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今、お仕事忙しいのです。求職中の私としてはなんだかうらやましいような感じですw そんであんまりメッセなんかに立ち上がってても相手してもらえない。まぁそれはともかくです。相手してもらえないのは忙しいんやから当然としても、なんていうか、落ちるときに、”おやすみ”って一言とか、そういうのもしない人なのです。ものすごいそういうところに不満はあったりしました。いや、します。いくら忙しかろうともです。一応、自宅勤務さんです。メッセまで立ち上げてるんやから、一言、寝る前におやすみくらい・・・もう一文字でもいいです、とかまぁ思うたし、3秒あればいいでしょ?それだけ打つなら。実際何度も言うてきました。口酸っぱくなるくらい言いました。(嫌な女みたいやな・・・ww)が、効果なし。このことではないのですが、こないだ全体的に彼女があまりにも無愛想だわ、メッセは一言も返さずに落ちるのは当然だわ、メールも一日一回も返さないわなもので、不満溜まりまくって、喧嘩をしました。いや不満溜まるとかいうより正味、寂しかったんやと思います。”仕事と私、どっちが大事なの!?”という女性の気持ちが分かります。が、あの子は解らない方の人でしょうw 仕事と私と、どっちかを選んで欲しい訳じゃないのよ!というのも痛いほどよく分かります。もう少し私が居るっていうことに気付いて欲しいだけなのよ!w ”気付いてるに決まってるじゃん、好きやって知ってるやろ?”ってんゃなくて、たまには口に出して欲しいのよ、私が此処にいるということを貴方の口から確認したいだけなのよ!!www って感じでしょうか。なんだか、彼女と付き合い始めてから、自分の中の女性的な部分がずいぶんと成長してきたような気もします。っていうかあの子が男っぽ過ぎるのです。まぁそんなのの結果。もういいやと。少し諦めがつきました。解っていたこととはいえ、別に無愛想だからといって、私への想いが弱いわけでもない。ということも改めて感じたし。縛っても仕方がないのだし、縛りたい訳じゃない。仕方なく繕った言葉をかけてもらってもそれは本当じゃないですからね。無愛想は無愛想なりにも、一つきちんと持ってくれてるならそれでいいかと。が、が。ですよ。世の無愛想で”愛してる”とか一年に一回も言わねぇよ、っていうような感じの男性諸君。彼女や奥さんに”ねぇ、怒ってる?”とか”本当に私の事好き?”とかよく聞かれるそこ貴方。少しは、少しくらいは気持ちを言葉と形にしてあげましょうね。女性は結構、気持ちを自然と言葉や形にしてくれるものですが(その分、”少しくらい”って男性にも求めてしまうのかもですが)私のように変則的な彼女を持って、自分がしてもらえない立場になると、自分に今まで(場合によっては泣きながら)そんなことを言った女性の気持ちが、よ~~~~~くよ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~く解ります。マジ。(泣)”彼女はしてくれるけど、俺はそういえば長いことしてないなぁ”というような事、空気のように当然と思っている彼女の言う事為す事の多くは実はとてもとても有り難いものなのですよ。P.S. 丁度この日記を書いてる間に、彼女はいつの間にかオフライン。・゚・(ノД`)・゚・。
2004年07月30日
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貴女に望んでるのは優しい言葉を発することじゃなくてただ冷たい言葉でも良いからその沈黙を破ることなの*************************神戸、梅雨明け以来、15日連続の真夏日ですって。最低気温も、最高気温も沖縄より上ってどういうことでしょうか・・・アスファルトとコンクリートに覆われた街は冷たいのに暑いようです。たまりません。*************************なんかですね。某うちの大学が大阪大学と合併するかもだそうです。わたくしめは未だ卒業しておらぬ身でありますので、早期に実現するなら私は某大学、卒業or中退という身分が阪大卒or中退となるのかもしれません。嗚呼、諸行無常。阪大に苦労して入った皆様ごめんなさい。いずれ某大学が、阪大になってしまったら私は阪大出身を名乗ります(爆)もはや学歴とはその程度のものなのかもしれません。旧帝大学生になるかもしれないタナボタdravenでした。でも就職ってのはまた別問題なのだよ、ワトソン君。***********************ワトソンと言えばホームズですが、元々のモデルは、アラン・ポーのオーギュスト・デュパンです。フランス人だったかな。ちなみにポーはアメリカ人。変なの。夢野久作→江戸川乱歩→と巡り、再びポーにハマっております。推理小説というものを形作った、デュパンの論理的な推理も捨てがたいですが、ポーのサイコミステリー的なドキドキというのはやはり良いですね。アモンティラードや振り子、単純な構図なのに、あそこまで恐怖にドキドキさせてくれるポーの魅力というのはなんだか読み手の心を見透かされているようで少し恐くもあり、しかし抜け出せないものであるのですよね。あ~なんか私何書いてるんだか。脈絡ねぇ
2004年07月27日
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バリバリ不安定~久しぶりに腕をプチプチっとしてみました。スッキリ。友達のバンドのスタジオ練習に遊びにおいでって言われていて。部屋に籠もってるとさらに沈み込みそうだったので外にでました。が、地下鉄乗ってる間気持ちの悪いこと気持ちの悪いこと。薬を飲んで出たのですが、そこでまた飲み足して・・・人がたくさんは気持ち悪いです。そして街に出てなんとか友人と合流。ファミレスで少しお茶をしてスタジオ。そういう空間になるとまだ安心しますが、やはり挙動不審気味だったようです。でも久しぶりに皆とかき鳴らすギターは気持ちが良かったです。が、帰りはギターが重くて重くてたまりませんでした。なんだか小学生みたいな日記でした。ちゃんちゃん
2004年07月25日
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バイトの面接が一つ終わりまして。それが裏目に出たのか不安定まっしぐら頓服とアルコールを同時摂取してわけわからなくしつつごまかしております。頭痛くなります。当たりまえですけど。私の存在とは如何ほどものなんでしょうか。私が死んだら彼女は泣くかしら。明日会えるなら聞いてみようか彼女を殺して私がその上に重なればいとも簡単に永遠なんて手に入るのにでもどうせそうならもうすこし私の心や体が刻まれたっていいじゃないか。あの人が笑ってるの見たいだけだし。全ては私の好きでしていることだし。思うこと書くとこんなことしかないのですよ~ごめんなさい私と付き合う前、彼女は恋人とSMパートナーは別に持っていたそうだけれども、なんとなく今なら解る。何も考えずにただ鞭打たれたいとか思うことだってありますよね。自分への罰ですね、罰。
2004年07月24日
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いつかもこんなことを書いたが不定期ながら、一年前、同棲していた元彼女のHPを見ることがある。何から何まで合わない、共通点のない二人だったが、共通の友達というのはたまたま、2,3人居る。そういった友達に会うとたまにだが、彼女の消息を聞くことがある。そういうことは元彼女も解っているだろうし、たまに私がページを見ることもあると思っているだろうと思う。今日、久しぶりに女友達に会った。数少ない元彼女との共通の友人。とても気持ちの良い子で、全くもって友達であれるのだけどもセクシーでもある。というか男女の友情が成り立とうとも、それは女であることを捨てるわけではないっていう感じの子で、旦那も子供も居るのにそういう人と為をしてるもんだから、同じ年代の者でも陰でとやかく言う人間(主に、男と仲良く出来ていることを妬む女性と、”自分の彼女、妻がこんなだったら”と恐怖におののく男と。)も絶えない。が、旦那さんも解って受け入れているのだから、他人がとやかく言う事ではないと思う。そんな彼女が義母に対するストレスが溜まって(旦那さんの両親と同居)実家に戻ったのだが、暇なもんで呼び出しが掛かったわけだ。彼女のこんな所がとても好きだ。ストレス溜まったら実家に帰ってストレス解消したら良い。考えたら当たり前で、それ以上に良い手なんてどこにもない。他の友達(のカップル)も呼び出して4人カラオケで2時間ほど盛り上がって帰ってきた。そんな子から、元彼女の事を久しぶりに聞いた。”なんか彼氏が出来たみたいやで”と。あ、よかった。と思った。で、やっぱりまた元彼女のサイトを久しぶりに見てみた。(当然だが、共通の友達には見ない方が良いと言われてはいる。見ても仕方ないからと。)別になんか未練があるわけでもなく、私は今の彼女を愛している。しかし、元彼女の事は決して忘れて良いことではなくて。元彼女が私との事に何らかの感情を抱いていて、それを元彼女がそうやって公の場に書き綴る程である限りは私はそれを知らなきゃいけないような気がするし、そうやって自分を戒めなければいけない。さすがにまだ彼氏が出来たとは書いて居なくて、よく解らなかった。そしてやはり、前見た時から増えている、私との事に関する言葉の数々。あの子は今もあの時と同じ場所に住み、共に過ごした場所に生活していて・・・あの時、優しい振りをして残酷に素直になることしかなれなかった私に対して、最後まで素直になれなかったあの子の止まったままの気持ち。最後まで私はあの子を嫌いにはなれなかったし、最後まであの子は私に嫌われようと努力していた。”嫌いなんだ”、という簡単な嘘をつけなかった為にさらに深くえぐれてしまったあの子の傷。あの時私が目を背けがちだったこと、あの子の気持ちの奥のとても見えにくいけれど、まっすぐで私だけを想ってくれていたことを、やはり私は忘れてはいけない。改めて知る彼女の想いを目の当たりにして、辛い気持ちになる。嫌いだったら、忘れたらいいし、思い出さなければいい。けれども、一度愛したし、一緒に居た。愛してくれた。嫌いとは今でも思えない。けれども、もう一緒に居ることは出来ない。前のようには想えない。こんな言葉さえ私には期待されていないことは分かっていながらも、心に思う、ごめんなさい。まだ今私は本当に幸せになどなってはいけないんだ。彼女と共に一生背負うと決めた十字架。あの子を傷つけて今、私がある。ただ、一文だけ。あの時から時間は止まっているけれども、希望を抱いてしまう、と言うようなことを書いてあった。自分の背負う罪を軽くしたいわけじゃないけれど、幸せになって欲しい。嘘でもなんでもなく。心配しなくても、それで私の十字架が軽くなることなんてない。友達の言っていたことが本当でありますように。あの子を愛する人が今居ることを祈って。そしてその人がきっとあの子の心を溶かして幸せにしますように。図に乗って、調子に乗って、目の前の幸せを求めかけていた自分を恥じて、この気持ちを今日は薬でごまかさずに、このまま居よう。私は傷つけた私に目を背けない。背けてはいけない。あの子に支えがあるようにしてこんな私の支えになってくれる彼女に感謝して。いつも求めるばかり、我が儘を言ってごめんなさい。私には過ぎることをいつもしてもらっている。
2004年07月18日
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楽天やメッセやなんかで仲良くして頂いている、るうさんからお誘いを受けて、るうさんと、東京からこられたるうさんのお友達とでコンサートに行って参りました。(実はるうさんとも初対面でした)心斎橋の某教会でありまして、結構お値段も(日本的には)お安く。なんのコンサートなんだか全然お話しも聞かずに行ってしまったのですが、エリザベト・ジャケ・ラ・ゲールというフランスの女流作曲家の曲を古楽器で演奏するというものでした。古楽コンサートと言って良いのかな?私の中では古楽っていうのはなんかバロック以前というかバッハ以前的なモノを指してるつもりなので(ええ加減)このエリザベトという作曲家もほとんどバッハと同時代ですけれども古楽って言ってしまって良いんちゃうかと思います。良いよね?良いことにしよう。ノリですノリ。うん。ちなみにこんなのに興味のある型はMara Punicaっていう古楽アンサンブルのCDとかお勧めです。癒し系という音楽のジャンル分けは殴ってやりたいくらい嫌いですが、古楽CDはある種、癒されるというか私的には落ち着くというか、なにかとても懐かしくなるような音楽です。(この辺からもう分かる人にしか分からない話に突入しますが、なんとなく私の興奮振りは分かっていただけるでしょうw)ということで、話は元に戻りましてコンサート。始まる前からもう目の前に置いてあった(実物直接は初めて見た)ハープシコードとヴィオラ・ダ・ガンバとか興味津々でした。 ヴィオラ、っていいますが、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェロのような感じです。が、なんていうのかしら、あの床に立てる棒みたいなのが無くて、足で挟んで固定して演奏されていました。ガンバ大阪なんてチームもありましたけど、記憶では(っていうか一応私は専攻イタリア語のはず)ガンバっていうのは”足”って意味やったので、このヴィオラ・ダ・ガンバっていうのも、足で挟んでるからそんな名前なのかもしれません。確か記憶では弦も6、7弦くらいあって、最低音弦は6弦のエレキベースより半音かちょっとくらい高いくらいやったと思います。チェロのような楽器なのに途中まで指板にフレットが付いていておもしろかったです。そうそう。巻き弦以外はきちんとガット弦になっていまして・・・ガットと言うても最近はクラシックギターでもナイロン弦を張るんですが、ちゃんと古楽器ということで、豚だったか羊だったかの腸を撚った本物のガットでした。音もやはり素朴な感じで良かったです。(福田進一だったか渡辺香津美だったかはクラシックギターに本物のガットを張ったら音がショボくてがっかりしたと対談記事に書いてたような気もします。音響特性は明かにやっぱりナイロンより悪いんでしょうけれども、音楽性によっては合うんじゃないかって思いました。)ハープシコードは今のピアノとは鍵盤の色が反対です。ピアノの白鍵部分が黒なんですが、真っ黒じゃないんです。多分ローズウッドやと思います。とても綺麗でした。弦の下にも装飾というか絵が入っていて。なんか”楽器”っていう感じのピアノよりも、やはり家具的というか全体的にも綺麗でした。PCMサンプリングのシンセサイザーでも結構良いものがあって、鍵盤リリース時の爪の戻る”プツッ”っていう音まできちんとサンプリングされてたりもするんですが、やはり、鍵盤を押して爪が弦をはじき、戻るという、そのタッチを確かめたくてたまりませんでした。もちろんしなかったですけどね(笑)無論フタは明けて演奏されたのですけれどもなんだか照明スタッフが何を思ったのかコンサートの途中から一個白熱灯を点灯してしまい(ホールではなくて教会だから仕方がないのかもですけど、ぶっちゃけ非常識やろと思った)その熱で弦はやはり伸びてしまったようで、途中15分の休憩の間、調律師さんがものすごい勢いで調律をやり直しておられました。もちろん私は傍らでずっと見てました。色々話かけてお聞きしつつ。(迷惑なヤツ)なんか今、大体楽器のチューニングはA=440khz~442hzくらいでやるものなのですが、バロック期なんかは今よりもうちょっと低めの調律だったっていう話は聞いたことあったのですけど、記憶ではやっぱりチェンバロはA=425位になっていたように思います。調律師さんは半音低くしてるって言ってらっしゃいましたけど・・・それやったらもしかした記憶違いでA=415だったのかもしれません。どちらにしてもやっぱり面白いもので、CDだと気にならないのですけれど、普段A=440khzを聞き慣れて、演奏し慣れている耳にはなんだか演奏者が黒鍵(ピアノで言えば白鍵)を抑えているのに!?という視覚情報と合わさると、♭な音がするっていうのは不思議に聞こえました。って、コンサートの話になってませんね。でも、なかなか音楽を言葉で伝えるのって難しいのですけど・・・。でも、本当によかったです。バロックバイオリンの片方の方の演奏がなんだかとても自分の波長に合ったのか心に沁みました。声楽曲もあったし・・・もうね。こういうのってよくあるのかどうかわかんないですけど貴重な機会でございました。ヘヴィ・メタラーの私が言うのもなんですが、みなさん、古楽いいよ。バロック良いよ。古楽器良いよ。音楽っていうのは心の栄養だと再確認しました。そして、このコンサートが終わったあと、なんとですね、るうさんのご主人様が迎えに来て下さって一緒にご飯を、ということになり、なんと急遽、るうさんのご主人様とも初対面となったのでした。なんだかドキドキでした。私は解る人にはMだと見てすぐ解るのだそうです。Mなオーラが出てるらしく。で、やっぱり、Sの方っていうのもSの方のオーラというのがあって、ふとした瞬間とか部分にそういうのが見えてしまうと、とても、自分的には(自分のパートナーとかでなくても)ドキドキしてしまうものなのです。(浮気ちゃいますよ)別にそういうつもりはなくても、そういう気のある女性の爪先とか見てるともう、ボケーっとしてしまったりとかねw しょうがないのです、そこにSがあればNは、いやMは反応するのよ!(笑)るうさんのご主人様もなんかこう、オーラバリバリに出してはる方だったらどうしよう、私一人で私照れてしまうかもしれん、とか思うとなんだかドキドキ(笑)でも、なんだかとても優しそうな方で、たまに会話の中で出てくるそっちの方の話というのもとても自然に出てくる感じで。幸い?とあんまりドキドキせずに済みました。やはりいつも日記で読んでましたけれども、あと、チャットでもお話し少しさせて頂いたりもしたんですけど、その通りのとても素敵な方でした。なんだか2人並んで居られる様というのはとても、とても自然で、良いなぁって思いました。私も彼女と年月を重ねるとこんなふうに自然になれるだろうか?なりたいよなぁと思いました。なんていうか、お二人とも素敵でした。ご主人様の横におられるるうさんの顔が本当にとても可愛くて幸せ感が溢れていて、私も彼女をもっともっとこんな顔にしてあげられるような男になろうと、Mっぽくないことさえ考えたりもしました。そんなこんなで昨日はめまぐるしくとても色々な事がありつつ、とても素敵(語彙の無い奴)な日でした。無駄に長い文章すみません。
2004年07月17日
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結果が出たようですね。まず断っておきますが、私は投票に行っていません住民票が広島にあるもので・・・ちょっと選挙の為だけに2マンかけて帰るのも辛かったもので。が、まぁ、住民票移動の手続きをしていないのは私自身ですし、どうこう言って行ってないことには変わりなく非国民です。ごめんなさい。という前提の上に語る資格も無いにもかかわらず、なんぼか感想をば。結果は 自民:民主=49:50となったようです。与党にはこれに公明の11票が入るので計60 与党:野党=60:61となるようです。マスコミは”民主躍進”と、結果の出る前から大騒ぎなわけですが、今回の選挙戦における、マスコミの偏りぶりはいかがなもんでしょうか?完全に民主に勝たせる気マンマン。朝日や毎日はああいう(左の)マスコミなので当然なのですが、今回は読売なんぞも含めてかな~~り偏っていませんでしたか?私としては、このような状況でも自民が49の議席を取ったのは正直意外でした。しかし、結局、民主を押すためのメディア操作によって自民にとって連立与党公明の11票の重みがさらに増し、ますますあの政教分立に反する池田大作の個人所有物のような政党と手を切れなくなるわけです。投票行ってないのに言うのもほんと申し訳ないですが、投票しないヤツの次に悪いのは、ああいうマスコミの雰囲気に惑わされて”なんとなく”投票しちゃう人ではないかなどと思ったり。まぁなんにしたって、労働組合やら、宗教やら各種団体の組織票によって、おかしな勢力図になるのを、防ぐには私たち一人一人が投票に行って、せめて80%以上くらいの投票率を維持することじゃないかと思います。正直、兵庫の民主党候補(元教師=絶対、日教組)の当選の挨拶のあまりの”モロ左”加減に失笑してしまいました。”労働者の勝利です!”って貴方どこの国からいらっしゃったの?(苦笑)組織票+”なんとなく”は恐ろしいなぁと思いました。以上、非国民の所感でございました。次回の国政選挙は絶対行きます、すいません。
2004年07月11日
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でございます。織姫と彦星はうちらへんでは会えなかったようです。幼稚園のころは考えたものです。想い合う2人は、年に一度の逢瀬を天気に左右され、下手すると2年3年と会えないのね・・・と。考えてみれば、晴れてるところで会えば良いのですよね。うん。地球は広いのです。日本も広い。どっか晴れてます。なんてファンタジーのない大人・・・ということで、彼女と私も今日会いました。が、今日の我が織姫は、調子も悪く睡眠もあまり取っておられなかったらしく、一緒にいた時間の半分は寝ておられました。いつかも書いた歌詞での文句じゃありませんが、今日はまた一段と強く想ったものでした。彼女の帰る場所になりたい、と。
2004年07月07日
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殺人というのは究極的な人権侵害・・・というか根本的人格否定であり、全ての剥奪である。基本的に私は人権という言葉が嫌いである。それは主に人権というものの思想が嫌いなのではなく、この日本において”人権”という言葉を振りかざす”人権派”というのがまず漏れることなくサヨクで(例:朝日新聞)ああいった連中に貶められてしまった”人権”とかいう言葉がすごく心地の悪いものになってしまっているからだ。だが、人間そのもの、人格という尊重されるべきものを根こそぎ”殺人”という行為によって奪い、またその方法が残忍で、非人間的なものに限っては、犯人の”人権”というものを剥奪しても良いのではないかと思う。死刑も終身刑も負わせられず、”更正”という名の下に、殺人者が生きた人間として”人権”をぬくぬくと守られたまま野に放たれて良いのか?下は今日の夕方頃に私の耳に届いたニュースの続報だ。******************************コンクリ詰め殺人有罪の男 監禁、傷害で逮捕 昭和六十三年に起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」で逮捕された少年四人のうちの一人が、知り合いの男性を監禁して殴るけるの暴行を加えたとして、警視庁竹の塚署に逮捕監禁致傷の疑いで逮捕されていたことが三日、分かった。 逮捕されたのは埼玉県八潮市、コンピューター会社アルバイト、神作譲容疑者(三三)。調べによると、神作容疑者は五月十九日午前二時ごろ、東京都足立区花畑の路上で、知り合いの男性(二七)に因縁をつけ、顔や足に殴るけるなどの暴行を加えたうえ、金属バットで脅迫。車のトランクに押し込み、約四十分車を走らせた後、埼玉県三郷市内のスナックで「おれの女を知っているだろう。どこへやった」などとして約四時間監禁し、殴るけるの暴行を加え、男性に全治十日のけがを負わせた疑い。容疑を認めており、調べに対し「ちょっとやりすぎた」と話している。 神作容疑者は先月四日、竹の塚署に逮捕され、東京地検は同月二十五日、逮捕監禁致傷罪で起訴した。 女子高生コンクリート詰め殺人事件では、平成三年の東京高裁控訴審判決で主犯格の少年に懲役二十年などが言い渡され、四人の実刑が確定した。神作容疑者はサブリーダー格として犯行に加わり、懲役五-十年の不定期刑が確定、服役した後、出所していた。 ◇ ≪女子高生コンクリート詰め殺人≫ 昭和63年11月25日、少年4人が、埼玉県立高3年の女子生徒=当時(17)=を連れ去り、東京都足立区の少年の自宅2階に監禁。ライターでやけどを負わせるなどのリンチや暴行を繰り返し、翌年1月4日に殺害。遺体をドラム缶に入れてコンクリート詰めにし遺棄した。(産経新聞)******************************コンクリート事件というのをもしかしたら知らない方も今や多いのかもしれない。記事の最後にも書かれているが、http://pine.zero.ad.jp/~zac81405/concrete.htm(プロファイル研究所)などに詳しく、当時、名前が公開されなかった、この犯人共の情報はhttp://www.starblvd.com/mem/a/o/aoiryuyu/josikouseikankin.htm(クソガキ共を糾弾するHP)などに掲載されている。(実際現在でも公式には開かされていないのだが)誰もが知っておくべき事件ではあると思う。当時小学生であった私の幼心にも非常に衝撃的で、新聞に連載されたコラムを毎回読んでいた。さて、この記事で、産経新聞頑張ったなぁと思ったのはこの当時、少年Bと言われた、33才元少年犯罪者(監禁、レイプ、傷害、殺人犯だが)かつ、懲りずにアホやって捕まった人間のクズの本名を公開しているところだ。(あくまでここは朝日でなく、産経だ。朝日の”人権派”的論調は一見弱者に優しく、という風に見えるが、実は主に彼らは”加害者”の人権保護に邁進しているだけだ。)しかし、考えてみれば当然だ。コイツは少年時代、犬畜生にも劣る行為をしながらも、”更正”の名の元に、写真の公開も、名前の流出も免れてきた。しかし33にもなって、結局のところ更正も何もしていず、その辺のゴロツキのようなバカをしたわけだ。名前も写真も公開されて然るべきだ。それなのに、産経系統以外のマスコミは何を怖れるのだ?女子高生を、監禁し、犯し、傷つけ、これ以上ないほど辱め、苦しめ、絶望を味合わせた男が、こんな人間と呼ぶことさえ憚られるモノが、結局のうのうと生き仰せて、少年法の基軸たる”更正”なぞどこ吹く風で、結局また人を傷つけたのだ。敢えて言う。殺人者は皆殺してしまえ。目には目を歯には歯を。更正、というが、”人を殺した”という事実を”人を殺した”という事実として、まともな神経をもって感じることのできる人間は、人の命を奪ってまで生きてはいない。相手を、ひいては他人を自分を同じ”人間”だと思っていないから殺せるのだ。更正とは自分のしたこと、つまり”人間”の命を絶ったのだと気付くことだ。怨恨や、憎しみなど、相手を”人”と思えず殺人を犯すこともあろうと思う。しかし、このコンクリ事件を含め、昨今の(少年犯罪に限らず)犯罪にはそうでないものも多いのではないか?考慮すべきだろう。社会的な影響を考えても、終身刑のないこの犯罪者天国、殺ったもの勝ち天国の日本では、死刑の廃止などあり得ない。むしろもっと、もっと、殺人犯を処分してしまうべきだろう。そういうものを社会に放つからまたこういう事も起きる。個人的にはこういった凶悪犯罪者には、人権剥奪という新しい刑を設けて欲しいと思う。顔も名前も公開する。刑務所にも入れない、死刑にもしない。しかし、全ての”人権”を剥奪する。街中で、一般の人間に蹴られようが殴られようが、場合のよっては殺されようとも警察にもどこにも、誰にも助けてもらう”権利”がない。無論人として認知されないので傷つけた人間も罪には問われない。この33才の男にしても、そのくらいのことは味わっても良いのではないか?自分のなぶり殺した少女はそれ以上の地獄を味わっているのだ。古くから、犯罪者は、衆人監視の前で首を切られ晒され、磔つけになり、焼かれていたのだ。そういった、”仕置き”というのは現在の社会システムの中にはもっと必要なのではないだろうか。
2004年07月03日
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