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メタポンティオンのヒッパソス (Hippasus, ギリシア語: Ίππασος)は、 マグナ・グラエキアに住んだ、 紀元前500年頃の古代ギリシャの数学の研究者です。 彼は古代ギリシャにおいて随一の 数学の研究機関だったピタゴラス教団のメンバーでした。 ピタゴラスは、 宇宙の万物は数から成り立つこと、 そして宇宙を構成する数は、 調和した比を保っていると信じていました。 ヒッパソスは正方形の研究をしているうち、 その辺と対角線の長さの比は 整数でも分数でも表せない未知の数、 すなわち無理数であることを発見したのです。 ピタゴラスと教団は教義の反証であるこの発見に動揺し、 教団の教義に反する無理数の研究に手を出した 発見者のヒッパソスを、 不都合な事実を隠すため、処刑しました。 ピタゴラス教団は、 規律違反者は船上から海に突き落として 処刑する掟だったので、 ヒッパソスは教団によってイオニア海に突き落とされ、 現在でもそこに眠っているのです。
2020年11月30日
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物質の性質についても タレス、アナクシマンドロス、アナクシマンドロスの 3人の哲学者には意見の相違がありました。 それぞれが異なる見方を持っていたのです。 タレスは地球が水の上に浮いていると考え、 また特定の天体の運動に注目し、 それらを惑星と呼びました。 一方、アナクシマンドロスは、 地球は宇宙の中心にあり、 宇宙は中空の同心円の車輪で、 その外側は火に満たされ、 さまざまな間隔で穿たれた穴から見える その明かりが太陽や月だとしました。 アナクシマンドロスは、 太陽や月は、 星々で充たされた天空の覆いの回りにある、 平たい円盤であると考えました。
2020年11月27日
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アルケーは、 物活論(ヒュロゾイズム)と呼ばれる思考です。 たとえば、 タレスは万物の根源は「水」だと考えました。 しかし、 それでは「火」などの 説明のつかないものがあったので、 アナクシマンドロスは万物の根源は、 観察不可能で限定できないものだと言い、 それをアペイロン(ギリシャ語:ἀπείρονapeiron) と名付けました。 伝統的な四大元素(水、空気、火、土)は、 それぞれが他の3つと対立し、 ぶつかり合った時には相殺し合うから、 どれ一つとして物質を構成するだけの 安定性を持っていない。 従って、それらとは別に、 それこそ真の万物の根源たる 存在があるに違いない、 といのうがアナクシマンドロスの考えでした。 アペイロンの概念は批評家たちを動揺させ、 アナクシメネスは、万物の根源は、 濃縮にも希薄にもなれる要素「空気」だ と定義しました。 空気は蒸発や結露によって、 火、雲、水、土のような 他の要素に変化しうるというのです。 アナクシメネスのアペイロンは、 現代でいうエネルギーに似ています。
2020年11月26日
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ヘラクレイトス(BC540頃-BC480頃)は 「万物は流転する」(パンタ・レイ) という言葉を残しています。 プラトンがヘラクレイトスの言葉 として書き残しています。 「アルケーは水だとか火だとか数字だ とか言っていますが、 万物は流転するのです。 どんどん変化していくのです」 それが、へラクレイトスの思想でした。 「ゆく河の流れは絶えずして、 しかももとの水にあらず。」 と鴨長明が書いた発想も、同じです。 もっともへラクレイトスは、 変化と闘争を万物の根源とみなし、 その象徴を火としました。 ここには近世になってドイツの哲学者、 ヘーゲル(1770-1831)が提唱した、 正反合の弁証法の理論 につながっていく発想がすでに芽生えています。
2020年11月25日
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プラトンに多大な影響を与えた アカデメイアの数学者に、 アテネのテアイテトスがいます。 プラトンの四元素理論の基礎となった、 「この五種類以外に凸面の正多面体は存在しない」 という証明もテアイテトスだったとされています。 しかし、『原論』は 凸面の正多面体には五種類しかないことを 実際には証明していません。 「原論は、正多面体の 「各面の辺の数と、 各頂点に接する面の数との組み合わせには 五種類しかない」ことは証明していますが、 「各々の組み合わせについて 可能な凸正多面体は一つしかない」ことを 証明してはいません。
2020年11月24日
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紀元前四世紀の最も偉大な ギリシャ人数学者はおそらく、 アルキタスの弟子にしてプラトンと同時代人の クニドスのエウドクソスでしょう。 生涯の大半を 小アジア沿岸の都市クニドスで送りましたが、 プラトンのアカデメイアで学び、 その後そこで教えました。 天文学者としては、 地球球体説を採用し、 また地球を中心に他の天体がその周りを回る 天動説の立場に立ちました。 彼によると、 他の星々は各々個別の透明な球にはりついており、 その球は地球を中心に速さをかえることなく 回転しつづける(同心球モデル)。 これによって、惑星の逆行を 大雑把に説明することに成功しましたが、 定量的な予測には至りませんでした。
2020年11月20日
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純粋数学重視の伝統は、 プラトンの学園、 アカデメイアに受け継がれました。 アカデメイアの入り口には、 「幾何学を知らざる者は入るべからず」 という銘文が掲げられていた と言われています。 プラトン自身は 数学者ではありませんでしたが、 数学に情熱を注いでいました。 それは一つには、 シラクサの僭主ディオニシオス二世の家庭教師として シチリア島を訪れた際、 ピタゴラス学派のアルキタスと 出会ったせいだったかもしれません。 アルキタスはマグナグラシアのターレス (現在のイタリア、ターラント)に生まれました。 フィロラオス(ピロラオス)の下でしばらく学んだ後、 数学教師になり、 クニドスのエウドクソスを教えました。 アルキタスはピュタゴラス教団の科学者で 数学を機械学に初めて応用した人物で、 プラトンの良き友人でした。
2020年11月19日
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幾何学は、 もっともひろく知られている 古代の数学者エウクレイデス (紀元前三世紀の前半、英語ではユークリッド) によって、 アレクサンドリアで体系化されました。 かれの『幾何学諸原理』は、 論証的学問としての数学の地位を確立した 古代ギリシア数学を代表する名著です。 しかし、 これは独創的なものではなかったようです。 プラトンの学園アカデメイアで知られていた 数学の成果を集めて体系化した本 と考えられています。 かれはひろく散在した資料から 命題と証明とをよせ集め、 それらを順序正しく教科書風にして 発表したのです。
2020年11月18日
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エウクレイデス(ユークリッドのこと)の 『原論』第十巻に、 ピタゴラスの定理の証明が掲載されています。 エウクレイデスよりも前に、 アリストテレスも『分析論前書』で、 背理法の一例としてこれに言及して 「面積が2、3、5……平方尺の正方形の辺は、 1平方尺の正方形の辺と同じ単位の尺度では 計りきれない」と言ったのですが、 出典は明らかにしていません。 これを発見したのは、 ピタゴラス学派のヒッパソス (おそらくは南イタリアのメタボントゥムの人)です。 ヒッパソスはこの発見を外部に漏らしたため ピタゴラス学派によって追放あるいは殺害されました。 古代ギリシャ人は有理数以外の概念を持ちませんでした。 したがって、彼らにとって、 2の平方根といった数量は 幾何学上の意味しか持ちませんでした。 この制約が算術の発達を妨げることとなりました。
2020年11月17日
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ピタゴラス学派が 大きな業績を残した分野は、 物理学よりもむしろ純粋数学でした。 「直角三角形の斜辺を一辺とする正方形の面積は、 他の二辺を一辺とする二つの正方形の 面積の和に等しい」 というピタゴラスの定理は、 誰もが知っています。 斜辺の長さを c, 他の2辺の長さを a, b とすると、 c²=a²+b²が成り立つという 等式の形で述べられるピタゴラスの定理は、 「幾何学的作図には、 整数比で表せない長さが 含まれることがあり得る」という、 もう一つの偉大な発見に直結しました。 直角二等辺三角形の、 直角をはさむ二辺の長さが どちらも1(単位は何でもいい)であるとき、 この二辺が作る正方形の面積の和は1²+1²=2です。 よって、 ピタゴラスの定理に従って、 斜辺の長さはその平方(二乗)が 2となる数でなければなりません。 しかし、 その平方が2となる数を 整数比で表すことはできないのです。
2020年11月16日
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二本の弦の長さが 小さな整数比で表せない場合 (たとえば、100,000対314,159のような)や、 あるいはそもそも整数比で表せないような場合は、 その和音は耳障りな不快な響きになります。 これには二つの理由があり、 二本の弦を同時に弾くことによって生じる音の周波数と、 各々の弦によって生み出される倍音の調和が 関わっているのですが、 ピタゴラス学派は そんなことはまったく理解していませんでした (彼らに限らず、 十七世紀にフランスの神学者マラン・メルセンヌによって 音律理論が確立されるまで、誰も理解していません)。 アリストテレスによれば、 ピタゴラス学派は「天空全体を音階だと考えていた」そうで、 この見解は後世にも強い影響を与えました。 たとえば、キケロは『国家論』の中で、 ローマの偉大な将軍スキピオ・アフリカヌスの幽霊が 孫に天空の音楽を聞かせたという物語を紹介しています。
2020年11月13日
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紀元前6世紀・ギリシャ時代に、 「三平方の定理」で有名なピタゴラスは 数学・物理学として音楽を研究しました。 ピタゴラス音律のたった1つの原則が 「3倍音」です。 手作り一弦琴で、 弦の長さが半分になる位置に 竹串を置いて弾くと、 元の音の1オクターブ上の音が出る。 次に、1/3の位置に串を置くと、 最初の音(開放弦)がドとするとソの音が出る。 振動数は開放弦の3倍になっている。 この3倍波と基本波を同時に聞くと 協和していて心地がよいのです。 ピタゴラスはこの3倍音と、 2と3という素数を用い、 12音からなる音律 「ピタゴラス音律」を作ったのです。
2020年11月12日
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彼は楽器を使って音の研究をしました。 ピタゴラスは、弦楽器を演奏する際、 同じ太さ、同じ組成、同じ張力の 二本の弦を同時に弾いた場合、 その和音が心地よく響くのは二本の弦の長さが 小さな整数比で表せるときだ ということに気づきました。 最も単純なのが、 一方の弦の長さが他方のちょうど半分の場合です。 現代の用語を使えば、 「この二本の弦の音は、 一オクターブ違いの同じ音」です。 一方の弦の長さが他方の三分の二である場合、 この二音は「五度の和音」を形成し 特に心地よい和音です。 一方の弦の長さが他方の四分の三である場合には、 その二音は「四度の」心地よい和音を生み出します。 ピタゴラスが 1オクターブを構成する12音(音律)を決めた 実験は単純で、 私たちも簡単に再現することができます。 もちろん、音楽や楽器の進化とともに 音律は変化をくり返してきました。 しかし、根本のアイデアは ピタゴラスから変わることなく生き続けています。 世界のあらゆる名曲が ピタゴラスのおかげで誕生したのかもしれません。
2020年11月11日
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科学史にとって重要な点は、 ピタゴラス学派が数学にも 熱心に取り組んでいたことです。 アリストテレスは『形而上学』で、 「ピタゴラスの徒と呼ばれる人々は 数学に没頭していた。 この学問を最初に進歩させたのは彼らである。 そして、数学の中で育った彼らは、 数学の原理こそ万物の原理であると考えた」 と述べています。 ピタゴラスは幼い頃、 早熟で知的冒険心があり、 自然、人生、哲学、宗教、そしで数学に 興味を示しました。 若い頃にはさまざまな場所へ旅をし、 エジプトでは神殿の神官に会い、 彼らの宗教、世界に関する知識、 そして数学を学びました。 メソポタミアでは天文学者のもとを訪れて、 天体の観測方法を学び、 彼らの数学的および科学的手法を 身につけました。 数学に対するピタゴラスの情熱は、 音楽に関するある観察結果 から生まれたものだったかもしれません。
2020年11月10日
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ピタゴラス学派が 算術の手法を用いて最初に研究した現象は、 音楽だったかもしれません。 その研究は、 ピタゴラスの信奉者たちによっておこなわれました。 ピタゴラスは紀元前五三〇年頃、 南イタリアのギリシャ植民都市クロトンに移住し、 その地で、彼はピタゴラス学派という 教団(カルト)の開祖となりました。 「教団」と言うと奇異に感じられるかもしれませんが、 彼らは実際「教団」と呼ばれるに相応(ふさわ)しい 集団でした。 初期のピタゴラス教団の人々は 著作を残しませんでしたが、 他の著作家によって語られたところによれば、 ピタゴラス教団は魂の転生を信じていました。 また、彼らは白いローブをまとい、 豆を食べることを禁じていました (形状が胎児に似ているため)。 彼らはクロトンを支配して一種の神権政治をおこない、 紀元前五一〇年、隣国シバリスを破壊しました。
2020年11月09日
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ピタゴラス(BC582-BC496)は 自然哲学者ではありませんが、 後世に大きな影響を与えた偉大な哲学者です。 彼はタレスと同じくイオニア地方の出身ですが、 青年期に学問のため、 古代オリエントの地を遍歴しました。 諸国を遊学した後、故里に戻ってきますが、 やがてイタリア半島の南部にあった ギリシャの植民都市クロトンに移住し、 その地でピタゴラス教団を創設します。 クロトンは現在のクロトーネです。 ピタゴラスとその教団は、 数学的な原理を基礎にして 宇宙の原理を確立することを目指しました。 彼は万物の根源は数であると考えたのです。 これもまた鋭い発想です。 コンピュータの原理はすべて 0か1の数字です。 ピタゴラス教団の才能ある数学者たちは、 数々の現代に残る数学の定理を発見しました。 またピタゴラスは 一絃琴(いちげんきん)を用いて、 音程の法則を発見しています。
2020年11月06日
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すでに紀元前六世紀頃には、 現在のトルコの西海岸には おもにイオニア方言を話す ギリシャ黒人が植民していました。 これらイオニア諸都市の中で 最も富裕で強大だったのは、 メアンドロス川がエーゲ海に注ぐ 天然の良港に築かれたミレトスでした。 このミレトスで、 紀元前五世紀のソクラテスの時代より 一世紀以上前から、 ギリシャ黒人は 「世界をかたちづくる基本的物質とは何か」 について思索し始めました。 ミレトス学派の哲学者たちは、 宇宙を形成し、 あらゆる生命の源である万物の根源、 つまりアルケー(ギリシャ語:wikt:ἀρχήarkhē) で自然を定義しようとしました。 自然哲学(羅:philosophia naturalis)は、 自然の事象や生起についての 体系的理解および理論的考察の総称で、 自然を総合的・統一的に解釈し 説明しようとする形而上学です。 しかし当時は、 客観的に概念を検証するという態度は、 ほとんど存在しませんでした。 その意味で、 イオニアは哲学誕生の地であっても、 科学誕生の場所ではないのです。 実際、客観的に概念を検証できない という問題が、プラトンによる、 神秘性を許容する、より宗教的哲学の誕生を 許すことになるのです。
2020年11月05日
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タレスはたいへん多才な人物でしたが、 エピソードもたくさん残した 魅力的な人物でした。 あるとき、 学問をいくらやっても 人生の役には立たないじゃないかと、 笑われたことがありました。 すると天文学に通じていたタレスは、 ある年、星座の運行が オリーブの豊作を告げていることを知ると、 オリーブの花が咲く前に、 近在の村里から オリーブの実を搾(しぼ)って油を採る 圧搾機(あっさくき)を、 全部買い占めてしまったのです。 そしてオリーブの実が大豊作になったとき、 みんながタレスに圧搾機を借りにきたために、 彼は大儲けをしました。 学問がお金儲けにも役立つことを、 自ら証明したわけです。 「アルケー(「万物の根源」)は水だ」 というタレスの学説に刺激されて、 実にさまざまなアルケー論が登場してきます。 つまり、タレスは哲学史上で 極めて重要な位置を占めているのですが、 それと言うのも、彼が いくつかの問題に答えを見出したからと言うよりも、 これらの問題そのものを提起しようとしたからなのです。 あらゆる神秘の解決を もはや神に帰するようなことはしないで、 自分の周囲を観察し、精一杯熟考することこそ、 宇宙の解釈へ向けて アフリカの思考が歩み出すスタートだったのです。
2020年11月04日
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「詩人」という語の意味を、 明らかにしておく必要があります。 狭義の詩とは、 韻律や脚韻、頭韻といった 言語的装置を使用する文体です。 この狭い意味では、 クセノファネスやパルメニデスや エンペドクルスらの著作は、 すべて詩と言えます。 紀元前十二世紀にドーリア人が侵入して ミュケナイ青銅器文明が崩壊したのち、 ギリシャ人の大半が 読み書きをできないという時代が続きました。 文字を持たない民族にとって、 詩は後世に情報を伝えるための唯一の手段です。 詩は暗唱という方法で記憶されるからです。 ギリシャ人の識字能力は 紀元前七〇〇年頃に回復しましたが、 フェニキア人から借用した新しい文字を使って 最初にホメロスとへシオドスが書いたのは、 ギリシャの暗黒時代に 連綿と歌い継がれてきた詩でした。 散文が書かれるようになったのは、そのあとです。 アナクシマンドロスやヘラクレイトスや デモクリトスといった、 初期のギリシャ哲学者たちの書いた散文も 詩的な文体を採用しました。 「デモクリトスは大方の詩人よりも詩的だった」 とローマの政治家・文筆家キケロは述べています。 プラトンも散文で書いたし、 『国家』の中で詩をこきおろしていますが、 若い頃、詩人を志したことがあったので、 彼の格調高い詩的な文体は 古今広く賞賛されてきました。
2020年11月02日
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