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11月2日の大阪・淀川市民マラソンが迫ってきたが、天気予報は残念ながら雨模様のようです。今年はレース前の体調がいまいちなので、10月の練習ランでは(90分走は行わずに)70分走を4回にとどめてレースに臨むことになります。で、目標タイムの設定が難しいのだが・・・・現在の体調から考えて絶望的ではあるが、一応サブツー1時間59分としよう。ちなみに、去年の結果はサブツー成らずでH25淀川ハーフ結果速報のとおりです。ここで、気を引き締める意味もあったので「人生はマラソンだ!」という映画を観にいってきたのです。泣かせる映画で、良かったでぇ♪【人生はマラソンだ!】ディーデリック・コーパル監督、2012年、オランダ制作、H26.10.30観賞<Movie Walker作品情報>より破綻寸前の工場を再建するため、家族や仲間に支えられながら中年男たちがフルマラソンのゴールを目指す姿を描くオランダ産ハートフルコメディ。幼なじみの友人であり出演もしているマルティン・ファン・ワールデンベルグとヘーラルト・ムールダイクによる脚本を、本作が長編映画デビューとなるディーデリック・コーパルが監督した。<大使寸評>大使の場合、「楽しく走る」がモットーであるが・・・この映画のように「人生はマラソンだ!」もいいかもね♪この映画は記録が遅めのランナーにも、また速めのランナーのもお奨めの作品でおます。ねたばれになるので、詳しくは書かないが・・・・末期ガンの経営者、コブ付きバツ一、ゲイ、恐妻家と、チーム編成がメタボな飲んだくれというか、かなり悲惨なわけです。レースでは末期ガンの経営者が仲間や息子のために走り続けたのが、泣かされるのです。この4人にコーチを務めるエジプト人移民を加えたら、オランダ社会が垣間見えるわけだが・・・オランダ人も辛いぜ。Movie Walker人生はマラソンだ!公式サイト12年のラップタイムを参考のために載せておくが、これを目標に走らなあかんで!(ラップタイム) (1K換算)スタートライン通過22秒1K 6’15 6’152K 12’02 5’473K 17’30 5’284K 23’05 5’345K 28’56 5’578K 45’29 5’319K 50’46 5’1110K 56’15 5’29折り返し 58’51 11K 61’52 5’3612K 67’21 5’2913K 72’54 5’3214K 78’29 5’3417K 96’04 5’5218K 101’55 5’5119K 107’36 5’4020K 113’09 5’33ゴール 119’ 6’10秒台
2014.10.31
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ブログをきちんと書くうえで5W1Hが欠かせないが・・・我がブログでは、せいぜい3W(What,When,Where)くらい書いてお茶を濁す程度である。これではあかんやろ、ということで・・・歴史地図を引用してブログの強化を図ろうと思い立ったのです。つまり、歴史地図で上記3Wを確認するとともに、地図上にもブログ記事タイトルなどメモを記入するわけです。とりあえず手持ちの地図(アナログ)を挙げてみます。・地図で訪ねる歴史の舞台(日本)(1999年)・今がわかる時代がわかる世界地図(2007年)・街の達人コンパクト京阪神(2009年)これらの地図は最新版が望ましいが、諸般の事情により旧版のまま活用することとします。なお、Web地図との連携は、追って考えるものとします。********************************************************************************【地図で訪ねる歴史の舞台(日本)】帝国書院編集部 、帝国書院、1999年刊<「BOOK」データベース>より日本の歴史を動かした人物を特集ページで紹介。源義経、武田信玄、上杉謙信、伊能忠敬、ザビエル、西郷隆盛、大久保利通、坂本龍馬、足利尊氏、豊臣秀吉、聖徳太子、近藤勇、土方歳三、織田信長、徳川家康、大石内蔵助、松尾芭蕉、伊達政宗、全18人。「関ヶ原の戦い」、「川中島4度目の戦い」、「吉野山」、「織田信長の天下統一」など、迫力のある鳥瞰図を多数掲載。 <大使寸評>この本は父の蔵書を受け継ぐものだが・・・・いつまで経っても陳腐化しようのない本なのが、ええでぇ♪この本では現代の日本地図もけっこう充実しているので、実用的でおます。この本はamazon古書に該当するが、最新版が地図で訪ねる歴史の舞台でみられます。Amazon地図で訪ねる歴史の舞台(日本)【今がわかる時代がわかる世界地図】 ムック本、成美堂出版、2007年刊<内容紹介>より大好評、情報地図の世界最新版。巻頭では、最新の世界情勢をわかりやすい切り口でビジュアル収録。「憲法改正」「個人の富の水準」「裁判制度」「自動車生産台数」など、今最も関心の高い新テーマを収録。政治、社会、経済、環境、スポーツなど各ジャンルの最新データをビジュアル化したテーマ図満載。検索性抜群の世界地図約100ページ付き。 <大使寸評>私が買ったのは2008年版だけど毎年、新版が出ているようで・・・出版社にとっては、なかなかいい商売のようです。Amazon今がわかる時代がわかる世界地図【街の達人コンパクト京阪神】地図、昭文社、2009年刊<内容紹介>より 今までにない大きな文字のでっか字仕様と、街で目に付く店舗のロゴマークを大きめのサイズでそのままビジュアルに掲載し、見やすく分かりやすい地図を追求した「街の達人シリーズ」をそのままコンパクトに。 また、バリアフリー施設、公衆トイレ、広域避難場所、パーキングメーター、コイン駐車場、スーパー銭湯などを掲載したのも大きな特長。また、24時間営業のファミレスやガソリンスタンドも紹介。まさに、日常生活お役立ちマップ。 <大使寸評>京阪神マップとしては、必用十分の優れものでんな♪最近では、GPS付きスマホでWeb地図を見ながら、目的地へたどり着くというのが当たり前になってきたが・・・スマホを持たない大使には、お出かけ時にはこの地図が不可欠である。(とにかく大使にはGPSが付いていないので、浮気捜査とかビッグデータの網にかからないのである♪)Amazon街の達人コンパクト京阪神(2011年版)ところで、画家の安野光雅さんが、読書画録のあとがきででアナログ地図の良さを述べています。
2014.10.30
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<眠る魚>図書館に予約し、2ヶ月待ってゲットした『眠る魚』を読破いたしました♪今は亡き坂東眞砂子さんの小説ではあるが、『虐殺器官』を読んだあとでもあり・・・奇しくもガン作家シリーズとなった感もあるのです。死を自覚した作家は、残る時間を数えながら何を思い、何を表現したのか。ガンを早期発見し、死の淵から危うく後ずさりできた大使にとって、気になる小説でした。眠る魚より坂東眞砂子著、集英社、2014年刊<「BOOK」データベース>より 2011年3月11日。日本から遠く離れた南太平洋のバヌアツにも、地震による津波警報が出されていた。旅行ガイドや通訳をしながらこの島に暮らす伊都部彩実は、そのしばらく後、実父の訃報を受けて一時帰国する。 放射線被害について海外メディアが報じる危機感に反比例するかのような日本の実像、また、相変わらず保守的な家族たちの思考と言動に噛み合わない思いを抱きながら日々を送るうち、「アオイロコ」という奇妙な風土病の噂を耳にする。<読む前の大使寸評>この小説のジャンルは、私小説なんだろうけど・・・波乱万丈であり、政治性も帯びており、骨太の私小説ではあるな~♪郷土の作家ということで、彼女の作品を読み始めたのであるが、普遍性も申し分がないようです。<読後の大使寸評>福一原発事故の後始末を、異邦人の目で遠目から、そして日本人の目で厳しく見つめています。それから父親の葬式から続く一連の手続き、親族間の紛争が綴られているので、初盆を経験した大使も合点がゆくシチュエーションが興味深いのです。著者はガンによる死を自覚しているはずであるが、あくまでも自身のペースを保っているようです・・・・つまり、怒りを持って、明るく告発するとでもいいましょうか♪しかしまあ、紹介された病院で、検査前の見立てで九割がた悪性腫瘍(つまりガン)との告知を受けるのが、いかにも今日的である。(検査後に大使もそのように告知を受けた)その後の彩実の入院生活が綴られているが、まさに著者の入院中に書かれたのでしょうね。イルミナティの嫌がらせとか、青白く光る死体とか、この小説では納得のいく説明がついていないわけで・・・それが未完の小説というものか。 土俗的な題材も、著者のこだわりだったようですが・・・土俗的ニッポンとニッポンに収まりきれない威勢の良さが著者の持ち味だったのでしょう。合掌。<図書館予約順番:35(8/19予約、10/17受取、10/29読了)>rakuten眠る魚著者の小説を読むのは、2冊目であったが(1冊目は『やっちゃれ、やっちゃれ!』)・・・・その筆致はわりと陽性で明晰である。男性的な文体といってもいいのかも知れませんね。自身がガンを患い、父親を失ったという境遇が大使にも似ているし、郷土の作家ということで読んだ次第です。
2014.10.29
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<虐殺器官>もう伊藤計劃の小説は読めないのか・・・「BOOK」データベースが、ゼロ年代最高のフィクションと謳っているが、本当に惜しい作家が夭折したものです。娘の部屋にあった『虐殺機関』を読み終えたので、紹介します。【虐殺器官】伊藤計劃著、早川書房、2010年刊<「BOOK」データベース>より 9・11以降の、“テロとの戦い”は転機を迎えていた。 先進諸国は徹底的な管理体制に移行してテロを一掃したが、後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加していた。米軍大尉クラヴィス・シェパードは、その混乱の陰に常に存在が囁かれる謎の男、ジョン・ポールを追ってチェコへと向かう…彼の目的とはいったいなにか?大量殺戮を引き起こす“虐殺の器官”とは? ゼロ年代最高のフィクション、ついに文庫化。<大使寸評>言語学に関する薀蓄、軍隊の民営化、『プライベート・ライアン』、カフカ、J・G・バラードの『太陽の帝国』、アフリカの角、個人情報のトレーサビリティ・・・どれを取っても、大使のツボを突いています。単なるSFというよりは、社会派のサスペンスなんだろう。それにしても、著者の該博な知識や欺瞞を嫌う社会性なんかがすごい♪惜しい作家を失ったものですね。rakute虐殺器官戦闘の合間に、シェパード大尉の知性が垣間見える次のシーンには・・・図らずも、著者が単なる戦闘オタクの作家とは一線を隔しているように思えるのです。p40~42「目標まで、これだとあっという間ですね」とアレックスが口を開いた。「このピックアップの脇に書いてあるの、なんていう文字なんでしょうね」 日本語だ、とぼくは答えた。大学で日本語をすこしだけ勉強していたことがあったし、そのために選ばれて日本のジエイタイという軍隊を訓練したこともあったからだ。文字はフジワラという名前のトウフ・ショップが使っていた車であることを物語っている。日本のトウフ・ショップも、まさか自分が売り払ったオンボロが、はるか東欧の内戦で機関銃の機動銃座に使われているなどとは思いもしないだろう。「漢字、かっこいいですよね」「読めない文字は情報というより意匠だからね」「読めないからこそカッコいい、てことですか」「そういう部分もあるな。理解できない文化は排斥の対象になりやすいのと同じくらい、崇拝や美化の対象になりやすいんだよ。エキゾチック、とか、オリエンタル、とかいう言葉のもつクールさは、理解できない文化的コードから発しているというべきだね」「異国の文字は、ことばでありながらことばでない、と。それはテキスタイルと同じようなパターンや図像に近いわけですね」「意味情報を消失しているわけだからね―正確に言うなら、ぼくらが意味情報を取得できない、ということだが。異国の文字でスクラブルをやったら、できあがったボードはほとんどアートにしか見えないだろうな」 ぼくらはよく基地で待機中にスクランブルをやった。15×15のマス目と睨めっこしながら、ボードを英単語で埋めつくしていって、待機の長い時間をつぶすのだ。ウィリアムズときたらしょっちゅうぼくに勝負を仕掛けてきては、毎回負けてふてくされている。負けたときのウィリアムズは決まってこう言うのだ。「いいか、平均的なアメリカの成人は四万五千の単語を知っているはずなんだ。四万五千だぞ。なのになんで俺は15マス平方のボードを埋める単語を思いつかないんだよ」 ちなみにスクラブルで世界最高の得点をあげた単語は地方領主(CAZIQUES)で、ぼくはウィリアムズとの勝負で一度これを出したことがある。スペイン語派生の少々マニアックな単語で、獲得した点数のあまりの高さもあってか、そんな単語は存在しないと怒り狂ったウィリアムズは、辞書を引っ張り出してきて調べなければ納得しないほどだった。ぼくは生まれてから一度もスクラブルに負けたことがない。母とはじめてゲームをした8歳のときから一度もだ。「お前はことばにフェティッシュがあるようね。言語愛者、とでも言うべきかしら」 そうティーンエイジャーのころ母親に言われたことがある。意識したことはなかったけれど、たしかにぼくはことばが好きだった。 イスラム国での殺戮を予感させるような、著者の構想力と社会性が表れているあたりを紹介します。2010年刊行のこの本ではウェブコマースという言葉を使っているが、現在ではeコマースが定着しましたね。 さすがに、イスラム国のようなインターネットによるリクルートまでは、書いていませんが。p97~100「ソマリアは清く正しく仲良く生きようと銃を捨てたが、困窮は極まるばかりだった。だから、いままでの内戦で世界に与えたネガティブなイメージを覆さねばならなかった。ここは投資に値する場所であると、ここには教育を施された働く意思のある文明人がいると、さらには、観光に来てもまったく安全であると。それらは1年前までのソマリアではまったくの事実だったのだが、しかし事実であるというだけではどうしようもない。それを世界に知ってもらわなければどうにもならないのだ」「PR会社ですか」 ぼくは言った。DIAはうなずき、「そうだ。国家のイメージはPR会社によって大きく左右される。アフメドはオックスフォードで国際政治を学んでいたから、ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争におけるようなPRの必要性を強く認識していた」 希望という軍勢は、それに忠誠を誓うのはとてもたやすいが、実際に動かすのは困難である。そうなにかの本に書いてあったが、その希望とやらを実際に動かすためにはアメリカに知ってもらい、ロビイストを動かさねばならない。そこで登場したのが、国をクライアントとするPR専門家だった。 ワシントンで記者会見を開く、閣僚をアメリカのネットワークに出演させる。アメリカ政府の要人と会見させて、困窮を訴えると同時にメディアの記事にしてもらう。そうやって「希望という軍勢」ははじめて動く(かもしれない)ように世界はできているのだ。「とにもかくにも、世界にソマリアの状況を知ってもらわねばならない。わたしたちは戦いをやめ、前へ進む意志を持つ優秀な国民を抱えた、しかし貧しい国だと知ってもらわなければならない。そこでアメフドは、元PR会社の男を文化宣伝顧問として、ソマリア政府に雇い入れた」 ぼくにはもう話が見えている。「それがジョン・ポールだったのですね」 全員が、ウィリアムズも含めて、ぼくのほうを見た。注目を集めるつもりはなかったのだが、みな、ぼくの話を先取りする能力に驚いたらしい。「そうだ。ジョン・ポールがソマリアに入ってどうなったか、シェパード君にはもうわかっているようだね」 国家が人格的は「犯人」である殺人事件、というものを想像してほしい。 ニュースリポーターが隣人にインタビューすると、彼女はこう答える。とても親切でまじめな方で、ゴミ出しもきちんとしていましたし、そんなことをするような人にはぜんぜん見えなかったんですけど。 ようするに、そういうことだ。ぼくはうなずいて、DIAの言葉を引き受ける。「ええ、つまり現在の状態になったんでしょう。あっという間に国中が混沌に還った。万民が万民に対してのホッブス的な闘争を開始した。混沌。殺す側と殺される側に、国民たちが分かれていった。そして―」「ブラック・シーの砂浜に、道に迷ったイルカの末路のごとく、無数のソマリア人の骸が転がることになった、と。」 ウィリアムズが話をしめた。 ジョン・ポール。 いまや、この男は内戦地帯をうろつく奇特な観光客ではないことが判明した。暗殺指令が出た当初から、それを立案し承認した人間たちにはわかっていたことだが、実行するぼくらにそれが教えられることはなかった。 ぼくらが幾度も殺そうと試みては失敗しているこの男が、世界各地で虐殺を引き起こしているということを。 この男が入った国は、どういうわけか混沌状態に転がり落ちる。 この男が入った国では、どういうわけか無辜の命がものすごい数で奪われる。「それだけのことが、わずか半年のうちに起こった」DIAが続ける。「平和になっても注目しなかった国々が、この殺戮には運よく反応してくれた。世論、大統領選、お決まりの流れだ。しかし、アメリカの即応軍は世界各地で立て続けに起こった内戦やテロや民族紛争で出払っていた。近代の軍政はじまって以来の大規模アウトソーシングが行われたのは、そういうことだ」とうとう「虐殺の文法」という言葉が出てきました。この小説の佳境にさしかかってきました。p216~220(文字数制限により省略、全文はここ)解説では、著者の9年にもわたるガンとの闘病の経緯が書かれています。小康状態の間に、この小説が書かれたようですが、残る時間を計算しながら、生きた証として書いたのでしょうね。ところで・・・小説の終盤ちかく、ヴィクトリア湖沿岸の人工筋肉工場群が舞台になるのだが、これが「ダーウィンの悪魔」という映画を彷彿とさせるのです。この小説も「ダーウィンの悪魔」も描くのは(SFと映画の違いはあるが)貧困とか民間軍事会社や環境破壊を生む社会を糾弾しているわけで・・・グローバリズム、新自由主義経済の恐ろしさが見えてくるわけです。【ダーウィンの悪魔】 フーベルト・ザウパー監督、H24.1.14観賞<movie.walker解説>より世界各国の映画祭で絶賛された社会派ドキュメンタリー。日本にも輸出される白身魚が原因で、アフリカで起こった貧困、売春、エイズ、ドラッグなどの問題を告発した衝撃作。<大使寸評>長編ドキュメンタリーを久々に見た。ナイルパーチの肉をジャンボ輸送機アントノフでピストン輸送している現実が、新自由主義なんだろう。「ナイロビの蜂」とか「ロード・オブ・ウォー」が連想される映画であった。ただ、この映画のストーリーには作った部分もあるので、純粋なドキュメンタリーとは言えないのが気になるのです。movie.walkerダーウィンの悪夢28日の朝日が「ビクトリア湖のナイルパーチが激減」と報じているが・・・現実がこの小説に近づいたような気がするのです。
2014.10.28
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朝日の経済コラムとして「(けいざい深話)敗れざる男」シリーズが載っていたが、エリート官僚の脱官僚が興味をひいたのです。 大使が東京に2年間出向していたとき、仕事のうえで通産省の官僚ともお付き合いがあったので、なおさらこの記事が気になるのです。 当時から「通常残業省」と揶揄されていたので・・・夜遅く、オフィスを訪ねても対面OKであり、官僚たちは真面目に仕事に励んでいたんでしょう。10/22敗れざる男1:エリート官僚、原発を疑うより 伊原智人(46)はいま、グリーン・アース・インスティテュートというベンチャー企業の社長をしている。直訳すると「緑の地球研究所」という大仰な社名だが、従業員は16人、2011年設立の、ささやかな会社である。 サトウキビの搾りかすやトウモロコシの葉っぱ。食べられずに捨てられる農業廃棄物を燃料やアミノ酸に変える――。そんなバイオベンチャーだ。本社は東大キャンパス内の一室にある。 東京駅から1時間余り。千葉県木更津市に研究所を借りた。「いまエタノールをつくっています」。伊原が専用タンクの前でそう説明してくれた。いまや作業着姿がすっかり板についた彼は、民主党政権で「2030年代に原発ゼロ」を目指した官僚だった。 12年夏。「再稼働、はんたーい」「原発を止めろー」。官邸前の抗議行動に集う人たちの声は、伊原の職場によく響いた。彼が企画調整官を拝命した内閣官房国家戦略室は、官邸むかいの合同庁舎8号館にあったからである。 国家戦略室は、政治主導を夢見た民主党政権が新設した部署。そこに奉職した伊原は、霞が関に手足がない政権が、原発を所管する経済産業省に頼らずに政策立案しようと、政治任用された男だった。電力業界に精通した元経産官僚だった。 1990年春、通商産業省(当時)入省。同期の事務官28人は全員男、うち27人が東大卒。まだ中央省庁の人材に多様性が乏しい時代である。 中高大とハンドボール部に属し、妻は東大同部のマネジャー。キッコーマンの営業マンだった父の転勤に伴い、高松、仙台、名古屋、東京と転々とした。兄弟ともに東大に進学し、兄はいま厚生労働省健康局の総務課長を務める。 入省当時から目立つ存在だった。「役人は体力がないとつとまらないが、伊原君はスポーツで鍛えた体力がある。しかも簡にして要を得た説明ができ、なによりも誠実」と同期入省の一人。入省後、産業政策局調査課、機械情報産業局総務課、電子政策課課長補佐と歩む。「当時の重要コース。ピカイチでした」。そう後輩は言う。 米国留学で知的財産権を学び、帰国後「ビジネスモデル特許戦略」など2冊を共著で出版。そして官民人事交流法施行に基づき、同省の民間企業交流の第1号としてリクルートへ。大学発の特許を民間企業に橋渡しするビジネスに取り組んだ。 米国とリクルートで視野が広がった伊原が03年6月、役所に戻って配属されたのは、資源エネルギー庁電力市場整備課の課長補佐だった。 前任の同課長の川本明は、電力会社のもつ送電網を新規参入事業者が使えるよう促す「電力自由化」に取り組み、後任に「電力会社を厳しく規制しないと新規参入は実現しないよ」と申し渡していた。川本と入れ違いの伊原が託された一つが、原発から出てくる使用済み燃料などバックエンド(後処理)費用をどう負担するか、政策立案することだった。 総額19兆円になる後処理費用のうち約半分は電力料金に上乗せして徴収し積み立てる制度があったが、残る半分の捻出の仕方が決まっておらず、電力業界からは「新規参入組にも負担させろ」という声があがっていた。原発の使用済み燃料から再利用できるウランやプルトニウムを取り出そうと、核燃料サイクル施設の再処理工場の試運転も間近に控えていた。 伊原は経産省やエネ庁の5人の中堅・若手と協議する。彼らはこのときまで、原発推進は国策として当然と思っていた。だが、業界や同省の先輩にヒアリングを始めるとどうもおかしい。 伊原ら2人が東京・新橋の料理店で大手電力会社の担当幹部と会食すると、相手はこう切り出した。 「本当に核燃料サイクル施設を動かすんですか。やめられるのならやめたいですわ」 耳を疑う言葉だった。 省内で「ピカイチ」と評されたエリート官僚の人生はこの後、大きく変わってゆく。10/23敗れざる男2:世論に止めてもらおうと…より 原発の使用済み燃料を再利用する核燃料サイクル施設を見直せないか――。2003年、資源エネルギー庁課長補佐の伊原智人ら6人の耳に入るのはそんな声だった。 核燃工事は多くのメーカーやゼネコンが絡み、電力業界には施工面に不安を抱く人がいた。それを裏付けるように水漏れなど不正工事が見つかる。「運転後の事故を心配していたんです」と6人の一人。 ひとたび使用済み燃料を用いて再処理工場を試運転すれば、工場は高濃度に汚染される。その後撤退が決まれば費用がかさむ。だからその前に立ち止まりたい。伊原たちは電力業界の事情をそう受け止めた。 自由化対応を迫られる電力各社の企画部門は特にその意向が強かったが、各社の原子力部門は核燃推進派が多い。電力の中は割れ、それゆえ経済産業省内も「見直し」支持の自由化派と様子見の技官が混在する。 省中枢の官房総務課を伊原たちが訪ねると、応対した先輩は「上も『止めろ』だ」と、事務次官村田成二の意を忖度(そんたく)して伝えた。伊原たちは励まされた。「俺たちは正規軍だったんです」と当時の若手は振り返る。 電力業界は内部に推進派の原子力部門を抱え、撤退を言い出しづらい。さりとて国策として核燃を推進してきた同省も大転換を唱えにくい。だから伊原は「国民に決めてほしかった」と世論に訴えたかった。 伊原ら数人は04年、上司の電力ガス・事業部長の寺坂信昭を居酒屋に呼ぶ。「国民的議論をおこしたいんです」「やらせて下さい」。寺坂は「足跡を残さない程度にな」と認めた。 3,4人が渋谷のデニーズに深夜集まり、世論喚起のため「19兆円の請求書」と題した25ページの資料を作成。費用面と安全面で警鐘を鳴らし、「立ち止まり、国民的議論が必要」と記した。説明を受けた自民党衆院議員の河野太郎は「経産省の上の人が了承したな」と思った。 やがて河野が青森県で「核燃はコストに合わない」と講演。週刊朝日は「19兆円の請求書」を「上質な怪文書」と称して大きく報じた。次第に核燃事業を疑う見方が広まってゆく。 だが、そこまでだった。 電気事業連合会の原子力担当幹部が「お宅の若手がこんな紙をまいている」とねじ込み、立地する青森県も猛反発した。「村田さんが中川昭一経産相に見直しを説得できなかった」と当時の若手は打ち明ける。 エネ庁長官の日下一正は04年3月「再処理しない場合のコストを試算していない」と国会答弁したが、実は再処理しない方が安上がりという試算は存在した。ロッカーに隠されていたこの極秘の試算結果が流出し、各紙が報道。中川は「知っていた者を処分しろ」と激怒、彼らに理解のあった上司が豹変する。 伊原たちはそのあおりで処分されたり、左遷されたりした。伊原は04年7月、経産省情報経済課の課長補佐に異動。やがて「もっと別の経験をしたい」と退官を決意。仲間はそれを伊原の「美学」と受け止めた。10/24敗れざる男3: 原発ゼロへ、トップ動かすより 経済産業省を退官し、再びリクルートに転じていた伊原智人は2011年5月、民主党の玄葉光一郎から昼食を誘われた。玄葉はこのとき菅直人政権の国家戦略担当相。東京電力福島第一原発事故から2ヶ月、菅は新しいエネルギー政策「革新的エネルギー・環境戦略」の立案を玄葉にゆだねていた。 (文字数制限により省略、全文はここ)10/25敗れざる男4:ゼロの議論、反映できたより 国家戦略担当相の古川元久は2012年8月22日、「一緒に食事でも」と伊原智人たちを高級ホテルの中華料理店に誘った。そこで古川は、自分で書いた1枚の紙を見せ、「こういう方針で作ってくれないか」と切り出した。原発ゼロ、新増設せず40年廃炉の徹底など古川自ら「高めのボール」と呼ぶ内容が箇条書きになっていた。 伊原はそこにある「核燃料サイクル施設の中止」という文言に釘づけになる。「ホントにできますか」と誰かが尋ねると、「少なくとも目指すべきでしょう」と古川。伊原は「これが書けたらすごい」と思った。 集められたのは伊原やTBS出身の内閣審議官下村健一ら6人。経済産業省出身の官僚は外された。元大蔵官僚の古川は自身の官僚経験から「政策起案は最初のドラフト(草稿)が骨格を決める」と考えた。だから「伊原さん中心に第1ドラフトをつくってほしかった」。 同日夜、元官房長官の仙谷由人ら政治家が合流。古川の紙を一見すると、仙谷は「市民運動をやりたいなら、菅(直人)と一緒にやれ」と怒鳴り上げた。たちまち空気が凍りついた。 伊原たちがつくったドラフトは各省協議の過程で経産省や文部科学省から修正が入り、次第に骨抜きにされてゆく。核燃中止の文言は消えた。それでも「30年代に原発ゼロをめざして政策資源を投入する」と「ゼロ」は残った。「あれが精いっぱい。でも、ゼロにしたい国民的議論を反映できた」。伊原はそう自己評価する。 野田内閣は9月19日に閣議決定したが、同年暮れの総選挙で民主党は大敗した。同党の下野が確定すると、伊原は任期を半年残し「僕は2度負けました」と霞が関を去った。 そんな伊原を東大エッジキャピタル社長の郷治友孝は放っておかない。郷治は元経産官僚で、同じ課にいた伊原は尊敬する先輩だった。大学発ベンチャーを支援する東大のファンドに転職していた郷治が「会わせたい人がいる」と誘った。 引き合わせたのが、グリーン・アース・インスティテュート創業者の湯川英明。渡米したがっていた伊原を、湯川は「一緒に夢のある仕事をしようよ」と引き留めた。伊原は「自分が唱えてきた政策を、実現する側にまわりたい」と13年1月に入社。のちに社長に就任した。来年には農作物の廃棄物由来の洗剤の材料を商用化する予定。17年3月期に黒字化と株式公開をめざしている。 あれから2年。霞が関・永田町の空気はすっかり変わった。原発ゼロの目標は消え、再稼働が秒読みとなる。伊原は「あのときの政策がまるでなかったようにされている」と言う。 「民主党政権は確かに未熟な政権だったかもしれない。でも国民的議論を反映した。原子力政策は国民的議論という裏付けがないと立ちゆかない」。伊原は確固たる口調で語った。 =敬称略(大鹿靖明)原発推進という国策に疑問をはさみ、美学を貫いた伊原さんであるが・・・未熟な民主党政権に仕えたのが、運の尽きだったようです。でも、伊原さんには7転び8起きのバイタリティがあるわけで・・・出世レースから降りて、バイオベンチャー事業を手懸ける井原さんに、幸多かれと望む次第です♪
2014.10.27
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図書館で『鳥への挨拶』という本を手にしたのです。ジャック・プレヴェールの詩を高畑勲さんが訳し、全ページサイズの奈良美智さんの絵が散りばめられている絵本のような、きれいな本です。ふだん、詩の本など読まない大使なんだが、奈良さんの絵を見ながらジャック・プレヴェールの詩をながめるのも・・・ええやんか♪【鳥への挨拶】ジャック・プレヴェール×高畑勲編著、ぴあ、2006年刊【目次】(「BOOK」データベースより)校門を出たら/パリの色彩/そして祭りはつづく/一生が首飾りなら/地球それはひとつの星/自然にならって/この子の見ているものは/血と羽根/絶望がベンチにすわっている/礼儀正しくな/血だらけの歌/自由な外出/鳥の肖像を描くには<大使寸評>ふだん、詩の本など読まない大使なんだが、奈良美智さんの絵に惹かれて借りたのです。ところで、この本は装丁や紙質が、フランス風であり・・・いい感じの本である。(デジタル・メディアもこの点に関しては手も足も出ないんだろうね)rakuten鳥への挨拶訳者の高畑勲さんの「あとがき」の一部を紹介します。 ジャック・プレヴェール(1900~1977)は20世紀フランス最大の民衆詩人です。1946年『ことばたち』(全訳版、ぴあ)が出版されて以来、詩の好きな人にも、ふだん詩など読むことのない人々にも彼の詩は愛しつづけ、「枯葉」など60曲ものシャンソンとなって多くの歌手に歌われました。彼はまた、『天井桟敷の人々』(直訳「天国の子どもたち」)『王と鳥』など数々のフランス映画の名作を生みだした脚本家でもあります。21世紀に入ってもプレヴェールの人気はおとろえず、いまなお世界中で読まれているだけでなく、新しい節づけを得て、新しい歌手がそのレパートリィに加えています。 一昨年『私は私このまんまなの~プレヴェールの歌~』(ユニヴァーサルミュージック)というCDの選曲・訳詩・解説をしたとき、そのジャケットには奈良美智さんの絵がいいな、と私も思いました。あの、かわいいくせに自立して、世の中つっぱって生きている子どもたち。使わせてもらったのは、赤い帽子に赤い服の、大きな眼でこちらを見上げる女の子です。手にはしっかりとナイフを握りしめていて、プレヴェールにぴったり、「愛し合う子どもたち」や「私は私このまんまなの」を歌ったジェリエット・グレコさんにそれを見せたら、たちまちナイフに気づき、手を叩いて喜んでくださいました。(中略) 奈良さんの子どもたちのまなざしは、プレヴェールの書いたさまざまな子どもたちを思わせます。しかしまた同時に、プレヴェールその人を、そしてプレヴェールを読むときの私たち自身のまなざしをさえ、そこに見いだすことができるのではないでしょうか。プレヴェールと奈良さんの絵と私たちがふしぎに響き合うのです。そしておそらく奈良さん自信も。先日読んだ『王と鳥 スタジオジブリの原点』という本なんですが・・・編集、装丁がこの本に似ているので、紹介します。この「王と鳥」というアニメーションの脚本をジャック・プレヴェールが手懸けたようです。【王と鳥 スタジオジブリの原点】高畑勲×叶精二×大塚康生 著、大月書店、2006年刊<「MARC」データベース>より若き日の高畑勲、宮崎駿に影響を与えたとされる、1979年に完成したフランスのアニメーション映画「王と鳥」を軸に、アニメーションの魅力、作品に込められた意味、国家と個人の関係、そして今の日本について考える。<大使寸評>この本の前半は「王と鳥あらすじ」となっていて、上にアニメ画面、下にあらすじという絵本スタイルになっています…しゃれてまんな♪脚本にかかわったジャック・プレヴェールは『枯葉』の作詞で知られるが、脚本家が本業のようですね。まさにクロスメディアの芸術家なんだ♪ところで、大塚康生という人はアニメ「白蛇伝」の原画にかかわったアニメーターとのことで、おみそれしました。「じゃりン子チエ」の作画監督でもあったそうです。Amazon王と鳥 スタジオジブリの原点王と鳥byドングリさて、この記事をどこに収めるか迷ったが、装丁に敬意を表して本に携わる職人たちに収めました。
2014.10.26
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三陸鉄道 2年ぶり黒字へ 全線復旧、「あまちゃん」人気で観光客増という明るいニュースが流れています。朝ドラの関東系はスルーしていた大使であったが、「あまちゃん」は良かったなあ♪・・・ということで、連続テレビ小説一覧から朝ドラのベスト6を選んでみました。おお♪関西系が多いやんけ、どうしても地元色が出るなぁ。1おしん2ちりとてちん3カーネーション4お花はん5あまちゃん6げげげの女房全91作から6作を選ぶとは、個人的とは言え・・・・偏見そのものというかアホやで♪でも、第1作から最新作まで含まれているので、このラインナップもあながちアホでないのかも。(と自負しているのです)ところで、ベスト6という微妙な数であるが・・・ベスト7となると、散漫になるのです(さよか)ベスト6といっても各年代で百家争鳴で、喧々諤々の論争必至なので・・・・罪な提案だったかもしれないが、別のラインナップを提案してやまない人がいれば、恐れずに書き込み願います(笑)朝ドラベスト1と言えば、「おしん」となるのは衆目の一致するところかもしれないが・・・・ナンバー2以降は各年代、地域で違ってくるでしょうね。大使の場合はナンバー2は「ちりとてちん」とか「カーネーション」でんな♪「ちりとてちん」が ええな~ さようなら「カーネーション」ちりとてちん公式サイト
2014.10.25
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大学図書館で観たDVD映画のその後です。・桐島、部活やめるってよ (8月20日観賞)・天然コケッコー (10月23日観賞) 今回は若者向きとされる作品を選んでみたが、若干無理があったかも(汗)****************************************************************************【桐島、部活やめるってよ】吉田大八監督、2012年制作、2014.8.20観賞<Movie Walker解説>より 小説すばる新人賞に輝いた朝井リョウの処女作を映画化した青春ストーリー。男子バレーボール部のキャプテンだった桐島がある日突然、部活をやめたことで周囲に起きる変化を同じ時間軸をキャラクターごとの視点で描く。映画部の生徒役を演じた神木隆之介のほか、橋本愛、大後寿々花ら、若手注目株の共演が見もの。<大使寸評>朝井リョウの原作はまだ読んでいないのだが、原作でもこの映画のようなフラッシュバックがあるのだろうか?このフラッシュバックによって、桐島の存在の大きさが現れてくるわけですね。でも、とうとう最後まで桐島は現れないのです(あ ネタバレですんまへん)。それにしても、女子生徒たちの息詰まるような同質コミュニティが怖いですね。movie.walker桐島、部活やめるってよ今だから語れる!? 橋本愛ら『桐島~』の出演者4人がガールズトーク【天然コケッコー】山下敦弘監督、2007年制作、2014.10.23観賞<Movie Walker解説>よりくらもちふさこの名作コミックを「リンダ リンダ リンダ」の山下敦弘監督が映画化。「ケータイ刑事」の夏帆が演じる少女の初恋を、美しい自然と共に映した青春ドラマ。<大使寸評>渡辺あやの脚本ということで観たのですが・・・脚本でチョイスしたのは初のケースになります。島根県の自然を背景にして、田舎町の分校の2年間が島根弁で淡々と描かれている。地味な内容であるが、たまにはこんな映画もいいんじゃないかな♪島根弁はこんなに広島弁や岡山弁に似ているのか・・・隣どうしだから不思議とは言えないけど。movie.walker天然コケッコー****************************************************************************大学図書館でDVD観賞(その11)
2014.10.24
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新聞に映画『フューリー』の全面広告が出たので、心騒ぐ大使である。(11月28日より、全国公開とのこと)原則として、ハリウッド映画は観ないことにした大使であるが・・・戦争映画オタクでもあるので、この映画を観るかどうか、アンビバレントな思いがあるのです戦車戦を描いた映画としては、1965年製作の「バルジ大作戦」が面白かったが・・・『フューリー』は、本物のシャーマンとティーガーを使うだけに、「バルジ大作戦」よりリアルな映画に仕上がっているものと思われます。以下のとおり、個人的予告を作ったのだが・・・これだけ、入れ込むと、劇場に足を運ぶことになるでしょうね。【フューリー】デヴィッド・エアー監督、2014年米制作<movie.walker解説>よりたった一台の戦車で300人ものドイツ軍に戦いを挑む5人の男たちの姿を描く、ブラッド・ピット主演の戦争ドラマ。ピット扮するベテラン兵が乗り込むシャーマンM4中戦車“フューリー”とドイツ軍のティーガー戦車との激しい戦車バトルでは本物の戦車を使用するなど、リアリティを重視した戦闘シーンが見ものだ。<見る前の大使寸評>原則として、ハリウッド映画は観ないことにした大使であるが・・・戦争映画オタクでもあるので、この映画を観るかどうか、アンビバレントな思いがあるのですmovie.walkerフューリー公式サイト:イントロダクションより俳優としてハリウッドの頂点に立った今もなお新たな挑戦を続け、近年はプロデューサーとしての手腕も高く評価されているブラッド・ピット。そんな世界的なスーパースターが類い希なストーリーとキャラクターに惚れ込み、出演を熱望した最新作が『フューリー』だ。物語の背景は1945年4月、第二次世界大戦・ヨーロッパ戦線の終結4週間前。死に物狂いで最後の抵抗を繰り広げるドイツ軍に、“フューリー”(=激しい怒り)と命名された戦車で立ち向かった米軍兵士5人の想像を絶する一日の出来事を映し出す。フューリーの指揮官ウォーダディーに扮したブラッド・ピットが、男気あふれる歴戦の勇者でありながら、複雑な思いを内に秘めた主人公を入魂の演技で体現。そんなカリスマ的なウォーダディーと、18歳の新米兵士を含む部下4人との熱き絆がドラマティックに描かれていく。さらに元軍人という異色の経歴を持つデヴィッド・エアー監督が、米軍のM4中戦車シャーマンとドイツ軍が誇る最強戦車ティーガーが激突するバトル・アクションを、圧倒的な臨場感&リアリティをこめて映像化。戦場の生と死をテーマにした深遠な人間模様と極限のスペクタクルを融合させ、あらゆる観客の胸に響くエポック・メイキングな超大作を完成させた。たった一輌の戦車でドイツの大軍と戦った5人の男は、なぜ自ら死を意味する任務挑んだのか―。壮絶を極めたクライマックスには、映画史上空前の興奮と感動を呼び起こす真実が刻み込まれている!
2014.10.23
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<ナショナリズム入門>図書館で『ナショナリズム入門』という新書を借りて読んでいるのだが・・・このところの大使の関心はナショナリズム、歴史認識、嫌中感になるわけです。中華民族のナショナリズムに着目して、この本を読んでみます。【ナショナリズム入門】植村和秀著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>よりクリミア・尖閣・竹島…衝突は、なぜ起こるのか?21世紀最大の難問。【目次】はじめに ナショナリズムを見た日/第1章 ネイションの作り方/第2章 ネイションの自明性ー日本の形/第3章 ネイションの多義性ードイツの変形/第4章 人間集団単位のネイション形成(一)-ドイツと東欧/第5章 人間集団単位のネイション形成(二)-ユーゴスラヴィアの滅亡/第6章 地域単位のネイション形成(一)-アメリカ大陸の状況/第7章 地域単位のネイション形成(二)-ヨーロッパの西と南/第8章 ネイション形成のせめぎ合いー重複と複雑化/第9章 ナショナリズムのせめぎ合いー東アジアの未来/第10章 政治的仕組みとネイション<読む前の大使寸評>評者が吉岡桂子記者ということで、とりあげた新書なんですが・・・・吉岡記者が選んだ本なら、「外れ」はないでしょう。とにかく、この本に戦争を防ぐ知恵を期待したいのです。<図書館予約:(9/11予約、10/15受取)、予約#:>rakutenナショナリズム入門ナショナリズム入門by吉岡桂子この本を読む上で大使の観点は、日中対立ただ一点になるので・・・「漢人のこだわり」メカニズムにふれた箇所を読んでみました。<中華民族というこだわり>よりp233~235 東アジアにおける世界強国は、現在は中国です。それでは中国というネイションへの肯定的なこだわりは、どのような特徴を持っているのでしょうか。 費孝通は、20世紀の中国を代表する社会学者です。その費は、1988年に香港中文大学で行った講演において、「中華民族の多元一体構造」という見解を提示しました。費はこの「中華民族」という言葉を、「現在の中国の国境内にあって、民族としてのアイデンティティーを持つ11億の人民を指すものとして使いたい」と提案し、「中華民族が内包する50余の各民族単位は多元的であるが、中華民族としては一体的なものである」と主張しました。 そしてこの言葉は、中国共産党の最高指導者の口からも語られます。習近平総書記は、2012年11月北京で、「中華民族の偉大なる復興」を中国の夢として語りました。 ここで重要であるのは、この中華民族という言葉が英語では通常、Chinese Nationと訳されることです。中国ネイションの多元一体構造や中国ネイションの偉大なる復興と日本語で読み替える場合と、中国語の中華民族をそのまま中華民族と日本語読みする場合とでは、日本語読者の印象は変わってくるのではないでしょうか。 ちなみに費は、中華民族、すなわち中国ネイションについて、その持つ土地を説明し、ネイションへと形成されていった歴史を概説しています。そしてその際に、漢族という人間集団が、「凝集する一つの核心」として多元一体構造を成り立たせていることを強調します。費が強調するのは、「2000余年の時間を経て、漢族は四方に拡大し、多くの他民族を融合吸収し」、1982年時点で「中華民族の総人口の93.3%」を占めている、ということです。 費はまた、「漢人は大量に少数民族の居住地域に侵入し、点と線によるネットワークを形成している。それは東部で密、西部で疎となっているが、このネットワークこそ、多元一体構造の骨格をなしている」とも指摘します。つまり漢族あるいは漢人という人間集団が、人口的にもネットワーク的にも中華民族の本体を形成しており、その生活空間が中華人民共和国の支配地域と一致している、とするのです。(中略) 費は提案の締めくくりに、「中華民族は百花が咲き競う一つの大円圃となろう」という夢を語っています。その夢から判断すれば、費のこだわりは、力強さや一体性よりも豊かさや多様性の方向にあったのかもしれません。では、はたして習総書記の夢は、どのようなものなのでしょうか。ムスリム系少数民族や漢字文化圏と絡めて「漢人のこだわり」が述べられています。<統一へのこだわり>よりp238~240 いずれにせよ、民族という中国語をそのまま日本語で理解すべきではないでしょう。しかしもしかしたら、日本語の民族という語感が、中国を漢民族化させる傾向を促進しているかもしれません。中国のナショナリストが日本と競争し、対決するに際して、日本国家の強さは一つの参考事例でした。そして、日本国家の強さが日本ネイションの自明性の強さと連動していることも、的確に把握されいいたのです。 とはいえ、日本の事例と中国の事例とでは、やはりあまりにも状況が異なっています。中国の事例はむしろロシアの事例と比較した方が、理解しやすいように思います。そしてロシア帝国が、ロシア・ネイションの形成に大きな役割を果たしたように、中国の場合にも、清帝国が実は大きな役割を果たしていたのかもしれません。 平野聡氏は、なぜ「儒学と漢字を共有せず『東アジア世界』に属するとは言えないモンゴル・チベット・トルコ系ムスリムが『漢民族とその文化を中心とする中華民族』の不可分の一体として組み入れられ、宗教的・民族的な緊張が続いてきたのか」という問いを提起しています。 そして、そこには清帝国の支配地域という歴史的経緯があり、「ヨウ正帝・乾隆帝という独裁君主によって打ち出された『中外一体』『皇清の大一統』概念の中に、統合と紛争の二つの契機が内在していた」と指摘するのです。 つまり清帝国の支配には、「文化的多元性の承認による多民族統合」の側面と、「近現代の領域主権国家を準備する事実上の排他的領域形成」の側面の両面があった、ということです。そして平野氏は、「清帝国の統治実績に加えて、国際環境の追い風が存在したゆえに、膨大な非儒学・非漢字文化圏が、漢民族の文化的価値を強調する近代中国ナショナリズムの下に帰属することになったと考えられる」と指摘しています。 実際、中華民国も中華人民共和国も清帝国の版図を継承しようとし、それをかなりの程度実現してきました。旧版図であるチベットやウイグル、台湾などに対して、中国政府は独自のネイション形成の動きを厳しく警戒しています。そしてその際には、分裂は許さないとするこだわりが表面化するのですが、それはつまり統一へのこだわりが強いということでしょう。しかしなぜ、統一は死守されねばならないのでしょうか。 統一というテーマは、ドイツ、イタリア、アラブ、中央アメリカの事例にも出てきますし、そのそれぞれにこだわりがあります。しかし中国の事例においては、このこだわりが突出して強く、それゆえここに、最も重大な争いの原因があるのだと思います。国内の統一を欠いたがゆえに、清帝国も中華民国も諸外国に攻め込まれ、滅亡の実感を多くの人に抱かせたからかもしれません。文明国としての自負心を深く傷つけられたこともあるでしょう。著者の専攻は政治思想史・ナショナリズム論とのことであるが・・・この学者から見ても、昨今の突出する中華ナショナリズムは異常に映るようです。つまるところは、コンプレックス、屈辱感なのではないか?中国共産党の王朝が崩壊すると、その波が世界に及ぼす影響は甚大である。・・・できるだけ軟着陸を願うわけであるが、著者はその処方箋を次のように述べています。<ナショナリズムの季節>よりp247~250 日本の政治状況は、現在の中国の政治状況とは大きく異なっています。現在の中国には中国共産党があり、すべての政治勢力を横につなげて、共産党主導の政治を行っているからです。ただ、上からの統制を強化すれば経済発展の前途が危うく、民主化を促進すれば下の不満の暴発が危うい状況ではあります。すでに共産党への信頼は根本的に揺らいでおり、国民の不満は膨大に蓄積してしまいました。共産党主導の政治を今後も進めていくのは、きわめて困難な道筋となります。 いずれにせよ、昭和戦前期の日本と現在の中国に共通して見えるのは、ナショナリズムの盛上がりということです。第一章で紹介したフリードリヒ・マイネッケは、1924年に『近代史における国家理性の理念』という大著を刊行し、軍国主義とナショナリズムと資本主義の三つの力が合成されると、政治指導は翻弄されて国家は危機に陥ると指摘しました。それはヨーロッパ諸国と日本で20世紀前半に生じた現象だったのですが、現在の中国にも生じているように思います。 そしてナショナリズムについて考えると、わたしは、その盛上がりに季節があるのではないかと思います。すなわち、近代化が中途半端な時期にこそ、ナショナリズムは盛り上がるのではないかと思うのです。それは簡単に言えば、普通の人が外国のことを知っていても、現実にはまだ行ったことがない時期です。近代化が成功して強大化した実感はあるものの、自分自身の生活に関して言えば、まだそれほどでもない、という頃合いになります。 ネイションへのこだわりが大衆にまで普及し浸透するこの時期は、力強さと一体性へのこだわりが強くなり、ネイションにすがって暮らしを良くしてもらおうと期待しがちな時期なのです。 中国は、経済発展の成功によって今やこの時期に到達しているのではないでしょうか。そしてそうであれば、現在の中国のナショナリズムの盛り上がりは、今後も続いていくと判断すべきでしょう。しかも近代化の中途半端さは、人心を攻撃的にして、力への期待と過信をもたらしがちです。中国発のナショナリズムの連鎖反応が起きる可能性が、東アジアから東南アジアにかけて高まっている、と思います。 それではどのようにして、この季節を乗り切っていくべきでしょうか。 (中略) この争いをさらなる活力へと転化できるかどうか。これが、ネイションの運命を決定的に左右します。国家が強大化するにつれて、国家の権力を握った人間たちが絶対的に優位な立場を占めるようになりますが、だからといってネイションの活力を削いでしまうと、国家は衰退してしまいます。そしてここで、民主主義の仕組みを上手に利用できるかどうかが決定的に重要となるのです。 中国国家が中国ネイションの活力を高めていくためには、どうしても、民主主義の仕組みを取り入れていくことが不可欠です。ただしそのためには、情報の自由な流通が必要となります。このハードルは高いと思いますが、盛り上がりすぎるナショナリズムの暴発を予防するために、長期的にはこうするしかないのではないでしょうか。中国が近代化の中途半端な時期を迎えていると、著者は述べています。ちょうど、戦前の日本がこの時期を経たわけであるが・・・中国と戦いながら、大東亜共栄圏という夢を掲げ、国内では言論統制で引締めていたわけです。まったく、今の中国と相似形ですね。大儀なきニッポンは、ABCD包囲網にさらされて、無茶な開戦に走った(陥った?)わけであるが・・・このように痛い目に会わないと、独善的な思考方法は改まらないのか?
2014.10.22
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図書館で『中国はなぜ「反日」になったか』という新書を借りて読んでいるのだが・・・このところの大使の関心はナショナリズム、歴史認識、嫌中感になるわけです。【中国はなぜ「反日」になったか】清水美和著、平凡社、2003年刊<「BOOK」データベース>より 中国が「反日」姿勢を鮮明にしたのは、たかだか十数年、江沢民が実権を握ってからに過ぎない―。1972年の国交回復以来、親愛と憎悪の間を大きく揺れ動いてきた日本と中国の関係を、歴史の遠近法で検証してみると、なぜ中国側が首相の靖国参拝を問題とし、繰り返し「歴史問題」を取り上げて謝罪を要求するのかが明確になる。全土を覆うかにみえる「反日」は、中国側が仕掛けた戦略なのだ。<大使寸評>日本たたきも過ぎると、光栄に満ちた同床異夢のような歴史認識が生まれるようです。また、日本たたき、言論統制、幹部の腐敗がセットで生まれるところが、中国の政治状況であるが・・・民主主義が一度も根付かなかった中華帝国の特殊事情ではないだろうか。amazon中国はなぜ「反日」になったか著者は、共産主義から愛国主義に変質する様を次のように述べているけど、この時期がまさに共産党劣化の出発点だったようです。<「反日論」に対して「嫌中感」>よりp208~209 90年代半ばから、日中間で歴史認識問題が深刻化し、中国メディアを反日的な論調が席巻した。その背景には、冷戦終結以降の日米同盟強化を、日本が米国と通じて、勃興する中国を牽制する動きととらえ、中国が不信感を強めたことがある。 この時期はトウ小平をはじめとする革命第二世代が歴史の舞台から退場し、江沢民ら第三世代に権力が移行する不安定な時期にもあたった。そのため、江沢民政権は求心力を高める手段として、魅力を失った共産主義の代わりに愛国主義を鼓舞した。 抗日戦争の烈火の中から生まれた共産党政権の正統性を強調するためには、民衆の中に潜在する「反日」という「感情の記憶」をかき立てることが効果的だったのである。 しかも、90年代は市場経済の進展に伴い、社会が多元化していく時期でもあった。一定の範囲で拡大された報道・言論の自由は、感情的な日本たたきに向かう。それは言論自由の空間が、党や政府の高級幹部に対する批判を、あらかじめ封じられた「閉ざされた空間」だったため、行き場を失った世論の批判する力が、反日にはけ口を求めたという一面があった。 しかし、これらの一切は中国指導部の意図を超えた副産物をもたらしたのである。「愛国主義」を掲げた大衆の社会的パワーが共産党政権の統制を乗り越え、対外政策を左右するまで突き進むようになった。グローバル化のうねりが経済の国境を押し流そうとしているにもかかわらず、行き過ぎた民族主義は、時に、その障害となり中国が至上課題とする経済建設を脅かす。 日中関係では、中国に起きた反日の気運が、日本にも大きな反作用を起こした。国交正常化以来、中国に過去への謝罪を繰り返してきた日本が、98年の江沢民訪日では文書による謝罪を重ねることを拒否した。 歴史問題では、中国に同情的で日本政府をたしなめる側に回っていた多くの新聞も、中国への反感を露にしはじめる。日本政府が、中国の強い反対にもかかわらず、李登輝・前台湾総統に対し病気療養のための入国を許可した(01年5月)のも、主要新聞の多くが社説でそれを求めたからであった。 中国の反日論に対応した日本には「嫌中感」が広がり、それまで日本政府が受け入れてきた中国の主張する「正しい歴史観」を「自虐史観」と排撃し、日本の近現代史を光栄に満ちた物語として再構築しようとする動きが強まった。歴史認識とかナショナリズムはこのように作られるわけですね。日本たたきも過ぎると、光栄に満ちた同床異夢のような歴史認識が生まれるようです。また、日本たたき、言論統制、幹部の腐敗がセットで生まれるところが、中国の政治状況であるが・・・民主主義が一度も根付かなかった中華帝国の特殊事情ではないだろうか。著者は中日新聞(後に東京新聞)の特派員として、中国滞在10年の経歴の持主だそうだが、歯に衣を着せない筆致が冴えていますね♪・・・この調子で、さらに読み進めます。
2014.10.22
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『500円ランチパスポート神戸三宮版』という本を買って、さっそく使っているのだが・・・ええでぇ♪レジでワンコイン(500円玉)と、このパスポートを出せば支払いOKとなるのが、なんとも快適である。(10月21日現在、つごう2店で使用済み、もうすぐ元が取れそうです)今のところ、一見さんで食べ歩いているが・・・そのうちリピートする店ができるかも♪(パスポートは3回/3ヶ月の制限があるけど)土日祝日は使用不可となっている店が多いので、要注意であるが・・・年金生活者は土日祝日を外せばいいわけで、暇人にとってはありがたいパスポートである♪ところで、この本の表紙の裏のページに「1冊につき1名のみ有効」との注意書きがあります・・・ご注意ください。全国でも、この本の地域版が発売されているようだが、もうすぐ大阪版が出るとのことで、これも狙い目でしょうね。【500円ランチパスポート神戸三宮版】パスポート、SRCパートナーズ、2014年刊<商品説明>より ランチパスポートは、参加店が用意する特定ランチメニューを500円(ワンコイン)で食べることができるグルメ本。神戸三宮版の発行はSRCパートナーズ(神戸市中央区)。 全国でも各エリアに特化したランチパスポートが展開され人気を集める同企画。今年4月に発売された「新橋・虎ノ門版」をはじめ、全国30エリア以上で出版されている。兵庫県では初めての発売。<大使寸評>定価994円の本だから、だいたい3~4軒の店で使えば、元が取れるのか・・・ええなあ♪でも有効期間が11月28日までだから、ピッチをあげて使わなあかんな。・・・この本はアマゾン、楽天ではデータがなかったが、純粋な本とは機能が違うからなんでしょうね。eonet500円ランチパスポート神戸三宮版9/14「500円ランチパスポート」神戸三宮版、発売−80店掲載より ランチパスポートは、参加店が用意する特定ランチメニューを500円(ワンコイン)で食べることができるグルメ本。神戸三宮版の発行はSRCパートナーズ(神戸市中央区)。 全国でも各エリアに特化したランチパスポートが展開され人気を集める同企画。今年4月に発売された「新橋・虎ノ門版」をはじめ、全国30エリア以上で出版されている。兵庫県では初めての発売。 同書では、神戸・元町・三宮エリアでイタリアン、中華料理、日本料理などを扱う飲食店80店を掲載。店舗で同書を掲示すると700円~1,800円のランチが500円で食べられる。 同社ランチパスポート編集部の山口さんは「発売と同時に売り切れる地区もあるなど話題を集めるシリーズ。本の購入客は使えば使うほど毎日のランチ代を節約することができ、掲載店は新規客を集客できる。購入客も掲載店も得をする好循環を地域に生み出したい」と期待を込める。この本も蔵書録10の京阪神関連の本に収めておきます。
2014.10.21
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<古書店で松本大洋の漫画をゲット>三宮のさんプラザ2階の古書店でゲットした『Sunny第1集』であるが、汚れなしで定価の半額程度(480円)であった。・・・まあ、お買い得なんでしょうね。(実は、これでも高いと感じるのだがビジュアル本でもあり、しかたないか)松本大洋の漫画は絵そのものが魅力的であり、「大人の絵本」とでもいう本なので・・・大使としては、異例の高額古書となった次第です。ところで、ころころと画風を変える松本であるが、この本ではわりと穏やかな画風になっています。個人的には『鉄コン筋クリート』『ナンバーファイブ―吾』の画風が好きなのだが、この本は画風うんぬんよりも、松本の少年期の叙情がテーマなんだろうね。【Sunny第1集】松本大洋著、小学館、2011年刊<商品説明>より松本大洋が到達した少年期作品の金字塔。 星の子学園――様々な事情を持つ子供たちが、親と離れて暮らす場所。陽光が燦々と降り注ぐ園の片隅に放置されたポンコツサニー。其処は彼らの遊び場であり、彼らの教室だった。『鉄コン筋クリート』『ピンポン』『GOGOモンスター』――未来、スポーツ、異界…あらゆる世界で、その体と心を躍動させる少年たちを描き続けてきた松本大洋が、自らの少年期に思いをはせつつ、その最高峰を目指す渾身の作品。 <大使寸評>ころころと画風を変える松本であるが、この本ではわりと穏やかな画風になっています。星の子学園の住人たちが、各々、味のあるキャラクターで登場するが・・・台詞がすべて関西弁なので、大使にとって違和感のないのが、ええでぇ♪漫画系の古書店でゲットした本であるが、汚れなしで定価の半額程度(480円)であった。まあ、お買い得なんでしょうね。AmazonSunny第1集この本も漫画の蔵書録や松本大洋の世界に収めておきます。
2014.10.20
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『謎の独立国家ソマリランド』という本を図書館に予約しているんだけど・・・33番の順番待ちではたぶん、受取りは11月初旬になるだろうか。読書の秋ということで・・・文学関連の新聞スクラップファイルを見ていたら、スクラップ記事「探検心がわき上がる」を見っけ♪約1年前のスクラップ記事であったが、試しにネット検索をかけると見事にヒットしたのです。・・・で、この際、個人的に評価する探検本を集めてみました。・探検心がわき上がる・謎の独立国家ソマリランド・空白の五マイル・サハラ横断砂の巡礼・モゴール族探検記 <探検心がわき上がる>約1年前の「探検心がわき上がる」という記事を紹介します。この記事は、高野秀行×角幡唯介の対談記事なのだが・・・お二人は、2013年の「講談社ノンフィクション賞」を同時授賞しているのです。その他にお二人が授賞した文学賞を玉石取り混ぜて挙げると・・・・開高健ノンフィクション賞・大宅壮一ノンフィクション賞・酒飲み書店員大賞出版業界の撒き餌なんだろうが、色んな文学賞があるんだね♪2013.10.26探検心がわき上がる 高野秀行×角幡唯介より ノンフィクションの世界で、2冊の探検本が話題です。高野秀行さんの『謎の独立国家ソマリランド』と角幡唯介さんの『アグルーカの行方』。講談社ノンフィクション賞を同時受賞、2人とも早稲田大学探検部OBです。そこで2人に聞きました。探検の世界に入ったきっかけは、探検心をかきたてる本は。27日から読書週間。今年の標語は「本と旅する 本を旅する」です。■高野 「川口浩」と学者に憧れ/角幡 ロマンある人生求めて ――早稲田大探検部に入ったきっかけは。高野:なぞの怪獣を探したりするテレビ番組の「川口浩探検隊」に憧れて。実際、大学で探検部に入ってあの番組がフィクションと知った時はショックでした。でももう遅かった。古代遺跡を調べる考古学者や秘境に行って民族調査する人類学者にも憧れたんですが……。角幡:僕は探検部のビラを見たから。校舎の玄関扉に、世界地図の白地図と探検部の過去の実績が書かれていて、一番下に“世界の可能性を拓(ひら)け”と書いてあった。ロマンあふれる人生を追い求めていた僕は迷わず部室を訪ねて“世界の可能性を拓かせてください”と。高野:言葉の力ってすごい(笑)。角幡:感化されちゃうんですよ。でも、実際は探検部が誇れる実績なんてあまりない。大学生がやってることだからたかが知れていて、やりたかったことができることはほとんどない。失敗が多い。高野:失敗というか、形をなさない。角幡:そう。僕も大したことやれなかった。僕は行ってないけど、探検部でもタクラマカン砂漠の遠征とか、うまくいった遠征はありました。でも成功しちゃうと燃え尽きちゃうというか。高野:気が済んじゃう。角幡:自分の青春はこれをやった、と言えるものができてやめちゃうというのはあると思う。僕はそれがなかったから、ずるずると……。高野:おれもコンゴで怪獣探しやってたけど……。 (中略)今も専門家をギャフンと言わせたい気持ちが強い。『謎の独立国家ソマリランド』は専門家も評価してくれた。それがうれしかった。やっぱり研究者になりたかったんだよね。考古学とか人類学とか民族学とか。そのコンプレックスは常にあった。角幡:高野さんは研究者が行きたくても行けないところに行ってるから、一次資料としても価値が高いですよね。僕はアカデミズムは気にしませんが、登山家にコンプレックスがあるんですよ。明らかに危険度のレベルが高い、向こうの方がすごいことやってるんじゃないかと……。そこに対して負けないぞという気持ちがある。結局、探検でやってることってメーンストリームから外れてるから、屈折した気持ちがどこかにある(笑)。 <謎の独立国家ソマリランド>この本は図書館に借り出し予約を入れているのだが、受取りはたぶん11月初旬頃になるかと思います。【謎の独立国家ソマリランド】高野秀行著、本の雑誌社、2013年刊<カスタマーレビュー>よりルポルタージュといってもいいし、探検記といってもよい。冒険・政治経済・安全保障・国際問題・民族問題・海賊問題などさまざまなテーマが詰め込まれ、500ページほどの本がすいすい読める。<読む前の大使寸評>著者の高野秀行という人は、角幡唯介さんとともに今の日本ノンフィクション界の先陣を走るような人なんですね。共に早稲田大学探検部OBとのこと。<図書館予約順番:33(9/02予約)、予約#:>Amazon謎の独立国家ソマリランド <空白の5マイル>現代の日本人の探検本としては、この本が筆頭なんでしょうね♪【空白の5マイル】角幡唯介著、集英社、2010年刊<内容紹介>よりその空白地帯を埋めんとする古今の探検家たちの旅を追い、やがて筆者も谷を踏破。もう一度訪れたいと仕事をやめて挑むが、想定外の出来事の連続に、最後の旅は必死の脱出行の様相を帯び始める。第8回開高健ノンフィクション賞受賞作!<大使寸評>友人を救うために、ツアンポー川本流に漕ぎ入った武井という人物の描写が、ええでぇ♪1日分の食料を減らし、脂肪や筋肉を消費しながら、雪中の四つん這いの脱出行が過酷である。「リスクがあるからこそ、冒険という行為の中には、生きている意味を感じさせてくれる瞬間がある」とのこと。shueisha空白の5マイル<サハラ横断砂の巡礼>図書館でたまたま借りた本であるが、砂漠とラクダが借りる決め手になったわけです。それにサウジアラビアで、心ならずも40℃超という気温を体験したので・・・この本で語られる辛さがよくわかるわけです。【サハラ横断砂の巡礼】前島幹雄著、彩流社、1989年刊<内容紹介>より古書につきデータ無し<大使寸評>砂漠とラクダは西域フェチの大使をくすぐるし、なんといっても「ラクダと歩いた四八七日」という副題に惹かれるわけです。大きな図体でねばり強いリズとの一心同体ぶりが、泣かせるでぇ♪大使のラクダについての拘りは「地図の空白地帯」でもふれています。Amazonサハラ横断砂の巡礼 <モゴール族探検記>戦後初の大規模な海外長期フィールドワークが、京大カラコルム・ヒンズークシ探検であったが・・・梅棹忠夫の探検記は、その人柄を反映して魅力にあふれている。【モゴール族探検記】梅棹忠夫著、岩波書店、1956年刊<内容紹介>より13世紀初頭ジンギスカンが樹立したモンゴール帝国の版図は、遠く東欧から南ロシアにまで及んだ。その末裔とおぼしき蒙古族の一部がアフガニスタン奥地のどこかにいる――。この地図にも記録にも残されていない民族を探し求めて、遂にこれをつきとめ、その風習、言語を調査した京大カラコルム・ヒンズークシ探検隊人類学班の貴重な記録。 <大使寸評>民族学の若き研究員は、アフガニスタンで隠れて暮らしているモゴール族を探し出す旅を始めた・・・・戦後初とも言える海外長期フィールドワークだったようです。梅棹が後に「中洋」と名付けた過酷な乾燥地帯で、モンゴルの末裔たちが身を潜めるように暮らしていた。このモゴール族は、農耕生活で定住していたが・・・・パシュトウーン人に脅かされた生活ですっかり覇気を失い哀れでさえある。当然として、訪問者を歓待するなど期待できなかったようです。とまあ・・・・この本を読むと、地図の空白地帯に踏み込んで行くような、高揚感があるんですな~Amazonモゴール族探検記地図の空白地帯byドングリ出版不況の昨今では、ノンフィクションは「経費がかかるけど売れない」という苦境にあるそうだが・・・。総合誌の休刊が相次ぐなかで、ウェブには、ジャーリズムやノンフィクションを支える可能性があるんだそうです。
2014.10.19
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。で、今後は「図書館予約の軌跡」としてフォローすることにしたのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・世界で一番美しい猫の図鑑・謎の独立国家ソマリランド・ノー・シューズ(9/9予約済み)・ほんの数行(9/23予約済み)・つげ義春: 夢と旅の世界(10/11予約済み)<予約候補>・出使日記の時代―清末の中国と外交(神戸市は現在、未購入)・トワイライト・シャッフル・どうにかなるか(予約するより、図書館で探すほうが早いかも)・庭師とあるく京の隠れ庭<予約分受取>・朝鮮半島201Z年・街場の憂国論・女ノマド、一人砂漠に生きる・クマムシ?!・中国と茶碗と日本と(9/19予約、9/23受取)・ナショナリズム入門(9/11予約、10/15受取)・眠る魚(8/19予約、10/17受取)世界で一番美しい猫の図鑑よりタムシン・ピッケラル, アストリッド・ハリソン著、エクスナレッジ、2014年刊<「BOOK」データベース>より本書は猫の魅力をたっぷりと語り、ヤマネコがいかにして野生生活を捨てて温かな家庭での生活を手に入れたのか、その歴史をひも解いていく。古代エジプトで生まれたしなやかな身体のアビシニアンに、知性の高さとシルバー・ブルーの被毛が際立つロシアンブルー。優雅で長い被毛の美しいバリニーズに、垂れ耳が愛らしいスコティッシュフォールド。50を超える猫種それぞれの歴史に隠された物語を美しい写真とともに紹介する。<読む前の大使寸評>愛猫家なら手放せない一冊になろうかと…横尾忠則が絶賛しているので、見てみたいですね♪<図書館予約順番:23(8/21予約)、予約#:>rakuten世界で一番美しい猫の図鑑【謎の独立国家ソマリランド】高野秀行著、本の雑誌社、2013年刊<カスタマーレビュー>よりルポルタージュといってもいいし、探検記といってもよい。冒険・政治経済・安全保障・国際問題・民族問題・海賊問題などさまざまなテーマが詰め込まれ、500ページほどの本がすいすい読める。<読む前の大使寸評>著者の高野秀行という人は、角幡唯介さんとともに今の日本ノンフィクション界の先陣を走るような人なんですね。共に早稲田大学探検部OBとのこと。<図書館予約順番:33(9/02予約)、予約#:>Amazon謎の独立国家ソマリランド【ノー・シューズ】佐々木マキ著、亜紀書房、2014年刊<「BOOK」データベースより>マンガ家デビューから『やっぱりおおかみ』などの絵本創作の背景や『ガロ』で出会った人々との交流までを綴った書き下ろしエッセイ「ノー・シューズ」。神戸の下町で過ごした幼少期を描いたエッセイ「ぼくのスクラップ・スクリーン」。珠玉のエッセイと共に不思議な1コママンガの連作「スカラマンガ」も収録!<読む前の大使寸評>神戸・新長田といえば、ドングリ国の縄張りであるが・・・神戸にはニューカマーの大使が知らない昔のお話が、興味深いのです。 それから、村上春樹との交流も興味深いですね。芦屋と神戸はお隣という関係からなんだろうか?<図書館予約:(9/09予約)、予約#:>rakutenノー・シューズほんの数行より和田誠著、七つ森書館、2014年刊<商品の詳細説明>より 半世紀以上にわたってイラストレーター、デザイナー、映画監督と多才な活躍を続ける和田誠さん。装丁した3000冊を超える本から、名ゼリフがキラリと光る100冊を選びました。和田さんのインスピレーションを刺激した「ほんの数行」のフレーズとブックデザインをめぐる想い出を、装丁家ならではの視点で楽しく綴ります。<読む前の大使寸評>「この本の装丁も和田誠だったのか」といつも思うのです♪「商品の詳細説明」の目次に、和田さんの好みとか交友関係が表れているようです。<図書館予約順番:7(9/23予約)>rakutenほんの数行【つげ義春: 夢と旅の世界】つげ義春、他著、新潮社、2014年刊<「BOOK」データベース>よりマンガの常識を打ち破った「ねじ式」など4作の原画を全頁掲載!インタヴューあり、旅写真あり、初公開モノ多数のデビュー60周年記念保存版。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約順番:6(10/11予約)、予約#:>Amazonつげ義春: 夢と旅の世界【出使日記の時代―清末の中国と外交】岡本隆司, 箱田恵子著、名古屋大学出版会、2014年刊<「BOOK」データベース>よりイギリス、ロシア、アメリカなど欧米に派遣された常駐公使が、途上や任地での見聞・交渉と、変動する本国のはざまで記した「出使日記」。中国外交形成期の在外公館というプリズムを通して、日本を含む各国の状況や国際関係、そして中国の政治・社会・思想の姿が鮮やかに浮かび上がる。<読む前の大使寸評>吉岡桂子委員の推す中国関連本となれば、気になるわけです。共産党王朝のほころびが目立つ昨今だが、現代の中国の外交官の「出使日記」などあれば、興味深いのだが。<図書館予約:未>rakuten出使日記の時代―清末の中国と外交トワイライト・シャッフル より乙川優三郎著、新潮社、2014年刊<「BOOK」データベース>より老いた海女、落魄のピアニスト、ライムポトスと裸婦、家に辿りついた異国の女…。房総半島の小さな街で何かを見つけ、あるいは別れを告げようとしている男と女たち。夕闇のテラス、シングルトーンの旋律…。歓楽の乏しい灯りが海辺を染める頃、ありえたかもしれない自分を想う。『脊梁山脈』で「戦後」を描き、大佛次郎賞に輝いた著者の「現代」小説。<読む前の大使寸評>乙川優三郎著、三浦しをん評、図書館予約と個人的な一連の流れとなったのが『脊梁山脈』でした。(サヨカ)ということで、2匹目のどじょうを狙って、この本を取り上げたのです。<図書館予約:今後予約、予約#:>rakutenトワイライト・シャッフル【どうにかなるか 静と理恵子の血みどろ絵日誌】西原理恵子×伊集院静著、角川書店、2010年刊<「BOOK」データベースより>仕事だって、恋愛だって、ギャンブルだって、まずはトライしてみなきゃ始まらない。たとえそこで失敗しても恐れることはありません。一番大切なのは、どんな状況に追い込まれても、常に前向き、楽観視!あらゆる敗北の日々を正当化しようと今日もさすらう無頼派作家とそんな人生にダメ出しを連発するサイバラの過激なツッコミイラスト!最強の凸凹コンビが贈る、痛快無比の名物エッセイ。<読む前の大使寸評>伊集院静のエッセイをまだ読んだことがないので、手始めにこの本などいいかと思うのです。<図書館予約:(今後予約)>rakutenどうにかなるか 静と理恵子の血みどろ絵日誌庭師とあるく京の隠れ庭より小埜雅章著、平凡社、2014年刊<「BOOK」データベース>より“樂家”の3つの茶室につらなる端正な露地庭。“瓢亭”では庭内を小川が楚々と流れ、京町家“冨田屋”の奥には壷庭が6つもー。他にちおん舎、無名舎、町宿・枩邑、二條陣屋、松本酒造など、庭師が選ぶとっておきの16軒、誌上にて一挙公開。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:未>rakuten庭師とあるく京の隠れ庭図書館予約の軌跡5図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム神戸市が複数買っている本でも予約順番が30を超えると、なかなか順番がまわってこないのです。(2ヶ月以上はかかるかも)『眠る魚』について、準備OKのメールが届いたので、本日(17日)受け取ってきました。2ヶ月待ったわけです。
2014.10.18
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横尾忠則は2007年春に「隠居」を宣言した。 同年秋、平凡社編集部は、その内容、背景、日常生活、健康・病気について、108の質問をして、横尾さんがその答えを書いたそうです。 大使もこの歳になると・・・・横尾さんのような元気な先達から、老人としての心構えを拝聴したいのです(笑)この本から、元気の出るあたりを紹介します。<創造と遊びは一体>よりp192~193【質問86】隠居は創造的ですか?また創造的隠居の条件は? 隠居といえば何もしないイメージがあるかもしれないが、とんでもない。隠居の生活は創造的でなければならない。なぜなら仕事や生計の責任を放棄して好きなことをして閑居するわけだから、のんびりと暮らさざるを得ない。つまりこの「のんびり」が重要である。今までのせかせかした生活から世事を離れてのんびりすることで、隠居は創造的になるのである。多忙を極めていると、いくら創造的な職業といえども創造的になれない。 忙しさを手放すことによって人間は創造的になれる。いや、ならざるを得ない。従来の多忙を極めた時間ではない、もうひとつの別の時間帯に入ることができる。この時間帯こそ創造的時間なのである。つまりこの時間を制御し支配しているのは「遊び」だからだ。 遊びとは、仕事のためではなく正否や収益の有無を度外視して趣味などを楽しみながら生活することである。一種の精神のゆとりを得ることでもある。よく「名人の芸にはゆとり、遊びがある」というように、創造と遊びは一体のものであると思う。世事から開放されることで時間がたっぷりでき、だからこそ遊びが生じ、その遊びが創造を生むわけだから隠居は創造的であるといえる。 毎日が日曜日ということで、のんびり過ごしている大使の境遇を、横尾さんは創造的時間と表現しているわけです。 ムム 無為大食で暮らすだけでは、横尾さんの期待に沿わないわけで・・・もっとやることがあるだろう、ということでんな♪<小説の楽しみ、絵画の楽しみ>よりp198~199【質問89】小説執筆は「隠居宣言」と関係していますか?なぜ執筆したくなったのですか? 小説の執筆と「隠居宣言」は無関係ではないかも知れない。それは気持ちにゆとりができたからだと思う。グラフィックはある程度やり尽くした。ありとあらゆる方法論に挑戦してきたという自負があった。小説というジャンルには70年代の初頭に井上光晴氏に依頼されて、氏が小田実氏、鶴見俊輔氏らと共同編集していた『辺境』という季刊誌に2編書いたことがあったが、それ以来の小説だった。 切っ掛けは文芸春秋から出版したエッセイ集『病の神様』の担当編集者の高木氏が『文学界』に移った時、『病の神様』の中のエッセイで小説になるのがありそうだと言い、小説執筆の打診があった。最初は全く乗り気じゃなかった。何しろ『文学界』が純文学の専門誌というだけで気持ちが後退したが、眠っていた好奇心に点火されたような気分が起こり、気がついたら高木氏と会った翌日から書き始め、一気に30数枚の短篇をほぼ1日で書き上げた。 掲載責任はあるのでぼくは期待していなかっただけに、掲載が決定した時は正直いって驚いた。そして次号の合評でとても自信を与えられる評を受け、新聞の文芸欄にも写真入りでとり上げられた。 時間はたっぷりあるので、すぐその続編の執筆にとりかかった。別に依頼されたわけでもなくて、2作目は枚数が多くなったが、これも2、3日で書き上がった。続いて3作目を書き、4作目で一応このシリーズを完結したいという構想が浮かんだので、引き続き書いてみた。その結果単行本になる予定だ。 小説の執筆は非常に楽しかった。絵画制作に匹敵する快感を得たような気がするが、小説はあくまで絵画を充実させるための援護射撃のような役割を果たしてくれればいいと考えている。そのうち、自作の小説を主題にした絵を描く予定もある。 横尾さんは生来のクリエーターなんでしょうね。自作の小説を主題にした絵ができたら、お目にかかりたいものである♪<何でも冒険とつくものが好き>よりp210~211【質問95】これから何か冒険をしたいと思いますか? 毎日が冒険だと思う。未知の年齢に対する冒険もある。新しく眼を開くことはすでに冒険ではないだろうか。わざわざ遠くに出掛けなくても冒険は可能だと思う。今日の自分じゃない自分を試してみたいと思うことがすでに冒険である。その対象は何でもいい。 読んだことのない本を読むのも冒険じゃないかな。ぼくは子供の頃から冒険小説、冒険活劇映画、冒険絵物語、冒険ごっこ、何でも冒険とつくものが好きだった。冒険の醍醐味は如何に危険を冒すかということだ。危険を伴わない冒険はあり得ない。子供は危険を冒す冒険が好きだ。大人になるに従って冒険から遠のく。そして安全な場所を確保する。だから歳をとっていくのである。 若々しく見える年長者がいるとすれば彼は何らかの冒険者だ。発想の転換や好奇心はみんな冒険から出発したものだ。芸術は冒険の産物で、冒険のない芸術は芸術と呼ばないんじゃないかな。ぼくは死ぬまで絵を手放さないとすれば、死ぬまで冒険を止めないということになるのかなあ。 ・・・なるほど、発想がラディカルというか、若々しいですね。このあたりが横尾忠則の真骨頂なのかも♪【隠居宣言】横尾忠則著、平凡社、2008年刊<「BOOK」データベース>より 60年代に若者文化の象徴的存在となり、その後も美術の第一線でエネルギッシュに活躍する横尾忠則ー彼が「隠居」を宣言した!隠居宣言とは何か?その目的は?それからどう変わったのか?さらに毎日の生活、健康と病気、故郷への想い、死についての意識まで、新しい生き方のヒントとなる108の答え。隠居とは、肩の力を抜いた生き方!人生をより楽しく、より創造的にする。<読む前の大使寸評>それにしても、横尾さんの制作は老いてますますという感じで…元気ですね。専用美術館も故郷の西脇市、職を得た神戸市、豊島と…存命中にこれだけ評価され、顕彰されるとは幸せなアーティストですね。読後の感想は、後ほどに・・・rakuten隠居宣言この記事も横尾忠則の世界に収めておきます。
2014.10.17
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『作家の履歴書』という本に、各作家に対するアンケートのページがあるのだが・・・作家志望の大使が不遜にも、このアンケートに答えてみます。<最も影響を受けた作家・作品>司馬遼太郎、村上龍、村上春樹あたりになるだろうか?作品としては、それぞれ『峠』 『5分後の世界』 『海辺のカフカ』かな。<執筆中に欠かせないもの>パソコンとエディターソフト「秀丸」である。この「秀丸」が優れものなのだが、その高機能を持て余しているわけです(汗)<執筆のペース>グログの雑文は毎日書いているのだが、小説に関してはまだ1枚も書いておりません。<推敲の仕方>秀丸で書いた文章を、ブログ上で確認し・・・タメクチが過ぎるとか、視覚的に読みにくい場合は修正する程度です。<作家としての短所・長所>作家ではないので、ブログとしての短所・長所を答えるものとします。「良くも悪くも、独り善がりなところでしょうね」・・・匿名ブログの特権やないけ♪<趣味・特技>村上春樹と同様で、かつてはトライアスロン、現在はランニングである。<交遊関係のエピソード>女友達は中学校の同級生ぐらいしかいないが、特筆すべきは韓国出張で知り合ったキムさんである。今では音信不通となっているが・・・つくづく、清い交際であったことが、悔やまれるのです(笑)<読者について考えるところ>常識のある書き込みには、お返事しますが・・・非常識な書き込みとかサイバーアタックめいたものは、即削除しています。<収入の管理>印税生活をしたことはないけど、新人が印税だけで暮らすことは不可能だそうですね。収入の管理が必要のない年金生活となったことを、ありがたく思うわけです♪(年金がしだいに減ってきているが、キリギリスのように能天気な大使である)<本人希望欄(編集者への要望)>出版社の編集者とは付き合いが無いので、希望と聞かれても・・・?この調子で、各作家が答えているわけで・・・お目当ての作家のアンケート結果が興味深いわけです。この本は適当につまみ読みしても、文学賞デビュー方法が学べる内容になっています。つまるところ、読んで楽しいハウツー本として評価できるのではないでしょうか♪(デビューできるかどうかは、読者の素質次第なんでしょうけど)【作家の履歴書】阿川佐和子、他著、KADOKAWA、2014年刊<商品説明>より当代きっての人気作家が、志望動機や実際に応募した文学賞、デビューのきっかけなど、作家になるための方法を赤裸々に語るノンフィクション。作家志望者必読の、様々なデビュー方法が具体的に学べる決定版!<読む前の大使寸評>作家志望の大使にとって、作家デビューのヒントが満載の1冊でおま♪rakuten作家の履歴書
2014.10.17
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今回借りた6冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「手当たり次第」でしょうか。<市立図書館>・ヘブン・作家の履歴書・ナショナリズム入門<大学図書館>・地球科学を知る厳選33の絶景・隠居宣言・中国はなぜ「反日」になったか『ナショナリズム入門』は9/11に予約し、10/15に図書館に出向きゲットしたものです。図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【ヘブン】川上未映子著、講談社、2009年刊<「BOOK」データベース>より「僕とコジマの友情は永遠に続くはずだった。もし彼らが僕たちを放っておいてくれたならー」驚愕と衝撃、圧倒的感動。涙がとめどなく流れるー。善悪の根源を問う、著者初の長篇小説。<読む前の大使寸評>このところ川上未映子づいているので、この際、この長篇小説に手を出した次第です。rakutenヘブン【作家の履歴書】阿川佐和子、他著、KADOKAWA、2014年刊<商品説明>より当代きっての人気作家が、志望動機や実際に応募した文学賞、デビューのきっかけなど、作家になるための方法を赤裸々に語るノンフィクション。作家志望者必読の、様々なデビュー方法が具体的に学べる決定版!<読む前の大使寸評>作家志望の大使にとって、デビューのヒントが満載の1冊でおま♪rakuten作家の履歴書作家の履歴書byドングリ【ナショナリズム入門】植村和秀著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>よりクリミア・尖閣・竹島…衝突は、なぜ起こるのか?21世紀最大の難問。【目次】はじめに ナショナリズムを見た日/第1章 ネイションの作り方/第2章 ネイションの自明性ー日本の形/第3章 ネイションの多義性ードイツの変形/第4章 人間集団単位のネイション形成(一)-ドイツと東欧/第5章 人間集団単位のネイション形成(二)-ユーゴスラヴィアの滅亡/第6章 地域単位のネイション形成(一)-アメリカ大陸の状況/第7章 地域単位のネイション形成(二)-ヨーロッパの西と南/第8章 ネイション形成のせめぎ合いー重複と複雑化/第9章 ナショナリズムのせめぎ合いー東アジアの未来/第10章 政治的仕組みとネイション<読む前の大使寸評>評者が吉岡桂子記者ということで、とりあげた新書なんですが・・・・吉岡記者が選んだ本なら、「外れ」はないでしょう。とにかく、この本に戦争を防ぐ知恵を期待したいのです。<図書館予約:(9/11予約、10/15受取)、予約#:>rakutenナショナリズム入門ナショナリズム入門by吉岡桂子ナショナリズム入門byドングリ【地球科学を知る厳選33の絶景】ムック、ニュートンプレス、2014年刊<商品の説明>よりデータ無し<大使寸評>貧乏人は、地学的絶景の厳選33写真を眺めるだけでんがな。冥土のみやげに、一つぐらい現地でみたいものです。rakuten地球科学を知る厳選33の絶景【隠居宣言】横尾忠則著、平凡社、2008年刊<「BOOK」データベース>より 60年代に若者文化の象徴的存在となり、その後も美術の第一線でエネルギッシュに活躍する横尾忠則ー彼が「隠居」を宣言した!隠居宣言とは何か?その目的は?それからどう変わったのか?さらに毎日の生活、健康と病気、故郷への想い、死についての意識まで、新しい生き方のヒントとなる108の答え。隠居とは、肩の力を抜いた生き方!人生をより楽しく、より創造的にする。<読む前の大使寸評>それにしても、横尾さんの制作は老いてますますという感じで…元気ですね。専用美術館も故郷の西脇市、職を得た神戸市、豊島と…存命中にこれだけ評価され、顕彰されるとは幸せなアーティストですね。読後の感想は、後ほどに・・・rakuten隠居宣言横尾忠則の隠居宣言byドングリ【中国はなぜ「反日」になったか】清水美和著、平凡社、2003年刊<「BOOK」データベース>より 中国が「反日」姿勢を鮮明にしたのは、たかだか十数年、江沢民が実権を握ってからに過ぎない―。一九七二年の国交回復以来、親愛と憎悪の間を大きく揺れ動いてきた日本と中国の関係を、歴史の遠近法で検証してみると、なぜ中国側が首相の靖国参拝を問題とし、繰り返し「歴史問題」を取り上げて謝罪を要求するのかが明確になる。全土を覆うかにみえる「反日」は、中国側が仕掛けた戦略なのだ。<読む前の大使寸評>追って記入amazon中国はなぜ「反日」になったか中国はなぜ「反日」になったかbyドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き77図書館に行ったついでに本屋で買った本なんですが、ピンポイントで大使のツボを突いています。【IN★POCKET 2014年10月号】雑誌、講談社、2014年刊<出版社サイト>より【大特集:作家と文学賞】いつ、どこで、どの作品で、賞を受けたのか。驚いた。喜んだ。はたまた、悔しかった。文学賞に対する思いは、作家の数だけ違う。けれど、ひとつだけ共通すること。どんな賞にも受賞者しか知らない秘密と思い出がある。作家がこっそり教えてくれる、ここだけの「文学賞」、うちあけ話。 <大使寸評>ピンポイントで大使のツボを突いています。これで200円なら、超お買い得でおま♪文学賞カレンダー(p53)なんてのもあるので、だめもと応募に役立ちそうです。(アホやで)kodanshaIN★POCKET 2014年10月号
2014.10.16
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『司馬遼太郎の遺産「街道をゆく」』というムック本の中で、朝鮮の民具について書かれていた個所があったので、紹介します。廟 先日、竹中大工道具館に出向いて洗練された大工道具を見てきただけに、朝鮮の道具、民具に触れたくだりに惹かれたわけです。<砂鉄のみち>p121~122 先日、韓国の南部の農村を旅行してきた若い無名の写真家が、拙宅にやってきて農村の写真をたっぷりみせてくれた。 「こういうのが、たまらなく好きなんです」 と、野火の白いけむりのむこうで、腰をかがめて耕している人を指さした。 「こういうの、というと?」 「さあ。こういうの、というほかないのですが」 かれは、自分でも自分の情熱の正体をうまく説明できないでいる。 かれはもう十度ちかく韓国へ渡って、農民の民俗や無名の僧房の暮らしなどを撮っている。一種無償の情熱というべきもので、べつにプロの写真家になろうというつもりはなさそうだし、また写真の主題が民俗学的なもの―葬式とか耕作とか―なのだが、しかし、民俗学者になるつもりもない。ただ韓国の農村の地面を歩いている人間のたたずまいが好きで、アルバイトをしては金を溜め、渡航しているのである。(中略) 電灯をひくことは多少の金銭を要し、しかも農家ととしては直接の利益がかならずしもあるといえない。つまり電灯をひくかひかぬは多分に好奇心だけの問題であり、とすれば朝鮮の農村社会の好奇心の量は希薄だったということであろう。それが独立後20数年してもなおつづいていたのである。 朝鮮は新羅の半島統一からかぞえれば千数百年も高度な律令文明をつづけてきたが、律令文明の敵は好奇心といってよく、つねに古を尚しとして、学問、思想、あるいは技術上の好奇心を封殺してきた。封殺されて寡少になった好奇心は電灯をさえ欲しくなくなるのである。 私は、若い来訪者―F君という―と朝鮮半島の農村の人情を語りあって、じつに気分がよかった。 「農家や廟の建物もいいですよ」 とF君はいった。 F君の家は、出雲大社の宮大工なのである。このため、多少は木口や指物がわかっている。 「柱など、自然木のゆがみのまま使ったのがありますね」 といった。たしかにそうで、おそらく慢性的な材木不足がそうさせたものであろう。 しかし一面、伝統的に大工道具の種類がすくないということにも由来する。 江戸時代の大工道具の多種類さはおどろくべきもので、その1目的1道具という道具面での精巧さが、あの工芸の瑣末主義としか言いようのない江戸期の建築、建具、あるいは調度品における幾何学的精密さをつくりあげた。そのことも、鉄器の豊富さと廉価さが江戸期の大工仕事をそのような方向に方向づけたわけで、そういう条件を薄くしか持たない地域である朝鮮半島の大工の場合、幾何学的正確さにおいて、とほうもなくおおらかなのである。 「朝鮮の用具や調度には、刳りぬきの仕事が多いね」 と私がF君にいうと、賛成してくれた。小さな卓子やお盆に脚をつけたような民具なども、一木の幹を材料にして刳りぬいてしまうのである。張りあわせや嵌めこみの方法をあまり用いないというのは、鉋(かんな)仕事よりも鑿(のみ)仕事を主とするからであろう。このことは、細工物の鉋の種類が大工道具や指物道具において寡少であることを意味している。鑿一本で間にあうことならなるべく鑿でやってしまうということであり、このことが、仕上がりとして朝鮮民具独特のふしぎな個性をつくりだす結果となっている。 「ほんとうに、刳りぬきの仕事が多いです」 とF君がいって、大きな石臼のようなものを示した。石臼とちがい楕円形をしている。 「牛小屋にある飼葉桶です」 飼葉桶までが、花崗岩の刳りぬきでできあがっている。桶が材木製でなく石造であるのは、木がすくなくて石が豊富であるからであり、古い朝鮮の石造美術がすぐれているのと、これは無縁ではない。ともかくも、飼葉桶までが鑿一本の刳りぬき仕事なのである。 「これは刳りぬくのに時間がかかるなあ」 というと、F君は、それを鑿で刳っている人物の写真もみせてくれた。 その作り手は農民で副業にしているそうである。彼は山に入って岩を見つけ、その岩をその場できざんで飼葉桶にする。それをかついで村の市にもってきて、その一個の飼葉桶の前にしゃがむ。その写真もある。時間をたっぷり所有している人物だけがもっている容貌である。写真の中の彼は、ゆったりと遠くを見ていた。 「もしその日、売れなければ、どうするのです」 「またかついで持って帰るのです。私などがかつごうとしてもとても動かなかったほど重いものでした」 と、F君はいった。 朝鮮の山にじゅうぶんな森林が無かったので、鉄器生産が進展しなかったとはよく聞く話であるが、それに加えて儒教体制が職人文化を阻めたとも言われています。でも別の形で進化した朝鮮の民具にも、日本でみられない美は確実に有るわけですね。このセンスには、マイッタ♪【司馬遼太郎の遺産「街道をゆく」】別冊朝日新聞社編、朝日新聞社、1996年刊<商品の説明>より週刊朝日別冊司馬遼太郎をおもう 絶筆「街道をゆく」濃尾参州記一挙掲載<大使寸評>父の蔵書を引き継ぐもの。各ページの間に新聞スクラップや原稿メモがはさんであるので、父の関心や息吹きが感じられるのです。Amazon司馬遼太郎の遺産「街道をゆく」
2014.10.15
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売国的なTPP参加が条約国から承認されたが・・・参加しないのがベストだったけど、ほんとに安部政権の短慮にはあきれるのです。こうなれば不利益が避けられない場合はTPPから離脱することが肝要ではないでしょうか。(状況が変わったので、タイトルを参加反対から、交渉反対に変えました)日本は遺伝子組み換え作物の世界最大の輸入国であり、役所はダダもれで承認中であるが、日本のマスコミはこの問題にほぼ完黙。この国は植民地か?大手メディアは自民党、財務省、経産省、米国金融、経団連、穀物メジャー、モンサント、生物多様性etcの相関を解明する気があるんだろうか?TPP交渉反対ツイートを9/22~10/13のツイッタ-に見てみましょう。【10月13日】春がいっぱい@NIREke19:TPPは投資が本丸:米ではM&Aや企業を傘下にする行為が非常に活発で、航空宇宙、車、原子力産業など非常に広い分野をカバーするコングロマリットと呼ばれる企業も多数あるhttp://rb2.pw/4ZgP1【10月12日】ドングリ@mdonguri:米カリフォルニア州の水量減少、衛星画像ではっきり 写真1枚 国際ニュース:AFPBB http://www.afpbb.com/articles/-/302688… @afpbbcom自然収奪、大規模農業の驕りの末路か【10月9日】ドングリ@mdonguri:政府及びGPIF(年金管理組織)の年金運営方針変更(国債→株運営増加)はアメリカ化促進とも言えるわけで、ハイリスクで危険な舵取りだと思うわけです。【10月3日】ドングリ@mdonguri韓国から静かに離れる米国 http://business.nikkeibp.co.jp/article/report20140916/271306/?n_cid=nbpnbo_nbotw_top… #日経あとで、読もう。【9月28日】perspective@prspctv:「晩年の宇沢氏は「TPPは社会的共通資本を破壊させる」と唱え、「TPPを考える国民会議」も立ち上げた。宇沢氏の功績=アベノミクスの全否定」|9/28ゲンダイ:世界的経済学者・宇沢弘文氏が蛇蝎の如く嫌った「新自由主義」 http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/ews/153687/…【9月22日】Pompin Niocki@PompinNiocki:【TPP違憲1万人訴訟】山田正彦氏/呼びかけ人には堤実果さん、孫崎享さん、鈴木先生、三宅洋平さん、加藤登紀子さん他 / @yamamototaro0 全国キャラバン 福岡 http://moi.st/6142467 | 54:33経過10/03(岐路のアメリカ 2014中間選挙)TPP論議、棚上げ状態より オバマ政権が「アジア重視」の戦略の中心に据える環太平洋経済連携協定(TPP)。米国の経済や外交に直結する重要課題だが、与党・民主党支持層にも反発が多く、11月の中間選挙に向けた選挙戦でも争点になりにくい。選挙戦が終盤戦を迎えるなか、米国内での議論は「棚上げ」された状態だ。 ■養豚農家「譲歩が心配」 米中西部アイオワ州の町ガーナー。青々としたトウモロコシ畑の合間に、巨大な穀物倉庫が点々と立つ。 「足元のスポンジで靴の裏をよく洗って」 養豚農家のジェイミー・シュミットさん(56)の飼育小屋に入る際、そう注意された。昨年からウイルス性の豚の病気が全米で流行。700万頭の豚が死んだと推計されている。 シュミットさんが出荷する豚は年間約2万頭。日本への輸出向けも多い。年商は数百万ドル(数億円)で、米国の養豚農家では中規模だ。2年ほど前には穀物価格の高騰で、一時的に赤字に追い込まれた。「最近ようやく黒字に戻り、経営が安定し始めた」と話す。 地元の生産者団体の会長をつとめるシュミットさんは8月初旬、州都デモインのイベント会場で、米通商代表部(USTR)のフロマン代表と食事した。 「何年かかってもいいから、(輸入豚肉にかかる)日本の関税を撤廃してほしい」。そう訴えると、フロマン氏は「できる限りベストな合意を目指す」と答えたという。シュミットさんは「『あなた方を支持する』とは言わなかった。日本に譲歩をするのではないかと心配だ」と話す。 アイオワ州はトウモロコシ生産地帯の中心に位置する農業州だ。大豆、豚、トウモロコシの生産量は全米トップ。2013年の豚肉生産額は約65億ドル(約7千億円)で、10年で約3倍に増えた。 成長を後押ししたのが輸出だった。アイオワ州のビル・ノージー農務長官は「我々に輸出の拡大は必要だ。輸出が増えれば雇用も増える」と話す。 だが、安泰とは言い切れない。昨年、米国の豚肉輸出額は4%ほど前年を下回った。最大の理由が、世界最大の高級品市場である日本向けの落ち込みだ。 アイオワの豚肉生産者の視線はいま、日本のさらに先に向きつつある。世界最大の豚肉消費国、中国だ。シュミットさんは今年4月、北京や上海などのスーパーの食肉売り場を訪れ、市場としての可能性を強く感じた。「中国には人口100万人以上の都市が160以上もある。豚肉の輸出条件をめぐるTPP交渉で日本に妥協すれば、悪い先例を作ってしまう」6/12小麦にも遺伝子組み換え、GM小麦推進を再確認した米加豪関連団体より●消費者無視の「低レベルの存在」容認要求 今回の共同声明は、GM小麦に対して未承認であったとしても「低レベルの存在(Low Level Presence)」を認めるように要求している。昨年秋より中国は、未承認品種の混入を理由とした米国産トウモロコシの輸入を拒否している。こうした事態への対応とも思われるが、わけのわからぬものを食べさせられる消費者にとってはとんでもないことだ。ちなみに日本では、飼料についてのみ未承認品種の1%までのLLPが、日本と同等国での承認を条件として認めている。LLPとは別に、GM表示不要の「意図せざる混入」問題もある。世界的に1%前後に設定されている場合が多いが、日本では承認品種について「意図しない混入」が5%まで許容されている。これでは、コメや小麦のように直接消費する穀類では、消費者の意図の反してGM作物・食品を食べてしまうことになり、問題だといわざるを得ない。中国産より多い違反:モンサント食堂はGM食品禁止:阿修羅♪より 対米従属政治家は、「国民の生命と財産を守るため、米国との軍事同盟を強固にする必要がある」とよく説明しているが、そのために、国民の健康や将来的な民族の危機を承知で関税と規制を少なくして米国産農産物の輸入を優遇する政策を選択するというバカバカしく倒錯した政策を平気で進めるのである。 “英霊のため”、“国体護持のため”、国民を戦地に駆り出し、空襲という災厄のなかで生活させ続けることを厭わなかった国家支配層的価値観を受け継ぐ政治家や官僚が、経済成長(カネ儲け)や身分保障よりも、国民の健康を優先することはないと言ってしまうのはあまりに辛いのだが...鈴木宣弘教授は文芸春秋2月号で、GM作物の弊害を述べています。 <TPPが無視するGM食品の恐怖> p443~445より■米でも「表示義務」が問題に アメリカ国内では、GM作物は従来の作物と同等であるとされているため、表示義務はありません。それどころか、「GM作物を使っていません」と表示することすら基本的に許されていないのです。「GM作物を使っていない」と、「組み換えていない方が優良である」という誤解が生まれる可能性がある、つまり、GM作物の売上げを妨害するというのが、その理由です。(中略) しかし、TPPが締結されれば、日本人にとっても表示義務の問題は他人事ではありません。というのも、アメリカはTPP交渉をテコに、自国内と同様、「GM食品が安全でないかのように消費者を惑わすことになるので、表示義務は認められない」という立場を広めようとしているからです。 アメリカが科学的に安全だと認めた産品に、表示義務を課すのは、輸入を阻害する要因となる、問題があるというのなら、危険だという科学的根拠を示せ、というわけです。 そこで、大きな問題となるのはISDS条項です。外国企業が投資先の国で不当な損害を受けた場合、国際機関を通じて、相手国を訴えることができるという取り決めですが、この条項が適用されれば、日本国内のGM食品の表示義務によって、アメリカの農業・食品業界が不当な損害を受けたとされる可能性が高いのです。日本の規制役所はモンサントの申請に対して、からっきし弱いことで突出しているが・・・TPPという突破口が開いたら、更にこれら倫理無き巨大企業の蹂躙に合うことになるわけです。政権党はTPP推進を目指しているが・・・日本国民の食糧安保は風前のともし火にあるわけで、いったい誰のためのTPPなのか?ということなんだけど。なお、モンサントの手口については、 「モンサントの不自然な食べもの」に詳しく出ております。反TPPの核心TPP交渉反対の輪69
2014.10.14
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小堀遠州といえば、日本庭園のトップデザイナーというのが大使の認識であったが茶道への関わりも大きいようです。その辺りを『小堀遠州 綺麗さびの極み』という本で見てみました。<小堀遠州の茶の湯>よりp25~27 小堀遠州は幼名を作助といい、近江国(滋賀県)小堀村の土豪、小堀新介の長男として生まれた。豊臣秀長、徳川家康に仕え、1万2千石余の大名となった父・新介のあとを継ぎ、数寄大名小堀遠江守政一が誕生する。いうまでもなく、通称遠州は遠江守の略称である。 遠州は伏見奉行をはじめ多くの幕府奉行職を歴任した。遠州の履歴の中でことに重要なことは、建築造園にすぐれた才能をあらわし、作事奉行をしばしば務めたことだ。 慶長18年(1613)の内裏造営、寛永4年(1627)の仙洞御所、女院御所造営など、禁中関係の造営に深くかかわり、こうした交渉を通じて王朝文化をよく摂取すると同時に、遠州好みとさえ呼ばれる寛永時代のデザイン感覚をリードする立場を得た。 将軍をはじめ大名、公家衆、僧侶、町衆、牢人と遠州の茶友は幅広く、まさに寛永文化を代表する数寄大名であったといってよい。 いつのころからいわれたことか、明らかではないが、 織理届、綺麗キツハハ遠江、於姫宋和ニムサシ宋旦 という狂歌がある。 師匠の織部が理論派であったのに対し、弟子の遠州は「綺麗キツハ」であったという。キツハは「ぎっぱ」で立派という意味であろう。美しく見栄えするのが遠州の茶、お姫さま好み(公家好み)の金森宋和、むさくるしいまでにわびた千宋旦という狂歌である。 きれいぎっぱは遠州好みを指して「きれいさび」という感覚によく通じるであろう。 まさにきれいという語こそ、人々が遠州の好みを思いうかべるときの言葉だったのである。遠州好みの周辺に明代の赤絵や祥端などの請来陶磁器の美しさもふくめて考えてよいだろう。 その点、遠州のなかには新唐物趣味ともいえるハイカラなところがあった。そして、遠州の茶座敷である数寄の書院や、桂離宮の書院などを「綺麗座敷」と呼んだように、「綺麗」という感覚がこの時代の好尚であって、遠州個人の好みにこたえた一般性を持っていたことがうかがわれる。 『利休茶杓の削り様』という伝書がある。これによれば、茶杓は用心深く削ってはいけない、ずかずかと思いきって切れとある。ずかずかと削れば左右対称にはならず、不均衡になろう。竹の中心線にたいしてゆがんだ茶杓になるが、それでよいというよりも、むしろそれでなければいけない、と記されている。 この史料は利休の伝書ではないが、古風な茶杓の削り方を書いた史料である。ところが遠州の茶杓をみると、きれいに左右の均衡がとれているものが多い。平衡感覚にすぐれ、かぶいていない。 織部の大ぶりで豪快なデフォルメを好むカブキの美にかわり、洗練された華奢な美を楽しむ遠州の時代が到来した。対談<磯崎新×小堀宋実>の一部を紹介します。遠州は江戸のアートディレクターとも評されるので、建築家の磯崎さんとも時を超えて感応できるのでは。<小堀遠州の建築術>よりp54~56小堀:遠州は、ものごとを「総合する」ことに非常に長けた人だったと思います。磯崎:大きな意味でいう「アートディレクター」なんですよね。映画でいえば、監督も美術もやっている(笑)。小堀:そうですね(笑)。お道具の例を挙げますと、たとえば友人の江月和尚に頼んで銘になる漢詩をつけてもらう遠州は歌を書く。そして、裂(きれ)は長崎あたりから入ってきた珍しいものをつける。さらに、箱をつけ、箱書きをし・・・。そういうふうにして、ひとつの道具をどんどん大きくして、完成させるのです。 お茶会にしても、ひとつの空間に留まることなく、小間から鎖の間へ、そして書院へと移動して、さまざまな世界を見せていく。建築もやはり同じ考え方で造っていったんじゃないでしょうか。磯崎:なるほど、桂離宮の庭がそうですね。最初は昔の王朝風のを持ってきていて、それから茶席風のものが東側に、で、片方で武家風の切り石の庭があって、この三つの性格が組み合わさったのが、桂の庭なんだと僕は捉えています。これらが、遠州の場合には最初から自然に一体化されている。 彼の手法は、時間芸術と、鑑賞するひとつひとつのものを結び付けているような感じですね。最初から最後までが、そういう濃密な時間を完成させるために組み立てられていく。ひとつのオブジェクトをどんどん複雑に重ねていくような、鎖のようにつなげていくような、こういう手法は、お茶の歴史のなかでは遠州が最初なんですか?小堀:そうだと思います。物事をそういう風に捉えたのは、遠州が最初だったのではないでしょうか。ようやく、それだけ落ち着いた時代になったこともありますが。 もうひとつ、遠州の面白いところは、茶道具の好みを見るとわかるんですけれども、左右均衡といったものは基本にあるのですが、自然にはずれてしまったとか、ゆがんでしまったとか、そういう要素も大事にするんですね。 「ひずみ高麗」という茶碗が有名ですが、織部のように、無理矢理曲げたというのではなく、窯のなかで自然にゆがんでしまったものだという。たくさんある中で、たまたまゆがんでしまったものを、ちゃんと取っておいて自分で使う。「不足の美」を、自分で使うことでカバーし、独特のものにしていく。ただ、それを将軍や大名に差し上げたり、これがいいですよとは絶対にいわない。磯崎:丸山真男先生らは、日本には、「作為」と「自然」という両極端の思想があるとおっしゃる。「作為」というのは意図的にデザインを組み立てる。 「自然」というのは、自然に物事がだんだん出来上がっていくように作っていくと。 どちらかというと「作為」は中国的で、「自然」は日本独特の感性かもしれない。お話を伺っていますと、織部というのはいかにも「作為」ですよね。それはそれで面白さがある。 それに対して、今おっしゃられた遠州の、少し変形したものを自然にしてしまうという、これは「自然」なのだというふうに見ることができますね。小堀:両方なんですね。遠州には、両極端なものを両方してしまうところがある。磯崎:「遠州好み」といわれている庭石の打ち方とか組み方を観ても、かなりフォーマルな部分は常にあるんですね。あるんだけれども、その中に違った要素が、ずれた部分や曲がった部分が、入りこんでいる。とりわけ、直角ではなくて斜に構えたといったところがよく観られます。 一見自然に見えながら、中に隠れた複雑さが潜んでいる組み立てなんです。非常に複雑に洗練されている。小堀:まっすぐが好きかと思うと丸も好きだし、左右均等かというと、わざと均等にしていない。何でもできたんでしょうね。【小堀遠州 綺麗さびの極み】小堀宗実著、新潮社、2006年刊<「BOOK」データベース>より茶人として茶の湯を総合芸術に高め、作庭家として日本の庭の新しいスタイルを確立し、作事奉行として禁裏・幕府の建造物を担当。まさに、八面六臂の活躍を果たした小堀遠州。彼の愛した“綺麗さび”の世界とは何か?この万能の達人の全貌に迫る。<読む前の大使寸評>13世茶道家元でもある著者と、建築家の磯崎新さんの対談も載っていて、カラー写真も多くて・・・「とんぼの本」シリーズなので、魅力的なビジュアル本になっています。rakuten小堀遠州 綺麗さびの極みところで、ネットで「桂離宮HP」を観たところ・・・観覧申込み方法が改新されて、ネットでも申込みができるようになっていました。で、近々、申込みする予定です。
2014.10.13
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ブログのトップ画面に【今夜の一曲】を掲げて、気分によって載せ代えているのだが・・・・歴代の曲をストックから並べてみます。【新規追加】Neil Sedaka のHappy Birthday Sweet Sixteenを追加しました。最近、気分的にすぐれないので、想い出の60'sを一発ということでんな♪・知りたくないの・コニーフランシス 翻訳 甘く切ない歌声を・夜の歌といえばmea culpa(夜は恋人)ですね♪・Edith Piaf-La foule・青江三奈メドレー1はどや。大人の歌やでぇ♪・Das gibt`s nur einmalはどないだ。元気が出るでぇ♪・枯れ葉散る秋たけなわとなりましたが、La Bohemeでも聴きましょう・道頓堀人情 天童よしみ浪花の根性を見せたりんかい♪・A demain sur la lune (1969)落ち込んでいるので、こんな明るさがいいかも♪・めまい小倉桂は天才だなあ、やっぱり♪・愛しき日々小倉桂は天才だなあ、やっぱり♪・泣きたい夜もあるだろうPink Martini feat. Saori Yuki - Mas Que Nadaでも聴いて、元気出してよ♪・泣きたい夜もあるだろう由紀さおりの手紙でも聴いて、元気出してよ♪・PPMの悲惨な戦争はどないだ♪・桃色吐息【in N.Y '93】高橋真梨子はどないだ♪・Parlez moi d'amourムスクーリ風のこぶしがええでぇ♪・青江三奈メドレー1はどないだ♪・泣きたい夜もあるだろう高橋真梨子 ワインレッドの心でも聴いて、元気出してよ♪・踊り子~村下孝蔵~はどないだ♪・泣きたい夜もあるだろう時代 中島みゆきでも聴いて、元気出してよ♪・復活した薬師丸ひろ子 Woman "Wの悲劇"は、どないだ♪・Neil Sedaka "Happy Birthday Sweet Sixteen"*********************************************************************【掲載候補】・情熱の花・内気なジョニー/ジョニー・ソマーズ・カレンダー・ガール/ニール・セダカ・John Denver-Take Me Home, Country Roads・Toi Qui Regarde La Mer (papillon theme) / Nicole Grisoni・さくらんぼの実る頃・Patsy Cline ~ Tennessee Waltz・長谷川きよし - 「別れのサンバ」2012・北の旅人 (北方的旅客) - トウ麗君・西島三重子 池上線・Aoe mina (青江三奈) - Daejeon Blues (大田ブルース)・イルカ なごり雪*********************************************************************【カラオケの錆び落とし】:カラオケ禁断症状が出そうより・寺尾聰 - Re-Cool ルビーの指環・時の流れに身をまかせ・李成愛 カスマプゲ・思いで迷子 チョー・ヨンピル・サチコ ニックニューサ・「思案橋ブルース」中井昭・高橋勝 とコロラティーノ・長崎ブルース 青江三奈・青江三奈メドレー・村下孝蔵 踊り子
2014.10.12
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ハーバード大学のアンドルー・ゴードン教授がインタビューで「平等も格差も実態以上に意識、悲観の広がりを憂慮」と説いているので、紹介します。悲惨なアメリカから見ればそうなんでしょうけど、「悲観するな」と言われてもねぇ。(アンドルー・ゴードン教授へのインタビューを10/11デジタル朝日から転記しました)高度成長時代、日本は「一億総中流社会」と言われた。多くの人が自分も「中流」になれると夢見ることができた。その後の日本は、長い経済の低迷を経て、少子高齢化に直面し、格差の問題がクローズアップされている。戦後社会はどこに行くのか。米国を代表する日本近現代史の研究家、ハーバード大学のアンドルー・ゴードン教授に聞いた。Q:中流社会というのは、戦後の産物なのでしょうか。A:『一億総中流』といわれる力強い中間階級が現れたことは、戦後の特徴です。しかし、中流といわれるライフスタイルは、1910年代から始まっています。都会ではサラリーマンが増え、日曜日にデパートに出かけることが流行し始めました。そうした生活を送る中間階級は、だんだんと広がっていきました。30年代には、後の高度成長を予想させる経済成長もみられます。しかし、『自分が中流だ』と考える人たちの割合は当時、はるかに小さかった。Q:戦前はどういう社会だったのですか。A:戦前の日本には、華族(貴族)がいて、財閥があり、農村には地主がいました。ヒエラルキーのある格差の大きい社会でした。ブルーカラーである職工の賃金は日給で、数日分のボーナスしかもらわない。会社員などのホワイトカラーは月給で、ボーナスも数カ月分。両者は工場の入り口さえも違いました。こういう差別は、戦後はなくなりました。いまでも役職などによるヒエラルキーはありますが、それは絶対的なものではありません。これは非常に大きな社会的変化です。 経済が成長した50年代から60年代、そして70年代初めにかけて、中流意識がどんどん強まっていきます。すべての人ということではありませんが、調査によっては、9割の人が『中流』と答えています。大多数の日本人が、自分は中流である、あるいは、中流になれると思っていた。現実の日本社会には、高度成長の時代だって、まだ貧富の差は大きかったのです。たとえば、大企業と中小零細企業では、倒産率が違う。都市と農村の間には、道路などの社会資本ではまだ大きな格差があった。それでも人々は、一生懸命働きさえすれば、中流の仲間入りができると信じました。Q:何がその中流意識を支えたのでしょう。A:ひとつには、教育における能力主義がうまく機能していると思われていたからでしょう。これは、60年代の統計ですが、国立大学入学者に占める最も貧しい所得層の学生の比率は、全人口に占めるこの最低所得層の比率とまったく変わらなかった。高等教育へのアクセスが、完全な平等に近い状況だったのです。公立学校の評価がまだ高かった時代です。どんな家庭の子にも道は開かれている。努力さえすれば、良い学校に入り、良い会社に就職ができると信じることができたのです。Q:そういう信仰は、もはやないですね。A:いい学校に行くには塾に行かせねばなりません。親が裕福な方が有利です。所得格差が教育格差につながっています。 ■ ■Q:中流社会は崩れてしまったのでしょうか。格差は広がるばかりですか。A:意識の上では、多くの日本人がそう感じています。しかし、実態は必ずしも極端に格差が広がっているわけではありません。日本でも貧困層は増えていますが、格差という点では、世界的に見れば小さい方です。日本で正規雇用されている労働者の数は、80年代に約3400万人ですが、この数字はいまもあまり変わりません。非正規の数は、その間に約600万人から約2千万人に増えました。その原因は、より多くの高齢者や女性が非正規で働くようになったこと、自営業と家族労働に従事していた人たちが雇用者として働き始めたことにあります。ですから、正規を直接犠牲にして非正規が増えているわけではありません。 格差の問題には、高齢化の要素もあります。高齢者は所得はありませんが、貯蓄などがあります。所得の分析だけでは、格差の実態を把握できないのです。Q:国際的にはどうなのですか。A:世界的に注目されているフランスの経済学者トマ・ピケティの『21世紀の資本論』という研究があります。これによると、20世紀初頭、欧米先進国も日本も、少数の富裕階級が多くの富を持つ格差の大きい社会でした。2度の世界大戦や大恐慌で資産が喪失したことで、格差が収縮しましたが、これは例外時期であり、80年代から再び格差が拡大しているというのです。ただし英米に比べると、独仏など欧州大陸の国と日本では、格差拡大の幅は大きくない。挑発的な議論ですが、私の研究を補強するところもありますし、グローバルな文脈で日本を考えることを可能にしてくれます。Q:さきほどの話では、高度成長期には、日本人の「中流」意識は実態よりも強かった。今度は、格差を実態より大きく感じているということですが、それはなぜですか。A:中国人や米国人よりも自分たちのほうが格差が小さいと知っても、なぐさめにはなりません。外国との比較ではなく、みんな自分の親の世代と比べます。雇用の安定という問題もあります。様々な要因があって、経済データと人々の意識が対応していない。なぜなのか。今後研究していきたいと考えています。 意識でいえば、日本経済の実態にしても、日本人の見方は悲観的すぎると思います。中国に国内総生産(GDP)では抜かれましたが、中国の人口は日本の10倍。1人当たりに直すと、日本の経済力の方がまだまだ、はるかに上です。他の先進国と比較しても、1人当たりの成長率は悪い数字ではありません。 ■ ■Q:しかし、実態がそうでも、意識の問題は大きいのでは。かつて戦後日本は「成功物語」として語られました。いまは、戦後は失敗だったという見方も出ています。A:日本人の多くが戦後を失敗だと認識しているとは思いません。たしかに、これまでうまくいっていた戦後システムが今日ではうまく機能していない、という感覚はあるでしょう。でも、現在の政治経済システムが機能していないのは、世界共通の問題です。 社会の中で楽観論が失われ、悲観主義がひろがるのは、憂慮すべきことです。予言の自己成就という言葉がありますが、そういう悲観は、若い人から挑戦する気概を失わせ、内向きにしてしまいます。また、成功した人々へのねたみから、そういう人々への反感を強めたり、あるいは外国人を攻撃する排外的な言動につながったりする危険があります。Q:どうしたらいいでしょうか。A:発想を変える必要があるでしょう。日本が直面しているのは、低成長の時代に、人口減少、少子高齢化、さらに環境へ配慮するという制約のもとで、どうやって社会を維持するのかという問いです。労働人口の減少に伴う生産力の低下をどう補うのか。原発のあり方も含めてエネルギー不足にどう対処するのか。低成長時代に生活様式をどう改めるのか。課題はたくさんあります。 強い経済成長が期待できないときに、政治と社会の安定を保つのは容易なことではありません。しかし、世界全体として高い成長は望めないのです。過去には、年率3%から5%の成長はふつうでした。しかし、これから、1%の成長率のもとで、どうやって、品位のある、よい社会を維持するかを考えねばなりません。日本だけの課題ではありません。リーマン・ショック以降に一層明確になりましたが、低成長も少子高齢化も環境の制約も、先進国のすべてが、そしてやがては新興国もみな直面する課題なのです。Q:日本はフロントランナーというわけですか。A:たまたま日本が最初にその壁にぶつかったわけです。しかし、この課題を克服できれば、新しい意味で日本はまたリーダーになれるのではないでしょうか。高齢者へのケア、資源の効率的利用、省エネ技術など、日本が、世界に先駆けて取り組んできた分野があります。その経験を活用して、新しいモデルを示してほしい。 これは、経済成長を終えた成熟社会の話です。日本にとって、『ポスト戦後(戦後の後)』をどう築くかという挑戦ではないでしょうか。 *Andrew Gordon:米ハーバード大学教授 1952年生まれ。著書に「日本の200年 徳川時代から現代まで」「ミシンと日本の近代 消費者の創出」など。 <取材を終えて> 米国の日本を見るまなざしは、時期によって揺れ動く。日本が経済大国へと躍進した70年代末から80年代にかけては、米国が見習うべきモデルとして「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とたたえられた。 21世紀になって中国が急速に台頭すると、こんどは「ジャパン・パッシング」(日本軽視)という言葉がよく使われるようになった。 そういう中で、ゴードン教授は労使関係を中心に、実証的な社会経済史の研究を積み重ねてきた。資料を探し、関係者にインタビューし、現場に足を運ぶ。日本は「戦後の後」のビジョンを切り開くべきだという提言も、そうした長年の観察に裏打ちされている。(聞き手・三浦俊章)ゴードン教授が我らが団塊世代過ごした約70年間の社会経済史を総括してくれているわけです。渦中にあれば気づかないことを、外から見ると、こうなるのか。しかし、これだけのスパンで俯瞰するなら、本多さんの以下総括も納得がいきますね。<政治体制にしても、戦前のドイツ型や日本型が破産したことはもとろんとして、戦後現在までにわかったことは、アメリカ合州国型の「民主主義」とソ連型の「社会主義」が、いずれも「自称民主主義」とか「自称社会主義」にすぎず、一言でいえばニセモノだったということでしょう。『貧困23集』本多勝一>世代間格差や教育格差が日本での悲観論を生んでいるけど、アベノミクスはこのあたりについては無策ですね。(戦後70年へ)ポスト1億総中流アンドルー・ゴードン2014.10.11
2014.10.12
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図書館で、川上未映子のエッセイ集『人生が用意するもの』を見つけたのだが・・・この本は、週刊新潮連載の「オモロマンティック・ボム!」というコラムから生まれたようです。このようなエッセイ集を発刊するのが出版業界のドル箱になっているようだが・・・この際、週刊誌連載コラムをあれこれ集めてみます。・オモロマンティック・ボム!:川上未映子、週刊新潮・週刊鳥頭ニュース:西原理恵子×佐藤優、週刊新潮・官々愕々:古賀茂明、週刊現代・さすらいの女王:中村うさぎ、週刊文春・風まかせ赤マント:追って記入(するかも)・福岡博士のエッセイ:追って記入(するかも)<オモロマンティック・ボム!>彼女は紫式部文学賞なるものを授賞しているそうだが・・・なるほど、長くつづる文体は紫式部のようでもある。でも、彼女の文体は、清少納言や吉田兼好のような随筆にこそ生きるのではないかと思うのです。避けがたい死とは生物の摂理であるが、そのあたりについて語っています。<すべてはあの謎にむかって>よりp212~214 先週、実家で暮らしていた犬が死んでしまった。 人間でいえば80歳の13年を生きたのだから大往生とはいえ、元気だったのに、突然ころんと寝転んで数時間後に息を引き取ったらしくて驚いた。上京してからは別々に暮らしたけれど、どこまでも仲の良い我々だった。生まれたばかりのころのまだ歩くこともできなかった足、毎日拭き取った緑色のうんちのことなど、全部がついさっきのことのように思いだせて、すごく悲しい。 しかし人間関係のことならいざ知らず、ペットの死、とりわけその悲しみについて書くのは剣呑だ。経験のある人は「わかるぜ」と深く肯いてくれるだろうけど、そうでない人にとっては比較的どうでもいい&残念だとは思うけどそんなに共感できない、そんな話であるわけで。 しかし人間の死と動物(特に犬)の死にそれぞれ接してみて、深い感謝とともにある種の後ろめたさがあってしまうのは後者なんだよね。それはやっぱり彼らのふるまいを人間の都合によって解釈しつつ、際限なくその献身を享受しつづけたことによるのかも。 冷静に振り返ってみれば我々は話しあいをしたこともないし、気持ちを確認したこともないし、いつだって成立していたのは人間の言葉を介した想像の当てはめなのだった。 あんなに通じあっていたのに、そういえば1回だってしゃべったことないんだったなあ、と思うと少し不思議な気持ちになる。人間にとって言葉は大きなものだけど、しかし人間だって死んだ後、思いだして苦しくなるのは手触りとか一緒に時間を過ごした感覚そのものだったりして、ああ世界は言葉とそれ以外のもので今日も順調に満ち満ちているのだった。 しかしそれが誰であれなんであれ、大事だと思うものに死なれてしまうのはやっぱりいやなことだと改めて思う。もう会えなくなる、触れなくなる、見えなくなるという実際的な悲しみの恐怖も大きいけれど、「生まれて、生きて、死んでいく」という、この避けがたくいつかすべての生き物を必ず捉えてしまうこのサイクルの訳のわからなさを何度でも思い知らされることもまた、恐怖のひとつだと思う。思えば人類の歴史を推進してきた巨大なエンジンのひとつは、この訳のわからなさに対しての抗いでできあがっている。宗教も科学も戦争も愛も哲学も、けっきょくは生を維持すること=死への恐怖、そしてその解明と克服とを原動力として日々育っている最中なのだ。 だからまあ、生きている者が死んだりすれば、そりゃ悲しくて怖くて、訳がわからないのは誰のせいでもなく、それはもう誰かと関わりあって生きているだけでどうしようもなく備わっている限界というか摂理みたいなものだから、悲しいあいだはずっと悲しんだっていいような気もするよ。無数にある悲しみのなかには、いつか忘れられるものもあるだろうし、どうしたって忘れられないものもあって、その濃淡だって日々変化していくものになるかもしれないし、ならないかもしれない。努力でどうにかなる生活上のこともあるけど、世界の初期設定&ルールは我々にはどうすることもできないことで、がちがちにできあがっていることに、改めて感嘆の溜め息つきつきだ。ウーム 哲学的な一文ですね。若いわりに悟りきっているのがなんともはや?というか・・・・ええでぇ♪<週刊鳥頭ニュース>このエッセイ集から『週間とりあたまニュース』という単行本が生まれたのだが・・・どちらが主客なのか?・・・サイバラの勝ちやで♪【週間とりあたまニュース】西原理恵子×佐藤優著、新潮社、2011年刊<「BOOK」データベースより>“知性”と“お笑い”で世相を斬る!向かうところ敵だらけ!「週刊新潮」の“無法地帯”がついに単行本化。 <大使寸評>美大中退のサイバラと佐藤優という取り合せの妙♪ 文章とマンガがあまり関係ないのもシュールでいいかも。Amazon週間とりあたまニュース<官々愕々>「語られる言葉の河へ」というブログから【古賀茂明】コラム記事を引用させてもらったのです。このブログをじっくり見てみると週刊現代に載った【古賀茂明】コラム記事のアーカイブがきちんと整理して保存してあるのです。手元不如意の年金生活者が週刊現代を毎週買うのは、きついと思っていたところなので・・・これはありがたい♪ということで、関心のある【原発】テーマから、ひとつ紹介します。8/27【古賀茂明】【原発】凍らない凍土壁に税金を投入し続けたわけより 2011年の事故直後、馬淵澄夫・総理補佐官(当時菅内閣)が遮水壁の設計をするよう東電に指示したのだが、これを東電が先送りすることを海江田万里・経産相(当時菅内閣)は認めてしまった。1,000億円の巨額費用負担公表が、東電の破綻につながることを心配したからだ。 破綻処理は、経産官僚にとって、絶対に許されない選択肢だった。 何故か。 原発事故直後に、松永和夫・経産事務次官は、三井住友銀行(東電のメインバンク)に対して緊急融資を求め、見返りに東電は破綻させないことを確約した、とされる。東電と銀行を丸ごと守り、経産省は東電ばかりか銀行にも恩を売って、天下り先の拡大を狙った。 これ以降、東電を破綻させないことが、経産省の事務方に課せられた至上命題となった。 2013年春以降、汚染水問題が再びクローズアップされた。 この時も、松永次官が作りだした制約があったため、専門家でもない経産官僚が一番安上がりで済む方法を検討し、凍土壁方式に決めた。 決めるにあたり、安いこと以外にもう一つ必要条件があった。それは、「できるかどうかわからない」ということだ。 鉄とコンクリートの壁だと誰でもできる。しかし、巨大な凍土壁は研究開発的要素が大きくてリスクが高く、東電にやらせるのは酷だ。だから、国の研究開発事業としてやる、という理屈をつけた。それで税金投入が可能になった。 (中略) 基本的に、この時の構造が今も続いている。 海側の工事でうまく地面全体が凍らず、諦めるしかない状況になったが、今さら止められないので氷やドライアイスを大量に投入する・・・・という漫画的泥縄になった。 それでもダメなので、凍らない部分にコンクリートなどを注入して壁を作る、と言い出した。 最初からコンクリートでやればよかったのだ。 泡と消えた費用は数百億円にもなる。 実は、日本で最も有力な専門家たちが、茂木敏充・経産相などに、新たな廃炉方式として「空冷式」の廃炉をずっと前に提言している。 経産省は、新たな廃炉方式を検討する、と言いながら、その事業への補助金はたったの5,000万円。これでは世界の有力企業は見向きもしない。真剣に考えるふりをするだけだ(アリバイ事業)。□古賀茂明「凍らない凍土壁 ~官々愕々第121回~」(「週刊現代」2014年9月6日号)<さすらいの女王>出張の楽しみといえば、車中で読む週刊誌がある。私の場合、週刊文春を買い求め、とりあえず・・・中村うさぎの「さすらいの女王」あたりを読み始めることになる。今回の「さすらいの女王」433回が面白かったので一部を紹介します。世の中には、「自分は他人から無条件に愛される資格がない」と思い込んでいる人間がいて、女王様も、そのひとりだ。だから、ついつい男に金品を貢いでしまう。金を払わなければ、愛してもらえないと考えてしまうのである。 我ながら卑屈だと思うけど、どうしようもないのよ。金を払わなきゃ、罪悪感に責め立てられて、いても立ってもいられないの。で、金を払えば罪悪感が治まって心が安定するのかというと、これがまた、そうではない。今度は金なんかで愛を買おうとした自分に怒りと情けなさが募り、またもや落ち込んでしまうのであった。 金を払っても地獄、金を払わなくても地獄。どちらも地獄なら、払わないほうがマシじゃん、とも思うのだけど、どうも女王様にとっては、「愛されない地獄」のほうが「金を払って自己嫌悪地獄」より耐えられないらしく、ついつい歯軋りしながら金を払ってしまうのだった。うーん、業が深いというかバカというか、何とかならんのかね、これ。 他の人のことはよく知らないけど、女王様にとって、人生はいつも「どちらの地獄を選ぶか?」の選択だったような気がする。この文章のジャンルは何だろう?エッセイでもないし・・・雑文とでもいうのかな?とにかく、思わず吹き出すこの語り口には毎回感心するんですよ。それで、日記に書き写して“うさぎ文体”を会得できないかと思った次第なんです。
2014.10.11
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お天気よ~し♪4日に竹中大工道具館(新館)がオープンしたようだから、8日に満を持して新神戸駅に向かったのです。事前に見た以下の新聞スクラップも持って出かけるという、入れ込み具合でおました♪今と昔の匠の技が集合 竹中大工道具館オープン 国内唯一の大工道具の博物館「竹中大工道具館」(神戸市中央区熊内町)が4日、オープンした。奈良・唐招提寺の一部を実物大の模型で再現。江戸時代の大工道具などの展示に加えて、道具館自体にも現代の匠の技がちりばめられている。 県庁近くにあった道具館の旧館が手狭になったため、竹中工務店の竹中統一会長の自宅跡地に移転、新築された。新聞情報では駅前に出来たとあるが見あたらない・・・・・・かなり探し回ったあげく、交番で場所を教えてもらいました。入口の門から和風建物と庭園の全景が見えるが、地上1階立て(地下2階)で威圧感のないモダンな数奇屋風である。このあたりに建築会社としての力の入り方がうかがえるが・・・これはかなり期待できそうです。観る角度を選べば、六甲山を借景にして緑の中に道具館が見えるわけで、都会の中の静謐なオアシスという趣きもあるのです。館内の展示は充実していて、門外漢のような大使にとってもじゅうぶん面白いが・・・展示のコンセプトは、伝統や匠の技を誇り高く保存することにあるわけで、なかなかのもんやと思った次第です。事実、この建物は関西いちえんのトップ級の職人たちによって作られているそうです。館内展示の一部です。木挽き茶室の木組みドイツの道具レースのように見えるのが鉋クズです。神業の領域でんな♪鉋クズ大工や建築プロの訪問にも耐えられる内容かと思うが・・・これだけの内容があれば、常設展だけでもリピート訪問をもよおす大使でおます。なによりも、入館料がシルバーで200円というのが、ありがたいでぇ♪「日中韓 棟梁の技と心」という企画展が11/1~12/28に予定されているので、また来ようと思います。竹中大工道具館HPにアクセス、展示詳細などが見られます。なお、元町にあった旧館については、竹中大工道具館(旧館)でレポートしています。
2014.10.10
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図書館で『すっきり書ける文章のコツ80』という本を借りて読んでいるのです。日々ブログを書いているわりに、書く文章がすっきりしなくて、ストレスを感じていたので・・・この本を読むとなるほどと、納得することしきりでおました♪【すっきり書ける文章のコツ80】高橋俊一著、成美堂出版、2013年刊<「BOOK」データベース>より修飾語は長いものから先に書く。積極的に改行する。主語と述語を近づける。読点「、」で誤解を防ぐ。「い」抜きと「ら」抜きに注意。関連の強いものをまとめる。主役を早く出す。ときには文を短く削る…書いて伝えるための厳選ノウハウ集。【目次】1 正しい文章を書くコツー主語と述語でキホンを押さえる/2 わかりやすい文章にするコツー修飾語と句読点をうまく使う/3 文章をもっと輝かせるコツーいかにやさしく伝えるか/4 スラスラ読ませるコツー読み手をひきつけるには/5 作品に仕上げるコツー書き出しから仕上げまで<読む前の大使寸評>大使には小説作家になるという、密かで、無茶な野望があるわけです。とにかく、文章の訓練が必要なので・・・この本など読んでコツをつかみたいわけでおます。rakutenすっきり書ける文章のコツ80還暦すぎての手習いなった感があるのですが・・・気になった勘所をメモしておきます。<最強の6ヶ条>よりp4~51.文は短くできるだけ短く、歯切れよく言い切ろう 文は短いほど、わかりやすい。正確に書けるし、読み手にとっても理解しやすい。長文はダラダラした印象を与え、間違いのもとになる。2.一点に集中して一つの文には一つのことだけでいい アレもコレもと多数の事柄を一つの文に入れない。読み手が迷って、意味が伝わりにくくなる。欲張らずに焦点をしぼる。長くなるときは、文をいくつかに分けよう。3.誰が読んでも同じ意味に一つの解釈しかできない文にしよう 「5と3の2倍はいくつ?」の答えは複数ある。解釈が食い違っては誤解のもと。誰にも一つの解釈になるようにテン「、」を活用する。 「5と3の、2倍はいくつ?」 「5と、3の2倍はいくつ?」4.同じ言葉、同じ内容は不要ダブリは言い換えて解消しよう 同じこと、似たことを繰り返して書かない。くどいし、無駄。別の言葉に言い換えるか、ほかの内容をいれる。ダブリが続くと、忙しい相手は読んでくれなくなる。5.句読点をしっかり打つテンとマルを意識して的確に 文の区切りをしっかり意識して「、」「。」を打つ。パソコン書きでは、忘れがちになるので要注意。手書きの場合は、はっきり目立つように。的確な句読点はそれだけで好感度は上がる。6.積極的に改行する数行以内に行をかえよう 内容の変わり目で改行する。たとえ1行でもやる。同じ内容でも、長くなったら10行以内の、区切りのよいところで行を改める。段落が長すぎると、ウンザリされる。<コツ11:文を短く区切る>よりp32~33<ポイント>・一つ一つの文をできるだけ短くするのがベスト。・長くなったら、句点「。」を打ってすっきりと仕分けする。 文は、短いに越したことはありません。文が長いと、くどくなって誤りのもとです。たとえ文法的に正しくても、読み手にウンザリされてしまいます。 「短ければよいとはかぎらない」という意見もありますが、理屈偏重の誤った考え方です。<コツ16:修飾語は長いものから先に書く>よりp44~45<ポイント>・修飾語が二つ以上あるときは長いものや、主語述語を持ったもの(修飾節)を原則として先に書く。・どうしても重点を置きたい修飾語がある場合は、例外的にそちらを先にしてもよい。<類例>×:的確にあやしい資料にとらわれずに論文をまとめる。〇:あやしい資料にとらわれずに的確に論文をまとめる。<コツ35:漢字とひらがなを使いわける>よりp84~85<ポイント>・「言う」「いう」、「物」「もの」、「事」「こと」、「所」「ところ」などは、漢字とひらがなの表現に区別がある。・なんでも漢字にせずに、漢字本来の意味から離れたケースは、ひらがなで書く。 漢字は具体的な内容をともなう場合に、ひらがなは形式名詞といって漠然とした抽象的な概念や考えを示す場合に多く使われます。<コツ64:体言止めを活用する>よりp144~145<ポイント>・体言止めを的確に使えば、歯切れがよくなり、文を短くできる。・使いすぎると粗雑になり、文のつながりをむしろ悪くする。・歯切れより情報提示が優先される場合もあり、文章の種類によって使い分ける。 体言止めを3回以上続けて使うな、と言う人もいます。文章は一つ一つ多彩なものですから、算数の公式みたいに回数のワクをはめるのはおかしいですが、繰り返しても雑にならないかを見極める必要があります。歯切れのよさと文のつながり、両者のバランスが問題です。 連続的に使っても違和感なく読めますし、情報は読み手に正確に伝わります。不正確と決めつけるのは、文章の機微を知らない人や、形式ばかりにこだわる人の意見です。<コツ71:三段構成で書く>よりp160~161<ポイント>・「序論→本論→結論」より、「結論→理由→背景・事例」がわかりやすい。・序論が必要な論文か、結論重視の一般的散文か、文章の種類や内容に応じて選ぶ。 「序論→本論→結論と分けて書くように」と長く言われてきました。論理の展開を重視した論文に多い切り方ですが、マンネリ化し、近ごろは論文もこれにおさまらなくなりつつあります。 一般の散文やエッセイあるいはビジネス文書では、結論を先に書くほうがわかりやすく、忙しい読み手を助けます。すっきり書ける文章のコツ80byドングリ
2014.10.09
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在職中には、よく韓国や台湾に出張した大使であるが・・・彼の地の漢字事情が面白いのです。まず、韓国の街中ではハングルの海に圧倒されるわけで・・・漢字が無いので、日本人は文盲状態に放りこまれたような有様となり、かなり焦るが、これはこれで異文化体験としては面白いのです。その点、台湾の街中では繁体字の看板だらけなので、日本人ならだいたい意味がわかるのです。最近では日本の仮名まで見られるようになったので・・・一見の街でも、地図を持たずになんとか散歩ができるのです。刺青屋の看板が凄いところで、彼の地で試みた筆談が面白いのです。台湾での商談は英語になるのだが、お互い英単語が出てこないときには、筆談に及ぶわけです。台湾の繁体字、日本の新字体という差異はあるにしても・・・筆談は成立するのです♪だけど、韓国では若者、壮年ともに漢字が読めないわけで、筆談は成立しません。聞くところによると、韓国の若者や壮年が書ける漢字は自分の名前だけという実態だそうです。韓国人の相手に、名前を漢字で書いてあげると、それだけで、相手の顔に尊敬の念が広がるわけで・・・日本人としては漢字教育のありがたさを実感するわけです♪このように、韓国や台湾での思い出は、漢字にまつわる話が多いのだが、まさに漢字文化圏の醍醐味というところではないでしょうか。wikipedia漢字より・簡体字:1950年代に中華人民共和国で制定された、従来の漢字を簡略化した字体体系である。中国大陸のほか、シンガポールなどでも採用されている。・繁体字:現在では主に中華民国統治下の台湾のほか、中華人民共和国の特別行政区である香港・マカオで使用され、中華圏外の華人コミュニティーでも見られる。日本でいう「旧字体」に近いが同じではない。・新字体:日本において、1923年の『常用漢字表』に示された略字制定以降、1946年告示された『当用漢字表』を経て現在まで使用されている漢字の字体である。ところで、韓国での言語事情につては『ハングルの愉快な迷宮』という本が面白いが・・・言語絡みの本で、これほどディープで、異文化ギャップが感じられるのは、この本が筆頭ではないかと思うわけです。【ハングルの愉快な迷宮】戸田郁子著、講談社、2009年刊<「BOOK」データベースより>韓国語学習歴30年、韓国人写真家と結婚、大家族の韓国家庭に揉まれて18年。「韓国生まれの韓国人」だと間違われるほどの実力の持ち主である著者をもってしても、いまだにちょっとした言い回しに驚くことがしばしば。見知らぬ子どもに「イモ」と呼ばれたり、雨の日はなぜかチヂミを食べたり。日々の不思議をくぐり抜けて韓国語を磨いた過程を、ユーモアと愛情たっぷりに描いたエッセイ集。 <読む前の大使寸評>著者の戸田郁子さんが、韓国人と結婚し、彼の地で暮らしているのでディープな話題に事欠かないのでしょうけど。韓国語の完璧な発音は日本人には無理だと言われているようです。Amazonハングルの愉快な迷宮戸田郁子さんについては、ミラーサイトの日中韓の架け橋のような家族で紹介したところです。
2014.10.08
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図書館で『漢字文化を考える』を借りて読んでいるのだが・・・漢字文化圏という大使のツボにはまっているのはもちろんで、漢字混用文の素晴らしさを実感するわけです。・・・そんなナショナリズムをくすぐる辺りを紹介します。<仮名から漢字交じりへ:山本七平>よりp32~34 庶民文書に漢字交じりが増えてくるのは、実は徳川時代に入ってからです。だんだんみんな漢字が使えるようになってきた。そうすると、一定の漢字を混ぜた方が読みやすい。これは事実なんです。 文字というのは、アルファベットがよくて、象形文字が悪いと簡単に言えるものではなくて、それは言葉と非常に密接に関連がありますが、日本語の場合は、どの程度漢字を混用したら一番読みいいかという問題はひとまず置きまして、全く漢字の入っていない仮名を読むというのは、分かち書きとか何とかいろいろ苦労はするのですが、そういう苦労をしても、実際は読みづらいということはいかんともしがたい。 ですから、読みづらさをなくすためにだんだん漢字を入れてきた。これが幕末になるとどんどん漢字が増えてまいります。仮名がほとんどを占めておりますけれども、漢字が増えてくる。もっとも、幕末でも仮名ばかりの手紙というのは今でも残っております。特に女性に宛てた手紙は仮名にするのが当たり前だったらしくて、これがよく女手と言われる理由ですが、決して女性だけが仮名を使って男性が漢文を使っていたあわけではないのです。その証拠に、信長も秀吉も全部仮名だけです。 しかし、だんだん漢字を混ぜてきても、しばしばラブレターなどは仮名だけであります。ラブレターというのは漢字がごつごつしてはいけないのだろうと思いますけれども、幕末、明治になるすれすれの手紙ですと、パリにいる渋沢栄一が千代夫人に送った手紙が今残っておりますけれども、こういうのも全部仮名であります。信長と同じように句読点濁点なしですから、今になると相当読みづらい。しかし、普通の手紙ですとだんだん漢字交じりになってまいります。 ですから、日本語というのを表記する場合、何が一番便利かと申しますと、漢字仮名の混用文が便利なので、次第にその方にまた変わっていった。一度仮名文字になりながら、庶民はまた漢字混用に戻っていったのであって、決して漢字からどんどん表音文字だけになっていったという歴史を経ていないのです。 これが日本の文字体系の特徴ですが、明治になってアルファベットに接したときに、私の子供のころなどもよく言われましたが、ヨーロッパ人というのはアルファベット26文字を覚えればそれでいい、しかし我々は片仮名を覚え、平仮名を覚え、そしてまた漢字を覚えなければならない、これだけの負担があるから、その負担をアルファベットにして軽くして、そして今度はほかの学問をした方がよっぽど進歩するという説は、実は私の子供のころにもありましたし、終戦後も非常に盛んだったのであります。 ところが、必ずしもそうは言えないのではないか。確かに三つ覚える。同時に漢字も覚えなければならない。とは言っても今は二千まで覚える必用はないのですが、一応覚えなければならない。これは負担と言うと負担に感ずるのであります。しかし、文字には二つの機能があります。書くときにはアルファベットの方が速いかもしれない。しかし読むときはどちらが速いかという問題です。 実は読むときには、漢字仮名の混用文が一番速いのです。しかも日本語の場合、右の方から縦に書いてあるのが一番速く読めるのです。現代中国の簡体字を見ると、なんかギョッとする日本人である。そして、ここまで漢字を簡略化していいものか?とも思うのである。仮名が無い中国では、漢字の簡略化は切実な問題なんだろうけど・・・ここで、漢字簡略化に批判的なくだりを、紹介します。<漢字簡略化のツケ:中嶋嶺雄>よりp284~286 ここまで漢字簡略化をしても識字率が向上しなかったところに、むしろ非常に大きな問題があるわけです。もちろん、先ほどハングルのことについて言いましたように、漢字を用いることによって、東アジア地域のコミュニケーションは非常によくなるという利点もありますし、漢字というものは簡略化すれば皆覚えるのではなくて、むしろきちんとした難しい文字を漢和辞典を引きながら覚えることによって、漢字というものが生活の中により活きてくるのです。このことを、中国の指導者は忘れてしまった。 もう一つここに大きな問題があると思います。漢字による教育は、儒教文化という問題もありますけれども、単にそれだけではなくて、漢字を一つ一つ覚えていくということの中に、人間の能力開発、特に勤勉さの習得にいかに役立つかということだと思うのです。幸いにして、我が国はかなりその点で一生懸命やっていますから、日本人は勤勉である。ある意味では、これも中国では非常に深刻な問題ですけれども、今の中国人たちはあまり働きません。 その勤勉さがなくなってしまったことの一つの背景に、漢字もしくは漢字教育をおろそかにしたという問題があると思うのです。 ところが、中国周辺の東アジアのNIESとか、NICSと言われる台湾にしても、韓国にしても、皆非常に勤勉です。この勤勉さというものを、実は欧米の人たちが非常に注目しているのです。 ある意味では、欧米文化にない勤勉さというものが漢字文化圏の中から出てきているのではないか。私たちは、自分たちが漢字文化圏の中に育っているために、いつも吸っている空気をありがたいと思わないのと同じように、忘れているわけですけれども、もう一遍この辺を考えてみる必要があるのではないでしょうか。 例えばアメリカでも、実はアルファベットの綴れない人が増えてきているという問題に悩んでいます。そういうところに、私もしばしば身を置くことがあるのですが、そういう経験からしますと、東アジアの漢字文化圏がこの点で飛び抜けているのではないかという気がいたします。 同時に、この勤勉さは、私は民度などという言葉を使うのはあまり好きではありませんけれども、この地域がある意味では知識集約型社会で、知識水準が非常に高いことと無関係ではないと思うのです。 皆さんにこの5月の夕べの一時、私のお話を聞いていただけるのは大変ありがたいことだと思いますけれども、日本ではこういう講演会やシンポジウムが、あるいは研修会や学集会がよくあちこちで行われています。これは、欧米の社会と比べて非常に日本的な、あるいはアジア的な最近の特徴でして、台湾でも韓国でもこういう試みに非常に大勢の人が集まってくるのですが、そうした活動が知識水準を高いレベルで支えているわけで、その知識水準の高さというものは勤勉さによって支えられて初めて本物になるのではないか。 これは、私どもよりもエズラ・ヴォーゲルさんやドナルド・ドーアさんのような日本でも著名な外国の学者が強調する意見です。 なるほど、漢字を含めた識字率がほぼ100%の日本が世界的に見て異端であり、識字率拡大に奔走中の中国やアメリカのほうが一般的なのかも。 現代の漢字は大別すると、本家の簡体字、台湾や華人コミュニティーの繁体字、日本の新字体の3種類になったけど・・・もしかして筆談が可能なのは、日台のみになったのではないか?パソコンによる作文が一般化した今では、漢字簡略化の効用は格段に無意味になったけど・・・中国が旧来の繁体字に戻してくれたら、漢字文化圏にとって、どれだけありがたいことか。wikipedia漢字より・簡体字:1950年代に中華人民共和国で制定された、従来の漢字を簡略化した字体体系である。中国大陸のほか、シンガポールなどでも採用されている。・繁体字:現在では主に中華民国統治下の台湾のほか、中華人民共和国の特別行政区である香港・マカオで使用され、中華圏外の華人コミュニティーでも見られる。日本でいう「旧字体」に近いが同じではない。・新字体:日本において、1923年の『常用漢字表』に示された略字制定以降、1946年告示された『当用漢字表』を経て現在まで使用されている漢字の字体である。【漢字文化を考える】中西進×山本七平著、大修館書店、1991年刊<「BOOK」データベース>より漢字文化は漢字文化以外の何物でもない。その実体は何か。<読む前の大使寸評>ページをめくって、ざっと斜め読みしたところ・・・わりと中国嫌いのスタンスが貫かれていて、ええでぇ♪Amazon漢字文化を考える
2014.10.07
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日曜日の朝日新聞に読書欄があるので、ときどき切り取ってスクラップで残していたのだが、これを一歩進めて、無料デジタル版のデータで残すことにしたのです。・・・・で、今回のお奨めです。・庭師とあるく京の隠れ庭・満蒙―日露中の「最前線」***************************************************************庭師とあるく京の隠れ庭より<原田マハ(作家)> 京都が好きだ。好きで好きで、なんとか出かけていく口実を作りたくて、京都が舞台の小説を書いた。その後、本格的にのめり込んで、京都で習い事を始めた。いまでは月に一度、通っている。グルメや展覧会や寺院巡りなどなど、京都では楽しい体験がたくさん待ち受けているのだが、中でも楽しみなのは庭を眺めにいくことだ。 京都の古い建造物が魅力的なのは、庭があってこそだ。京都における造園・作庭の歴史は平安時代に遡る。明治期には7代目小川治兵衛という稀代の庭師が京都の景観を作ってきた。以後も、数々の名庭師が、京都という壮大な舞台の隅々で美しく息づく庭を作り続けてきた。王侯貴族が愛でた庭、寺院の庭、町家の庭。そぞろ歩けばいきあたる庭の数々に、いつも心が洗われる。 本書は、京都在住で、自身も数々の造園を手掛けている庭師、小埜雅章に案内してもらい、京都にある知られざる名園の数々を訪ねるという好企画が結実した一冊である。 京都といえば竜安寺や銀閣寺など、誰もが知る古刹の名園も多いが、実は個人の邸宅や料亭など、小規模な庭にもすぐれたものが多いことを、本書によって知らされる。 路地沿いにぐるりと張り巡らされた黒塀の向こう側に、ひそやかな小宇宙のごとき庭が横たわっている事実は、塀の外側からではなかなか知ることができない。木戸をくぐり、ひんやりした暗い廊下を通って、やがて現れる庭。京都の庭は、客人の目を楽しませ、もてなすようにできているのだ。 この一冊を携えて、庭に対峙するために、やっぱり京都へ行きたい。そんな願望が胸に募りくる。 ◇小埜雅章著、平凡社、2014年刊<「BOOK」データベース>より“樂家”の3つの茶室につらなる端正な露地庭。“瓢亭”では庭内を小川が楚々と流れ、京町家“冨田屋”の奥には壷庭が6つもー。他にちおん舎、無名舎、町宿・枩邑、二條陣屋、松本酒造など、庭師が選ぶとっておきの16軒、誌上にて一挙公開。<読む前の大使寸評>京町家とか壷庭、和庭園なんかがこのところの大使のツボなので・・・庭師が選ぶとっておきの16軒が気になるのです。<図書館予約:未>rakuten庭師とあるく京の隠れ庭満蒙―日露中の「最前線」より<鉄道利権めぐる三カ国の関係史:吉岡桂子(本社編集委員) > 東へと膨張したロシアが敷いたシベリア鉄道につながる中東鉄道。その一部を日本が日露戦争の戦果として獲得した南満州鉄道(満鉄)。「満蒙」と呼ばれた中国の東北地方と内モンゴルを走る鉄道の利権をめぐって、日本、ロシア、中国は20世紀前半、軍事、外交で激しくぶつかりあった。 本書は鉄道を領域支配の道具としてとらえ、その動きをロシアと東アジアの「国際政治絵巻」に仕立てた。小村寿太郎とウィッテから昭和天皇、蒋介石とスターリンまで、各章ごとに複数の人物を主役に選び、物語を際だたせる。地図を手元に読むと、車窓から歴史を眺めるようだ。 モスクワからウラジオストクまで7つの文書館に眠るロシア側の史料がいきる。たとえば、伊藤博文・元首相がハルビン駅で朝鮮独立運動家に暗殺された事件も、ロシアからの視点が厚めに語られる。日本が満蒙を「生命線」としていた時代を、角度を変えて考えるヒントがあった。 ◇麻田雅文著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より20世紀前半、日本、ロシア、中国のそれぞれの「辺境」地域は、なぜ「生命線」となったのか。義和団戦争から満鉄解体まで、満蒙でくりかえされる軍事衝突には、「鉄道」をめぐる利権が絡んでいた。ロシアが「北満洲」に設立した中東鉄道とライバル会社満鉄との権益競争、ロシア革命後の「革命派」と「反革命派」の内戦、張作霖など軍閥とスターリンの対決…。鉄道をめぐるドラマを辿り、新しい国際政治史を描く。<読む前の大使寸評>吉岡桂子委員の推す歴史書とあれば、いい本だと思います。ちょっと無責任な寸評かもしれないが、それだけ吉岡委員を信頼しているわけです。<図書館予約:未>rakuten満蒙―日露中の「最前線」**************************************************************<asahi.comのインデックス>最新の書評を読むベストセラー解読売れてる本朝日デジタルの書評から49
2014.10.06
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<日本語文章がわかる>『日本語文章がわかる』という本を図書館で借りて読んでいるのだが・・・巻頭には、あの高名な加藤秀俊さんが「ひとはなぜ書くのか」という、やや哲学的な一文を述べています。そのなかの一部を紹介します。<読まれるために書くのではない>よりp6~7 およそ人間にとって「書く」ということは、ちょうど生理が呼吸しているのとおなじような精神の代謝であって、それはみずからを「表現」する手段のひとつであるにすぎない。 歌の好きな人は歌う。絵の好きな人は絵を描く。踊りたい人は踊る。太鼓たたきの好きな人は太鼓をたたく。それとならんで、「書く」ことが好きな人もいる。べつだん、たいそうなことではないのである。 そんなに簡単きわまる行為なのに、「書く」ことが特別のことのように思われるようになったのは、これまで述べたことからあきらかなように、書いたものは他人によって「読まれる」ものだという根拠なき錯覚が、いつのまにやら定着してしまったからであろう。 風呂のなかで好きな歌を口にする人間は、べつだん「聴衆」を想定してはいない。現代社会に即していえば、カラオケのマイクをにぎっている人物は、歌いたいから歌っているだけのこと。落語の「寝床」にでてくる旦那のように、じぶんひとりが夢中になって唸っていれば、それで幸福なのである。ヘタの横好きにおつきあいさせられるのは、たまったものではないが、べつだん聴くことを強制されないなら。ご自由なのである。 じっさい、いまの日本の俳句人口は二千万とも三千万ともいうが、その大部分の作品は本人は満足していても、べつにどうということのない駄句である。だが、読者はじぶんひとりか、せいぜい家族、同人の範囲だから人畜無害。カラオケとその性質からしてかわるところがない。そして、このような「読者なき創作」こそが、人間としての至福の経験なのではあるまいか、とわたしは思っている。 「書く」ものが日記であろうと、詩であろうと、はたまた研究論文であろうと、書いている本人がたのしければそれでよい。なんだ・・・これでいいのか♪偉い先生のお言葉だと構えて読んだのだが、どっと肩の力が抜ける思いがします。高橋源一郎が創作のヒントを語っているので、その一部を紹介します<「文章」に反対する>よりp56~58■ぼくは本当に「文章」を書いているのか? ぼくが職業的に文章を書くようになって20年ぐらいになる。けれども、こうやって、文章を綴りながらも、ぼくは自分がほんとうに文章を書いているような気がしないのである。そのことをうまく説明できるかどうか、ぼくにはよくわからない。けれども、なんとか、やってみることにしよう。 人は何かを考え、そのなにかを表現するために言葉を用いる、というのは嘘だ。人は、虚空でものを考えることはできない。言葉がなければ、考えることすらできない。人はただ言葉を用いることによってのみ、ものを考えることができる。あるいは、言葉を用いることは、ものを考えることと等しい、といってもいい。 では、目の前におかれた本の中で、誰かが書いている「文章」ではどんなことが起こっているだろう。あるいは、どんなことが起こっているように見えるだろう。 そこでは、やはり、なにかを考えたり、表現したり、といったことが、いままさに起こっているように見える。そこで、人は、なにかを思索したり、なにかの意図をもって、架空の人物に、何かを話させてたりしている。まさに、そのことによって、その作者は、彼が書く文章の、あるいは、彼の使う言葉の支配者になっているように見える。 しかし、それは本当だろうか。■誰かになりすました「ぼく」 ぼくがそのことに、はじめて疑問をもったのは、20歳頃、文体模写に励んでいた時のことだった。 もちろん、はじめからぼくに「文体模写」という意識があったわけではない。ぼくは、当時流行っていた、さまざまな作家たち、詩人たちの声を口真似する鸚鵡に過ぎなかった。しかし、ぼくは、それが口真似であることに気づかず、まるで自分が、彼らと同じような声を持ったと錯覚して、愚かな歌を歌い続けていたのだった。 たとえば、吉本隆明が書くような評論を書くと、彼のように、世界を呪詛する言葉が、すらすらと生まれた。長田弘や堀川正美が書くような詩(のようなもの)を書くと、まだ経験したこともない、どこかにいる少女への愛の言葉が自然に紡ぎだせた。北川透が書きはじめていたような硬質で戦闘的な詩論を書くと、詩と政治の間のことが、するすると綺麗に解けるような気がした。埴谷雄高が遥か昔から書き続けていた、謎めいた政治評論に似たものを書くと、マルクス主義が死滅した後の景色がはっきり見えるような気がした。 よく考えてみれば、それらの、ぼくが書いていたさまざまな「」の間に、内的な、そして強固な繋がりはなく、それぞれがばらばらに、まるで、分裂した人格が書いたものであるかの如くに存在していた。 「分裂した人格」 それは、当時のぼくを表現するのにもっとも適した言葉だったろう。ぼくは、ただ「文章」を模倣したのではなかった。その作家や詩人の口真似をすることによって、その作家や詩人に似た考えを持ち、似た感受性を持ったような気がした。つまりぼくは、彼らになりすましたのである。(中略) それが頂点に達したのは、吉田健一に出会ったときのことだった。 ぼくは、彼の「文章」に強くうたれ、また、以前と同じように、彼の口真似をはじめた。以前とちがったのは、しばらくの間、他の誰の口真似もしなかったことだ。ぼくは毎日、吉田健一が書くような「文章」を書いて暮らした。吉田健一のように感じ、吉田健一が書くであろう対象について書いた。そして、ある日、突然、ぼくは夢から覚めた。いや、悪夢から覚めたような気がした。 手元に膨大なノートが残っていた。そこには、吉田健一風の「文章」で書かれた、長大な思索の跡があった。しかし、それは本当の思索ではなかった。ぼくは、ただ考えたような気がしただけだった。ぼくはなにも考えてはいなかった。自分の書く「文章」に酔いしれながら、考えているふりをしていただけだった。【日本語文章がわかる】ムック、朝日新聞社、2002年刊<「MARC」データベース>より「ことば」という絵の具を使って、一枚の絵を書こう。街角で、台所で、学校で、仕事場で、旅先で、人生で…。日本語文章は風景だ。文章の達人たちが、小説やエッセイの書き方、創作のヒント、作文の極意などを伝授する。<読む前の大使寸評>当代の人気エッセイストは誰か?・・・それは週刊誌のコラムを連載している人である。そういう見方で、このムック本に出てくる人を見てみると・・・2002年刊行とやや古いせいか、知らない人ばっかりです。とりあえず、高橋源一郎、南伸坊など知っている人から読むことにしよう。Amazon日本語文章がわかる
2014.10.05
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昨今の本屋では、嫌韓本コーナーや嫌中本コーナーができているほどであるが・・・この種の本にダボハゼのように食いつかないよう自制している大使である。本屋で『ヤバイ!韓国経済』というムック本をめくっていたが、韓国経済には一家言を持つ大使としても・・・2014年1月第一刷なので最新情報でないにしろ、韓国経済の基本は押さえているとわかるわけです。・・・というわけで、つい買ってしまったのです。【ヤバイ!韓国経済】ムック、宝島社、2014年刊<カスタマーレビュー>よりしかしながら、この本のよいところは、一々あちこちのサイトを渡り歩き、過去ログをチェックするまでもなく、この一冊で、韓国の現状についての概要を知ることができるという点ですね。ちょっとした手引書代わりにもなりますし、なによりも今更ながら、韓国の闇に無知な純朴な日本人に現状を知ってもらう為にも、この本は大いに役立つものと思います。<大使寸評>一見、嫌韓本のように見えるけど・・・韓国出張に明け暮れた大使から見ても、韓国経済を過不足なく言い当てていると思うのです。2014年1月第一刷なので最新情報でないにしろ、韓国経済の基本は押さえているようです。Amazonヤバイ!韓国経済この本も蔵書録の韓国関連の本に収めておきます。これを見ると、隣国に対する、歴史、経済、文化など少なからない関心が見て取れるのだが・・・嫌韓に振れる様も見て取れるわけです。
2014.10.05
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「日本語」でしょうか。<市立図書館>・ニッポンの小説・漢字文化を考える・すっきり書ける文章のコツ80 <大学図書館>・日本語文章がわかる・小堀遠州 綺麗さびの極み図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【ニッポンの小説】高橋源一郎著、文藝春秋、2007年刊<商品の説明>より小説家として数々の文学賞を受賞し、さらに文芸評論も手がけ、そのものズバリ『文学がこんなにわかっていいかしら?』という著書もある高橋源一郎。本書ではその変幻自在な語り口と巧妙な仕掛けの数々とで、現代日本の言葉・文学・小説の可能性を喝破してくれる。<読む前の大使寸評>高橋源一郎が、その独特な語り口で文学を語っているようです。そもそも高橋源一郎を表わす肩書きとは何になるのか?・・・朝日新聞で、毎月「論壇時評」を書いているくらいだから評論家なのかな?Wikipediaをのぞいてみると、小説家、文学者、文芸評論家、大学教授と併記しています。なるほど多芸なので、併記するしかないようです。rakutenニッポンの小説【漢字文化を考える】中西進×山本七平著、大修館書店、1991年刊<「BOOK」データベース>より漢字文化は漢字文化以外の何物でもない。その実体は何か。<読む前の大使寸評>ページをめくって、ざっと斜め読みしたところ・・・わりと中国嫌いのスタンスが貫かれていて、ええでぇ♪Amazon漢字文化を考える漢字文化を考えるbyドングリ【すっきり書ける文章のコツ80】高橋俊一著、成美堂出版、2013年刊<「BOOK」データベース>より修飾語は長いものから先に書く。積極的に改行する。主語と述語を近づける。読点「、」で誤解を防ぐ。「い」抜きと「ら」抜きに注意。関連の強いものをまとめる。主役を早く出す。ときには文を短く削る…書いて伝えるための厳選ノウハウ集。【目次】1 正しい文章を書くコツー主語と述語でキホンを押さえる/2 わかりやすい文章にするコツー修飾語と句読点をうまく使う/3 文章をもっと輝かせるコツーいかにやさしく伝えるか/4 スラスラ読ませるコツー読み手をひきつけるには/5 作品に仕上げるコツー書き出しから仕上げまで<読む前の大使寸評>大使には小説作家になるという、密かで、無茶な野望があるわけです。とにかく、文章の訓練が必要なので・・・この本など読んでコツをつかみたいわけでおます。rakutenすっきり書ける文章のコツ80【日本語文章がわかる】ムック、朝日新聞社、2002年刊<「MARC」データベース>より「ことば」という絵の具を使って、一枚の絵を書こう。街角で、台所で、学校で、仕事場で、旅先で、人生で…。日本語文章は風景だ。文章の達人たちが、小説やエッセイの書き方、創作のヒント、作文の極意などを伝授する。<読む前の大使寸評>当代の人気エッセイストは誰か?・・・それは週刊誌のコラムを連載している人である。そういう見方で、このムック本に出てくる人を見てみると・・・2002年刊行とやや古いせいか、知らない人ばっかりです。とりあえず、高橋源一郎、南伸坊など知っている人から読むことにしよう。Amazon日本語文章がわかる日本語文章がわかるbyドングリ【小堀遠州 綺麗さびの極み】小堀宗実著、新潮社、2006年刊<「BOOK」データベース>より茶人として茶の湯を総合芸術に高め、作庭家として日本の庭の新しいスタイルを確立し、作事奉行として禁裏・幕府の建造物を担当。まさに、八面六臂の活躍を果たした小堀遠州。彼の愛した“綺麗さび”の世界とは何か?この万能の達人の全貌に迫る。<読む前の大使寸評>13世茶道家元でもある著者と、建築家の磯崎新さんの対談も載っていて、カラー写真も多くて・・・「とんぼの本」シリーズなので、魅力的なビジュアル本になっています。rakuten小堀遠州 綺麗さびの極み*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き76
2014.10.04
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<伊達藩士関係の遺産>図書館で借りた『日本の産業遺産300選(1)』のなかに「伊達藩士関係の遺産」という章がありました。明治初期に亘理領(現在の宮城県亘理町)から北海道伊達市に移住・開拓した経緯や歴史的史料が述べられています。亘理町といえば、東日本大震災で被災したわけで・・・戊辰戦争に敗れて移住を余儀なくされた伊達藩士の末裔が、大震災で被災した住民に援助の手をさしのべたようです。親類縁者でもあったでしょうし、お互いに窮状を経験した者どうしという連帯感があったのではないでしょうか。<伊達藩士関係の遺産>よりp12~13 北海道伊達市は、戊辰戦争に敗れ、領地を削減された仙台藩家臣団のうち、亘理領(現在の宮城県亘理町)の伊達那成主従約2800人(一部柴田家旧臣を含む)が、明治3年から同14年にかけて移住し、本格的な農業開拓を始めた土地で、明治初期の士族移民団の開拓地としては、最も規模が大きく、模範的な開拓村落であった。 彼らの北海道移住・開拓に関する緒資料は、関係者の子孫から伊達市に寄贈され、市内梅本町の旧伊達那成屋敷跡に昭和39年に開設された伊達市開拓記念館に収蔵・展示されている。 関係資料の内容は、多方面にわたるが、文書・記録類、郷里から持参した武具、家具・調度品類、産業・生活資料(民具)に大別できる。 文書・記録類は、伊達政宗の書状のほか、歴代亘理領主の書状、知行割目録・知行宛行状・家中分限帳などの藩政史料、戊辰戦争関係史料、北海道領地支配に至る経過および移住に関する史料、入植後の社会・開拓・産業に関する史料が中心となっている。 郷里から持参した近世資料には、具足、刀、槍、弓矢、陣笠、陣羽織のほか、蒔絵、伊万里焼、土佐光信の書画、寛永・享保・宝暦の雛人形など種類が豊富で、美術・工芸品としても貴重なものが多い。 産業資料は、農林業用具、運搬具が大部分を占めている。出身地の亘理地方と同じ様式の平鍬(仙台鍬)、三本鍬、籾すり臼、養蚕用具など伝統的農耕用具のほかに、洋式農具が多数収蔵されている。プラウ、ハロー、カルチベーター、播種機、ホー、サイス、いも掘機、片さくりなどがそれである。これらはジョン・ディアーのプラウのようにアメリカから輸入されたものと、地元の鍛冶屋が製造したものとに大別できる。 伊達は、北海道の農業発達史、農具製造史の上から先駆的な役割を果たした地域であり、したがって、これら農機具群の歴史的価値も極めて高いといえる。 林業用具には、鋸、斧、とび口、木廻しなどが見られ、運搬用具は、一般的な手橇、馬橇のほか、運材用の馬橇も収蔵されている。亘理町といえば・・・大使も3泊4日のボランティアに行ったので、このあたりのイチゴ畑の惨状を目にしているのです。その後、被災したイチゴ農家が北海道伊達市に移住したことが報道されました。過去の日記からそのあたりを紹介します。被災イチゴ農家の北海道移住その後よりおお♪ 亘理町のイチゴ農家の北海道移住後の奮闘を8日のテレビが報じていた。大使はお隣の山元町へ震災ボランティアに行ったことがあるので、亘理町には土地勘があるのです。山元町のイチゴ農家もかなりの数、北海道へ移住しているそうだが・・・・元気でやっているだろうか?畑のガレキ、草とり(お疲れさんボランティアより)ちなみに、山元町 主な復興・復旧事業の進捗によれば、山元町のイチゴ農家は・・・11月には、町全体で震災前と比較し、栽培面積で約 75%(約 27ha)、収穫量で約 90%(約 1,240t)まで回復する見込み。・・・とのことで、頑張っているようです。
2014.10.03
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大使は原則として、アップル製品は買わないこと、ハリウッド映画は見ないことにしているのだが・・・リドリー・スコットとイーストウッドの作品だけは別扱いで、これらはわりとフォローしているのです。で、イーストウッドの最新作の『ジャージー・ボーイズ』が気になるのです。(9/27より全国公開中とのこと)以上、個人的な予告編を書いていたが・・・気持ちがはやるわけで、結局、今日(10/01)観てきたわけです。【ジャージー・ボーイズ】クリント・イーストウッド監督、2014年、米制作、2014年10月1日鑑賞<Movie Walker映画解説>より60年代に数々のヒットを生んだ4人組グループ、ザ・フォー・シーズンズの栄光と挫折を描きトニー賞に輝く大ヒットミュージカルを、クリント・イーストウッド監督が映画化した人間ドラマ。ニュージャージー州の貧しい地区で育った青年たちが体験する出来事の数々を、大ヒットナンバーに乗せて描き出す。<観る前の大使寸評>ハリウッド映画をボイコット中の大使であるが、クリント・イーストウッド監督の作品とあれば、観るしかないか♪それに、60年代オールディーズが聴けるのも・・・ええでぇ♪<鑑賞後の大使寸評>大使が知っていたメロディーはシェリーともう1曲だけでした。でも劇中に流れる60年代ポップスがええでぇ♪田舎町でクラブバンド兼アルバイトでしのぐしがないグループでも夢は大きいのです。なにより、歌に妥協をゆるさない本物志向がいいですね。御歳84歳ならば、普通はもうちょっと枯れた映画になると思うのだが・・・イーストウッド監督のどこに、こんな荒々しい若者感覚があるのか不思議に思うほどです。(合計5人の女性との間に7人の子供がいるとされるようで、女好きなところが活力の素なのかも・・・うらやましい限りです)イーストウッド監督自身、クラブでピアノを演奏した経験もあるとのことで、この作品を造るうえで、音楽的センスは申し分ないようです。Movie Walkerジャージー・ボーイズ『ジャージー・ボーイズ』オフィシャルサイトちなみに、イーストウッド監督作品についてはクリント・イーストウッド監督作品集としてフォロー中でおます。
2014.10.02
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「産業遺産」でしょうか。『中国と 茶碗と 日本と』は9/19に図書館に予約し、9/23に図書館に出向きゲットしたのだが・・・図書館予約、出向いてゲットという年金生活者向けスタイルが定着してきたようです♪<市立図書館>・中国と 茶碗と 日本と・人生が用意するもの<大学図書館>・日本の産業遺産300選(1)・日本の産業遺産300選(2)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【中国と 茶碗と 日本と】彭丹著、小学館、2012年刊<「BOOK」データベース>より日本には、中国ではいつのまにか廃れてしまった「中国」があると、著者は説く。漢字、着物、端午の節句などの行事等々。しかしそれらの「中国」は、どこか姿を変えた不思議な「中国」なのだ。そして茶の湯に親しむなかで著者は、名物茶碗や国宝茶碗の多くが中国から渡来した唐物で、しかも中国には残されていないことに気づく。なぜ日本人は唐物を自らの“国宝”としたのか。なぜそれらの優品が中国には残っていないのか。中国と日本の間に横たわる広くて深い文化的差異の大海に漕ぎ出した、まったく新しい日中比較文化論の誕生である。<読む前の大使寸評>中国文化は、辺境の地ニッポンで花開いたが、発祥の地では消滅の危機にあるようです。なぜなのか?お茶しかり、漢字しかり、儒教的道徳しかり・・・etc<図書館予約:(9/19予約、、9/23受取)>Amazon中国と 茶碗と 日本と中国と 茶碗と 日本とbyドングリ【人生が用意するもの】川上未映子著、新潮社、2012年刊<「BOOK」データベース>より「世界のみんなが気になるところ」を論じ、あの三月を思い、人生のデコボコに微苦笑しながら、読者の意表を突きまくる最新エッセイ六十余篇。断酒日記付き。<大使寸評>週刊新潮に連載の「オモロマンティック・ボム!」を単行本化した3冊目にあたるとのことであるが・・・「オモロマンティック・ボム!」というタイトルからして、そして中身も面白いのである。彼女は紫式部文学賞なるものを授賞しているそうだが・・・なるほど、長くつづる文体は紫式部のようでもある。でも、彼女の文体は、清少納言や吉田兼好のような随筆にこそ生きるのではないかと思うのです。rakuten人生が用意するもの人生が用意するものbyドングリ川上未映子 第一回「短いながらも築けた『わたしと、わたしの赤ちゃん』という特別な関係」で川上さんの近況が見えるでぇ♪【日本の産業遺産300選(1)】金子六郎、他編、同文舘出版、1994年刊<「BOOK」データベース>より近代の人々の生活を支えてきた「文明財」ともいうべき産業遺産。全国に残されている遺物・遺跡を調査研究し、その意義を説く。【目次】農林水産、鉱山、石炭・石油、鉄鋼・金属、伝統技術<読む前の大使寸評>「鉄は国家なり」、「たたら製鉄」は関心のあるテーマなんです。ドングリ国の近くの千草町は備前長船の原材料として珍重された千種鋼のふるさとでもあり・・・ふるさとの産業遺産について、もっと知りたいのです。Amazon日本の産業遺産300選(1)日本の産業遺産300選(1)byドングリ【日本の産業遺産300選(2)】金子六郎、他編、同文舘出版、1994年刊<「BOOK」データベース>より近代の人々の生活を支えてきた「文明財」ともいうべき産業遺産。全国に残されている遺物・遺跡を調査研究し、その意義を説く。【目次】風・水車、原動機、工作機械、電力、電気・通信、応用化学・醸造、精密・産業機械<読む前の大使寸評>福島の原発事故があって以来、望まれる電力は何なのか?ということが日本の喫緊の課題となっていますね。また、電気・通信分野は、コモディティ化で中韓と凌ぎを削る分野でもあり・・・このあたりについて、歴史をさかのぼってみようと思ったのです。『日本の産業遺産300選(2)』については、Amazonのロングテールに載っていなかったけど、それだけ蔭のうすい本なのかも(笑)kinokuniya日本の産業遺産300選(2)日本の産業遺産300選(2)byドングリ前回借りた日本の産業遺産300選(3)です。*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き75
2014.10.01
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