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青銅器時代の文明では、 初期の記録の絵画記号が 単純化されて表意文字のかたちをとり、 絵では示せないようなことがらも 自由自在に表現されました。 こういう文字は今でも中国にあって、 その表意文字の数は、 言語の発展とともに増加しました。 シュメールでは、表意文字が、 描写される事物だけでなく その名称の音(おん)までもあらわせるようにして 符号の数を減らしました。 こうして、表意文字の組合せは合成語、 すなわち熟語をあらわすようになり、 たくさんの符号を不必要にしました。 シュメール人の最古の記録では 約二〇〇〇の符号が使われましたが、 紀元前二五〇〇年までには、 その数は約六〇〇に切りつめられました。 同時に、それらの符号はさらに単純化され、 結局、楔形の印の組合せとなり、 楔形文学がうまれました。 北方のセム系のアッカド人は、 その言語を、発音どおりに楔形文字に転写しました。 この表現方法は、ギリシア人の時代にいたるまで、 メソポタミアに支配権を確立した あらゆる民族によって模倣されていたのです。
2020年03月31日
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いまだ石器段階にあった周辺民族は 青銅や車輪づきの車を使うようになった シュメール人に手が出せなくなり、 それならば、 こちらも青銅で武装せねばなりません。 こうして、青銅器や車輪づきの車は、 たちまちオリエント全体に拡がっていき、 各地に都市国家が建設されていくことになります。 都市国家は特産物を生産し、その余剰物資を輸出し、 不足物資を輸入する交易が盛んとなりましたが、 そうなると今度は、 急速に複雑化していく経済に 社会が対応できなくなってきます。 農産物・税・貿易品目の管理を 円滑に運営していくためには、 従来からの“記憶”に頼るのは限界があり、 これを“記録”しておく必要性が生まれました。 こうして記録のための「文字」が普及していきます。 すでにシュメールでは前時代に 絵文字(ウルク古拙文字)が発明されていましたが、 これを簡略化して楔形(せつけい)文字 (当時、文字は粘土板にヘラを押し付けて書きましたが、 その形が「楔(くさび)」の形をしていたため、 そう名付けられました。)が、 エジプトでは神聖文字(ヒエログリフ)が発明されます。 こうしてヒトは歴史を記録することが可能となり、 これ以前を「先史」、これ以降を「有史」と呼んで 区別するようになりました。
2020年03月30日
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最初の中東文明における工芸技術は、 それ以前の新石器時代の地域社会における工芸技術よりも、 きわだって進歩していました。 紀元前第四千年紀代に、 チグリス・ユーフラテス河流域のシュメール人は、 新たに発見した鋤を動かすのに家畜を利用し、 新石器時代人の小区劃耕作から 大規模な田地農業へ移行しました。 かれらは、動物にひっぱらせる車輪づきの車を組み立て、 船を建造し、陶器の製造にロクロを使いました。 かれらは、紀元前三〇〇〇年ころまでに、 すでに、青銅器時代における 冶金術の最高技術を獲得していました。 かれらは、ある鉱石が火中で還元されると銅ができること、 銅は熔錬してさまざまな形に鋳造できること、 また、銅は錫と合金をつくって いっそう固くて熔けやすい青銅になることを知っていました。 エジプト人の工芸技術もこれに似たものでしたが、 エジプト人は紀元前一七五〇年ころの異民族ヒクソス人の侵入後に、 ようやく青銅や車輪づきの車を使うようになったのです。
2020年03月27日
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シュメール人は農耕に従事するようになると、 潅漑を始めたばかりか、 犂耕(りこう)を導入することで 飛躍的に生産性を高めることに成功します。 すると、 さらに多くの人が集まって住むようになり、 村から邑 (村と都市の中間的存在: 周囲を城壁や濠で囲んだ集落のこと)へ、 そして紀元前4000~3000年までの1000年間の後半ごろから 小規模ながら都市が生まれてきます。 多くの人が集住するようになれば、 さまざまな問題が発生しますので、 それらを解決するためにさまざまなものが 発明、導入されるようになります。 穀物の保管・輸送のために彩文土器が作られ、 穀物の管理・売買の記録のために絵文字 (ウルク古拙文字:これが簡略化されて、 紀元前3000年ごろに「横形文字」へと 発展することになります)の使用が始まり、 文明の萌芽が始まりました。 急速に文明度を高めていく中、 「銅」「錫」など金属の精製にも成功します。 ただ、銅も錫も金属としては軟らかすぎて 実用性に乏しかったため、 ただちにこれらの金属器が 石器に取って代わったわけではなく、 依然として石器も使用しつづけたため、 この時代はいわゆる所謂 「金石併用時代」と呼ばれるようになりました。
2020年03月26日
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われわれヒトは“言葉(language)"をもっています。 世界中のどのような地域に生存し生活する民族・集団も それぞれ言語(language)を所有し、 歴史上のどのような時期に存在した文化も それぞれ言語をもっていたといえます。 そして、それぞれの言語は長い時間をかけ 自然に発生し 自然に発達し 自然に変化してきたのです。 言語体系は大きく3つに分かれ、 アジア大陸北部に「膠着語」、 ヨーロッパから南アジアにかけて「屈折語」、 東アジアに「孤立語」が分布しています。 この3つの言語体系は、 それぞれ格変化を表す方法に大きな違いがあります。 ・膠着語:単語(私)に助詞(は/に/を)などを付けて表す。 日本語など。 ・屈折語:単語そのものを変化(I/my/me)させて表す。 独逸語など。 ・孤立語:単語(我)に助詞も付けず変化もさせず語順で表す。 中国語など。 シュメール人は自らを「黒頭(黒髪:ウンサンギガ)」と自称し、 西アジアの屈折語とはまったく違う言語形態の 膠着語(こうちやく)を話しました。 『創世記』では 「東(ザグロス山脈方面)からやってきた人々」 と呼ばれていることから、 シュメール人は 日本人ではないかとも推測されています。
2020年03月25日
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チグリス・ユーフラテス両河は 水源地帯の雪解けにより定期的に増水するため、 豊かな農業収穫が得られました。 初期の開拓地や文化から始まり、 エジプトなどよりも早く 農業が行われた地域として知られています。 紀元前3500年前ごろに シュメール文明がつくられました。 当初は自然の降水(天水)だけで 水分を供給して営む農業に頼っていましたが、 チグリス川、ユーフラテス川をはじめとする 周辺河川から水を引くことにより、 運河を整備することで灌漑農法を考がえだし、 これまでの天水農法とは比較にならないほどの 農業能率と農業収益を実現しました。 農耕文化を周辺地帯にまで拡大し、 穀物の収穫は大幅に増加しました。 これによって、 シュメール文明は他の文化を圧倒し、 西アジア全域に影響を与えました。
2020年03月24日
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ヒトは、最初の都市文明があらわれる以前に、 すでにかなり整った技術や器具や武器を うみだしていました。 旧右器時代の人びとは、 材料を細工する道具や獲物を捕える武器を いろいろと発展させていたし、 新石器時代の人びとは、 おそらく紀元前第六千年紀ころには、 定着農業というもっとも大切な革新をやりとげていました。 石器時代の農業は、 肥えた地味をすぐに台無しにし、 そのため、 新石器時代には 大部分の地域社会の規模と安定性とには、 限界ができていました。 ところが、 インダス河やティグリス・ユーフラテス河や ナイル河の流域では、 河が毎年自然に氾濫して 新しい肥えた沈泥層をつくってゆくため、 こういう限界があらわれませんでした。 これらの流域では、 いっそう定住的な地域社会が栄えるとともに、 湿地の排水や沙漠の濯漑によって、 いつまでも使える耕地面積をかなり拡大しました。 これらの地域社会は、 村から町へ、町から都市へと大きくなり、 また、神官たちが支配した行政組織は、 かれらの暮しの複雑な行動力を 組織立てるために発達しました。 こうして、 紀元前三〇〇〇年以前の一〇〇年ほどの間に、 ティグリス・ユーフラテス河とナイル河との流域には、 最初の都市文明があらわれたのです。
2020年03月23日
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音声としての言語を 可視的なかたちに定着する試みが生まれるのには、 高度の文明的背景が必要でした。 文字を生み出すことのできるような 文明的環境の成立した地域は、 非常に限定されていました。 空間的にも東アフリカに限定され、 かなり似通った文化をもった猿人から、 「旧世界」の「三大陸」へと拡がった原人が 文化的により多様化し、 さらに旧人類から新人類、 そして現生人類へと進化していったヒトは、 より多様化・多極化へと向かっていったと思われます。 しかし「文字」の発生が ごく限られた文明的環境を必要としたことから、 「旧世界」においても、「新世界」においても、 有文字文明はごく限定されたかたちで誕生することになります。 「旧世界」におけるヒト最古の文明といわれる メソポタミア、エジプト、インダス、そして黄河の いわゆる「四大文明」は、 いずれも独自の文字を有する人類最古の有文字文明でした。
2020年03月20日
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音声だけの言語の場合、 情報の伝達はヒトとヒトとの 直接接触によってのみ可能となるのです。 しかも直接接触によって伝達できる情報の量は、 かなり限定されます。 これに加えて、 音声としての言語による情報の蓄積もまた、 ヒトの記憶によってのみ可能なので、 ここでも情報量は限定され、 永続性において不安定でした。 もちろん、 かなり限定された情報量でやりくりできる社会では、 これで済むでしょう。 しかし、 文字を媒体として膨大な情報量を 蓄積できるようになった社会が、 次第に文明の諸分野において 「比較優位」を占めるようになっていったことも 疑いありません。 文字をもつことは、 文字をもつヒトに決定的な利点を与えたのです。 ユーラシアの東西における定住的農耕民と 移動的遊牧民の力関係が、 最終的には定住的農耕民の優位に帰結した一因もまた、 ここにあったのです。
2020年03月19日
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広大なモンゴル帝国を築いたモンゴル人たちも、 その帝国形成期には文字をもたず、 二世紀も後半に入ってからようやく、 チベット文字をベースとするパスパ文字と、 ウイグル文字をベースとするモンゴル文字という 二種の文字をもつようになったのです。 とすれば文字をもたずとも、 インカ帝国、匈奴帝国、突厥帝国 そしてモンゴル帝国のような、 巨大な政治体を形成し維持することができたのは確かです。
2020年03月18日
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言語の発展は、 これを可視的に定着する媒体としての 文字をもったとき、まったく異なる段階に入ります。 ただし文字を有さずとも、 かなり高度な文明と文化をつくり上げることは可能です。 その格好な一例は「新世界」のインカ帝国です。 ペルーを中心にチリから エクアドルにまで拡がる大帝国を建設し、 壮麗なクスコやマチユピチユのような 大都市をも造営したインカの人々は、 数字を表すキープ、 すなわち「結縄文字」は有していましたが、 言語を可視的に定着する媒体としての 体系的文字をもつことはついにありませんでした。 「旧世界」で顕著な例をとれば、 ユーラシア中央部で活躍し、 しばしば大帝国を建設した遊牧民たちです。 文字をもつ周辺の諸文化世界を 長らく脅かした遊牧民たちも、 トルコ系の突蕨帝国で八世紀に入り 突厥文字が考案されるまで、 文字をもたなかったのです。
2020年03月17日
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青銅の使用は、 メソポタミアの都市時代以前と以後を区分する 一つの大きな目じるしとされています。 また、都市時代とそれ以前とを区別する もう一つの重要な着目点は、 「文字」がつかわれるようになったことです。 メソポタミアの 古代都市の遺跡(とくに神殿の遺跡)のなかから、 文字のきざまれた粘土板が大量に発掘されています。 このことは、 都市時代から文字がつかわれていた事実 (前三三〇〇年ごろから急増する)をしめしています。 それ以前は、ものごとはすべて記憶にたよっており、 そのため、命令やとりきめなどが、 まちがってつたわってしまうことがよくおこりました。 ところが、文字のおかげで、 たとえ、何日も何か月も前のことでも、 また、遠くはなれたところへでも、 ものごとを正確につたえられるようになったのです。
2020年03月16日
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都市時代以前には、 人間の使用する道具のおもな材料は「石」でした。 ですから、都市が誕生する以前の長い歴史は 「石器時代」ともよばれています。 都市があらわれるころから、 「金属時代」がはじまるのですが、 メソポタミアでは紀元前四〇〇〇年ごろから 銅を使用していました。 銅は、摂氏一一〇〇度の高温でなければ とけない金属ですが、 銅からいろいろなかたちの道具がつくられました。 ところが、前三五〇〇年ごろになると、 銅器よりすぐれた 「青銅器」が利用されるようになりました。 青銅は銅に八~一二パーセントの錫をまぜたものです。 青銅のとける温度は銅よりひくく、摂氏八〇〇度です。 しかも銅よりかたくて良質な金属(合金)です。 このために、青銅が知られてからのちは、 もっぱら青銅がつかわれるようになり、 以後三千年あまりのあいだ青銅の時代がつづきます。
2020年03月13日
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打製石器の制作も他の石をハンマーとして 打撃を加えて制作作する直接打法から、 石のかわりに木や骨といった より軟質なものをハンマーとするような方法 も行なわれるようになりました。 その後、 骨や牙などで縁を圧迫する押圧剥離法や、 木や骨を鏨(たがね:chisel)として使い、 上からハンマーでたたく間接打法 が使われるようになりました。 これらの方法によって作られた石器が いわゆる刃器(ブレイド・トウール)です。 細長く両端が平行となる剥片を“石刃”と呼んでいます。 石刃は、未加工品で、用途に応じて ナイフなどさまざまな刃器に加工されます。 片方の刃をつぶすことによって作られた片刃のナイフは、 つぶした側に指をあてて使用されたのでしょう。 木や一骨などに穴を開けるためには、 先端を細く尖らせた錐が作られました。 ナイフの他、のみ、彫刻刀、弓矢や 槍の先端につけられたポイント類など、 さまざまな道具が作られたのです。
2020年03月12日
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握斧(ハンドアックス)を制作する際に 剥離される多くの剥片(はくへん)は、 最初のうちは見過ごされていましたが、 しだいに人びとの注目するところとなり、 〝剥片石器″が作られるようになりました。 始めはハンドアックスなどの 製作過程で作られる剥片を加工して ナイフなどに利用していましたが、 その後、 剥片石器を作ることを目的として、 石核が調整されるようになっていきました。 石核とは打製石器を制作した時に 残った石材のことで、 原石の芯にあたる部分から つくり出された石器のことを石核石器といいます。
2020年03月11日
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最古の石器は”礫(れき)器″と呼ばれ、 材料となる黒曜石、讃岐岩、頁岩などを こぶし大ほどの礫(こいし)に打ちかいて 刃をつけることによって作られました。 これらの礫器のうち、 片面を加工して刃をつけたものを”チョッパー″、 交互に両面を剥離(はくり)して刃をつけたものを ”チヲツビング・トウール″と称しています。 次の段階として、 両面全体にわたって剥離された”両面加工石核石器″ と呼ばれる石器が作られるようになります。 石器を製作する際に、 剥離されてとれる破片を剥片と呼び、 残った本体のことを石核と呼ぶことから、 この石器は本体の両面を加工して作られた石器 という意味なのです。 この石器はまた ”ハンドアックス(握斧)″という名でも知られています。
2020年03月10日
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利用されていた道具の材料を基本要素とする時代区分が、 世界的に採用・適用されるようになり、 新石器時代に、 新たに土器の発明や農耕と牧畜の開始の 要素が加えられました。 しかし、研究が進むにしたがい、 各地域では石器時代が多様に展開・発展していることが 分かってきて、 必ずしも既述の要素が 同時に当てはまらない地域も出てきました。 例えば「農業が始まっているのに土器が出現していない」 「磨製石器があるが農業は見られない」 というような地域が出てきたのです。 そこで、イギリスの考古学者ゴードン・チャイルドは、 基本要素に「食料採集から食料生産への転換」を追加し、 農耕や牧畜の両方か、どちらかが始まっていれば 新石器時代と区分しました
2020年03月09日
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デンマークのクリスチャン・トムセンが提唱した 歴史区分法である三時期法は、 主に利用されていた道具の材料を基本要素として 社会の歴史的な時間の流れを、 石器時代、青銅器時代、鉄器時代と 3つに区分する考え方です。 また、 この時代区分は古代ヨーロッパ史を中心に考えて 提唱されたものですが、 中東、インド、中国にも適用することが可能です。 青銅器時代は多くの文明において 国家形成の開始された時期に当たり、 世界最古の文字が発明されたのもこの時期にあたります。 さらに1865年にイギリスの考古学者ジョン・ラボックによって 石器時代は2つに分割されました。 絶滅動物と打製石器を使っていた時代を旧石器時代、 現生動物の存在と磨製石器を使うようになった時代を 新石器時代と二つに分けたのです。 地質時代でいうと前者が更新世に属し、 後者が完新世に属します。
2020年03月06日
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地中海東岸~パキスタンは地中海気候地帯で、 そこでは野生の穀類の栽培、 野生の動物の家畜化が進みました。 メソポタミア/ナイルデルタ地帯では 平地灌漑麦作農業が進みました。 それは数千年がかりの転換でしたが、 地球上にヒトが現れて以来の300万年、 現人類が生まれてからでも20万年という 長い年月に比べればほんの一瞬の出来事であった とも言えます。 野生の植物や動物を選抜して 農耕、牧畜に適した作物や家畜を作り出したのは 人間の創意工夫です。 今日、私たちが食べている作物や家畜の9割以上が この時期に作物化され、家畜化されました。 東南アジアでは根菜、西アフリカでは雑穀、 アンデスの高地では野菜が主でしたが、 およそ100種類の栽培作物と、 14種類の家畜が人の手で改良されました。 なかでも米、コムギ、トウモロコシ、ジャガイモ、 牛、豚、羊、鶏は 今でも私たちの食生活に なくてはならぬ食料になっています。 この結果、 農耕文化の創始の第一歩である 古代オリエント都市国家が成立しました。 人類最初の文化複合体である シュメール人の古都ウルクです。 しかし成功の成果の上に安住し 安定→変革の回避→停滞となる文明も 少なくありませんでした。
2020年03月05日
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1万2千年前には、山羊が家畜化され、 6千年前には馬が家畜になりました。 6千年か7千年前には、 すでに家畜に犂を引かせて 畑を耕すことが行われています。 野生の牛や羊を飼い慣らして家畜として飼育すれば、 その肉やミルクを食用にして、 その排泄物を畑の肥料にできます。 農耕には農具と家畜を利用しますが 永続的に続けるためには、 農耕に適した作物を見つけること、 畑にする肥沃な土地、 そして作物の栽培に欠かせない水が得やすいことが 必要なことです。 農耕をするのに適していない西南アジアの草原では、 人間の食べ物にはならない野草を動物に食べさせて、 その肉やミルクを食料にする遊牧が始まりました。 それまで狩猟採集で暮らしてきた人類は 農耕と牧畜で食料を生産するように転換したのです。 狩猟採集で食料を獲得するのに必要であった 広い土地は不要になり、 農耕をすればその20-30分の1の土地で 食料が安定的に得られます。 こうして 食物を安定して手に入れることができるようになった人類は、 それまでよりもはるかに余裕のある生活を 営むことができるようになり、 人口が増え始めるのです。
2020年03月04日
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今から約1万2OOO年前~1万年前の 最終氷期(ヴュルム)の末期にかけて、 数百年という短い周期で急激な“寒の戻り”と 温暖な気候が連続して襲いかかってきたことが 人類史に絶大な変化を与えました。 温暖化が溶かした大量の氷河が 大洋に流れ出たことで海水温が下がり、 それに伴って気温も下がってしまう ということを繰り返したためです。 "寒の戻り"が起こるたびに、 温暖期に増えた人口を 獲得経済では支えきれなくなって 大飢饉に襲われ、 すでに一部で行われていた 農業(生産経済)にしがみつく以外に道はありません。 ユーラシア大陸のいくつかの地域で農耕が始まりました。 農耕の最初のきっかけは 食用にできる植物がよく繁茂している場所を 囲い込むことでした。 また食べ棄てた種子から 同じ植物が再び芽生えてくることを見つけ、 種子を播いて作物を育てることを覚えたのでしょう。 農耕を始めたタイミングは 気候の温暖化により、食用植物、 ことに小麦と大麦の栽培可能な地域が、 人間が居住している地域にまで広がってきたからです。 世界で初めて農耕が社会に定着したのが 現在のシリアからパレスティナの東地中海沿岸地域に当たる レヴアント回廊のあたりですが、 紀元前5千年ごろまでには、 オーストリアと南極を除くすべての大陸で 農耕が行われるようになりました。
2020年03月03日
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社交は群れ(集団)維持のために必須の行動です。 集団生活はストレスを生みます (典型が子殺しからわが子を守るメスのストレスです)が、 それを解消するのが社交で、 具体的には社会的毛繕いなのです (ノミをとっているわけではありません)。 社会的毛繕いによってエンドルフィンの分泌が促されます。 エンドルフィンは「愛情ホルモン」ともいわれ、 毛繕いすることで互いに平和で愛情ある関係性をつくるのです。 この愛情は、母性愛とは違い、個対個の関係なので 「近しい感情」と言い換えることもできます。 その成立には「心の理論」 (メンタライジング:他者の心的状態を認めたり、 その状態を推論したりすること)が前提となります。 社会的毛繕いの「社交」時間は、 「笑い」を獲得することで正当化されました。 笑いには「笑う者」と「笑われる者」という分離があり、 その意味において何かを「対象化」する 心の働きが存在するのです。 そこから言語が生まれたのです。 そして火を囲んで談笑すること、 「歌う」こと一緒に踊ることが、 毛繕いの効果(エンドルフィンの分泌)を劇的にあげました。 言語から宗教・文化への発展の道のりは、 それ以前に比べれば楽な進化だったといえます。
2020年03月02日
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