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(続きです、1からよんでね) 彼がいってみると、本当に岩ばかりでした。そして、そこには文字通り、吹けば飛ぶような掘っ立て小屋が建っていたんです。「これが、その小屋だよ」 弟が、われわれに写真をみせてくれました。「うひゃ~、砦の見張り番の小屋だね、まるで」グレッグと私が、さけびました。「ところがさぁ、これをみてよ。絶景なんだよ。だ~れからもじゃまされない、360度の眺めなんだ。それにほれちゃってさ、船をうって買ったんだよ」「え、もう買ったの?」「善はいそげだ」 それからが大変でした。まず、自分でたてるにしても車が入れる道をつくらなければなりません。それには大岩もどけなければなりません。それで、ダイナマイト師をやとって爆発させて道をつくったのです。その辺も、いかにも大陸っぽいでしょ?それから、七年間、三時間の道のりを毎週末かよって、コツコツと基礎からはじめ、グレッグや私も時々、手伝いにいきました。1DKの小さな小屋です。 そのうちに、地続きの隣のおじさんからも「オレの土地もかってくれ」とたのまれて、また二束三文で買ったので、いまでは膨大な土地のもちぬしなんです。 実は、私も前の夫と一緒に20年もかけて100坪はある三階建ての家を二人でたてたのですよ。海のみえる丘でも、やはりドロ道しかなくて道までつくっちゃったのですが、夫はエンジニア、しかも、ストラクチュア・エンジニアといって、力学の専門でしたから、それは、頑丈な家をたてました。 私は日本をでる前から、アメリカはパイオニア精神にあふれている国だから、男みたいに、なんでもやる覚悟だったのです。それで、三階建ての天辺までのぼって屋根までとりつけましたよ。ですから、大工仕事はもちろん、私はちょっとした水道工事でも、左官屋からペンキ塗り、電気の配線もできるのです。 17年間、日本にも帰られませんでした。子育てをしながら、ピアノを教えながら、舅のカード業をてつだいながら、学校のボランティアーをしながら、スーパー・ママといわれて、建てたのですよ。地上20メートルの上のキャタツにのっかって、釘をうち、ペンキをぬり、重いものを運び、何度もけがをしそうになったり、失敗に失敗をかさねてたてたのです。(続く)
2005.03.31
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昨日のブログに入りきれなかった写真です。これは、台所のクッキング・レンジの後ろの窓からの眺めです。 グレッグの弟は、ひとりぽっちでおおきな場所にいくのがすきらしく、昔は、クルザーをもっていて大海原を乗り回したり、オートバイで、だーれもいない、大きな砂漠をぶっとばすのも趣味にしていました。そうこうしていたある日、西部劇にでてきそうな、へんぴな町の埃だらけのサルーンで、ビールをいっぱいひっかけてるときに、仙人みたいなヒッピーおじいさんにめぐりあったそうです。「あんた、このへんの人じゃないね」「うん、ニューポート・ビーチというところにすんでるけど、もう可なり発展した町でねえ、どこみても車と家ばっかりで窮屈になってきた。いいなあ、こういうところ」「ビーチか、いい生活してんだなあ。贅沢なモンクをいう人だ。うらやましいよ。ここは、小さな町にさえ住むこともできない貧乏人が、流れてきて、食うのにやっとって人の土地でさ、な~んも、ないところだよ」「それが、いいんだよ」「じゃ、わしの土地かってくれるか?」「土地って、家、建てられるだけあるの?」「15エーカー」「ぎょ!何百軒もたっちゃうじゃん!そんな広大な場所、買う金ないよ、おじさん」「$10,000(約100万円)でいいよ」「え!全部でかい?信じられないなあ」「いや、岩山のてっぺんの八方塞りのとちでね、道もないんだよ。ワシはもっと安く買って自分で掘っ立て小屋をたてたが、徒歩でしか、行かれないんだよ」 ま、このような会話になったのだそうです。〈続く)
2005.03.30
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ただいま~~。山から、かえって来ました。ちょっと、いそがしいので、エッセイは、あしたからいれますので、今日は写真だけね。グレッグの弟が、ひとりで、こつこつ建てた山小屋です。寝室は、3方、、、眺めがきれい、これは、ベッドに横たわるとみえる眺めです。IMG SRC="http://plaza.rakuten.co.jp/img/user/55/71/18825571/97.gif" width="247" height="330" alt="台所からのながめ">台所に、まどが、3ッありますが、そのひとつの眺め、どの窓からも、絶景なんです。ストライプ・レーサーだよ、きれいだろ?ヒロコも、もってみるかい?きゃ~、けっこうです!
2005.03.30
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娘のジュンとグレッグがたまごに、デザインをしてます 息子のブルックと嫁のイリナも、デザインしてます それを、枯れ木の枝にしばりつけたのです。今日はイースターなんです。(キリストの復活祭)子供達が小さかった頃はエッグ・ハントといって、キャンデーやら色のついたゆで卵を、庭のあちこちにかくして、それをさがす行事をしたものです。その色付けの工作もたのしい行事でした.私の姑が、人形つかいだったので、イースターになると、近所の子供達を集めて見せたり、招かれたりして、ピーターコットンテールという、イタズラうさぎの人形劇をみせたのですが、私もてつだいました。もう、わが子達は、34 と もうじき 36になるのですが毎年、イースターには、あつまって、卵を空にしたのに絵をかいたりして、かざります。ことしは、皆のスケジュールをあわせるのが、大変で二週間おくらせますが、去年の写真をおみせしましょう。 これは、2年まえの、テーブルセットでした。グレッグと、私は、ちょっと山の家にいってきます。帰宅したら、またブログいれますね。まっていてください。
2005.03.27
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(続きです、1から読んでね)これには彼もまいって、「What shall I do? どうしよう~」と、思案顔。 私、グレッグからいつも、「You are always too prepared and no fun. 君はいつも、用意周到で、可愛げがない」っていわれてるごとく、その日も、さもありなんと、ちゃんと、二枚目の海パンを用意してあったのです。なぜって、かれの海パンは、あちこち破けていて、露出狂でうったえられそうにキケンなしろものだったので、ビリビリになってずりおちた時のために、ナイショでもって歩いてたのですよ。 実は、なくした海パンは、前の彼女からのギフトだったので、いつまでも捨てたくなかったのですね。それで、そのままほっておいたのです。パンツくらいで、争ったってなんの得にもなりませんからね。それで、私が買った海パンを用意してあったけど、用意周到はかわいげがないと、言われちゃ~くやしいから、からかってやれと思ったのです、「どうするの?まさか全裸で浜辺に行けないじゃない?」っていったんです。「ホテルのビーチ・タオル持ってきてくれ」「あれは、大きくて、厚地でちょっと重過ぎる。もっと適当なのがあるから、ちょい待ち!」 私は岸にいって、女性用のピンクのヒラヒラしたパレオ(腰にまく布)を持って彼に巻きつけたのです。(アハハハハこのときのスッタモンダの会話もご想像あれ!) 水からあがったら、その薄い生地が体にピッタリはりついちゃって、慌ててビーチ・タオルを巻きつけたのですが、その時すかさず、「Actually, I have another one. 実は、ちゃんともう一枚もってきたヨ~だ」逃げるかっこで彼のもう一枚の海パンを見せたら、 「Stupid! Give it to me! バカヤロ~。よこせ~」逃げるわたしを追っかけようとしたんです。その途端に!そう!ご想像に任せます。 キャハハハ !!(The End)楽天ブックスで在庫切れだった私の本、また在庫ありになってます。どうぞ、サポートお願いいたします。内容は3部にわかれています。1が1964年の頃のハワイの事と私ならではの子育て2が30年以上教えてるピアノのエピソード3 が今でも、続いてるユーゴ・スラビアの交換留学生とその家族との友情
2005.03.26
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子供達は、この川が海とぶつかるところで泳いでいるのですが、もう、みるからに、汚い水でよく病気にならないものだとおもいましたよ。 〈続きですから、1からよんでね) グレッグが「Can you swim? 君、泳げるの?」って聞いたから、日本人のつつましさで(ウソ! 私のいったい、どこがつつましいのだろ!あはははは!)「A little, 少しね」って、答えたら、「Let’s race to that rope. じゃ、あのロープまで、競泳しよう」 100メートル先の浮きをさして言ったんです。彼は、十歳下だし、ニューポート・ビーチという海辺の町で育って毎日サーフィングなんかやってたと自慢したくらいだから、加減しないで泳いだのです。 ゴールに着いて後ろを振り向いたら、彼、途中であきらめちゃってるじゃないですか。今度は、名誉挽回したかったらしくて、「I’m an expert diver! 僕は、潜りの名人なのだ。Watch me. みててごらん、I can find it right away wherever I toss.どこに投げてもすぐ見つけるから!」 なんと、彼は、海パンを脱いで、パ~っと遠くに投げては全裸で潜って拾ってくるのです。 「アハハ、You see, aren’t I good? たいしたもんだろ~」 最初は私もヒステリックに笑いこけました。でも心配になってきたので、「You’d better quit soon. What would you do if you can’t find it?ちょっと、いい加減でやめないと、もし見つからなくなったら、どうするの?」って言ったら、「Don’t be silly. It’ll never happen. みくびるな、絶対そんな事にならない」そういいながら何度もポーン、ドブンを繰り返してたんですよ。そしたら、どうなったと思います? 海パンが見つからなくなっちゃったんです。(to be continued 続く)
2005.03.25
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プエルト・バイヤルタの海岸通り。この日、グレッグは具合が悪くて猫背気味でした。〈続きです、1からよんでね) この観光地はナヤリットという州にあって、クルーズ・ラインが必ずとまる港ですが、アカプルコの北、マザトランの南になります。何しろ気候は良い、物価はやすい、太平洋にめんしていて眺めはよい場所なので、メキシコの金持ちや、アメリカやヨーロッパの有名人などのりっぱな隠れ家が、ジャングルのような小高い丘のうえに、密集しています。私はアカプルコもマザトランもいってますが、その中でもプエルト・バイヤルタが一番すきです。 海岸に面した繁華街は、もう可なり発展していて、大きなナイトクラブやら、レストランがギッシリで、「シニョール・シニョーラ」と客を呼び込んでいます。夕方になると、あちこちから、ジャズ、ラテン・ミュージックやロックンロールの音、テキーラでよっぱらったツーリストの叫び声がきこえてきます。浜辺をあるくと、凧あげしながらそれを売るひとや、砂に椅子だけおいて髪を結ってくれるひとが、髪型の本をてに「シニョーラもどうですか?」とよってきます。「この海水は、午後になるとなんか、にごってくるから、他にいこう」「流れのかんけいね、きっと」 我々のホテルは、眺めもいいしプールもあったけど、私は説明したとおり泳ぐのがハンパじゃないので、プールではものたりません。泳ぎだすと2,3キロ泳ぐからです。 朝だけホテルの前の浜辺をさんぽして、毎日午後からはタクシーでミスマロヤ・ビーチにでかけました。そこは、リチャード・バートンの演じた「イグアナの夜」という映画で有名になった所で、実にこじんまりしてチャーミング。ほんとうに、チャカワラとか、イグアナが、いっぱいいるらしく、30センチくらいのが海岸の岩かげからチョロチョロでてきます。海水もこわいように透き通っていました。〈続く)
2005.03.24
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メキシコのミスマロヤ・ビーチ 8年前です。 泳ぐの好きですか? 魚座に生まれたのも、まんざらアクシデントではな無いらしくて、子供の頃から泳ぎはとくいでした。 元は、東京の人間ですけど、戦争中の疎開先が、海のまん前の家だったもんで、もう夏になると、「食後30分は泳ぐな、」なんて父に言われたってヒッチラン顔で朝食後ご飯粒を顔にくっつけたまま庭を飛び出して行ったものです。 その時代の田舎の女の子って、あまり泳がなかったみたいで、水着持ってる子も少なかったです。男の子は下着のパンツ、私のも、父のニットのずぼんの足を一本切って、足を入れる所をつくって、それにロープをつけた位のインスタント。記憶が正しければ、確か父が自分で作ってくれた物でした。何しろ国中、物の無い時代だったから、水着がないからといって不満もイジメも無かったのです。 ちょっと年上の女の子は、ブルマーと言って、水にはいるとプワ~っと、ちょうちん見たいに膨れるのをはいてました。で、それを、両手で、握りつぶすと、泡だらけになる。それをやってみたくて、「私にもつくって~」と母にせがんだのですが、「あんなもんでは泳げません」と、却下されちゃったのです。 母は、私を、オリンピックの水泳の選手にしようと思ったらしく、正式な息のつぎかた、足の伸ばし方、腕のすくい方なんか教えてくれて、私もその気になって、その頃からクロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライなんか、やってました。十歳で一キロ以上泳げ、高校では水泳の選手でした。 そういう私が、バツいちで、もう五十歳過ぎた頃めぐり合ったグレッグと一緒に最初に旅をしたのがメキシコのプエルト・バイヤルタという素晴らしいビーチ・タウンでした。〈続く)
2005.03.23
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空とぶ魔法のジュータンじゃないですからね。グレッグがズルズル歩くから、こうなるのです。【昨日の和訳のジョークで、色々なご意見がでたんですが、私自身は、きっとあのおじいさんは、グレッグのような人ではないかと、思うんですよ。意外と、幸せだったひとが、ああいうジョークをいうのじゃないかなあ。奥さんもよこに座っていて。で、私みたいないせいのいい奥さんに、「あなた!又そんな事いって!ベチ!」ってひぱたかれて、ニタニタしてるような人じゃないのかしら?って思ってます】グレッグは足を持ち上げないで、ズルズルと歩くらしくて家中の敷物がめくりあがってしまうんですよ。ほら、セクションでできてる、敷物があるでしょ?ああいうのは、彼が歩いたあとって、なんかいつも曲がっちゃうの。で、私一日になんども、なんども、まっすぐにするんだけど、すぐ曲がっちゃうので、あちこちに、ベトっとした、テープをはってみるけど、だめ!で、二階のパソコンがおいてある壁から壁までの白いじゅうたんの部屋の、デスクのしたが、彼の足で真っ黒になって、いつも洗わなければならないので、そのセクションに敷物をいれたんですよ。そうしたら、三日目で、すでに、まわりが、スルメを焼いた時のように丸まってきちゃって、ひっくり返りそうになるんです。「ちょいと、あなた、歩くとき足をもち上げてあるけない?だんだん上にまるまっちゃって、ひっくり返るかもよ」 したら、言うことがいいじゃないの。「うるさい!こどもの頃からずっとこのように歩いてるのだ。意地でも、今からかえるもんか」「でも、何度もひっくりかえりそうになってるじゃないの、あなた自身」「じゃ、ひっくり返らせてくれ!ヒックリかえって、頭でもぶつけて、鼻でも折ったら気がつくんだろうから、それまでは、ほっといてくれ!」とのおぼしめしなんです。「あっそ!」私は、あきらめがはやいのです。でもね、グレッグがひっくり返ったあかつきには、酒盛りをして、喜ぶことにします。 世の女性に先輩から一言:一般的に殿方ってぇのは、何事も、このように自分自身で体験して学ぶようでござりまする。教えよう、かえよう、なんぞ、だいそれた夢をもつのは、これすなわち、いさかいの原因ですぞ。
2005.03.22
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向かって右が、いつも、笑い話を送ってくれる友達のパティーです。私が168センチですから、皆さんの背の高さがわかるでしょう?これは、16年まえの写真で、私が高校のPTA会長をやっていた時代です。パティーとはそのくらい永くつきあってます。今日もまた、パティーからもらったものを、やくしてみました。 A Doctor was addressing a large audience in Tampa. タンパで大勢の聴衆に向かって医者がスピーチをしていた。"The material we put into our stomachs is enough to have 「ここに座ってる皆様方が(日常)胃に入れているものは、killed most of us sitting here years ago. それで、とっくに殺されていて当然というしろものですRed meat is awful. 赤肉しかり!Soft drinks corrode your stomach lining. ソフト・ドリンクは胃の内側を腐食させます。 Chinese food is loaded with MSG. 中華料理は味の素がいっぱい!High fat diets can be disastrous, and none of us 油っこい食べものは 災害のもと!それから、だ~れもrealizes the long-term harm caused by the germs in 我々の飲料水に含まれているばい菌で、いつか起こり得るひがいなどにour drinking water.気がついていない。 But there is one thing that is the most dangerous of all, しかし、なかでも最もきけんな食べもの・・・・・・and we all have, or will, eat it. 我々はもう食べたか、又はいつかは口にするであろうものがあります。Can anyone here tell me what food it isそれが何であるか、どなたか分かりますか? that causes the most grief and suffering for一番われわれに深い悲しみと危害をあたえるものです、years after eating it?"それを食べて何年かのちに・・・」 After several seconds of quiet, a 75-year-old man in theシーンとなった数秒後、一番前列にすわってた、75歳のおじいさんがfront row raised his hand, and softly said, "Wedding Cake."手をあげて、そっといった。「ウェディング・ケーキです!」
2005.03.21
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全米水彩画コンテストで、2位に入り、ラスベガスの美術館に展示された作品。ソンブレロのおじさんは、揚げたてのほそながい、ドーナッツみたいなもを売っているのです。凄いカロリーが高いですよ。(続きですので、1から読んでね) 考えてみるに、四十年前に私が「チクル」を買った、あの原住民のこどもは、もう四十才以上になっているわけで、今では孫やひょっとするとひ孫などいるのでしょうけど、身についてしまった生活からなかなか抜けられないのが、事実のようです。「あいつらは、家にかえればベンツにのってるよ」「乞食ほど儲かるものないんだよ」「アル中のとーちゃんのテキーラを買うんでたいへんなんだよ」「かれらは好んで、あの生活をかえないのだ」原住民でないメキシカンはそういいますが、果たして何処までが本当かはわかりません。 ひとつ言えることは、彼らは教育を拒否し、物乞いも以外に仕事として割り切っているみたいですから、同情することもないのが、わかってきました。 むかし同じ日本人同士のあいだにあった、部落民てき差別が、このメキシコでもあるのかと思ったけど、そうでもありません。他のメキシカンはこの人達にもしんせつです。考え方の違いですね、時代と共によくなってはいますが、事実、「自分達も親のために働いたんだから、今度は自分達が楽をするばんだ」こどもは親のために働くものだ、という先祖代々の習慣からそう簡単にはぬけだせないようで、「お子さんを学校にやってください」と家にまでやってくる、教育委員たちの説得にも暴力で対抗する親も多くいるのだそうです。 最近では、アメリカ人に育てられたインディオの孤児や、家を逃げ出して自分で教育をうけた人がだんだん部落に戻って教育をしてるみたいで、じょじょにかわってきていますが、はやく「国境をこえてもあまり代わり映えがなかった」というようになる日が来る事を祈ってます。(おわり)メキシコの話になったら、アクセスが半分にへってしまいました。おもしろいものですね!!
2005.03.20
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今日現在、二人展で展示中の作品で、最近きれいになったティファナのブリッジの売店のへんを描いたグレッグの最近の作品です。横3メートルちかくあります。彼の作品は、全部水彩ですよ。http://jp.y42.photos.yahoo.co.jp/bc/sushi_suki_in_usa/lst?.dを、押すと、アルバムにグレッグの美術展がのってますので、興味のあるかたは、どうぞ。〈続きですので、1からよんでね)「近頃、ティファナはきれいになったんだってね」「うん、ひろばに、木がうわったよ。噴水にも水がある」というグレッグに、ひさびさ私もティファナにいってみました。 たしかに、街頭のでんきは割れてなかったし、噴水から水がながれていましたし、出店もちゃんと市でわりあててるらしい、おなじサイズのテーブルがあったり、いろとりどりの、パラソルを並べてきれいになっていました。 でも、インディオの家族は四十年後もあいかわらず物を乞い、汚い顔のあかんぼうが「おかねちょうだい」「チクル?」とよってきたのです。ちょっと変わったといえば、道端にすわっている母親もこどもたちも、ツーリストの残り物でなく、自分達のコカコーラやサンドウィッチをたべてたし、こどもたちの服装もすこしはきれいになっていたことです。そして、母親は使い捨てのおむつを赤ん坊にさせ、帰宅するのにはタクシーを利用してたことです。〈続く)人気ランキング・・・なんか、あほらしくなったのと、めんどくさいので、やめることにしました。あはははは!2週間ぼ~~ず! ごくろうさまでした。
2005.03.19
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後ろの建物が、国境の税関です。空気のわるさを、日本のボクジュで現したそうです。この絵はニューヨークにあります。(続きです、1からよんでね) そのこたちの母親は、タバコのすいがらや人々の唾でよごれた、でこぼこのコンクリートの上に、新聞紙とかプラスチックを敷いてうずくまって、じぶんも赤ん坊も隠れるほどの大きなショールのなかで赤ん坊に乳をのませているんです。 ほこりっぽい歩道には、ギッシリと屋台がならんでるのですが、そこで売ってるものもといえば、ミッキーマウスやプーさんの瀬戸物や、スーパーマンのケープのように、アメリカの物をまねした安物か、けばけばしい毛布とかでどう見てもガラクタばかりでした。「こんなもん、買う人もいるんだな~」「せめて、古くからあるメキシコの民芸品を売ればいいのにねえ。そうすれば私だって買うのに」「全くだ。今、学校の時間だろ?この子達学校にもいかなんだね」「義務教育なんてあるのかしら」「あるだろうね」前夫とこんな会話をしたものですが、以後三十年くらいの間、広場に噴水があっても水がながれてるのを見たこともなく、街頭という街頭のでんきは、全く無いか割れていて、人々のせいかつ向上は遅々たるものでした。 前夫がメキシコを毛嫌いすることもあって、それからは、あまり行きませんでしたが、その私の心の目を開けてくれたのがグレッグなんです。彼が、全く違った角度からメキシコのよさを、メキシコ人の親切さをどんどん紹介していってくれたのです。 グレッグとメキシコの奥深くまであちこち旅する話は、じょじょに書いていきますが、今回は国境のティファナだけに、しぼっておきます。 〈続く)毎回クリック感謝します↓人気blogランキングへ
2005.03.18
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子供をつかって、物乞いをさせる親がまだまだ、大勢いるのです。これは、グレッグの水彩画で、ロスアンゼルスの市民美術館の寄付集めに寄付した作品です。無論うれましたよ。で、そのお金は、美術館の運営資金になりましたよ。グレッグの夢は、貧乏な人達の人生再出発の施設をつくることなのです。 川端康成の「雪国」の最初に「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という、有名な第一小節がでてきます。私は、それを風景だけでなく今までの生活がガラリと変わった別世界のようなかんきょうである、というメタフォー式にうけとったのですが、目だけでなく、におい、音、体のリズムまでかわってしまう事のように思えたのですね。 1960年代に、メキシコのティファナに始めていったときの印象は、「国境の高い陸橋を越えるとガラクタがあった」だったんです。 オーストリアからユーゴスラビアに抜けたトンネルとにてましたが、なんだか物のすえた臭いが、町全体をおおっていて、原住民のインディオの親子があかだらけの服をまとって、子供たちがはだしで、ツーリストがすてた紙のコップをさしだして「おかねちょうだい」という仕草をしたり、「チクル?」といってチューインガムを売りにきました。 そうでなければ、あおっぱなをたらし、足をなげだしてL字にすわった小さい子が、音ていもないオモチャのギターやアコーデオンを、ただブカブカ、ジャンジャンひいて物乞いをしています。それがヨチヨチあるきから小学生の歳くらいの子だから、最初みたときはホロリとなりました。日本の終戦後をおもいだしたからです。(続く)毎回クリック感謝します↓人気blogランキングへ
2005.03.17
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次のメキシコのエッセイを載せる前のインターミッションです。おととい、サンフランシスコの従姉妹と一緒に、このビーチにいってきました。従姉妹が送ってくれた詩をやくしてみました。マッキニス氏は宣教師です。Flow流れBe,as water is,without friction.まさつのない水のように、Flow around the edges of those within your path.貴方の前に立ちはだかるものを避けて流れなさい。Surround within your ever-moving depthsとどまる事のない考え深さで囲みなさい、those who come to rest thereそこに憩いをもとめて来る者あらば、enfold them, while never for a moment holding on.抱擁をしても、決してしがみつかないで。Accept whatever distance認めなさい、他人との距離がothers are moved within your flow.流れの中でどんなに離れようとも。Be with them gently無理をせずas far as they allow your strength to take them,あなた自身の力で追いつくまで、and fill with your own being自然のままのあなたで、the remaining space when they are left behind.彼らが残していった空間を埋めなさい。When dropping down life’s rapids,人生の濁流に飲み込まれ落ちるとき、froth and bubble into fragments if you must,小さな泡となり、消え行くともknowing that the one of you now many 覚えておきなさい。千々になりしあなたはwill just as many times be one again.又、何度も一つになることを。And when you’ve gone as far as you can go,そして行けるところまで行き着いたとき、quietly await your next beginning.静かにまた次の貴方がはじまることを。Noel McInnis 1993ノエル・マッキニス 毎回クリック感謝します↓人気blogランキングへ
2005.03.16
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どこに行っても屋台がいっぱいあります。これは果物やです(最終回・・・1からよんでね) 我が家の来客もビールを飲んだり音楽を聴いたりしてたけど、彼らはその国際色豊かな来客にビックリしてましたね。「あの人は中国人?」とマリセラが聞きました。「いいえ、タイ人」「あの人もタイ人?」「かれは、フィリピノ」「へ~じゃ、あの人は?」「おそらく中国系のタヒチアン。メキシコだって色んな人いるじゃない」「イラン、韓国、中国人が大勢いるけど、何かあの人たちって自分達だけで集まるみたい」 メキシコも国際色豊かですけど、人種ごとに固まって行動をするのだそうで、アメリカのようにごちゃ混ぜになって楽しんだりしないらしいです。「白人との結婚は沢山あるけど、めったに異色同士の結婚もないし、パーティーで交わる事もめったにないわ。こういうの楽しいなあ」 アメリカでも、特にカリフォルニアって国際色豊かな人がわりに仲良く付き合っていると思いますよ。 ま、そのメキシコの一行はよく飲み、良く食べ、よくしゃべって、家に戻ったら11時。すぐ寝るかと思ったら、「え?まだ宵の口じゃない、夜はこれからよ。さ、じゃんじゃん飲みましょう」 このようにラテン系は、陽気な人がおおくて、シエスタといって昼寝する習慣があるとはいえ、夜に強く凄い人種です。〈オワリ)毎回クリック感謝します↓人気blogランキングへ
2005.03.15
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25年間すんだ、ラグナ・ビーチです。(連載です、1からよんでね) やっとついたら、もう花火はたけなわ。ボンボン・ガンガン・シューシューと凄い音です。庭には百人くらいの客がきていて、もう酔いがまわっている頃なので、可なりさわいでました。お隣でも、そのお隣でもパーティーをやってるらしく、花火が、あがるたびに、歓声があがります。この庭からは、ディスニーランドの花火も、遠くにみえるし、6,7つくらいの町の花火が一度にみえるのです。 主催者はタヒチアンで、むかしエアー・フランスのエンターテイナーだったので、彼のパーティーは、歌も踊りもあります。いつも彼をかこんで輪になってギターやウクレレを演奏するのですが、その回りではタヒチアンの女性の真似をして、白人も東洋人もアラブ系も黒人も、腰を振りながら踊ってます。もちろんラウラも私も参加しましたよ。 庭に、長さ2メートルはある大きなバーベキュウ・グリルをおいて、丸焼きの豚が煙りをたてて、クルクル回ってましてた。それゆえに動物愛護会員の我が娘と、そのボーイフレンドは来ませんでしたが、私の別れた前の主人と奥さんが来てましたよ。(続く)毎回クリック感謝します↓人気blogランキングへ
2005.03.14
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もう、お見せした写真ですが、これが、ラウラ・マリセラ・ハビエルの三人です。数人のかたからグレッグの絵がきになると、いってきたので、サイトを、二つのせます。http://www.greggstonegallery.com かれのサイトhttp://jp.y42.photos.yahoo.co.jp/bc/sushi_suki_in_usa/lst?.d アルバムに昨日のグレッグの二人展の写真をのせました。どうぞ、ごらんください。グレッグの絵画展をクリックして、スライドショーを、クリックすると、オートで、みられます。(連載です・1からどうぞ)その夜、友だちの家でも大きなパーティーをやっていてグレッグと私も招かれていたんですね。「ありがたいけど、メキシコから泊り客が3人くるから、いかれない」「全員つれてくりゃいいじゃないか、食べ物も飲み物も充分あるから」といってくれたのです。 でも、メキシコからの長距離ドライブでは、さぞ疲れると思って、まずシャワーなり浴びて、一休みして夕食を終わらせてからデザート位を、友達の家で食べれば良いと、アメリカ人的かんかくで計画をしていたのです。それで三時には来るように言ってあったのに、彼らはマニャーナ・タイムで着たので、到着したのはもう六時をとうに過ぎてたというわけです。それであわてて夕食をすませ、友達の家へ行くことになりました。むろん、彼らは「う~ん、美味しいワインだ~」とかのんびりしていて、あわてて食べてるのは、私だけでしたが・・・ いざ車に乗る段になったら、アルコールがまわって機嫌のよいラウラが、「わ~いい気分、食後の運動に歩いて行こうよ」と歩き出したのです、しかも彼女ほそっこい、ハイヒールなんですよ。車なら二分でいけるけど、近所と言っても上り坂ですからハイヒールでヨタヨタでは二十分はかかります。 そのうちに、ドッカーン!と花火が始まってしまったたからもう大変。ラウラもマリセラもはだしになって、つまさきで、走り出したのです。「こんなに走るの、何十年ぶりでしょう!」「運動会いらいだわ~~」なんてケラケラ笑いながら・・・・・・(続く)毎回クリック感謝します↓人気blogランキングへ
2005.03.13
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メキシコの文化美術館で、個展をやったとき、グレッグが絵のプロセスの説明をしているところです。(続編・その2) それからもうひとつ、ラテン系の人の多くは、ちょくちょく予定をかえるんです。このメキシコの一行も例外でなく、最初はラウラ一人だった筈が、来る一週間前に電話がきました。「イローコ。私のボスも一緒に行きたいって言うけどつれてっていい?」「いいわよ、空き部屋二つあるから」「グラーシャス、よかった~」ってな感じです。 パリの友達もそうですが、一般にレテン系の言葉を使うひとは、Hが無声音なので「ひ」が「い」になってしまうんですね、その上「ろ」にアクセントがかかってさらに伸ばすので私の名前は、イローコになるわけです。私は、二人のために、二部屋用意しました。すると、来る前の日になって、「イローコ、弁護士のハビエルも連れて行っていいかな~」また、ラウラの電話です。「いいけど、二部屋でどうするの?両方ともクイーン・サイズのベットなんだけど」「私とボスは同じベットで寝るからいいわ」「え!」「あはははは!ボスって女性よ、ことわっておくけど、私たちレズでもないからね」とにかく、そのメキシコの視察団も、例にもれず、三時間おくれて来たので、来たとたんに部屋に案内してすぐ夕食です。「コモエスタス・イローコ、グレッグ」「きゃ~良く来たわね、遠いところ。ムイ・ビエン、グラーシャス、チュ(キスの音)」で、ボスのマリセラと弁護士のハビエルに紹介されて、「ムーチョ・グスト」チュッチュノチュ!「お疲れで悪いけどすぐ食事よ。花火はまってくれないから」「ちょっと、トイレだけいかせてよ。車の中で水ばっかのんでたもんで」「それもだめ・・・なーんちゃって、じょーだん、ワハハハ」 と、急がせたのにも理由があって、独立際の夜はアメリカ中でパーティーをやるんですが、近所の高台に家をもってる友達の家で、七時からはじまる花火を見る予定になっていたのです。(続く)毎回クリック感謝します↓人気blogランキングへ
2005.03.13
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左がバハ北部にある六つの文化会館全部を受け持つ総会長マリセラ、右が美術館長ラウラメキシコの話をする前に、ラテン気質をまず知っていただきたので、メキシコから泊り客が我が家に来たときのエッセイからはじめて、だんだんメキシコにおつれします。ときどき、息抜きに別の話題のブログもいれますが、メキシコの話は長編になりますからそのおつもりで・・・ グレッグがメキシコで個展をやるとき色々お世話になってる文化会館の皆さんが、ラグナ・ビーチの芸術祭を見学したいと言って来たので、我々の家に招待することにしました。 三人ばかり泊まるので、その三日位前からあちこちの掃除を始めたのです。いつも思うのですけど、客を招く時は、接待より仕度の方に時間がかかりますね。 カーテンをはたいたり、一年以上も無視してたガラスドアをきれいに磨いたり、庭掃除をしたり客間のベッドのシーツを替えたり、献立を考えてから花までがざっちゃってメッチャ忙しい。 芸術祭オープニングの前日が七月四日の独立際で、アメリカ中で花火をあげるから、早めに来るようにと言ったのですが、メキシコの来客は遅れて、夕食のちょいと前に到着しました。 一般にラテン系の人は私事には、先ず時間通りに来ません。我々が一番仲良しにしてる、アルゼンチンの奥さんミルタとメキシコの旦那アルバートでさえ、六時の夕食に招待しても、皆が食べ終わった八時頃やってくるのが通例です。それで「メキシカン・マニャ~ナ・タイム」とじょうだんで、よくいいます。 ひどい時は、皆が帰って行った後の十一時に来たこともあります。そんな時は、なべ底に残ったもを、ニヤニヤし乍がら食べて、他の客がとっくに帰っていったあとまでいて、夜中の一時頃帰って行きます。だから、夕食が七時のときは「夕食はじめるの四時だからね」と言う事に決めました。〈続く)毎回クリック感謝します↓人気blogランキングへ
2005.03.12
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これは、私の出版した【エッ!もうアメリカに40年?】に入ってる写真のカラー版です。楽天ブックスでどうぞ!!3月10日は我々の出会い8周年記念日なんですが、同時にグレッグの満16年の禁酒記念日でもあるのです。大学を出て就職も成功したのに、その後何年も呑み続けてしごともなくして無一文になって、家族からもかんどうされて、地獄から(なんども、大トラ箱を出入りしたそうです)這い上がった8年目の3月10日に私と出会ったので、この記念日を生まれ変わった日として絶対に忘れないのですよ。で、たまたまそれが、私の姑の誕生日だったのです。姑は私を本当の娘のように可愛がってくれて、私が夫(彼女の実子)と別れるときに、「自分の子でもはずかしい、いつか良い人にめぐりあうといいわね」といってくれてたのですよ。その母の誕生日の朝、私の車のバッテリーがあがっちゃてね、新しいのを買いにいった先のセールスマンがグレッグだったんです。奇遇でしょ?まるで母があわせてくれたみたいでしょ?不思議なことはどんどん続くのですが、私がグレッグと一緒になった理由も、今は可なり名が出てきた画家になったこともいつか本にしたいので、ずっとあとにとっておきます。なにしろ世にも不思議なものがたりなんです。ブログでおわかりのように、グレッグはとっても正直で、楽しくて良い人です。でも、付き合い始めは暗かったのですよ。彼の良いところ、良いところを見つけて認めてあげてるうちに、うまれながらの、本物のグレッグがでてきたのですよ。それで、今日は祝う日なんです・・・・・「はい16年の禁酒、よくがんばったね、おめでとう。これで好きなもの買ってね」そういいながら、私は、グレッグに$50札をあげました。「わっはっはっは~。ありがとう」彼は、ニタニタしながら、お財布にいれました。うれしいから、笑ってるのではなく、何かをたくらむ笑いです。 じつは、その$50札は、グレッグからクリスマスにもらったものだったんですね。そのままとっておいて、それを、ヴァレンタインの日に、「ハッピー・バレンタインス・デー!はい、これチョコレートの代わりね」とグレッグにあげました。すると、2月の28日の私のたんじょうびに、「ハッピー・バースデー!はい、これヒロコにあげます」と、又私にもどってきた$50札だったのです。ちょっと、話がとびますが・・・・ まだ親戚の叔父と叔母が生存中たずねて行ったときのことです。「ヒロコちゃん、私たちねタバコやめることにしたの。でね、すったほうは吸わないほうに、1万円の罰金をはらうってことにしたのよ」 おばがいいました。「あら~、それはおめでとうございます。大変だったでしょう?お二人とも生涯すってらしたのだから」と私がいうと、おじが、「それがですね、ヒロコちゃん聞いてください。いいですか、いまからその罰金の威力をお見せします」そういうと叔父は、「はい、ここに一万円ね」と、お札をおばの前において、おもむろに着物のたもとからタバコをだして口にくわえ、火をつけたのです。すると、叔母が、「では、私も一本分おはらいします」 その一万円札が、今度はおばの前からス~っと叔父の方に移動したのです。「ね、ヒロコちゃん、凄いだろ?」「きゃはははは!な~んだ」何のことはない、その一万円札は行ったりきたりして、ちっとも禁煙の役をはたしていないのでした。その一万円札は煙と化してしまいましたが、グレッグと私の間を行ったり来たりしてる$50札は、われわれの愛の遊びとして永いことつづくでしょう。今夜は彼とおすし屋にいってきます。きっとグレッグが、「これもいれて払ったら?」とその$50をくれることでしょう。そして、わたしはカードで払って、それをまたとっておくでしょう。あはははは!【明日から、メキシコのエッセイを2ヶ月くらい連載します】
2005.03.11
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グレッグが好きな二階のお風呂場なんです。毎度のことなんですけど、グレッグがシャワーに入ったあとは、もう風呂場からでた5,6メートルは 床がビチョビチョになるのね。日本と違って、バス・ ルームをでるとすぐにじゅうたんだから、もうたいへん。 これは、とくに毛深い人は毛に水滴がいっぱいついてるからでし ょうけど、タオルもビチョビチョになって、しょっちゅう、換えてな ければならないのですよ。で、なぜか、ここに写ってる洗面所の大鏡も彼のつかったあとは、しぶきだらけ。犬が身震いするわけじゃないのに、 髪の毛をとかすのも、バシャバシャとやるらしいのです。それともうひとつ。我が家はお料理しなかった人が皿洗いをすることになっているのですが、99.9%は、私が料理をするので、いきおいグレッグが皿洗いをするのですね。ところが、毎日バーベルを持ち上げてすごいマッスルの男なのに、なんで台所のおふきんを絞れないのでしょう?いつも、彼のつかったあとは、びしょびしょなんですよ。不思議だとおもいません? おたくでは、どうですか?(さ~て、明日は我々が出逢ってから8周年記念日なのですが、あさってあたりから、ブログにメキシコのことをかいてみようとおもってますが、いかがでしょうか?バハ・カリフォルニアといって、メキシコの北部いったいの文化美術館ではもう何度も個展をやってるので、よくメキシコにいくのですよ。それで、それを、面白おかしくかいたものなのです、読みたいですか?)毎回クリック感謝します↓人気blogランキングへ
2005.03.10
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娘はアニメ家なんですが、監督をやらない、フリー・ランスのしごとは、自宅の一番上の部屋でやります。300度くらいの眺めのへやです。(昨日の写真参照)(おとといからの続きです)これで終わりだと思えばさにあらず、夕方になったら又電話です。「この家、たべるもんゼンゼンないじゃないか」「野菜も、果物もヨーグルトも冷凍食品もいっぱいあったわよ」「あんなもん、くえるか」「そういうと思って、ちゃんとアイスボックスあげたじゃないの、私の手料理三日分以上はいってるわよ!」「あ、まだ、車の中だ!」「や~ね、せっかく氷までいれてパックしたのに」 で、また暫くすると電話です。「この缶きり、どうやったらつかえるの?」「あれ!さっき、犬の餌やったんでしょ?」「あけ方がわからなかったから、まだやってない」「まかしとけっていったのは、どこの誰よ!ったく」「いや、きっとこわれてるんだよ」「じょ~だんじゃないわよ。新品よ。マニュアルのは引き出しにあるっていったじゃないの」「聞いてないね、そんなこと」ま、こんな按配です。でもグレッグはとっても不思議なことを覚えてたんですよ。私自身は言った覚えが全くなかったんですが、「ジュンの家には、きゅうすがなかったから、お茶をいれるのに大きな金網のストレーナーを使ったわ」って言ったらしいのを覚えていて、きゅうすだけは、ちゃんと持っていったのです・・・・・・でも肝心のお茶を持たずに。ドテッ一体グレッグの頭の中ってどうなっているんだろぅ~? 娘もそうですが、物事にたいして集中力のある人に多くこういう人は、ひとつの事に秀でてるタイプです。オワリ!毎回クリック感謝します↓人気blogランキングへ
2005.03.09
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犬の写真は、3月1日の日記にあります。娘が3年前に買った家です。で、今回は娘の家に犬のおもりをしに週末は私、平日はグレッグがハリウッド近くのグレンデールという町に行く事になったんです。月曜日は二人ともいそがしかったので、私は犬を一晩だけ自宅につれてきて、翌日かれが娘のいえに連れ帰ることになったのです。 グレッグはグレンデール生まれで、娘の父親ではないけど犬と娘の家が好きなので留守をかってでました。「犬のドライフードは、ガレージで缶は台所のたなね」「ウン、わかってる」「キッチン・カウンターの缶きりはモダン過ぎて私つかえなかったけど、昔風のは引き出しにはいってるわ」「僕はなんだってできる」「あそ。犬のくさり車にいれといたわよ」「うん」「あなたの食べ物ここにいれたわよ」「もういい。わかってる」「分からない事あったら、電話すればいいから」「ま~ね、しないとは思うけど」 で、車で一時間かかるんですが、ぴったり一時間後に電話がきました。「ね、友達をよぼうと思うんだけど、ここの電話番号なんばん?何という道のなまえだっけ」「やだ、今そこまでいったわけでしょ、地図あげたじゃない」「車のなかだから、めんどくさい」一時間半後に又電話です。「犬のえさはどこ?」「ドライ・フードはガレージ、缶詰はだいどころ」二時間後に、「散歩につれだしたいんだけど、くさりがない」「も~~」 (続く)毎回クリック感謝します↓人気blogランキングへ
2005.03.08
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グレッグが作ってくれた裏庭なんです。塹壕みたいなものが、あちこちにあります。「男って、差はあるけど、いつまでたっても子供みたいなもんよ」 洋の東西をとわず、私のともだちは皆そういいます。そういわれて考えてみると、グレッグなんてもう殆ど子供みたいな人なんです。 どういうところが子供みたいかって言うと、ひとつのことに夢中になると他のことが耳にはいらないとか、「ちょっと、ここにおいといたクッキー知ってる?」なんて聞いても、クッキーのかすを顔のどこかにつけたままで、「クッキーなんて食ってないよ」なんてシラをきるのですよ。 庭でどろをいじって、その泥だらけの手でドアをあけるから、「ちょっと~、ドアが泥だらけになるじゃない!」というと、「だから手を洗いにきたんじゃないか」と手を洗うのはいいんですが、蛇口のとっては泥だらけのままなんですよ。「庭のホースで洗ってくればいいのに」といえば、「ヒロコのために花を植えてやったんだぞ」 彼は恩にきせながらビチョビチョの手をティーシャツかズボンでふいたりして、さもなくば布巾で顔を拭くし、むろん床は足跡だらけだし・・・・・・(つづく)毎回クリック感謝します↓人気blogランキングへ
2005.03.07
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これが、竹をつなげて、とても、きれいに、頑丈にできていて、150円相当なんです。玄米茶がきれちゃったので、遠くのスーパーまで、 お茶を買いに行ってきました。 私は、ハワイに1964年から69年まで住んでいたのですが、1969年に南カリフォルニアに来た頃は、日本食品などめったに、手にはいらなかったのです。ロスアンゼルスに、明治時代に設立した小東京(リトル・トーキョー)という日本人町があって、そこなら日本のものが買えますけど、なんせ、ラグナ・ビーチからは遠くて、その上その時代は、収入の割りに日本の物は高かったのですよ。だから、本当に年に、1,2度くらいしか、いけませんでした。今は便利な時代になって、わりに近所に色々なマーケットができました。アメリカの大手スーパーでさえも、のり、みそ、しょうゆ、ごま油など、ちょっとした東洋のものは、おいてあります。 でも、玄米茶とか、納豆はうってないので、99マーケットという、中国か、ベトナム系の会員制スーパーにいってきました。そこには、東洋のありとあらゆるものがあります。そしたら、干し柿〈中国産)が一袋に大きいのが7個 はいって$1.99.フローズンの牡蠣が30個くらい 入って$1.79(ベトナム産)。ドビン敷きとか、竹で てきてるのが、なんともきれいで安い($1.49)。 全くいらないのに、それも、5個かってきました。いらないのに、安いから買っちゃうってのは、悪いくせですね。 あはははは! でもねえ、考えたの。こんなに、安いものをどんどん 輸入するから、アメリカ人が職あぶれになるんじゃ ないのかって。それでも、消費者としては、安い 方につい手がでちゃうのよね。一方では、国民の職業を守 りたいと思いながら、一方では輸入品を買ってしまう、 私自身この辺が矛盾してるのですよ。皆さんはどう ですか?
2005.03.06
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I get this type of funny mails from my pal, Patty, 仲良しの、パティーから、ちょくちょくこのようなお笑い話をもうらうので、so I’d translate them occasionally and share with you.時々日本語にやくしながら、お見せしましょう!Laugh!笑って!Today is International Very Good Looking, Damn Smart 今日は【インターナショナル・超イケメン・秀才女性の日】Woman's Day, so please send this message to someone you だから、貴方が「この表現にピッタリ!」と思うだれかさんに、think fits this description. このメッセージを転送してあげてね!Please do not send it back to me as I have already received it 私には送らないでね、もう「超イケメン・秀才女性」からfrom a Very Good Looking, Damn Smart Woman! うけとったんだもの。And remember this motto to live by:あ、それから、一生このモーットーをわすれないように・・・・・Life should NOT be a journey to the grave with the intention of 人生ってのは、なにも完璧なボディーを保ち続けるためにarriving safely in an attractive and well preserved body, but 墓に入るまで努力するのが目的じゃあなくってさ、rather to skid in sideways, chocolate in one hand, wine in the むしろ、ワインを片手にもう一方にチョコレートをもって横すべりother, body thoroughly used up, totally worn out and するように動いてさ。もう、エネルギーを出し切って、くたびれ果てたscreaming "WOO HOO what a ride!"体で「わ~、なんちゅうのり心地〈人生)だったんだろう!」って叫ぶことだっての。Have a wonderful day!じゃ、素晴らしい一日でありますように!毎回クリック感謝します↓人気blogランキングへ
2005.03.05
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30年くらい前に京都で買った、豆雛です。一年中かざってあるのです。 Happy Family, Paris Blue and ジャスミン・ハワイ!あたり~~!おめでとうございます私書箱・メールにname and address をお願いします。まさか、HNでサインするわけにはいかないでしょう?正解者は、三人でしたが、応募者がすくなかったので三人に送ります。(昨日の続きです)「これは、私が子供の頃の、おひなさんですよ。モモの節句にだすから、それまでここに眠らしておこうね」といって、また紙につつんでしまいました。 三月三日によばれていったら、大広間に赤いもうせんを敷き詰めた大きなひな壇がかざってありました。お蔵のなかでは、うすきみわるく、汚らしくみえたものも、せいぞろいをすると、何とも威厳がでてくるものです。「やっぱ、ノリコちゃんちは、おだいじんなんだ」と静岡弁でいいました。 1964年からアメリカに来て、もう40年近くアメリカ人をやっているのですが、それから半世紀たった2004年の春、亡くなった母の十年祭と私のエッセー集の出版(プロフ参照)を兼ねて日本に里帰りをしたとき、親友でアマチュア写真家のNさんから「もろーがに、おでんせ~」と招ねかれたので盛岡に出かけていきました。「ちょうどよかった、昔からのお雛さまを公開してくれる町がありますから、おつれしましょう」という事で、大迫町に案内してくれました。年々、日本の昔が失われていく今日この頃、このような町がまだあった事がとても素晴らしく感じられたのです。 その町には、まだお蔵のある昔風の家がたくさん残っていて、忘れかけていた「おだいじん様」という言葉がフッと浮かび、なんとも懐かしい子供のころの思い出がよみがえって来たのです。 あちこちの民家で伝統ある京雛や古今雛、小直衣(このうし)雛とか見せていただいたのですが、数あるおひな様のなかには、体の一部がかけていたり、頭もあとから付け足したようなのもありました。でも、ひとつ、ひとつきれいに保存されてあって、それは見事なものでした。 そして子供のころ、汚い、こわいと思ったものが、急にだきしめたくなるほど愛しくみえたのです。ひな壇の人形たちは「おかえりなさい。貴方をずっと永いこと待っていましたよ」と、過ぎし昔を語りたそうに、私をじっとみていました。それはキット、私の心の中で40年も眠っていた大和魂が目を覚ました声だったのかもしれません。毎回クリック感謝します↓人気blogランキングへ
2005.03.04
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昨日のクイズどなたも当たってなかったので、一応答えたかた8名様(Happy Family,Maripy,マツタカ、ハワイのジャスミン、ねこだん、カレードスコープ、Paris Blue,あび)に、ヒントをあげますのでもう一回かんがえて答えてください。サイズは、20X40センチくらい。PC関係のものです。里帰りした時の話しが「杜の街」という盛岡市の雑誌の2004年10月号に掲載されました。 もう可なり昔のはなしになりますが、戦後、疎開先の静岡で「ノリコちゃんちは、おだいじん様だよ。お蔵もあって」という言葉を近所の人からきいた時、子供ながらにそれは、何かをいっぱい持っているって意味じゃないかと感じたのです。ノリコちゃんは、大家さんの末っ子で私よりひとつ上でしたが、毎日のように一緒にあそんだのです。 私達の借家はオーシャン・フロントで、富士山をうしろに三保の松原を前にみる快適な場所にあってノリコちゃんの家と背中あわせになっていました。その背中あわせの辺にお蔵があったのです。「お蔵には、いろいろ面白いものがはいっているよ。かたなとか、つぼとか、印ろうとか・・・・・・」って聞いていたので、私は見たくてしょうがなかったのですが、子供にはごはっとの場所でした。 私は知能犯で、いかにしてノリコちゃんを利用してお蔵にはいろうかとスキをねらってました。そんなある日、「お母さんがドアのカギを閉めわすれた」といったので、「はいってみようか」と、こっそりと入ったのです。「わーおっきい。かびのにおいがする。箱ばっかりね。宝物がかくれているのかもしれない」「うん、これ、開けてみようか」といって、二人でウンウンいってるところにノリコちゃんのお母さんがきて見つかってしまったのです。むろん叱られましたが、以外にも「じゃ、見せてあげよう」と、その箱を開けて、だいじそうに包んだものを出しました。その包みをあけると、なんとも薄汚れて鼻や指先のかけた、きたならしい人形がでてきました。なんで、こんな気味の悪いものを大事にしまっておくのだろうと不思議におもったものです。(続く)毎回クリック感謝します↓人気blogランキングへ
2005.03.03
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楽天ブックスで売れ切れてた私の本、また在庫ありになってます。どうぞ、サポートお願いいたします。三部に分かれていて、1が1964年にハワイの事と一風変わった子育て2が30年以上教えてるピアノのエピソード3がユーゴ・スラビアの交換留学生と家族との友情 息子からのギフトでした。中身はなんでしょう?私のチャット友だちと、コミュのかたは、ごえんりょくだい。当たった方のなかから、お一人えらんで、サイン入りの本をお送りします。(ご迷惑でなかったら)【今日の本文】「今夜は映画と寿司につれてってやる」「え、誕生日はまださきよ」「でも僕が寿司をたべたいから、早めに祝おう」 ま、そういう感じで、グレッグが三日はやい誕生日をしてくれたのですが、2月28日で63歳になりました。半世紀すぎたとき「ヒロコさんようやった、これからは10年ごとに、あなたになにか特別なことをやってあげましょう」と自分に誓い、50歳のパーティーは、50のテーマでやったのです。ピアノのスタジオと庭をつかって50人招いて、50の風船を浮かばせました。50枚のスライドをプロジェクターで見せて、私の人生を語りました。そのときのプレゼントが面白かったので、ここにご披露します。「50の音符で書いたハッピーバースデーの歌と、50のタスマニアン・デビルのマンガを描いたのを持ってきた」と、アニメ家の娘が言いました。「僕は、50オンスのワインだ」と、息子。「無料の50州のアメリカの地図」「50セントの切手を一枚」「50分、顔のマッサージの商品券」と、友達。「50のバラの花びら」「50のキスはだめかな~」ドテッ「50のボタンを50という字にぬいつけたティーシャツ」重くて着られませんでした。「50のステッカーを貼り付けたカード」皆、知恵をしぼって、面白かったですよ。60歳の誕生日がきたとき、「今年は60回外食をする予定よ。外食っていってもお弁当をもって、海辺で食べるのもいいし。兎に角60回は家でないところで、たべるの」といったら、友達やら子供達が次々につれだしてくれました。旅行だと一日三食も外食ですから2週間の旅をすれば60回なんて、すぐ上回りましたよ。70歳には、気球にのる計画です。あと、7年待ち遠しい~~80歳には80日間で世界を回るのだ!90歳には90分のマッサージをしてもらおうかなぁ。100歳には、100人招いて、楽しい人生をありがとう!ってお礼を言います。さあ、健康創りにがんばるぞ~http://blog.with2.net/img/banner.png ←クリック感謝します人気blogランキングへ
2005.03.02
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ルピです。自分は人間だと思ってる犬です。(最終回・一昨日のからよんでね) で、娘の所にも、ルピっていう名の、シェパードがいるんですけど。彼女は、散歩のたんびに、ちゃんとビニールでルピのフンを拾ってます。アメリカは、衛生法で、動物を、レストランや、スーパーにつれて行けませんから、ショッピング中は、犬は車の中とか、ドアの横につないだりしてます。その上、法律で、犬が人に危害を与えたら、飼い主の責任になりますからねエ、ヨーロッパの様な不愉快な事は、先ずないです。 ある日、「マムに見せたい店がある。でも、絶対看板を見ちゃだめよ。」と、いって、娘がしゃれた、ベーカリーにつれてってくれました。ヨーロッパの高級ベーカリーそのものでね、ショーケースには、色とりどりのケーキやクッキーがならんでいました。で、「バースデー・ケーキの特別注文承ります」なんて、宣伝もカウンターに置いてあって。。。とっさに、「わーおいしそう!」っていっちゃった。そしたら。。。「ね、おいしそうでしょう?でも、これ、皆、犬用なのよ。中は肉類」って娘が言うじゃないですか、まさにドテッです。で、気が付いたら、周りに犬を連れた客が並んでいました。この店だけは、犬を連れて入ってもよかったのです。 娘の住んでる辺にも、私の家の辺にも、犬の美容院もあれば、ホテルもある、犬公園もあちこちにあります。お犬様々ね。五代将軍、徳川綱吉が泣いて喜びそうな時代ですね~。http://blog.with2.net/img/banner.png ←クリック感謝します人気blogランキングへ
2005.03.01
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