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今年もなんとか無事に終わることが出来ました。 世界大会という大きな責務を果たすことが出来たのは、大石道場を支えてくれる皆様方のお陰であると、心より感謝致しております。 年明けは、40周年記念という大きな行事も控えております。またまた、ご協力をお願いいたします。宜しくお願いいたします。 一年間本当にありがとうございました。 押忍
2016.12.30
大山総裁に支部長に任命されてから40年が経った。今では、支部長という名称さえ懐かしいものになった。 26才で山梨支部を開設し、翌年、静岡支部を開設した。40年も経つと、同期の支部長達の何人かは亡くなり、何人かは行方が不明である。極真空手の一番良い時を経験しているだけに、大山総裁死後の分裂につぐ分裂は、相当こたえたと思う。 そんな中で来年1月15日に、道場開設40周年の記念行事が行われることになった。何人かの弟子達が発案してくれた。私も、何かしなければと思っていたので、思いは通じたのである。 改めて、よく40年持ったと思った。極真空手の一番良い時代に、多くの支部長達は人脈を外に作ろうと躍起になっていた。人脈とは、スポンサーの様な人達である。大会へ行くと、その様な人達が幅を効かせて、ふんぞり返って席に座っている。支部長同士で、そういう人間が何人いるかを自慢しているのである。私はそういう光景を見て一種の嫌悪感を覚えた。私は、ああいう風にはなりたくないと、強く心に刻んだ。 40年経った今、外へ人脈を作ろうと躍起になったり、豪邸に近い様な家を建てた支部長の多くは、見る影も無い位に廃れてしまった。目的が違ったのである。極真空手の道に生きるのではなく、極真空手を利用して、栄達の道を行こうとしたのである。 私は、人脈を外ではなく中に作った。中とは、道場生の事である。作るとは、一緒に稽古する事である。同じ極真の道を歩く事である。私が、ほんの一歩前に出て歩く事である。これなら無理なく出来る。その40年間であったと思う。そして、13年~15年以上の黒帯が、今現在60人位いる。道場生が一番の理解者であり、実践者であり、後継者なのである。その道場を、自分の生きる場所にするかしないかで、大きな分かれ道になる。 まだ若いのに、ああだこうだと言って、尻の青い道場生に号令を掛けさせ、自分は横で見ていて指示を出す。これでは指導とは言えないが、体が動かないのである。今、指導者がいないのである。道場の支配者はいるが、身を以て引っ張る指導者が、極端に少なくなっている。40年経った今、私には身の丈以上の肩書が付いてしまったが、人を生かす事によって自分が生きる、自分が生きる事によって人を生かす。即ち、空手家への道であり、真の指導者の道でもある。この事をもう一度胸に刻み込んで、40年の節目にしたいと思っている。 私が入門した時の大山総裁は、45才であった。当時は、大山先生と言っていた。私は見た瞬間に思った。最強の勝負師そのものであった。眼光も人間のものとは思えないし、口から出る言葉もそれを物語っていた。自分が苦しい時は相手も苦しい。相手は神様ではない。一日6時間の稽古を3年間やりなさい。毎日1000回は蹴らないとだめだ。空手に先手あり、一撃で相手を倒せ。負けるケンカをする度胸があるか。勇気を失う事は自分を失う事だ。勇気を失ってはいけない。足が震え、腰が抜ける程の恐怖を耐えれば、その何十倍の勇気を手に入れる事が出来る。最初から強い人間はいない。先に命を捨てた方が勝つ。金もいらない、名誉もいらない、命もいらない、こういう人間が一番強いんだ。等々。 40年経っても、私の心には空手家大山倍達、勝負師大山倍達の姿が一番強く残っている。立ち合ったら親でも倒せ、と言った勝負師大山倍達。負けたら全てが終わり。その厳しさを誰よりも知っていたと思う。私から見た勝負師大山倍達は、50才前後位までかなと思う。勝負師から、館長、総裁と時の流れと共に、呼称も変わっていった。何人かの弟子と言われた人達は、それをこじつけにして去っていった。呼称が変わっても大山倍達は大山倍達なのである。去っていった人達は皆、自分の会派を作り、組織作りに余念がない。皆、組織の長になりたかったのであろう。 大山倍達の空手は、極地において真を極めるそのものであった。私は、大山総裁にいろんな極地に導いてもらった。もうこれ以上我慢出来ないという、我慢の極地。もうこれ以上体が動かない、でも動いた、稽古の極地。自分を奮い立たせる精神の極地。 40年もったのはやはり、大山総裁のお陰である。 押忍
2016.12.23
昔、何十年も前にいろんな先輩から、支部長になっても毎日、自身の稽古をしなくてはだめだと言われた。私は、先輩達の言葉を大切に守ってきた。 あれから40年が経った。今でもその言葉を守っている。多分、言った人達は自身の言った言葉を忘れているだろう。でも、言われた者は、その言葉が自分にとって本当に大切なものだと感じれば、忘れる事なく生き続けるのである。 極真の先輩の言葉は、私にとってとても大切なものである。そのお蔭で、今があると思っている。
2016.12.14
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