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■週間新潮 平成23年7月7日号より抜粋【創価学会関連サイトが妙観講に謝罪した深謀遠慮の裏側】日蓮正宗の信徒団体である「妙観講」が、対立の続く創価学会関連サイトを相手取って損害賠償請求を起こした。当然厳しい応酬が予想されたのだが、サイト側は早々に「手打ち」を選んだという。一体どんな事情があったのか。 問題となったのは、「ゴルゴとマリア」なる名前のサイト参考:ゴルゴとマリア http://golgo-to-maria.kill.jp/先日から以下のような文章が掲載されている。<当ホームページにおいて、虚偽の事実もしくは何の裏付けもとれていない事柄を掲載したことにつき、(中略)深く謝罪するとともに、(中略)妙観講の名誉を毀損するような情報を公開しないことを確約いたします>日蓮正宗の関係者がいう。「このサイトには、妙観講をはじめ創価学会と敵対する相手を中傷する内容の怪文書が片っ端から掲載されていました。妙観講がプロバイダに要請していた情報開示が昨年11月に認められ、サイト運営の名が判明したのです」その正体は、創価学会の東京地区のさる幹部であった。妙観講は翌月、名誉を毀損されたとしてこの男性を相手取り、東京地裁に1160万円の損害賠償をもとめて提訴したのだった。「中には数十年前の怪文書もあり、その収集力は明らかに個人の域を超えていた。運営には学会が組織的に関与しているとみられていましたが、ほどなく被告の弁護士から和解の申し出があり、結局6月下旬、先方が謝罪文を掲載してサイトを閉鎖し、解決金を支払うという条件で和解が成立したのです」とありました。週刊新潮にはもう少し記事が記載されていましたが、ここまでとします。(アメブロ新・反創価学会より) ネットを見ると、このインチキ機関紙「フェイク」をブログや、mixi、GREE、モバゲー等または、いろんな掲示板に出して、誹謗をしているのを見る。 司法に断罪されてますよ?? これが、創価学会の実態なのです。 平和だ!友好だ!はたから見たら、いいことを言ってるが、裏では、こういう。日蓮正宗に対し誹謗を繰り返しているのです。 これが、正しいわけがない。 こういう宗教は、いい加減な宗教の実態なのです。何が世界宗教だ!何が、平和だ? これが、世界に羽ばたく宗教とは、言えないのです。 こういういい加減な事を平気でやるのが、間違った仏法をしているからであり、間違った本尊を平気で拝んでるから、現実が見えなくなるのです。
2011.06.30
はっきり言って、日蓮正宗とは、創価学会も顕正会も全く関係ない。宗教です。 見た目は、同じに見えても、根本が違います。 帰命の対象たる本尊について、全く異なります。 日蓮正宗では、血脈相承された御法主上人の許可、認可がされた本尊または、書かれた本尊で、開眼供養がされている本尊です。 創価学会は、日蓮正宗の本尊を勝手に写真撮影し、それをコンピュータ処理をし、脇書きを削除し、文字を太くしたり長くしたり、改ざんを加えて勝手に誰も許可せずに、売ってます。 顕正会は、日蓮正宗に過去存在しなかった本尊が、会館が出来る度に増えてます。それは顕正会が勝手に作った本尊です。 修行の根本の勤行について、日蓮正宗では、五座三座の勤行をします。 創価学会は、一座しかも、我本行菩薩道を抜かして、自我け(漢字が出ない)だけになって、略式にして、祈念文を勝手に変えてます。 顕正会も学会と同じです。 全く異なる宗教なんです。 日蓮正宗では、先祖供養に塔婆供養をしますが、学会も顕正会もしません。むしろ否定をしてます。 他、細かい事を出すと、全く異なる宗教なのです。 日蓮大聖人を信じてますと言って、信じてない宗教それが、創価学会であり、顕正会なのです。 日蓮大聖人から、日興上人、日目上人へ今現在、日如上人まで伝わってる事、清流を信じてないのです。 創価学会も顕正会も御書を云々言いますが、自分達の都合がいい切り文だけを見ていて、御書にしたがってなく、矛盾があるのです。 だから、いい加減な宗教だから、おかしな事件を起こす根本的な原因になるのです。 日蓮正宗が悪いのでなく、日蓮正宗の教えを全く信じない。全く理解しないで、自分勝手な解釈をし、自分勝手に暴走したそれだけなのです。 よく、私たちはルールだと言います。そのルールに従っていれば、そのルール通りになるのです。 その根本的なルール違反をしているそれだけなのです。 交通ルールでも、きちんとそのルールに従って、全てのドライバーが運転すれば、事故なんて起きないはずなのです。 違いますでしょうか? 日蓮正宗を批判する者は、それが全く理解できない。
2011.06.29
法華経を信じて、信心している女性で、心も体も美しくなるので、法華美人と言われます。 法華経つまり、御本尊を信じている事であります。 女性だけでなく、男性も同じです。 実際に、日蓮正宗の方々は、実年齢より若く見えるし、生き生きしてます。 創価学会が誹謗を繰り返す。日顕上人は90近いのに、しゃきしゃきした歩きをしてまして、学会から脱会した方々は、みなビックリされます。 私は、今年で32になりますが、信心する前は、歳相応だったのですが、今は、その頃と変わらないか、さらに若く見られる事が、多くなりました。 今の会社にどんどん、女性が入ってきてますが、私の年齢知ると、えー!って言いますし、仕事付き合いで、飲み会でもキャバクラにでも、ビックリされてます。 それだけ、私の内外から、功徳が出てきてるからだと感じます。 この前なんか、性欲がめっちゃ有りそう。なんて、わけわからん事を言われた(泣)
2011.06.29
このブログを始めたときに、書いたのですが、改めて、説明をしたいと思います。 正本堂や大客殿の解体は、池田に対するいやがらせでもなければ、御先師日達上人の御事蹟を破壊するためでもありません。客殿の建て替えは、阪神大震災を教訓とした地震災害への対策として行われたものです。また、本宗の信仰のうえからも、本門戒壇の大御本尊を御遷座申し上げることは当然のことであり、その後の無用の長物と化した堂宇を解体することも当然の帰結です。宗門七百五十年の歴史のなかで、総本山や末寺の堂宇を再建した事例は数多くありますが、それらをさして「先師・先達の事蹟を破壊する行為だ」と騒いだのは創価学会だけです。H13.5.3 破折パンフレットより抜粋昭和47年に日蓮正宗の寺院・僧侶、法華講、創価学会員が総力をあげて建立した正本堂は平成11年に解体されました。正本堂解体を池田創価学会は激しく非難しています。正本堂に御安置されていました戒壇の大御本尊様が新奉安殿に御遷座あそばされ、正本堂は無用の長物となったので、解体されたのです。 なぜ、戒壇の大御本尊様が正本堂から新奉安殿に御遷座あそばされたのでしょうか。 第一は、池田氏が正本堂を広宣流布の時に建立されるべき「三大秘法抄」「一期弘法書」の本門の戒壇であると偽ったからです。広宣流布が実現していないのに、実現したと偽ることは御本仏日蓮大聖人を欺くことになります。戒壇の御本尊様を大聖人欺く正本堂に御安置することはしのびがたいことです。 第二には、正本堂建立が広宣流布の達成であるとみなすことによって、実にさまざまな数えきれない謗法のすがたが顕れるにいたったのです。いわば謗法の固まりの意味をもつようになったのです。 たとえば、正本堂建立より後は、創価学会の活動目的が池田氏の天下取りへの変わっていったのです。このような正本堂に戒壇の大御本尊様を御安置申しあげることはできるはずありません。また、仮に無用の長者になった正本堂を維持しようとしようとした場合、維持費に大変なお金がかかります。創価学会を破門し経済的にも苦しい宗門が正本堂を閉鎖するのは当然といえます。
2011.06.27
不勉強な輩がよくいう話しなのですが、全く違います。 「創価学会のいうことはこんなにまちがっている」 創価学会『教宣ハンドブック』破折 より引用抜粋 【創価学会が主張していた文証】『広布と人生を語る』 池田大作 「日蓮宗身延派にあっても、南無妙法蓮華経の題目を唱えている。御書もある。経文も、法華経の方便品、寿量品等を読経している。また、もと正宗の僧侶であった『正信会』も、御法主上人の認められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、われわれと同じである。外見からみればわれわれと同じようにみえるが、それらには唯授一人・法水写瓶の血脈がない。法水写瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである。」(8-228頁) かつての池田さんの指導の通りです。第65世『日淳上人全集』1442生死一大事血脈鈔に於て「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」と仰せられた血脈は脈絡のことで、即ち信心がなければ脈絡は成り立たないとの御意であらせられ「夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり」とは血液たる仏法を御指し遊ばされてをることは、御文によって明らかである。血液があり、脈絡があってその上に相承ということができるのである。その相承に師資相承、経巻相承之れに内証相承、外用相承があって此れ等の相承が具はって完全に相承の義が成り立つのである。仏法に於て相承の義が重要視されるのは、仏法が惑乱されることを恐れるからであって、即ち魔族が仏法を破るからである。そのため展転相承を厳にして、それを確実に証明し給ふのである。れるかと拝すれば、直弟子中日興上人を御選び遊ばされ、一切大衆の大導師として一期の弘法をご付嘱遊ばされ、弘法抄を以てその事を証明遊ばされたのである。御文中「血脈の次第日蓮・日興」とあらせられるのは大聖人の正統を決定し給ふためであって、付嘱相承師資相承等の一切の相承のことが此の御文によって立証されておるのである。しかしてそのあとのことは日興上人を師と仰ぎ師弟相対して相承し給ひ、大衆は各々また師弟相対して相承してゆくのが仏法の道である。内証の上には大聖人の御弟子であることは勿論である。といって内証のみに執して、師弟の関係を整へることが最も大事であって此れを無視するところに聖祖門下の混乱があり、魔の所行が起ってくるのである。 日淳上人の御指南の通りです。 創価学会も顕正会も正信会も、身延も変わりありません。 同じ題目でも、同じ法華経でも、全く違います。 相伝がない。それだけです。だから、いい加減な宗教に落ちたのです。
2011.06.26
創価学会がよくいう。大聖人直結。御書根本。 散々破してきた内容であるが、改めて破したいと思います。 師弟子だにも違い候へば、同じく法華を持ちまいらせ候へども無間地獄に落ち候なり。うちこしうちこし 直の御弟子と申す輩が 聖人の御時も候しあひだ、本弟子六人を定め置かれて候、その弟子の教化の弟子は、それをその弟子なりと言わせんずる為にて候。案のごとく聖人の御後も、末の弟子どもが、誰は 聖人の直の御弟子と申す族多く候、此等の人は謗法にて候也(第2祖日興上人『佐渡国法華講衆御返事』直結信仰は 「駄目」だと 第二祖開山 日興上人様の 御教示です。これで、終わりなのですが、大聖人直結というならば、三宝の僧宝を日興上人にする必要はないはずです。大聖人直結なのだから、僧宝は、学会とならなければいけない。だが、過去に私に喧嘩を売ってきた。わけわからん学会員がいましたが、彼は、日興上人のみが僧宝と言っていた。ならば、大聖人直結は矛盾になるのだ。 御書からしても、大聖人直結は書いてない。御書からしても、矛盾が生じてくるのである。 日蓮正宗から、離れ自分勝手にしているから、支離滅裂な教義になるのだ。 最近、熱くなってきた。こうなると、インターネットを見ると、ニセ本尊を拝んでいるために支離滅裂な事を繰り返して騒ぐのが、現れる。 あるサイトで、わけわからん。蓮祖直結で?在家?僧侶不要とか?わけわからん人間がいた。 あまりにも哀れでしかない。末期症状か? 長野の白馬に、冬に雪と戯れてる。YouTubeで有名になった。沖浦氏と同じく、自分勝手な己義を構える輩が現れてきた。最近、多くなった。もう自分勝手な事を言う。前にこのブログで暴れた学会員は、池田さんや戸田さんの発言は、オッサンと戯言らしい。 ニセ本尊を拝むと、やはり頭破七分になり、支離滅裂な事を繰り返し、はたまた、最近は大御本尊を否定し、二箇相承をも否定する輩が現れた。 創価学会の崩壊も近いのだろうと確信するものだ。 最近の学会員は、法華講と聞くと逃げ、幹部まで逃げるようになった。
2011.06.25
日々勉強だと、今の上司はよく言います。 車での運転でも、何にしても、日々いろんな勉強ができます。 上司は、キャバクラで遊ぼうが、何の遊びでも勉強だ!と言います。 仕事後に先週に、会社で新人歓迎会をしました。お酒の席でも、酔っ払っていても、勉強です。キャバクラに行っても、そこでも、勉強です。 死ぬまで勉強だと言いますが、私もそう思います。日々生活の中で、いろんな事があります。それが仏法上で見るようになりました。 だから、日々が楽しいのです。それは、いろんな勉強ができるからです。 私が、いろんな宗教について、何故?そこまで知っているのか?それは、勉強をして、実際に見ているからです。ただ、ネットや本だけを見るのでなく、現実にどうなのかな?それを見ているから、勉強をしているのです。 仏法では、信・行・学があります。 これは、世間でも言える事だと、私は思うのです。 信じて、行動し、知識を持つ。だから、仕事にしても、それが実践ができるものです。 ネットで、ギャーギャー騒いで、勉強を全くしない人が多いです。学会についても、きちんと勉強をしない人が沢山います。それで、感情だけで騒いでいる。それは不勉強でしかありません。 勉強するならば、いろんな資料を読み、いろんな勉強をしなければならない。私が学会や顕正会をこれだけ短期間で、勉強をしてきたのは、まさに、信、行、学なのです。 これでも、まだまだ知識あるとは言えない。それを行動に生かして、折伏を実践しなければならない。 実践で数多く話したり、見たりしている。私に彼らがいくら感情だけで、騒いでも、勝ち目ありません。 私に勝とう思うならば、私以上に勉強をし、私以上に行動をしなければならない。ただ、バーチャル世界で、感情だけをむきだしに騒ぎ、全く勉強をしない。実践しないのとは、違います。 実践しないのに、実践して体験してる私に勝てるわけがないのです。 これ、何でも言える事です。仕事にしても、学校の勉強にしてもです。 実際に私は沢山、折伏に周り、いろんな勉強をしてますから、その自信があるのです。何がおかしい。間違っている。それをきちんと勉強してるから、自信に繋がる。 信仰しても、日々勉強をしてます。だから、信じれる。行動が出来る。だから知識が必要になるのです。 中途半端な知識で、ギャーギャー騒いでいるのと、レベルが違うのです。 ネットでは、不可能な勉強を私は、実践してる。だから、彼らは感情でしか反論ができない。感情は、意味がないのだ。 何が正しいか?間違っているか? ネットでギャーギャーでは、理解できない。 自分自身に自信あるなら、ネットでギャーギャー騒がず、実際に行動してみるべきなのだ。 実際にできない。小心者が、ネットで騒いでいるのは、飽きてます。 最近では、学会員が意味不明な書き込みをしてたりする。そういう小心者は、意味ありません。 では、友人から送られてくる。一日教訓を出して、話しを終わりにしたいと思います。川を渡ろうとする人が橋の手前で、この橋はいつ、誰がつくったのか、材料は何か、今まで壊れたことはないのか、などと詮索しつづけて、結局向こう岸に行き着くことが出来なかったという話があります。すべての物事に対して、理解し納得しなければ信用しないと言う人は、一日たりとも生活できなくなってしまうのです。仏様の教えにおいては「信・行・学」とあります。まずは信じて実践し行じていき、その上でその物事をより深めるために信を深めるために学んでいく姿が尊いのです。なんでも信じなさいということではありません。仏様の教えを素直に信じるというところに自然と仏様の深く広い徳に触れ、確信をもてるようになるのです。仏様には、清らかな命(法身)、物事を正しく判断する智慧(般若)、そして悩みや苦しみを克服する自在の境地(解脱)という三つの徳が具わり、南無妙法蓮華経を唱えていく中において、自然と自らの命にも具わるこの三つの徳が顕れてくるのです。
2011.06.24
正法は一つに止まるといわれているように、「正を立てて国を安ずる」というのが立正安国論であります。創価学会には、この立正安国論の精神がありません。さて、創価学会がなぜ立正安国論の精神がないかというと、顕正会や正信会など他宗日蓮系に対する破折ができないということです。顕正会や正信会など他宗日蓮系を破折しようとすると創価学会も間違っているということに気づいてしまいます。ですから、創価学会では日蓮正宗に対する誹謗中傷のみを殊更にとりあげているのです。御本尊についても同様に捉えることができます。日蓮正宗では、御本尊について一切の権能は御法主上人にありますが、今の創価学会の理論でいくならば、身延の土産屋に売っている曼荼羅や顕正会のニセ本尊も謗法ではないということになってしまうのです。(新・反創価学会ブログより) どう、創価学会が足掻こうが、日蓮正宗の教義には敵わないのだ。 一つ一つをきちんと論証していけば、創価学会の矛盾が出てくるのだ。それは、顕正会も同じです。顕正会では学会のニセ本尊を論破できない。 自分達が作っているからです。 逆に日蓮系も同じになります。 一つ一つを論証していけば、日蓮正宗が日蓮大聖人の精神を受け継いでる事が、きちんと明らかになるのです。
2011.06.23
エホバの証人。輸血を拒否し、助かる命を粗末にする。カルト宗教です。 今日、休みで買い物に出かけていたら、見るからに布教活動をしてる集団があり、話しかけたら、案の定エホバだった。 エホバの証人は、輸血について、何等かの根拠すら言えない。 話したのは、五十代の婦人だったが、はっきり言って、この年齢で世間知らずと言いたい。 世の中を全く知らない。あのようなカルト宗教を信じているて、世の中が見えないらしい。 輸血をしてはならないとする。根拠も全く出せずに、聖書だから、聖書を信じているからと言う。 道理が全く通じない。 輸血をしてはならない。屁理屈でグダグダ言っていたが? エホバになったために、助かった命が、沢山失っているのは、事実です。 こういう。いい加減な教え。助かる命を粗末にするような。輸血禁止についつ、医学的な根拠すら出せない。 こんな宗教が、正しいわけありませんね? エホバの証人を今後、どんどん折伏をしていきたい。こういう。命をわけわからん。理由で、粗末にする。そういう宗教にいると必ず不幸になる事を教えていきます。
2011.06.22
終末思想の宗教は、沢山あります。特にキリスト教系は、終末思想で勧誘をしてきます。 かつて、戦後日本において、キリスト教系は、終末思想で勧誘をしてました。 「神を信じないと、滅びる」 と言って、布教をしてました。 ハルマゲドンと言って、最終戦争が起きるだの、自然災害で滅びるだのを言っている宗教もあります。 今、末法ですから、戦争や災害は必ずある。 だからと、根拠ない。神だの何だのを出しているのが、邪宗教キリスト教やキリスト教から誕生したカルト宗教です。 存在しない。架空の神を信じても救われるわけありません。 現実に、キリスト教が広まっている国は、貧困、格差、事件が絶えずあり、人々が苦しんでるのです。 顕正会も、同じであり、終末思想を言って、布教をしている。 「大聖人を信じないと、国は滅ぶ!」 なんて、言っているが? 確かに、立正安国論には、三災七難が説かれている。だが、顕正会が言うのは、いい加減な解釈でしかない。 滅びるなんて、有り得ない話しなのだ。 現実に、日本が滅びていない。 終末思想は、簡単に言えるけれども、何等かの根拠って、ないだよね。 最終的に信じてないから!と逃げるわけです。 面白い事に、キリスト教系も顕正会も、予言を言う。何年に何かが起こる!と言う。 エホバも、第二次大戦をハルマゲドンと言っていた事もある。 顕正会は、ソ連が攻めてくる。中国が攻めてくると、わけわからん事を言ってます。 言ってれば、数うち当たるみたいな? そんなものです。 今回の地震で、いろんな邪宗教が、終末思想を言いながら、布教をしていく事でしょう。 不安になると、言っている事が正しく聞こえてくるから、厄介なものです。
2011.06.20
創価学会は、日恭上人を誹謗をしてます。 創価学会は、平和だの友好だの表向きは、いいことを言うけれども、日蓮正宗の歴代上人を散々誹謗を繰り返している。 その中で、日恭上人について毎年、書いてます。 はっきり言うが、日恭上人を誹謗して、はたして?平和だと叫ぶ創価学会はまさか? 日恭上人の”追善供養”をしてますよね?? それとも、学会から見て謗法なら、やらないとでも言うのでしょうか?? それってさ? ”矛盾” だよね? 今、創価学会は日恭上人を誹謗をしているが、過去はこんな事を大白蓮華に出していた。「日恭上人がお隠れになる、その日でずね。私はその頃、財務の方を預かっていたから、ある用件を、行って申し上げた。それは、すっかりお聞きになった、帰ろうと思って奥を出て、次の間に来たら、「おい」と呼ばれた。「何ですか」と言ったら、「あれはな」という。「御相承に関するのは、こういうところに入れてあるから、あなた覚えておきなさい」と。「承知しました」と言って、私はそのときに奥を下ってきたけれども、”まてよ、今日に限って日恭上人が変なことを言われたぞ。日恭上人に何か事がなければいいな”と思っていた。そうしたところが、その晩でしょう。 そのときに、日恭上人が私にお話なさった言葉を、その翌日か翌々日に、堀猊下がいらっしゃった時分に、一切のことを申し上げたら、堀猊下は「それは日恭上人は、それぐらいのことはあるはずだ」とおっしゃって、手帳へお書きになった。 それから、次の猊下になられた日満上人にも、私はこのことを申し上げた。」(中島日彰尊能化の懐古談『大白蓮華』S32.12)と述べられています。 つまり、創価学会は過去は、全て忘れる。と言うより隠してるわけです。 創価学会は、矛盾だらけの宗教です。 平和だの友好だの言っても、誹謗をするのだ。それが矛盾そのものだ。 日恭上人が亡くなった。その時、空襲により多くの尊い命が奪われたのだ。 それをよ~く考えて、批判せよ!
2011.06.17
今日は、お釈迦様の弟子で、全く違う二人の話しをしたいと思います。 提婆達多は、何回か私のブログに出しておりますが、五逆罪で地獄に堕ちてしまった。お釈迦様の従兄弟に当たる人物です。提婆達多は、手塚治虫氏の『ブッタ』に、ダイバダッタとして、登場します。その『ブッタ』にない。須梨槃特(スリハンドク)は、知らない方は、沢山いると思います。釈迦の弟子の一人。周梨槃特、修利槃特などとも書く。 妙法蓮華経には、次のようにある。 兄はすこぶる聡明であったが、弟の須梨槃特は釈迦の弟子の中で最も物忘れが激しく健忘第一と言われる愚かさで、自分の名前すら覚えられない程の愚か者であった。分かりやすく言えば知的障害者だったのである。 須梨槃特は兄と共に釈迦に弟子入りするが、大変に物覚えの悪い須梨槃特は一偈も覚えられぬまま時は流れた。須梨槃特は自分のあまりの愚かさに気付き釈迦に破門を願い出たが、釈迦は「自らの愚かさに気付いたのだから、お前はもう愚か者ではない」と述べ、釈迦は須梨槃特に箒とちり取りを与えて「須梨槃特よ、お前はこれで毎日掃除をしなさい。但しその時には『塵を払え 垢を除け』と唱えるのです」と述べ、修行を与えた。 須梨槃特はそれから毎日欠かさず掃除を続け、一心にその言葉を唱え続けた。そしてある時、釈迦の述べたその言葉の意味に気付く。釈迦が言う、真に払い除くべきものは、実は自分の心の中の塵であり垢なのだと。そして遂に阿羅漢果(あらかんか、悟り)を得たのである。 こうして、智慧もなく悟りもなかった鈍根第一の須梨槃特でも、ただ一心に妙法蓮華経を信受する一念の信があれば、仏になることができるとされている。日蓮大聖人の御書には次のように書いてあります。『抑各各はいかなる宿善にて日蓮をば訪はせ給へるぞ、能く能く過去を御尋ね有らばなにと無くとも此度生死は離れさせ給うべし、すりはむどく(須梨槃特)は三箇年に十四字を暗にせざりしかども仏に成りぬ。提婆は六万蔵を暗にして無間に堕ちぬ。是偏に末代の今の世を表するなり、敢て人の上と思し食すべからず事繁ければ止め置き候い了んぬ。』(三三蔵祈雨事 御書877ページ)とあります。二人の違いは、何か?私がよく言う。素直さではないかと思う。須梨槃特は、成仏したが、提婆達多は、地獄に堕ちた。須梨槃特は、頭がよくなく今でいう知的障害者なのかも知れない。だが、彼は、お釈迦様の言う事を素直に純粋に聞いて、それを実行し、それを理解した。提婆達多は、頭はよいが自分勝手にやり、地獄に堕ちてしまった。やはり、素直に仏法に従ったか?従う事をせずにしたか?その違いです。私たちは、日々修行をしなければならない。勤行、唱題、そして折伏。寺院参詣。登山。それを素直に実行をしていけば、やがて、須梨槃特のようになるのです。修行を怠り、自分勝手にやれば、顕正会や創価学会。日蓮宗系や犀角独歩らみたいに、めちゃくちゃな支離滅裂な考えになるのです。一つ友人から送られてくる。『一日教訓』を紹介します。釈尊のお弟子に「須梨槃特(すりはんどく)」という方がいました。このお弟子さんは後世に語り伝えられるほど忘れっぽく、とうとう最後には自分の名前まで忘れてしまったぐらいです。そしてこの方のお墓から生えてきたのがミョウガだったと言われるところから、ミョウガを食べると物忘れをする、と昔から言い伝えられています。ある旅館の主(あるじ)が金持ちの泊まり客に財布を忘れさせようと悪巧みしてミョウガ汁を作ってごちそうをしました。この客はおいしそうにお代わりまでして食べて、その晩はいい気持ちで寝て、翌朝、早立ちで出て行きました。主はミョウガの効能を期待してあの重たそうな財布を枕の下に忘れていったに違いないと部屋をのぞきに行きました。ところが、財布どころか紙くず一つなかったのです。がっかりして帳場にもどって主は、「ミョウガの効果てきめん、あの野郎、家賃を払うのを忘れて行きやがった」と舌打ちしそうです。これは落語の「ミョウガの宿」にある話です。私達は宗祖日蓮大聖人の誡めを忘れてはなりません。「つたなき者のならひは、約束せし事を、まことの時はわするゝなるべし」(開目抄下 御書574ページ)どんな事が起ころうともこの御本尊を一心に信じ自身の成仏を決して忘れてはなりません。
2011.06.16
日蓮大聖人は『崇峻天皇御書』に、「教主釈尊の出世の本懐は、人の振る舞ひにて候けるぞと仰せです。元来仏教では、人間とはどのように生き、どういうものであるかという、人間性の理解を求めています。深い人間性の理解に基づいて打ち立てられた目的観をもって「いかにあるべきか」という高い心境・境界を求めることが大切です。その高い境界が確立されるためには、貪瞋痴の三毒の克服が必要となります。その三毒は具体的にあらわれてきますと、名聞名利や我慢偏執となるのです。そして世の中の姿としては、「貪」は物価の高騰や食糧不足、「瞋」は戦争や紛争となり、そして「癡」は疫病等になるのです。(友人から送られてくる。一日教訓)本来の仏教とは、こういう事です。日蓮正宗がどうたら、こうたら、ネットで騒ぐ”キチガイ”がいますが?彼らがしてるのは、三毒そのものです。私たちは、一生涯修行をする身なのです。あの人が、あー言った。こー言った。仏教修行者らしくないと馬鹿騒ぎをする。そもそも、仏教修行らしいって、誰が決めるのか?仏教そのものを知らないくせに騒いでる。我々は修行の身であり、完璧な人間ではない。独歩やら、hideやら湘南坊遺なる輩らは、自分らを完璧な人間だと思い込みしている。習ひそこないの学者でしかない。彼らが、ネットで”キチガイ”のように騒ぐのは、まさに三毒そのものです。論破され尽くされた内容をグダグダネットで騒ぐ。情けない人間であります。だから、彼らは既に”現証”として、いろんな事が、”必ず現れているはず”なのです。日蓮正宗を批判する。三宝を誹謗すれば、その結果が出るわけです。hideなる妄想癖は、妄想だけで、誹謗しかできずにいて、自称アンチからも、おかしいと指摘され、妄想が認められないと、その人をコミュから追い出すのです。つまり、彼は妄想は、支離滅裂なもねなのです。あのコミュのルールをよ~く読んでください。初めと終わりが、おかしくなってます。つまり、hideなる妄想癖は、自分自身が中心なのです。自分自身が偉い。そういうのが、現実に出ているわけです。彼らがしてる。妄想や論破された内容の繰り返しは、三毒そのものです。
2011.06.13
「創価学会のいうことはこんなにまちがっている」 創価学会『教宣ハンドブック』破折 より引用抜粋 【創価学会が主張していた文証】『戸田城聖全集』「ここにおいて、法主上人よりご印可を得て、常住御本尊様のおさげ渡しを願い、永劫の信心を決意する」(1-71頁) 御本尊に関して、法主上人から印可を得ていたのに、今の創価学会は、日蓮正宗の御本尊を勝手に写真にとって改竄して、カレンダーと同じ一枚刷りの印刷にして3000円で販売しています、これは大謗法です。 では、戸田さんは嘘を言っていたのでしょうか? 御書に、開眼についてどう書いてあるでしょうか? ■此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。(四条金吾釈迦仏供養事 建治二年七月一五日 五五歳 御書 993ページ■形は仏に似れども意は本の非情の草木なり。又本の非情の草木にも非ず、魔なり、鬼なり。 (木絵二像開眼の事 文永九年 五一歳 638ページ)■法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。638ページ■鬼をば奪命者(だつみょうしゃ)といふ。魔入りて功徳をうばふ。魔をば奪(だつ)功徳者といふ。鬼をあがむるゆへに、今生には国をほろぼす。魔をたと(尊)むゆへに、後生には無間の獄に堕す。638ページ■『本尊問答抄』「木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし」(1257ページ) 歴代上人の御指南からです。■22世日俊上人『本門如来寿量品廿三座』「開眼と云うは、眼を開くと云う事なり。魂なければ眼は開くべからず、開かざれば益も無く用も無し」(歴全三 三ページ)■26世日寛上人『観心本尊抄文段』「木画二像の草木成仏とは、謂く、木画の二像に一念三千の仏種の魂魄を入るるが故に、木画の全体生身の仏なり。(中略)当に知るべし、若し草木成仏の両義を暁(あきらめ)れば、則ち今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。謹んで文字及び木画と謂うことなかれ云云」(文段集四七〇ページ)■31世『日因上人御消息』「木絵の二像は本と草木にて有り、然るを生身の妙覚の仏と開眼したもふ事は大事至極の秘曲なり、日蓮聖人乃至日因に至る迄、三十一代累(いささか)も乱れず相伝是れ也」■56世日応上人『法之道』「金口血脈には宗祖己心の秘妙を垂示し一切衆生成仏を所期する本尊の活眼たる極意の相伝あり」(研教二七 四七四ページ)■67世『日顕上人御講義』「総本山においては、歴代上人より現住・日顕に至るまで、こと御本尊に関する一切はことごとく、かたじけなくも諸仏成道の刻みである丑寅の勤行において、下種本因の四妙たる妙境・妙智・妙行・妙位の正義をもって、事の一念三千の御本尊に対し奉り、開眼草木成仏の深意により、妙境妙智一体不二の御祈念を申し上げておるのであります。この行事は、書写本尊、形木本尊その他、一切を含めていささかの例外もありません。また、創価学会がいくら歯ぎしりしようとも、譲座本尊の本義による代々の法主の仏法伝承の位は、厳然たる事実なのです。そして、これは法主の権限ですから、『教師必携』に書くべき事柄ではない」(偽造本尊義を破す五九ページ)
2011.06.11
営業の基本的な話しになりますが、言い方一つ、感情を入れると、契約がとれる事があります。 営業会社に必ず。何で?こういう人が?っています。それは、口下手な人です。口下手なのに成績がある。 そういう人って、めちゃくちゃ一生懸命に話してるですよ。だから、相手は聴き入るのです。 逆にこういう人もいます。トントンと流れるように話せても、中々契約取れない人がいます。 何故?でしょうか? 答えは、簡単です。棒読みになっていて、気持ちが伝わってないからです。また、早過ぎて内容が理解されてないからです。 今日、仕事で出た話しですが、例えばキャバクラ。ホストでもいいです。以下を読んでください。 「いらっしゃいませ~!どうぞこちらに、おかけください。水割りでよろしいですか?焼酎はどれくらい入れます?はい。分かりました。お客様は仕事帰りですか?お仕事何されてますか?」 お水商売の基本的なトークです。 さて、この内容を棒読みされて、笑顔なく話されたら、どうでしょうか? キャバクラ嬢で、めちゃくちゃかわいい女の子でも、楽しいと思いますか? ホストにしても、めちゃくちゃカッコイイ人で、笑顔なく、クールにカッコつけただけで、言われたら?楽しい会話出来ますか? 同じ内容を話すにも、話し方、表情ってスッゴく大切になるわけです。 ホストでも、キャバクラでも、No.1になるのは、基本がしっかりしていて、相手をきちんと見ている。話し方や表情がきちんとされてるのです。 折伏って、スッゴく難しいですよね。 友人、知人、親戚でも、伝えるのは、難しい。はっきり言って、営業より難しいと私は、思ってます。 まして、知らない学会員等を折伏は、難しいです。 言い方一つ、表情だけでも相手がどう反応するか?わかりません。 よく、日本語は難しいと言います。難しいですね。文字だけなら良いが、それを話すとなると、難しいです。
2011.06.10
文証、理証、現証の三証が、きちんと証明しなければ正しい宗教とは言えない。 ある法華講の方が、日蓮正宗を否定する輩らを『文献莫伽』と言ってますが? 私もそう思う。その”文献”からしても、日蓮宗が正しいとは証明できない。一つ一つをきちんと証明すれば、いかに日蓮正宗が、日蓮大聖人を受け継いでるかが、分かるはずなのです。 いくら、否定をしようと、ただの”言葉遊び”をしてるだけです。 勝手に持論を出して、否定するに、都合悪いのは、ニセと決めつければいい。また、きちんとした論証をせずに、はなっから、ニセと決めつけてるから、ここに書いてない。なんだかんだ。言っては”妄想”展開して、自分自身の感情を元に否定をしてるわけです。 仏教は因果だから、原因があるわけです。 ただ、彼らは原因をきちんと知らないで、ただ結論を出し否定をするだけなのです。 決めつけてるわけです。 例えば、最近注目されてる太陽光発電。 何も知らない人は、太陽光は高い!!だから、無駄と勝手に結論を付けて、だから買えない。と思い込みをしている。 DIMEに記事になっているし、いろんなメディアに今注目されそれをきちんと調べている人は、太陽光は省エネだし、電気代が将来安くなる。また、補助金がある事を知っているわけです。 何にしても、自分自身が知りたい。大切なもの、興味あるものならば、徹底的に調べてから、結論を出す。 だが、彼らは真逆なのです。 はなっから否定。だから、否定するには、都合悪いのは、ニセとし、ここに書いてない。なんだかんだ。否定する文章だけを模索しているだけです。 彼らの手口は、決まって結論を作り、それに当て嵌まるようにしたいだけなのです。 そんなのは、研究とは言えない。いくら日蓮正宗の文献を沢山持っていようと、否定するところを必死に模索するなら、それは研究とは言えない。 だから、”習ひそこないの学者”なのです。 本当に彼らが、正しいなら意見がバラバラなのが、おかしい話しだし、現に独歩とhideの考えは食い違いがある。つまり、支離滅裂であり、否定は不可能なのです。 同じ研究で、食い違う話しはない。つまり、否定するからに、否定するものだけしか見てないわけです。 また、頑迷で自分の事しか考えていない。だから、現実に彼らは支離滅裂に陥るわけです。 どんなに必死に否定しようが、意味ありません。 否定するなら、ならどうしたら平和になりますか?と言われたら、終わりです。 彼らがどう解答しようが、根拠と証明は?で解答不能になるはずです。 彼らは、どうやろうが、否定しかできない。ならば、変わった否定からツッコミを入れれば、解答は不能になります。 彼らは、決まってこう答えるでしょう。『宗教が無くなればいい』『他宗教を尊重すればいい』 どう、答えようが、支離滅裂になり、根拠と証明は不可能になります。 宗教無くなれば、では、宗教無くなれば、人殺ししたらダメとか?泥棒はダメ、戦争はダメとか?何の意味ありませんよね? 人殺しはダメやら、泥棒はダメ等は、少なからず宗教の意味合いありますよね? 他宗教を尊重する。そもそも尊重の意味とは、そんちょう [尊重][名・他サ変]価値あるものとして大切に扱うこと。重んじる。たっとぶ。とうとぶ。 とあります。つまり、その宗教の全てを価値あるものであるならば、その教えそのもの、例えば、存在しない神を認めたり、いろんな宗教の教えを讃えなければならない。 考え、意見が違うのを尊重するのは、不可能な話しですから、尊重して平和にならないはずです。 絶対に解答不能になり、支離滅裂になるはずです。 どうしたら、平和になる?それを彼らは明確に解答は不可能なはずです。
2011.06.09
日蓮正宗を完全に否定する事は不可能です。 大御本尊にしても、血脈相承にしても、完全否定は不可能です。 大御本尊に関して、戒壇の大御本尊様の真偽については、入信早々から知っていたわけではありません。古来から色々と疑義が取りざたされています。しかし、いずれも疑義に過ぎず、真筆説を100%粉砕するほど決定的なものではありません。まだまだ、「そうは言ってもこのように真筆とも考えられる」という再考の余地を残すものばかりです。 前にも書いたが、弘安三年の日禅師授与本尊を元にした。それすら、逆に大御本尊を元にした可能性があるわけです。 邪義は、日蓮正宗の歴史において、散々論破され尽くされてます。 それをグダグダ言っているのは、”キチガイ”です。 私からしたら、独歩もhideも、湘南坊遺もただの”キチガイ”です。言葉悪いが、はっきり言います。いくら、騒いでも100%完全否定は不可能です。 真筆たる論証は、いくらでも出来るわけです。 他邪宗教みたいに、支離滅裂になるのが、彼らの考えです。 大御本尊にしても、完全に違うとする。それなりの根拠を出さないとならないが?彼らは、妄想を繰り返しているだけで、完全否定は不可能です。 血脈相承にしても、完全否定は不可能です。 そもそも、仏教は因果ですから、原因があり結果があるわけです。 学会や顕正会みたいな団体があるから、日蓮正宗がおかしいと、馬鹿丸出しのくだらない事をネットで平気で言っているような輩がいますが? それは、日蓮正宗の歴史、創価学会の歴史、顕正会の歴史を全く知らない。何も知らないで、ただの”決めつけ”なわけです。 散々、YouTubeで樋田氏のを見ている方は沢山いると思いますが、一つ一つをきちんと、論証してるわけです。こーしたから、こういうわけで、あーなった。 日蓮正宗を完全否定するならば、日蓮正宗教義つまり、御本尊そのものが、どうしておかしいか?それを拝むと”全ての人々”が不幸になるとする。きちんとした証明をしなければならない。 いくら騒いだところで、日蓮正宗を完全否定は不可能です。 退転した人が、騒いだりしているのを、mixiで見ますが、ただ、”素直”になってない。 それだけなのです。素直に従い。素直に実践をする。 それが、”出来ない”だけで、あの人があーだとか?あの人が嫌いだから、住職が悪いとか? 金が無いから、登山出来ない。 そんなの逃げの”言い訳”でしかないのです。 鎌倉時代、大聖人に会うために、90歳のおじいちゃんが、歩いて佐渡から身延まで行っているし、女性で幼子を連れていっている。 おじいちゃんは、阿仏房。女性は日妙聖人です。 御書に出る有名な二人ですが、では?この二人は、不幸でしょうか? 日蓮正宗を完全に否定するならば、日蓮正宗を信仰したら必ず不幸になる。それを、歴史から見て、現実にでも完全な証明をすべきです。 完全に証明が出来ないなら、意味は無い。
2011.06.09
今日、学会員折伏を少しした後、実家に用事で帰ってまして、車で一時間ちょっとでして、行きに今まで気付く事なかった。幸福の科学の会館がありまして、帰りに寄ろうと思い。 実家で用事済ませ、ちょっとゆっくりして、犬と遊んでから、帰り道に寄りました。 勉強の為に寄りました。以下やり取り(長いので重要な所だけです) 私「こんにちは~すみません~幸福の科学について教えてください。」 会館の方「良いですよ~」会館の方「何を知りたいのですか?」 私「基本的な教えだけで良いです」 会館の方「幸福の科学は、仏教が基本です」 私「へ~」 会館の方「エル・カンターレを神とし、大川隆法を釈尊、釈迦ですね。生まれ変わりとしてます。釈迦は前はヘルメスで、生まれ変わりを繰り返しています」 私「で?大川隆法さんが、釈迦の生まれ変わりとする根拠は?」 会館の方「…ちょっと…」私「あの~幸福の科学は仏教ですよね?法華経とか涅槃経とかに、二千何百年後に自分の生まれ変わりが現れると書いてあるのありますか?」 会館の方「あ…地区長がいますので…」 地区長と選手交代(笑) 地区長「それは、証明は不可能です」 私「…科学ですよね?」 地区長「証明はできないが、信仰ですから」 私「いやいや、仏教って因果ですよね?」 地区長「そうです。因果です。」 私「経典出せないですね?」 地区長「信仰です。私たちは、キリスト教や他宗教のいい教えは否定しません。」 私(この時点で頭が痛い)「あの~処女がキリストを産んだを認めるのですか?」地区長「いや!それは認めません!」 私「矛盾してますよ?」 地区長「いい教えは、尊重します。他宗教を否定するのがおかしいです。」 私「仏教は、他を否定しますが?(お釈迦様はバラモンを否定していた)」 地区長「…」 私「あの~私は日蓮正宗法華講なのですが(ツッコミ満載で思わず言った)」 地区長(豹変して)「よく来るよ。」 私(やはり)「立正安国論からして、他宗教を認めていても、平和が来ない事。間違った宗教が世界を不幸にしてるとありますよ?」(まさか、立正安国論くらい知っているだろう)地区長「立正安国論が正しいのですか?」 私「あなた、他宗教を認めると言いましたよ?」 地区長「なら、日蓮正宗はみんな自分ら日蓮が正しい!言うけど、他の宗教がある国はおかしいのか!」(怒り丸出し) 私「はい。だから、世界が平和になってないですね?」 地区長「だから!あなたたちと私たちは、水と油なのだ!」 私「正しいのは、一つしかありませんよ?」(沈着冷静な私) 地区長「だから、争いが絶えない!」私「正しい仏法をしてれば、争いはありません。」 地区長「これだから、顕正会は!!」 私「私は”元”顕正会ですが?一言も私が顕正会と言ってませんが?人の話し聞いてませんね?」(この地区長何回も顕正会を出す。よほど顕正会もきてるだろう) 地区長「なら、日蓮正宗は全ての宗教を知っているのか??」 私「はい。だから、日蓮正宗が世界四十数国に広まってますし、いろんな宗教を研究してます」地区長「…今日は、帰ってください。なら、あんたもここにある本全て読んでから来なさいよ!」私「読む必要はありません。自分勝手な仏教論を展開する宗教が正しいわけありませんよ?それと、大川さん奥さんに訴えられてるじゃないですか!」 地区長「あれは魔が入っておかしくなったのだ。」私「自分の奥さんを救えないのが、正しいですか?」 地区長「日蓮だって!国やら何やら迫害されただろ!同じだ!」私「それは、法華経に説かれてます。大川さんは、権力者から迫害されてますか?」 地区長「…今日は帰ってください!」 会館の方「とりあえずこれを読んでください。」(本を渡された) 私「いや~楽しかったです。」 約30分話しました。ツッコミ満載でした。勉強どころか、破折してしまった。 矛盾だらけだし… 他宗教を尊重して?? 幸福の科学のから「神々の主」、エル・カンターレ イエス・キリストが「わが父」と叫んだ存在が、主エル・カンターレです。主エル・カンターレは、イエス・キリスト、孔子、ゼウス、マヌ、ゾロアスターなど、九次元の神々をも指導する「神々の主」です。(ザ伝道Vol.184、35ページ ) 意味不明… 幸福の科学みたいな事を言っていた人がいました。差出人:のり7243日付: 2011/05/25 21:36:59返信済 件名:平和世界が平和になるには他宗教を尊重することです。日蓮正宗がカルトだとみなされているのは排他的思想が嫌悪されているからです。 彼は、幸福の科学の信者でしょうか? 日蓮正宗は、排他的思想でなく、信仰の根本が間違っていると言っているだけで、その宗教施設を壊す事や、宗教から誕生した文化を否定しない。
2011.06.08
今日、一日いろんな事ありまして、分けて書きます。 朝、霧雨でして、休みで折伏どうするかな~??迷ったが、罪障消滅に絶好の折伏日和と思い。 最近、仕事でいっぱいで折伏の行動どころでなかったのですが、久しぶりに折伏に行きました。 いつも、居留守を使う。おばちゃんがいたので、ちょっとお話しましょ~っと、したら、忙しい!!と逃げる一方でして、幹部に聞いて!って言うから、幹部を紹介してください。と言ったが… 調べてください。 私、調べて分かるなら聞かないですよ~(笑) って、そそくさに家に入ってしまった。 二軒目は、ピンポンして、出てきたが… 私「日蓮正宗の者ですが~?」学会員「結構です!」 私、思わず扉に手を出したが、バシッと閉められた。 私、訪問販売の仕事を以前していたが、閉める扉に手を出す事はなかったが、無意識に出た。 三軒目は、仕事中みたいなので、パンフレットを入れてきました。 (日蓮正宗公式の) 久しぶりに、折伏に行ってきたが… 久しぶりに楽しかった。 折伏は、相手を救う気持ちでなければならない。 昨日、樋田氏のDVD『突然の質問会』で、三度離婚してうつ病になっていた。女性で灯油を頭に被って自殺した。それを行った時に踏み込んでも、救ってあげたい。 そういう気持ちが大切なんですよね。相手を救いたい。樋田氏の折伏の言葉って、キツイ言い方が多いけれど、スッゴく気持ち伝わるですよね。 だから、妙相寺の誓願が達成がスゴイわけです。 気持ちなんですよ。 これって、営業の世界でも同じで、同じ基本トークでも、言い方や気持ちだけで、契約取れる人、取れない人っています。 助けたい。助けなければならない。そういう気持ちが大切なわけでして、 私も気持ち優先して、手を出してしまった。ちょっと反省ですね。
2011.06.08
ハッキリ言えば、分かるわけありません。 御書ってそもそも、在家信徒に宛てた手紙がほとんどなのです。 だから、御本尊の南無妙法蓮華経の下に直下に『日蓮』といつ?書いたか?御書に書いてません!! また、御本尊に堤婆達多(だいばだった)が書いてありますが、何故?書いてあるか?御書に書いてありません。 つまり、ネットで馬鹿騒ぎしてる。退転した独歩なる痴犬や、独歩と意見食い違う。売れない俳優が言っているのは、ただの”妄想”なのです。 御書に書いてないから、だから? 御書が何かが分かってないから、ピントがづれているわけです。 活字になってないから、だから? そんなの何の意味があるでしょうか?? 燃やされたのもあります。行方不明なのもあります。 御書から全ての大聖人の悟りが分かるわけありません。 私から言わせたら、独歩も売れない俳優hideも、汚い言葉だが、”頭が悪い”と言いたい。 日蓮正宗を潰したいか?何か?知らない。どんなに彼ら”頭悪い”のが、騒ごうがどう足掻こうが、意味はない。 何故ならば、日蓮正宗にて救われてる人は沢山いるわけだ。否定するならば、救われないとする。論証をしなければならない。
2011.06.07
ジューンブライドですね。確か?あまり宗教的な意味は無かったと思います。この時期に結婚式をすると幸せになれるだそうです。 去年、一つ上の従兄弟の結婚式に参加しました。流行りのチャペルで、個人的にあの神父を折伏して~と思ってました。心の中で聖書の内容を破折してましたが(笑) 私は、熱いの嫌いなのでこの時期の結婚式は、嫌ですね~ 私は以前に冠婚葬祭の仕事を少しだけしてましたが、こういう会場のリピーターは、料理と演出です。 ちなみに、従兄弟の結婚式は、親族は不評でした。従兄弟が悪いわけでなく、式場スタッフが目配りと気配りがない。料理が酒に全く合わない。式場を選ぶにも、きちんと調べるべきですね。 私は、結婚式は大石寺でしたいです。雪化粧した富士山をバックに法祥園で記念撮影をしたいです。 さて、大聖人様は御書にて、夫婦の在り方について「をとこははしらのごとし、女はなかわのごとし。をとこは足のごとし、女人は身のごとし。をとこは羽のごとし、女はみのごとし。羽とみとべちべちなりなば、なにをもってかとぶべき。はしらたうれなばなかは地に堕ちなん。いへにをとこなれば人のたましいなきがごとし」(千日尼御返事・御書1467ページ)と、一心同体をもって和合することが大切であると示されています。結婚を控えた二人は、その深い因縁と意義を自覚して婚儀に臨むべきです。(日蓮正宗入門・実践編 日蓮正宗の信仰309ページ) 私が好きなのは「やのはしる事は弓のちから、くものゆくことはりうのちから、をとこのしわざはめのちからなり」(富木尼御前御書・御書955ページ) 夫が見事な働きは、それを支える妻だという。御指南を弓矢と雲を例えてます。
2011.06.05
よく、現証だ!現証だ!と、私たちは使います。 現証について、日蓮大聖人は以下を言われてます。 「一切は現証には如かず。善無畏(ぜんむい)・一行が横難横死、弘法・慈覚が死去の有り様、実に正法の行者是くの如くに有るべく候や。(中略)それほどに浦山敷(うらやまし)くもなき死去にて候ぞやと、和らかに又強く、両眼を細めに見、顔貌(かんばせ)に色を調へて閑(しず)かに言上すべし」(御書1106、全集1279頁) 「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よリも現証にはすぎず」(御書874、全集1468頁) 「末法の法華経の行者を軽賎(きょうせん)する王臣・万民、始めは事なきやうにて終(つい)にほろびざるは候はず」(御書1397、全集1190頁)と仰せられ、正法に背く者には、必ず厳しい仏罰があることをお示しくださっています。 創価学会の名誉会長池田大作さんに、罰なんかないだろ!!言われますが、池田さんの次男は、胃せん腔で亡くなっております。 また、四代会長の北条氏の突然死や、シアトル事件(クロウ事件)のクロウ氏や、芸者事件の椎名氏等の若すぎる死を見ると、現証なのか?と思います。 全ては、何か?原因が奥底にあるわけです。 法華経を誹謗する行為。ネットで、大御本尊を否定したり、僧宝を誹謗したりしている。”キチガイ”がいますが、それは、必ず現証として現れるはずです。 何があるか?わかりません。 三宝誹謗だから、経済的にくるかも知れませんし、病気になったり、はたまた、怪我をしたりと、何があるか?わかりません。 ただ、言える事は、全て原因があり、その結果なわけです。 私は、脅すつもりありません。 罰には、顕罰、冥罰、別罰、総罰と、四種あります。 ハッキリでる。顕罰。 本人が気づかないうちに蓄積されて不幸の底に堕ちる冥罰。 各人が受ける別罰。 社会や国土に総体的に受けるのが、総罰。 です。 罰は、仏様が当てるのでなく、自ら招く事です。 そんなの関係ねー!(小島よしお風)と言って、構わないと思います。 どんどん、誹謗を繰り返しやり、学会や顕正会の真似をして、三宝誹謗をし、私たち僧俗をどんどん誹謗をしていけばいいと思います。 YouTubeの樋田氏を樋田教だの馬鹿にしたり、私や、れいな氏、法太郎氏を誹謗したり、勝手にやってればいいと思います。 慈悲ないと言われてもかまいません。 仏法は、一年、三年、七年です。 誹謗してるあなたたちと、私たちの差は、一年後、三年後と決めて見れば、必ず歴然としているはずなのです。 もし、私が間違っているならば、もしかしたら、ホームレスになってしまうかも知れないし、大怪我してるかも知れない。 逆にあなたたちが、そうなっているかも知れないわけです。 私は、ネットで現証だ~!言っても意味ないと思ってます。 現実を見れば、ある某俳優は、日蓮正宗を誹謗してるからか?名前すら無名でした。ある習ひそこないの学者気取りは、噂ではいろんな事があったそうです。 大御本尊や、僧侶を誹謗をしていた。日蓮宗の安永弁哲は、檀家に追い出され、創価学会と裁判をしたり、いろいろ大変な事があったそうです。 何回も言います。脅すつもりありません。 全ては、何らかの原因があり、その結果が出るわけです。 私には、責任ありません。どんな形で、どんな理由で?わからないです。 必ず、罰は受けるわけです。四種の罰のうちに何かです。 それは、自ら招いた。自らの結果でしかありません。 三宝誹謗すれば、三宝誹謗した。結果が出るし、日蓮正宗僧俗を誹謗すれば、その結果が出るわけです。 それは、自ら招いた結果なのです。
2011.06.04
本より、宗教の根幹とは、其の信奉する本尊にあり、又、其の本尊をして本義と為す事こそが、宗教の宗教たる所以と成るのである。仍って、其の宗教の根幹を為す本義、つまりは信奉する本尊及び、其の本尊を正義とする本尊観が、時間の経緯によって変貌する事は、今時末法に於いて許されるものではなく、又、それら短期による本尊観の変節は、実に其の宗教の根本尊崇に対する不定見の表れであり、実に其れこそが邪宗の姿であるという事が、此に確認出来るのである。又、其れこそは、創価学会第二代会長にして、日蓮正宗法華講総講頭でもあられた戸田城聖先生の『前に言っていた事と、今言っている事が違う宗教は邪宗である』という認識に一致するものであり、其れら言動による変節が、本尊義に至る事を以って、其の宗教の本質が邪宗の其れであるという証拠ともなるのである。そして、現在、曼荼羅本尊などは、誰が書いてもよい、とする創価学会。▼破邪の蘭室 【破 邪 の 蘭 室】《創価学会員専用破折掲示板》より、引用 本尊って、大切な事です。拝む本尊がおかしいなら、おかしな宗教です。 例えば、稲荷の狐。人間より劣る畜生を拝んだり、蛇を拝んだりしてますが、そういう人は、動物みたいな行動をしたり、こそこそしたり、します。 拝むものが、本当に重要になるわけです。 稲荷を拝んで、100%救われますか?救われないでしょう。 このブログに何回も出しておりますが、”魔の通力”は、怖い。 私自身が、魔の通力を体験してますが、本当に麻薬みたいなものです。最初はいい事が沢山ありますが、段々と悪くなる。悪くなると、神社や仏壇に祈る。良くなるどころか、悪くなる。 麻薬と同じです。本当に嫌になるし、死にたいとも思うようになる。だから、怖いのです。 正しい本尊。正しい教義の元に信仰に励めば、必ず救われていく。 それが、正しい宗教なのです。 現実に、私たちは救われているから、何回も登山をします。私は、まだ、20数回の登山しかしてない。 何十年と一生懸命に信仰してる程、顔つきが違うわけです。 自分勝手に、または、素直にならず、疑ったりしていたら、救われません。 御住職の話しを聞き、周りの話しを聞き、素直に受け入れなければ、救われない。 自分勝手にやって、素直に聞かない。それで、日蓮正宗はおかしい! そういう考えは、おかしいです。 慈悲ないかも知れないが、素直に聞かない。素直になれない。そういう人は、現証が出ないと、わからないと思う。 それでも、仏法を信じないで、法華経を誹謗するならば、まあ~しばらくは、あっちの世界にいてください。来世、生まれ変われるなら、来世会いましょう。です。 慈悲がないかも、知れないけれども、現証を見て、気づかせる。それも一つの慈悲だと私は思う。 それは、子供が例えば、ふざけて、走り回っていて、親が注意しても止めない。転んで怪我をした。子供ながら、親の言う事を聞いていたらな~と思うわけです。私がそうでした。転んでないが、勢いでガラスを割り大怪我をした事がある。 痛い思い。嫌な思い。辛い思い。それを感じなければ、わからない。それでも、誹謗するならば、勝手にしな!です。
2011.06.03
どんなに、日蓮正宗を否定しようが、そんなの意味はない。 否定するならば、日蓮正宗よりも正しい宗教があるのか?その宗教がいかに正しいとするその根拠をきちんと証明すべきです。 また、宗教が不幸と言うなら、日蓮正宗を信仰して絶対に不幸になるとする根拠を出すべきでしょう。 それすら出せないで、ただ、大御本尊はニセだと思います。とか?血脈はおかしいと思います。 話しにならない。”思う”でなく、何故?そうなのか?きちんとした。論証をし、その本尊を拝む者全てが”必ず不幸”になると証明すべきでしょう。 それができないくせに、文献だけで、あーだ、こーだ騒ぐのは、ただの”キチガイ”です。 大聖人は、現証にしかず。と言われている。 つまり、日蓮正宗が間違った宗教であり、その教えで絶対に不幸になるとする証明をしなければならない。 創価学会のニセ本尊が出たのは、平成五年です。 あれから、十八年です。 現実に、そのニセ本尊により、多くの学会員が不幸になってます。 病気、失業、うつ病、離婚、家庭不和。自殺。犯罪。 出したら、キリありません。 YouTubeの樋田氏だけでなく、私やいろんな法華講の方々が、折伏して知ってます。 私も、いろんな学会員を折伏している。夜逃げした学会員。子供が働かない。うつ病。 そういう学会員を実際に私は見てます。聞いてます。 ある方は、末期ガンで余命無く、日蓮正宗に戻ったら、ガンを克服。元気になってます。 また、ニセ本尊があったときに、ペットがおかしくなったが、ニセ本尊から変えたら、ペットが元気になった。 沢山あるわけです。現証にしかずです。 学会二世、三世なんて酷い学会員は沢山います。 逆に、日蓮正宗は750年も続いてます。 つまり、もし、戒壇の大御本尊をニセ本尊と言うならば、何故?長い歴史があるのか? 学会のニセ本尊を拝んでる。のと、正しい本尊を拝んでるの差をどう説明ができるのでしょうか? 日蓮正宗を誹謗するならば、全国日蓮正宗寺院に行き、必ず不幸になっているという証明になるのを出すがよかろう。 現実に、私はめっちゃ幸せです。大切な仲間、仕事、信仰。 毎日、充実してます。 苦しい中、めっちゃ幸せだと感じてます。 それが、思い込みだとか言うならば、現実の私を見てから言いなさい。 現証にしかずです。一切衆生が”必ず”救われなければ、正しい宗教とは言えない。 私みたいな、ろくでなしの弱輩者が、救われたのです。他人に何言われようが、全てが結果です。
2011.06.02
夜に書いたが、犀角独歩なる痴犬を教祖様的に尊敬する輩が、私にメールしてくるが、全て私が論破し解答不能になった。 それでも、そやつは、独歩が正しいと思い込みしている。 戒壇の大御本尊を云々やら、二箇相承云々やら… ゲップが出る話しで、お腹いっぱいで、太ってしまう話しです。 あきあきしてましてね。 散々、破折され尽くされた内容です。 現実にやっても、彼らは逃げるでしょうから、やる必要もない。 まあ~解答不能になる反論は私はありますがね。 犀角独歩なる者は、宗教学者気取りのただの、素人に過ぎず。出家して修行したわけでないのが、仏法の奥義はわからないのだ。 まして、独歩なる者は、誰から相伝されたのでしょうか?? まさか?学会さんみたいに 大聖人”直結”だとは言わないでしょうが? 大聖人の心を素人学者たる。独歩なる者が、どう理解できるのでしょうか?? まさか?学会さんみたいに… ”御書根本”とか? いや~まいりますわ~頼むわ~(笑) 素人学者が、大聖人の心なんてさ? 分かるわけないだろ!! では、独歩教の信者らに聞きたい。独歩なる教祖様は、どうやって、相伝されたのですか?独歩なる者が、大聖人の考え、心が分かると言うならば、どうして、そう思うか? 私は、根拠を知りたい。 大聖人は、相伝の大事を沢山言われているわけであり、有名なのが、草木成仏口決にある。 「習ひそこないの学者、夢に知られざる法門なり」とあります。 相伝が全くない。素人学者が、難信難解の仏法を分かるわけないのです。 だから、独歩なる者は相伝されたのですか?もしくは、素人学者が仏法を云々言えるとする根拠ありますか? 例えば、家電芸能人っていますよね?彼は、家電に詳しい。シャープ、パナソニック、東芝、日立、三菱電機、SONYといろんなメーカーの家電は詳しいけども、では?彼は、家電を作る事できますかね? 100%無理でしょ?? 同じでさ?独歩なる者がさ? 日蓮正宗の歴代上人を調べてもさ? 御本尊について、どうやって書いてるか?または、今までの相伝がどのような形で行われてきたか? 知らないし、知るわけがない。 それに彼が、日蓮大聖人の心が分かるわけないし、本尊を作る事も書く事もできないわけです。 この例えを創価学会二代目会長戸田さんが、洗濯機を例えにして、説明をしてました。 戸田さんは、信じている。仏法を信じて、教学があるが、御本尊を書けないし作れない。 私は、趣味で日本国内の城が好きです。城を調べたり、見たりするのが好きではありますが、だからと、プラモデルの城は作れても、現実の城を作れないのだ。 独歩なる者も、文献を調べても、わからないのはわからないのだ。 世の中、文献だけではわからないものが沢山存在します。
2011.06.01
日本の歴史において、数々の仏教、神道の宗教が沢山誕生をしてます。 その中で、撲滅された宗教もあります。 それ中で、真言立川流がその一つです。教義はグロテスクなので、省略します。てか、楽天ブログに書けない内容になってます。 興味ある方は以下文献で水原尭栄『邪教立川流の研究』 全正舎書籍部、1923年笹間良彦『性と宗教―タントラ・密教・立川流』 柏書房、2000年、ISBN 4760119299藤巻一保編『真言立川流―謎の邪教と鬼神ダキニ崇拝』 学習研究社、1999年、ISBN 4054010091真鍋俊照『邪教・立川流』 筑摩書房、1999年/ ちくま学芸文庫、2002年、ISBN 4480087036 立川流とは?立川流(たちかわりゅう)とは、鎌倉時代に仁寛によって開かれ、南北朝時代に文観によって大成されたとされる密教の一派である。真言立川流(しんごんたちかわりゅう)ともいう。(ウィキペディアより) 江戸時代までに、幕府により撲滅されたようです。 日蓮正宗の歴史において、様々な難がありました。それでも撲滅してない。 日蓮正宗が立川流のように、おかしな宗教であるならば、すくなくとも江戸時代には、撲滅されていたと私は思うのです。 犀角独歩やら何やらわけわからない連中が、いくらネットで騒いでいても、日蓮正宗は撲滅される事は不可能です。 創価学会や顕正会、正信会(正信会寺院の多くが日蓮正宗に戻っている)は、必ず撲滅されます。
2011.06.01
非常にくだらない。馬鹿らしい。 今回は、メール内容は、犀角独歩なる痴犬と、湘南坊遺なる痴犬の本名があったので公開は避けよう。 れいな氏と私と、彼らが法論すればよいとメールしてきた輩がいた。 はっきり言って彼らは、必ず逃げるのは、わかっている。 ゲップが出るような話しであり、くだらない。はっきり言って、自分自身の我見でしか見れない人は、現実を見ない。そんなのを相手にする暇はない。 我見でしか見れないのは、慈悲ないと言われるだろうが、しばらくはあっちの世界に行ってきて、来世に会いましょうと私は言いたい。 多分彼ら、我見に酔いしれてるのは、何を出しても必ず”屁理屈”で返す。 屁理屈は、私は仕事でお客様だけで充分である。プライベートまで、まして仏法上の屁理屈はごめんこうむる。 時間の無駄であり、まして彼らに”相伝”はないのだ。 以下、犀角独歩氏を破折した。toyoda.tvからです。実に不勉強・浅見の極みというべきである。※1、御相貌御歴代上人が唯授一人・血脈相承によって御相伝され、御書写されるのは、御本尊の物理的・表層的な御相貌ではなく、戒壇の大御本尊様の”御内証”である。日顕上人■「当宗において歴代の法主が、かたじけなくも御本尊を書写申し上げるということは、まことに重々の大事が存するのでありますが、特に、本門戒壇の大御本尊の御内証を拝してお写し申し上げ奉るというところに、甚深の意義が存するのであります。」■「戒壇の御本尊は御内証だけの御本尊ではなく、御内証即御化導の上の究竟の御本尊であり、そのように拝さなければならないのであります。」であるから、「福過十号…」「頭破七分…」「仏滅後二千二百三十余年」「二千二百二十余年」「釈提桓因大王」「帝釈天王」等の御体相や座配・御相貌ついては、■此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし。とあるがごとく、御法主上人御一人の御所作に依られるのであり、犀角氏などの御相伝を全く知り得ない謗法者が云々できる領域ではないのである。(中略) 妄弁者、犀角氏は、歪んだ自らの心を省みて、大いに恥じ入るべきであろう。 私もそう思います。相伝もないのが、仏法なんて分からないのだ。 私たちは、相伝された御法主上人に従い。御僧侶に従って信仰をするのです。 仏法は相伝があるから、今に伝わってきてるわけです。 相伝がないくせに、自分自身に酔いしれた。慢心した独歩なる痴犬を相手にする暇はないし、彼は必ず逃げると私は思う。 私みたいな弱輩者からしても、ツッコミだらけだ。 まず、独歩らがいうのが正しいならば、正しいとする根拠は彼は示してない。 また、独歩に相伝がないのに、間違ってるとかいう根拠が読んでいて理解不能です。 どう逆立ちしようが、正しい仏法に敵わないのだ。 はっきり言えば、素直になって正しい仏法に従うか?逆らうか? 逆らってるその姿が、ネットまたは、自慢してるだけの勉強会なるものだ。 ネットで騒いでるのを見ると、自分自身に酔っているつまり、顕正会と学会と変わらない。 独歩なる者が、厳しい修行をし、仏法の全てを理解した本仏ならば別だが? それと違う。ただ私たちと変わらない人間であり、ただの凡夫です。ただの凡夫たる独歩も私たちも、難しい仏法をニセだのなんだのグダグダやるのがおかしいのだ。
2011.06.01
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