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結構、小さな場所でも色んなものが生えるのですね。これだけは、適した気候だと思うのでラッキーな場所に住んでいる事に感謝です。とくに我が家のはほとんど野菜や、果物の切りくずからしぜんにはえてくるので、驚かされます。今年はイチジクが沢山実をつけてます。可なり高価なんですよこの辺では。苺も三つの鉢に勝ってにはえて、毎年大きくなってきてます。ミニレモンの木は、ラナが「私の庭では枯れてしまうから、あげる」といって置いてったものです。毎週一個くらいできますから、朝の紅茶にちょうどいいのです。スライスして冷蔵庫にいれて、終わったら、また、一個取ればいい。もう、このグリーンのが黄色になるころは、次の中くらいのがこのグリーンのサイズになるでしょう。
2015.06.29
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前の夫からグレッグと一緒にパーティーに招かれたので、息子と三人で行ってきました。 なんせ、私も半分以上はこの手で建てた家ですから勝手知ったる家ですが。。。 家の外側のペンキははげはげ、 カーペットは古くなって黒くなってるし、ガールフレンドの 子供のオモチャが、散らばってるし、泊り客7人もいて、15人も集まってガヤガヤ・・しかも、 中国人、ベトナム人、タヒチアン、ベルギー人、は日本人、と国際色ゆたかな集まりでした。 私は、家具も、台所用具も、私の作った陶器類も全部おいてでたので、 まだそのままのこっていて、かつては自分の家だったところに客として 招かれるのもわるくはないとおもいました。 タヒチアンのウィルマと、フランス語の練習。このカウンターのタイルは、私一人で敷い たのです。 物凄い量のたべもの この家を設計したのは、私。絶対に靴を脱ぐ場所がひつようだから、玄関をつくりました。これは、息子が中学生の時に石をしいたのです。その習慣が続いていて、皆ここで靴を脱ぐので、凄いことに! 私が、我が家に下宿していた日本人の画家に家賃の替わりに絵をかいてもらったものがかざってあります。 200度くらいの、海の眺めです。
2015.06.29
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何よりも泳ぎがすきで水見ればすぐに飛び込む犬だった 犬公園自分は犬と思わずに 他犬無視して人に寄り添う 長いこと揺るがぬ愛をありがとう忠犬ケンジ神様の元
2015.06.27
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どうやら、我が家の庭は、鳥たちにとって安心できる場所のようで、またまた、ハチドリが巣をつくったのですが、よりによって、こんなところに!鳥かごの上は、5円玉くらいしかないのに、そこに巣をつくって、「お山の大将」ぶって、得意顔で座ってるハチドリのママに、グレッグと大笑い。卵が孵化して飛び立つまで、毎日楽しませてくれるでしょう。 これじゃ、まるで、徳利ですね
2015.06.23
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親鳥が 水を撒くたび 騒ぎ出す 見れば巣がある シダの茂みに *このシダは、ご覧のとおり、鉢植えなんですが、水をやるたびに、ギャーギャさけんで 一羽の鳥がとびたつので、不思議におもっていたら、今朝、これを見つけました。 もう、ひなも飛び去ったあとでした。
2015.06.22
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許されぬ 行為を許す 行いは 人と生れし 最たる誉(ほまれ) *チャールストンで殺された被害者の家族が、残酷な殺人犯人に「神のお恵みあれ。許します」といったときに、作ったうたです。 *この絵は、甥が1983年にクリスマスカードとして、スプレーペイントで手描きしたものです。 分かった! 範囲内(半角 8~10000 文字)の長さの文字列を入力して下さい(現在: 半角 11869 文字)文字が範囲内でも、写真も、文字として計算するみたいですから、次のページにのせます。
2015.06.22
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話を元にもどすと、その運転中に、父の育ってきた環境やら、負け戦やら、復員しても心無い近所の人達から「お前の爲に、俺の息子は死んだのだ!」「よくも、生きて帰ってきたものだ。士官だからだろう!」とかいわれていたのを思い出して、大人になった私の考えで、「心の傷は深かっただろう、辛かっただろうなあ」と一人ごとを言ったのです。その途端に締め切ったエアコンの車内がお酒の匂いで充満したのです。しかも、5分くらい続きました。隣の車で誰か飲んでる様子もないし、私はもちろんアルコールなど車にありません。まるで、父が「わかってくれたか!ありがとう!」と言ってるようだったのです。アメリカは今日が父の日です。今なら「父の日おめでとう」と、心から言えます。
2015.06.22
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私をご存じの方は、別に驚きもしないと思いますが、又あったのです。 それは昨日、リバーサイドという町に行く運転中の事、急に父の事が 頭にうかびました。私が生まれてまもなく父は戦地に行ってしまい 4歳の時にもどって来て11歳の時に両親は離婚してるから、 父とは人生で7年しか一緒にくらしたことがなくて、殆ど考えない のですが、父からは本当に色んな事を学びました。 父は天才級のIQをもち、アメリカでいうルネッサンスマンでした。 つまり、お料理、編み物、縫い物、大工仕事、化学、科学、海洋学、 物理、ソーシャルダンス何でもやってしまうのです。しかも生半可 ではなく県大会で二位になったり、柔道も海軍の黒帯を持ってました。 筆をもたせれば達筆、英語の文法は抜群と、考えれば次々にでてきます。 ところが、戦争から戻った父は人が変わったような酒乱になり、それが 離婚の元となったわけです。今なら社会的にもPTSDといってトラウマ の後遺症の治療などもありますが、当時は本人だけでなく社会全体が 無知でした。 一度に10000文字までらしいので、三回にわけます。
2015.06.22
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「ヒロコおばさん、今日は100度以上あるから、涼しい恰好で来た方がいいよ」と姪からメッセが入ってきた、「暑いのは大丈夫、メキシカリでは120度でも街中をあるいたからね、じゃ、今から出ます」と、家をでたのが9:30。途中、事故があって、目的地のリバーサイドについたのが11時近く。目的地は、姪の息子夫婦の家で、8か月になる孫がいる。私には、ひ孫みたいな感じ。 そこから5人で、サンドイッチ屋にいって食事。。。そこから、歩いて、グレッグの絵が展示されてる美術館へ徒歩で。100度といえど、私は汗かきません。乾燥してるからです。でもまた肌が黒くなりました。 リバーサイドって、40年前くらいまでは、「え?あんな何もない田舎?」と、オレンジカウンティーの人は言ってましたが、チャーミングな街です。 メキシカンの多い町だそうで、どこを見ても、その影響がみえます 「あった、あった!美術館がありました。」 美術館ツアーの展覧会で、イタリアの美術館に行き、オーシャンサイドの美術館にいきここが最後なのですが、彼の名前がでてるのに、展示されてません。「忘れたのかしら¿無くしたのかしら」と不思議におもい、落胆してその部屋から出ようとしたら、 彼のだけ、鍵のかかった、ショーケースにはいっていたのです。このダウンタウンに来ると、必ずよるお店だといって、姪がカップケーキ屋にはいりました。何でもブランド品のようです。私はたべるつもりなかったけど、作品を買ってくださったクライエントの家にその作品を配達にいくので、手土産としてかいましたが、あいにく、ご主人が救急病院に運ばれたとのことで、留守だったので、持ち帰り、結局は私も食べることになりました。というわけで、きょうは、ぐるーっと、300キロくらい回る遠征をしてきました。
2015.06.21
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これは表紙の両面です。間違いを見つけたので、送り返しましたが、少しずつ興奮しはじめました。英語で書いた、短歌の本です。世界中で買えるそうです。デジ番もKindle, Kobo, iTune, Nookで買えるようになります。英語のわかる方応援してくださいね。終戦記念日前に出来ると良いなあと思ってます。
2015.06.19
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(シャロンと一緒の写真ですから、ヒルトンのフロント・デスクに勤務していた頃の写真です。後ろにみえるのは、イリカイホテル、恐らくアラモアナ・ショッピング・センターから写したものでしょう。)この時代の最低賃金は時給90セントでした。ホノルルに来て最初の一年は、英語もたどたどしく、聞き取れない言葉が飛び交っていましたから仕事も日本語のわかるところでなければ無理、昔のホノルルの飛行場の宝石屋で日本人客を的にしたセールスをちょこっとしました。その、’ちょこっと’の理由はあとにしますが、当時の日本の旅行者といえば、「農協さんグループ」と呼ばれていた団体が多く、宝石の名前も知らない人や、ロビーで着物の裾をもちあげて、太ももをだし、隠し持った現金を出すひと、「ちょっと、ちょっと、あの人が今買った石、何?あれより大きいのない?」といって、買う人であふれていました。ですから、現代の日本人が、アジアの旅行者の悪口をいうのを聞くたびに心の中で笑います。とにかく、そういう客が相手ですから、質の悪いものでも、傷ものでも、高い値段でうれたわけです。馬鹿正直な私の事、最初はそういうおともしらなかったのに、宝石の質がわかってきたときに、経営者に質問したのです。「今のは、昨日まで半額の箱にはいっていたものじゃないのですか?」と。。。はい、首になりました。日本でも同じでした。開業医が保険のずるばかりしてました、その質問した時に首になりました。でも、赤ん坊の頃から、祖母に正直であれ叩き込まれていたので、いまだに替わりませんけどね、これは死ぬまで続くでしょう。次は、日本人経営のホテルのレストランのウェイトレス。この時嘘ついたのです。 「あなたは、こういう仕事をする人にみえませんが本当に経験があるのですか?」と日本人のマネージャに聞かれて「はい」と、答えたのです。もう胸がどきどきでした。勿論やったこともないので、すぐ首になりました。その時に祖母の言葉が頭にうかび、嘘ついたからだな、と反省。次は、電話交換手、そう、あの、赤と黒のコードを操る交換手です。それも、間違った客室につないで首。次は電気の部品屋のセールスです。そこは、日本語がわかる人がおおぜいいたので、いちいち聞いてましたから、うるさがられたでしょうが一年持ちました。でも時給90セントだし面白くない。それでビジネスカレッジの夜学に一年かよい、タイプと速記が出来るようになったときに、やっと就職したのが、ヒルトンです。一年で英語も殆ど会話がわかるようになってました。給料が急に三倍になり、ここで人生がコロリと変わったのです。
2015.06.18
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数か月前にフェイスブックでつくった、英語と日本語どちらでも。。。という短歌コミュニティー、 ヨーロッパから、カナダから、日本からのメンバーで結構流行ってます。今日の題は、 いたずらっ子のグレッグ ゆでたまご彼・食べたあとすり替える殻をたたけば生卵なり Boiled eggs on counterGregg must have sneakily switchedafter eaten them. When I tried to crack its shell,runny row egg spilled on me. で、これを見つけた時はもう彼は、ティファナに遊びに行く車のなか、私がぬるぬるで汚れてるだろうことを、想像しながら、ニタニタ運転してる彼の貌が見えるようでした。一生ティーンエージャーの男と暮らしてます。
2015.06.17
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これで最後です。 White Egret Orchid (Habenaria Radiata) The Darth Vader (Aristolochia Salvadorensis) An Orchid That Looks Like A Ballerina Moth Orchid (Phalaenopsis) Monkey Face Orchid (Dracula Simia)それで、興味深かったので、自分の家の蘭の真ん中を写してみました。
2015.06.17
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昨日書き忘れましたが、これは友達のBobbiから送ってきたもので私の写真ではなく、恐らくボビーのデモないと思います。恐らく、どこかのサイトからコピペしてきたものでしょう。あまりに珍しいので、シェアーしたかったのです。神様のいたずらみたいですね。 Happy Alien (Calceolaria Uniflora) And his friends... Angel Orchid (Habenaria Grandifloriformis) Flying Duck Orchid (Caleana Major) Dove Orchid Or Holy Ghost Orchid (Peristeria Elata) An orchid that looks remarkably like a tiger
2015.06.16
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Dancing Girls (Impatiens Bequaertii) Hooker’s Lips (Psychotria Elata) Laughing Bumble Bee Orchid (Ophrys bbomyblifora) Swaddled Babies (Anguloa Uniflora) Parrot Flower (Impatiens Psittacina)
2015.06.16
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この数か月、写真の整理をしていると書きました。その40年前の写真の中に、私が息子を出産した時に息子を毛布で包んで運んできたジュールという名前の看護婦をみつけました。彼女もその数か月前に男児を出産したばかりだったので、息子と同級生だったのです。 ジュールには三人の息子がいました。ご主人には一度あったのですが、そのすぐ後位に事故で亡くなってしまい、彼女一人で三人そだてたのです。その末っ子は、ビーチ・バレーボールで2000年にオリンピックで金メダルを受賞してから、一躍有名になり、今では全国をモチベーション・スピーチしたり、時々テレビのスポーツ番組で解説者をやったりしてます。その子と(もう大人ですけどね)そのお兄さんとフェイスブックでつながったので、 その写真をプリントし、ジュールと連絡しあって食事に行ってきたのです。「お互いに子育てで忙しくて、顔あわせなくなったわね。最後に挨拶したの30年位前のような気がする。」といったら、そのころ隣町に家を買って引っ越したとのこと。道理で彼女とは顔を合せなかったわけです。「でも、学校はそのまま卒業するまで同じところに続けさせたのよ。わ~、懐かしい写真、ありがとう!昨日が誕生日だったから、良い記念だわ」といったので、「ハッピーバースデー!私のおごり!」と、請求書をとったら、もっとよろこんでくれました。三人の息子達、まっすぐな道をすすみ、独立して幸せに暮らしてます。女で一つで、よく頑張ったなあと関心した一日でした。写真は、食べ放題のバフェーで、$10位なのです。見てください。私これ全部きれいに食べました。
2015.06.13
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写真からみて、おそらく私が14歳の頃でしょう。両親が離婚して、 きょうだいばらばらに暮らしていたのが、やっと母が貸本屋を始めた頃 弟・妹と一緒に暮らせるようになりました。 それでも毎日の生活は食べるので精いっぱいでしたが、回りの人が 色々援助してくれました。援助といえば、そのころは、近所の人が 助け合っていたのです。 母子家庭で母親が工場勤務中は、近所のおばさんがご飯たべさせたり 子守りをしたり。家賃が払えない人も大目でみてくれるような大家さんもいたり。 あさり売りのおじさんに「今日はお金ないから」というと、「もってきな!」 とただでくれあたり。 人間愛にあふれてました。 この頃は、まだまだ、都会の駅の構内には手足のない傷病兵と称した人や ボロをまとった人が「お恵みください」とかいうカードをござの前において 乞うていたし、ゴミ箱をあさってる人がいたのです。 そんな時代ですから、車で湘南までドライブに連れてってくれる、と近所の おじさんが言ったときは、皆有頂天になったものです。ずっとあとになって この海辺で弟がサーフィングを始め、初めてハワイのマカハのコンペに出た のです。今は次男坊がプロサーファーになってます。
2015.06.12
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中学一年の途中で長いこと住んだ疎開先から東京に戻ってきたのですが、最初の頃は間借り生活が続きました。やっとアメリカにわたり銀行員となった叔母からの仕送りで世田谷に家を買ったのはよいけど普通の高校に行くだけのお金もなかったのです。というか、当時は両親がそろっていなかったら受け入れない学校だらけでした。公立入学テストはトップに近い成績だったのに、皆ではたらかないと食べていけない状態だったので、私も昼間はバイトで夜間高校に行くことになりました。でも、「絶対に先生になるんだ」と夢見ていて、子育てが終わってから大学、しかもカリフォルニア大学に入学し、先生になったのが53歳の時です。でも、日本ではいろんなバイトで色んな人間と交わり、良いこと悪いこと社会の裏表をじっとみつめるチャンスに恵まれました。祖母は「世が世なら」と何度もなげいてましたが、私には、これが当たり前の人生だったので、悲しくもありませんでした。それでも、祖母は昔の夢を少しでも取り戻そうと謡や鼓を教え、私にも、観世流の仕舞を習わせました。その頃まで祖母が元華族だったともしりませんでした。歴史を学ぶようになって、あちこちに知ってる名前がとびでてきて不思議に思ったことはありますが、世間の皆がそうなんだとおもってました。 おばも、学習院から、ドイツに留学して、戦争で帰国、戦後通訳やらアーニーパイル・劇場(今の宝塚)でアッシャーやらやってました。英語ができたから、アメリカでも仕事が手にはいったのでしょう。 私も49で大学生になったわけです。 夢を捨ててはいけません。
2015.06.11
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この数年、タットゥーの人の絵を、描いています。個展をやりたくても、ショーの前に売れちゃうんですよね。それで、暫く売らないでほしいと、私に言ってます。進行中の絵を公開しますが、 オープンマインドの目で見てください。これが現実ですから・・・・そして彼は、歴史の記録を描いてるのですから。二十年近く一緒に住んでますが、いまだに彼のスキルには、驚きます。水彩でここまで描く人はすくないでしょう。 全部水彩です、
2015.06.10
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野兎が藪に飛び込むその横に首だけの鳥生死並行 *短歌をつくって、鳥の写真をとりにもどったら、もう、きれいに無くなってました。自然ってすごいですね。だから、グレッグの陶器の作品を利用しました。 On our morning walk,Jack rabbit jumped in a bush.On the nearby ground,laid a dismembered bird’s head.Life and death parallels; NOW(I went back to the dead bird, with camera, to take photos, but it was all gone. Nature is amazing. We have to cherish, NOW.)
2015.06.10
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私は、1970年代から大勢の留学生の世話をしました。世界の人がお互いを 理解しあう一番手っ取り早い方法だとおもっていたからです。一番さいしょが、 日本からホームステイの学生で、この写真の左の女性です。まだ高校生だった時で 「三週間じゃ英会話などできるようにならないわよ。本気なら、一年いらっしゃい」といったら 「短大を卒業したから一年ホームステイさせてください」と、右端の女性と一緒に 戻ってきたのです。この二人を、小学校の校長にたのんで、クラスルームの アシスタントにさせてもらい、毎日五人分(わが子二人と元夫)のお弁当を つくりました。学校はハイウェイを挟んで海が目の前に見える丘側にあり、海辺には 馬場があって、浜辺まで、レンタルで乗馬できるようになってました。そのうちに 海のベバリーヒルズと、冗談をいうくらいの土地の値上がりで馬場は無くなり 超豪邸が次々に建ちました。 この写真は、1980年位だとおもいますが、真ん中が娘、両側の二人は英会話が 上達して、日本に帰国後、以来ずっとツアーガイドとなって、世界中を旅してます。 35年のベテランで、本当に行ったことのない場所は北極、南極くらいかもしれません。
2015.06.09
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Did I see something?I’m typing by the window.Oops, already gone!Can’t catch with my cameraSuch quick creature; hummingbird. 何か見た?書く手止めてももういないハチドリ写真私には無理
2015.06.08
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思い出話を書くと、アクセスが400人以上になるのをみると、皆さん私の古い体験がお好きなようです。今ちょうど、写真の整理中なので、年次順ではないけど、思い出した事を書いてみます。なんせ、73年分の思い出話があるから、アラビアンナイトのように毎日でもじかんさえあれは書けます。自分で言うのは日本ではおかしいそうですが、私はアメリカですから言います。ははは私は、記憶力が良いので幼児だった戦争中の事も覚えてるくらい。人の名前も、ひょっとすると電話番号まで覚えてるのです。だから、色んな思い出話ができます。 カリフォルニアに引っ越した頃は(1969)もう英語にはこまりませんでした。元夫の育ったビーチタウンは、大多数が白人、労働者にメキシカンが大勢いましたが、東洋人は本のひとにぎり。日本からの日本人など、四人だけでしたし、黒人の家族は一軒だけ。ハワイで、友達に本土は人種差別がひどいからね、といわれていたのですが、出会う人、出会う人親切な人ばかり。その黒人の奥さんは、この前かいたように、病院の正式な看護婦で、多くの人から親しまれていました。ですから、差別は感じませんでした。(場所によりけりですね)そういう事で、私はどんどんボランティア活動をしました。これは、その国をよくしる、良いきっかけです。その地方の動き、政治、からくりが、見えてきます。その上、多くの知人ができるのです。この前載せたように、人形劇などもあちこちでやりました。 そうこうしているうちに、人々から、パーティーに招かれます。そこからまた、人脈が増えていきます。セーリングなどにも、招かれます。 当時の日本だったら、ハーフの子を抱えていたら、影に隠れて暮らすような 生活だったと思います。その点とても、自由にのびのびと育てられたわけです。もう一つ、この国では自分の主張ははっきりとしなかったら、のけ者になっていく可能性が多いです。だからといって、別に威張るわけではありません。その点も日本と反対でした。日本で女性が自分の意見の主張をしたらのけものになりましたよ。 こちらでは、筋が通っていれば、尊敬される可能性の方が多いです。
2015.06.07
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戦争って、特に負けた国は元に戻るまで、20年、30年かかるのです。そして、一生かかってもお亡くなりになった方は戻りません。私は、海軍・軍人の家庭で育ったので、米国と戦って日本が勝つのは無理とわかってる人に囲まれてました。母の姉にあたる叔母などは、山本元帥の娘さんの一人と同級生だったりしましたから、親同士の付き合いもあったことでしょうと想像します。特に母方は、明治時代から外国で学んだ人が多かったので、戦後でもすんなりと外国人を受け入れてましたが、海軍中佐だった父は、食べるためにとはいえ、「敵国の基地」で働くことに屈辱を感じていたようです。私は祖母と母に育てられていたので、時々、弟や妹にあいにいきました。これは、父の働いていた厚木の基地の、オープンハウスの日に、飛行機をみたがった弟のために行ってきました。フレンドリーな米兵が「写真とってやる」と、ひょいと、弟と妹を つばさに載せて写真をとってくれたのです。 写真が、アルバムからぼろぼろ、こぼれてるので、スキャンしてます。
2015.06.05
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戦後の日本の貧乏時代も、じょじょに安定してきたころ、母は貸本・新本・古本等をひっくるめた店をひらきました。私も翌年小さな支店をひらき、毎日通いました。その時の週刊誌の一つに、「WEEKLY MUSIC」と英語でかいてあって当時有名だった外国のアイドルの写真のうらに流行りの歌の楽譜がはいっていたのです。貸本の週刊誌からだれかにとられないうちに、まずそれを切り取って、ためました。 鹿内タカシとか、坂本九、西田佐知子,伊東ゆかり、広田三枝子とかの歌、アメリカのポップスから、演歌、流行歌の楽譜,歌詞、コード付きだったので、ウクレレで押入れの中でよく練習しました。 そのうちに、ハワイアンの歌手になってしまって、ナベプロという当時有名人を出す大御所から、オーディションに来いという手紙をもらったのですが、 同時にハワイに来ることになりハワイとナベプロと、どちらを選択すべきか、という所に来、文句なしにハワイを選んだわけです。これが、「自分の運命は自分で決める・・」その一例です。
2015.06.05
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この数年、断捨離を続けてますけど、捨てれば捨てるほど、また何かが増えるのでどうしたもんか?悩んでます。断捨離をやめて、そのままにしておいたら、子供達に残したいもの、残したい事などごちゃごちゃになりそうです。写真など、73年分あるわけですから、本当に残したいものだけをスキャンしてあとは、捨てるか、子供達に「好きなものをとって、あとは捨ててもいいから」という事にしました。歴史の詰まったアルバムは、何年か前に 福岡の東郷神社におかせていただいたことは写真いりで書きました。 宝石なんか、私、殆どしないので、結婚式とか、お誕生日とかに、 好きな人達にあげてますが、娘は欲しがらないから、 いつか来る息子の次の嫁さんにあげるとします。ところが、「捨てられないもの」ってのがあるのです。他人が見たら、こんなもの?捨てればいいのに。。。といわれるような代物。それは、手垢で変色し、虫にくわれ、ページはばらばらになった楽譜なんです。おかしいでしょう?それで、好きな曲を、全部スキャンすることにしました。さて、一年くらいかかるかも。。。ここにあるのは、ほんの一部。。。こういう のを、アートの材料とする人もいるのですよね。見たことあります。欲しい人がいたら、あげましょう。とにかく、 頭のしっかりしてるうちに、あれこれ片づけたいのですよ。あなたにも、捨てられないものってあるでしょう? 生徒が50人以上いた時代のリサイタルの写真です。生徒のお母さんが写したものです。
2015.06.03
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一度アレルギーの薬でひどい目にあったことがあります。 鼻づまりがなくなるというヒスタミン系のくすり、最初の数回は服用後すぐ鼻づまりが なおったので、「こりゃ、いいあんばいだ」と思っていたのですが、効果が消えると前より ひどくなって、 効き目がすぐなくなったのです。それと、鼻のスプレーね、あれも、こわい。 服用すれば、するほどひどくなって、目もはれて, Sinus (鼻の上にある空洞は満杯)で頭は破裂すんぜん。それで、いなおって、口で 息しながら全部薬をやめたのです。そのうちに完治はしなかったけど、鼻で息できる ようになりました。そのころ両親の家に住んでました。今の家に移ってからあっという間に 治りました。 妹がその家を相続して建て替えたときに、地下がカビだらけで、もうもうと 煙が出たそうです。しかも、ヒーターのダクトの周りがひどかったらしいです。 どうりで、冬になるとひどかったわけです。 コレステを 下げる妙薬 日に二回 多種副作用 薬か毒か Take X twice a day To lower cholesterol. May cause side effect: Headache, nausea, faint, cancer. Hummm! Remedy or Poison?
2015.06.02
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ロス空港に近くなると、碁盤の目のように、沢山の飛行雲が交差してますけど、家の二階の、私のデスクからみる空で、こんなの初めてみました。実は、あと二本右のほうめんに見えてたのですが、カメラの画面にはいりきらなかっただけです。ロス空港から100キロ離れてるのだから、こんな渋滞はちょいと嫌ですね。この上、ドローンなんかが、飛び交ったら鳥たちも迷惑だし、エコシステムを狂わせる可能性もありますよね。うっすらと、広がってるのは20分くらい前のものでしょう。
2015.06.02
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自分の子でも、娘と息子でも違うなあと思った事。 息子の家のガレージは、どこの部品屋かと思うほど沢山のツールが整頓されており 車は一人で四台もってるが、台所はめちゃくちゃ。どこに何があるのか探すだけで 時間がかかる 炊飯器を開ければ、カビだらけのご飯がはいったまま。チーズを探していたら、 訳の分からない緑と白の塊がでてきて、これもゴミ箱へ!オレンジを手にしたらグシャ! 「一月前に買ったかも」とのたまう。 夕食に、好物の鶏のから揚げを作ったが入れるものがないから、ベーキング・トレイでだす。 きゅうりモミも、料理用のボールのまま出す。 娘の家は、キッチンは整頓されていて、入れ物はいろいろあるし、冷蔵庫内もきれいだが ベーシックの他、(朝食用)殆どなにもはいってない。外食が多いからだそうだ。 ガレージは整頓されてるが、物置になっていて、車は一台しかはいらないし、 何かが壊れた時に直そう(私はいろいろ自分で直す) と思っても、ツールがないから、 留守番するときは大工道具まで買いにでかける。 二人に共通することは、 凄い量のコードが、からまりもつれ合っているところ。 母親として、興味深く観察している。 第二の息子と、ジョニ・青で乾杯。 これは、ジョニ黒の10倍くらいの値段がする最高級のウェイスキーだそうだ。 何にでも使うテーブル。料理の入れ物なし。 焼き飯の作り方を教えてくれというので、教えてる所。
2015.06.01
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