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実は、兄より私のほうがアコギ購入は早かった。中学3年でスズキの12000円くらいの000-28コピーモデルだったと思う。兄は、姉さんが高校1年の時にバイトをして買ったガットギターを譲り受けて、ぽろんぽろんとやっていた。ある時、楽器屋に兄貴の同級生でお金持ちの息子さん(彼はめちゃくちゃギターの上手い人)がギブソンのE-335の’65年製を売りに出していた。フレットは打ち換えなければいけない状態だったらしいが、なんと10万円でいいということで、兄は、なけなしのお金を下ろして買う気まんまんだった。ところが先に誰かが買ってしまったのだ。兄貴はショックを受けたらしい。その頃、近くの音響関係を扱っていた電機屋さんがフェンダーを扱い始めていた。とりあえず、路頭に迷っていた兄貴はふらふらっと、(笑)テレキャスターを注文して帰ったのだという。本当は、ロリー・ギャラガーの持っていたストラトが欲しかったのだと思うのだが、お金がなくテレキャスターにしたのだそうだ。ところが、なんと、兄貴の部屋を覗くと、買ったばかりの真新しいギターのネックにどこかで買って来たニスを筆で塗っているではないか。私は倒れそうになり「何しとるんやー」と大声を揚げたのを覚えている。兄貴は決して気がふれた訳ではなかったのだが後に、「あの時塗らなくてもフェンダーの塗装はよー日に焼けるから失敗したな」と言っていた。綺麗すぎるのをいやがる性格なのだ。最近まで、カスタムショップのネックがトラ目のテレシャスターを持っていたが、やはり綺麗すぎると言って売ってしまった。まあ、幸いなのはニスを塗らなかったことだろうか。じつは私も、きれいなギターは苦手である。同じように、新品を買っては、しばらく弾いて、そのモデルが気にいれば、ビンテージに買い換えるということを繰りかえしている。ビンテージが好きなわけではない。傷がないギターは、最初に傷をつけるのに根性がいる。20代で毎日ライブをやっていたときならいざしらず、今のちょろちょろ弾きでは、傷はつかない。冬にコタツでギターを弾いて、そのまま、放置して、うたたねできるようなギターが理想だ。最近、ギブソンの40年代を買った。傷は半端じゃない。これなら、うどんを食べながら弾けそうだ。
2005年06月30日
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兄は、若い時からストラトキャスターにはこだわっていて、何度も買い替えている。’77年製に始まって、→アニバーサリー→’77年製 →’79年製→ビンテージ’56年製 →ビンテージ’56年レリックで、現在残っているのはレリックと'79年製。だから、6本買ったことになる。弾きもしないのに?何故? この79年生は、もともとはブラックだったはずだ。しかし、ラスト・タンゴで、ロビー・ロバートソンが持っていたのとよく似た色に塗り替えされてる。 実は、ロリー・ギャラガーのファン兄貴が、自分で剥がして訳の解らない色にしてしまったのである。きっと、ロリー・ギャラガーのイメージにしたかったんだろう。しかも、ボディーの後ろにはロリー・ギャラガーの命日が彫刻刀で彫り込まれている。(笑)ロリーギャラガーは私も大好きだ。マーチンをボトルネックで弾きながら歌う姿には憧れた。特に好きなアルバムは「コーリング・カード」 しかし、いくらロリーが好きでも、命日を彫りこむだろうか。当然、ボディーのレトロ感に対してネックの新しさには驚く。当たり前のことなのだが、弾かないのだから。 次に書くが、兄は、とにかくギターの改造が好きだ。まだ20代前半のころ、新品のテレキャスターを買ったその日に、ネックにニスを塗りなおした。それから、高校の時、私のギターS・ヤイリのサウンドホールの中に手を突っ込んで、トップの裏に10円玉接着剤で貼り付けてましてね。「ななな、何すんねん!」と言うたら、「これで低音がしっかりする」と、得意そうに返ってきた。「根拠は?」と聞いたら、「そんなもんあるかい。」 ・・・・・・・・。まあ、変な人間ですわ。 ちなみに、兄は、ジャパンフェンダーのラッカー塗装のストラト最終モデルも買っていた。それは、私の息子が使っている。ほんま、ストラトが好きらしい。
2005年06月22日
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私の兄弟は女2人、男2人の4人である。昔はうちだけでなく、日本中が貧しかったので、みんな仲良くするしかなかった(笑)。物の無さは、心で満たしていたように思う。だから、いつもおかしなことばかり考えていた。今回、ひど黄門さんと、ぐー鮫さんという、世にもおかしな人に対抗して、J-200殿堂入りのカスタムを作ることを考えた。で、探していたら、いいのが見つかった。私の大好きな「チューン0マチックタイプ」である。ダブルPGでかなり派手。これを、黒にカスタムしようと思った。もちろん、アメリカのGibson社へお願いするから、半年から1年は覚悟せねばなりますまい。早速、購入の申し入れをした。ところが、先約があり、その方はなんと、ネット上の知り合いだった。ということで、このギターは諦めた。(早っ)この話は、最初兄にした。買おうと思っているギターの画像も送った。私が黒にカスタムしようと思っていることも伝えた。翌日、兄からメールが来た。そのメールには、送った写真にカスタムがほどこしてあった。写真横には、大きく「エルビス命」そして、コメントがあった。エルビスになるつもりかい。・・・まあええけど。人生短いし、エルビスにでもウディーガスリーにでもなっとくれ。兄はかなり勘違いしている。「黒のギターはエルビス」と思っているのである。(以前もそんな記述があったが)ウディーガスリーが出てくるのは、いわゆる意味なしフレーズである。このへんが面白い。つまるところ、人生は、心の豊かさと、ギャグか。
2005年06月17日
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私のギターの始まりは、中学2年生。2番目の姉さんが、どういうわけか、クラシックギターを買ってきた。で、すぐに弾かなくなったのをいいことに、兄が弾き始めた。私は興味はなかったが、毎夜、2段ベッドの上から、単音弾きでメロディーが聴こえてくる。コードが分からないから、単音弾きをしているのだ。延々と、同じ曲の単音弾きが聴こえる。ノイローゼになりそうだった。 中学3年生になると、ガロの「学生街の喫茶店」や、拓郎の「おきざりにした悲しみは」などがヒットした。さすがに、このころは、ギターを弾くと女の子にもてた。今では考えられないが、やはりもてた。学校祭のとき、同級生が、ステージで、拓郎の「人間なんて」を熱唱した。会場というか、体育館に集まった全校生徒から大拍手。ニール・ヤングの「孤独の旅路」をハーモニカ吹いてやるやつもいた。あの高い声をまねてなかなかのものだった。その時、彼女が私に「あんたギター弾けるの?」ってきいた。「弾けない」と言うのが悔しいので、「卓球は強いぞ」と言った。多分、私はその日から、私はギターの特訓に入ったように思う。(笑) この写真は、20歳、学生の時。右にいる、殿様カエルの親分のような、1歳違いの兄と、地元の海での写真だ。セルフタイマーで撮った。私が持っているのは、ヤマハのポール・サイモン第一号機と同型、テリー中本さんの作品。勢いで買ったが、学生の身、ローンが払えず、20歳の誕生祝だと、親父が払ってくれた。ローンで買ったので、金利を含めると50万円を超えていたと思う。申し訳ないというより、ありがたかった。兄は、テレキャスター。これは今でも持っているようだ。もちろん、エレキは弾けないはずだが。 この写真から数年後、私はある事件を機に、音楽に見切りをつけて、帰郷した。兄は、カメラマンを辞めて、いきなりイノシシの繁殖をするというのだ。それで、仕事を手伝えと言う。人里はなれた山の中で、コンクリートを打ってイノシシ舎を作った。もちろん、今もイノシシ舎はある。しかし、イノシシはいない。(笑) 数年前から、あと10年ほどしたら、海に面した場所で、アトリエを開こうと言っている。お金は私が出す計画になっている。アトリエでは、自分で描いた絵を飾るらしい。兄は、カメラマンであるが、自称「画家」でもある。(大笑い) そこで、週2回、「じじいライブ」をやる計画らしい。確かに兄には現在50歳を超えて活動している、アマチュア音楽愛好家の友人が多い。 まあ、音楽も人生も楽しくやりたいものだ。エレキは弾けないが、兄がテレキャスターを持った写真を撮っておいたらとのことで。エレキは嫌いではない。高校の時、1回だけ、ロックバンドで遊んだことがあり、面白いなあという印象はあった。しかし、バンドに恵まれなかったことと、ビートルズではなく、ボブ・ディランに走ったことも、エレキをやらなかった理由だろう。一人で気軽に楽しめるアコギのほうが、性格的に合ってもいたのだろう。
2005年06月12日
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別に土曜日に走ったわけではないが、私にとっては土曜日のような気分ということで。自転車は、私の趣味のひとつです。これが私の愛車。基本的に、オレンジ色が好きなんです。ハーレーも同じ色です。あと、マウンテンバイクが2台あります。今日は、定番、丹後半島を回りました。ここは、京阪神のバイクのツーリングコースですね。アップダウンはありますが、いいコースです。とりあえず、海はきれいで、海岸線を走るから最高。私のいでたちは、かなりラフ。ギンギンの自転車乗りというかっこうは苦手。装備も軽装。気が向いたら走りだすのが好き。計画性はなし。ついでに、しんどい走りはしない。今回は80キロ。早い人なら、3時間ちょい。私は昼を食べて、ちょこちょこ休憩して5時間。 そうは言っても、50キロ過ぎると、峠で足にくる。だから、まあ、80キロは、丁度いい感じ。 昼は、スーパーで買い物。ご馳走は食べません。だって、自転車で走ると、何を食べてもご馳走なんですから。今回は、昼ごはんは535円。カマヤ海岸で空を仰いでいると、ギャルが2人来た。・・・と思いきや、おばさんだった。とっととずらかった。(笑) 帰って、くたびれた身体で、ハーレーで息子を高校まで迎えに行った。バイクは楽だにゃー。 こういう1日が私は好きだ。 そういえば、今日はギター弾いてないなー。
2005年06月08日
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兄貴のギターコレクションは節操がないというのは以前にもお話しましたが、エレキを弾かない兄が何でレスポール?なんでゴールドトップ?何ゆえp-90なの?と首をかしげてしまう。まあ、それはいいとしても、レスポールは「重すぎる-」テレキャスターも重いけど、レスさんは、これ漬け物石の代わりが出来そう。しかし、流石に本家本元!味がある。ギターに金色を使おうと思ったアメリカ人に拍手を送りたい。やはりゴールドラッシュにわいた国。日本ではこのゴールドトップからは、金閣寺や金のシャチホコくらいしか想像出来ない。レスポール金閣寺仕様なんて。しかし、レスポール氏自身を始め、ニールヤングのぼろぼろのギブソンstd(ビグスビー付き)には憧れを抱いたものでした。音は聴いたことが無いのですが、兄曰く「ストレートに出すとレスポールさんの音がする」らしい。もちろん、歪ませるとシングルコイルなのにp-90は物凄く歪むのだそう。凝り性の兄は、アンプもポリトーンを持っていたが、ジャズらしきフレーズを弾いたことは、もちろん一度もない。(ポリトーンは、現在、我が相棒のしらえっち氏が所有している)マーチンとフェンダーにしか興味を持たなかった我が兄弟も、遂に行くところまで行ったという感じ。もちろん、これは’80年代後半ぐらいのモデルなのだと思うのだが、実は、兄のギター弾きの友人に頼まれて買ったものらしい。私も、頭のてっぺんが禿げ出したらロン毛にしてこのギブソンにビグスビーつけて髪振り乱してニールヤングやるのもいいかと思う。しかし、弾きもしないのに、何故、兄はこんなにエレキを持っているのだろう。不思議で仕方がない。
2005年06月03日
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衣替え、夏だ。私が一人になれる時間。それは「ハーレーPIROちゃん」になる時。バイクにはこの季節、最高である。暑くない、寒くない。今日は、久々に伊根の舟屋を訪ねることにした。小さなリアス式海岸が続く、海に面した道をただ走る。細かいことはとりあえず考えない。右手には海しかない。左は山である。長い国境のトンネルを抜けると・・・舟屋だった。そんなことはないが、まあそういうことにしておこう。伊根で、昼にした。あら煮定食を食べる。いつものやつ。大盛り、1300円。よく来ているので、「いつものやつー」と言いたいが、言わない。そこが礼節というヤツだから。はらごしらえしたら、帰り道、寄るところがある。舟屋には、兄の知り合いのJさんが、舟屋を焼物の工房にしている。そこで、海のそばでコーヒーをいただいた。海のそばといっても、ここで言う海のそばとは、写真のとおり気をつけないと、落ちてしまう。それくらい、海に近い。1時間くらいボーッとさせていただいた。・・・充電終わり。 やっぱり、海はいいなー。後記写真を見ていただいたらお分りになると思うが、バイクのうしろに兄が乗って撮影している。兄はカメラマンである。帰りは兄が運転した。1週間に1回、ここのあら煮を食べにくる。今日のあら煮は魚が小さいと、兄がぶつぶつ言っていた。(笑)
2005年06月02日
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出演、敬称略ひど黄門(ひど)、れすけ三郎(まれすけ)、おくなら進(oku-nara)越グー屋(GooChan)、腰水之上(こっしー)、うばぐるまの弥一(いっちゃん) その日、高級料亭では、よからぬ話がまとまりかけていた。悪代官の、腰水之上と、越グー屋が、南蛮船から入ってくる、魏武樽という外国の人気楽器を全て買い占めて、それを10倍以上の高値で売ろうという計画を練っていたのだ。この話は、天井裏で、うばぐるまの弥一が全て聞いていた。 ひど黄門様は、れすけ三郎、おくなら進を引き連れて、女郎屋に来た。いや、楽器屋に魏武樽を買いに来たの間違い。ひど黄門様は、女が、いや、間違い、楽器がたいそうお好きなのだ。ところが、野山楽器は、いつもの10倍の高値でしか売らないという。ひど黄門様はキレた。そして、いとも簡単に、印籠を出した。「えーい、この紋所が目に入らぬか!!」「ひかえおろー!!」と、ひど黄門様自ら言った。れすけ三郎、おくなら進は、ただぼーとして、立っていたため、解任された。 そして、ひど黄門様は、魏武樽をただで手に入れたのだ。しかし、日本で作った楽器は安いのに、何故、外国で作ったものはこんなに高い値段になったのか、ひど黄門様にはわからなかった。この話を伝えようと、うばぐるまの弥一は、東海道を必死で走ったが、うばぐるまが壊れて走れなくなり、とうとう間に合わなかった。彼も、役に立たないので、解任された。 ひど黄門様は、考えた。こんなに高く売れるのなら、日本で作ったものに、魏武樽といれて高く売れば儲かるではないかと。さっそく、越グー屋を呼んで、仕事を始めた。しかし、越グー屋が間違えて、都武樽と名前を入れてしまったのだ。でもけっこう売れたらしい。このうわさは、江戸中にひろがり、猛狸巣亜理阿婆仁井などのコピー屋がぞくぞく出来たそうな。この後、ひど黄門様は、越グー屋とともに、日本各地で悪事を働いたそうな。「黄門様もなかなかお人が悪うございますなあ。」「何を申す越グー屋、おぬしも悪よのー。」 あとがき・・・1970年代はGibsonの質が落ちたと言われた時、しかし日本では、Gibson、マーチンのコピーモデルが出まわった。笑い話に出る、トムソンは実は、鈴木楽器が制作。なんとチューン0マチックがついていたのだ。マーチンコピーで有名だったモーリスもGibsonコピーをしていた。そして、アリア、グレコ(アコギはキャンダだったが、グレコの名でも作っていた)そして、百瀬氏作のバーニーなど、これら、おどろくべきことに、J-45、ハミングバード、DOVE、J-200など多くのGibsonコピーを行なっていたのだ。しかも、外観だけでなく、物自体もしっかり作ってあったのだ。価格は12000~35000円というところ。しかし、今では、市場にほとんど出ていない。というか、やはり、派手なGibsonは敬遠され、マーチンタイプが売れたということだろう。最近でも、マーチンは堂々コピーされているが、Gibsonは無い。モーリス、ヤイリあたりが、フルコピーを出してくれたらと思うのは私だけではなかろう。
2005年06月01日
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