2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全8件 (8件中 1-8件目)
1
授業が終わり皆帰った後でロシア行きのメンバーが先生のもとに呼ばれ、何を歌うかを話し会い、先生はそれぞれの者に歌うべきオペラのアリアと二重唱を言い与えた。クワストフにはトスカの「たえなる調和」を勧めたが、彼は頑固にラ・ボエームの「冷たき手を」を歌いたいと主張した。「あれはハイCがあるから、危険だわ、もう少し高音が安定するまで人前で歌うことは避けた方がいいと思うわ」と先生が注意したにも関わらずクワストフは「大丈夫です、すばらしく歌って見せます」と言い、先生の助言を聞こうとはしなかった。そういうところも何だか以前の彼とは違う。半分やけになって、自分の中で意地になっているように見えた。ラ・ボエームの「冷たき手を」というロドルフォのアリアはテノールにとって最大の難曲で最後の部分に高い(ド)の音があり、これは大変なハイテクニックを必要とし、クワストフも授業で度々歌っているが5回歌ううち1回ぐらいしか成功しない。確かにコンサートで歌うのは危険だ。しかし彼はこの曲に必要以上にこだわり、ハイCが出ないとテノールではないと言わんばかりに執着していた。男という動物の困った性質である。「人よりも大きな車に乗りたい!人よりも高い城を築きたい!人が登った山よりもより高い山に登りたい!人よりも大きな●●●を持っていたい!」そしてテノールは人よりも高い声が出したい、などというつまらない欲故に大事なものを見失う。 つづく
2006.10.29
コメント(1)
クワストフは相変らずいらいらを募らせ、アルバイト中のLKWの中でも口数は少なく、度々窓の外に向かって他の車と怒鳴りあって喧嘩した。その度僕は殴り合いにならないかとひやひやしたが、それでもドイツ人というのは比較的穏やかで、車を降りて襟首をつかみ合うというようなことには一度もならなかった。ある日仕事の後クワストフの家に行ってキッチンのテーブルに僕とクワストフ、レナーテと5歳になる娘のアンナの4人で座り、授業までの時間を潰している時のことだった。クワストフの機嫌は最高に悪く、手にしたコップを握って割ろうとしていた。でも彼の怪力でもってもそれは叶わず、眉の間にしわを寄せて何か分からないことをぶつぶつ言っていた。おそらく毎日こんなふうなのだろう。「もういい加減にしてよ」とレナーテが乾いた声で言い、それに対して「俺の勝手だろ」と彼は怒鳴った。そこでアンナが笑いながら何か一言クワストフに言った。僕は彼女が何を言ったのか分からなかった。一瞬クワストフの手が止まり、アンナをじっとにらみ、その瞬間テーブル越しにアンナの頬を殴った。僕の目の前の出来事だった。アンナは大声で泣き、レナーテはアンナを抱きしめクワストフをにらんだ。クワストフは手に持ったコップをテーブルに叩き付けながら「何てことだ、それが親に対して言う言葉か」と怒鳴った。レナーテは彼をにらんだまま何も言わなかった。 つづく
2006.10.20
コメント(1)
僕はアンコールにベートーヴェンの「キス」という曲を歌った。歌い終わりに会場は大爆笑となった。この詩の最後に落ちがあるのだが、僕はその意味がよく分からないまま歌っていた。その内容は一人の少年がさっきあったことをもう一人の少年に自慢しながら話している。「僕はクローエンの部屋に彼女と二人きりでいた。そして僕は彼女にキスがしたくなった。(そんなことしたら大声で叫ぶわよ、骨折り損よ)と彼女は言った。それでも僕は思い切って彼女にキスをした。(それで、彼女は叫ばなかったの?)もちろん彼女は叫んださ、ただしずっと後にね。」何処がそんなに面白いのだろう、自分で歌いながらおいてきぼりにされたような気がしてコンサートは終わった。後にちょっとしたパーティーがあるので是非残って欲しいと言われ、コンサート会場をパーティー会場に作り変える間先生と直子さんとベルントと4人で部屋の隅に立って待っていた。「トシ、とてもよかったわよ」と先生は満面の笑みで言い、ベルントも「ブラボー」と言って僕の背中に手を当てた。皆それぞれの家から持ち寄った料理が運び込まれ、即席パーティーが始まった。料理はドイツの田舎家庭料理という風で、野菜のたっぷり入ったスープにしても、じゃが芋とブロッコリーのホワイトソース煮も分厚いベーコンを炒めたものもどれもとても美味しく、クワストフは文句を言っていたがぼくはやっぱりドイツ家庭料理が大好きだと思った。皆次々に僕の所に来ていろいろと話掛けてくれた。一人の紳士は「あのキスという曲は良かったよ、ベートーヴェンのキャラクターからは想像出来ない曲だよね」と言い、年配のご婦人は「あなたは日本から来られているの?私はアジア人を見るのは生まれて初めてだし、この村にアジア人が来たのももちろん村始まって以来のことだと思うわよ」と言って上品に微笑んだ。子供も何人かいて、珍しい動物を見るような目で遠くから僕を眺めていた。その後この教会の合唱団で歌っているという人たちが何人かで僕の所に来て「あなたが歌った前に私たちの合唱団とオーケストラが一時間ほど演奏していたのよ、おかげ様で今日はとてもすばらしい音楽祭になったわ。でもアジアから来たあなたがあんなに綺麗なドイツ語で私たちの母国の歌を歌うというのはなんだか不思議な気がしたわ。それと同時にとても嬉しく誇りに思えるの。ここで良い勉強をして是非日本の皆様にドイツの音楽を伝えてね」と親しみ深く話してくれた。 つづく
2006.10.15
コメント(1)
その後1時間半ほど僕はぶっ通し歌いレッスンが終了した。その間も先生と直子さんは楽しそうに冗談を言いあったりして和やかな雰囲気だったが、僕はへとへとに疲れた。「さーそれじゃ庭に出てお茶にしましょう」と先生が言い、皆外に出た。3月の日差しが暖かく降り注いではいたが風はまだ冷たかった。それでも皆はそんなことは気にもせず、先生の娘さん、息子さん、ベルントも出て来て大きな丸いテーブルに座った。紅茶とケーキが運ばれ、またまた巨大なケーキを3種類食べた。もう次の日の夜まで何も食べなくても大丈夫なぐらい満腹だった。紅茶を入れたポットやカップは見るからに高価なもののようでとても緊張したが、皆は気にせずあちこちにぶつけ無造作に扱って楽しそうに会話を楽しんでいた。日本にはめったにないゆっくりと時間が流れるリラックスした休日の午後だった。演奏会当日は先生の家でタキシードに着替えてからベルントが車を出してくれ、先生、直子さん、僕をその村まで連れていってくれた。会場は山の斜面にある小さな村の中心の白いかわいい教会の横にある集会場のような所で、もうお客様が100人ほど集まっていた。僕が入って行くと皆こちらを見て大きく拍手して迎えてくれた。直子さんの伴奏で僕は用意したベートーヴェンの歌曲を8曲歌った。当たり前のことではあるのだが、僕にとってとても新鮮だったのは歌の歌詞に一つ一つ反応があるということである。悲しい詩の歌では皆ため息を吐いて拍手が起こるし、コミカルな詩の際は笑いが起こった。このように内容がダイレクトに楽しめて初めて演奏する方にとっても生きたドイツリートだと感じ、僕はあぜんとした。日本でこれをどうやってお客様に少しでも楽しんでもらえるのだ。またどうやってドイツリートの醍醐味を理解してもらえ得るのだ。それは僕にとって大きな課題だった。 つづく
2006.10.13
コメント(0)
次の日先生は僕を呼び出して「ここより少し山手の村で小さな音楽祭のようなものがあって、そこで30分ほど歌って欲しいということなの。あなたドイツ歌曲でプログラムを組めますか?選曲したら一度見せてちょうだい」と言って先生は忙しそうに立ち去った。30分と言えば8・9曲は歌わなくてはならなく、たやすいことではなかった。僕は考えた末、ベートーヴェンの歌曲のみでプログラミングして曲目の書き上げたものを先生に見せた。「ベートーヴェンだけですか?」と書類から目を上げて先生は尋ねた。「はい、30分という持ち時間を考えるといろんな作曲家をお聴きいただくより、一色に統一した音楽を聴いていただきたいと思ったものですから」と僕はきっぱりと言った。先生は少し書類を見て考えてから「分かりました、それではこのプログラムで行きましょう」と言って紙をノートに挟んでパチンとそれをとじた。「あなた次の日曜日ここへ来れますか?ちょっとその曲を通して聴かせてもらいたいんだけど、伴奏は直子さんに頼みましょう」と言って先生は微笑み部屋を出て行った。日本とは違い「これはいかがいたしましょう」なんて他人のお伺いを立ててばかりいてはバカにされる。自分の考えをずばり相手に表明することがとても大事なのだ。ようするにややこしい腹の探り合いは避けるということである。しかしそれもなさ過ぎると困ったことにもなる。日曜日までに僕は必死に練習して、直子さんの車で午後2時ぐらいに先生の家に伺った。先生は終始にこにこして、普段の授業のときよりも随分リラックスしているように見えた。 つづく
2006.10.11
コメント(0)
トシよかったな、おれたち一緒にロシアまで行けるぜ」とクワストフは隣の席で僕の膝を揺すって嬉しそうに言った。「ここへ来て1年半しか経っていない僕がそんな所でテノールとして演奏出来るかな」「大丈夫だよ、ロシア行きまでにはあと3ヶ月あるし、何とかなるよきっと」と言って彼はもう一度僕の膝を揺すった。その日はマルガレーテの車でケルンまで帰ったが車内ではほとんど会話はなく、重苦しい空気が溢れていた。マルガレーテはロシア行きには選ばれなかったのだ。同行する僕には慰めようもない、仕方なくケルンに着くまで黙って助手席に座っていた。いつも降ろしてもらうケルン中央駅で車を止め「ロシア行き頑張ってね」とマルガレーテは無理に少し微笑んで言った。「どうして僕が選ばれたのかさっぱり理解出来ないよ」「先生はトシの才能をすでに見抜いているのよ」「まさか、まだろくにアリア一曲通して歌えない僕に才能があるかどうか分かるものか」「先生には分かるのよ」「ありがとう、取りあえずやってみるよ」と言って暗い車内で彼女の顔を見た。そんなものに選ばれても選ばれなくても大した問題ではないように僕には思えたが、何しろマルガレーテという人は物事を何でも重要にとらえ過ぎるところがあり、自分をどんどん追い込んで行く。今回のことも執着しすぎなければいいのだがと思いながら車を降りた。目や肌の色、話す言葉が違っても我々はやはり同じ人間だとまた僕は感じる。狭い囲いの中で隣人を意識し、常に自分と比べてライバル心をあらわにして行く。そして人間関係に緊張が高まり、皆ストレスに溺れて行く。一人一人全く違う体と心と生い立ちを持ち、それぞれの異なる問題を抱えている我々は本来互いを比べあうことは不可能であると思うのだが、僕にしたってそんな風にマイウェイを守り抜いて行く自信はない。 つづく
2006.10.08
コメント(1)
「僕はコアに行くことも考えている」とある日LKWの中でクワストフが突然言い出した。「コア?まだそんなに急いで結論を出さなくても」と僕は彼の運転する横顔を覗き込んで言った。コアに行くというのは歌劇場のオペラのコーラスで歌う仕事に就くということであり、ソロの歌い手としてやって行くよりずっと給料は多いし安定している。でも平たく言えばソリストになることを断念した者が食べて行くためにやむを得ず選ぶ道である。「これだけあちこちオーディションに行ってだめならもう望みはないよ、それに旅費がかさんでもう金がない、僕は親に楽をさしてやりたいし、ちゃんと籍を入れてレナーテとアンナを養わなくっちゃならない。いつまでもこんなことをしちゃいられないよ」と彼はハンドルを握り締めてきっぱりと言った。僕はそれ以上何も言えなかった。「ロシアのセント・ペテルブルグの音楽祭に我々の研究所から何人か歌い手を招待し演奏してもらいたいという要請がありました。今からその選抜メンバーを発表します」とアオルマン先生が授業の終わりに突然言い出し、皆は神妙な面持になった。女性4人、男性4人の合計8人の名前が呼ばれた。その中にはベルント、クワストフ、レナーテの名前もあり、全員の名前の後に先生は僕の名前を唐突に呼んだ。僕はハッとして先生の方を見た。「皆にはオペラのアリアやアンサンブルを歌ってもらいますが、トシには音楽祭の中の歌曲の演奏会でドイツリートを歌ってもらいます」と皆に説明した。「僕がですか?」と驚いて尋ねた。「そうですよ、何か?」と先生はクールに言って、僕が何も言わないのを見定めてから「はい今日の授業はこれで終わります」と言って立ち上がった。 つづく
2006.10.04
コメント(1)
クワストフとの仕事も初めてから一年が過ぎ随分慣れてきていたが、相変わらず日によって彼の機嫌にも斑があり、最近いらいらしていることが多いように思えた。あれからアオルマン先生に言われドイツ中のアーゲントゥーワ(音楽プロダクション)や歌劇場にオーディションに出掛けて行ったようだが、何処でもデビューに繋がる良い結果は得られていなかった。一方ベルントは次々と大きな役をこなし華々しく舞台に立っていて、そういったこともクワストフにプレッシャーとなっていたのだろう。家庭でも彼はいらいらを露にしているらしく、レナーテは常に暗い面持で授業に出ていて、歌にもあまり気が入っていないように見えた。レナーテもすばらしいメゾソプラノで先生は次は彼女を世に出すべく躍起になっていて、彼女のそういった精神的な変化にも敏感に反応を見せていた。同じ音楽家同士、しかも歌い手同士が一緒に暮らすというのはやはりとても難しい。どうしたってライバル意識が出て来るし、二人ともそれで大成するとは限らない。ことによると惨酷に傷付け合うことにもなる。一般の職業のために資格や技術を手に入れることとは違い、芸術や音楽を志す者にとってそれは生きることそのものなのだ。それだけ人を引き付ける魅力のある分野であり、一度それを知ってしまえば才能に恵まれないからといってあっさり諦めてしまうことは不可能である。おまけにそれで生計を立てて行かなくてはならないのだ。だからこそ惨酷だ。 アルバイト中でもクワストフは僕に当り散らすことも多く、僕も頭に血が上り喧嘩が絶えなくなって来た。怒鳴り合いになることもしばしばで、そうなるとうまくドイツ語で言い返すのは難しく僕のストレスも頂点に達そうとしていた。 つづく
2006.10.01
コメント(1)
全8件 (8件中 1-8件目)
1

![]()
