全29件 (29件中 1-29件目)
1
法事が二つもあるので、四国の鄙の地に帰省しています。一度神戸に帰って、また来る予定であったが、高速代とガソリン代を考えるとずっとこちらにいる方が安いと、大公妃がおっしゃるので、居残りになっております。…ということで、1軒しかないネットカフェに出向いてブログ巡回および記入となった次第です。神戸の図書館で借りた2冊の借り出し延長をネットで済まして・・・この後、当地の図書館で借りた本の紹介を行う予定でおます♪では、また5日程あとで、ネットでお会いしましょう。サヨナラ、サヨナラ。(その紹介は神戸に帰ってからになるかも)
2014.07.29
コメント(4)
今回借りた2冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「アート」でしょうか。<市立図書館>・字幕の中に人生・バルテュスの優雅な生活図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)なお、今日から四国の田舎に4日ほど帰省するので、今回は借りる本を2冊に抑えています。(法事が二つあり、8月3日頃にまた帰省します)帰省の間は、また音信不通になりますので、そこのところを宜しく。*************************************************************【字幕の中に人生】戸田奈津子著、白水社、1994年刊<「BOOK」データベース>より一秒四文字、十字×二行以内のせりふ作りにすべてを賭ける映画字幕の第一人者が、『第三の男』の名訳を目にして以来あこがれつづけた字幕翻訳者への道が『地獄の黙示録』で花開き、以来ひっぱりだこの人気と実力を得るようになった今日までの半生をたどる、はじめての書き下ろしムーヴィー・ライフ。<大使寸評>今はなき大御所清水俊二さんの薫陶を受けた戸田奈津子さんであるが・・・映画字幕に入れあげた末に、大御所にまでのぼりつめた感があるのです。映画の台詞とは異文化そのものともいえるが、その翻訳がこれほどアナログな世界であるとは・・・いつまでたっても自動化できない世界のようですね。『第三の男』で字幕に開眼し、『地獄の黙示録』で大ブレークするあたりが、シブいというか・・・映画が好きなんでしょうね♪それはそうと、和田誠の表紙イラストがええなぁ♪rakuten字幕の中に人生【バルテュスの優雅な生活】セツコ・クロソフスカ・ド・ローラ, 夏目典子著、新潮社、2005年刊<「BOOK」データベース>より画壇の流行に背を向け、半・隠遁生活のなかでひたすら描きつづけた「孤高の画家」バルテュス。誤解と賞賛に彩られた人生の物語を、アトリエや寝室、素描帖の初公開写真と節子夫人の回想でたどる。【著者情報】ローラ,節子・クロソフスカ・ド(Rola,Setsuko Klossowska de)東京生まれ。1962年、上智大学フランス語科在学中にバルテュスと出会う。1967年、結婚。70年代より自らも画家として活動をはじめる。2002年、バルテュス財団発足とともに名誉会長に就任。現在、モロッコのフェズ国際神聖音楽祭名誉委員。2005年、ユネスコ「平和のアーティスト」の称号を授与される。<大使寸評>今、京都市美術館でバルテュス展をやっているので、観たいとは思うのだが・・・なにしろ、京都は暑いので、なかなか踏ん切りがつかないのです(笑)rakutenバルテュスの優雅な生活*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き67図書館大好き(目録)
2014.07.24
コメント(2)
リタイアを機に、携帯無しの生活を満喫している大使であるが・・・・それは、かつての「アポなし訪問、会えたらラッキー」のどこかアナログな感覚が作用しているのだろう。若かりし頃、パリで10ヶ月ほど窮乏生活をしたが、その頃のお話を思い出したのです。**************************カルチェラタン空港からタクシーに乗り、パリのカルチェラタン(ババン通り)についたのです。行く先は遠い親類の家でしたが、今のように携帯電話がない時代だったから・・・・当然、住所だけが頼りのアポなし訪問でした。このときは在宅の親類に会うことができたが、それは結果がラッキーだったにすぎないわけです。この親類が近くの安宿を教えてくれたので、そこに投宿し、私のパリ生活がスタートしたのです。後で聞くと、このババン通りは画家も住むが、かなり危険な香りのする通りだったようだが、お登さんには知る術もなかったのです。親類にとっては私を世話する義理もないし、私にしても親類の世話にすがるようなつもりも無かったのです。で、もう一人の知人がバカンスをベルサイユ辺りで過ごすということで渡仏していいるので・・・安ホテルの投宿仲間を伴って、ベルサイユまで住所をたどって、遠足がてら出かけたのです。この投宿仲間はレユニオン島出身のインド人だったが、インド人がフランス語ペラペラなのに驚いたわけです。仏領のレユニオン島だから不思議でもないのだが。このときは、残念ながら知人は不在だったので、書置きをポストに投函して帰るしかなかったわけです。後日、この知人が安ホテルまで訪ねてきてくれたが、携帯のない時代だから、当然のこととして、アポ無し訪問でした。このように、渡仏した際の拠り所は2件の住所のみという・・・人情紙風船のような危なっかしい渡仏でした。アポ無し訪問のお話を、もうひとつ。同期入社の友達が、留学先のニューヨークから、パリの私を訪ねて来たことがあったのです。この友人も、我が住所が頼りのアポなし訪問でした。このときは、下宿先の大家のマダムと一緒に外出するため、アパルトメントの階段を降りているときに出会ったのです。時間のずれがあれば不在の可能性が大きいわけで・・・これもラッキー♪この友人は約1年の渡米留学を会社休職で敢行したしっかり者でしたが・・・一方の私は、会社を辞めて根無し草のような渡仏でした。その後、日本に舞い戻りフランス語を生かすこともなかった大使であるが・・・この無計画なところが、いかにもアホやで♪携帯電話のない頃は、会えるとラッキーという、まあ、なんともアナログの時代でした。でもね、アポ無し訪問を受けるのはサプライズであり、嬉しさも倍加するわけです。
2014.07.23
コメント(2)
中島らもさんのメモリアルWEEKが21日から始まり、27日まで大阪市内各地で映画祭や追悼ライブがあるそうです。先日の日記アホの遺伝子を継ぐ人でも触れたが、らもさんは「アホの遺伝子を継ぐ人」だということで、忘れがたい人でした。7/21中島らもさんへ、ひつこい愛 10周年追悼週間始まるより 小説や音楽、演劇などマルチな才能を発揮した故・中島らもさんの遺族やゆかりの俳優らが企画した「メモリアルWEEK」が21日始まり、大阪市内であったオープニングイベント「らもさん昇天10周年 ひつこいファンの集い」にファン約800人が詰めかけた。 らもさんの妻美代子さん(62)とスキップして登壇した長女で作家のさなえさん(36)は「10年たってもずっといるような気配がして、気持ち悪い」と笑わせた。「勝手に弟子やと思ってる」というタレントの松尾貴史さん(54)が司会を務め、俳優の宇梶剛士さん(51)や音楽家のチチ松村さん(59)らが思い出話に花を咲かせた。 らもさんは1984年から10年間、朝日新聞で連載した「明るい悩み相談室」でも人気を博した。2004年7月、酔って階段から転落し52歳で亡くなった。 「メモリアルWEEK」は命日の26日をはさみ、27日まで大阪市内各地で映画祭や追悼ライブを開く。詳細は公式ホームページ(http://ramo-nakajima.com/memorial/)。我が蔵書録から「西方冗土」を紹介します。【西方冗土】中島らも著、集英社、1994年刊<「BOOK」データベース>より「ヤクザ、アキンド、ヨシモト」マスコミに描かれる関西人は三つの人種のみで、かれらは「けつねうどん」と「たこやき」を主食にしており「わやでんがな」などの、奇怪な言葉を操りつつ「がめつい奴」を演じている―という、恐るべきカンサイ人の朝昼夜。街角の看板、貼り紙。試験に出る関西弁を縦横無尽、奇想天外に考察し、関西人にエールを贈り、ヨタを飛ばすエッセイ集。浪速はこれ一冊でわかります。<大使寸評>関西弁のブラッシュアップにはお奨めの1冊でおま♪Amazon西方冗土
2014.07.22
コメント(2)
ネットで商用水素ステーションの記事を見つけたが、これも大使のツボにヒットするわけです。FCV向けの商用水素ステーションといっても、補助金が出なければペイできないはずであるが・・・・FCV開発に対するお役所の思惑が絡むだけに、補助金のさじ加減が気になるのです。ステーション1ケ所の建設費が5億円で、そのうち2億円が政府の補助金だそうですね。なんか、年金生活者の金銭感覚から見ると桁違いであるが(笑)・・・・補助金といっても、出所は我らが税金である。きちんと新技術を育て、中韓との差別化を図ってもらいたいのである。ネットで表明された岩谷産業のFCV戦略が興味深いのです。7/18水素に社運を懸ける、岩谷産業のFCV戦略より その1歩は小さな1歩でも、FCVと岩谷産業にとっては大きな1歩となるかもしれない――。産業用・家庭用ガス専門商社の岩谷産業は7月14日、国内初となる燃料電池自動車(FCV)向けの商用水素ステーションを兵庫県尼崎市内にオープンした。 開所式で同社の野村雅男社長は、「この水素ステーションは、大量輸送・大量貯蔵に適した液化水素を使っているともに、コンパクトで高効率のコンプレッサー(水素圧縮機)を備えた最新鋭のステーションだ」と胸を張った。<2015年度までに20カ所を建設へ> もっとも、現状は水素を注入する対象であるFCVがまだ市販されておらず、当面は”開店休業”が続く。トヨタ自動車が2014年度中のFCV発売を予定しており、早ければ年内に実質的な営業開始となる。2015年には本田技研工業も発売する予定で、商用水素ステーションもJXホールディングスや東京ガスなど他社を含め、100カ所程度に増加する見通し。岩谷自身、2015年度までに20カ所を建設する計画だ。 今回開設した第1号店は、岩谷の中央研究所敷地内にある。建設費は約5億円で、うち2億円は政府の補助金が充てられている。大阪府堺市にある同社の液化工場(ハイドロエッジ社)からタンクローリーで輸送した液化水素をステーション内で気化させ、FCVに供給する「オフサイト方式」だ。 その心臓部が、提携先の独リンデ社が開発したコンプレッサー。つまり、FCVへ充填するために水素を圧縮(充填圧力は70メガパスカル=700気圧)する装置だ。イオン液の高潤滑性や不揮発性などの性質を生かした装置で、非常にコンパクトであるため、コンテナでの輸送や既存のステーションへの併設も可能だという。 岩谷産業では、今年度内に10月の北九州市小倉区をはじめ、埼玉県戸田市、愛知県刈谷市などで計10カ所の商用ステーション建設を目指す。来年度には東京都港区にもオープンさせる予定だ。 当然ながら、採算的には当面厳しい。ステーション建設に補助金が1カ所につき最大2.8億円出たとしても、ランニングコストもあり、数年は黒字化を見込みにくい。補助金なしで黒字化するのは、FCVの普及が200万台に達すると予想される2025年以降となりそうだ。 だが、岩谷産業にとって重要なのは、水素ステーションの運営よりも、FCVの燃料である水素の販売を増やすことだ。同社関係者は「異業種から企業がどんどん水素ステーション運営に参入することで、われわれが製造・販売する水素の需要が高まればそれでいい」と話す。<液化水素でシェアほぼ独占> 同社は水素ビジネスを将来的な事業の柱に据えており、燃料電池車向け水素でも調達・精製から輸送・供給・貯蔵まで主導的役割を狙っている。 現在でも産業用水素のトップサプライヤー(シェア約55%、同社推計)の地位にある。圧縮水素も手掛けるが、とりわけ液化水素の生産では国内でほぼ100%のシェアを持つ。 1970年代から宇宙航空研究開発機構(JAXA)のロケット向けに液化水素を供給しており、2006年からは民間向けへ進出した。大阪府堺市、千葉県市原市、山口県周南市に液化工場を有する。2016年度以降に関東で第4工場を建設する計画もある。 現在の水素の供給先は半導体・液晶、自動車ガラス向けなどが中心だ。FCV向けでは、実証研究の水素ステーションを累計9カ所(現存は5カ所)で単独・共同で運営してきており、今回初めて商用のステーションをオープンした。思うに・・・EVやPHV、FCVを同時進行で開発する日本の技術的ポテンシャルは高いし・・・技術立国の基礎体力はまだ衰えていないのだろう。中国の国家資本と米国金融の陰謀に対抗して生き残るには・・・これらの開発は保険のようなもので、経済安保とでも言うべきでしょうね♪だけど、エネルギー多様化は資源のない日本にとって重要な課題であり、お役所が取り組むのはいいとしても・・・昨今の護送船団方式の実績は芳しくないわけです。結局、水素エネルギー村をつくることに終わることのないように、監視ないし注目する必要があるのではないか。なお、水素供給ステーションとFCVについては、昨年12月に大阪モーターショーにてお登りさん状態で見てきた大使でおました。この記事も個人的エネルギー政策7に収めておきます。
2014.07.21
コメント(0)
今回借りた6冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「アホの遺伝子」でしょうか。<市立図書館>・探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子・脊梁山脈・すぐそこにある希望・雑木、花木の剪定と管理<大学図書館>・夢を売る男・やっぱり好きだ!草間彌生。図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子】松本修著、ポプラ社、2005年刊<「BOOK」データベース>より'88年の放送開始以来、関西を中心に絶大な人気を誇る長寿お化け番組「探偵!ナイトスクープ」。生みの親である著者が、番組誕生の瞬間から現在までを初めて書き下ろした、爆笑と感動の一冊。<大使寸評>この本で、アホの遺伝子という言葉が出てくるのだが・・・著者の松本修ディレクターこそ、アホの遺伝子を継ぐ人なんでしょう。rakuten探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子アホの遺伝子を継ぐ人byドングリ【脊梁山脈】乙川優三郎著、講談社、2013年刊<「BOOK」データベースより>福島県費生として上海に学び、現地入営した矢田部信幸。復員列車で助けられた男を探し、深山を巡るうち木工に魅せられ、木地師の源流とこの国のなりたちを辿ってゆく。23歳の終戦、いかに生き直すか。直木賞受賞作『生きる』から10年、著者初の現代小説。<大使寸評>この本は、読みどころがテンコ盛りである♪が・・・日韓でナショナリズムが吹き荒れる昨今、帰化系氏族とか日鮮同祖がでてくるあたりが興味深いのです。とにかく著者の思い描く歴史認識のスパンは長く、広いわけです。rakuten脊梁山脈脊梁山脈byドングリ【すぐそこにある希望】村上龍著、ベストセラーズ、2007年刊<「BOOK」データベース>より自殺、格差、老後の不安…どうやって生きのびるか?村上龍の体感エッセイ’05→’07。<大使寸評>つねづね思うのだが・・・5年ほど先を読むような、村上龍の切り口の鋭さを感じるわけです(褒めすぎか)rakutenすぐそこにある希望すぐそこにある希望byドングリ【雑木、花木の剪定と管理】平井孝幸著、主婦の友社、2013年刊<「BOOK」データベース>より庭の木が大きくなり過ぎた!そんなとき、じゃまな枝を切るだけでは、せっかくの樹形が台無しになり、ときには枯れてしまうことも。大きくなり過ぎた木はどう切るか?大きくしないためにはどんな管理が必要か?人気の雑木、花木100種の枝の切り方や管理のポイントを分かりやすいイラストで解説しました<大使寸評>我が家のケヤキが元気なんで、巨木になりつつあるわけで・・・・この本を読んで切り方を学ぶ必要があるのです。rakuten雑木、花木の剪定と管理【夢を売る男】百田尚樹著、太田出版、2013年刊<「BOOK」データベース>より 敏腕編集者・牛河原勘治の働く丸栄社には、本の出版を夢見る人間が集まってくる。自らの輝かしい人生の記録を残したい団塊世代の男、スティーブ・ジョブズのような大物になりたいフリーター、ベストセラー作家になってママ友たちを見返してやりたい主婦…。 牛河原が彼らに持ちかけるジョイント・プレス方式とはー。現代人のふくれあがった自意識といびつな欲望を鋭く切り取った問題作。<読む前の大使寸評>売れっ子・百田尚樹のこの小説が図書館で借りられて、ラッキー♪出版社の敏腕編集者を通じて出版業界を語る小説となっているが、いかにも業界内幕を現していて興味を惹くのです。本屋大賞をとり、大ブレークした百田尚樹は、関西人から見れば・・・アホの遺伝子を継ぐ人やと思うとりま♪このところ小説家になるという遠謀に取りかかった(アホやで)大使にとって、出版業界の裏を垣間見るこの本は、興味深いわけです♪rakuten夢を売る男「夢を売る男」byドングリちょっと右寄り百田さん【やっぱり好きだ!草間彌生。】pen編集部編、阪急コミュニケーションズ 、2011年刊<「BOOK」データベース>より いま、世界がこのアーティストに夢中だ。その名は、草間彌生。1957年に単身渡米した草間は、無限に広がる“網”の絵画や、数々の裸のハプニングでセンセーションを巻き起こし、いち早く国際的に認められた数少ない日本人アーティストだった。 幼い頃より悩まされた幻覚に始まる彼女の創作世界は、自ら見ていた“水玉”という強靱な繰り返しのヴィジョンによって、永遠性と、宇宙ともいえる壮麗さを獲得する。 愛、そして生命の不思議ー手に取ってみることのかなわぬ神秘を、両手いっぱいにすくって見せてくれる、不世出の天才!本書は、アート史に動脈のように赤々と流れる草間彌生の軌跡である。<大使寸評>既視感のある本なんで、図書館大好きシリーズをさかのぼってみると・・・この本を借りるのは、二度目であることがわかりました(イカン、イカン)とにかく、何度見ても、やっぱり好きだ!草間彌生ということになります♪rakutenやっぱり好きだ!草間彌生。草間彌生の画像よりピックアップしました。*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き66図書館大好き(目録)
2014.07.20
コメント(4)
図書館に借り出し予約を入れて長らく待っていた『脊梁山脈』が、やっと借りられたので読んでいるところです。この著者の小説は初めて読むのだが・・・お歳のわりに古い仮名遣いが多いのである。これまでそんな小説ばかり書いてきたのだろううか?(「BOOK」データベースによると、著者初の現代小説とのことです)ま~、文体とか、仮名遣いとかは瑣末なことではあるが(笑)【脊梁山脈】乙川優三郎著、講談社、2013年刊<「BOOK」データベースより>福島県費生として上海に学び、現地入営した矢田部信幸。復員列車で助けられた男を探し、深山を巡るうち木工に魅せられ、木地師の源流とこの国のなりたちを辿ってゆく。23歳の終戦、いかに生き直すか。直木賞受賞作『生きる』から10年、著者初の現代小説。<大使寸評>この本は、読みどころがテンコ盛りである♪が・・・日韓でナショナリズムが吹き荒れる昨今、帰化系氏族とか日鮮同祖がでてくるあたりが興味深いのです。とにかく著者の思い描く歴史認識のスパンは長く、広いわけです。rakuten脊梁山脈この本は、読みどころがテンコ盛りである♪が・・・とにかく著者の思い描く歴史認識のスパンは長く、広いわけです。日韓でナショナリズムが吹き荒れる昨今ですが、帰化系氏族とか日鮮同祖がでてくるあたりを紹介します。p142~143古代の帰化系氏族を調べるうちに、彼は帰化人の概念が今とは著しく異なることに気づいた。そこには幕末に攘夷を叫んでいたであろう近代日本の為政者が作り出した民族的な偏見はなく、帰化人もまた日本人として堂々と生きていたようなのである。ひとつには国家が未熟なせいで、あらゆる分野で彼らの力を必要としていたからだろう。 諸藩と呼ばれながら政治や軍事に関わり、先進の文化を導き、国史を編纂し、外交に働き、優れた土木技術によって開拓と殖産をすすめた。その中には純粋な日本人と思われている人物も少なくない。 敗戦と連合軍の占領で目が覚めるまで、古代大和政権が朝鮮半島南部を支配し、天智称制のときに白村江の戦いで敗れた結果、その権益を失ったのだから半島はもともと日本のものである、と教えられたまま信じていた彼は、この独善的な史観の危険性にも気づかずに青春を過ごした。大抵の若者がそうだったと思う。それが恐ろしい。 民族という呪縛の外から醒めた見方をすれば、国家とは自身の世界を中心に置いて、自身に都合のよいように世界を眺めるための小さな見晴台にすぎない。小心な為政者にとって外国人は邪魔であろう。しかしそこが成熟した国家でなければ彼らは一員として新しい文化と体制を作れる人たちであり、古代の帰化人も様々な事情から海を渡り、日本という国を作ることに深く関わってきたのではないかと思った。 そのことに気づいたときから、信幸はまったく別の意味で日鮮同祖という考え方を愉しむようになっていた。体に染みついた日本というものを一度捨てる作業でもあったが、大陸で暮らした経験からか抵抗はなかった。 もっとも上海の租界は列国の大陸進出の窓口にすぎず、貿易による繁栄と自由を謳歌した人々も本当の意味で中国社会に溶け込んでいたとは言えない。古代日本に渡来した人々のように枠を作らず、帰化し、その国の人となって生きることはしなかった。 大きな夢を持ち、人生をかけて渡航し、自由を愛しながら、戦争が起これば母国へ帰ってゆく人たちと、その国の人間として戦う人たちとの違いは大きいだろう。先住者から見れば前者は気紛れな越境者でしかない。 7世紀中葉、百済救援のために兵を率いて朝鮮半島へ遠征し、唐と新羅の軍と戦い、白村江で戦死した帰化系の氏族に朴市秦造田来津という人がいる。山背の秦氏を本流とする秦一族の人で、近江愛智郡を本拠としていたので朴市田来津ともいう。その活躍ぶりは日本書紀にも描かれていて、天智天皇に近い人であったことが分かるが、いま我々の思う日本人ではなかった。そういう人が古代社会には大勢いた。彼らに帰属した部民を入れると、大化前代の秦一族だけでも十万人はいただろう。この一族に信幸は注目した。なるほど・・・この本を読むと、日本に無数いる小椋さんや秦さんに対する見方が違ってくるわけですね♪この本のテーマは木地師の源流とこの国のなりたちということになるのだが・・・木地師についてネットを巡って、探してみました。琵琶湖の風物詩より《木地師の里》 とち、ぶな、けやきなどの木を伐り 椀や盆、こけし、こまなどの木地を作る職人のことを木地師と言い 轆轤(ロクロ)師、杓子師、塗物師、引物師を木地業の四職と言った。 殆どの木地師は人里離れた深山に入って職を営みながら生活し、その山に良材がなくなれば新しい土地へ移住する漂泊の生涯を送る。 その活動の足跡は全国各地に見られる。 このような木地師発祥の地が近江路の湖東地区、神崎郡永源寺町の小椋谷と呼ばれる所で、今も 「蛭谷」と「君ヶ畑」という集落がある。 今回は蛭谷にある「木地師資料館」を訪ね、この伝統文化を守り伝承努力をしておられる小椋正美氏にお話を伺った。 近江路随一の紅葉の名所としても知られる臨済宗永源寺派の大本山永源寺を過ぎ、永源寺ダムを越えて 更に30分ほど北東方向へ車で走った山中、鈴鹿山系の山々に抱かれた山間に小椋谷はある。【全国木地師の支配・支援・保護】 蛭谷の「筒井公文所」や君ヶ畑の「高松御所」は、全国に分散した木地師たちをすべて自らの氏子と称して保護したため 江戸時代には全国最大の木地師支配組織が確立することになった。 両支配所は諸国の木地師に「山への立ち入り 原木の切り出しは自由という許可証」や「諸国の関所を自由に通行できる往来手形」を発行するなどの特権が与えられており、それによって木地師の特権を保護した。 お墨付きと称する朱雀天皇や正親町天皇の綸旨(天皇の仰せを受け蔵人所が発行)をはじめ、時の為政者(足利尊氏、織田信長、豊臣秀吉など)の許可状の写しが下付され、木地師たちは安心して活動することが出来た。 両支配所は氏子として木地師の身元を確認し、氏子かり料・初穂料・奉加金などを集め、氏子には神札・お墨付きなどを配布しながら各地を巡回した。 この廻国のことを蛭谷では「氏子駈(うじこかり)」、君ヶ畑では「氏子狩」と言い、その記録が 「氏子駈帳」 「氏子狩帳」 である。 県指定文化財で前者が32冊、後者が53冊現存し 両地区で数万戸の木地師名が記帳されている。木地師資料館【 木地師資料館 】 筒井神社境内にある普通の民家風の建物が「木地師資料館」。 全国から寄贈されたロクロを使った伝統ある木地製品をはじめ木地師の伝統と文化を伝える古文書の数々が展示されている。 1100年以上遡る朱雀天皇、正親町天皇の綸旨や信長、秀吉の許可書の現物がこの山奥の資料館に保存されているのを目の当たりにして驚きを感じる。 またここでは 手挽きロクロの原型も見ることが出来る。 このロクロは秋田の有名なこけし工人、小椋久太郎氏の父久四郎翁が愛用された現物である。木地師については、こだわりを持ってフォローしているのですが・・・木地師についてにとりまとめているので、ご笑覧ください♪ところで、この小説は、百万塔の木製小塔にも言及しているが・・・・木製小塔と木地師をつなぐ著者の視点が謎解きのようで面白いのです。『図説 本の歴史』という本から、百万塔陀羅尼のあたりを紹介します。<百万塔陀羅尼と日本の仏典>p30~31より 中国で発明された木版印刷術は、朝鮮半島を経由して、遅くとも奈良時代までには日本へと伝わったが、ほぼ同じ時代、同じルートで、仏教も日本へと伝来している。 東アジアにおける印刷は、仏教と密接な関係があり、お互いの存在なくして発展はありえなかったといえるだろう。それは、初期の印刷物のほとんどが仏書であったことが証明している。 日本印刷史の先駆けとなり、その金字塔ともなったのが、百万塔陀羅尼の印刷である。これは、764年から770年にかけて孝謙太上天皇が、国家の安泰を願い、「無垢浄水大陀羅尼経」に説かれている造塔・写経の功徳を期待して、根本・相輪・六度・自心印の4種類の陀羅尼を百万枚印刷させて、百万基の木製小塔におさめ、法隆寺など畿内の十大寺に分置させたものである。 この国家的事業につては、『続日本記』に記されており、百万塔陀羅尼が、印刷された年代が記録に残る現存世界最古の印刷物であることがわかる。
2014.07.19
コメント(4)
閑話休題というか、このアヒルちゃんの画像がたまらないので再掲します♪囲碁ソフトの対戦相手「あひるがあがあじごく」なんですが、大使は、このアヒルちゃんをいたぶって、S感覚を堪能しているわけでおま♪アヒルちゃんはからっきし弱いので、4目置かせて打っているが、100目差あたりを認識すると投了するのです。で、最近はスピード投了を目指して対戦しています。対アヒル歴戦の棋譜から、最近の結果です。花丸圧勝vsアヒル4目100目、カウント229花丸圧勝vsアヒル4目116目、カウント289もっとも、裾がガラ開きで、いっこうにシチョウを覚えてくれないアヒルちゃんだから、あまり自慢にもならないのです。この対戦を続けていると、囲碁の手筋が悪くなるのはわかっているのだが・・・・とにかく、アヒルちゃんをいたぶるのを止められないのです。(自分が怖い)ヘボ碁の大使なんですが、宮内悠介さんと考える囲碁世界戦 格上恐れず立ち向かう若い芽というニュースに接すると、若き棋士を応援したくなるのです。過去の記録を紹介します。愛いやつ、アヒルちゃん♪危うし!アヒルちゃん12013/12/24
2014.07.18
コメント(0)
日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・荒野の古本屋/偶然の装丁家・ナショナリズム入門***************************************************************荒野の古本屋/偶然の装丁家より<生き方はそれぞれ、背中押すシリーズ:内澤旬子(文筆家・イラストレーター) > 晶文社が1980年代に刊行していた「就職しないで生きるには」と冠したシリーズの存在を知ったとき、すでに私は組織に属さずに生計を立てていた。もっと早く出会えていたら、どんなに心強かったことか。 数十年前、「サラリーマン」になりさえすれば、一生安泰と信じられ、大学生は就学中に企業を回り、内定をとっていた。あれから世紀が変わり、「サラリーマン」はこれから先の生活を保障してくれる生き方ではなくなった。景気は上向いていると言われるけれど、先行きの不安はまるで消えない。かといって会社員に代わる人生のロールモデルも見いだせないまま、大多数の学生は相変わらず就学中に企業説明会を駆け回っているようだ。かつてのシリーズは「就職しないで生きるには21」と改まり、再び始動。前世紀からなにか変わったのだろうか。 第二弾の著者は古書店主、第三弾の著者は装丁家。縮小を加速させる本の業界に関わり、本好きの若者たちの憧れを集め、大活躍中の二人だ。 共通点は、新卒で企業に就職していないくらいのもので、今の仕事につくまでの紆余曲折も、既成の社会通念に対する屈託も、まったく異なる。前者は無為の日々の中で古書に関わりたいという意思が固まるのを待って老舗古書店に就職し、後に独立する。 本人からすすんで社会と距離を置いていたようで、具体的に疎外された記述はない。不安もあったようだが一貫した意志の強さが印象的で、世俗離れした日々を送ってきた日々から一転、独立開業してからは、写真集という極めてニッチな需要を的確に探り当ててゆく。 一方後者は、気の毒なことに小学生時から学校教育と反りが合わずに疎外され気味。途中で素晴らしい先生に出会うものの、中学で不登校になってしまう。インド滞在を経て画家となり、タイトル通り偶然の出会いに誠実に応えるうちに、装丁の仕事にたどり着く。 基本的には前世紀からなにも変わらない。後者の著者が強調するように、不登校ならインドに行けば解決という話ではない。 こうすれば生きていけるという正解やマニュアルは、どこにも存在しないのだ。生き方も生計の立てかたも、その人の数だけ存在する。結局はできることを、やりたいようにやるしかない。 そうは思っても、これで自分はいいのかと惑う。私もいまだに迷ってばかりだ。そんなときに本書を読むと、もう少しだけやってみようかと背を押される。就職していない人も、おそらく現在就職している人にも。 先日出た第四弾の小出版社起業の話も、楽しみに読みたい。 ◇森岡督行著、晶文社、2014年刊/矢萩多聞著、晶文社、2014年刊1<「BOOK」データベース>よりおよそ古書とは無縁と思える東京・茅場町、古びたビルの一室に“自分の砦”を築いてみたーオルタナティブ書店の旗手がつづる時代に流されない“生き方”と“働き方”!2<「BOOK」データベース>より「いつのまにか装丁家になっていた」-。中島岳志や森まゆみの著作をはじめ、小説、学術書、ビジネス書など、幅広く「本の貌」を手がける矢萩多聞。学校や先生になじめず中学一年で不登校、一四歳からインドで暮らし、専門的なデザインの勉強もしていない。ただ絵を描くことが好きだった少年はどのように本づくりの道にたどり着いたのか?気鋭のブックデザイナーが考える、これからの暮らしと仕事。<読む前の大使寸評>「就職しないで生きるには21」シリーズの本なんだそうです。今回のこの2冊は、本好きには堪えられない2冊ではないでしょうか。このシリーズは、今後も続くそうで、ええでぇ♪rakuten荒野の古本屋rakuten偶然の装丁家ナショナリズム入門より<どううまれ、歴史に作用したか:吉岡桂子(本社編集委員)> 「愛国無罪」を叫ぶ反日デモを中国で幾度か取材し、政治が重用するナショナリズムを目の当たりにした。日本に戻ってみると、書店に「反中嫌韓」棚と「日本ってすごい」本が、増殖している。 私自身も、サッカーのワールドカップ観戦ならいざ知らず、「国」をやどかりに考えたり、気持ちが動いたりする機会がなんとなく増えていないだろうか。争いの種として耳にすることが多いナショナリズムってなんだろう??。 この本では、国家、国民、民族などの意味をもつ「ネイション」にたいする肯定的なこだわり、と説明する。正義でもないが、悪でもない、と。そして、どううまれ、歴史に作用したかについて、各国の例をあげて示している。 戦争などによって地理的な国の形や統治者が変わるとき、国力が大きく動くとき、移民に触れるとき……。 日本を出発点に、ドイツを始めとする欧州を厚めに紹介し、米国、ロシア、トルコ、アラブへと地球儀を回す。そのうえで、中国、朝鮮半島へと戻ることで、東アジアの現在地が相対化されていくようだ。 ナショナリズムには、季節があると言う。 近代化が中途半端な時期こそ、盛り上がる。強大化した実感はあっても、自分の生活は、それほどでもない。力強さと一体性へのこだわりが強くなり、「ネイション」にすがって暮らしをよくしてもらおうと期待する。 その意味で、日本の昭和の戦前期に似る現在の中国は旬にある、と指摘する。これに対して、日本の場合は「失われたプライドや何とも言えない心細さへの補償」を期待して膨らんでいるのではないか、と感じた。双方の「期待」を、権力がまとう。 著者が「エゴイズムを破局に転じさせない決意も仕組みもない」と心配する東アジアで、ナショナリズムを前向きにいかす知恵は何か。考える入り口にいざなう一冊だ。 ◇植村和秀著、講談社、2014年刊 <「BOOK」データベース>よりクリミア・尖閣・竹島…衝突は、なぜ起こるのか?21世紀最大の難問。【目次】第一章 ナショナリズムの作り方第二章 ナショナリズムの動き方第三章 ネイションの自明性──日本の形第四章 ネイションの多義性──ドイツの変形第五章 人間集団単位のネイション形成(1)──ドイツと東欧第六章 人間集団単位のネイション形成──(2)ユーゴスラヴィアの滅亡第七章 地域単位のネイション形成(1)──新世界の状況第八章 地域単位のネイション形成(2)──ヨーロッパの西と南第九章 ネイション形成のせめぎ合い──重複と複雑化第一〇章 ナショナリズムのせめぎ合い──東アジアの未来<読む前の大使寸評>評者が吉岡桂子記者ということで、とりあげた新書なんですが・・・・吉岡記者が選んだ本なら、「外れ」はないでしょう。とにかく、この本に戦争を防ぐ知恵を期待したいのです。rakutenナショナリズム入門**************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本(新聞紙面のデジタル版はだいたい2~3日後にUPされています。)朝日デジタルの書評から44朝日デジタルの書評から(目録)
2014.07.18
コメント(0)
格安SIMとかモバイル節約学入門とか聞くと、浮き足立つ大使である(笑)Win8.1タブレットを買い求めて、シコシコとホットスポットの通信状況調査なんかしているのだが・・・このたび、『通信料金がどんどん下がる!』(630円+税)というムック本を衝動買いしたのです。昨今では異業種が格安通信、格安スマホに参入してきたし、年内にSIMロック解除というニュースも流れている今はネット環境の激動期なんでしょうね♪【通信料金がどんどん下がる!】ムック、宝島社、2014年6月刊<商品説明>より便利だけれど、通信料金の高いスマホやモバイル端末。もっと安くできないかと悩んでいる方は是非この本を参考にしてみてください。巻頭についているイエス・ノーチャートを利用して、シチュエーション別に自分に最適の技が見つけられるのが最大の特徴です。実は簡単にどんどん下げることができる通信料金。実際にどこから始めればいいのか、どこまで削減できるのかをわかりやすく解説します。<読む前の大使寸評>昨今では異業種が格安通信、格安スマホに参入してきたし、年内にSIMロック解除というニュースも流れている今は、ネット環境の激動期なんでしょうね♪というわけで、浮き足立った大使は、このムック本を買い求めたわけです。rakuten通信料金がどんどん下がる!格安SIMのタブレットを買って、新規プロバイダーに乗り換えれば、月額3700円でネット接続も可能なわけで(但し電波の届かない地域もある)・・・仕事から外れた年金生活者は、既存のプロバイダーやパソコンに拘らないという選択肢(月額680円)もあるわけですね。・・・腰をすえて、しがらみを断って、通信料金を再検討する必要がありそうです。ケイタイを持たない主義の大使ではあるが・・・SIMロック解除後のスマホとなると、さすがに欲しくなるのです。
2014.07.17
コメント(3)
佐野史郎さんが「ハーン、漱石、ゴジラ。40年近く俳優を続けてきて、自分の中を通過して感応するものは必ずそういうものだった」と言っているが・・・つきつめると、国や制度を超えた人間同士の交流を大切にしたいという事のようです。アーティストとして、極めてまっとうなメッセージですね(あんたは、偉い♪)7/12いま八雲を読む意味 佐野史郎さんに聞くより 八雲生誕地 佐野さんは、八雲がそんな「目に見えない力」を見つめた人だとみる。 そしてその作品の精神性は、漱石だけでなく、ハリウッド版の新作の日本公開が間近の「ゴジラ」とも共通しているという。 「アニミズム的な神話的背景、土着性。国や制度を超えた人間同士の交流や、自然や環境との交流から物事を捉え直せ、というメッセージです」 「ハーン、漱石、ゴジラ。40年近く俳優を続けてきて、自分の中を通過して感応するものは必ずそういうものだった」 佐野さんにとってレフカダ島での公演は、2歳で離れてから帰ることのなかった八雲の言葉を故郷に帰すという目的があった。公演を「望郷」と名づけた。 「芸能は時の権力に追従するものじゃなくて、普遍的なことを掘り起こす、共有するためにある。本当の意味で、神に捧げるものだと思います」 その夜。夜のとばりが下りた野外劇場には、涼しい海風が吹いた。イオニア海のさざめきを背景に、佐野さんの切々とした語りが響く。八雲の魂が、そこに戻っているような気がした。 俳優佐野史郎さん(59)。松江で育ち、八雲作品の朗読をライフワークとして取り組んでいる。娘に八雲と名づけたほどだ。また舞台「漱石とヘルン」では漱石を演じている。 今回は、八雲没後110年を記念した朗読公演を行うためにレフカダ島を訪れていた。公演前、野外劇場の一角で海風に吹かれながら話を聴いた。ナショナリズムでお互いヒートアップする、日韓、日中であるが・・・佐野さんの説くメッセージなんかに、耳を傾ける余裕を持ちたいものです。このところの大使は、柳田國男や民俗学に目覚めて、ミニブームの感があるのですが・・・アニミズム的な神話的背景、土着性に注目する佐野さんも、同類になるのでしょう。佐野さんについては、先日「つげ義春ワールド」でも取り上げたが・・・なかなか個性的というか、プリンシプルがしっかりした俳優さんのようですね♪先日もとりあげた「へるん先生の汽車旅行」を再掲します。へるん先生の汽車旅行より<百年余前の風景を「歩く評伝」:保阪正康(ノンフィクション作家)> パトリック・ラフカディオ・ハーン(日本での英語教師契約書にヘルンとあった)は、1904年に54歳の一期を東京・西大久保の自宅で終えた。夕食時には子供たちと雑談を交わしていたのに、その後体調不良を訴え、寝床に横になったが、「間もなく、もうこの世の人でありませんでした」(妻節子の『想ひ出の記』)という。 1850年にギリシャのレフカダ島で生まれ、父の奔放な生活の犠牲で孤児同然で育ったためか、ハーンの生涯の「アングロサクソン嫌い、キリスト教嫌い、は自分を捨てた父親への反感」からという。青年期からロンドン、ニューヨーク、シンシナティ、フィラデルフィアなどに居を定めながら新聞記者、作家活動に精をだすが、しかしその生活態度が常に体制の枠組みから外れるのも彼自身の「西洋合理主義」への苛立ちに起因していた。 ただ人間的には憎めないところがあり、困窮、孤立の状態になると必ず支えになる人物があらわれる。40歳の年に、ある雑誌の依頼で日本探訪の記事を書くために来日する(1890年)。「放浪者、夢想家、独善家」の語があてはまるこの人物は、日本社会の伝承に関心を持ち、日本人の妻を求め、晩年には日本に帰化して幾多の作品(怪談が多い)を残す。著者は、「ハーンは出雲に来て変わった。(略)日本文化の神髄を知るに至り、日本定住を決意した」といった表現でその心情を明かしている。 本書は、ハーンが移り住んだ北米各地、松江、熊本、神戸など日本の各地を著者が丹念に歩き、ハーンの姿がどう刻まれているかを、今と百年余も前の風景を想起、対比させながら書き進める。その意味で本書は、「歩く評伝」というべきで、新しいジャンル確立を感じさせる。著者の祖父とハーンのふたりの像の中に、著者がこだわる近代の国家像が垣間見える。 ◇『へるん先生の汽車旅行』芦原伸著、集英社インターナショナル、2014年刊 <「BOOK」データベース>より小泉八雲は「元祖バックパッカー」だった。ニューヨークから松江までの旅でその人生を一変させた男がいた。文無しジャーナリスト、ラフカディオ・ハーンは、一八九〇年、ニューヨークから鉄道で大陸を横断し、横浜へと向かった。松江で「へるん先生」となった男は、熊本、神戸、そして東京へと生涯旅を重ねた。<読む前の大使寸評>ラフカディオ・ハーンのイメージとして、旅行カバンを下げたややうらぶれたシルエットが浮かびます。人生の長旅の最後に、日本にたどりつき…やっと安らぎを得たのかもしれません。そのへるん先生の汽車旅行とあれば、興味がわくのです。 rakutenへるん先生の汽車旅行
2014.07.16
コメント(5)
売れっ子作家、百田尚樹の本は貸出し中のことが多くて図書館の本棚で見かけることはないのだが・・・・たまたま、返却後のこの本を手にしたのです。ラッキー♪この本から、「夢を売る男」の面目躍如のシーンを紹介します。p25~29「弊社ではそういう作品に対して、ジョイント・プレスというシステムをご提案させていただいているのです」「ジョイント・プレス?」「これは、出版社と業者が共に手を携えて本を出そうという趣旨のもとで作られた丸栄社独自の出版形態です。簡潔に申し上げますと、出版にかかる全費用を丸栄社と著者が負担し合うということです。このことによって、優れた本でありながら、種々の事情で出版が難しかった本を世に出すことができるのです」 牛河原はここで再び少し間を置いた。「はっきり言いましょう。出版費用の一部を著者である鈴木さんにご負担していただければ、出版に踏み切れるのです」牛河原は鈴木に返事する間を与えずに、たたみかけるように言った。「これはうちとしても賭けです。勝負に出るということです。私は販売部を説得して、OKをもらいました。鈴木さん、あなたも自分の作品に賭けてみませんか。あなたがもし自分の作品に自信があるなら、勝負に出るべきではないですか」「やります!」 鈴木は力強く言った。「そうですか!やりますか」「はい」「この勝負、必ず勝てると思う。私はきっと売れると確信しています。私の編集人生の勘がはっきりそう言っています」 受話器の向こうの鈴木の息づかいが聞こえる。彼の表情まで読み取れるようだ。おそらく喜びでくしゃくしゃになっているだろう。「それで―僕はいくら出せばいいのでしょう」「うん、そこなんですが」 牛河原はわざと何でもない問題だというふうに軽く言った。「いろいろと見積りを出してみないと細かいことは言えませんが、何とか200万くらいに抑えようと思っています」(中略)「困った馬鹿息子と思っていた子供に小説の才能があったんだ。出版社の編集者に褒められて、疑う親はまずいない。親というのは、どんなに出来の悪い子供でも、本当は素晴らしいところがあると信じているからな。まして大事な一人息子だ」 荒木が大笑いした。「笑っているが、お前のお袋も息子はまっとうな出版社に勤めている優秀な編集者と信じているぞ」 荒木は少し嫌そうな顔をした。文学賞ビジネスの舞台裏が出てきます(笑)。p33~34「知ってるか。世界中のインターネットのブログで、一番多く使われている言語は日本語なんだぜ」「本当ですか」「今から7年前、2006年に、英語を抜いて、世界一になったんだ。当時のシェアは37%だ。今ならもっと増えてるだろう」 荒木は驚いた顔をした。「70億人中、1億人ちょっとしか使わない言語なのに。それはどういうことですか?」「日本人は世界で一番自己表現したい民族だということだ」 牛河原はそう言って鰻を美味そうに口に放り込んだ。「本だって同じことだ。小説もずっと毎年毎年売上を落としている。大手出版社の小説は大半が赤字だ。日本人はもう小説なんか読まない時代になってるんだ。にもかかわらず、小説賞の応募は年々増えている。うちみたいなインチキ文芸賞にも毎回数百もの応募原稿が集まるくらいだ。要するに、他人の作品は読みたいとは思わないが、自分の作品は読んでもらいたくて仕方がないんだ」「読まれる価値があると思ってるんでしょうか」「少なくとも本人はそう思っている」「滑稽ですね」「それを言うならプロの作家の方が滑稽だ。一部の人気作家を除いて、大半の作家がほとんど読まれもしない小説をせっせと書いている。特に純文学作家は悲惨の一語だ。しかし本人は読まれるべき芸術作品だと信じて書いている。プロ野球の最下位争いしているチーム同士の雨の日の消化試合の観客以下の人数にしか読まれていないのに、だ」「プロの作家も僕らの客も似たようなレベルなんですね」「そうだな。それでもプロは一応は本を出すにあたっては出版社から金が支払われる。売れなかったら出版者が損をかぶる。ところがうちの客たちは自分で金を出す」「売れなくてもうちは儲かるということですね」「そういうことだ」 牛河原はうな重を食い終え、お茶を飲んだ。それから、「愛と日本語の惑乱」にも出版前の著者校正、つまり差別用語の訂正に対するやり取りが出てきたが、この本にも出てきます。で、差別用語の置き換え語というサイトを覗くと(不謹慎かもしれないが)興味深いわけです。とにかく、小説を出版する場合、差別用語の訂正は避けて通れない問題になっているようですね。この本に「ブログ一本釣り作戦」というのが出てくるが・・・・毎日ブログを更新しているようなブロガーに出版話を持ちかけると、よく食いつくんだそうです。・・・・怖いですねぇ、気をつけておこう(笑)【夢を売る男】百田尚樹著、太田出版、2013年刊<「BOOK」データベース>より 敏腕編集者・牛河原勘治の働く丸栄社には、本の出版を夢見る人間が集まってくる。自らの輝かしい人生の記録を残したい団塊世代の男、スティーブ・ジョブズのような大物になりたいフリーター、ベストセラー作家になってママ友たちを見返してやりたい主婦…。 牛河原が彼らに持ちかけるジョイント・プレス方式とはー。現代人のふくれあがった自意識といびつな欲望を鋭く切り取った問題作。<大使寸評>売れっ子・百田尚樹のこの小説が図書館で借りられて、ラッキー♪出版社の敏腕編集者を通じて出版業界を語る小説となっているが、いかにも業界内幕を現していて興味を惹くのです。新人賞未満の作家と編集者の人生模様や出版システムが描かれているが・・・これこそが百田さんが本屋大賞を取るまでの実態だったわけですね。このところ小説家になるという遠謀に取りかかった(アホやで)大使にとって、出版システムや出版業界の裏を垣間見るこの小説は、興味深いわけです♪それから、関西局の放送作家を踏み台にして本屋大賞をとり、大ブレークした百田尚樹は、関西人から見れば・・・アホの遺伝子を継ぐ人やと思うとりま♪rakuten夢を売る男今の百田さんを見るにつけ、誘惑が多くて阿弥陀クジのような成功双六を迷わずに登りつめた感があるのです。これは百田さんの嗅覚が正しかったというか、アホの遺伝子が良い方に作用したとしか思えないのです(笑)このエントリーもちょっと右寄り百田さんと書いて稼ぐ技術に収めておくものとします。ダ・ヴィンチの百田尚樹特集が本棚で積読になってるで!【ダ・ヴィンチ10月号(百田尚樹特集)】雑誌、メディアファクトリー、2013年刊<目次>より百田尚樹 大特集怯まない・屈しない・切り捨てない──◎働くことは生きること【対談】稲盛和夫(京セラ名誉会長)×百田尚樹◎『海賊とよばれた男』に心動かされる理由◎『永遠の0』が熱い理由◎芸人が読む百田尚樹【対談】博多華丸(博多華丸・大吉)×藤原一裕(ライセンス)◎潜入! 『探偵!ナイトスクープ』から作家・百田尚樹を知る◎百田尚樹解体全書&全作品紹介◎百田尚樹書き下ろし短編小説「賭けられた女」<大使寸評>『探偵!ナイトスクープ』のスタッフと共に語る楽屋ウラ話が面白い♪この番組が作家・百田尚樹を育てたといって、過言でないと思うのだが・・・とにかく、エンタメ志向の強い作家である。fujisanダ・ヴィンチ10月号(百田尚樹特集)
2014.07.15
コメント(2)
12日に、NHK「55歳からのハローライフ」というドラマを見たのだが・・・5編のオムニバスドラマの中で、最も過酷な設定であり、かなり重苦しいテーマでした。でも、イッセー尾形の笑顔で終わるラストに、小さな希望が見えた気がするのです。(格差、老後の不安が解消したわけではないが)ネットでイッセー尾形のインタビューを見つけたので、紹介します。[イッセー尾形:数字に換算されない生き方を教わる」より 最終話となる第5話「空を飛ぶ夢をもう一度」ではイッセー尾形さんが、勤務先の出版社がつぶれ、「ホームレスになるかもしれない」という恐怖や不安を抱え、水道工事の誘導員として生計を立てている60歳の主人公を演じている。イッセー尾形さんに役どころやドラマの見どころについて聞いた。◇自分が考えている人生ではない生き方を発見する 今回演じた主人公・因藤茂雄について、イッセーさんは「ホームレスになったらどうしようと思い込み、負のスパイラルに落ち込んでいくパターンはよく分かる」と共感したといい、「一度そのモードに入ってしまい抜けられない中でもがき、自分としては前に進んでいるつもりがどんどん引きずられ、自分を大切にしなくなる」と表現する。そして、「自分では大切にしているつもりが自分の幸せからどんどん遠のいていくことに気が付かないという因藤の回路はよく分かります。そういう回路で一人芝居のネタも作ってきた気がします」と自身と重ね合わせ、「因藤自体が“等身大”ですから(役どころに)すぐ入っていけました」と振り返る。 印象に残ったシーンとして因藤と福田が山谷にある旅館を訪れる場面を挙げる。「メークさんが頑張って70人のホームレスを作って、そこに(2人が)冥界のように降りていく。もやみたいなのがかかっていて、戦意喪失したような人たちの中から福田を連れ出すシーンが強烈でした」と明かす。「あれよあれよという間に福田と付き合っているとそこへ行く。そこで彼を救い出そうとして、実は自分も救い出そうというシーン。非常に大事な場面で印象深い」と重要度を解説する。友人を助けることが、実は自分を助けることにもなっていたというお話が良かった♪ところで、たまたま『すぐそこにある希望』という本を図書館で借りて読んでいるのだが、別にこのNHKドラマに触発されたわけではなくて、いつもの手当たりばったりで借りたのですが(笑)・・・この本から、NHKに言及しているあたりを紹介します。<『半島を出よ』の亡霊のような影響力>p167~168 最近、ニュースを見るときにイライラして苦痛になってきた。NHKも民放もニュースで嘘をついているということではない。ただ何か本質を見ないようにしながら事件や国内政治・経済情報や国際情勢を報道しているような気がして仕方がない。格差がよく取り上げられるが、わたしが知りたいのは、たとえば「現状の格差は致命的なものか、それとも現状ではまだ許容可能だがいずれ致命的なリスクとコストになりうるものか」というようなことだ。 現代の日本社会にあるとされるさまざまな格差は、今すぐに相当なダメージを社会に与えかねないシリアスなものなのか、それともこの程度の格差は何とか許容されていずれ一般的なこととして安定的に定着するものなのか、わからない。(中略) 日本は格差をどうするのだろうか。たとえば社会保障をパートも正規社員も同等に与えるという改革を実行したとたんに、経営と労働者の利害がシリアスに対立する。正規社員以外の社会保障の充実が長期的に考えると経営側にも利益となる、みたいなことはどうでもいい。 現状では、社会の構成員全体に利益をもたらす改革などないということだ。効率を優先して社会格差を受け入れるのか、効率を犠牲にして社会格差をなるべく少なくするという方向に進むのか、実はどちらかしかないのだが、そのことは絶対に語られることはない。つねづね思うのだが・・・5年ほど先の世を読むような、村上龍の切り口の鋭さを感じるわけです(褒めすぎか)【すぐそこにある希望】村上龍著、ベストセラーズ、2007年刊<「BOOK」データベース>より自殺、格差、老後の不安…どうやって生きのびるか?村上龍の体感エッセイ’05→’07。<大使寸評>つねづね思うのだが・・・5年ほど先を読むような、村上龍の切り口の鋭さを感じるわけです(褒めすぎか)rakutenすぐそこにある希望ところで、13日のツイッターで知ったのだが、NHKの「クローズアップ現代」が近かじか番組休止になるようですね・・・安部さんや新会長の影響が出てきたのかも?森元 隆@kyottides:「クローズアップ現代」休止 ⇒国谷裕子さんはNHK職員ではなくフリーランス。だから、言論統制の網からは多少は、はみ出していたのだろう。政治部と社会部とで分けてみれば社会部的な一人のような彼女もまた、メジャーな場からは追放されるのか。NHKの愚かさがあまりに分りやすい番組休止。FRIDAYデジタルが次のようにNHKの騒動を伝えています。7/11国谷キャスターは涙した、安部政権がNHKを土下座させた一部始終より『クローズアップ現代』で集団的自衛権について突っ込まれた菅官房長官側が激怒、籾井会長が駆けつけ、NHK上層部は右往左往・・・・「政府が『右』と言っているものを、『左』と言うわけにはいかない」 今年1月、安部政権のゴリ押しでNHKの会長に就任した籾井勝人(71)が、就任会見で力強くこう発言したことを覚えているだろうか。あれから半年、会長の言葉通り、NHKは政府の意向に逆らえない放送局になり下がったようだ。7月3日に生放送された『クローズアップ現代』について、安部官邸がNHKに猛抗議し、上層部が右往左往しているというのだ。NHKの根幹に関わる問題であるが、国営放送と揶揄されないようにしてもらいたいものだ。聴取料ボイコットという手段もあることだし。
2014.07.14
コメント(4)
神戸大学教授・梶谷懐さんがインタビューで「土地の公有制が膨張させた投機熱、米金融政策で揺れ」と説いているので、紹介します。 お インタビュアーは、中国通の吉岡桂子記者ではないか♪(神戸大学教授へのインタビューを7/12デジタル朝日から転記しました) バブルに沸く中国で住宅の販売が鈍り始めた。不動産市場の変調を受け、近く発表される今年上半期の国内総生産(GDP)に世界が注目する。国家が潤沢な資金を駆使し、投資でひっぱる経済成長は続くのか。「脅威論」と「崩壊論」が交錯する経済の実態をどうみるか。中国の財政・金融に詳しい神戸大学教授の梶谷懐さんにきいた。Q:この10年あまり、中国経済はバブルだとささやかれながら、はじけていません。「危機説」を幾度も書いてきた私は、まるでオオカミ少年です。足もとでは住宅の値下がりが広がっています。中国経済はどうなっていくのでしょう。A:2008年のリーマン・ショック以降、中国は明らかに『バブル体質』です。4兆元規模の景気刺激策をきっかけに、むだも多い投資が地方政府を中心に急激に増えた。社会政策として最低賃金も引き上げられた。投資がもたらす収益が減ったにもかかわらず、GDPに対する投資の比率(危機前は3割)は5割まで拡大しています。Q:もうからないのに投資が増えたのは、なぜですか。A:不動産がいずれ値上がりし、投じたお金を必ず回収できると期待しているからです。地方政府は、たとえば道路を一本引くことで土地の使用権が値上がりし、それを売れば利益がえられると期待する。バブルがさらなる投資をうむ循環が、5年近く続いています。Q:人々も競うように住宅に投資してきました。土地の公有が基本の中国では、住まいとして使う権利に期限があります。使用権がこの先どうなるかは、政治次第なのですが。A:先が分からないからこそ、住宅を終(つい)のすみかではなく、投機の対象としてみているのです。高いうちに売り抜けようと。富裕層はそうして得たお金を、私有財産が法律で守られている海外につぎ込み、安心できる土地や住宅を買うのです。 リーマン後の中国では、国内外の超金融緩和による潤沢なお金が、バブルを支えてきました。中国では銀行どうしのお金の貸し借りは実質ゼロ金利でした。そして米国の量的緩和も密接に関係しています。Q:資本の出入りを規制している中国にも、米国が市場に供給するお金が入ってくるのですか。A:貿易大国である中国と外国のあいだには、支払いのために巨額資金が行き来しています。米国が緩和政策に乗り出したとき、人々は人民元の値上がりを見込み、貿易で手に入れたドルをすぐに元に替えようとしました。これによって中国国内で流通する元の量が増えました。 元高の期待が強いときには、輸出をしていないのに輸出代金を受け取ったかたちにして、海外で調達した外貨を元に替える違法な動きまであった。中国当局が取り締まりに乗り出すほどでした。 ■ ■Q:「熱銭(ホットマネー)」の正体ですね。A:いまは米国が量的緩和を縮小し始め、以前よりドルが手に入りにくくなっています。ドルを持っておこうという業者が増えて、中国から資金が流出しつつある。今年に入って中国で住宅価格が値下がりしているのは、米連邦準備制度理事会(FRB)の政策決定とも深く関係しているのです。Q:いよいよ、バブル崩壊?A:中国当局が金融政策や公共投資で市場介入を強めれば、問題の先延ばしは可能です。いずれもまだ余力がある。それに中国には、日本などにはない『国家資本主義』の利点があります。Q:なんですか。A:中国の主要な金融機関は国有。正式な銀行ではない『影の銀行』からお金をたくさん借りて不動産に投資しているのも、地方政府の『ダミー会社』です。投資に失敗して借りたお金が返せなくなっても、公的資金で不良債権を処理しやすい。民意を問う時間もかからない。国民への説明責任や法治が不要な国家が力で政策を動かせば、経済のクラッシュ(失墜)は避けられる可能性が高いといえます。 もちろん、期待が先行するバブルが持続的でないことは、歴史が証明しています。余力があるうちに、バブルがしぼむのにまかせて、不良債権を処理したほうが賢明です。Q:お金がまわっていることが中国共産党の政治力の源泉なのに、できますか。今年も7・5%前後の経済成長目標は死守する姿勢です。A:前政権時代から、投資主導の成長はいつまでも続かないと自覚していると思います。消費がひっぱる成長への転換をめざしていますが、それには中間層(ミドルクラス)のさらなる拡大が欠かせません。 人口の半分を占める農民が中間層に育つかどうか。政府は都市化をすすめ、農民に都市住民なみの住宅や社会保障を与える方向です。しかし、産業競争力の乏しい地方に企業の投資は期待できない。結局、働き口は用意できず、農地をマンションに開発するだけに終わりかねない、という懸念がつきまといます。Q:政治に口をはさみかねない権利意識の強い中間層を、本気で育てるつもりがあるのでしょうか。A:選挙がない中国では、経済成長が共産党政権の正統性を担保してきた。しかしこれからは、成長に必要な中間層の形成を前提にした経済改革と、従来型の政権維持の姿勢が矛盾する場面も増えてくるでしょう。 ■ ■Q:中国でバブルを膨らませた景気対策のお金は、地方政府や国有企業を中心に流れ、民間企業には強い不満があります。A:国有企業は市場を独占しているし、国有銀行も安い金利で優先してお金を貸してくれる。しかも賃金は民間より高く、働く人たちは意図的に厚遇されている。これも中国共産党の統治を安定させる政策です。Q:習政権は国有企業改革を掲げていますが、先行きは不透明です。A:金融や資源、通信といった国有部門の従業員に不満がたまって労働運動に発展すれば、経済は混乱するし、政権が転覆しかねない。ポーランドがそうでした。労使関係の悪化が政治体制に影響するリスクを考えれば、国有企業改革は大きく進まないと思います。 習政権は反腐敗キャンペーンと同時に、市民運動や言論への締め付けを強めていて、政治体制の維持を優先する姿勢がうかがえます。中国は2020年前後、労働力人口の減少に拍車がかかると予想されています。成長率の低下傾向も顕著になるでしょう。国有企業改革やバブルの処理を遅らせていると、先送りのツケが顕在化するおそれがあります。Q:習政権から次の政権に代わるころですね。リーマン・ショックを乗り切った「国家資本主義」が、中国の弱みに転じる局面が来る?A:人々に説明責任を持たなくても済むような国家では結局、不平等の根本的な解決は望めません。中間層が育たないばかりか、社会不安を招く。産業分野でも、民間企業の参入によるイノベーション(革新)は期待できます。ただ、国有を優遇する政策のままでは、企業も高度な技術開発には取り組めません。 ■ ■Q:民間の活発な競争や勝ち組の豊かさをみると、中国経済は躍動的に映ります。いっぽう、不公正に膨らんだバブルに目を転じれば、先行きが悲観的になります。A:先進国とは異なる体制下の経済が成長するはずはないと、多くの人が思っていたら、中国は世界2位の規模にまでなった。とりわけ日本から中国をみる場合、独特のストレスがあると思います。Q:ストレス?A:1972年に日中が国交を正常化した当時、戦後の高度経済成長をとげた日本から、かつて『迷惑をかけた』中国へのまなざしには、平和主義の理想と経済利益の追求が同居していました。 89年に天安門事件が起きた後でさえ、日本政府や市民は援助や投資を続ければ中国は民主化すると信じ、経済関係を深めることに力を入れた。ところが中国は期待したようには民主化せず、むしろ富国強兵を進め、尖閣諸島をめぐって対立する事態になった。こうした居心地の悪さが、中国をみるときに、にじみでるのです。Q:中国経済が重要なのは分かっていながらも、崩壊を心待ちにするような矛盾する空気があります。A:政治リスクも大きい中国経済への見方はもともとブレやすい。日本の場合、人々の中国に対する感情のゆらぎがブレを増幅している部分があります。それを自覚することが、経済のみならず、今後の中国との建設的な付き合い方を模索するうえで重要だと思います。 *梶谷懐:70年生まれ。専門は現代中国経済論。著書に「現代中国の財政金融システム」「『壁と卵』の現代中国論」、共著に「中国経済史」など。<取材を終えて> 中国が外交力の基盤とする経済力は今後も、国内外の政治や世界経済と作用しあいながら姿を変えていくだろう。日本もそれに大きくかかわっている。梶谷さんの言う日本から中国をみるときの「ブレ」は、中国から日本への視線にも同じように存在すると思う。なくせるものではないが、互いに自覚すれば、よりリアルに相手をつかめる。壊してはならない一線も、そこからみえてくる気がした。(編集委員・吉岡桂子)トップダウンの効率的な財政出動が可能な中国の国家ファンドは、FRBの悪意に満ちた財政政策に対抗しうる最大勢力である。 まさに「悪貨は悪貨を駆逐する」状況が生まれているわけですね(笑)中国バブルの虚実梶谷懐2014.7.12朝日のインタビュー記事スクラップ
2014.07.13
コメント(0)
今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「ビジュアル本」でしょうか。<大学図書館>・TIN TIN タンタンの冒険その夢と現実 <市立図書館>・日本文化ビジュアル事典・川西英の新・旧「神戸百景」・グラウンドカバープランツ・ゴードン・スミスのニッポン仰天日記図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)なお、『ゴードン・スミスのニッポン仰天日記』は、前回からの延長借出しです。*************************************************************【TIN TIN タンタンの冒険その夢と現実 】マイクル・ファー著、ムーランサール ジャパン 、2002年刊<内容紹介>より本書では「タンタン、ソビエトへ」から未完成の最後の物語「タンタンとアルファアート」までの物語を 順に解説しています。 現実世界を想像の世界に取り込んだエルジェのクリエイティビティ、 完璧なものへの彼の追求など、エルジェの創作のすべてを語っています。 慎重なリサーチが もたらす各ストーリーの詳細の正確さは、エルジェの作品の大きな特長です。 実際にエルジェが参考にした資料写真とその反映されたシーンを対比させながら 解説されているので、より深く「タンタンの冒険」の世界を知る事が出来ます。<大使寸評>上海の共同租界で日本軍が出てくる傑作「青い蓮」が興味深いのです。この子ども向けマンガに、これだけの政治性が裏打ちされていたとは驚くばかりです。作者ジョルジュ・レミ(筆名エルジェ)の完全主義の一面が表れているのでしょう。AmazonTIN TIN タンタンの冒険その夢と現実 TIN TIN タンタンの冒険その夢と現実 byドングリ【日本文化ビジュアル事典】近藤珠実著、池田書店、2008年刊<「BOOK」データベース>より英語でわかるニッポン。外国人にも伝えたい日本の文化。【目次】第1章 伝統文化/第2章 生活様式/第3章 食文化/第4章 現代文化/第5章 歳時記/第6章 基本情報<大使寸評>この本を読むと、日本文化について自分がいかに不明であったかを悟るわけです。副題が「英語でわかるニッポン」になっているとおり、全ての和文に英文が付いているのだが・・・和文を見るだけでも意義深い書籍となっております♪rakuten日本文化ビジュアル事典日本文化ビジュアル事典byドングリ【川西英の新・旧「神戸百景」】公式画集、神戸市立博物館、2001年刊<インターネットミュージアム>より2001年開催となると、旧いので取材データがありません。<大使寸評>図書館で『川西英の新・旧「神戸百景」』という本を借りたが、2001年の特別展の公式画集であり、なにより収録数が多くて・・・神戸市民にとっても魅力的な画集になっています。museum川西英の新・旧「神戸百景」神戸百景がええでぇ♪byドングリ【最新 グラウンドカバープランツ】近藤三雄著、誠文堂新光社、2014年刊<「BOOK」データベース>より ヒートアイランド現象が問題となってから数十年、都市において壁面や屋上緑化による気化熱を利用し急激な温度の上昇を抑える点で、グラウンドカバープランツの有用性がますます高まっています。 また最近は、葉の色や形状、花が付くものなど新しい園芸品種もより豊富になったため景観デザインの面でも幅が広がり、新たな緑化手法が開発されています。 本書は、グラウンドカバープランツの種類と用途、緑化手法について詳しく解説、設計や施工、管理の現場ですぐに役立つ、造園や建築、園芸など都市緑化に関わる専門家必携の一冊です。<大使寸評>ドングリ国の法面緑化の遷移について、この15年くらい注目しているのだが、この本にそのあたりが載ってないかという関心で借りたわけですが、残念ながら載っていなかった。でも、グラウンドカバープランツの種類と緑化手法について、ややプロ向けに書かれているが、見て楽しめる内容となっています。Amazon最新 グラウンドカバープランツ最新 グラウンドカバープランツbyドングリ【ゴードン・スミスのニッポン仰天日記】リチャード・ゴードン スミス著、小学館、1993年刊<「BOOK」データベース>より明治末期の日本を活写した絵入り、写真入り日記は、作者の没後長く框底に秘められていたが、近年約90年ぶりに孫の手によって発見された。フォン・シーボルト、エドワード・モースにつづく、日本を博物学した異国人の超仰天日記。<大使寸評>荒俣さんが、リチャード・ゴードン スミスを評して万能の博物学者と絶賛しているが、好奇心旺盛な彼が、大英博物館の調査を委託されるという幸運にも恵まれたのです。ちょうど日露戦争の最中に日本に、それも神戸に滞在していたわけだが、彼自身が撮った写真も満載した日記が、面白くないわけがないのです。彼は、摂津、播磨の野山でハンティングを楽しんだが、大勢の勢子を雇うほどの資産家だったようで・・・資産家の冒険談というところが、ちょっと、うらやましいですね。この本でお奨めとしては、鳥羽の海女たちのエピソードと写真が素晴らしいのです。その顛末をここでばらすには長くなるので、実際にこの本を読んでみて下さい。また、神戸を舞台にしているので、神戸市民の大使としても土地勘も働き、ええでぇ♪この日記が見つかったのは1980年代というから、比較的新しいわけで新発見といえるでしょう。荒俣宏さんが「まえがき」や「あとがき」で、新発見の経緯について語っているが、この部分もええでぇ♪Amazonゴードン・スミスのニッポン仰天日記ゴードン・スミスのニッポン仰天日記byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き65図書館大好き(目録)
2014.07.12
コメント(0)
図書館で『ゴードン・スミスのニッポン仰天日記』という本を借りたのだが、写真や画像満載の冒険記のような仰天日記になっているのです。原著「ゴードン・スミスのニッポン仰天日記」に記録されていた西宮の六地蔵より【ゴードン・スミスのニッポン仰天日記】リチャード・ゴードン スミス著、小学館、1993年刊<「BOOK」データベース>より明治末期の日本を活写した絵入り、写真入り日記は、作者の没後長く框底に秘められていたが、近年約90年ぶりに孫の手によって発見された。フォン・シーボルト、エドワード・モースにつづく、日本を博物学した異国人の超仰天日記。<大使寸評>荒俣さんが、リチャード・ゴードン スミスを評して万能の博物学者と絶賛しているが、好奇心旺盛な彼が、大英博物館の調査を委託されるという幸運にも恵まれたのです。ちょうど日露戦争の最中に日本に、それも神戸に滞在していたわけだが、彼自身が撮った写真も満載した日記が、面白くないわけがないのです。彼は、摂津、播磨の野山でハンティングを楽しんだが、大勢の勢子を雇うほどの資産家だったようで・・・資産家の冒険談というところが、ちょっと、うらやましいですね。この本でお奨めとしては、鳥羽の海女たちのエピソードと写真が素晴らしいのです。その顛末をここでばらすには長くなるので、実際にこの本を読んでみて下さい。また、神戸を舞台にしているので、神戸市民の大使としても土地勘も働き、ええでぇ♪この日記が見つかったのは1980年代というから、比較的新しいわけで新発見といえるでしょう。荒俣宏さんが「まえがき」や「あとがき」で、新発見の経緯について語っているが、この部分もええでぇ♪Amazonゴードン・スミスのニッポン仰天日記この本から、1904年(明治37年)2月~8月あたりの、日記の一部を紹介します。<2月21日 日曜日>p173~174 大英博物館から手紙がとどいた。内容は、網などは少なくとも3月末までに私のもとに届くよう発送することはできない。それに博物館の決定額が十分でないため。各種トロール網を送ることはできない、ということだった。まったくイギリスらしい、ケチな話だ。 この請負仕事に私は少なくとも400ポンドは覚悟しているというのに、博物館の出費は60ポンド程度、それも、結局は国の財産になる魚をつかまえるための装具一式を提供してくれただけである。 コウベの街は、いまとてもおもしろい。鉄道に沿って、幾万もの日本の旗と提灯がまるで道路を埋めつくすようにぶら下がっている。 幾千もの赤い提灯で照らされる夜の風景は、ことのほか魅力的である。これはすべて、昼の12時から夜の10時のあいだに通る、列車14台分の軍隊のためのものである。彼らは起点のコウベから終点のヒョウゴまで、すべての人々に歓迎されるのだ。 旗の話をしよう。 現在の白地に赤丸の「ポーチド・エッグ」旗がたくさんあるなかに、昔の日本の各種各様の派手な旗が下がっていたら、ずいぶん違和感があるにちがいない。私は以前、『』第22巻から無断で写して、日記にいくつかの旗を描いた。それらはほんとにおもしろい。とくに太陽とカラスを描いた6番めと、月にウサギの7番めがおもしろい。カラスでなければならないというのは、奇妙なことである。数ある天文学上(占星術上)の動物画像のなかに、カラスというのはどこにも見あたらないからだ。もちろん、ウサギは該当する。だが、そのウサギがいつも神秘的な桂の木の下で、杵で臼をついているのは、薬すなわち不老不死の霊薬をこしらえているのだということを私はしらなかった。<3月28日 月曜日>p193~194 もっとも有名な根付彫り師ミワが彫った根付を、ついにうまく手に入れてくれたコバヤシ老人に会いに行った。 ルイ・ゴンスはミワの作品の一つについれ、「あらゆる角が溶けて柔らかくなっていて、なでると楽しい」と言っているが、パリのコレクションにも半ダースしかないということだ。ゴンスによれば、ミワは18世紀なかばころナラで有名になり、独立独歩でまったく独自の様式をはじめたのだという。 これ以外のどんな根付も、私には死んでいるように見える。真の芸術家として、まちがいなくミワが最高だ。 3番めの老人が本を読んでいるものは、これもみごとにできているが、ミワの弟子の作である。1番めと4番めの二つは、ヒデマサによる象牙の彫り物(木彫ほど価値はない)である。彼もゴンスの本のなかで、ミワの時代あるいは少しあとの時代の偉大な根付彫り物師の一人としてあげられている。 当時、傑出した多くの彫り物師たちのあいだには、相当なライバル意識があったようで、第一人者のおのおのが、独自の様式に固執していた。たとえば、ミワはほとんどすべて木彫だったし、主題は奇想か人物だった。ヒデマサは、ときどき木彫もするが、ほとんど象牙彫りで、主題は歴史的なものと、動物だった。コナイグイオコウはもっぱら黒檀、珊瑚、琥珀だけを彫った。セッサイ、キスイ、トオウン、トモタダ、マサタメ、マサフサ、トモチカ、ジョウグイオク、マサカズ、ヒデマサは、もっぱら象牙ひとすじだった。<8月13日 土曜日>p224 今日はいいニュースが入った。ポート・アーサー(旅順)の艦隊が現れたが、「パディ・ゲイブ・ザ・ドラム」というのにやられたということだ。どうやら、はじめはある船が水雷の上を走って爆破され、ポート・アーサーにひきかえしたらしい。ポトラヴァ号だとか。その後、4、5隻がつづいて行ったが、ほとんどやられたという。 2、3隻はうまく水雷を突破した逃げ去った。ツァレヴィッチ号(ヴィトゲフト少将の旗艦)は3艘の水雷艇とともに、キアンチャンに逃げたという。戦艦は座礁した。他はチェフォンやノウスンに行った。われわれがロシア艦隊の戦いを見るのも、これが最後にちがいないと思う。そう思えば思うほど、すばらしいことに思えてくる。「あとがき」にあるように、この日記の発見、出版の経緯も仰天ものです。<あとがき>より リチャード・ゴードン スミスが残した幻のアジア旅行記は、まえがきにも記したように、直筆原稿8冊分にもおよぶ大部な記録である。わたしたち日本人にとって、どれだけ貴重な20世紀初頭の極東見聞記が秘められているか、想像もできないほどである。それだけに、まず日記全体の内容がどうなっているのか、妙録の印刷刊行本から漏れた部分についても原文にあたる必要性というか、発掘の楽しみを、だれもが認めることだろう。実際、わたしたち翻訳スタッフも思いは同様であった。 そこで、翻訳作業が開始される直前、訳文の第一稿を手がけた大橋悦子さん、編集の大原哲夫さんとも相談の上、日記帳を保管されているリチャード・ゴードン スミスのお孫さんアンドルー・タッジ氏に、原著を調査させてほしい旨、日本側で版権取得の事務を担当するエージェントを通じ、要望を伝えることにした。 しかし、日本側エージェントにまったく交渉意欲がなかったとしか思えないのだが、原本閲覧という翻訳者サイドの要請に対し、誠意ある回答がもらえなかった。 最近その返事がようやく届き、すでに原著はオークションにかけられ売却されたことを知らされた。何という話か!おかげで、印刷本にされた日本に関する記述部分が全体のどのくらいの比率になるか、という点さえ読者の皆さまにお伝えできない仕儀となってしまった。訳者の一人として、きわめて遺憾であるといわざるを得ない。(中略) 本書は、高度な政治性や史観をまったく除外した、好奇心にあふれた一観察家の品定めである点が、ユニークであり、また貴重である。ここにはまた、柳田國男らが本格的に収集を開始する以前の、あの小泉八雲が聞いたと同じ、民間で語られた伝説や民話のおもかげもが、記録されている。つまり、どういうアプローチ法を採用しても、日本発掘のよろこびは保証されているということだ。 荒俣 宏柳田國男や小泉八雲が驚くほどの原著の全貌は、はたして解明できるのか?今後の調査が期待されるのだが・・・・どうなんでしょうね?図書館でたまたま選んだ本であったが、民話や柳田國男につながる本であったとは・・・・いい勘してるでぇ♪
2014.07.11
コメント(0)
手元不如意の年金生活とあれば、次に買う車は軽自動車になるんだろう。・・・と大使は思うんである。軽自動車の規格が、エンジン容量が360ccだった頃には軽は非力であり・・・夏場に坂道を登るには、クーラーをOFFにしたものだが(笑)だけど、今の規格ではエンジン容量が660ccなんで・・・そんな笑い話は聞こえてきませんね♪高速道路を走っていても、一見普通車のように大きい軽自動車が、バンバン追い越したりしています。(ナニクソと思ったりするが)この軽自動車は日本独自の規格だから「ガラ軽」と揶揄されたりするが、このところ報道を見ると快調のようです。7/09「軽」燃費競争「過激避けて」 ミライース35.2キロ再び首位より7月9日販売 ダイハツ工業は9日、軽自動車「ミライース」を一部改良し、燃費性能をガソリン1リットル当たり35.2キロに高めて発売した。スズキの「アルトエコ」(35.0キロ)をわずかに上回り、約半年ぶりにガソリン車の燃費ランキング首位に返り咲いた。ライバルのスズキも対抗策を打ち出すのは確実で、軽の燃費競争がさらに過熱しそうだ。 新しいミライースはエンジンの熱効率を向上したほか、タイヤ周辺の空気抵抗を低減するなどの改良により低燃費化を図った。改良コストは部品の原価見直しなどで吸収し、価格は従来モデルから据え置いた。 ダイハツの中島雅之チーフエンジニアは同日の記者会見で「低燃費、低価格という軽の本質を究めようと開発した」と胸を張った。 軽の燃費競争は、平成23年9月に発売されたダイハツの初代ミライースが、ガソリン車初の1リットル当たり30キロ台を記録したことから本格化した。 ライバルのスズキが同年12月、アルトエコ(30.2キロ)を発売して逆転した後は、両社が抜きつ抜かれつの競争を続け、昨年12月以降はアルトエコがトップに立っていた。 スズキの鈴木修会長兼社長は「(燃費競争で抜かれた場合)6ヶ月以内に追いつかねばならない」と述べており、年内にもスズキが反撃に出る可能性が高い。 自動車各社が燃費競争にしのぎを削るのは、ガソリン価格の高騰により、低燃費車に対する消費者の需要が高まっているためだ。今年上期(1~6月)の新車販売でも燃費の良い軽とハイブリッド車(HV)などが上位10車種 HVは既に37.0キロ(トヨタ自動車のアクア)にまで燃費性能を上げている。関係者の間では、近い将来、軽の燃費は40キロ台の争いになるともいわれる。ダイハツとスズキが、お互いをライバルとして競いあうことは・・・・消費者としても応援しがいがあるなぁ♪を占めた。報道をもうひとつ7/04上半期の新車販売、軽「タント」が首位に 2位アクア、3位はフィットより 今年上半期(1~6月)の車名別国内新車販売台数は、ダイハツ工業の軽自動車「タント」が前年同期比92.8%増の13万5688台で首位だった。4月の消費税増税後に多くの車種が前年割れするなか、燃費性能の良さや室内空間の広さで根強い人気を保ち、4~6月までの3ヶ月連続でトップを獲得した。 日本自動車販売協会連合会と全国軽自動車協会連合会が4日発表した。軽自動車が上半期のトップとなるのは、2009年の「ワゴンR」以来5年ぶり。 2位はトヨタ自動車のハイブリッド車(HV)「アクア」、3位はHVが人気のホンダの小型車「フィット」、4位はトヨタのHV「プリウス」とHV勢が続いた。 軽自動車は増税前の駆け込み需要の受注残が販売を下支えし、5位の日産自動車「デイズ」や6位のホンダ「N-BOX」など、上位10車種のうち7車種を占めた。 併せて発表した6月の販売台数はダイハツのタントが前年同月比約2倍の2万1323台で3ヵ月連続の首位だった。2位はトヨタ「アクア」、3位はホンダ「フィット」だった。 ここでも上位10車種のうち軽が6車種を占めたほか、ホンダが昨年12月に発売した小型のスポーツ用多目的車(SUV)「ヴェゼル」が10位に入った。米自動車業界が、軽の規格を非関税障壁と言ったりするが・・・・悔しかったら、日本規格の車をつくればいいだけのことだと、思うのである。スズキがインドで売っている車は、軽自動車の660ccという制限より大きいエンジンを載せているようだが・・・もう「ガラ軽」というより、立派なコンセプトの車というべきなんだろう♪ダイハツ、「ミラ イース」を一部改良して2WD(FF)車で燃費35.2km/Lを実現燃費記録アルトエコ | 給油118回目 (2014.06.29)
2014.07.11
コメント(0)
ナショナルジオグラフィックに連載中の「人類の旅路を歩く」シリーズを興味深くフォローしているのだが、今月号はサウジアラビアのヒジャーズ地方にさしかかりました。ヒジャーズ地方といえば、かつてアラビアのロレンスが活躍した場所ですね。大使がサウジアラビア出張中に、街中で女性を見かけたのは、いちばん近代化の進んだジッダでしたが・・・ジッダの今を、今月号(2014年7月)に見てみましょう。人類の旅路 アラビア半島を歩くより 人類の拡散ルートを踏破する旅の第2回は、アラビア半島へ。サウジアラビア北西部のヒジャーズ地方で、かつて巡礼者や隊商が往来した砂漠の道をたどる。 アラビア半島では、隊商路に点在する井戸をたどって旅をした。 サウジアラビア北西部の港町ジッダでは、ある邸宅に招かれた。磨き込まれた木のテーブル上の白い陶器のカップは、まるで小さな“底なし井戸”だ。ひっきりなしにコーヒーのお代わりを注ぐ3人の女たちが、代わる代わる口を開き、サウジアラビアへの誤解を解こうと話しかけてくる。厳格なイスラム教義により多様性を失い、オイルマネーを浪費する国というイメージは間違っているというのだ。<閉鎖性と開放性、ヒジャーズ地方の二つの顔> サウジアラビアはモザイクのような国だと、彼女たちは言う。東部にはシーア派、南部にはイエメン系、北部にはレバント系と、さまざまな文化が存在している。 そして中央部の高原地帯ではベドウィンが遊牧生活を営む。ナジドと呼ばれるこの地域はワッハーブ派などのイスラム原理主義の牙城でもあり、首都リヤドにはこの国の統治者であるサウード家がいる。 なかでも10世紀以降、イスラム教の二大聖地であるメッカとメディナを守ってきた、ここヒジャーズ地方ほど誇り高く、独立心の強い地域はないと、邸宅の女たちは力説する。 実際、ヒジャーズはかつて独立していた時代があった。第一次世界大戦末期に王国として独立を果たしたのだ。だが1925年には、サウード家の領地に併合された。 以来ここには多くの矛盾がくすぶっている。ヒジャーズはイスラム教徒以外の者を寄せつけない聖地としての顔と、サウジアラビアで最も国際色豊かでリベラルな地という顔を併せもつ。ここはアジアやアフリカ、レバントをはじめ無数の土地の影響が混じり合う文化のるつぼであり、多彩な人々が行き交う中継地なのだ。 彼女たちは3人ともベールをかぶらず、ブラウスとパンツ姿だった。邸宅はしゃれた造りで、内装の地域色は薄く、シンプルながら上品だった。外の通りには遊歩道があり、画廊やカフェ、美術館が並ぶ。ここはサウジアラビアの文化の拠点だと、1人が言う。「ヒジャーズは1000年もの間、音楽や料理、民話など独自の文化を保ち続けてきました。そんな文化を少しでも残そうと、ようやく動きだしたところです」 彼女たちは、いわば「女の町」の申し子だ。ここジッダは近代化と工業化が進む港湾都市だが、旧約聖書のイブが埋葬されたと言い伝えられている。12世紀のムーア人旅行家イブン・ジュバイルによると、かつてここにはイブの巨大な墓があり、「古めかしいドームがそびえていた」という。偶像崇拝を嫌うワッハーブ派の指導者たちが、1世紀近く前に破壊したらしいが、それすらもはや誰の記憶にもない。なるほど、ジッダは文化のるつぼなのか♪・・・・かつて仕事の関係でジッダに1泊して作業したことがあるのだが、その片鱗の一部に触れた思いがするのです。次に先月号を紹介します。ラクダを友として人が歩くという行為そのものが、とにかくハードボイルドというかロマンティックですね。全長3万3000キロ 人類の旅路を歩くよりピュリツァー賞を受賞したジャーナリストが、人類の拡散ルートをたどる徒歩の旅に出た。アフリカから南米最南端まで、全長3万3000キロの道のりだ。 私は旅に出た。 人類の拡散ルートをたどって、アフリカ大陸から南米大陸の最南端まで、全長3万3000キロを7年かけて踏破する旅の始まりだ。 今から6万年前、あるいはもっと前に、人類誕生の地である東アフリカの大地溝帯を出て、初めて未知の世界に出合った人類の祖先たち。その数はせいぜい数百人だったとみられるが、彼らの遺産は計り知れないほど大きい。 人間に特有と考えられている複雑な言語や抽象的な思考、芸術を生む衝動や技術革新を実現する創造性は、すべて彼ら人類の祖先から受け継いだものであり、世界中の多様な民族はすべて彼らの子孫である。 にもかかわらず、彼らのことはほとんど知られていない。彼らがアフリカ大陸とアラビア半島を隔てるバブ・エル・マンデブ(嘆きの門)海峡を渡ってからわずか2500世代の間に、人類は地球上の最果ての地まで進出した。 何万年も出遅れたが、私はこれから一歩一歩大地を踏みしめ、彼らの後を追う。 考古学調査と、世界中の人々のDNAから推定された人類の拡散ルートを参考に、アフリカを北上し、中東へ向かう予定だ。そこからアジア大陸を横断し、中国を経てシベリアへ。その後、船でアラスカに渡り、米大陸の西海岸に沿って南下し、人類が最後に到達した南米大陸の最南端ティエラ・デル・フエゴを目指す。全長3万3000キロの道のりを踏破する旅だ。「アウト・オブ・エデン・ウォーク」と名づけたこのプロジェクトの目的はいくつもある。時速5キロという歩行速度で世界の地理を改めて体感すること、ペースを落とし、じっくり考え、書くこと。誰もがそうするように、行く手に何が待ち受けているかを確かめるために歩く。そして、祖先の旅を振り返り、記憶にとどめるために歩く。 エチオピアの砂漠にかすかに続く道は、人類が残した最も古い痕跡かもしれない。今でも人々はこの道を歩いている。飢えた人、貧しい人、干ばつや戦火を逃れてさまよう男女。 地球上では今、1日に10億人近い人々が移動している。人類がこれまで経験したことのない大移動の時代だ。ジブチの首都ジブチ市では、携帯電話を手にした出稼ぎ労働者たちが、ごみの散らばる夜の海岸に集まってくる。隣国ソマリアの基地局を経由して安く通話するためだ。会話からはオスロ、メルボルン、ミネソタといった地名が聞こえる。最初の冒険から6万年経った今でも、人々は外へ出た先達の導きや救いの手を求めているのだ。ナショナルジオグラフィックに掲載される写真は、それぞれが第一級の写真であるが・・・砂漠については、砂の波 美しき造形ナショナルジオグラフィック2012年11月号がお奨めです。
2014.07.10
コメント(0)
日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・『枕草子』の歴史学 ・日本は戦争をするのか***************************************************************『枕草子』の歴史学より<自然の背景に人間の営みを見る:本郷和人(東京大学教授・日本中世史) > 著者・五味文彦は私の師である。去年、本書を執筆中に体調を崩し、大好きな酒を控えた時期があった。五味は穏やかに微笑みながら言った。「お酒がおいしく飲めないんだよ。だから私の楽しみは、勉強することだけになってしまった」。その言葉を聞いた時、私は大げさでなく、ああこの人には、どうやっても追いつけない。そう実感した。 ある時、一条天皇と中宮藤原定子に、内大臣(定説では定子の兄の伊周だが、藤原公季が正しい)が紙を献上した。当時、紙は高級品である。天皇の方ではこれに中国の歴史書『史記』を記すことにした。さて、私たちは何を書く? 中宮がそう尋ねたので、清少納言は「枕にこそは侍らめ」と答えた。そうして成立したのが『枕草子』である。 五味は『史記』から「四季」を連想する。すると、清少納言の中宮への提案は「史記にあやかり、四季を枕として和風の文章を書いてみましょう」という意味にとれる。彼女は和漢の豊かな教養と鋭い感性を以って、自然や宮廷を観察し、文章を綴っていった。だからこそ、『枕草子』は「春は曙」「夏は夜」「秋は夕暮れ」「冬はつとめて(早朝)」と、四季の風景から始まっているのである。 療養に努めながら、朝と夕は散歩をしつつ、昼と夜は枕を友として、五味は『枕草子』を読み進める。そして瑞々しい自然描写を体感し、驚嘆する。この生き生きとした表現の背景には、いったい何があるのだろう? 答えは「冬はつとめて」に書かれてあった。 五味は解釈する。「冬の寒さの中、二人で臥して鐘の音を聞き、逢瀬を楽しむのが良い」。「春は曙」以下の四季の風景は、枕を交わした二人で見るのが趣き深い。それが『枕草子』の真意なのだ、と。 清少納言は自然の背景に人間の営みを見る。彼女の卓越した自然観と人間観とは、平安時代を彩るとともに、現代に継承されるのである。 ◇五味文彦著、朝日新聞出版、2014年刊 <「BOOK」データベース>より『枕草子』を歴史学の手法で読み解くと、意外な事実が見えてきたー。なぜ「春は曙」「夏は夕暮れ」から始まる?通説の登場人物比定は間違っていた!清少納言と藤原道長との関係…。研究し尽くされたはずの『枕草子』から新たに見えてきた清少納言の感性、姿、行動範囲、人間関係。時代の制約を受けず、自然の背景に人間を見、人間の営みから自然を感じていた清少納言。現代にも通じるこの日本人の感覚は、まさにこの時代にはぐくまれ、継承されてきたのだ。さて「春は曙」はどういう情景を描いたものか、著者からの驚きの推論とは?<読む前の大使寸評>『枕草子』といえば、橋本治の桃尻語訳がまず、思い浮かぶが・・・歴史学の手法で読み解くと、どんなだろう?という興味がわきますね。rakuten『枕草子』の歴史学ところで、『枕草子』といえば・・・橋本治の桃尻語訳もすごいが、この文庫本表紙のイラストがすごい♪日本は戦争をするのかより<「首相によるクーデター」と警告:保阪正康(ノンフィクション作家) > 今、戦後民主主義体制下のシステム、理念、法体系が音を立てて崩れている。本書を一読しての率直な感想である。単に一内閣が政治改革を目ざしているのではない。 「歴代の自民党政権の憲法解釈を否定し、独自のトンデモ解釈を閣議決定する行為は立憲主義の否定であり、法治国家の放棄宣言に等しい。『首相によるクーデター』と呼ぶほかない」との著者の指摘は、まさに歴史的警告といっていいであろう。 本書は安倍晋三首相の言動を丹念に追いかけながら、その不安定さ、不気味さ、そして錯誤を挙証していく。もっとも象徴的だったのは2014年2月12日の衆院予算委員会での発言である。解釈変更だけで集団的自衛権の容認ができるのかと野党が内閣法制局次長に問うたのに、「最高の責任者は私」であり、選挙で審判を受けるのは内閣法制局長官ではないと答えた。 それを著者は「国会で憲法解釈を示すのは法制局長官ではなく、首相である私だ。自民党が選挙で勝てば、その憲法解釈は受け入れられたことになる」との発想だと理解する。まさにルイ14世の「朕は国家なり」を彷彿させると見る。この種の現実をとり違えた発言がいかに多いか、69年の戦後史に対する真っ向からの挑戦である。 安倍首相は集団的自衛権の行使によって、日米の軍事上の「血の同盟」を画策しているのだが、しかしオバマ大統領を始めアメリカ首脳は、安倍首相自身がつくりだしている政治・軍事上の危機についてどこまで同調するかはわからない。著者の分析のようにオバマ大統領にも冷遇されている状態で、この首相は、この国を軍事主導体制にと企図しているのかもしれない。 自衛隊幹部が著者に語った「勇ましいことをいう政治家やマスコミは、シビリアンコントロールの自覚をしっかり持ってもらいたい」との言に、この国の歪みを見る。 ◇半田滋著、岩波書店、2014年刊 <「BOOK」データベース>より安倍晋三総理の悲願といわれる集団的自衛権。武器輸出の解禁や日本版NSCの創設、国家安全保障基本法をめぐる議論などを背景に、今、日本が急激に変わろうとしている。政府で何が議論されているのか。それはリアルな議論なのか。自衛隊はどう受け止めているのか。長年日本の防衛を取材してきた著者による渾身の一冊。<読む前の大使寸評>著者は長年日本の防衛を取材してきたとのことで、また、保阪正康さん推薦の本であれば、気になるのです。rakuten日本は戦争をするのか**************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本(新聞紙面のデジタル版はだいたい2~3日後にUPされています。)朝日デジタルの書評から43朝日デジタルの書評から(目録)
2014.07.09
コメント(0)
ドングリ国の法面緑化の遷移について、この15年くらい注目しているので、この本にそのあたりが載ってないかと読んでみたが、残念ながら載っていなかった。でも、グラウンドカバープランツの種類と緑化手法について、ややプロ向けに書かれているが、見て楽しめる内容となっています。15年ほど前、ドングリ国へ赴任した直後には、裏山の法面を主のような顔で風靡していたクロバナエンジュは今では他の潅木の陰で枯死寸前のありさまです。クロバナエンジュよりでも、今ではこの人口の法面はパッと見には、自然の斜面そのものです。森林の遷移メカニズムを熟知した造園エンジニアの目論見は達成されたといえるのでしょう♪この本でコケの魅力が述べられたあたりを紹介します。何といっても、日本古来のグラウンドカバープランツですもんね。<グラウンドカバープランツとしてのコケの魅力>p182より まさに緑のじゅうたんと呼ぶにふさわしい光り輝く光景をつくり出すコケ。京都に数多くある寺社の日本庭園、コケはつきものである。コケのない日本庭園など想像ができないくらい存在感が大きい。他の植栽や施設の造形がそれほどでなくとも地表一面を見事なコケが覆っているだけで立派な日本庭園と感じてしまう。 デザイン素材としてのコケの魅力は何なのか。他のいかなる植物素材よりもテクスチェアが細かく、地表面を低く蜜に覆う、その生育状態が、その魅力を醸しだすのであろう。 2013年夏の記録的猛暑と渇水状態の影響で完全枯死に至らないまでも各所の日本庭園のコケから瑞々しい緑色が失せ、黒褐色となった。大仰に言えばその途端、日本庭園の魅力は半減した。 普段の京都であれば、空中湿度も高く、霧も発生する機会も多いためコケの生育にとっては最適で、放っておいても自然にコケも生え、コケむす。一方、東京辺りでは、年々乾燥化も進み、空中湿度も低くなり、庭等にコケを植栽しても、なかなか京都の庭園のようにコケの素晴らしい庭とはならない。 このような現状であるにもかかわらず、平成の時代に入り、都市のヒートアイランド対策として屋上や屋根あるいは壁面の緑化が注目されてくると、その好適植物としてコケの導入が期待されるようになった。中でも比較的乾燥に強いとされるエゾスナゴケを緑化基盤材と一体化した製品が開発され、それらを活用した壁面緑化が行われるようになった。「森の国」とも言える日本の植物生態学的な特徴について説明がありました。<日本の気候・植生環境の特徴>p127より グラウンドカバープランツの緑化空間、芝生地として維持する間は次々と襲来してくる雑草との戦いが続く。この現象を植物生態学的に改めて説明すると次のようになる。 日本の気候環境は比較的温暖で降雨量も多いため、植生の発達も良く遷移の結果、大半の土地で極相として森林が成立する環境下にある。 自然の遷移現象に逆らい、人工的な植生景観を持続的に維持するためには遷移現象を偏向させる除草・刈り込みという行為を継続的に加えなければならない。 グラウンドカバープランツの緑化空間や芝生地は偏向遷移の賜物であり、除草・刈り込みという偏向要因が解除されれば直ちに遷移は進行し、たちまちのうちに雑草・雑木が繁茂し、藪となり、やがて森林状態の植生が成立する。【最新 グラウンドカバープランツ】近藤三雄著、誠文堂新光社、2014年刊<「BOOK」データベース>より ヒートアイランド現象が問題となってから数十年、都市において壁面や屋上緑化による気化熱を利用し急激な温度の上昇を抑える点で、グラウンドカバープランツの有用性がますます高まっています。 また最近は、葉の色や形状、花が付くものなど新しい園芸品種もより豊富になったため景観デザインの面でも幅が広がり、新たな緑化手法が開発されています。 本書は、グラウンドカバープランツの種類と用途、緑化手法について詳しく解説、設計や施工、管理の現場ですぐに役立つ、造園や建築、園芸など都市緑化に関わる専門家必携の一冊です。<大使寸評>ドングリ国の法面緑化の遷移について、この15年くらい注目しているので、この本にそのあたりが載ってないかと読んでみたが、残念ながら載っていなかった。でも、グラウンドカバープランツの種類と緑化手法について、ややプロ向けに書かれているが、見て楽しめる内容となっています。Amazon最新 グラウンドカバープランツ以前ドングリ国の法面緑化で触れたが、「播種工による早期樹林化」というような記事を、この本に期待したのだが、少し御門違いだったようです。
2014.07.08
コメント(0)
図書館で『TIN TIN タンタンの冒険その夢と現実』という大型本を借りたのですが・・・世界中で愛されているタンタンについて、大使が個人的に惹かれるところを紹介します。上海の共同租界で日本軍が出てくる傑作「青い蓮」が興味深いのです。<青い蓮>p50~59より 同じくオリエントを舞台に描いたその2作目は、傑作だ。シリーズ最初の傑作だと一般に言われており、最良の作だと評する声もある。これがシリーズの転換点をなす作品であることには、異論がないだろう。初期の一連の作品では、まだつぼみだった様々な資質が、ここにいっきに花ひらいている。 「青い蓮」によって、初めて物語は注意深くしっかりと構成されることになった。プロットは継ぎ目なく進展し、結末までゆるみがない。エルジェはもはや、毎週その場の思いつきでストーリーを作ることをしなくなった。「ファラオの葉巻」では、エルジェは自分の手に負えなくなる方向に、物語が進みだしたとはっきり感じた。その反省から、「青い蓮」は、前もってもっとよく話が練られ、行き当たりばったりではなく、しっかり現実に根ざして着実に進んでいく。自分がどのようにして向かっているのか、エルジェにはわかっていた。<中国人学生と知りあう> 「ファラオの葉巻」の物語展開に、エルジェはいらだったからだけではなく、ブリュッセルでエルジェが中国人の美術学生と幸福な出会いをしたことから、その後の変化は起こった。(中略) 1934年、ゴセ神父はエルジェに、ブリュッセル美術アカデミーの有望な彫刻科の学生で、エルジェと同じ27歳のチャン・チョンジェン(張充仁)を紹介した。ふたりはたちまち仲よしになった。 ふたりは長く話しこみ、エルジェは新聞の切り抜き資料がまたらすよりずっとはるかに真実な中国のイメージを得た。チャンによって彼は、それから生涯にわたる中国の魅惑に目ざめたのである。その複雑な歴史、広大な土地、ことば、文学、哲学に宗教―そのすべてが吸収力の高いエルジェのまえに見えてきた。(中略) さらに「青い蓮」が優れているのは、政治的な正確さと予見であり、複雑な当時の時事状況をよくとらえている。1934年は世界戦争へ風雲急を告げていたが、迫り来る危機を見通していた者はわずかしかいなかった。 ヨーロッパでは、第一次大戦でフランスや英国の側だった大日本帝国は、政治的にうさんくさいロシアにかつて戦った国として、好意的に見られており、日本のアジアでの戦争行為はほとんど無視されていた。 中国の政治的状況の混乱ぶりから、日本が満州の大部分を占領しているが、それはその地域に安定をもたらすのではと、西側では考えられてもいた。西側の新聞は、はるか極東の事情については、なお主として日本に同情的だった。<国際事件をとりこむ> しかしチャンのおかげでエルジュは遠いアジアの政治状況と日本のむきだしの帝国主義的野心に目をひらかされた。タンタンの中国の冒険は、そこに描かれたように、日本が挑発行為を続けているさなかの1934年の8月に、「プチ20世紀」に連載が始まった。 エルジェは柳条湖の満鉄爆破事件を物語にとりこみ、日本人にやとわれた工作員たちが鉄道を爆破するのを、タンタンに目撃させている。事件は中国人のしわざにされ、日本の軍事介入の口実にされた。これは政治的風刺の見事な例だが、燕尾服を着た日本の外交官が中国大陸への軍事派遣を正当化し、実際に後に日本は国際連盟から脱退する。(中略)<宿敵と再会する> 「青い蓮」のなかで、エルジェの最も強い風刺と批判にさらされたのは日本の帝国主義だが、共同租界が、必要なら日本軍と妥協してもひたすら私腹を肥やすというように、芯まで腐敗堕落していることも示されている。当時のヨーロッパでは、そうした見方はとても一般的ではなかったが、チャンのおかげでじゅうぶんの情報を得ていたエルジェは、思い切った視点をさしだし、後の歴史上の事実は、それが正しかったことを示した。そうした視点が1930年代のカトリック系新聞の子ども向けの付録のなかに表れるのは、ひかえ目にいっても驚くべきことだった。この子ども向けマンガに、これだけの政治性が裏打ちされていたとは驚くばかりです。作者ジョルジュ・レミ(筆名エルジェ)の完全主義の一面が表れているのでしょう。この本の著者マイクル・ファーが「序」で、ジョルジュ・レミを次のように紹介しています。<序Introduction>より ジョルジュ・レミの子ども時代は、本人のことばによれば「おそろしく灰色」だった。小学校の4年間(1914-18年)は、偶然にも、ブリュッセルがドイツ軍に占領されていた4年間に相当する。当時から絵を描くのに熱心で、教科書の余白は、どこにでもいて圧倒的なドイツ兵のいたずらがきで飾られていた。(中略) 若きジョルジュ・レミは、堅苦しく退屈な中産階級のしつけと生活から、ボーイスカウト活動をするときだけ解放された。子ども時代の灰色の思い出は「ボーイスカウト活動のときだけ、輝きと色彩があった」と彼は語っている。夏の合宿で彼は初めてベルギーを離れ、スペイン、オーストリア、スイス、イタリアへ行った。旅行は彼の重要な関心事、情熱にすらなった。その先入観と熱意、姿勢はエルジェのものだったが、すぐに新聞記者であると同様、多分にボーイスカウト的なタンタンとして体現された。(中略) 子どもは、タンタン物語に冒険の興奮や笑いを見て、とりこになる。さらに、おとなは、そこに政治的風刺やパロディ、ことば遊びや予見性を見つけて楽しむ。最も熱心なタンタンノロジスト(タンタン学者)は、何度もくり返し同じ冒険を読み続けてきて、なお新しい発見をするだろう。タンタンはいくらでも再読に耐え得る。その冒険物語は、主人公と同じく、すり減ることはない。【TIN TIN タンタンの冒険その夢と現実 】マイクル・ファー著、ムーランサール ジャパン 、2002年刊<内容紹介>より本書では「タンタン、ソビエトへ」から未完成の最後の物語「タンタンとアルファアート」までの物語を 順に解説しています。 現実世界を想像の世界に取り込んだエルジェのクリエイティビティ、 完璧なものへの彼の追求など、エルジェの創作のすべてを語っています。 慎重なリサーチが もたらす各ストーリーの詳細の正確さは、エルジェの作品の大きな特長です。 実際にエルジェが参考にした資料写真とその反映されたシーンを対比させながら 解説されているので、より深く「タンタンの冒険」の世界を知る事が出来ます。<大使寸評>上海の共同租界で日本軍が出てくる傑作「青い蓮」が興味深いのです。この子ども向けマンガに、これだけの政治性が裏打ちされていたとは驚くばかりです。作者ジョルジュ・レミ(筆名エルジェ)の完全主義の一面が表れているのでしょう。AmazonTIN TIN タンタンの冒険その夢と現実 「タンタンの冒険旅行」シリーズの各分冊がLes aventures de Tintin「タンタンの冒険旅行」で見られます。「青い蓮」の画像ところで、上海の共同租界といえば・・・J・G・バラード原作の映画『太陽の帝国』の時代考証が秀逸です。当事者であった若き日のJ・G・バラードは、ジョルジュ・レミとは違った感性で共同租界を描いていましたね。「太陽の帝国」予告編
2014.07.07
コメント(0)
神戸マラソンは5000人救済枠にエントリーしていたのに、またも落選でした。これで3連敗かな・・・怒るでぇ!落選を見越したように(笑)、瀬戸内タートルマラソンの案内状が到来したけど・・・去年は好結果が出たレースでもあり、また今年も出てみるか♪ということで・・・年間エントリー計画を次のように見直ししました。・5/25 浜坂麒麟獅子ハーフ(出走済み)・9/14 烏原駅伝・9/28頃 大阪30K・11/2 淀川ハーフ(6/9エントリー済み)・11/23 神戸マラソン(6/30落選メール到来)・11/30 瀬戸内タートルマラソン(締切9/30、参加費4000円)・12/14 奈良マラソン・12/15頃 三田ハーフ9~10月あたりにハーフまたは30Kを1つ入れるかどうか迷っております。ちなみに、マラソン参加計画の見直し経緯です。全治1ヶ月で復帰マラソン参加計画見直し(その1)
2014.07.06
コメント(0)
図書館で『日本文化ビジュアル事典』と言う本を借りて読んでいるのだが・・・・この本を読むと、日本文化について自分がいかに不明であったかを悟るわけです。副題が「英語でわかるニッポン」になっているとおり、全ての和文に英文が付いているのだが・・・和文を見るだけでも意義深い書籍となっております♪はい そこのあなた!日本を訪れた外国人に、次のように英語で日本文化の説明ができますか?(英語の方は諦めて、せめて日本語で勉強しようと思う大使である)<浮世絵:Ukiyoe>p30より 「浮世」とは、この世の中、現実社会を意味し、浮世絵は浮世の様子を描いた絵をいいます。16世紀の後半に京都で描かれていた風俗画から発展し、17世紀の江戸に浮世絵の元祖といわれる菱川師宣が出て、木版画の美人画を多数制作しました。 その後、技術の向上によって、10色以上の多色刷り版画がつくられ、その豪華な美しさから錦絵と呼ばれるようになりました。 18世紀後半には、鈴木春信や喜田川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、安藤広重らによって、美人画や歌舞伎役者絵、相撲絵、武者絵、風景画の名所絵などさまざまな方向に発展しました。 浮世絵が19世紀後半のヨーロッパの印象派やアール・ヌーボーに影響を与えたことはよく知られています。<陶器:Ceramics>p36より 陶土という良質の粘土を練って形をつくり、約1000~1300度で焼いた焼物のことです。産地によってうわ薬をかけて焼くものと、焼き締めといってうわ薬をかけずに焼くものがあります。水を吸いやすく、茶色っぽい素朴な印象のものが多いのが陶器の特色です。 陶器づくりの技術は、4,5世紀に中国や朝鮮半島から伝わり、各地に広まってそれぞれ特徴のあるものが育ちました。水や酒、油などを入れておいたり、日常の食器や花瓶として使われてきました。 陶器の独特な美しさを最初に発見したのは千利休ら茶人です。安土・桃山時代には、彼らの好みを反映させた茶陶が各地につくられました。このころ生まれた美濃焼、志野焼、唐津焼、萩焼、織部焼などは、現在も人気があります。<磁器:Porcelain>p38より 陶石という石を砕いて水を加え粘土にして、よく練って形をつくり、約1300~1400度で焼いた焼物のことです。水を通さず、かたく色が白いのが特徴です。 日本ではじめて磁器がつくられたのは、1615年ころの佐賀県有田といわれていますが、1640年代には、中国の色絵陶磁を研究して、酒井田柿右衛門が赤や緑、黄などでうわ薬の上に絵を描く技法に成功しました。これを契機として有田(伊万里)焼や、鍋島焼、九谷焼など、優れた色絵磁器が各地で生み出されました。なかでも有田焼はヨーロッパに輸出されて、もてはやされました。 1800年代には現在の愛知県瀬戸で磁器の量産がはじまり、有田と並ぶ2大産地となり、磁器を総称して瀬戸物とも呼ばれるようになりました。<漆器:Japan>p40より 木などで形づくった器に漆をかける工芸品です。英語でジャパンとも呼ばれるように、漆器は日本ならではの発達を遂げました。漆はウルシの樹液を精製してつくる自然の塗料で、水がしみこみにくい、酸やアルカリに強い、防腐性や防虫性に優れているという特性があります。 漆器の制作方法は、よく乾燥させた木材で盆や皿、椀、茶たくなどの木地をつくり、下地の漆を塗ってから、本塗りの漆を塗って乾かして砥石で研ぐという作業を何度も繰り返します。ここまでで20~30の工程があるといわれています。さらにこの上に、装飾専門の職人が蒔絵や沈金などの装飾を施すこともあります。代表的な産地には輪島・山中(石川県)、会津(福島県)などがあります。<織物:Textile>p42より 糸を縦と横に組み合わせて生地にしたもので、古来、着物の素材として、各地で特色のあるものが織られてきました。それは、領主に納めるためでもありましたが、多くは家族や自分たちが着るためのものでした。 織物は、使用する糸や織り方の違いにより、さまざまな種類があります。代表的な織物には「紬(つむぎ)」、「絣(かすり)」、「縮(ちじみ)」、「縞(しま)」、「上布」などがあります。紬は絹織物で、上布は麻織物、ほかの3点は絹、綿、麻などで織られます。 中には非常に手間ひまがかかり、結城紬(茨城県、栃木県)、越後上布(新潟県)、久留米絣(福岡県)、芭蕉布(沖縄県)のように、その技術が国の重要無形文化財に指定されているものもあります。<染物:Dyed Fabric>p42より 絹や木綿の生地を染料で染めて、着物の素材にしたものです。 代表的な染めの種類には、生地の一部を糸などでくくって絞ってから染める絞染や、生地に直接絵柄を描いてから地色を染める手描友禅、型紙を使って文様を表現する型染、藍からつくられる青い染料で染める藍染などがあります。 染めの上から金糸、銀糸で刺繍を施したり、金箔や銀箔を貼りつけることもあります。 織物で仕立てた着物は一般的に普段着とされていますが、染物は振袖や留袖、訪問着などの正装や喪服などにも使われます。職人が一点ずつ模様を描いたり染めたりするので、非常に贅沢なものといえます。 <神社:Shinto Shrines>p92より 神、または神となった人を祀るための施設です。古来、日本人は自然のすべてのものに神が宿ると考えてきました。そのため、神社には神話に登場する天照大神を中心とする神々をはじめとして、その土地の守護神の産土神や氏神、山や海の神、田の神など実に多彩な神が祀られています。 中心となる建物は、神が鎮座する本殿と、その前方にある拝殿です。拝礼は拝殿の前で行うのが一般的です。ほかに入口に鳥居、拝礼の前に手や口を清める手水舎、神楽を奏する神楽殿、神職が社務をとる社務所などがあります。 鳥居から拝殿までを参道といって、境内を守る狛犬や神のお使いの狐や猿などの石像、石灯篭などが置かれています。これらを含む敷地内は神域と呼ばれ、神聖視されています。<日本家屋:Japanese Houses>p94より 日本の伝統的な家は、石の基礎の上に木の柱や梁、桁などで骨組みをつくる木造住宅で、四季によって温度や湿度が変化する気候風土に合わせて工夫がこらされています。たとえば、床は地面から20~30cm高く木を張った上に畳を敷き、外壁は竹や木でつくった下地に漆喰などを塗った塗壁です。 畳や漆喰は湿気をよく吸収する素材です。外に面した引き戸や、間仕切りの襖や障子は取り外しが自由で、夏は外して風通しをよくしたり、建具を夏用のものにとり替えたりします。また、行事の際にはこれらを外して部屋を広く使います。 最近は生活様式が洋風化し、マンションなどの集合住宅に住む人が増えたため、伝統的な日本家屋に住む人は減少しています。【日本文化ビジュアル事典】近藤珠実著、池田書店、2008年刊<「BOOK」データベース>より英語でわかるニッポン。外国人にも伝えたい日本の文化。【目次】第1章 伝統文化/第2章 生活様式/第3章 食文化/第4章 現代文化/第5章 歳時記/第6章 基本情報<大使寸評>この本を読むと、日本文化について自分がいかに不明であったかを悟るわけです。副題が「英語でわかるニッポン」になっているとおり、全ての和文に英文が付いているのだが・・・和文を見るだけでも意義深い書籍となっております♪rakuten日本文化ビジュアル事典與那覇先生の『日本人はなぜ存在するか』を読んだ際、日本文化ってと考えたりしています。
2014.07.06
コメント(4)
<書いて稼ぐ技術>先日は『本づくりの本』という自費出版のハウツー本を紹介したが、今回は『書いて稼ぐ技術』というハウツー本を紹介します。というわけで・・・小説作家を目指す大使の遠謀は、後先がやや逆転しているが、着々と進んでいます(アホやで)この本からライターとして身につけておくスキルの一部を紹介します。<書店の棚は企画をひねり出すための刺激剤>p87~90より アイデアは自然にわいてきたり生まれたりするものではありません。じっとしていて天から降ってくるようなものでもありません。アイデアはひねり出すものです。ひねり出すためにはトレーニングが必要です。スポーツのようなものです。脳を、というよりも体を、アイデアをひねり出すモードにするトレーニングです。 ではどうするか。 まずは書店に行くこと。書店の本棚をひたすら眺めます。といっても本棚そのものを見るわけではありません。本棚そのものではなくて本棚に並んでいる本を眺めます。 書店の本棚には大きくわけて二種類あります。平台と棚です。新刊を集めた平台を見れば、最近の流行がわかるでしょう。気の利いた書店なら、いろんなテーマでブックフェアをやっています。 本が背表紙を見せて立ててあるのが棚です。棚に並ぶ背表紙をじっと見ていけば、ああこんな本があったのか、という発見があるでしょう。背表紙を眺めながら思い出すこともあるでしょう。書店の棚からストレートに企画を考えるというよりも、頭と体を企画ひねり出しモードにするための刺激剤と考えてください。(中略) 書店にもいろいろあります。駅前商店街にある小さな書店から、東京・池袋にあるジュンク堂書店のようなメガストアまで。絵本や美術書の専門店もあれば、ビレッジヴァンガードのように雑貨と本を混在させた書店もあります。定期的に、できれば週に1回ぐらい、メガストアに行ってみることをお奨めします。本はどこの書店にでも並ぶとは限りません。小部数の本は巨大書店にしか並ばないからです。 もうひとつ新刊書店で注意して眺めたいのは新書と選書・叢書の棚です。数年前から第何次かの新書ブームといわれます。総合誌の凋落とも重なって、「いま」起きている新しい話題がどんどん新書になるようになりました。 逆に、関心が持たれているのにまだ新書になっていないテーマに気づくはずです。また新書はそのテーマを大づかみするのにも役立ちます。インターネット検索は、フリーライターの重要なスキルのようです。<検索エンジンは下位にあるものに注意する>p101~103より フリーライターの仕事の基本は調べて書くことです。つまりその仕事に取りかかるまでは知らなかったことについて書くわけです。まるでずっと前からよく知っていたような顔をして(ずうずうしい!)その意味で、フリーライターの知識は常に付け焼き刃です。しかし、付け焼き刃であることを自覚していればいいのです。 調べ物のしかたはこの10年でずいぶん変わりました。インターネットが普及したからです。インターネット以前のパソコン通信のころは、ネットワーク上の情報そのものがとても少なかった。調べ物をしようとすると、せいぜい有料のデータベースにアクセスするか、フォーラムと呼ばれる同行者たちの掲示板に書き込んで回答を待つしかありませんでした。それでも当時は十分画期的だった。それがあっという間にインターネット、それも高速でつなぎ放題。 というわけでいまやわれわれフリーライターの調べ物も、まずはインターネットにアクセスするところから始まります。調べたいことを検索する。GoogleやYahoo!の使い方などわざわざ説明するまでもないでしょう。ただいくつか注意点があります。 まず、検索エンジンはキーワードの微妙な違いによって検索結果が大きく異なります。そこで、少しずつ表現を変えて何通りも検索してみてください。また検索エンジンによってもどんなサイトが出てくるかが違います。Googleだけ使うのではなく、Yahoo!やgooなども使ってみてください。 もうひとつは、上位に出てくるサイトだけでなく、できるだけ下位にあるものにも目を通すようにすることです。検索エンジンは基本的に参照者の数が多いほど重要だ、というロジックでつくられています。しかし、参照者の数が多いということは、それだけすでに知っている人が多い情報だということであり、情報の希少性は薄れます。フリーライターにとっては、あまりおいしくない情報だということになります。 なおネット上の情報を鵜呑みにしないのはいうまでもありません。というか、ネットに限らず、あらゆる情報は眉唾物である、と考えるべし。図書館大好きの大使として、我が意を得たりと納得する部分がありました。<世の中の常識とは反対のことを考える>p91~94より 図書館を積極的に利用しましょう。暇な日は、ぼんやりテレビを見たりネットに夢中になって無駄な時間をつぶしていないで、近所の図書館に行ってみてください。何の目的もなく書架を端から順番に見ていく。本の背表紙を読んでいくだけでも、いろんなことを思いつくはずです。 「いままでにない斬新な企画を」と編集者は求めます。しかし「いままでにない」もの、「斬新」なものを、そう簡単に思いつくわけがありません。 たとえば世の中は禁煙化に向かっています。タバコは嫌われる一方です。それに対して「禁煙ファシズムだ」という声もあがりますが、そういうのもなんだかなあ、という気がします。それよりも「タバコは体にいい」とか、「不健康は世の中のため」とか、もっと積極的に喫煙をすすめる企画はできないか、と考えるわけです(中略 頭の中ではどんなことを考えるのも自由です。 永江さんは、電子書籍をわりと肯定的にとらえているようです。大使は遅れているのかと、やや焦るわけです。とりあえず、試しに電子書籍を1冊買ってみるか。<変化の時代には新しいビジネスチャンスがある>p213~214より 電子書籍は流通を一変させます。紙の本は出版社→取次→書店というルートで流通しますが、電子書籍は出版社→通信会社→読者というルートもあれば、業者→読者というダイレクトなルートもあり得ます。編集方法や宣伝方法、課金方法など、さまざまな要素について試行錯誤が繰り返されていくことでしょう。 電子の流れに乗り遅れるな、というといかにも軽薄に聞こえるでしょう。でも乗り遅れる・遅れないではなく、環境の変化に目配りしておく必要はあります。 変化の時代は新しいビジネスが生まれるチャンスでもあります。 有料メルマガを配信している作家が何人かいます。日垣隆さんの「ガッキィファイター」や勝谷誠彦さんの「勝谷誠彦の××な日々」などです。 ウェブサイトやブログを持っている作家はもっとたくさんいます。糸井重里さんが「ほぼ日刊イトイ新聞を」を始めたとき、このサイトがここまで大きくなり、書籍から手帳、腹巻き、タオルまで、さまざまな商品を生み出していくとは誰も考えなかったでしょう。「ほぼ日」はいまやスタッフを大勢抱える大きなメディアです。 フリーランスのライターとしては、紙媒体にこだわることなく、ウェブマガジンなどにも積極的にかかわっていくべきでしょう。いまのところはすぐにお金にならないかもしれないけど、5年後、10年後には面白いことになっているかもしれない。最後に永江さんの明るい展望を拝聴いたしましょう♪<「好奇心代行業」の可能性はどこにあるか>p214~216より インターネットによって音声や映像の可能性が広がりました。ライターだからといって文字だけに限定する必要はありません。インタビューやドキュメンタリーをポッドキャストやユーチューブで配信することもできます。そうなると、ライターの仕事は「書く」だけではない。また「ライター」という職種・肩書きにこだわる必要もありません。十年以上前、高杉弾さんは「メディアマン」を名乗りましたが、ライターはメディアマン、メディアパースンになっていくのかもしれません。 メディアが変化しても編集の重要さは変わりません。たとえappストアやポッドキャストで配信するようになったとしても、クオリティの高いものをつくるためには、優秀な編集者が関与することが必要でしょう。いままでは編集者は出版社に所属していましたが、これからはアメリカの出版エージェントのように、作家・ライターの側について、プロデュースやマネージメントもするようになるかもしれません。そうなるとライターは優秀な編集者を見つけることが自分の可能性の拡大につながります。 出版産業の将来については私は楽観的に考えています。 人びとの知的要求を満たす仕事はいくつもあります。時代によってそれが紙に印刷された書籍や雑誌だったり、ラジオだったりテレビだったり、インターネットだったりするだけです。人びとの「知りたい」に応え、忙しい人びとに代わって、見たり、読んだり、質問したりする仕事は永久に続くでしょう。 いま「好奇心代行業」の可能性はどこにあるか?そういう目で世間を見渡せば、きっと新しい市場が開拓できると思います。【書いて稼ぐ技術】永江朗著、平凡社、2009年刊<「BOOK」データベース>より フリーライターは名乗れば誰でもなれるが、それで食べていけるかどうかが肝心。何をどう書き、得意ジャンルをいかに確立するか。自らのキャリアをどのようにデザインするか。そして、世間をどう渡っていくかー。文筆稼業25年の著者が自らの体験を披瀝し、「書いて生きる方法」を説く。【目次】1 書いて生きるということ(不況だからこそフリーライター/ライター業の手始め/人生設計をどう立てるか)/2 読み書きのしかた(永江式発想術/取材のABC/ライターは読者の代行業である)/3 世渡りのしかた(業界を渡る、世間を渡る/お金の話/リスク管理術)<大使寸評>著者は、「フリーライターになったら、できるだけ早く単著=単独の著書を出しましょう」と、ヒット作品の効用を説いているが・・・・それが出来れば苦労はないでぇ!(怒)功成りたフリーライター永江さんが「書いて生きる方法」を説いているので、書いてみようと思うわけです♪rakuten書いて稼ぐ技術【小説家への遠謀】をさかのぼってみます(笑)本づくりの本『小説家になる方法』作家デビューを目指す貴方へ2作家デビューを目指す貴方へ1SF執筆でも新書を出そう2「夢を売る男」
2014.07.05
コメント(0)
図書館で『川西英の新・旧「神戸百景」』という本を借りたが、2001年の特別展の公式画集であり、なにより収録数が多くて・・・神戸市民にとっても魅力的な画集になっています。全作品について、描かれた場所の地図や写真も載っていて資料的価値が高いと思うのです。【川西英の新・旧「神戸百景」】公式画集、神戸市立博物館、2001年刊<インターネットミュージアム>より2001年開催となると、旧いので取材データがありません。<大使寸評>図書館で『川西英の新・旧「神戸百景」』という本を借りたが、2001年の特別展の公式画集であり、なにより収録数が多くて・・・神戸市民にとっても魅力的な画集になっています。museum川西英の新・旧「神戸百景」この本から解説の一部を紹介します。<川西英の戦前の「神戸百景」:岡康正>p18より 瀟湘八景は、中国湖南省・洞庭湖の南の八ヵ所の佳景を選んだものである。これにならって、近江八景、横浜の金沢八景などがつくられた。かつての須磨八景というのが考えられたが、須磨のような古跡と違って、神戸八景というものがあれば、いかにも不似合いである。 戦前の川西英の「神戸百景」は、こうした瀟湘八景の情緒や枯淡の気分と最も遠いところにある。そのことは画題を見ていただくだけで了解される。 とにかく百景の画中に人が多い。木版画であるというのに陽光が燦々と風景や人々に降りそそいでいる。 何をしているのかと思うほど公園に人が集まっている。神戸の街全体が、祝祭空間であるかのように、明るくて楽しい。働く人、遊ぶ人が、みんな夢中で働き、遊んでいる。 この百景を見ていくに従って、思わず知らず顔がほころんでしまうのである。その中には「アーバンリゾート」の形が、まだ神戸が、有馬や垂水町を有していないにもかかわらず、すでに整っているように見える。反面、百景の中には、いわゆる名所旧跡が驚くほど少ない。英が兵庫の人だったから「松尾稲荷」や「築島寺」は入ってはいるが、名所絵の定石をあえて無視しているのである。(中略) 正面から神戸のハイカラさをとらえたものは、「万博波止場」「ラグビー」「みなとの祭」「トーア・ロード」「元居留地」「クリスマス・セール」「ドライブ・ウェイ」「支那両替店」「印度教会」などなど、数多く挙げることができる。 まさに、この百景のハイライトがこれらで、英は、描きながら神戸のセンスのよさ、おしゃれな街角の魅力を誇っているのである。ただ、英の凄みは、「酒場」や「ダンス・ホール」「花隈」といった歓楽の巷をも見逃さず、また、「造船職工出勤」「製鋼所」といったモチーフにまで目を注いでいる点である。ここに英のすぐれた近代性を見出すことができる。ちなみに、神戸百景は「月刊KOBEグー」にも連載されているので、大使は毎月楽しみにして入手し保存しています。「月刊KOBEグー」は各駅改札口あたりに置いてある無料のタウン誌です。神港ジャーナル社さん、頑張ってや♪版画作家そのものとして見ても、この作品はええなぁ♪『神戸百景』を歩く川西英生誕120周年byドングリ「川西英、神戸百景-百の風景をたどる旅-」ドングリスタンへようこそ!にも示すとおり、川西英さんはドングリ国の名誉市民です。
2014.07.04
コメント(4)
アジサイ類、ウツギ類、ナツツバキ、クチナシそしてバラやカンナ・・・梅雨どきの色取りといえばアジサイくらいかと思いきや、意外に花期が集中しています♪大使はギボウシの葉っぱが好きなんで、公邸にもギボウシを植えているのだが・・・ちょうど今ごろ地味な花を咲かせます。これは去年(6月10日)のでこれは今日のです。カタバミ科のオキザリス・レグネリィーをおまけだ♪ ちなみに、この横文字の名前なんですが、「カタバミ」「紫色の葉」「画像」で検索をかけると、一発で画像が出たので確認できました。おそるべしネット検索♪カタバミ(園芸手帳)を見てみると、ま~いろんなカタバミがあるものです。なお、「定点」と言っても、大使公邸の玄関だったのです(安近短ですんまへん)【定点観測実績】もうすぐギボウシが見頃です2013.06.06
2014.07.03
コメント(2)
今回借りた6冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「ニッポン」でしょうか。<市立図書館>・ゴードン・スミスのニッポン仰天日記・本の歴史・本づくりの本・愛と日本語の惑乱<大学図書館>・つげ義春ワールド ゲンセンカン主人・藍布の源流(季刊銀花第126号)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【ゴードン・スミスのニッポン仰天日記】リチャード・ゴードン スミス著、小学館、1993年刊<「BOOK」データベース>より明治末期の日本を活写した絵入り、写真入り日記は、作者の没後長く框底に秘められていたが、近年約90年ぶりに孫の手によって発見された。フォン・シーボルト、エドワード・モースにつづく、日本を博物学した異国人の超仰天日記。<大使寸評>荒俣さんが、リチャード・ゴードン スミスを評して万能の博物学者と絶賛しているが、好奇心旺盛な彼が、大英博物館の調査を委託されるという幸運にも恵まれたのです。ちょうど日露戦争の最中に日本に、それも神戸に滞在していたわけだが、彼自身が撮った写真も満載した日記が、面白くないわけがないのです。また、神戸を舞台にしているので、個人的に土地勘も働くのが、ええでぇ♪この日記が見つかったのは1980年代というから、比較的新しいわけで新発見といえるでしょう。荒俣宏さんがまえがきで、新発見の経緯について語っているが、この部分もええでぇ♪Amazonゴードン・スミスのニッポン仰天日記【図説 本の歴史】樺山紘一著、河出書房新社、2011年刊<「BOOK」データベース>より石に刻み、木や葉に書くことから始まった。紙の発明、大印刷時代。デジタル化、本の未来形までを考える。【目次】1章 書物という仕組みは(本とはなんだろうー旅のはじめにあって/紙という舞台ーこの最強のメディア ほか)/2章 本が揺り籃から出る(アルファベットを書くー書体の工夫/漢字の書体 ほか)/3章 書物にみなぎる活気(グーテンベルクの存在/大印刷時代の展開 ほか)/4章 本の熟成した味わい(本は権利のかたまりー著者権と著作権/本の文明開化ー本木昌造と福沢諭吉 ほか)/5章 書物はどこへゆくか(神田神保町ーどっこいそれでも古本は生きている/デジタル化の衝撃 ほか)<大使寸評>本の歴史=知の歴史のような内容となっていて、画像も多くて充実した図説である。デジタル化の潮流にさらされる製本業界であるが・・・歴史上、長くアナログでやり過ごしてきた「紙の本」は、今後も生き残るような予感がするのです。rakuten図説 本の歴史図説 本の歴史byドングリ【本づくりの本】村上光太郎著、武田出版、1999年刊<「BOOK」データベース>よりこれまでぼんやりと実像がつかめなかった自費出版が遂に執筆から印刷・製本・流通までわかり易く完全解説された。自費出版を成功に導く待望の自費出版マニュアル。<大使寸評>自費出版した友人二人の影響もあってか、自費出版を狙っているのです。その友人とは印刷会社での打合せに同行さえしたので、本づくりの何たるかについては、少しは知っているわけです。で、自費出版マニュアルのようなこの本が興味深いわけです。Amazon本づくりの本本づくりの本byドングリ【愛と日本語の惑乱】清水義範著、ベストセラーズ、2008年刊<「BOOK」データベース>より愛は言葉か、言葉が愛か?恋多き大女優と同棲するコピーライターが、失われつつある愛に惑乱し、奇妙な言語障害に陥っていく爆笑長編。<大使寸評>著者は日本語の乱れ方とか言語障害などに注目しているのだが・・・こういうテーマに関しては、名古屋発のインスピレーションは快調です♪とにかく、日本語を題材にしてパスティーシュ小説を書ききる筆力を評価したいのです。rakuten愛と日本語の惑乱愛と日本語の惑乱byドングリ【つげ義春ワールド ゲンセンカン主人】つげ義春×石井 輝男著、ワイズ出版、1993年刊<内容紹介>より古書につき、データ無し<大使寸評>以下のつげ義春作品の実写映画について、原作マンガ、撮影シーン写真、つげさんの見物日記、出演者、スタッフの談話、「ゲンセンカン主人」のシナリオなどを満載した本になっていて、まさに「つげ義春ワールド」であり、つげファンにとっては・・・・堪えられないのです。しかし、「ゲンセンカン主人」の実写映画にチャレンジする石井監督、佐野史郎たちの蛮勇が、ええなぁ♪・李さん一家・紅い花・ゲンセンカン主人・池袋百点会Amazonつげ義春ワールド ゲンセンカン主人つげ義春ワールドbyドングリ【藍布の源流(季刊銀花第126号)】季刊雑誌、文化出版局、2001年刊<文化出版局サイトの目次>より<特集>藍の人・藍の技 ヴェトナム、中国、日本藍布の源流──ヴェトナム「ハノイ」から中国「大理」まで一千キロを走る 5ヴェトナムへ藍の人に会いに行く 伊豆原月絵 30もっと自由に──布人たちの現在 作・新道弘之、青戸柚美江、尾白直子 33当代の紺屋さん繁盛記 48世界の藍、アジアの藍、日本の藍 52<大使寸評>モン族の民俗衣装の写真が素晴らしかったが・・・レポーターが発した「民族の矜持」という表現には、しびれたのです。bunka藍布の源流(季刊銀花第126号)藍布の源流byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き64図書館大好き(目録)
2014.07.02
コメント(0)
『小説家になる方法』や作家デビューを目指す貴方へを立てつづけにUPした大使であるが、今度は自費出版に関する『本づくりの本』にとりついたのです。まるで、外堀を埋めて本丸をうかがうように、小説家を狙っているわけですね(笑)四国の田舎のスナックで約半世紀ぶりに同期生に合ったが・・・話が盛り上がったあと、彼から自費出版の本をもらったのです。いけてるやん♪また、スナックで同席していたもうひとりの友人も自費出版していて、彼とは印刷会社での打合せに同行さえしたのです。このときの本は値段を付けて本屋に並べたので、一応、営業出版でしたが、ペイできたかどうかは?推して知るべしです。というわけで・・・本づくりの何たるかについては、若干の経験もあるわけで、この「本づくりの本」が興味深いわけです。では、この本で参考になったヵ所を紹介します。<出版のパートナー>p33~36より自費出版を手がけているパートナーには、次の五つがあります。1.自費出版専門の出版社 武田出版、MBC21など、自社の出版物における自費出版のウェイトの高い出版社です。自費出版には手馴れているが、社名の知名度が今ひとつというところでしょう。2.一般の出版社 中央公論社、主婦の友社など、営業出版が本業で、片手間に自費出版も手がけているところ。自費出版と営業出版の格差があまりにも大きい様です。3.新聞社の副業 朝日新聞社、毎日新聞社など、新聞社の知名度は抜群ですが、ここに自費出版を依頼したからといって、その新聞に書評として取り上げられる事を期待したら誤算となります。4.印刷所 印刷費用は多少割安ですが、印刷所側からの編集上の指導は一切ありませんので、著者の指示通りに製作されることになります。印刷と編集の知識に詳しい人にとってはいいでしょうが、そうでないと想像とかけ離れたイメージに仕上がる危険性を含んでいます。5.流通会社の副業 リブロなどの書店やデパートが印刷所や製作プロダクションの窓口として引き受けているところです。書店に依頼されれば、その書店には必ず置いてくれるものと思われます。但し、有能な編集者を抱えているところを選ぶことをお勧めします。 以上、自費出版を手がけている五種類の会社を羅列して説明しましたが、自費出版ほど値段と品質に格差のあるものはありません。安かろう悪かろうから、高くて悪い、安くて立派、高くて立派など、他の商品に比べたらその格差は大変なものです。 世間の評判が特に悪いところは、避けて通った方が無難でしょう。営業出版ともなると、厳密な著者校正が必要でしょうね。『愛と日本語の惑乱』という小説では差別用語の校正で、ひともんちゃくが有りました。<著者校正について>p102~103より 著者校正は、一般の「校正」に加えて、事実関係について「校閲」が許されます。許されると言うより是非必用なのです。著者にしか指摘できない間違いをチェックすることが目的となります。但し、これより先に新たな加筆・訂正・削除はないようにしましょう。 具体的には次のポイントです。1.固有名詞(人名、地名など)2.数字・数値(歳、生年月日、重量、距離、金額などあらゆる数値)3.5W1H(事実関係などに間違いがないか)4.専門用語・方言(特定の職業のみで使われる用語や方言・俗語)5.引用文(原文についての確認、著作権については編集担当に相談)6.写真・図版(入る位置や大きさの確認)次に、原稿が完成した後の印刷工程についてですが、一応知識として知っておきたいのです。<コンピューター入力組版>p87~90より 写植よりさらに進んで、コンピューターを利用して組版する方法です。コンピューター処理をするためには、原稿を見ながらキーボードに向かい入力します。入力した情報は編集装置で処理されページの形にまとめあげ、プリンターで普通紙に出力します。これを校正し、訂正部分を修正して、直しが無くなれば印画紙に印字することになります。 操作するのは、活版の場合職人さんでしたが、DTP(Desk Top Publishing)の場合専門のデザイナーあるいはオペレーターです。1.データ入力 まず手書き原稿を、ワープロの要領で一気に打ち込んでいきます。字の大きさもお構いなしに、本一冊分の文字群が出来上がるわけです。2.全文章を各ページに小分けする 入力データが出来上がると、新たに、著者と編集者とで打合せ済みのページスタイルをセットします。縦組みか横組みか、文字のサイズ、文字のフォントはどういう種類がいいか、1行の詰まり具合、行間は広くするか狭くするか、ページを打つ場所は中央か端か…等々、ページのデザインを画面を見ながら全てキーボード操作で設定できるようになっています。3.仕上げ あとは再び画面を見ながら1頁、1頁チェックしていきます。狂いはないか、一方で見出しだけは大きくとか、強調する言葉だけ太ゴシックに、といった飾り付けもこの時にやります。4.プリント 紙に印刷します。やっと初めての校正刷りを出します。 以上のように組版方法には、それぞれ長所短所があるわけですが、一概にどの方法が良いとはいえませんので、予算や制作日数なども考慮に入れて決定して下さい。流通ルートに乗せたいとなると、配本は次のようになるそうです。配本【本づくりの本】村上光太郎著、武田出版、1999年刊<「BOOK」データベース>よりこれまでぼんやりと実像がつかめなかった自費出版が遂に執筆から印刷・製本・流通までわかり易く完全解説された。自費出版を成功に導く待望の自費出版マニュアル。<大使寸評>自費出版した友人二人の影響もあってか、自費出版を狙っているのです。その友人とは印刷会社での打合せに同行さえしたので、本づくりの何たるかについては、少しは知っているわけです。で、自費出版マニュアルのようなこの本が興味深いわけです。Amazon本づくりの本それで肝心なのは、出版する本の内容である。それは秘密というか・・・・原稿の蔭も形もないのが実情で、SFがいいな~とは思うけど(笑)<大使の辛口評価>手取り足取りというか、微にいり細にいり自費出版の要領が書かれているハウツー本になっています。でも、この武田出版さんに注文すると割高になるのではないかと気になるのです。地方の印刷所で、あまり日程にしばられずに出版を楽しむのがいいように思うのです。また、本作りの現場に興味のある(暇な)人にはお奨めの内容になっています。
2014.07.02
コメント(2)
図書館で『つげ義春ワールド ゲンセンカン主人』という本を借りたのだが、読んでゆくと既視感がわくわけで・・・実際、この本を読むのは2度目であることに気づいたのです。(イカン イカン)この本は、以下のつげ義春作品の実写映画について、原作マンガ、撮影シーン写真、つげさんの見物日記、出演者、スタッフの談話、「ゲンセンカン主人」のシナリオなどを満載した本になっていて、まさに「つげ義春ワールド」であり、つげファンにとっては・・・・堪えられないのです。・李さん一家・紅い花・ゲンセンカン主人・池袋百点会この4作品を実写で見せるオムニバス映画ということだが、こんなレア物はさすがに町の映画館には掛からないだろうね。しかしま~、「ゲンセンカン主人」の実写映画にチャレンジする石井監督、佐野史郎たちの蛮勇が、ええなぁ♪つげさんの「ロケ見物日記」の一部を紹介します。<ロケ見物日記>p106~108より'92年10月〇日 二十日ほど過ぎて、石井監督宅を訪問する。 先日の喫茶店で、ワイズ氏、北冬氏、評論家のM氏と会う。北冬書房の雑誌「夜行」で監督へのインタビューをする、そのため三氏の待ち合わせである。自分は北冬氏に用事があり顔を出したが、誘われたので同行する。監督宅は同じ調布市内である。 監督は気遣いをして腰を低く対応されるので、先日よりかえって緊張した。ご馳走もお酒もたくさん出され、M氏の巧みな司会でインタビューが続けられたが、三氏とも映画通で、とくに石井監ファンである。私は話題についていけない。今度の映画に関しては、「ねじ式」の蒸気機関車をどうするのか質問が出たりしたが、何か秘策があるかして笑って答えない。 アルコールも回って監督の口も滑らかになった処で、私は家庭に心配事があって、ひと足先に帰ろうとすると、三氏も腰を上げ、せっかくの盛上がりをシラケさせてしまった。私は日常の変化を好まない。自作の映画という幸運事にしても、それは何か厄災の前兆ではないかと悪く考える癖がある。談笑しながらも変にその不安がこみ上げて腰が浮いていた。何かあるといつもその例でご迷惑をかける。10月〇日 自家から十分ほどの日活撮影所でプロデューサーと会う。諸般の事情により当初予定のオムニバス五作のうち「ねじ式」を外し、「ゲンセンカン主人」の題名に変更するとの報告であった。五作を1時間40分ほどに収めるのはきついと思っていたが、際作費の都合もあるとのことで自分もとくに異存はない。が、長年想を温めてきた監督には気の毒である。たっぷり金を使わせて上げたい。低迷する映画産業の現状が、かつての貸本マンガ業界の衰退期を思い出させ、せつない気持ちになる。11月〇日 十日後、日活撮影所で雑誌「フォーカス」からの取材で、主演に決まった佐野史郎氏と監督の三人で写真撮影をされる。佐野氏はテレビドラマのマザコン役で絶妙な演技をみせ、たいへんなスターだと聞いたが、時代にズレている自分は初めてである。竹中直人氏も日活で同じ「フォーカス」の取材で会うまでは顔を知らず、周囲の者に無知を笑われた。佐野氏は中学生の頃から私のマンガを読み、今度の主演を買って出て下さったそうで、まことに有難く思う。 佐野氏がかつて愛読していたという雑誌「ガロ」からも氏にインタビューするため、私とは顔なじみの編集者が二人来た。役柄作りについて質問をされていたが、素地のままでいいのではないかとの印象を持った。 しばらくしてプロデューサーに案内され、ガロの二人と一緒に別の部屋で衣装合わせを見物する。そこで美術監督その他のスタッフを紹介される。「紅い花」の少年、少女の子役二人がその扮装をして見せた。 撮影開始は五日後からで、主なロケ地は、夏のシーンで紅葉を避けるため伊豆の山中と下田に決定された由、約二十日で仕上げるそうだが、四作のオムニバスでこの日程は大変なことだろう。【つげ義春ワールド ゲンセンカン主人】つげ義春×石井 輝男著、ワイズ出版、1993年刊<内容紹介>より古書につき、データ無し<大使寸評>以下のつげ義春作品の実写映画について、原作マンガ、撮影シーン写真、つげさんの見物日記、出演者、スタッフの談話、「ゲンセンカン主人」のシナリオなどを満載した本になっていて、まさに「つげ義春ワールド」であり、つげファンにとっては・・・・堪えられないのです。しかし、「ゲンセンカン主人」の実写映画にチャレンジする石井監督、佐野史郎たちの蛮勇が、ええなぁ♪・李さん一家・紅い花・ゲンセンカン主人・池袋百点会Amazonつげ義春ワールド ゲンセンカン主人この際、つげ義春関連のネット情報とか過去の日記を集めてみました。・つげ義春の画像・芸術新潮1月号(特集:つげ義春)・つげ義春ワールド☆湯宿温泉・湯本館あと見つけ次第に、追加予定でおます。
2014.07.01
コメント(2)
全29件 (29件中 1-29件目)
1