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他の誰のモノにもならないそして僕のモノにもならない僕も誰のもモノにもならない君以外の誰のモノにも
2004年08月27日
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あまり日本で大きく取り上げられることないですけど、前一度、たけしの番組で”日本人が優勝した種目は翌オリンピックまでに白人に有利なようにルール改正が行われる”というのをやっていて。自分で調べてみたりもしたんですけど、やっぱり沢山あるんですね。バレー、ソフトボール、スキー、水泳・・・・やはり発祥も(ヨーロッパ文明の起源たる)ギリシアなわけですし、どうしても”白人の優位性”を証明したいという思いが意識無意識にあるんでしょうね。って、ルール改正なんて意識ナシには出来ませんけど。まぁそんなのも私がオリンピックに興味のない理由の一つなんですけどね。日本人の金メダルが多いというこの大会。次回オリンピックでは今度は何のルールが改正されるんでしょうね。黄色人種にしろ、黒色人種にしろ、白色人種が、都合良い様に都合良い様にと勝手に改変したルールを毎回乗り越えてるわけです。そう思ったらより感動的・・・なのでしょうか?私は”根拠のある区別”という奴は割と否定しない方なのですが、”いわれのない差別”というのは割と好きではないので、毎回ああやって虐げられて居ることを知ってか知らずか喜んでテレビにしがみついて人たちというのがあまり理解出来ないんですよね・・・。話は違いますが柔道を体重別に分けるのって柔術の思想からするとオカシイですよね?あれこそ大きいことはよいことだ~みたいな西洋人の発想って感じですが。 っていうか、もうあの力任せの柔道ってのは柔術とは遠い所にあるのかもしれませんが。
2004年08月24日
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書き込んで頂いたのにレス遅れたりとかしてごめんなさいです。ものすごい勢いで書き込みとレスをすることもあるのですが、逆に一つのレスがものすご~い負担なこともあるのです。誰へのレスだからとか何の話題のレスだからとかじゃなくて、ただただ、私の調子です、ごめんなさい。じゃぁサイトするなよとか言わないでくださいね;; 気長に待ってください、レス自体は絶対します。週末、付き合いで人に会うのと、普通にお友達と合うのが重なりました。調子も悪かったし、本当は付き合いで行くのはやめとこうとは思ったのですが、朝起きたときの調子が良かったので、遅刻はしましたが駆け付けてみたのです。もちろんほとんどは皆良い人たちなのでうが、それでもやはり、親友と会うというわけではないプレッシャーがあったのかもしれません。それが終わってから数人、仲の良い人たちと食事をしたのですが、土曜の夜の街中は当然のようにすごい人で、一軒目のお店から二軒目に移る途中、商店街のようなところでものすごく恐いのと気持ち悪いので頭痛と目眩がしてしまいました。なんと言えば良いのか、人が居て、そこら中に沢山の頭が通りに溢れていて、それはその時、私にはものすごい事、凄まじい光景だったのです。ちょっとパニックっぽくなって、薬を飲むのもままならず、どうなったんだったか覚えてないんですが、一番仲の良い、親友と言える子が居てその子が多分”皆、先に行っててくれて良いから”とか言ったんだと思うのですが、私をちょっとその人の多い通りから外れた所に連れて言ってくれました。ベンチに座って自販機で水を買って薬を飲むよう言うてくれて、ずっと手を握っててくれました。暫く休んでから、携帯で店に行った友達の一人に出てきてもらって案内されてお店に行ったのですが、どこのお店だったのか場所覚えてないくらいなんかおかしかったっぽいです。なんか”大丈夫だから”と言っても”良いから”と言ってずっと彼女が手を繋いでくれていました。(実際、多分全然大丈夫じゃなさそうだったような気もする。)なんだかもう全く怯えた子供のようになってしまっていましたが、場所も構わず抱きしめてくれたりして、その時は彼女が居てくれて本当に助かりました。自分より年下の子にこんなことを言うのも変ですが、なんか母親(奴は子持ち)ってのは強いなぁと感じました。母性みたいなのを感じてしまいました。というか、Aちゃん本当にありがとう。貴女が居てくれて私は本当に良かった。(と、こっそり読んでないところで言うてみる)愛してるぜ(笑)ということで少し調子良くなったので。書いてみました。関係ないですが昨日、財布落としました。拾って下さりながら名も名乗らずに警察に届けてくれた男性に感謝。感謝、感謝なんか色々感謝だと思った日なのでした。皆本当に大好きです。こんな私に愛想を尽かさずに居てもらえる、見ず知らずの方にも親切にして頂けるなんて幸せすぎるのですよね。感謝せねば。本当に良かったと涙が出そうになるのですよ。ラブ&ピースとか、あんなんじゃなくて、そうじゃなくて、なんか本当に皆、感謝してて、愛してる、と思う。ということで、今日は支離滅裂な日記でした。
2004年08月23日
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関西は昨晩、雷がすごかったです。私はあの音はもんのすごい勢いで嫌いです。苦手です。たとえ雷が鳴る時、傍に居るのが女の子だったとしても、相手にしがみつかれる前に、私がすかさずしがみつくでしょう。ゴキブリと雷は天敵です。しかし、今年の気象異常は一体なんなんでしょうね・・・・そもそも、コンクリとアスファルトに塗り固められた街に住みながらまともな天気というものを期待していると言うこと自体が間違っているのかもしれませんなぁ・・・ああ~川のせせらぎや、蛙の鳴き声、風が木の葉を撫でる音や、ヒグラシの声が無性に恋しいdravenなのでした。
2004年08月18日
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基本的にオフレコ話なのでテーマには入れません。キツイ言い方、不快に思われるような言い方もあると思いますが、そこは愛だと思ってください。(なんのこっちゃ)******************************黒ブチ の発言 :一般人なんて、(俺も含めて)与えられた環境をただ安穏と過ごすだけの奴が多いと俺はおもう。draven の発言 :うんうんw 結構無責任になw義務は果たさずとも権利は要求するw黒ブチ の発言 :そう、奴らは自分の責任ってものを考えようとしない。自由があればそこには責任が付きまとうことを大概の奴は理解してない!draven の発言 :うん、自由とかいう権利っていうのがだ :既得権だと思ってるわけじゃん黒ブチ の発言 :うんうん。draven の発言 :なんやかんやと既得権にしがみつく、官僚やら政治家と大して変わらんじゃん。自分らでは政治家なり、官僚なり批判をしてそれが自分らの鏡に映った姿だとは気付かないw黒ブチ の発言 :たとえ既得権だったとしても、「不断の努力」でそれを守ろうとしないと :失われてしまうのになwdraven の発言 : そう、それは奪われてしまう”べき”ものだっていうのに気付かないんで、それを安穏と享受出来るのが国家っていう殻の中だからっていうのを直視しない。こういう言い方もすごい嫌ではあるけどさああやって反戦であれ、国防であれ好き勝手言えるのは今は、俺らは既得権として言論の自由があるからやそれを安穏と享受させてくれているんは国家だし、その庇護の元にこうやって言うても過言ではないし。それを得る為に血を流した先人のおかげでもあるわけやんそれをまるで生まれながらに当然持ってるかのように言うのはどうかと思う。黒ブチ の発言 :そうやね。draven の発言 :守ってくれてる人間なり組織があるわけやん黒ブチ の発言 : それが自衛隊なのに、自分達を守ってくれてる人たちを否定するのはどうかと思うよな。draven の発言 :自衛隊でもあろうし、政府でもあろうしな政治家とて然り官僚とてそうだろう一番嫌なのはそれをまるでマスコミってのはそれを自分らが守ってるように自称することだな黒ブチ の発言 :だからマスゴミと呼ばれるのだろうな。draven の発言 :だろうなワイドショーリポーターなんて:乞食(差別用語らしいので、”経済的にチャレンジされやむを得ず他人の経済力にすがる人々”と訂正します。)と呼ばれても良いと思うがな言論の自由と衆愚を笠に着て人の落とした醜聞のおこぼれに預かって生きてる種の人種だああいった番組を昼間っからやりながらだよく”言論の自由”だ”言論統制”だと語るなぁと :その神経の太さに関心するよw黒ブチ の発言 :まったくw言論の自由と知る権利も使い方次第では:ただの害悪だもんなぁ。draven の発言 :そうだなぁ銀河英雄伝説であったやん優秀で公平な独裁者と衆愚政治はどちらが良いのかとw(同様に)権利は賢人が握るのが正しいのか乱用されようとも馬鹿共にも与えるのが正しいのかギリシア人はおそらく :前者を考えたわけだろう黒ブチ の発言 :最良の専制政治と最悪の民主政治、どちらがよりよい社会の土壌となるかってやつだな。draven の発言 :そうそう。ラインハルトは馬鹿共に付き合うヤンが理解出来ないわけだ。ヤンは衆愚に陥ろうとも自分達で立ち直るチャンスがあるから衆愚であろうとも民主主義に拘る。が故に謀殺されちゃうわけだけど身内にw例えば、隣国であるとか正直外交というものを考える必要がないのなら、子供を生むとして、その子のことを考えたら俺は最良の専制政治を選ぶかもしれんな黒ブチ の発言 :そうだなぁ。draven の発言 : 専制政治は民衆が思考停止しようとも動くところが長所でもあり短所でもあるだろうがだからといって、民主主義国民が思考停止していないかというと決してそうではないだろう。考えてるポーズのままフリーズしてるんだけど考えてるポーズのまんまだから自分は考えてると勘違いしてる思考停止だw黒ブチ の発言 :wwwdraven の発言 :だからこそ、9条信者とかみたいな思考停止やら、論理の飛躍が出るわけだろうあれこそ思考しているっていうポーズのままの思考停止だよ黒ブチ の発言 :俺には思考っていうより、祈ってるポーズのまま思考停止に見えるよ。draven の発言 :あははwww黒ブチ の発言 :どうか改憲しないでください~。ってwwdraven の発言 :あれだよなw神を否定すると地獄に堕ちる並なすごい理屈だよなアレも9条改正すると戦争になるというどこでそんなことを刷り込まれたのかwどこでってまぁ大体解るけどさwバイブルの変わりに社会の教科書があるわけだw神父の変わりに日教組教員だw黒ブチ の発言 : :あとあれ、改正論者=戦争賛成ってのもよく解らんwdraven の発言 :そうそう・・・軍事を語ると、戦争好きな軍事マニアと言われるしなw愛国をを語る=ファシズムあの辺がどうしてそこまで飛躍するのかすごい知りたい黒ブチ の発言 :英霊を悼む=戦争賛美これもよく解らん。draven の発言 :うん。黒ブチ の発言 :全く別物のはずなのにな。draven の発言 :うん・・・ああいう回路こそ刷り込まれてんだろうなと思うファシズムはむしろ社会主義として登場したというのになwなぜ愛国と結びつけられるのかお前らそんなに日本が嫌いか?とw謝りたいならあんたが謝ってくればいいじゃん、とw黒ブチ の発言 :そうねぇ。draven の発言 :国家間では決着済み、それ以上なんかしたいならテメエが頭さげて来れば良いのに なにもそれを他人やら、政府やら、意見の異なる人にまで強制する意味もわからん知識を拒むしwなんかこう、反戦とか、イデオロギーが自分の存在意義にまで食い込んでるんちゃうかと思うそこを指摘されると奴らは人格否定された気になっちゃうのではと思ってしまうのかとか・・・心理学科、どう思う?黒ブチ の発言 :そうね、今までそれが正しいと信じてきたことが間違ってたなんてのは、大概の人間はすぐには受け入れられんだろうな。draven の発言 :まぁなぁ。しかし自分の考えとかっていうものが相対的なモノだっていうことを受け入れられてないんだとしたら結局、なぁなぁの日和見主義的で予定調和な議論しか行わない日本の教育の功罪を感じたりもする日教組がどうのとかいう間でもなくなああいう人たちが相対性理論とか勉強したら自分の存在に自信なくして自殺しちゃうんじゃないかと思うよwww黒ブチ の発言 :う~ん、物事、特に歴史はこれが絶対なんて事は言い切れるものじゃないし、 そういうものからくるイデオロギーを自らのアイデンティティーにするのは危険だろうね。draven の発言 :うん。そう思うなウィキウペディアっていうサイト知ってるか?あそこの歴史修正主義のトピックにあるんだが黒ブチ の発言 :辞書みたいなサイトだよな。draven の発言 :そうそう。:そもそも、現代哲学では”客観”っていうものは絶対的に存在は出来んとされてると歴史も結局そうであるし。ある程度相対性は持たざるを得ないみたいなんもあるしまぁだからといってあんまり行きすぎるとあれだ”昨日の晩飯がハンバークだったとする歴史の一次資料は何処にもない”というようなアホな話にもなるしな。黒ブチ の発言 :wwdraven の発言 :わしらが証拠なりとか根拠としてるもの自体も相対性はある程度意識しといた方が良いんかもしれんがただ、修正主義的な立場の人間ていうのは結局自虐史観っていうやつに育てられた末に:その根拠となった写真なり、被害者の証言なりっていうものの相対性っていうのを発見してしまったが故に修正論者になることが多いだろう?黒ブチ の発言 :そうだな。draven の発言 :元から右翼思想をもって修正主義をヤル人間など俺らの世代にはまずおらんわけだ。そういう意味ではやっぱり護憲反戦っていうタイプの人間の方が根拠やら、思想っていうものの相対性を意識してなくて危険な気はするよな******************************
2004年08月17日
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今日の私はソフト路線。なるだけ冷静、客観的に、かつ簡単に言えばこのテーマには(勝手な命名なので異論反論もございましょうが)反戦派、国防派、というのが大まかに分けておられるでしょう。私はある一定の立場がありますが、それは割と置いておいて(自虐も厭わず)勝手に纏めると●反戦派・・・何はともあれ、戦争反対。LOVE&PEACE。(古!)自らを問答無用で常識派で良識派だと思っている。いやむしろ信じている。しかしその信心が最大の長所かつ最大の弱点となってしまうことも多い。自らは常識だと思っているので、”学級会”レベル以上の持論への反応は予想外で、そもそも”反論される”と言うこと自体に過剰な反応をする事も多い。賛同が得られると思って書くのに味方が思ったより少ないことにあわてふためき、”ネットには右翼が多い”と思うことで自らの立場の正当化と精神安定を図る。(多分)付和雷同という言葉はネットにはない、という事実を嫌という程思い知った末、思わず削除を繰り返してしまい、国防派に不興を買う。信じる力の強さの割に持論を支えるべき根拠、証拠、資料が薄弱だが、その事自体を認識していない事も多い。ソースを要求された時や、またはそれらの信憑性を検証された時には即、”反論=悪意”と言い切り議論を拒否、またはそのまま感情論に雪崩込んでうやむやにする事が多い。よく言えば被害者心理を理解する感性には鋭い。しかし、”加害”の理由、事情というものを察する能力は反比例して低い。国防派の知識量や痛いところを突く指摘に対して”軍事オタク”、”右翼”、などという、或る意味、ごく効果的な言葉で対抗。国防派は”常識と良識”、”被害者心情への理解”が足りないと思っている。(多分)●国防派・・・外交としての戦争という存在、また先の日本の戦争の当時に於ける国際関係的な妥当性や、外交交渉上の戦後処理の解決を主張する。自らは左傾化した日本でマイノリティーではあるが、国際的にはごく、常識派だと思っている。決して戦争が好きな訳ではないが、それを反戦派に理解してもらうにはオタク的雰囲気と小難しく、冷静過ぎる評論家口調が大きな壁となっている。まずは”軍事知識≠戦争好き、改憲≠即戦争、愛国≠ファシズム”、というそれだけのことでも解って欲しいのだが、日教組教育をそれと知らず自然に受けいれて来た人間は手強い。たまに小馬鹿にしたような文体になるのはそういったストレスの密やかな発散(多分)だが、根気よくレスしつつも”アホか~”とか、は決して口にしないのが、おそらく反戦派を大きく凌ぐ強い冷静さと理性の賜物。しかし、丁寧なレスが”荒らし”に準じるものと受け取る人間もいる。が、”真実”を伝えたい、という使命感はそういったデリカシーを凌ぐ。独自の近寄り難い雰囲気と、強硬なイメージ、または時には実際、強硬さそのものを持つ。冷酷なまでに論理的で、歴史的な認識に裁判的手法を用いる。多分そこが”情”の国ではなかなか受け入れられにくい所以でもある。”血が通ってない”、”感情がない”と言われる。論理的かつ冷静であろうとすればするほど、反比例して情熱や執念は反戦派の想像を絶するモノになり、引かれることも多い。ソースや資料が豊富だが、時には”提示するソースが偏っている”との指摘もあり。しかし、得てして反戦派よりもソースは豊富かつ、正確。反戦派は”知識と国際感覚”に乏しいと思っている(多分)一応、私は後者に近いと思うのですが(はい、そのものです、ごめんなさい。)自己反省も込めて、一つ二つ双方について思うことを。っていうか、互いに話をして意見を交換せねば成り立たないでしょう?まず、自分らのような主張を持つ人間の問題点ですが、(自戒込)話をするときに導入をもうすこし柔らかくすべきかもしれません。朝日新聞的な常識をユニバーサルスタンダードと思っている方には、多分私たちが当然と思っている思考回路やら、知識、ソースを突然提示しても、”うわ、極右が来た!”と思われるだけに終わるかもしれません。まさに、某あれじゃないですが、ソフト路線から入るべき所もあるんじゃないでしょうか。ある程度の信頼関係や、親しい雰囲気を作り上げ、(甘いと言われるかもしれませんが)相手を一人の人として接して議論を繰り広げれば、互いにもうすこし言葉が柔らかく出来るでしょうし、信頼関係を元にした議論であれば、互いにもっと得ることろがあるかもしれません。何より激しい議論の後でも楽しく他の話題に花を咲かせることも出来るでしょう。同じ考えの人間だけでかたまるだけではなく、対話の前提としてお友達になる、ということをもっと考えた方が良いかもしれないです。なんというか、もう少し殺伐としない方法を考える、というか・・・それから、反戦派の方について思うところですが、反論されるということを自分を否定されたように思わない方が良いかと思います。貴方の常識が全ての常識でなくて当然です。確かにこちら側の意見は一見過激に見えるかもしれませんし、文体も排他的に見えるかもしれませんが、そんな恐い気持で反論しているわけではありませんし、誰かを傷つけてやろうなどとは増してや考えているわけでもありません。そして、他人の意見に目を逸らさず、少しは反論を冷静に読み、耳を傾け、相手が言うていることの妥当性を少しは調べてみることも場合によっては必要ではないでしょうか。(後でも言いますがそれだけデリケートな話題ではあるわけです。)そして自分の意見は間違っているかもしれないという意識を少し持つ方が良いのではないかと思います。そうやって調べた末、やっぱり相手が違うならそう言えば結構なことであって。こちら側はそれから目を逸らしたりは決してしません。今日日、ちょっと調べるなんて検索エンジンも発達して大して時間の掛かることではありません。私たちだって所感や感情のみが綴られた日記にわざわざ反論を提示したりはしません。ある程度の間違っていると思われる断言や、決めつけ、思いこみを見るからこそ書き込むのです。子供ではないのですから、それなりにデリケートな問題であることは承知でしょう。生半可な気持であればこういった話題には下手に触れないのが賢明だと思います。こんなこと書いててなんですが、意見が違おうとなんだろうと、知りあいの輪が拡がるのは良いことですし、異なる人と知り合うのは悪いことじゃありません。今でこそこんなこと書いてますが、私のサイトは鬱ネタだったり、SMだったりノロケだったり、多重人格ネタだったり、児童虐待ネタだったりするわけです。このネタでは一緒でも、あのネタでは相容れないかもしれませんし、このネタでは相容れなくても、あのネタでは意気投合かもしれないわけですよ。お前が言うな度120%でしょうし、余計なお世話だよって言われるでしょうけど、互いに心を広く持ちましょうや。
2004年08月16日
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右も左も無く、理由はともあれ実際、今日は”敗戦”の日であります。自虐的に言うていた時期もありますが、何より一度考えてみるべきは”なぜ負けたのか”ではないでしょうか?高校の頃、(※注)隠れアンチ日教組の社会の先生が言うておられました。「日本人はずっと、”平和”という名の下に”軍事”を学ぶ重要性を軽視しすぎたんだよ。防衛大学で軍事を学んだ、お父さんが自衛隊員だ、って大きな声で言えずに来た。これは大体おかしなことで、平和と軍事は表裏一体で、軍事を知ることなく平和はあり得ないし語れるものではないはずなんだ」と。全く以てその通り。軍隊、軍事について語ること、それらを考え、また場合によっては整えることをタブー視したところで仕方ない。言い方は悪いが、ゴミ箱に蓋をしたってゴミは無くならないのと一緒だ。(一応言うておきますが、軍隊、自衛隊などを私がゴミを思っておるわけではありません。まぁ思っておる方々もおるのでしょうが、私は少なくとも感謝しております。)いくら良い印象はなくとも目を逸らしたところで平和は来ない。タブー視し、目を逸らし、9条と言うだけでヒステリーを起こすようでは、問題の先延ばしは出来ても、来るべき平和も来はしない。(※注:日教組を抜けると職員室であからさまに仲間はずれにされる。でこの先生も”付き合い”で入らざるを得なかった。曰わく、「今でこそ○○先生、おはようございます~。とか言ってもらえるけどね、組合抜けたら職員室入ってもだ~れも何も喋ってくれないかもしれないからね。(笑)組合費払うたびに、社会党に払う金があったら学校で一人弁護士でも雇えば良いと思うんだけどね。」ちなみに、実際、教職員組合を抜けたうちの母親の話では、”他の先生には配られるプリントが自分の机の上には配られない”など様々嫌がらせはあるらしい。)******************************ここより追加。少し弟と話していて出てきた話なのだが9条守るべしという方々がいるわけだ。”戦争反対”のテーマにも。戦争反対=平和憲法厳守というのは一見、とても当然のように見えるが、こういうことを言う方々の論理の飛躍というのもすごい。平和憲法の改正=日本が戦争をするこれは可能性としては正しい。ここまでは良いだろう。平和憲法=日本は安全平和憲法改正=日本は安全でないというのはどういうことか?9条、平和憲法を守ろうと、放棄しようと変わらないことだろう。この、憲法改正議論を止めたら、北朝鮮はテポドンの射程圏内から日本を外してくれるのか?平和憲法であろうがなかろうが、世界情勢の中で日本が戦争に巻き込まれるリスクっていうのは常識的に考えればほとんど変わらないだろう。色んな意味でもうすこしで後がなくなる北朝鮮や、チベットで坊さん殺しまくったことは大きい声で言わない上に、なんかあったら台湾攻め落としたい中国のような、サヨクの皆さんは大好きだろうが、どう考えてもアブナイ国が「あ~本当は日本攻撃したいんだけど、平和憲法の素敵な国だから、戦争するのはやめちゃおうカナ♪」とか言うと本気で思ってるのだろうか?”暴力反対”の意思表示があれば、絶対に喧嘩に巻き込まれることはないって言うてるのと同じことじゃないのか??日教組の教育が悪いっていうのも本気であるだろうが、それにしてもそんなことを、(イデオロギー的な意図があってならともかく)本気で信じて居るのであればちょっと、目を覚ました方が良いのではないかと思う。あまりにもそれは頭の中ファンタジーです。あまりにもそれは頭の中お花畑過ぎます。性善論で国際社会渡っていければ、そもそも平和憲法なんか作る間でもなく、もっと言えば軍隊なんてそもそも持つ間でもなく、戦争なんて起きてないでしょう?
2004年08月15日
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敢えて他の方の日記に便乗したようなことを書かせて頂きたい。(修正の繰り返しで申し訳ありません。本当に。何度もバンバン上に上がって行っちゃって、他の投稿者の皆さんに不快な思いをさせてしまっていたら本当にお詫びの申し上げようもありません・・・一部の人間が「戦争反対」というテーマにふさわしくない日記を書いている、と言わんばかりの事を仰って居る方が居るようで、またそれに関して反論している方も何人かいらっしゃる。誰が書いて誰が反論したかなどと具体的にリンクを貼ることまではしないが(しても良いならするけど)要するにこういうことだ。 一部の人間は 「戦争反対」のテーマなのに 平和を愛する素人の 言葉のつまらない断片を取り上げて 自分たちの知識をひけらかし 被害者の心情も理解できぬ 冷酷で常識はずれな神経でもって 揚げ足を取るというような感じだ。それに対して 自分たちと違う意見を ”荒らし”のように扱い ”戦争賛成”、”戦争が好き” などというレッテルを貼り 意見を削除、閉め出すような 一方的な言い方はいかがなものかというわけだ。パクリだとかそれこそ重箱をつついた揚げ足取りだとか偏向報道(笑)だとか、謝罪と賠償を(以下略)などと感じる方がいらっしゃいましたら、言うてください。公平にリンク貼らせていただいたり、日記ごと引用させてもらっても私的には全然OK。あ~なんだか覚えがちらほらあるようなないような。と思いながら双方の主張を読ませて頂いたりしたのですが、私の考え方としては・この世でおそらく一番愚かなものは”思考停止”である。・疑うことと、考える事を否定するのはカルト宗教とほぼ同じ。・”戦争反対”という目的に至る方法が違う人間をなにも”悪者”扱いする必要はないのではないか・異なる意見を”悪”と決めつけ、抹消し締め出そうとするのはまさにファシズムなのではないか?・知らない、を理由にするならともかく盾にして正当化するのは卑怯ではないか?知ることを拒否してるようにしか見えない。「平和」とはそもそも何?「戦争」とはそもそも何?それさえ相対的であって当然ではないか?私たち、日本の”平和”で”豊か”な暮らしというのだって多くの貧しい国を踏みつけ、その足の指を舐めさせて、時に直接間接、踏み殺すことによって成り立っているのもまた一つの事実。それを見つめるのが嫌であれば、今日から(搾取の賜物であるはずの)安い安い輸入食材を買うのは止めて、果ては電気を使うことさえも止めるか、それを受け入れて暮らすか。では皆がそうすれば南北問題と数々の紛争が解決するかというとさにあらず。方法も結果も一つではない。様々な意見があって良いではないか。一般に言われる、暴力は暴力の連鎖を産み、憎しみは憎しみを呼ぶ、というのだって、全く正しいだろう。しかし、士郎正宗の漫画にもあったが目の前で行われようとしているレイプに対しては説教ではなく力が必要なのもまた事実。人間、自分は犠牲になろうとも、自分の愛する人間を守るのに手段は選ばない。それはもう彼女が父親に犯されたり、母親が金の為に男に犯させたりした日にゃ私も”あ~俺も絶対、人殺せる・・・”と遠い目で思ったものだ。もういつでも殺せる、うん。(笑顔)戦争を”しない”、というだけの”平和”という名の”反戦”の為に、自らの愛する者、恋人や伴侶、子供や親を失っても良い、という崇高な不感症患者の平和主義者がいらっしゃるならその方には私は何も言わない。物事には複数の側面がある。同じ目的に対しても異なるアプローチがあろう。衝突もあって当然。物事の、一側面しか見ず、他の方向から見ることを否定しては盲目になるばかりだ。しまいには何も見えなくなり、理性を失った物事は往々にして間違っている方向に多くの愚かな力でによって歪められてしまう。無論、もしかすると私はこうやって”一概に否定する者”を”否定”しているのかもしれない。なんだか難しいループ思考に入りそうな気もするが、私は一応、一方的な見方しかせず、他方を否定する方々を否定する”つもり”はサラサラない。しかしその盲目に否定的な意見に対して批判と議論をしたいだけであって、思考停止も、決めつけもない、ニュートラルな状態であらゆる意見に接することはできる。何より目を背けるなど愚の骨頂だと思うわけだ。「無知の知」っていうのを意識はしているつもりで、私の言うことにも、知識にも穴は沢山あるはずだ。だからと言って私も自分の愚かさを隠すつもりはないし、理性的で筋の通った意見と新しい知識、そし議論の広い間口と寛容さえあれば、私も明日には180度意見が変わっているかもしれない。けれども、今のところ、変わる程のものがどうも、疑問を感じる先にはない、というだけだ。なんだか思うことをつらつら脈絡なく書くとまとまりが悪い。ごめんなさい。基本的にはやっぱり私の馬鹿丸出しな文章ですが・・・_| ̄|○ただ、テーマという”場”というものがこういうものを受け付けない、”否定”され”抹消”されるべきものに満ちているなら、私は楽天をやめてしまうだろう。******************************例えば、だ。別に逃げ道としてこういう事を言いたい訳じゃない。もしかしたら8月6日前後に書いたかもしれない話だし(って読み返しとけよ、自分・・・)反論も当然のことあるかもしれないが、こういうこと書いてる人間であるからこそ、逆に誤解の無いように言っておきたい。私は、戦争という行為に起きる現実は残虐で悲惨なものであると思っている。広島に生まれ育ったのであるしそれはよくよく見知っている。愛する人間の身体が、誰だか判らぬ程、焼け焦げることも有るかもしれない。脳髄や内臓が飛び出すかもしれない。皮膚が焼けただれ、水を求めながら死ぬかもしれない。そういった状態を好む人間はあまりおるまいと思う。平和に安寧に愛する人間と人生を送ることを好むのは当然だ。純粋に平和を想う心があっても全然構わない。むしろ私とてそういった気持はある。しかし、そういった想いを振りかざして(もしくは実際被害者を利用して)あたかも、戦争とくれば全て”悪”で、手段として仕方なかろうと支持するお前は皆ファシスト、というような言い方に果てしない違和感を覚えるだけなのだ。殴られれば誰だって痛いし、喧嘩などしたくない。傷つけたくもないし、増してや傷つけられたくもない。基本的には暴力反対、だ。私とてそう思う。しかし、先ほどのレイプの話だが、”暴力反対”というのを絶対の信条(もしくは信仰)にしてしまって、自分の彼女がレイプされていようとも絶対に相手に暴力をふるわないと言う人間がいたなら私は一応、その人間の神経を疑う。しかし、私はとてもそうはしないが、その人間は好きにすれば良いと思うのだ。信条であれ、信仰であれ。しかし、一つ言わせて欲しいだけなのだ。もし、今や私の彼女がレイプされん、という状態に於いて、手近な棒きれをレイプ犯に振り下ろそうとする私に”君、暴力は止めたまえ!それは悪だ、相手がどうあれ残酷な行為だ”などと全く他人事に対して非暴力を強制しようと説く人間が居たなら、いやむしろ実力行使によって、私の暴力を止めようとするなら、私はレイプ犯の前にそいつを殴り飛ばす”権利”(笑)くらいはあると思うのだ。
2004年08月14日
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高校野球にしろ多少あれそうなのだが、アテネ。メディアが一色に染まるのは興味の無い人間にしてみれば迷惑千万。大体、だ。何故、”ナショナリズム”をあれだけケチョンケチョンに言う一部マスコミまで”日本頑張れ”一色だ。何故、スポーツだけあれだけの扱いだ?それが所詮、文化程度ってモノなのだろうか。バイロイト音楽祭も、モントルージャズフォスティバルも、フジロックフェスティバルも、テレビでニュースにもならねば中継もされんのに。このオリンピックの盛り上がりはどうだ?やっぱり、結局、皆どうこういいつつナショナリズムが激突しない音楽にはエキサイトメントを感じないのか、所詮、ビッグな商業主義には勝てないものなのか・・・。
2004年08月13日
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なんだか自分でも書いてて頭使う日記が多かったのでどうでも良いことを。コーラ買ったんですよ、コーラ。なんとなく炭酸飲料が飲みたくて、特売175円のペプシ1.5リットルペットをかごにつっこんだのです。しかし、その後スーパー内部を徘徊していると発見したのが、354mlで40円の安ーいコーラ。自炊される方とか主婦の方ならお判りかと思いますが、あの”USコーラ”って奴ですよね。ここで主夫dravenの頭は(これしきで)フル回転。○ペプシは175円÷1500ml=ミリリットル単価約0.1円ちょい○怪しいコークは40円÷354ml=やっぱりミリリットル単価0.1円ちょいさぁ、貴方ならどうします?そこで私は考えました。(約0.3秒)・味なら多分ペプシが上・でも1.5リットルペットって最後の1/3(500ml弱)くらい炭酸抜けてマズイ・底に残った約500ml炭酸の抜けたペプシよりは、多少味が落ちたとしても、絶対350ml缶開けたて炭酸たっぷりの方がウマイんちゃうか?・多少マズイかもしれないコーク>炭酸の抜けたペプシということで、ペットボトルは棚に戻し、怪しげなUSコークが現在私のおうちの冷蔵庫に鎮座しておられます。まだ飲んでません。ちょっと気になります。マズかったら、ご報告します(苦笑)
2004年08月10日
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さて広島と長崎と出そろったところで各国に対する記述を大まかに整理してみました。******************************●広島市 ・アメリカ・・・・『米国の自己中心主義はその極に達しています。国連に代表される法の支配を無視し、核兵器を小型化し日常的に「使う」ための研究を再開しています。』 ・北朝鮮・・・・『また世界各地における暴力と報復の連鎖は止(や)むところを知らず、暴力を増幅するテロへの依存や北朝鮮等による実のない「核兵器保険」への加入が、時代の流れを象徴しています。 』 ・日本・・・・『日本国政府は、私たちの代表として、世界に誇るべき平和憲法を擁護し、国内外で顕著になりつつある戦争並びに核兵器容認の風潮を匡(ただ)すべきです。また、唯一の被爆国の責務として、平和市長会議の提唱する緊急行動を全面的に支持し、核兵器廃絶のため世界のリーダーとなり、大きなうねりを創(つく)るよう強く要請します。さらに、海外や黒い雨地域も含め高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。』●長崎市 ・アメリカ・・・・アメリカ市民の皆さん。59年間にわたって原爆がもたらし続けているこの悲惨な現実を直視してください。国際司法裁判所の勧告的意見は、核兵器による威嚇と使用が一般的に国際法に違反することを明言しています。しかし、アメリカ政府は、今なお約1万発の核兵器を保有し続け、臨界前核実験を繰り返しています。また、新たに開発しようとしている小型核兵器は、小型といっても凄まじい威力を持つものです。放射線障害をもたらす点では、長崎に落とされた原爆と違いはありません。世界の超大国が、核兵器に依存する姿勢を変えない限り、他の国の核拡散を阻止できないことは明らかです。アメリカ市民の皆さん、私たち人類の生存のために残された道は、核兵器の廃絶しかないのです。今こそ、ともに手を携えてその道を歩みはじめようではありませんか。 ・日本・・・・『日本政府に求めます。日本国憲法の平和理念を守り、唯一の被爆国として、非核三原則を法制化すべきです。この非核三原則と朝鮮半島の非核化を結びつけることによって、北東アジア非核兵器地帯を生み出す道が開けます。それは同時に、日朝平壌宣言の具体化にも合致し、また、日本自らが核兵器に頼らない独自の安全保障のあり方を求めることにもつながるのです。』 ・北朝鮮・・・・『この非核三原則と朝鮮半島の非核化を結びつけることによって、北東アジア非核兵器地帯を生み出す道が開けます。それは同時に、日朝平壌宣言の具体化にも合致し、また、日本自らが核兵器に頼らない独自の安全保障のあり方を求めることにもつながるのです。』******************************纏めるなら・アメリカに関して広島:”自己中心主義”等への批判長崎:”悲惨な現実を直視する”よう、ソフトに批判・日本に対して広島:アメリカ追従批判、被爆者福祉を求める長崎:非核三原則の法制化求める(残りは後述)・北朝鮮に対して広島:”時代の流れを象徴”一例として取り上げるのみ長崎:何故か日本が非核三原則と結びつけねばならぬらしいええと・・・なんというかまず、広島の平和宣言では北朝鮮への記述がアメリカや日本への批判的論調に比べてとてもとてもソフトで”あらまぁ”って感じだったのですが、長崎に至ってはそもそも北朝鮮に関する記述は『日本政府に求めます』という段落中に含まれます。しかもです『この非核三原則と朝鮮半島の非核化を結びつけることによって、北東アジア非核兵器地帯を生み出す道が開けます。それは同時に、日朝平壌宣言の具体化にも合致し、』って・・・日本政府に求めているわけですから、やっぱり日本政府が”非核三原則と朝鮮半島(よく考えたら”北”って言ってねぇじゃん)の非核化を結びつけ”るべし、というてるわけです。・・・・よ・・・ねぇ?っていうか、非核三原則と北朝鮮の核と・・・なんの関係があるのですか・・・?意味・・・・不明なんですけど。北の非核化を推し進める為・・・にはほら、色んなカードがあるはずじゃない?圧力とか圧力とか圧力とか。もう米なんて一粒もやらんぞとか、パチンコ禁止しちゃうぞ、とか、日本国内の麻薬の取り締まりをもっともっと厳しくしちゃうぞとか、マンボンギョン沈めるぞ(゚Д゚ )ゴルァ!!とかでもええやん?(不眠の為、壊れ気味)なんで非核三原則が関係あるの??っていうか日本政府に求めるなよ、北朝鮮政府に求めてくれよ(苦笑)最後に・・・どうでも良い事ですが広島市の平和宣言では日本政府に『高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。』とあります。これに関して、戦時を生きた、被爆者の妻であるうちのばあちゃんの名言を書き記しておきましょう。”まぁ~市民病院やら行ったら被爆者手帳持ってから、よーけぇ(広島弁:沢山)年寄りが待合室社交場にしておってからに。は~(広島弁:もう)あんなもん歳も取りゃ被爆者じゃろうがなんじゃろうが腰の一つも痛とうなるわいね。”******************************P.S. そう、レスを打って居て思いだしましたが、核云々というなら、なぜパキスタンの名前が出てこないのか・・・・もっと言うと中国とか。北東アジアの非核化ってのは、北朝鮮もさることながらが、中国の非核化も絶対必要条件ですものね・・・******************************綺麗事でもなんでもなく自分と異なるものをまるで悪であるかのようにしか捕らえられない人間が居る限り平和などやってこようはずもないですよね******************************弟とこないだ話したとき”俺達はごくごく、中道だよな”という話になった。世間一般的なコンセンサスに多少の疑念を抱いてマスコミを鵜呑みにせずちょっと本を読んだりちょっとネットを調べるだけ
2004年08月09日
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平和記念式典であった。7日になれば、私もいつもの私に戻りますw6日には祈りと共に、何かとトンデモな報道も繰り広げられるからです。(平和記念式典の間に高樹沙耶が云々とかいうワイドショーを流す民放などそもそも論外なのかもしれないが)小泉総理やら岡田代表のインタビュー。報道を見る限り、所詮あれかと、政治の道具になってる部分も大きいのねと思いつつ。子供達の読み上げる平和への誓いを聞きつつ、”これはあれか?いたいけな子供達を教職員組合のイデオロギーを体よく再生するスピーカーに仕立てる新手の児童虐待か!?”とか思いつつ。しかもこんな日を選んでか、TBSが”731部隊の新たな証拠映像”とか言うて報道してたりする。まだ捏造し足りんのか!!!!!!!!原爆のニュースの流れる日を選んで流しているとしか思えん。皆さん、8月9日やら8月15日にはまた新たに旧日本軍の”戦争犯罪”とやらの証拠が出てくるかもしれませんので、毎日放送や朝日放送に注目しましょう。っていうか森村誠一がいくら再びドラマになったからと言うて、悪魔の飽食とか信じてはいけません。(解説してるサイトはいくらでもあります。)私が中学、高校の頃からだろうか?夏になるとやってくる平和学習というやつが、原爆のことを学習する方向から『ヒロシマ人だからといって、被爆者だからといって、被害者面してちゃダメです!私たちは日の丸と君が代の下、”慰安婦”で、”百人斬りで”、”南京大虐殺”なアジアにとっても酷い酷いことをした日本人なのよ!さぁ謝りなさい!どんどん反省しなさい!戦争をしたのは私たちの世代でも貴方達でもありませんが、爺さん婆さん達の犯した”大罪”を貴方達もドンドン謝りなさい!!!』という方向にシフトしてきました。ちなみに私はそういった授業でもって、『私らの世代が悪いことしたんじゃないじゃん?じいちゃんばあちゃん謝ってるんじゃん?総理大臣も謝ってるじゃん?金も払ってんじゃん?この上なにをして欲しいの?そんなことをしてるより、しがらみの無いはずの私たちの世代は日韓、日中の未来を前向きに考えた方が建設的では?』といった趣旨の感想文を書いて、危うく同和解放研究室だったかなんだったか怪しげな組合教師のたむろする部屋に呼び出しを食らいかけました。あの頃は私も子供で、こういう場では、解同やら原水爆やら朝鮮やらの団体がつるんでいて、その辺に対しては”言論の自由”など存在せず、楯突くとエライ目にあうということを知りませんでした。いたいけな高校生でしたこと。ちなみに組合を脱退した教師である私の母親はこの話を聞いて顔を青くして”組合系教師には変に楯突くな”と言ったものです。話は戻りますが、南京大虐殺も百人斬りも731もあの辺の話を容易に信じてはいけません。ああいったことを持ち出す団体というのは結構恐いので、むやみに刺激するのは個人としては賢い選択ではないかもしれませんが、だからと言って、こんな日に好き勝手言わせるのもどうかとは思います。南京大虐殺。”大虐殺”ですよ?30万人ですって。今でもまことしやかに報道されます。しかし、考えてください。当時、軍都であった広島市、40万人以上が住む市の人口密集地に原子爆弾という当時の最新兵器を投下して、8月6日に死亡した人が14万人です。うちの爺ちゃんたちも含めて、直接間接の原因、病死や事故死も含めて今までに亡くなった被爆者が23万と数千人だったと思います。それを当時人口20万人の南京でどうやって30万人殺すというのか。大体、本当だとしたら、物資に乏しい日本軍が、占領した街のパンピーを無駄に数十万人も殺すという、戦略的無駄はなんだ?刀で殺したとしても、何万本の日本刀がダメになることか。焼き殺すような無駄な燃料は何処にあったんだ?どこにそれだけの遺骨があって、証言者はどういう人間で(被害者だから信じるという理屈を超えた妄言は聞きません)、物証と一次資料は何処にある?頼むから、原爆という歴史的事実と、存在さえ怪しい旧日本軍の”犯罪”とかいうファンタジーを一緒くたにして、報道しないで欲しい。一部の団体の方々の頭の中がファンタジーなのは構いません。新興宗教みたいなもんです(爆)しかし、報道機関まで頭の中ファンタジーで一般に垂れ流しってのはどうよ?そういった報道しか目にしない人達はあれが本当だと思ってしまうではないか・・・・またまた、まとまりのない文章で申し訳ない。******************************私は広島生まれの人間であるから、原爆のことに関しては論が感情的になるところがある。そういう空気の中で育ってきた。街には今でも被爆建物が多く現役に存在し、街中の路面電車の敷石も多くは59年前被爆した石である。だた、一つ事実として、アメリカが原爆を落とさなかったならば、旧ソ連はもっと西側まで日本を占領し、日本は今のよう一つの国家として冷戦時の呼称で言うなら”西側”に付いてはいなかったかもしれない。それに、原爆で犠牲になったからと言って、皆が皆先の大戦に関して”全く”罪のない人だとは思わない。ドイツ国民とてそうだが、多くの人間は支持してああやって、現実的ヴィジョンのない戦争をし”負けてしまう”政権を誕生させ、そうでない人間も、それに抗し得なかった。一部の女性や子供などを除けば完全に罪がなかったとは私は言わない。広島は実際、日清戦争時、大本営が置かれるなどした”軍都”でもある。しかし、原爆というものが、そういった罪に対して妥当な手段として許されるとは私は思わないし、島国の閉じこもりがちなファンタジーに縛られがちな日本人は、原爆投下が、人種差別と無関係ではないことも認識した方が良いとも思う。ドイツに対抗して始めたアメリカの核開発ではあるが、日本人が白人であれば、あそこまで躊躇なく投下を決断はしなかったはずだ。あの頃の白人の多くは、日本人をサルだと思っていたろう。殺してしまおうとも、所詮は黄色人種。ABCCなどの存在はそういった意識をもろに反映している。むしろ、我々と同盟を結んだドイツ、イタリアの方が日本人のことをより人とみなしていたかもしれない。そういったことも考え合わせつつ。未だこのことを自分の中で完全に整理しきれては居ないようにも思う。しかし私には私の思想というものがある。至らぬ知識、矛盾点があればご指摘頂ければと。******************************
2004年08月07日
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8月6日。昭和20年の今日、午前8時15分、広島に原爆が投下された日であります。被爆何世というものの、定義は知りませんが、先ほど弟と話しながらそう言う話になったのですが、私たちというのは被爆3世というものになるのかもしれません。原爆投下時、祖父母4人の内、父方の祖母を除く当時3人が旧市内にあたる場所にいて、被爆しました。全員無事だったのは奇跡的なことかもしれません。私の生まれた街は爆心地から北へ約20キロ離れた、当時、亀山村と言われていた場所にあります。(現在の地名は違います)父方の祖父母は当時そこに。母方の祖父母は段原という、旧市街地市内から数キロながら、山陰になって直接的な被害を免れた場所に住んでいました。私の記憶では、父方の祖父は仕事で市内の宇品というかなり南の方で被爆したと聞いたように思います。8時15分当時、祖母は家におり、幼かった父の兄に当たる伯父に乳をやっていたそうです。爆心地まで20キロと遠く離れており直接的被害は無かったところなのですが、それでも、ものすごい音とともに窓が揺れ、そのうちに、遠く山の向こうでキノコ雲が上がったそうです。その後、黒い雨も降ったと言います。祖父が被爆した場所は爆心地から少し離れていたため、幸い祖父は無事だったようです。しかし全てが破壊された広島の街は道路を通っては方向がさっぱり解らない状態だったそうで、国鉄広島駅と宇品港を結ぶ宇品線という当時の軍用線路と国鉄(今のJR)の線路を伝ってなんとか20キロ離れた家まで歩いて帰ったそうです。その間に祖父も色んなことを見たのかもしれませんが、それについては、聞いたことはありません。母方の祖父母は、原爆の光線と爆風から、丁度山陰になった町でその時を迎えました。大きな爆音を聞き表に出た祖父は立ち上りつつあったキノコ雲に、ただごとではない、と家の中にとって返し、そのとき知りあいに借りていた当時では結構に高価な写真機を取り出し、立ち上ってゆくキノコ雲を15分ごとくらいに撮影してゆきました。立ち上り、上空に大きく拡がったキノコ雲の写真というのはよく見ると思いますが、段々と大きくなるキノコ雲を順番に地上から撮った写真は珍しいものなのだと聞いたように思います。この写真は原爆資料館にも展示されています。そのうち、無事だった祖父の町にも原爆で負傷した人たちの乗ったトラックなどが通っていったそうで、これも写真に撮られていました。祖父は放射線技師、祖母は看護婦と病院関係者だったのでその後の救援作業で被爆したのではなかったかと思います。その時のカメラ、結局その知り合いはその後、祖父の元に取りに来ることはなく・・・今は原爆資料館に寄贈されいるはずです。(記憶が曖昧ですみません、この祖父に関する新聞記事を見たのは小学生の頃ですので・・・)8時15分まであと数時間。8時15分には離れていようとも、広島に思いを寄せて、あの時失われた命に黙祷を捧げようと思います。
2004年08月06日
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パチンコって賭博だろ?北に金流してるんだろ?不正にっていうかその金で自国民さらわれてりゃ世話はない。なんにしたってもっと日本政府って朝銀、総連、パチンコなんか全体的に厳しい立場でよかったんじゃないか?マンボンギョンがどうなろうと良い。パチンコ取り締まったら一発だろに。別に差別を助長する気はありませんし、私はバリバリに公平な人間ですが(笑)事実として一つ。私の地元でパチンコ営業者の息子は私と同年齢で、転校以来中学には、ほぼ来ず。まぁ他校などと色々と繰り広げていたようですが、そこには詳しくありません。まぁ、母親が隣の学区の生徒指導だったのですが、名前を聞くことは多かったです。卒業式には赤と黄色で頭を塗り分けて登場し、失笑を買いました。卒業後は暴走族のリンチで人を殺し少年院へ行ったものです。あの人殺し少年犯罪人はどうなったのか私は知りません。地元で聞いたら解ることですが。今では出所しているはずですよね。親の職を継ぎ、賭博で稼いで北に送金してらっしゃるのか、はたまた暴力団の構成員になっているのか。こういうステレオタイプな人間をコミュニティー内できちんとして行かねば、閉鎖的な上、そういうガラの悪い集団で有る限り、日本に於いて(というかどこに於いても)疎まれるのは当然です。それを過去の清算、差別、人権問題としてうるさく言うのはどうかと思うのですよ。それは別問題じゃん。差別を助長する原因と、そもそもの差別の原因。どちらがタマゴかニワトリかじゃないのですよ。相互努力だろ?それって。外国人によって、自国民の雇用が奪われるということはそこまで実は多くないと言われています。排他運動というのはそういう風に起きるのではない。ヨーロッパでの外国人排斥運動はどうやって起きていると思いますか?伝統的で平和だった街に、外国人が入ってきてたむろして事件を起こすから、嫌がられるんです。治安が悪くなるからなのですよ。礼儀正しい外国人ビジネスマンに対して”帰れ!”ということなどありません。******************************想像してみれば簡単なことです。考えてみてください。 貴方の街に外国人達(国籍は特定しません)が入ってきます。彼らは決して街の人達となじむことはなく閉鎖的なコミュニティーを形成します。別に街の雇用は大きく変わりませんが、今まで平和だった街に暴力事件や窃盗事件などが起こりはじめます。ガラの悪い外国人達のたむろする公園や広場では今までのように子供達を安心して遊ばせることも出来ません。 そのうち街の人々は外国人たちの一部がギャングを形成していることを知ります。街を上げて彼らを追い出そうとするのは当然のことです。今までの平和な街を取り戻したいだけです。そういった思想を持った政治家を選ぶのも当然のことです。 さて、街の人々は平和な街を取り戻そうと団結してアクションを起こし、議員も選出され、地方行政もそういった住民の声に応えようとしはじめたそのころ。どこからともなく、マスコミと”人権団体”を名乗る人間達が現れ、街の役所や議員の事務所を取り囲み口々に”外国人にも人権があるんだ!!”、”ファシストめ!!”、”差別主義者!!”などと叫び始めます。街の人たちは何事かと呆然です。彼らの言っている意味がさっぱり分かりません。マスコミのリポーターは街の人々の意見など聞く様子もなく、いつものガラの悪い外国人達や、人権団体にインタビューを行います。外国人:”ここでは俺達は酷い扱いを受けるんだ”人権活動家:”こういった人権侵害やナショナリズムを許してなりません!”街の人々はようやく彼らの意図を掴みます。そして、”私たちの話も聞いてくれ!!”と思うのです。そしてしびれをきらした街のおじいさんが一言リポーターに言います、”ワシの話も聞いてくれ。奴らが来てからワシらは夜なぞはおちおち外も出歩けなくなった。奴らが何もしないならいい、しかし、こんなままじゃ、奴らに出て行って欲しいと思う。”しかし、街の人たちは次の日のニュースを見て愕然とします。おじいさんの発言は編集されて”奴らには出て行って欲しいと思う”というところだけしか放送されなかったのです!これではおじいさんがただの差別主義者のようです。その後も、街の人々の団結による”街を前のように!”という運動は各団体のギャングのごとき圧力とマスコミの偏向報道により様々な攻撃を受け、街は全国から”閉鎖的で保守的な地方都市、右翼勢力の温床”などというレッテルまで貼られてしまい、頓挫してしまいましたとさ。街の人たちは”おいおい閉鎖的なのは外国人達の方だろう!?俺達は別に仲良くしないなんて言ってはいないぞ!窃盗とか傷害とか殺人事件とかギャングをなんとかしてほしいだけだ!!”と思うわけですが、声をいくら張り上げようともそんな意見がマスコミで採り上げられることなど、全くあり得ないのでした。ちゃんちゃん。******************************
2004年08月05日
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『一般に新聞紙の目的とするところは、真実を追究するよりも、むしろセンセーションを作り出すこと-議論を立てること-だということは、憶えていなければいけないね。さきの目的はただあとの目的と一致するように思われるときにだけ追求されるのだよ。普通の意見に(その意見がどんなに根拠のあるものとしてもだ)同意しているだけの新聞は、愚民(モブ)の人気を得るもんじゃない。大衆というものは、一般の考えに辛辣な反対を述べる人だけを考え深い人だと思うものだよ。推定においても、文学と同様に、いちばん早く、またいちばん広く理解されるのは警句なんだ。どっちの場合でも、そいつはいちばん価値の低い代物なんだがね。』(アラン・ポー「マリー・ロジェエの怪事件」佐々木直次郎訳)この文章は、150年ほど前に発表されたものだ。「マリーロジェエの怪事件」という実在の事件をモデルとした推理短編の中で、根拠のない下らない議論を展開する当時の新聞に対してオーギュスト・デュパンが口にした台詞。デュパンの口を借りたポーの本音でもあろう。が、新聞も、当時はメディアとしては存在しなかったテレビも、マスメディアは結局この150年前からなんら変わっていないということが良く解るだろう。結局、メディアのやっているのは、愚民を侮った根拠のはっきりしないセンセーションの喚起であって、真実の追究ではない。150年後でも、この台詞はそのまま今の新聞に当てはまる。なんだか悲しい気分になる。
2004年08月04日
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デザイン変わっちゃいましたね・・・軒並み周りのお友達からは不評だったりしますけれどもw
2004年08月03日
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