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私は、ギターが好きだが、ギター職人ではない。しかし、とりあえず自分の手でいじらないと気がすまないのである。というわけで、早速調査に入った。 まず、チューン0であるが、アジャスタブルブリッジと違い、この金属の仕掛けは重いので、上下させるネジが硬い。とりあえず分解して、CRC556で軽くした。このチューン0は、下げる時はいいが、上げるときに、ボディのメスネジが一緒に回りだすことがあるので、しっかりと締めておきたいが、締めすぎるとトップをえぐることになるので、ほどほどが良い。 チューン0は、弦の音を単独で浮いているブリッジが受けて、それをさらにチューン0全体が受けて、その両端のネジを通してボディに伝わる構造になっている。だから、固定式ブリッジのようなダイレクトに弦の音がボディに伝わることは無い為、軽い音になってしまう。これは好き嫌いがあるが、私は好きである。 チューン0を外してわかるが、サドルは、塗装の上から接着剤で固定され、さらに2本のネジで止めてある。ボディの中を覗いた。しかし、無骨である。今のギブソンでは考えられない。この太い、建築でいうと梁(はり)ともいうべき柱がボディを横断している。なんじゃこりゃという感じ。さらにその柱の中央に太いネジ。もう何のことかわかりましぇーん。そして、サドルの下、大きなナットは、チューン0を上下させるネジを受けるメスネジを固定しているもの。小さい方は、サドルの止め。ちなみに、2004年リイッシューは、サドルを止めているネジはない。つまり、接着のみである。しかし、よく見ると、なにやら小さなネジ穴のようなものが2つ見えるが、これは何だろうか。ここで注目であるが、1966のは、ブレーシングが太いまま。しかし、2004年のリイッシューは、なんと、スキャロップドなのだ。1958年あたりはそうだったのかなあ。いずれにしても、今のギブソンは、中がきれいなのです。きっちりとていねいに仕上げてあります。昔が良かった?昔の方が作りがいい?うーん。なんとも言えないなあ。だから、2004年のモデルでも、数は出ているけど、あと40年もしたら、立派なビンテージになるんでしょうね。 私としましては、1966年ものにしても2004年ものにしても、ギブソンはギブソンです。その時代毎に材は変わっているかもしれませんが、一生懸命につくられたものに優劣はない!と思う。
2005年03月31日
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1999年のギターである。つまり、ノストラダムスの予言を見事にかわした、記念すべき年に製作されたのである。というアホなことは置いといて。 悔しいが、いい音がするものは素直に認めなければならぬ。私はオタクじゃないんで、間違っていたら許していただきたいが、このギターの製作者は、もとマーチンにいたとかいう経歴があるんではないかと思う。そして、この他にもマーチンにいた職人が起したギターメーカーは多いと聞く。マーチンを持っている私としましては、悔しいので、一言いわせていただくが、巨大メーカーと手作りのメーカーは比較してはいけない!・・・って、なんの説得力もない。ガクッ。 本題です。とてもいい音でした。先日弾かせていただいた、マーチンD-28ハカランダに負けていません。で、このギターの持ち主さんは、ご夫婦でやっていて、歌は奥様が唄い、ご主人はリードと時々ハモを入れるという、言うなれば、母ちゃんもギターを持ったヘビーな紙風船、という感じの、ありそうでなかなかないタイプのバンド。 だから、ご主人の方は、歌には定評がないが(笑)(すんません)、ギターの鳴かせどころというか、ツボですな。これを心得た方で、いい音だしはりまんにゃわ。(かなり正確なギタープレイですぞ。)このギターは、トップが「ジャーマンスプルース」。だからいい音なんだよね。そして、サイド&バックが「スカンクローズ」。このスカンクローズというのは、私が命名した。写真を見ると、ローズウッドですが、太い縞が入っているでしょ。スカンクみたいな。サイドがわかりやすいかな。これは、マーチンが1969年でハカランダを打ち切り、70年に入ったころ使用していたローズ材に似ていると思うのです。マーチンでは、70年後半からはこのスカンクローズはお目にかかれません。 しかし、考えてみたら、価格もハカランダマーチンが買えるくらいしますから、そりゃあいいものができるといえばそれまでですが、ローズを使ったギターで高、中、低のどの音もきれいに出せるものは少ないと思う。これは、一生もの(今はやり)のギターに入ると私は思う。ちなみに、この上にハカランダ仕様があるらしい。罪な事してくれるもんだ。言いわすれたが、ボディーの渕にきれいにヘリンボーンが入っていた。これも悔しい。管理人より:今回から、写真をクリックしていただくと、より大きな画像を見ることが出来るようにしました。
2005年03月21日
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moto先生から、永久貸与いただいたFG-350、さっそくライブで使わせて頂いた。ありがとうございました。私は普段、写真右の「シラエッチ君」とダンニャーズJrというデュオを組んでいる。私のボーカルの貧弱さを、シラエッチ君のハモでごまかそうというミエミエの工作であるが、今のところ、うまくいっているようだ。 で、FG-350は、ボリュームのある抜けのよい音で鳴ってくれた。それと、立ちでやると、身体にぴったりと合うのだ。ウェスタンボディというやつだ。しかも、これでトップが合板かと思うほど。 この合板については、ギター狂のY氏からコメントを頂いたところによると、この時代の合板は、今とすこし意味が異なり、湿気の多い日本から、乾燥した海外に輸出したとき、単板だと、くるったり、割れたりのクレームが多く、その対策として、同じ材をわざわざ2枚におろして、それを接着するという、単板よりも手間のかかる作業をしていたらしいのである。 確かに、当時では高いギターであったと思うが、なぜトップが合板なのか?と疑問もあったが、なんとなく納得した。しかし、単板だろうと、合板だろうと、鳴る物は鳴る。弾けばひくだけ鳴るという感じで、さすが、ヘビーゲージ標準ギターである。私はこの日は、ミディアムゲイジで臨んだが、ヘビーでやったら恐ろしい音だったと思う。そして約30分、オリジナルばかりを5曲やらせていただいた。赤ラベルの実力は、やはり本当だと思った。 当時35,000円のFG-350は、ついこの間は、60,000円程で出ていたが、最近では80,000円を超えるようになった。今後が楽しみだ。いまさら、返せと言われても「そうはいかん」(笑)とはいっても、なかなか市場には顔を出さないギターである。 この親分のFG-500は、トップが単板で、サイド&バックがハカランダ(サイドは合板)という仕様であるが、一体どんな音がするのだろう。ヤマハはこの時代によくも、このような350、500という銘器を登場させたものだと感心する次第である。 これからも、ライブでの使用が増えそうである。moto先生、大切に使わせて頂きます。
2005年03月17日
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私が始めて村下さんに会ったのは、広島のRというライブ喫茶であった。当時、学生の私はそこで唄わせていただいていた。バイトである。私が唄いだしたころは、村下さんはもうレギュラーではなくて、時々お客さんとして来ていた。そして時々、飛び入りで唄っていた。「うまい人がいるなー」と思った。服装はいつもスーツだった。当時、村下さんは、ピアノの調律師として、ヤ○ハの専属だっだ。 アマチュアとしては抜群にうまく、いろいろなコンサートに出ていた。マーチンD-45でね。ライブの途中チューニングなんか、音叉なしなんだよね。絶対音感があるから。 アマチュアの頃から「松山行きフェリー」「ひとり暮らし」「レンガ通り」「2年前なら」「小さな屋根の下」などは、よく唄っておられた。Rという店で、飛び入りで唄った時、新曲ですと言って「月明かり」を披露していただいたのを覚えている。(今のと歌詞が違っていた)その後、LPレコードを自費出版されて。(どっかいっちゃったなー)村下さん26歳くらいだったかな。 村下さんはほんとうに礼儀正しい方で、私のことは今とおなじく「いち君」と呼んでいただいていた。そのころは、私がお世話になっていたTさんのラジオ番組の中で、「孝蔵兄ちゃんのコーナー」というのを担当されて、人気があったなー。私も、このラジオでコーナーを持たせていただいた。2回だけね。 デビューはCBSのオーディション。実は私も一緒に受けたのだ。(笑)村下さんは優勝。私は、落選。(キツイなー)その後、音楽関係者を集めた、ソニーの披露パーティーがあって、村下さんと、五十嵐浩晃さんが来た。私はTさん(拓郎の古い船・・・の中で歌っている人)につれられてパーティーに行った。(だいたいこういう場所には行くんだよな)アマ時代からさらにパワーアップした村下さんがいた。しゃべりは相変わらずだったが。むかしからしゃべりが下手でね。(笑) ところで、村下さんの奥さんは、私が第2期広島フォーク村で同期だった、Kさんのお姉さんで、Kさんは、原田真二とアマチュア時代バンドを組んでいたが、今は、日本画家として有名になっている。今も個展の案内をいただくが、さすが、絵の値段は高く、私には金が無いのでとても買えない。そんなことも、私が村下さんに対する想いを深めていた要因だった。 私が、広島での学生&音楽生活に見切りをつけて、京都に帰ってきてすぐのこと。ふとレコード屋で、聴きなれた歌声が流れている。そう、「初恋」がヒットしていたのだ。嬉しかった。ほんとうになんか自分のことのように。女房は村下さんのファンになった。(決して私の歌は聴かないけどね) そして、1999年の突然の訃報。広島の同期の人達は、追悼コンサートなんかやったと聞く。私は、ひっそりと、一人、村下さんの歌を唄い追悼した。私は歌が言うほどうまくないので(ほんとうなんです)、私のオリジナルしか唄わないが(比較されないでしょ)、松山行きフェリーだけは、実は18番なのだ。思い出すと悲しくなるので、このへんでペンを置きたい。村下さんのこと知らない人がいたら、「レンガ通り」を聴いてみられることをお勧めする。村下さんの歌の中で、私の一番である。
2005年03月14日
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まれさんのボーカル、甘い声でしょ。実は、彼は、若かりし頃、フォークコンテストで四国大会で準優勝してはりますんやわ。ご要望にお応えしまして、歌詞とコードを掲載します。みなさん一緒に唄って下さい。拓郎を聴きながら(←クリック!)表示された画面の「4.pdf」を右クリックして「対象をファイルに保存」→「名前を付けて保存」で保存場所を選び「保存」ボタンを押す。PCにダウンロードされるので、ダウンロードしたファイルをダブルクリックするだけ。この歌は、元気をだそう!希望をもとう!夢を忘れないで!という内容の歌です。日本のどこかで、部屋の中で、膝を抱えて悩んでいるひとも、引きこもっている人も、酒を飲んでいる人も、かあちゃんに逃げられた人も(笑)この唄ですこしでも元気が出れば幸いです。
2005年03月13日
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私は拓郎さんが好きだ。中学の時、拓郎さんの生き方を真似ようとしたことがあった。中学の時から歌はたくさん書いたが、拓郎さんの影響は大きい。今回、台風23号で被災された方を励まそうと、この曲を書いた。市の福祉まつりで唄うのだ。言っておくが、私はシンガーではない。断じて。私はソングライターだと思っている。要するに歌が下手という言い訳ですな。はは。で、今回この歌は、私がお世話になっている、まれすけさんに唄っていただいた。私が言うのはなんであるが、この歌、まれすけさんがライブに出る直前に送ったから、まさかこんな短時間で唄ってもらえるとは思っていなかった。苦労されたと思う。まれさんありがとう。私の拓郎さんへの想いと、被災した方に捧げたい想いを、まれすけさんのボーカルでお聴きいただければ幸いです。拓郎を聴きながら上記タイトルをクリックして、表示された「4.mp3」を「右クリック」→「対象をファイルに保存」でご自分のパソコンにダウンロードしてから、ファイルをダブルクリックしてお聴きください。ダイヤルアップやISDN回線ではファイルが大きいのでキビしいかもしれません。よろしくお願いします。
2005年03月11日
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ガロというグループをご存知の方なら、トミーさんが、J-200のナチュラルを持っておられたのを覚えているだろう。私の記憶では、あれはJ-200のコピーモデルだったと思う。しかし、とりあえず私の中では、J-200はコレ。(写真は、デ○○ー○の売り物で、欲しいなあと思っているモデル)1960年代のモデルが大好き。 どこが違うのか?となるのだが、サドルのおひげのような形が、この時代は、透かし彫りではなく、貝のインレイなんですよ。そして、エレキギターよろしく、チューン0マチックという弦高とピッチを調整する機能がブリッジに仕込んである。うーたまらない。このJ-200は、1937年に誕生し、1942年に一旦うちきられ、1947年から再生産。現在にいたるが、現在のモデルは1950年代のリイッシューである。この写真のモデルが出現するのは1960年に入ってしばらくしてから。チューン0マチックはJ-200とDOVEに採用された。1969年には、チューン0からJ-45と同じアジャスタブルブリッジに変更された。(DOVEも同じ流れをたどっています。)そして、70年に入ると、サドル自体が変更。そして、80年代からリイッシューモデルとして現在に至るわけである。 私は、このチューン0モデルが欲しくて、過去2回、購入にチャレンジしたが、ギター自体の痛みが激しく、断念した。チューン0マチックは、音に好き嫌いはある。私は音も好きだが、このサドルのインレイが大好きだ。まさに、中学の頃、ガロを見たときの強烈な印象。というか、拓郎みてJ-45が好きになり、アリス見てDOVE、CSN&Y見てD-45・・・と、その当時のノスタルジーから、いろいろ購入に踏み切っているのだが、日本にはだいたい、こういうオヤジが多いんだよね。 ガロのこぼれ話であるが、K楽器の4階に、当時Kちゃんという、可愛いギャルがいた。私と同じ年だった。エレベーターで5階のギター教室に行くとき、4階で止まり、超低い声で、「毎度、Kちゃん、谷本です。」というのが私のお決まりのギャグだった。谷本さんという人は、私がひとかたならぬお世話になった方である。(私はなんと多く人に迷惑をかけてきたのだろう)で、そのKちゃんの女友達が、中学か高校1年だろう、ガロの広島公演のあと、おっかけやりまして、まさにガロを追いかけました。ガロは当時あんなに高い靴をはいてましたから、早く走れなかったんだと思う(笑)。で、狂信的ギャルはトミーに追いついた!そして、ななななんと、その子は トミーの髪の毛ひっぱって、抜いてしまったのだ。(笑)人気絶頂のガロのトミーのあの長い髪だぞー。 オヤジはすぐにこういうことを考える。多分これを見ている人もおんなじことを考えていると思う。「あの髪の毛、今、オークションで売ったら、なんぼするやろなー」(笑)もしそのギャルさん、今も大切にトミーの髪の毛、持っていらっしゃるなら、ガロファンとして、是非1本でよろしいのでお譲りいただきたいと思うのである。
2005年03月09日
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最初にお断りしておくが、今回、高田さんの演奏の写真と、自らギターを持っていただいた写真を使わせていただくことにした。高田さんへの気持ちを伝えるために、これらの写真が不可欠であるからだ。高田さんから、クレームが来たら、喜んでひきあげます。(笑)さて、私は高田渡さんが好きだ。高田渡さんは、私がギターを始めたころ、というか、私がフォークという言葉を初めて耳にしたころのミュージシャンだ。ヤングギターなどで、高田さんに憧れた。私の友人に、高田狂がいたことも、私には影響したと思う。当時は、ライブなんかは見ることができず、レコードしか聴けなかったが、骨のあるギターと歌には陶酔した。この日、高田さんはマーチンD-45を抱えて唄った。1971年生、ジャーマンスプルーストップのモデルである。サイド&バックは、ハカランダからローズウッドに変更になったが、依然としてすばらしいものだった。 高田さんは、このプロ用機ともいわれるD-45を、見事に弾きこなされた。最近の高田さんは、マーチンやギブソンを持って唄うことが少なく、寂しく思っていた矢先だったので、感動した。演奏の後、「渡さん、D-45いい音出てましたよ。」と言うと「ワシはギラギラしたギターは嫌いでね、高いギターにも興味はない。」と笑っておられた。余談であるが、高田さんは、いつも一番に酔っておられるが、この日は私のひとつ違いの兄が、高田さんをはるかに超えるほど、泥酔直前で高田さんの手を握り締めていたのがおかしかった。コンサートの前に、高田さんとしばらく話した。この日は、TVの撮影があり、坂崎幸之助さんの番組に出演されるとの事。話の途中で、他の方の割り込みがあり、高田さんのとなりから席を立った私であったが、高田さんが気を遣ってくださり、また、となりに座らせていただいた。コンサートはすばらしい内容であった。やはり、テレビで見たり、レコードで聴いたりする印象は、はるかに超える。高田さんは、チューニングにもうるさいし、ギターテクニックもすばらしいものがある。又、音程は完璧だし、さすが、30年以上続いているだけに貫禄があるのだ。日本を支えるミュージシャンだ。高田さんにご挨拶をして、ホールを後にした。帰りに駐車場にある、公衆便所へ行った。3時間しょ○べんを我慢していたのだ。もう夜11時を回っていたので、電気は切れて真っ暗だった。そこへ、高田さんも来られた。(笑)そして、いっしょに並んで、しょ○べんをさせてもらった。いい思い出になった。ありがとうございました、高田さん。
2005年03月04日
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このブログ開設以来、初めて登場いたします。いっちゃんでございます。ハーレーpiro(ぴろ)ちゃんというのが、私のオートバイの世界でのハンドルネームであります。(昔、母が私のことを、ピロちゃんと呼んでいたのをそのまま使っている) ハーレーは、現在2代目になりますが、高校の時、モンキーでトラックに突っ込んだり、友人のGT380を借りたり、途中、離れてはいたものの、バイク歴はその時からのもので、私としてはベテランだと自負しております。しかし、腕はひどい・・・ _| ̄|○ さて、ハーレーは好きですが、しかしフリークではありません。かつて、3人の息子を、ハーレーで保育園に送り迎えして、有名オヤジになりました。その時のイメージで、いまでも、当時の父兄に会うと、ハーレー乗ってますか?と聞かれます。また、息子からも、ハーレーに乗り続けて欲しいとの要望もあるので、いまさらハーレーを降りるわけにはいきませぬ。(つらい) この2代目のハーレーは「大猫」と呼んでいますが、1代目同様、よく壊れます。ツーリングに行くと、たいがい、人の世話にならねばなりません。しかし、古いハーレーに味を感じるところが、ギターとの共通点なのです。 首尾よく行けば、今年、ひとつ違いの兄と、5年前に計画したが棚上げとなっているハーレーツーリング気ままな旅を実現したいと思っています。兄もバイク乗りですが、二人とも、よぼよぼになるまで乗り続けるのが共通の目標なのです。
2005年03月03日
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