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もう午後から鬱気味、いや多分鬱。午前中はちょっと頑張って外にも出てみたのだけれど、午後からはもう、自分の部屋を出るだけでも切なくなってくる。外に出ると動悸がする。無理です。無理。午前中の詩など書いてた余裕のある私はどこ?(苦笑)傍に居て欲しい誰か抱きしめて好きだと言って必要だと言ってしんどいよごめんなさいなんでこんな目に遭うのかやはり罰だろう罰なんだもう書けなくなりそう涙が出るん横になっても眠れない触れて傷つけても良いから触れてください腕が重い*********生まれたての赤ちゃんが泣き声をあげるように君が好き鳥は空を飛び人は地を這うように君の傍に居たいミクロの中にマクロの宇宙が宿りマクロの宇宙がミクロの僕の一細胞の一原子に宿るように僕たちは出会い素粒子は君の在れ、という意味の為に存在し僕の心が震えたから振動しているそう思うよそれ以外は君の前では脱ぎ去ってしまおう君も僕も人間だから僕たちは川の流れであり風のそよぎであり永遠だから
2004年02月29日
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愛し合う心を育てていったあなたが その腕(かいな)を枕に お眠りと耳にささやく 昼の言葉など忘れていいから 聞いて free fly free fly 果てなく 父とその母が 歌えなかった唄が 弾む free fly free fly 愛をまさぐる唄 信じあって語りつげば もっと心滑らかになる 欲深なまどろみ 身を任せて夢見る 子供たちの心の 灯になって欲しいと 愛する作法(しつけ)を ちりばめていけば それは free fly free fly 慈しむ海原 あなたという星つかめば 永遠という刻にかわって 愛し合う心を育てていったあなたが その腕を枕に お眠りと耳にささやく 夢に見る銀河を まどろんだまま旅する その瞳と唇 それだけで何もいらない ”愛の輪郭(フィールド)”by KOKIA作詞:井荻麟作曲:菅野よう子******************昨日のことをよく覚えてない苦しくて涙が出て叫んで仕方ないのでデパスを含んでまた叫んで疲れて気が付いたら寝ていて深夜だった何を叫んだのかわからないなんの涙なのかわからないでもそういうときには抱きしめて欲しくなるやはりオカシイんだなと泣き叫ぶ自分を冷静に見る自分とクレイジーな自分に酔ってやがるだろうっていうシニカルな自分がのしかかって切なかった本当の自分はどこからどこまでだろう
2004年02月28日
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”恋愛”とか言われるようなものは私は要らないからと、彼女は言う。私もそんなのは要らない。その辺のドラマや、映画や、小説なんかに書いてある”形”なんてどうだっていい。こうしてほしい、ああしてほしい、ロマンチックがどうだとか、そんなのもどうでもいい。そんなものの中に真実はない。自分は”普通”に埋もれて汚れ、そうやって生きてゆく中でそういったものに知らず知らず囚われて自分の中に恋愛の下らない、あるべき”形”を生み出してしまったようにも思う。が、そんなのもやっぱり本当じゃない。そのへんによくあるような形で縛ったとてそれはただの一つも本当の心の証明になどならない。そう思い知った。私はただ、彼女の心が欲しいだけ。その奥深く。閉ざされた扉を開きたいと思うだけ。自分の奥深くを見せ、この想いを見届けて欲しいと思うだけ。敢えていうならそれが今の私の恋愛の”形”そして、彼女に宿る魂の数だけ私には形がある。統合した人格消えた人格があって、最近何人いるのか整理して居なかったのだけど、このあいだ一人一人にラブレターを書いてみた。整理してみると11人。一人一人短めでも結構長くなった。一人一人に、全て、想いが届くのはいつになるのかわからない。私が愛する全てに私が愛されることはものすごく難しいだろう。少なくとも女性は子供を合わせて9人いる。けれどもそれが私の選んだことだから後悔はしないと決めている。一度に9人の女性に愛されたいなどと望んでいるのだから、贅沢なこと。お兄ちゃんと言われ、お兄さんと呼ばれ、名前で呼ばれ、貴方と呼ばれ。時間が掛かったって当たり前。私は誰よりも貴女を、貴女たちを見守り、そして想う。
2004年02月24日
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Since your death貴方が死んでからEverything has felt so meaningless and vain全ては無意味で空虚that I’ve lost the will to live私は生きる意思を失ったLove, your death愛、貴方の死 それはRipped my heart right out and since you went away私の心を切り裂き 貴方のいなくなったこのLife’s had nothing more to give人生から得るものなど何もないCross my heart and hope to die誓おう この胸に十字を切って死を望むMay my end come tonight私の終焉がこの夜 訪れるようにAcross the dark, into the light暗闇を抜けて 光の中へMay death again us unite死が二人を再び共にあらしめんことをLove, my fate愛 私の死Will you wait for me there... そこで待っていてほしい...where our autumn dawns?私たちの秋の暁は何処に?There, beyond the dreary seasあの物悲しい海を越えた所にWill you wait?貴方は待ってくれるだろうか?Will you welcome me into your arms once more?貴方はもう一度その腕に私を抱いてくれるだろうか?Where our waters still fall free二人が今でも共に在ることの出来る場所でCross my heart and hope to die神に誓って 死を望むMay my end come tonight私の終わりの時が今夜くるようにAcross the dark, into the light暗闇を抜けて 光の中へMay death again us unite死が再び私たちを一つにしてくれるようにCross my heart and hope to die十字を切って私は死を望むMay my end come tonight今夜私の死が訪れるよう望むI’ll depart from this lifeこの生の世界から私はいなくなるMay death again us uniteそして死の世界で再び私たちは一つになるMay it come...死よ・・・My heart went down with you私の心は貴方と共にAt your funeral I was buried, too貴方の傍に私も葬られるMy life ... it ended with yours私の人生の終焉は貴方と共にあるAnd I... exist no more だから、私はこれ以上生きはしないby SENTENCEDSENTENCED:フィンランドのバンド。あんまり歌詞が暗く鬱なので自殺メタルなどとも呼ばれていたり。曲も美しくはあるけれど、ものすごい暗い。意外と思われるかもしれませんが、本国のアルバムチャートでは一位を獲得したりもするようです。この歌詞見せて、それから曲を友人に聴かせると、暗い~悲しすぎる~みたいな感じになります(笑)愛する人が死んだらどうするでしょうね?その友人は、自分は生きるだろうと言いました。自分の愛する人はそれを望むだろう、と。私は愛する人がどう望むか次第だと思うのです。それはその人を愛する人間ならきっとその人がどう望むのか解ると思うのです。***感情***頭で解っても感情で割り切れない事ってありませんか?恋人の言ってることはとてもよく分かる別に捨てられるんじゃないかとか他の人のこと好きになるんじゃないかとかそんな風に疑ってるわけじゃない。むしろ彼女ほど信じられる人はいない。なのに、泉の様に沸いてくる不安寂しさ嫉妬...etcそしてほとばしる、すぐに後悔へと変わる言葉。それをまたフォローしようとする程、見苦しい自分(苦笑)そしてそれらをなんとか押えこもうと必死でパニックになるんじゃないかとテンパりながら、安定剤を飲む。(それさすがにお前だけ)なんにしろ相手に良い印象など与えません。寧ろ、私の場合、恋人は嫉妬だとか持ち合わせない人なもんだから、話は”解る”、でも感情的に”引っかかる”、辛いっていうのなんて解りません。私が彼女のこと否定してるように見えてしまう。そうじゃない!違うんだぁ~~~~!!(でもちょっと解っておくれぇ~~~。←無理)こうやって、巷の恋人同士って束縛しあってしまったりするんだなと自分でそういった感情を持ってそう思う。妻を外に出したくない男とか夫の浮気を心配する妻とかこういう感じなんだろうなとか思う。けれども、私はそんな不自由な生き方を選ばないとどこかで決めたはず。そんな、なれ合いの安心で互いを不自由にするような関係は私は望まない。ましてや相手も望まないw少し強くなろうと思った。普通のような在り方を望まないならばそれだけ努力をしなければ。束縛を嫌うのだから束縛などしてはいけない。”私の為に○○して欲しい”などと言われるよりも”私のことを見守って欲しい”と言われる方が実は大変だったりする。最も前者のようなことを言われることはないのだが(顧みるに私は言っているような気がして胸が痛い。)”こうしてああして”も”これも駄目、あれも駄目”はほとんど同じことだなぁと思う。思うことは嘘ではないから言うし、感じることは仕方がないが、もっと我が儘な感情は律してゆこう。それでも言えるじゃないか。私は彼女だけのものだ。そして彼女は私だけのものでいてくれる。いや、少なくとも、私だけのものにする。
2004年02月23日
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昨日言っていた消した記憶復活ものすごく怒られた。当たり前ですけど。記憶を消されるってどんな気持ちか分かるの?消して貰わなくったって私は自分で決めて自分で行動するの。私の為に女王様や、男の子が消してくれた記憶もある。けれども、父親に再びいたずらをされて、感情が飛んでしまったとき、母親に体を売られたとき。女王様があのとき記憶を消したのは決して、私の為じゃない。でもそこまで思い出していない彼女にそんなことは言えないし。自分で崩したんだから、一からやり直してください。女王様とかみんなと仲良くするのは別に構わないよ、好きにすればいい。そんな風に言われた。言いたいこともあるけれどうまく言えない。言ったところで今の彼女には分かってもらえない。実際、記憶を消すことを、私と女王様は”騙し騙し”と知ってはいたのだから。しかし、”今は”騙し騙し。。。。こんなことを続ける気なんて私にも女王様にも、ましてや皆にもない。けれど。彼女は許せなかったようだ。11歳の小さい女の子が”おにいちゃんたすけてあげるね””○○がねもらってあげるから”と言って、彼女の記憶を”もらって”くれた。その子が抱えてくれたのだ。彼女の記憶を持ったその子は一瞬。大人にになった。普段漢字を読めない、書けない子が漢字でメッセージを送ってきた。”早く閉じこめないと大人になっちゃう””大人になったらいけないの?””駄目”その子はその記憶を自分の中に閉じこめて元にもどった。今は汚い手でも使う、いずれは分かってもらえると信じて。女王様も私の言葉を理解してそうやってくれたと思う。また小さな子がその記憶を自分で受け持ってくれた。私は彼女を騙している。いつか分かってくれる、などというのは独善だろうか?我が儘だろうか。いや、きっと我が儘なのは分かってるんだ。私は決めたからには貫き通そうと思う。そうしないと女王様にも失礼かもしれない。何時までも騙すつもりは無いが少なくとも彼女が私や、女王様、男の子や、女の子のしたことの意味を分かってくれるまでは彼女を騙そう。彼女の信頼を今、裏切っていて。昨日はそれが崩れ去ったところを見た。そして今は何もないようになっている。もしかしたら、こうしている間にまた彼女の中で昨日のことさえ記憶として取り戻されるかもしれない。嘘をついて平気なことなんて全然ないんだ。でも、今は女王様の言葉を信じる。”私は貴方に出来なければ誰にも出来ないと思う。”私は手段は選ばない。
2004年02月22日
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日記が書けない。長文を書いたけれども、なんだかこれじゃ駄目だ(苦笑)昨日また、私は彼女の記憶を消した。消したのは彼女とは別の人格だけれども私の所為で消すハメになったし私の為に消してくれた彼女はの記憶が蘇るまでこのことを忘れるわけだが私はずっと抱え続けるもちろん他の皆もだけれど私の為に有り難いことだと思う。本当にありがとうと思う。きっとこの記憶が蘇っても平気な時がくる。二人で乗り越えられる時が来る。私もそう信じてるしなによりも皆そう思ってくれたんだろう。消してくれたのは男の子の人格脳内だからなんじゃそれはと思われるかもしれませんが彼も彼女の事が好きでものすごい喧嘩とかしたこともあるのだけれども今はなんか別に互いに認め合ってるかな?彼は最初名前を持っていなくて私の両親が私に付ける名前のもう一つの候補だったという名前を彼にあげた。本当は子供産まれたら付けようかなとか少し思ってたんだけどまあ良いかと思ってw彼が俺の中に居たらとか話したことがあるけれどw一度別にもう嫉妬とかないし誰かがこうやって彼氏として傍にいるのなら俺はあんたが良いと思うと言ってくれて嬉しかった。色々借りを返さないといけない人格がいるww
2004年02月21日
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堅く閉じた貴女の心の扉を開く鍵その扉の向こうに私がいるように
2004年02月19日
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ってアルバムにGAIAって曲があるのです。このアルバム、ヒットしたシングルだとfeel the windとかシルビアとかがあって、「ポップにしろ~売れる曲作れ~」というAVEXからの圧力が段々とあからさまになってきた辺りでもあります。多分ね。ジャンヌのアルバムの一般的な評価は知らんのですが、周りは皆アルバムとしてはDNAが好きなようです。なんかそれも判らないじゃないんですが、このGAIAってアルバムのGAIAって曲はかなりプログレロックなんですよ。洋楽ばかりで邦楽に抵抗のある人にも聞いてほしいですわ。このバンドの洋楽と遜色ないしっかりした音楽性と日本人にも判りやすい歌謡的なメロ、そして本当に一流だなぁと感心させられる演奏力。一般的にはヴィジュアルっていうことになるんでしょうけれども、私の頃ってヴィジュアルでここまでの演奏力を持ったバンドってなかなか無かったんですよね。(音楽として好きなバンドはもちろんありましたし今でも好なのはあります。) 洋楽から入る人もいるんでしょうけど、私の周りなんかも、みんな、日本のバンドに憧れて楽器演奏なんかを始めるんです。でも或る程度の演奏力とかを身に付けてしまうと、邦楽、ヴィジュアルロックには飽き足らなくなって、皆、洋楽のロックバンドのコピーとかに手を出して、レベルの違いを感じてそのまま日本のバンドとかに帰ってこなくなっちゃうんです。でも、janne da arcとか、Sham Shadeとかってのが私らの頃あったら、きっともう洋楽に行かなくても楽器かなりのレベルまで上達しただろうなぁ。いや実際、私よりも一世代、二世代若いギタリストなんかでもShamShadeやってたんだろうなって子をたまに目にしたり耳にしたりしますけど、実際かなり上手いです。いいなぁ。友達からジャンヌの楽譜借りようかな。そういえば、図書館にSham Shadeの楽譜、あったっけ。関係ないですけど、私的には音楽的にも歌詞的にもSham Shade = 少年漫画的Janne Da Arc = 少女漫画的って感じがするんですけどいかがでしょうか?別に”漫画”っていうのは悪い意味で言ってるんじゃなくて。双方、とてもロックですし、うまいこと洋楽ロックの良さと邦楽の良さを掛け合わせてるなって思うのです。でも複雑ながら曲調なんかもストレートなSham Shadeと、ShamShadeよりは多少シンプル(とはいえその辺のバンドより全然複雑)な曲でなんていうか独特の”妖しさ”みたいなのを持ってるJanne Da Arc。歌詞もSham Shadeってストレートに励まされたり、まっすぐに”好き”っていう感じが伝わってくる。Janneはちょっとエロかったり、耽美な雰囲気ってないですか?どっちも捨てがたい感じに好きですけどね。なんだか話がジャンヌと、シャムの比較になってきてるな・・・ま、いいか(笑)逆にヴィジュアルなずっと聞いてる方々が、昔のモトリークルーとか、Japan(というかデイビッドシルビアン)とか聞いてみても面白いと思うのですけれどね。hydeの1stソロアルバムを聴いて”で・・・デイビッド・シルビアン!?”と思ったのはきっと私だけではないと思うのですけどね。ま、デイビッドシルビアン知ってるような人はhydeとか馬鹿にしそうだし、hydeとか好きな人はそもそもデイビッドシルビアンとかJaapanとか知らなさそうな、そんな雰囲気もあるのですけどね。皆、”これが好き!”だけでなくて、ジャンルに拘らずに色々聞いてみれば良いのにって思うのですけど。結構ミュージシャンって幅広く聞いて影響を受けてますしね。そういうところ辿ってみるのも良いのではないかなんて。洋楽だって邦楽だって、見せかけだけで偽物っていうのも多々ありますし、イロモノみたいに見えたって本物はたくさんあるんです。ま、それでも、アメリカで超アイドル丸出しのインシンクのアカペラがSMAPどころか、ゴスペラーズよりも上手いような気がするのはちょっと悲しいところではあります。ってなんの話だったんだっけ?(ぉぃ)
2004年02月17日
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レインマンの兄弟って本当に分かり合えたんだって皆さん思われます?昨日女王様にこんなことを言われた。 兄は最後に弟に”親友だ”って言うんだけどそれは 結局、施設の人を”親友”と思うのと同じなんだ。 兄弟として分かり合えたと思ってるのは弟の勘違いだって。そんな感じのことです。ちょっと前の私の同じ。彼女と少し前に進んだけれど、それを恋人として分かり合えたと勘違いしていたのです。 私と彼女が一緒にいるそれは”恋人”という風に言って一緒にいるのです。けれども、彼女は恋も愛も知らない。昔そんな感情を持ったことはあるけれども、今は彼女はその感情を切り捨てている。封印している。頑なにそういった感情を私に対して持つことを拒否する。 それでも彼女は最初よりは変わってきて、とても人間的で感情が生まれてきたように私には見えていたのです。私が呼び覚ましたものだと思っていた。実際、一度本当に感情が飛んでしまったときにはそれが彼女とで私と紡いできたものであるし、私の存在によって形作られたものだとは思っていました。けれども少し私は自信を持ちすぎていた。凄いことでもなんでもない。彼女が昔もっていたものと似たものを少し私が開放しただけで、私と彼女が実際に紡いだモノは私の考えるよりもずっとすくない。 基本人格の子は私の手が感情を形作ったと言ってくれた。実際そういう部分もあるし、彼女が感情を持っていることは私と一緒に居て、彼女変わってきた部分でもある。しかし、全てじゃない。少し前に進んで、それだけの事を私は恋人として分かり合えたと安易に勘違いしていたのです。 それを昨日は嫌と言うほど思い知らされたのです。私はまだ”一生一緒に居る”という”約束”によって彼女を縛っているだけに過ぎない。最初よりは少し、前に進んでいるけれどもその約束がなければ彼女は何故私といるか、その意味は半減する。 前の彼氏など、彼女を想っている他のでなく男の人は、やっぱりそれに気づいてる人もいて、女王様曰わく”彼女の中で特別な存在になること”ではなく”彼女を特別な存在として想う”ということを選択した。彼女の中でとても大きな存在になってる前彼もそうです。それほど、彼女に想われること、恋するとか愛するってことを本当に分かってもらうことは難しいって。でも私は何を望のか。彼女を特別な存在として想う、ってのは当たり前で。それは誰にも負けはしない。それで私は満足しない。やはり、彼女の中でも特別な存在になりたい。なる。そのために今は騙し騙しでもここに居る訳で。なんだか勘違いしていたし、その事実をしばらく認めたくなくて藻掻いていたけれど、もうどういうことかはっきり認めてしまった。彼女の根本はまだ大して変わってなかった。私はまだ、彼女の中で特別な存在になんてなってない。ここまでも大概、長い道のりだったような気もするけれど、でもまだまだ。親は彼女を愛さなかったし、他の男は皆諦めてきた。けれども、俺は諦めない。それに俺の価値はあるはずだ。”貴方に出来なかったら誰にも出来ないと思うよ”と最初の頃、言われた。そうだった。今日も言われた。そうだったよ。俺しか居ないからな。つまらない嫉妬やらつまらない挫折なんぞしてる暇はなかった。俺は彼女を想うしそれを行動で示さねばならない。俺は小さいいち人間であるのは変わらないし生きるのもあまり器用な方ではない。けれども彼女への想いは誰にも負けはしない。だからここに居るし。精神活動は盛んながら行動の苦手な私ですがこれからはまた一段と動かないとね(爆)やれやれ、長文を書くといつも意味わからん。┐(´ー`)┌
2004年02月16日
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ちょっと調子に乗ってギターをまたまた弾いてみたり。http://jitokudenshi.lovelove.to/music/wa.mp3 お暇な方は落として聴いてみて下さいませ。今日はちょっとだけ悲しい日でした。まぁそれよりも前に録音してるんですが哀愁は出てない・・かな?wイメージは平安時代に夜一人で笛を吹く貴族です(なんじゃそら)
2004年02月15日
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弟がHPを開いたりした。ってまぁ、ピアノの先生’(楽天にページ持ってる)と私で勧めたりしたわけだが(苦笑)ということで私の方からはリンクしてみたりしたが、あいつがここ見ることもあるかと思うとおちおち思うことも書けない。なんて思うが、でもやっぱり書かないとここ書いてる意味もないか(苦笑)まぁ兄の思考を覗いて、幻滅しないでおくれ(爆)ってまぁ大概色々見られてるけどな(核爆)*************************時々君に手が届かなかったらどうしようと不安になる今はまだ、君に届いていないこの手それをまざまざと見せつけられて悲しくなる彼女なんて言葉もきっと結婚なんて制度も君を縛るにはとても陳腐で小さくて君の心を根こそぎ奪い去るまでは僕に本当の安息なんて訪れないんだ君の無邪気な言葉に傷ついて誰かの陰を横目に見ながらそれでもそれでも良い君の傍に居られるならそう思うけれどでも、いつか僕が君は僕のものだって言うと君が嬉しそうに心からうなずいてくれるそんな日が来るのを夢に見てる
2004年02月13日
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うちの実家は田舎でして今日の夜も暴走族の爆音が遠くに聞こえます。はい。やれやれ┐(´ー`)┌広島の暴走族といえば、数年前に祭り(えびす講だったかな?)で警官とにらみ合いをした事でおなじみのならずもの集団でございます。最近では珍走族などとも呼ばれますよね。ちなみに、警察がにらみ合いのまま決して彼らに手を出さなかったのは、後ろに在日系や部落系の人権団体、数多くのサヨク組織等が控えておる為とも言われます。(広島だと教員組合や原水爆云々団体との繋がりも強い。ちなみに暴走に手を出すと在日、部落系団体から圧力があるのは、暴走構成員にそっちの人が多いため。決して差別的に言うのではなくて、手を出すとそっちが実際圧力掛けてくる。ちなみに実際、私の中学の同窓生で卒業後すぐに族内リンチで人殺して少年院に入ったのはパチンコ屋(といえば分かるかな?)の子供でした。別に真面目な方々もいるし差別心はないけれど、そういうのをあからさまにかばう為、多方面に圧力を掛けるのは心象を悪くすると思う。)この事態を収めたのは、結局暴走の上部組織である、暴力団の面倒見(暴走族から上納金巻き上げつつ彼らの面倒を見るひとたち、らしい。)でしたとさチャンチャン。なんだか広島のサヨク組織は恐ろしいものがありまして、教員組合を通じて中学、高校教育にも食い込んでることで有名なのですが(校長とか教育委員会云々の方々が自殺するのは決して教育委員会が恐いのではなくて、教職員組合があまりにも恐ろしい為です。)http://www.kokuminrengo.net/1999/199903-demo-hrsm.htm こんなこと書く人間もいますけど・・・はっきり言って、本当のところを知ってたら笑ってしまいます。(ぁぁ、ちなみに、私も組合系サヨク教育を高校でバリバリに目の当たりにしましたし、母親は教員で、十数年前、疑問を感じて組合から脱退しました。ちなみに、教職員組合辞めると組合教員が大勢を占める学校によっては教員内でイジメにあいます。マジに。私の高校の先生でもそれが恐くて組合から抜けない先生がいました。余談も余談ですが、以前は今よりさらに酷くて、母親の学校では在日の運動家を講演に招き”スポーツ選手も芸能人もみんな有名なのは在日なんだ”などという発言があったり、私の高校でも朝鮮学校の舞踊団を芸術鑑賞と称して招き”私たちの祖国(無論北朝鮮)は美しい国”、”偉大な父(日成?)は云々”などと平気で歌わせてたり、はたまた日本の戦争責任云々をひたすら授業時間ビデオなどで見せ、私がそれに疑問を呈する感想を書いたところ、後に暮会で(名前は言われなかったものの)その感想を皆の前で披露した上、一方的に批判するなど、組合好き放題でした。)まぁ、そんなとこはともあれ。警察はもっと暴走族なんとか出来ないモノなのか。実際うるさいです。マジにwというところで、数多くのボランティア団体が世の中にはございますが、本当に世の中のなるために、モノ陰から走行中の暴走族向かってエアガンで狙撃するような団体は無いものでしょうか?(爆)もちろん一般の方々で巻き添えを出してはいけませんが・・・それで奴ら事故ってもOKって事で・・・。ね?世の為だってマジ・・・いや私の為にでもいいや(爆)本当に・・・実際・・・撃ってやりたいの・・・_| ̄|○ということで、ちょっとご立腹気味のdravenでした。はぁ・・・(苦笑)
2004年02月12日
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外に出れば嫌な事もあるもんで・・・_| ̄|○はうぅ・・・何も持たない割りにプライドが高いのか、もしくはただただ打たれ弱いのか、私は結構凹む方です(爆)そうも言うてられないけど。今日はキルケゴールの本を読んで”ええの~”とか思いつつ。ええかげん、嫌な事があったら思想哲学書やら宗教書に逃げ込むのは止めねばアカンのかなぁなどと思いつつ。でも好きなんですよね。哲学勉強したいですね。ありとあらゆる思想、哲学、宗教そういったものの思考回路、理論、体系を見てみて、それらが自分の思想にどういう影響を与えるか、そして自分の考えというのが果たしてオリジナルなのか、すごく知りたい。今のところ実存主義ヽ(´ー`)ノ↑影響されすぎ今日、久しぶりに友達と話して、その人は私のギターとか曲をすごく好きで居てくれる人で。なんだか嬉しかった。統一感の無い日記だなぁ・・・(苦笑)
2004年02月09日
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ある日の会話○彼女●私●果てしないものは果てしなくて、時とともに、いつまでも展開して行くじゃんその中にあっても何も変わらない、愛があるってそれも素敵じゃん○だな●俺らの周りにある世界とか宇宙とか○神の領域っぽいな、それ。私ら神だな●そういう、永遠と思われるものの領域さえも悠久と言い切ってそれを突き抜けた愛を永遠と呼ぶのさ○こわいものなし●うむw○後光出まくりw●ぴかぴかやねw○うむw○最近めっきり来なくなったエホバ(の証人)のおばちゃん●www ○○(彼女の名)の勝ちだなw●俺らがほら神の領域やからな(笑)○寒いから不精してんのかと思った●(彼女は)エホバのおばちゃんの敵う相手じゃないのさw○うむ。寒さで不精するなら私だって負けないぜ●それで張り合うなよw○鬱の冊子くれたからそれについて聞きたい事あったのに来ねぇよ。あ~あ●どんな話だったのかめっちゃ知りたいwwその冊子w○悪魔が居るから、精神汚染されるそうだ●はぁwww○私の精神汚染の直接的原因は両親だと言われてるんやけど●うん○両親はひょっとして悪魔ですか?と両親は悪魔に乗っ取られるタイプの人間ではないと思うのです●うん(正直私個人の意見としては悪魔よりも酷いと思う。)○謎だな悪魔がストレスを与えるそうだ●スレイヤーってバンドがいるのさんでな○うん●奴らずっと90年代くらいまで悪魔がどうのこうのでって歌をメインに歌ってきたのね●歌ってっていうかまぁすごいメタルバリバリのバンドだから”がなってきた”という方が正しいかもしれんw●んで、あるときふとその悪魔な歌を歌うのすこし止めて雑誌でそのことを聞かれてたの”あなた達は今まで悪魔がどうのとかいう歌が多かったのに今回のアルバムではそういった歌が減りましたね”ってそしたらそこのギタリストが言ったのさ○うん●”俺たちが音楽を始めたころは悪魔とかそういう題材の方が恐い歌を作れると思ったのさ。けれども最近ずっと生きてきて気づいたんだ。悪魔がどうこうなんていう話よりも、人間社会っていうものの方がいかに恐ろしいものなのかっていうことにね”って。だから悪魔の歌は止めて人間社会のことを歌うことにした。だって現代ではそっちの方が悪魔よりも恐いことだと自分らは感じると○その通りだな悪魔の歌悪魔見たことないからよくわかんねーし●俺は悪魔であろうとなんだろうと○○になんかするヤツは許さんさ○あい○エホバのおばちゃんはさ、聖書は人生の説明書だって言うんだでも●うん説明書はものによって色々違うだろう。○神様が全知全能ならさ、そんな長たらしいお告げをしなくても、たった一言で全てを悟らせるような事、出来んじゃないのかと思うのさ。人間と同じ様に理屈捏ねてる時点で全知全能ではないではないかと言うたら返事なかったというか無視された●田中芳樹(※銀河英雄伝説、アルスラーン戦記...etc)がいつも本の中で書くねんw”全知全能の神がいるなら自分の言うことを聞かない女を創造してみろ。”って。自分の言うことを聞かない女を創造できなかったら全知全能じゃないし、言うことを聞かない女をつくったら自分のいうことを聞かせられないから全知全能じゃない、ってw○神、完全に馬鹿にされとるwww●全てを超越した存在っていうのはそういうもんじゃないと思うのよであればこそ、全知全能なんていう無責任なことを人間が言ってはいけないと思うもん○そうだね~無理強いしてるしなぁ宗教何かそういう矛盾点に対する返答を求めてるのに最後は結局、信じるものは救われる、だろだったら今救ってくれよこの問いに対する返答をくれw●うんそれが出来ないものを全知全能っていうのはすごい嘘だよね○うん●欺瞞だ○でもエホバのおばちゃん来ないと退屈だけどな●wwええやんその分俺と話そうよww○うむ○ちゃんともらった本も全部読んで、それで質問してるのに答えてくれないなんて酷いわん●そうそう。ええ加減な答えしかなかったりとかすごいツッコンで聞くとさ勝手に話先に進めやがる○うん●マテよとw○確かに●でも向こうが勝手に先に進めた先にも、俺の聞きたいことはあるしなw○結局神も宇宙も全てはこの手にあるんかも知れないしそれぞれの人に神は宿ってるんかも知れないしそう考えたら一つの存在に絞らなくても良いしという風に話したら、それは傲慢だと傲慢・・・そうなのか一人の存在が矛盾した統治をするよりはマシだろうて●うんまさにそうだな説明書はあってもええねん聖書だろうとなんだろうと良いけれども人間っていうのは多様性を持った生き物であって色々いると思うし電子レンジもオーブントースターも冷蔵庫もパソコンもあるやろそれを一つの説明書で動かそうとすること自体無理があるとなんで皆思わないんだろう。その末戦争とか憎しみとか生んでしまって○(私は)説明書見ない人だし┐(´∀`)┌聖書も見ないよ●うんww聖書だって面白い話はあると思うのよ○だから神様は居るとしたら図体のデカイ寂しがりやなんだって●うん○内弁慶みたいなもんで、家の中の人間にはあれやこれやと命令するが外には友達居ないんだ●本当はきっとカミサマも外で友達作りたいんだけど家の中の人間がいつのまにかそれを許さなくなってしまってるんだよ。だから家の中の人間はカミサマがいるだけで満足しちゃってるけどカミサマは本当は寂しい○うん切ないな●天国のキリストはだってきっとモーゼとかモハメットとかブッダとかアリストテレスとかニーチェとかみんなで楽しく議論してるぜ?○お友達バンザイだな●うん○求められるから仕方なく居るなんて、寂しいな絶対手の届かない存在だってハナから決め付けて祭り上げてだったらやっぱりそれぞれの中に神様が在ったほうが良いではないか●うん○寂しい想いはしなくてすむ●そのために聖書だけ読んでその中に閉じこもるなんてもったい無いじゃないか世の中には沢山色んな教えもあれば○それぞれがそれぞれの感情を用いて接するほうが良いよねうん●色んな思想哲学も先人が残してくれてて、その上、何より大切な”自分”っていう尺度があるやん。いろんなもの読んでその自分が一番納得出来るもの探したらええし、ええとこどりで自分の中で合成してもええただ、それは自分の説明書であって人に無理強いする事ではないしな○うん●俺はこんな風に思うぞ、って言って話すのは楽しいけど、これでお前も救われる。これでないと救われないっていうのはそれこそ傲慢だよ○だな●○○(彼女の名)の説明に答えられないのに○私はは聖書読むより三国志やるほうが救われるしなうむ●○○(彼女の名)に強いようとするおばちゃんのほうが実は傲慢やっていうことにそのおばちゃん自身気づかないと、おばちゃんも救われないンじゃないかなどと余計な心配をするわけよw○うむw自分で見出さないと駄目じゃん、何でも。神についてだけそうではないなんておかしいもんな●うん○やっぱ答えは自分の中にあるんだね●うん今まで何千年も、もしかしたら何万年も宗教とか哲学とかは”変わらないモノ”普遍なものはなんなのか、それはあるのか無いのかって考えてきてるけどまだその全てを見たわけでもないけど、でも、それって自分の中にしかあり得ないと思うんよ。そう○○(彼女の名)と出会って大きく感じたところでもあるし結局本に書いてあることって、一つも”これだ!”って答えは出し切れてなくて、それはきっと一番自分の身近にあって意外と気づいてないからじゃないかとか思ったりする。○想いがありとあらゆるものを形成するからね。●うん○それは、必ず自ら発するものであって、人にスイッチ入れてもらう訳じゃないもん●なんだろ。うスイッチいれるために手を添えてもらうことはあってもや○うん●結局自分の手で入れてはじめて自ら光ものであるし、自ら発していないものは自分を光らせはしないもの○うむ私ら月じゃねーしw月って神秘的で良いけど、やっぱ生き方としては太陽がええね●うんそうそうこないだ読んだ歌詞の中にこんなのがあったんよ君と一緒なら雨が降ることはないんだそれは全然不思議なことじゃなくて君の傍なら太陽はいつも輝いているからってなwそして○うむ●俺も自身も輝いてれば言うことなしさ○そうだね
2004年02月06日
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人を呪わば穴二つなどと言います。夢枕獏や、京極夏彦などの受け売りではありますが、例えば、呪とは”名前”そのものでもあり、私が私をネットの世界ではdravenと名乗り、皆様にdravenと呼ばれ、私はdravenという霊性、とまで言わずとも、そもd”ravenという性質”に、”dravenという言葉”により縛られる。故に、私は、”dravenは良い人だ”と言われれば喜び、”dravenの馬鹿~”と言われれば落ち込む。dravenという六文字のアルファベットというものはタダの文字(キャラクター)であり、私の本質では無いしましてや私の感情ではないのだが、その”draven”という六文字はこのネットの世界では私を縛る強力な”呪”となり、その六文字の”draven”という呪を用いて、例えばこれを読んでいらっしゃるそこの貴方はこのHPの掲示板でもメールでも、とても簡単な手段で(”大好き”とやる”馬鹿やろう”とやるかは貴方次第:爆)私の感情をコントロール出来る。呪の基本的性質とはそういうものであって、詰まるところ”呪う”とは”~~だと思う”という事であろうと思う。一般に”呪い”とはネガティブなイメージもあるかもしれないが、上記の私を”dravenだと思う”という、ネガティブでもポジティブでもない、私の本質を代表させるするだけのモノ(しかし、私という存在を縛る)もあれば、(真偽はともあれ)”dravenを良い人だと思う”という、ポジティブなモノも、”dravenの馬鹿~”と思う(例え真実であろうとも:笑)ネガティブなモノまで、全て呪いなのだ。冒頭に書いた”穴二つ”である証拠に、”相手を大切に思う”というのもあるだろうと思うのだ。相手のことを大切に思い、相手に幸せであって欲しいと思う。相手もそう思われることで、嬉しくなる。こっちは相手に幸せであって欲しいわけだから自分がそう思うことで相手が嬉しくなるということ自体がまた嬉しくなる。そうしてより一層相手の幸せを願う。そうやって、ポジティブな呪いの連鎖が螺旋階段の様に人を幸せな方へと導いてくれるように思う。無論、その反対も然りなのだ。相手を憎いと思えば相手はこちらに良い感情は持たない。自分に良い感情を持てない人間をより憎むのは当然の話で、より憎まれた相手とて、また自分をより憎むのは間違いない。まさにダウンワードスパイラル。我が身をそこに置きたくなることがまたとても多くて。憎むのもまた人間ではある。良いことではない。けれど我が身を地に墜としてでも、こいつを憎んでやりたいと思うこともあるのだ。しかし、このネガティブな憎しみという呪というもの自体を否定してしまうのは呪の向かう方向が反対なだけで、同様の性質を持つ、愛という呪をも同時に否定してしまうことになろうと私は思う。光があれば陰もあって、世に光が射すからこそ陰は出来る。光があるのに陰の無い世界とは何も存在しない世界以外にあり得ない。そこに人が存在すれば、人は天から光を受けるが、また地に陰をも落とす。陰の存在を否定するならば、それは己の存在が無いのか、もしくは光がないか、いずれかしかあり得ないのだ。あ~そして、ここに、ある存在を愛しある存在をまた憎む私という人間が居るわけです。彼女を愛していなければあの母親を憎むことはない。彼女を大切に思うが故に彼女を傷つける母親が許せないのだ。しかし、理性は憎しみを押さえつけろと命ずる。”人を呪わば穴二つ”と。しかしまた私の歪んだ理性はさらに考える。憎しみだけを押さえつけるのが果たして人間として正しいのだろうか?彼女への愛と、彼女を傷つける者への憎しみ(言い換えるならば敵意とでも言えるかも)は表裏一体なのではないか。しかし、だからと言って憎しみは我が身も相手の身も共に引きずり落とすものである。良くないのは何よりその理性自身がよく知っている。けれども、憎まない為に愛さなければ良かったとはまた私は思わない。理性とてそこまで冷酷なものではない。ミクロには例え脳が電気回路だったとしても、マクロには脳は機械ではないと思うし。そこに人生の苦悩を見付け、乗り越えたとすれば仏陀という人間がいかに偉大であるかがよく分かる。しかし、彼のしたことが偉大かどうかは分からない。少なくとも、神(か悪魔か)は人間に煩悩を与えることによってまた、全ての歓びを人に可能にしたに違いないと今の私には思えるから。切り離すことは不可能だ。キリスト教などの示す、選ばれた者たちの切り離された歓びだけの世界は光だけの世界と同じ欺瞞であると思うし、仏教は煩悩から逃れる為に世の歓び、美しき人間的なものを全て捨て払っているように見える。(きっとその先に本当の歓びがあるというのだろうが、それは果たして自分の愛する人を幸せにするものなのか?)浄土真宗嫌いとか言っている割に、同じような思考回路を辿っているような気もしてきたが(苦笑)あ~~、なんだかまた、まとまりのない文章を書いてしまったわ(爆)
2004年02月04日
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きっと良いことではないと思う。私も人のことをとやかく言える程の人間ではないし、醜く小さい人間であるけれども、それでも、やはり、人を人間の風下にも置けない、と思うこともある。その人間の存在意義が分からない。何の為に自分で子供を産んでおきながら此処まで出来るのか。自分の娘を金のため(借金のカタか、男に貢ぐ金)にどこぞの男に売るって何?そもそも犯罪だろう。存在に意味が無い程度なら、興味もない人間がどうしようと知ったことではないけれど。自分の愛する人間を傷つけるなら、憎むし、呪うし、殺意さえ持つ。ああ、また守れなかった。と、思う。本来なら筋違いだが、それでも守れなかった自分を呪い、憎む気持ちも込めてあの女を殺してやりたい。彼女の母親を。それでなければ神よ、あなたが存在するならあの女に至極の苦しみと安らかなならざる死とを与え給え。P.S. 老人介護の中で老人虐待が増えているなどと聞く。施設などによる虐待は言語道断だろうが、実子による虐待というのも相当数あるという。しかし、どうだろう?慈しみ育ててくれた親を子が虐待するのか?果たしてそうだろうか?そういった心を持たぬ子に育てたのはその親自身だ。己の教育の愚かさが我が身に返って来ているだけだろう。虐待の連鎖などというが、虐待への復讐も行われているのではないだろうか。正直そういった老人への同情心は今の私にはない。人に地獄を見せた人間は地獄を見て当然だ。子がこの世に絶望しながら育ってきたように、この世に絶望しながら死に行くのが身の程というものだ。以前ふと考えたのだが、本分を書きながら、そんなことを思い出した訳だ。
2004年02月03日
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『 {それ道に入ること多途なるも、 要するにこれを言へば、二種をいでず。 一にはこれ理入、 二にはこれ行入なり。}道に入るべきみちは、たくさんあるにはあるが、もっとも大事なのは二つである。理から入るのと、行(きょう)からはいるのだ。』(「鈴木大拙・禅選集1 禅の思想」より)※しつこいが、初めて私がこんな(宗教っぽい題材を用いて)話をするのを読む方もいらっしゃるかもしれないので最初に一応書いておくと、私は怪しい宗教の人間ではありません(爆)私なりに解釈するならば”道”はこの場合、純粋に仏教的にとらえるならば、”悟りに至る道”でしょう。これをちょっと哲学的に言うなら、真理への道、みたいなモノかもしれません。が、それよりももっと身近に言うなら要する事”成し遂げるべき事”ととらえて良いと思うのです。人生の目標であったり、こうしたい、こうしよう、と思うこと。それらを成し遂げること。そして、価値ある”人生を歩む”事そのものととらえても良いかもしれません。正しい事、と言っても良いかもしれません。そう言った、価値ある、充実した人生を、なるだけ正しく送ろうと思うならば、(それこそが、それこそ”悟り”だとか”真理”だとか、そんなことまで言わなくても一番大切なことじゃなかと思います)そのために色んな方法があるだろう。けれども、要するに言ってしまえば、その方法は大体、この大きな2種類の方法に分けることができる、その二つが最も大事なんだ、というわけです。一つはよく考えること一つは行動を起こすこと。それだけのことですけど。”んなここた当たり前だろ”とか思いますけど、分かってるのと、解ってるのは大きく違いまして、身を以て思い知るまで人間なかなか本当の意味っていうのを得ることは出来ないのです。(苦笑)考えのない行動は無謀行動のない考えは空虚です。それだけの事でも、人間”解る”までに多大な時間を費やしてしまうのだなぁと25年生きて思うのです。私の場合は今までまさに、後者、行動の無いまま考えが空回りすることが多かった気がするのです。しかし、本当に私がそれを”解った”のかどうか、私にも解りません。どこかに甘えとか疑問、何より恐れがある以上はこの言葉を見て、自分を諫めたりするのだろうな、などと思ったこのごろでした。前に、前に、ね。間違ってたら戻れば良いから。信じた道ならば、仮に間違えていようとも、何の臆面もなく戻って、また一から進めば良い。それは誰にも咎めることは出来ないのです。
2004年02月01日
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