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大晦日となり…殊勝にも2014年を振り返ってみようと思う。個人的10大ニュースを目指したが、晴走雨読のワンパターン生活なので、それほどイベントが多くないわけです。…で、7大ニュースにペースダウンして披露してみます。・Win8.1タブレット購入(4月)・父の看取りと、葬送(4月)・九州の親戚の葬式に出席(5月)・娘の結婚式&有馬温泉での両家宴会(6月)・図書館予約の運用開始(8月~12月)・術後定期診断の経過は良好(12月)・11年ぶりの三田ハーフに出走(12月)レノボMiix28-32GB*****************************************************************************<Win8.1タブレット購入(4月)>WinXPサポート終了というマイクロソフト側からの警告にビビッた大使は、使用中のWinXP搭載機(台湾製ネットブック)から数世代新しいWin8.1のタブレットを購入したのです。でもね、その後もWinXP搭載機は機嫌よく動いています(あの警告は何だったのか)Win8.1タブレットの調子はホットスポット調査結果6のとおり、まあまあでんな♪*****************************************************************************<父の看取りと、葬送(4月)>27日に父が亡くなり、29日に葬式をとり行いました。*****************************************************************************<九州の親戚の葬式に出席(5月)>4月30日に九州の親戚の不幸がつたわり、5月1日の葬式に出席するために、急遽、出向いたのです。バタバタで、ま~大変でした。*****************************************************************************<娘の結婚式&有馬温泉での両家宴会(6月)>16日に娘の結婚式を挙式、引き続いて有馬温泉での両家宴会に繰り出したのです。ま~、有馬の温泉ホテルにはこんな機会でもないと泊まれないので…豪勢なサービスを堪能させていただきました♪*****************************************************************************<図書館予約の運用開始(8月~12月)>神戸市の図書館予約サービスを8月から利用しているが・・・予約、予約候補選定、受取という一連の運用が、12月になってやっと軌道に乗った感があるのです。最新の運用実績を以下に紹介します。(図書館予約の軌跡12より)<予約中>・ノー・シューズ(9/9予約済み)・地方消滅(10/24予約済み)・敗戦とハリウッド―占領下日本の文化再建(11/14予約済み)・イチョウ 奇跡の2億年史(12/03予約済み)・だから日本はズレている(12/08予約済み)・日本と韓国は「米中代理戦争」を闘う(12/15予約済み)<予約候補>・キャプテンサンダーボルト(神戸市は収蔵無し)・東京ブラックアウト(神戸市は収蔵無し)・ジェフ・ベゾス 果てなき野望・クルーグマン教授の経済入門 ・原子力損害賠償制度の研究・21世紀の資本<予約分受取>・これを語りて日本人を戦慄せしめよ(11/17予約、11/23受取)・つげ義春: 夢と旅の世界(10/11予約、12/2受取)・無縁・公界・楽(11/29予約、12/7受取)・日本語に生まれて(12/09予約、12/16受取)・世界で一番美しい猫の図鑑(8/21予約、12/16受取)・驚きの介護民俗学(12/23予約、12/28受取)*****************************************************************************<術後定期診断の経過は良好(12月)>2日に、術後の定期診断に出向いたが経過は良好とのこと♪今後は半年ごとの定期診断にペースダウンすることになりました。この調子が5年間経過すれば(あと2年)無罪放免というか…ガンの転移、再発は無かったということになります。術後の経過とマラソン実績については、腑抜けの闘病記に収めているので、ご覧ください。*****************************************************************************<11年ぶりの三田ハーフに出走(12月)>21日に、11年ぶりの三田ハーフに出走したのです。レース結果は2時間18分台で、2003年の三田ハーフに比べると、今回はなんと37分ほど落ちています。レース詳細は三田ハーフマラソン結果2014を、ご笑覧ください。*****************************************************************************もう一つ寝ればお正月♪訪ねてくれた皆さまにとって、新年が良い年になりますように。
2014.12.31
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<読書入門>本屋で立ち読みし1日だけ、冷却期間を置いて買ったのだが、これも衝動買いの類いなんだろう。先日、NHK番組本を読まない人が急増を見て、若者の読書離れには危機感を覚える大使であるが・・・時代に掉さすかのような、この雑誌の特集「読書入門」がええでぇ♪この前に読んだ松岡正剛の多読術路線にも適っているし♪・・・とにかく、コストパフォーマンスがいい(お買い得の)雑誌である。【読書入門:BRUTUS】雑誌、マガジンハウス、2014年刊<商品説明>より特集 読書入門。・星野源 とっつきやすい本から読んでみる。・古市憲寿 赤線を引く。・角田光代 家のあちこちに本を置く。・柴田元幸 声に出して読んでみる。・KIKI+角幡唯介 旅に絡めて本を読む。・田川欣哉 1箱分しか本は持たない。・小林エリカ 人の日記を読み比べる。・芦田愛菜 ちょっと背伸びして本を選ぶ。・都甲幸治 国境のない文学に触れてみる。・前田司郎 疑問について答えを探る。・豊崎由美+中島京子 本読みの棚に学ぶ。・施川ユウキ 読書家風の振る舞いを身につける。・林家彦いち 乱読する。・前田エマ 人に本を贈る。・並木裕太 人々の生き方を辿り思考する。・マイケル・ブース 未知の文化を味わう。・山下陽光 偶然の出会いに期待する。・蒼井優 原作本を読む。・何の本を読んでるの?・阿部和重+伊坂幸太郎 小説家を作る“読書履歴”。・読書術本の読書術。 文/速水健朗・“つながる”書店。 坂口恭平のポアンカレ書店・全国目利き書店員リスト 本のことならこの人に聞け!・Book in Book 全国の目利き書店員57人が選んだ2015年の課題図書<大使寸評>本屋で立ち読みし1日だけ、冷却期間を置いて買ったのだが、これも衝動買いの類いなんだろう。若者の読書離れには危機感を覚える大使であるが・・・時代に掉さすかのような、この雑誌の特集「読書入門」がええでぇ♪zassi読書入門:BRUTUS
2014.12.30
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<図書館大好き85>今回借りた8冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「日本」でしょうか。今回は年越し用として、普段より多めに借りました。<市立図書館>・僕は君たちに武器を配りたい・日韓がタブーにする半島の歴史・日米同盟・「看取り」の作法・驚きの介護民俗学<大学図書館>・熱闘!日本美術史・夢の棲み家・版画芸術#146図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【僕は君たちに武器を配りたい】瀧本哲史著、講談社、2011年刊<「BOOK」データベース>よりこれから社会に旅立つ、あるいは旅立ったばかりの若者が、非情で残酷な日本社会を生き抜くための、「ゲリラ戦」のすすめである。20代が生き残るための思考法。【目次】第1章 勉強できてもコモディティ/第2章 「本物の資本主義」が日本にやってきた/第3章 学校では教えてくれない資本主義の現在/第4章 日本人で生き残る4つのタイプと、生き残れない2つのタイプ/第5章 企業の浮沈のカギを握る「マーケター」という働き方/第6章 イノベーター=起業家を目指せ/第7章 本当はクレイジーなリーダーたち/第8章 投資家として生きる本当の意味/第9章 ゲリラ戦のはじまり<大使寸評>ハウツー本の体裁ではあるが、アメリカ仕込で、非常に明快で、ハイグレードのハウツー本である。テレビで生意気そうな顔を見せているのも、伊達じゃない感じやで♪rakuten僕は君たちに武器を配りたい僕は君たちに武器を配りたいbyドングリ【日韓がタブーにする半島の歴史】室谷克実著、新潮社、2010年刊<「BOOK」データベース>より古代日本は朝鮮半島から稲作などの先進文化を学び、国を発展させてきたーという“定説”は大嘘である。半島最古の正史『三国史記』には、新羅の基礎を造ったのは倭人・倭種、中国の『隋書』には、新羅も百済も倭国を文化大国として敬仰していたと明記されているのだ。日韓古代史の「常識」に異義を唱え、韓国の偏狭な対日ナショナリズムと、日本のあまりに自虐的な歴史観に歪められた、半島史の新常識を提示する。<大使寸評>結局、史書の読込みスタンスが、日韓で違いがあるということなんでしょうね。室谷さんは、韓国のスタンスをと表現しているけど。rakuten日韓がタブーにする半島の歴史日韓がタブーにする半島の歴史byドングリ【日米同盟】太田昌克著、岩波書店、2014年刊<「BOOK」データベース>より広島、長崎、ビキニ、そして福島。四度の国民的被爆/被ばくを被りながら、なぜ日本は、アメリカの「核の傘」を絶対視して核廃絶に踏み出すことなく、また核燃サイクルをはじめとする原子力神話に固執し続けるのかー。日米の膨大な公文書と関係者への取材を駆使して、核の軛につながれた同盟の実態を描く、息詰まるノンフィクション。【目次】第1章 フクシマとアメリカー「3・11」が照射した核同盟の底流/第2章 「3・11」、もう一つの教訓ー核テロチームを派遣した盟主の懸念/第3章 盟約の闇ー外務官僚、安保改定半世紀の激白/第4章 呪縛の根底ー「同盟管理政策」としての核密約/第5章 「プルトニウム大国」ニッポンー懸念を募らせる盟主/第6章 もう一つの神話ー核燃サイクルと断ち切れぬ軛<読む前の大使寸評>「BOOK」データベースが、核の軛につながれた同盟の実態と表現しているが…そのとおりだと思うのです。 被爆国でもあり、原子力ムラを持つ特異な日本が、東日本大震災を境に変わり始めている。絡まった糸球をほぐすような難しさがあるのだが、この『日米同盟』という本を読んで、その処方箋を知りたいと思うわけです。rakuten日米同盟日米同盟byドングリ【「看取り」の作法】香山 リカ著、祥伝社、2011年刊<「BOOK」データベース>より著者は、2010年に父親を亡くした。精神科医として知識としては知っていても、その前後で数々の精神的重圧が著者を襲ったという。そうした自身の体験を踏まえ、愛する人・親しい人の死を迎えるための心の準備や悲しみの乗り越え方、いうなれば「看取りの作法」について、医師としての知見も交えながら語る。<読む前の大使寸評>この5月に父を看取ったので、この本が気にかかるのです。Amazon「看取り」の作法昨今は多死時代とか言うそうでbyドングリ【驚きの介護民俗学】六車由実著、 医学書院、2012年刊<「BOOK」データベース>より第1章 老人ホームは民俗学の宝庫(「テーマなき聞き書き」の喜び/老人ホームで出会った「忘れられた日本人」/女の生き方)/第2章 カラダの記憶(身体に刻み込まれた記憶/トイレ介助が面白い)/第3章 民俗学が認知症と出会う(とことんつきあい、とことん記録する/散りばめられた言葉を紡ぐ/同じ問いの繰り返し/幻覚と昔話)/第4章 語りの森へ(「回想法ではない」と言わなければいけない訳/人生のターミナルケアとしての聞き書き/生きた証を継承するー『想い出の記』/喪失の語りーそして私も語りの樹海に飲み込まれていく)/終章 「驚けない」現実と「驚き続ける」ことの意味(驚き続けること/驚きは利用者と対等に向き合うための始まりだ)<大使寸評>著者は特別大学准教授から養護老人ホームに介護職員として転職したそうで、かなり異色な民俗学的アプローチとも言えるわけです。著者のサイト驚きの「介護民俗学」の実践で、著者の近影が見られます。この本はブログ友のレビューを読んで、以下のとおり図書館に借出し予約したものです。<図書館予約:(12/23予約、12/28受取)>rakuten驚きの介護民俗学驚きの介護民俗学byドングリ【熱闘!日本美術史】辻惟雄×村上隆著、新潮社、2014年刊<Amazonの商品説明>より辻が意中の絵師たちについて書けば、村上はそれを換骨奪胎・新作を描きおろす。美術史家×アーティストの奇想天外二十一番勝負!<大使寸評>辻惟雄×村上隆、30歳の歳の差があるお二人だが、意外に噛み合っているのです・・・奇想発見の元祖のような辻さんの資質に負うところもあるんでしょうね。rakuten熱闘!日本美術史熱闘!日本美術史byドングリ【夢の棲み家】黒崎敏著、二見書房、2010年刊<「BOOK」データベース>よりいま世界で注目される若手建築家たちの傑作をご覧あれ。【目次)海外篇(島の牧場(アイスランド)/ブリキの家(南アフリカ共和国)/ローリング・ハット(アメリカ) ほか)/日本篇(現代版・縦穴式住居(広島県)/田園の棲み家(広島県)/モザイクの家(東京都) ほか)/森の棲み家(櫓の家(フランス)/木のティールーム(ドイツ)/森の隠れ家(ドイツ) ほか<大使寸評>先日『大人が作る秘密基地』という本を読んだが、その路線を継いで借りたのです。とにかく、見て楽しくなる本でおます♪こんなんも、ありなのか♪メキシコの一軒rakuten夢の棲み家非定常空間あれこれbyドングリ【版画芸術 #146】雑誌、阿部出版、2009年刊<商品説明>より[特集]小村雪岱 KOMURA Settaiたおやかな女性美と江戸情緒[注目の作家] 中山正/松本旻/オノデラユキ [版画を見る] 山本容子/山中現[版画を買う] 2009年冬 版画実勢価格[版画を作る] 版画技法講座 木版リトグラフ<最終回>[版画を知る] メディアとしての近代版画史<大使寸評>装丁、挿絵に表した、小村雪岱の江戸情緒、モダンな感覚が…ええでぇ♪Amazon版画芸術 #146小村雪岱の版画がええでぇbyドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き84
2014.12.30
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20日から全国公開となった「ベイマックス」であるが…攻撃的なベイマックスに書いたように、なにやら敵愾心を抱いた大使である。『日本最強論(文芸春秋SPECIAL:2015冬)』というムック本に載っていた鈴木敏夫さんの弁を聞いて日米アニメ戦争の実態がわかりました。<「アジアで日米アニメ戦争が始まる:鈴木敏夫」>よりp220~224 宮さん(宮崎駿監督)が引退を表明してから、もう1年あまりが過ぎました。これはスタジオジブリにとってももちろんですが、日本のアニメ業界にとっても大きな節目だったと思うんです。 とりあえずジブリはいま制作部門を解体して、小休止に入っています。2014年に『思い出のマーニー』を撮った後は、次の映画制作の予定は立てていません。実は、2001年に『千と千尋の神隠し』を作った後も一時、アニメ制作を休んだ時期がありますが、時代が大きく動くときに、ジブリというスタジオに何が出来るのか模索する、そういう時間も必要だというのが、いまの僕らの判断なんです。 では、いま我々が直面しているのはどういう節目なのか…、説明は難しいのですが、大きく言えば、日本のモノづくりと同じことがアニメ制作の世界でも起きているということなんです。(中略)<ジブリは孤塁を守る> そして次に何が起きるか。日米による東南アジアのアニメーターの争奪戦です。そこで優秀なアニメーター、スタジオをいかに確保するか、という戦いがもうすでに繰り広げられ始めている。よくiPhoneについて、アイデア、デザインはアメリカのアップル、重要な部品は日本、韓国、台湾で作られ、組み立てるのは中国で、と言われますね。それと同じようなことがアニメの世界でも起きつつあるのです。 もうひとつ、大きな流れとして見えてきているのは、これは海外、国内を問わずですが、コンピュータで描く、いわゆるCGの分野に優れた若いスタッフが集まりつつある。 これは手描きのアニメーションを追求してきたジブリとしてはなかなか難しいところですが、宮崎吾郎監督がNHKBSプレミアムで初めてテレビアニメを作ったんです。『山賊の娘ローニャ』という作品ですが、これはすべてCG。ポリゴン・ピクチュアズという制作会社なのですが、ジブリでも一番上手いアニメーターが見学に行って、「みんな上手い」とショックを受けて帰ってきたんです。 (中略) 庵野ももうとっくにCG主体となったアニメの現場を想定して、準備を進めているわけです。僕自身は手描きにこだわりがありますよ。しかし、この趨勢は変わらないでしょう。 しかも、先に挙げたように、アジアの制作現場とも、彼らはネットワークで繋がっています。だから国際的な分業も瞬時にこなせる。 だから、ジブリ的な手描きアニメーションは伝統工芸として残っていくのだと思います。時代の流れの中で孤塁を守っていく(笑)。 面白いのは、吾郎監督の『ローニャ』は、すべてCG、それも3Dで立体的に作ったものを、あえてセル画にみせかけている。つまり平面的に見せているんです。その方が日本人には受け入れやすい、と彼は判断したんですね。 平面か3Dかというのは、これは単純に、画面の質感の好みなのですが、つきつめると、日米の文化の違いにまでたどり着くテーマではあります。アメリカ人はもともと3Dが好きだったんですね。というのは、そもそもアニメーションの初期から、まず人形でキャラクターを作って、それを平面の絵に写生する、という作業をやっていた。また、一度俳優たちに演じさせて、日本は「漫画が動く」ものがアニメーションなんです。平面が動き出すから驚くわけで、平安時代の絵巻物にまで遡る、日本オリジナルのものでしょうね。<アジア全域で役割分担> さて、そうなると、日本のアニメづくりは今後、どうなっていくのか、という問題になります。 制作現場がどんどんアジアに移っていく、となると、「日本アニメは空洞化していく」という結論になりますが、それを空洞化というのは間違いではないか、というのが僕の考えなんですよ。 つまりアジア全域が、それぞれに役割を担って、1本の作品を作る時代が来た、と考えればいいのではないか。だから、日本の若者で自分は現場で絵を描きたいというのであれば、タイやマレーシアなどのスタジオの門を叩けばいいわけです。 実際、僕のところにもアジアから、これまでの日本での映画作りのノウハウを教えて欲しい、という要望が来ています。そうした日本の持つ経験知のようなものには、全アジア的にニーズがあるのだと思います。確かに日本は年を取った国ですが、逆に言えば、若者にない経験と知恵がある。スパイダーマンのようなアメコミ由来のアニメを作っているうちは、ジブリも無視できたが…ディズニーが総力あげて仕掛ける「ベイマックス」となると、これは貿易戦争という側面があるのでしょうね。でも、なぜこうも敵愾心がわくのか?・・・「ジャパニメーション」はなぜ敗れるかを再読して考えてみたい。この記事もスタジオジブリあれこれに収めておくものとします。
2014.12.29
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図書館で『熱闘!日本美術史』という本を借りて読んだのだが、冒頭に次のような前置きがあり…ボクシング試合の前口上を聞くみたいやで♪その昔、日本には「絵合せ」という優雅な遊びがあった。貴族たちが左右二手に分かれ、持ち寄った自慢の絵巻を1番、2番…と組にして優劣を競ったさまは、源氏物語「絵合」の巻に詳しい。ここにご披露するのは、その現代版。「芸術新潮」誌上で21回にわたってくりひろげられた、過激なるニュー「絵合せ」の成果である。・・・・とのこと。では、「こわいかわいい」に着目した絵合せ15番を見てみましょう。<絵合せ15番・長沢芦雪:辻惟雄>よりp105~107 中国・朝鮮に生息して日本では見られない虎は、美しさと恐ろしさを備えた異国の霊獣として、武家の邸宅や、彼らの寄進する寺院の襖絵の画題に好んで用いられた。 昨年(2010)秋、名古屋城の天守閣で催されていた「武家と玄関 虎の美術」展では、中国・朝鮮の虎の絵と、それをモデルにした日本の中世・近世の虎図が、名品・珍品とりまぜて会場を賑わせ、実に興味深いものだった。 それを見て思ったのだが、せいぜい毛皮くらいしか見てなかった日本の画家が描く虎には、どうも実在感がない。竜のような架空の動物と違い、今なら動物園やサーカスなどで見られるだけに、リアリティの欠如が気になるのだ。装飾画としての効果はさておき、ハリボテの虎ではしまらない。 その中で、一番魅力的に映ったのは、無量寺の「虎図襖絵」だった。襖いっぱいに描かれた虎が、前脚を揃えて獲物に襲い掛かる、その刹那の躍動が見事にとらえられている。右方へ走るような岩のかたちが、虎の躍動感をいっそう強める。(中略) 言いたいのは、芦雪がここでいくつものモデルのすり替え・変身を行っていることである。描かれたモデルが虎から猫に変身していることもわかるだろう。大きさにまどわされないでよく見れば、柔軟な肢体を持つこの可愛らしい動物はまごうことなき猫なのだ。(中略) カメラをズーム・アップさせ、対象を眼前に迫らせる―映画が得意とするこうしたクローズアップの手法を、日本の画家はすでに17世紀から襖や屏風のような大画面で試みていた。海北友雪の妙心寺鱗祥院の襖絵では、竜の頭が画面いっぱいに拡大されている。芦雪と同時代の曾我蕭白が描く「雲竜図襖絵」では、思い切り巨大化された竜の出現が、怪獣映画さながらの劇的効果を収めている。ムラカミさんが、これの現代版として制作した横幅18メートルの超巨大な竜の絵は、先日ローマで公開された。あちらの人はさぞたまげたことだろう。芦雪の無量寺の虎も蕭白の巨大竜の同類だが、このように、まるで映画のスクリーンから寅が跳び出るような3Dのイメージは、芦雪の前にも後にもあるまい。さらに、この猛獣が、実は猫だったとなると―芦雪の機知と遊び心(プレイフルネス)の横溢を感じさせるのだ。 見る者をアッと言わせる驚きの演出―これこそが芦雪が、絵に求めてやまないものだった。<絵合せ15番・虎子図:村上隆>よりp108~109 この作品を現代に蘇らせ、村上隆流に描くにあたっての着目点は、この「こわいかわいい」部分だと思いました。 私の虎図は、芦雪のふすま絵と全く同じサイズに描きました。構図的に大きな虎が前に出てくる左の構図と、画面右側の岩と笹のスピード感あふれる構図の流れを、かわいらしいキャラクターで摸倣したかたちになっています。 現代人の我々が俯瞰して江戸時代の絵をみる時に、どこか価値観にズレがあるな、と思います。例えば浮世絵のキャラクターたちは目が細くて瓜実形の顔をしていますが、それがかっこ良かったり美しさの象徴だった訳です。 なので、今、われわれがかわいいにゃ~と、ハローキティやプリキュア、ポニョやトトロを感じてますが、未来の世界の価値観だと、気持ちの悪いデザインになっている可能性大です。 かわいいの基準、法則が、100年200年後に通用するわけでは無い。竹取物語の時代の美人の法則と現代では全く違うように、かわいらしいと思えるような法則も時代によってどんどん変遷していきます。 なので、今回の虎の図は私的にはかわいく描いたのですが、200年後には実は本気で恐ろしい虎そのものに見えるかもしれませんね。猫好きの大使としては、どうしても芦雪の虎図の可愛さに目が行っていまうのです♪村上さんの虎図も、それなりに可愛いけど。もう一つ、村上春樹の絵合せ17番を見てみましょう。<絵合せ17番・村上春樹ほか:辻惟雄>よりp118~119 ずいぶん長い間、文芸書の類から遠ざかっている。が、村上春樹だけは例外だ。 『ノルウェイの森』を読んだのが最初で、それから『ダンス・ダンス・ダンス』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』…。ほかに何を読んだか忘れたが、これだけ読めば、私も、世界中にゴマンといる村上春樹ファンの一人といってもよいだろう。(中略) 以前一度、ほんのちらりと、氏を見かけたことがある。たしかな記憶ではないが、1995年、『ねじまき鳥クロニクル』が出て評判になったころ、場所は京都の国際日本文化研究センター。ちなみに氏がリスペクトする故河合隼雄氏は、以前同センターの所長だった。 大勢に囲まれた人気作家の姿をのぞき見て、この人は相手の顔を見ながら物をいうタイプではなさそうだ、と思った。考え事をしているのか、言葉を反芻しているのか、空想に浸っているのか、相手の話に受け答えしながら、心はここにあらず、に見えた。なぜか私はそのとき、野間宏のことを思い出した。戦後まもなく、ブリューゲルの絵からの連想を長々とつづって有名な『暗い絵』を書いた人。遥か以前、この人が「アカハタ」に頼まれて、展覧会場で私の友人の画家にインタビューしていた、そのときの顔が浮かんだのである。相手に質問しながら、一方で自身の心の中の誰かと絶えず対話している牛のような顔つき。“風のように自由”な村上の文体と、限りなく重い野間の文体とは、あまりにもかけ離れすぎている。二人を連想のまな板にのせる私のやり方は、ただの素人の思い付きかもしれない。だが両者の間には、たしかに共通するものがあると私は思う。それは、文章がイメージを喚起する力の強さ、とでもいうべきか。<絵合せ17番・2つの月の出る世界、高速道路くものかけはし:村上隆>よりp124~126 僕は村上春樹のファンです。でも、世間的な村上春樹ファン濃度との比較を考えれば、その資格は無い。うむむ。 幾つかの短篇と、『風の歌を聴け』『ダンス・ダンス・ダンス』『ノルウェイの森』と『1Q84』しか、読んでいない。 それと加藤典洋さんの『村上春樹イエローページ』を読んだりして、なんか「へぇ~」とか思ったりして。 薄いですね。 でも、勝手に、作品の世界に僕自身の問題意識を投射させてもらって、一緒に生きてる時代を考えたりさせてもらってる。近作の『1Q84』は凄い作品だと思う。なので、オマージュというか、その世界をイメージにしてみました。【熱闘!日本美術史】辻惟雄×村上隆著、新潮社、2014年刊<Amazonの商品説明>より辻が意中の絵師たちについて書けば、村上はそれを換骨奪胎・新作を描きおろす。美術史家×アーティストの奇想天外二十一番勝負!<大使寸評>辻惟雄×村上隆、30歳の歳の差があるお二人だが、意外に噛み合っているのです・・・奇想の絵画発見の元祖のような辻さんの資質に負うところもあるんでしょうね。rakuten熱闘!日本美術史この記事も村上隆アンソロジーに収めるものとします。
2014.12.28
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図書館で『版画芸術 #146』という雑誌を借りたが、特集している小村雪岱の版画がええでぇ♪この雑誌の解説にあわせて、その版画の一部を紹介します。「日本橋」の装丁なんかコンテンポラリーで、今でも充分イケてるで♪<第一章 装丁・装画>よりp26<雪岱が描く泉鏡花の世界> 小村雪岱は、泉鏡花に始まり、久保田万太郎、水上龍太郎、谷崎潤一郎、里見頓、長谷川伸、邦枝寛二らの本を、木版画による表紙画、見返し絵で数多く装丁している。 中でも質量共に最も充実しているのが、泉鏡花の本である。雪岱は10歳頃から鏡花の小説を愛読し、21歳のときに縁あって知己を得る。二人の深い関係を示すのは、「雪岱」という号を鏡花から贈られたことでもわかる。 大正3(1914)年に、鏡花の「日本橋」(千章堂)を初めて装丁して以来、雪岱が春陽堂から刊行した鏡花本のほとんどの装丁を行った。雪岱は鏡花本の装丁について「中々に注文の難しい方で、大体濃い色はお嫌いで、茶とか鼠の色は仕えませんでした」と振り返るが、鏡花の浪漫的な文学世界に雪岱の情緒豊かな装丁・装画はぴったりと寄り添い、えもいわれぬ美しい世界を生み出している。<「日本橋」>p28 泉鏡花は、この単行本を書き下ろしながら、装丁を小村雪岱に託した。しかし脱稿まで「日本橋」という題は決まらず、題名が決まってから、「日本橋」の文字を橋に見立てた背表紙に置き、表紙の表と裏に川岸の町並みをあしらった絵に描きなおした雪岱初の装丁作品である。<第二章 挿絵>よりp46<白黒の線描に息づく江戸情緒> 雪岱は、大正11(1922)年から新聞や文芸雑誌の連載小説の挿絵を手がけている。里見頓が、『時事新報』に「多情佛心」を連載する際に、鏡花を通じて知己を得た雪岱を推したことがきっかけとなった。その後、雪岱は数多くの新聞挿絵を描くが、挿絵画家としての人気を不動のものとしたのは、なんといっても邦枝寛二の「おせん」、「お傳地獄」であった。 雪岱は、気に入った挿絵を一枚絵の紙本墨絵に描きなおしたが、それらが木版画に起こされたり、挿絵を元に、新たな版画が作られたりしている。現在では、挿絵そのものよりも木版画作品のほうがよく知られている。<小村雪岱の版画と装丁>よりp66 ずいぶん前のことだが、「ザ・ウーマン」(高橋陽一監督)という映画があった。江戸の竹本小伝、俗に「あんばいよしの小伝」と呼ばれた、何百人切りだかの女性をモデルにした林美一原作の映画だったと聞く。濡れ場を延々と執拗に撮るこだわりがなかなかのもので、それだけでも見ものの映画なのだが、移り気な「小伝」を妻とした人気役者坂東三津五郎が、女に気持ちを変えられる悲しみ、男の悲しみがその濡れ場から奇妙に響いた映画でもあった。(中略) 映画「ザ・ウーマン」に雪岱の匂いを嗅いだのは、原作からでも、監督からでもなさそうだ。おそらくその脚本からだろう。映画の脚本家が『小伝抄』で直木賞をとり、雪岱についても書いている星川清司で、たしか単行本の表紙に雪岱が使われた記憶がある。そのあたりからの匂いだったようだ。小村雪岱は、突然、どこにでもあらわれる。 小村雪岱の版画の版元となったのは「高見澤木版店」である。もともとは江戸錦絵の復刻木版の仕事を主としていた版元だったが、昭和10年前後から創作版画も含める木版画ブームに呼応して、現代浮世絵を作ろうとした版元の一つだった。すでにコンテンポラリーのまなざしを持った伝統木版の仕事は、その先駆けとして大正時代に渡辺版画店が「新版画」として提示した。 そして、昭和のこのあたりに、もう一つの動きがある。安井曽太郎作品を木版とした求龍堂、土屋光逸やノエル・ヌエットの土井版画店、やがて竹久夢二や富本憲吉を出すことになる加藤潤二などが活躍し始めるのだ。とりわけ「高見澤木版店」は、版画家ではない岸田劉生のリプロダクションを版行し、藤田嗣治などの洋画家の原画も木版化した。雪岱の版画も、その路線の上にある。【版画芸術 #146】雑誌、阿部出版、2009年刊<商品説明>より[特集]小村雪岱 KOMURA Settaiたおやかな女性美と江戸情緒[注目の作家] 中山正/松本旻/オノデラユキ [版画を見る] 山本容子/山中現[版画を買う] 2009年冬 版画実勢価格[版画を作る] 版画技法講座 木版リトグラフ<最終回>[版画を知る] メディアとしての近代版画史<大使寸評>装丁、挿絵に表した小村雪岱の江戸情緒、モダンな感覚が…ええでぇ♪Amazon版画芸術 #146
2014.12.27
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芥川賞と直木賞は1年に2度も発表されるので、つまり、新人作家が年に4名出現するわけで…とうてい覚えきれないのです。と言うか、出版業界の商業主義が目立つのです。いら立つ大使が、wikipediaで歴代の大仏次郎論壇賞を見てみると…この賞はいい仕事をしているわけですね♪暇な大使としては、大仏次郎論壇賞受賞作にしぼって借りることもいいかも♪(去年の日記に、今年の遠藤典子氏を追記しています)・wikipedia大仏次郎論壇賞・大佛次郎論壇賞を受賞して 遠藤典子・原子力損害賠償制度の研究・大佛次郎論壇賞を受賞して 今野晴貴<wikipedia大仏次郎論壇賞>wikipedia大仏次郎論壇賞より散文作品を対象とする大佛次郎賞の評論部門として2001年に新設された。日本の政治・経済・社会・文化や国際関係などを扱った優秀な論考を顕彰することを目的にしている。【受賞作品】(複数受賞の場合、私の判断で年度1冊としています)・第1回(2001年度) 特別賞 - ジョン・ダワー 『敗北を抱きしめて』(岩波書店) ・第2回(2002年度) 池内恵 『現代アラブの社会思想 終末論とイスラーム主義』(講談社現代新書) ・第3回(2003年度) 小熊英二 『〈民主〉と〈愛国〉』(新曜社) ・第4回(2004年度) 瀧井一博 『文明史のなかの明治憲法 この国のかたちと西洋体験』(講談社) ・第5回(2005年度) 中島岳志 『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社) ・第6回(2006年度) 岩下明裕 『北方領土問題』(中公新書) ・第7回(2007年度) 朴裕河『和解のために』(平凡社) ・第8回(2008年度) 湯浅誠『反貧困』(岩波書店) ・第9回(2009年度) 廣井良典『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書) ・第10回(2010年度) 竹中治堅『参議院とは何か』(中央公論新社) ・第11回(2011年度) 服部龍二『日中国交正常化--田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書) ・第12回(2012年度) 大島堅一『原発のコスト エネルギー転換への視点』(岩波新書) ・第13回(2013年度) 今野晴貴『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』(文春新書) ・第14回(2014年度)遠藤典子『原子力損害賠償制度の研究 東京電力福島原発事故からの考察』(岩波書店)<大佛次郎論壇賞を受賞して 遠藤典子>12/24大佛次郎論壇賞を受賞して 遠藤典子より 原子力施設で破局的な事故が発生したとき、その巨額の損害賠償は誰がどのように負担すべきだろうか。今回受賞した『原子力損害賠償制度の研究』で描きたかったのは、日本の行政の裁量性の功罪である。 日本では半世紀以上もの間、原子力事業者が「無限責任」を負う一方、国の責任のあり方については「援助」とあいまいにされた原子力損害賠償制度が維持されてきた。原子力発電所において破局的事故は起こりえないという妄信から、検証が見送られてきたのである。そして、福島原発事故は起きた。 今回、関係省庁の幹部はそれぞれの政策的蓄積を生かし、わずか1ヶ月半あまりで原子力損害賠償法を補う支援機構制度を作り上げた。国の関与をあいまいにした法の不備を逆手にとって、機動的に緊急策をこしらえたとも言えよう。 本書はこの支援機構制度の効用を評価している。法律的整合性と経済的合理性をともに備え、かつ政治的・社会的リアリズムから遊離しないという制約の中から突破口を見いだし、有用な政策形成を行うという、本来期待されているところの行政機能が、未曽有の危機において発揮されたと考えるからである。 しかし、あくまでそれは緊急策としての評価に過ぎない。福島原発事故から3年9ヶ月が経過し、損害賠償、除染、廃炉の総費用が、当初の3兆~5兆円規模から15兆円をはるかに超える規模に拡大しかねず、支援機構制度の持続可能性に懸念が生じている。 突き詰めれば、破局的原発事故の損害賠償資金は、(1)事故を起こした原子力事業者、(2)その事業者から電力供給を受ける電気利用者(受益者負担)、(3)その他原子力事業者(相互扶助)、(4)規制・振興を司る国、のいずれかの負担の分配に帰結する。原子力事業者には債権者、株主、従業員といった利害関係者が存在し、国による公的資金の財源は税金である。 原子力損害賠償制度は、この負担の分配について、再度検討されるべき時期を迎えている。それはようやく再開された原子力政策議論の欠くことのできないパーツでもある。 米法学者のキャス・サンスティーンは著書のなかで、人々は破局的リスクに対して「過剰な反応」と「完全な無視」という正反対の反応を示すことを指摘している。そのどちらをも極力排除した、国民的議論を喚起していきたい。この『原子力損害賠償制度の研究』という本を図書館で借りようと思うのです。【原子力損害賠償制度の研究】遠藤典子著、岩波書店、2013年刊<「BOOK」データベースより>半世紀前1961年に制定された「原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)」は、東京電力福島第一原子力発電所の破局的事故に対して無力だった。本書は3.11以前の原子力損害賠償制度がどのように構築され、運用されてきたかをまず検証する。次いでその不備をどのように乗り越えて現行の損害賠償スキームが短時間に構築されたのか、そして東京電力はなぜ破綻せず「国有化」されたのかについて、政策担当者等への綿密な聞き取りに基づきその詳細を明らかにする。公共政策・行政学における画期的な事例研究。【目次】なぜ政府は新立法を必要としたか/第1部 「原子力損害の賠償に関する法律」における国家の責任(原子力事業者の厳格責任と国家関与の曖昧/原賠法「不変」の構図/チッソ金融支援方式と支援機構スキームの共通性)/第2部 原子力損害賠償支援の政策学(東京電力破綻回避の真実/原子力損害賠償支援機構を設立した政府の意図/過酷事故の教訓と原賠法、支援機構法改正の論点)/第3部 賠償・除染・廃炉ー東京電力国有化の論理(預金保険制度の支援機構スキームへの転用/政府による支援機構スキームの実践/東京電力分割構想と電力自由化の整合性/原子力損害賠償制度の二層化の必然)<読む前の大使寸評>大仏次郎論壇賞の本でもあるし、図書館で借りようとは思うが・・・かなり硬派なんで、歯がたつやろか。<図書館予約:未>rakuten原子力損害賠償制度の研究<大佛次郎論壇賞を受賞して 今野晴貴>1/13大佛次郎論壇賞を受賞して 今野晴貴より■政治の在り方に影響与えた 『ブラック企業』にはどんな意義があったのだろうか。 第一に、「ブラック企業」というインターネット上のスラング(悪口)に過ぎなかった言葉の広がりを、「社会問題」として提起したことだろう。「ブラック企業」とは、若者を正社員として採用しながら、次々に過重労働で使い潰し、鬱病・過労自殺・過労死に追い込むような企業を指している。この認識は、現在では厚生労働省にも共有され、対策も打ち出されているが、本書がはじめて提示した理解である。 そして、若者の「使い潰し」は鬱病の蔓延、医療費の増加、税収の減少、少子化をも招いている。私はたまたまひどい経営者がいるというような、「悲惨な物語」ではなく、事実の集積とその分析によって、個人の被害にとどまらない「社会問題」としてのブラック企業問題を明らかにしたかった。しかし、ま~日本の文学賞を覗いてみると、文学賞の数の多さに呆然とするのです(笑)
2014.12.26
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師走ということで新聞紙面には年の瀬題材が並びますね♪おおきに10年!と題して「勝手に関西遺産」というのがありました。朝日デジタルから、そのあたりを紹介します。グレゴリ青山さんが描いている「河原町のジュリー」は知らんなー…エピソードがディープ過ぎるがな。12/17「おもしろがり」ますますより河原町のジュリー 先週に引き続き、10年続いた「勝手に関西遺産」の総集編です。記者たちとイラストを担当するグレゴリ青山さんが、「関西遺産魂」たっぷりに語り合いました。 ◇■「へーそうなん」と「あるある」とデ:10年続く企画ってなかなかない。そもそも何で始まったんだっけ。河:始まった2004年は京都や奈良に続いて熊野古道が世界遺産になったころ。「ユネスコが登録しない、裏の世界遺産をやろう」という狙いでしたね。向:道頓堀を歩いても、大阪っぽい土着の文化が薄れてきている。「当たり前と思ってたけど面白い」「あった、あった」って思い出してもらえるようなものを意識しています。河:関西出身じゃない私は「へぇー」と感じるかが取材のとっかかり。今:実は、担当する記者に関西出身が意外といないんですよね。デ(東京出身):ロシア民謡調の製菓会社のCM曲「パルナスの歌」(05年9月掲載)で関西の人は盛り上がるけど、残念ながらわからないなあ。中(大阪出身):「キダ・タロー氏のメロディー」(06年2月掲載)はわかるでしょ。とーれとれぴーっちぴちカニ料理~。安(神奈川県出身。4月から大阪勤務):知らない……。中:うそー!?(笑)後(北海道出身):飲み屋で知らないって言うと、どっかのおっちゃんが歌ってくれるから知ってます。デ:関西出身者は体験で、関西以外の出身者は異文化への驚きで書ける。グ:テーマは無形のものから近代もの、自然系まで多彩。中には本物の世界遺産になっていいものも。言葉をテーマにした回も多かったですね。渡:テーマ選び、文章だけでなく、写真、イラストも重要です。「日本のへそ」(10年4月掲載)では、日本の中心をアピールする兵庫県西脇市で、おへそを出す子供たちが印象的でした。今:イラストでは、京都市のホームレス「河原町のジュリー」(11年10月掲載)のインパクトが強烈だった。デ:「イカ京(いかにも京大生)」(11年6月掲載)の回に初登場。あれでどんな人かわかった。グ:レトロっぽいイラストになるネタは、好みなので気合が入ります。あとアホみたいなものもうれしい。渡:10年続いたのは何ででしょう。今:笑いをとる、面白がらせる関西だからでしょ。その精神が企画に宿っている。篠:ネタはまだまだあります。渡:「勝手に関西遺産」が「関西遺産」なんですね。オチがつきました!■紹介した「遺産」(大使がたまたまスクラップしているもののみリストアップしています)《2010年》・串カツ(大阪)《2012年》・高座のお茶子・大峯山の山伏修行(奈良)・播州弁(兵庫)《2013年》・大原女(京都)・二人称の「ワレ」(大阪)・動くカニの看板(大阪)・大阪言葉の「ん」《2014年》・六甲山系の夜景(兵庫)・雷さまのへそ(奈良)・よういわんわ・暗峠(くらがりとうげ)の夜景(奈良・大阪の境界)大使がたまたまスクラップして溜めていた記事のなかから、【播州弁】を紹介します。播州弁の凄みには、神戸人はおののくわけです(笑)2012.10.4【播州弁】わがイチ推し 押しの強さより 播州弁は、そのアクセントからか「日本一押しが強い方言」と言われる。 私の祖母は兵庫県太子町出身で、時々、播州弁をしゃべった。「まだ寝とみないのか(寝たくないのか)」「おやつし(おしゃれ)」など。ふざけて「なんどい(何ですか)」と言われた時は、「オッサンか」と思わずツッコミたくなった。 福崎町出身の同僚(38)によると、高校時代、女子も「ごうわく(腹立つ)」と言っていた。男子は「おんどれ(おまえ)」と呼ぶことも。母親に「使わないで」とクギを刺され、大学進学後はあまり播州弁を使わなくなった。 「ざ行」の音が「だ行」に聞こえるのも、播州弁の特徴だ。あぜ道は「あで道」。ぞうきんは「どうきん」。質問の語尾に「こ」がつくこともある。「もう昼こ? 飯食うんこ?(もう昼? ご飯食べる?)」を「お昼を食べたら、すぐうんこ?」と勘違いしたという話も聞く。 そんな播州弁に復権の動きがある。市民がつくる「播州弁研究会」が、昔ながらの播州弁を人気順に番付表にしたり、かるたを作ったりして話題になっているのだ。 かるたの絵を描いた姫路市の漫画家、前田賢一さん(36)は「多くの関西弁と違い、播州弁は『はる』を使わない。それで荒っぽく聞こえるのかも」と言う。「先生いてはる?」は「先生おってか?」など。「でも尊敬する気持ちはちゃんとあるんですよ」 研究会の井上四郎会長(86)は「一口に播州弁といっても、姫路城下、海辺、農村地帯など、地域によって様々。京言葉や古語に近い言葉もあります」。米作りが盛んで都に献上していたことから、京都とのつながりも強い。「おてし(小皿)」「ずつない(苦しい)」といった播州弁は古い京言葉がルーツという。 意外にやわらかくもある播州弁。日本民俗学の創始者、柳田国男は福崎町出身。「故郷七十年」で、故郷では「クニョハン(国男さん)」と呼ばれていたのに、13歳で長兄が住む茨城県に移り住むと、子どもたちが互いの名を呼び捨てにしていて驚いたと回想している。 姫路市出身のエッセイスト、池内紀さん(71)は「柳田さんの本には『わが播州では』という言葉がよく出てきます。播州の体験は、柳田民俗学を完成させる礎になったはず」と言う。播州弁を聞くと、故郷に戻って来たことを実感するという池内さん。街がどこも同じ表情になってしまった今、ぜっぺ(是非)残したい言葉である。(田中京子) ◇メモ:代表的な播州弁○べっちょない(大丈夫)▽せんどぶり(久しぶり)▽だてこく(いい格好をする)▽たいていやない(簡単ではない)▽さんこ(散らかす)▽らっきゃ(いいですよ)▽めげる(壊れる)▽なんじゃかんじゃ(いろいろ)
2014.12.25
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我が蔵書録の京阪神関連の本から二つの本を紹介します。おお 雑誌「ミーツ・リージョナル」をからめて・・・・「街場の関西論」になっているやないけ♪【街場の大阪論】江弘毅著、新潮社、2010年刊<「BOOK」データベース>よりスタバはないがお好み焼き屋があり、缶ビールを24時間売っているコンビニはないが朝からやってる立ち呑み屋があり、ヤクザが徘徊し、おばはんの立ち話が続く。そんな「大阪の街場」のリアルなコミュニティと、そこで生きていくおもしろさを、岸和田に生まれ育ち、関西有数の雑誌の名物編集長だった著者が、ラテンのノリで語る。大笑いしながら考えさせられる大阪発スーパーエッセイ。 <大使寸評>著者の江弘毅という人、内田先生のお友達でもあるが…岸和田で生まれ育ち、雑誌「ミーツ・リージョナル」の創刊に関わり12年間編集長を務めたそうです。「カーネーション」の世界で育ち、ベタな大阪を描いてるでぇ♪Amazon街場の大阪論この本から街場の真髄をひとつ、紹介します。<てっちりの現場作法>よりp28~31 大阪でも少し前までは、てっちりなどは玄人筋つまりヤクザな人の食べ物であり、シロウトは食べるものではない、という了解があった。だからこそ街場の大人にとっては実に旨いアイテムであるのだが、今でも大阪人の家庭では、若いOLの娘が忘年会などの後、家に帰ってきて「てっちりだった。ヒレ酒がおいしかった」などと言おうものなら、親は「この娘は、なんというものを…」と顔をしかめる。てっちりはそういう食べ物なあのである。 わたしは、だんじり祭で有名な大阪のディープサウスと異名を取る岸和田の旧い商店街で生まれ育ったから、幸か不幸かそういうてっちり的なものには慣れ親しんできた。そういう下町的横丁的な体質は、同世代の大阪、京都、神戸といった近畿地方の街場の人間には深くきざまれている。 そんな街場の大人は、休日の昼間に洋食屋に行ってライスなしでオムレツカキフライでビールを飲んだり、焼肉屋でロースやカルビを注文せずにホルモンだけを注文したり、行きつけの店でメニューにないものを注文したりすることが「おいしいこと」であると信じている。それは端的に「粋がる」ことには違いなく、考えてみればたわいもない行為であるが、そこには単純にグルメ情報カタログ誌に載っているような「美味い店」の「美味いもの」を商品として抽出して、それを消費してやろうというスタンスはない。あくまで店で遊ぶための方法論である。 そういったグルメ者ではない、いわば街場の食の極道者たちは、てっちり屋で鍋を囲むと、さも当然のようにまずはアラ身ばかりを煮だった湯にドサッと入れる。そして蓋をして言葉少なに待つことしばし、誰かの「おう、もういけてるで」の声におのおの箸を伸ばし、時々「うまいのお」と唸りながら、きれいに身をさらう。そしてていねいにアクをすくい、アラ身のクチバシの部分や鍋皮が加わるものの、第二ラウンドも以下同じ。ほかの具はやっとそこから入り、豆腐そして白菜、春菊のみ。それもさっと食べる分を少しずつ。 そういういわば、てっちり的文脈を無視して最初から野菜などを入れる無粋者には、 「ちゃんこ、違うぞ」 と静かに鍋奉行が注意する。今日のフグおよび全員の気分や身体状況が「イケる」となれば、アラ身だけを追加する。時にはてっちりとヒレ酒だけで満腹し、雑炊を省略してしてしまう。だから、大阪では「コースを数人分」とかで注文せず、「皮の湯引きと鍋」といった単品オーダーが多い。 そういうディセンシーつまり現場作法のようなものが、連綿として街の先輩から後輩、時には父親から息子へと、実際にてっちり屋で一緒に鍋を囲むという仕方で伝わる。それはメディアの中の職業グルメたちが、鮨屋ではどの順番で何を注文するのが正しいとか、鴨のコンフィにはどんなワインを合わせるのが常道だ、と説くようなかたちで明文化・情報化できるものではなく、もちろんマニュアルといった類のものはない。 なぜなら「フグを食べる」ということは元来アンタッチャブルな行為であったからだ。この雑誌には、元編集長の、街場重視、「旨くて安い」という関西のおきてが感じられるわけでおます。【三宮・元町ディスカバリー(Meets Regional#319)】ムック、京阪神エルマガジン社、2014年刊<内容紹介>より特集:三宮・元町ディスカバリー。とにかく人気。とにかく新店ラッシュ。立ち呑みフォーエヴァー!!、他<大使寸評>三宮・元町の飲み屋、食事どころ満載のムックで・・・・高架下の店がけっこう載っていて、ドングリ国住民にとって、お奨めのガイドです。元編集長の江さんから見ればハイカラに映る三宮・元町であるが…高架下もあるんやでぇ♪zassiMeets Regional#319
2014.12.24
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今年もあと10日を切り、なにやかやと年の瀬回顧の時期になりましたね。ということで、今年のマラソンの応募、出走を振り返ってみよう。〇5/25 浜坂ハーフ〇9/14 烏原駅伝〇11/2 淀川ハーフ・11/23 神戸マラソン(応募3連敗となり、もう応募するのを止めようかな)・11/30 小豆島ハーフマラソン(フェリーに乗り遅れキャンセル)〇12/21 三田ハーフ たった4回しか出走してないのか…でもまあ、練習のモチベーションは維持できたので、良しとしよう。なにしろ年金生活で、練習時間はたっぷりあることだし・・・来年頑張ればいいのである。ということで、早々と志摩ロードパーティハーフマラソン2015に申し込んだのです。残念なのは小豆島ハーフに出られなかったことであるが…フェリーに乗り遅れたので、如何ともしがたいものがあった。(休祝日ダイヤの確認を怠った大使が悪いのである)「加齢による注意力衰退にご注意!」という教訓を得たことで、帳尻を合わすことにしよう(笑)トらやんちなみに、マラソン参加計画の経緯はマラソン参加計画見直し(その3)のとおりです。また、2013年の回顧は2013年のマラソンを振り返って でおます。 なお、通年のマラソン記録については腑抜けの闘病記 に収めております。
2014.12.23
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ふと目覚めて時計を見ると…「あかん 家を出る時刻より30分も過ぎているがな!」会社リタイア後は目覚まし時計なしで暮らしているわけで、それだけ体内時計でこと足りていたが、よりによってレースの日に寝すぎるとは不覚であった。今回は天候不順もあったりでレース前調整はベタ遅れで、やる気の無さが寝覚めにも表れていたのかもしれんなあ。で、急ごしらえの荷造りで「朝食はキオスクの買い食い」ということにして、家を飛び出したわけでおま。とまあ・・・11年ぶりの三田ハーフマラソン出走は、出だしから躓いていたわけです。以下に、わりとパターン化したくだんフォームで、結果を速報します。以下、記録詳細です。65歳以上順位:190位台/261人(ラップタイム) (1K換算)スタートライン通過2分40秒5K 29’13 5’5010K 59’51 6’0713K 80’01 7’0014K 87’29 7’2815K 94’05 6’35残5 102’07 8’02残4 109’00 6’29残3 115’48 6’48残2 123’05 7’17ゴール 138'くらい 7’40レース結果は2時間18分台で、2003年の三田ハーフに比べると、今回はなんと37分ほど落ちています。アップダウンが多いこのコースで、16K辺りで歩くようなスピードになってしまったが・・・筋力の衰えが見て取れるわけです・・・でも、よく完走できました♪まあ、寄る年波には勝てないというか・・・・この年まで走っているランナーたちは、強敵揃いでありレースはより過酷にになっているのかも。ということで・・・・乗り換えの湊川で、飲み屋に立ち寄り、串かつセット&ビールで祝杯(苦杯?)をあげました。
2014.12.22
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日中相互の嫌悪感は高まりこそすれ、なかなか沈静しない昨今である。中国の異常な軍拡など見るにつけ、ナショナリズムの季節なんだろうと思うのです。ナショナリズム関連のネット情報を見てみましょう。人民網の次の論説を見ると、中国の自己認識が透けて見えるのだが・・・自己中そのものであり、共産党中枢も同様であれば、怖い気もするわけです。12/02中国のナショナリズムは日本や韓国、欧米よりもひどいのか?―中国紙より2014年11月30日、ある時期より、西側諸国では「ナショナリズム」という言葉で中国を語ることが多いが、なぜこのように言うのか理解に苦しむ。中国にも西側をまねてこうした言い方をする人が少数ながらおり、問題をさらにわかりにくくさせている。環球時報が社説として報じた。 ナショナリズムは政治用語だ。政治用語の多くは意味が歴史の中で変化を続け、国や力が違えば、同じ言葉でも同じように使用するとは限らない。全体としていえることは、世界を見渡してもナショナリズムという現代の概念は相当曖昧なものであり、愛国主義との境界がはっきりしないが、愛国主義は通常はプラスの言葉、ナショナリズムは通常はマイナスの言葉とされるということだ。 ナショナリズムという概念には歴史的過程と関わりがある学術的な解釈がある。だが現在の中国や海外の討論の場で使用される場合は、正常な愛国主義を超えてしまった感情で、愛国主義よりも激しく、攻撃的なものとされることが多い。この言葉の内容の明確さは、マイナスの意味合いほど突出したものではない。実際、世界や地域と競争する社会に積極的に参与する場合は、多かれ少なかれナショナリズム的な気分になるものであり、またこうした気分をもつ人たちもいる。中国は自国にはナショナリズムはまったくないと言うことはできない。問題は中国がナショナリズムだといってしょっちゅう批判する国で、ナショナリズムから完全に自由な国があるだろうかということだ。 西側世論でナショナリズムを語る時は中国を指していることが多い。西側の一部の人々は、ナショナリズムというのは中国のイデオロギーの中で共産主義よりも実質的な中味をともなった概念であるとの見方を示し、彼らがナショナリズムを語る時にはナショナリズムの意味を再生し、ほとんど形容詞のように使用して中国と関連づけている。こうして、中国はナショナリズムの汚名を背負わなくてはならなくなった。中国がどのような動きをしても、常にナショナリズムのレッテルが貼られる。 是非を考えれば、はっきりする。中国と周辺国との交流の多さを他国と比較すると、特に領土問題を抱えた国々と比較すると、誰のナショナリズムが最も強烈なのかが見えてくる。 日本の政府高官と議員が靖国神社を恒常的に参拝し、激しい感情や対抗の姿勢を示すことにより、日本の高官達は中国社会の言論を刺激し、これらの言動はたびたび日中の衝突の導火線となってきた。このような中国でほとんど見られない動きはナショナリズムといえないのだろうか。 中国の反日デモは外部ではナショナリズムの重要なあらわれとされているが、ここ数年のデモはあまり激しくなくなっただけでなく、デモ自体も減っている。ベトナムで数カ月前に行われた反中デモは暴徒化したとまで言われながら、ベトナムがナショナリズムとされることはなく、実に不思議だ。 中国はアジアで最も開放された市場であり、中国社会は基本的に民族的精神と外国製品に対する態度とを関連づけることはない。韓国と日本の社会は経済では自国保護の意識が目立つ。中国はグローバル化の積極的な参与者であり推進者だ。中国人は違いを尊重し、自国の要素やシンボルをなんとしてでも輸出しようとはしない。中国はさまざまな文明に対して謙虚にへりくだり、欧米社会のように強い優越感をもち、西側の文明が世界を主導することをしっかりと堅持することはしない。 中国の台頭が西側諸国をあわてさせており、世界的局面におけるこのような変化に適応できないのは一種の典型的なナショナリズムだ。こうした気分は米国の対外政策にますます浸透するようになる時、世界の不安定さの中には、あまり公開されていないが、確実に存在する新たな原因がある。 いろいろなところで武力を行使してきたいくつかの国々が、20数年にわたって戦争することなく、周辺小国との摩擦の中で慎み深く慎重な態度を取る中国のナショナリズムを非難する。このようなデタラメな論理が西側の主導する世論で輝きを放ち、また批判精神に満ちた西側メディアは「知らぬが仏」を決め込んでいることは、本来あるべき姿ではない。 強調したいのは、中国社会にはナショナリズムの感情がないわけではないということだ。これほどの大きさの社会で、あらゆることに注目する事例が存在する。だがナショナリズムが中国に与える実際の影響は限定的で、平和的発展が中国社会の普遍的な願いであるだけでなく、ほとんど一種の信仰となっている。中国人はウィンウィンを信じており、ゼロサム主義は多くの人が狂信的で成功するはずのないものとみなしている。 ナショナリズムは全体として時代遅れの概念とみなされるべきだ。ナショナリズムをめぐって論争を続けるのはつまらないことだ。グローバル化の時代にあって、ナショナリズムにはたくさんの天敵がおり、支離滅裂だといえる。ナショナリズムがウィンドウに飾られた服のようなものだとすれば、サイズがそろわず、品物がないことはしょっちゅうだ。ナショナリズムを誇大化するようなことはしてはならない。(提供/人民網日本語版・翻訳/KS・編集/武藤)もちろん大使は、中国人すべてがこのような自己中であるとは思わないわけです。というのは・・・朝日新聞のインタビュー記事「政治化するナショナリズム」を読んだのだが・・・汪錚(ワンチョン)博士のリベラルな論調には納得するわけです。中国人だから中国擁護となるのは当然だとしても、母国を客体視できる的確な歴史認識を持った人だと思うのです。今後の日中関係について建設的なところがいいですね。図書館で『ナショナリズム入門』という本を借りたが、借りた理由は・・・高まる中華のナショナリズムに脅威を覚えるからです。<ナショナリズムの季節>よりp247~250 日本の政治状況は、現在の中国の政治状況とは大きく異なっています。現在の中国には中国共産党があり、すべての政治勢力を横につなげて、共産党主導の政治を行っているからです。ただ、上からの統制を強化すれば経済発展の前途が危うく、民主化を促進すれば下の不満の暴発が危うい状況ではあります。すでに共産党への信頼は根本的に揺らいでおり、国民の不満は膨大に蓄積してしまいました。共産党主導の政治を今後も進めていくのは、きわめて困難な道筋となります。 いずれにせよ、昭和戦前期の日本と現在の中国に共通して見えるのは、ナショナリズムの盛上がりということです。第一章で紹介したフリードリヒ・マイネッケは、1924年に『近代史における国家理性の理念』という大著を刊行し、軍国主義とナショナリズムと資本主義の三つの力が合成されると、政治指導は翻弄されて国家は危機に陥ると指摘しました。それはヨーロッパ諸国と日本で20世紀前半に生じた現象だったのですが、現在の中国にも生じているように思います。 そしてナショナリズムについて考えると、わたしは、その盛上がりに季節があるのではないかと思います。すなわち、近代化が中途半端な時期にこそ、ナショナリズムは盛り上がるのではないかと思うのです。それは簡単に言えば、普通の人が外国のことを知っていても、現実にはまだ行ったことがない時期です。近代化が成功して強大化した実感はあるものの、自分自身の生活に関して言えば、まだそれほどでもない、という頃合いになります。 ネイションへのこだわりが大衆にまで普及し浸透するこの時期は、力強さと一体性へのこだわりが強くなり、ネイションにすがって暮らしを良くしてもらおうと期待しがちな時期なのです。 中国は、経済発展の成功によって今やこの時期に到達しているのではないでしょうか。そしてそうであれば、現在の中国のナショナリズムの盛り上がりは、今後も続いていくと判断すべきでしょう。しかも近代化の中途半端さは、人心を攻撃的にして、力への期待と過信をもたらしがちです。中国発のナショナリズムの連鎖反応が起きる可能性が、東アジアから東南アジアにかけて高まっている、と思います。 それではどのようにして、この季節を乗り切っていくべきでしょうか。 (中略) この争いをさらなる活力へと転化できるかどうか。これが、ネイションの運命を決定的に左右します。国家が強大化するにつれて、国家の権力を握った人間たちが絶対的に優位な立場を占めるようになりますが、だからといってネイションの活力を削いでしまうと、国家は衰退してしまいます。そしてここで、民主主義の仕組みを上手に利用できるかどうかが決定的に重要となるのです。 中国国家が中国ネイションの活力を高めていくためには、どうしても、民主主義の仕組みを取り入れていくことが不可欠です。ただしそのためには、情報の自由な流通が必要となります。このハードルは高いと思いますが、盛り上がりすぎるナショナリズムの暴発を予防するために、長期的にはこうするしかないのではないでしょうか。著者の専攻は政治思想史・ナショナリズム論とのことであるが・・・この学者から見ても、昨今の突出する中華ナショナリズムは異常に映るようです。つまるところは、コンプレックス、屈辱感なのではないか?中国が近代化の中途半端な時期を迎えていると、著者は述べています。ちょうど、戦前の日本がこの時期を経たわけであるが・・・中国と戦いながら、大東亜共栄圏という夢を掲げ、国内では言論統制で引締めていたわけです。まったく、今の中国と相似形ですね。【ナショナリズム入門】植村和秀著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>よりクリミア・尖閣・竹島…衝突は、なぜ起こるのか?21世紀最大の難問。【目次】はじめに ナショナリズムを見た日/第1章 ネイションの作り方/第2章 ネイションの自明性ー日本の形/第3章 ネイションの多義性ードイツの変形/第4章 人間集団単位のネイション形成(一)-ドイツと東欧/第5章 人間集団単位のネイション形成(二)-ユーゴスラヴィアの滅亡/第6章 地域単位のネイション形成(一)-アメリカ大陸の状況/第7章 地域単位のネイション形成(二)-ヨーロッパの西と南/第8章 ネイション形成のせめぎ合いー重複と複雑化/第9章 ナショナリズムのせめぎ合いー東アジアの未来/第10章 政治的仕組みとネイション<読む前の大使寸評>評者が吉岡桂子記者ということで、とりあげた新書なんですが・・・・吉岡記者が選んだ本なら、「外れ」はないでしょう。とにかく、この本に戦争を防ぐ知恵を期待したいのです。<図書館予約:(9/11予約、10/15受取)、予約#:>rakutenナショナリズム入門ナショナリズム入門byドングリ
2014.12.22
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図書館に借り出し予約していた『世界で一番美しい猫の図鑑』という本を読んだのだが・・・・19世紀後半以降、猫はペットという領域を越え、ブリーディングやショーといった愛好家たちの世界に飛び込んだ。そうして純血種と呼ばれる猫や、外国からやってきたエキゾチックな猫に対する人々の関心が高まった。特に20世紀から21世紀にかけては猫種自体も増えている。新しい猫種の多くは、自然の摂理に反した計画交配により誕生している・・・・だそうです。 この本は、ディープな愛猫家の鑑賞にも耐える図鑑になっているので、多数の純血種の写真に溢れています。で、我が家の雑種の愛猫など、出る幕はないのだが(笑)・・・・世界的に見ると、イエネコの実に96~98%がミックス(雑種)なんだそうです。この図鑑で紹介された猫たちはそれぞれが個性的で可愛いいわけで・・・行過ぎた人工交配にケチを付けることはこの際、目をつぶっておきましょう。世界で一番美しい猫の図鑑よりタムシン・ピッケラル, アストリッド・ハリソン著、エクスナレッジ、2014年刊<「BOOK」データベース>より本書は猫の魅力をたっぷりと語り、ヤマネコがいかにして野生生活を捨てて温かな家庭での生活を手に入れたのか、その歴史をひも解いていく。古代エジプトで生まれたしなやかな身体のアビシニアンに、知性の高さとシルバー・ブルーの被毛が際立つロシアンブルー。優雅で長い被毛の美しいバリニーズに、垂れ耳が愛らしいスコティッシュフォールド。50を超える猫種それぞれの歴史に隠された物語を美しい写真とともに紹介する。<大使寸評>図書館でこの本を受けとった時、大判サイズと重さに驚いたのである。で、図書館でさっそく中をざっと眺めたわけでおま♪愛猫家なら手放せない一冊になろうかと横尾忠則が絶賛しているので予約したのだが・・・ため息がでるほどの可愛さでんがな♪4ヶ月弱、待った甲斐がありました。<図書館予約順番:23(8/21予約、12/16受取)>rakuten世界で一番美しい猫の図鑑 大使好みの猫種としては、アビシニアン、ノルウェージャンフォレストキャット、アメショーあたりなんだが・・・この本からアビシニアンを紹介します。(写真は、この本でなく、ネットから借用しています)<アビシニアン>よりp115~116 アビシニアンはとても美しく、エレガントな猫だ。堂々とした風格を備えているけれど、性格は陽気で、活動的。眠りに落ちるのも早いが、走るスピードもかなりの速さだ。高い棚の上でも、暗い隅っこでも、アビシニアンに届かないところはないと言っていいくらい運動能力も高く、活動的な家族に向いている。好奇心が旺盛で楽しいことを見つける才能は、アビシニアンの特性と言ってもよいだろう。 アビシニアンという名は、19世紀になってようやく与えられた。それは、アビシニア(現在のエチオピア)からやってきたことに由来する。1868年のアビシニアとの戦争後、兵士たちが猫を連れて帰ってきたのだ。特に、イギリス陸軍大尉の妻バレット=レナード夫人のズーラという名の猫が有名だ。『ハーパーズ・ウェークリー』紙でも、1871年に開かれた世界初のキャット・ショーで第3位を獲得した猫のことを、アビシニアンとイラスト入りで紹介されている。ただし、今のところズーラを含め、初期の頃にアビシニアから連れてこられた猫たちと現在のアビシニアンの間には、遺伝的なつながりは見つかっていない。(中略) 1930年代には、メトカーフ夫人とメアリー・ハンツモンが種の確立に尽力したのだが、事がうまく進み始めた矢先に今度は第二次世界大戦が勃発し、終戦時にはアメリカでもイギリスでも繁殖可能なペアがごくわずかになってしまった。 それでも熱意ある愛好家たちの努力によって1950年代に再び相当数を確保できるようになり、1980年代の終わりにはアビシニアンはアメリカで最も人気のある短毛種として名が挙がるまでになった。その人気は現在も衰えることはない。アビシニアンの画像ところで、今日は三田国際マスターズマラソンに出走するので、追って結果速報の予定でおます。(12/21昼間は音信不通になります)
2014.12.21
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図書館で網野善彦著『無縁・公界・楽』というを文庫本を借りて読んだのだが・・・・とにかく内容が充実していて、どこから読んでも、つい引きこまれるのです。特に、「職人尽絵」とこの本をあわせて読むと、中世の職人や芸能民たちの姿が、鮮やかに浮かび上がってくようです。【無縁・公界・楽】網野善彦著、平凡社、増補版1996年刊<「MARC」データベース>より近代から古代まで遡り、駆込寺や楽市など多様な領域に、人間の本源的自由に淵源する無縁の原理の展開をよみとる。日本歴史学の流れを捉え換えた画期的な名著。<読む前の大使寸評>無縁・公界・楽という三つのキーワードが、何やら断定的であり・・・・気になるわけです。ところで、ジャレド ダイアモンド著『銃・病原菌・鉄』の三つのキーワードは具体的であり、まだ分かりやすいですね♪・・・このあたりが欧米のセンスなのか。<図書館予約:(11/29予約、12/07受取)>Amazon無縁・公界・楽網野善彦の世界byドングリ喜多院職人尽絵より大使のツボといえば「職人」である。そのあたりが載っています。<遍歴する「職人」>よりp177~179 公界の場に生きるためには、「芸能」を身につけなければならなかったと、さきにのべたが、戦国期の「芸能民」にも、算置や桂女のように、遍歴生活を送る人々は少なくなかった。また「楽」「公界」「無縁」の場に住む人々も、分国往還自由を保証されており、ある範囲を遍歴するのは、「公界者」「公界往来人」の属性であった。 この属性は、時代を遡るとともに、一層鮮明になり、遍歴の範囲も、はるかに広くなってくる。中世前期、こうした人々は、多少ともこれを蔑視する視角から「無縁の輩」とか、「遊手浮食」の徒とかいわれることもあったが、しかしその実態に即してみれば、多くはそれぞれの「芸能」をもって、天皇・神仏に奉仕する人々で、各々、独自な「道」をもつ「道々の輩」であった。 周知のように、『東北院歌合』をはじめとする「職人尽絵」に現れる「道々」の人々は、多彩をきわめている。これに「普通唱導集」や『庭訓往来』などにみられる同様の「芸能民」を含めてみると、「道々の者」は海人・山人などの海民・山民、鍛冶・番匠・鋳物師等の各種手工業者、楽人・舞人から獅子舞・猿楽・遊女・白拍子にいたる狭義の芸能民、陰陽師・医師・歌人・能書・算道などの知識人、武士・随身などの武人、博打打・囲碁打などの勝負師、巫女・勧進聖・説経師などの宗教人に、一応、分類することができる。 このような非農業民を「職人」として一括することには異論もあろう。鎌倉~室町期における「職人」の用例は多様であり、下司・公文・田所・惣追捕使などの荘官・名主を意味する場合、禅院などの寺院内の役僧をさす場合が多いが、おそくとも南北朝期には、銅細工・白粉焼・紺屋などの手工業者をさす言葉として使われている。 また「芸能」を「所職」「職」とほぼ同意に使用した例は、平安末期から見出されるところだり、神社に属する獅子舞・巫女・田楽・舞人・陪従なども「職掌人」といわれているので、さきのように多様な「道々」の輩を、「職人」と総称しても、当時の用例から大きく離れることはないであろう。 平安末から鎌倉~南北朝期にかけて、「職人」の特徴の一つは、いまのべたように、広範囲にわたって遍歴するところに求められる。当時、農業と非農業とは、すでに大きく分化していたとはいえ、非農業的生産、手工業、狭義の芸能、商業等々は、まだ十分に分化しておらず、遍歴・行商は「職人」が生計をたてるために必須の条件だったのである。おのずと、「職人」にとって、関渡津泊、山野河海、市、宿の自由通行の保証は、いわば生活そのものの否応のない要求であった。 前述したように、こうした「無縁」の場に対する支配権は、平安・鎌倉期には、天皇の手中に掌握される形をとっていた。多くの「職人」が供御人となっていった理由はそこにある。上人・聖が行った社会活動と布教の関係が興味深いのです。<関渡津泊、橋と勧進上人>よりp157~159 康平5年(1062)、讃岐国曼荼羅寺を修造した勧進僧善芳は、寺の荒廃をみて修造のための勧進を行ったといわれており、降って鎌倉初期、平氏によって焼かれた東大寺とその大仏の再建に従事し、東大寺大勧進職に補任された重源も、周知のように、治承5年(1181)、七道諸国勧進を認める宣旨を与えられ、「一輪車六両」によって、勧進を開始しているのである。 平安末期から各地に残る金石文などに広く現れる勧進僧も、もとより、恐らくそのほとんどが、こうした諸国を往反・遍歴する聖であったにちがいない。 こうした活動を通じて、聖・上人たちは、寺院を建立し、仏像・経筒を造り、梵鐘を鋳た。しかし、とくに注目すべきは、行基・空也以来、彼等が橋を架け、道路をひらき、船津をつくり、泊を修造している事実である。 橋を架け、修造するのは、古くから、必ずといってよいほど、聖の勧進によって行われた。例えば、保延5年(1139)、京の清水橋が完成しているが、「洛中貴賤知識造之」といわれているように、これは勧進に架橋であり、祇園四条橋も、永治2年(1142)、「為勧進聖沙汰、直之」と伝えられている。また、さきの恩円上人叡尊は、官符によって、宇治橋の修造を行い、弘安9年(1286)に完成供養を修したのである。 津泊の修築もその例は多い。さきにもふれたように、筑前の鐘ヶ崎に島を築いて船瀬とした往阿弥陀仏は、貞永元年(1232)、鎌倉の和賀江に島を築き、港をつくった勧進上人であった。忍性はそのあとをうけついで、この島の修造を行っているが、一方で魚住泊を修築したことは前述した通りであり、加古川の河口に福泊した勧進上人行円についても、先述した。 これは上人・聖自身が、こうした場を通じて遍歴したこととも関係があろうし、庶民に福祉をもたらす社会活動による布教の意図もあったといえようが、それ以上に、橋や津泊・渡・道路等が「無縁」の場だったことに、目を向けておかなくてはならぬ。橋の境界性、「無縁」の場としての特質については、岩崎武夫氏が「説教と境界性」という興味深い論稿で、直江津の中心を流れる荒川に架けられた「応化の橋」に即して詳しくのべているが、橋は柳田国男氏が『姫橋』で言及しているように、さまざまな伝説でいろどられた、聖なる場だったのである。 渡についてもこれと同じことがいえるであろうし、泊・船瀬が「無縁」の漂流物によって修築される場合のあった点からみても、またそこがのちに、「公界」の都市になったことから考えても、津泊が「無縁」の地であることは明らかであろう。「公界の大道」―道路も同様であった。
2014.12.20
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ちょうど今、朝日の夕刊で『空き家と闘う』というコラムが連載されているので、ときどき読んだり、スクラップしたりしているのです。そして、図書館で借りた『大人が作る秘密基地』という本を読んだとき、はたと思い当ったのです・・・・空き家とスクォッティング(空き家占拠)とは、需要と供給という面から見ると、まさにベスト・マッチングと言えるのではないか♪ということで・・・『大人が作る秘密基地』という本から、毛利嘉孝(社会学者)さんの提言を紹介します。<社会のスキマを生きる:毛利嘉孝>よりp218~219 さて、日本ではどうでしょうか。欧米に比べて土地や建物の所有関係がはっきりしており、隙間が少ない上に、空いている場所を共有して使うという「公共」の概念が定着していない日本では、スクォッティング(空き家占拠)は違法行為、犯罪としてのみ紹介され、社会運動として定着することはありませんでした。 けれども、だからといってスクォッティング的な空間がなかったわけではありません。歴史的に辿ってみると、スクォッティング的な運動は、たとえば野宿者運動の中にみることができます。1990年代の半ばでは、その空間は駅の構内のダンボールハウスでした。 新宿駅のようなターミナル駅では、何百ものダンボールハウスが立ち並び独自のコミュニティを作っていました。 1990年代後半には、野宿者たちは屋根のある駅の構内から追い出され、公園へと移行します。公園にはやはりブルーシートによる仮設テントが作られ、代々木公園や上野公園、新宿中央公園には小さなコミュニティが生まれました。そうしたテント村の中で文化活動を始める若者も現れました。 アーティストの小川てつオと、いちむらみさこが運営する代々木公園の「カフェ・エノアール」は、その代表的な例でしょう。二人は、テント村に住みながら週末は物々交換カフェを公園の中で開いています。エノアールとは「絵がある」という意味です。 もともとはカフェでテント村の住人と一緒に絵を描くところから始めたのですが、その後活動は将棋大会など多岐にわたるようになります。公園は、日本における数少ないスクォッティング的な実践の実験場なのかもしれません。 ところで、現在私たちが直面しているのは、アジール(避難所)としての公園の危機です。たとえば、渋谷の数少ない公園だった宮下公園は、昨年「みやしたこうえん」と名前を変え、フットサル場やスケートボード場、クライミング場を備えたスポーツ公園へと変貌しました。これらにあわせて、公園に暮らす人々は強制的に追い出されたのです。 それだけではなく、例年宮下公園で行われていた路上生活者たちのための炊き出しさえも許可されませんでした。こうした公園からの閉め出しは日本の各都市で始まっています。 スクォッティングは、都市が発展し、拡大していく際に生じる歪みを補正するために必要な、ボトムアップ型の実践です。それは「家泥棒」でも「犯罪」でもないのです。私たちは、私たち自身のスクォッティングを発明する必要があるのでしょう。この提言は、アジール(避難所)に着目するというスタンスであり、やや底辺寄りなんですが、ボトムアップ型の素晴らしい提言だと思うのです。で、この後、空き家とスクォッティングということで、建設的に思索を進めてみようと思う次第でおます♪ちなみに、空き家率は『空き家と闘う』によれば京都市で14.1%、全国平均で13.1%とのことです。
2014.12.19
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図書館で『ビアズリー怪奇幻想名品集』という本を借りたが、ほとんど全頁がモノクロームの線描画であり・・・大使にとってはいわば大人の絵本になっているのです♪この本の解説にあわせて、その絵の一部を紹介します。『アーサー王の死』挿絵(1893)『サロメ』挿絵(1894)『スチューディオ』付録(1895)『リューシストラテー』挿絵(1896)『アリ・ババ』表紙(1896)<ビアズリー芸術の特質>よりp140~142 ビアズリーは、さまざまな美術から影響を受けている。作家の個性は、多様な影響を消化していく中で生み出されるものだが、ビアズリーも例外ではない。重要なのはその消化の仕方であり、影響を受けた対象から、何を、どう学んだか、ということである。 同じ対象から影響を受けたとしても、作家によって学ぶものは異なる。さまざまな対象から受ける雑多な影響の総体が、個性を形づくるのである。では、ビアズリーはどのような環境の中で、どういう影響を受け、どのような個性を作ったのだろうか。 19世紀末はアール・ヌーヴォーの時代であった。アルフォンス・ミュシャ(グラフィック)、エミール・ガレ(工芸)、エクトール・ギマール(建築)など、フランスで活躍した作家が有名だが、アール・ヌーヴォー自体は各国で流行した国際的な運動で、中でもイギリスはその発祥の地として、多くの作家たちが活躍した。 特にウィリアム・モリスによるアーツ・アンド・クラフツ運動は、アール・ヌーヴォーの先駆的な試みとして重要な例である。モリスの作ったケルムスコット・プレスの出版物は、ビアズリーが『アーサー王の死』を制作するにあたって参考にしている。また、初期には非難が大きかったグラスゴー派の作品を擁護した雑誌『スチューディオ』には、ビアズリーも挿絵を描いていた。 ビアズリーの作品にも、明らかにアール・ヌーヴォーの要素が色濃く反映されているが、それはこうした環境を考えると極めて自然なことであったように思える。『サロメ』に見られる、優美な曲線を生かした装飾的な細部の表現などは、イギリスのアール・ヌーヴォーの、洗練された様式を代表するものと言っても過言ではない。(中略) 後期の作品でより顕著になってくるのは、ギリシャの陶器に描かれた人体表現を応用した作品である。ギリシャの陶器では、黒地に赤、あるいは赤地に黒で人体がくっきり浮き上がるように表現される。ビアズリーは白い地にはっきりとした輪郭線を用いて、大胆で動きがあり、どこかユーモラスなギリシャ風の人体を、『リューシストラテー』などのエロティックな主題に応用して、開放的な性愛賛歌を作り上げた。 こうしたエロティックな作品においては、日本の浮世絵、それも春画からの影響も考慮に入れるべきだろう。ビアズリーが実際に日本の春画をアトリエに貼っていたという証言が残っているが、そうした事実がなくとも、春画の影響は歴然としている。(中略) こうした多様な影響を、モノクロームを基調とした鋭い線描によるスタイルへと昇華させていった。それが単なる摸倣でなく、個性的でオリジナリティあふれるものであったということは、エドゥアルド・ムンクやパブロ・ピカソ、レオン・バクスト、パウル・クレーなど、ビアズリーの様式に影響を受けた芸術家が数多くいたという事実を見れば明らかである。 日本にもビアズリー調の絵を描いた作家は少なくない。夏目漱石の本の装丁を手掛けた橋本五葉、版画同人誌『月映』の中心的な作家だった田中恭吉、大正ロマンの代名詞でもある竹久夢二、資生堂の宣伝美術で知られる山名文夫などはその代表的な存在だ。彼らもまた、単なるビアズリーの摸倣ではない個性的な芸術を創造し、後の時代の作家たちに影響を与えている。 さらに大きな可能性を秘めながら、若くして亡くなったビアズリーであったが、その芸術は、時代を超えて確かに受け継がれていったのである。松本大洋さんは、知ってか知らぬか・・・・『鉄コン筋クリート』、『ナンバーファイブ』の鋭い線描には、ビアズリーの影響が見えるのです(大使の場合)【ビアズリー怪奇幻想名品集】オーブリー・ヴィンセント・ビアズリ, 富田章著、東京美術、2014年刊<「BOOK」データベース>より【目次】ビアズリーの生涯/1 初期作品と『アーサー王の死』/2 『サロメ』の衝撃/3 『イエロー・ブック』から『サヴォイ』へ/4 円熟の時代から終焉へ/ビアズリー芸術の特質<大使寸評>晩年のモノクローム線描の独創性、完成度は鬼気迫るものがあるが・・・・現代のイラストレーターを凌駕するような独創性に驚くわけです。25歳で夭折していたのか・・・死を予感していたのだろうか。図書館でこの本を借りた半日後に、原田マハの書評を見つけたので、参照ください。rakutenビアズリー怪奇幻想名品集ビアズリーの画像
2014.12.18
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図書館で借りた『日本美術史入門(別冊太陽)』を読んでいるのだが・・・ちょうど今、本屋に並んでいる新刊の大型本で、ええでぇ♪日本の書画、工芸は中国の影響を受けているが、独自の進化を遂げたわけで、今や中華文明とは別物になったと大使は思うのである。尖閣諸島沖事件があって以来、大使が中国を観る目は、斯様に国粋的に変貌しているわけだが(笑)・・・でも、素直な目で「漢」の世界を見ようとも思うわけです。<再編される「和」「漢」の世界 >よりp155~156 室町時代は全体で200年ほどである。南北朝の合一がなったのが明徳3年(1392)。権力を握った足利義満は、美術の領域でも新たなシステムをつくりあげた。これをベースに室町美術の世界が展開していくのだが、節目となるのは応仁文明の乱。 応仁元年(1467)から十年続き、京都がほぼ灰燼に帰した大乱により、足利将軍の権威は失墜し、室町前期に形成されたシステムは弱体化する。その形を残しながら変化する15世紀の後半を経て、本格的な戦国の世となる16世紀には新たなフェイズに入り、終わりの目安は室町幕府が滅ぶ元亀4年(1573)ということになる。 大ざっぱにいえば、応仁文明の乱までが室町時代前期で、室町時代後期は15世紀と16世紀と漠然と分かれることになる。瓢鮎図:如拙<和漢の構図> 室町時代の文化は、「和漢の構図」からみるのがわかりやすい。仮名と漢字、和歌と漢詩、やまと絵と唐絵から、いまの和食と中華料理に至るまで、「和」と「漢」の対は日本文化のさまざまなところにみられる。 この構図は、平安時代に成立したのだが、新たな「漢」の登場とともに再編されるのが室町時代の前期である。それを用意したのは、前の時代に新たに中国からもたらされたもの。鎌倉から南北朝時代、あちらでいえば南宋・元時代には、多くの禅僧が日本から留学し、また中国の禅僧もやってきた。彼らは禅のみならず、広く中国の文化を伝え、書画や工芸などの美術品もそのなかにあった。 それが大きく社会に広がるのが室町時代。足利義満は、新たな支配者としての文化的アイデンティティを示すため、二つの方向で「漢」を取り込んだ。一つは禅宗を自らの宗教的・文化的なバックボーンとしたこと。五山制度などのシステムが整えられるとともに、禅宗は社会の全面へと躍り出す。禅僧は中国通の文化人として、日本の中での「漢」を担う社会的な階層となり、美術では水墨画や中国風の書画の世界を形成することとなる。 もう一つは「唐物」とよばれる中国の絵画や工芸品の大コレクションをつくりあげ、権威の象徴としつつ、その高い価値を示し直したこと。独立に建てた会所を飾り立てる「唐物飾」に示された新たな価値観とシステムは、特に武家の間に広まり一般化していく。 一方の「和」の世界では、義満は天皇・上皇とともに、当時の技の粋を集めた蒔絵の手箱などを熊野速玉大社に奉納し、歴代将軍も豪華な絵巻をつくらせて、やまと絵の世界を活性化した。 天皇や公家たちは、伝統的な「和」の美術を支えながら、それに新たな趣味をまぶしていく。日本の美術の世界では、時代が変わったからといって、既存のものが消えることはほとんどない。「捨てない文化」の中で、絵巻や屏風絵、仏像や仏画そして蒔絵などの「和」は、新たな「漢」の出現によって、全体の中での位置を変えながらもしっかり生きていくのである。 これらを大きくみれば室町時代の美術には、「唐物」とよばれる中国美術の世界、水墨画など日本でつくられる中国風の世界、そして絵巻などの伝統的な和の世界があった。 それぞれは「和」そのもの、「和の中の漢」そして「和の中の和」といえるだろう。それらはさまざまに関係をもって、ときに混じり合い、また伝統を墨守しながら展開することになる。<舶載された中国絵画>よりp160~161 室町時代には、中国から舶載された絵も、日本で中国風に描かれた絵も、どちらも「唐絵」とよばれていた。そのなかで中国から来た唐絵の価値は、日本の唐絵とはくらべられもしないほどの高みにあった。画家と画風の系統としては、主に禅宗系と院体画系の二つ。「院体」は、中国の宮廷に属する作画機構である画院の画風をいう。漁村夕照図(瀟湘八景図の内) 牧谿は禅宗系を代表する画僧で、室町時代には最も人気が高く、その「瀟湘八景図」はいまに至るまできわめて珍重されてきた。一方の「桃鳩図」は北宋末期の皇帝・徽宋が描いたもの。なにしろ皇帝自身の作だから、最高の宝物である。このようなものから「湖畔幽居図」のような小画面の院体山水画まで、さまざまな唐絵が集められ、観られ、また日本の唐絵の手本となった。この本では触れていないが・・・「和」は職人の手により日本の庶民にまで拡散した。一方の「漢」は高い技巧を保ったが、相変わらず宮廷の宝物という殻を破ることがなかった。【日本美術史入門(別冊太陽)】河野元昭監修、平凡社、2014年刊<商品説明>よりデータ無し<読む前の大使寸評>日本の書画、工芸は中国の影響を受けているが、独自の進化を遂げたわけで、今や中華文明とは別物になったと大使は思うのである。尖閣諸島沖事件があって以来、大使が中国を観る目は、斯様に国粋的に変貌しているわけだが(笑)・・・でも、素直な目で「漢」の世界を見ようとも思うわけです。rakuten日本美術史入門(別冊太陽)
2014.12.17
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。で、今後は「図書館予約の軌跡」としてフォローすることにしたのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・ノー・シューズ(9/9予約済み)・地方消滅(10/24予約済み)・敗戦とハリウッド―占領下日本の文化再建(11/14予約済み)・イチョウ 奇跡の2億年史(12/03予約済み)・だから日本はズレている(12/08予約済み)・日本と韓国は「米中代理戦争」を闘う(12/15予約済み)<予約候補>・東京ブラックアウト(神戸市は収蔵無し)・ジェフ・ベゾス 果てなき野望・クルーグマン教授の経済入門 <予約分受取>・これを語りて日本人を戦慄せしめよ(11/17予約、11/23受取)・つげ義春: 夢と旅の世界(10/11予約、12/2受取)・無縁・公界・楽(11/29予約、12/7受取)・日本語に生まれて(12/09予約、12/16受取)・世界で一番美しい猫の図鑑(8/21予約、12/16受取)【ノー・シューズ】佐々木マキ著、亜紀書房、2014年刊<「BOOK」データベースより>マンガ家デビューから『やっぱりおおかみ』などの絵本創作の背景や『ガロ』で出会った人々との交流までを綴った書き下ろしエッセイ「ノー・シューズ」。神戸の下町で過ごした幼少期を描いたエッセイ「ぼくのスクラップ・スクリーン」。珠玉のエッセイと共に不思議な1コママンガの連作「スカラマンガ」も収録!<読む前の大使寸評>神戸・新長田といえば、ドングリ国の縄張りであるが・・・神戸にはニューカマーの大使が知らない昔のお話が、興味深いのです。 それから、村上春樹との交流も興味深いですね。芦屋と神戸はお隣という関係からなんだろうか?<図書館予約:(9/09予約)、予約#:>rakutenノー・シューズ【地方消滅】増田寛也著、中央公論新社、2014年刊<「BOOK」データベース>より このままでは896の自治体が消滅しかねないー。減少を続ける若年女性人口の予測から導き出された衝撃のデータである。若者が子育て環境の悪い東京圏へ移動し続けた結果、日本は人口減少社会に突入した。 多くの地方では、すでに高齢者すら減り始め、大都市では高齢者が激増してゆく。豊富なデータをもとに日本の未来図を描き出し、地方に人々がとどまり、希望どおりに子どもを持てる社会へ変わるための戦略を考える。 藻谷浩介氏、小泉進次郎氏らとの対談を収録。<読む前の大使寸評>大使の故郷の四国西南部あたりも、消滅の危機にあるわけで笑っている場合ではないのです。<図書館予約:(10/24予約)>rakuten地方消滅地方消滅by速水健朗【敗戦とハリウッド―占領下日本の文化再建】北村洋著、名古屋大学出版会、2014年刊<「BOOK」データベース>より占領政策の一環としてハリウッド映画を利用したGHQと、その到来を歓迎して映画館へと押し寄せた日本人。両者の関係を多面的な交渉のプロセスと捉え、検閲・配給・宣伝をめぐる様々な試行錯誤から、ファン文化の形成まで、熱狂と葛藤に満ちた占領の文化史を描き出す。<読む前の大使寸評>この歳になって、やっとハリウッド映画の呪縛から開放されたというか・・・ハリウッド映画の劣化に気づいた大使である。思えば・・・アメリカン・ニュー・シネマの頃は素晴らしい作品が溢れていたが・・・アメリカ映画をこよなく愛でる下地は、大使がまだ物心つく前から周到に準備されていたようですね。アメリカの占領政策を知りたいと思う今日この頃である。<図書館予約:(11/14予約済み)>rakuten敗戦とハリウッド 占領下日本の文化再建敗戦とハリウッドby吉岡桂子【イチョウ 奇跡の2億年史】ピーター・クレイン著、河出書房新社、2014年刊<「BOOK」データベース>より長崎の出島が悠久の命をつないだ!ヒトの役に立ち、敬われてきたからこそ、この愛すべき樹木がたどったあまりに数奇な運命!2億年近く生き延びたあとに絶滅寸前になったイチョウは、人間の手で東アジアから息を吹き返した。その壮大な歴史を、科学と文化から描く名著。<読む前の大使寸評>人類の過去の記憶、過去のDNAに寄り添うようなイチョウがええなぁ♪銀杏をいただくときは、そのあたりに感謝していただきましょう。<図書館予約:(12/03予約済み)>rakutenイチョウ 奇跡の2億年史イチョウ 奇跡の2億年史byいとうせいこう【だから日本はズレている】古市憲寿著、新潮社、2014年刊 <「BOOK」データベース>よりリーダーなんていらないし、絆じゃ一つになれないし、ネットで世界は変わらないし、若者に革命は起こせない。迷走を続けるこの国を二十九歳の社会学者が冷静に分析。日本人が追い続ける「見果てぬ夢」の正体に迫る。【目次】「リーダー」なんていらない/「クール・ジャパン」を誰も知らない/「ポエム」じゃ国は変えられない/「テクノロジー」だけで未来は来ない/「ソーシャル」に期待しすぎるな/「就活カースト」からは逃れられない/「新社会人」の悪口を言うな/「ノマド」とはただの脱サラである/やっぱり「学歴」は大切だ/「若者」に社会は変えられない/闘わなくても「革命」は起こせる/このままでは「2040年の日本」はこうなる<読む前の大使寸評>斎藤環が古市憲寿のズレに注目しているが、団塊世代の「おじさん」として、それを見ているだけでは・・・あかんのやろな~。<図書館予約:(12/08予約済み)>rakutenだから日本はズレているだから日本はズレているby斎藤環【日本と韓国は「米中代理戦争」を闘う】鈴置高史著、日経BP社、2014年刊<「BOOK」データベースより>4月のオバマ訪韓で迫られた「踏み絵」を振り切り、7月の習近平訪韓で“ルビコン河”を渡り始めた韓国。激変必至のアジア地図、日本はいかに進むべきか。米中の対立激化、北朝鮮の変節、ロシアの影ー。一気に流動化する世界の「これから」を読み解く。<読む前の大使寸評>良質な鳥瞰図のような視点と、グローバルで政治的な視点と併せ持って考えることが肝要ではないでしょうか。つまり、激高しやすい彼の地の民と同じ土俵で論争するよりも、論争は脇に置いて、民間交流に徹するわけです。<図書館予約:(12/15予約済み)>rakuten日本と韓国は「米中代理戦争」を闘う【東京ブラックアウト】若杉冽著、講談社、2014年刊<商品説明>より大ベストセラー『原発ホワイトアウト』を凌ぐディテールと迫力!! キャリア官僚が書いたリアル告発ノベル、最新作! 「原発再稼働」が既定路線のように進む日本……しかし、その裏には真っ黒な陰謀が渦巻いていた! いったん「原発再稼働」を認めれば、「発送電分離」は不可能となる……そのカラクリを暴いていくと驚愕の真実にぶち当たった……そう、「原発再稼働」で殺されるのは、大都市の住民だったのだ!! 自分の家族の命と財産を守るため、全日本人必読の書!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(神戸市は収蔵無し)>rakuten東京ブラックアウト【ジェフ・ベゾス 果てなき野望】(文字数制限により省略、全文はここ)【クルーグマン教授の経済入門】(文字数制限により省略、全文はここ)図書館予約の軌跡10図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム図書館予約を始めたときの最初の予約本『世界で一番美しい猫の図鑑』を4ヶ月弱待って、借りることができました♪
2014.12.17
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「夢追い」でしょうか。<市立図書館>・ヘルン先生の汽車旅行・老人力自慢・無縁・公界・楽<大学図書館>・大人が作る秘密基地・黒澤明 夢のあしあと図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【へるん先生の汽車旅行】芦原伸著、集英社インターナショナル、2014年刊 <「BOOK」データベース>より小泉八雲は「元祖バックパッカー」だった。ニューヨークから松江までの旅でその人生を一変させた男がいた。文無しジャーナリスト、ラフカディオ・ハーンは、一八九〇年、ニューヨークから鉄道で大陸を横断し、横浜へと向かった。松江で「へるん先生」となった男は、熊本、神戸、そして東京へと生涯旅を重ねた。<読む前の大使寸評>ラフカディオ・ハーンのイメージとして、旅行カバンを下げたややうらぶれたシルエットが浮かびます。人生の長旅の最後に、日本にたどりつき…やっと安らぎを得たのかもしれません。そのへるん先生の汽車旅行とあれば、興味がわくのです。 rakutenへるん先生の汽車旅行へるん先生の汽車旅行byドングリ【老人力自慢】赤瀬川原平著、筑摩書房、1999年刊<「BOOK」データベース>より本書は、赤瀬川原平著『老人力』に寄せられた読者からの「読書カード」から、面白いものを選びました。その一部の方には、加筆をお願いしました。また「ちくま」1999年3月号に掲載した原稿募集の呼びかけに応じた方たちの原稿からも選択しました。【目次】老人力エッセイ(老人力の波紋/無償の勉強をするチャンス ほか)/老人力インタビュー(老人力とは何か?/老人力は腹の力)/読者からの便り(私の老人力自慢)/老人力座談会 のんびり元気術(赤瀬川原平/南伸坊/渡辺和博)/老人力インポジウム 老人力VS.不良中年(赤瀬川原平/嵐山光三郎/ねじめ正一/南伸坊)<大使寸評>赤瀬川さんは模型千円札事件を起こしたりいろいろあったが、晩年に「老人力」という概念をぶちあげたことが大きいと思うわけです。とにかく、この概念はイグノーベル賞級のオリジナリティだと、大使は高く評価するのです♪rakuten老人力自慢老人力自慢byドングリ【無縁・公界・楽】網野善彦著、平凡社、増補版1996年刊<「MARC」データベース>より近代から古代まで遡り、駆込寺や楽市など多様な領域に、人間の本源的自由に淵源する無縁の原理の展開をよみとる。日本歴史学の流れを捉え換えた画期的な名著。<読む前の大使寸評>無縁・公界・楽という三つのキーワードが、何やら断定的であり・・・・気になるわけです。<図書館予約:(11/29予約、12/07受取)>Amazon無縁・公界・楽網野善彦の世界byドングリ【大人が作る秘密基地】影山裕樹著、DU BOOKS、2014年刊<商品説明>より自由な発想で生き方をデザインする、大人版・秘密基地18の方法これからの時代を生き抜く秘密基地作りのススメ。創造力と心の拠り所になる7類型。特別寄稿:村上祐資(極地建築家)/毛利嘉孝(社会学者)/服部浩之(キュレーター)ほか<読む前の大使寸評>お金と、機会さえあれば・・・ツリーハウスをつくるのが大使の見果てぬ夢なんですね♪この本に、ツリーハウスの写真が見えたので、即、借りたわけです。rakuten大人が作る秘密基地大人が作る秘密基地byドングリ【黒澤明 夢のあしあと】ムック、共同通信社、1999年刊<「MARC」データベース>より88歳の生涯を映画に捧げた黒沢明。映画30作品のみならず、遺されたシナリオ、絵コンテ、文章、言動の記録から、その生涯を振り返る。黒沢映画に関わった俳優・スタッフを集めた人名辞典を巻末に収める。<大使寸評>数多くの現場写真に添えて、俳優・スタッフの苦労話が載せられていて興味深いのです。特に、大使の関心は映像美術にあるのだが、この本はバッチリはまっています♪Amazon黒澤明 夢のあしあと黒澤明 夢のあしあとbyドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き82
2014.12.16
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『アナと雪の女王』のディズニー攻勢には、その商魂が鼻に付いたので、スルーを決め込んだが・・・日本人を主人公にすえ、日本を狙い撃ちするような『ベイマックス』が、かえって気に障るのである。先日、映画館でベイマックスの予告編を観て、何やらベイマックスに危機感を抱いた大使である。・・・ということで、ベイマックス情報についてネットを巡ると、次の記事がヒットしました。10/25まるで別作品!ディズニー新作『ベイマックス』のポスターが日米で違いすぎると話題より 左の日本版は心温まる物語を予感させますが、右のアメリカ版はアクション要素が強そうです。宣伝の戦略の違い?アメリカではアクション重視の宣伝、日本ではファミリーに向けた心あたたまる作品としてアピールしていきたいという思惑があるのかもしれません。鑑賞後に改めてポスターを見比べて、どちらが正確に表現できているか確認するのも楽しそうです。 この記事や比較写真には、明らかに攻撃的なマーケティングが見えるわけです。原則的にアメリカ映画は観ないことにしているので、良くできたディズニー映画に対しても、懐疑的になるのだが・・・『ベイマックス』製作総指揮のジョン・ラセター氏は宮崎駿さんを敬愛しているようで、来日した際は宮崎さんに会う友人でもあるようです。問題は、ディズニー映画の後塵を浴びてジブリ・アニメに退潮が現れるのではないかということなんです。でも、宮崎さんが第一線を退いた今、退潮は否めないのかも?(弱気に陥る大使でんがな)
2014.12.15
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10月に赤瀬川原平さんが亡くなったが、その逝去を惜しむ大使である。赤瀬川さんが提唱した『老人力』は、一大ブームをまき起こしたが・・・その後に二匹目のドジョウを狙うかのように、筑摩書房の「ちくま」から『老人力自慢』の原稿募集が行われた。・・・『老人力自慢』を読者から募るというアイデアが商魂逞しいというか、なかなか面白いのである♪【老人力自慢】赤瀬川原平著、筑摩書房、1999年刊<「BOOK」データベース>より本書は、赤瀬川原平著『老人力』に寄せられた読者からの「読書カード」から、面白いものを選びました。その一部の方には、加筆をお願いしました。また「ちくま」1999年3月号に掲載した原稿募集の呼びかけに応じた方たちの原稿からも選択しました。【目次】老人力エッセイ(老人力の波紋/無償の勉強をするチャンス ほか)/老人力インタビュー(老人力とは何か?/老人力は腹の力)/読者からの便り(私の老人力自慢)/老人力座談会 のんびり元気術(赤瀬川原平/南伸坊/渡辺和博)/老人力インポジウム 老人力VS.不良中年(赤瀬川原平/嵐山光三郎/ねじめ正一/南伸坊)<大使寸評>赤瀬川さんは模型千円札事件を起こしたりいろいろあったが、晩年に「老人力」という概念をぶちあげたことが大きいと思うわけです。とにかく、この概念はイグノーベル賞級のオリジナリティだと、大使は高く評価するのです♪rakuten老人力自慢この本から、わりと真面目な応募原稿を、一つ紹介します。<白峰圭子(60歳・三重県四日市市)>よりp125 先月、老人力のつきかけた夫を亡くし、楽天家の私の悲しみや涙と妙に親しくなっていたこの頃、新聞広告により赤瀬川原平氏の『老人力』なる本を手に入れて読んだ。 たちまち私は「悲しみ涙本線」とお別れとあいなった。静かな独りぽっちの部屋からクスクス、アハアハ、ワッハッハ・・・。他人が見たら異様な光景である。あげくの果てに笑いすぎて涙、涙の今度は本線ではなくて脱線、真面目な文体だけに余計に抱腹絶倒なのである。氏はどんな顔でこの文を書かれたのだろうとあれこれ想像するだけでも愉快である。 まさしく、「老人力」は現代の洒落であるような気がする。 世の中「どっこいしょ」の精神で、ひと呼吸おいて、ちょっとだけ斜に眺めてみれば、今まで見えなかったものも見え、重荷になっていたことも、そうでなくなるかもしれない。「老人力」は老人だけのものでない。 老若男女全ての人に読んでもらいたいと思う。もっと極端に言わせてもらうならば、世界中に「老人力」が広まれば、もしかしたら世界の平和につながっていくのでは、と思うのは大袈裟であろうか。 ・・・とまあ、最大級の賛辞が述べられているが、とにかく元気になられて良かった♪ この調子で、60歳から88歳までの読者から老人力自慢の便りが寄せられているのだが・・・生きる元気が湧いてくるではないか♪なお、もう赤瀬川原平さんはいないのかにおいて、大使から哀悼の意を表明しています。
2014.12.14
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図書館で借りた『大人が作る秘密基地』を読んでいるんだが・・・冒頭あたりに、「秘密基地の代名詞とも言えるツリーハウス」、「沢田マンションはその代表とも言えるセルフビルド建築」などというフレーズが並んでいて、大使のツボがうずくわけです♪とにかく、「日本の九龍城」とも呼ばれる沢田マンションを、訪ねてみたいわけです。香港の旅行雑誌に沢田マンションが掲載されたとのこと。wikipediaの沢田マンションを見てみると・・・ま~、すごいわ♪wikipedia沢田マンションより 沢田マンションは、高知県高知市薊野(あぞうの)北町に建設された、集合住宅である。鉄筋コンクリート建築を専門職として手掛けたことのない者が、夫婦二人で造りあげた。通称「沢マン」(さわマン)、「軍艦島マンション」とも。現況は、鉄骨鉄筋コンクリート構造、敷地550坪、地下1階地上5階建て、入居戸数約70世帯、約100人居住。 自身の製材業経験やマンション建設過程での発電・給湯などに由来する、沢田嘉農の発動機コレクションが展示してある。 増築に増築を重ねた外観から、軍艦島とともに並んで「日本の九龍城」とも呼ばれ、建築物探訪の名所のひとつとして知られる。 小学生の娘まで動員し「届かない足でレッカー車を運転して」生コンクリートを運び、セメントの練り込みをしたという。「設計図はわしの頭の中にある」として、きちんとした図面もなく独自に工事をしていった。屋上には夫妻自作のクレーンや製材所が設けられた。 手作りの沢田マンションの歴史はまた、度重なる行政指導や工事中止命令などの軋轢の歴史でもあった。現在では、住民で自主防災組織を結成し、年に1度の避難訓練を行なうなどして、行政との関係も概ね良好である。【大人が作る秘密基地】影山裕樹著、DU BOOKS、2014年刊<商品説明>より自由な発想で生き方をデザインする、大人版・秘密基地18の方法これからの時代を生き抜く秘密基地作りのススメ。創造力と心の拠り所になる7類型。特別寄稿:村上祐資(極地建築家)/毛利嘉孝(社会学者)/服部浩之(キュレーター)ほか<大使寸評>冒頭あたりに、「秘密基地の代名詞とも言えるツリーハウス」、「沢田マンションはその代表とも言えるセルフビルド建築」などというフレーズが並んでいて、大使のツボがうずくわけです♪rakuten大人が作る秘密基地以前に借りた『ツリーハウスをつくる』という本を紹介します。日本で、ツリーハウスが出始める頃の本でしょうか。【ツリーハウスをつくる】ピーター ネルソン著、二見書房、2005年刊<「BOOK」データベース>より「木の上の家」は夢じゃない。ツリーハウスが身近になった。森の中だけでなく、街のど真ん中にも建てられる。アメリカ、ヨーロッパ、日本…世界のツリーハウスを探訪。樹上で暮らす愉しみ。 <大使寸評>ツリーハウスが作りたい大使であるが・・・・誰かその場所と大木を提供してくれないものか、と夢想するのである。Amazonツリーハウスをつくる
2014.12.13
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小泉八雲は「元祖バックパッカー」だった。図書館で借りた『へるん先生の汽車旅行』を読んでいるんだが・・・冒頭のキャッチフレーズが表わしているように、小泉八雲を旅行者として見る視点がわりと新しくて・・・・ええでぇ♪この本の見開きに大判のアメリカ大陸上の鉄道旅地図、そして、その裏が日本列島上の鉄道旅地図となっています。つまり、旅行者の目でアメリカ大陸や日本での八雲の足跡を追っているわけで・・・こんな切り口も有りなのか♪ということで、この後、読み進めます。【へるん先生の汽車旅行】芦原伸著、集英社インターナショナル、2014年刊 <「BOOK」データベース>より小泉八雲は「元祖バックパッカー」だった。ニューヨークから松江までの旅でその人生を一変させた男がいた。文無しジャーナリスト、ラフカディオ・ハーンは、1890年、ニューヨークから鉄道で大陸を横断し、横浜へと向かった。松江で「へるん先生」となった男は、熊本、神戸、そして東京へと生涯旅を重ねた。<読む前の大使寸評>ラフカディオ・ハーンのイメージとして、旅行カバンを下げたややうらぶれたシルエットが浮かびます。人生の長旅の最後に、日本にたどりつき…やっと安らぎを得たのかもしれません。そのへるん先生の汽車旅行とあれば、興味がわくのです。 rakutenへるん先生の汽車旅行へるん先生の汽車旅行by保阪正康この本の序章の一部を紹介します。<ハーンは“ヘンな外人”だった。>よりp17~19 私は今、ラフカディオ・ハーンの物語を書こうとしている。 ハーンは明治23(1890)年、アメリカから来日後、島根県の尋常中学校の英語教師として松江に暮らし、出雲地方や日本全国に残る民話や伝説を収集して『怪談』という名作を世に残した。小泉セツと結婚し、日本に帰化し、小泉八雲と名乗った。 ハーンとの出会いは私が高校生のときだった。もはや半世紀も前のことになるが、名古屋で過ごした高校時代、修学旅行で山陰地方を訪れ、松江城下のハーンの旧居(根岸邸)を見学した。根岸家の末裔というお婆さんが案内役で、“へるん先生”の紹介をしてくれた。 羽織袴を着て、神社にお参りに行き、そばや刺身を食べて「おいしい、おいしい!」と舌鼓を打ったこと。風呂に入るハーンの裸姿を一目見ようと、軒先に隠れて固唾をのむ少年たちのこと。当時、松江では外国人の尻にはしっぽがついている、という噂が流れていたらしい。 ちょうど帰化した仏国のコメディアンが「ヘンな外人!」という言葉を流行させ、ブラウン管で人気のあった頃のことで、お婆さんの説明のオチ「ヘンな外人!」に皆が爆笑した。「そうか、この男も考えてみれば、ヘンな外人だったのだ」―そう思うと、急にハーンに親しみが湧いた。 アメリカからやってきた、というのも意外だった。それまでてっきり、ハーンはイギリス人だとばかり思っていた。高校時代、ハリウッド西部劇に夢中だった私は、ハーンがやってきたというシンシナティという町に興味をもった。スティーブ・マックイーン主演の『シンシナティ・キッド』が公開されたばかりの頃だったのだ。あの中西部の埃っぽい、無法の街から粋がってやってきたのかと思うと、小泉八雲という古めかしい明治時代の文豪としてのイメージがまったく変わってくるのだった。 それ以後、松江を訪れるたびにハーンは気になる存在として私の心のなかで増幅していった。というのは、私の本籍地は京都府中郡峰山町(現・京都府京丹後市)で、日本海の片隅にあり、松江にも近かったのである。 峰山には祖先の墓があり、子供の頃、父母に連れられ、盆や正月にたびたび訪れた。当時名古屋から急行「大社」があり、東海道本線、北陸本線、小浜線、宮津線経由で出雲市へと直通で走っていた。(中略) 松江はこじんまりした美しい山陰の城下町で、古い民家や古刹が点在し、たびたび訪れると、なじみの本屋や駄菓子屋ができ、懐かしい第二の故郷のように思えるのだった。出雲は神話時代の太古の歴史の息づくところで、日本という国が造られるなかで、歴史の闇に葬られた猛々しい古代の神への興味は尽きない。 小泉八雲旧宅を訪れるたびに、外国人であるはずのハーンが、なぜ日本の文化にそれほど固執したのか、なぜ日本に帰化したのか? ハーンが過ごした日本の明治時代とは? その激動の時代から私たちが、今学ぶこととはなにか―。 明治という時代と明治人の気風を、ハーンの足跡を辿りながら、タイムスリップできないものだろうか? ―それがこの物語を書く動機だった。 ハーンはアメリカで新聞記者として働き、シンシナティ、ニューオーリンズ、西インド諸島と旅を続けてきた。まるで人生が旅のような男である。著者の芦原伸という人、やけに鉄道に詳しいのだが・・・・鉄道ジャーナル社に在籍したあと、「旅と鉄道」の編集長だったそうで、これで納得した次第です。大使も松江を訪れた際、ハーンの旧居(根岸邸)を見学したが・・・ちょっと侘しいような庭が印象的でした。ここで、以前に読んだことのある小泉八雲著『日本瞥見記(上)』も併せて紹介します。【日本瞥見記(上)】小泉八雲著、恒文社、1975年刊<商品説明>より来日後の第一作。印象がきわめて新鮮で、読む者を歴史と風土への小旅行に誘う。日本をあらためて見直させてくれる好著。極東の第一日、江の島行脚、盆おどり、他の各章。<大使寸評>イザベラ・バードの見た日本人とあまり違っていないようだけど・・・バードより滞在期間が長いだけに、ハーンには生活者としての切り口が見えるようですね♪とにかく、ハーンが日本を訪れた時代には、すでに近代的なジャーナリズムや民俗学が芽ばえているようです。d-pub日本瞥見記(上)詩人ハーンが民俗学的な関心を持って、お稲荷さんを語っています。<キツネ>p399~403より 出雲には、どうもよその地方よりも、キツネの像が多いように思われる。しかもこの地方は、ことに百姓のあいだで、キツネは米の神として崇める以外に、なにか別のものの象徴になっているらしい。 正直いうと、この地方の下層階級のあいだでは、稲田の神という昔の観念は、純正の神道の観念とはまるで性質のちがう怪異な信仰によって、――つまり、キツネの信仰によってすっかり蔽いつくされて、ほとんどその観念は消えてしまっている。神の尊崇が、その神のお使い姫の尊崇に席を譲ったというわけである。 いったい、キツネは、もとは稲荷のお使い姫にすぎなかったのである。ちょうど、今でもカメが金毘羅のお使い姫であるように、また、シカが春日大神のお使い姫であるように、あるいは、ネズミが大黒天の、タイが恵比寿の、白蛇が弁天の、ムカデが戦の神である毘沙門のお使い姫であるように。 ところが、何百年という長い年月のあいだに、そのお使い姫であるキツネが、神性を横取りしたのである。だから、キツネの石の像は、こんにちでは、キツネ信仰の唯一の有形の証拠というわけではなくなっているのだ。 稲荷の社へ行ってみると、たいていどこでも、社殿の裏手の壁の、地上、1,2フィートのところに、直径8インチぐらいの丸い穴があいているのを見受けるだろう。どうかすると、その穴の口が、引き戸で締まるようになっているのもある。この丸い穴はキツネの穴で、穴の入口の戸が明いている時に、中をのぞいてみると、おそらく、穴のなかには、キツネの好物だと考えられている豆腐その他の食物を上げてあるのが見えるだろう。それからまた、穴の下のところから、あるいは穴の近くか、さもなければ穴のふちに、小さな板が出ていて、その板の上に米粒が撒いてあるのを見受けるだろう。 そして、おりからそこへ参詣にきた百姓が、ポンポンとかしわ手を打って、何やらちょっと拝んでから、その撒いてある米粒を、ひと粒かふた粒、呑みこんでいるのを見かけるだろう。これは、その米粒が病気を治したり、病気の予防になると、一般に信じられているからである。 ところで、こういう穴のこしらえてあるキツネは、これは人間の目に見えないキツネで、いわば化けギツネ、―百姓たちから、「おキツネさん」といって崇められているキツネである。こういう目に見えないキツネが、どうかしたひょうしに姿を現すと、その毛色は、雪のようにまっ白だといわれている。(中略) こういう信仰のなかには、いろいろそこに妙な矛盾がまじりこんでいる。そのことは、いずれ後章にのべることにするが、とにかく、キツネの迷信を定義づけることはじつにむずかしい。 それは、信者自身の間に、この問題の観念が雑多に入り混じっているためと、この迷信を形づくっている要素が雑多なせいとによる。キツネの迷信の起こりは中国であるが、日本では、それが神道の信仰とへんにごっちゃにまざった上に、そのまざったものがまた、仏教の方の神通力などという考えによって、さらに修飾され、拡大された形がある。 まず一般民衆のばあい、かれらがキツネに尊敬を払うのは、キツネがこわいからだというのが、おそらく無難な見方だろう。農民はいまでも、こわいものを崇めているから。
2014.12.12
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10日のNHKクローズアップ現代で『本を読まない人が急増』と題して立花隆さんとのトークが見られたのです。おっとこれは、図書館大好きの大使のツボをつく題材でんがな♪NHK広がる“読書ゼロ” ~日本人に何が~より 9月、文化庁が衝撃的な調査結果を発表した。 調査した2000人のうちおよそ半数(47.5%)が、「1か月に1冊も本を読まない」と回答したのだ。勉学に勤しんでいるはずの大学生でも、40%が1日の読書時間が“ゼロ”という別の調査結果もある。“読書ゼロ”は何をもたらすのか―。人と情報の関わり方を研究している筑波大学の逸村裕教授は、学生の小論文の変化に注目している。 近年、ほとんどの学生がインターネットの検索サイトに頼って論文を執筆、情報を羅列するものの、持論を展開するのが苦手になっているという。その一方、検索スピードは格段に向上し、閲覧する情報量は急増。わずか1秒で、表示された情報が有用かどうかの判断を下しているという。 元来、働きながらでも本を手放さない二宮金次郎を敬ってきた日本人。本との関わり方はどう変わるのか。最新の研究成果も交え、読み解く。記憶を頼りに、番組のキーフレーズを再現してみます。・本を読まなくなった学生たちは、スマホでネット検索あるいは読書する。・広く浅く情報を取得するが、自己の意見はことば少ない。・読書によるイメージ構成とテレビ画像によるイメージ構成とでは、脳内の動きが違う。・情報のスループットが増えているが、どの情報が大事かの思考力には疑問符。・本とは、ひとまとまりの総合メディアである。・本で他人の生きかたなり、物語を疑似体験して、自己形成に役立てることが大切。・本を読んで、読むだけでなく書くことが大切である。立花さんは「だから、もっと本を読め」と言うでなく、知の宝庫でもあるネット情報を賢く利用すべきであるとのスタンスで、トークを締めていたが・・・年齢を感じさせない指摘が、さすがであった♪確かに、このところドングリ国の地下鉄車内の光景は・・・本や新聞を読む人よりは、スマホを読んだり操作する人のほうが多いのである。(携帯持たない主義の大使には、かなりいらつく光景ではある)「日本人の思考力は衰退するのでは?」と、老人の繰り言を言うわけではないが、回りの空気を読みながら、膨大で素早い情報に触れ続けることで・・・日本の若者たちは、今後、我々旧世代とは異質な者に変わっていくのでしょうね。で、この変化は果たして進化と言えるものなのか?・・・おっと、この辺で止めとこう。(老人の繰り言になるので)
2014.12.11
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図書館で『黒澤明 夢のあしあと』というムック本を借りたが・・・数多くの現場写真に添えて、俳優・スタッフの苦労話が載せられていて興味深いのです。特に、大使の関心は映像美術にあるのだが、この本はその関心にバッチリはまっています♪『七人の侍』のなかで、この雨中の攻防シーンは圧巻である♪このシーンが厳冬期に撮影されたそうだが・・・ここに映画制作にかけては、血も涙もない(笑)黒澤監督の厳しさが表れているようです。俳優たちはカット終了までは歯の根も合わず死ぬ気で頑張ったそうで、カットの合図が出ればたらいのお湯をかぶったそうです。【黒澤明 夢のあしあと】ムック、共同通信社、1999年刊<「MARC」データベース>より88歳の生涯を映画に捧げた黒沢明。映画30作品のみならず、遺されたシナリオ、絵コンテ、文章、言動の記録から、その生涯を振り返る。黒沢映画に関わった俳優・スタッフを集めた人名辞典を巻末に収める。<大使寸評>数多くの現場写真に添えて、俳優・スタッフの苦労話が載せられていて興味深いのです。特に、大使の関心は映像美術にあるのだが、この本はその関心にバッチリはまっています♪Amazon黒澤明 夢のあしあとこの本では『七人の侍』の撮影エピソードに多くをさいているが、黒澤映画のベストでもあり、当然の扱いなんでしょうね。<七人の侍ロケ地探訪、静岡県堀切>よりp168 黒澤映画の編集は、オプチカルの多用、マルチカメラ、徹底したアクション・カットによるつなぎ、などによって、水の流れるような独特の映像言語を形成している。そのうちのアクション・カットは初期作品から一貫している手法だが、『七人の侍』から徹底するようになる。これは私見だが、村のロケ地が分散しているので、異なったロケ地とのつなぎ目が鑑賞者に悟られぬようアクション・カットを多用したと思われる。 離れ家の炎上シーンでは、マルチカメラと、1台のカメラで撮られたフィルムが交互編集されている。 「離れ家の炎上シーン」の現場におられたスタッフの方々(斉藤孝男・撮影、村木与四郎・美術、浜村幸一・火災調整、堀川弘通・監督助手)にお会いして、お話を伺ったが、幾度も撮り直した水車小屋の炎上シーンと比べて撮影はスムーズに行われ、一回でOKになったとのこと。しかし、それまでの黒澤作品で、最も大がかりな撮影ではなかったか。三台のキャメラが回されるのは初めてである。<村木与四郎の話、柱でもなんでも焼き板に>よりp172 私の場合は中学の時から、木材の方の学校におりまして、実際に漆ですとか普通の塗りもやったのが、ある程度功を奏したみたいなことで・・・それから塗り屋の人に大変優秀な人がおりまして、会社でその人を入れない時に、黒澤さんが会社に行って塗り屋さんを社員に入れろと言ったわけですね。そういう話があったくらいに一人そういうふうに造詣の深い人がおりますと、夢中になるんですね、黒澤さんは。(その人が)よそに獲得されなかったということは、うちのセットが良くなった元だと思いますね。『七人の侍』から、柱でもなんでも焼き板にしましてね。塗りで古さを出す仕上げを始めたわけです。<志村喬の話、途中から「みぞれ」が>よりp176 2月の雨の中の戦闘シーン、途中から「みぞれ」が降ってきました。歯の根が合わないというか、ほんとうに合わないのです。カチカチカチカチ。それでも「用意」の声がかかると、このカチカチが止まるのです。カットの声を聞くとトタンに又カチカチ。おかしいやら寒いやら、それに膝を没する泥の中の戦闘で皆ころびました。しかし今ふりかえってみて懐かしさだけが残っています。我が田に水を引くようですけれど、とにかく面白いのです。映画『デルス・ウザーラ』をいま思うより『デルス・ウザーラ』をまだ観ていないのだが、この本を読んで「観てみたい」と思ったのです<『デルス・ウザーラ』は30年前からの夢だった、黒澤明>よりp281 『デルス・ウザーラ』の映画化は、ぼくが30年も前から考えていたことでした。まだ助監督だったころ、たまたま探検記が好きで、『デルス・ウザーラ』の原作を読んで、デルスという人物がとても好きになったわけです。ぜひ映画にしたいと、『白痴』(51年)を終えたあとだったと思いますが、いちど久板栄二郎さんに話してシナリオを書いてもらったのです。そのころは勿論ソビエトで撮るなんて考えてもみなかったから、舞台も人物も置き換えてやったのですが、できたシナリオがどうもおもしろくない。しょせん日本ではうまくいかないのです。 その後、1971年2月、ソビエトのセルゲイ・ゲラーシモフ監督が来日したとき、ソビエトで一本撮る気はないかという話があり、それからその年のモスクワ映画祭に特別出品として「どですかでん」を持って、ぼくがソビエトに行ったとき、向こうからあらためて一本撮らないかという話がでたのです。 日本に来たことのあるレフ・クリジャーノフ監督と会って話していたとき、『デルス・ウザーラ』をやってみたいと言ったのです。すると向こうは、びっくりして「『デルス・ウザーラ』を知っているのか」と言うわけです。「いやあ、30年も前からずっと考えていた」と言うと、「それならそれがいいじゃないか。実は、すでにソビエトで撮った『デルス・ウザーラ』があるけれども、それはとてもつまらない、黒澤さんが撮るなら勿論、全然違うものができるだろう、それがいい」と、けっきょく『デルス・ウザーラ』を撮ることに決まったのです。 アルセーニエフという人は陸軍幼年学校を出て、もともと軍人だったが、子どものときから動物学、植物学、地理学、地質学に大変な興味を持っていた。それで若い士官として極東に派遣され、はじめ軍の戦略的研究から探検を始めたのですが、やがて本格的なシベリアの学術調査をやることになる。 その後、8年間もハバロフスク博物館の館長をつとめたこともある。軍人、探検家というより、地理学者であり文学者です。だから、今でもとても尊敬されていて、ハバロフスクには勿論、亡くなったウラジオストックにも大きな銅像が建っている。<『デルス・ウザーラ』の時の黒澤さん、ユーリー・サローミン>よりp283 監督との最初の面接にスタジオに出かけたとき、私がどんなに興奮していたか、2回も途中から引き返したことなどについても語るまい・・・。とにかく、私は、ついに偉大な日本人に会うことができたのだから、私が想像していた通り、彼はすらっと背が高く、エレガントで、賢い手、賢い口元、彼の存在のすみずみにハーモニーがゆき渡り、余計なものが何一つなかった。恐らく大自然は、自分の創作にさぞ満足しているだろう。 撮影現場で、黒澤さんがロシア語で叫んでいた。「用意! モーター! 始め!」の号令は、一生私の記憶に残るだろう。種田陽平vs村木与四郎つまり、新旧の美術監督が『伝説の映画美術監督たち×種田陽平』で、黒澤作品などを語っています。
2014.12.11
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水村美苗著『日本語が亡びるとき』刊行時には、日本語ミニブームを湧き起こしたが・・・パロディのような『日本語は亡びるのか?(ユリイカ2009年2月号)』が出ていたとは知りませんでした。この本を神戸市図書館で検索したが、古い雑誌は置いていないのです。仕方ないので、アマゾン古書で注文して、ゲットしたのです。【日本語は亡びるのか?(ユリイカ2009年2月号)】ムック、青土社、2009年刊<カスタマーレビュー>より水村美苗『日本語が亡びるとき』にまつわる論考は15本ほど収録されている。水村氏のインタビューもある。「詩と批評」のユリイカと縁遠いところで生きていても、さらに考えを深めたい人は必携。2月号の論者の中にも、この誤読の上で論を寄せているものもいた。というより、『亡びるとき』をまるで読まずに書いているでしょ?というツワモノもいて、水村氏の議論と無関係に日本語にまつわる自説のみを開陳していて可笑しかった。<読む前の大使寸評>表紙の体裁と本文内容が、本家の『日本語が亡びるとき』のパロディになっているのが楽しい♪この本と本家の『亡びるとき』と並べて読み比べるのも、面白いかも。<図書館予約:神戸市は収蔵無しなので、アマゾンの中古本購入>Amazon日本語は亡びるのか?(ユリイカ2009年2月号)本家の『日本語が亡びるとき』を蔵書録5より紹介します。【日本語が亡びるとき】水村美苗著、筑摩書房、2008年刊<内容紹介より>豊かな国民文学を生み出してきた日本語が、「英語の世紀」の中で「亡びる」とはどういうことか? 日本語をめぐる認識の根底を深く揺り動かす書き下ろし問題作! 第8回(2009年)小林秀雄賞受賞<大使寸評>何といっても、この本のタイトルが見事なキャッチコピーになっています。言語ナショナリズムの大使が見事に捕まりました(笑)Amazon日本語が亡びるときこの本で、水村美苗さんへのインタビューを見てみましょう。<世界史における日本語という使命>よりp33~35Q:まずあらためてお訊きしたいのは、水村さんがこの本を書かれたモティベーションはどこから来たのかということと、またそれが10年弱という長期に亘って書かれた中で変化したかどうかということなんです。水村:実は、これは偶然本になった本なんです(笑)。『本格小説』(2002)を書いたあと、それまでに溜まっていたエッセイや評論を集めた本を出そうという話が筑摩書房からありました。 そういう本って、やはり一つは書き下ろし巻頭エッセイがあった方がいいっていうことになっているでしょう。それで、横着して10年前にパリで話した「パリでの話」を中心に、かんたんなエッセイをまとめることにした。 しかも、そもそも「パリでの話」も、実はその1年ほど前にミシガン大学でした英語の講演の焼き直しでしかないんです。 焼き直しをさらに焼き直して巻頭エッセイなるものをまとめてしまおうなんていう横着な気持ちしか持てなかったのは、『本格小説』の最後の方で体調を壊してしまい、新しいことを書く気力も体力もなかったからなんです。 ずうっと病気でした。ところが、書き始めたら、あれよあれよと四、五百枚になってしまった(笑)。10年のあいだに知らないうちに、色々な思いが溜まっていたんですね。それで、一冊の本として出すことにし、数年間かけてさらに書き足し、推敲を重ねました。書き進むにつれて、自分がそもそも何を言いたかったのかが混乱してきて、先が見えないくらーい毎日でした。 体調は悪く、母の介護もあり、何度もやめてしまおうと思ったぐらいです。それが、たまたま2007年の11月にプリンストン大学で開かれる日本文学の学会の基調講演に誘われた。どうしようかと迷っていると、その直後にイエール大学からも話に来ないかと誘いがあった。偶然なんです。さらにそれを知ったコロンビア大学も便乗する。それで、例によって、これもたまには外国に出よという神のお告げかもしれないと思い、この本にかんたんにしてかんたんに話すことにしたんです。 について論じた、一番理論的な三章を中心に英語で講演をまとめました。外国語で思考し直すのはいいことで、そのときに、それまでまとまらなかった道筋がすっと見えたんですね。Q:ああ、それで腑に落ちました。「執筆のモチベーションが変化したのではないか」とお聞きしたのは、この本の一章に書かれた各国の小説家たちの話と、続く二章のパリでの講演、そして三章の理論的な話へと移る過程で、若干ずつ温度差があるように感じられたからだったんです。 一章のあの印象的な、夜中ホテルの廊下を歩いているとあちこちの部屋からキーボードをタイプする音が聞こえてくる、小説が無数の言語でいま産出されているという美しいシーン、あそこ自体をほとんど小説のように読んでしまったからかもしれませんが、そこで語り手が「これらが消えていってしまう」とつぶやくようなある種ユニバーサルな「多様性の擁護」と、三章から後半にかけての「日本語の保持」という話のあいだには、違う手触りがあるような気がしました。 全体が刊行された後の読み手の声は、主に後者に向けられているようですけど、そこはどうなんだろう、と。水村:その反応はとても正しいものだと思います。まさに「パリでの話」は「多様性の擁護」の話で、最初の二章はまずそこに向かって進むように書かれています。ところが、三章を境に、四章からは日本語の話に焦点が移る。それは、実際に、パリで「パリでの話」をしたあと、日本語についての認識が私なりに徐々に深まり、それが、四章から表にバアーッと出てくるからです。 書き進むうちにさらにその認識は深まり、そのたびに、一章、二章に戻ってちょこちょこと手直しをし続けなくてはならなかったぐらいでした。 ところで、その日本語にかんしてですが、本の題が誤解を生んだようなのでこの場でもう一度明確にしておきたいことがあります。あまりにあたりまえのことですが、この本はの本であって、の話ではないということですね。ところで、『日本語は生きのびるか』という本が出ているが、次の書評を読むかぎり・・・『日本語が亡びるとき』のパロディではないようです(笑)。日本語は生きのびるか―米中日の文化史的三角関係
2014.12.10
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図書館で『サンテイアゴ巡礼の道』という本を手にしたが・・・借りた決め手が、檀ふみのレポートが載っているというミーハーなもんで、すいません。【サンテイアゴ巡礼の道】檀ふみ、他著、新潮社、2002年刊<「BOOK」データベース>よりスペイン横断800キロ!檀ふみの書下ろしエッセイ50枚!パウロ・コエーリョ(『星の巡礼』著者)と“奇跡”を見た!?ロマネスクの荘厳な教会、美しき自然、豊富な海の幸とワイン…。生きている中世、いざ聖地へ。<大使寸評>2002年刊行の本だからやや古くなったが、妙齢の檀ふみの写真が見られるのが・・・・ええでぇ♪rakutenサンテイアゴ巡礼の道檀ふみのレポートの一部を紹介します。<神ともにいまして・・・>よりp84~88 その話は、どうも私向きではないように思われた。 テレビの番組で、パウロ・コエーリョというブラジル人作家と、サンティアゴ巡礼道を歩いてみないかというのである。 「コエーリョさんは、15年ほど前に一度、歩かれたことがあるそうです」 マネージャーは言った。その体験をもとに『星の巡礼』という本を書いて、作家デビューを果たしたのだという。しかし私は、パウロ・コエーリョという名前はおろか、サンティアゴ巡礼道なるものがこの世に存在することさえ、知らない。 「『アルケミスト』っていう小説は、世界で1千万部以上売れてるんですって」(中略) 私たちは聖ヤコブの眠るコンポステラを後にして、フランスのサン・ジャン・ピエ・ど・ポーまで、約800キロの道を、巡礼とは逆に辿ることになっていた。もちろん、撮影のためなのである。ほとんどの移動は車になる。 「巡礼とは、生まれ変わること。今までの自分を捨てることなんだ」 と、パウロは言う。 「この道を歩いて、あなたもまた、新しい自分を見つけてほしい」 だが、こんなものが「巡礼」と呼べるのかどうか、すこぶる疑わしい。 むかし、ポルトガルで見た光景が、チラリと脳裏をかすめた。 あれはどこだったろう。車で街道を走っていたら、窓の外を不思議な姿の人が歩いているのに気づいた。一人、二人ではない。幾人も幾人もすれ違う。自分の身体と同じくらいの大きさの十字架を背負って、黙々と歩く人。足枷をひきずるようにして、裸足で進む人。杖にすがるようにして行く黒ずくめの老婆。なんだろう。仮装行列にしては、やけに真に迫っている。 「ファティマに向かってるんですよ。巡礼です」 土地の人が教えてくれた。 巡礼には、そうした、半端ではない、非常に過酷なイメージがある。 おまけにサンティアゴは、「新興」聖地のファティマとは格が違う。千年のむかしから、エルサレムとローマに並んで、キリスト教の三大聖地に数えられているところなのだ。 私はといえば、大いなるものに敬虔な気持ちを抱いていた少女時代も、今は昔。「愛欲と物欲を捨てたいま、私を俗世と結ぶのは食欲だけ」などとうそぶきつつ、実はどんな小さな欲も捨てていない。さもしい中年オンナとなりはてている。そもそもそんな人間に、この道を行く資格があるのだろうか。 しかし、パウロは、大勢の騎士や貴族、聖職者たちが、異教徒から命をかけて守ろうとしたこの聖なる道を、キリスト教徒だけのものとは考えていないようだった。キリストが生まれる前から道はあったと、力説する。 「この道で、君はきっと、奇跡を体験する」 「奇跡」と聞いて、思わず身をのりだした。 「奇跡? 私が? 本当に?」 この目で奇跡を見てみたいというのも、俗なる私の、「欲」といえば「欲」なのかもしれない。パウロはニッコリ笑って頷いた。 「ウン、必ず」 そして、パウロとともに広場を出て、古い石畳の道を十歩も歩かないうちに、その「奇跡」を目の当りにした。 「パウロ!パウロ・コエーリョ!」 鋭い叫び声に、驚いて顔をあげると、道の向こうから、リュックを担いだ大男が、杖を振り上げて、こちらに向かって走ってくる。「パウロ・コエーリョ!」 青年の頬は紅潮していた。目はキラキラと輝いている。ところで、サンテイアゴ巡礼といえば、7年前に観た「サン・ジャックへの道」という仏映画を思い出すのです。H24年の日記から、その映画を紹介します。【サン・ジャックへの道】コリーヌ・セロー 監督、2006年仏制作、2007年観賞<goo映画解説>よりストレスで薬に依存している兄ピエール、頑固なオバサン教師クララ、アルコール漬けで文無しの弟クロード。険悪な仲の兄姉弟が、亡き母の遺産を相続するためフランスのル・ピュイからスペインの西の果て、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラまで1500kmにも及ぶ巡礼路を一緒に歩くはめになった。このツアーの同行者は、ガイドのギイ、山歩きと勘違いして参加した女の子エルザとカミーユ、アラブ系移民の少年サイッド、従兄弟サイッドにだまされ、二人分の旅費を母親から出してもらったラムジィ、物静かな女性マチルド。9人の男女が、様々な思いを胸にフランスのル・ピュイから旅の一歩を踏み出した。<大使寸評>この映画のコメディタッチがいかにもフランス映画という感じで、回教徒の若者にも寛容なところが、いいですね。巡礼を完遂した後に、アッラーアクバル!と歓喜の叫びをあげるのが、笑わせます♪goo映画サン・ジャックへの道国外脱出/サン・ジャックへの道byドングリヨーロッパ映画サン・ジャックへの道
2014.12.09
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「メイキング・寅さん」を一歩深めて、「メイキング・シナリオ・オブ寅さん」という構成になっています♪とかく、シナリオは見ると味気ないので、こんな本を読んでシナリオに親しもうというわけでおま。【山田洋次+朝間義隆 シナリオをつくる】山田洋次+朝間義隆著、筑摩書房、1994年刊<商品の説明>より出会いの偶然があり、愛が生まれ、やがて別れの時がある。笑いと友愛と郷愁の世界を、渥美清の歯切れのいいセリフにくるんで送る、年の瀬の風物詩『男はつらいよ』。その超人気シリーズの舞台裏をはじめて明かす、名コンビによるおかしくも真面目な奮闘努力対談。<大使寸評>「メイキング・寅さん」を一歩深めて、「メイキング・シナリオ・オブ寅さん」という構成になっています♪巻末にできあがったシナリオ『男はつらいよ・寅次郎の青春』が付いています。監督とライターがシナリオ構成を練り上げていく様が載っていて・・・なかなか気の利いたシナリオ案内となっています。encore山田洋次+朝間義隆 シナリオをつくる冒頭に、朝間さんがこの本の成り立ちを述べているので、一部を紹介します。<大事件はいらない>よりp3~5 この年(1992年)は、山田さんが長い間温め続けてきた『学校』の脚本を、5、6、7月で書き上げた。たくさんの先生と生徒たちが登場人物である学校という舞台で、誰を主人公にするか、物語の時間の枠をどう設定するかでずいぶん悩み、何度も暗礁に乗り上げた。 二ヶ月もかかってようやく探しあてたのが、卒業が間近に迫った冬のひと夜に限って、ある教室の授業を中心に、先生と生徒を見つめていくという手法。それに思いいたると、今までのしん吟が嘘のように、すらすら物語が進みだした。 「とうとうできたなあ」。山田さんは原稿の束を手にして、十年以上も懐に抱いていたシナリオの完成に、感慨深げだった。 暑い夏のひと月を休み、9月2日から、また神楽坂の旅館「和可菜」に通いだした。新しい素材に取り組んだ後、毎年恒例になっている「寅さん」の物語に帰って来たので、いっそう懐かしく、浮き浮きした気分で「和可菜」へ向かった。だが、知り尽くしている世界だから楽ということはない。いや、なまじ形ができ上がっているだけに、新しい登場人物をどうあてはめていくかが難しい。 『寅次郎の青春』について私たちが最初のミーティングを持ったのは、4月の半ば。その時点で、山田さんは二つのストーリーをデッサンしていた。 ひとつは、4本目を迎えた満男と泉の物語。中学校のブラスバンド部で先輩・後輩の間柄だった二人の、初恋にも似た愛を育てていく過程が、近頃「寅さん」の中心主題となっている。その二人が、立派な成人として、それぞれの世界に羽ばたいて行く―。 もうひとつは、過去三年作っていずれも評判のよかった、旅回りの歌手リリー(浅丘ルリ子さん)の登板。久し振りに彼女に再会した寅は、さぞ貧しい暮らしを送っていることだろうと同情し、すぐ未亡人になって、今や横浜の豪邸でたくさんの召使にかしずかれている身分―という、奇想天外な物語。 「まさか、両方まぜこぜにするわけにはいかないだろうな」と、山田さんは名残惜しげに後者を見送ることに決めたのだった。この本の中でも、山田さんはそのリリーの挿話を楽しげに語っている。 六月末、去年からロケ地として招聘のあった宮崎を、二泊三日で旅した。『学校』がうまく進まず、くさくさしていた時なので、ちょうどいい気晴らしにもなった。 初日は、日向市北部を中心に歩き、馬ヶ背という断崖絶壁で、一人の青年が遺書をおいて飛び込もうとしているという挿話を思いついた。美々津という貿易港として昔栄えた、静かな港町に一泊。食事を終え、畳にごろごろしてとりとめのない話をしている内にも、4人(寅、マドンナ、満男、泉)の芝居をどう宮崎で組むか、それで相当苦しむぞという予感がした。 翌日は雨。美々津の町を傘をさして散策。シナリオ・ハンティングでは、魅力的な場所に行きあたるのもさることながら、さまざまな暮らしを持つ人々に出会って刺激を受けるが大切なのだが、雨が降りしきる道に人影はなく、山田さんの提案で宮崎市まで汽車で移動した。この本で、シナリオ作りの現場を見てみましょう。<シナリオをつくる>よりp19~20 今月は9月2日、いよいよシナリオつくりのスタートです。 今回で、連続して4回もマドンナを演じることになる後藤久美子。彼女の演じる泉と満男の間に、そろそろ何らかの決着をつけなければならないだろう。それには、映画『息子』で好演した永瀬正敏君を起用して、二人の間に置いてみたらどうだろう。 いわゆる「聖なる三角形」が出来てゆくのではないか。これが、今回の話づくりのモチーフである。もう一人のマドンナ、すなわち寅が恋するであろう「妙齢」の女優は、この時はまだ決まっていない。 ロケーションは、先方の強力なオファーもあり、宮崎県と決まっている。寅はほとんど全国を歩いているのだが、まだ足を向けていなかった県の一つである。宮崎市をほぼ中心として、南北に約60キロに及ぶ海岸線に平野部があるという独特の地形である。物語の舞台を、北の日向市美々津あたりにするか、あるいは南の日南市油津の近辺にすべきか、まだ決めかねているところである。山田:青年(永瀬君)と満男は向こう(宮崎)で、極端にいえば、ほんとに大ゲンカになる。海岸で殴り合ったとか、そうなってもいいし、逆にそのことで仲良くなったっていい。そんな男たちを見ているうちに、泉の気持ちがだんだん冷めていくというかなあ。朝間:そういう方向になるかどうか。別れということに、自然に持っていければいいんだけど。山田:どう説明したらいいんだろう。別れる話というと、なんだかとても暗い話という感じがしちゃうんだけど、簡単に言うとさ、満男と泉がケンカしていると、寅が間に入って、その後いろいろあって仲直りするとか、そういうふうにすると落ち着きがいいんだけどね。別れてしまうというのは、なんか深刻なんだよなあ。朝間:いつも、最後は別れるんだけど。山田:また付き合っていくのさということで、一応は一段落つけてもいいんだよね。朝間:若い男女としての関係があって、それが悲劇的に壊れてしまうんだけど、そんなこともあって生きて行くのよ、ということでいいんじゃないかな。山田:そうだな。とりあえずは、ちゃんと別れるけどね。また手紙が来たりするわけだから。この間に、泉の母の問題をなんとかしなきゃいけない。 この話は人間関係が入り組んでるから、そのことのおかしさは出るけれども、ただ、あまりそっちのほうに行き過ぎないかということである。この青年がどういうシチュエーションかということもあるけども、日本の現実というか、それをこの青年は代表しなきゃいけないんだよな。くだんの鑑賞フォームを作ってみました。【男はつらいよ 寅次郎の青春】山田洋次監督、1992年制作<movie.walkerストーリー>より 秋風の漂う頃、旅から旅のフーテンの寅こと車寅次郎は九州・宮崎のある港町で、“髪結いの亭主”よろしく理髪店の女店主・蝶子のもとに居候することになった。 一方、寅の故郷、葛飾・柴又では、東京のレコード店に就職した泉が、休み前になると満男の家に遊びに行き、さながら家族のように過ごしていた。 そんな泉は高校時代の親友の結婚式で宮崎に出かけ、偶然、寅に出会う。久しぶりの再会に喜ぶ2人だったが、そこへ蝶子がやって来て、大あわてした寅は足をくじいてしまう。泉から電話でそのことを聞いた満男は、大急ぎで宮崎へ。その慌てようにさくらたちは大騒ぎとなるが、満男が急いだのはもっぱら泉に会いたいからだった。 宮崎に着いた彼を迎えに来たのは泉だけでなく、蝶子の弟で漁師の竜介も一緒だった。泉が竜介と仲良くしている様子に満男はふくれるが、竜介にはちゃんと許婚がいることが分かると、とたんに元気を取り戻す。 こうして彼らはしばしの楽しい日々を過ごすが、いざ満男と泉が帰るという日、寅も一緒に帰ると言い出し、蝶子は怒ってしまう。<見る前の大使寸評>追ってmovie.walker男はつらいよ 寅次郎の青春
2014.12.08
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図書館で『伝説の映画美術監督たち×種田陽平』という本を借りたのだが・・・おお♪「高畑勲が語るアニメーション美術」と題して、高畑勲さんと種田陽平さんの対談が載っています。日本アニメの歴史や技法について、縦横無尽なトークが見られるでぇ♪<高畑勲が語るアニメーション美術>よりp221~231種田:高畑さんは仏文科出身で、やはりフランス映画がご自身の基礎になっていますか?高畑:そうですね。マルセル・カルネやジャン・ルノワール、ルネ・クレマンなんかにのめり込んだんです。それからイタリアのネオリアリスモ、でも、自分の身に何が相応しいのかというのは、後になってだんだんわかってくるもので、やがて、自分は日本人だなとハッキリ思うわけですけど。種田:日本映画では、どういう作品をご覧になっていたのですか?高畑:木下、今井、成瀬、もちろん黒澤も。小津安二郎は『晩春』『東京物語』『麦秋』あたりは好きでしたが、晩年の作品はあまり好きじゃなかった。 上流の連中がどうでもいいことを喋りあっているとか、リアルタイムで見て、「なんで今、こんなものをやっているの?」という感じですね。小津は映画の中でどんな工夫をしていたのかという点に目が行くようになるのは後になってからです。すると本当の面白さが見えてきました。構図の取り方や人物の捉え方の意味についてはもちろん、内容に関しても、ですね。種田:僕は高畑さんが東映動画に入社した翌年の1960年生まれで、物心ついて初めて見た映画が、高畑さんが演出助手で入られていた「わんぱく王子の大蛇退治」(63)でした。テレビでも高畑さんも演出された「狼少年ケン」(63)や「少年忍者 風のフジ丸」(63~64)に夢中になった。中でも初監督作「太陽の王子 ホルスの大冒険」(68)は特別な作品で、当時小学校3年生でしたが、映画館で3回も見たんです。今、実写の映画を作っていますが、ときどき、ふと、ホルスとヒルダが出会う湖に沈む廃村の風景を思い出したりする。あの作品が原体験的に自分の中に染みついているので、高畑さんに一度、日本のアニメーションについて伺いたかった。東映動画に入られたのは、第一作の長編『白蛇伝』に感じてですか?高畑:いえ、入社が決まった後に見たんです。しかも、それまで見ていたディズニーやグリモーと比較して、『白蛇伝』はまだまだだな、なんて思って。 ところが、いざ東映動画に入ったら、そんな見方がガラッと変わった。アニメーションを作ることがどれだけ大変かがわかって謙虚になったんです(笑)。それで、弱点よりいいシーンに目がいくようになったし、いろんな工夫にも気がついた。種田:例えばどういう工夫でしょうか?高畑:東映動画作品はみんな横長のワイド、いわゆる東映スコープで作られるんですが、動画用紙もセルもえらい横長で作業がしにくいし、実写も同じですが演出的にも構図にも特別の工夫が必要だったんです。ディズニーも『眠れる森の美女』からワイドになった。ところが第一作の『白蛇伝』は4:3の昔のスタンダードサイズ。いまではビスタサイズが映像の標準になっていますが、『白蛇伝』では、昔ながらの4:3のよさが生きていた。(中略)種田:次の『平成狸合戦ぽんぽこ』(94)の美術も男鹿さんですが、これはもう、男鹿さんの自然描写の頂点と言っていいんじゃないか。特に植物、草、木の描写の正確さ、緻密さは誰も真似できないレベルではないでしょうか。高畑:リアルということでは『おもいでぽろぽろ』の山形のほうがリアルに見えたんじゃないでしょうか。ただ、『平成狸合戦ぽんぽこ』は陰影の強調を抑えた緻密な描写が、世界の豊富さ感じさせてくれたんですね。僕は江戸初期の草花図屏風に通じる素敵な装飾性を生んだという気がします。装飾と言い方は使い方が難しく、様式化という意味で使っているわけじゃないんだけども、わかりますか?種田:ええ。あまりの緻密さゆえ、構図の中で否がおうにも観客の目に飛び込んでくる。それを装飾化と仰っているんだと、それがいい効果となり、狸の住む場所から自然が消えている話を印象付けます。これが『ホーホケキョ となりの山田くん』(99)になると、『おもいでぽろぽろ』や『じゃりン子チエ』から続いてきた引き算の漫画の極地を、ここまでやれるんだと、監督自身が強く意識して作られた気がします。高畑:それが出来たのはアニメーターの田辺修くんとの出会いですよね。美術に関して言うと、男鹿さんとは『平成狸合戦ぽんぽこ』が終わってから、折りに触れて、「リアルに描いていくアニメーション美術というのは、ずいぶん煮詰まりすぎているんじゃないか」と話し合っていた。種田:男鹿さん自身、リアルに描くという頂点まで達成されてしまったんでしょうね。高畑:『となりの山田くん』ではもうひとつ、意欲をもって取り組んだのが、キャラクターは三頭身でも、人間としての動きや表情は、普通以上にリアリティを感じさせようとしたことでした。『かぐや姫の物語』種田:高畑さんは『となりの山田くん』のあと、ずっと田辺さんとやろうとなさっていて、紆余曲折があった末、『かぐや姫の物語』になったと聞きました。田辺さんとはどういうアニメーターなのでしょうか?高畑:『おもいでぽろぽろ』のとき、原画として注目したんです。非常にまあ、頑固だし、仕事が遅いんだけれど・・・(笑)、断然上手い。感覚も方向性もすばらしい。で、『となりの山田くん』以後、田辺くんとやる以外に考えられなくなったんです。種田:高畑さんは日本の漫画の原点としてずっと絵巻物の存在に着目されてきましたが、『となりの山田くん』と『かぐや姫の物語』で日本のアニメーションの世界観をさらに一歩突き進まれ、絵物語のもつ連続性の領域に進まれたと思いますが。高畑:絵巻物とか日本的とかいうよりも前に、そもそも、せっかく線で描いているのに、それがアニメーションとして生かせていないんじゃないかという思いがあったんです。 上手なアニメーターがラフでざっざっと描いたもので動きを見ると、絵に勢いがあって心にザワッと感じる。ところが1本の線に整理してしまうと、その、今描いたばかりの躍動感が失われてしまう。どうしたら、アニメーターの新鮮な線の感じが出せるだろうかを考えていたことがまず大きいんです。 それに、僕は絵巻だけでなく、古今東西、線で描かれた絵には、独特の魅力がある、人の想像力や記憶をかき立てる力がある、と思いもしてきたんです。 立体感・空間・陰影・色彩などで画面を埋めて、本当らしさを押しつけるのではなくて、もっと抜いた、省略された、ゆとりのある画面がつくりたかった、田辺くんや男鹿さんと組んで。種田:なるほどよくわかります。一方で高畑さんの描く主人公は厳しい環境に置かれ、ドラマ的に極限まで追いつめられた時に、そこから解放される飛翔するというアニメーション的に美しいイメージがたびたび現れます。それはファンタジーというくくりとは違う、高畑さんならではの飛翔なのだと思います。高畑:もっとも常識的な世界だと僕は思っていますね。要するに、ファンタジーという言葉はイギリスの児童文学の世界でできたと思うんですけど。宮さん(宮崎峻)のはファンタジーですよね。実際にはないんだけど、実際にあるかのごとき世界を作るわけです。僕も空を飛ばすのは今回だけじゃないけど、やっぱり夢だったり、心理的な願望だったり精神的な勢いだったりね。だから乗り物はいらない(笑)。種田:高畑さんは『かぐや姫の物語』で素晴らしい飛翔シーンに挑まれた。それはアニメーションでしか到達できない「絵による浮遊感」でした。男鹿さんの余白を生かした絵と田辺さんの描くかぐや姫のキャラクターは一体化してまさに「動く絵画」になっていた。同時に、50年に渡る創作で高畑さんが到達した、キャラクターの心情を動力としたアニメーション映画ならではのアクション。その自由闊達さに僕らは魅了された、と言うこともできますね。近日公開のディズニー『ベイマックス』に危機感を抱く大使であるが・・・ディズニーの対極をなすような高畑さんの絵巻物ふうのアニメが捨てがたいのである。如何せん、ディズニーの大物量の制作システム、マーケティングには敵わないが。【伝説の映画美術監督たち×種田陽平】種田陽平著、スペースシャワーネットワーク、2014年刊<「BOOK」データベース>より映画監督・種田陽平が聞く13人の映画美術の巨匠たち。<大使寸評>映画美術監督といえば、種田さんしか知らないので・・・・13人の巨匠は、もちろん知りません。だけど、ここで語られる作品群が壮観であり、夢を紡ぐような美術監督の技が面白いわけです。大型本で5,076円(税込)という本であるが、この手の本は町の書店には置いてないのではないか?図書館相手のマーケティングで成り立つのかもしれないが・・・・そんな詮索より、つくづく図書館のありがたさを感じるわけです。rakuten伝説の映画美術監督たち×種田陽平この記事も高畑勲の世界に収めておきます。
2014.12.07
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<ベイマックスに危機感>映画館で、『ベイマックス』の予告編をみたのだが(12月20日公開とか)・・・・日本のような架空都市を舞台に日本人のヒロとベイマックスというケア・ロボットが繰りひろげるお話というふれこみである。アニメーションの作画テクニックは表情なんかが格段に進歩しているが・・・目指す方向が、なんかずれていると思わないでもない。「優しさで世界は救えるか?」・・・と、ディズニーは優しさを強調するが、反米スタンスの大使に響くかと言えば、微妙なんですね。『アナと雪の女王』のディズニー攻勢には、その商魂が鼻に付いたので、スルーを決め込んだが・・・日本人を主人公にすえ、日本を狙い撃ちするような『ベイマックス』が、かえって気に障るのである。また、このアニメはどこかで見たような気もするが、大使は『鉄コン筋クリート』と『となりのトトロ』を彷彿とするわけです。見る前から敵愾心がわきおこるが、気になる作品ですね。【ベイマックス】ドン・ホール 、 クリス・ウィリアムズ監督、2014年米制作<movie.walker解説>より近未来の架空の都市を舞台に、癒し系ロボットと兄を失い心を閉ざした少年との心の交流を描くディズニーアニメ。鈴をイメージしたつぶらな瞳を持つケア・ロボット、ベイマックスのデザインをはじめ、サンフランシスコと東京が融合したかのような都市など、日本の文化から多大な影響を受けたファンタジー。<見る前の大使寸評>このアニメはどこかで見たような気もするが、大使は『鉄コン筋クリート』と『となりのトトロ』を彷彿とするわけです。見る前から敵愾心がわきおこるが・・・気になる作品ですね。movie.walkerベイマックスところで、後でNHK番組(*)を見て知ったのですが・・・製作総指揮のジョン・ラセター氏は『アナ雪』を大成功に導いたが、『トトロ』の猫バスの独創性には驚いたそうです。実際、彼は宮崎駿さんを敬愛しているようで、来日した際は宮崎さんに会う友人でもあるようです。・・・むむ『ベイマックス』を見直す必要があるかもしれませんね。*:「魔法の映画はこうして生まれる」 91年の歴史を誇り、「アナと雪の女王」を生み出したディズニー・アニメーション・スタジオ。その作品作りを率いるのが、「アニメーションを変えた男」ジョン・ラセター氏だ。秘密のベーに包まれてきた制作現場に世界で初めて長期密着!最新作「ベイマックス」の現場を追い、創作の秘密に迫る。極秘のストーリー作りの会議や驚きの映像作りのドラマ!「アナ雪」の製作秘話もたっぷりと紹介。かつての日記から「鉄コン筋クリート」を紹介します。 <「鉄コン筋クリート」>たまたま観た12日のトップランナーでマイケル・アリアスという映画監督が出ていた。彼のつくったアニメ「鉄コン筋クリート」がいいんだなー♪、まだ観ていないけど。監督は友人のもっていた松本大洋の原作漫画をたまたま見て、それにはまって、アニメに取り組んだそうです。スタッフと共にアニメをつくった3年間が楽しくて、いつまでも作っていたかったとも、もらしていました。劇中のキャラクターもさることながら、新旧入り混じった東京の街並みを描きたかったそうです。いい味だしていますね♪・・・「ブレードランナー」で見た酸性雨の降りしきる雑踏を彷彿とします。監督も「ブレードランナー」の描く、混沌としたアジアテーストの街並みに惹かれたそうです。(私もいかれています)「鉄コン筋クリート」公式HPで、その街並みを、どうぞ。
2014.12.06
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『フューリー』を観たいという個人的予告編を作って待っていたのだが・・・4日には氷雨も降っていて走れないし、いい頃合いだということで、『フューリー』を観てきたのです。映像作りにこだわりを見せる監督が、戦車そのもの、戦車戦の過酷さをリアルに再現していました。デヴィッド・エアー監督は原潜に乗っていた経歴があるそうだが・・・・戦争の善し悪しは別にして、軍人に対する敬意が感じられる映画となっているのも納得。だけど、終盤のウォーダディの獅子奮迅の射撃シーンは、ちょっと眉唾ものでした。『ハートロッカー』がオスカー賞を受賞して以来・・・原則としてハリウッド作品は観ないことに決めた大使なんですが、その原則を曲げてまで、観にいった映画でした。【フューリー】デヴィッド・エアー監督、2014年米制作、H26.12.4鑑賞<movie.walker解説>よりたった一台の戦車で300人ものドイツ軍に戦いを挑む5人の男たちの姿を描く、ブラッド・ピット主演の戦争ドラマ。ピット扮するベテラン兵が乗り込むシャーマンM4中戦車“フューリー”とドイツ軍のティーガー戦車との激しい戦車バトルでは本物の戦車を使用するなど、リアリティを重視した戦闘シーンが見ものだ。<大使寸評>原則として、ハリウッド映画は観ないことにした大使であるが・・・戦争映画オタクでもあるので、この映画を観るかどうか、アンビバレントな思いがあったのです。でも観てみれば・・・戦車戦の過酷さを再現したようなシーンには没頭したわけです。『ハートロッカー』のような政治的な生臭さが無いのが、良かったのかも。movie.walkerフューリーこの映画も「戦争映画」を観てきた2に収めておきます。
2014.12.06
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。で、今後は「図書館予約の軌跡」としてフォローすることにしたのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・世界で一番美しい猫の図鑑(8/21予約済み)・ノー・シューズ(9/9予約済み)・地方消滅(10/24予約済み)・敗戦とハリウッド―占領下日本の文化再建(11/14予約済み)・イチョウ 奇跡の2億年史(12/03予約済み)<予約候補>・日本流・ジェフ・ベゾス 果てなき野望・出使日記の時代―清末の中国と外交(神戸市は収蔵無し)・クルーグマン教授の経済入門 ・夢を吐く絵師・竹中英太郎(神戸市は収蔵無し)<予約取消し>・日本人はなぜ存在するか(蔵書にあることが判明し、予約取消し)・日本語は亡びるのか?(神戸市は未購入なので、アマゾンの中古本を11/20入手)<予約分受取>・中華と対話するイスラーム(11/5予約、11/12受取)・ほんの数行(9/23予約、11/18受取)・未完のファシズム(11/10予約、11/18受取) ・これを語りて日本人を戦慄せしめよ(11/17予約、11/23受取)・つげ義春: 夢と旅の世界(10/11予約、12/2受取)・無縁・公界・楽(11/29予約、12/3受取可)世界で一番美しい猫の図鑑よりタムシン・ピッケラル, アストリッド・ハリソン著、エクスナレッジ、2014年刊<「BOOK」データベース>より本書は猫の魅力をたっぷりと語り、ヤマネコがいかにして野生生活を捨てて温かな家庭での生活を手に入れたのか、その歴史をひも解いていく。古代エジプトで生まれたしなやかな身体のアビシニアンに、知性の高さとシルバー・ブルーの被毛が際立つロシアンブルー。優雅で長い被毛の美しいバリニーズに、垂れ耳が愛らしいスコティッシュフォールド。50を超える猫種それぞれの歴史に隠された物語を美しい写真とともに紹介する。<読む前の大使寸評>愛猫家なら手放せない一冊になろうかと…横尾忠則が絶賛しているので、見てみたいですね♪<図書館予約順番:23(8/21予約)、予約#:>rakuten世界で一番美しい猫の図鑑【ノー・シューズ】佐々木マキ著、亜紀書房、2014年刊<「BOOK」データベースより>マンガ家デビューから『やっぱりおおかみ』などの絵本創作の背景や『ガロ』で出会った人々との交流までを綴った書き下ろしエッセイ「ノー・シューズ」。神戸の下町で過ごした幼少期を描いたエッセイ「ぼくのスクラップ・スクリーン」。珠玉のエッセイと共に不思議な1コママンガの連作「スカラマンガ」も収録!<読む前の大使寸評>神戸・新長田といえば、ドングリ国の縄張りであるが・・・神戸にはニューカマーの大使が知らない昔のお話が、興味深いのです。 それから、村上春樹との交流も興味深いですね。芦屋と神戸はお隣という関係からなんだろうか?<図書館予約:(9/09予約)、予約#:>rakutenノー・シューズ【地方消滅】増田寛也著、中央公論新社、2014年刊<「BOOK」データベース>より このままでは896の自治体が消滅しかねないー。減少を続ける若年女性人口の予測から導き出された衝撃のデータである。若者が子育て環境の悪い東京圏へ移動し続けた結果、日本は人口減少社会に突入した。 多くの地方では、すでに高齢者すら減り始め、大都市では高齢者が激増してゆく。豊富なデータをもとに日本の未来図を描き出し、地方に人々がとどまり、希望どおりに子どもを持てる社会へ変わるための戦略を考える。 藻谷浩介氏、小泉進次郎氏らとの対談を収録。<読む前の大使寸評>大使の故郷の四国西南部あたりも、消滅の危機にあるわけで笑っている場合ではないのです。<図書館予約:(10/24予約)>rakuten地方消滅地方消滅by速水健朗【敗戦とハリウッド―占領下日本の文化再建】北村洋著、名古屋大学出版会、2014年刊<「BOOK」データベース>より占領政策の一環としてハリウッド映画を利用したGHQと、その到来を歓迎して映画館へと押し寄せた日本人。両者の関係を多面的な交渉のプロセスと捉え、検閲・配給・宣伝をめぐる様々な試行錯誤から、ファン文化の形成まで、熱狂と葛藤に満ちた占領の文化史を描き出す。<読む前の大使寸評>この歳になって、やっとハリウッド映画の呪縛から開放されたというか・・・ハリウッド映画の劣化に気づいた大使である。思えば・・・アメリカン・ニュー・シネマの頃は素晴らしい作品が溢れていたが・・・アメリカ映画をこよなく愛でる下地は、大使がまだ物心つく前から周到に準備されていたようですね。アメリカの占領政策を知りたいと思う今日この頃である。<図書館予約:(11/14予約済み)>rakuten敗戦とハリウッド 占領下日本の文化再建敗戦とハリウッドby吉岡桂子【イチョウ 奇跡の2億年史】ピーター・クレイン著、河出書房新社、2014年刊<「BOOK」データベース>より長崎の出島が悠久の命をつないだ!ヒトの役に立ち、敬われてきたからこそ、この愛すべき樹木がたどったあまりに数奇な運命!2億年近く生き延びたあとに絶滅寸前になったイチョウは、人間の手で東アジアから息を吹き返した。その壮大な歴史を、科学と文化から描く名著。<読む前の大使寸評>人類の過去の記憶、過去のDNAに寄り添うようなイチョウがええなぁ♪銀杏をいただくときは、そのあたりに感謝していただきましょう。<図書館予約:(12/03予約済み)>rakutenイチョウ 奇跡の2億年史イチョウ 奇跡の2億年史byいとうせいこう【日本流】松岡正剛著、筑摩書房、2009年刊<「BOOK」データベース>より我々の周りにあり、また失われつつある日本的なもの。著者はそれを「日本流」と定義した。本書では万葉仮名、着物、庭園、絵画等を豊富な図版とともに紹介。それらのなかにスサビという方法論を見出し、泉鏡花、イサム・ノグチ、ワダエミなど、モノの真髄を掴み、革新的な仕事をした人々に着目。文化やその伝承が個々の才の集積であることを説く。また忘れかけた日本の滋味とも言える哀調を、野口雨情をはじめとする大正時代の童謡に探る。現代にも伏流としてある多様で一途な日本の姿が現れる一冊。日本文化について斬新な提言を続ける著者の歩みは、この書から始まった。 <読む前の大使寸評>クールジャパンを語るうえで、薀蓄の鬼のような松岡正剛を外すわけにはいかないだろう。巻末で田中優子さんが解説を述べているが、なかなかの本なのかも。<図書館予約:未>amazon日本流【ジェフ・ベゾス 果てなき野望】(文字数制限により省略、全文はここ)rakutenジェフ・ベゾス 果てなき野望【出使日記の時代―清末の中国と外交】(文字数制限により省略、全文はここ)rakuten出使日記の時代―清末の中国と外交出使日記の時代―清末の中国と外交by吉岡桂子【クルーグマン教授の経済入門】(文字数制限により省略、全文はここ)Amazonクルーグマン教授の経済入門【夢を吐く絵師・竹中英太郎】(文字数制限により省略、全文はここ)図書館予約の軌跡9図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム神戸市が複数買っている本でも予約順番が30を超えると、なかなか順番がまわってこないのです。(2ヶ月以上はかかるかも)
2014.12.05
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「夢と旅」でしょうか。<市立図書館>・つげ義春: 夢と旅の世界・サンテイアゴ巡礼の道・山田洋次+朝間義隆 シナリオをつくる<大学図書館>・赤瀬川原平・現代赤瀬川考・伝説の映画美術監督たち×種田陽平図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)*************************************************************【つげ義春: 夢と旅の世界】つげ義春、他著、新潮社、2014年刊<「BOOK」データベース>よりマンガの常識を打ち破った「ねじ式」など4作の原画を全頁掲載!インタヴューあり、旅写真あり、初公開モノ多数のデビュー60周年記念保存版。<大使寸評>『ねじ式』『紅い花』『ゲンセンカン主人』の原画を載せているので、勘所はすべて押さえているわけです♪4時間ロングインタビューや旅の写真なども収録されていて、申し分のないムックでおま♪図書館で予約し約2ヶ月待った甲斐がおました。<図書館予約順番:6(10/11予約、12/02受取)>Amazonつげ義春: 夢と旅の世界つげ義春 夢と旅の世界by原田マハ【サンテイアゴ巡礼の道】檀ふみ、他著、新潮社、2002年刊<「BOOK」データベース>よりスペイン横断800キロ!檀ふみの書下ろしエッセイ50枚!パウロ・コエーリョ(『星の巡礼』著者)と“奇跡”を見た!?ロマネスクの荘厳な教会、美しき自然、豊富な海の幸とワイン…。生きている中世、いざ聖地へ。<大使寸評>2002年刊行の本だからやや古くなったが、妙齢の檀ふみの写真が見られるのが・・・・ええでぇ♪rakutenサンテイアゴ巡礼の道【山田洋次+朝間義隆 シナリオをつくる】山田洋次+朝間義隆著、筑摩書房、1994年刊<商品の説明>より出会いの偶然があり、愛が生まれ、やがて別れの時がある。笑いと友愛と郷愁の世界を、渥美清の歯切れのいいセリフにくるんで送る、年の瀬の風物詩『男はつらいよ』。その超人気シリーズの舞台裏をはじめて明かす、名コンビによるおかしくも真面目な奮闘努力対談。<大使寸評>「メイキング・寅さん」を一歩深めて、「メイキング・シナリオ・オブ寅さん」という構成になっています♪巻末にできあがったシナリオ『男はつらいよ・寅次郎の青春』が付いています。監督とライターがシナリオ構成を練り上げていく様が載っていて・・・なかなか気の利いたシナリオ案内となっています。encore山田洋次+朝間義隆 シナリオをつくる【赤瀬川原平・現代赤瀬川考】ムック、河出書房新社、2014年刊<商品の説明>より希代の美術家、作家である赤瀬川原平を総特集。発掘対談、単行本未収録作のほか、松田哲夫×南伸坊×山下裕二の鼎談、四方田犬彦、林丈二、夏石鈴子、足立正生、高野慎三etc.<大使寸評>「KAWADE夢ムック」と銘打った追悼企画本なんだが、素早い動きやでぇ♪赤瀬川さんは模型千円札事件を起こしたりいろいろあったが、晩年に「老人力」という概念をぶちあげたことが大きいと思うわけです。とにかく、この概念はイグノーベル賞級のオリジナリティだと、大使は高く評価するのです♪つまり、観念的な意味で、もっとも破壊力を持った前衛的なイリュージョンだったと思うのです。惜しい人を亡くしたが・・・それも世の常、人生なんだろう。合掌。Amazon赤瀬川原平・現代赤瀬川考もう赤瀬川原平さんはいないのかbyドングリ【伝説の映画美術監督たち×種田陽平】種田陽平著、スペースシャワーネットワーク、2014年刊<「BOOK」データベース>より映画監督・種田陽平が聞く13人の映画美術の巨匠たち。<大使寸評>映画美術監督といえば、種田さんしか知らないので・・・・13人の巨匠は、もちろん知りません。だけど、語られる作品群が壮観であり、夢を紡ぐような美術監督の技が面白いわけです。rakuten伝説の映画美術監督たち×種田陽平伝説の映画美術監督たち×種田陽平byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き81
2014.12.04
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図書館で『赤瀬川原平・現代赤瀬川考』というムック本を手にしたが・・・そうか、もう赤瀬川原平さんはいないのかと想うのです。(10月26日に逝去しています)赤瀬川さんは模型千円札事件を起こしたりいろいろあったが、晩年に「老人力」という概念をぶちあげたことが大きいと思うわけです。【赤瀬川原平・現代赤瀬川考】ムック、河出書房新社、2014年刊<商品の説明>より希代の美術家、作家である赤瀬川原平を総特集。発掘対談、単行本未収録作のほか、松田哲夫×南伸坊×山下裕二の鼎談、四方田犬彦、林丈二、夏石鈴子、足立正生、高野慎三etc.<大使寸評>「KAWADE夢ムック」と銘打った追悼企画本なんだが、素早い動きやでぇ♪赤瀬川さんは模型千円札事件を起こしたりいろいろあったが、晩年に「老人力」という概念をぶちあげたことが大きいと思うわけです。とにかく、この概念はイグノーベル賞級のオリジナリティだと、大使は高く評価するのです♪つまり、観念的な意味で、もっとも破壊力を持った前衛的なイリュージョンだったと思うのです。惜しい人を亡くしたが・・・それも世の常、人生なんだろう。合掌。Amazon赤瀬川原平・現代赤瀬川考生前の赤瀬川さんと親交の深かったお三方の座談会を見てみましょう。<【特別座談会】松田哲夫×南伸坊×山下裕二──赤瀬川さんの謎>よりp7~11南:『ガロ』もいろいろな人を輩出している。僕が入った時もすでにいろんなスター作家がいた。山下:みうらじゅんさんがいたのは、南さんの時代ですか?南:みうらさんは渡辺和博の時代ですね。山下:みうらじゅんはナベさんにすごい意地悪されたと書いていましたね。「あんたのとこに寿司百人前、頼んどいたよ」って。南:アハハ。シャレがキツイ。鶴見俊輔さんが「ガロ学派」という言い方をされてますね。松田:鶴見さんに言わせると、日本で学派、エコールと言えるものは、今西錦司学派とガロ学派だけだそうです。山下:すごい(笑)。いいなあ、ガロ学派。松田:鶴見さんの『思想の科学』は民間学としてかなり大きいものだと思いますが、鶴見さんは謙遜して、自分よりも今西さんとガロだと言ったんです。南:考えたみたら、ガロ学派すごいんだよね。松田:白土三平から水木しげる、つげ義春、佐々木マキ、林静一、糸井重里、荒木経惟、蛭子能収、みうらじゅんまで。南:不思議ですね。やはり三平さんがつげさんと水木さんを呼び寄せて、そこに滝田ゆうさんが来たり、いろんな人たちが集まってくる。松田:杉浦日向子さんも来たりね。小学館が『ビッグコミック』をやる前に、『ガロ』を買おうとしたんですよ。そこで長井勝一さんが『ガロ』を売らなかったのは、要するに小学館は白土、水木、つげだけで『ビッグコミック』を作りたかった。あとはいらない、という意向。それだったらこれから伸びる若い人たちのためにも『ガロ』を残そうという考えがあった。あの時買われていたら、みうらじゅんや杉浦日向子とかは、ああいう形では出てこなかったと思う。南:赤瀬川さんの「お座敷」でのデビューは、『ガロ』に新人としてちゃんと応募して、入選しているんだよね。あの「お座敷」は、漫画としてもいろんな新しいことをやっている。あれはすごく刺激的でしたね。松田:その後の、「おざ式」はどうですか。南:あれはあれで、あの頃の赤瀬川さんらしい漫画でいいですよね。「お座敷」は、芸術家が漫画という表現に触発されていろんなことをやったっていう、その面白さがいいんですよ。松田:イラストレーターとか芸術家が漫画を描いても、あそこまではやらない。赤瀬川さんなりにそれまでペン画をずっと描いてきて、その積み重ねがあった。そのうえで、つげさん的なものを自分なりに描いてみて、「お座敷」ができた。南:つげさんのファンになると、つげさん的な漫画を描こうとしちゃう。でも赤瀬川さんの漫画は、読売アンデパンダンやハイレッド・センターでやっていたのと、同じ芯がある。思えば赤瀬川さん一派って、青林堂と美学校に吹き溜まってるね。山下:神保町の磁力みたいなものが、きっとあるんですね。松田:僕にとっては、小川町にあった筑摩書房と、猿楽町の青林堂と、神保町の美学校というトライアングル。だいたい70年代前半くらいまで、そこをウロウロしていたことで、のちの人生がほとんど決まりました。山下:お二人は、60年代の終わりからずっと赤瀬川さんとの密接な付き合いが続いているでしょう。松田:そうですね。でも濃淡はあります。美学校でも、僕がだんだん筑摩の仕事で忙しくなっていって、赤瀬川さんの助手みたいな役割が南に移っていった。 トマソン観測センターを作るようになった頃は、僕はほとんど美学校へは行っていないんです。だから、赤瀬川さんはまだそんなことやっているのかと、ちょっと遠目で見ていました。 『写真時代』の連載とかも、ふーんという感じで見ていたんだけど、宮武外骨のリバイバルや、路上観察などを通じて、また濃く付き合うようになりました。最初の頃みたいに、しょっちゅう会うという感じではなかったけれども。南:松田くんは会社で重要な位置についちゃったからね。僕はずっと同じ感じで付き合ってて、ロイヤル天文同好会とか、ステレオオタク学会とかその都度一緒にやった。 その時赤瀬川さんが興味を持ったものが団体になるんだよ。ロイヤル天文同好会は、田中ちひろが会長になって、『ゴムの惑星』という機関紙が四号くらい出た。ステレオオタク学会は高杉弾が会長で、のちに小学館の編集者になった徳山雅記くんがランダムドットステログラムの流行を作り出した。 赤瀬川さんてけっこう流行の元になっているんだよね。ロイヤル天文同好会はぜんぜん流行しなかったけど(笑)。松田:路上観察学会では、「赤瀬川化の法則」というのがあった。路上観察は物件主義で、表現しようとするものはあえて排除していたんです。すると赤瀬川さんは、自分の撮りたい写真というのがあって撮ってくるんだけど、写真を見せながら、「ちょっと芸術だけどね」とか、「ちょっと風情があったからね」とか言い訳をする。すると僕らも、「これは芸術だ」、「風情だ」と言って切り捨てる。 ところがだんだん面白い物件がなくなってくると、「赤瀬川さんだったらこういうのを撮るよね」と言って、皆が撮り始める。それまで切り捨ててきたものにいつのまにか取り込まれて、「赤瀬川化」してしまう。そうすると、「写真がうまくなったね」と褒められるんだよね(笑)。<ひとり前衛の果てまで行った人>松田:山下さんは、赤瀬川原平という芸術家についてどう思いますか?赤瀬川さん自身がよく言っていたけど、千円札で前衛の果てまで行って、もうここから先がないという辛い思いをしたそうです。 千円札を作った時は、裁判や事件を起こそうと思ってやったわけではないけど、裁判をきっかけに次のステージに行くことができた。その時の、果てまで行ったという感覚は、その後のトマソンや小説、老人力、日本美術応援団など、いろんなことのスタートになっているような気がします。 これはある種の転向ですが、権力によって強制されたものではなく、何かを見てしまったということによる自覚的な変化でえす。当時、世界的にも前衛芸術があって、読売アンデパンダンでもたくさんの人が出品していたわけだけれども、なぜ赤瀬川さんだけが果てまで行けたのか。それは美術史的に、どういった意味を持っているのか。山下:戦後のいわゆる前衛の人たちの中でも、果てまで行く覚悟を持っていた人は、じつはそんなにいなかったんじゃないかと思います。南:逆瀬川さんは千円札を作った時点でものすごいところまで行ってるよね。でも、本人はそれほど素晴らしい作品だというふうには思っていないんだよね。松田:その前にはチューブと真空管を使った「ヴァギナのシーツ」がある。他のアーティストだったら、あれで20年、30年と純化していけばいい。南:読売アンデパンダンの前衛の極北に赤瀬川さんがいた。反芸術とか非芸術とか、赤瀬川さんがいちばん律儀に、当時の若い芸術家たちの先頭に行っちゃってたんじゃないかな。山下:同世代の他の前衛芸術家と呼ばれている人に対して、赤瀬川さんはけっこう冷ややかに見ているところがあったと思う。僕が覚えているのは、荒川修作のことをあまりこころよく思っていない節があって、「荒川は世界的芸術家になりたいだけなんだよ」と、ぼそっと一言だけ言ったのを、すごくよく覚えています。松田:荒川さんは、高校の同級生ですよね。南:いまの現代芸術ってその荒川修作のあとをくっついていった人たちがやってるんだろうね。結局、作品が1億円で売れましたみたいな。当時はニューヨークに行くのがカッコよくて、皆で羽田に行ったとか、書いているじゃない? 赤瀬川さんは、自分のやっていることとニューヨークへ行くことが関係あるのかどうかについては考えてたと思う。成功する可能性も、なかったわけではないけど、やっているうちに、全然違うところに来ちゃった。山下:ニューヨークへ行って一旗揚げて、というスタイルは、どうしようもなく続いてしまっている。もういいかげんにやめてくれ、と僕なんかは思います。松田:同じ梱包でも、赤瀬川さんとクリストでは全然違いますよね。南:クリストはいくらでも続けられるんですよ。でも赤瀬川さんはあの時点で梱包はもうやりきっちゃった。一番似ているのは、デュシャンだよね。松田:表現の果てまで行った感覚という点では、赤瀬川さんはのちの千利休の仕事で、利休と自分との同質性を確認したんだと思う。勅使河原宏監督がいきなり赤瀬川さんに『利休』の脚本を書かせたのは、すごい慧眼ですよね。赤瀬川さんは利休のことを全然知らなくて、それは思いもよらない依頼だったから、すぐに『漫画日本の歴史』を買いに行ったそうです(笑)。 日本の前衛は、利休から始まるわけじゃないですか。僕は二人にすごく近いものを感じている。日本の歴史で芸術や表現の果てまで行った人というのは、利休くらいですよ。権力との対峙の仕方にも共通性があるし、ひとつのパターンを確立してずっと同じことをやっているのではなく、どんどん違うことをやるというのもそう。 利休とデュシャンにも近いものがある。実は20世紀の前衛芸術がやろうとしたことを、利休は全部やっています。インスタレーションでもあり、環境芸術でもあり、ただの真っ黒い茶碗にものすごい金額をつけることとか、極度のコンセプチュアルアートでもある。それから身体表現、つまりパフォーマンスもやる。ありとあらゆる要素が利休のなかにはあって、それは赤瀬川さんと通じるすごさだなと、僕はつくづく思います。
2014.12.03
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朝日の文化欄で「はじめての藤田嗣治」を見つけたが・・・ええでぇ♪日本画壇からは冷たくあしらわれ、フランスに帰化した藤田であったが・・・日本での評価が落ちたわけではなかったようですね。はじめての藤田嗣治より おかっぱ頭にヒゲと丸眼鏡の奇抜な外見と、美しい乳白色の裸婦像が印象的な画家、藤田嗣治(つぐはる)(1886~1968)。パリでの成功は一見華やかだが、戦争の影と歩んだ人生でもあった。 「ふらんすへ行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し」と萩原朔太郎がうたった1913年、藤田は26歳でパリへ渡った。 ピカソが活躍し、シャガール、モディリアニら様々な国の画家が個性を競う「エコール・ド・パリ」の時代。初めて見る前衛美術に驚きつつ、交流を深めた。 渡仏翌年には第1次世界大戦が勃発する。創作でも私生活でもフランスに根を張る努力の結果、西洋の画家と対等に渡り合い、美術史に名を残す成功を収めた。 他人の手法の「反対反対と狙って」(『腕〈ブラ〉一本・巴里〈パリ〉の横顔』)、和と洋の融合に行き着いた。日本画の面相筆で細い輪郭線を描く。透明感のある下地をつくり、浮世絵のように下地をあえて残して、肌として見せる。それが20年代以降、藤田の代名詞「乳白色の下地」となった。 私生活では、日本に残した妻と離縁してフランス人画家と結婚。奇抜な扮装で舞踏会に出没し、目立つおかっぱ頭やヒゲも手伝って社交界の花形となった。 * 裸婦の代表作の一つ、22年の「ジュイ布のある裸婦(寝室の裸婦キキ)」。画家の奈良美智さん(54)は20歳の時、パリの市立近代美術館で見た。「どっしりと量感を持ちつつ、繊細で気品があり、価値あるものという光を放っていた。習っただけの西洋絵画ではない独自のスタイルがあった」 藤田は下地の作り方を隠していたが、近年は研究が進む。 00年に調査した東京芸術大の木島隆康教授によると、下地の上層は鉛白(シルバーホワイトの絵の具)とカルシウム化合物の混合。さらに、ベビーパウダーなどに使われるタルク(滑石粉)をこすりつけて風合いを出していた。土門拳が撮った藤田の写真に「シッカロール」の缶が写っていることが、タルク使用の傍証となった。 * 29年の世界恐慌を機に、16年ぶりに帰国。日中戦争、次いで太平洋戦争が始まると、軍部の要請で戦線を取材し、戦争画にのめり込んだ。そのため、後に戦争責任を追及されたが、単純な戦意高揚と思えない作品も。例えば43年の「アッツ島玉砕」。暗い画面に敵味方も生死もわからない兵士が折り重なる。 大原美術館(岡山県倉敷市)の林洋子・特別研究員は「記録や報道を超えて普遍性を備えた芸術」と評価する。「反戦・厭戦画とみる人が増えた。新たな視点での審判が待たれます」 終戦後は妻・君代と渡仏して仏国籍を取り、カトリックに改宗。戦争協力者扱いされ、故国に絶望したという見方もあるが、林さんは「フランスへ戻りたい気持ちは絶えずあったのだろう」とみる。 晩年は世間と交流を絶ち、空想上の子供の絵と宗教画に没入した。激動の人生の終わりに、愛らしいもの、聖なるものに心ひかれたのだろうか。(安部美香子) <読む> 人物を知るには自筆エッセー集『腕一本・巴里の横顔』(講談社文芸文庫)、近藤史人『藤田嗣治「異邦人」の生涯』(講談社文庫)を。絵を見るには、林洋子・内呂博之『もっと知りたい藤田嗣治生涯と作品』(東京美術)は代表作を網羅。作品と時代に踏み込むには、林洋子『藤田嗣治作品をひらく』(名古屋大学出版会)が充実している。 <見る> 東京・銀座のポーラミュージアムアネックスでは28日まで、「フジタ、夢をみる手」展(無料)を開催。「校庭」ほか第2次大戦後の子どもの絵など約40点を展示する。秋田県立美術館では来年1月18日まで、「藤田嗣治と土門拳の交差」展を開催。写真約50点、常設の壁画「秋田の行事」ほか油彩4点も展示する。■いかに目引くか考えた 俳優・オダギリジョーさん 来春完成予定の小栗康平監督の映画「FOUJITA」で藤田を演じます。藤田は絵、僕は芝居ですが、自己表現という点では共通点を感じる。自分を理解して、その自分を使って、いかに作品に投影するか。もっと言えば、自分をどうプロデュースするか。 僕もアメリカで俳優の養成学校に通っていたころは、げたをはいたり、ランドセルをしょったりした。ビジュアル的な、日本的個性みたいなものを通して、自分をアピールしたかったんでしょうね。 藤田の場合、世界中の画家が集まるパリの中で、注目されて初めて、作品を見てもらえる。みんなの目をいかに引くかを、すごく考えたんだろうなと思います。 パリに行ったのは結婚後、20代後半ですよね。一人で行ってしまって帰って来ない。なぜ結婚したのかわからない。でも、絵に関してはとても真面目に向き合って、自信もある。夢も希望も、すべて絵を中心にあったのでしょう。 なぜ戦争画を描いたのかは、一番ひっかかったところです。国に背くことは考えられない時代だったのと、それを利用して自分の表現の場を作ろうとしたのでしょうか。そういう藤田の太さ、強さを描き切れればいいと思います。オダギリジョーが演じる映画「FOUJITA」は、個人的には必見でんな♪オダギリジョー、日仏合作映画で初欧州よりオダギリジョー(38)が、日本フランス合作映画「FOUJITA」(小栗康平監督、来年秋公開予定)に主演することが21日、分かった。1910年代後半からフランスで活躍した画家、藤田嗣治を題材にした作品。世界的にヒットした01年のフランス映画「アメリ」を手掛けたプロデューサーが本作を担当。オダギリの本格的な欧州進出をバックアップする。この記事も藤田嗣治アンソロジーに収めておきます。
2014.12.02
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柳美里さんの本は、韓国や在日関連のものを読んだことはあるのだが・・・図書館で借りた『言葉のレッスン』がええでぇ♪エッセイ集なんだが、なかなか切れ味が鋭いエッセイだと思った次第です。【言葉のレッスン】柳美里著、朝日新聞出版、1998年刊<「BOOK」データベース>より小説、映画、新聞、ひとの話など印象に残った言葉をひろい集め、出逢ったひとや出来事のなかで人生の断片を描く。言葉と対峙するエッセイ。<大使寸評>各エッセイの冒頭に1ページ割いて、先哲の言葉を載せるという構成となっています。これは『ほんの数行』に似た構成であり、なかなか趣きがあるのです。rakuten言葉のレッスンこの本から、フリーマーケットのお話を紹介します。<お店屋さんごっこ>1.原則的に“家庭の不用品”の域を越えている物は、販売できません。2.飲食物全般、医薬品、化粧品、嗜好品(酒、煙草等)、生き物、ポルノ商品は、絶対に禁止です。 ――フリーマーケット出店規約抜粋 近所のコンビニエンスストアで買い物をした帰り道、信号待ちをしているK子とばったり逢った。彼女は5年前に私の芝居に出演したことがある。「これ、この近くに友だちがいてもらってきたの」K子は左手の大きな紙袋を右手に持ち直した。 彼女の顔が陽に焼けているので、「ハワイにでも行ったの?」 と訊くと、彼女はのけぞって笑った。「日焼けサロン?」「わたしがどんなに貧乏してるか知らないでしょう。フリーマーケットやってるの」 フリーマーケットといわれてもなんのことやらさっぱりわからず表情を決めかねている私に、K子が説明してくれた。いま、フリーマーケットがトレンディなのだそうだ。東京にはといった名前の団体がみっつあって、それらが主催するフリーマーケットに応募し、抽選で出店が決まる。 K子はふたりの役者仲間と店をひらいているという。十数名の劇団員の名前を使って応募すると、かならずひとりかふたりは当選するので、当選した名を名乗って出店するのだ。国立代々木競技場のや東急デパートの屋上などでひらかれることが多く、出店料は3000円から5000円、広い会場では500店以上が畳3枚のスペースに区分され、ひしめきあうのだそうだ。「お客さんがすごいの。時間まえから行列をつくって、開店した途端、バーゲンセールみたいにわっと群がるんだから。ゴールデンウィークには原宿に3万人以上も集まったのよ。一日中陽にあたりっぱなしで、日焼けもするわよ」 出店側は、業者風のひと、売れないバンドマンなどバラエティに富んでいて、客のほうも、老人夫婦、主婦、家族連れ、外国人、とありとあらゆるひとたちで縁日のようなにぎわいだという。「とにかくなんでも売るの。お客さんがかならず値切るせいもあるけど、どの店も百円、二百円のものが売れ筋よ。ほとんど趣味みたいなもんね。だってこれまで三回やったけど、一日5,6千円の売り上げにしかなんないんだから、お店屋さんゴッコよ」 持っている袋の中身は、友人から譲ってもらった「不用品」だという。「近くだから寄りなよ」私も萩焼の花瓶や、木箱に入った小鉢のセットなどをプレゼントすることにした。 K子は鑑定人のような顔つきでいった。「うーん、いい仕事だけど、どれも千円の値札で、結局500円に値切られる。厳しいのよ、商売は」うーん、リアリティがあるな・・・切れ味が鋭いエッセイとでも言うべきでしょうね♪
2014.12.01
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