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ネットでは、犀角独歩やhideやら、支離滅裂な事を書いている。湘南坊なる痴犬が、あーだ、こーだ、騒いでおります。モバゲーや、mixi、GREEでは、ハゲ大先生(テツ)なる者が、馬鹿騒ぎをしております。 いくら、否定をしようが彼ら痴犬らの妄想には、矛盾が生じるし、いくら否定したところで、では、こういう可能性があるという事が考えられてしまうものが、あります。 つまり、真実をいくら”妄想”やら”想像”で、否定しようが、それは無駄な足掻きでしかない。 まして、ハゲ大先生(テツ)なる痴犬は、正本堂=大客殿と、大石寺の堂宇すら知らないくせに否定する無知ぶりです。だから、ネットで”恥曝し”と言うのである。さて、二箇相承の真筆は、行方不明になっております。日蓮正宗の歴史、北山本門寺の歴史を知っているならば、分かる話しではあるが、騒いでる連中は、歴史すら知らない。日興上人の流れをくまない身延日蓮宗など他門流では、真筆が失われているのをいいことに、やたらと否定しようとします。「でっち上げだ」と言って。 しかし実は、その二箇相承書の失われた過程が詳細に記録に残っているのです。真筆の失われた御書は多いですが、失われる過程が記録された文書は珍しいですね。 記録者は、保田妙本寺の住職、日我です。当時、二箇相承書は北山本門寺で保管されていました。北山の住職は日殿という人物です。 日我の記録によりますと、西山本門寺の住職、日春が、自山を権威づけるために、北山本門寺に保管されていた二箇相承書をはじめとする重宝を奪い取ろうと企てたそうです。 そして戦国武将の武田家に依頼しました。 武田の軍勢は依頼に応え、北山本門寺に押し入り、住職日殿を脅し、二箇相承書をはじめとする数々の重宝を奪い取って行きました。 しかし武田家は、西山本門寺の日春に重宝を渡さず、自分たちで抱え込んでしまいました。日春も話が違うことに驚きうろたえましたが、武将の軍勢の前に、なすすべはありませんでした。 日我は記録の中で、言葉を極めて西山の日春を非難しています。いわく「二箇相承書紛失の張本人」だそうです。また北山の日殿に対しても「武力に屈した腰抜け坊主」と批判しています(日殿は元々、日我の弟子でしたが、この時期には義絶関係となっていました)。 強奪事件の当事者ではない保田妙本寺の日我が、第三者的立場から記した記録は、非常に信憑性があると思います。 武田軍による強奪事件があり、その中には二箇相承書も含まれていた、このことはほぼ事実と考えて間違いではないでしょう。 保田妙本寺の後の記録によると、さらに日殿は武田邸の前に座り込み、重宝返還を哀願し続けました。しかしそれが叶えられないとなると北山本門寺に帰り、断食して自殺してしまいました。重宝を強奪された責任を感じてのことです。 で、どうして手間暇かけてそんなことする必要性があったというのでしょうか。大石寺や北山ならともかく、事件と直接関係のなかった保田妙本寺が、そんな日我の記録を偽造する必要性などどこにもないはずです。 自山を顕彰するためならばこんな回りくどいことをせずとも、それこそあの万年救護本尊を立てて日目上人から日郷師(保田妙本寺開基)への相承書でも偽造したほうがよっぽど有効です。 二箇相承書を偽書呼ばわりする人間は少なくありませんが、きちんと説明してくれた人間はまだ誰もいないようです。 彼らがちゃんと説明できないこの事実こそ、二箇相承書が本当に存在したという事実を裏付けてくれるものだと思います。 実際、保田妙本寺の記録を読む限り、二箇相承書は本物だと考えるのが一番自然です。偽物扱いすると、どうしても不自然でつじつまの合わない部分が出てきてしまうではありませんか? ハゲ大先生(テツ)なる痴犬は、第三者の意見が大切だと豪語した。 この詳細な記録が、保田妙法寺にあるわけで、保田妙法寺が、捏造する必要はないのです。 もがいて、意味不な反論をしてくるだろうが、それは、いい年したオッサンのくだらない妄想癖と言える。妄想でなく、真実で反論すべき事である。
2011.08.31
生きるということは大変なことであり、どんな人にも悩みや苦しみはあります。 私達は境遇という外面からの作用だけではなく、自分自身の命の状態、また心の状態(喜怒哀楽)という内面に大きく影響されます。 ですからたとえ環境等を変えたとしても、一時的にはよくても自身の内面が変わらなければ結局また同じ状態になってしまいます。 宗祖日蓮大聖人さまは 「深く信心を発(お)こして、日夜朝暮(にちやちょうぼ)に又懈(おこた)らず磨くべし。何様(いかよう)にしてか磨くべき、只(ただ)南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云ふなり」(御書46) と仰せです。 日々の精進によって清い心を培い、その積み重ねが人生という長い時間に渡れば、抱く感情に大きな差が生じてくることは歴然としています。 お金やモノでは命を磨くことはできません。 南無妙法蓮華経とお題目を唱えることによって、自分の命を根本から磨き、最高の徳を積み重ねることができるのです。 生きる事って、本当に大変な事です。毎日いろんな事があります。 その中で、辛かったり、悲しかったり、悔しく思ったりします。 人間なんて、誰もがいろんな悩みがあります。悩みがない人なんて、世の中存在しないでしょう。 私もそうだし、法華講の皆さん、御僧侶でも、猊下様でも、少なからず何か?悩み事はあるはずです。何が悩みか?わかりません。 それを乗り越えていく、必ず乗り越えられる。それが、この信仰なのです。
2011.08.30
人は生まれてから、死ぬまでで、苦労をしない。順風に生きるなんて、不可能だと思います。やはり、いろんな体験をしていかないと、人って成長はしない。いくら、仏法をしてるからと、我々法華講全員が、順風に生きてるわけでない。いろんな苦労があり、いろんな勉強をして、成長をしていくのです。人生の五訓のなかにある言葉で、このブログ始めた頃にも書きましたが、坂についつ、三つあります。上り坂、下り坂、そして、まさかという坂があります。辞書にはまさかは、以下の意味である。「どう考えてもそのような事態は起こりそうもないという気持ちを表す。いくら何でも。よもや。どう考えてもそのようにはできないという気持ちを表す。とても。どうしても。」さて、ここで一日教訓を出しておこう。人は、苦しいことや悲しいこと、また困難なことに出会ったとき、それを解決し克服する方法について思いをめぐらし、悩み苦しみます。しかしながら、悩める心の状態でどんな知恵をしぼっても、なかなか真に解決する方途を見出すことはできません。悩める命から導き出される答えもまた悩めるものなのです。仏様の教えには、生(生まれてくる苦しみ)・老(年をとる苦しみ)・病(病を患う苦しみ)・死(死を迎える苦しみ)という苦しみが説かれています。誰びともこの苦しみから逃れることはできません。仏様はこのすべての人が直面する人生の本質的な苦悩を根本から解決する道を説き示してくださっています。そしてその解決する道を歩む時、そこに真の幸せ(成仏)があることを説かれているのです。社会的地位や名誉、または財産等を得ることだけが真の幸せではなく、それはあくまでも一時的な幸せにすぎず、本当の幸せは因縁果報の道理をもととした信仰生活を送っていく中に見出すことができるのです。自己の内面にある健全な生命を確立し、深い智慧と強い心を養うことによってもたらされるものなのです。人が願う「物質的に満たされた生活をしているから幸せ」ではないのです。物質的に恵まれようとなかろうと、まず自身の心の財産を築かない限り、どのような環境・状況になっても確固たる自分を確立することはできないのです。
2011.08.27
慈悲とは何か?以前確か?一昨年あたりに書いたかと思います。慈悲を辞書には、以下が書いてあります。 じひ [慈悲]仏教で,仏・菩薩が衆生をあわれみ,楽を与え,苦を除くこと。いつくしみ,あわれむこと。情け。 慈悲を単に優しく話したり、励ます。それを慈悲だと勘違いしてる人は、多い。 だが、時には厳しく叱り。怒る。私は、相手の間違いを正すためには、厳しくするのも慈悲だと思う。 ある法華講の友人は、私を正義感が強いと言うけれども、私はふざけた人間は昔から嫌いです。 だが、ふざけた人間も救わなければならない。だから、私はふざけた人間に厳しく言う。本人はふざけたつもりなかろうが、仏法から見てふざけてるならば、法華講だろうが、アンチだろうが言うべきは言う。 相手を思う事が、本当の慈悲であり、相手に嫌われたくないから、間違っていても、何もしない。言わない。オブラートに包む行動。それって、慈悲とは言えないと、私は思う。 あるサイトで、ある法華講が日蓮正宗の大御本尊や、御書をニセだの、何だの言っていた。なら、私は信じられないなら、辞めるべきだと、また、その根拠は?彼の解答は、根拠は示せず、説明しても理解しなかった。 いろんな法華講の方々が、彼を想って、それは学会か?とか、間違いを指摘したが、彼は慈悲じゃな~い!と騒いでいる。 他人から、説明されてそれを受け入れずに、自分勝手な考えでいる。 自分勝手に仏法は、計れない。 自分勝手な慈悲感、自分勝手な仏法感は、危険である。
2011.08.26
昭和55年11月26日 学会創立50周年記念幹部登山・北条浩会長指導「今日において、歴代の御法主上人を日蓮大聖人と仰ぐのが、日蓮正宗の信心であり、学会の伝統である。御法主上人を「軽しむ」ようなことがあれば”御書に照らしても堕地獄は疑いない。”私共は、何があろうと、御法主上人の御指南のまま邁進し、僧俗和合を築いていくことを確認しておきた。」 かつて、創価学会はこのような指導をしてました。創価学会ノート より一部抜粋http://d.hatena.ne.jp/zadia1906/20110810 ご存知のように、敵の死を「仏罰」だと一方的に断じ、「仏法の裁きは厳しい」などと機関紙などで嘲笑ってきた創価学会だが、宗門との抗争で学会側についたキーパーソンが、悉く死亡している事実については、どう弁明するのだろうか。 1椎名法昭 平成15年12月、肺ガンで死去。享年51歳。日顕猊下による芸者との「豪遊写真」を学会に提供。 2大橋正淳 平成15年3月、肺梗塞で死去。享年65歳。反宗門僧侶の中心人物。「C作戦」「相承疑惑」について学会と共闘し、舌鋒鋭く猊下と宗門を攻撃。 3岡崎雄直 平成9年3月、心不全で死去。享年37歳。 「宗門はお骨を米袋に詰めて不法投棄している」と告発。自ら撮影した写真を学会に提供。この写真は「創価新報」などで大々的に取り上げられた。 4ヒロエ・クロウ 平成7年3月、肺ガンで死去。享年64歳。僧侶ではないが、「シアトル事件」の学会側証人。裁判中に急逝した。 創価学会は、何かあると「仏罰だ!」と騒ぐが? これらを見ると、これって?仏罰じゃないの? 日顕上人を散々誹謗した方々が、亡くなっております。 偶然でしょうか? やはり、”御書に照らし合わせても”偶然とは言えない。 法華を持つ者を誹謗してはならないという事です。
2011.08.25
科学的に鑑定?はあ? 科学的って??科学的に鑑定したところで、楠木でできていて、漆と金箔だ。それ以外何が?(笑) 筆跡鑑定!と騒ぐのがいるが?そもそも筆跡鑑定で、削られた文字を鑑定した話しなんて聞いた事ありません。 では、人気テレビ番組「なんでも鑑定団」にて、科学的に鑑定したお宝って、ありましたかな?(笑) 専門の鑑定士が、鑑定してるが?科学的に鑑定はしていない。 そもそも実際に見た事ない輩ほど騒ぐ、ならば現実を見ればよかろう。 大御本尊が鎌倉時代である事は、文献から判断されている。参考を出しておこう。■日達上人 ■「大御本尊は楠の板で、その時分は鉋(かんな)がなかった、鎌倉時代には手斧(ちょうな)である。 だから、あの御本尊は手斧削(けず)りである。それを見れば、すぐわかる。 それを知らないで、『漆を塗ってあるから、あれは足利時代にできた』とか、最近は『徳川時代にできた』などと、とんでもないことを言う。ところが、あれは、後ろを見ると、みんな、削った跡がちゃんと残っている。 それを見ても明らかに鎌倉時代である」(昭和四十七年九月十二日) ■「その御本尊様は、もう六百八十年も前にできた板御本尊でございまして、これは、当時、鉋(かんな)というものがなかった、鎌倉時代でございますから。あの板御本尊様は、明らかに鉋では造ってないのであります。 みんな手斧(ちょうな)、手斧といっても戦国時代あるいは室町時代にできた丁飽(ちょうな)でなくて、もっと古い、まさかりみたいな手斧で削られておるのでございます。 それが歴然としてあの板御本尊に残っておるのでございます。 それを見ても鎌倉時代、大聖人の時代にお造りになった御本尊様である、ということがはっきりしておるのでございます」(昭和四十七年十一月二十日)■日顕上人 「この際はっきりしておくことは、本門戒壇の大御本尊様と日禅授与の御本尊とは全く相違している、ということである。よく拝すれば、中尊の七字の寸法と全体からの御位置においても、明らかに違いが存し、また御署名花押の御文字及びその大きさや御位置、各十界尊形(そんぎょう)の位置等にも歴然たる相異が存する。そして、もちろん模写の形跡は存在しない。 したがって御戒壇様と日禅授与の御本尊とを類推すること自体が全くの誤りであり、この事をはっきり、述べておくものである。」(平成十一年九月十八日)
2011.08.24
[478]マイキ8月23日 8:46それと 私の中にある本心 悪魔の心ですが人の幸せなんて 願いたいくありませんそれは 人間欲望に満ち溢れた 餓鬼 畜生みたいな人間がいるからですそういう汚い人間こそ滅び 死すべきじゃないかと考えます醜いとは 僕には 恐ろしく感じます豚のような人間が 豚に感じないのですまるで 女王であるかのごとく勘違いをし豚である事を理解できないバラモンの教えがあるなら 私は その人々にはそれを 教えたい カーストから逃れられない君には 奴隷が似合うとめっちゃくちゃで、意味わかりません。 ネットでこういう書き込みを平気でしてるのです。この輩、私に下ネタで誹謗をしてきたり、まあ~その内容がブログに出せない内容になってます。楽天ブログは、下ネタ系は出せません。 言い訳が、他人が言っていたからだそうです。他人だろうがこのマイキなる痴犬であろうが、他人を下ネタ誹謗は、最低な人間と言えます。 この出した内容が、理解できるのは、天才だと私は思います。このマイキという痴犬は、怖い書き込みです。死ぬべきだとの事。それを平気でネットに書くのです。まるで、オウム真理教です。 奴隷が正しいらいしいです。さらに意味がわかりません。
2011.08.24
「甘えの心」は、世間の価値判断に引きずられるところから生じます。世間の価値判断は、謗法の生活から作り上げられたものです。謗法とは、正しい因果の道理を無視、もしくは何も考えない姿です。(友人から送られてくる一日教訓) 例えば、勤行。毎日毎朝毎晩しますが、世間から見たら、おかしな事になりますが、世間の価値判断は、道理にかなってません。だからと、おかしい事ではない。正々堂々とやれるのです。 世間がどうこうは、信仰において、関係ありません。私たちは、世間に惑わされではなりません。
2011.08.22
学会を折伏してると、いろんな珍解答があります。 仏教の基本中の基本!!三宝についての学会員の解答です。笑えませんわ! ある学会員のおばちゃんの解答です。「三宝は日蓮大聖人!」 ちなみにこのおばあちゃん。学会の教学試験に合格をした方です。たいしたことないです。 ある聖教新聞販売員「三宝は御書だ!」 意味不明です。 これ事実なんですわ(笑) 三宝がわからない。バラバラ! 教学試験に合格しても、三宝が日蓮大聖人?? 仏宝、法宝、僧宝が全くわかってない。だから、平気でニセ本尊を拝めるでしょうか?? このおばあちゃんに、いつから創価学会は日蓮宗になったのですか?と言ったら、日蓮宗の三宝すら知らないそうですわ(笑) 日興上人が、第二祖という事すら解答ができない。 もう、仏法ではないです。完全な池田教と化してますね。 前、ネットで僧宝は池田先生だ!と解答した輩もいました。 おかしいですよね~同じ宗教なのに、基本の三宝がわかってない。バラバラなんて有り得ないです。
2011.08.22
仏教の歴史をひもとくと、自分勝手な解釈をし自分勝手にやる輩はいるものです。お釈迦様の時代には、提婆達多がいたし、日蓮大聖人の時代にも、大聖人に反発した信者がいました。 そういうのは、はっきり言えば、自分勝手な解釈をし、自分勝手にしてる結果だからです。 今まで、創価学会や顕正会の指導を出してきた。一般から見れば、同じ仏法だろうが、全く異なるのです。
2011.08.21
昔の創価の 「折伏教典」(昭和43年9月16日 改訂29版発行 発行所:宗教法人創価学会)には、こう書いてあります。 P.335-336 勝手に作製した本尊に題目を唱える。(略)どれが大聖人の教えにかなった本尊であるか、全く知ることができない。ゆえに、仏法を求める人は、ただ「南無妙法蓮華経はありがたい」と言って、一番大切な信仰の対象たる「本尊」を知ろうとせず、邪宗邪義により、ついに「地獄」に落ちていくのが、現在の「南無妙法蓮華経」を唱えている宗教である。 大聖人の題目を盗み、これを金儲けに利用して、人を不幸にする「悪魔の所為」である。 題目を唱えれば「対象」は何でもよいということは絶対にない。それは、大聖人を悪(あ)しく敬(うやま)うどころか、仏説に反対するがゆえに、大聖人に弓(ゆみ)を引いていることになる。大聖人の仏法は、三大秘法である。この「三秘整足」しない宗派は、邪宗邪義である。 P338 正しい御本尊なき題目は無益であり、「地獄へ行く直道」をつくっているのである。 三大秘法の御本尊に対し、三大秘法の題目を唱えたてまつるは日蓮正宗のみである。 日蓮正宗によって初めて広宣流布、戒壇建立がなされるのである。 P339-341 電球が本物でも、電流が流れてこなければ光は出ないように、御本尊が大聖人のご真筆(しんぴつ)であっても、富士大石寺の大御本尊を拝(おが)まないものは、すべて「謗法(ほうぼう)」である。 謗法のところには、大聖人の御魂(おんたましい)は、住まわれないのである。(略)一切をささげて、南無してたてまつる本尊であるから、総本山においては、ご相伝(そうでん)により、代々の御法主(ごほっす)が、おしたためあそばされるものであり、「三大秘法抄(さんだいひほうしょう)」、「観心本尊抄(かんじんのほんぞんしょう)」等の御文に照らして拝察(はいさつ)するならば、勝手な御本尊を拝むことが、大きな誤(あやま)りであることが、はっきりわかるのである。これは、「不相伝(ふそうでん)」なるがゆえに、仏法の深義(じんぎ)に迷うのであって、「不相伝家(ふそうでんけ)」は、みな、本尊に迷うということができる。 P342-343 大聖人の仏法を修行するならば「南無妙法蓮華経」の「法(ほう)本尊」と、「大聖人ご自身」である「人(にん)本尊」、この「人法(にんぽう)一箇(いっか)」である「一閻浮提(いちえんぶだい)総与(そうよ)」の「大門(ほんもん)戒壇(かいだん)の大御本尊」に向かって、唱題修行する以外にないのである。これを知らずして絵像等を拝むことは、大聖人の教えに反する邪義であり「堕地獄(だじごく)の因(いん)」となる。 P345-346 大御本尊を「マネた本尊」をかつぎだす、「付属(ふぞく)」のないものは、「偽札(にせさつ)本尊」という。信仰しても、よくならないと「信仰が足りないからだ」と、無知な信徒のせいにする。それを対象として、どんなに拝(おが)んだところで幸福はなく、かえって「悪道に陥(おちい)る」のである。
2011.08.19
カップ麺や即席麺の製造で有名な日清食品ですが、カップヌードルやどん兵衛、UFO焼きそば、他食品が、売上を競争をしております。 どの部署もライバルは、カップヌードルだと言います。そのカップヌードルのライバルは何か? カップヌードルのライバルは、カップヌードルなのだそうです。 私たちの信仰は、常に魔との闘いであります。 時にくじけたりしますが、それを乗り越えなければならない。己との闘いなのです。私達は無始から自身の命に刻みつけ、積み上げてきた罪障(悪業)の果報によって、様々な人生苦になったり、悩みに直面しています。 自身にとっては何も悪いことをしていないのに・・・・と思いたくなりますが、現実はそうではありません。 これらの不幸の原因を根本から消滅していかなければ、一時的に解決したように見えても、いづれ時が来た時に同じような状態になってしまうのです。 世の中がどんなに変遷する渦中にいたとしても、きちんと食べていくには困らない自分の生活を、打ちたてていくにはどうしたらいいのか? 仏様はその方途をはっきりと説かれています。 それは、素直に自身の中にある罪障を認め、煩悩としっかりと向き合っていくことです。 さけては通れないのです。 御本仏日蓮大聖人様が明瞭に不幸の原因たる罪障の消し方をわかりやすく教えてくださっています。 私達は素直に謙虚にそれを拝し、実践していくことが肝要なのです。 伝教大師は、 「道心のなかに衣食(えじき)あり 衣食のなかに道心なし」 と仰せです。 自身の命の根本に根幹にしっかりと御本尊をおき、そこから仕事始め生活していくことによって、変幻自在に悠々と乗り越えていけるのであり、その踏み出す勇気がわいてくるのです。
2011.08.18
【「元なきものはかくの如し」】 また、近頃、一部には、昭和五十二年当時のように、宗門と学会が和解するのではないかという見方もあると聞きました。 しかし今回の場合は前回とまったく事情が違います。しかるべき決意をもって、まず「解散勧告書」を出しました。しかし創価学会はかえってこれに反発し、ますます悪質なる誹謗と中傷を加えてきたのでやむをえず、私はかつて創価学会第二代会長戸田城聖氏が、昭和三十一年八月十日、岡山市妙霑寺の落慶入仏式の折りに、第六十五世日淳上人に申しあげた言葉を思い出さずにはいられません。 「将来、もし、学会が大きくなって宗門に圧力をかけたり、あるいは内政干渉をするようなことがあったら、いつでも解散をお命じください」 かつては、創価学会も、そういう自覚をもって「広宣流布」につとめていたのです。 学会と訣別するにあたって、私がもっとも心を傷めたのは、学会員の信徒の皆さんのことです。先に述べたように、創価学会を破門したということは、やはりそれに属する会員を認めないことになります。 しかし、個人個人は今でも日蓮正宗信徒であり、学会員としての主張は認めませんが、日蓮正宗信徒としての立場は宗門として基本的に認めるということであります。 私は、なんとしても信仰と組織の問で思い悩む学会員の方々のお力になりたいと思っています。そういう方は、ぜひ近くの日蓮正宗寺院をお訪ね下さい。 また、今なお学会が正しいと思っている方でも、今世、来世、再来世、未来永遠の命の中で、いつか救済すべくお力になれるときがあると思います。 中国のことわざの中に、「元あるものはかくの如し」それから「元なきものはかくの如し」 この誓えを宗門と学会にあてはめれば、宗門は七百年の伝統を持ち、その根本において、大聖人様からの法脈を正しく伝授してきました。日蓮正宗は、下種仏法の元から存在した教団なのです。また、これからも、その意義を受けて法を正しく広めようとする宗団であります。 これにたいして創価学会は、本来は日蓮正宗の法燈を護るべき団体であるのに、今日では誹謗・中傷を繰り返して、日蓮正宗を口汚くののしるような存在になり下がってしまった。本来の正宗信徒の立場から離れて、非常にゆがめられた存在になってしまいました。元のないところでは、やはり、本当の仏法の功徳はありません。 創価学会の皆様は、過去世の尊い宿縁によって今世に尊い 生を受け、受けがたいご本尊を拝する功徳にも恵まれたのです。心地観経に 「過去の因を知らんと欲せば真の現在の果を見よ、未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」 とありますように、誰しも過去、現在、未来の三世の生命をもって今世に生活しているのです。今生の日々の生活は過去世の業因の現われであると同時に、未来世の生活の結果を生む大事な因を積いるのです。それを考えると、今こそあらゆる謗法の悪を止めて、正直に本門戒壊の大御本尊を拝することが肝要なのです。 大聖人様が「仏法は体のごとし世間は影のごとし体曲がれば影ななめなり」と仰せのように、池田さんや学会首脳の信心姿勢が、日蓮正宗本来のあり方から大きく逸脱しているのですから、それに従っていけば、世間法である生活が曲がってくることは当然です。 どうか皆様には、正直な信心に任し、成仏の境涯を磐石に築かれるよう念じてやみません。
2011.08.18
大聖人様はあらゆる難をお受けになったうえで、法を顕されるという意味がありました。難を受けてそれを耐え忍んだ上での法の顕れ方なのです。そこには全然、権 威だ、権力だなどというものはないのです。 私などもその教えを受けている者として、教団の中で私のことを上へ上へと奉りすぎるのはいけないと、いつも僧たちに言っているのです。だから、仏法の即身成仏という意味は、本当に権威や権力という意味ではなくて、みんなの真の幸せを願う心の境涯を言うわけです。そこで、今の創価学会のあり方が、いろいろな面から見て民主的とは言えない感じがします。 創価学会は総本山大石寺について現在こんな噂を流しているそうです。「お山は今草が茫々だ」「野犬がいて危ない」、「ヨタ者が徘徊している」。いずれも反駁する気力も起こらないほどの妄言です。 また、昨年七月から創価学会運営による登山方式を本宗本来の末寺を通しての登山方式に改めたのですが、戒壇の大御本尊へのご開扉のご供養は基本的に二千円に決めました。これについても、「三万円取られる」とか、「そのうち四万円、五万円になる」と言っているそうです。 日蓮大聖人様の教えは「正直」が根本です。あくまで、正しいことをきちんと言うことです。悪い人は事実を歪曲して、いろいろ嘘言ったりするけれども、そのためにどんな難が来ようとも、耐え忍びつつ、正直に正しいことを示していく、という教えです。私は絶対に、そうでなければ本当の功徳はない、と思っています。
2011.08.17
【「法主何する者ぞ」】 たとえば、池田大作氏は、実質的には公明党という政党の支配者と言われています。法華経自体の教えの中には、「俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも皆正法に順ぜん」という教えがあります。「治世の語言」というのが、政治に当たると思うのです。 これは、法華経のよい教えが広宣していけば、政治そのものが妙法の教えに順じて、すばらしく立派になるという意味での、法華経の功徳を言っているのです。 憲法的解釈からの政教分離という言葉がありますが、あくまで宗教において本当に陶冶されて、思想や境涯の次元が高くなった人びとによって正しく勝れた政治が行なわれるのなら、これはむしろいいことではないかと、今でも私は思っています。 しかし、今のあり方はそうではなく、公明党に事件やらスキャンダルやらが続出して、むしろ逆に、法華経を誤解させるような、日蓮大聖人の教えをゆがめるような形になっているのではないかと思っています。 仏法には第六天の魔王という存在があります。欲界の中の一番上なのです。ですから非常に支配力がある。常人の考えられないような力がある、と仏法の世界観にはあるのです。しかし魔であることに変わりはありません。この者の思うところ、欲界の一切についてのそのあり方は自由自在に支配できる。池田さんも普通の人ではないということは言えると思います。 実際の池田大作さんはなかなか上手な人で初対面の人はつい「この先生はすばらしい人だ」と思ってしまうのです。実は、私もある時期もっと池田さんのことを信用していました。しかし、本質的には私どもがよくよく見極めていくと、やはり我見の強い、仏法の本来のあり方から逸脱した部分が見えてくるのです。 法華経に説かれている仏法上の大悪人に僭聖増上漫というのがありますが、これについて妙楽大師が「後々の者(俗衆・道門増上慢にたいする僧聖をいう)はうたた識りがたし」といっています。則ち巧みな心が深く、悪人であることがなかなかわからない、見分けにくいといわれるのです。 日達上人が、「五十二年路線」の後始末について、いろいろな問題を最終的にまとめられたのは、昭和五十四年五月三日の創価学会本部総会でのことでした。その時日達上人からお言葉があって、ともかく信徒としての基本をはずさない限り、創価学会も日蓮正宗の信徒団体 として、これまでのことを一切改めさせたうえ再び協調してゆきたい、と仰せられたのです。 日達上人がお亡くなりになったのは、ちょうどその二カ月後。その後を私がお受けしたわけです。本宗の場合、血脈相承はもちろん大事な意義があります。大聖人から伝わる法の伝授が中心で すが、それと同時に、やはりご先師のお考えを素直にお受けすることが、後の者の責務なのです。そのため私も、日達上人のお言葉を守り、創価学会がきちんとけじめをつければ、また一緒にやっていこうと思ったのです。 そういうことがあって、一時は創価学会といい、池田さんといい、しばらくは恭順の態度でした。ですから私も、なんとか本来の宗門の信徒という態度を変えないように、そこのところを基本としてやってもらいたい、と思ってずっと十年間やってきたわけです。 その間、いかにも「猊下を本当に心から信頼しています」というような言葉もあって、私も「本当にこの人は立派な信者だ」と思ったこと確かにありました。もっとも、その反面日達上人在世中にも、私はこんな現場に遭遇しました。日大講堂で行なわれた創価学会の総会に招かれて、日達上人が話をされた。総会が終わったあと「早瀬先生と阿部先生は残って下さい」と言われて、まもなく池田氏がやってきて、「今日の猊下の話は、あれは何ですか」と言う。 私たちが怪訝な顔をしていると、「猊下は私のことに一言も触れなかったじゃないか」。そして、その後の言葉を聞いて耳を疑いました。「図にのぼってるんじゃないですか」と。「法主何する者ぞ」という考え方は、もうこの時にはあったのでしょう。 法華経の根底にある、即身身成仏という考えかたは、素直で我見を捨てた真面目な信仰であります。一人の人間を特別に神だとか仏だとか言うのではなく、みんながそれぞれ持っている命の尊さからの信心の徳を妙法と開いていくということであって、一人の人間が特別に権力を持つということではないのです。 特に、大聖人様は法華経を広めることによって、法華経に予証されている難を受けられた。その難は俗衆増上慢、道門増上慢、僭聖増上漫という人々が必ず出てきて難を加えるのです。 大聖人様はあらゆる難をお受けになったうえで、法を顕されるという意味がありました。難を受けてそれを耐え忍んだ上での法の顕れ方なのです。そこには全然、権 威だ、権力だなどというものはないのです。 私などもその教えを受けている者として、教団の中で私のことを上へ上へと奉りすぎるのはいけないと、いつも僧たちに言っているのです。だから、仏法の即身成仏という意味は、本当に権威や権力という意味ではなくて、みんなの真の幸せを願う心の境涯を言うわけです。そこで、今の創価学会のあり方が、いろいろな面から見て民主的とは言えない感じがします。
2011.08.17
今月は、休み無しで一昨日まで仕事でした。 昨日は、二ヶ月ぶりに登山をしまして、休み無しでしたので、ストレスがありまして、東名高速に入った途端に渋滞で、そしてマナー悪いドライバーがいて、車の中でキレてました(笑) 日目上人御講に初めて出させていただき、盂蘭盆会にも出させていただきました。 仕事疲れも吹っ飛びました。 みんなから、折伏頑張っている顔だな~と言われましたが、仕事疲れです!と笑い話してました。 やはり、登山はええな~ この暑さで、体力も精神も限界になってましたが、登山すると違いますね。 帰りは、いつもながらの渋滞でした。 一日、充実してました。今日は、実家に墓参りに行き、行く途中にある学会員を折伏に行き。相変わらず。法華講と言うと逃げます。 暑さに負けずに、どんどん折伏をしていきます!
2011.08.16
ここに日興上人、日目上人と連綿と伝わって七百年に及んでいる意味があります。 それに反して、創価学会では、日興上人だけが、僧宝であるとしきりに言っていました。すなわち三宝の仏の宝、法の宝、僧の宝のうち、仏と法は大聖人様であり、ご本尊ですが、僧の宝は日興上人だけであるということです。しかし、そんなことをいえば、以後は何も伝わってないままで今日にきていることになるではありませんか。ですから、そういう点でも、僧は厳として法を正しく保つ中心であるとされるのです。もしそういうことを認めないと言うならば、自分たちでまったく違う宗教観なり、宗教の元となるものをつくらなければならない。けれども、日蓮正宗である限りにおいては、ご本尊を信仰する限りにおいては、宗教改革なんていうことがあるはずがないと、私ははっきり申しておきたい。そもそも宗教改革という言い方自体が、日蓮正宗の教義とはまっ たく相反するものです。むしろ彼らの考えていることは宗教改革ではなく、宗教改変というべきでしょう。 三宝の問題にしても、自分たちも教えを広めているのだから、僧宝であり、だから、現在の僧とはまったく平等であるというのです。これも僧にたいする観心主義偏向の素人考えです。こういう風に短絡的に考えること自体が仏法信者として失格です。うかうかすると、池田氏を大聖人の再来だなどと考えたり、信じたりしている人もいると聞きます。この考えは本宗三宝を破壊する、増上慢的偏見によるものです。そこまで教えの元のあり方を自分のところに引き寄せようとするのは、観心主義の悪弊が極まったといっていいでしょう。そういうことで、宗教改革とかいろいろなことを言っていますが、ぜんぶ根はひとつところから出てきている感じはします。これは日蓮正宗の教えに対する根本的背反であり、自分勝手な仏法違背の考えだと思います。たしかに宗門は、教えのうえから、その正統性を指導することはあります。これは、権威とか権力という言葉とは全く違うと思います。宗門独自のあり方としての法を正しく保つための指導性は、当然ある わけです。かたや、創価学会は創価学会として会長中心の権力構造がある、これはこれとしながら、創価学会もまた、宗門をたてていくという形が最初の一頃はありました。それがいつのまにか、池田さんには、今度はいよいよ宗門より上へ行こうと。総本山・宗門を、創価学会の傘下にいれようとの考えがはっきり現れてきたのです。つまり権力的にも財政的にも、社会に対する問題からも、創価学会中心になり、宗門はその一部分でいいんだという思い上がりです。そうなれば宗門は雁字搦めになって、宗門の本来の主張、信仰のうえから正統性を述べていくことも、創価学会の都合いかんで左右されるばかりか、頭から権威権力の傘を被せられて身動きできなくなるのは当然です。だから、今度の問題をどうしてもきちんとしたいという根拠の一つは、実はそこにあったのです。
2011.08.16
【「僧」と「俗」の間】現在創価学会がさかんに宗門批判のひとつとして喧伝している事柄の中に、宗門は僧侶をいちだん上において信徒を蔑視しているといういわゆる「僧侶」批判があります。池田さんは「宗教改革」なる言い方まで持ち出しているようです。これは一見聞こえのいい言葉なのですが、本宗の仏 法にたいする本来の理解をまったく欠いているといっても過言ではありません。平成三年初頭から、創価学会では、「僧俗平等論」なる主張をするようになりました。とくに「阿仏房御書」などの信心成就に約して示された御書や、第九世日有上人の「化儀抄」第一条の本意を曲解し、たとえば、「僧侶と信徒の関係にあっては、まずなによりも、信心のうえでは僧俗平等であることが第一義であると思います。その上であると思います。その上で僧侶と信徒の本分及び役割を生かした相互の尊重・和合があるのではないでしょうか」(平成三年一月一日付『お尋ねに対する回答』)と、いかにも宗門が権威主義をもって、信徒蔑視をしているかのような主張をしています。また池田氏も、「信徒の側は、僧侶の権威にひれ伏した時に、本来の信仰心は失われ、僧に仕え、依存するのみの形式的な信仰となり、真の功徳はなくなる。御本仏・日蓮大聖人、すなわち大御本尊に信伏随従し、仕えることは正しいが、その根本からはずれて、僧侶に仕えることは、仏法の本義に背く誤りであることを知らなければならない」(平成三年十月十七日)と言っています。これは、明らかに仏法本来の僧俗 師弟のあり方を曲解する発言と言わなければなりません。僧俗の次第について、宗祖大聖人は、「所詮真言、禅宗などの謗法の諸人等を召し合せ是非を決せしめば、日本国一同に日蓮が弟子檀那と為り、我が弟子等の出家は主上・上皇の師と為らん在家は左右の臣下に列ならん」と仰せられています。僧侶と信徒は、仏法上、師匠と弟子という筋目の上からの相違が存在するのです。さらに大聖人は、 法にたいする本来の理解をまったく欠いているといっても過言ではありません。平成三年初頭から、創価学会では、「僧俗平等論」なる主張をするようになりました。とくに「阿仏房御書」などの信心成就に約して示された御書や、第九世日有上人の「化儀抄」第一条の本意を曲解し、たとえば、「僧侶と信徒の関係にあっては、まずなによりも、信心のうえでは僧俗平等であることが第一義であると思います。その上ついに創価学会の批判は、「法主」という立場にまで及んでおります。平成三年十月二日付「創価新報」では、『神話だった法主への信伏随従』と見出しをつけて、「法主への信伏随従なるものが、所詮は、信徒に隷属を強いるために後世につくり上げられた『神話』にすぎないものであることがうかがい知れよう」と言っております。この言はおよそ本宗の信徒団体とは考えられないものです。不変であるべき法義を、その時その時の、自分たちの都合にあわせて、くるくると変えているのです。あまつさえ、宗門を「法主根本主義」、「法主絶対主義」などと決めつけて誹謗するなどは、宗門の言動の真意が、創価学会にはまったく理解できていない証左といっていいでしょう。とくに本宗は、大聖人より特別な血脈相承があって、日興上人から、日目上人、日道上人とずっと伝わっています。そこに聖なる法を末法万年のうえにおいて、伝えていくという、伝承伝持のうえからの、僧宝の厳たるあり方が存在するわけです。
2011.08.16
少々仏法用語を使うことになりますが、かみくだいて、説明してみましょう。ひとつは「教相」ひとつは「観心」という言葉です。これは仏教上の基本的な意味として、あらゆる宗派にすべて備わっているものです。「教相」とは要するに、教え、ということです。相は、高いもの低いものを選びわけるという意味です。したがって、これが最高であるとか、一番美味しいものなんだということをきちんと分けるのが教相ということです。 「観心」は、教えを自分の身にあてて、それによって自分が幸せになっていく、心を開いていくという意味です。「教相」はあくまで理論的な教えであり、これにたいして「観心」は実際に自分がその教えを受けるということです。実際に信心して、お題目を唱えて修行していくというところが「観心」になるわけです。 当然ながら、宗教には、両方が必要なわけです。もちろん日蓮正宗にもその両方があります。「教相」と「観心」の最高のところでは、それが一体になっているのであり、これが大聖人の教えの本質、本体としての「本尊」、あるいは「三大秘法」と言います。 教えを受ける形にも時として誤りが生じますが、それが左右の偏向です。一番中心になる正しい立場が中道であります。これはご本尊を余計な見解を入れず素直に信じることです。これが根本中心の教えであり、正しく心を観ずるいちばんの元です。つまり大聖人の教えの通り、このご本尊を信じていけばいいわけです。 しかし、往々にしてそうならないこともあります。その一方のかたよりは、あまりにも「教相」すなわち教えの形式の方にとらわれてしまって、教えの意義を生かしての本当の徳とするという利益が現れてこないことです。 もう一方のかたよりは逆に「観心」の方に偏しすぎて自分勝手な解釈に走るというものです。歴史的には、平安時代を風靡した天台仏教が、時代が下がってきて中古天台の頃になると、「観心」の方にかたよった思想なり教えがその宗派の人たちによって形成されたという例があります。 池田会長になってからの創価学会のあり方は、まさにこの「観心」偏重そのものです。「教相」には、小乗、大乗、権大乗、実大乗、それからさらに日蓮大聖人がその一生をかけて説かれた下種本門の教えなどが厳然と存在します。ところが、それらを自分の立場に転用し、あくまでも自己中心の考え方で解釈してしまう。これは、本宗の教義にたいする独断からくる観心主義の中のひとつのあり方なのです。 上行菩薩という方が、法華経に出てきますが、この方が末法にご出現されます。そして大聖人様のお振る舞いは、たしかに上行菩薩様であります。この上行菩薩様は、じつはその深い久遠の悟りからいえば、一番の元の寿量品という教えに説かれた、久遠の仏様の悟りの内容の中に入るべき意味があります。それが大聖人様であると拝するまではよいが、それと同じように妙法を広めているのは私たちなんだから、その中心者であり、指導者はその意味がある、という考え方にだんだんなっていくのは行きすぎです。 そのような流れから、「久遠の師」とか「悟達」とかいう言葉が、いわゆる「昭和五十二年路線」のときに出てきたのであります。そういう教義上の問題が、まず根本にあります。当時、創価学会は組繊の力というか、功績もたしかに大きくなっていましたが、一番の問題は、池田大作さん個人の資質であったと思われます。 池田さんは自らが仏法の元をつかんでいるかのような考え方をする人でした。当時大変問題になって日達上人も本当にご苦労された戒壇に関する我慢偏見もそれです。なんとかこちらが教導しようとしても、俺の考えは絶対正しいんだと……。仏法を私する、まさに悍馬のごとく、手がつけられないという感じが率直に言ってあったのです。 しかし、この時は池田さん自身が昭和五十三年十一月七日、総本山に登山して自らの信心指導の行き過ぎをお詫びし、さらに昭和五十五年四月二日「恩師の二十三回忌に思う」と題する所感においても反省の意を表明しました。
2011.08.14
【仏法上の誤り】 学会の組織を大きくしたのは、二代会長の戸田城聖氏でした。この方はまことに機略縦横な方で、仏法の生命論を主体としたわかりやすい説明で多くの人の共感を得られたようです。世間的な苦労も多かった方だから、世間のことに通じて人の心をつかむのが上手でした。また、創価学会をきちんとした組織にしなければということを常に考えてそれを実行したのです。あの方が昭和三十三年に亡くなるまでに、みるみる学会員は七十五万世帯あるいは八十万世帯にもなったといいます。 私は戸田さんをよく存じあげていますが、戸田さんはいつも会員にたいし「この戸田が広宣流布するんだ」と言っておりました。したがって「お前たちは、ぜんぶこの戸田の言うことを聞け」と言われてもおり、一見言葉は乱暴ですが、真実味が籠もっていて、まわりの人びとを魅了する力のあった方でした。この徹底した会長中心主義のあり方が、会員の獲得に功を奏したのだと思います。同時に戸田さん自身、本当に自分の命を捨ててでも大聖人の教えを守り、また広めていくという、根本の一念をお持ちだったと思います。 昭和二十年代から三十年代にかけては、終戦まであった「神国日本」の価値観がすべて崩壊した時期で、国民は思想的な拠り所を失って、何を拝んでいいかわからない、何を頼っていいかわからない、という思想的に低迷した時代でした。 そういう時期に、新興宗教が雨後のたけのこのようにあらわれたのですが、その中で、創価学会の活動が非常に国民の共感を得て、わずかな時期に会員数が急増したものでした。ですから、後には八百万の会員になったという創価学会のその後の発展は、戸田さんに負うところが大きいのです。 いったん火がついたなら、後はさらに大きく燃え広がるわけですから。また、よかれあしかれ会長中心主義という学会の体質は、戸田さんのときにできたものでした。 その創価学会を受け継いだのが、現名誉会長の池田大作さんでした。池田大作さんについて一言で言うことはできませんが、会長に就任してまもなく、こんな発言をしたということです。 大聖人の御遺命の大事である本門戒壇について、「戒壇建立ということはほんの形式にすぎない(中略)したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえない……」と。 早いうちから、仏法にたいし浅識、軽視、蔑視の気持ちがあったのではないかと思わざるをえません。民衆の幸福といっても、それは大聖人の本門の戒法から離れたものでは宗門の法義に反するものです。また、創価学会の会長中心主義の流れの中で、「池田先生絶対」という風潮がごく初期から会の中にあったように思います。 学会の増長ぶりは、教義の上からも由々しい問題なのです。
2011.08.14
本宗三宝とは、仏宝、法宝、僧宝の三つです。本宗の仏宝は宗祖日蓮大聖人、法宝は本門戒壇の大御本尊、僧宝は日興上人を随一として唯授一人血脈付法の歴代上人(法主)すべてにわたります。したがって、教えの上からいけば、日蓮正宗信徒及び創価学会会員は、ともに三宝に帰依しているはずです。ゆえに、日蓮正宗を信仰している創価学会員ならば、当然、僧侶を敬い尊ぶものでなければならないのです。日蓮正宗の寺院では、これまでは、僧侶のお経などによって、葬式・法要などを行なうことになっていました。それが、一昨年十二月に、法華講本部の規約を改め、それにともなって、前の規約により就任した総講頭、大講頭の職にあった者は一時的に資格を喪失するということになりました。するとたちまち、常識では考えられないような宗門にたいする罵言雑言や非難がおこりました。挙げ句の果てに昨年の中頃くらいから「葬式も何も、僧侶に頼む必要はない」と言い出したわけです。これは、自分たちが勝手にいままでのあり方を全部破壊しようというものです。日蓮正宗の本来の信仰のあり方に対する逸としては、今までも学会員の場合は葬式を引き受けないとか、法要を拒否するとかいうことは一切ないのです。願って来ればかならず僧侶としての立場から、正しく対応しております。なにしろ学会は、上層部で非常に強い指導をしているらしく、心の中では「私は僧侶にお願いしたい」と思っている人まで、無理強いのような形で、ぜんぶ僧侶を呼ばない学会葬を強制されているようで、そういう点ではお気の毒だと思います。今となっては遠い昔話のようにも感ぜられますが、私は戦前に、創価学会の初代会長である牧口常三郎先生と、何度かお会いしたことがあります。その頃私はまだ十七、八歳だったでしょう。青年僧侶とも言えない年齢でしたが、お通夜の帰り、二人で電車の吊革にぶら下がって、いろいろなお話をしたものでした。牧口さんという方は、非常に仏教の信仰が篤く、学究肌の印象の強い教育者でした。「利・善・美」という「利」を強調した独特の価値観をお持ちで、そういう形で仏法をわかりやすく説明されました。真面目な方で、半面、組織経営はあまり得意でなかったようです。当時の創価学会の会員数は五千人………一万人には満たなかったと思い ます。戦時中特高警察に逮捕されて亡くなったことは返す返すも惜しいことでした。
2011.08.13
日蓮正宗では、入信の時、寺院において僧侶からご 本尊を受け、そしてその教えを頂く意味での「ご授戒」という儀式があります。それを受けた人たちは、基本的には日蓮正宗の信徒です。これは変わりません。創価学会員の折伏によって入信した人でも、日蓮正宗の信徒としてご本尊を受けたわけですから、個々の人は、創価学会員である前に日蓮正宗の信徒であるということであります。 ただし、創価学会を破門にしたということは、やはり必然的に学会員の立場の人たちを併せて破門にしたという意味がありますので、学会員という身分とか立場の主張は認めません。そういう対応をきちんとしていくことで、割り切ったつもりでおります。 ここで、おさらいのために、日蓮正宗と、創価学会のそもそもの関係をお話ししておきましょう。 【日蓮正宗と創価学会】 日蓮正宗は、日蓮大聖人が弘安二年(一二七九年)に顕された本門戒壇の大御本尊(総本山大石寺にご安置)を信仰の主体にしています。 そして、大聖人の仏法を唯授一人の付嘱によって正統に承継せられたご開山二祖日興上人以来、代々の法主上人が血脈相承をもって、宗祖の仏法をうけついでまいりました。 これにたいして創価学会は、はじめ創価教育学会として昭和五年に発足し、その後、日蓮正宗信徒の団体となり、昭和二十年創価学会として再建したものでした。法主の指南のもとに日蓮正宗を外護し、また正宗の教えを「広宣流布」するのが設立の目的でした。 したがって創価学会員は、学会員である前に、まず日蓮正宗の信徒なのです。また創価学会は、宗旨の根本に絶対的に帰依し、法主の教導に従って、日蓮正宗信徒団体としての本分を守らなければならないということは、いうまでもありません。 創価学会の戸田城聖二代会長は、昭和二十六年、宗門外護と折伏活動の便宜の上からという理由で、宗教法人を設立しようとしましたが、その際、宗門より提示した三つの原則を守ることを確約しました。それは、 一、折伏した人は信徒として各寺院に所属させること 二 当山の教義を守ること 三 三宝(仏法僧)を守ること の三点でした。 すなわち、宗門外護と三原則の遵守こそは、宗教法人創価学会が、自らの会則規則においても定めるとおり、本宗信徒の団体として存立する上で欠くことのできない大前提であったのです。
2011.08.13
大聖人がいかなるときでもみずから困難を切り開きあそばされたことを思えば、どうして当代の私が逡巡することができましょう。 また、日興上人のお姿も私が深く拝する処です。日興上人が、身延山を離山される契機となったのは、当時の身延山大檀越たる波木井実長が、大聖人の教えに背いた行為(すなわち謗法)をおこなったことを、日興上人が厳しく制誠し、聞き入れられなかったからです。厳格に日蓮大聖人の教えを守ろうとされた日興上人が身延を離山し大石寺を開かれたのは、正応三年(一二九〇年)のことでした。 私はここに宿縁を感ぜずにはいられません。折しも七百年後の今日、再び日蓮正宗が、宗門の根本を揺るがす困難と向き合うこととなろうとは。 昨年十一月七日、宗門は、創価学会にたいして「解散勧告」をし、さらに十一月二十八日「破門通告」をいたしました。このことは広く報道されることとなりましたが、一般社会の方にとっては、なぜこのような事態にいたったのか、真相がよくわからなかったのではないかと思われます。 この間、私の耳にも、学会員の方々が、宗門の信仰と創価学会という組織との問に立って、非常に悩み苦しんでいるという声が多くつたわってきました。その懊悩の声を、私は苦渋の思いで聞いていました。しかし、こうして私自身が、信徒の皆さん、創価学会の皆さん、さらに広く社会一般の方々に、思うところをお話しする機会に恵まれたことを、喜んでいます。 「解散勧告」及び「破門通告」にいたる直接の端緒となったのは、一昨年十一月十六日の、池田名誉会長の発言でした。その内容に非常に不穏当なものがあったからです。ケジメをつける意味から、創価学会にたいして真意を質しておくべきであるという考えから「お尋ね書」を送達したわけです。それに対して学会からは真面目な返事はなく、まったく別個の、宗門と私にたいする大変ひどい誹謗・中傷をしてきました。これが「九項目のお伺い書」と呼ばれるものでした。 そういう経緯があっても、なんとか善導したいという気持ちは、捨てたわけではありませんでした。そのときのみならず、私が法主となってから十有余年、創価学会と相対してきましたが、その間、なんとか本来の信徒のあり方にもどってもらいたいという気持ちをもちながら、池田名誉会長以下の人たちと対応してきたつもりでした。しかし、残念ながら、意を質しておくべきであるという考えから「お尋ね書」を送達したわけです。それに対して学会からは真面目な返事はなく、まったく別個の、宗門と私にたいする大変ひどい誹謗・中傷をしてきました。これが「九項目のお伺い書」と呼ばれるものでした。 そういう経緯があっても、なんとか善導したいという気持ちは、捨てたわけではありませんでした。そのときのみならず、私が法主となってから十有余年、創価学会と相対してきましたが、その間、なんとか本来の信徒のあり方にもどってもらいたいという気持ちをもちながら、池田名誉会長以下の人たちと対応してきたつもりでした。しかし、残念ながら、 ついに十分な教導ができなかったので 【今回の処置の意義】 その原因のひとつには、創価学会の池田名誉会長たちの心の中に、やがて自分たちが主導権を握って宗門を支配しようという考えがあったのではないかと思われます。そういうところから、私たちの誠意をもった善導を聞かず、むしろ逆に彼らの立場からは批判なり、嫌悪なりということが、ずっと蓄積されていたのでしょう。それが一昨年、不意に無法な言いがかりという形で吹き出たと思うのです。 先ほど述べた通り、この発端が、ちょうど開創七百年というときに現れたところに、私は大変不思議を感じておるわけです。なぜかといいますと、七百年の昔に、日興上人が、大聖人の仏法を誤ってはならぬということで、正しく対処する意味で決然と身延を離山し、大石寺が開かれました。それからちょうど七百年目に学会の問題がおこったわけです。じつは、その年の最後に、宗門もきちんとした立場で処置をしておこう、ということで考えたことがありました。 しかしそのときは、決定的な処分とかいうことではなく、法華講本部の規約改正ということを行い、総講頭などの本部役員の資格を一時的に喪失するということで、その後の反省を期待することとなりました。しかし、まったく期待はずれで、いよいよ宗門にたいして、反抗に反抗を重ねるような様子が出てきたわけでございます。 その結果、昨年一年教導・制誠を重ねたすえに、やむをえず創価学会にたいする破門というところにまで至ったわけです。 将来のために、正しい大聖人の仏法を、どこまでも守ろうということで、今回の処置があったということです。日興上人の大石寺開創の意義に通ずるものがあると、確信しています。 創価学会が、法人をつくり、僧侶をおしやって、自分たちが主導権をもっておるかのような有り様でしたので、僧侶がなにか気持ちのうえで萎縮しているような面がありました。本来の僧侶の自覚と申しますか、民衆の先頭にたって導いていく姿勢が出てこない。 しかし、今回こういうことになったために、かえって僧侶の自覚が回復したのではないでしょうか。その点からは、私にはむしろやるべきことをやったという意味での、安堵感があるということも言えると思います。 学会員の中にもいろいろな立場の方がいるようです。「よくやってくれた」という人、 宗門を完全に敵視している人、その中間にあって悩んでいる方もあると思います。この信仰と組織の板バサミになっている」方々にご同情申しあげますが、しかし私どもは正しいことをした、と申し上げたい。学会の秋谷会長や森田理事長などが、今回のことは宗門、法主の嫉妬にあるなどと全く見当違いの言をしばしば弄していますが、これなどまさに自分の境涯で推しはかるから「嫉妬」などという考えが浮かぶのです。一心欲見仏不自惜身命の僧侶の確信など到底知りえない人たちだと思います。 創価学会側の報道は、宗門の悪口だけが先行しています。そういうものだけ読まされている多くの学会員が、非常にゆがんだとらえ方をしているということもあるでしょう。そういう意味で、中間にいて、本質も知らされずに悩んでいる人たちは、お気の毒です。なんとかこの人々にたいして、正しい考え方に基づいて、正しい選択をしていただきたいと念じています。 ちょっと世間的に見るとおかしく感じられるかもしれませんが、私どもは、あくまで宗教団体としての見解をもって、一切を対応していこうと思っております。
2011.08.13
『塔婆のこと』盂蘭盆やお彼岸会、あるいは故人の回忌や命日など、本宗の信徒にあっては、寺院で塔婆供養を願い出る機会が多くあることと思います。塔婆は精霊回向(しょうりょうえこう)のうえで象徴的とも言うべき、大切な役割を果たしています。またその意義においても、法華経一念三千の法門にのっとり、亡くなった人を含めた非情の成仏を現わすという、大変重要な意義が具(そな)わっています。ここでは塔婆供養のいわれや意義にを考えてみましょう。【塔婆の起源は?】『法華経方便品』には、「若しは曠野(こうや)の中に於いて 土を積んで仏廟(ぶつみょう)を成し 乃至童子の戯(たわむ)れに 沙(すな)を聚(あつ)めて仏塔と為せる 是の如き諸人等 皆巳(すで)に仏道を成じき」(開結180)とあります。仏の霊跡を示す廟(びょう)や仏舎利を祀(まつ)る塔を、たとえ童子が戯れに造ったとしても、その行為が善縁となって、成仏に結びつくことが法華経に説かれていますが、塔婆供養の起源も、遠くインドにおいて、仏廟や仏塔を建立し供養したところにさかのぼります。釈尊在世にあっては、遠方に行く信者が釈尊に願い出て、髪や爪を賜わり、髪塔(ほつとう)・爪塔(そうとう)を建立したことが仏典に見られ、後世の仏教徒が仏舎利(釈尊の遺骨)を霊場等に分骨する風習の起源とされています。また、釈尊の入涅槃のおりには遺体が火葬(荼毘=だび)されました。そして遺骨は八分にしてインド各地に仏舎利塔が建立され、礼拝(らいはい)供養されたと伝えられています。その後もインドを統一した阿育(あそか)大王が八万四千の塔を建立するなど、仏舎利塔の造立は盛んに行われて行ったのです。仏舎利塔のことを、原語(げんご)では「ストゥーパ」と言いますが、それに漢字をあてはめて音訳したのが「卒塔婆(そとうば)」(略して塔婆・塔)です。意味は、廟・塚・円塚・高顕処・方墳・功徳聚・聚相・積聚(しゅくじゅう)などと訳されますが、これらの意味には、「ストゥーパ」が単なる遺体の埋葬処ではなく、仏徳を顕彰したり、功徳を積むところ等々の意味合いを込めて、造立されていたことがわかります。形態においても、当初の仏舎利塔(ぶっしゃりとう)は遺骨を地中に埋め、上に土饅頭(どまんじゅう)を作っただけのものだったのですが、インドは熱帯地方で、直射日光が当たれば、釈尊も地中で暑かろうということで、日傘(ひがさ)が立てられました。その後埋納(まいのう)された釈尊を尊敬するあまり、土饅頭の下に基壇(きだん)も作られ、その基壇も次第に重層に積み重ねられ、壇上の日傘も増していったのです。こうなりますと、後世中国や日本へ仏教が伝えられた過程で建立された、五重塔などの楼閣(ろうかく)建築への発展も予想されます。楼閣建築は中国古来のものですが、仏教が中国から伝えられ、日本に伝えられる過程で、今日見られる重層塔の形態へと発展したのです。いわゆる積み重ねられた基壇が重層塔の屋根となり、塔の本体であった土饅頭は伏鉢(ぶくばち)としてその上に位置し、多数の日傘は一本の竿(さお)に整理され相輪になったと言われています。このように、卒塔婆(塔婆)の起源はもともと仏舎利塔であったのですが、その後時代を経(へ)るとともに、中国・日本へと仏教伝播の過程で、仏舎利や経巻を祀る寺院伽藍(がらん)の大事な建造物となりました。ちなみに、仏塔に仏舎利ではなく経巻が安置されるようになったのは、経巻が法身(ほっしん)の舎利(釈尊の教えや経巻を舎利にたとえたもの)を意味するからです。 (メルモ・達郎の仏教物語より・過去の妙教記事より) 創価学会では、塔婆は金儲けだの騒ぎます。だが、塔婆は、仏教界では当然されてきた事です。
2011.08.12
簡単にわかりやすい宗教。世の中にあるほとんどの宗教は、わかりやすい内容になっている。 「信じれば救われる。」 「神が全てだ。」 そういう単純な教えは、広まるのが、早いが必ず。道理に合わないから、矛盾が必ずあるものです。 キリスト教にしても、神が作ったと言うけど、神はどうやって誕生したのか?きちんと答えられる信者はいません。 仏教系にしても、矛盾だらけの宗教です。 正しい教え、道理になっている宗教が正しいと言える。 そこに矛盾は生じない。原因があるわけだから、その原因をきちんと理解しなければならない。 ネットを見ると、創価学会や顕正会が存在するのは、日蓮正宗が悪いと言う輩がいる。 では、日蓮正宗の何が悪いのか? 排他的な考えや、他宗教を認めない教えだ! ならば、他宗教は正しい宗教と言えますか?宗教はみんな同じだ。 日蓮正宗と他宗教は、何処が同じですか? 信じれば救われるとか、祈るとか、言ってる。 日蓮正宗の教えを理解してますか? … まあ~きちんと答えられなくなります。 最初の考えからズレてますね? 排他的だから、おかしい。 他宗教が正しいのか?その矛盾があるから、言える事です。 現実に今、海外の法華講は増えてます。 何故?増えているのか?他宗教がおかしいし、矛盾だらけであるからです。だから、因果がきちんとしてる日蓮正宗に入るわけです。 正しいならば、広まってるはずだ! そういう単純な考えを言うのは、仏教そのものを知らないからだ。 仏教は簡単なものでない。難信難解な教えであります。 簡単に理解はできない。しかし、今の科学の発展から、仏教が正しいと証明されつつあります。
2011.08.12
何にしても、言い訳は自分自身がかわいいから、出る言葉です。 私達は、凡夫ですから、自分自身がかわいいのは、当然です。 しかし! 仏様の前で誓った事が、出来ないのは、自分自身の意思の弱さです。 どんな理由だろうが、そんなの自分自身がかわいいから言ってるくだらない言い訳だけで、意思が弱い事をさらけ出す結果にしかなりません。 それは、浅井一族も日蓮正宗創価学会時代に入信した学会員らも、意思が弱いからです。 彼らの日蓮正宗から離れた言い訳は、実にくだらない。 ただの”感情”を言ってるだけで、心から三宝を信じてないからだ。 自分勝手にしてるから、愚痴が出るし、言い訳が出る。悪循環になるわけです。 私は、日蓮正宗に入る前は調べに調べた。だから、日蓮正宗が正しいと思ったから、入信をした。 入信しました。勉強しません。寺院に行きません。理解しようとしません。日蓮正宗に疑問あるから辞めます。 そんなのくだらない言い訳です。疑問あるなら、徹底的に勉強をする。勉強しないで疑問あるから、知識ありません。なんて、そんなの世間から見ておかしな言い訳にすぎず、自分自身の意思の弱さ。だったら、最初から日蓮正宗に入る必要ない話しを、しているだけです。 日蓮正宗を辞める人達の本音は、日蓮正宗の修行ができないからです。 それのみです。それを隠すために、言い訳をする。意思が弱い。 御授戒のときに、仏様の前で何を誓ったでしょうか? 御本尊を頭に乗せられ、何を誓ったでしょうか? 出来る。出来ない。でなく、やれるか?やれないか? 日蓮正宗の修行をやれるか?やれないか? 言い訳は、自分自身がかわいいから出るもので、正論ではない。
2011.08.11
日達上人は池田大作の辞任を受けて、昭和54年5月3日に開催された創価学会第40回本部総会において、「今後は信徒団体としての基本は忠実に守り、宗門を外護して頂きたいのであります。その上で、自主的な指導と運営で伸び伸びとご活躍を願いたいのであります」(蓮華 昭和54年5月号 40頁)(聖教新聞 昭和54年5月4日付)と、僧俗和合・強調を指南され、創価学会が同じ過ちを再び繰り返さないことを前提に、問題の全てを収束されました。一方、日蓮正宗の僧侶に対しては、「学会にいまだ間違ったことがあるのならば、宗務院、内事部のどちらにでも言ってきて下されば、それを向こう(創価学会)に注意して改めさせていくつもりでおります。ですから皆様が相変わらず今年の5月3日以前のような(反学会的な)態度であっては、宗門としてはまことに困るのであります」 (大日蓮 昭和54年7月号 60頁)と御指南され、宗門の僧侶に対しても注意を促されました。要するに、○ 今後、創価学会に関する問題は総本山において一括して指導し解決していく。学会との間に問題があれば、個々に批判するのではく、総本山へ意見を具申すること。○ これまでの問題については、一往収束したのであるから、僧俗ともに誹謗し合うことなく、広宣流布に向かって団結すること。というものでした。 52年路線については、説明をしましたから、説明するまでもありません。 収拾に、どれだけ日達上人が苦労をしたか? この後に、反省をして素直に日蓮正宗に従っていれば、こんな事にならずに済んだはずです。
2011.08.10
日付変わりました。今日は、長崎に原爆が投下された日です。 このブログにて、原爆や戦争について、何回も出してきました。 さて、創価学会は日蓮正宗を誹謗する為に、いろんなネタを出してきます。 戦争時代の事すら、誹謗をする。 日蓮正宗は、戦争に加担した~!牧口先生は、戦争を反対したから、牢獄された~!と騒ぎます。 では、当時の常識から見て、戦争反対と言う人は、常識ある人間だと思われていたでしょうか? その歴史認識が全くわかってない。ちなみに、牧口さんは、戦争に反対なんかしてません! むしろ、戦争に積極的で、息子さんが戦争で亡くなりになっております。その事実すら、学会員は知らないのです。 嘘を元に誹謗をする。それが、創価学会の現実なのです。 シアトル事件もそうだし、芸者写真事件もそうだ。全て、でっちあげでの誹謗。 はっきり言うが、そんな事で誹謗する創価学会は、世間のいい笑い者です。 他人を追い落とすために、でっちあげを出してきたり、事実と違う事や、歴史改ざんまでする。 そういうふざけた。矛盾だらけの宗教から、早く脱会をしましょう。
2011.08.09
1 創価学会では、御本尊について日蓮正宗改革同盟・青年僧侶改革同盟(宗門とは関係のない離脱僧・邪宗僧)の議決を行い、などと綺麗事を述べているが詳細な説明がなされておりません。どのような議決が行われて第二十六世日寛上人の御本尊になったか詳細に説明してください。2 日蓮正宗から破門された創価学会が、邪宗門と誹謗している日蓮正宗の御本尊をなぜ流用するのでしょうか?(勝手にコピー改竄、販売)3 何故、創価学会で書写した御本尊を販売しないのか?〈文証〉日亨上人 『有師化儀抄註解』 「曼荼羅書写本尊の授与の事は・宗門第一の尊厳なり、(中略)宗祖はみだりに曼荼羅を授与し給わず・開山は曼荼羅転授に就いても之を鄭重になし給ひ、尊師は宗門未有の弘通者なれども自ら曼荼羅を書写せず、(中略)然るに本尊のことは斯くの如く一定して・授与する人は金口相承の法主に限り授与せられるる人は信行不退の決定者に限る」創価学会版 『折伏教典(改訂版 昭和33年6月)』「富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である(中略)大石寺に背く謗法の輩がもつご真筆の御本尊には、大聖人の御たましいは住まわれるわけがないのである(中略)信仰の対象として一切をささげて南無し奉る御本尊であるから、御山においては御相伝により、代々の御法主上人お一人が、したため遊ばされるものであり、我ら信者が云々すべきも恐れあることである」 (折伏教典322頁)(アメブロの新・反創価学会)きちんとした解答ができる学会員なんていないだろう。
2011.08.08
日蓮正宗に疑問があるから、辞めます。で? では、日蓮正宗の何に疑問があるのか?あなたは、どう勉強をして、寺院や先輩達に聞きましたか? 解答不能であろう。 何故ならば、勉強なんてしてない。疑問があるから辞めます。でなく、日蓮正宗の修行(勤行・唱題・折伏・登山・寺院参詣)をきちんと、してないからです。やりたくないからです。 これは、妙信講(顕正会)や学会についた人達にも言える事です。 疑問があるから、ただの言い訳。本音は、修行をしたくないからです。 日蓮正宗の修行は、厳しい。毎朝毎夕の勤行。朝早く起きて、バタバタする朝に、毎日勤行をやるわけです。また、寺院参詣して、勉強をしなければならないし、登山をしたり、折伏したりと、やらなければならない事は、沢山あります。 暇がないから、そんなの言い訳です。言い訳はしない。 幸せになる為にする修行です。 一回や二回、一年や数年やったからと、そんなので、幸せになんかなれない。 私は、疑問あるならば調べに調べるし、勉強をしてきた。 学会についても、とことん勉強をしてきた。 人間誰しも、楽をしたい。楽に幸せになれるなら、誰もがやるだろう。 日蓮正宗の修行は、生易しいものじゃないし、本当に辛い。私なんな今だに、朝早く起きての勤行は辛いと思ってる。 だけど、幸せになる為にしてるわけです。 辛い事。楽しい事。沢山経験をしていく、だから、人間としての成長があるわけです。 疑問あるなら、とことん勉強に勉強をすればいい。 私は、勉強をしてきた。だから、日蓮正宗は正しいと思えるわけです。 私は、死ぬまで勉強だと思っている。幸せになるには、日々の努力は必要だ。よく上司が言います。 だから、勉強が大切なのです。 はっきりいえば、甘ったれるな!! それだけです。日蓮正宗の修行は、甘くない。辛いだから、辛くとも功徳があるわけです。
2011.08.07
mixiで、相変わらず一人その無知ぶりを自慢してるhideなる。痴犬であるが?hideが言うには、 「自戒叛逆や他国侵逼は、当時の社会情勢、国際情勢から容易に予想できるものであり、宗教的予言でもなんでもない」 「執権北条氏が立正安国論を受け取っても日蓮大聖人を処罰しようとしなかったことがその証拠である。幕府も多少は蒙古襲来を予想していたのだろう」 だそうです。 彼は、年表の見方ができないのか?この人は伊豆流罪も佐渡流罪も忘れたのでしょうか?幕府が立正安国論を真面目に読んでいたら、こんな流罪なんて暴挙に及ぶはずがないではありませんか。 大聖人を流罪に処したことこそ、幕府が蒙古襲来を真剣に考えていなかった証拠です。 そしてまた当然のことながら、大聖人の諫言をきっかけに国防体制を強化した、などという事実もありません。国防体制を強化するのはモンゴルの使者が何度も何度もやって来てからです。年表にしましょう。 1260年4月 フビライ、第3代皇帝に即位 7月 大聖人、立正安国論上呈(執筆はそれ以前から) 1261年5月 大聖人、伊豆流罪法難(幕府は立正安国論を真剣に受け止めていない) 1263年2月 大聖人、伊豆流罪赦免。鎌倉に帰還 1264年11月 大聖人、小松原法難 1266年 フビライ、初の国書発送 1268年 フビライ初の国書、鎌倉に到着 1269年 モンゴルの使者来日 1271年 モンゴルの使者来日 大聖人、龍ノ口および佐渡流罪法難 幕府、海岸沿いの警備を強化する。 1272年 モンゴルの使者来日 1273年 モンゴルの使者来日 1274年1月 フビライ、日本への出撃命令を発し、軍艦が増産される。 幕府、諸大名に動員令を発する。 3月 大聖人、佐渡流罪を赦免。国防に協力するよう要請される。 10月 モンゴル軍、日本に襲来 大聖人が立正安国論を上呈したのは、フビライが国書を発する6年も前、国書が日本に到着する8年も前のことなのです。危機感を持つ人間などだれもおらず、大聖人のことを「うるさいクソ坊主だ」とばかりに伊豆流罪に処し、その後には小松原で闇討ちにしようとまでしたのです。 「ある程度の知識人ならば誰でも予想できた」だとは、とんでもない甘い見方です。そんな人間はだれもいません。(友人の日記より抜群) いるならば、史実から誰が予想したか?答えるべきだろう。 まず、立正安国論すら読み方がなっていない。まず、古文を勉強すべきであろうし、全ての経典を理解し、それを元に反論すべきである。 いくら、否定しようがそれは彼の無知をネットにさらけ出す結果にしかならない。 彼は、現代の豊富な情報社会から見ているようだが? 考えれば分かるが?まず、世界情勢を知るもの、テレビなんてないし、ラジオも、インターネットもないわけです。 南宋との交易はあったようだが、だからと大陸から、詳しい情勢が日本に来る事は滅多にない。 それに、hideが言うように、鎌倉時代に入ってから内乱や自然災害が多い。そんな中で、世界情勢を見る余裕は、鎌倉幕府も朝廷もなかったであろう。 歴史認識の甘さと、当時を知らなさすぎと言えます。 もう少し歴史をきちんと勉強をし、大聖人様の生涯を勉強すべきであろう。 そこが、無知としか言えない。
2011.08.06
まず、結論からするとないと言えます。 ネットを見ると、日蓮正宗に戦争責任うんたらと書いてあるが? 戦争責任?まず、日蓮正宗は、関係ないのが分かるはずだ。 そこに書いてあるのは、戦争を賛嘆したり、鉄の供給やらなんやら… てか? 昭和の戦争時代をよ~く考えれば分かる話しであろう。 当時、軍部に逆らえばどうなるか?逆らえば、非国民と言われてしまう時代だ。逆らえば、捕まる時代です。 唯授一人の血脈と、大御本尊を守るのが、大切であり、軍部に逆らってしまって、何が仏法と言えるでしょうか? 今現在から見て、当時を見ても意味はない。それがわからない。 当時の事を知らないくせに、戦争責任だの反省してないだの、意味ない話しです。
2011.08.05
創価学会員に聞きたい!! 創価学会と全く関係ない団体(顕正会等)が、学会発行の本尊を勝手に改ざんし、発行していたら? それってさ?創価学会からしたら、ニセ本尊と言うのでしょうか?? ニセ本尊と言う。なら、創価学会と関係ない。日寛上人の本尊を勝手に改ざんして売る学会本尊と何が違うのか? ニセ本尊と言わない。ならば、本尊は全て同じなのか?
2011.08.03
私は、仕事で沢山の家を訪問しておりますが、行くと言われるのが 「もう何回も来てるわよ~!(怒)」 この仕事の世界は、いろんな業者さんがいますので、もう嫌になっているはずです。 日蓮正宗総本山大石寺の近くには、何件か学会員が居ます。 登山は、全国から来ますから、学会員の家(公明党の看板)を見ると、やはり訪問したくな方もいます。 それを毎週土日月火と、されていたら? 嫌になるはずです。 でも、逆に考えれば、それだけ、毎週毎週来られて、毎回いろんな資料を入れられれば、学会がおかしいと、気づくはず。てかさ?総本山近くならば、学会が間違ってる事を気づくはずです。 何故?気付く事ないか? やはり、洗脳です。 毎回同じ話し。聞かされていたら、学会の間違いに気付くはずなんです。 私の友人は、毎月一度は登山し、毎回折伏をするそうです。 御僧侶も何回も行ってるだろうしね。 早く、学会の間違いに気付いて欲しいものです。
2011.08.02
今、創価学会から出されているのは、偽物です。 偽物というからには、本物が存在します。 それは、栃木県小山市にある。浄閻寺にある。日寛上人が書いた。常住本尊です。それを創価学会は、勝手に写真撮って、それをコンピュータ処理し、脇書を削除し、線を太くしたり、長くしたりと改ざんを加えて、売ってるわけです。 だから、偽物と言えるのです。 創価学会は、日蓮正宗から分離独立をしたのですから、わざわざ日蓮正宗の歴代の本尊を使用するのが、おかしな話しです。 創価学会は、御書根本であり、大聖人直結であるし、三代会長を絶対の師としてるわけです。また、創価学会は、日目上人以降は、僧宝と認めないわけですから、日寛上人は、26世です。 創価学会が認める。僧宝にならない。人が書いたのを勝手に改ざんして売るのが、おかしな話しです。
2011.08.01
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