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昭和二十年一月二十五日(木) 昨日、技術院総裁八木秀次博士、議会で答弁して言った。 ――最近、必死必中ということが言われるけれども、必死ではなくて、必中であるという兵器を生み出すことが、われわれ兼ての念願なのである。 が、これが十分に活躍する前に、戦局は必死必中の神風特攻隊を必要とすることに至ったことは、技術当局として誠に慚愧にたえず、申し訳ないことと考える。 この答弁は議会で非常な感激を生んだ。 泣いている者もあったという。 これは封建的なる愛国観(死ぬことを高調する道徳)に対するインテリの反撥の発露だ。 誰かが言ってくれればいいと考えていたところだ。 それを八木博士が言ったのだ。「暗黒日記」 清沢 冽 東洋経済新報社
2014年02月28日
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自己実現者は自己の本質や人間性、多くの社会生活、自然や物理的現実を哲学的に受容することによって、自動的に価値体系の確固たる基盤を身につけている。 これと同じ力が働いて、他の決定要素も同様に供給される。 その例としては (1)現実との独特の快適な関係 (2)共同社会感情 (3)付帯現象として、そこから種々の余剰物や富やあふれんばかりの豊かさなどの結果が流れ出るような基本的に満たされた状態 (4)手段と目的との関係を特徴的に識別すること などを挙げることができる。 世の中に対するこの態度の最も大きな社会的重要性の一つは、人生の多くの分野において、選択をめぐっての葛藤やもがき、両面感情や不確かさが減少したり消失したりすることである。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2014年02月27日
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スペインのセビーリャ大学教授ファン・ヒル氏は、「結局、尾崎は個人として。コミンテルンが掲げている世界共産主義革命を信じて行くしかなかったのです。 しかし、ゾルゲは、世界革命など夢想に過ぎないと、早くから気付いていました。 ですから次第にヨーロッパの空気が、ファシズムの脅威、第二次世界大戦勃発の危機が薄ぼんやりながら見終えてきたこの時期、ゾルゲはソヴィエト連邦を守るという、現実的な目標に自身を切り替えていきました。 つまり、ゾルゲは動乱の中に翻弄された中国民衆の姿に同情はしていても、彼の役割はあくまで祖国を守る智の戦士だったのです。 その為、スメドレーや尾崎と違って、中国、特に上海という都市はゾルゲにとっては情報収集の場所でしかなかった。」「赤い諜報員」 太田直樹 講談社
2014年02月25日
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イギリスの国力の経済的基礎は私的所有制にもとづく資本主義であるが、もう一つの基礎は軍事力にあった。 これも従来の国の統治の常識をくつがえすものであった。 近世の日本人は『大学』の教えにのっとって「修身・斉家・治国・平天下」、すなわち世界を平和にするためには治国を行ない、国を治めるには家をととのえ、修身を心がけ、修身の心がけには正意誠心をつくし、正意誠心をつくすには格物致知すなわち知識を積むことが肝要で、知識を得るためには物に格(いた)る、あるいは物を格(ただ)すことだという思想であった。 要するに勉強せよというのが、中国古典に学んだ近世日本人の常識的な統治の考え方であった。 勉強し立派な人物になってはじめて統治できるというのである。 これは徳治主義といえる。 そこに武力による統治が入ってくる余地はない。 ところがイギリスは武備を持っていた。 一家の財産を守るには「門戸の鎖鑰(さやく)を厳にして、盗窃を絶つべし」、同様に「全国の財産を防護するにおいては、軍備の壮なるにあらざれば、外遠を填いがたし」という理屈である。 国防のために常備軍を持つ。 軍事力の強化が文明国の形成と平仄を同じにしているのである。 徳よりも力が重要で、軍備を整え国民の財産を守る強国が文明である。 私的所有権の確立による富国化、軍事力の拡大による強国化、これが文明国イギリスの本質であるとの認識が、大久保利通の推進した殖産興業による富国強兵の国づくりのもとになったことは疑いない。 使節一行のイギリス観察を知れば、明治六年の政変以後の「内治派」の政策目標は手にとるようにわかる。『「美の文明」をつくる』 川勝平太 ちくま新書
2014年02月25日
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民衆を厄介払いするために、とヒユーブルが言った。まず民衆から記憶が取り上げられる。民衆の書物、文化、歴史などが破壊される。そしてだれか別の者が彼らのために別の本を書き、別の文化を与え、別の歴史を考え出してやる。やがて、民衆が現在の自分、過去の自分をゆっくり忘れ始める。まわりの世界はそれよりなお速くその民衆を忘れてしまう。 - しかし言語は?-なんでわれわれから言語を取り上げたりなんかするものか? それはもはや、いずれは自然死によって死んでゆくフォークロアでしかなくなるんだから「笑いと忘却の書」 ミラン・クンデラ 集英社
2014年02月24日
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昭和十九年七月二十九日(土) 無装化ケーブル、電波兵器の権威として知られる通信院工務局長・工博松前重義氏は、このほど一兵士として応召入隊した。 こうした例は無数にある。戦力増強の中枢人物を一兵士として召集する。世の中に思想ほど怖くないものはない。 それは、その人の納得なしでは入ってこないから。 これに反し暴力ほど怖いものはない。それは自分ではどうにもならないから。 昭和二十年一月一日(月) 昨夜から今晩堯にかけて、三回空襲警報鳴る。焼夷弾を落としたところもある。 配給の餅を喰って、おめでとうをいうと、やはり新年らしくなる。 曇天。 日本国民は、いま初めて戦争というものを体験している。 戦争は文化の母だとか、百年戦争だとか言って戦争を賛美してきたのは、ながいことだった。 僕が迫害されたのは、反戦主義という理由からであった。 戦争はそんなに遊山に行くようなものなのか。 それをいま彼等は味わっているのだ。 だが、それでも彼らが本当に戦争に懲りるかどうかは疑問だ。 結果はむしろ反対なのではないかと思う。 彼らは第一に戦争は不可避なものと考えている。 第二に彼らは戦争の英雄的であることに酔う。 第三に彼らは国際知識がない。 知識の欠乏は驚くべきものがある。 当分は戦争を嫌う気持ちが起ころうから、その間に正しい教育をしなくてはならぬ。 それから婦人の地位をあげることも必要だ。「暗黒日記」 清沢 冽 東洋経済新報社
2014年02月21日
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自己実現者は、自律的である。 すなわち、彼らは社会の規則というよりは、彼ら自身の法則というものによって支配されているということである。 彼らを過度に社会化された人々、ロボット化された人々、または民族的優越感をもった人々と比較すると、彼らは単に別の下位文化の中に生きている集団ではなく、むしろ文化に組み込まれることが少なく、また平均化されることも、型づけされることも少ない集団なのだ。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2014年02月20日
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(1941年12月8日)、この日、アメリカは12月7日だったが、講演のため軍港の町サンディエゴに滞在中のアグネス・スメドレーはホテルの部屋のラジオで、この衝撃的なニュースを聞いた。 だが聞いた瞬間、スネドレーは、「私が言った通り、ジョンソン(ゾルゲ)と尾崎が日本の矛先をソ連から真珠湾に向けさせたに違いない。彼らもヤルわね」と呟いてからニヤリとした。 実は前年の秋のことだが、スメドレーが延安から一旦上海に戻った時、丁度コミンテルンの国際連絡部オムスに来ていたゾルゲと会っていた。その時スメドレーは、「いずれアメリカと日本が衝突するのは眼に見えているは。といっても海軍の作戦は二カ月や三カ月で準備できる訳ではないから、機会を見て、早めにオザキからコノエ総理に、南進の方向に向かわせるのよ」と、ゾルゲに進言していたのである。 ――そして律儀なオザキは、ジョンソンの言った通りに動いたんだわ――そう思うとスメドレーは嬉しさが込み上げてきたが、一つ誤算があった。 「南進」の前提として、日本海軍機動部隊が、ハワイを攻撃するとは、夢にも思っていなかったのである。 いやもう一つ誤算があった。 この時、彼女は、東京のゾルゲと尾崎、川合の運命に何が起きているか、まったく知らなかったのである。「赤い諜報員」 太田直樹 講談社
2014年02月19日
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第二次大戦のずっと以前から、権威ある観察者で、シナ大陸における日本の利益を覆し、またシナにおける外国政府の地位を毀損する傾向をますます強めていた政策の適否を疑問視していたものがいたのである。 我々の最も消息通の職業外交官の一人であったジョン・V・A・マックマレー氏は、引退されてから数年になるが、一九三五年に極めて思索的で予言的な覚書を書いた。 その中で、もしわれわれが現にとりつつある方向にこのまま進んでいくならば、日本と戦争が起こるであろうと指摘した後、彼は、かかる戦争においてわれわれの目的を徹底的に貫徹したにしても、それはロシアにうまい汁を吸われるだけであり、山ほどの新しい問題をつくるだけであると述べた。 今日我々が当面している朝鮮の情勢を見るならば、これらの言葉に付け加えて論評する必要はない。 アジアにおける我々の過去の目標は、今日表面的には殆ど達成されたということは皮肉な事実である。 遂に日本はシナ本土からも、満州及び朝鮮からも駆逐された。 これらの地域から日本を駆逐した結果は、正に賢明にして現実的な人々が、終始我々に警告した通りのこととなった。 今日我々は、殆ど半世紀にわたって朝鮮及び満州方面で日本が直面し、かつ担ってきた問題と責任とを引継いだのである。 もしそれが他国によって引受けられたならば、我々として軽蔑したような重荷を負って、現に我々が苦痛を感じているのは、確かに意地の悪い天の配剤である。「アメリカ外交五十年」 G・ケナン 岩波現代叢書
2014年02月18日
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イギリスの支配者階級は基本的に物持ちである。経済的自立が彼等の自由の基礎である。 一方、武士は支配者階級として学問を修めて経世済民の才能を磨いたが、物の所有については恬淡としているのが建前であった。 武士の仕事は「経世済民」すなわち藩国家の「経営」である。 所有と経営という観点からすれば、武士は藩という大企業の「経営」に腐心したが、経営によって自分の所有欲を拡大することに関心はなかった、いや物欲を卑しんだとさえいえる。 士風の体現者というべき西郷南洲が「子孫のために美田を買わず」と言明しているのはその一例である。 それに対してイギリスでは、所有が基礎にある。長いタイム・スパンで見ると、欧米では所有から経営が分離し、二〇世紀になって「所有と経営の分離」すなわち経営の重要性が認識されていく。 だが日本では、所有と経営が分離していた。 イギリスの生んだ経済学の父アダム・スミスの『国富論』には、資本家は出てきても経営者は出てこない。 当時のイギリスでは、経営は所有の中に埋もれていたのである。 経営が所有から分離し、「経営者」「企業者」の重要性に気づかされるのは、一九世紀末に株式会社が勃興して、経営者・企業者に経営を任せるようになってからである。 日本では経営が江戸時代に分離していた。 近世の武士は経営(経世済民)の資質を求められ、物については「武士は食わねど高楊枝」と揶揄されるように、むしろ持たざる自由をもっていた。 西洋社会においてやがて重要視される「経営の自立」は、日本ではすでに達成されていたのである。 十分な資本蓄積がなくても明治期に日本が急速な経済発展ができたのは、なけなしの資本を活用する経営能力の蓄積があったからである。『「美の文明」をつくる』 川勝平太 ちくま新書
2014年02月17日
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自己実現者は、文化から超越しているという内面の感情は必ずしも意識されてはいないが、ほとんどすべての人に見られることである。 文化のなかから自分たちの考えでよいと思ったものを選び出し、悪いと思ったものを拒絶している。 一言でいえば、善し悪しを自分自身で決定するのである。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版
2014年02月14日
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昭和十九年二月十三日(日) ウォルター・リップマンの米国外交史を読む。日本とドイツを強国より抹殺し、米、英、ソ、支が戦後世界秩序の責任者たるべきことなどを説いている。結局、地域主義を主張することになるが、果してアメリカが従来の孤立主義に閉じこもっていられるかどうか。[略] 三月十七日(金) 日本は、その地理的条件からバランス・オブ・パワーの上に立たねばならぬ。英国が大陸に対してとったように、アジア大陸に対しては、そこに必然に起こる列強の衝突に対処して、勢力均衡政策をとることが賢明である。自ら大陸の一つにならんとしたところに、日本の失敗があった。[略] 三月十九日(日) 積雪五寸に近し。瞭の話―――吉田大尉の話では、勅使が第一線に行って、日ソ戦争をしないように、先方が乱暴しても当方では忍耐するようにと説いたそうだ。[略] 七月二十四日(月) 小磯(国昭)は二・二六事件の黒幕であり、有名な南進論者だ。昭和十五年八月、近衛内閣に蘭印特派の交渉を受け、小磯も一挙に南方問題を解決先としたが、時の政府の容れるところとならず、小林商相が変わって特派された。当時、松岡外相は「鬼の面をオカメの面に変えただけだ」と説明している。小磯とは、こうした男である。ただ問題は、その後少し利口になったかどうか。「暗黒日記」 清沢 冽 東洋経済新報社
2014年02月13日
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これまでの近代を支えてきたのは、行動の自由主義を重視し、単純な具体的形態を中心とした、いわば性急な、私流にいえば「単相的な」自由主義であった。 これを近代的進歩主義といってもいい。 その代わりに提唱したいのは、いわば「多相的な」自由主義だが、いずれにせよ、この思想の転換をどう乗り切れるかが問われる時代になってきている。 各国は各様に、この課題に取り組まなければならないが、例えばアメリカには、近代進歩主義を古典化・正当化しようとする危険があり、日本には多相性(共生?)を口実として思想の脊椎を失ってしまう危険がある。「反古典の政治経済学要綱」 村上泰亮 中央公論社
2014年02月12日
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産業革命以降の諸社会は、それ以前の諸社会に比べ、より頻繁に、そして必然的にそうした一連の因襲(コンベンション)ないし日常慣例(ルティーン)の新たなネットワークを創り出し、制度化し、そして発展させざるを得なかった。 そうしたものが習慣や自動的手順、さらには反射的行動へと移行したとき、最もよく機能するには、それらが不変であることが要求され、それは慣行のもう一つの必要条件として、予見不可能な、ないし宿っている偶然性を取り扱うことを可能としよう。 これはよく知られた日常化、ないし官僚化の弱点であり、特に決まりきった遂行が一般的に最も効果的であると考えられる下位レベルにおいて顕著である。 こうした因襲と日常慣例のネットワークは「創りだされた伝統」ではない。 というのは、そうしたものの機能や、従って正当化が、観念的というよりは技術的だからである(マルクス主義の用語では[上部構造]というよりは[土台]に属する)。 それらは、既に定義可能な実際的操作を促進するように考案され、また変化する現実の必要性に対応するために簡単に変形されたり、廃棄されたりたりするものであり、慣行がときの経緯とともに獲得する慣性と、革新に関わるようになってきた人々による感情的抵抗の余地を常に残している。「創られた伝統」 E・ホブズボウム 紀伊國屋書店
2014年02月10日
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時間軸でとらえられた文明のモデルになったイギリスはどのような国か。 イギリスの国力の本質について二つあげられている。 一つは「私的所有権」である。もう一つは「軍事立国」である。 まず私的所有権については、マルクスは明治維新の前年の六六七年に『資本論』第一巻を公刊した。 それはイギリス社会をモデルとして分析したもので、「資本主義社会の本質は私有財産制にある」と喝破していた。 当時、マルクスは大英図書館で『資本論』第二、第三巻のノートをとりまとめていたが、同時期にイギリスに入った使節団も、イギリスの経済発展の基礎に私的所有権の原理があると洞察している。 イギリス人は Law and Order(法秩序)を重んじる国柄である。 使節一行はその国柄を評価しつつ、その中味について彼我の相違を対照させながら、私有財産制というイギリス社会の本質を見事に把握した。『「美の文明」をつくる』 川勝平太 ちくま新書
2014年02月07日
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自己実現者は、習慣に従うことがあまりにやっかいなことであったり、高価なものにつく時にはマントのように簡単にぬぎ捨てる。 これは青年期に見られるような過激な権威に対する反抗者と呼ぶことはできない。 彼らはしばしば、不正に対して憤りを爆発させはするが、文化に対しては実際にいらだちを示したり、または絶え間なく、慢性的に、長期間にわたって不満を示したり、あるいはそれらを急激に変革させようと夢中になることはない。 文化の進歩に関する穏やかな長年にわたる関心、いうまでもなく望ましい方向に変化しつつある、その変化の緩慢さを是認し、その必要性を認めている。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2014年02月06日
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方向づけられた思考のもっとも重要な担い手として、言語は、自発的に流れ出すイメージを禁圧する特別なトリックをもっている。 ひとたび言語ができあがると、語句は、なるほど事件やイメージを意識のなかに喚びおこすかもしれない。 しかし語句が積極的に機能するとき、それはまた、方向づけられた思考の多忙で、有効な担い手として、自己誘導の催眠状態にストッブをかける。 この事実は、不眠症の経験のあるびとたちには、よく知られている。 もし原始人が最初は自己自身の過剰なイメージ造出能力の神経症的犠牲者に近かったとすれば、言語の発明と洗練は、原始人をイメージの圧倒から防ぐ、有力な禁圧機関として作用したであろう。 無意識界から噴出する白発的イメージを、意識的過程に属するコトバ記号で置き換える方法により、人間は、自分の全生活をいっそう大きい制御の下におけるようになったであろう。 原始的思考の多くは、まだ夢うつつで、子供じみて、呪術風でありつづけているであろう。 しかし、コトバの本性そのものにより、思考それ自身は、中心志向の方向をとってくる。 時がたてば、無意識界からの離陸そのものによって、思考は合理的、知性的、実際的領域を拡げるのに役立つであろう。「人間-過去・現在・未来」 L・マンフォード 岩波新書
2014年02月05日
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昭和十九年一月二日 夜、土屋計左右氏(第一ホテル社長)のところで、東郷安(男爵・貴族院議員)犬養健の四人で話す。犬養氏は例の尾崎秀実事件で告発され、無罪になったのである。犬養氏の話――― かつて近衛内閣のとき、一週間に一回、官邸で話をする会があった。 風見章は司法大臣をやっていたので、支那問題は自然、尾崎が中心になった。 犬養君などが近衛に話すと、尾崎君に言っておいてくれといった調子だった。 そのグループのうち尾崎君が一番穏健だった。 西園寺公(故西園寺公の孫・近衛内閣嘱託)は対米交渉に興味をもっていた。 近衛メッセージのドラフトが西園寺の家から出たりして、それが訴訟に不利だった。[中略] 支那との交渉に役人はキチンと証書みたいにしないと承知しない。 それでは支那側では呑まない。 日支交渉で一番有望なときは、トラウトマンの仲介の頃であった。 蒋介石は英雄として死にたいと考えている。「暗黒日記」 清沢 冽 東洋経済新報社
2014年02月04日
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ざっと見渡したところ、人間の幸福の二つの敵は苦しみと退屈だということは明らかである。 これにつけ加えて注目すべきなのは、われわれが二つの敵のいっぼうから遠ざかることに成功すると、もう一つの敵に近づいてゆく、その逆の場合も正しいということだ。 したがってわれわれの生活は、この両者の間を強さ弱さのちがいはあれ振動している状態にほかならない。 なぜこんなことになるのかというと、二つの敵はたがいにいっぽうが外的あるいは客観的ならば、他方は内的あるいは主観的であるという二重の対立抗争のからみあいになっているからだ。 外的には災いと欠乏が苦痛を生み、それに反し、安全と豊かさが退屈をもたらす。「孤独と人生」 ショーペンハウアー 白水社
2014年02月03日
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