、真っ暗な礼拝堂の中に、夜勤番の神官に導かれて、大きなバルドーラの姿がふたつ、入ってきたのが見えた。 ドードーの言うとおり、そのうちのひとりは、病人らしき者を抱きかかえている。 せっぱつまった声で神官に訴える、バルドーラ特有の太い大きな声が、だんだん近づいてくる。 「・・・そして、アンタレスは毒針に刺されて倒れました。 至急ケンタウロス医師に診せたところ、治療は不可能だと断られました。 しかしケンタウロス殿の話では、リュキア神殿には解毒剤があるかもしれない、とのこと。 神官どの、ほんとうに、その解毒剤はここにあるのですか? あればぜひ、この者に処方していただきたい。 この者には、まだ息があります。 ここに連れてくれば必ず助かると信じて来たのです。 どうか、お願いします!」 それから、神官のものらしき、くぐもった低い声が響いた。 が、そちらのほうは、何と返事したのか聞き取れなかった。 祭壇の前に病人が横たえられると、神官が、小さく祈りの言葉をつぶやきながら、次々とお灯明を燈していった。 だんだん数が増えていくお灯明の光で、礼拝堂の中が徐々に明るくなる。 薄明かりの中に浮かび上がったバルドーラ戦士の顔をなにげなく見上げて、エリダヌスは腰の抜けるほど驚いた。 ――― それは、レグルスだった。 こんな夜中に、レグルスさまが、なぜ、神殿に?! あり得ないこと、と、エリダヌスは我が目を疑い、思い悩むあまり頭がおかしくなったのではないかと自分を疑い、ぎゅっと目を閉じ震える声で何度も神の御名をつぶやき、それから、おそるおそる、目を開けた。 灯明の光に今や明るく浮かび上がった祭壇の前、死んだように横たわった戦士の顔を、苦悩の表情で見下ろしているのは、やはり、見間違えようもない、まばゆいレグルスの姿だった。
2011.04.03
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差し伸べたエリダヌスの手に、ドードーが、ぷい、とそっぽを向く。 「嫌っ! お祈りなんか行かない。 お祈りなんかしたって、神さまはシェルヴォやファーばかり可愛がって、俺の望みなんか、いっぺんも叶えてくれたことないもん!」 エリダヌスは苦笑してドードーの手を取り、優しく引っぱって立ち上がらせた。 「いいえ。 神さまはそんな不公平はなさいませんよ。 人は、ひとりひとり皆異なった運命を背負って生きているもの。 それぞれ顔が違うように、考え方が違い、能力が違い、器用さが違って当然ではありませんか。 それは不公平ではなくて、神さまが一人一人の運命に応じてお決めになった結果に過ぎないのです。 シェルヴォもファーもドードーも、みんな2本の手を持ち、2つの目を持ち、同じように努力し、練習を重ねているのに、シェルヴォだけ特別出世が早くて、ドードーは遅いのだとしたら、それは神さまのお決めになった定めでなくてなんでしょう。 だからこそ、私たちはお祈りをするんです」 ドードーが、エリダヌスに引っぱられてしぶしぶ歩き出す。 「だったらなぜ神さまはそんなおかしな定め方をなさるの? シェルヴォには包丁を持つような器用な手を下さって、ファーには火の番にふさわしい集中力を与えてくださったのなら、たとえば俺には、スープの味見ができるような、上等な舌を下さってもいいじゃないか」 「神さまの深遠なお考えは、私たちにはなかなか理解できないことですよ。 あるいは、あなたはスープの味見係になる定めではないのかもしれないし、あるいは、りんごの皮むきを先に習得せよとのご意向なのかもしれない。 いずれにせよ、それは私たちの理解を超えた領域ですから、私たちはただ、神さまのお心を信じ、祈り、どんな試練にも耐えるべく努力するだけですよ」 ドードーが、渋い顔つきで首を横に振った。 「俺にはわからないな。 こんな悲しい目にあっても、エリダヌスさまは、まだ、神さまを信じられるの?」 「もちろんですよ、ドードー! 今夜、あなたに会って、あなたのお話を聞いたら、ますます確信できました。 だって、同じ悩みを持ち、神さまの御業を疑いたくなる弱い私たちをこうしてここで出会わせてくださったのも、神さまではありませんか。 悩み、苦しんでいるのはおまえひとりだけではない、と教えてくださったのです。 それが証拠に、私はあなたに悩みのすべてを告白したら、すっかり気が楽になり、また明日から、新たな気持ちで修行を続けようといる、勇気が湧いてきましたよ。 ドードー、あなたもそうではないの?」 エリダヌスの顔を見上げて、ちょっと考え込んだドードーの顔に、少しずつ、明るい笑顔が戻ってきた。 「・・・そういえば、俺も、エリダヌスさまに思い切り自分の気持ちをぶつけたら、少し気が晴れた。 エリダヌスさまの信じる神さまだもの、俺も、もういちど神さまを信じて、明日からまたがんばって、ゴミ捨て係を続けながら、りんごの皮むきを練習しようかな、って。 そうしていれば、きっといつかは、俺にも幸せの順番が回ってくるよね!」 「そうですとも! 元気を出して、私たちにもその順番がなるべく早く回ってくるよう、神さまにお願いしましょう!」 こうして二人が、深夜の、時ならぬお祈りをすませて、礼拝堂を出ようとしたとき、突然、前方の玄関口をどんどんと激しく叩く音が響いて、直後、玄関脇の、夜勤番控室の窓に、ぱっと明るいオレンジ色の光が灯った。 そのとたん、ドードーが、文字通りその場でぴょんと飛び上がり、大慌てでエリダヌスの手をぐいぐい引っぱり、礼拝堂の一番隅のベンチの後ろに飛び込んだ。 わけのわからぬままに、エリダヌスもつられて、ベンチの陰に急いで身を隠す。 「なに? どうしたんですか、ドードー? なぜ隠れるの?」
2011.04.02
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ドードーのつらさが、痛いほどわかって、エリダヌスは思わず、ドードーのくしゃくしゃの頭をぎゅっと抱きしめた。 私もまた、人に置いてけぼりを食った無能な神官 ――― そんなふうにひがんではならない、と、頭ではわかっているのに、つい、神さまを、自分自身を恨みたくなる。 細かく震えるドードーの頭を抱きしめていたら、急に情けなさがこみ上げてきて、涙があふれてきた。 困惑したように目をそらして、もう一度初めからおさらいしましょう、と言ったプラターマ導師の、失望と哀れみの表情。 『諦めてはなりませんよ』と繰り返すフォーマルハウトの、空々しい慰めの言葉。 『あなたも早く私たちのところへ来てください』と言ったカノープスの、すっかり大人びて精悍になりつつある顔つき。 『この体の中に神さまの力が確かに宿っていくことが、嬉しくてなりません!』と叫んだスピカの、真っ赤に上気した頬。 さまざまのことが一気に頭を駆け巡り、悲しみはいっそうつのっていった。 エリダヌスはいつのまにか、ドードーのことも忘れ、ただ自分のために、声を上げて泣いていた。 ドードーが、しゃくりあげながら、エリダヌスの顔を見上げた。 「どうしたの、エリダヌスさま? 何か悲しいことがあったの?」 自分の悲しみに打ちひしがれ、泣きじゃくりながら、なお、エリダヌスの身まで案じ、思いやろうとする小さなドードーの優しさに、エリダヌスは思わず泣き笑いになって言った。 「ああ、ごめんなさい、ドードー、実は私も今、あなたと同じ悩みを抱いていたので、あなたのお話を聞いているうちに、つい身につまされて・・・」 ドードーが、赤く泣き腫らした目を、まんまるに見開いてエリダヌスを見上げた。 「まさか! エリダヌスさまが、俺と同じ悩みを持つなんて、うそでしょ?!」 「本当ですよ。 ドードー、実は私にはいまだに、法力が授からないのです。 一緒に旅してきたカノープスやスピカには、修行を始めたその日から御力が授かって、今も順調に歩を進めているというのに、私だけ、3つの呪法のうちのひとつもできないんです。 だから、つい、神さまに恨み言を述べたくなったり、自分がいやになったりする、あなたの気持ちはよくわかります。 私も、今、あなたと同じ気持ち」 ドードーは、目を見開いたままじっとエリダヌスを見つめ、それから、しょんぼりと肩を落としてつぶやいた。 「・・・神さまって、不公平だな」 そのドードーの顔を見下ろして、エリダヌスもまた、長い間押し黙っていたが、ほどなく、ついと顔を上げ、ゴムまりのようにぴょんと床から立ち上がると、ドードーに手を差し伸べた。 「ドードー、一緒に、お祈りに行きましょう!」
2011.04.01
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