2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全12件 (12件中 1-12件目)
1
僕はそろそろ歌劇場に向かわなくてはならなかったが、どうも立ち上がって出て行ける雰囲気ではなく、結局最後まで居て、ミサの終わりに紳士が演奏するオルガンの音を背に教会を出て電車に乗った。歌劇場に駆付けた時は正に開演時間で、何とか席に付いて息を落ち着けた。ホール内も新しいホールではあまり見られない馬蹄形の美しい造りだった。ヴォルフラムという清純な若者の役はアンドレアスの品の良い丹精な声と彼の風貌にぴったりで最後まですばらしく歌い上げた。僕は大層感激して劇場を出て、教えられたように電車で音楽大学まで行き、何とか彼の家に辿り着いた。ベルを鳴らすとお母さんがドアを開けて「どうだった、楽しかった?」と言った。「えー、今日一日いろんな事があってとても楽しかったです」と言って僕はソファーに腰を下ろし、彼女は紅茶を入れて運んで来てくれた。しばらくアンドレアスのヴォルフラムについてやケルンでの事についてたどたどしいドイツ語で説明していると、しばらくしてアンドレアスがドアを開けて「肉を買って来たよ、今晩はバーベキューをやろう!」と言って帰って来た。 つづく
2006.02.27
コメント(0)
僕はその辺を散歩してみることにして、広場から少し外れた住宅街をゆっくり歩いた。ケルンでは町の中ではアパートばかりだがこちらでは大きな一軒屋が並んでいてゆったりとした生活が伺えた。ここは戦争中全く爆撃を受けなかったとみえて古い美しい造りの家が並んでいた。程なくして抒情的なグロッケンの音が聞こえ、教会の前に戻り入り口のドアを押し開けるともうすでに多くの人々が席に付いてミサが始まるのを待っていた。僕はこっそり出て行けるように後ろに座りたかったがいっぱいだったので仕方なく真ん中ぐらいの端の席に座った。突然頭の上から荘厳なオルガンの演奏が始まり、皆はおしゃべりを止めて指を組んだミサが始まり神父が静かな声で話し出したが、一言として何を言っているのか分からない。一通り話しが終わると再び頭の上から今度はオーケストラの演奏が始まりコーラスの声も聞こえ、それはモーツァルトのミサブレーヴィスだった。そっと頭の上の後ろの方を見てみるとそこにロフトのような狭い2階席があり、そこにオーケストラと合唱団がいて前の方ぎりぎりの所でさっきの紳士が指揮を振っていた。キリエレイソンが終わるとまた神父の話が入り、そのように曲と曲の間と最後の曲が終わった後もすぐに話しが入った。その時初めて分かったのだが、日本でミサ曲を演奏する場合ホールで演奏会としてお客様の前でやる訳だが、終曲がどのミサ曲も尻切れとんぼのようで演奏し終わったような気がしなかったが、本来はこうしてミサの中で演奏されるものであり、必ず終曲の後すぐにお説教があり、よって曲は完結しつくしてはいけないのだ。オーケストラもコーラスも決して上手なものではなかったが、おそらく地域の人々が集まって日々練習を重ねて一人一人が純粋な神への思いを胸に演奏しているその音楽は日本でのどのミサ曲の演奏よりも胸に届いたような気がした。 つづく
2006.02.23
コメント(0)
さっき裏通りにあった溝がこの広場の真ん中にも横断するように通っていて何だか気になっていたので尋ねてみた。「ああ、これはスイスの町を真似してアルプスからの水を引き込んで、町の中の至る所に流すというデザインだそうです。」と言って遠くに見えるアルプスを指差した。とても綺麗な水ですから、夏になると皆通りの真ん中に腰を下ろして水の流れに足を付けて涼んでいますよ」「へー、アルプスの麓の町ならではで素敵ですね」と言って僕も山の頂の方に白く雪を残した遠くのアルプスを見た。「そろそろ夕方のミサの準備で行かなくてはなりません」と言って彼は腕時計を見た。「ミサ?」「ええ、私はこの教会でオルガンを弾いています」「なんですって、あなたこちらの教会音楽師なんですか?」「はい、まーそんなところです」「そのミサに私も参列する事は可能でしょうか?」「もちろんです、でも最後までいるとオペラに間に合いませんよ」と言って笑い、店員を呼んで勘定を払った。彼は「今日は是非貴方を招待したい」と言って僕の分も払ってくれ、「ありがとうございます」と言って僕は甘えさせてもらった。彼は立ち上がり握手の手を差し出したので僕も立ち上がり彼の手を取った。「ミサの間は私はエンポールに居ますのでここでお別れです、あと30分ほどしたら来て下さい」「ありがとう、とても楽しかったです、また会いましょう」と僕も言った。彼は最後に「良いご旅行を、そしてアンドレアスによろしく」と言って教会の方に向かって歩いて行った。 つづく
2006.02.21
コメント(1)
彼も自分の料理にナイフを入れながら「それで貴方はドイツで何を勉強しているのですか?」と料理と僕の顔に視線を往復させて尋ねた。「声楽です」。彼は手を止め僕の顔を見、少しそのまま黙ってから皿に目を移して「そう、日本では声楽は勉強出来ないんですか?」「そんなことはありませんが、やはりこちらは本場ですから」「どういったものを好んで歌われますか?」「ドイツの歌曲が好きですね、ですからこちらの空気に触れる事自体が勉強です」「テノールですか?」「はい、でもずっとバリトンを歌って来てドイツでテノールにチェンジすべくやってますのでこれから長く掛かると思います」「なるほど、でもくじけず是非良いテノールになって下さい、貴方の生き様を必ず神はあたたかい目で見ていて下さっていますよ」。僕は彼を見たが彼の顔にはその時微笑みは無かった。料理は僕には多過ぎて半分ぐらいでナイフとフォークを置いて2杯目のビールを注文するためさっきの店員を探していると「今度はフライブルグのビールを飲んでみませんか?」と彼が言い「ええ、是非」と答えると、手を上げて店員を呼び聞いたことのない名前のビールを注文してくれたがやはり彼は飲まなかった。そのビールは少し色が黒くケルンのとは随分違った味わいの物でこれもまたとても気に入った。 つづく
2006.02.20
コメント(0)
また店からさっきの男性が出て来て注文を取り、紳士はザウワークラウト「キャベツを酢で煮たもの」とシュニッツェル「豚カツに似た物」それにコーヒーを頼んだ。「ドイツ語は話せますか?」と紳士が僕に話し掛けた。「ほんの少し」「ドイツへは旅行で?」「去年の2月に初めてドイツに来て、途中ビザ取得のために一度日本に帰って7月からケルンに住んでいるんです、そして今は友達が歌劇場に出演するので見に来ているんです」「ほー!その友達の名前は?」「アンドレアス・シュナイダー」と僕が答えると「アーハ」と言って彼はうなずいた。「ご存知ですか?」と僕が尋ねるとそこに僕の料理が運ばれて来た。見ると鶏の丸焼きの半分が皿に乗っていたが半分と言ってもすごい大きさだった。頭や足は付いていないにしろ僕には少々ショックなものだったが乗りかかった船だ、食べてみる事にしてナイフとフォークで解体を試みたが全く思うように行かなかった。「よかったら私がやって差し上げましょうか?」と紳士が見兼ねて声を掛けた。「お願いします」と僕は苦笑いした。彼は皿を自分の方に寄せ、鮮やかな手捌きで見る見るうちに骨から身を切り離し、綺麗に皿に並べて行った。「さー出来た、どうぞ召し上がれ」と言って皿を僕の前に置いた。「ありがとうございます、この横に添えてある白い物はなんですか?」「ザジキです、それに絡めて食べると美味しいですよ」と彼は教えてくれた。僕は彼が綺麗に切ってくれた鶏肉を食べてみた。皮はこんがりと香ばしく香辛料の香りがして、中はとてもジューシーだった。次にザジキを付けて食べてみた。それはヨーグルトの中に葫、玉葱などの野菜を入れて作ったソースで、鶏肉とよく合ってとても美味しかった。僕は彼の方を見て「とても美味しいです」と微笑んだ。「でしょ、日本ではこういったものはあまり食べませんか?」「鶏肉は食べますがこんなに大きいままで丸焼きになって出て来るのは初めて見ました」「なるほど」と言って彼は目尻に皴を寄せて笑った。彼は顔中に髭を蓄えそこにかなり白髪が混じっていて、髪も白く哲学者みたいに見えた。 つづく
2006.02.19
コメント(1)
ケルンのとは色も乗り心地も違う路面電車で10分ほど行くと少しにぎやかな所に出たので、適当に電車を降りた。何軒かの店が並び人々が行きかい街角で手回しオルガンを演奏する人もいたがケルン駅前の商店街のような大きな規模ではなく、ほんの一角のものだった。見ると店はほとんど閉まっていたがよく考えると今日は日曜日なのだ。僕は通りから一本脇に入ってみることにして、裏通りに入ると通りの真ん中に幅50センチぐらいの浅い溝があり綺麗に手入れされていて流れている水はとても澄んでいた。その溝を辿って行くと一面石畳の大きな広場に出た。広場の中央には大きくて古い教会が有り、周りには多くの人々がいて散歩したり鳩に餌をやったり観光客が一角に集まり誰かの説明を聞いたりしていた。広場の脇にあるいくつかのレストランが店先にテーブルと椅子を出していたので適当な所に座るとすぐに店の中からエプロンを付けた男性が出て来て「今日は、何をあなたのためにお持ちすればよろしいですか?」と言ったので、「何か食べたいのですが、何がありますか?」と尋ねた。「そうですね、ハルベスヘンヒェンならば今焼きたてですが」と言われ、それが何か分からなかったが面白いので思い切ってそれとピルスビールを注文した。「承知しました」と言って彼は店の中に入って行った。周りの風景を眺めていると「貴方のテーブルに座ってもよろしいですか?」という声がして顔を上げると初老の紳士が僕の横に立っていた。僕は慌てて「もちろんです、どうぞ」と答えた。よく見ると周りのテーブルはいつの間にか全部詰まっていて僕のテーブルしか空いていないようだった。 つづく
2006.02.17
コメント(0)
歌劇場の建物はケルンとは違い円形のかなり古い素敵なホールで、大きな鉄の扉を開けて中に入るとロビーに出て、その奥にある古く黒ずんだ大きな木のドアを開くと客席のようだったがそこには入らずぐるっとロビーを回って階段を下り何度か廊下を右に曲がったり左に曲がったりして階段をまた上がりまた何度か曲がり、やっと練習室に着いた。こんな複雑な館内をよく間違えずに歩けるなと感心した。大きな部屋の中にはもう何人かの歌い手がいて楽譜を見たり発声練習をしたりしていた。指揮者と演出家が入って来て、アンドレアスが「彼は日本から来た僕の友達で見学したいんですが」と僕を紹介し、「はい、どうぞ」と言って彼らは微笑んだ。練習が始まり演出家がところどころ止めて前に出ていろいろ説明したが、彼はどうやらフランス人らしく、分かりにくいドイツ語とフランス語が混じり僕には何を言っているのかさっぱり分からなかった。練習中は日本のそれとは違い、以外にも和やかで、独特なぴりぴりした感じはなく少し緊張感に欠けるような気もしたが、演出家の言う事に歌い手たちはいちいち反論しすぐにディスカッションが始まりなかなか練習が進まず、そういう所も日本とは随分違っていた。練習が終わると僕は指揮者と演出家に礼を言って部屋を出て、アンドレアスとまた複雑な道のりを入り口まで戻った。「僕は今から夜の公演のための準備と簡単なリハーサルがあるんだ」とアンドレアスが言い、「それじゃ開演時間まで何処かで時間をつぶすよ」とぼくは言って駅の近くの食事が出来る所への行き方を教えてもらい、路面電車の停留所へ向かった。
2006.02.13
コメント(0)
「朝早くにごめんなさい」と僕は言い「構わないよ、ようこそフライブルグへ」と言って僕の背中に手を当てた。「朝ごはんまだだろ?パンが焼きたてなんだ、コーヒーも入ってる、列車の中では眠れたかい?」などと会話しながら彼の家まで5分ぐらいだった。彼の家は小高い丘の上の崖っぷちに建っていて、ドアを開くと彼のお母さんが出迎えてくれた。僕は日本から何かの時にと持って来ておいた京都の舞妓さんの人形を手渡した。彼女は嬉しそうに「まー開けてもいいかしら」と言い「どうぞ」と言うと、日本独特の包み紙を開け人形を見ると目を細めて「まーなんと綺麗なことでしょう、ありがとう」と言って人形を持ったまま片手で僕の手を握った。大きな窓の外は崖の下が一望でき、昇り始めた朝日を浴びながら我々はテーブルに着いて焼きたてのパンとバター、チーズとヨーグルトにミューズリーを食べた。「今日は午前中に秋からのリゴレットの練習があって夜はタンホイザーの舞台がある、トシはどうする、もしよかったら練習を見学するかい?」とアンドレアスが言ってくれたので僕は見学させてもらうことにした。食事が終わると階段を下りて半地下の部屋に僕を案内してくれた。ベッドがセットされてあり、机の上にはライト、壁には古い時計が掛けられていた。そこで少し休んでからアンドレアスの車で歌劇場へ向かった。 つづく
2006.02.12
コメント(0)
旅行の際は「必ず金目のものは着ている服の下に入れる事」と直子さんに言われていたので、僕はパスポートとお金を布の袋に入れ、それを首からかけその上からセーターを着ていた。「外国人は常にパスポートを着用していた方がよい」とこれも直子さんに教えてもらっていた。それから僕は少しうとうとしたが、ちゃんと眠れず窓の外は白んで来て、もう寝る事は諦めた。到着時間が近付いて来たので僕は荷物をまとめて出口の方に行くと、一人の夫人が荷物を引っ張って僕の横に来たので「次止まるのはフライブルグですか?」と尋ねると「その通り、正解!」と言って微笑んだ。見掛けとは違って面白い人のようだった。列車のドアが開くとホームまでの段差が大きかったのでその婦人の荷物も降ろして手を差し伸べた。「ありがとう、君とても良い紳士になるわよ」と言って微笑みながら立ち去って行った。やはり彼女は僕を18歳ぐらいだと思っているんだろう。アジア人は大概子供に見られ、電車のチケットを買っても勝手に子供料金になっている事がある。公衆電話からアンドレアスに連絡して何処へ行けばいいか尋ねた。「バスかタクシーで音楽大学まで来れる?そこから僕の家は近いんだ」と彼は言った。「OK、了解した」と僕は言って電話を切り、タクシーに乗って音楽大学の入り口に到着するとアンドレアスはそこで待っていてくれた。 つづく
2006.02.11
コメント(0)
僕はケルン駅のカウンターでフライブルグまでの往復チケットを買い列車を探したがうまく見付からず、やっと見付けた駅員に尋ねてもわざと無視されたりした。外国人と見るとわざとそういう意地悪をする人間もいる。止まっている列車の窓から首を出している男性がいたので「21時発のフライブルグへの列車は何処のホームから出るのかなー」と尋ねてみた。するとその男性は「フライブルグか、僕はよく分からないけど君は日本人?僕は昔日本で働いていたんだ、いやー懐かしいなー!でも随分日本語も忘れちゃったなー」ととても流暢な日本語で話した。彼はもっと日本語を話したそうだったが、時計を見るとあと5分しかなかったので「ごめんなさい」と言って別のホームへ走った。いろんな人に尋ねてなんとか目的の列車に乗り込む事が出来た。ICの車内はすべて6人掛けの個室になっていて、席につくと僕の他には部屋に誰もいなかった。列車は出発し、僕は悠々と一人で手足を伸ばして寛いで座っていた。すぐに他の部屋の人たちも明かりを消して寝る態勢に入ったのでぼくも眠ることにして明かりを消して肘置きを上に上げてごろりと椅子に寝転がった。幾つかの駅で停車し人々が乗り降りしたが、一向に誰も僕の部屋に入って来なかった。しばらく駅がないようで、列車は快調にスピードを出して走っていたそんな時、一人の女性が部屋に入って来た。暗くてよく見えなかったが、どうやら若い女性で荷物は何も持っていないように見えた。急に起き上がるのも変だし、僕はそのまま目をつぶって横になっていた。少しして眠れないので薄目を開けて見てみると座席の上に付いている小さなライトを点けて本を読んでいた。そのうち僕はうとうとと寝てしまい、ふと小さな音で目を覚すと部屋は真っ暗で、彼女は僕の上の網棚の荷物を静かに開け、中をあさっていた。「そこには僕の財布はないよ」と僕は声を掛けた。彼女はビクッとして手を引っ込め、後ずさりした。僕は起き上がり彼女の前に立った。彼女はそんなに背は高くなく黒い髪で使い古したショールを肩に掛けていてどう見てもドイツ人ではなかった。彼女は怯えたようにじっと僕の顔を見ていたが、何語か分からない言葉で何か言って部屋を出て行ったが僕は後を追わなかった。 つづく
2006.02.07
コメント(0)
一月一日はクリスマスほどは町は盛り上がらなかったが、午前0時になると皆一斉に窓から打ち上げ花火を手に持ったまま打ち上げて「新年おめでとう!」と叫んでシャンパンで乾杯し、タキシードやドレスを着ている人もいた。僕も部屋の外に出てそんな様子を見ていたが、シャンパンを掛けられそうになったので部屋に逃げ帰って外がガヤガヤうるさい中一人で静かにワインを飲んで眠った。何日かすると授業が始まり、僕はまた週3日働き、毎日先生の所で歌った。ある日見かけない男性が授業に参加していた。クワストフに尋ねると「彼はフライブルグの歌劇場で歌っている人で、時々レッスンを受けに来るんだ、すばらしいバリトンだよ。」と言った。彼の番が来てヴェルディの歌劇「リゴレット」のアリアを歌った。なるほどすばらしいバリトンだ、とても丹精な響きを持つ上品な声だった。次のシーズンで彼はリゴレットを歌うことになっていてアリアだけではなくオペラ全体のいろんな部分を歌ってレッスンを受けていた。授業が終わり皆が帰り仕度をしている時に先生が彼に「彼はずっとバリトンを歌って来て私の所でテノールへの声種変更をしているのよ」と僕を紹介した。彼は僕の方を向いて「よくテノールになる事を決心したね」と静かな声で言った。彼はアンドレアスと言いすらりと背が高く、口髭を生やし話し方もやはり上品でとても優しそうな目をしていた。「フライブルグって綺麗な町なんでしょ?」と僕は尋ねてみた。一度何かの本で写真を見ていつか行ってみたいと思っていたのだ。「そうだね、アルプスが近くに見えてとてもいい所だよ、一度おいでよ、春にはワーグナーの歌劇[タンホイザー]のヴォルフラムを歌うし、秋には[リゴレット]を歌うからどちらでも見にくればいい。」と言ってくれた。「ええ!ぜひ伺います」と言って電話番号と住所を聞いて我々は別れた。3月になるとアンドレアスに電話をして「本当に伺っていいですか?」と尋ねた。「もちろんだよ、夜はうちの家に泊まればいいからね、心配しないで気を付けておいで」と言って彼は電話を切った。僕は先生に「アンドレアスの舞台を見に行きたいので何日か休みます」と伝え、「私からもよろしく伝えてね、楽しんでらっしゃい」と先生は言った。 つづく
2006.02.05
コメント(0)
我々は帰りに大聖堂の前を通り掛った。夜に初めて見たが、綺麗にライトアップされて夜の空にその巨大な石の姿をより一層大きく見せて聳えたっていた。僕はまた立ち止まってじっとそれを見上げた。何度通り掛かっても立ち止まってしばらく見上げてしまう。「その昔はこの町は殊更信仰の厚い所で、4世紀に最初の大聖堂が立ったんだけど何度も消失して、今の大聖堂は1248年に町全体の人たちが費用を出して建て始めたんだけどもちろん完成するまでに何百年も掛かるから途中で費用がなくなっちゃったのよ。それでその後600年も未完成のままだったんだけど、ナポレオンの支配から解放された時、ゲーテの呼び掛けでまた建設が始まり、1880年に今の形に完成したの。だからこの大聖堂はドイツ統一と愛国心の象徴でもあるわけ。その後先の世界大戦で14回も爆撃を受けて天井に穴が明いたけど崩れなかった。そして戦後元通りに復興したの。」「へー!最初建設を計画した人たちは設計した人も含めてこの雄々しい姿を見る事が出来ないのが分かっていながらお金を出して夢を託すんだもんね。そして何百年もの年月を経ていろんな人々の思いが練り込まれて不動の建物になる、そういう長い長い歴史なんだね」と僕は言いたかったがうまくは行かなかった。我々は最後にもう一度大聖堂を見上げた。駅に戻り「今日はどうもありがとう、とても楽しかった」と僕が礼を言い、「ええ、私もよ、もっとトシが話せるようになったらいろんな事を話たいわ」と彼女は言って微笑んだ。もちろん彼女は精神的に不安定で、気難しい所の有る人だったが、何かしら僕と彼女で同じ部屋を共有出来る部分が有るような気がした。 つづく
2006.02.03
コメント(1)
全12件 (12件中 1-12件目)
1
![]()

