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10月に入ると僕は再びアンドレアスに電話を掛け彼の舞台を観に行くべくフライブルグに向かって列車に乗り込んだ。空には部厚い雲が威圧感のある低さで空いっぱいに広がり、昼間にもかかわらず辺りは薄暗く冬のジャケットを着ていても寒いぐらいの気温だった。フライブルグに着いた時にはぱらぱら雨が降り出していて、僕はまたタクシーでアンドレアスの家まで行くこととなった。家のチャイムを鳴らすとお母さんが出て来て「ようこそいらっしゃい、お久し振り」と言って歓迎してくれた。「疲れたでしょ、食事は?」「列車の中で何やかや食べましたので大丈夫です」「そう、それじゃケーキを焼いたからお茶を入れるわね」と言って僕をまた半地下に用意した部屋に案内してくれ、荷物を置いてリビングに戻ったがアンドレアスは何処にも見えなかった。今回は朝早くにケルンを出て来たのでその時点でもうお昼を過ぎていて、きっと彼はもう楽屋入りしたのだろうなと思った。お母さんが焼いたのはさっぱりとしたりんごのケーキでとても美味しく、少し変わったアールグレーのような味の紅茶と一緒に食べた。「リゴレットの初日はいかがでしたか?」「私も劇場へ聴きに行ったのだけど、近頃あの子体調が悪いようでね、それでもまーうまくやったのだけど、一度お医者に診てもらったらって言ってるんだけど大丈夫心配しないでって言って聞かないのよ」「そうですか、いろいろ頑張り過ぎて疲れているのかもしれませんね、先日も忙しい時間の合間にケルンまで来ていましたしね、機会があれば僕からも言ってみます」歌劇場へ出掛けるまで少し休みますと言って僕は用意してもらった下の部屋で眠った。夕方に目を覚まし、バスで歌劇場まで行き席に着いた。オペラが始まりしばらくするとリゴレットに扮したアンドレアスが登場し歌い始めたが、何だか調子が悪いというようなものではなかった。前回タンホイザーで聞いた彼の声とは全く違う艶のない、力ない声だった。演技にも機敏さがないように見え、これは相当体調が悪いのだろうと想像した。終演後僕は先に家に戻りしばらくするとアンドレアスがドアを開けて入って来た。「やートシ、ようこそ!」と彼は笑顔で言い我々は抱き合ってお互いの背中を叩いた。 つづく
2006.04.30
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「今日先生なんだか元気がなかったわね」とチョンソンの方から切り出した。「そうだよね、授業の前にアンドレアスのレッスンをされていたんだ、そのことと何か関係があるのかな」「アンドレアスが来てたの、彼の声の調子が悪いのかしら」「そうだ、もうすぐリゴレットの舞台が始まるから、プレミアでうまくやらないと評論家もたくさん来るしね」「アオルマン先生も心配だわね」「僕は10月にはまた彼の舞台を見にフライブルグへ行くんだ、君も一緒に来ないか?」「10月には私はまた大学の試験攻めにあってそんな余裕はないわねきっと」「やっぱりすごく大変なものなの?」「試験期間は長く続くし、単位を落とすと卒業出来なくなっちゃうしね、私もアンドレアスの舞台は是非見たいんだけど次の機会にするわ、ところでトシは今日の晩ご飯どうする?」「何も買い物していないな、何か食べに行っちゃうか」でも貧乏学生の我々が行くのはせいぜいインビスだった。インビスとはトルコ料理かギリシャ料理のセルスサービスの安いレストランである。僕たちはケルン駅に着いて路面電車に乗り途中のバルバロッサ広場という駅で降り、この辺では一番美味しいと思われるトルコ料理のインビスに行き、ギュロス「焼いた牛肉の上に玉葱とトマト、その上にザジキが掛かっている」とポンメスフリッツ「フライドポテト」を注文した。「ポンメスにはマヨネーズかケチャップはいかが?」と尋ねられるので「マヨをお願い!」と答える。僕たちはそれにビールも注文し席に付く。カウンターの中には巨大な焼かれた牛肉が吊り下げられていて、短刀ぐらいの長さの特別なナイフで肉の表面を削ぐようにして皿の上に肉の破片を盛って行く。最初見た時はぎょっとしたが、もうすっかり慣れてしまった。なにしろ一人分の量が多いのでお互いに全部食べ切れずいつも少し残す。満腹で店を出てバルバロッサ広場に戻りチョンソンが乗る路面電車のホームのベンチに腰を下ろした。「試験が終わったらまた何処か行こうか」とチョンソンが優しく言った。夏に市民公園に行こうと誘われて以来彼女の方からは一切僕を誘うことはしなかったし、あえてそう決めているのだろうと思っていたので僕は少し驚いた。 つづく
2006.04.26
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9月の中ごろのことだった。僕が先生の家に着いてドアを開けて中に入ろうとすると一人の男性が入れ違いに出て行こうとするところで、よく見るとそれはアンドレアスだった。お互いにあーと声を上げ「アンドレアス、来ていたの」「そうなんだ、シーズン前に先生に声を調節してもらいたくて」と会話を交わしたがアンドレアスは急いでいるらしくすぐに車に乗り込んだ。彼が窓を開けたので「10月に入ってすぐぐらいにまた舞台を見に行きたいんだけど迷惑じゃないかな?」と僕は尋ねてみた。「もちろん大丈夫だ、楽しみにしているよ、気を付けておいで」と笑顔で言ってくれ彼の車は去って行った。レッスン室に入ると先生が一人で座っていたので、僕は近付いて行って手を出し「こんにちは」と声を掛けた。先生は何かを考え込んでいて僕が前に立っていることも気が付かなかったようで、ゆっくりと顔を上げ僕の手を取って力ない声で「こんにちは」と言った。先生は授業中もずっと何だか元気がなく絶えず何か難しい表情で考え込んでいた。その日はチョンソンも来ていて僕たちは6時に授業が終わると一緒に先生の家を出て駅に向かって歩いた。9月も半ばになると夕方6時にはもう真っ暗で、僕はチョンソンの腕を持たせてもらった。僕は暗い所になると極端に見えなくなるため、何をするのも大変困難になるのだ。と言っても横を歩いている人に「見えにくいので腕を持たせて下さい」と言い出すのもこれまた勇気のいることなのだが、もうそのころには僕は当たり前のように彼女の腕をつかんでいた。「ついこの間まで夏だったのにね、私夜の11時に明かりを付けずに本を読んでいたのよ」「全くだこれだけ急に日が短くなるとすごく損したような気がするよね」などと話ながら駅まで歩き汽車に乗り込んで誰も乗っていないがらんとした車内の4人席に向かい合って座った。 つづく
2006.04.23
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9月になると先生はアーゲントゥア「音楽プロダクション」の責任者に来てもらって自分の生徒の歌を聴いてもらうという場を設けられた。もちろん僕もそこで歌うように言われたが、まだあまりにも自信がないため辞退した。ベルントはようやくそこで認められ歌劇場への推薦があり、歌い手としてのデビューが決まった。報告の電話を受けた後彼は本当に嬉しそうににこにこと上機嫌で、先生もほっとして大きな肩の荷がおりたような表情を見せていた。2人にとって長い険しい道乗りだった。不安と絶望の日々もあったであろう、ベルントはその時40代半ばで迫り来る年齢という期限に押し潰されそうになりながらのようやくの安堵だった。彼のデビューの役はヴェルディの歌劇「運命の力」のアルヴァーロ、最初からとても大変な役だ。でも彼ならすばらしく歌い聞かすことであろう。「皆も是非、後に続いて欲しい」と授業で先生は言い、皆はベルントに拍手したが、内心面白く思っていない者もいた。ベルントよりも前からここで訓練を受けている者もいたし、先生が執拗にベルントに目を掛け特別扱いしていることに嫉妬している者もいた。先生はベルントに対してはえこひいきなんてものを通り越してなり振り構わず全神経を傾けていた。先生にしてみれば教師生命を掛けるだけの素材に出会い、自分の晩年の人生を捧げて彼を自分の手ですばらしい歌い手に育て上げることに決めたのだ。良い声楽教師とはまずその素材を見抜く力が問われる。持って生まれた声の良さだけではなく、その人物の中に隠された音楽性、努力出来る能力、持って生まれたスター性、声の中に含まれた情熱や人を引き付ける音色、それをまだ磨かれていない素材から見抜きとるのだ。先生はベルントの食生活まで管理した。僕は先生のそんな姿勢を傍らから見て、一人の職人が一つの自分の仕事に傾ける情熱と集中力、誇りのようなものを学んだ。 つづく
2006.04.21
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8月の中ごろになると急に気温が下がり、Tシャツで過ごしていたのがジャンバーを羽織らなくてはならなくなった。どうやら夏は終わったみたいで、ほんの2週間ぐらいしか夏らしい日はなかった。また分厚い雲が頭の上に毎日あって、どんよりした天気の始まりだ。しかしこの気温の変化には体がついて行かず、僕は時々頭痛を覚えるようになった。一年のほとんどの季節で気圧が低いため、お天気の良い国から来た人は皆頭痛持ちになり、ドイツ人でさえ多くの人がそうなのだ。8月の終わりごろにはアオルマン先生の授業も始まり、再び皆とも顔を合わすことになり、慌ただしい日々が始まった。皆は大勢でレッスンを受けることが楽しいようで、とくにクワストフなどは長い退屈な夏休みが終わって嬉しくはしゃぎ回っていた。水曜日に午前中のレッスンが終わり、クワストフといつものようにアルバイトに向かった。LKWの中で「先生にそろそろ各歌劇場にオーディションに行くように言われたよ、さっそく再来週オーストリアとの国境の辺りまで車を飛ばして一発歌って来るよ」とクワストフは嬉しそうに言った。「そうか、いよいよだね、うまく行くよう祈るよ」と僕は言って彼の腕をぎゅっと握った。2週間後彼は午前のレッスンを受けて「それじゃ今から行って来ます」と先生に告げ、意気揚々と部屋を出て行った。次の日の午後のレッスンが終わる6時ごろには戻って来て「駄目でした、もっと違ったこういった役柄を勉強してみるべきだなんてアドバイスされました、大きなお世話なんだよなまったく、でもそうすぐにはうまく行きませんよね、どんどん次を頑張ります」と先生に報告し、先生は顔を顰めて考え込んでいた。クワストフはまだ若いからいいが、先生にしてみればベルントのことがとても気掛りだった。彼はそれまでの放送合唱団の仕事をきっぱりやめ、同時に離婚し、先生の所に住み込んで訓練を受けていたが、失業保健もそろそろ切れるし、一刻も早く仕事に有り付かなくてはならなかった。何よりも彼の場合は年齢が問題で、運が悪いと手遅れということにもなりかねない。ベルントほどの実力があってもなかなかデビュー出来ずにいた。 つづく
2006.04.19
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時々土曜日には、朝のアルバイトを終えて帰って来てから僕とチョンソンで閉まりかけのスーパーに一緒に買い物に行きお互いの食料品を買い込んだ。もうすっかり慣れたが、日曜日には見事にすべての店が閉まるのでうっかり買い物を怠ると日曜日に一切食べる物がないということになる、最初のころはよくやった。僕は2人分の荷物を持ち、チョンソンは郵便局に寄って用事済ませたり、寮の近くのケーキ屋に寄ってヴィントボイテル「大きなシュークリーム」を買って寮に戻りコーヒーを入れてそれを2人で食べたりした。少し固めのシュ-生地に砂糖がかかり、中は砂糖の入っていない生クリームでこれはもうやめられない。しかし一日に作る量が決まっていて、売り切れていることが多い。少し休憩するとチョンソンはアルバイトに出掛ける、ケルン駅の近くにある韓国料理店でウエイトレスをするのだ。とてもきつい仕事で意地悪な女店主がいる。「時々爆発しそうになるけど他に雇ってくれる所なんてないし、晩御飯はそこの料理が食べられるから何とか頑張って続けるわ」と苦笑いをして、2人で寮を出て途中まで同じ路面電車に乗って5分ほどすると僕は乗り換える。「無理しないようにね」と僕は内心本気で心配して言い「うん、もし倒れたら迎えに来てね」と言ってチョンソンは笑う。僕は手を振って電車を降り、別の電車でアパートに戻り誰もいない部屋に腰を下ろす。以前は一人の時間が嫌ではなかったが、何だかやり切れないような胸を締め付けられるような思いがして「やれやれ、まったく」と声に出して再び部屋を出て晩御飯を買いに出掛ける。 つづく
2006.04.17
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泥水と火薬の匂いの中で母のまだ若い前髪が秋風に揺れる遠く遠く離れたこの場所で逆らえない流れに身を任せる他人の手によってゆがめられた若き日々長い時を持ってしてもいやされることのない我が青春と罪
2006.04.11
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乾いた風 蝉のいない夏うつむいた君の黒い髪に揺れる木漏れ日何処かで気付き始めた秋の花の芽の吹く音甘く感じる体の奥に草の香りと遠くの水の音がそっと深く染み込み長くとどまる
2006.04.10
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僕たちが共同キッチンで食事をしている間もいろんな女性がやって来てグーテンアペティートッ「よい食欲を」と言ってチョンソンと一言二言話してから去って行った。いろんな国の女性たちがいて、ポルトガル人・インド人・ブラジル人・タイ人・フランス人・アフリカ人など皆顔つきも其々で肌の色もいろいろだったが、皆気のよさそうな人たちだった。アフリカ人の黒人の女性などはすらっと背が高く、腰の位置がびっくりするぐらい高く腰骨が張っていてすなわち足が驚くほど長く、胸が大きくツンと上を向いている、そんなスタイルの女性はルパン三世のまんがにしか出てこないと思っていたが実際に存在するのだ。僕がじっと彼女に見惚れていると前でチョンソンが咳払いをし、我に返ってそちらを見ると「いやらしい!」という顔でこちらを見ていた。僕たちは食後にワインを飲みながらゆっくりと話した。「この寮にドイツ人はほんの少ししか居ないの、寮長さんの主義で皆遠い国からケルン大学へ勉強に来ている外国人を優先的に入れて下さるの。エモンズさんというここの寮長は敬虔なクリスチャンでとても怖ーい人なの、とてもじゃないけど気軽には話せないわよ。でも彼は親のいないいろんな国の孤児たちを何人も家に引き取って一緒に生活しているのよ、誰にでも出来る事じゃないわ、ドイツ人だけではなく世界の人々の幸せを強く願っておられ、それを実際態度で示されている。見掛けは怖いけどとても優しい心の持ち主なのね。」僕たちはあっという間にワインのビンを空にし、チョンソンが部屋からもう一本持って来た白ワインも空にした。時間は10時を越えていたので「そろそろ帰るよ」と僕は言い、「それじゃ路面電車の駅まで送るわ」と彼女が言い僕たちは席を立ったが2人とも少し足がふらふらしていた。外に出るともう気温は下がりとても気持ちの良い涼しさで、僕たちはゆっくりと歩き出した。寮の敷地内から道路に出る所の階段で僕はそっとチョンソンの手を取った。彼女はしばらく手の力を抜いたまま受け入れもせず拒否もせずいたが、道路に出て少しすると暖かい手で僕の手を握り返して来た。しかし停留所は寮からそう遠くない所にありすぐにホームに着き、運の悪いことに間もなく電車がやって来た。「今日はどうもありがとう、とても美味しかったよ」と僕はチョンソンの顔を見、「こちらこそ、とても楽しかったわ」と彼女が言ったが微笑みは無かった。夜の静けさの中で一際大きな音を響かせて電車のドアが開き、僕はゆっくり彼女の手を離しトラップを上がった。ドアが閉まってからチョンソンは小さく手を振っていた。 つづく
2006.04.06
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チョンソンが鍋で何かを炊いている時に僕は近所の店に飲むものを買いに行った。韓国のお酒でもあればよかったがもちろんワインとビールしかない、仕方ないので赤ワインを1本とビールの小瓶を2本買って戻った。チョンソンはその時フライパンで何かを焼こうとしている所で、キッチン中にごま油のいい香りが漂っていた。「さーそろそろテーブルに着いてよ、出来上がるから」と言ったので僕はテーブルの前に座った。彼女は鍋をテーブルの真ん中に置いて2人分の器に具が沢山入ったスープのようなものを入れ、先ほど焼いたものを別の器に盛った。キムチ、小魚をしょうゆで煮たようなものも出された。「さーお待たせ、召し上がれ」と彼女がテーブルに着いて言い「ありがとう」と僕は言って韓国の箸でそのスープのようなものを食べてみた。「これはトックッというのよ」とチョンソンが言った。鶏がらのスープの中に小判型のお餅、人参、大根、その上に牛肉のそぼろ煮、錦糸卵、かまぼこと三つ葉にのりが掛かっていた。「これは韓国ではおめでたい時にも食べるの、それぞれの家で入っているものや味付けもちょっとずつ違うの、これは私の家風よ」と説明してくれ、「なるほど、日本にもこれと似たようなものが有る、うーんとても美味しいよ」と僕は言い、もう一つの料理に手を付けた。小麦粉にイカ、ニラ、にんにくが入ってごま油で焼かれていて、ぴりっと辛い。「これはチヂミよ」と彼女が言ったが、僕たちがいうチヂミとは少し発音が違うみたいだった。「名前はよく聞いたけど食べるのは初めてだ、ビールに合うね」と僕は言って沢山食べた。「キムチは向こうで私が漬けて持って来たの」「わー嬉しいな」と僕は言って多分ものすごく辛いはずだから注意しながら少しずつ口に入れてみた。口に入れた瞬間甘い風味が広がり、磯の香りがした。かなり柔らかくなるまで漬けられた白菜になにかしらざらざら舌触りがしてしばらくしてからものすごい辛さがやって来た。それはとても奥深い味がして「やっぱりこんなキムチは日本では食べられないよね」とぼくは感心して言った。「この甘さは何だろう」「キムチを漬ける時にはとても沢山のものを入れるのだけど、そこにご飯も入れるのよ、まー甘さはそれだけじゃないけどね」「なるほど、」と感心して汗をかきながらこれもまた沢山食べた。 つづく
2006.04.02
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