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久々の有名人シリーズです。今回は、音楽には関係がないのですが、私には印象の深い話です。私が23歳くらいだったと思うが、その時は、ギターをぶら下げて、裏通りを歩いていたから、なんかのライブに出演した後だったんだろう。ふと、気が付いてみると、私の横を一人の女性が歩いているではないか。で、その方は、暗がりではあったが、私より少し年が大きいかなと思った。で、なんで、女性が横を歩いているのかよくわからなかった。まあ、当時は、私もファンはいたから、その中の一人かなと思っていた。 その方は、歩きながら、私に話しかける。すきなミュージシャンのこと、ギター歴のことなんかを聞かれた。彼女の質問が終わり、今度は私が質問した。 Q「あのー、あなたも音楽を?」 A「いいえ、やってません」Q「じゃ、なにをしてるんですか?」 A「漫画を書いています。」 頭の中が白くなった。 だって・・・・・・・・・・・・・。 子供じゃあるまいし、なんで漫画書いてるのー? でも、それは言えなかった。だって、私は、その時・・・・・ パチンコを中心とした、表向きギター教室の先生という肩書きで生計を立てていたんだからー。 いやー、ホンマなんすよ。学校出て、就職しないで、学生の時に培った、パチンコで暮らしていたんですよ。パチンコで稼ぐ月収は、堂々(笑)13万円。ギター教室で9万円。まあまあでしょ。言っておくが、私は、パチンコで、 マツダのサバンナの中古を買ったんですよー。ハア、ハア、ハア、アヘッ。(ノ´∀`*)アヘアヘ すいません。書き込み方、ちょっと、マミ姉さんの真似をしてしまいました。 で、話が戻るが、漫画を書いているというのは、目が点になりました。 そして、彼女は、単行本を出しているという。私は、漫画といえば、巨人の星。ところが、女性の漫画家で1人だけ、好きな人がいました。それは、睦A子さんでした。 それで、アホな女心がわからない私は、彼女に、「睦A子さんの漫画、なかなかいいよ。是非参考にしたらいいと思う」と言ってしまったのだ。だって、私は、彼女の事、なんにも知らないし、漫画のことも知りません。 それから、結構、歩いたなー。いろいろ話をしたが、覚えていないけど。 最後に、「で、君はなんていう名前?」と聞いた。彼女は、可愛い声で、 「田渕由美子です。」 私は、「そうかー。よっしゃー、お互いくじけずに、目標に向かってガンバロー。」と、ノーテンなこと言って、別れたのでした。 最近になって、その当時のこと思い出して、何気なく、ネットで調べてみましたら、なんと、彼女。漫画の世界では、伝説の人なんですね。 で、この写真の、ノートは、昭和53年10月号の、りぼんの付録です。新品、未使用なんですよ。 この話をしたところ、ある漫画ファンの方が、「いっちゃんって、背が高いし、ほっそりしてるし、田渕さんの書く漫画の男性のイメージだったんじゃなーい」なんて言われまして。それ以来、このノート大切に持っていたりして。(笑) ところで、この話、ほんまかいな。と思うでしょ。私もそう思うんですが、当時、田渕由美子さんの名前すら知らない私が、何故、彼女の名前を覚えていたかというと、私、こうみえても、子供の頃、阪神の田渕さんのファンだったんですよ。だから忘れなかったと言うわけです。でも、何故、あんなところに、彼女がいたのかは、不思議ですね。誰か女友達と一緒だったように思います。もしかして、というより、私のライブ見に来てくれたのかな?(笑) 人間、どこで、どんな人に会うかわからないから面白いんだよね。
2005年04月30日
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このギターこそ、宝の持ち腐れの最たるものであろう。兄は、前述したように、子供のころから青、私は緑と色は決まっていた。だからというわけではないが、このギターは、きれいな青色である。これは、フェンダーカスタムショップ製で、新品時から経年変化を感じるように、傷やこすれ、色褪せ、錆びなどを故意に付けたもので、風格すら感じる。兄貴はエレキなど弾かないくせに何かしらストラトキャスターにはこだわりがあり、「これは一生モノ」と大切にしているようだ。以前は70年代、ビンテージ等を持っていたが、このギターのピックアップは別物のようでパワーがある。また、ロリー・ギャラガーの好きな兄貴としては初のローズ指板のものである。しかし、兄は、大きな音で弾いた事が無いので、まさに宝の持ち腐れ状態。(笑)ネックは、バーズアイメープルで高級感あふれている。最近のカスタムショップは、カスタムではなくポピュラーになりかけていると聞くが、こいつは割りといい感じだ。兄貴は、ビンテージストラトが出た時、速攻買っていた。その後一度売ったのだが、何故かもう一度買い直していた。その時、私もビンテージ’62年製を弾かせてもらったが、作りも仕上げも全然違っていたと思う。(初期型は丁寧に作られていたそうですが後期のモノは仕上げも大ざっぱな感じがしたという。まあ、その大らかさゆえの魅力も確かにあるのでは)画一化された世の中で、自分流を探し出す楽しみは一生ものに出会うための長い旅のような気がする。(兄の言葉)繰り返しになるが、私は、兄がエレキギターを弾いているのを見たことがないことを申し添えておく。(大笑い)
2005年04月27日
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私には、ひとつ年が上の兄ちゃんがいます。昔から、母が、兄は青、私は緑と色を決めて、同じものを買っていました。そんなことから、今でも同じものを持っていたりして、ギターのコレクションも、同じタイプを持っていたりしますが、基本的には、なかなか味があるギターが多いように思います。ギターにまつわる面白い話がありますので、そのへんをからめて紹介(笑介)いたします。 80年代にタカミネが出していたギターで、ライクーダーモデルというのがあった。兄は「ライクーダー」は多分、ほとんど知らない(笑)。但し、国内ではテールピースを普通のブリッジに変えて発売していたのだ。兄は、その当時、ヤングギターの購読者で、その中で村下孝蔵さんが自分のコレクションを掲載していた記事があった。そのコレクションの中で、自分の持っているマーチンD-45(アマ時代に購入の1970年代)よりも、また、スーパーアダマス(これはプロになられてから)よりも音がいい!と絶賛してこのギターを買ったのだという。ちなみに、村下さんのは数十本の中から選んだ一本だということでした。 兄は、そんな情報に弱く、速攻で購入したのだと思う。でも、兄が村下さんの曲を弾いたのを見たことはない。多分、「初恋」くらいしか知らないのだと思う。 このギター、生音は、ボディーの大きさの割に小さいのだが、繊細で、高音が美しく、ボディーがラウンドしているので音の延びも良く心地よいサウンド。また、ネックは真直ぐしていてハイポジションまでとても楽に弾けるため、へたな兄でもプロのPAの人に「音が綺麗」とほめられたらしい。当時の価格は、7万円でサンバーストも出ていた。80年代のタカミネのピエゾはとても評判が良く、ライブで威力を発揮した。(兄も時々ライブに出ているのである) サイズはギブソンJ-200に匹敵する。しかし、ボディが薄いので弾きやすい。去年、限定で復刻版が出た。定価140000円也。 実は、私も時々弾くのであるが、見た目はなんとも言えないが(笑)確かに品の良いギターで、ライブで1回使ったが、オベーションから比べると、私にははるかに使いよいギターだと思った。音も繊細で申し分ない。ずしっと重く、立ちでやる私には抜群だ。いつも同じものを持っていた私と兄の関係からすると、私は、サンバーストが欲しいなあと思う今日この頃である。追加であるが、兄は、このギターを見ると村下さんのことを必ず言う。このギターは、村下さんがプロになってからのギター(だと思う)なので、アマ時代には見たことがない。村下さんは、いつもD-45だった。今でこそ、D-45は珍しくないが、当時、アマでD-45を持っているというのは大変なことだった。アマ時代、広島での青少年会館(だったかな?)コンサート(アマでここでやるのはすごい)は、D-45だった。見に来ているのは女性が多かったが、アマミュージシャンも相当いた。村下さんは、ストロークが強いので、途中、弦を切ってしまったのだ。普通、サブのギターが登場となるのだが、そこは、D-45の実力。どうどう、村下さんがその場で弦を張り替えた。しかし、急いで張替えたので、チューニングの途中でまた切れてしまったというハプニングがあった。それでも、彼のチューニングはすごくて、さすが、ピアノの調律師、絶対音感で、音叉もなにもなく、正確にチューニングした。そして、また曲に入った。「2年前なら」、「月明かり」などすべてギター1本でここまでやれるのかという感じだった。私は、おおげさな話ではなく、日本でD-45を弾きこなす人は数人しかいないと思っている。私もその一人だ。(大笑)村下さんは、青少年のホールで(800人くらいのキャパ)生音マイク取りで、D-45をかき鳴らした。その後、私が村下さんと同じくらいの年代のD-45を入手したのは、村下さんのD-45があまりにもいい音だったからだ。で、私が購入して分かったのだが、悲しいかなD-45は、そんな簡単にはいい音を出してくれないのだということだった。 話はここで、タカミネに戻る(長かったなー)そんな中、私もこのタカミネを弾いた。えっ?と思った。弾かないでも音が出る(笑)ではないかい。だから思った。多分、村下さんも、実は、D-45はハードだったのではなかろうか。プロになられてからは、テレビでしかお目にかからないが、1度として、D-45を抱えた姿にはお目にかかれなかった。なんて、当時を振り返っている私なのだった。今、主人をなくしたD-45、そしてタカミネはどうしているのだろうか・・・。
2005年04月22日
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私はこのギターは、エレアコの新しい流れを築いた、草分け的なギターだと思っている。このギターが出現した時、違和感はあった。しかし、内容を見ると、ヤマハのこのギターにかける意気込みはすごいと思った。今でこそ、ピエゾとコンデンサーマイクを組み込み、それをミックスして出力するという構造は珍しくもないが、当時として贅沢なシステムだった。そもそも、PUで生取りに近い、いい音を出そうなんて、これまで進んできたPUの歴史から考えると、革命ではないか。言い換えれば、エレアコといえば、オベーションという時代に、正面からタイマンを張ったといえるだろう。 当時として、形はトラディショナルとはほど遠く、でも前衛的ともいえず、ずいぶん冒険的なギターだと思った。しかし、今ではどうだろう。市民権があるではないか。ヤマハはいつも独自性にこだわる会社である。バイク業界でも、息の長いオリジナル商品を完成させている。私自信、70年代にヤマハの特注モデルをオーダーしているし、FG350も永久貸与していただいており、その技術の高さは、感じている。にもかかわらず、日本では、高級機種の新品が、外国製品にもうひとつ太刀打ちできていないのには矛盾があると思っていた。単にブランドイメージと、歴史の問題だろうが。 しかし、ギターを物として楽しむよりも、ライブなどで使うことをメインに考えている私のは、ブランドとか、技術とか、材とか、歴史ではなく、やはり、尽きるところは音と弾きやすさ、そして、フィーリングだと思っている。ライブ経験者なら理解していただけると思うが、ライブの途中で一体となってプレイするとき、ギターに必要なのは、信頼である。ビンテージであっても、ツーリングの途中で壊れてしまう車は、ちょい乗りにしか使えない。まあ、所有欲は満たされて、それはそれで素晴らしいのだが。このCPX15もあと20年もすれば、国産ビンテージになるだろう。その時こそ、所有欲も信頼をも兼ね備えたすばらしいアコギとなるのだ。発売の時、迷わず購入を決めた、とんださんの先見性に拍手を送りたい。
2005年04月17日
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このギターは、oku-maraさんのである。過去、ハカランダマーチンで登場していただいた方である。この方も、私と同様、かなり気が狂っている。(ごめん)職業が土建屋なので、時には家族の元を離れ、現場で暮らすこともあるそうで、こういうとき、寂しさを紛らわすために、フツーは、酒場のおねーさんのとこ行って、おかしな関係になって、とりかえしがつかない瀬戸際でなんとか元に帰るというパターンになるのだろうが、彼は、おねーさんより、ギターが好きときている。だから、このギターは彼にとっては、おねーさんなのだ。 で、このオベーションなるおねーさんは、スーパーシャロウと言って、ボディが薄いのであります。細身ですな。だから、あつかいが良く、座りで使うよりも、立ちがいいでしょう。洋風ですな。この洋風のねーさんは、生音ははっきりいいますが、いまいちです。でも、アンプを通すとどんな音にでも変身します。化粧が上手ですな。 要するに、細身で、洋風な顔立ちで、化粧がうまい。まあ、男なら、家庭も捨てるかもね。しゃーないでしょ。 じつは私も、以前、オベーションのカスタムレジェンドのディープボウルを持っていたのですが、ライブではこればっかり使ってました。でも、感度が良すぎて、相棒のギターとのバランスが取りにくいという意外な問題が出ました。だから、このギターは、他の外国ギターと合わせるなら、同じオベーションがいいと思う。国産のタカミネ、ヤイリ、ヤマハなどとの相性はいいのに、ギブソン、マーチンと並べて、PU同士で弾くと、なんか喧嘩するように思うのは私だけでしょうか。困ったものだ。外人同士仲良くやって欲しいなあ。
2005年04月08日
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家庭訪問シリーズ最終回です。(笑)ここが私の部屋です。ここは2階なんですが、一番手前の手すりから後ろは、1階の食堂の吹抜けです。で、二つ目の手すりと三つめの手すりの間が、1階のリビングの吹抜けです。吹抜けは、冬は寒いので、特注のテントでふたをしています。ここ全体が私の部屋で、20畳くらいの空間になっていまして、息子がいます一番奥がPCやったり、音楽聴いたりしているところです。ちなみに、私のこの部屋に面して、息子達の部屋の窓があります。ちょっと説明しにくい間取りですが、私は不動産(リゾート)の仕事をしていますので、自然とこういう変わった間取りになったわけです。最初の設計は、この上に3階があり、螺旋階段であがり、その屋根が透明ガラスで、星が見えたり、家の真ん中に太陽の光がさしこんだりと、すごいロマンがあったのです。そして、風呂が中2階にあり、中庭を見て入浴したり・・・。設計だけはすごかったのですが、何せ、30歳の時でしたので、お金がなく(今も無いが)、やむなし設計変更をしたのです。お笑いは、最終、お金が足りなくて、外壁は白系のサイディングの予定が、杉板を張られてしまいました。いわゆる日本の家ですな。田舎のいいところでしょう、全ての壁は土壁なんですが、今はやりの断熱材入れるより安くつくのです。夏はすずしいですよ。冬は寒いけど。まあ、あんまり納得はしてませんが、仕事でやっていても、家作りはむずかしいですね。 この3回のシリーズはギター談義からそれてしまいました。次から、またギター話に戻りたいと思います。
2005年04月07日
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前述のギター部屋とは別に、もうひとつ、私の憩いの部屋がある。ここは「卓球の部屋」と呼んでいる20畳ほどの板場である。私としては、ミニ体育館&ミニホールを作ったつもりである。 私は、現役の卓球協会員であるから(あまり強くはないよ)、この部屋は、卓球をするために作り、当初は卓球マシーンなるものまで買って、必死こいてやったのだが、いつの間にやら、バスケットゴールが付き、野球のバッティングコーナーまで出来る始末。おまけに、ボクシングのサンドバッグもぶら下がっている。息子3人の運動の場になってしまったのだ。 おまけに、時々犬が暴れてウ○コをしたりする。つらい。 それでも、ここは私の憩いの場である。ときどき、ひとりで気がふれたようにギターを弾いて叫ぶ。(笑)もちろん、卓球台をひろげて、息子とこずかいを掛けて勝負することもある。 15年前、作った当時は、毎日午後4時、保育園の終了と同時に、行き場のなくなったガキ共が放り込まれ、6時ごろまで第2保育園状態となった。なつかしい思い出だ。今では、作った目的からは遠く離れてしまったが、こうなったら、知り合いのおっさん、おばはんを集めて、ここで定期的にミニコンサート宴会をやりたいと思っている。 ちなみに、木造なので、部屋の真ん中窓よりに、柱が立っている。これがじゃまであるが、切るわけには行かない。完璧なものはつくれなかったのだ。
2005年04月06日
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私のギター部屋であります。この部屋にはギターと、ギターを調整するテーブルしかない。従って、この部屋に来るときは、ギターを弾くか、ギターと話をするときだけである。相棒との練習はこの部屋でする。 1日1回、この部屋に入り、ぼーとするのが好きだ。ギターを弾かないときは、ギターが話かけてくるような気がする。時々、うたた寝をする。30歳を超えた頃から、このような部屋を作ろうと考えていた。5年後になんとか作った。気づいてみると、ギターが15本になっていた。ちなみに、兄はもっとたくさん持っているはずだ。DNAだろうか。できるだけ、毎日全てのギターを弾いてやろうと思うが、なかなかそうはいかない。 地震が来たらどうしようと考えることがある。しかし、その時はその時だと割り切っている。それより、毎日弾いてやるほうが大切だと思う。私は昔から、指が乾いているので、弦が長持ちするから助かる。 全てのギターに優劣はない。弾くたびに、これが一番と思う。将来、息子3人に、譲るギターは決めてある。弾きたくなったらいつでも、どれでも持っていけ、と言ってある。3男が、3ヶ月前に1本持っていった。2男が1ヶ月前に1本持っていった。長男は私の時計を持っていった。(笑)
2005年04月05日
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