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丁度今日の朝がゴミ捨て日なので、詰め込んだゴミをゴミ捨て場へ。ついでに、帰るまでの腹の足しにと、パンとお茶を購入。どうせ関西へ戻るなら彼女の近くへ、とこちらへ来て半年強が過ぎ、私と彼女の状況も変わり、彼女の状況も変わり、私の状況も変わり。理由はともかくやってきて、やっと慣れてきたこの街で、コンビニ帰り、ふと深夜、冴え冴えとした冬の空を見上げると、綺麗な月が浮かんでいた。昨日、私が仕上げた曲の名は、”黒い月”。黒い月の見下ろす心の森に迷い込んだ女の子のお話。彼女は最後に黒い月から”ひと欠けの光”を取り戻す。私の部屋、こぢんまりとした安息の場、下界から自分を守る結界、多くの”人間達”と自分を隔てる為の壁に囲まれた結界。そこには太陽も月も入りこまず、光も闇もない。太陽は嫌い。日光も嫌い。けれども、すこしも欠けていない”白い月”の光は心地よく私の目に映った。ルナさん、そんな名前の女性も居た。なんて美しい名前だろう。bella nome...よくイタリア人は言うけれども、真にbellaというべきはこういう名前なんだろう。最近今更のように聞くようになった、マリス・ミゼルにガクトさんが居た頃の曲の歌詞で最近私の頭をグルグルといつも回っている一節が思い出される。”太陽になりたくて 月の上でボクは 胸にナイフを突き刺して 遊んでいる”彼女は幼なじみと結婚を決意し女王様は今までの奴隷達を可愛がり解き放ったつもりの彼女、彼女たちは今、本当に解き放たれている。棺から出てきた姫、基本人格。彼女の名と意識を持って生まれた彼女の中の本当の彼女。彼女は”穢れ”に耐えられずやはり棺に居る事が多い。官能に身を投じていた私達も彼女にとっては原体験的には”穢れ”に違いない。本当・・・本当なんて本当はないのかもしれないけれども穢れされ、続けて生きることを諦めた12歳に成長したはずの”本当の彼女”はまだ”外の世界”の”穢れ”の中で生きることを拒否している。私はどうなのだろうか?外に出るにはやはりクスリは必須だ。外は私は拒否しているように感じる。親友や一部のこうやって楽天などで受け入れて受け止めてくれる人達は私にとっては私の一部で私の存在理由であって、外でも他人でもない。それとも私が外を拒否しているのだろうか。人間でないものになってしまいたいという欲求は未だに私の中にはあるし、”男”と規定されるようなものにはサラサラなる気もない。カウンセラーさんは私は”客観的”、”理性的”で”賢い”が、”反抗”というのがキーワードだという。外に対して、他人に対して反抗したいのだろうか。そのままに在ろうとする私を阻もうとする人間が居るなら、なぎ倒してでも道を歩みたいだけ。太陽になりたかった。けれど太陽は嫌い日光は嫌い日光は”人間達”を外に呼び出し、人の、外の”穢れ”を全て浮かび上がらせる。気分が悪くなる。月光は人間を呼び寄せないし、優しい光で人が居ずとも光り続け、欠けようともまた満ち、必要の無いものまで私に見せはしない。まだ私が”彼女”の事を好きだからではなくて、ただ、でも”姫”とあの月を一緒に見上げてみたいと少し思った。太陽になりたくて・・・でも太陽にはなれないのです。太陽に本当になりたかったのかさえ解らない。アポロンやヘリオスのようには在れないし、在ろうとも思わない。アルテミスやセレネの方が私の性に合ってるんでないか白い白い月にきっと穢れはない。
2004年12月27日
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今年の仕事(金がもらえるかは兎も角)が終わりました。ライブ後、某コ○ケなぞのオリジナルやらアレンジ音源を(私は行かないんですけど)頼まれてたのなんかがやっとこ終わりまして。あ~これで自分の好きな音楽が出来るわ♪でも気が付いたら26日。明日には実家へと・・・久しぶりにギター持って帰ってしまいそうなくらい今は音楽どっぷり。しかし疲れた。
2004年12月26日
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陰陽、光と闇、神と悪魔、とか、そんな感じの対立要素として自分の中には理性と感情という対立要素がある。持論的には陰陽でいうなれば、陽が存在した瞬間に陰は同時に姿を現すし、世界に光が注げば当然のように闇も同時に生まれる。仏教者が煩悩を捨てる事によって悟りに近づくように、悪魔の存在なしに神など存在しえない。追儺のように、鬼を仕立てるからこそ、穢れを祓う。鬼は外、福は内、鬼が居てこその福。人間の中で理性が存在するときに感情も同時に存在する。少なくとも私の中では。本当は陰<陽光>闇神>悪魔善>悪などという二元論的な是非の価値観は嫌いで、それぞれにそれぞれの存在理由がある。闇がなければ光の認識は何者にも出来ない。悪が無ければ善の認識とて誰にも出来はしない。そういった思考を常々する自分であるにも関わらず、理性と感情とを理性>感情と位置づける自分が居て、それは全く以て自分の嫌いな、二元論的な是非の位置づけでしかないのだけれども、長いこと理>情という環境で育って来た故になかなかそこから抜けきれない。上位に位置づけられる理性(という認識それ自体がまた自らの思想とは異なるという矛盾を含む)によって整理されていたハズの感情が理性のコントロール下から外れ、暴走するのを私の理性、もしくは私は何よりも怖れる。昨日付けの日記を書いたのは私の理性。そしてそのあと首を擡げてくる理性のコントロール下から完全に外れてしまった感情の波。客観的であったはずの理性で感情をコントロール出来ていなかった事を私、もしくは私の理性は非常に受け入れ難い事として捉えてしまい理性と感情のギャップはそのまま私の存在の矛盾となりそれは私自身を責め立て、感情の捌け口と、自責の捌け口として自らを罰っすることを求め傷付けることを決断する。痛みを感じない範囲までが理性と感情とのギャップの範囲で、理性的に流された血によって、感情も多少なりの落ち着きを取り戻す。Yちゃんに電話をした。人間なのだから感情が付いてこなくて当然だと言われた。そう、もう人間でない、感情のない何かになりたかったような気がする人間から離れたかったような気がする。でも、それももっと辛いよ、と彼女は言う。田中芳樹の小説、銀河英雄伝説に、オーベルシュタインというキャラクターが居る。全てを理性的に考え、目的の為の最短手段を冷酷に選択するキャラクターで、中学や高校の時代とても憧れた憶えがある。それ自体、もう今の私に繋がっていたのかもしれない。オーベルシュタインに対する憧れや、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズに対する憧れというのは理性万能主義的な私の傾向であったのかもしれない。今でも憧れているのかもしれない。冷酷になりたい。感情を捨てたい。けれどもそれもまた、覚悟の必要な事で。なによりも私の周りに居てくれる人達がそれを望んでも居ない。感情に流されることも時には必要で、今貴方はそうするべき時なんじゃないかと思う、とYちゃんは言っていれた。流されてしまいたい。けれども、もうすこしだけ私は強く在りたいとも思う。その為の手段が、腕を切ることでなくなれば良いね、と言ってくれた。その通りだ。毎回心配を掛けて居る。それでも一生貴方の傍に居ると言ってくれる。理性と感情と、それもまた自分の思想の下に、理性でもってその理性の優位性を指向する自分を整理するという、まるでジャンケンのような複雑で訳の分からぬ作業を自分の頭の中でして行かねばならないかもしれない。以前より血は出た。しかし、以前ほど沢山は切らなくなった。或る程度切ると、後は、刃先を当てると痛い。まだ人間だと思った。幸か不幸か。けれど、人間である私の周りに色々な人が居てくれるなら人間であっても良いかもしれない。同じように切っていても、少しずつ変わっているのかもしれない。左腕はギターを弾く私にとっては本当はとても大事な部位でもある。音楽はやりたい。段々と少しずつでも変わって行きたい。切ったけれども今日はそんな風に思った。
2004年12月22日
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愚痴を。元カノ、結婚することにしたそうです、幼なじみさんと。幸せらしい。それは何より。とても私も嬉しい。そしてリベンジが間に合わなかった自分が少し哀しい。でも私は私の道を見付けたし、仲間も居て。今立ち止まるわけには行かない。あの子の心を幼なじみさんが開いたように、彼女に捕らわれた私の心をいつか開いてくれる女性も現れるかもしれないし、現れないかもしれない。音楽が私の生きる道だと決めた。そして同志も居て、仲間も集まった。立ち止まって居られないから、貴女がいつも立ち止まらずに前に進み続けるように、私も前に道があるから進む。貴女を失うならば命を絶つか、世を捨てようと思ったこともあった。けれども、まだ私には音楽と仲間があるから、それはもうすこし先延ばしにする。私が死んでは貴女も心配するだろうから。まぁ世をすてて坊主になったら冷やかしにくるかもしれないが(笑)なんにしろ、幸せになって欲しい。正直色んな頼まれモノや、自分たちの音楽で、落ち込んで居る暇もない。27日には実家に帰ろうと思うからもう一週間も無い中で、妥協の無いものを完成させなければならない。幸か不幸か。私は今でも貴女をきっと愛しているしそれは一生変わらないだろう。けれども、私も幸せになれる女性(か、もしかすると男性か)もいつか見付かるかもしれない。それをまた貴女が分裂したその脳のどこかで祈って居てくれればと思う。貴女と恋人として付き合って貰った日々を忘れたりはしない。幸せで身に余ることでもあった。そしてお互い自らの道を歩むことにしてからの方が貴女も貴女らしく、私も私らしく今、在れていると思う。貴女の道も決して生優しくないだろうし私も道も険しいだろうと思う。けれども貴女は勇気をくれたから。ありがとう。
2004年12月21日
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全く効く気配なし。ちなみに2種類二錠飲んでます。残りもののロラメット飲もうかなぁ・・・今週病院です。やっぱり入眠剤も今度は処方して貰おう。眠れないし気になっていたので、レス、一気につけました。さてそれでも眠れない。どうしたものか。空腹もありますが、解りました。ライブ機材と化粧品の片づけが済んでないのです。そして、ライブ練習がテンパってた1ヶ月の間、おろそかになっていた掃除を”しなければ”と思っていたのです。ということで、化粧品、一つ一つアルコールウェットティッシュで拭き拭き。ライブ機材も拭いて、全ての接点を酸化皮膜剥離剤、接点保護材でふきふき。CAIGというヤツなんですが、多少お高いですが、車やらバイクなんかやってる方なんかの接点にもお勧めです。伝導効率は確実に上がります。そんなことした後、部屋中掃除。気が付いたら昼近いじゃないですかまたこれ。まぁ良いんだけど・・・・飯食って・・・出来たらちょっと、ライブ前に壊れて交換したパーツ(トレモロユニット;ブリッジ)の調整をしたいんですが・・・まぁ一度寝るか・・・一応薬入ってるし・・・ミスってまた壊したらもう・・・かなりショックやしw† † † † † † † † † † † † †射殺されたギタリスト、ダイムバック・ダレルの以前のバンド、パンテラのCDをずっとずっと聞いたり、友達がくれた動画を見たり、雑誌の付録の奏法解説DVDを見ています。(新しいバンドのdamegeplanは聞いたことなかった)音を聞き返してまた、如何に偉大であったか本当に改めて実感しながら・・・ランディー・ローズに憧れた人の中では日本ではマイナーですがアメリカのサヴァタージというバンドの、クリストファー・マイケル・オリヴァというギタリストも飲酒だったか、麻薬やって運転の車だかに轢かれる事故で命を落として居るんですよね。丁度少し前に、彼の死の前のライブCDも買っていたところだった。最近友達に勧められて(ファイル送りつけられまくって)ハマったマリス・ミゼルでも、カミ様って亡くなっていますよね。私の中では元ラルクのsakuraさんのような巧者だと感じているのですが。惜しい人ほど亡くなるものなのでしょうか。ダイムバック・ダレルとヴィニー・ポールの兄弟がインタビューに答えている動画をネットで見付けて。アメリカ南部の陽気な兄ちゃん達って感じなのですが、南部というのは大体人種差別の激しい所なのですが、彼らはアメリカのツアーを回る前に日本に来てくれていたのです。この後の予定は?という質問に他のバンドと一緒にアメリカを他のバンドとパッキングツアーで回って、その後ヨーロッパツアーに出るんだ、と兄弟で楽しそうに話していたのですが、そのアメリカーツアーの途中で悲劇が起き、ヨーロッパへは行けなかったんですよね・・・ああ・・・なんだか結構落ち込む話なのに、いつまでもこの話題書いていて申し訳ありません。hideさんが死んだ時も確かにショックだったのですが、その頃には私はもう洋楽に行っていて、なんだかピンと来なかったのです。中学生の頃とか本当にXとか死ぬほど聞きまくってたので、なんだか、自分の若い頃の青春が一つ終わった気がして切なくはあったのですけれども・・・。でも今回はもう、洋楽もヴィジュアルも邦楽も関係なく、包括して、全てを受け入れられるようになった状態でリアルタイムに、大いなる天才ギタリスト、敬愛する人を失ってしまって一度も会った事があるわけでもないのにでも自分の中でもその人のプレイというのは確実に影響として存在して自分の一部であった人が、雑誌のインタビューにいつも載っていて、これからもまたインタビュー読めると思っていた人が突然、悲劇的な形で居なくなってしまって・・・”それどころじゃないんだ”と、割り切って乗り切ったライブが終わって緊張が解けただけ、またショックは復活してきて。改めて R.I.P. D.D.Abbot† † † † † † † † † † † † †ただ今、夜の9時。眠れねぇ・・・ギターの調整してしまいました。オクターブピッチの調整と弦高と。全く同じ会社の同じトレモロでもやっぱりプレイアビリティーは変わっちゃうんだねぇ・・・ほんま半日ギター弄ってました。睡眠剤全く効果なし。一応そろそろ横になってみようかなぁ・・・友達くる予定ではあるんだけど・・・鍵開けとくか・・・† † † † † † † † † † † † †眠れぬ徒然にライブ写真アップしてみる† † † † † † † † † † † † †
2004年12月15日
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遅れていて申し訳ありません。もうすこし精神ゲージと肉体ゲージが回復するまでお待ちくださいません。3日連続のライブでした。私が出たのは2日ですが、昨日親友のライブにも行ってきまして。まぁ出る2日前にも鬼のような追い込み2日間があったりもしたので、ほぼ寝てませんでした。しかもライブ前に敬愛するギタリストが射殺されライブの前の晩にギターのパーツが壊れライブハウスのPAは予想通り金を払うのがもったいない様なマザーファッカーで軒並みみんなブチギレそして昨日は親友のライブに行く途中には自転車がパンクし今年の厄が全て回ってきたのではないかというくらいで疲れました。が、久しぶりに充実した一週間でもありました。パン食ってたらそのまま寝てたりパソコンの前に座ってたらシンセサイザーの下に倒れて寝てたりメイクを落として、目の下のアイシャドー落ちないなぁと思ったら目の隈だったりしたこともございました。疲れた。ということでしばし倒れます。おやすみなさいませ・・・>+○
2004年12月14日
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1994年6月号のロッキンf そこで私はパンテラというバンドと(当時)ダイヤモンド・ダレル、後にダイムバックと名乗るギタリストの存在を知った。 当時の私は今で言うところでの”メロスピ厨”と言うヤツで、デス声とまでも行かないまでもフィル・アンセルモの声は過激すぎて聞けなかった。 しかしレンタルしてきてテープに落としたFAR BEYOND DRIVENは”怒”のようなものが感じられ、フィルの声にも慣れて、やたらと気に入ってしまって、よく高校の登下校中聞いていた。 ギタリストのダイムバックとドラムのヴィニー・ポールは、彼らの敬愛するVAN HALENと同じく兄弟で、Player誌のVan Halen特集などでは本当に初期ヴァンヘイレンを兄弟で熱く語って居て、本当に音楽が、ロックが、メタルが好きなんだ、というのがよく解って、いかつい見た目とは逆にほほえましくもあった。 パンテラは消滅した。フィリップ・アンセルモは優れた表現者でありヴォーカリストではあったし、ダレル・ヴィニー兄弟もまた優れたプレイヤーだった。様々なやりとりあったし、ゴシップ誌のように成り下がったBurrnに色々なインタビューも掲載された。 が、バンドの解散にどちらが悪いと、はっきりと言う事など誰にも出来はしないだろう。バンドをやっている身としてそれは良く解る。ダレルとヴィニーは音楽を楽しみたかっただろう。フィルは天才だと思う、それだけに人格的な問題もあったろう。あったろうし、それが天才故に許される事は本人も周りも知っていたろう。しかし、バンドはそういったある種の緊張の中で成り立っているものなのだ、そもそも。(無論仲の良い所もあるけど) その糸が切れた後は修復は殆ど出来ない。 それはバンドを愛するファンこそがなによりも知るべきだろう。 未確認の情報が多すぎて解らない。ダメージプランの、ヴォーカリストであり優れたギタリスト(元ハルフォード)でもあるパトリックは足に負傷をしただけであるとか。ヴィニーは難を逃れたとか。前座バンドのメンバーがダレルを守ろうとして命を落としたとか、警備員が命を落としたとか、客も数名巻き添えを食ったとか。 しかし、ダイムバック・ダレルが4発の弾丸を撃ち込まれ命を失ったということは確かだ。 彼の功績はここでは挙げきれない。 しかし、グランジの旋風が吹き荒れる中でも、メタルをプレイし続けることを止めず、”トレンド”に唾を吐きかけ続けた。そして独特のリフワーク、刻みによって、”モダンヘヴィネス”などという言葉もない頃から多くのフォロアーを生み、今のメタル、ヘヴィロックシーンは彼の影響なしには成り立たない、今の様にになっては居ない、と言い切ってしまっても良いだろう。 彼はKISSやVAN HALENやランディー・ローズなどの先人をリスペクトし、影響を隠さず、愛し、そしてそれらを自分のモノにし、彼独自の新しいモノを生み出し、ギタースタイルの革新を起こした。 ソロワークなどはワイルドな見た目とは逆にそれこそランディーローズ的な非常に繊細でありながら、それでも過激な音楽のなかで自然に響くものであったと思う。 そして、ダイムバックは彼の敬愛するランディー・ローズと同様、若くして命を失った。38歳。まだまだメタルして欲しかった。新しい彼らのバンド、ダメージプランは始まったばかりだったのに! 12月8日は、ジョンレノンが銃殺された日だと言う。 犯人はそれになぞらえたのだろう。 ”パンテラが解散したのは貴様のせいだ” と悪態をついて発砲したという話もある。 motherfuckerめ。頭の悪いぼっちゃんは家に帰ってママとfuckでもしてやがれ、と思う。 が、犯人は射殺されて事件の幕は降りた。 そして、私は犯人への怒りが湧く暇も亡い程の喪失感の中に居る。犯人はジョンレノンの射殺犯のようになりたかったのかもしれない。けれども、お前のことなどどうでも良いのだ。 ただただ、ダイムバック・ダレル、という、エレクトリック・ギター史に深く名を残すであろう、唯一にして偉大なギタリストを失った寂しさと虚しさがあるだけだ。 R.I.P.ダレル YG DVDの奏法解説、参考になったよ。 貴方は ”今度は俺に演って見せてくれよ!” と、陽気に言って居たけれど、私のプレイを貴方に見せることは出来なかった。私が天国に行くまでには出来るようになっておいて、きっとクレイジーなサウンドを貴方に聴かせられるようになっておこうじゃないか。 Fuck You! 地獄から来たカウボーイは天国へ行った。 あんたのこと忘れないぜ!
2004年12月10日
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勝手に思うのが悪い所なのかそれとも悪いと自分で自己暗示をかけているのか良く解らなかったりしませんか?ビタミンB系統は確実に摂取しているにもかかわらずこれだけしんどいのはビタミンC不足かと感じた私は今朝、(あんまり日が昇るとしんどいので)99円ショップまで買い出しに出掛けました。ちょっと遠いのです。徒歩十数分ほど。距離にして1kmくらいかしら。朝は8時。最近、青髪クンに付いていて貰えるから。というのもあるのですが、週末など外出して居るものだから、日が高くならない内なら少しは大丈夫ではないかと思ったのです。思いつきで出掛けたので、頓服の安定剤も飲まずに。冷たく清浄な空気の中を自動車が唸りを上げて朝の空気と静寂とを汚染して行きます。周りは通勤通学などの雑多な人間達。交差点では自動車と人間達と、双方の横暴を食い止める為、女性警察官が交通整理にあたっています。為りは制服にヘルメットといかついですが、私には彼女が天使に見えました。その後はもう、99ショップに到着するまでの行程、すれ違う人間、その辺に在るものが全て、私を害する為に存在するように感じられて、壊したくて、”ああ、この自転車を蹴り倒したい””ああ、このショーウィンドーのガラスを割りたい””ああ、こいつら邪魔だ、殴りたい、殺しても良い””私の前を塞ぐなんて、邪魔だ”というような、蹴りたい衝動や、殴り倒したい衝動をひたすら押さえながら。時には人間を避けたりしながらなんとか99円ショップに到着したのです。帰りもひたすら早足で帰ってきました。交差点の天使は通勤通学のピークが過ぎたからか、もう居ませんでした。部屋に入ると、着ていた服を全て洗濯機に放り込みます。穢れてしまったから。何がなんだか解らなくなるのです。自分が病気だと思ってるだけじゃないのか外が怖くて、人間や、光や、全てから逃げたい、さもなくば破壊したい。そんな風に自分は思い込んでいる居るだけではないのか。プラシーヴォ効果なんてのもあります。陰陽師に出てきた、”呪(しゅ)”の話、物理学者、哲学者の書いた多重人格の書籍の”カテゴライズ”の話。エーコーの記号論の話。おしなべて記号論的な思考が色に頭を横切りました。何故自分はこうしているのか鈴木大拙の書物に禅の思想として定かな文章としては思い出せませんが(元が漢文なので)”道に入るのには二つの方法がある、思考から入るか行動から入るかだ”と言うのがあったように思うのです。道など仏道でなくてもなんであろうと良いのです。人生であろうと音楽であろうと同じ事です。何かをしようとするならば、理論、知識、思考から入るか、行動から入るか、その二つしかない。最終的には両方を備え合わせた者にならねば道に至る事は出来ないわけです。ギターを弾くに、理論を知らねば話になりません。しかし、理論を知っていてもギターをかき鳴らさねばギターを弾けるとは決して言えないわけです。然るに、自分自身というものの”道”はイッタイなんなんだろう_?と。これだけ鬱入って考えるだけは考えて居るのです。あとは行、行動しかない。そう、行動すれば良いじゃぁないか、と人は言うし自分も解って居る。けれども、そこに支障がある。外には、一般社会には私にとっては私が私のままあるには大きな壁がある。恐怖があり、破壊的衝動がある。そういったものの無い、自分のままで歩める道を歩もうと決めた。けれどもやはり外に出ると色んな思考、衝動が首をもたげてくる。これはイッタイ思いこみなのか本物なのか。量子力学のように観察点によってそれは異なるのか。私が本物だと思えば本物で思いこみの偽物ではないかと疑った所から偽物になるのか。しかし、薬は必要で、通院も必要なのは自分でも解っている。薬無しにはやはり外には出れない。ならばやはり神経症、鬱、なのだろうか。カテゴリー、記号としてそういう名前が付いても中身は色々。先ほど多重人格の書籍ではないが、”鳥”と言った所で鳥の中でも色々あり、カラスが居て、ワシが居て、タカが居る。しかし、カラスにも種類があり、ワシにも、タカにも種類がある。しかも一羽一羽というのは別個体であって個性もあるわけだ。精神病とて名前が同じであろうとも人によって原因も症状も異なり、それが精神医学の難しい所でもあろうと思う。病名をもらえると”自分の思いこみ、甘えではないんだ”と安心するのも確かだ、強迫神経症、抑鬱。かといって、ではこの外出恐怖は強迫神経症かというとそうでもなく、鬱かというとそうでもないだろう。こうやってタラタラと出口のないことを考えてしまって、焼き付くのは鬱だろう。けれども、あれはなんだろうか。ただの呪か、自らが自らにかけた呪、思いこみか。カウンセラーのK先生には”反抗”っていうのが根本にあると言われた。反抗の裏返しの衝動であり恐怖なのか。まだまだカウンセリングで話さねばならぬこと、分析してもらわねばならぬことも多い気がする。私が何者なのか。ああやって、会社や学校へ急ぐ人間達は自分が何者であるか知っているのだろうか。反抗が根本に在る、とK先生にわれたが、私にしてみれば、疑問が多いだけなのだ。自分にも他人にも社会にも常識にも。買い物は出来た。良かったと思う。頑張って衝動も抑えた。けれどもやはり外は未だ怖ろしく、私を否定して止まない所だった。怖かった。外も怖かったし、衝動に駆られる自分も怖ろしかった。
2004年12月09日
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なんだか最近生活リズムがグチャグチャです。ドラール+サイレースの効果も虚しく寝れない状態でいつのまにか夕方です。窓を目張りしている私には何時だか時計を見ないと解りませんし、起きた時、検討は付くものの、amなのかpmなのかも確認しないと、ああ、午前三時かなと思って人も居ないしコンビニ行くかぁとか思ってドアを開けた瞬間日光に晒された日にゃ激鬱です。もとい生活リズムっていうか週間リズムなんですが、土日はライブに向けてのバンドの練習(掛け持ち)青髪クン(HN出して良いのかな・・・なんかこう呼ぶのもなんだかな・・・)が同じバンドなんで電車毎回付いて行ってくれるのが救いですが、とはいえギターを抱えて神戸から難波まで行って練習して帰ってくる普通に肉体的な疲れと、人が多い所に行く精神的な疲れとで月曜火曜は一日床の中でくたばります。ちょうど今、クタバリ状態から復活って感じです。が、来週がライブなので、余念無く曲を練習せねばなりません。が、それももう限界w 疲れた・・・のに寝れない・・・ただ寝れない内はギター弾いて練習したり、敬愛するジェレミー・ブレット演じるシャーロック・ホームズのビデオ見たり・・・・。そんでも寝れないから、今日だったら裁縫道具取り出してコートのボタン付け替えたり(しかも10個もあるんだこれが・・・)、はんだごて取り出してウォークマンのイヤフォン治したり。それが終わってもまだ寝れないからさっきまでギター練習したのですが。それももう疲れで限界です。今は音楽聞いてますが、そのうち音楽さえ聴くのしんどくなってきたりもします。月曜火曜に寝すぎだから寝れないんちゃうかとも思うのですが、いかんせんやっぱり二日連続の外出というのは堪えるもので、どうしても起きあがれなくなるし・・・まぁライブまであと一週間・・・なんとか堪え忍ぶしかないでしょう。来週からは徹底的に引きこもって肉体的にも精神的にもリストアー致しマス。† † † † † † † † † † † † †関係ないですが、またへそピアス話。なんとなく出口が気にくわなかったので、自分の手でニードル差し込んで思い通りの穴を開けたのは良いのですが、結構この季節、へそピアスを開けるのはどうだったんだろう・・・?と。もちろん夏は夏で蒸しますし汗かくので開けるのには向かなそうですが、かといって乾燥しているとはいえ、厚着する冬には割とお腹のあたり、ムレたりもするわけです。そんなこんなでちょっと風通し良くするために外着も部屋着もシャツをに入れずに出したりもしてるのですが、とはいえ、この季節・・・・腹が冷える(苦笑)腹が冷えるか、ピアスを清潔に保つか・・・結構微妙なバランスです。寝る時にはさすがに風邪ひくとアカンので暖かくしますが・・・なんにしても消毒は必須ですね。
2004年12月08日
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友達に初ピアスを耳に二つほど開けてもらった。彼は結構ボディピアスしてる人で、慣れてるかなぁと思って頼んだのだが、私の方は初なので普通に売ってるピアサーを用意していた。彼は普段はニードルで開ける人なので、久しぶりのピアサーにかなり緊張したそうだ。いや、本当にありがとう。ピアス、耳に限れば痛いかどうかとか言うと正直大して痛くもない。氷を当てて麻痺させてとか聞くが、ピアサーだからかもしれないが、そのままガシってやっても”あ、終わり?”って感じだった。布団針で耳を貫通って話も聞くのでそれはそれで痛いのかもしれないがピアサーは一瞬で拍子抜けするほど痛くなかった。ちなみに、その時私はへそ用のピアサーも用意していたのだが、彼は(自らも人のも)へそは開けた事がないのでちょっと自信がないし責任取れへんし、ということで、保留ということになった。そこで昨日、自分でやってみた。んで正直へそは、ごっつ痛い。穴あきピンセット(ピアス用のは高いので切手用ピンセットにドリルで穴を開けた自作もの:笑)とピアサーにへその肉を厳重に挟まれてたりするのでそれも結構に痛い。結構にというか、正直アムカの方がなんぼも痛くない。ピアサーのニードルっていうのもそう鋭いものではないので、痛さ倍増。耳は一瞬だから鈍いニードルもアリなのでしょうが、へそは一瞬じゃ開かないだけ鈍い針先は裏目に出ます。なんかこうプルプルしながら脂汗かくような感じで・・・前屈みになって両手でかなりの力を入れてピアサーでへそを挟み込んでいる様は、切腹してるような姿だったろうと思う。っていうか自分でなんだかそんな気分になった。三島由紀夫、漢だよ・・・侍ってすごいねなんかそんな関係ないことも頭をよぎりつつ。(ちなみに切腹には腹に刀を刺した後、どういう風に切るか、どのタイミングで介錯を行うか等々、色々流儀があるらしい。というHPをどっかで見た気がする。)へそはなんか出口の皮膚を貫通するのが一番難しいらしいのだが、案の定、ピアサーではうまく貫通出来ず、貫通しないままにピアサーは”ガシ”っという音を立てて針を開放(笑)お~いちょっと待っておくれよと私は思いつつ(苦笑)しゃぁないのでピアサーと共に一度針も抜き、もう一度穴に突っ込んでみるともう貫通寸前でやはり出口の皮の所で止まっていたので、指でグリグリ押すこと数回、(皮なので別に全然そこは痛くなかった)無事貫通。今度からボディーピアスは(することがあれば)下手な器具に頼らずニードル使って自力でやろうと心に決めたのでした。多分その方が痛くないわ・・・ということで多分、蒼白な顔でキャッチを留めて消毒、最初以外は出血もなく無事今日に至るのでした。
2004年12月03日
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