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帚木蓬生氏の言葉です。「考える」行為は、なぜか実を結びません。5分以上考えると、脳が傷むからでしょう。反対に、いくら見つめても、脳は傷みません。傷むどころか澄んでくるのです。見つめる対象は、外界である場合がほとんどです。しかし、動物と違って、人間は自分の心の動きも見つめられます。自分が怒っている。悲しんでいる。ドキドキしている、緊張している、怖がっている、頭の中が真っ白だ、といった状態を、人は見つめられるのです。自分を見つめるのは、人の特権かもしれません。特権ですから、大いに発揮してしかるべきです。ところが、ここに「考える」が入り込むと、事情がややこしくなります。たとえば、人前で緊張しているので、恥ずかしい、こんなのでは人から笑われてします、緊張しないようにしようと考え始めると、事態は複雑化します。人前で軽くスピーチをするとき、自分は緊張する、これは、自分を見つめる行為であり、自然な成り行きです。にもかかわらず、緊張してはいけない、恥ずかしい、人に笑われる、何とかせねばならない、と考えるのは、よけいな心配です。堂々巡りの心配の挙句、生じる結果は2つです。ひとつが回避行動で、人前でのスピーチを避けるようになります。この回避行動は、それだけで終わらないのが特徴です。回避行動は次の回避行動を呼び、回避しなければならない場面が、ねずみ算式に増えていきます。もうひとつの結末は、緊張を鎮めようとして、ますます緊張してしまう事態です。声がふるえるのを抑制すれば、ますます声は上ずってきます。緊張する場面は、当然緊張する。恥ずかしいことは、当然恥ずかしい。この「当然」に、よけいな「考え」がはいり込むと、森田正馬のいう「悪智」になります。不可能な事態をひたすら考えていると、身動きがとれなくなります。それでは、どうしたらよいのでしょうか。見つめよ、逃げるな、です。逃げず、緊張しながら、スピーチをすればいいのです。頭が真白になったり、声が上ずったり、声がふるえたり、顔が赤くなったりするかもしれません。それはそれで、そんな自分を見つめればいいのです。あれこれと考える必要は一切ありません。この「見つめる」をつきつめていくと、ハラハラドキドキを「味わう」次元にまで達せられます。足がふるえている自分を味わうのです。声がふるえている自分を味わうのです。情けないとか、人に笑われるとか、「考える」必要は全くありません。(生きる力 森田正馬の15の提言 帚木蓬生 朝日新聞出版 34ページから38ページ要旨引用)
2024.01.31
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帚木蓬生氏のお話です。「無所住心」の境地を日々実行しているのが、熟練の看護師や介護士です。たとえば、高齢者50人が坐る食堂で、朝食が始まったとします。50人のなかには、自由に手が動かせず、食事介助が必要な入所者が数人います。介護士は、そのうちの二人を受け持って、ペースト状にされた食事を食べさせるのです。ひとりの高齢者の口にスプーンで食事を入れると、また別のスプーンでもうひとりに食事を入れて上げます。その際に、最初のひとりが、喉に食事を詰まらせないか注意する必要があります。とはいえ、注意はそれだけにとどまりません。他の入所者がどうなのか、全体に眼を配らなければなりません。ひとりで食事している高齢者が食事を喉に詰まらせるかもしれないし、別の高齢者が立ってトイレに行こうとする場合もあります。かと思えば、椅子からずり落ちる入所者もいるでしょう。まさに、「無所住心」そのものであって、注意はホール全体に行き渡らせなければ、仕事はできません。(生きる力 森田正馬の15の提言 帚木蓬生 朝日新聞出版 90ページ)不安にとらわれる人は、一つの不安に意識や注意を集中する傾向があります。森田の精神交互作用では、一つの不安に注意を向けていると感覚が鋭敏になるといいます。感覚が鋭敏になると、気になって、益々そこに注意を向けていく。その悪循環のスパイラルはどんどん増幅されていきます。そして最後にはアリ地獄の底に落ちて、神経症として固着してしまうのです。天気の良い日に虫眼鏡で太陽の光を一点に集めると、新聞紙はすぐに燃え上がってしまいます。これと同じ現象が精神世界に起きているのです。その悪循環に陥らないようにするためには、四方八方に注意や意識を向けることです。森田先生は講義をしているとき、いろんなことが気になるといわれています。途中で入室した人、受講生のしぐさ、外から聞こえてくる騒音、机の上に置いてある水の入ったコップ、時計や講義メモ、講義内容など。これがまさに「無所住心」の状態です。どうすれば「無所住心」の態度になれるのでしょうか。精神状態を弛緩状態ではなく緊張状態に置くことです。今ここの瞬間を真剣に生きていく態度が肝心です。この態度は脳の廃用性萎縮現象を防止できますので、認知症になることはありません。車の運転をする人は、交通事故を起こさないように、あるいは警察に反則切符を切られないために緊張しながら運転をしています。例えば交差点で右折するとき、信号、市内電車の動向、対向車の動向、交差点内での歩行者の動向などに細心の注意を払っています。時々交差点内で事故を起こす人がいます。そういう人は注意力散漫です。心ここにあらずで、頭の中では別のことを考えていたという人もいます。昆虫のように四方八方にアンテナを張って気が張っている人は、軽率な事故を起こすことはありません。「無所住心」を身に着けている人は、神経症の蟻地獄に陥ることはありません。
2024.01.30
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帚木蓬生氏のお話です。集中力など、あったりなかったり、一心不乱の境地も、1年に2度、3度あればいい、というのが、実際の私たちの心のあり方です。だとすれば、集中力があろうが欠けていようが、構わず勉強や仕事に手を出すのが得策です。手を出しているうちに、集中力が研ぎ澄まされてくるかもしれず、運が良ければ、一心不乱の境地を味わえるかもしれません。(生きる力 森田正馬の15の提言 朝日新聞出版 164ページ)私は訪問営業の仕事をしていた時に、どうせ冷たく断られるだろうという先入観でいっぱいになっていました。人への信頼感が欠けている対人恐怖の私にとって大変な仕事でした。私が考えていたことは以下の通りです。見込み客をふるいにかけて、購入意欲の高い人に絞って営業活動をしようと考えました。そうすれば自尊心を傷つけられることはなくなるだろう。また、セールストークや技術を高めることが大切だと考えていました。断られればこう切り返すというセールストークを習得したいと思っていたのです。そのためにセールス技術の本は手あたり次第読みました。身だしなみ、言葉の使い方、導入の話、相手のニーズの掴み方、ニーズと販売商品との関連付け、断わりを切り返す方法、購入を促す説得術などです。しかし結果は惨憺たるものでした。高い見込み客と思っていた人から断られると、その日の仕事に対する意欲がなくなりました。営業というのは、監視されているわけではありませんので、次第に仕事をさぼるようになりました。サボっても暇を持て余し、時間をつぶすのに苦労する有様です。営業成績が上がらないので、上の人や同僚から冷たい目で見られました。またセールス技術はある程度は役に立ちましたが、実際には理論どおりに当てはまることはありませんでした。これは理論が完全でないからだと考えて、さらに理論武装を図ることを考えました。これは森田でいうと精神交互作用でどんどん状況が悪くなっていきます。今考えると、見込み客を選別するよりもローラー作戦を展開して、できるだけ多くの人に会うことが必要だったと思います。またある程度のセールス技術を学習した後は、行動・実践の中でセールス技術を高めることが大切であると思います。いくら畳の上でクロールの練習をしても泳げるようにはなりません。失敗や断られるという経験から学ぶという姿勢はとても大事になります。定年までこの仕事を続けた人の話を聞いてみると、ほとんどこの方法で成功した人たちでした。私は不快な気分が湧き起こってくると、やすべきことや必要なことからいつも逃げてきました。その時はほんの少しだけほっとしますが、人生の敗北者になってしまいました。神経質者は行動は頭の中で納得してから取り組もう。やる気が出てからにしよう。そうしないと惨憺たる結果に終わってしまうと考えて、尻込みする傾向が強いと思います。この考え方は、もっともらしい考えですが、状況はどんどん悪くなってしまいます。イヤだ、面倒だ、しんどい、やる気が出ないという感情は池のなかを動き回る錦鯉のように自由に泳がせておく。行動は気分とはきちんと切り離して、必要な時に必要に応じて必要な範囲で自分の出来ることを心がけて生活したいものです。
2024.01.29
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森田先生のお話です。昭和6年に、余が喘息で、今にも死ぬかと、あえぎ苦しんだ時、久亥と(森田旅館の女中取締りをしてくれている)坂井サンとが、余の両側に付添って居て、余が「アア苦しい。もう助からん」とか、・・・セッパ詰まった苦悩の時に、坂井サンは、余の手を握って、「マアどうしよう、どうしよう」といって泣き出したのである。ちょっと外面的に考えると、気の弱い病人は、他からその心を引立て・力ヅケてやらなければならないように思われる。しかしそれは単なる技巧であって、真情ではない。素朴な真情ほど、世に有難いものはない。余はこの時、非常な安楽と・心強さとを覚えた。誇張していえば、余はこの坂井の気合術によって、ホッと助かったといいたいほどである。病人に対して、いたずらに虚偽のカケヒキをするよりも、共に憂い・共に悲しむということの真情に及ぶものはない。(森田全集 第7巻 久亥の思い出 759ページ)瀕死の森田先生を目の前にして、普通はどんな対応をするでしょうか。「先生しっかりしてください。弱気になってはダメですよ」「絶対に助かりますよ。頑張ってください。私がついていますからね」「きっと多くの入院生も回復するのを待っていますよ」「今お医者さんを呼びましたからね。安心してくださいね」これに対して坂井さんは「純な心」で対応されていますね。先生を何とか助けたいという気持ちよりも、先生と同じ気持ちになって右往左往しておられます。医者でもない坂井さんができることは、先生の側にいて、おろおろして泣き出すことだけです。余計なことをすると、先生の症状はますます悪くなっていく。どうすることもできないパニックに陥った時、「もっとがんばれ、決してあきらめるな」と言われても、「もうそんな力はない。無茶を言わないで。そっとしておいてほしい」というのが本音かもしれません。対応策が見つからなくて、相手の側にいて、相手と一緒になっておろおろしているのが相手にとっては一番心がやすらぐのだと思います。解決策が見つからないときは、おろおろして態度を保留にするしかありません。その方がよい結果をもたらすというお手本のような話です。これは集談会で初参加がいる場合、是非とも応用したいことです。苦しい症状に対して拙速に森田的なアドバイスしないようにする。「よくいらっしゃいましたね、今まで苦しかったでしょうね。もう少しだけ詳しく教えてくださいね」どうしたらよいものかと、態度を保留にすることは意識すれば誰でもできます。田舎のとんど祭り
2024.01.28
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私流「森田の読み方」(生涯学習に活かす森田の言葉)の75ページからの引用です。私たちの心のどこかには「理想形」としての「汚れの不安から解放された安らかな状態」「すごい集中力で知識を吸収している自分」「すべての人から称賛され、仲良くしている自分」というイメージがあるはずです。こういうイメージは、もちろん追っても追っても、逃げていく蜃気楼のようなものです。「不安のない自分」には永遠に到達しない。なんだか、まだ汚いような気がする、他人から悪く思われているような気がする。そういう漠然とした嫌な気分は、毎日、毎日、私たちの心に湧きあがってきます。そんな嫌な気分もあり、快感もある。いろいろな気分・状態が雑多に入り混じっていて、なんだかすっきりしないのが、「生きているということの現実」であり、私たちはそこから逃げることはできないのです。人生とはこの「揺れながら走る電車」なのです。私達の人生は不安定であるだけでなく、不安定なまま「前に進んで」いるのです。だから、時間の流れの中で次々に起きてくる事柄に対応していかなければなりません。不安定ですっきりしない心のままでも、この現実の流れに乗らなければならない。不安定な自分のまま、おぼつかない、能力のまま、何とか現実への対処をしていく。全くその通りだと思います。不安のない人生はあり得ません。次々に不安が湧き上がってきます。不安をなくそうとする努力は無駄になります。現実的な不安に対しては解消に向けて積極的に行動する。どうすることもできない神経症的な不安に対しては、不安を抱えながら、それにとらわれることなく、目の前の課題に真摯に向き合って生き抜くことが大切です。脳科学者の茂木健一郎氏は、自然界には生物でもないものが絶えず揺れ動いているという不思議な現象があるという。この現象のことをブラウン運動というそうです。茂木氏は、人間の脳にもこのブラウン運動に似た働きがあると説明されている。たとえば野球でキャッチャーがピッチャーに球種のサインを出します。その際どんな球で打ち取ろうかいろいろと考えます。試合の局面、バッターの仕草、過去の対戦、バッターの特徴などを考えていくとすぐには結論が出ません。ああでもない、こうでもないと考えがまとまらずに揺れ動くのです。実はこの揺れ動くという心理状態が重要な意味を持っている。我々神経質者はこの考え方がまとまらないで揺れ動いている不安定な状態を嫌うのです。0か100、白か黒、良いか悪いか、どちらかに決めつけて心の安定を求めようとするのです。さらにその考えを自分にも相手に押し付けてしまうのです。当然いろんな要因が絡んでいるので自分が思い通りにコントロールすることはできません。森田先生は子どもの夜泣きで安眠できないとき、軽率な行動をとってはいけないといわれています。イライラしながら子どもを眺めていると、そのうち子どもは自然に泣きやんでくる。不快な感情を取り除こうとする対応は、ますます問題をこじらせてしまう。森田理論に精神拮抗作用というのがあります。ある欲望が湧き上がってくると、それを抑制する感情も同時に湧き上がってくる。強弱はあっても人間には誰にもその機能が備わっている。その時どちらかに態度を決めてしまうと問題が出てくる。欲望が暴走するか、不安に振り回されてせっかくのチャンスをみすみす逃してしまう。欲望と不安の調和を図りながら、注意深く行動することが大切になる。私はこの法則を居酒屋での懇親会に応用し、二日酔いで次の日に苦しむことはなくなりました。今では欲望と不安を意識するために部屋のなかにヤジロベイを飾っています。
2024.01.27
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生活の発見誌2023年12月の巻頭言からの引用です。元陸上競技選手の為末大さんは次のように言っています。強さは獲得し維持するものですが、弱さは認め受け容れるものです。強さは完全な円を目指しますが、弱さはでこぼこのままです。私達は時に何者かになろうとしますが、自分が自分でいることが最も力が出せる状態であることに気がつきます。弱さを受け容れたとき、深いところにあった自分の本当の力がやってくるのだと思います。弱さや欠点を努力することで、強みや長所に変えていくことは尊いことだと思います。弱さや欠点は裏を返せば、たちまち強みや長所に変わるという話もよく聞きます。為末さんは、弱さや欠点を受け容れて、自分の元々持っているものを自覚して、さらに鍛えて伸ばしていく方がはるかに大事なことだと言われています。対人恐怖症の私の例で振り返ってみました。弱さや欠点・・・マネージメント力、指導力、経営力、説得力、交渉力、行動力、人望、容姿強みや長所・・・好奇心、感受性、分析力、思考力、文章作成能力、読書力、持続力私の場合は他人と関わることで結果を求められることは苦手です。マネージメントのような仕事は、苦手というよりも無理だと思います。反対に自分の裁量でものごとを突き詰めていくような仕事は性に合っています。たとえば次のような仕事です。事故原因を究明する、刑事事件を解決する。裁判官や検事のような仕事。新薬を開発する。試験場で分析や実験をする。問題行動を解明する。新聞や雑誌の記者などは魅力を感じます。専門職や職人さんのような仕事も向いていると思います。現在若い人に反面教師として参考にしてもらいたいことは、森田理論の神経質の性格特徴を学習して、自分の強みや長所を早く自覚してほしいことです。そして12000種類もあるといわれる職業の中でこれはと思うものを早く見つけてほしい。できれば20代前半、遅くても30歳までには見つけてほしい。それが一生の仕事になれば、その人の人生は成功したようなものです。その他、人間関係ではやった方がよいことと、やらない方がよいものがあるように思います。これが逆になっている人が多い。私もその一人でした。その結果として人間関係で問題を引き起こして退職に追い込まれた人を数多く見てきました。この問題については、2022年9月13日の投稿で取り上げています。「敢えて敵を作らない人間関係作り」です。人間関係は気心の合う人2割、馬が合わない人2割、どちらでもない人6割という話があります。ここで気をつけたいことは、どちらでもない人を敵に回してしまうことです。そのために取り組むべき課題があるように思います。
2024.01.26
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森田先生は「お使い根性」について次のように説明されている。例えば「この盆栽に水をやる事を忘れぬように」と注意すれば、荒巻君は「どうも自分は気がつかない、頭が鈍い」という風に、言われた文句と、自分の都合とばかりを考えて、盆栽のことを見つめようとは少しもしない。すなわち注意された一つの盆栽ばかりへ水をやり、そのほかの水の切れている盆栽へは、水をやることに気がつかない。また翌日は、もう盆栽も花も自分とは全く無関係である。私はいつもこれを「お使い根性」と称して、「この盆栽に水をやる」という文句だけのお使いをして、盆栽を世話し育てるという事には注意を払わず、すなわち探し求めるという事なしに、ただ指ばかりを見ると同様である。これではいたずらに我情にとらわれるばかりで、決して柔順という事の稽古にはならないのであります。(森田全集 第5巻 186ページ)お使い根性というのは仕事でよく起こります。指示や依頼されたことしかしない。営業などではノルマがありますが、ノルマを達成したいという気持ちになれない。ライバルたちを蹴落として優秀マンとして社長表彰されるようになりたいとも思わない。ノルマが未達であっても、そこそこの営業成績なら首になることはない。給料さえもらえればそれでよい。寄生虫のようになってしまう。そんな気持ちで仕事をしていると、上司や同僚たちからの評価は下がってきます。人間関係が悪くなり、転勤や降格、リストラの候補にされてしまいます。一番問題なのは仕事が苦痛で仕方がないという自分です。その苦痛を和らげるために、ギャンブル、ネットゲーム、アルコール、買い物、趣味、風俗などにのめり込んでいきます。家庭生活や子育てに無関心になり、様々な問題を引き起こします。森田では最初イヤイヤ仕方なく取り掛かったことでも、ものそのものになって一心不乱になって取り組んでみましょうと言われています。しかし手を抜いて楽をする事ばかり考えているとなかなかそんな気持ちになれません。そういう方のために、2014年5月2日の投稿をお勧めします。この方は定年退職後、駐車場の管理人をされていた方です。その方が奥さんの介護に専念するために仕事を辞めることになりました。お世話になった方がちょっとしたお土産を持っていきました。すると小さなプレハブの管理人室で信じられないような光景を目にしました。この続きは当日の投稿をお読みください。感動の涙が出るような話です。森田を学習していると感動の涙を出すことが多いように思います。(どんな仕事でも楽しくなる3つの物語 きこ書房 福島正伸)この投稿にたどり着くには、「新着記事一覧」を左クリックします。別窓が開きます。月別記事を左クリックします。2014年、5月をクリックして2日投稿記事をご覧ください。
2024.01.25
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2023年11月25日の高知新聞によると、国の文化審議会(佐藤信会長)は、高知県香南市野市町兎田にある森田先生の生家や土蔵などを登録有形文化財にするように、盛山正仁文部科学大臣に答申したという。森田先生の生家は1989年旧野市町が土地を購入して、1994年に住宅も譲り受けた。現在は森田正馬生家保存会(池本耕三代表)が管理しているが、母屋は雨漏りがして5年ほど前から防水シートをかけている状態になっている。老朽化が進み土塀などはひび割れが起きている。現在保存会では修復のための寄付集めをしている。私は2018年のいちふれあいセンター(サンホール)で行われた「森田正馬没後80年の墓前祭」に参加した。墓前祭には高知県知事、香南市長、森田療法学会員、生活の発見会員、地元の人など多数参加されていた。そのときに、森田先生の生家の見学、森田館、金剛寺、三宝山などを見学した。そして墓参りをした。森田先生をより身近に感じることができた。ちなみに東京の森田診療所についても紹介しておこう。現在の地名は、東京都文京区向丘二丁目である。当時は駒込蓬萊町(こまごめほうらいちょう)という地名である。通称大観音横丁と呼ばれていた。近くに巨大な11面観音を本尊とする光源寺があったからである。光源寺の横に、森田正馬の診療所に行きつく小道がある。小道を奥へとたどると、森田診療所の裏手にあったという蓮光寺が見えてくる。そして道をはさんで右手に養源寺が見える。この2つの寺にはさまれたあたりの敷地が森田先生の診療所跡である。現在その跡地は中国料理店・東天紅の社員寮となっている。(森田正馬が語る森田療法 岩田真理 白揚社 198ページ)
2024.01.24
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生活の発見誌12月号では、長谷川洋三先生の「あるがまま」の記事(7ページ)が参考になりました。日頃の生活をふりかえってみると、ほとんどが、症状はありながらも、会社員は会社に出勤し、学生は登校し、主婦は家事・育児をこなしている。集談会に参加し、森田理論学習を続けている。すなわち高良先生が言われている「あるがまま」の生活になっている。にもかかわらず「あるがまま」になれないとこぼす。なぜだろう。症状の苦しみをひきずりながら生活していることが、「あるがまま」だということに気づいていないからである。あるいはそれが「あるがまま」だと理解しながらも、苦しまないで「あるがまま」の生活をしたいと思っているからではなかろうか。不安、恐怖、違和感、不快感がなくならないと、そこにどうしても注意や意識が向いてしまうので、とても行動することは無理だと考えてしまいます。これは頭で「あるがまま」になろうとすると、いつまでたっても「あるがまま」にはなれないということだと思います。「あるがまま」は頭で考えるのではなく、行動した結果、後で振り返ってみると「あるがまま」を実践していたというものだと思います。私は「あるがまま」を実践する方法は、規則正しい生活を身につけることだと思っています。同じ時間に同じ行動をするようにルーティンワークを確立することです。「何をしようかな」と前頭前野で考えることなく、自動的にすっと体が動いていくように持っていくのです。なすべきことがどんどん片づいていくようになります。気分本位な行動が抑制できます。不安、恐怖、違和感、不快感を抱えたまま行動できるようになります。規則正しい生活を習慣化することは大変大きな意味があると感じています。そのために真っ先に取り組みたいことは、起床時間を一定にすることです。そして就寝時間を一定にすることも大切になります。起きているときは淡々と同じ時間に同じルーティン作業を続けています。その時、意識して問題、課題、改善点、改良点、楽しみ、喜びを見つけるようにしています。日常生活や仕事の中で宝探しをしているようなものです。「あるがまま」の生活を心がけていると、日記を書くのが楽しみになります。
2024.01.23
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仁志敏久氏は「プロフェッショナル」という著書の中で次のように述べておられます。プロ野球の選手は数字で結果を出さないと、選手生命は絶たれてしまう。結果を出すためには、3つの大切な視点がある。一つは「個性の発揮」・・・自分の売りは何かをしっかりと見極めて、そこで勝負していく。否定から入るよりも肯定から入ることが大切です。長所を磨いていく中で、短所を目立たなくするのが理想でしょう。 二つ目は「発想の転換」・・・守備にしても、バッティクングにしても理にかなったセオリーというものがあります。これが不十分で分かっていない選手がいます。自己流で無駄な動きや間違った体の使い方をしている。間違った考えや体の使い方というものは自分ではなかなか分かりにくいという特徴があります。三つめは「思考の継続」・・・自ら創意工夫、向上心を持ち、努力を継続して進化していく姿勢が大切になります。現役である限り、日々考えて精進していく人でないと選手として成功はしません。この考え方は森田理論学習にも言えることです。個性の発揮・・・神経質性格を持っていることをしっかりと自覚する。そのためには神経質の性格特徴を学習することです。メンタルヘルス岡本記念財団の前会長の岡本常男氏は、人間は10の欠点があれば10の長所があるといわれています。神経質性格にはマイナス面だけではなくそれと同じだけのプラス面もあります。ここではプラス面を自覚することが大切です。プラス面を意識して、ここで勝負していくという気持ちが持てるようになれば前途洋々となります。発想の転換・・・森田理論で、神経症の成り立ち、感情の法則、行動の原則、認識の誤り、不安の役割、不安と欲望の関係、治るとは何か、「かくあるべし」の弊害、観念よりも事実を大切にする生き方、生の欲望の発揮等を学習して、神経質者本来の生き方を理解する。学習するためのツールは無限に用意されています。自分にピッタリのテキストを探すことが肝心です。生活の発見会が出している「改訂版 森田理論学習の要点」は必須です。その他、「森田理論学習のすすめ方」というホームページでは参考図書を紹介しています。思考の継続・・・神経症は森田理論の学習だけにとどまっているとさらに悪化してきます。森田理論と自分の考え方、行動パターンを突き合わせる作業に取り組む。そして森田理論を仕事、人間関係、日常生活に応用・活用していく。積極的、生産的、建設的、創造的な人間本来の生き方を取り戻して、自信を持って生きていける段階に持っていく。そのためには自助組織に参加して仲間と切磋琢磨することが有効です。
2024.01.22
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森田先生の晩年は不幸が続いています。昭和5年(森田先生56歳) 一人息子の正一郎君(20歳)が肺結核で亡くなる。昭和10年(森田先生61歳) 奥さんの久亥さんが脳溢血で亡くなる。昭和13年(森田先生64歳) 母親の亀さんが亡くなる。母の死から3か月後、昭和13年4月森田先生死去。森田先生の晩年の10年間は喘息と胸の病でほとんど病床についておられました。正一郎君の出棺のときの様子を形外会会長の香取修平氏が次のように語っている。私も告別式の時は、先生のそばにおりましたが、納棺の時は先生も非常に悲しまれ、はらわたを断つように慟哭されました。出棺の時も、先生は門前で霊柩車を見送られましたが、後二階に帰られた時は、はや風光霽月といった風に他のことの話もされて、全く別人の如き態度になられたのを見て、私も非常に感銘したのであります。(森田全集 第5巻 66ページ)母の訃報に接したときの森田先生の様子が「森田正馬評伝」(野村章恒 249ページ)に載っている。確かに訃報が入ってから2、3日おくれてお知らせしたところ非常に悲しまれた。そして、言い訳のように、悲しみはそんなに身体には影響ないよ、僕はこんなに哭いてしまうから後はさっぱりする、と言いながら声をあげて哭かれた。この件について森田先生は次のように説明されている。若い人、心がけのよい人、道学者あるいは武士道とかいうものでは、男は泣いてはならぬとか、人に対して失礼である、みっともないとか、あるいは諸行無常と悟ったとか、おのおのその主義や理論や片意地やで、感情を抑えているのであるが、私にはそのような主義や理論がないから、感情のままに小児のようになる。それでもさすがに告別式とか、多数の人の前では神妙にしているが、それは自然にきまりが悪いからであって、心安い人ばかりの時は、耐えきれないで泣くのである。そういう風であるから、泣いてしまえば感情が放電されて、心が晴れてなんともなくなるのである。(森田全集 第5巻 68ページ)森田先生は悲しいときには思い切り涙を流した方がよいと言われている。悲しい感情を意志の力で押さえつけると、いつまでも後を引くと言われているのである。これは2023年11月23日の、「感動の涙を流してストレスを吹き飛ばそう」という投稿に通じるところがあります。それによると涙にはストレスや辛い感情を押し流す効果があるということでした。さらによいのは感動の涙を1週間に一度くらいの割合で流すと、精神の安定に大きな効果が期待できるということでした。興味のある方はぜひご参照ください。
2024.01.21
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一病息災は、人間は持病が一つぐらいあった方が、健康に気を付けるようになるので長生きができるという意味です。ケガや病気の経験がないことは、喜ばしいことのように思いますがケガに無警戒になります。また健康体であることが当たり前になり、健康のありがたみが分からなくなります。中国のことわざに「人間万事塞翁が馬」という言葉があります。飼っていた馬がいなくなり残念に思っていたところ、ある日突然駿馬を連れて戻ってきた。乗馬をしていたところ、落馬して足の骨を折ってしまった。仕事ができなくなったが、そのおかげで兵役を免れた。不幸と幸運はコインの裏表の関係にあるというたとえです。一病息災も同じような意味だと思います。私は今までケガや病気でいろいろと辛い思いをしてきました。小さいころ2回ほど手頸の骨折をしました。おたふくかぜになり高熱が続きしばらく学校を休みました。仕事での人間関係が悪化して胃潰瘍になりました。朝方尿道結石で救急車で運ばれたこともあります。この時は死の恐怖を味わいました。痛風発作を起こしてしばらく歩けなくなりました。腹と背中に帯状疱疹が現れました。尿道結石と痛風発作と帯状疱疹は針の先で刺されたような痛みが続き七転八倒しました。五十肩になり1年ほど針治療に通いました。痔になり手術をして1ヶ月ほど入院しました。つらい経験でした。対人恐怖症、社交不安症にかかり、うつ状態になりました。これは中学生のころからずっと苦しみました。でもケガや病気になったことはよい経験だったと思っています。いろんな病気になったからこそ、毎年一回は生活習慣病検診をしています。血液検査、尿酸値、糖尿病、腎臓、大腸の検査などをしています。苦手の胃カメラを飲み、ガンの腫瘍マーカーの検査もしています。時々脳のMRIや大腸のカメラ検査もしています。人によると健康診断などは必要ないという人もいます。そういう人が急にガンになる。血管障害で取り返しのつかない病気になる。高齢になると自動車と同じで定期的なメンテナンスが必要だと思います。今まで病気一つしたことがないという人はどうしても警戒心がなくなる。集談会に参加していると、神経症で苦しんでいる人、人間関係に問題を抱えている人がいます。神経症の苦しみは神経症で苦しんだ経験のある人でないと分からないと思います。また肩や首の痛み、がん、胃潰瘍、尿道結石、痛風、帯状疱疹、痔持ちの人がいます。自分がケガや病気で辛い経験をしているので、その人の痛みが自分のことにように感じることができます。自分の体験からある程度のアドバイスができます。私たちは神経症になったお陰で森田に出会うことができました。森田は神経症を治すだけではなく、神経質性格者の生き方を教えてくれました。こんな幸運はめったに出会うことはできないと思います。この幸運に感謝して日々を大切に生きています。
2024.01.20
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アメリカでは子供が悪いことをすると家に閉じ込めてしまう。外に出て自由に行動することを制限する。あるいは禁止する。アメリカの子どもは、拘束されて、自由を失うことを苦痛に感じるという。日本の場合は、逆に子供が悪いことをすると家から外に放り出してしまう。勘当して孤立させてしまうのが最大のお仕置きになるのです。面倒を見ない。無視する。世話をしない。援助しない。保護しない。仲間として認めない。家族と認めない。子供を見放してしまうのである。好き勝手にしなさい。どうせ最後には泣きついてくることになるのだから。日本では社会で孤立することは社会的な死を意味する。この考え方は、子供の頃から骨身に焼き付いている。子供の頃から極力自己主張を抑えて、人の顔色を気にしなから生きていくようになる。積極的、生産的、建設的、創造的な生き方よりも、良好な人間関係を築き上げることが唯一最大の目的になりやすい。アメリカの社会は過酷です。基本的に相互扶助の考え方はない。自分の生活は自分の責任で守るという自己責任の考え方です。自由でなんでもありという社会は、落ちこぼれても誰も助けてくれません。貧富の差が激しくなり、大勢の人は生きていくだけで精一杯になる。先進国なのに日本のような手厚い健康保険制度はないのです。日本では護送船団方式という相互扶助の考え方がありました。社会から落ちこぼれそうな人がいたら、みんなで助け合って守っていくという考え方です。自立することよりも、人間関係の輪を壊さないように配慮することが大切になる。少々の不平不満はがまんする。反社会的な行動は絶対に許されない。人間関係を毀損するような重大な事件を起こすと、二度と復活することはできなくなる。その結果日本人は対人恐怖症や社会不安障害を抱える人が多くなります。仕事では良好な人間関係を築くことを最大の目標にするようになる。自分の気持ち、意志、欲求を抑圧して、過度に他人を思いやる生き方はしんどいです。それは自分の本音や潜在意識を軽視・無視してしまうからだと思います。対人関係で気を付けたいことはどんなことでしょうか。森田では自己主張したいときは、まず相手の気持ちや意志を確認する必要があるといいます。そのうえで自分の気持や意思や欲求を相手に伝える。双方の間にはかみ合わない溝があることが多い。その溝を埋めるために話し合い、妥協、譲り合いの気持が欠かせない。相手に自分の「かくあるべし」を押し付けるのではなく、お互いがwin winの関係になれるように交渉していく。これは面倒でしんどい作業となりますが、この作業を怠ると、人間関係はうまくいかなくなります。次に森田の不即不離を応用することをお勧めしたい。近づきすぎず、離れすぎない人間関係を築くことである。イメージとしては、コップ一杯の人間関係を5つくらいというよりは、コップに少しだけの人間関係を30個くらい作るような気持ちを持つということです。対人関係に問題を抱えている人はその距離の持ち方が逆になっている。人間関係が悪くなると過度にかかわろうとしてしまう。怒り、不平不満が発生するとすぐに態度に出す。相手の気持ちを逆なでするようなことを平気で口にする。不即不離ができるようになると、必要な時に、必要に応じて、必要なだけの付き合いができるようになります。足摺岬灯台
2024.01.19
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臨床心理士の東山紘久氏のお話です。プロのカウンセラーは1日8時間から12時間も人の話を聞いています。体力的には疲れる仕事ですが、精神的にはそんなに疲れません。それは相手の話を聞く技術を持っているからです。あるマンガの話ばかりを熱心にする来談者がいたとしましょう。プロのカウンセラーは、そのマンガの内容にはそれほど関心はありません。マンガが好きという来談者のものの考え方や感じ方に興味があるのです。この来談者はどうしてそれほどマンガに惹かれるのだろうかという問題意識を持って話を聞いているのです。その場合でも、「どうしてあなたはそんなにこのマンガが好きなのですか」と質問はしません。来談者自身もどうしてそのマンガが好きなのか分かっていないことの方が多いのです。本人がわからないことを質問するのはムダというものです。それを聞かないで理解するのがカウンセラーの仕事なのです。だからカウンセラーは、本人といっしょになってその理由を考えていくのです。来談者のマンガの話を一生懸命聞いていますと、だんだんわかってくるのです。マンガの主人公と本人の境遇や希望が似ているので、というようなすぐにわかることもありますが、通常はもっと深いところでの心のつながりがあるのです。深いつながりまでわかるためには、話し手の語る波に乗りながら聞いていくのが大切です。話題の内容だけではなく、話し手が語る感情や態度に乗れるように聞ければ、あなたの聞き上手も中級を卒業です。(プロカウンセラーの聞く技術 東山紘久 創元社 87ページ 159ページ参照)ある相談者が「この会社の上司はバカばっかりだ」と言ったとします。普通は、「立派な上司もいますよ」と反論したくなります。しかしこれは、聞くモードではなく、違和感のぶんだけ反発モードになっています。反発モードで話を聞いていますと、相手が十分話せないだけではなく、聞く側も精神的に疲れます。この言葉からこの相談者が抱えている心の深層に迫ることが大事になります。たとえば次のような問題を抱えていることが予想されます。・何か上司とトラブルを抱えているのではないか。・幼少時の愛着障害を抱えているのではないか。・人間関係を悪化させるような発言や行動をしているのではないか。・仕事に対する情熱を失っているのではないか。・仕事の内容に問題を抱えているのではないか。・転職を考えているのではないか。・家族の人間関係に問題を抱えているのではないか。・他に何か生活上のトラブルを抱えているのではないか。・心身の健康上の問題を抱えているのではないか。原因は複雑に絡み合っていることが予想されます。それをいっしょに考えてみようという気持ちがあれば、相談者の話を親身になって聞くことができるようになります。信頼感が深まれば、相談者も心の悩みをより詳細に打ち明けてくれるようになります。そして自分で抱えていた問題をみずから自覚できるようになります。問題が明確になれば自分自身で対策が立てられるようになります。集談会でもこのような気持ちで相手の話を聞くようにしたいものです。
2024.01.18
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プロレスラーのジャイアント馬場さんは60歳までリングに上がっていた。59歳のときこんな話をされている。自分から技を仕掛けるなんて、動作がのろいですし、力もそんなにありませんから、もう無理なんです。そこで相手の技をなんとか利用しないと通用しないのです。昔の武道書なんかに川のこちらから向こうまで投げ飛ばしたとかの話が出てきます。僕にはよく分かる。たとえば、その川を飛ぶだけの力がある人が向かってきたときに、その人の力を利用すると、川の向こうまで飛んで行ってしまうこともあるでしょう。ですから、僕がこうやって構えてますでしょう。相手が左足を出さなかったら絶対に投げられないということがあるんです。ところがその人が左足を出した途端に、ふっと左に引っ張るとその人は簡単にこけますよ。左足を出したときに右へ投げようとしたって絶対に投げられないんです。ところで相撲に「引き落とし」という決まり手があります。引き落としは、馬場さんの言われていることと同じ原理です。これは対戦相手が勢いをつけて左足を前に出したときに、その力を利用して斜め左に引くのです。さらにまわしをとった右手で加勢すれば、相手は膝から崩れ落ちます。左足を出したときに直線方向には確かに大きな力が入っていますが、横方向には入っていません。タイミングが合うとどんなに力のある力士でもあっけなく膝から崩れ落ちます。一瞬で勝負決まるので、相手はねこだましにあったような気持になります。力のない力士でも大きな力士をいとも簡単に倒すことができます。普通体力や気力が同等である相手と戦う場合、勝つことは容易ではありません。こういう場合は相手の動作の変化を読み、その変化を利用した方がよい。さらにその動きに加勢して向きを少し横にずらしてやる。相手の力や注意や意識がそこに集中しているので成功しやすいのです。そのためには注意や意識は相手の変化に向けておく必要があります。間違っても自分の心身の状態に向けていると勝負事には負けてしまいます。変化が起きるとスキが生まれます。そのスキを素早くついていくという方法が有効です。この方法を神経症で苦しんでいる人に応用するのは如何でしょうか。神経症を克服するためにあらゆる努力をしてきたが解消されていない人。薬物療法でも思ったような効果が現れない人。慢性的なうつ状態に陥り、生きる意味や希望を見失っている人。神経症で苦しんでいるときは、なんとかしたいというエネルギーはあるが、どうすればよいのか糸口が見えない時です。こういう方は自助組織NPO法人生活の発見会活動に参加すれば道が開けます。まずは生活の発見会の地元集談会に参加する。それでは物足りないという人には、全国版リモート初心者懇談会があります。パソコンがあれば自宅に居ながら誰でも参加できます。本格的に森田を学びたい方には、全国版モバイル懇談会JUPITERあります。8つの部屋があります。①本格的に森田を学ぶ部屋②対人の部屋③生活の発見誌を読んで感想を述べあう部屋④パニックの部屋⑤火曜日平日の部屋⑥平日夜間の部屋⑦居酒屋⑧若者限定の部屋至れり尽くせりです。会員でなくても参加できます。ニックネームで参加できます。ZOOMですが顔出しなしで参加できます。費用は無料です。途中参加、途中退席は自由です。詳しくは生活の発見会のホームページでご確認ください。これを活用すれば人とのつながりもできますし、森田の学習もできます。そしてゆきづまった人生に風穴をあけることが可能になります。
2024.01.17
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スポーツは勝ち負けを競います。勝ち負けのないスポーツはワサビのない刺身を食べるようなものです。勝てば鼻高々、負ければ意気消沈します。しかし人間関係では勝ち負けを競うのは考えものです。例えば、家族で旅行に行くときに、お父さんが「みんなで京都の紅葉を見に行こう」と決めたところで家族みんなが賛同してくれるとは限りません。「観光地は他人がいっぱいで疲れるだけだよ」「それよりディズニーランドへ行きたい」「温泉旅館でゆっくりしたい」など思いはいろいろです。無理やり家族を説得して出かけてもトラブルが絶えないということになります。家族で食事に行くときもそうです。自分が好きなものを食べるために、無理やり同行させてもすっきりと収まりません。「勝負なし法」というのは、人間が二人集まれば、意見の違いは必ず発生するという前提に立っています。特に自己主張の激しい人同士の場合は、何かにつけて衝突します。こういう場合は話し合いによって折衷案、妥協案を探るというものです。「勝負なし法」のやり方は次の6つです。1、まず相手と何について対立しているかをはっきりさせます。2、二人でいろんな解決策を出し合います。3、それぞれについて検討します。4、その中から一つを選び出します。5、実行方法を考えます。6、その後の経過をみて、必要なら見直します。具体的な例で説明します。外が寒いのに子どもが薄着で遊びに行こうとしています。母 寒いからジャンバーを着ていきなさい。子 寒くないよ。それにあのジャンバーは大きすぎて動きにくいんだ。母 でも風邪が流行っているから、お母さんは心配なのよ。子 じゃジャンバー以外のものを出してよ。母 何がいいかな。子 白いセーターがいい。あれを出してよ。母 そうそうセーターがいいよね。「勝負なし法」を人間関係に取り入れると、相手の気持ちを尊重することができようになります。自分の「かくあるべし」を無理やり相手に押し付けることがなくなります。
2024.01.16
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4スタンス理論を生み出した廣戸聡一氏のお話です。腰痛、ひざ痛、肩こり、首のこりなどに悩まされている人が多い。もう治らないものとあきらめている人も多い。でも簡単にあきらめるのはまだ早い。身体にとって一番無理のない、自然な「立ち方」「座り方」「歩き方」を身に付けることができれば痛みから解放されることがあると言われている。人間は重力に逆らって二足歩行をしています。意識していませんが、バランスをとるために相当身体に負担をかけているわけです。その負担を和らげるために、身体の軸をきちんと作る必要があります。軸とは首の付け根、みぞおち、両股関節、両膝関節、足裏(土踏まず)です。軸のある状態とは、この5つのポイントが重心線上に正しく並んでいることです。軸を作ることで肝心な脳を安定させることができます。重心の取り方ですが、人によって4つのタイプに分かれるという。血液型と同じように人それぞれだという。ですから自分の重心のとり方を他人に教えても、同じタイプならよいが、違うタイプの人には全く合わない。野球やゴルフの場合全く成果が出なくなる。まず土踏まずの前側でバランスをとっている人(A)と、後ろ側でバランスをとっている人(B)に分かれます。次に足の内側でバランスをとっている人(1)と足の外側でバランスをとっている人(2)がいる。この組み合わせによってA1、A2、B1、B2の4つに分類されるという。人それぞれなので、自分はどのタイプなのかを見極める必要がある。自分のタイプの見分け方はYou Tubeチャンネルに分かりやすいものがあった。「はじめてのゴルフ ゴルフを始めるなら○○を覚えよう」です。3分10秒過ぎからの動画をごらんください。すぐに分かります。自分のタイプを見極めて、それに合わせた正しい「立ち方」「歩き方」「座り方」を心がけていけば、無理がないので首、肩、腰、膝の痛みは解消される。そのためのエクササイズ(1日わずか10分でできる)も紹介されている。興味のある方は次の本を参照してください。その他参考図書はたくさんあります。これはあらゆるスポーツに応用されているそうです。特にソフトバンクの藤井康雄コーチの話は目からうろこです。(超バッティング理論 日本文芸社 78ページ)
2024.01.15
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私はマンションの管理人をしています。勤務棟内で大きな内装工事がありました。予定では1ヶ月半かけての全面改修工事でした。職人さんたちが入れ代わり立ち代わり出入りしていました。そこでいろいろとトラブルが起きました。1、養生がお粗末であった。すぐに破れるような薄いシートを敷いている。破れたところはそのまま放置している。エレベーターの中は継ぎはぎだらけだった。2、夕方は17時までと聞いていたが、18時ごろまで工事をしている。金槌や切断機、電動ドライバーを使い大きな騒音を出す。3、資材を玄関廻り、解放廊下まわりに大量に放置している。廃棄ゴミを玄関廻りに長時間放置している。4、来客用駐車場が2台分ありますが、2台分を常時占領し、それ以外にも駐車禁止場所に駐車している。5、共用トイレを自由自在に使っている。汚しても掃除をしない。備え付けのトイレットペーパーを大量消費している。6、工事予定期間を無視して勝手に工期を延長している。7、マンション内を泥のついた靴で歩きまわる。8、多くの職人が無断で出入りするので不審者との見分けがつかない。内装工事でこういう事態になることは当初は予想していなかった。今までの内装工事でこのようなトラブルがなかったからである。居住者を刺激して何度もトラブルを起こした。私も毎日イライラしてキレそうになることもあった。その原因は私や居住者が想定していることと、施工業者が実際にやっていることに大きなズレがあったからだ。このマンションで工事をする以上、施工業者に改善してもらうかしかないと考えた。しかし怒りの感情をそのまま爆発させるのは何としても避けたいと思った。森田理論を応用するまたとないチャンスだと思いました。現場監督に次の2点をお願いした。まず工事でマンション内に出入りする時は、出会った居住者に挨拶してもらうように頼んだ。次に長期の工事なので掲示板を設置して、その日の工事内容を明らかにしてもらうことをお願いした。居住者に安心してもらうためである。これはすぐに実行してもらえた。その後も現場監督とさまざまな問題点を共有化して改善するように心がけた。なかなか想定通りにはいかなかったが、なんとか許容範囲には収まった。問題を放置していたら大きな混乱を招いていただろう。最悪管理人を辞めさせろという話になっていたかもしれない。森田理論では、感情と行動は別物という。腹が立った感情をそのまま爆発させると喧嘩になりあとに引きずる。気の荒い職人たちとけんかすると後の仕返しが恐い。腹の中は煮えくり返るような怒りでいっぱいだったが、冷静に対応して本当に良かったと思った。次に森田で、「言動はその時、その場で適切なものを選択して実行する」ということを学んでいる。腹が立っても、相手が気を悪くするようなことは決して口にしてはならないということだと思う。これを応用してみようと考えた。仕事が終わって職人さんが引き上げるときは、「ごくろうさまでした。明日もよろしくお願いします」と一言かけるようにした。用事で工事現場を訪れるときは、「失礼します。管理人の○○です。一つお願いがあるのですが・・・」と丁寧な対応を心がけるようにした。すると、不愛想だった職人が、いつのまにか笑顔で挨拶してくれるようになった。そのうち、缶コーヒーなどを差し入れしてくれる職人も出てきた。トイレットペーパーも自前のものを用意し、毎日トイレ掃除もするようになった。森田理論を実際に応用して効果があったことを確認できた。
2024.01.14
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今日は完全・完璧・理想を目指している人の葛藤や苦悩を取り上げてみました。・仕事で間違っているのではないかと、何度もチェックを繰り返す。・玄関、窓、ガス、電気、水道の締め忘れが気になる。・外出するときに忘れ物ないか気になる。・目に見えない細菌やウィルスが取りついているのではないかと気になる。・思わぬ事故や自然災害に襲われるかもしれないことを恐れている。・他人に自尊心を傷つけられることを恐れている。これらは不完全恐怖と言われています。完全・完璧・理想の状態を基本にして現実を見ているのです。観念主導の「かくあるべし」が強くて、現状を問題視しているのです。こだわりが強くなると、不安を払拭するために強迫行為を繰り返すようになります。強迫行為は安心するための行動です。何度確認しても安心できなくなります。仕事や生活に大きな影響が出ている場合は、入院森田療法が必要になります。集談会で改善できるのは日常生活や仕事がなんとか回っている人です。さて程度の差はありますが、完全欲は誰でも持っています。この機能が備わっているおかげで、不注意による問題行動を防止しています。つまり不安や恐怖が大いに役に立っているのです。現実は理不尽なこと、不完全なものがほとんどです。問題や課題だらけです。しかしこれは別に悪いことではありません。人間は問題や課題や目標を意識するようになると活動的になります。なんとかしたいという意欲が生まれてきます。積極的、生産的、建設的、創造的な行動をとるようになります。生きがいが生まれ、成功すれば自信がつき、自己肯定感が育ちます。問題は観念的な完全・完璧・理想主義(かくあるべし)で、事実、現実、現状を否定してしまうことです。完全・完璧・理想主義にとらわれると、とるに足らないような小さな問題点や不足が気になるようになります。それがすぐに自分の一生を左右するようなとてつもない大きな問題に膨らんできます。そのストレスに耐えられなくなり、パニックを起こしてしまいます。90%はうまくいっているのに、上手くいっていない10%にエネルギーを投入してしまう。また傍から見ると十分に恵まれていると思われるのに、本人はまだ全然だめだと思う。小さな感動、小さな成功、小さな喜びよりも、大きな感動、大きな成功、大きな喜びを求めるようになります。さらにそれ以上の完全・完璧・理想を求めるようになります。より強い刺激、より大きな快楽を求めていくようになります。つまり欲望に弾みがついて、暴走を繰り返すようになります。ほどほどのところで折り合いをつけられないものでしょうか。生かされている自分の存在、自分に備わっている資質や能力、自分の持ち物、身の回りにあるものはあたりまえだと思うようになります。あたりまえだと思うようになると、感謝の気持ちは湧き上がってこなくなります。感謝を忘れた人は、なにかにつけて批判、非難、否定することが多くなります。人間関係が悪くなります。孤立するようになります。神経症も完全に治そうとするのは考えものです。神経症のアリ地獄に落ちた時は一日中神経症と戦っています。頭の中にあるのは神経症のことばかりです。森田的な生活をしていると、その割合が少しずつ減少してきます。そして50%くらいに減ってくればもう神経症を克服したと言ってもいいと思います。それ以上治すのは横に置いて、仕事や生活を充実させることに取り組むようにした方がよいと思われます。完全主義、完璧主義、理想主義は、上から下目線で事実、現実、現状を否定する考え方です。完全主義を目指すならば事実、現実、現状をあるがままに認めて、下から上目線の態度になることが肝心です。
2024.01.13
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昨年度の優秀川柳が発表されていました。100位までで私が気に入ったのは次の5作品でした。8位 送料を 無料にするため ムダ使い9位 オミクロン 家族全員 株主に10位 熱が出て はじめて個室 もらう父19位 ひと言が 多い家内と 足りぬ僕98位 婚活も リアルとwebの 二刀流
2024.01.12
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生活の発見会が出している「森田理論学習の要点」に次のような記載があります。理想は高く、実行はこきざみに、小さな成功を積み重ねること。小さな成功体験を積み重ねていくと、自信がついて行動に弾みがついてきます。行動は積極的、生産的、建設的、創造的に変化してきます。理想というのは大きな目標、夢のようなものです。3年先、5年先、10年先、生涯を見据えて長期目標を持つことだと思います。長期目標を持つことができたら、実現可能な短期目標に分けることが必要です。例えば膝を曲げて思い切り飛び上がり手で到達点に印をつけます。それより10cmだけ距離を伸ばそうという小目標を持つことができれば俄然やる気に火が付きます。そういう目標を持つことができれば、ほとんどの人が目標をクリアします。小さな成功体験は自信や自己肯定感を育てます。行動に弾みがついてきます。これが生きる意欲につながります。私の長期目標は最低90歳までは長生きすることです。できれば100歳以上まで長生きしたい。理想はピンピンコロリです。意識して取り組まないと実現は心もとない。そのために短期目標としてどんなことに取り組んでいくのか。まず1年に1回の定期健康診断を欠かさないようにする。身体の不具合箇所を早期に発見して、メンテナンスを欠かさないようにする。車と同じで老化してくるといろんなところに問題が出てくるという前提に立たないといけないと考えています。セロトニン活性化、鍛え方はぜひとも継続して生活習慣としたい。詳細は2022年2月13日に紹介しました。さらに足腰を鍛えるために毎日6000歩以上は歩くようにする。それも3分早歩きをして次の3分はゆっくりと歩くことを意識する。これは足の筋肉を鍛えるコツだそうです。また階段上りを心がける。それも一段飛ばしを取り入れる。今のところはマンションの管理人の仕事の中で実施している。つぎに頭の老化を遅らせることを考える。興味や関心を持てるものにはどんどん挑戦してみる。特にカラオケ、自家用野菜作り、花卉園芸、加工食品作りに力を入れる。また現在チンドン屋として活動している。老人ホームの慰問活動、地域のイベントにお呼びがかかった時は支障のない限り引き受ける。そのためにアルトサックス、傘踊り、どじょう掬い、浪曲奇術、獅子舞などの練習を欠かさない。次にこのブログの投稿記事を毎日1本は作る。そのためには前日には書くテーマを1つだけ決めておく。アンテナを四方八方に広げてネタ集めを心がける。これらを駆使して、なんとか脳の廃用性萎縮現象を食い止めたい。
2024.01.12
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神経質性格を持っている人は好奇心が旺盛であるという特徴があります。他人が見向きをしないようなものに大きな興味や関心を示すのです。これは後から身に着けようと思っても身に着けられるようなものではありません。天性のものです。親や祖父母の誰かから授かったものだと思います。小さな好奇心を大切にして、それを大きくして生涯の仕事にする人もいます。好奇心は自立心を育てることにつながります。建設的な生き方、創造性豊かな生き方をしている人は好奇心旺盛な人です。これを生涯に渡って宝の山として取り扱っている人はボケることはないと思います。一旦ボケてしまうと治すことは難しくなると思われます。身体が衰えても頭が正常に機能してくれれば最後まで人間らしく生きていけます。強い好奇心を持っていることは我々神経質者の優れた特徴ですから、これを伸ばして行くことを考えていきたいものです。好奇心があってもそれを放置するのは宝の持ち腐れとなります。「もう歳だからそんなことをするのはみっともない」「お金がないのでそんなことはできない」「やってみたいが失敗することが怖い」「現状で満足だ。エネルギーの浪費は控えたい」いろんな理由をつけてやめてしまうのは簡単です。それではせっかくの好奇心が強いという神経質性格のよさは活かすことができなくなってしまいます。子育て、孫育て中の人は、子どもや孫がこれをやりたいと興味や関心を示したら、応援してあげる気持ちが大事です。2014年3月2日に紹介した岡野雅行氏の次女は高校生の時に一人で南米旅行に行きたいと言い出した。岡野氏は一流ホテルに泊まることを条件にして送り出した。普通はいつ命を落とすかもしれない危険な海外旅行するのは躊躇するだろう。敢えて冒険した娘は貴重な友人をたくさん作って帰ってきた。考えかたもしっかりしてきたという。イエスかノーかはっきりと自己主張ができるようになったという。その後娘は航空会社に就職して世界中を飛び回るようになった。それに影響されて長女は東南アジアを回ってきたという。2013年11月30日投稿したヨットマンの白石康次郎氏のお父さんのモットーは「子どもの邪魔をしない」ということだそうです。高校を卒業して、ヨットで世界一周をしたいから、大学へは行かない、就職もしない。ヨットマンの多田さんの弟子になると言ったとき、一言「わかった」と言っただけだったという。「この親にして、この子あり」子供の好奇心を刺激して応援する親は子育て名人です。(人生で大切なことは海の上で学んだ 海洋冒険家 白石康次郎 大和書房)
2024.01.11
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動物園で飼育されているライオンやシマウマをアフリカの草原に戻すとどうなるか。ライオンは獲物をとることができず餓死するかもしれません。シマウマはその日のうちに肉食獣の餌食になるだろうという人がいます。アフリカに住んでいるライオンは、毎日必死になって食べ物を探し回っています。緊張感をもって生活しています。気力、体力が充実しています。その状態で生活していると狩りの能力はどんどん向上していきます。アフリカに住んでいるシマウマは肉食獣に食べられないように群れを作って生活しています。仲間と協力しながら、肉食獣に近づきすぎないように、緊張感を持って周囲の状況を観察しています。動物園にやってくると餌をとる必要がなくなります。シマウマなどの草食獣は自分のテリトリーに肉食獣が入り込んでくることはなくなります。全ての動物の安全は人間の手によって確保されています。次第に緊張感はなくなってきます。心身とも弛緩してきます。この状態では気力、体力、能力はたちまち衰えてしまいます。丸々と太って動くことがしんどそうな動物がいます。精悍だった目つきはいつの間にかうつろになっています。そして子育てには興味も関心もなくなってしまうのです。動物園で飼育されている動物は、姿はアフリカに住んでいるライオンやシマウマと一緒ですが、似て非なる動物なのです。人間の場合、高額の宝くじに当たった。競馬、株、FXなどで大儲けした。多額の事故や病気の保険金が入った。多額の遺産を手にした。土地の収用の補償金が入った。働かなくても政府の補助金がもらえる。年金が満額出るようになった。全て喜ばしいことにように思えます。働く必要がないと思った人はすぐに仕事を辞めてしまうかもしれません。生活のために働くことを止めて、贅沢三昧、消費一辺倒の人間になってしまうのです。いつの間にか緊張感がなくなり、生活は乱れてきます。時間をもてあますようになると、刺激を求めてさまようことになります。「なにかおもしろいことはないか」ということを考えるようになると問題です。普通の場合は次々と手掛けなければいけないことが山のようにあって、心身ともに緊張して完全に弛緩状態になることはないはずです。いったん精神が完全に弛緩状態に陥ると、再び緊張状態に戻すことは至難です。日々緊張感を持った生活を維持するためには、規則正しい生活習慣化することだと思います。森田では「休息は仕事の中止ではなく仕事の転換にある」といわれています。毎日のルーティン作業を無意識の状態で次々にこなしていくようにする。その際、問題点、課題、改善点、改良点、楽しみ、喜びを見つけ出すという意識を持って取り組む。心をこめて丁寧に取り組むように心がけると、緊張感と弛緩状態のリズムが生まれ、行動に弾みがついてきます。緊張と弛緩のリズムに乗って生活することが、森田理論の目指しているところです。住吉神社
2024.01.10
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矢野惣一氏のお話です。人間関係をよくするためには、次の3つのバランスが大事だと言われています。1、相手に愛を与える。相手に尽くすということです。相手が困っている時に手を差し伸べる。親身に相談相手になってあげる。世話をしてあげる。傾聴、共感、受容、許容を心がける。2、相手からの愛をきちんと受け取る。相手の好意を素直に受け取る。自分のことを理解しようとしてくれている。自分の気持を分かってくれた。親切にしてくれた。自分のことを評価してくれた。プレゼントをいただいた。そんなときは素直に感謝の言葉やお返しをするように心がける。3、自分を愛する。自己肯定感を高める。自分に自信を持つ。自己嫌悪、自己否定しないで、自分は自分の最大の理解者となる。どんな状況であっても自分で自分を見捨てない。自分自身を守り通す。自分の気持、欲求、希望などを分かりやすく相手に伝えられるように努力する。自分のやりたいことや目標を明確にして取り組むようにする。これらのどれか一つに大きく偏ると、問題が出てきます。たとえば、相手が求めていないものを与えようとすると有難迷惑になります。小さな親切大きなお世話になります。しつこいと言って嫌われるようになります。相手の好意を受け取るばかりでは、依存性が強くなり、自立できなくなります。またやってもらうことが当たり前になり、感謝の気持ちが湧き上がらなくなります。自己嫌悪、自己否定の気持ちが強くなると、生きることが辛くなります。自己内省一辺倒になると、課題や目標に向かうエネルギーが枯渇してしまいます。この3つが過不足を起こさないように、意識して調整することが大事になります。他人に愛を与えることに偏っている場合は、他人の好意に甘えることや自分を愛することに力を入れる。他人からの愛を受け取ることに偏っている場合は、相手からの愛を受け取ることよりも、相手に愛を与えることや自己肯定感を高めることに力を入れるようにする。人の思惑に振り回されている人は、自分の感情、気持ち、欲求、意志、行動を優先するように心がける。自分を大切にできない人は、相手の感情、気持ち、欲求、意志、行動を尊重することもできなくなります。人間関係に問題を抱えている方は、この3つのバランスがとれているかを点検することが大切になると思います。片寄りを感じたら、すぐにバランスを回復させるように手を打つ。ちなみにバランスを意識するという考え方は森田理論の重要な考え方の一つです。神経症的な不安は欲望の反面として湧き上がると言われています。森田では、不安と欲望のバランスをとるためには、不安を抱えたまま生の欲望の発揮に力を入れることをお勧めしています。また欲望の暴走を食い止めるために、不安をブレーキとして活用するという側面も忘れてはなりません。欲望と不安のバランスを心がけると神経症に陥ることは防止できます。(うまくいかない人間関係は愛の偏りが原因です 矢野惣一 廣済堂出版参照)
2024.01.09
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親の子どもの育て方、接し方が子どものその後の人生を大きく左右することは間違いありません。親になったら子どもの教育やしつけには十分に気を配ってほしいものだと思っています。しかし現実は理想通りにはいきません。親の育て方に異議を唱える人は、親が子育ての責任を果たそうという気持ちを持っていなかったのではないか。子育てに関心を持っていなかったのではないか。食べ物さえ与えていれば、自立した大人に成長すると考えていたのではないか。あるいは過保護、過干渉、育児放棄をされて育てられた。その結果、自分は人間関係に苦しみ、人間として自立することができなかった。まともな親のもとに生まれてきたかった。なんて不幸なのだろうと、自分の境遇や運命を呪ってしまう。そのように親の育て方に注意や意識を向けていると、今度自分が親になったとき自分の子どもに対して親と同じようなことをしている場合があります。子育ては世代間に渡って次々と伝染していくのです。その時、自分の子どもの人生を台無しにしてしまったという認識はほとんどない。子どもがまともに育たなかったのは、本人の責任だと考えている。親子が不幸の連鎖に陥ることはどこかで断ち切らなければなりません。森田理論に事実、現実、現状をあるがままに受け入れるというのがあります。この考え方で乗り切っていくことはできないものでしょうか。その時に役に立つのは両面観で分析してみることです。マイナス面ばかりではなく、プラス面の分析が重要になります。私の場合で振り返ってみました。・親は人間としてこの世に生を受けるきっかけを作ってくれた。・自分で稼げるようになるまで育ててくれた。・必要最低限のものを買い与えてくれた。・はぐくみあいのある神経質性格を与えてくれた。・大学に行かせてくれた。・立派な実家を残してくれた。・孫をよくかわいがってくれた。・家を買う時に援助をしてくれた。・田んぼや畑や山を残してくれた。・相続財産をある程度残してくれていた。親は子どものためにいろんなことをしてくれていたのです。これらを親として当然のことをしたまでのことだと見過ごしていると、感謝する気持ちは全く湧き上がってはきません。集談会で感謝を「忘れた」人は、「心を亡くした」人であると教えてもらいました。感謝の気持ちを持てない人は、不平不満でいっぱいになり、愚痴ばかりこぼすようになります。感謝するということは親子関係の改善につながります。親に対する感謝の気持ちが湧き上がってきたら、・親がまだ生きている人は積極的に親孝行をする。・親が亡くなっていたら毎日仏壇に手を合わせて感謝する。・そして罪滅ぼしに、世話するものを見つけて、全身全霊を込めて世話をしていく。こんな気持ちになれれば、親はきっと草葉の陰から「うまく育てることができなくてごめんなさいね」とむせび泣いていることと思います。親が一番心にかけているのは子供なのですから。
2024.01.08
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昨日の黒丸尊治先生の治療法を集談会で活用する具体的な方法について考えてみました。1、相手が抱えている悩みや心身の痛みをよく聴く。窓口営業の仕事をしていますが、ミスや失敗をすると上司や周りから叱責されるので、針のむしろに坐っている感じです。ミスや失敗が気になって、仕事に積極的に取り組むことができません。いっそのこと退職したいと考えているのですが、その後の家族の生活のことを考えると決断できません。自信を持って仕事をしたい。人の評価を気にしない人間になりたい。何かよい方法はないでしょうか。2、悩みを抱えながらも現在実行できていることを見つける。3、そこを評価する。ほめる。深刻な悩みを抱えておられますが、現在なんとか踏ん張っておられますね。そこは大いに評価できるところだと思います。症状がひどくなると、家に引きこもり何もできなくなりますからね。悩みを抱えながら仕事をされているのはすごいことだと思いますよ。その点はぜひ自分で自分をほめてあげましょう。私も同様の悩みを抱えていましたが、集談会で先輩から「あなたは月給鳥になりなさい」と言われました。生活費を稼いでくるという目的をしっかり持って仕事をすることが大切です。それまでは人間関係をよくすることが最大の目的となっていました。さらに墜落しない程度の超低空飛行で十分ですよと言われました。辛いときは私たちが寄り添ってあげますから、なんでも話してくださいね。今振り返ると集談会の仲間の存在は心強かったです。4、どうすれば悩みを抱えながらも行動できるのか、そのコツを教えてもらう。自分の与えられた仕事を何回もチェックして間違えないように心がけています。会社では2人ほど話し相手になってくれる人がいます。アルコールが好きなので、酒で発散しています。休みの日はリサイクルショップや水泳に行っています。音楽も好きでコンサートにも時々行きます。それと月1回集談会に参加して、悩みを聞いてもらうようにしています。ボランティアで老人ホームの慰問活動をしています。5、今の苦しみや痛みが仮に1割程度減ったとすれば、どんなことができるか、あるいはどんなことをしてみたいかを聞く。そうですね。心の重しがとれて気が楽になるかもしれませんね。その分仕事に意欲的になれるかもしれませんね。仕事の段取りがよくなるかもしれませんね。今は納期にまで気が回らないですから。行き当たりばったりです。ミスをするとすぐに自己嫌悪、自己否定するところがあります。そんなに自分を責めないようになるかもしれませんね。6、弾みがついても、無理しないで、自分の出来る範囲で取り組んで行くことを伝える。調子がよくなってもやりすぎはやめましょうね。反動が怖いですから。森田では雑仕事を丁寧にすることをお勧めしています。ルーティンワークを丁寧にこなしていると精神的にゆとりが生まれますよ。自分のペースを守って決して無理をしないで仕事に取り組んでくださいね。雑仕事を丁寧にこなしていくと、他人から評価されるようになり、人間関係がよくなりますよ。その他、規則正しい生活や凡事徹底をお勧めしています。外堀を埋めているのです。治った人はこの関門を通過していますよ。
2024.01.07
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2014年3月3日で心療内科医の黒丸尊治先生の治療方法について取り上げました。この投稿記事によると68歳の男性で半年前から背中に痛みある。ひどい痛みで1日中家の中で過ごしている。整形外科、神経内科、麻酔科などで見てもらったが改善にはつながらなかった。心の問題かもしれないと黒丸先生のところにやってきた。黒丸先生は男性の話を聞いて次のように話した。「2年前に奥さんを胃がんで亡くされたとのこと。2年経ったとしても、忘れられるものではないでしょう。奥さんへの思いが強ければ、余計に忘れられるものではありません。だから今は、悲しんだり、くよくよしていても全くかまいません。いや、むしろそうしていないといけない時期なのかもしれません。そうすることで、たまっているものを吐き出し、それでうまくバランスをとっているのでしょうね。だから、今のような状態をしばらく続けておいてください」「しかし、こんなにしんどい症状を持ちながら、今までやってこられたというのは紛れもない事実ですよね。ということは、そこには何か症状をうまくコントロールするコツみたいなものがあるはずなんですが、それをぜひ教えていただきたいんですが・・・」「そんなことをいわれてもねえ、多少ましなのは銭湯に行くぐらいですかね。それと散歩をしているときも多少はましですかね。気がまぎれるせいかもしれません」2週間後の診察では、ちょっとは楽になったらしい。「いったいどうしてそんなに痛みを和らげることができたのか教えて下さい」と聞いた。すると患者さんはいろいろとよくなった理由を教えてくれるそうだ。黒丸先生は、それを「素晴らしいですね」と評価するだけでは、心の治癒力を十分に引き出すことはできないと言われている。治療としては不十分なものになってしまうどころか、かえって患者さんに不信感を抱かせ、症状をさらに悪化させてしまうことすらある。黒丸先生は次のように聞いている。「ではもし7の痛みが6に減ったとしたらどんなことができるようになるでしょうかね」「そうですね、もう少し散歩が長くできるようになるかな」「ほかには」「碁を打ちに出かけたり、もう少し食事が食べられるようになるかな」もう少しよくなったとすれば、何が違ってくるか、どんなことができるようになるか、といった質問をすることで、患者自身で「こんなことをしたらいいかもしれないな」という思いを引き出すようにすることが大事になる。その積み重ねが好循環となり、さらに症状の軽減を招く。この患者は食欲が出てきて、今までおかゆのようなものしか食べられなかったのに、ご飯を食べられるようになってきた。以前好きだった碁も打ち始めた。黒丸先生はやりすぎには警戒してくださいと言われている。「あなたの体の状態では、今これだけのことができれば十分でしょう。これ以上やろうと思わなくて結構ですよ。あとは、このままの状態を続けてくださればけっこうですから」「ああ、今の状態でいいんだな」と思えば安心する。そうなれば人間は不思議なもので、「もう少しやってみようかな」と思うものです。3回目の受診では背中の痛みは80%はとれたそうだ。4回目の受診では痛みがなくなり治療は終了した。素晴らしい話だと思います。これは神経症にも応用できそうです。明日は具体的な例で考えてみたいと思います。
2024.01.06
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NHKラジオの「ふんわり」という番組で黒川伊保子氏が面白い話をされていました。心に浮かんだことを気軽に人に話し合う環境を整えていくと、その場に居る人たちの発想力が豊かになっていく。反対に頭ごなしに「かくあるべし」を押し付けるような雰囲気になると、その場に参加した人みんなの発想力がおちてくる。気づき、発見、アイデア、工夫、興味や関心を刺激するためには、安心して自由にしゃべれる雰囲気を作らなければうまくいきませんよと指摘されていました。これは集談会などの学習会ではぜひとも留意したいことです。集談会は安心して気楽に自由に発言できる場作りが大事ということです。自由に話をしていると頭が活発に動き出して、思ってみないような役に立つ話が出てくるということになります。自由を制限された会合は、自分が思っている以上に発想力が落ちてしまいます。それは大脳が考えることを止めてしまうからです。嫌な思いをするより静観した方がよいということになります。そんな学習会は活気がなくなり、参加することが苦痛になってしまいます。集談会では、傾聴、共感、受容、許容の気持を大切にしましょうという申し合わせ事項があります。相手の話をよく聴いて同意する。良い点を評価する。ほめる。励ます。乗せ合うことを心がけたいものです。居心地がよいと感じるようになれば参加者が増えてきます。先日オンラインの全国版集談会のJUPITERに参加しました。生活の発見誌を読んで感想を述べあう学習会でした。進行係の人の対応に感心しました。参加者に寄り添う、存在を認める、励ます、評価する、発言機会を均等に割り振ることが自然にできていました。とても居心地が良かったので、また参加したいと思いました。
2024.01.05
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玉野井幹雄さんのお話です。基本的に私どもは、異常でないものを異常と思い込んで、それを取り除こうとしているわけですから、治るはずはないし、治ってはいけないのです。したがって、最後は「治らない」ということをはっきり自覚しなければ、どうしても治まりがつかないのであります。私どもは、治るかもしれないという思いが少しでもあるうちは、その事実に対して真剣になることができません。どこかに甘えが残ります。(いかにして神経症を克服するか 玉野井幹雄 自費出版 78ページ)自分に関して良いと思うことが全くなくなっても、たとえどんなに自分が惨めな状態になっとしても、生きている限り「最悪の道」だけは必ず残っています。もうどうしていいか分からない、私は完全にゆきづまってしまったという人でも、そのゆきづまったままに生きる道がまだ残っているのです。その「最悪の道」を進む覚悟ができてくれば、あわてる必要がなくなります。(同書 88ページ)玉野井さんによれば、神経症を抱えていようが、どうすることもできない葛藤や苦悩を抱えていようがそのままの状態で生きていく道が残されていると言われています。そのようなことができるのかと思われている人が多いと思います。私は集談会で65歳以上まで生き延びた人は、100点満点の人生だったと聞いたことがあります。65歳まで生きていると様々なことが起きます。多くのミスや失敗を積み重ねてきました。辛くて人生に終止符を打ちたいと思ったこともあります。気分本位になり、後悔だらけの人生を歩んできました。他人からは非難や否定され続けてきました。それでも途中でリタイヤしなかったのです。とにかく必死に生き続けてきた。あきらめなかったから今がある。人間はできる限り延命を図ることが最大のミッションだと言われます。途中どんなに苦しくて逃げ回ったとしても、何とかかわして長らく生きてきたということは自分が考えている以上にすごいことなのです。そう思える人は、自分で自分を褒めてあげてもいいと思います。苦しい人生だったにもかかわらず、途中で投げ出さないで、よくぞここまで生き抜いてきたね。あんたはえらい。さらに人生の第4コーナーを回って心穏やかな日々を生きている人は幸せな人です。これ以上幸せなことはありません。神様がいるとしたら、与えられた命を守り抜いてきたという点を大きく評価されるのではないかと思っています。もし次に生まれ変われるチャンスがあるとすれば期待が持てると思います。その日を迎えるためには、森田理論学習と集談会の仲間たちの支えが必要です。森田理論では不安の裏には欲望があるといいます。欲望の方に目を向けていきましょうと教えられました。また観念で事実を否定して格闘する生き方の間違いを学びました。雲の上にいる自分が、現実の自分にそっと寄り添うことが肝心であると教わりました。事実本位を目指す方法は人によってさまざまあることが分かりました。人間関係は付きず離れずの距離感が大事だと教えられました。これらを森田理論学習で教えてもらったことはありがたいことでした。横道にそれても、すぐに元に引き返することができたのですから。集談会の仲間たちの付き合いは神経症を解消するのに役立ちました。自分は決して孤立していない。同じ目標を共有する仲間がいる。心の安心・安全基地を確保できたことは大変心強いことでした。なんとか人生の有終の美を飾ることができるという確信を持つに至りました。
2024.01.04
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恐怖突入をどうとらえたらよいのでしょうか。症状に振り回わされている人に、どんなに苦しくてもその時その場で必要なことに手を出していくことだと言われています。不安神経症やパニック障害の人は、このやり方で乗り越える場合があります。認知行動療法では、乗り物恐怖や卒倒恐怖の人に対して、その不安をいくつもの階層に分けて恐怖突入させます。これを暴露療法と言います。例えば、不安発作が怖くて特急電車に乗れないという人に、普通電車に乗ることから慣れさせていきます。最初は付き添いの人がいる。慣れると自分一人で行う。最初は家から出る。駅に行く。各駅停車の電車に乗る。急行電車に乗る。小さな恐怖突入を繰り返して自信をつけさせていくというやり方です。何度も繰り返していると、不安が和らいでいく。恐れていたことは何も起きなかったという経験を積み重ねていく。最終的に普通の生活に戻っていく。強迫神経症の人は、そもそも不安や恐怖が得体のしれない化け物のように大きくなり、体に張り付いている。逃げれば逃げるほど不安や恐怖に追い掛け回されている。そんな状態の人に、症状には手を付けないで、恐怖突入しなさいというのはハードルが高すぎると思います。実際にはできません。ですから別の方法をとった方がよいと考えます。その方法は外相を整えるという方法です。考えてみると、症状で苦しんでいるときは、日常茶飯事を親や配偶者に依存している場合が多い。最悪依存できない場合は、その状態のままで放置されていることが多い。後片付けが放置されて部屋が散らかりゴミ屋敷状態になっている。食器の後片付けもしていない。毎日風呂にも入らない。洗濯もしない。食事を作らない。食事はもっぱら外食、ファーストフード中心という人もいます。そして思いつきの行動が多くなり、規則正しい生活とは程遠い。これを改善することに注力していくというのは如何でしょうか。規則正しい生活に戻していく。日常茶飯事から逃げないようにする。丁寧に取り組む。神経症が治るということは、最初は症状のことで頭の中がいっぱいですが、日常生活を立て直すことで少しずつその比重が落ちてきます。その緩和された部分が神経症が治ったことだととらえるようにする。強迫神経症の人は、規則正しい生活、凡事徹底に取り組むことで、症状以外のことを考えられるようになると、タマネギの薄皮を剥がすように少しずつ良くなっていくはずです。これは強迫神経症と正面からガチで取り組むのではなく、外相を整えることに専念するということです。そんなことに取り組んでも強迫神経症はよくならないという人もいます。規則正しい生活、凡事徹底に取り組むことは、回り道のようですが、考える以上に大きな効果があります。ぜひ実践で確かめてみて下さい。
2024.01.03
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2023年3月1日に1年で66795円を貯める方法をご紹介しました。これは1から365のくじを作り、当たった数字の金額を貯金していくというものでした。実際にはエクセルで管理してしています。表計算は便利です。左から日付、当たったくじ、入金額、預り金、貯蓄額です。たとえばこんな具合です。12月1日 くじ300円 入金額1000円 預り金700円 貯蓄額60000円12月2日 くじ160円 入金額 0円 預り金540円 貯蓄額60160円12月3日 くじ210円 入金額 0円 預り金330円 貯蓄額60370円これを繰り返した結果、12月31日で66795円貯まりました。自由に使えるある程度まとまったお金があるのはうれしいものです。たまには思い切って贅沢でもしてみようかとワクワクします。今年はくじを引かずにこの表を活用して続けることにしました。手間がかからず、自動的にお金が貯まり、楽しみが増えます。昨年は欲しかった7インチのポータブルナビを買いました。チンドン屋の興行で老人ホームや公民館や町内会へ行くことが多いのですが、道に迷いいつも難儀していたのです。このポータブルナビは取り外しができます。これが便利なのです。翌日にイベントがあるという場合は、家で訪問先を特定して地点登録するのです。そしてルートのシュミレーションを起動させて道順を確認します。普通にナビを起動させると高速道路を通るように案内が始まります。これは設定で一般道路を第一選択肢として指定すればよいことが分かりました。でも、自分の考えていた一般道とは違う道を案内することが頻繁に起こります。これはルート編集で経由地を何か所かあらかじめ設定しておけば、ストレスがなくなることが分かりました。このナビは初めての場所に行くときは手離せなくなりました。近くの景勝地や施設などの観光案内も豊富に用意されていました。今度はこれを活用して出かけてみようと思っています。去年貯めたお金が多少余りましたので、孫を連れて新しくできたサッカースタジアムやプロ野球観戦に出かけることを考えています。皆さんもよかったら今年の実践課題として取り組んでみませんか。岩国の錦帯橋が見えます。周りは吉香公園です。
2024.01.02
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読者の皆様、昨年は大変お世話になりました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。今年はブログを始めて12年目に入ります。今年はとりあえず投稿件数5000を目指します。内容は始めた頃に比べると、少しずつステップアップしているように感じます。最近は森田理論の仕事や生活や人間関係への活かし方の投稿が多くなってきました。自分の投稿記事を読んで、自分が励まされているような状況です。今年は明るさを前面に出して、笑門来福(笑う門には福来たる)でさっそうと駆け抜けたいと思っています。さて生活の発見会ではJUPITERというリモート懇談会が昨年から始まっています。これはZOOMシステムを利用しています。今までのリアルの集談会では考えられない画期的な展開だと思います。森田理論学習に新しい風が吹いてきたことをひしひしと感じています。JUPITERというリモート懇談会は発見会の会員でなくても参加できます。30代から50代の人も多い。しかも無料で参加できます。自分の顔を出さなくて、声だけの参加もOKです。現在8つの部屋がありますので、お好みの学習会に自由に参加できます。森田の学習の要点を学習するメインの部屋、対人の部屋、バニックの部屋、若者だけの部屋、生活の発見誌を読んで感想を述べあう部屋、平日の火曜日の部屋、平日夜間の部屋、居酒屋などの部屋があります。私は最初はあまり乗り気ではなかったのですが、試に参加してみたところ、内容がとても良かったです。今後大いに発展するという確信を持ちました。もしかすると、森田理論の世界展開の始まりになる可能性すらあると思います。世界の人と同時通訳で森田でつながるというのは夢があります。とりあえず登録だけでもしておくというのは如何でしょうか。登録者はすでに200名以上に達しているようです。全国の仲間と学習ができ、会話がはずみ楽しいです。詳しくは生活の発見会のホームページでご確認ください。読者の皆さんが、これらのツールを大いに活用して、悔いのない1年を過ごされることを祈念して年頭のあいさつといたします。宮島の大鳥居
2024.01.01
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